からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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毎日3分テレフォンメッセージを配信しておりましたが、いつでも聞き直せるようにYouTubeにも公開致します。
これからもどうぞよろしくお願い致します♪

苦難

メシヤの受難と勝利

テーマは 『 メシヤの受難と勝利 』 です

【イザヤ書53章1-12節】

私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現れたのか。

彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。

彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。

まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。

しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。

彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。

しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。

彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行わず、その口に欺きはなかったが。

しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。

彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。

それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。


イザヤ書53章は、メシヤであるイエス・キリストの受難の預言が 一番具体的に書かれてあります。


イエス・キリストが受けた受難を思いながら読むと、説明が要らないほど具体的です。

そのままでもメッセージになります。


この預言は メシヤが来られる700年前に預言されましたが、まるで現場を見ているようです。



メシヤが地上に来られた目的は一つだけでした。

罪人である人間を贖うために 自分が贖いのいけにえになるためでした。


誰も予想出来ない神の計画でした。

聞いても理解する者はいませんでした。



人々は神が示したメシヤではなく、自分たちが考えたメシヤを待っていました。

人間が期待するメシヤとは ヒーローのような存在で、突然現れて悪人たちを一瞬に打ち破って困った自分たちを助けてくれる力があり、格好良いメシヤでした。


ですから似ても似つかないイエスという人が自分のことをメシヤと言ったので疑い、拒否しました。


田舎出身で、学歴もなく、貧しく、みすぼらしく、見とれるような姿も、輝きも、見栄えもしない人をメシヤとして信じることは無理でした。

期待を裏切ることなので拒否しました。


奇跡を行ってもそれはサタンの力だと言い、メシヤと認めず、苦しめ、十字架につけて殺しました。






人々を惹きつけるヒーローのような姿で来たら良いのに、なぜ神はみすぼらしい姿のメシヤを遣わしたのでしょうか。


神は、人が見た目を重視することを知っていました。

目の欲があるからです。


ですから敢えてメシヤを、人目を惹くような姿ではなく、信仰がないと信じることが出来ない姿、神のことばを正しく知らないと受け入れることが出来ない姿にしました。


メシヤは人気を得るためのヒーローではなく、罪人たちを救うために犠牲のいけにえになる小羊としての働きをするために来られました。



自分自身を徹底的に低くした理由は、私たちへの愛でしたが、人々の目にはその愛が見えませんでした。


外見だけを見てつまずきました。

今も十字架のキリストをそのような目で見る人々が大勢います。


ですからペテロはこのように注意を与えました。


【第1ペテロ3章3-4節】

あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、

むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。


イエス様の内面を見た人はメシヤとして受け入れます。

主の成長の過程や生涯、そして主が受けた受難とみことばによって見るならば、救い主であることが分かります。


キリストが受けた苦難はすべて、罪を犯した私たちのためでした。


【イザヤ書53章8節】

しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。


【第1ペテロ2章24節】

そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。


罪を犯した人間は、罪の代価を払わないと永遠の死です。


しかし、人間には罪の代価を払うものを持っていないです。


ですからキリストが来られ、ひどい苦しみを受けながら十字架にかかり、血を流して私たちの代わりに罪の代価を払って下さいました。

それを知って自分の罪を告白し、主からの救いの恵みを求める人は罪赦されます。


【マタイの福音書20章28節】

人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」





サタンは人間が罪のまま死んで永遠に滅びることを願っています。

しかし神は 人々を愛するので、すべての人が罪から救われることを願ってキリストを通して、罪の代価を払って、救いの道を完成しました。



完成された救いのわざを信仰で信じるならば、永遠のいのちがある神の御国に招き入れられますが、罪のまま死ぬならば、永遠に地獄で苦しみながら罪の代価を払わないといけないです。


救いの恵みはずっと続くことはないです。

サタンもそれを知って、人間が救われないように不信仰の心を与えています。


死んだら無になることは絶対にないです。


キリスト教は、自分の行いによって天国に入るために頑張るのではないです。


いくら良い行いをしても罪は消えないです。


キリストによって すでに完成された救いのわざを 信仰によって受け入れる時に 罪赦され、キリストの恵みによって天国に入ります。


みなさんは救われていますか?

それとも  まだですか。


救いを受けてほしいです。


アーメン (・∀・)


2021.3.28
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試練の中でも平安を保つために

テーマは 『 試練の中でも平安を保つために 』 です

【ピリピ4章6-7節】

何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。


人生の崖っぷちに立たされた時に心の平安はありますか?


ほとんどの人は平安と喜びよりも、恐れ、戸惑い、思い煩い、不安で心が潰されそうになります。


クリスチャンも例外ではないです。

イエス様もそのことをよく知っていたので「思い煩うな、恐れるな、心配するな」と語っておられます。


ことばを知っていても中々平安にならず、恐れている姿があります。

信仰あると思った人たちからも見られます。



アブラハムも美しい妻が王に取られることと自分が殺されるのではないかと心配して嘘をつきました。

預言者エリヤも、イザベルの脅迫で怖くなって逃げて行き、神に自分の死を願いました。




人生に突然、地震や嵐が襲うと恐れが出てきます。

恐れは平安が壊れる時に出てきます。


平安が壊れることは信仰を失ったことを意味します。


神を信じる人も、現実ばかり見て生きる傾向があります。

現実ばかり見るので不安、思いわずらいが当然出てきます。



神様は私たちの注意と関心を神に向けさせるために私たちを崖っぷちに追いやります。


その時、神を見上げないと崖に落ちてしまいます。

自分は大丈夫だと思っている人も危ないです。


試練に遭うと自分の実態が分かります。


【第1コリント10章12-13節】

ですから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。

あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。


試練は通過するもので、恵みの時でもあります。

激しい陣痛の後に新しい命が生まれるようなものです。


苦難を使って神は陶器師としての働きをなさいます。

苦難の中で私たちは履き物を脱ぐことです。



自分に頼らず、自分の権利を捨てて、神に頼ることです。


すべてを神に任せる時に自分の心を守ることが出来ます。




試練の中で平安を保つためにすべきこと




まずは あらゆる場合につぶやかず、自己憐憫に陥らず 神に感謝することです。


感謝が出来ない時でも、無理やりだとしても意思を持って感謝することです。

感情が自分の心を支配しないように、霊の部分(みことばに従う)で感謝することです。


今日が最後の日であるかのように大胆に感謝することです。



次は神にすべてをさらけ出すことです。


泣きたい時は泣きます。苦しいことも全部伝えます。

そして主に助けと救いを求めます。



主が与えて下さることばがあるならば、みことばの上に堅く立つことです。

すると主から平安が与えられます。


環境は何も変わらないのに、主から平安が与えられます。


【ヨハネの福音書14章27節】

わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。


神は平安と力と勇気を与えて下さいます。

「恐れるな。わたしはあなたの盾である」と語って下さる主です。


主は、世の嵐の中でも主に身を避ける者を守り、平安を与えて導いて下さいます。


【ヨブ記5章17-20節】

ああ、幸いなことよ。神に責められるその人は。だから全能者の懲らしめをないがしろにしてはならない。

神は傷つけるが、それを包み、打ち砕くが、その手でいやしてくださるからだ。

神は六つの苦しみから、あなたを救い出し、七つ目のわざわいはあなたに触れない。

ききんのときには死からあなたを救い、戦いのときにも剣の力からあなたを救う。


【詩篇119編71節】

苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。


イエス様は私たちにとって道であり、いのちのパンであり、光です。

力であり、避け所であり、盾です。


人生の崖っぷちにいるあなたを崖に落とす方ではなく、助けて下さる方です。

平安の中に導いて下さる方です。


アーメン (・∀・)


