からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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聖霊様

自分の内面を美しく変えるために

テーマは 『 自分の内面を美しく変えるために 』 です

【第1ペテロ3章8-12節】

最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。

悪を持って悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。

「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押えて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、

悪から遠ざかって善を行い、平和を求めてこれを追い求めよ。

主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。しかし主の顔は、悪を行う者に立ち向かう。」

人に対する評価は色々ありますが、その中でも “心が汚い、腹黒い、二重人格者” などは、とても嫌な評価で、人から聞きたくない評価です。


しかし そのようなことばは、本人には直接言わないですが、陰で言われる人もいて、本人だけが知らないことも多いです。


皆さんは自分に対してどのような評価をしていますか。
周りの人からどのような評価を受けましたか。

陰の評価も気になりますか?


人間の内面に対して聖書ほど精通している本はありません。


今回の本文は、私たちの内面をどのように変えるべきかを教えています。

大切な教えです。


イエス様を信じる人は、何よりも内面を変えないと生まれ変わったとは言えないです。


生まれ変わった人は、内面が変わりますので それによって分かります。


神様が私たちに願うのは、日々新しくなることと聖くなることです。

それは内面の変化を意味します。


今回は、みことばを参考にしてどうやったら内面を美しく変えられるかを考えようと思います。





・親切、同情心、愛、あわれみ、謙遜な心を持つ人になる




時代と共に人間も変化してきました。

しかし良い方向ではなく、悪い方向に変わって来たことを日々感じています。


日々 よく聞くことばに、いじめ、虐待、暴力、殺人、無関心、テロ、自爆、イライラ、むかつく (=腹立つ )、など とても嫌なことばがニュースに流れます。


これは人間の内面がどれほど荒れ果てたかを見せてあります。醜い姿です。


その人生には いばらとあざみが生えています。

決してそういう姿になりたいとは思いません。


“ いのちを愛し、幸せな日々を過ごしたい ” と思う人は、違う心を持たないといけないです。


四つの畑のたとえが聖書にありますが、良い実を結んで祝福された畑は1つだけで、それは良い地でしたが、それ以外の畑は 実が結ばれませんでした。


きれいな心は良い地で、このような心でなければ、いのちの泉も幸せの花も咲かないです。


親切、同情心、愛、あわれみ、謙遜は良い地です。


内面を このような良い地にしないといけないです。


自分たちの内面を良い地に変えるために、クリスチャンはまず自分の身分が何かをきちんと認識することです。


なぜならば、それによってモチベーションがはっきりするからです。



【第1コリント6章19-20節】

あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。

あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。

  • 自分の体は聖霊の宮であること
  • 自分は神の栄光を現すために存在していること
  • 自分は将来キリストの花嫁になること

このような身分と立場であることを常に認識することです。


そのモチベーションを持って、自分の内面を変えるために取り組むことです。


「聖霊がおられるところを汚して良いのか?怒りや高慢、憎しみで満たして良いのか?」と自分自身に問うことです。


そして、“ イエス様ならばどうするのか ” を考えて、主から学び、行動していくうちに私たちの内面から石や雑草などが取り除かれて、きれいな良い地に変わっていきます。


主の中で、主と共に歩みながら、すべてのことを いつもイエス様と関連して考えることです。


イエス様が人々に対して見せた親切、同情心、愛、あわれみ、謙遜などをそのまま真似をすることです。


実際に行動していくと、確実に生き方が変わっていくことを体験しますし、祝福も体験します。

良い心で行動することで、自分の中も平安ですし、人間関係も良くなっていきます。


嘘ではないので、「出来ません」とは言わないで、試して見ることです。

共におられる聖霊様も私たちが行動する時に助けて下さいます。


聖霊様が一番喜んで助けて下さる時は、私たちが変わろうとする時です。

なぜならば私たちの中で大変つらい思いをしているのは、聖霊様だからです。


なぜなら私たちの心が悪い状態の時は、心の中がPM2.5よりもひどい状態になるからです。

汚い空気のような状態の中で聖霊様がいないといけないことは大変つらいことです。


心の内面を変えることは、心の空気がきれいになることなので、聖霊様は喜んで助けて下さいます。





・祝福を与える人、平和をもたらす人になる




【第1ペテロ3章9節】

悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。

「目には目で、歯には歯で」という思いが人間の中にはあります。


悪いことされたら復讐したい強い意志が出ますが、神様はそれを認めていないです。
同じことをすると同じ人間になってしまいます。


被害者の立場であっても、神は私たちが悪を行ったり、罪を犯すことを願いません。


祝福を与えるために(私たちを)選んだのに、罪を犯すと神はその人を祝福することが出来なくなります。

私たちが主のことばを聞いても素直になれず、心をかたくなにすることが多いので繰り返し語っておられます。

さらに聖書のことばを開きます。



【マタイの福音書5章44-45節】

しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。

それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。


【ルカの福音書6章27-28節】

しかし、いま聞いているあなたがたに、わたしはこう言います。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行いなさい。

あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。


【ルカの福音書6章35節】

ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。


【ローマ12章17-21節】

だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。

あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。

愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」

もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。

悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。

神様が敵に対しても、悪を行う者に対しても、祝福しなさいと命じた理由も きちんと話して下さいました。


神様ご自身が神に敵対するものに対しても そのようにしているからです。


ですから 神のこどもであるならば、当然のように神の方法でしないといけないです。

そして神様は、私たちに裁きの権限を与えていないので、私たちが自らの手で復讐をすると、神の権限に逆らう罪を犯すことになるので、かえって祝福するように言われました。


祝福する行為は、“赦す” ことを意味します。


赦さないと心が病みますし、サタンがその中で働くので心が守れなくなります。

聖霊も悲しみますので祝福もないです。
何も良いことがないので祝福しないと言われています。


祝福すると自分に祝福がくるからです。



【マタイの福音書5章9節】

平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるから。

このように人を祝福することは平和をつくることです。


神の子どもは平和をつくる人で、悪魔の子は平和を壊す働きをします。

分裂、分派、破壊行為を平気にします。


ISがやっていることをみると悪魔のやり方です。

平和を壊し、人のいのちを奪い、人を不幸しています。


もし私たちクリスチャンがそのような行動をするならば、それが神に栄光をささげることになるでしょうか?


