テーマは 『 信仰の遺産について 』 です

【Ⅱテモテ1章5節】

「私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。そのような信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものですが、それがあなたのうちにも宿っていることを、私は確信しています。」

今日は母の日ですね。
昨日は花屋さんで花を買う人がとても多かったです。

母の日によくプレゼントするカーネーションもたくさん売っていました。この前は子供の日もありました。
4月末から5月にかけてはゴールデンウィークもありましたので 家族と共に過した時間が普段よりは多かったと思います。

今日は その意味で、家族・家庭のことを考えてみようと思います。


多くの親たちは自分の子供を愛するから 良い環境を与えようとしますし、自分は苦労しても子供には苦労させたくないと思いますし、 自分が貧しい者であるならば子供は豊かな者になってほしいと思います。

また子供には財産を残してあげたいと とにかく子供には良くしてあげたい思いがあります。
それらの遺産を残すと子供の生活は楽になると思いますが、子供のたましいには何の役にも立ちません。

なぜならばそれらのものはすべて消え去っていくものであり、
それらのものをあの世には持っていけませんし、魂を救い出すものでもないからです。


しかし 永遠に消えることもなく、子供の魂にも有益な遺産があります。
それは信仰の遺産です。信仰の遺産ほど価値ある遺産はありません。


今日の本文では信仰の遺産を立派に受け継いだ一つの家庭を見ることが出来ます。テモテの家庭です。

テモテは使徒パウロがとても愛した弟子でした。パウロはテモテをそれ以上に考えていました。
テモテのことを「信仰による真実のわが子テモテ」と呼びました。

テモテはパウロが最初から主に導いたのではありません。出会った時にテモテはすでに信仰を持っていました。


テモテの中には純粋な素晴らしい信仰がありましたが、この信仰は敬虔な家庭の中で彼が育てられたから、テモテは信仰を遺産として受け継ぐことができました。

祖母ロイスと母ユニケも純粋な信仰もっていました。素晴らしい信仰の家庭です。
信仰を遺産として子孫に残すために信仰の家庭が持つべき要素があります。


私たちも自分たちの家庭のことを考えてみらた良いと思います。テモテの家庭と自分の家庭を比べるのです。

信仰のない家庭で生まれた人もいますし、信仰がある家庭で生まれた人もいます。
その中で自分たちは何を受け継いでいるでしょうか。すごく親の責任があります。子供の責任ではないです。

信仰の家庭を築くのは親の責任です。
信仰を遺産として子供に残すために信仰の家庭はどうあるべきであるのかを考えていきたいと思います。




1.神を恐れることをすべての基本にする



神を恐れることは信仰の核心であり、基本であります。
神様は教会のかしらだけではなく、家庭の中でもかしらであります。

ですから夫がかしらになってもいけませんし、妻がかしらでもいけません。子供がかしらになってもいけないです。
自分の家庭の中で一番偉いのは神様であります。

信仰の先祖アブラハムが家庭の中で見せた姿も 神を恐れている姿でした。
親は子の前で神を恐れている姿を見せないと 子供は神を恐れる信仰を持たないです。


子供は親を見て育ちます。親がいつも神様を恐れる姿を見せるならば、自然と子供もそれを見て学びます。

しかし親が信仰を持っても神様を恐れる姿がないなら 子供は学ぶことができないです。

次の箇所にはコルネリオの家庭が出て来ます。


【使徒の働き10章2節】

彼は敬虔な人で、全家族とともに神を恐れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神に祈りをしていたが

家庭の中で神を恐れている姿をいつも見せていますか。子供は親を見て育ちます。

神様の権威に従うことが恐れることであり、神様を第一にして神を恐れる信仰を親が見せるならば、その家庭は神様が支配する家庭になります。
神を恐れる姿を見せるならば、自然と神様をまだ信じていない者までも「神様をけなしてはいけない。神様に逆らってはいけない。」と学ぶようになります。