2021.2.14
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十字架を負うことの意味

テーマは 『 十字架を負うことの意味 』 です

【マタイの福音書16章24節】

それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

実際に人がかかる大きさの十字架を負ったことがありますか。


人がかかるということは、高さは2メートル以上必要ですね。

横棒だけで40キロ~50キロはあるらしいです。


ですから十字架は、私たちが想像する以上に 重たく背負って歩くことは本当に大変です。

自分の十字架を負って、ついて行くことの難しさが分かります。



教会に来ると、(講壇の)前に十字架があるので、私たちは十字架を見ることには慣れています。


しかし主は「十字架は見るのではなく、負うことだ」と教えて下さいました。

主の十字架を考えるならば、十字架の意味がはっきりと分かります。



主が十字架にかかったのは 罪人を贖うためでした。


それでイエス様は自分の十字架を負いました。

負う前に次の箇所のように父なる神に切に祈りました。


【マタイの福音書26章39節】

「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」


この祈りだけで、汗が血のしずくのようになりました。

全身に力が入ったことが分かります。


そこで主は自分を捨てました。


すでに目に見えない十字架を負い、
まず自分の思いを十字架につけ、心から血が流れました。


その後に十字架を負って死ぬ場所に向かうことが出来ました。






自分を捨てないと自分の十字架を負うことは出来ないです。

次の箇所は自分を捨てる十字架です。


【ガラテヤ書2章19-20節】

「しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。

私はキリストとともに十字架につけられました。


自分を捨てた人が 自分の十字架を負って、主について行くことが出来ます。


十字架は私の代わりに誰かが負うことは出来ないです。

自分の十字架は自分で負わないといけないです。


“イエス様が負ったから 私は負う必要がない” と思うことは間違いです。



十字架が意味するものは、苦難と犠牲と献身です。


十字架がないことは、それら(苦難、犠牲、献身)がないことを意味します。



十字架を負ってついて来なさいと言われたのは、『苦難と犠牲と献身を覚悟してついて来なさい』 という意味です。


まっすぐに立って十字架を負うことは出来ないです。

体を低くしないといけないですが、それは身を低くし苦難を覚悟し、自分を犠牲にし、主に献身することです。



それが主の要求することです。

それがイエス様に似た姿であり、信仰生活であり、弟子の姿です。


今も主の十字架を見るだけで満足する人、自分の十字架を負う準備が出来ていない人、負う気がない人が多いです。


いつになったら主の要求に応じますか?

アーメン ヽ(TдT)ノ


2020.11.8
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十字架の道(Via Dolorosa-ヴィアドロローサ)

テーマは 『 十字架の道(Via Dolorosa-ヴィアドロローサ)  』 です

【ヨハネの福音書19章17節】

彼らはイエスを受け取った。そして、イエスはご自分で十字架を負って、「どくろの地」という場所(ヘブル語でゴルゴタと言われる)に出て行かれた。

今日は聖餐式もあるので、イエス様が罪人を救うために どれほど尊い犠牲を払ったのか、主の十字架の道を辿りながら主への感謝をしたいと思います。


十字架の道、主が苦しみながらゴルゴタの丘まで歩いた距離は約1キロです。

その道をラテン語でヴィアドロローサと言います。


それ “苦難の道、悲しみの道” という意味です。

今も聖地巡礼する人たちはその道を歩きます。


14か所の道を通りながらゴルゴタまで上って行きます。

私もその道を歩きました。
もう一度歩いてみたい気持ちがあります。


「苦しみの道」14箇所で何があったのかを学びます。




1.ピラト総督から裁判を受けた場所 ( ピラトに裁かれて死刑判決を受ける )



【ヨハネの福音書19章1-11節】

そこで、ピラトはイエスを捕らえて、むち打ちにした。

また、兵士たちは、いばらで冠を編んで、イエスの頭にかぶらせ、紫色の着物を着せた。

彼らは、イエスに近寄っては、「ユダヤ人の王さま。ばんざい」と言い、またイエスの顔を平手で打った。

ピラトは、もう一度外に出て来て、彼らに言った。「よく聞きなさい。あなたがたのところにあの人を連れ出してきます。あの人に何の罪も見られないということを、あなたがたに知らせるためです。」

それでイエスは、いばらの冠と紫色の着物を着けて、出て来られた。するとピラトは彼らに「さあ、この人です」と言った。

祭司長たちや役人たちはイエスを見ると、激しく叫んで、「十字架につけろ。十字架につけろ」と言った。ピラトは言った。「あなたがたがこの人を引き取り、十字架につけなさい。私はこの人には罪を認めません。」

ユダヤ人たちは彼に答えた。「私たちには律法があります。この人は自分を神の子としたのですから、律法によれば、死に当たります。」

ピラトは、このことばを聞くと、ますます恐れた。

そして、また官邸に入って、イエスに行った。「あなたはどこの人ですか。」しかし、イエスは彼に何の答えもされなかった。

そこで、ピラトはイエスに行った。「あなたは私に話さないのですか。私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのですか。」

イエスは答えられた。「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに渡した者に、もっと大きい罪があるのです。」



2.死刑判決の後、むちで打たれ、十字架を背負い歩き出した場所




【ヨハネの福音書19章15-16節】

彼らは激しく叫んだ。「除け。除け。十字架につけろ。」ピラトは彼らに言った。「あなたがたの王を私が十字架につけるのですか。」祭司長たちは答えた。「カイザルのほかには、私たちに王はありません。」

そこでピラトは、そのとき、イエスを、十字架につけるため彼らに引き渡した。



3.十字架の重みで最初に倒れた場所





4.悲しむ母マリヤに会った場所





5.クレネ人シモンが無理矢理 十字架を担がされた場所



【ルカの福音書23章26節】

彼らは、イエスを引いて行く途中、いなかから出て来たシモンというクレネ人をつかまえ、この人に十字架を負わせてイエスのうしろから運ばせた。



6.ベロニカがイエスの顔を拭いた場所





7.イエス様が二度目に倒れた場所





8.悲しむ女性たちを慰めた場所 ( エルサレムの娘たち )



【ルカの福音書23章28節】

しかしイエスは、女たちのほうに向いて、こう言われた。「エルサレムの娘たち。わたしのことで泣いてはいけない。むしろ自分自身と、自分の子どもたちのことのために泣きなさい。



9.イエス様が3度目に倒れた場所





10.十字架につけるために、衣を脱がされた場所



【ヨハネの福音書19章23節】

さて、兵士たちは、イエスを十字架につけると、イエスの着物を取り、ひとりの兵士に一つずつあたるよう四分した。また下着をも取ったが、それは上から全部一つに織った、縫い目なしのものであった。



11.兵士たちがイエス様を十字架につけた場所



【マタイの福音書27章45-53節】

さて、十二時から、全地が暗くなって、三時まで続いた。

三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

すると、それを聞いて、そこに立っていた人々のうち、ある人たちは、「この人はエリヤを呼んでいる」と言った。

また、彼らのひとりがすぐ走って行って、海綿を取り、それに酸いぶどう酒を含ませて、葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした。

ほかの者たちは、「私たちはエリヤが助けに来るかどうか見ることにしよう」と言った。

そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。

すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。

また、墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返った。

そして、イエスの復活の後に墓から出て来て、聖都に入って多くの人に現れた。



12.イエス様が十字架の上で息を引き取った場所



【マタイの福音書27章35節】

こうして、イエスを十字架につけてから、彼らはくじを引いて、イエスの着物を分け、



13.十字架から降ろされ遺体を置いた場所



【ルカの福音書23章53節】

それから、イエスを取り降ろして、亜麻布で包み、そして、まだだれをも葬ったことのない、岩に掘られた墓にイエスを納めた。



14.遺体を墓に収めた場所



【ヨハネの福音書19章38-42節】

そのあとで、イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していたアリマタヤのヨセフが、イエスのからだを取りかたづけたいとピラトに願った。それで、ピラトは許可を与えた。そこで彼は来て、イエスのからだを取り降ろした。

前に、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キログラムばかり持って、やって来た。

そこで、彼らはイエスのからだを取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、それを香料といっしょに亜麻布で巻いた。

イエスが十字架につけられた場所に園があって、そこには、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。

その日がユダヤ人の備え日であったため、墓が近かったので、彼らはイエスをそこに納めた。

アーメン ヽ(TдT)ノ

2018.8.5
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信仰によって大胆に生きる人々

テーマは 『 信仰によって大胆に生きる人々 』 です

【ヘブル10章32-39節】

あなたがたは、光に照らされて後、苦難に会いながら激しい戦いに耐えた初めのころを、思い起こしなさい。

人々の目の前で、そしりと苦しみとを受けた者もあれば、このようなめにあった人々の仲間になった者もありました。

あなたがたは、捕えられている人々を思いやり、また、もっとすぐれた、いつまでも残る財産を持っていることを知っていたので、自分の財産が奪われても、喜んで忍びました。

ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。

あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。

「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。

わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」

私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。

最近、感動的な映像を観ました。


モスルで イラク軍とISの激しい戦闘がある最中に、IS側の地域で 死んだお母さんのそばで座って泣いている6歳のイラク人の女の子を見つけた、デビット・ユベンクというクリスチャンの人が 命を懸けて爆弾が落ちる地域に走って行き、その女の子を救出しました。


