からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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自由

悪魔の正体と策略

テーマは 『 悪魔の正体と策略 』 です

【第1ペテロ5章8-9節】

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。

堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。

聖書には神の存在だけでなく、悪魔の存在も現れています。


そして、悪霊が 人間や人間世界に及ぼす悪い影響に対しても詳しく教えています。


イエス様も悪魔と戦いました。

そして 私たちもこの悪魔と戦うように言われました。


この教会では、いつも霊的戦いをしていますが、ますます悪魔の働きが強くなっているので、身を慎み、目を覚ますために さらにしっかりと悪魔の正体と策略に対して学びます。




悪魔の正体



悪魔には様々な姿があるので、それによって呼ばれる名前も違います。


聖書の中にある名前だけでも、20以上はあります。

  • 暁の子
  • 明けの明星
  • 悪魔
  • サタン
  • ベルゼブル
  • 悪い者
  • 人殺し
  • 偽り者
  • 世を支配する者
  • この世の神
  • ベリアル
  • 空中の権威を持つ支配者
  • 暗闇の世界の支配者
  • 誘惑者
  • 死の力を持つ者
  • 底知れぬ所の御使い
  • アバドン
  • 大きな赤い竜
  • 古いへび
  • 全世界を惑わす者、訴えている者

などがあります。


聞いただけでも悪者の姿が想像出来ます。

悪魔は アダムとエバを堕落させ、彼らの祝福を盗み、神との関係を壊し、死をもたらした悪い存在です。

そして今も同じことを人間や世界にしています。


悪魔が堕落した天使であることは、クリスチャンならば知っています。

霊の存在であり、霊の世界に対してはとても詳しいです。


霊の世界は 架空の世界ではなく、“現実よりもリアルな世界” です。


すべてのものは 霊の世界から始まりました。

物質の世界は、後から創造されました。


神が遣わす御使いは聖徒に仕える霊ですが、悪魔は聖徒たちを攻撃する悪の働きをします。


(悪魔は)死の力をもって人々と世界を支配する、暗やみの支配者です。

軽く見てはならない存在です。

策略家であり、世界でどんな悪でも平気に行う存在で仲間がたくさんいます。




悪魔の働き



今日の本文にあるのが悪魔の働きです。


ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら歩き回っています。

活発な働きを全世界でしています。

戦争もテロも事件も、悪魔の働きによるものがほとんどです。


獅子が獲物を捜すのは 食い尽くすためで、その手にかかれば、いのちが危険です。

イエス様が語ったことばが、ヨハネの福音書にありますが、これは悪霊の働きを見せてあります。


【ヨハネの福音書10章10節】

盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。

人殺しが計画的に人を殺すように、悪魔も計画的に人を狙って働きをします。

悪魔は今も激しく神に敵対するために活動しています。


そのために教会を攻撃し、信徒たちを誘惑し、あらゆる手段を使って人々が救われないように妨害します。


神様とは反対のことをするのが 悪魔の働きです。

悪魔は働きのために緻密な作戦や策略を立てて実行します。


この策略を聖徒たちは知らないといけないです。


信じてない人たちはサタンの支配下にあるので、いつでもサタンは好きなように出来ます。



サタンは、豊かに祝福することも出来ますし、成功させることも出来ます。
しかしサタンは 彼らのたましいを手に入れてあるので、最終的には地獄に突き落とします。


そして、その結末に大喜びする恐ろしい悪魔です。


聖徒を落とすためには霊的戦いが必要なので、悪魔は、神に敵対する時には 巧妙な策略を立てます。


多くのクリスチャンたちが サタンに対して無知で、霊的戦いに対しても知らないのでほとんど悪魔が勝利しますね。


クリスチャンたちは教会に通っているだけで満足し、世の人と変わらない霊的状態です。


霊の目も耳も開いていなく、ラオデキヤ教会のような状態がとても多いです。


サタンから見たらありがたい状態で、とても働きやすい環境です。




悪魔の策略



実際に悪魔に長い間 仕えていた人から聞きました。

びっくりするような内容が色々ありました。


悪魔に対しても、その策略に対しても何も知らないクリスチャンが多過ぎることは怖いことです。


聖徒が “キリストの兵士” と呼ばれるように、悪魔にも “悪魔の兵士” と呼ばれる者たちがいます。