人とは違う 次元の高い生活をする時に、人々は自分たちの行動を恥かしく思い、神をあがめるようになります。


私たちは古い人をキリストと共に十字架につけたと前回のメッセージで聞きました。
前回のメッセージはこちら

ですから古い人の内面を持ったまま生きることは出来ないです。


必ず新しく美しく変わった内面で生きなければならないです。

主の命令でもありますので、これは全員に言えることです。


変わらないと主のこどもと認めてもらえないです。

心が良い地である、内面の美しい人を目指して努力しましょう。
.。゚+.(・∀・)゚+.゚


2016.1.17
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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父なる神、主イエス・キリスト、聖霊と聖徒

テーマは 『 父なる神、主イエス・キリスト、聖霊と聖徒 』 です

【ヨハネの福音書16章13-15節】

しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、 聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。

御霊はわたしの栄光を現わします。わたしのもの受けて、あなたがたに知らせるからです。

父が持っておられるものはみな、わたしのものです。ですからわたしは、御霊がわたしのものを受けて、あなたがたに知らせると言ったのです。

このメッセージの中に父なる神、聖霊様、イエス・キリストが出てきます。
それが聖徒たちと、どのような関係があるのか 今回語りたいと思います。

クリスチャンでも 何が何だかよくわからないと思っている人がいるかも知れません。
神は唯一と言いながら、聖霊様とかイエス・キリストとか 父なる神とか、神が3体いるのではないのか?1体ではないのでは?と思うクリスチャンも多いでしょう。


曖昧な状態の中で信仰生活をする人もとても多いですし、他の人に説明をすることも難しく、私たちがどうしたら これを理解しやすくなるか一言では難しいですが、本文に出てきた箇所を通して説明します。



キリストと聖徒の関係




【ヨハネ15節1-8節】

わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。

わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、 実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。

あなたがたは、わたしがあなたがたに話したことばによって、もうきよいのです。

わたしにとどまりまさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。 同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。

わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。 わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。

あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。 そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。

あなたがたが多くの実を結び、わたしにの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。

【マタイの福音書15節16節】

あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。 それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも 、父があなたがたにお与えになるためです。

一言で言うならば、キリストと聖徒はぶどうの木と枝のように互いに一つでなければなりません。

枝が木に留まるのは当然のことであります。枝である私たちが1人で実を結ぶことは有り得ないです。

私たちがキリストに出会って まず最初にすることは、信じてキリストを受け入れることであります。

受け入れるということは キリストが自分たちの中に、自分たちはキリストの中に、すなわち今まで罪によって死んでいた者が、キリストに出会い 霊によって1つになることを意味するのです。


罪人たちがキリストを通さず 直接父なる神の前に出て行くことは出来ません。
汚れた姿のままでは、聖なる父の前に出られないのです。

例えば、旧約聖書には幕屋がありました。
人間が誰でも至聖所に入ることは出来ませんでした。もしそうするならば、討たれて死にました。
大祭司であっても1年に1回の贖いの日だけです。


神の御子であり、人として地上に来られたイエス・キリストに属さない人は神の前に行くことはできません。

(私たちは)イエス様と外の結びつきで「一緒に行きましょう」というのではないです。
キリストが自分たちの中に、自分たちがキリストの中に入って1つになった時に、父なる神様はそれを見て祝福してくださるお方であります。


ユダヤ教の人たちは キリストを認めておらず信じていません。

彼らは、神は唯一であるから旧約の神以外はすべて偶像であると言って キリストも否定しています。
彼らは今もメシヤを待っています。「キリストはいらない。私たちは神と直結している」と彼らは考えていますが、神様は 人と直結することをしませんでした。


キリストを通らなければ(神様は)人と会うことがないと聖書で教えています。
神様に出会う人は誰でもイエス・キリストに属する人であります。

切られてしまった枝は、キリストから流れてくるものが何もないので必ず枯れてしまいます。

私たちがキリストに属することは、そこから命と赦しと救いが出てきますので、それが1番大切なことであります。

私たちはキリストを見て、はじめて父なる神を見るのです。
キリストを抜きにして神様を見ることは出来ません。その意味でキリストと聖徒は切っても切れない関係です。


【ヨハネの福音書3章16-18節】

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。 それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。

御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。

父なる神はいつもキリストを通して私たちを見ています。

「私がキリストから離れても、キリストはついて来るのだ」ということではなく、
枝の方が 必死に木を頼って生きなければならないです。

私たちはキリストに繋がって1つになることを日々求める必要があります。
キリストの中に自分は留まっているのか、それともそこから離れて勝手に歩いているのかどうかを確認しなければいけません。



父なる神と聖徒の関係




【ヨハネの福音書14章21節】

わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、 わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現します。

父なる神様は聖徒たちがキリストのことばをよく聞いて守り、キリストを愛する者に対して愛して下さいます。

私たちは父なる神様の子供ですが、キリストによって私たちも神様の子供になりました。
イエス様と私たちは親子関係ではないのです。
しかし神様は 私たちにとって「父なる神」親子関係であります。「アバ=父」です。

そこで一番大切なことは、愛の関係です。
神様は愛であります。私たちを愛してイエス様を送ってくださいました。私たちの魂を救いの道へと開いてくださいました。
神様の愛は直接聖徒たちに注がれます。

罪人さえも神様は愛してくださいますが、キリストを愛する者に対しては さらに特別な愛で、
しかし、キリストを苦しめる者には 神様は愛することができないです。なぜならそれは神を直接痛めることになるからです。


神の愛を受けるならば、私たちの心は本当に平安になります。その愛がそのまま慰めになります。
その愛がそのまま私たちの生きる力、希望になります。愛ほど強い力はないです。


(父なる神様は)愛だけは直接私たちに与えたいと願っていますので、私たちがその愛を受けるためにはキリストとの関係がすごく大切であります。
「神様は怖い、だから頼まない。」というのではなく、神様ほど愛の方はおられません。
ですから私たちは父なる神様とは愛の関係でなければなりません。



聖霊と聖徒の関係





【ヨハネの福音書14章16節】

わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。 その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためです。

【Ⅰコリント3章16節】

あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。

聖霊様が来られた目的は イエス様のことばの中にあります。

イエス様は天に帰りながら私たちのために聖霊を遣わして下さいました。いつまでも私たちとともにおられる為に。


私たちが聖霊を受けても、聖霊が何をするのだろう?と よく分からないと思っている人もいるのですが、
一番の目的は私たちの中に住むために来られました。

霊ですので、世界中どこへでも行くことができます。そしてキリストを受け入れた人々の心の中に聖霊様が住むのだということを語りました。

そのような意味で 私たちが常に心を見守れと言うことは、自分たちの心が神殿ですので 私たちのために来られた聖霊様が住む場所なので、心を汚いもので満たすのは良くないことであります。


ゴミだらけの心の中に「聖霊様、どうぞ入ってきてください。」と言っても、聖霊様が入るわけがないです。

もし誰かが私たちに「どうぞ家に入って来てください。」と招待されて玄関を開けると、そこはゴミ屋敷のようだったら家の中に入ろうと思いますか?絶対に入らないと思います。