彼にも小さい子どもがいますが、死を覚悟して、救出に向かったと言いました。

彼は 英雄と呼ばれることに対して、自分は決して英雄ではなく、すべきことをしたと言われました。


“隣人を愛しなさい” ということばを実行したと思います。

実際いま、中東では、自分のいのちを懸けて福音を伝える多くのクリスチャンたちがいますし、良き働きをしているクリスチャンたちも多いです。


中東のほとんどの国は、イスラム教の世界なので、そこには数少ないクリスチャンがいて激しい迫害を実際受けている人々もいますので、まさに苦難の火の中で信仰を守っているような状態です。

その彼らが、どれほど大胆な信仰をもっているのかを色々と聞きました。


今日の本文でも、激しい苦難の中で戦いながら信仰を守っている人たちがいたことを語っています。


どの時代にも、クリスチャンに対する迫害はありました。

その中で大胆な信仰をもって殉教した多くのクリスチャンたちがいました。


しかし信仰の自由があり、苦難も迫害もないのに、意外と弱々しく不安と恐れの中にいるクリスチャンが多いです。

祝福があるのに、将来に対する恐れ、苦難と迫害に対する恐れがあります。


激しい迫害と苦難があっても、恐れもなく 大胆に生きるクリスチャンがいるのになぜでしょうか。


以前、シリアでもイスラム教徒によって破壊された教会の前で、牧師が大胆にも「壊れたこの教会から離れず、ここでまた礼拝をささげる」と言いました。

恐れはないと言いました。殉教も覚悟しているように見えました。


そのようにシリアやイラク、他の国々でも苦難と迫害の中にいるクリスチャンたちは あまり恐れず、その中で生きていました。


目の前でISの人々や他のイスラム教徒がクリスチャンたちを十字架につけたり、首をはねたりと残虐な行為を繰り返しても、彼らは信仰を守りながら大胆に彼らの中で生活しています。


どうして そのようなことが出来るでしょうか?


彼らは未来だけを見るのではなく、今日という日を熱心に生きています。







アメリカで発行された 「Standing in the fire」 という本の著者が話した内容も少し話します。


西洋の教会では 恐れながら生きている人が多いのに、なぜシリアなど迫害を受けている教会では そういうことがないのかを調べました。


恐れがある主な理由は、“信じる者たちがこの世のTVや放送局で流れるニュースばかり聞きながら考えるからだ” と言いました。


毎日ニュースはテロ、事件、事故、災害など衝撃的なものがほとんどです。

テレビの前で座りながら、それらのニュースの爆弾を受けています。


否定的な知らせ、ムスリム世界のことばかりを聞くと、心に不安と恐れが生じます。

そうすると、だんだんと信仰も弱くなり、恐れ退いていきます。


しかし、信徒たちは恐れ退いてはならないです。


中東の信徒たちは、ムスリム背景から出て来ましたが、そのようには生きていないです。



「使徒の働き」 を読んでみると、聖霊を受ける前の弟子たちも恐れおののいて 隠れていましたが、聖霊を受けた後は 聖霊と力に満たされ、迫害の中でも、大胆に福音を伝えました。


恐れが何もない所に住んでいるクリスチャンが恐れているのに、大きな危険の中に生きているクリスチャンは、それとは反対に 非常に大胆です。


中東にいるクリスチャンに出会って驚いたことは、彼らに恐れがなかったことだと言われました。

彼らは戦争が早く終わるように、迫害が止まるように祈ってはいないそうです。


かえって自分たちが いま経験している すべてのことを通して学ばせて下さいと祈っています。


試練から学び、大胆に苦難を受け、主のために喜んで いのちをささげることが出来るように祈っています。


自分の祝福ばかり祈っているクリスチャンとは 全く違う姿です。


彼らは 神を求めていますが、自由の国のクリスチャンは 祝福を求めます。


信仰よりも自分の生活が守られるように祈っています。

ですから試練に弱く、大胆な信仰も足りないのです。






ニジェールは、世界でも貧しい国の下から二番目のアフリカにある国ですが、そこもイスラム教が多く、教会に対する迫害が強い国です。


そこで20年間宣教している宣教師の報告でも、パリで2015年に起きた新聞社テロの影響を受けて ニジェールでも教会が次々とイスラム教徒らに襲撃されて教会が放火されたり、壊されたりしました。


信徒たちもいやがらせを受けたりしたので、別の所に移った人もいましたが、しばらくすると信徒たちが教会に戻って来ました。

教会が燃えて椅子一つ残されていないので、自分たちの家から椅子を持って来て礼拝しました。


またいつ襲われるか分からないので、死を覚悟して信仰生活をしています。

その国は、ボコハラムというイスラム過激派が活動している危険な所です。

彼らはナイジェリアでも、4千人のキリスト教徒を殺害しました。



しかし、そのような苦難と迫害の中でも 大胆に信仰をもって生きる人々がいるので、私たちは彼らから学ぶ必要があります。


大胆な信仰はどこから来たのでしょうか?


神のことばに耳を傾けることです。


信仰は キリストのことばを聞いて始まりますし、信仰によって生きることも神のことばによります。


迫害の中で生きる人たちは、いつも神のことばを優先に聞きました。

神のことばで力を受け、神と永遠の世界を知り、真の希望と誰に頼って生きるべきかを学びました。


彼らの世界観は神のことばから来ました。

この世のニュースばかり聞いて、それで判断し、右往左往するならば、信仰によって生きる人ではなく、世に頼って、世の価値観で生きる者になります。


ですから 大胆な信仰のためには、世の騒音を消して、神のことばを聞かなければなりません。



祈祷院で1週間 神に向き合って、ニュースをいっさい聞かなかった時に、本当に心が平安になり、聖霊に満たされました。


山から下りると騒がしいニュースばかりで、心が乱された経験がありました。


今、戦闘地域に住んでいる人たちは 自爆テロや爆弾が落ちたりすると、そこに家族が巻き込まれているかも知れないという不安と恐れを持って、すぐニュースに耳を傾けますが、そこにいるクリスチャンたちは ニュースよりもまず ひざまずいて、「神は真実な神です。神はあわれみ深い方です。神は御民を守って下さる方です。大丈夫だと信じます。」 と祈った後に、詳しいことを調べるらしいです。


しかし自由の世界にいる多くのクリスチャンは 心配と恐れで、まずニュースを聞き、後になって祈ります。


世のすべてのことは、まず信仰の目で見て神に祈ることが優先です。


恐れの目で見てはいけないです。

大胆な信仰によって生きている人は 絶望的な時に、必ず祈ります。

その時、必死に神を求めます。


彼らは、「神に信頼する者は決して失望させられることはない」 ということばを信じています。

そして苦難に耐える時は、神から受ける大きな報いを信じています。


苦難もなく、肉を喜ばせるものが多い所に住む人は、世を愛して いつまでもこの世が続いてほしいと思いますが、苦難や迫害、様々な困難が多い所では、この世よりは天の御国へ行きたい思いが強くなるので、この世のことで くよくよ悩んだり、未来のことで心配ばかりすることはしないです。

その分、恐れも少なくなります。


迫害があり、戦闘がある所では 明日が問題ではなく、今日生きるか死ぬかが問題です。

ですから、“今日” と言う日を神に頼って精いっぱい生きます。


「今日、信仰によって生きないと天国に行けないかも知れない」 という思いで生きています。


ソファーに座ってテレビを観ながら未来に対して不安と恐れを感じて生きるクリスチャンと、必死に祈りながら今日生きている人は、どちらが大胆に生きる人でしょうか?


昔から大胆な信仰を持って生きた人たちは、信仰の戦いが強い時代に生きた人々でした。

今も変わりません。






アメリカで高齢者たちに、「今、後悔していることは何か」 のアンケートを取りました。

結果、「挑戦しなかったことを一番後悔している」 という回答でした。


安全な道、楽な道ばかり求めて生きた結果だと思います。

そして新しいことへの不安と恐れがあるので、挑戦を諦めたと思います。


信仰の道は楽な道ではないです。

その道は せまく険しいと主が語りました。


自分がしたいこと全部しながら歩める道ではないです。

反対に神の声に聞き従いながら歩む道です。


悪の力と戦いながら歩む道です。


しかし、信仰の道を走り終えると 大きな報い、永遠のいのちが得られる素晴らしい道でもあります。


これからの時代は、信仰を守るのが難しくなる時代になると聖書でも預言しました。


大胆な信仰がないと、信仰で生きることが出来ない時代になります。

いま小さい試練の中で訓練して下さい。


忍耐すること、大胆になることを――。
( ̄‥ ̄)=3


2017.7.30
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岩のように揺るがない信仰が必要

テーマは 『 岩のように揺るがない信仰が必要 』 です

【第1テサロニケ3章7-8節】

このようなわけで、兄弟たち。私たちはあらゆる苦しみと患難のうちにも、あなたがたのことでは、その信仰によって、慰めを受けました。

あなたがたが主にあって堅く立っていてくれるなら、私たちは今、生きがいがあります。

信仰については今までたくさん話してきました。

信仰にも色々な信仰があるからです。


どんな逆境にも乗り越える信仰があれば、小さな試練にも すぐ倒れる信仰もあります。


ある信仰は主に褒められましたが、ある信仰は主に非難されました。

力ある信仰があれば、死んだ信仰もありました。


深く根を下ろした信仰もあれば、根が浅く すぐ消えていく信仰もあります。


なぜ私たちは主にあって堅く信仰に立つ必要があるでしょうか?




