からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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言葉

勝利した人たちが使うことば

テーマは 『 勝利した人たちが使うことば 』 です

【ピリピ4章13節】

私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。

環境が 人に勝利をもたらすのではなく、
“健全な信仰と思考を持って勝利のことばを使う人” が勝利を勝ち取ります。


今日のことばは、使徒パウロが語ったことばでした。


パウロの置かれた環境は、常に “最悪な環境” でした。

福音を伝えるのが彼の使命ですが、常に反対、妨害、迫害の環境での働きでした。


肉体的にも死の連続の状況でしたが、なぜ そのような中でも、彼は福音によって世界を変える勝利の働きが出来たでしょうか?

もちろんパウロだけではなく、聖書にはパウロと同じく勝利を得た人々が多く出てきます。


彼らに共通するものは、健全な信仰と思考、そして常に勝利のことばを使ったことでした。


私たちは、主のことばに関心があります。


主のことばで力を受けたり、慰めを受けたり、励ましを受けたりします。

そして主のことばに頼ります。


主はどうでしょうか?


主は、私たちのことばに関心があります。

ことばを聞いて、私たちの信仰や考え方を知ります。


勝利を得た人たちのことばには とても力があり、自信があり、希望があり、神への信頼がありました。

パウロは困難に直面しても、弱音を吐きませんでした。


なぜなら、共におられる主に 完全に信頼していたからです。


自分が受けた使命は、主からの使命なので、そこに失敗があるとは考えていませんでした。

どんなに環境が悪くても、自分は必ず勝利すると宣言して働きました。


ローマでは、次のように勝利について語りました。


【ローマ8章35-37節】

私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。

「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。

しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。

患難、苦しみ、迫害、飢え、裸、剣があるから と、主から離れる人は勝利者ではなく、“敗北者” です。


【第2ペテロ2章19-20節】

人はだれかに征服されれば、その征服者の奴隷となったのです。

主であり救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れからのがれ、その後再びそれに巻き込まれて征服されるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪いものとなります。

環境に左右される人は 信仰があったとしても、結局は環境に倒されて勝利することが出来ません。


勝利する人たちは 環境ではなく、主に信頼し、みことばに信仰を築き上げ、健全な思考をもって、環境に向かって勝利のことばを使います。


「私は必ず勝利者となる。圧倒的な勝利者となる。私は私を強くして下さる方によって、どんなことでも出来る。

決してサタンが喜ぶようなことばは使いません。


他に勝利した人たちのことばも聖書にありますので紹介します。




ヨセフ




ヨセフが語ったことばです。


【創世記45章5節】

今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。

もし このようなことばではなく、恨みのことばで彼らを恨んだり、復讐したならば、ヨセフは勝利者にはなりませんでした。




カレブ




【民数記13章30節】

そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。」

多数が否定的な思いで、絶望的なことばを使っても、
カレブは最後まで勝利のことばを言いました。


神は カレブのことばを心に留め、彼には勝利を与えました。


しかし絶望的なことば、つぶやきに対しては このように語りました。


【民数記14章28-29節】

あなたは彼らに言え。これは主の御告げである。わたしは生きている。わたしは必ずあなたがたに、わたしの耳に告げたそのとおりをしよう。

この荒野であなたがたは死体となって倒れる。わたしにつぶやいた者で、二十歳以上の登録され数えられた者たちはみな倒れて死ぬ。

私たちは自由にことばを使うことが出来ます。

しかし、自分が使ったことばの実を刈り取るのは、自分自身であることを忘れてはいけないです。




ダビデ




戦う前に、すでに勝利宣言のことば使ったダビデのことばです。


【第1サムエル記17章47節】

この全集団も、主が剣や槍を使わずに救うことを知るであろう。この戦いは主の戦いだ。主はおまえたちをわれわれの手に渡される。」

全イスラエルが恐れていたゴリヤテに対して、恐れなかったのは ダビデだけでした。

神は彼に勝利を与えました。


ゴリヤテを恐れていたサウル王のことばと比較してみましょう。

使うことばが違いました。





サウル




【第1サムエル記17章33節】

サウルはダビデに言った。「あなたは、あのペリシテ人のところへ行って、あれと戦うことはできない。あなたはまだ若いし、あれは若い時から戦士だったのだから。」

普段どのようなことばを神様に、自分自身に、他人に使っていますか?