彼らはすごい策略を持って、キリストの兵士たちを攻撃して勝利しています。

ものすごい力を持ってありますし、とても熱心です。


しかしキリストの兵士たちの多くは 寝ていて、サタンの捕虜にされてしまいました。

サタンに悩まされています。


悪魔の策略は、まず地域に呪文や呪術をかけてイエス・キリストの真理が入らないように妨害します。

その地域に貧困、病気、淫乱、暴力、麻薬の霊などを送って、その霊が地域を支配するようにします。


世界や地域を見ると よく分かります。


日本もその霊に強く支配されているので、福音が入らないです。

偶像が盛んです。


神の命令で、初めて八戸ノ里に来た時も、強いサタンの力を感じて、恐れと不安が出たので道端に立ったまま祈りをしましたが、体が震えた記憶があります。


そして教会開拓をしたくない思いが出ました。

しかし神の命令があったので開拓をして 今に至りました。






2年前に神様が夢でこの地域を支配しているサタンの陣地をはっきりと見せて下さり、人々が霊的にサタンに捕えられ縛られていることを見ました。

そのことをはっきり覚えています。

サタンの働きがどれほど強いかを見せて下さいました。


アルコール、ギャンブル、麻薬、スマホ中毒など、中毒と呼ばれる状態は99.99%サタンの働きです。


サタンは最初 (その人に)“一回だけ”と誘惑をします。

そして快楽を与えます。


それがまだ弱い時は抜け出ることも出来ますが、中毒にかかると自分の意思では もはや無理です。


それはサタンに完全に支配されてあるので、そこから抜けることは 本人の意志では不可能で、霊的戦いが必要であり、神の助けが必要です。


悪魔は、人々の心に 自分たち(悪魔)を神のように信じる心を入れ、真理に対しては疑いを入れて 真理を信じないようにし、十字架を否定するようにします。


たとえ信じたとしても十字架から分離させるために、真理が悟れないように攻撃します。

人は救われた瞬間から戦いが始まります。
それはサタンとの戦争です。


救われた人には、“神の目的と使命” がありますが、サタンはその目的と使命を私たちから取り除こうとします。

そこからサタンとの戦争が始まり、サタンが激しく攻撃してきますが、多くの人はそれを神様のせいにします。


悪いことが起こると すべて神様のせいにして、誰もそれをサタンのせいにはしないです。

教会の外にいる人も教会の中にいる人も同じことを言います。


病気、苦難、貧困、出世が出来ないことなど、人生で起こる様々な問題を 全て神様のせいにします。
これは間違いです。


誰もサタンの仕業と思わず、神のせいにして神を攻撃するので 人々は神から離れ、サタンの存在には気付かないので サタンは自由に好きなことが出来ます。


それがサタンの巧みな策略です。

神のせいにして神から離れさせる作戦です。


長く教会に通っていても真理を悟ってないならば、(真理を悟らないように)サタンによって覆いが掛けられています。


そして形だけの信仰にさせます。
多くのクリスチャンが “名ばかりのクリスチャン” です。


真理を悟り、真理によって自由にされ、キリストの兵士として戦って勝利している人は少ないのが残念です。


サタンは、人の弱点をよく研究しているので、弱い所を誘惑し集中的に攻撃します。


すると その攻撃で、ほとんどの人は誘惑されてしまいます。

誘惑されないために必要なのが霊的訓練です。


罪と肉の欲と戦って勝利するためには、自分の肉を打ち叩かないといけないです。


それが霊的訓練です。

肉のものがあればあるほど、悪魔がそこを誘惑し攻撃します。






教会の中で働く悪魔の策略には、何があるでしょうか?


一つ(一致)にならないように、“分離の霊” を入れます。


この霊が働くと 妬みや高慢、非難、悪口、不満が出て来て、愛し合う代わりに分裂、分派が起こります。

そして愛の交わりが出来なくなります。

信仰状態が悪くなり、人々は救われなくなります。


また“惑わしの霊” を入れて、真理から離れるようにして偽りを信じさせ、信仰を堕落させます。


そして“メッセージを使う策略” もあります。

教会が人々に、幸せと恵みだけをメッセージするように仕向けます。


これは信徒たちにアメだけを食べさせることです。


人々が教会に来る時には “罪、呪い、問題、サタンの縛り、病気、悩み” などを持って来ます。


その時に必要なのは、そこから自由にさせることです。

捕らわれた人には解放を、囚人には釈放を告げ、悲しむ者には慰めを、病人にはいやしの働きをしたのがイエス様でした。


幸せと恵みのメッセージだけでは、そこから自由になることは出来ないです。

まず悔い改めさせ、悪霊を追い出し、癒しを行って自由にさせる必要がありますが、それをしないで恵みのメッセージだけを伝え、何も起こらないようにするのもサタンの策略です。


