からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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花嫁

花嫁としての準備

テーマは 『 花嫁としての準備 』 です

【詩篇119篇97-104節】

どんなにか私は、あなたのみおしえを愛していることでしょう。これが一日中、私の思いとなっています。

あなたの仰せは、 私を私の敵よりも賢くします。それはとこしえに、私のものだからです。

私は私のすべての師よりも悟りがあります。それはあなたのさとしが 私の思いだからです。

私は老人よりもわきまえがあります。それは、私があなたの戒めを守っているからです。

私はあらゆる悪の道から私の足を引き止めました。あなたのことばを守るためです。

私はあなたの定めから離れませんでした。それは、 あなたが私を教えられたからです。

あなたのみことばは、私の上あごに、なんと甘いことでしょう。蜜よりも私の口に甘いのです。

私には、あなたの戒めがあるので、わきまえがあります。それゆえ、私は偽りの道をことごとく憎みます。

このみことばを読んで、自分の言葉として主に告白をしました。

私にとって主は、何も無くても いつも私の心を癒して下さる方です。


世の中でどんなに恐ろしいニュースが流れて、終わりの時代に向かっていても――
どんな時でも私の心が主に繋がれているので、私はすぐに主のいる安全なところに逃げ込むことができます。


この詩篇119篇の1節1節を読むと、とても重い言葉だと感じます。
この言葉の中で黙想をしていくと「この告白はまだ自分には出来ないな」など色々と思います。

それでもその中で自分とピッタリのことばを見つけると、とても嬉しくなって(記者と)一緒になって感謝をしたり、私はまだまだ成長過程ですが、 「私にも詩篇の記者と同じ心がありました。感謝します。」という心で主に感謝を捧げることができます。


【雅歌4章9-16節】

私の妹、花嫁よ。あなたは私の心を奪った。あなたのただ一度のまなざしと、あなたの首飾りのただ一つの宝石で、私の心を奪ってしまった。

私の妹、花嫁よ。あなたの愛は、なんと麗しいことよ。あなたの愛は、ぶどう酒よりもはるかにまさり、あなたの香油のかおりは、すべての香料にもまさっている。

花嫁よ。あなたのくちびるは蜂蜜をしたたらせ、あなたの舌の裏には蜜と乳がある。あなたの着物のかおりは、レバノンのかおりのようだ。

私の妹、花嫁は、閉じられた庭、閉じられた源、封じられた泉。

あなたの産み出すものは、最上の実をみのらすざくろの園、ヘンナ樹にナルド、

ナルド、サフラン、菖蒲、肉桂に、乳香の取れるすべての木、没薬、アロエに、香料の最上のものすべて、

庭の泉、湧き水の井戸、 レバノンからの流れ。

北風よ、起きよ。南風よ、吹け。私の庭に吹き、そのかおりを漂わせておくれ。私の愛する方が庭に入り、その最上の実を 食べることができるように。

聖書には“花嫁”という言葉が何度も出てきますが、男性の方にはピンと来ないかも知れません。

でも、この箇所は“自分の心”のことを言っているのです。
つまり、イエス様に捧げる私たちの心を指しています。


私たちの心が、神様に捧げる最上のもので満たされているかどうかを確認してみたいと思います。





~雅歌4章より~




(聖書を読む時に)私たちはこのような言葉をサーッと流してしまうとダメなのです。
そうではなく、自分自身に問い返してみてください。


< 私の妹、花嫁よ >

イエス様があなたをご覧になって、愛のまなざしで私たちの名前を呼んで下さるのです。(自分の名前を入れて読んでみてください)



< あなたの愛は、なんと麗しいことよ >

読んでいて「えっ?本当かな…」と思いませんか?
自分の愛は、イエス様が「あなたの愛は、なんと麗しいことよ」と言ってくださるほど イエス様に対して愛に満ちているでしょうか?