「聖霊様、私の心に入ってきてください。」と言いながら、心の中を何一つ掃除もしないならば 招いても聖霊様は入ることができないです。

「私は 私の身体、私の心を勝手にしても良いでしょう?」ではなくて、主が語っているように「私の身体と心は神の神殿であるのだ。だから毎日掃除をしなければならない。神は聖なる方であるから。」と聖霊様は聖い御霊でありますので、常にその認識が必要です。


ですから私たちは心を開いて聖霊様を大事に迎え入れなければなりません。聖霊様は求める者の心だけに入ってこられます。

その聖霊様が私たちと共にいて何をしてくださるのか、今回の本文の箇所に出てきます。


【ヨハネの福音書16章14-15節】

御霊はわたしの栄光を現わします。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。

父が持っておられるものはみな、わたしのものです。ですからわたしは、御霊がわたしのものを受けて、あなたがたに知らせると言ったのです。

すべてのものは父なる神が所有していました。それを御子キリストに全てを任せています。以前はイエス様がこの地上で活躍しました。

その後は同じ働きをイエス様が遣わした聖霊様がなさるので、同じものを全て(聖霊様に)与えています。そして今度は御霊が全ての権限を持ち、父なる神の栄光、キリストの栄光のために 聖霊がその働きをするのです。

本当に聖霊様は私たちを助けてくださるお方なのです。共におられるので、私たちは何でも聖霊様に相談することが出来ますし、助けを受けることも出来ます。


ですから、イエス様に対する同じ思いを持って 聖霊様を信じ委ねて導きを受けなければならないです。

私たちは毎日「今日も聖霊様を歓迎致します。」と頼って生きるならば 聖霊様が私たちの内側で働いてイエス様に栄光が現れるようにするのです。

その助けによって私たちは実を結ぶことができます。
ぶどうの木に繋がれている枝は常にそこから力をもらって実を結びます。
聖霊様がその働きをしてくださいます。


イエス様の中で留まっている私たちを 聖霊様が力を与え、助け、栄養を送り、私たちが実を結ぶようにしてくださり、実が結ばれたらイエス様が喜び、父なる神様が喜ぶ。このような関係で動いています。


三位一体は父なる神と イエス・キリストと 聖霊であり、それを切り離すことが出来ないです。
別々のものではなく、働きが少し違うだけであります。

その中に私たちも入るなら、私たちも切り離すことが出来ない存在になります。
そこで私たちが父なる神から愛を受け、イエス様や聖霊様から助けをもらって生きることが出来ます。


あるところでは、聖霊を認めない教会もあります。
イエス様が送った聖霊をなぜ拒むのでしょうか。それは間違えています。

聖霊様を歓迎しなければならないです。

今は聖霊様が私たちの内で働く時でありますので、日々 私たちが聖霊様に頼っていかなければならないです。
.。゚+.(・∀・)゚+.゚

2014.6.8
ペンテコステ礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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御霊に導かれて

テーマは 『 御霊に導かれて 』 です

【ガラテヤ5章16節、18節、25節】

・御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことは、ありません。

・御霊によって導かれるなら、 あなたがたは律法の下にはいません。

・もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。

聖霊様は、どのようなお方でしょうか。

どんな時も助け、慰めを与え、力を与え、励ましてくださり、信頼することのできるお方で、私たちの為にいつもとりなし、愛を注いでくださり、罪を教え悔い改めに導いてくださり、世が与えるものとは違う平安・喜び・希望を与えてくださるお方であります。

御霊は、私たちの内に住んでくださり、教え導いてくださいます。


【ピリピ2章13節】

神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。

【Ⅰヨハネ2章27節】

あなたがたの場合は、キリストから受けたそそぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。 彼の油がすべてのもとについてあなたがたを教えるように、―― その教えは真理であって偽りではありません ――また、その油が あなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。

油がすべてのことについて教えてくださいます。
愛するがゆえに、進むべき道を示すために聖霊様を送ってくださり、誰よりも私たちのことを理解してくださっています。


御霊は賜物を与えてくださる

【Ⅰコリント12章8節】

ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、

知恵の言葉、知識の言葉、信仰、奇跡の力、霊を見分ける力、異言、異言を解き明かす力です。

聖霊様の働きを決して留めることのないように気を付けましょう。



神の御霊に導かれるとは、どのようなことでしょうか ――?

御霊によって歩きなさい、御霊によって満たされなさい、御霊によって祈りなさい、御霊を消してはいけない。
御霊に拠り頼みなさい ・・・「主よ、導いてください。歩むべき道を示してください。」と祈ったなら、主を信頼し、委ねて待つということです。


困った時、助けが必要な時だけではなく、日常のあらゆる面に、聖霊様をお迎えして信頼し、拠り頼み委ねることを願っておられます。



御霊に導かれて 主のみこころを求め、歩みたいと願う時に邪魔するものがあります。

1つ目は、私たちの内に まだ残っている「肉」です。これは栄光の身体に変えられるまで戦いがあります。
2つ目は、サタンの誘惑・妨害です。


肉から出たもの

【ガラテヤ3章2-3節】

ただこれだけをあなたがたから聞いておきたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。

あなたがたはどこまで道理がわからないのですか。御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。

主のために熱心に働きをするのですが、聖霊様に導かれながら進めていくうちに、いつの間にか自分の思いが入ってきて、神の栄光の代わりに自分の栄光へと すり替わってしまっている姿、誘惑され騙され、欺かれた姿です。
聖霊様が気付かせてくださいます。


私たちは、何かをすることによって祝福されるという思い、認められようとする古い自分がいます。
これは思い違いであり、自己義です。またサタンの誘惑です。

律法ではなく、恵みの中に留まるべきです。
私たちが神様のために何かをするのは、恵みに感謝し、主を愛する心から出たものを 主は受け入れられます。

自分の願いや考えを押し通そうとする人は、「周りが悪い」と環境のせいにします。
これは自分の姿が見えていないのです。聖霊様に教えていただき、みことばの鏡に照らし合わせると良いです。


【マタイの福音書12章31-32節】

だから、わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒瀆も赦していただけます。しかし、御霊に逆らう冒瀆は赦されません。

また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、 赦されません。

霊に注意をしましょう。




サタンに騙されている姿

【Ⅱコリント2章11節】

これは、私たちがサタンに欺かれないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。

聖書を読んだり、祈っている時に、用事を思い出したりすることはないでしょうか ――?
これもサタンの巧妙な手だと思います。


【ヨハネの福音書10章10節】

盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。

みことばを盗み、祝福(平安・喜び)を奪い、信仰を失わせます。
真理から目をそらさせ、確信を揺るがせ、信仰を奪うのです。


【ヨハネの福音書8章44節】

あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから 人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。 なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。