あなたが使ったことば通りの将来が あなたを待っています。

そして蒔かれたことば通りのことを刈り取ります。


勝利したいならば、環境が変わるのを待つのではなく、あなたの信仰、思考、ことばを変えて下さい。


そうするならば勝利の人生を送ることが出来ます。
アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚


2018.4.8
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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他人を祝福する人とは?

テーマは『 他人を祝福する人 』です

【Ⅱコリント1章11節】

聖霊に満たされたパウロは個人に対しても祝福を祈り、教会に対しても祝福をたくさん祈ります。
そしてパウロ自身も信徒たちに向かって「わたしのためにも祈ってください」とお願いすることも多いです。
その祈りが自分にとって大きな祝福になることを知っているからです。

クリスチャンはなぜ他人を祝福しなければならないでしょうか?

自分の祝福だけではなく、なぜ他人を祝福しなければならないのか。 それは――
イエス様を 自分の主人として受け入れた人であるならば当然のことであります。

義務というよりも、それがとても価値あるものだからです。
イエス様は他人を呪ったことはないです。
朝から晩まで、いつも他人を祝福しました。人々が良くなることを誰よりも願いました。
それが神様のみこころなのです。

ですから、キリストに属する人は同じことをしてほしいと、それが神様が喜ぶことであります。

皆さんはクリスチャンになってから、常に人々のことを祝福していますか?
自分が知っている人だけではなく、見知らぬ人のために、困っている人のために、また国のために、
常にその人たちのために実際に祝福をしているでしょうか?

私たちは祝福をしなければならないです。
祝福を与えること、それは素晴らしいことであるのです。

私たちは他人を祝福する時に、どのような心で祝福をすべきでしょうか?
神様は私たちの心の動機を先に見られます。




神様が喜ぶ祝福の心があります。

私たちが相手に対して信じる心です

世の中では、他人を信じては絶対ダメだと言われます。もちろん他人を騙す人はたくさんいますので
信じた時に困る時があります。だからと言って他人を信じないのは不幸だと思います。
「誰も信じられない。」このような心を持っているのなら、とても孤独です。
家族、友達、誰も信じられない・・・信じられるのは自分自身しかいない。
―― そうではないです。

私たちはまず他人を祝福する時には、相手を信じることであります。
「私がこの人のために祝福の祈りをするならば、この人はそのようになるだろう」と必ず祝福される。 と
これが、信じることであります。

「私が祝福を祈っても、この人はそうならない。無駄だ。」ではないです。


愛する心

相手を愛する心がないと、私たちは口先だけの祈りで終わってしまいます。
愛するということは、相手が本当に幸せになってほしい、良くなって栄えてほしいという心でもあります。

しかし 愛する心がないと、たとえ相手に祈りを捧げたり、物を与えても自分自身が幸せではないです。
儀式的になります。まるで施しのように、自分が高い立場に立ってすることではないです。


相手を大切に思う心

大切に思うということは、相手を価値ある者と思うことなのです。
「この人は値打ちがない」というのは他人をけなすことであり、その人を救った神様をけなすことであります。

つい私たちは、悪い人ばかりを考え「そんな人には値打ちがない」と思ってしまいがちで、
私たちの眼はいつも否定的な悪いものだけを見て、自分の心を閉ざすのではなく、
悪い人より良い人がたくさんいるのです。

私たちは、色々な人からたくさん良くしてもらいました。
「誰からも良くしてもらったことがない」という人はいないと思います。もしそうであるならば、
今生きていないと思います。

幼い頃には、親からの愛を受け、世話を受けて大きくなりました。
成長した後も、先生や友達など色々な人によって、私たちは良いものをもらいました。ですから今日があります。

そういう部分で多くの人々は、皆 素晴らしい価値ある人なのです。そう思うことであります。


他人に良いものを与える思い

自分が使わなくて捨てたいものを与えるのではなく、自分が受けて嬉しいものを与えるようにする心を
持たなければいけないです。それこそが神様が喜ぶ 祝福を与える心の姿勢であります。

神様はどのような動機であなたがそれをするのか、まずそれを見ています。
心から良いものと悪いものが流れますので、私たちは良い心を持って人々を祝福していかなければならないです。