< あなたの愛は、ぶどう酒よりもはるかにまさり、あなたの香油のかおりは、すべての香料にもまさっている >

“あなたにとって わたしが一番なのか?”と、イエス様が私たちを見て下さっているのです。


雅歌は、恋人同士の麗しい詩なのです。
ですからイエス様に対する私たちの愛を確かめる詩なのです。


“花嫁よ。あなたの愛はどこにあるのか?あなたの心の中にわたしに捧げる麗しいものは何かあるか?”
今、自分の心を探ってみてください。

イエス様に捧げる美しいものが私たちの心の中にあるでしょうか?


私たちは「イエス様!こうしてください。ああしてください。」と祈ります。

しかし、神様は天におられて、私たちは地にいます。


私たちの心は、神様にピッタリするほど合ってはいないのです。ピントがずれています。
それに加えて私たちの心は麗しくないのです。



< 花嫁よ。あなたのくちびるは蜂蜜をしたたらせ、あなたの舌の裏には蜜と乳がある。 >

イエス様は私たちに「わたしの愛する息子よ。」「わたしの愛する娘よ。」と言ってくださるのですが、雅歌を読み進めていくと、このようなことばが書かれています。

この箇所はどのような意味でしょうか?


私たちのくちびるは神様が造ってくださいましたが、私たちのくちびるからは一体何が出て来るでしょうか―?

口は、心にあるものがそのまま出てきます。

ですから私たちの心が良い思いで満ちていれば 良い言葉が出てきますが、悪い心で満ちているなら 悪い言葉が口を通してそのまま外に出ていきます。


イエス様を喜ばせる愛の告白と、甘い甘い蜜、神様のことばに常に従いたいと思うみことばを 私たちはいつも告白しているでしょうか?

私たちはあまりにもこの世に染まって生きているので、1日のうちでイエス様のことを思い出すのはとても短いのです。


私たちは終わりの時、花嫁の姿でイエス様に「主よ、来てください」と言う際に、どうしても必要なものは“整えられた心”です。
私たちの心が 整えられた心になっていないと、花嫁の姿とは言えないです。



< 私の妹、花嫁は、閉じられた庭、閉じられた源、封じられた泉 ~以下15節まで~ >

ここに書かれているのは全て最上のものです。

私たちは世の中で生きていますが、誰に対しても何に対しても 心を開けていては、心がすぐにゴミだらけになってしまいます。


サタンは私たちの心にゴミをいっぱい入れてやろうと狙っており、いつも待ち構えています。

思い煩い、怒り、ねたみ、嫉妬、苦しみ、他人との比較、競争意識、劣等感など、悪魔がごっそりと持って私たちの心を目がけて投げて来るのです。

それを全て受け取っていたら、私たちの心はあっという間にゴミだらけです。


花嫁の心が“閉じられた庭、閉じられた源、封じられた泉”とはどのような意味でしょうか?

心は大切な方だけに開けるのです。
世の中が私たちに向かって色々なものを投げてくる時には 心を閉じておかなければならないですが、反応しないということではないです。

反応はしますが、神様と一緒に対処していけば良いのです。


私たちの一番大事な心は、一番大切な方のためにいつもとっておきます。

閉じられた庭というのは、最上のもので満ちた庭のことで、その庭をいつも開けて誰かに踏みつけられるままにしている人はいないですね。


一番大事な物、一番麗しいもの、花嫁は花婿のために心を準備しておくのです。

その日のために大事なものは蓄えてしまっておき、いつでもイエス様が来られたら“ どうぞ ”と言って閉じられた庭を開けるのです。



< 北風よ、起きよ。南風よ、吹け。私の庭に吹き、そのかおりを漂わせておくれ。私の愛する方が庭に入り、その最上の実を 食べることができるように。 >

祈りは(心を)開けている状態であり、大事な方との“交わりの時”です。
自分の心の中で イエス様に蓄えてきたものが、その時に香りを放ちます。

祈りは戦いのときではありますが、ものすごく甘い時間でもあります。


私の心がイエス様に向いていて、イエス様が私の心をとらえてくださるので、この世で何が起きてもとても落ち着くことができています。


それは イエス様のために、日々心を聖めていこうと努力をしているからです。

悔い改めというものは、自分の心を綺麗にすることで、「愛するイエス様のために日々綺麗にして準備をしていきます」というのが日々の姿勢です。






【創世記3章6節】

そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を 取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。