サタンは嘘つきです。アダムとエバを霊的に殺しました。
私たちも自分の罪過と罪との中に死んでいた者でしたが、キリストの贖いのゆえに私たちの霊が回復されたのです。


サタンは様々な方法で攻撃をしてきて、神様からの祝福を奪おうとします。聖霊様の導きから外そうとします。

誘惑する者、騙す者、惑わす者、嘘・偽り者、欺く者、不安や恐れ、不信仰、これらは私たちのたましい(心)の部分に攻撃をしてきます。

サタンは、私たちの「弱さ」を責めてきます。不信仰な思いを入れてきます。


①自己評価が低い人
劣等感、自己憐憫。「あなたが変わるわけがない。」、「どうせ無駄」、「時間の無駄」

【Ⅱコリント12章9節】

しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。 ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。

②固定観念
自分はこういう者だから、と固まった思い込み、どうせ抜け出せない。変わることは難しい。
これは騙され 欺かれた姿です。

【Ⅱコリント5章17節】

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

③高慢な心
私の力が、私の手の力が、私が築いてきた。高ぶるものを退け、へりくだる者に恵みを注いでくださいます。


④理論的思考
「私は知っている。分かっている。」

【Ⅰヨハネ1章8節】

もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。


⑤孤独
誰も分かってくれない。理解してくれない。しかし、捨てて孤児にはしないです。みことばの約束があります。

【イザヤ書43章4節】

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。

私たちの立場は、神の子ども、罪赦された者、永遠のいのちが約束された者、神の共同相続人です。


聖霊様は、私たちのために何をしてくださるお方であるかを しっかり霊で受け止めて、自分の方法・思いではなく、 聖霊様はどのような計画を持ってくださっているのか、私はどのように進むべきなのだろうかと、導きを求めて祈り、みこころの中を歩んで いきたいと思います。

そしてもっと親しく 信頼し、頼れるお方であることを信じることが大切ではないでしょうか。


【Ⅱコリント3章18節】

私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を 変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

ますます 主を慕い求めて、キリストに似た者と変えられていきたいと思います。
ですから、私たちは内にいてくださる聖霊様の優しい語りかけ、思いを与えて導いてくださる方に、共に歩んでください。私の人生のすべてを支配し、導いてくださいと祈る者になりたいと思います。


そして、目を覚まして御霊によって祈り、御霊に満たされ、御霊に導かれて歩んでいく者になりましょう。 (^∀^)

2014.3.9
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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祈りの時に気を付けること

テーマは 『 祈りの時に気を付けること 』 です

【ピリピ4章6節】

何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。

ただ、祈れば良いということではありません。要らないものは捨てることです。

せっかく祈っているのに、その祈りを無駄にしてしまうものがあります。本文にそのことが簡潔に書かれています。


①いらないものは捨てる(思い煩い)

自分たちが祈る時に、心を覗いてみると思い煩いをいっぱい持って祈る時があります。

思い煩いとは、単に心配事のことをいうのではなく、問題を抱えている人で ため息ばかりつく人がいます。

ため息(汚染された空気のようなもの)をつく時に、それが私たちにどのような影響を与えるでしょうか?
私たちの心と魂を傷つけます。そして病んでいき、心が支配されてしまいます。問題よりも思い煩いによって思いが殺られます。

支配されるということは、その思い煩いが自分の主人になり 奴隷になっている姿であります。


自分たちの心の主人は、いつも神様でなければならないのに 思い煩いがあると主人が変わってしまいます。
祈りを聞いてくださるのは神様ですが、自分の心にあるものは神様ではなく、思い煩いがいっぱいなので口先だけで祈っても その祈りは聞かれることがないです。


思い煩いは信仰から生まれません。反対に、思い煩いは不信仰を生みだします。
神様が聞く祈り、反応する祈り、答えてくださる祈りは 信仰による祈りです。
思い煩いによる祈り、不信仰による祈りに神様は答えません。

思い煩いの中には、疑いがあり、絶望があり、不信仰があり、人間的な思いがあります。
目を神様に向けていなく、心も神様に捧げていません。


私たちの神様はどこにおられるのでしょうか ――?
神様は、聖霊様として自分の心の中におられます。心の真ん中におられるいうことは、聖霊様が主人ということです。

思い煩いをもって祈りをするのは 初めから聞かれない祈りをしていることなのです。

聞かれない祈りをしていながらも、「どうして聞いてくださらないのですか。」と言っても、神様は「わたしに聞くのではなく、自分の祈りの姿勢が正しいかどうかを ちゃんと見なさい。」と言うでしょう。

どんなに大きな問題だったとしても「何も思い煩わないで」と語っていますので、その通りに従うことであります。

私たちにとって大きな問題に思えても 神様にとっては小さなことです。


【ローマ10章13節】

「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。

このように、主の御名を呼び続けるならば 主が答えてくださいます。
思い煩いを捨てて、主を(自分の)主人として心に迎え入れて何も思い煩わないことが大切です。

主の御名とはイエス様のことであります。
「だれでも救われる」というのは魂が救われるだけではなく、あらゆる問題からも救われるということです。

自分の中の思い煩いが消えるまで「イエス様~!!」と叫んだら良いです。祈りをイエス様で満たしていくなら、イエス様が働いてくださいます。


②祈る時に必要なもの(感謝)

思い煩いは要らないことですが、この「感謝」は必要なことです。

私たちが神様の前に出た時に、まず感謝が必要なのです。

感謝するということは、神様が今まで自分にくださった恵みを覚えることであります。そしてお礼を伝えるのです。
そこには信頼、尊敬、期待、信仰が含まれています。

神様が一番求めているものは感謝であります。感謝の言葉を神様は喜びます。


③神様に祈りを捧げる

神様は 今回のテーマ箇所で「あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい」と語っています。

・謙遜な態度で
・具体的に
・信仰をもって


【ヤコブ5章15節】

信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。

・期待する
・熱心に祈る


【ヤコブ5章17-18節】

エリヤは、私たちと同じような人でしたが、雨が降らないように熱心に祈ると、三年六か月の間、地に雨が降りませんでした。

そして、再び祈ると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました。

・切なる思いで主を待ち望む


【詩篇40篇1-2節】

私は切なる思いで主を待ち望んだ。主は私のほうに身を傾け、私の叫びを聞き、

私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。そして私の足を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。

切なる思いは必要であります。心を神様に向けている姿です。

自分の祈りでどこが間違えているのか探らなければいけないと思います。

ずっと感謝を蒔き続けたら良いです。そうすると思い煩いが出て来なくなります。 (・∀・)

2014.2.23
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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霊的成長するには?