永遠に生きるために




イエス・キリストに対する信仰は 神の恵みを受け、その魂が救われ、いのちを得ます。


それから その人は “義人は信仰によって生きる” という主のことばのように、信仰によって生きなければなりません。


主に対して変わらない信仰をもって、主の前に立つ時まで生きると 主から永遠のいのちを受けます。


過去にあった一時的な信仰で 将来の永遠のいのちを受けるのではなく、人生の最後まで主にあって変わらない信仰を持つ者だけが永遠のいのちを持ちます。




罪に勝つために




罪は、たましいに対しては “致命的” なものです。

それは のろいと死をもたらします。


聖徒たちに罪を犯させるために、サタンが日々どれほど巧妙に しつこく強く働いているか分かりますか?


何とかして聖徒を倒そうと、サタンは日々奮闘しています。

良いことならば問題ないですが、その反対に とにかく信じる者を誘惑して 罪に倒すことだけを考えています。


それなのに聖徒が それに気づかないならば、その誘惑に敵対することも出来ず、必ず倒れてしまいます。


私たちが目をさまして身を慎んでいないと、このサタンに勝つことは不可能です。


罪の誘惑は 飽くことを知りません。

一度警戒して勝利しても、それで終わりではありません。


形を変えて すぐ違う誘惑が来ます。

誰でも罪の誘惑に陥るならば、深刻な結果をもたらします。


【箴言11章19節】

このように、義を追い求める者はいのちに至り、悪を追い求める者は死に至る。

死ではなく、命を得るためには “サタン と 世” に勝たないといけないです。


勝つためには 堅く信仰の上に立つことです。 “信仰” という 大盾が必要です。




患難の中で揺れないために




私たちの人生は、いつも平坦な道ばかりを歩くのではないです。

悲しみの道、苦しみの道、笑いの道、平坦な道を歩く時があります。


しかし、いつも私たちを助けておられる力ある主に頼り、信仰の上に堅く立つ時に、聖徒たちは どんな苦難や患難の中でも 信仰が揺るがされず勝利することが出来ます。


激しい苦難や迫害の中でも忍耐出来た聖徒たちは 何によって耐えることが出来たでしょうか?


彼らが特別に強い人間だったからですか?
それとも、何か特別な力があったからでしょうか。

彼らも普通の人間でした。


彼らが持っていたものは、“揺るがない信仰” だけでした。


それが彼らを激しい迫害の中でも 忍耐出来るようにさせました。


信仰をもって生きる時に、サタンは必ずその人を狙います。

それを恐れるならば、信仰生活を維持することは出来ません。


主が語ったことばを思い出しましょう。


【ヨハネの福音書16章33節】

わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」


患難の中でも 主のみこころを行いながら耐えているならば、主は必ずその人を新しい天と地に導いて下さいます。

それが主の約束です。


目に見える宗教儀式だけに熱心で、神との深い関係がない “形式的な信仰” では いのちを得ることは出来ません。


主の中にある まことの信仰の中に深い根をおろした人だけが “勝利者” になります。


その信仰を見せる人だけが主に認められます。
(☆゚∀゚)


2017.4.30
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信仰の試練

テーマは 『 信仰の試練 』 です

【ヤコブ1章2-4節】

私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。

信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。

その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。

【ヤコブ1章12-14節】

試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。

だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもありません。

人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。

今回は “信仰の試練” に対して 神の言葉を伝えます。


本文の中には何度も “試練や誘惑” という言葉が書かれていますが、よく読んでいくと それぞれ意味が違うので、そのことを理解する必要があります。


信仰には “試練” がつきものです。

試練に会って、「どうして私に?」と思うのではなく、「来るべきものが来たのか」と肯定的に捉えることが必要です。


なぜならば、その試練が悪いものではないからです。


どのような意味があるのかを学びます。




・私たちを完全な者にするための試練




ヤコブ1章2-4節に出てくる試練は、“私たちを鍛錬するため” の試練です。


聖書に出てくる信仰の人たちは、皆 この試練を受けました。
これは、鍛錬のためのテストです。


代表的な人物はアブラハムです。

創世記22章にアブラハムが受けた試練がありました。
それは神から来た試練でした。


【創世記22章1-3節】

これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。神は彼に、「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は、「はい。ここにおります」と答えた。

神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」

ある日、突然ふりかかった とんでもない試練でした。

アブラハムへの信仰のテストでした。


自分の思いを優先するならば、神に従うことが出来ません。

親として愛する自分の子どもを殺すことは出来ません。


しかし 信仰で考えるならば、どんなことであれ 神に従うことが優先です。


信仰のテストは (自分の思いではなく)信仰を選ぶならば、すぐに正解を出せます。
(神から)言われた通りに従えば 問題がないです。


どちらが正解か と迷う必要もありません。

しかし肉の思いで悩むと さらに苦しくなり、神と戦うようになり、だんだんと心が不信仰に傾くので、最後には不正解を選ぶようになります。


アブラハムはどうでしたか?

それまでも神の言葉に従って歩んで来たアブラハムは、今回も信仰による決断しかしませんでした。


すぐに支度をして翌朝早く 示された場所に向かい、イサクを言われた通りに全焼のいけにえとしてささげようとしました。

その瞬間、「アブラハム。アブラハム」と彼を呼ぶ御使いの声がありました。


初めは「アブラハムよ」と呼びかけましたが、次は「アブラハム。アブラハム」と呼びかけ、緊迫したようにも聞こえます。

アブラハムが刀を取って自分の子を殺そうとしたのが あまりにも本気だったからだと思います。


アブラハムは前回と変わらない答えでした。
「はい。ここにおります。」

御使いは次のように仰せられました。


【創世記22章12節】

「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」

信仰の試練は、神が第一なのかをテストします。

神が一番でないならば、その信仰は 神が喜ぶ信仰ではないです。


その人にとって “一番” になっているものが(その人にとっての)神であり、それは偶像の神です。

そのような人は偶像崇拝をしており、信仰は “形だけ” です。


ですから、試練を与えてテストをすると分かってきます。

人間はいつも変わるので、時々試練を与えてテストをする必要があります。


この信仰の試練によく耐える人は ますます信仰が強くなり、さらに神を愛し、神を恐れる人になります。


だんだんと信仰のレベルが上がっていき、強度が強くなります。


アブラハムは この試練に耐えたので、“信仰の父” になりました。

このような試練は、私たちを成長させ、豊かにし、完全な者にさせます。




・イエスを信じることによって来る試練




ヤコブ1章12節のみことばです。

『試練に耐える人は幸いです。』


ここでの試練は “苦難、患難、迫害など” です。


試練を持ってくるのは神ではなく、悪魔です。

神に敵対する悪い勢力を悪魔が使って試練を与えます。


キリスト教は長い間 迫害を受けました。

新約聖書が書かれた時代は 激しい迫害がありました。

その時代に一番迫害と試練にあったのは、使徒パウロでした。



【第2コリント1章8-9節】

兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危くなり、

ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。

主の弟子たちは、試練に対してとても肯定的な思いで受け取っていました。


その試練によってイエス様の苦難にあずかる者になったことを喜びましたし、その試練によって肉の思いが砕かれ、もはや肉に頼る者ではなく、神に頼る者になることを期待しました。


ペテロもそのように試練を捉えていました。


【第1ペテロ1章6-7節】

そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまの試練の中で、悲しまなければならないのですが、

あなたがたの信仰の試練は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金よりも尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。