これは私たちの普段の姿です。
私たちが肉を殺さないまま生きると、いつも失敗をするのです。


サタンはいつも私たちの五感を通して 良いものに見えるものを持ってきます。

そうすると「良いなぁ」、「あ、これは私が願っていたことだ!」とすぐに手が出ます。
これは肉の姿そのままです。これが私たちの日常の姿なのです。


つまりエバの姿は、私たちも持っているということです。


先ほど、心を守ることについて話をしました。

私たちは心を守らないと、あっという間に罪を犯します。

サタンはいつも私たちをジーっと見ていて目をそらすことがないです。私たちの目にサタンが映らなくても確かに霊の世界があります。


特にクリスチャンは狙われて、1人でも多くのクリスチャンを地獄へ落としたいので しつこくついてきます。

そこで私たちが“御霊によって歩みなさい”というみことばを握っていないと、あっという間に落とされてしまいます。


みことばは私たちの足のともしびです。道の光です。
私たちが歩む道をイエス様が守って下さいと祈っていても、ある1つの選択で道を踏み外すときがあります。

私たちは武装していなければならないです。
世のもので心が充満な時にサタンの試みがやってくると100%落ちてしまいます。


神様は私たちに聖書を通して失敗した人たちの姿を赤裸々に見せていますが、これは“あなたも同じような者だから気をつけなさい。”ということです。






【創世記19章26節】

ロトのうしろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまった。

これはソドムとゴモラが滅ぼされた時でした。
神様が御使いを送って町を調べに来て滅ぼそうと決めたのです。

アブラハムのとりなしによって ロトと妻、娘たちは救い出されたのですが、ロトの妻だけが塩の柱になりました。

それは御使いが語られた言葉を心に留めていなかったからです。


御使いは次のように語っていました。


【創世記19章17節】

彼らを外のほうに連れ出したとき、そのひとりは言った。「いのちがけで逃げなさい。うしろを振り返ってはいけない。この低地のどこででも 立ち止まってはならない。山に逃げなさい。さもないと滅ぼされてしまう。」

うしろを振り返ってはいけないと言われていましたが、心に留めていませんでした。
それでまさか死ぬとは思っていませんでした。


町は火と硫黄で焼き尽くされてしまいましたが、ロトの家族はその災難からは逃れて神様からの憐みによって逃げましたが、まさかこんな所で (ロトの妻は)死んでしまいました。

これも私たちにとっては他人事ではないです。


私たちは自分が思っているほど強い者ではないです。


自分の姿をよくよく見ると、どんなに汚れた者なのか、と自分の罪を真正面から見て、「自分は弱い者だ。」「自分は罪深い者なんだ。」と自分の姿を知り それを心に留めて必死で生きている者と、のほほんと生きている者とでは試みが来たときに差が生じます。

この時は生きるか死ぬかのところです。試みは私たちの普段の生活の中で色々と出てきます。


ですから、みことばを握って忘れないことです。この時は「いのちがけで逃げなさい。」と言われました。
しかしロトの妻はいのちがけで逃げようとはしていなく、つい後ろを見てしまいました。


こういうことは私たちにもあるのです。

聖書の中の人物を通して自分の姿を見ると、自分の中にある弱さに気が付きます。






【マタイの福音書25章1節】

そこで、天の御国は、たとえて言えば、それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘のようです。

この箇所は皆さんもよくご存知です。

クリスチャンである娘十人がイエス様が帰ってこられるのを待っていました。

5人は準備万端でしたが、5人は準備が足りませんでした。
まさか油が必要になるとは想像もしていませんでした。


でも“まさか”ということが起こるのです。
そして準備のできていない5人は慌て、油が準備できている娘に分けてもらえないかを聞きました。
しかし断られて店に買いにいけば良いと言われました。