そして、祝福する対象は(神様を)信じる人だけではないです。
神様を信じる人も、信じない人たちも、私たちは祝福をしなければならないです。


【Ⅱコリント2章15節】

私たちクリスチャンが、自分たちの口から他人を非難したり罪に定める言葉や悪口を言うならば、
私たちが他人を汚す者になるのです。自分たちが悪臭を放つものになります。

人々を絶望させる言葉、傷を与える言葉、いじめの言葉がどれほど悪いものなのか、
それこそ包丁よりも怖いものです。

結婚をした1/3の人たちが(相手から)DVや言葉の暴力、経済的・肉体的な暴力 等、たくさん受けています。
他人の人格を踏みにじる言葉をたくさん使います。
そういう状態で、その家庭が幸せになることはまず有り得ないです。

もし私たちの口がそういうものを出し、行動するならば汚物と同じであります。
ですから、神様は「あなたたちの中からそういうものを出してはいけない。」と語っております。

相手を愛する言葉、相手の価値を認める言葉、相手を高める言葉、相手が良くなるように与える言葉、
祝福の言葉、これは絶望の中にいる人々を生かす言葉であります。

私たちが悪い言葉を使う時には、神様の恵みは絶対に流れないです。
逆にサタンが持っている汚いものが相手に流れていきます。

ですから私たちはまず 祝福の祈りをしなければならないです。
私たちは、自分たちの苦しみや問題をたくさん祈ることが多いですが、誰かに問題があって祈る時には、
祝福の祈りをするのが一番です。
「苦しいです」という言葉よりも、明確に祝福の言葉を祈る方が良いです。

それは自分のために祈る時も同じです。
たとえ自分を苦しめる人に対してでも、祝福の言葉を使って祈るのです。

「神様。 主人(息子、娘)を祝福してください。」 「主人が愛の人になるように祝福してください。」
「家庭を大事にする人になるよう祝福してください。」 「私のことを大切にする人になりますように祝福してください。」
「絶望から希望を得て立ち上がる人になれるように祝福してください。」


私たちはつぶやきが多いですが、例え つぶやきの言葉を並べても神様は聞きたくないです。

「死んでしまえ」や「消えてしまえ」という呪いの言葉ではなくて、
「神様、あの人が優しい人になりますように。」というように、祝福を受けてそうなって欲しい姿を祈ります。

他人を祝福するので自分も祝福され、自分も祝福する言葉しか語らないので、いつも心の中が平安であります。

クリスチャンにとって、祈りは誰にでも出来ることです。祈りによって常に人々を祝福することです。

また、それをしていくと何が起こると思いますか?

その祈りをもらっている人たちが、それによって力を受けるのです。
そしてその人たちに 神様が恵みを流していきます。

また、それをしないと 私たちは命取りになります。それは次の箇所です。


【マタイの福音書25章33-36節】

小さな働きなので人々は無視をすることが多いです。しかし神様が一番目を留める働きは、
このような働きでした。


【マタイの福音書25章40節】

大きな働きをしたい人はたくさんいます。我先に「これをしたら大きな祝福が来るだろう」と、
これは自分が受ける祝福のことしか考えていないです。

他人のためと言いながらも、心の中では「人々に尊敬されたい」と計算が働きますが、
このような小さなことは、目立たないことであり、やって何になるんだ?と思うことであっても
神様は「それをしなかったあの者たちは、天国には入れないんだ。」ということです。


【マタイの福音書25章41-46節】

神様は、最も小さな者に価値を与え大切に思い、その人たちを愛し、信じて、
手を差し伸べ、祈りをして必要なものを与え、励まし助ける時に、それが最もわたしが喜ぶ働きである。と、
あなたがその人たちを祝福したので、あなたたちは、父なる神に祝福される。
―― これが聖書が私たちに教えることであります。

家庭でも、会社帰りの旦那さんに家族が何も言わないのではなく、「ご苦労さま」 「ありがとう」と
この言葉は家族を祝福する言葉であります。その言葉を聞いて嬉しくなって更に頑張ることができます。
「働くのは当たり前でしょう?」だと、1日中働いて疲れて家に帰ってきているのに 更に疲れてしまいます。

それは旦那さんも奥さんに対して同じです。
「1日中、のんびりしながら何をしているんだ」ではなく、食事に対して「美味しい」 「ご苦労さん」と
このような一言が相手に対して祝福を与える言葉であります。