次の箇所は、私たちが神様を恐れるならば素晴らしい祝福が与えられるという主の約束です。


【詩篇128編1-4節】

幸いなことよ。すべて主を恐れ、主の道を歩む者は。

あなたは、自分の手の勤労の実を食べるとき、幸福で、しあわせであろう。

あなたの妻は、あなたの家の奥にいて、豊かに実を結ぶぶどうの木のようだ。あなたの子らは、あなたの食卓を囲んで、オリーブの木を囲む若木のようだ。

見よ。主を恐れる人は、確かに、このように祝福を受ける。

信仰の行動を通して祝福が流れてくるのです。




2.神のみことばに頼りながらみことばを実行し、 子供に小さい時から信仰教育をしなければならない



親が自分の価値観で子供にああだこうだと教育をするのが一番良くないです。
自分の価値観がすべて正しいわけではないです。


神を信じる家庭は自分の思いのまま家庭生活をするのではなく、みことばに従って生活しないといけないです。

子供は別の人格を持っている者として与えられています。子供は神様のものなのです。

親は(神様から)任されて育てるだけであります。決して自分の分身ではないです。


【箴言22章6節】

若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。

みことばによる信仰の教育です。みことばは真理ですので変わることがないです。

信仰の遺産を残すためには、みことばの教育が必要です。


【申命記6章6-9節】

私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。

これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。 あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。

これをしるしとしてあなたの手に結びつけ、 記章として額の上に置きなさい。

これをあなたの家の門柱と門に書きしるしなさい。

親がまず神様の言葉に従わなければならないです。「心に刻みなさい。」ということは、みことばがその人の価値観になることです。

家庭の中がみことば中心になる時に信仰を遺産として受け継がせることができます。


【エペソ6章4節】

父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。

親が子供に自分の価値観を押し付けながらそれを教育と勘違いしてはいけません。
親が押し付けるので子供が怒ります。「自分がすべて正しくて、子供が間違えている」ではないです。完璧な人間は1人もいないです。

しかし、神様のみことばはすべて正しいです。主の教育と訓戒によって育てなさいと主は語ってくださいました。
それによって子供が学んで信仰の人として育つことができます。
自分の思いのまま、自分の価値観をおしつけたら子供は反発するだけです。


主の言葉であるなら、子供は反発できないのです。反発するということは、神様に反発することになるからです。
しかしなぜ子供たちが親に反発するのかというと、親が一方的に自分たちの思いのままにするからであります。
子供は何も言わなくても、心の中には反発心がどんどん大きくなっていきます。これは本当に気を付けなければいけないです。




3.親の献身的な犠牲が必要



一人の子供がどんな人格を所有するかは、その親の人格と信仰教育にかかっています。
怠けた親が子供に向かって「勤勉な者になりなさい」と言うのは正しいことではないです。子供は聞いた瞬間「自分はしないくせに…」と思います。

嘘つきの親が 子供に「嘘を言うな」と言うのも 子供から見ると受け入れがたいものです。


まずは親が 肉のものを打ち叩いて殺しながら、親が嘘をつかないことが(子供への)教育になります。

神様は私たちに、子供に本気で信仰の遺産を残したいならば、親は模範的な信仰生活をしなければならないと語りました。


模範的な信仰生活をするためには、私たちは自分を打ち叩いて犠牲を払わなければならないです。
子供のために祈りの犠牲も必要です。

口うるさく言うのではなく、子供のために祈ることが大切であります。

もっとも親の献身的な犠牲は家族への無条件の愛です。


信仰の基本の中で一番最初に要求されるのは愛です。
家族を愛することです。惜しまずに愛することです。

愛を子供に注がないと、子供の人格は歪んだものになります。
家庭環境がすごく悪いと、子供の人格は真っ直ぐに育たないです。
押さえつけられて悪い物をたくさん見せられていると、人格を花咲かせることは出来ないです。


そうすると子供に恐怖心が出て来て「私は愛されていないんだ。」という思いが出てきたら一番 致命的であります。






テレビである芸能人の女の子の告白を聞きました。

一度も母親から愛された記憶がありませんとはっきり言われました。
常に怒られ、けなされ、また叩かれました。

可愛いと言われたこともなく醜い醜いといつも言われました。実際はとても可愛い子でした。

心に深い傷を負い、自殺未遂までして病院に運ばれました。母親はお見舞いに来るかと思いましたが一度も来ませんでした。

世の中で一番の虐待は「愛さないこと」です。 愛さなければならない者に 愛を与えないのは、これほどひどい虐待はないです。それで子供は深い傷を負うことになります。

その子供の人格は傷物になります。それは子供のせいではないです。


愛がなければ どんなしつけでも子供にとっては虐待以外なにものでもないです。
心に深い傷を与え、人格を踏みにじっているので虐待です。

たとえ しつけのために子供にムチを当ててても、それが愛のムチであるならば 子供にはちゃんと愛が伝わり 育ちます。


隣人を自分自身のように愛さず、自分だけを愛するのはサタンの心であります。
サタンは自分だけのために周りをすべて殺します。すべて自分のものにして与えることをしません。