テーマは『 霊的成長のための祈り 』です

【コロサイ1章9-12節】

こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。

また、主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられますように。

また、神の栄光ある権能に従い、あらゆる力をもって強くされて、忍耐と寛容を尽くし、

また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように。

パウロのコロサイ人に対する祈りです。

パウロは福音を伝えて教会を建てていきます。そして そこに集まる信徒たちに みことばをもって教育していきます。
彼らが神を知り 神の中で新しい者に変えられ、霊的に成長をして主の弟子たちになり、
彼らが次の世代に福音を宣べ伝えていくことが一番の願いであります。

そのためには救われただけでは話にならないです。
救われた者ということは、新しく生まれ変わったことを意味します。その人たちは、霊的赤ちゃんであります。
赤ちゃんのままでは何も使い物にならないです。
その人たちには恵みだけが必要で 養っていかなければならないです。

生まれ変わった人は自分自身が霊的成長することを求めなければならないです。
しかし、霊的成長は努力だけで出来ることではないです。

成長したいのにどうしたら良いのか?教会へ行き、みことばを聞き、皆と交わりをしたら成長できるのか?
みことばだけを読んだら良いのか、奉仕をしたら成長できるのか――。

それ以前に私たちは神様から受けなければならないものがあります。

このような(パウロの)祈りを 求め続けて、強くされていかないと成長することができないです。
私たちはこの祈りに沿って霊的成長のために日々 生活の中で祈らなければならないと思います。


9節の「あらゆる霊的な知識と理解力によって」というのは何を意味しているでしょうか?
物事を総合的に判断する力であります。
人々は何かを見て判断することが出来ますが、それは偏っています。偏った判断は間違えています。
全体を総合的に見る力は、神様による知恵がないと出来ないです。

霊的な知恵と理解力、これがないと私たちは先に進められないです。
霊的なことがよく分からないのに、私たちはどうやって霊的に成長をして、霊的な働きができるでしょうか。

ソロモンが祈った祈りを思い出したら良いと思います。
神様に「正しい裁きが出来るように、わたしに聞き分ける力をください。」と判断力を求めました。
これこそが霊的知恵・霊的理解力であります。

これは聖霊様が与えてくださる賜物です。賜物は聖霊様が持っているものですので 求めることであります。


9節に「神のみこころ」とありますが、神様のみこころが何であるかと言うと、神様が喜ぶことです。
神様が喜ぶことが何であるかを私たちがはっきりと知ることが大切であります。
私たちは自分が喜ぶことが良いことだと思っていますが、それは神様のみこころと違うことが多いです。

霊的知恵と霊的理解力があれば、神様のみこころを知ることは それほど難しくないです。
霊的なものを求めることは、神様が喜ぶことであります。

多くの者は肉のものをたくさん求めます。
高慢な思いで求めたり、みこころに適わないものを一生懸命祈っています。ですから叶えられません。
しかし、神様が喜ぶ霊的なものを求める時には惜しまずに与えてくださいます。

主にかなった歩みをすることは召しに相応しく歩くことであります。
みこころを知ると自分に対する召しが分かります。

私たちが自分勝手に歩くと、そこに罪が生まれます。


10節に「あらゆる点で主に喜ばれ」とありますが、神様を喜ばせる働きをすることです。

主を喜ばせるためには、時には自分の思いを神様の前で消していかなければならないです。
自分の計画、習慣、性格、色々なクセ、苦難、このようなものを私たちは消さなければならないです。
全部を持ったままでは神様に喜ばれる姿にはならないです。

この姿は、どのような姿でしょうか――?
主のみこころの全てにおいて従順する姿であります。

自分の思いが神様に敵対する思いになりますので、それらを十字架につけます。
霊的成長のために、肉のものはどんどん捨てなければならないです。
肉のものを捨てた時に、そこに霊のものが入ってきます。

その結果として 実を結ぶことができます。それが聖霊の実であり 美しい実です。(10節)

神様のことを知りたいという人が多いですが、このように歩んで実を結んでいくと自然に神様のことが
分かるようになります。

みこころに従順して、上にあるもの(霊のもの)を求めて成長し実を結んでいくと、実を結ぶ過程の中で
神様がどのような方であるのか すごく分かるのです。


【コロサイ1章11節】

また、神の栄光ある権能に従い、あらゆる力をもって強くされて、忍耐と寛容を尽くし

力は自分にあるのではないです。神様によって私たちは力を受けなければならないです。内側の力であります。

内側に力がないと、忍耐ができません。

信徒たちの生活において、忍耐はとても大切なものです。忍耐できない人は成長は無理なのです。
成長する時には忍耐が必要です。
あらゆる訓練や苦しみや苦難、その中で 自分の思い通りにならなくてもその中で待ち望む力は内側の力であります。

「神様、私は力がない者なのです。忍耐をしようとしても力がなくて、すぐに切れてしまいます。
切れた瞬間に成長が止まってしまうのです。ですから、神様。私に力をください。実を結ぶためにも
忍耐が必要であります。そのために神様によって強くされる必要がありますので力をください。」と
肉の力に頼るのではなくて、日々 祈りによって主に求めることです。

希望を持って生きることができます。


11節に「寛容」とありますが、これは神様に対することではなく、人に対する寛容であります。

特に私たちが寛容を示さなければならないのは、自分が気に入らない人たち、自分が敵だと思っている人たち、
自分を苦しめる人たちです。
そういう人たちに対して狭い心ではなくて、広い心をもって恵みを与え続けることであります。

内側にその力があると敵を許すことができます。
狭い心は、クリスチャンの心ではないです。

私たちは元々、本当に狭い心なのですが神様から力を受けて、どんどん器を広くしなければならないです。


12節に「感謝をささげるように」とあります。

これも主に祈らなければならないです。「私が感謝の人でありますように。」

 

何を求めて生活をするのか、神様が一番願うのは霊的成長です。
これを求めないならば、神様は与えたものまでも取り上げてしまわれます。
しかし、豊かに持っている者は、さらに与えられます。

周りの人たちに影響力を与える人になってください。 (・◇・)ゞ

2013.7.28
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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主の小道とみこころとは?