言うと自分も幸せになり、お互いが幸せになります。

私たちは言葉で表現をしなければならないです。いくら年をとっていても、このような言葉を聞きたいです。

私たちは家族に対して、そのように祝福の言葉を与えることであります。
大事にすることは、(家族の)奴隷になりなさいということではないです。
お互いの価値を認めることで良くなっていくと思います。


福音を伝えること

兄弟・姉妹の間でも相手の信仰を立たせるために、私たちが助けると、その人が祝福を受けるようになります。
とりなしをたくさんする人は、他人にたくさんの祝福を流している人であります。
それによってどれほど私たちが助かっているかわからないです。パウロも言っています。


【ピリピ4章14-18節】

すごく私たちが反省をしなければならないことであります。
受けることだけを考えて、自分たちが恵みを流さないと、自分の中の恵みが死んでしまいます。

私たちは恵みを受けたならば、常に恵みを流していかなければならないです。
流していくならば、神様は常に新鮮な恵みを流してくださるのです。

「この人は欲望にまみれた人ではなくて、自分が受けたことを感謝して、困っている人たちを助けている」となると
神様は更に大きな祝福を与えてくださいます。

福音を宣べ伝えるのは主の働きなので、それをする人たちが困ったり、苦しむことがないように
共に私たちが助けるならば、それは祝福を与える人であります。そうすれば私たちも霊的祝福を受けられます。

かぐわしい香りは、このような働きをしていく時に、その人自身からかぐわしい香りが放たれます。

自分が地上にいる一生の間、ずっと祝福を受けたいと思うならば、自分が常に祝福を祈り、
祝福を与える人、祝福を蒔く人でなければならないです。

「私だけ、私だけ・・・」となると、汚れて死がくる と神様が語っています。

聖書の言葉をよく理解して、神様が何をおっしゃっているのか、そして その通りにするならば間違いないです。


イエス様に出会って一番幸せなのは、誰だと思いますか?

【マタイの福音書26章6-13節】

誰もイエス様にこのように祝福をした人はいないです。
集まってくる人々は、常に受けることしか考えていなかったです。

あまりにも主を愛する心があり、あまりにも自分が受けた恵みが大きいので
自分が持っているものを全て捧げても、命を捧げても惜しくないという愛の心でした。

彼女も初めは受けるために来ました。罪が赦され、心が回復され、素晴らしいものを受けました。
そして、それに対して主を祝福した人は彼女1人だけでした。

私たちはどれほど主から祝福を受けたのかわからないです。
イエス様にこれほどのもてなしをしたことはないです。
彼女は最高のもてなしをしました。そのことでイエス様が喜ばれました。

私たちは自分の命が死から救われた者であります。人々のたくさんの祈りによって支えられているのです。
それを ただ受けることだけを考えて、更に「ちょうだい」ばかりを言うならば、
神様は「もう(あなたは)いらない」となります。

私たちは流していくのです。小さな者に対して、その人に必要ならば与え、
どんどん祝福を流していくならば、それが自分に祝福として返ってきます。

私たちは言葉1つにしても、行動1つにしても、それが人々の祝福になるようにしなければなりません。
悪いものが出そうな時は止めてください。

人間は皆、幼い頃から好き嫌いがあり、パッと見た瞬間にそれを頭の中で決めてしまいます。
私たちは好きなものは好きで良いのですが、嫌いなものに対しては「嫌い」という言葉よりも
「好きになろう」「嫌いなものを好きになってみよう」と思うならば、徐々にその良さが見えてくるのです。

一言「嫌い」と言ってしまえば、いっぺんにそれを切り捨てることなのです。

人に対しても、「この人の ここは好き、あれは嫌い」となると、愛することができなくなるのです。
しかし、「あぁ、こんなに良いところがあるんだ。」と自分の目線を変えて見るならば、
素晴らしい部分がたくさん見えてきます。

素晴らしいものは「素晴らしい」と言ってあげたら良いです。
悪いところを「悪い、悪い」と言うと、ますます悪くなります。人はその言葉では変わらないです。
ですが、悪いところがあっても 良いところを先に言うと、相手は恵みを受けるので変わっていきます。

