テーマは 『 新しい人と古い人の戦い 』 です

【Ⅱコリント5章17節】

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

このことばは神の約束であり、キリストを信じて受け入れた人は、その約束通り 新しい者になります。

それは素晴らしい約束であり、新しくなることは祝福です。
しかし実際の姿はどうでしょうか?


自分の中で、新しい人とは正反対の姿(つまり古い姿)を見て失望したことはありませんか?

神のことばによると、自分の中には新しく造られた人が存在するのに、日常の中で以前と変わらない古い姿を見ると『何も変わっていない』と みことばを疑う人や、自分に失望して古い姿のままで生きている人が多いです。


聖書が語る“新しい人”と、現在の自分の姿との“差”をどのように解決したら良いのか、
また、新しい人が勝つためにはどのようにしたら良いでしょうか。

まずは新しい人、すなわち新しく造られた人が何であるかを知らないといけないので、そのことを先に語ります。




イエス様とニコデモの会話





【ヨハネの福音書3章3-8節】

イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」

ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」

イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。

肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。

あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。

風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」

この内容で分かるのは、新しい人は御霊によって生まれるということです。

奇跡の中の“奇跡”というのは、病気が癒されることではなく 御霊によって新しく生まれることです。

まるで赤ちゃんが生まれるように、“霊の人”が生まれることです。神の驚くべき被造物である新しい人は、実際に生きている生命体です。


“霊の人”という新しい人は、神を知ることが出来、霊の目と耳が聞かれ、キリストの恵み、贖い、神のみこころに対して喜び、神様を賛美します。そして自分の罪を悟り、神の愛を感じます。

自分の思いのまま、自己中心的に生きていた者が神に頼り、その導きを受けて生きようとします。


しかし新しく生まれたからといって霊的なことが何もかも分かり、その通りに生きられるわけではありません。


なぜなら私たちが新しく生まれても自分の中にある“霊の人”はまだ赤ちゃんに過ぎないからです。

そして自分の内には 肉の人、古い人が死んではいません。
古い人は死の判決を受け、権利を奪われましたが、相変わらず抵抗をします。それは(肉が)死ぬまで抵抗を続けます。


肉の人は、霊の人が生まれたことを知り、それを憎み殺そうとします。


そのことによって私たちの中には戦いが始まります。
つまり霊の人と肉の人、新しい人と古い人との戦いが始まります。


パウロ自身もその戦いを経験していたので、その様子をこのように話しました。


【ローマ7章18-25節】

私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、 それを実行することがないからです。

私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。

もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。

そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。

すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、

私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。

私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。

私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。

そして次の箇所でも、その戦いがあることが書かれています。


【ガラテヤ5章17節】

なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。

このことで分かることは、この霊的戦いが信徒の生活の中に起こるということです。

生まれ変わった瞬間からこの戦いは始まります。
そして いつも(肉か霊の)強い方が主導権を握ります。


自分がどちらを選ぶか、どちらが好きか、どちらの味方になるかによって戦いの結果が変わります。

私たちが戦いで勝つ方法は1つしかありません。


私たちが霊的に強くなり、霊的に成長することです。

霊的に成長すればするほど、肉の人、古い人は力を失っていきます。


それでは、どのように私たちがこの戦いで勝利を得られるのかを学びます。




1、自分自身との戦い




私たちの敵は 他人ではなく、自分の内にある古い人です。
それは肉に従って歩もうとする肉の人です。


【ローマ8章13節】

もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行いを殺すなら、あなたがたは生きるのです。

このみことば通りだと思います。

私たちが霊の人として生きるためには、古い人を殺さないと自分自身が死んでしまいます。


古い人を殺す方法は、自分の中にある(古い人の)強い欲を殺すことです。



【ガラテヤ5章24節】

キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。

たとえば、自分の欲で好むことだけをするならば、霊の人は成長することができません。

霊の人が成長するためには、みことばを読まないといけないですし、祈りも必要なのにテレビばかりを見たり、眠りをむさぼったり、人とばかり話したりすると霊の人はまったく成長しません。