この試練は悪い者たちによって受ける試練ですが、神はそれを善に変えて下さいます。


その試練に信徒が忍耐して 信仰を守り通す時に、素晴らしい報いを与えて下さいます。


それはいのちの冠で、最も価値ある報いです。


ですから、試練が来た時に 喜んで受け入れないといけないです。

それによって大きな報いが与えられるからです。





・私たちを倒そうとする誘惑




これは ヤコブ1章13-15節にある誘惑です。

この誘惑は 神から来るものではないので絶対受けてはならないです。

これはサタンが私たちを悪に誘う誘惑です。


今の日本では迫害は ほとんどないですが、この誘惑はたくさんあります。


激しい迫害に耐えた人でも この誘惑に負ける人がいます。

サタンが アダムとエバを倒したのは、まさに この “誘惑” でした。


目の欲、肉の欲を刺激しました。

刺激されたエバが善悪の木を見ると どうなったでしょうか。


【創世記3章6節】

そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。

誘惑に負けた姿です。

誘惑された時に すぐさまサタンを追い出さないで、好奇心で見るならば 必ず誘惑に負けます。

見た瞬間に心にある欲が目覚めて誘惑と結びつき 罪を生み出します。


誘惑は罪を犯させるためにサタンが仕掛けた罠です。


それに引っかかると必ず罪を犯します。


立派な信仰を持っていたダビデが倒れたのも、1人の女を見て誘惑されたからです。

目の欲に揺れた時に サタンを追い出せば良かったのに、それをせず女を連れて来させたので、そこから信仰が転落していき、そのことでダビデがどれほど辛い日々を送るようになったか分かりません。


誘惑は本当に気を付けないといけないです。
サタンは欲につけ込みます。



女の欲があるならば 女で誘惑します。

名誉、地位、情など色々な誘惑のパターンがあります。


自分が持っている欲はすべてサタンの標的になります。


この誘惑に負けないためには2つの方法があります。

神の武具を身に着けて誘惑が来た時に戦うことです。

サタンを追い出します。


誘惑されると罪を犯すので神は血を流すまでは戦いなさいと言いました。


いつも神の武具を身に着けて警戒することです。


そして自分の中にある様々な欲を打ち砕いて捨てることです。

それには霊的訓練が必要です。
知識ではなく実践です。


自分の欲と戦い、試練の中で実践をすることです。

自分の中にある欲を捨てないと いつまでもサタンは誘惑を止めません。


ですから自分がしんどくなり、誘惑と欲に疲れ果ててしまいます。


霊的訓練で内側にある欲を取り除かないといけないです。

生きている限り、信仰の試練はあります。


試練があって当たり前と思って下さい。

しかし それは悪いものではなく、私たちに必要であることを認識して、逃げず、文句を言わず、耐え抜いて勝利して下さい。

そうすると必ず成長しますし、神からも良い報いを受けます。
(・∀・)つ

2016.2.28
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感謝が人生を変える

テーマは 『 感謝が人生を変える 』 です

【詩篇136編1-3節、23-26節】

主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。

神の神であられる方に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。

主の主である方に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。


主は私たちが卑しめられたとき、私たちを御心に留められた。その恵みはとこしえまで。

主は私たちを敵から救い出された。その恵みはとこしえまで。

天の神に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。

今日は収穫感謝礼拝を主に捧げます。


あと1か月半で今年も終わります。あっという間です。


主から受けた恵みを全部覚えていますか?

感謝をしましたか?


昨日パリで連続テロ事件が起こり、世界をびっくりさせました。

フランスにとっては悪夢の日でした。
百何十人が死亡し、多くの人が負傷しました。

テロは突然 何の前触れもなく起こり、多くの尊い いのちが突然奪われました。


6ケ所でテロが起こりましたが、コンサート会場で一番多くの死者が出ました。

アメリカのロックバンドのコンサートでしたから、犠牲者の多くは若者だと思うので、短い人生で終わった人が多かったと思います。


最近はテロ爆発事件で亡くなる人も多いので、自分が いつどこで人生が終わるか分からないです。


人生は短いです。

その人生をどのように生きるかがとても重要です。

ある人たちは人生がいつまでも続くと勘違いしながら生きていますが、人生は短いです。


歳を重ねていくと人生はさらに短く感じます。


しかしある意味では人生は長いです。

まだまだ夢のために、ビジョンのために生きる時間が残されているからです。

そして死後の世界もあるので、その意味で人生が終わることはありません。


「人生とは何か」を論じても それはむなしいですし、答えるのも難しいです。

しかし日々をどのように生きるかによって、人々は自分の人生に対しては答えを出すことが出来ます。


何よりも良い人生を造り出すためには、感謝に優れていないといけないです。


感謝が多い人はまず表情が明るいし、肯定的な人生を生きていますので、幸せオーラが出ています。


反対に 感謝せず、何かと不満が多い人は 表情が険しく、不幸がにじみ出ています。


どちらが良い人生であるかは、見た目でも判断が出来ます。






今回は “ 感謝が人生を変える”  ことに対して話します。


詩篇136編は神の前で感謝をする みことばです。


この箇所には感謝の原理があります。

1節から26節まで 感謝の内容が並べられていますが、神からの受けた多くの恵みを思い出しながら、1つ1つ感謝する内容でした。


主が良くして下さった恵みを忘れないことは良い事です。


しかしそれを神の前に1つ1つ取り上げながら感謝することは神がとても喜ぶ事です。


人間関係においても、もし過去に人から受けた恵みを忘れず、何年後でも相手に感謝を忘れていないことを伝えると「昔のことなのに、未だに覚えているんですか?」と驚きながらも嬉しい気持ちになります。


しかし受けた恵みに対して覚えておらず、感謝のことばも無いならば どのような気持ちになりますか?

これからは何もしないと心で決心しますし、したくなくなります。


皆さんは受けた恵みをよく覚えていますか?