自分の良い部分を励ましてくれる相手を裏切りたくない思いになります。

これから私たちは言葉を変えていきましょう。祝福の言葉を使うと人生が変わっていきます。

そして、これからは「私、私、私」よりも、神様の言葉通りに「祝福する人になろう」と他人のために祈る時に
私たちはやわらかい心になります。

家族においても職場においても、祝福を与えるために私たちは選ばれたのです。

キリストの心をもって他人を祝福をする人になりましょう。 (*´∇`*)

2013.6.16
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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実に対する教訓

テーマは『 実に対する教訓 』です

【マタイ7章17-18節】

聖書には信仰の奥義が教えてあります。それを通して私たちが何を学ぶのかが大切であります。
今は10月なので収穫の時期です。特に果物を育てている人たちは猫の手を借りたい程、とても忙しい時です。
汗をかきながら収穫しますが、すごく大変だと思います。
夏の時期に汗を流して、苦労しながら育てた果物の木からたくさんの実をとる時に農夫たちはたくさんの
祝福を受けます。

私たちが実を結ぶまでの過程は色々と苦労があります。
忍耐しながら良い実を結んで行く人たちは満ち足りた人生を歩みます。

実に対する教訓の中で一番に見たいものがあります。実を通してその人を知ることができます。
誰かのことを知りたいならば、その人がどんな実を結んであるのか、それを見ればわかると思います。

― 唇(言葉) ――――――――――――――――――

【マタイ7章16節】

心の中に色んな思いが詰まってくると、それが下に流れるだけではないです。
詰まった思いは、口を通して言葉になって外に現れてきます。
悪い思いがいっぱい詰まった人たちは、良い言葉が語れないです。
もし良い言葉を語ったとしても、それは嘘であります。
嘘はしばらく経つと見抜けることができます。反射的に、とっさに出てくる言葉があります。
それを見ると、この人はこういう考えなんだということが言葉を通して知ることができます。

人間の言葉は軽く考えてはいけないです。その言葉で自分の運命が変わることもたくさんあります。

【箴言12章14節】

良い言葉や正しい言葉を使うと その人に良い実がなります。
普段使っている言葉で自分が他人にどう見られているのか、
外見は気にして飾ることができても言葉に対しては私たちは気を付けないです。

悪い心からは、悪い言葉が出てきます。
神様は使う言葉に対して無関心ではないです。使う言葉によって必ず裁きがあります。
それは「唇と行動の実」で、これらは神様が全て記録しています。

外では言葉を気を付けることができても、家族の間で使っている言葉でその人の人格が丸出しにされます。
自分が使っている言葉は必ず自分に振りかかってくることであります。

クリスチャンは聖徒にふさわしい言葉を使いなさいと神様が語ってあります。

【へブル書13章15節】

一日中、賛美を歌うことではないです。神様に感謝を捧げ、神様のことを褒め称える言葉がたくさんあります。
希望があり、恵みの言葉は聖徒たちにふさわしい言葉です。
自分が使う言葉に徹底する必要があります。

言葉は自分の耳より他人の耳に先に入っていきます。
私たちは他人に向けて言葉を語りますのでもし自分で言った言葉を忘れてしまったとしても、
相手は覚えています。

― 行動の実 ―――――――――――――――――――

言葉は嘘を付くことが出来ますが、行動は自制することが出来ないです。
自然とその人の思いのままに行動へ移っていきます。
表情を見てもすぐにわかります。
その人に信仰があるか、ないかも行動を見てわかります。

神様に対してどんなに犠牲を払っても一生懸命する人に対し、神様は恵みを与えないはずがないです。
妨害や問題があった時に、どうやってそれを乗り越えて行くのかを考え、
そして乗り越えた時に信仰が成長します。乗り越えるとさらに良い事があるので、それには価値があります。

私たちが一歩退くならば、持っている恵みまでも取られてしまいます。
常に乗り越えることを考えます。考えていくと解決するあらゆる方法が出てきます。

信仰の実は神様を喜ばせます。

【コロサイ1章10節】

信仰とは、神様を信じ、イエス様を信じ、そして主の心に適った歩みをするのが信仰生活であります。
教会に来ることが信仰生活ではないです。
どこへ行っても神様を信じて主に適った歩みをする。これが生きている歩みであります。
そうすると、その人達はどんどん成長していきます。
成長していく者は必ず実が結ばれていきます。