サタンは その働きが教会で出来ないようにして、人々がいつまでも縛られたまま自由が何かも分からず、幸せと恵みだけを求めるようにします。


たましいの状態を何も変わらないようにします。
そこが悪魔の狙いです。


人は霊的手術が必要であり、罪からの自由が必要です。


個人の領域での悪魔の策略は、私たちの “ことばと感情” を使います。

絶えず否定的なことば、非難のことば、悪いことば、攻撃的なことばを使うようにします。

ことばはそのまま種となって実を結びます。


家庭の中の不和の一番の原因も “ことば” です。


間違えた一つの行動よりも、それを非難する言葉のほうが圧倒的に多く、サタンはそれを使って人間関係や家庭を破壊します。

否定的で非難のことばを一番たくさん使っている人が 一番サタンに支配されています。


その口は悪魔が出入りする門です。

サタンは その人が言った通りに悪いことをします。


それはサタンに “しなさい” と命令するのと同じです。

自分のことばで全てを失うこともあります。


そしていつも怒ってイライラする人も、サタンに大いに用いられています。

その悪い感情で空気を汚します。


自分の体にも毒を蒔くので、いつかは病気になりますね。


サタンは、信徒の心に疑い、不信仰、恐れ、憂鬱な思いを入れます。

それによって平安を盗みます。


これらは神から来るものではないことを知って、騙されずにサタンとの戦いをしないといけないです。


次回は 「サタンとの戦い方」 に対して学びます。
( ̄ー ̄)


2016.2.14
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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クリスチャンの行動原則とは?

テーマは 『 クリスチャンの行動原則 』 です

【Ⅰコリント10章23-33節】

すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが有益とはかぎりません。すべてのことは、してもよいのです。 しかし、すべてのことが徳を高めるとはかぎりません。

だれでも、自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけなさい。

市場に売っている肉は、良心の問題として調べ上げることはしないで、どれでも食べなさい。

地とそれに満ちているものは、主のものだからです。

もし、あなたがたが信仰のない者に招待されて、行きたいと思うときは、良心の問題として調べ上げることはしないで、 自分の前に置かれる物はどれでも食べなさい。

しかし、もしだれかが、「これは偶像にささげた肉です。」とあなたがたに言うなら、そう知らせた人のために、また良心のために、 食べてはいけません。

私が良心と言うのは、あなたの良心ではなく、ほかの人の良心です。私の自由が、他の人の良心によってさばかれるわけがあるでしょうか。

もし、私が神に感謝をささげて食べるなら、私が感謝する物のために、そしられるわけがあるでしょうか。

こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。

ユダヤ人にも、ギリシヤ人にも、神の教会にも、つまずきを与えないようにしなさい。

私も、人々が救われるために、自分の利益を求めず、多くの人の利益を求め、どんなことでも、みなの人を喜ばせているのですから。

クリスチャンがどう生きるべきかは、聖書に書かれています。

その中で1つの重要な役割は、救われた聖徒が神の子どもとして成長していくように人生の方向を示します。
そして人生の目的が何かを教えています。

今までとは全然違う行動基準になります。

「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」と主が語りましたが、それは私たちが毎日みことばを読みながら、 そこに書かれている教えを受け入れて信仰を成長させ、自分の人生を 常に神様が示した教えと基準に合わせていかなければなりません。


今日の本文ではクリスチャンとしての行動原則を教えています。

その行動基準を持って私たちが行動をするなら、私たちは成長していきます。それは他の人にも益をもたらすものになります。



1.自分の利益を求めないで、他人の利益を心がける



【Ⅰコリント10章23-24節】

すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが有益とはかぎりません。すべてのことは、してもよいのです。しかし、すべてのことが徳を高めるとはかぎりません。

だれでも、自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけなさい。

「すべてのことはしてもよい」とは(クリスチャンにあって)自由が与えられているということを意味します。
私たちは多くの人間的な基準や世の中の基準に縛られています。

私たちは真理に出会って、そこから解放されて自由になった部分がたくさんあります。

しかし多くのクリスチャンは、「“神様が何をしても良い”と言われたから、私は好き勝手に生きよう。」と言いますが、そのような意味ではないです。


自由は神様のみことばにある「自由」であります。それを超えてはいけないのです。
神の言葉の中にあって生きるのですが、勘違いをしたクリスチャンが「何をしても良いんだ。」と開き直って、そこで非難を受けたことが実際にありました。

「自由」の使い方を間違えている部分がすごくありましたので、神様が1つの基準を教えたのが「自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけなさい。」でした。


自分の利益を求める姿は自己中心的な姿であります。

「自分さえ良ければ、他人が倒れたり つまずいたり 罪を犯しても関係がない。神様は私を救ってくださったのだから、 私は好きなように生きる。」というのは、果たして神様が私たちに望んでおられる姿でしょうか?