そして感謝もしていますか。

感謝は日々の生活の中から生まれて来なければなりません。


私たちの日常は毎日がお祭りではありません。

平凡であるから、感謝そのものを忘れることが多いです。


特別に良いことがあると感謝しやすいですが、そうではないと感謝することもなく、1日が終わることが多いでしょう。


しかし平凡な日常の中でも感謝することを捜して感謝することが大切です。


私たちは食事の時に食べ物に対して感謝の祈りをします。
それは本当に感謝な事です。


イスラエルの民は40年間 荒野を通りましたが、その間ずっと神が与えた特別な食べ物・マナを食べて生きました。


最初は喜んで感謝して食べましたが、しかし しばらく経たないうちにマナに対して悪く言い始めました。

「こんな みじめな物は食べたくないし、もう飽きた。」
感謝が消えて、文句を言いながら “ 肉が食べたい ” と要求しました。


しまいには、奴隷の時を懐かしく思いました。
それには神様もびっくりでした。


もしマナが毎日与えられなかったならば、イスラエルの民は全員荒野で飢え死したと思います。

それは彼らにとっては いのちのパンでした。


しかし毎日与えられると、それが当たり前になり、感謝することもしなくなりました。


昔より今は食べ物が豊富ですが、昔より食べ物に文句を言う人が多いです。

毎日 食べ物があることは すごく感謝で、毎日ご飯が食べられることは素晴らしい恵みです。


神戸地震の時にいつも冷たいおにぎりばかりを食べていた避難民たちは 温かいご飯を食べた時にしみじみと温かいご飯のありがたさを感じました。


そのように平凡な日常の中に感謝なことは たくさんあります。


まずは平凡な日常の中で感謝するものを捜して感謝することです。
それは目に見えるものだけではありません。


昨日 電車で帰る時に、どのような感謝があるのかを考えました。

そしたら正常に呼吸していることが感謝でした。

以前、呼吸困難になったことがありました。


息をすることの しんどさを初めてその時に感じました。

苦しくて酸素缶を買い、酸素を吸いました。1本1000円でしたが、2本買って吸いました。

少しは楽になりましたが、高かったです。


お金も支払わず、タダで空気を吸って呼吸していることは、実はすごく感謝なことです。


見えること、聞こえること、歩けること、話せることも大きな感謝です。


ですから、探せば 感謝出来ることがいくらでも出てきます。

失ったものや、無いものばかりを考えながら生きると、感謝が出て来ることはないですが、あるものに目をとめると、すべてが感謝に変わります。


人生の晴れの日に感謝するのは一般的です。


しかし、人生の雨の日に感謝ができるのは 聖霊充満な人生です。


そのためには普段から すべてを主の手にゆだね、たとえ最悪の状況に出会っても感謝をすると、自分の心に決めておくことが大切です。


なぜなら主の約束のことばがあるからです。


【ローマ8章28節】

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

約束を信じて、心の準備をしておかないと、最悪の時に信仰が揺れ動いて倒れやすくなります。


そして私たちの感謝の出発は「主は慈しみ深い方であり、その恵みはとこしえまで」と信じる信仰からです。

信仰と感謝は比例します。


信仰の目で見ると感謝することがとても多いです。

神様に対する信仰が強いと感謝もそれに比例して多くなります。






神はどのような方ですか?
世界で一番偉大な方です。


神の神、主の主とは、神の偉大さと絶対主権を現すことばです。


人間の力と努力だけで、何かを成功させることは出来ないです。
神の恵みなしにすべては不可能です。


尽きない神の恵みがあって すべてが動いていますし、祝福されています。


苦難と問題の中にいる人が、今 いるかも知れません。


しかし人生の問題は、視覚と思いと信仰の問題です。

信仰があるので すべてが栄え、問題も起こらないとは神が約束していないです。


何があってもいつも喜び、絶えず祈り、すべてについて感謝するのが信仰だと教えました。


太陽の光も、苦難の雨も聖徒たちに降ります。

それは苦難の中で 私たちの人格を整え、肉の視覚を信仰の視覚に変えるためです。

試練の中で聖徒たちは変わっていきます。


イエス様に似る者にするために、“試練”という炉を通ります。


様々な問題の炉を通りながら、内側にある不純物が取り除かれ、聖くなり、悟りを得、問題を克服していく過程の中で さらに成熟していくことが多いです。


ですから、私たちが試練の荒野を通る時には、環境の変化を祈る前に、自分自身の変化のためにまず祈ることです。

また、どんな環境の中でも感謝出来る者になれるように祈ることです。

自分が変わると環境も不思議に変わります。


しかし自分が変わらず、文句ばかり言うならば試練はさらに厳しくなります。

苦難を克服する最善の道は、すべてに感謝する事です。


苦難を“自分が成長するチャンスだ”と信仰で受け止め 感謝すると、信仰も成長し、神様もその人を助けて祝福して下さいます。


感謝をする時に、人生は変わります。


私たちは生まれた時に何も持たずに生まれましたし、何も持たずに世を去ります。


欲深い人は感謝が出来ないですし、その人生は幸せにはならず、むなしい人生で終わります。


しかし小さなことに対しても感謝をする人は、感謝することが多いので、自分の人生をますます幸せにしていきます。


肉の視覚と思いで足りないもの、あらさがしをすると不満がますます増えていきます。

しかし視覚と思いを変えると、不満だったことを感謝の条件に変える事が出来ます。


世を見ると絶望や失望することが多いので、希望が見えてこないです。


しかし目をイエス様に向けると希望が生まれ、喜びが生まれ、感謝が生まれ、平安な心になります。

このように自分の視覚を変えると、人生も変わります。


世界で起こっていること、自分の人生で起こっていることを、神に信頼しながら、信仰の視覚で見ると違って見えます。


神様はすべての状況をすぐにでも変える力がある方ですが、良い目的をもって沈黙を守る時があります。

イエス様が十字架で苦しんでいる時も、神様は沈黙を守りました。

それは、イエス様の死が 人類の救いのために必要であったからです。


もし試練があるならば、そこに神の良い目的があることを信じて感謝してみて下さい。

いつかそれがはっきり分かる時が来ます。


自分は幸福ではないと言う人たちも多いです。

もちろん色々な原因があると思いますが、感謝が足りないことも原因の1つです。


感謝が足りないと魂が渇きますし、感謝はたましいに潤いを与えます。


そして感謝は幸せと祝福の扉を開ける鍵です。

ですから感謝する心は環境を変えますし、さらに人生を変えます。


また、さらに神のみこころも計画も変えることが出来ます。

懲らしめが恵みに変わることがあります。


すべてのことについて感謝することを習慣化して下さい。その感謝によって幸せが訪れ、奇跡が起こります。


感謝は神との関係も人との関係もよくします。

そして神を喜ばせ、人も喜ばせることが出来ます。


感謝のことばが口から絶えることがないようにしましょう。
.。゚+.(・∀・)゚+.゚

2015.11.15
収穫感謝祭礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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聖書に出てくる地域教会①

テーマは 『  聖書に出てくる地域教会① 』 です

【使徒の働き8章1節】

サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。

聖書に出てくる地域教会に対して、今回と次回の2回にわたってメッセージを伝えたいと思います。


ヨハネの黙示録に出てくるアジアの七つの教会に対してはよく聞きますが、それ以外の教会もありますので、今回は七つの教会以外の教会はどのような教会であったのかをみて、自分たちの教会も良い所は学びたいと思います。


イギリスに留学中の韓国留学生たちが、宣教師と教会を探していました。

イギリスには古くから大きな教会がたくさんありますが、
彼らが使わない時間に教会を借りようと思い、ロンドンにある多くの教会を訪ねました。


すると、すべての教会の責任者たちから まず最初に聞かれたことは、“賃貸料としていくら支払うのか?”でした。


なぜ皆が同じ事を聞くのか、だんだんと不思議な気がして来ました。

どうして教会がお金のことを先に聞くのかと思い、その理由を聞きました。


そうしたら、どこの教会も貧しいので冷暖房を使うことが難しく、もし冷暖房を使用するならお金が必要である為、お金のことを先に聞いたと言われました。


教会の建物は立派ですが、信徒は年寄りばかりで 前から2列目まで人が座り、その後ろは空席状態でした。

イギリスは18世紀から19世紀にかけて信徒が多く、世界的に有名な説教者たちも多かったです。

スポルジョンの教会には6千人の座席があり、世界中に宣教師たちも送りました。


しかし、今はどこの教会も人が少ないので、以前のような輝きは完全に消えてしまいました。



反対にイスラム教を信じる人がすごく増えて、教会の建物までイスラム教が買い占め、建物はそのままで、十字架だけを取り除き、そこにイスラム教のシンボルである三日月を飾っています。