愛は自分が犠牲を払い、愛は自分で我慢し、愛は自分から手を差し伸べることであります。
愛は自分の体を捧げて、相手の益のために働きます。


子供を育てる時も、子供を利用して自己満足のためにするなら、それは子供を愛する姿ではなく 親が自分を愛する姿であります。それでは信仰の遺産を残すことが出来ないです。




4.子供を主の手に任せることが大切



親だからと言って、全部責任を持って育てることはあり得ないことです。
神様は私たちを助けてくださる方であり、両親は「肉」の親ですが、神様は「霊」の親であります。

ハンナがサムエルを神の聖所につれて行き、祭司であるエリに任せました。
神に立てた誓願があるからそうしましたが、全能なる神の手に任せることを恐れませんでした。


親が子供を神様に任せず、自分の知識や経験で養育するならば子育てに失敗しやすいです。
また決して信仰の遺産を残すことはできません。

親が口うるさく言って子供を変えることができるでしょうか?
子供は心の中で「うるさい。聞きたくない。」と反発心と憎しみと敵対心が出てきます。つまり逆効果です。
しかし神に子供を委ねて祈り求めるならば、神はその祈りを聞いて下さいます。


聖書注解書を書いたスコルフィルド博士は、母親が毎日、彼のために祈りましたがキリストを信じませんでした。

しかし、亡くなる直前に対面をし 母親はスコルフィルドのために最後の祈りをしました。
決して口うるさく言ったのではなく、“スコルフィルドが神に仕える者になりますように。”と一言祈ってから亡くなりました。 スコルフィルドは、その母親の祈りによって神様を信じ、彼は変えられました。

お母さんの信仰の遺産を受け継ぎました。
神様によく仕えるクリスチャンになりました。


私たちは、家にいる時の姿が「本当の姿」であります。

他人の前では仮面をかぶることが出来るのです。少しの時間ならば良い言葉を使えますが、家族には隠すことが出来ません。

家族からの評価が 私たちに対する一番正しい評価です。
もし「それでもクリスチャンか」と言われたなら クリスチャン失格であります。
自分の行動はクリスチャンらしくないということに気付き、それを言われた私たちは恥ずかしい思いで変わらなければいけないです。

子供には純粋な信仰を残さなければならないです。

間違えた信仰を見せたら、子供たちは教会から離れていきます。


今、もう一度私たちは自分の信仰をよく見てみましょう。
子供に遺産として残せる純粋な信仰なのか?
それとも、私のようなクリスチャンにはなってほしくないなと思える信仰なのか。

純粋な信仰は、偽りのない信仰、疑いのない信仰です。神様が喜ぶ信仰です。


聖書には悪い信仰の姿もたくさん出てきます。
それを子供に残したら もう1人の悪いクリスチャンを生み出すのです。

子供のためにも、家族のためにも、私たち先に救われた者たちは 必ずそれを家族にも遺産として信仰を残していくことであります。

家族から「その信仰が欲しい」と思われるようにしなければいけないです。
「嫌だ。あんなものは受け取りたくない」というものは、私たちの失敗であります。


信仰の遺産は残しても価値がありますし、その遺産を相続した子孫や家族は魂が祝福されます。

その信仰の遺産を残した人に心から感謝するでしょう。
財産であるならば欲深い兄弟の間に醜い争いが起こります。財産を残しても放蕩に走ることが多いです。


信仰の遺産には、そんなに醜い争いは絶対に起こりません。取られる心配もありません。

(信仰の遺産を)受けた者にとったら最高の祝福です。
この最高の祝福を家族に残しましょう。
(^∀^)

2014.5.11
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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