その時が来ると準備不足の人が、準備のできている人から助けをもらうことは出来ないです。

主が来られるという約束を私たちは知っています。でもその本気さは人それぞれです。


世の事が忙しくて、「今は他のことをしないといけない」とそれを優先させていると、いつの間にか花婿が来るということをサタンが遠くへ持っていき、思考の中から消してしまいます。


6節に“ところが、夜中になって”という言葉があります。いつの間にか娘たちはウトウトして寝ていました。
ところが夜中の思いもよらない時間に来ました。

私たちにはこういう時が来るのです。


“神様の時”は待ってはくれません。
『思いがけない時に来るから目を覚まして準備をしていなさい。わたしは前もって教えた』 とおっしゃるでしょう。


心を綺麗にしていくことは準備のうちの1つです。
そして、愛を与えていくことも準備のうちの1つです。


私たちは自分のためだけに生きているのではないです。

私たちと一緒にいる人たち、特に家族もそうです。一緒に生きている人たちに、イエス様がされたように愛をいっぱい注いで生きていくことは、≪互いに愛し合いなさい≫ という神様のみことばを実践するものです。


「私は天国へ行ってもあの人のことは知らない。」という心ではイエス様は喜ばれないです。

“あなたを愛している”とイエス様は私たちに言ってくださいます。
“でもあなたの隣にいる人もわたしはとても愛している。だからあなたが生きている間に (その人たちに)わたしのことを伝えてわたしの愛を流していきなさい。天国へ行く者を増やしていきなさい。”とおっしゃるのです。


私たちには天国へ行くための準備が色々とあります。
私たちは祈る時に色々な目が開かれていきます。


自分の思いが潰されていく時に 新しい神様の視点が入ってきます。


自分はこれで良いと思って生きていても、神様がそれはダメだとおっしゃるなら それは捨てなければならないです。


花嫁の姿は純白です。ですので、それに相応しい者になるために―。
私たちにはまだ時間があります。でもいつも目を覚ましていないと突然起こります。


【ヨハネの黙示録22章17-21節】

御霊も花嫁も言う。「来てください。」これを聞く者は、「来てください」と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、 それをただで受けなさい。

私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に 書いてある災害をその人に加えられる。

また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と 聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。

これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。 主イエスよ、来てください。

主イエスの恵みがすべての者とともにあるように。アーメン。

これを自分の言葉として「アーメン」と言ってください。

“しかり。わたしはすぐに来る。”主が来られることを私たちに語っておられます。


それに対して私たちは「アーメン。主イエスよ、来てください。」と心から言えるように準備をするのが大切です。

神様が私たちに前もって準備をさせるので、私たちは本当に幸いです。


でも準備ができない人がたくさんおられるので、そういう方たちの為には私たちを通してたくさんの愛を流して聞く耳を開かせて、そしてそこに必要なみことばを蒔いてください。


時が迫っているからです。
(; ̄Д ̄)

2014.11.9
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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キリストの再臨

テーマは 『 キリストの再臨 』 です

【使徒の働き1章9-11節】

こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。

イエスが上って行かれるとき、弟子たちは 天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。

そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を 見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」

キリストが十字架の死から復活し、天に昇られてから どれほどの時間が過ぎたでしょうか。
2000年は過ぎました。

イエス様は天国へ行ったきりで帰って来ないと言ったのではなく、再び来ると語りました。
それが主の再臨です。


イエス様は人々が見ている前で天に上げられていき、その時に御使いたちは 主がまたおいでになるとはっきりと語りました。

このように主の再臨が預言されていたので、初代教会の信徒たちの 信仰の中心が“イエス様の再臨”でした。

激しい迫害の中でも主の再臨を待ち望みながら、自分たちの信仰を守っていました。


それから2000年が経った今はどうでしょうか?

再臨のことをメッセージする教会はどのくらいあるでしょう。
そして、イエス様の再臨を本気で待ち望んでいる信徒はどれくらいいるでしょうか?