クリスチャンになって1番初めに取り除かなければならないものは、「自己中心的な思い」であります。


これが私たちの古い姿であるのに、更にそれに自由がプラスされて ますます悪くなるならば、何のためにその人が救われたのか分かりません。

神様は、自己中心的な考えから離れて、共同体の利益を求めなさいと教えています。
なぜそうすべきであるのかを23節で語りました。「すべてのことが徳を高める」と書かれています。

自分の利益だけを求めると、他人の徳にならないのです。それは自分だけのものになります。


しかし私たちが自分の利益を求める前に、他人の利益を求めるならば それはその人の徳を高めることになるのです。

このような言葉を聞くと、「じゃあ、自分の利益を求めたらダメですか?いつも他人の利益だけを求めるようにしないといけないのですか?」と思いますが、そのような意味ではありません。

自分のことを無視して他人のことばかりを考えなさいという意味ではなく、神様は自分の利益のために他人を倒したり、つまずかせたり、そのような行動に対する警告であります。


自己満足のための行動が他人に苦しみを与え、つまずきを与えることは私たちの生活の中でたくさんあります。
それはクリスチャンとしてはふさわしくない行動です。

クリスチャンは他人に仕えて、隣人を愛しなさいという言葉が与えられていますので、自分の利益だけを求めるなら自己愛であり、他人を愛することではないです。

模範になる姿とは、他人に対して素晴らしい働きをするので模範になるのです。


自分のために働いていても、人々がそれを見て素晴らしいとは思わないです。
周りから「あの人はいつも自分のことしか考えていない。あの人には絶対についていかない。」となってしまいます。


【ローマ15章1-3節】

私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。

私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。

キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです。むしろ、「あなたをそしる人々のそしりは、わたしの上にふりかかった。」と書いてあるとおりです。

これが自分の利益を求めないで、他人の利益を求める人の姿であります。

“私たち力のある者”というのは成長した人のことです。
教会に長く通っている人や 人間的な力がある人、ということではなく、信仰の強い人は 成長して自分に与えられた自由を正しく使っている人の姿です。

そういう人たちは、自分が正しく使っている自由をもって 信仰の弱い者たちを助けなさいということであります。
「何でそんなことも出来ないの?」と裁くのではなく、あなたの力をもって助けることです。それは相手の利益を求めることになります。


しかし、信仰があるという人たちが自分たちの言葉や行動によって 信仰が弱い人たちに罪を犯させて倒すことがあるのです。
それは私たちの日常にもそういうことがあると思います。

例えば、長い間 教会に通って自分の信仰を誇る人たちの行動を見て、弱い人がつまずくことがあります。
そこにはすごく自己中心的な姿があるのです。

偉そうに高慢な姿を見せる時があります。すぐに批判をする口があります。
それを見て、弱い人たちがキリストに会いに教会へ来ているのに、人を見てつまずいてしまいます。

ですからクリスチャンは 自分の利益を求める以前に、他人の利益を求めることであります。

“この人にとって何が良いのか”を考えるのです。


他人の利益を求めることにはちゃんと理由があります。
それは相手の徳を高めるだけではなく、33節に「私も、人々が救われるために、自分の利益を求めず、 多くの人の利益を求め、どんなことでも、みなの人を喜ばせているのですから。」とあるように、このような姿ではないと魂を導くことができないです。

自分の利益よりも 他人の利益を求める人の心の中にあるものは、“愛と命”であります。
他人に対する愛がないならば 他人の利益を全く求めないで自分のためにすることなのです。


イエス様はご自分の利益を1つも求めていないです。ご自分の命まで捧げて、私たちの益のためにイエス様は働きました。その姿の中に愛があります。

私たちが自分を犠牲にしてまでも相手の利益のために働く理由は、その人の魂を救うためです。
魂を救うためには愛がないといけないのです。

私たちの行動を見て、その人たちが「クリスチャンは違う。クリスチャンは最も大切なものを私に与えてくれた」と犠牲や愛を見せ、常に相手の人のことを心掛けて配慮を示すことです。

私たちを通してその人たちがイエス様を見るようにすることが、私たちの行動基準になります。


クリスチャンが人々をつまずかせると、魂の救いが起こらないです。教会が人々をつまずかせるなら、「絶対に教会には行かない!」と非難をします。

そうすると神様がその魂のために命を捨てたのに、私たち自身が教会を迫害する者になってしまいます。


このような姿があってはいけないのです。
ですから、自分の利益を求める前に このことが他人の利益にもなるのか?を考え、相手の利益になるならば私たちはそれをしても良いです。