テーマは 『私たち1人1人に対する 主の小道と主の御心について』 です

【詩篇25編4節】

【ミカ書6章8節】

【申命記10章12-13節】

【ホセア書6章5節】

イエス様を愛している私たちは、誰でも、主のみこころを知り、それに従い栄光を表わす者に
変えられたいと心から願っていると思います。

しかし、神様が私たちを知り尽くしておられるほどに、私たちは神様を知っているでしょうか。
生涯をかけて知ろうとしても知り尽くす事は出来ないでしょう。

主の御思いを知る事は、なんと広く深い事でしょう。と、みことばにあるように、
私たちの思いをはるかに超えたお方だからです。

また、主は、どんなお方でしょうか?
柔和でへりくだり、憐れみ深く、情け深く、怒るのに遅く、恵み深いです。【出エジプト記34章6-7節】
また、私たちをねたむほどに愛してくださっているお方です。【ヤコブ4:5】

みこころを知るには、みことばを通し、聖霊様を通し、預言の言葉を通し、周りの人の助言の中から
教えられることがありますが、それを聖書から見てみようと思います。


①みこころを知る為に、みことばを読む

聖書は、重要な問題の全てを網羅していますが、色々な問題や状況に直面した時に、
「こうしなさい」と細かくはっきりとは書いていません。

ですから、生活をしていく中で、色々な事が起きた時、みことばの中に主の導きを求めます。
すると、みことばをどのように適用していくのかを教えられます。
そして、そこに答えが見つかり、みことばが生きたものとなり、みことばを体験できます。

【詩篇119篇105節】

【エペソ5章17節】


②内におられる聖霊様が、語って下さったり、導きを与えてくださる

【ピリピ2章13節】

私たちの内に思いを与えて、神様が実現させてくださるという みことばです。

ですから、私たちはみことばを心と魂に刻みつけておく必要があります。
すると、聖霊様が時に適ったみことばを思い起こさせて下さり、決断する事を助けてくださいます。


③預言の言葉を通して、みこころを教えられ、励ましを与えられる


④周りの人からの助言で、聖霊様が気付かせてくださる

【箴言12章15節】

【Ⅰ列王記12章8節】

ソロモンの子レハブアムが王になり、民のことで、ソロモンに仕えていた賢明な長老に相談をしましたが、
長老の助言を退け、自分の意見に同調をしてくれるような若者に相談し、決断を下しました。
結果、民たちの心は離れていきました。
私たちは信頼できる人の助言を聞くべきだと思います。

このようにして、みことばを通し、聖霊様を通し、預言、周りの人の助言など、色々な方法で
主のみこころを悟らせて下さいます。




~みこころに従うことを、妨げてしまうもの~

私たちはみことばに従い、みこころに沿って歩みたいと願いますが、うまくいかない事があるのは、
どうしてでしょうか?

それは、私たちの古い人が反応し、それを妨げてしまったり、サタンがみことばに従わないように
妨げるからです。

妨げてしまうものには、どのようなものがあるのかを 一緒に考えてみたいと思います。

  1. 自分の願いと神様の思いが違うならどうしようと、不安になってしまう古い自分
  2. 自分の生き方を変える事を恐れてしまう。 ―― これは自分の考え方から出ようとしない古い自分
  3. 全てを委ねたくても、委ね切ることができない自我。そこにはいつも葛藤があります
  4. 祝福は望んでも、犠牲を払うことを嫌う心。 ―― 肉は犠牲を払うことを嫌います
  5. 世の物に対する色々な執着がないか

このように様々な自我との戦いがありますが、皆さんはいかがでしょうか?

神様の1人1人のご計画は違います。そして弱さも違います。
神様は、私たちが自分の自我と戦い 日々内なる人が強められて、造り変えられていくことを願っておられます。

どのようにして、主のみこころを知る事が出来るでしょうか?


①主に委ねる時に、主のみこころを明らかにしてくださる

【詩篇37編5節】

【詩篇55編22節】

【Ⅰペテロ5章7節】

【箴言16章1-3節】

自分の思いや方法ではなく、神様の導きや方法で従うということです。
人は心に自分の道を思いめぐらしますが、その人の道を確かなものにするのは主です。

私たちは自分にはどうすることも出来ない問題が生じた時に祈ります。
祈ってその問題を主に委ねる決断をします。そして、祈りながら待ちます。

しかし、待っている間に色々な思いがやって来ないでしょうか?
恐れが来たり、心配になったり、不安になったり、自分に対して安心できるものを置いておきたいという
ことはないでしょうか?
この肉との戦いは、生涯あるかと思います。
しかし、神様は私たちが思っている以上のことをしてくださるお方です。
もはや私が生きているのではなく、キリストが私の内に生きておられるのです、とあります。


②日々、自分に死ぬ

「私の願いや思いはこうです。」と思う事は間違いではないです。
しかし、「主のみこころはどうでしょうか?」と祈る事は、とても大切です。
イエス様ご自身も「私の願うようにではなく、あなたのみこころのようになさって下さい。」と、
祈っておられます。

私たちは、時として犠牲を払わなければならない事もあるかも知れません。そして失うこともあるかも
知れません。
しかし、失うことによって得る恵みもあります。失うことによる恵みが大きいかも知れません。
私たちの肉は、難しく考えたり、律法的になったり、壁を作り、神様の働きを止めてしまう事があります。
また、自分の思いや考えを押し通そうとするなら、神様は決して働く事が出来ませんし、用いることも出来ません。

意外と自分の姿には気付かないことがありますが、聖霊様が気付かせてくださいます。
その時に、素直に従う者に神様の祝福があります。

また、思いこみが強く、自分の思いをしっかりと持っていると、自分の姿を知ることすら出来ません。
ですから聖書にある通り、砕かれた心、柔らかい心、鳩のように素直な心、また教えられやすい心をもって、
いつも心を開いて、主の御前に出る者となりたいです。

そうする時に、日々 自我に死ぬ者とされます。


③神様に全き信頼を置く者に、道を開いてくださる

神様は、しばしば試練を通して、いっさいを主に委ねる事を、分からせようとして下さいます。
しかし、私たちの気持ちを無視して 何かをすることはせずに、私たちが気付くようにしてくださいます。
じっと待ってくださるお方で、愛と忍耐の主です。

たとえ、自分の願い通りにならなくても、主は最善を成してくださるお方だと信頼し、委ねる時に
私たちが思っている以上の素晴らしい恵みを体験し、主の御業を見ることができます。

主に信頼する者は、失望させられることがありません。
そして、私たちは「自分が信じている方を知っています。」と告白することができます。


【Ⅰテサロニケ4章3節】

【ローマ12章2節】

どんなに素晴らしい神様のメッセージを聞いたとしても、古い革袋に入れるならば
恵みとして残らずに、どんどん漏れてしまいます。

「古い革袋」とは、生まれながらの性質そのものであり、「新しい革袋」とは、考え方を変えることです。

新しい革袋に入れて、恵みが漏れないように気をつけなければなりません。
つまり、≪自分の生き方を変える≫ ということです。


④神様に従順する時に、私たちが歩むべき小道へと導いてくださる

【ヨブ記23章8-10節】

試練の道、涙の道、曲がりくねった道、先が見通せない道・・・どんな道も知ってくださっています。
私たちの歩む道もすべて主が知って下さっています。

なんと幸いなことでしょうか。

【イザヤ書43章2節】

私たちは、神様が遠くに感じてしまう時や、孤独を感じる時こそ、主は最も近くにいてくださいます。

【詩篇142編3節】

【詩篇138編7節】

主のみことばの約束は満ちています。

盲目のテノール歌手・新垣勉氏

皆さんは この方をご存知でしょうか?
アメリカ人の父と、日本人の母との間から生まれてすぐに、助産婦の手違いで、
目に劇薬を入れられて失明しました。
その後 両親が離婚し、彼は父を恨み、中学生の時に自殺をはかりました。
しかし、その時にラジオから流れて来た賛美歌を聴いて 教会へと導かれました。
牧師との温かい交わりの中で、そこで彼はイエス様に出会い、そして信じました。
その後、様々な良き出会いを通じて、テノール歌手として多くの人々に生きる希望を与えておられます。