再臨の教えは、サタンを怒らせます。サタンは主の栄光の再臨に対して嫌っています。


そして世俗的な教会と肉に属するクリスチャンも この再臨に関する教えを嫌います。


キリストの再臨に関しては、新約聖書の中で318回も言及されている大切な教えです。

私たちは再臨に関しては“目を覚まして祈っていなさい。”と主から聞いています。

なぜなら 目を覚まして祈っていないと、主が再臨しても私たちは主とともにいることが出来ず、地上に残されて激しい患難を受けなければならないからです。


主の再臨は 準備した人にとっては喜びの日になりますが、準備が出来ていない人にとっては恐怖の日になります。


弟子たちが「いつ再臨するのですか?」と聞いた時にイエス様は「人の子は思いがけない時にくる」と。
そして次のように語りました。


【マタイの福音書24章36節】

ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。

しかし主は、主の再臨の“前兆”に対しては教えてくださいました。


今の世の中の様子を見ると、まさに今 主が語った前兆が起きていることに気付くと思います。
次の箇所に前兆のことが書かれています。


【マタイの福音書24章5-7節】

わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、「私こそキリストだ」と言って、多くの人を惑わすでしょう。

また、戦争のことや、戦争のうわさを 聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。

民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。


【マタイの福音書24章12-38節】

不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。

しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。

この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。

それゆえ、預言者ダニエルによって 語られたあの『荒らす憎むべきもの』が、聖なる所に立つのを見たならば、(読者はよく読み取るように。)

そのときは、ユダヤにいる人々は 山へ逃げなさい。

屋上にいる者は家の中の物を持ち出そうと下に降りてはいけません。

畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。

だがその日、哀れなのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。

ただ、あなたがたの逃げるのが、冬や安息日にならぬよう祈りなさい。

そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい患難があるからです。

もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。

そのとき、『そら、キリストがここにいる』とか、『そこにいる』とか言う者があっても、信じてはいけません。

にせキリスト、にせ預言者たちが 現れて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。

さあ、わたしは、あなたがたに前もって話しました。

だから、たとい、『そら、荒野にいらっしゃる』と言っても、飛び出して行ってはいけません。『そら、へやにいらっしゃる』と聞いても、信じてはいけません。

人の子が来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです。

死体のある所には、はげたかが集まります。

だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。

そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。

人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。

いちじくの木から、たとえを学びなさい。枝が柔らかになって、葉が出て来ると、夏の近いことがわかります。そのように、これらのことのすべてを見たら、 あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。

まことに、あたながたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、 この時代は過ぎ去りません。

この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。

ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。

人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。

洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、 とついだりしていました。

  1. 多くの にせキリストが現れる
  2. 戦争と戦争のうわさを聞く
  3. ききんと地震
  4. 不法がはびこる
  5. 多くの人たちの愛は冷たくなる
  6. 食べたり、飲んだり、とついだり、めとったりする

さらに、次の箇所にも再臨の前兆が書かれています。


【Ⅱテモテ3章1-7節】

終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。

そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、 大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、