しかし、自分がやっていることが相手の利益にならないならばやめることです。

クリスチャンは他人への配慮のために、自分を自制するのです。
自由に生きるのではなく、他人のためならば と自制をすることが神様から見たら最も自由な姿であります。


いつも相手の徳を高めるために、人を喜ばせるために、魂のために、私たちは敢えて自分の利益ではなく他人の利益を求めるのです。

私の隣人は誰かという問題ではなく、私は誰の隣人になるのか?ということが他人の利益を求める道であります。
それをいつも心掛けることをイエス様は願っておられます。



2.すべて神の栄光を現すため



【Ⅰコリント10章31節】

こういうわけで、あながたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。

これこそが聖徒たちの究極的な人生の目的です。積極的な姿であります。

ただ “恵みを受ける”という消極的な姿ではなく、あなた自身の方から願って求めて積極的に行動をすることです。


私たちの目に見えるもの全てが神様のものであります。

私たちがご飯を食べる時に感謝の祈りをします。
なぜ感謝の祈りをするのでしょうか?それらの食べ物を作った方がいます。料理をした人以前に、誰が与えてくださったのでしょうか?“天と地” この地上の全てのものは主のものです。

私たちが受けて使っているものは自分のものではなく、主から与えられたものです。神様から与えられたものを自分の欲のために使うのではなく、まずは神様が与えてくださったことを認めるのです。


私たちは神様から全てのものが与えられているので、私たちはそれを使いながら誰のために生きるのか?が大切であります。

主のものを持って自分のために生きるのではなく、主のものを持って 主に栄光を返すために。
持っている物も自分の命も 全てのものが主のものなのです。


【ローマ11章36節】

というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。

人間も神様が造ったものであります。神様のものなので取ることも与えることもできます。
常に私たちは神様から与えられたものをもって、神様に栄光を返すのは当然であります。

私たちが受けたものは(周りに恵みを)流していき、そこで神様の栄光を現れるようにするのです。

私たちは食べ物が豊かな時は、食べ物の有り難さが分からないです。でも食べ物が何も無い所へ行くならば、私たちは米粒一粒でも どれほど感謝であるか分かりません。

砂漠では水1杯ではなく、水1滴でも欲しいのです。


私たちに不平不満が多いのは神様を知らないことであります。
そして、「あの人は多いのに私は少ない…」など他人と比較する必要もないです。これは愚かなことです。


パウロはどのような状況でも満ち足りることを学びました。
すべてのものが神様から来て、すべてのものが神様のところへ帰ることを知ったのがヨブでした。
私たちには、自分の物は1つもないのです。

クリスチャンは自分に与えられた自由を 自分自身のために使うのではなく、自分を救ってくださった主、自分を愛して下さる主、 そして自分が造られた目的は神の栄光を現すためであることを知り、それが第一目的でなければなりません。


地獄へ堕ちた人の姿も 物を持っている人は1人もいなく、すべての人が裸です。
そして人々が苦しむ姿を見て、サタンは喜んでいます。



まとめ



私たちの姿を神様は見ています。
神様が決めている この2つの基準で、自分の利益を求めず 他人の利益をまず求めます。

「これは自分だけの利益なのかも?」と思うならば、それは間違えています。
他人の徳や利益になるように それを先にすることであります。そうするとその祝福が自分にも返ってきます。

神様は私たちが蒔いたものを刈り取らせますので、与えることで喜びが来て、愛を与えるならば愛が返ってきます。善を蒔くなら善を刈り取ります。
これが神様の方法であります。


そして今、自分がしていることは神様への栄光のためなのか?ということです。

自分がすることはサタンが喜ぶことなのか、神様が喜ぶことなのか、それによって栄光が変わります。
サタンも自分に従ってくる人を通して栄光を受けています。
そして神様も 神様の言葉を聞いて、その通りに行動する人たちから栄光を受けています。


今回学んだ2つの基準は、私たちの日々の生活の行動基準であります。
それだけでも行動が整理されていくと思います。

それを毎日の生活で私たちがしていくならば、その中で成長していくでしょう。その中で魂が導かれていくでしょう。その中で御霊の実を結ぶこともできます。

自分の行動を神様の言葉に照らして、もし自分の行動が間違えているならば 神様の言葉に従うことです。
頑なな心を神様は嫌いますが、従うなら祝福されます。

主がその者を喜んでくださいます。 (⌒-⌒)