彼の名言:  ナンバーワンにならなくても良い。オンリーワン。(自分にしか出来ない生き方)
SMAPの「世界に一つだけの花」は、新垣勉氏の「オンリーワン」から出来た歌だと言われています。


私たちも世界に一つしかない花です。
私たちにしか出来ない生き方を、主は用意してくださっています。

他人と比べる必要はありません。
また、(自分に)無いものを捜すのではなく、与えられているものに感謝する者は幸いです。
私たちの内に働く力によって、私たちが願い、想いを超えて豊かに恵みを注いでくださる主です。

【詩篇143編8節】

【エレミヤ書10章23節】

【箴言3章6節】

【イザヤ書30章21節】

【Ⅰ列王記13章】

Ⅰ列王記13章には、騙されて神様のみこころから離れてしまった人のことが書かれています。

みこころを求め、神とともに歩む時に主が用意してくださった小道へと導かれます。
自分が何かをしようとするのではなく、いっさいを成し遂げて下さる主に明け渡して、信頼し
主が与えてくださる小道を真っ直ぐに歩みたいものです。

私たちがこの地上で生きている間、誘惑もあると思います。また、惑わされることもあるでしょう。
しかし、みことばをしっかり心に蓄えて、内におられる聖霊様に導かれて右にも左にもそれず
私たち1人1人に与えられている小道を歩んで行く者になりたいと思います。

命に至る道は、細く狭いとありますが、主の小道は 「天国へと通じる道」 です。

自分の将来も計画も主に委ね、自我を十字架につけ、信頼し従順する者に、
神様のみこころの道を歩むことの喜びと祝福があります。

主は1人1人の歩むべき道、最善の道を知ってくださっています。

大切なことは、何かをしてきたか ではなく、どのように主に仕えてきたか ではないでしょうか。

聖霊様に導かれ、日々自我を十字架につけ、
御心を求めながら 主が用意してくださっている それぞれの小道を歩んでいきましょう。 ( ̄‥ ̄)=3

2013.5.26
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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聖霊とその働きとは?

テーマは『 聖霊とその働きについて 』です

【ヨハネの福音書14章16-17節、26節】

聖霊様はどのようなお方でしょうか?
聖霊様はイエス様が遣わしてくださった助け主です。

【ヨハネの福音書16章7節】

聖霊様が来てくださったことは、私たちに益であります。
助け主というのは、英語で言うならばカウンセラーです。

しかも聖霊様はカウンセラー以上のものです。
イエス様が「いつもあなたたちと共におられる」ということを理解しやすくするには、
選手とコーチの関係をイメージすると良いと思います。

選手とコーチはいつも一緒です。
例えば、フィギュアスケートならば、コーチは必ず選手の傍にいて(リンクで演技をする前にも)助言をし、
演技が終わったらコーチの元に来ます。
コーチは厳しく色々なことを教えます。いつも共にいながらその人の働き1つ1つ、間違えたところを教え、
直しながら技術を教えます。そして1人の選手を育てていきます。
良い選手は、良いコーチなしに誕生することはないです。


聖霊様は、人格を持っておられる方です。ロボットではないです。
人格を持っている方で私たちの傍にいて、私たちを助け、時には慰め合い、
時には教え、時には叱責を与えて、私たち人間を造り直してくださいます。

これが助け主・聖霊様であります。

1人の人間として成長していくには、自分に教えるコーチである聖霊様がいなければ難しいです。

どんなに才能がある選手でも、自分の力以上のことは1人ではできないです。

旧約時代にも聖霊様が働きました。旧約の聖霊様はいつも共におられるわけではないです。
聖霊様が来たり帰ったり離れたりします。

それは、サウロ王を見るとよくわかります。
油注ぎを与える時に神の霊が強く働きました。しかし、彼が罪を犯したときに聖霊が去り、
悪霊が入りとんでもないものになりました。

旧約時代は必要な時だけ聖霊様が来て働き、そして去っていきましたが、
新約時代には、イエス様が「いつもあなたと共にいます。」と語りました。

そうすると例えば私たちが罪を犯した時、旧約時代のように罪を犯しても悔い改めをしないならば、
聖霊様が(私たちに)働くでしょうか――?
そうではないです。
聖霊様は離れないです。しかし、聖霊様が悲しみます。


【エペソ4章30節】

私たちが罪を犯したり、自分勝手に生きる時に、共におられる聖霊様は悲しみます。
コーチ(聖霊様)の言う事をまったく聞かないです。

聖霊様の心はとても悲しみますが離れないです。
なぜ離れないのかというと、私たちがイエス様の十字架の血によって贖われた者ですので、
イエス様を見て離れないのです。しかし喜びながらではなく、悲しみながら共におります。

救いが完成されるのはイエス様が来られた時です。つまり再臨の時であります。
再臨された時に、聖霊様が保障をするのです。
「この者は罪人でありましたが、キリストを信じて  キリストの血によって贖われた者なのです。」と、
私たちの傍に立って聖霊様が(私たちが)救われていることを保障する大切な役割をしてくださるのに、
私たちが聖霊様を悲しませるならば、聖霊様はどのような思いになるでしょう?