自分の欲に従う人は、霊の人を殺してしまいます。そして自分の心の中に怒り、憎しみ、悪い感情などを入れたままにすると霊の人はだんだんと死んでいきます。


新しい人を成長させたいと願う人は、「体の行いを殺すんだ」と決心しなければなりません。

自分の中に存在する様々な情欲に対して「NO」と はっきりと言うことが大切です。


イエス様に集中したいと願う人は、自分の時間と関心を奪うものを退けなければなりません。

これは聖書の教えに私たちが従うことです。


古い人を助けてしまうものを十字架に釘つけることが大切であり、絶えずこの戦いをしていかなければなりません。

一度戦ったからといって肉の欲が消え去るわけがないです。そして自分の力で常に勝利するわけでもありません。


パウロのように「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」と主の助けを求めることです。

彼は戦い続け、主の助けを求めました。


あまりにも信徒たちがこのことに対して無関心、無抵抗なので次の箇所でこのように語っています。


【ヘブル12章4節】

あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがありません。




2、イエス様を見上げること




イスラエルの民たちが罪を犯し、神が送った火の蛇によって多くの者がかまれて死にました。
その時に神はモーセに青銅の蛇を作りなさいと命じ、それを見た者は死ぬことがありませんでした。


主はそのことを自分の十字架と重ねてこのように語りました。


【ヨハネの福音書3章14-15節】

モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。

それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」

十字架にかかったイエス・キリストを信仰で見上げていくならば、神のいのちが私たちの中に流れてきます。

それが聖書の真理です。


十字架の上で自分の罪のために血を流しているイエス様を見上げながら、私たちは自分の欲に従ってキリストを苦しめながら生きることができるでしょうか。


私たちがキリストから目を離して世を見るならば、誘惑するものがたくさんあります。

目の欲、肉の欲、暮らし向きの自慢などに心が奪われます。
「欲しい、欲しい」と、そういうものをむさぼるようになります。

主は「それらのものは御父から出たものではなく、この世から出たものです。世と世の欲は滅び去ります。」と語りました。


私たちの中には生まれながら強い欲があります。

そしてこの世は私たちがさらに貪欲になるように教えます。そうしないと金儲けが出来ないからです。

肉の欲に縛られて生きているクリスチャンもたくさんいます。


いつもこの世ばかりを見ながら、イエス様を信仰で見ないので いつまでも霊の人が成長することなく、霊の人なのか、肉の人なのか自分でも分からない状態です。


自分の欲望だけに関心があり、キリストを見上げることをしないなら、自分が本当に救われた人なのかどうかをもう一度考えなければなりません。

生まれ変わった者は自分の主を見て生きるのです。


【ヘブル12章2節】

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。

これが私たちへの主からの命令です。




3、訓練だと思って耐え忍ぶ




イエス様の贖いを信じて、信仰の戦いを続けても、また からだの行いを殺しても勝利できない時があります。

その時は戦いをやめますか。絶対に戦いをやめてはいけません。


神様は私たちを戦いの中で訓練するからです。

肉の人から霊の人として変わるには、時間がかかるだけではなく、訓練も必要です。


例えば、ある人が神様よりもっと愛するもの、関心を寄せているものがあるならば、神様はそれを知って、その人がそのことに失望するように、嫌気がさすようにしていきます。

その人がそのことが出来ないように、色々な試練を送ります。


例えば、イスラエルの民が40年間、なぜ荒野にいましたか?
神様はすぐにでも彼らをカナンの地に導き入れる力のある方です。


でもそうしなかったことに神様の理由と計画があります。


【申命記8章2-6節】

あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、 あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。

それで主は、あなたを苦しめ、 飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出る すべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。

この四十年の間、あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、 はれなかった。

あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを、知らなければならない。

あなたの神、主の命令を守って、その道に歩み、主を恐れなさい。

そして新約聖書でも主が語りました。


【ヘブル12章5-7節】

そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。 主に責められて弱り果ててはならない。

主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」

訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。

自分の中にまだまだ古い人が強いならば、人を通して、環境を通して訓練が続くと思ってください。

「なぜ私にこんな試練が。神様、なぜ助けてくださらないのですか。」と叫ぶ前に、自分の中にまだ残っている肉の欲が何か、古い人の姿は何であるかを見つけ出してそれを殺す戦いをしてください。


そして霊の人を強くするために、栄養を与え、神の霊の武器を用いて戦ってください。

私たちは新しく生まれ変わった人を愛し、古い人を憎まなければなりません。
自分の中にある様々な欲を十字架につけるならば、自分の中に主の平安と感謝、神の力が臨みます。


私たちのたましいの敵は、私たちを破滅させるために、絶えず欲に火をつけ、罪で誘惑します。


ですから、私たちは絶対的に罪と戦い、自分自身と戦っていかなければなりません。


戦わないなら古い人・肉の人が霊の人を殺し、それによって自分も死んでいきます。

私たちが戦う時は、絶えず小羊イエス・キリストの血と主の御名を使って戦いましょう。

そして勝利したイエス様にいつも頼りましょう。
( ̄‥ ̄)=3


2015.1.18
新年礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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