2014.6.15
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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恐れに対して

テーマは『 恐れに対して 』です

恐れは、「恐怖・不安・心配」であり、クリスチャン=霊の世界の中で生きる者にとっては、恐れの霊によります。
つまり サタンがもたらす霊によって恐れが心の中に湧きあがってきます。

サタンが持ってくる悪魔の種は、「見る・聞く」など身体の五感を通して入ってくることもあります。
五感の扉を通して私たちに様々な考えを吹き込みます。それはサタンが最も得意としている策略です。
怒り・恐れ・情欲・憎しみ・妬みなどの思いを送りこみ 私たちを潰そうとしてきます。

たかが 思いなのですが、この「思い」によって全身に悪影響を及ぼし、病気になったりします。

サタンは「偽りの父」です。
その恐れが私たちの心に入ると無力になってしまいます。そして愚かな決断をしてしまいます。
これでは聖霊による祝福ではなく、呪いをもたらす方向へと歩んでしまうことになります。


【ローマ8章1-2節】

こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。

なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。

いのちの御霊の原理とは、キリスト・イエスにあります。イエス・キリストを信じる信仰によって、
それまでは 罪と死の原理の中で生きていた私たちが、いのちの御霊の原理のほうへ移されることになります。

いのちの御霊の原理は、「愛、希望、喜び、平安」です。
また、罪と死の原理の性質は「絶望」「自分さえ良ければいいという利己主義」「憎しみ」です。

私たち人間は「いのちの御霊の原理」か、「罪と死の原理の中」で暮らしています。

クリスチャンになったからといって、これから先も いのちと御霊の原理の中で歩めるかと言えば、そうではありません。
それは何故でしょうか? ――信仰がないからです。

信仰があれば恐れを抱く必要はありません。しかし、心に恐れがあるので信仰が揺らいでいきます。
「いのちと御霊の原理」と、「罪と死の原理」のどちらが自分のものになるかは、自分次第です。


【箴言18章21節】

死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。

私たちがどのようなことを信じて、どのような言葉を口にするかによって、どちらの力が自分のものになるかが決まってきます。
そして、それを支えているのは御使いです。
自分の意思、言葉、行動によって、私たちの歩む方向が決まります。

私たちが選んだものを自分自身が証人として立ち、自分にとっては どちらが真理であるかを立証していかなければなりません。

信仰が心に芽生えると、私たちは自由になります。
ですから サタンは私たちから自由を奪おうと必死になります。

信仰に堅く立ち、信仰による自由を選択しているならば、サタンは私たちに太刀打ちできないことをよく知っています。
ですからサタンは、私たちから信仰を奪おうと必死になっています。

クリスチャンを地獄に突き落とす事が出来ないのなら、サタンはその人から自由を奪って身動きができないようにし、
キリストの証人として立てないようにしてきます。

恐れは神様からもたらされたものではありません。恐れは罪だからです。それはみことばを信じていないことを意味しています。


【Ⅱテモテ1章7節】

神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。

ここの「おくびょう」という言葉を英語で調べると「fear」になります。その意味は「恐れ」です。


【ローマ8章15節】

あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。 私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。

恐れにとっての最高の友は「疑い」です。疑いは、恐れを抱く前に私たちの頭の中に浮かぶものです。
疑いを抱けば 恐れが結びついていきます。

私たちが神様から与えられている約束の言葉に対して疑いを持つことをサタンは望んでいます。
サタンは私たちに みことばの力とイエスの御名の権威に疑いを抱かせようとしています。

疑いを抱くと、私たちの心の扉が大きく開かれて、恐れが簡単に入ることを知っているので、
常にサタンは疑いの言葉を持ってきて恐れさせようとします。


【ヨブ記1章5節】

こうして祝宴の日が一巡すると、ヨブは彼らを呼び寄せ、聖別することにしていた。彼は翌朝早く、彼らひとりひとりの ために、それぞれの全焼のいけにえをささげた。ヨブは、「私の息子たちが、あるいは罪を犯し、心の中で神をのろったかもしれない」と 思ったからである。ヨブはいつもこのようにしていた。

ヨブの心の中は不安でいっぱいでした。ヨブが心に恐れを抱いたために、サタンとヨブを隔てる垣根が取り外されてしまいました。
それは神様が取り除いたのではなく、ヨブが恐れを抱いたためでした。