三日月は発展を意味します。


モスクに違和感を持っているヨーロッパ人が多いので、教会を買ってそのようにすると 周りの人がモスクだと気付かず、教会だと思っているようです。


イスラム教徒は世界で4人に1人です。
日本でも外国人を含めて11万人のイスラム教徒がいます。お金の力でどんどん浸透しています。


このような時代ですので、教会がしっかりしないと 後でとんでもないことが現実に起こります。


リバイバルした時代の教会の姿が聖書に出てくるので、それを学んで初心に戻らないと、すべての教会が衰退すると思います。


信徒の数が増えるのもリバイバルですが、霊的に強くならないと サタンやこの世に潰されてしまいます。


ですから、その時代の教会の姿をしっかりと学び、受け入れるべきものは受け入れたいです。
今、とても弱さを感じていますので、教会が変わって欲しいと思います。


これから初代教会の姿をみていきます。




エルサレム教会




エルサレム教会は聖霊降臨の後に最初に出来た教会で、霊的に一番強い教会でした。

教会の指導者たちが主の弟子たちでした。


【使徒の働き2章40-47節】

ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って彼らに勧めた。

そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。

そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。

そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われた。

信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。

そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。

そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、

神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。

特徴としては、聖霊の働きが活発で 多くの奇跡が起きたこと、そして主のことばに対する全き従順、信徒たちの深い交わり、霊的祝福を何よりも求めた教会でした。


そして評判の良い教会でしたので、毎日救われる人がたくさんいて、爆発的なリバイバルがありました。

しかしこのような状態は長く続きませんでした。

サタンによる激しい迫害が始まり、それによって使徒たち以外はエルサレムに留まることが出来ず、諸地方に散らされていきました。


散らされた人たちは、ただ逃げたのではなく、みことばを宣べながら巡り歩きました。

そして彼らが行く町に奇跡が起こり、大きな喜びが起こりました。


しかし迫害によって使徒ヤコブが殉教し、他の使徒たちも苦難を受け、多くの信徒たちも苦難や殉教をしましたが、その中でも彼らは喜んでいました。


最強の教会でした。


それが出来たのは、信徒たちが聖霊に満たされ、みことばに満たされ、伝道に熱い思いを持っており、神の国とその義とを第一に求めたからです。


これは心を神に向ける時に可能ですので、私たちが学ぶべき姿です。


形式的な信仰生活では、迫害にすぐ倒されてしまいます。

そのような信仰生活では聖霊に満たされることも、従順することも、使命に燃えることも出来ません。


私たちにはこれが足りないと思います。
形式的で生ぬるい信仰がとても多いので、悔い改めが必要です。




アンテオケ教会




次はアンテオケ教会の姿です。


【使徒の働き11章25-26節】

バルナバはサウロを捜しにタルソへ行き、

彼に会って、アンテオケに連れて来た。そして、まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。

アンテオケはローマ帝國で、ローマ、アレクサンドリアに続いて 3番目に大きな都市で人口は50万人いました。


アンテオケ教会に初めて異邦人伝道の基地が設置され、バルナバとサウロ(=パウロ)がそこで人々を教えました。

ここは異邦人教会の中心地であり、宣教基地でした。


この時、初めてキリスト者と呼ばれたということは、キリスト教がユダヤ教とは完全に区別された新しい宗教であると認められたことを意味します。

それまでユダヤ人は、キリストを信じる者を “ナザレ人”や“ガリラヤ人”と呼んでいました。


アンテオケ教会は、断食と祈りをしながら聖霊の導きを受けて、正式にバルナバとサウロを宣教師として派遣しました。

そしてこの教会は 愛がある教会で、ユダヤにいる信徒たちがききんのために困っている知らせを聞くと、それぞれの力に応じて救援物資を送りました。


アンテオケ教会は霊的に成長し、数においても大きく成長した教会でした。

教えられたみことばをよく守り、よく祈り、愛の労苦があったのでリバイバルしました。


数は多くても霊的に弱い教会も多いですが、アンテオケ教会はバランスの取れた教会でした。




カイザリヤ教会




カイザリヤ教会に対しては知らない人も多いと思います。

カイザリヤは地中海に面した所にありますが、ここはエルサレム教会の執事であったピリポの故郷でした。


ピリポはエルサレム教会で最初に選ばれた7人執事の1人でした。

その時に選ばれた執事の条件は、「御霊と信仰と知恵に満ち、評判が良いこと」でしたが、7人の中で一番活躍したのはピリポでした。


彼の活躍は使徒の働き8章に書かれていますが、たくさんの奇跡を行い、誰よりも伝道に熱心で、至る所で福音を伝えました。


【使徒の働き8章40節】

それからピリポはアゾトに現れ、すべての町々を通って福音を宣べ伝え、カイザリヤに行った。

自分の故郷へ行って教会を設立しました。

私たちもこの姿勢を学ぶべきです。
直接私たちが行けないならば、自分の故郷に教会が出来るように祈ることです。


日本人はキリスト教に対して興味がなく、無関心な人がとても多いです。


しかしキリストを信じている人は、その人たちに関心を持って自分たちの故郷にも教会が出来るように祈ることです。


教会がないと、たとえ救われたとしても礼拝する場所がないので困ります。

私たちはピリポのように、執事でも このような立派な働きが出来ることを知って挑戦することです。


牧師だけが教会を建てるのではなく、信徒たちも出来ます。
熱心に伝道したら教会が建ちます。


神戸教会は魂が救われてから出来た教会でしたし、私も信徒の時に教会を開拓しました。


熱心に伝道する信徒がいると、教会はリバイバルしますし、伝道しないとリバイバルはないです。


伝道して下さい。たましいにみことばを伝えて下さい。
そうすると聖霊が働きます。




ローマ教会




伝承によれば、最初 ローマに福音を伝えたのは、バルナバと言われています。


この教会は、ローマ帝國の最大都市であるローマに出来た教会でした。

人口が80万人もいる大きな都市でした。

皇帝が存在し、多くの神殿がありましたし、帝國らしいあらゆる設備が整った大都会でした。


ローマ教会の構成は、ユダヤ人と異邦人が混ざっていましたが、異邦人の方が多かったです。


ユダヤ人と異邦人が一緒にいることで、教会の中には様々な摩擦がありました。

間違えた律法主義信仰を持ったユダヤ人と、それとは反対のキリストにある自由を強調する異邦人の間で意見の衝突がありました。


ローマ書は キリスト教の教理が一番書かれていますが、それは教会の問題点を解決するためにパウロが、救いや信仰、律法、キリスト者の生活全般に対して詳しく教えました。


ローマ教会だけではなく、異邦人がいる教会では同じ問題がありましたので、代表的存在であるローマ教会に教理を伝えました。

ローマ教会は地理的な面もありますが、異邦人教会の代表的な存在になっていきました。


ネロ皇帝は自分でローマ市に火をつけておきながら、その犯人がキリスト教徒であるとして大迫害を加え、焼き殺しました。

また何人かの皇帝によって激しい迫害があり、信徒たちは地下に潜るようになりましたし、その迫害の中で多くのキリスト教徒が殉教し、ペテロもパウロも殉教しました。


それでも信徒たちは信仰を捨てることをせず、命を懸けました。

やがてキリスト教はローマ帝國で認められるようになりました。


ローマ教会をカトリック教会の始まりと思っている人がいますが、それは大きな間違いです。
なぜならば、カトリック教会に初代ローマ教会のような姿はありません。

(初代教会は)ペテロを法王にしたこともないですし、巨大な権力も富も持ちませんでした。


ローマ教会の信徒たちは、信仰のために貧しくなり、権力にも妥協せず、迫害され殺されていきました。

それはカトリック教会とはまったく違う姿でした。似ても似つかない姿です。






これからの時代は、世の権力と富と他の宗教との戦いが激しくなる時代になります。


すでに韓国でもイスラム教が学校の中でも、色々なところでぶつかっています。

とても怖い時代になってきました。


私たちは、聖書にある教会が それらの戦いの中で生き残ったことを見ながら、信仰を強め、聖霊に満たされ、みことばに堅く立って、ますます愛し合い、助け合わないと教会はだんだん衰退して消えていきます。


「この教会が潰れたら、他の教会に行けば良い」と思うのは、神も教会をも愛していない姿です。


ますます主のために良い働きが出来る教会になるように、力を合わせないといけないです。


信徒が教会に無関心であるならば、未信者よりも悪い姿です。


初代教会はとても霊的に強い教会で、神の言葉に対しても よく聞き従順していました。
そして迫害にもよく耐えました。


主の再臨が近づいているので、私たちは目を覚まして、神の働きにも力を入れて、教会を強め、魂に対しても関心を持ってみことばを伝え、それぞれが出来ることをしていきましょう。


この世の流れがとても不気味です。
イスラム勢力は拡大してきています。


クリスチャンとして生きにくい時代になっています。

生ぬるい教会では飲み込まれてしまいます。


生ぬるい信仰では妥協して名ばかりの信仰になり、迫害があると“主を知らない”と言います。


必ずその時代が来ますので、危機感をもって信仰生活をしましょう。
(・◇・)ゞ


2015.7.12
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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ダニエルを助けた神様

テーマは 『 ダニエルを助けた神様 』 です

【ダニエル書6章19-28節】

王は夜明けに日が輝き出すとすぐ、獅子の穴へ急いで行った。

その穴に近づくと、王は悲痛な声でダニエルに呼びかけ、ダニエルに言った。「生ける神のしもべダニエル。あなたがいつも仕えている神は、あなたを獅子から救うことができたか。」

すると、ダニエルは王に答えた。「王さま。永遠に生きられますように。

私の神は御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の害も加えませんでした。それは私に罪のないことが神の前に認められたからです。王よ。私はあなたにも、何も悪いことをしていません。」

そこで王は非常に喜び、ダニエルをその穴から出せと命じた。ダニエルは穴から出られたが、彼に何の傷も認められなかった。彼が神に信頼していたからである。

王が命じたので、ダニエルを訴えた者たちは、その妻子とともに捕らえられ、獅子の穴に投げ込まれた。彼らが穴の底に落ちないうちに、獅子は彼らをわがものにして、その骨をことごとくかみ砕いてしまった。

そのとき、ダリヨス王は、全土に住むすべての諸民、諸国、諸国語の者たちに次のように書き送った。

「あなたがたに平安が豊かにあるように。私は命令する。私の支配する国においてはどこででも、ダニエルの神の前に震え、おののけ。この方こそ生ける神、永遠に堅く立つ方。その国は滅びることなく、その主権はいつまでも続く。