自分の人生を通して、正しい信仰と態度をもって生きる人、
神様のみこころに一致するように努力しながら生きている人たちは、ぶどうの木についた枝のように
神様から恵みを受け、命を受け、そしてどんどん実を結んでいきます。

人間が造られた目的は、神様に栄光を捧げるために造られました。
ですから、私たちは神様の心を満足させなければならないです。

栄光を捧げる者として期待をしたのに、その者が反対に恥をかかせる。
その者が何一つ実を結ばない。これほど神様にとって悲しいことはないです。
小さい事でも繰り返しやっていくならば、実を結んでいきます。

――――信仰の実を結ぶために聖書箇所を伝えていきます――――― 

普段、このような生活をずっとしていくならば、どんどんイエス様の姿に似ていきます。

【ピリピ2章15節】、【Ⅱコリント1章12節】、【Ⅱペテロ2章9節】、【Ⅰテサロニケ4章9節】、【Ⅰペテロ5章5節】、
【マタイ5章8節】、【ローマ16章19節】、【へブル12章14節】、【テトス2章14節】、【ヤコブ5章7-8節】、
【へブル13章2節】、【へブル13章5節】、【Ⅰコリント15章58節】、【申命記6章5節】

これを全て紙に書いて貼ってください。常にカバンに入れて持ち歩いてください。
何も考えずに今まで通りに生きるのではなく、常にみことばを読みながら、
一歩ずつでも「今日はこれをやってみよう」と行動すると、皆さん自身の内側から変わっていきます。

― 世の実 ――――――――――――――――――――

「死」を結びます。

【ローマ6章21節】

世の中の全てではないです。信仰の実に対して、正面から対立するもの。
汚れているもの、つまずかせるもの、否定的なもの、偽りのもの。こういう物を「世の実」と言います。

(世の実は)持っていても自分にとって何一つ良いものをもたらさないです。

クリスチャンがどういう生活をしたら「世の実」を結ぶでしょうか。
イエス様が例えをされた「道ばたの心」は、クリスチャンの姿であります。

【マタイ13章19節】

悟りがない。(心が固く閉ざされたことであります。)みこころを受け入れない心であります。
どんなに神様の言葉を聞いても、1つも悟りません。
(心に)蒔かれるのは、悟った言葉だけが蒔かれるのです。

世の実を結ぶ前兆があります。
それは心の中に多くの思い煩いがある人は、どんどん心の中に神様のものではないものが入ってきて、
心を頑なにしていきます。
世に対する思い煩いであります。(明日に対する、お金に対する、健康に対する、人間に対する思い煩い)
こういうものがたくさんあると、みことばが蒔かれなくなります。

【ルカ21章34節】

聖霊充満では沈み込むことはないです。聖霊充満は鷲のように上に昇る力があります。
しかし地面に吸い込まれるように、心の中が沈み込んでいる時に聖霊充満の実が結ばれることは不可能です。

【ルカ14章18-20節】

福音に逆らって生きる姿であります。
世のことに関心があって世に縛られている人たちは、結局は世の実を結んでいきます。
自分が今していること、それによって自分が後で蒔いたものを刈り取っていきます。
このようなクリスチャンは不信仰な人になり、死の実を結んでいきます。

生きている時はチャンスがあります。悔い改めもできます。
生きているということは常に希望があるということであります。

【マタイ21章43節】

異邦人でも神の国の実を結ぶ者たち。神の国はその人たちに与えられます。 .゚+.(・∀・)゚+.゚

2012.10.7
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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小さな憲法

テーマは『キリスト教の小さい憲法・詩篇15編』です

【詩篇15編1-5節】

クリスチャンとして生きるときに、これは義務でもあります。
神様は私たちに対して自由を与えてあります。しかしそれは勝手にするという自由ではありません。
みことばを行うことによって拘束されないことです。
安全に暮らせるように守ってくださる神様です。

信仰告白だけをしたから天国に行くということは聖書には書いていないです。
信仰によって義とされますが、その後は聖い者として生きていくのが神様のみこころであります。
信仰と行いがどのような関係があるのかを理解し、ただ口で告白したら救われるというのではなく、
信仰を持つ者としてどのような実を結んでいくのか。そのように(良い)実を結んでいかないと、
その救いがダメになります。天国の民として、日々の生活をしていかなければならないです。