ヨブの恐れの心が磁石となり、ヨブが最も恐れていたことを引きつけてしまったのです。


【ヨブ記3章25節】

私の最も恐れたものが、私を襲い、私のおびえたものが、私の身にふりかかったからだ。

ヨブはいつも息子のことで恐れていました。そしてサタンがそこに入ってきました。
その後にヨブはこの告白をしました。

自分の生活の中に、恐れの城壁を築いてしまった時にヨブはサタンに隙を与え、サタンのなすがままになりました。

なぜこのようなことになったのでしょうか――?
それはヨブが神様の約束に拠りすがろうとせず、恐れを選択したからです。

恐れは、聞くことからはじまり、聞くことは悪魔の言葉によるのです。
私たちの生活に祝福をもたらしてくれる法則は 私たちの生活に呪いをもたらす恐れにもそっくり当てはまります。
神様は365日 私たちに「恐れるな」と言われます。




― 恐れの霊を追い出す方法 ―


①恐れを打ち砕くと、はっきりと決意し、滅びの霊を自分から根絶やしにすると決意する


【ローマ8章31-32節】

では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。

私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、 私たちに恵んでくださらないことがありましょう。

必ず与えてくださると信じた時に、恐れは出ていきます。


②神がいかに大いなる力で、私たちのことを守って下さっているのかを理解する

神様が今まで私たちをどのように守ってくださったのか、どのように私たちを滅びから救いへと導いてくださったか、
どのように神様は私たちの祈りを聞いてくださったのかを、もう一度思い巡らし、自分に言い聞かせることによって
いかに大いなる神様であることを理解することができます。

イエス様は私たちの救い主です。ということは、私たちは救われた時点で守られることを約束されています。
そのことをしっかりと信じなければなりません。


③神の約束をさらに堅く信じる

私たちは預言の言葉や聖書の言葉を通して 神様から約束をいただいています。
神様からの約束を堅く信じて手放さないようにしなければいけません。


【Ⅱペテロ1章4節】

その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲の もたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。

サタンがこの約束を軽んじさせようと色々な手段を使ってくるのです。
神様の約束を堅く信じていれば、私たちは山をも動かし、病人を癒すことも出来ます。
しかし サタンは信仰の力を損なわせようと恐れを抱かせます。

もし、疑いや恐れについてあれこれ考えるようになってしまったなら、私たちは戦いに負けたことになります。

私たちは神様からみことばをいただいたのなら絶対に何があっても しがみつき、手放してはいけません。
信仰は神のみことばを聞くことからはじまります。ですから 何度も口で信仰の告白をしていかなければなりません。

すると、神様はその信仰に答えて、私たちが求めている通りに実現させてくださいます。

その時に必要なのは、忍耐です。

神様からの約束をいただいていると、サタンは攻撃をしてきます。
サタンが攻撃してくるところは、自分の弱い部分です。
私たちはそれによって揺らいでしまう時がありますが、忍耐を持ち続けてサタンと戦い、約束の言葉を宣言していくならば、神様は私たちの信仰に働いてくださいます。


④神の言葉により、サタンに対抗すること

イエスの御名によってサタンを追い出すことです。
サタンが囁く言葉に対して、私たちは神様の言葉を振りかざして「 私は神様からこのような言葉をいただいたのだ。お前たちの言葉は嘘だから出て行け 」と宣言しなければなりません。

神様は、強い信仰を持っている人だけに働くのではないです。

私たち1人1人がどんなに弱い者であっても、神様は働いてくださいます。また私たちの弱さや信仰のレベルも すべてご存知です。ですから、それぞれ信仰の強さが違っても、悪魔に立ち向かう決意をして追い出していくならば、神様は助けてくださいます。

私たちの信仰が弱いからと諦めるのではなく、自分たちがどんなに弱くても神様の子どもである サタンに立ち向かわなければならないと決意をすることです。


【ルカの福音書10章17-19節】

さて、七十人が喜んで帰って来て、こう言った。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」

イエスは言われた。「わたしが見ていると、サタンが、いなずまのように天から落ちました。

確かに、 わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは 何一つありません。

サタンを追い出した後に宣言をし、そして神様からの約束の言葉を告白します。


【ローマ8章37節】

しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。

私たちは弱い者ですが、イエス様は勝利者です。そしてイエスの御名に力があります。
そのイエスの御名を使う時に、私たちは圧倒的な勝利者になります。
その信仰に働いてくださるからです。 v( ̄∇ ̄)v

2013.12.8
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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義とは何でしょうか?