情け知らずの者、和解しない者、 そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者

裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、

見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。

こういう人々の中には、 家々に入り込み、愚かな女たちをたぶらかしている者がいます。その女たちは、さまざまの情欲に引き回されて罪に罪を重ね、

いつも学んではいるが、いつになっても真理を知ることのできない者たちです。


今、皆さんは世界を見て これらの事とは無縁だと思っていますか?
そうではないですね。毎日見ていますし、聞いていると思います。


どれほど この世の中が堕落しているかと言えば、同性愛反対説教をした牧師がスウェーデンで捕まり、刑務所に入るほど堕落してきました。

アメリカでも毎年30万人のゲイがニューヨーク5番街に集まり「神はゲイを愛している」「神はゲイだ」という立札を持って行進をしています。


これは神をあざける姿です。


そして彼らに福音を伝えようとするクリスチャンたちに暴力を振るいました。


今は世界の国々が同性愛を受け入れ、結婚を認める法律を作っています。
キリスト教の教団も受け入れるところがたくさん増えました。

これは神様が喜ぶでしょうか。そうではなく、反対に神様を悲しませることです。
神が認めたのは、男と女の結婚だけです。


彼らは同性愛の遺伝子を持って生まれたと言いますが、そのような遺伝子が存在するのではなく、情欲が彼らの中にあるだけです。

彼らは皆、神様が決めた一線を越えて、神のことばを無視し 踏みつけています。


このような姿は再臨の前に見られる姿の1つでもあります。






映画やテレビも神をあざける内容がたくさん増えました。

これらすべては神を怒らせる行為です。


そして再臨が近いと感じるほかの前兆もあります。

それは人々の邪悪な行動が恐ろしいほど増えたことです。

なぜここまで世の中が邪悪になってしまったでしょうか。


サタンが自分に残された時間が少ない事を知っているので、以前よりも活発に働いて人々の中に入り、邪悪なことを平気に行っているからです。


今は世界中インターネットが広がっていますが、その中には有害なサイトがたくさんあります。


ポルノサイトだけでも50万はあると言われています。

子どもまでも中毒されて、先月は韓国で小学生の男の子3人が20代の女性をレイプする事件まで起こりました。

日本でも小さい女の子を狙う事件が後を断ちませんし、アメリカでも10代の女の子の多くが、お父さんや親族にレイプされています。


今、イスラム国が行っている残虐なことは 口では言えないほど酷いものです。悪魔そのものです。

不法が人間社会の隅々まで はびこっている様子を見せています。


そして教会の中にも多くの惑わしが入ってきています。

それは多くの嘘です。この嘘が惑わしです。


イエス様ははっきりと言いました。

惑わしの霊が教会にも入り、多くの者がそれに惑わされると人々は嘘を真理と信じてしまいます。


イエス様はこれらのことが起こると人の子が戸口に立っていることだから目を覚まして祈りなさいと言っているのに、 「大丈夫だ、まだまだ主は再臨しない。私たちの時代には主は来ない。」と言って、主の再臨が近いと語ることばに疑いを持たせ、 信徒たちの目をイエス様ではなく、世に向けさせ、また物質主義者にさせていきます。


緊迫感がないので、だんだん祈りも少なくなります。

その人たちは「主よ、来ないで下さい。今来たら困ります。私はまだまだこの世で楽しみたいことがいっぱいあります」と言います。

しかし、イエス様の再臨に対して準備ができている人は、「主よ。早く来てください。」と言います。


今は世界のどの国も次から次へと起こる災難や事件、事故に対して対策も出来ないと言われています。
それほど予想外のことが増えたからです。

クリスチャンは今の人生と永遠は紙一重です。


もし私たちがイエス様の再臨前に死ぬならば、それまで私たちはイエス様と一緒にいなけれはなりません。

この世にどっぷり浸かって 受ける恵みだけを喜んでいるならば、私たちの人生は世のものに満たされて、イエス様の再臨に対しては関心すらありません。


お金を稼ぐことに心が集中します。

そういうものに頼っているならば、私たちは目を覚ますことも出来ないし、主のために時間を作ることもできません。


他のことのためにはいくらでも時間を使うのに、主のための時間を惜しむのは、その人が今、信仰においても変質されていることに気付かなければなりません。


死んだ教会、死んだ信徒はいくらでもいます。

再臨が近付いている今日、私たちがどのようにすべきかを聖書から調べたいと思います。


【Ⅱペテロ3章9-11節】

主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、ひとりでも滅ぼすことを望まず、 すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて 消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。

このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、 あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。


【Ⅱペテロ3章14節】

そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、 励みなさい。


【Ⅱペテロ3章17節】

愛する人たち。そういうわけですから、このことをあらかじめ知っておいて、よく気をつけ、無節操な者たちの迷いに誘い込まれて 自分自身の堅実さを失うことにならないようにしなさい。


【Ⅰペテロ4章7節】

万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。


主は、主を待ち望む者たちのために来られます。

その人たちを主の花嫁として迎えるために来られます。

準備できた人は天に引き上げられますが、地上に残された人たちはかつてない患難に見舞われます。


そうならないように耳を傾け、備えをする者になりましょう。
ε=ε=(;´Д`)

2014.11.2
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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