日曜日に1回教会に来るだけで、あとの6日は世の中にどっぷり浸かった生活ばかりをして
日曜日になったら聖書の埃をはらって教会に行って、ジ―ッと ただそこに座っているだけです。
これは心が神様には向いていないです。教会にいても世の中の思いでいっぱいで耳が閉ざされて
いるので、神様が語っていても1つも耳に入らないです。

クリスチャンで地獄に行く人は多いです。

「私のような者を選んでくださって、私のような者に恵みを与えてくださって感謝致します。」と
こういう心が私たちの中にあるのかを点検しなければならないです。

【詩篇15編2節】

これが天の御国に住む人の姿であります。心が伴わないものは全て形式であります。
【イザヤ書1章】を読んでみてください。神様がどれほど形式を忌み嫌うのかが書かれてあります。
神様はその人が行う心の動機が何かをいつも見ておられます。
義を行う事は、神様の前で正しく行うことです。

【箴言21章2-3節】、【箴言21章8節】

まっすぐな道とは正しい道のことであります。
人が思う正しい道ではなく、神様が思う正しい道のことです。

【詩篇15編3節】

これは舌を使うことを教えてあります。
世の中で一番恐ろしい動物は何でしょうか?
――それは、人間であります。

山でクマやイノシシに遭遇したとしても、空腹でなければ襲うことはないです。
しかし、人間はそうではないです。人は関係が無くても、欲深い者であるので(関係がなくても)
人の命を取ります。腹が立つから他人の命を奪います。また自殺に追い込むなど。
人間ほど恐ろしいものはありません。

その人間の中でも、「舌・言葉」が恐いです。言葉は剣であります。
直接ナイフで刺さなくても、ネットを使って「死ね、消え去れ」などと中傷するなら、
結局人を殺すことであります。

家族に対しても同じであり、言葉で刺して殺しています。これは恐ろしい罪であります。
自分の子どもは自分の分身ではありません。人格を持っています。
母親が子どもを愛のまま受け入れるならば、子どもは間違った道にはいかないです。
いつも子どもの考えを批判して潰そうとして、母親の言うことだけを聞けば良いと言うならば、
それは何ですか?子どもという新しい人格を全部殺すことになります。
なぜ一番近い隣人を殺すのですか?
言葉を使うならば、愛の言葉、慰めの言葉を与えるべきです。

もし今までそれができていなければ、神様は「舌に気をつけろ」とおっしゃいます。
また、どんな親でも、≪ 親は親 ≫であります。
言いたいことがあったとしても言わないで、親も全て正しいわけではないですし親には親のものがあります。 

【詩篇15編4節】

神様と自分の関係であります。神に捨てられた人とは、神に敵対する人です。
未信者ではなく、一度救われた人です。それは高慢な人です。
そして自分はどうなのかを見ます。あの言葉は私には関係ない、ではないです。

【使徒の働き13章40-41節】

また【イザヤ書10章】も読んでみてください。警告の言葉であります。真剣に読んでください。
聞いて立ち返るならば救われます。

【詩篇15章5節】

クリスチャンにとって、お金の管理が大切です。
お金に対して正しい知識が必要であります。

【レビ記25章35-37節】

クリスチャンは利息を取るのではなく、助けなければならないです。
弱い人を困らせてはいけません。

【申命記16章19-20節】

自分も罪を犯していながら、他人を罪に定めるのではないです。
不利であっても、正義を追い求めなければなりません。これは神様が一番喜ぶことであります。

クリスチャンはこの世の秩序も守らなければいけないです。正義を守ることであります。
自分がいる所で、自分が光として輝き、腐敗を止める。この働きが私たちに任された
正義を行うことです。そうすることでそこから平和が生まれてきます。
人々にとって益になることをします。良い物を蒔いていきましょう。

そして神様の言葉と約束を守ることであります。人々にとって益になることをする。
そうすると、祝福を得るのは私たちであります。 (* ゚∀゚) ❤

< 今週の目標 >
【唇に気を付ける。悪口、非難の言葉を語らない。口から出る前に考え、悪いことなら飲み込む。
ヤコブ書3章には舌の使い方、箴言にも書かれてあります。】

2012.7.15
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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