テーマは『義とは一体何なのか?』です。

【イザヤ書54章14-17節】

義とは、神から正しい者と見なされ、神から罪のない者と見なされることです。

義について詳しく書かれている箇所が下記です

【ローマ3章19-28節】

3章22節は、神様を信じた人には、神様から義をプレゼントされています。
3章24節は、私たちは何もしないでいても義と認められています。
3章20節は、私たちの行いの正しさを強調するのが律法主義です。しかしこれによって罪の意識だけが
生じてしまいます。

律法主義というのは、「形式主義で心や愛が無いこと」です。
それによって自分が律法主義に陥ると完璧にすることを求めます。
もしも完璧にできないと自己卑下してしまいます。
その結果、コンプレックスに陥り、苦しみ、縛られてしまいます。

モーセは律法の象徴です。モーセはカナンには行けませんでした。
なぜなら律法では天国へは行けないと神様がおっしゃったからです。
天国に行くための唯一の方法は「イエス・キリストを信じること」です。 

自分の行いを強調し過ぎてしまうことは、イエス・キリストの十字架の贖いの大きさを軽く見てしまうことになります。私たちは自分の行いではなく、イエス・キリストを信じる信仰によって義人とされます。

義人とは、神様を信じる人が神様によって義と認められている人です。
神様から新しい者とされ、神様から罪がない者とされている人=すなわちイエス・キリストを信じる人です。
ということは、神様を信じている私たちは、神様から見たら義人であり、
ここにいる全ての人の祈りは聞かれるという権利を与えられているということになります。
また、それによって信仰の行動ができるということです。
律法の行いではなく、イエス・キリストへの信仰による行いが大切です。

しかし、私たちは罪を犯してしまいます。私たちの内にある色々なものが罪の行動に走らせてしまうことも
あります。そういう時には悔い改めをしましょう。

【イザヤ書54章14-15節】

しいたげるものや、攻め寄せる者はサタンを意味します。神様から攻撃は来ないです。
神様は私たちの絶対的な味方であります。
私たちと共におられる神様がサタンと戦ってくださいますが、
私たちが信仰・みことばの剣によって倒さなければいけないです。サタンを追い出したら近づくことはないです。

【ヨシュア1章9節】、【ルカの福音書9章1-2節】、【ルカの福音書10章17-20節】

イエス・キリストの御名を用いることによって、悪魔サタンは出て行きます。
このみことばを握り、宣言し、追い出しをしたら私たちに害を加えるものは何一つありません。

【イザヤ書54章16節】

この世の人間、天地万物全てのものは神様が造られました。破壊者も神様が造られました。

【イザヤ書54章17節】

キリストの血潮にある恵みをもらっているので、私たちはいつも神様の前に正しいとされて
義人として立つことができます。そのような私たちにサタンは攻めることができません。

また他人の口が私たちを罪に定めてくることがありますが、私たちがその人達を罪に定めることにもなります。
神様は人間を愛し憐れんでおられる方なので、その人を「赦しなさい」と言っておられます。
その人たちも神様が愛し憐れむ魂であるので、神様は(その人を)罪に定めるので私たちは赦さなければならないということです。

また、時には自分で自分を責めることはないでしょうか?

悔い改めをして神様から罪を赦していただいたにも関わらず、「私は義人ではない。」
「私は罪赦されていないから、私の祈りは聞かれないのではないか?」と思ったら
それは神様を嘘つきにすることになります。

これは謙遜なように見えて、謙遜ではないです。あなたのみことばが間違えていますということと同じになります。
神様からの「あなたは義人である」という言葉を、素直に受け取り告白することで自分自身が自由になれます。

神様が私を自由にしてくださっているのに、自分が律法的になったり宗教的になって
自分で自分を縛ってしまうのは、神様の御前に正しい姿ではありません。

今、自分が置かれている状態、環境がどうかが大切ではなく、何を信じているのか?
自分を見ているのか、神様を見ているのか、神様を信じ・信頼し見上げているのか
このようなことを神様は見ておられます。

今、苦しんでいるとしても神様を見上げて、自分や周囲、環境が変えられ続けていることを
信仰によって見ることを神様は望んでおられます。

神様を信じる前と、信じた後で何一つ変わっていないという人はいないと思います。
たとえ少しずつでも神様によって変えられています。
このように環境や状況を変えてくださる神様を見なさいと語っておられます。

【エレミヤ書29章11-14節】

神様が未来を見なさいとおっしゃっておられます。これからも絶対にあなたを変えるから
あなたを変えるわたし(神様)を見なさい。
ダメな自分、愚かな自分、失敗する自分、罪を犯す自分、情けない自分を見ないで
全てのことを働かせて益としてくださる神様を見なさい、と語ってくださっています。(^∀^)アーメン

【ローマ8章28節】

2012.12.2
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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