この方は人を救って解放し、天においても、地においてもしるしと奇跡を行い、獅子の力からダニエルを救い出された。」

このダニエルは、ダリヨスの治世とペルシヤ人クロスの治世に栄えた。

聖徒たちが特別な理由もなく苦難を受ける時があります。

また、神様をもっと信じようとする時に、大きな苦難にぶつかる時もあります。


「なぜだろう。神様は私を本当に愛しているだろうか。私を助けて下さるだろうか。」と思う時もあります。

しかし聖書では 信仰の先祖たちも問題にぶつかり苦難の時があったことを知ることができます。
その時、彼らは立派な信仰を見せました。


苦難に会って何をどうしたらよいか分からず 右往左往する弟子たちの姿を見て、イエス様が「なぜ恐れるのか。信仰の薄い人たち」と言われたことがありました。

そのことばでも分かるように、どんなに大きな苦難や試練に会っても、しっかりと信仰の姿勢を見せると神の奇跡を体験することが多いことを聖書で発見することが出来ます。

ですから試練の時は聖書に出てくる信仰の人物を通して、どうすべきかを学ぶことができます。


ダニエルは私たちが学ぶ事が多い信仰の人で、神にも人にも認められた人で、彼は忠実で 何の怠慢も欠点もなく人間としても素晴らしい人でした。

捕虜として連れて来られた者でありながら、その優れた知恵と悟り、また忠実さによっていつの間にかバビロンの総理にまでなりました。

それは神の祝福でもあり、彼が王に信頼されているしるしでもありました。


また彼は祈りの人で、日に三度いつも神様に祈りをささげ、とても敬虔な信仰を持っていました。


しかし、このように祝福されていたダニエルに思いがけない大きな試練が来ました。

それは罪によるものでも、神からの試練でもなく、彼の出世を妬んでいる政治家たちの陰謀による試練でした。

その者たちの心にはダニエルに対する激しい妬みがありました。
サタンも妬みのある人々を使ってダニエルを倒そうとしました。


ダニエルを倒すために彼らが考え出した策略は次の箇所に書かれています。


【ダニエル書6章7節】

国中の大臣、長官、太守、顧問、総督はみな、王が一つの法令を制定し、禁令として実施して下さることに同意しました。すなわち今から三十日間、王よ、あなた以外に、いかなる神にも人にも、祈願をする者はだれでも、獅子の穴に投げ込まれると。

ダニエルを妬んで彼を倒したい人たちは、高い地位にいるすべての人がまるで賛同したかのように嘘をつき、また自分たちが王に忠実な者であるかのように偽って、王の高慢な心と名誉欲をそそりました。

そして王であるダリヨスは、軽率にもその禁令を承認しました。

その禁令によって (ダリヨスが)大事にしているダニエルを殺すための策略であることも、王はまだ気づいていませんでした。

そしてダニエルはその禁令によって信仰の試練に会いました。


いつも通り、1日3度神様に祈るべきか、それとも1か月間 祈りを休むかを決めなければなりませんでした。

神様を第一にして生きる人にとって、これは大きな試練です。

信仰の薄い人や信仰がない人には何の問題にもならない禁令です。
なぜならば1か月間 祈りを休めば済むことなので悩む必要もないと思うからです。

しかしダニエルのように信仰深い人にとって、祈りは 神との会話であり、霊の呼吸なので、1か月どころか1日でも止めることが出来ない大きな問題でした。

これは呼吸を止めることと同じなので出来ないことです。


特にダニエルは、決まった場所で窓を開けてエルサレムに向かって祈りをささげる規則正しい信仰生活をしていましたし、いつも感謝を捧げていました。

そして禁令が出た後でも、何事もなかったかのように いつも通り祈りをささげていました。

それは“信仰を捨てることも、神に黙っていることも出来ない”というダニエルの意思表示でした。

これによって彼がどのような信仰を持っているのかがはっきりと分かります。


そして私たちが学ぶべき信仰の姿勢があります。

権力や富を得るために罪のない人を殺そうとする人もいますが、それを手放しても信仰を守ろうとするダニエルのような人は、自分のいのちをすべて支配している神に委ねます。

このような人は死をも恐れません。


信仰には必ず勇気ある実践が必要です。

都合が悪い時に退く信仰では神を喜ばせることが出来ません。


信仰は隠すものではありません。


ダニエルの信仰はとても勇気あるものでした。


【マタイの福音書10章28節】

からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

【ヘブル10章39節】

私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。

敵がいくら悪い方法で攻撃をしてきても、熱心に善を行いながら対処するダニエルは素晴らしい人でした。

その時は損をしているように見えますが、後には善を行った人たちが勝利します。


ダニエルは 禁令が自分を殺すためのものであることを知りながらも、「死ぬ時は死ぬんだ」と決心して信仰をもって神様に祈りました。

そして祈る姿が見つかったことで獅子の穴に投げ込まれました。


ダニエルを大切に思っていた王はやっと自分が愚かで軽率な判断をしたことに気づき、ダニエルを助けようとしましたが、結局はその禁令に縛られてダニエルを助けることが出来ず、獅子の穴に投げ込むよう命令を出しました。

それは王にとって辛い決断でした。
王はダニエルのことで一晩中断食をして寝られませんでした。

神様はその時に何をしたでしょうか?


神は、危機の中にいる神の人を見捨てることはしません。


神様はいのちの危険からダニエルを助けるために御使いを送りました。

そして このような形で神様が人を助けるとはだれも想像していませんでした。


決して獅子の穴に入らせないことだけが神の助けではありません。


神様はダニエルが死を覚悟して自分の信仰を見せた後に彼を助けました。

口先だけで 実際信仰の行動がないのに、神を動かすことが出来ると思うことは間違っています。


神様は神に頼る信仰を見たいと願っておられますし、信仰がなくては神を喜ばせることが出来ないと聖書に書かれています。

神様は、聖徒が試練を通して信仰が成長することを願っています。


試練の中でも世に頼らず、最後まで神に頼る時に、神は御使いを送り助けて下さいます。


神様はダニエルが無罪であることを証明して下さいました。

聖徒は神に栄光をささげながら真理も現していかなければなりません。

世の光と塩の役割がある聖徒が 罪を犯して苦しみを受けているならば、それは話にならないです。


しかしダニエルは、自分を陥れようとする悪者たちの策略によって禁令が出来たことを知りました。

ダニエルの前には2つの選択肢がありました。

神の真理を守るか、それとも真理を捨てて妥協しながら死を免れるか。


ダニエルが選んだ道はたとえ死ぬことがあっても、真理を守るといつか神様が自分の真実を証明して下さると信じて大胆に獅子の穴に入りました。

このような信仰が聖徒には必要です。


真実は神によって明らかにされるもので人間によってされるものではありません。


神様は何もかもご存知で、神の目に隠されるものはありません。

たとえ汚名をかぶったとしても真理を守り通すならば、いつか神が真実を証明する時が来ます。

ダニエルの真実は神が彼のいのちを助けたことで証明されました。


ダニエルは獅子の穴で生きていたのでそのことを話しました。

「私に罪のないことが神の前に認められたからです。王よ。私はあなたにも、何も悪いことをしていません。」と、はっきりと語りました。

王はそのことで非常に喜び、そしてダニエルを穴から出すように命じました。


ですから聖徒は理由もなく非難されたり、悪口を言われる時に失望せず、神に任せましょう。
真実が明らかにされる時が必ず来ます。


私もその経験があります。
ある出来事があって2年後に神様は真実を明らかにして下さり、その時は本当に心が晴れました。


神様はダニエルを助けた後に、彼を殺そうとした悪人たちを滅ぼし、ダニエルをさらに祝福しました。

当初ダニエルを訴え、彼が獅子の穴に入ったことを確認した悪者たちは、自分たちの計画通りになり、王様までも騙すことに成功したので勝利の歌を歌いながら大喜びし、自分たちの策略に酔っていたと思います。

そしてこれからは自分たちの思い通りになると考えていました。


しかし彼らを待っていたのは悲惨な結末でした。

偽りと悪を裁く神によって、彼らは自分たちが考えたこともない獅子の穴に投げ出される羽目になりました。
それも家族全員でした。

彼らが投げ込まれた時に、お腹を空かせた獅子たちは飛び上がって彼らを食い尽くしました。


しかし神に助け出されたダニエルはさらに王に信頼され、ますます栄えました。

それだけではなく、王はダニエルを助けた神をほめたたえました。

神のことをよく知らない王であるのに、ダニエルが助けられた姿を見て神を体験しました。

それで全国民に「ダニエルの神の前に震え、おののけ」と宣言しました。
それは神が栄光を受けた瞬間でした。

いのちを懸けたダニエルの信仰が、神の栄光を国中に現す結果となりました。


神様は 神を頼り、離れない者に対しては見捨てることなく必ず守って下さるお方であり、徹底的に守り導いて下さいます。

神がその人の救いとなり、避け所になって下さいます。

神の助けの手は真理を行いながら妥協しない人に差し出されています。


苦難の中で信仰を捨てる人もいます。

しかしある人は苦難の中でさらに信仰が強くなり、さらに神に頼る人もいます。

神に頼り、聖徒に対する神の愛を知っているならば恐れる必要がありません。
神は共におられ助けて下さいます。


もしかしたらその苦難が神を体験するチャンスかも知れません。

ダニエルを助けた神は私たちの神です。

ダニエルのように信頼しましょう。どんな時にも信頼しましょう。
(*´ -`)(´- `*)

2015.6.14
聖日礼拝メッセージ

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