自分の命の保障ために聖霊様がおられるのに、言う事を聞かないで、
ずっと聖霊様に涙を流させ、(私たちが地上を離れる時に)聖霊様が「ずっとこの者はわたしを
悲しませました。」と言うならば、それを聞く父なる神様はどのように思われるでしょうか。

ですから私たちにとって、いなくてはならない聖霊様を悲しませてはいけないです。


また、聖霊様は真理の御霊で、私たちを真理に導いてくださるお方です。

【ヨハネの福音書16章13節】

聖書を教える先生です。なぜなら聖書は神の霊感によって書かれたものだからです。
ですから聖霊様が書いたものでありますので、正しく教えることができます。

【ヨハネの福音書8章32節】(ある韓国牧師の証の中より)

聖霊様はただ聖書の言葉を教えるのではないです。
みことばを悟って、生活の中で適応していかないと、みことばの意味がないです。

人間は色々なものに縛られています。その為、神様の中にいても不自由なのです。
みことばの真理を味わって悟るならば、その人はその言葉を繰り返し思いを持ちながら
行動や言葉、生活の中に出てきます。

行動とみことばを別々にするならば、それはまだみことばを悟っていないです。
知識だけ、情報だけのものであります。
聖霊様が悟らせ教えてくださると、私たちは生活の中で出来るようになります。

私たちがみことばを読む時には、聖霊様に「私が聖書を理解できますように。
悟ることができますように。生活の中で適応できますように教えてください。」と祈ることです。


【ヨハネの福音書14章26節】

私たちは生きている時に色々な問題に出会います。
どのように解決をしたら良いかわからないので、答え(解決する方法)が欲しいのです。

その時に聖書をあちらこちらを開き(解決する答えを)探します。
そしてなかなかみことばが見付からない時は、祈ってみてください。
すると以前に聞いたみことばが思い出されてきます。これは聖霊様が私たちにそのように
させてくださるのです。

聖霊様は生かす霊であり、宣教の霊であります。
聖霊様は必ず死んだ者を生かす霊であります。

死んだ者も生かしますが、また弱い者も生かす働きもするのです。
イエス様と共に3年間いても弟子たちの姿はとても弱かったです。人間の顔色をうかがったり、
不安がったり、失敗が多かったり、勝手な思いもありました。
イエス様が地上から離れる時もその姿が変わっていませんでした。

しかし、聖霊が五旬節で降った時に弟子たちの変化は驚くほどでした。
聖霊が降った時に神様の言葉がありました。「聖霊があなたたちに降ると、力が与えられます。」
この力が生かす霊であります。


【エゼキエル書37章2節】

谷間にたくさんの干からびた骨がありました。それは死んだ人の骨であります。
預言者が「これは生き返ると思うのか?」  これは人間の目から見たら不可能であります。
「骨に預言せよ。」と言いました。すると主が預言した通りに干からびた骨が立ちあがり、肉が付いて
息を吹き込んだ時に生きた者になりました。これは人間の姿であります。

聖霊を受けていない姿が干からびた骨と同じであります。そこに命がないです。
しかしその命がないところに聖霊様が降った時に命が生まれました。

ですから、聖霊が臨むと死んだ者が生き返るのです。それは魂だけではないです。
みなさんの家庭が死んだような状態であるならば、「あぁ、ダメだ。この家に帰りたくない。」ではなく、
家の中で「ここに命よ、溢れよ。聖霊様、この死んだ家庭を生き返らせてください。」と命じることであります。

「神様、死んだ職場を生かしてください。」、「死んだ私の心を生かしてください。」
そこに聖霊様の力が注がれます。


【ゼカリヤ書4章6節】

聖霊様の力の大切さを教えています。人間の力だけでどんな働きができるのでしょうか?

いつも聖霊に満たされてどんどんアップグレードしていく(容量を大きくしパワーを付ける)ことであります。
そうすると色々な働きができるようになります。


【Ⅰテサロニケ5章19節】

弟子たちが聖霊を受けた時に、火のような聖霊が降りました。
(聖霊を)消すということは、その「火」を消すことであります。
私たちはその火を燃やしていかなければならなく、燃やしていくのがアップグレードすることです。
しかし聖霊様を無視するならば、共におられる聖霊様なのにまるで共におられないようにするならば
聖霊様に向かって「引っ込んでいなさい。口を挿(はさ)まないでください。」と言っていることであります。

聖霊様は導こうとするのに、言うことを聞かないなら、「聖霊の火」を消すことです。
これは私たちに1つも良いことがないです。

私たちの人生を輝かせようとしているのに、自分の欲や計画が強すぎて、いつも導きに対して
無視をしています。

そして罪を犯しても悔い改めないので悲しませています。

私たちは聖霊様の人格を認め、世の中で一番素晴らしいコーチが来てくださったので
常に教えていただくことです。自分が改め正す部分を他人ではなく、聖霊様に聞くのです。

「立派な選手として実を結ぶために私をコーチしてください。自分の力では出来ません」と
このように祈るならば、聖霊様は知恵や すべてのものを用いて私たちを変えてくださいます。

自分のやり方でするならば、その人たちは立派な者には絶対なれないです。

私たちはいつも聖霊様を歓迎し 導きを受け、そして聖霊の賜物も自分が働くための大事な道具で
ありますので、それも求めながら日々聖霊を求めましょう。

聖霊様はとても喜んで聞いてくださると思います。その人の手足となって教えてくださると思います。

日々、聖霊様と仲良くしましょう。 (⌒-⌒)b

2013.5.19
ペンテコステ・聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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証人になります

テーマは『わたしの証人となります』 です

【使徒の働き1章8-9節】

ほとんどの人は「聖霊があなたがた~力を受けます。」に関心があり日々そのことを祈りますが、
「わたしの証人となります。」には関心がいかないです。「私には無関係です。」と言います。
それは、証人とはどういうものなのかを知らないので言う言葉であります。

証人は自分の努力や力ではできないです。
証人とは、先生でもなく誰かを教えるのでもなく、自分が努力してなるわけでもないです。
証人とは、自分が体験したことをそのまま語ることです。
自分がイエス様に出会って体験したことを語ることであります。

私たちは本を通しても知識を得ることができます。
しかし本を通して得た知識を語る人と、自分が実際に経験して得たことを語る人とでは次元が違います。

証人はイエス様を直接体験した人であります。

【使徒の働き4章20節】

十二弟子に対して、祭司たちが「語るな」と止めましたが、それに対して十二弟子が語った言葉です。 

「弟子たちはイエス様の近くで直接奇跡を見たので、彼らは証人になっても
2000年以上も前のことを、私は直接イエス様に出会ったこともないし聞いたこともないから、
私は証人にはなれません。」 こういう話ではないです。

イエス様は聖霊を送ってくださいました。「聖霊様が下ると、自然とあなたがたは証人になります。」
なぜなら、聖霊様は今も生きて 私たちの内側で働いてイエス様を体験できるようにしてくださいます。
みことばを体験できるようになります。今も昔も変わりがないです。
私たちもイエス様を体験したでしょう? 目でイエス様の姿を見たから信じた人は誰もいないです。

みことばを聞いて、(ある時には)感動が出てきます。みことばを聞いて、悔い改めの心が出てきます。

自分が救われた時、急に涙が出た人達がいます。
それは悲しくて泣く涙ではなく、自分でも何で泣くのかわからないです。
それは聖霊様が触れてくださっているからです。
私たちはその方(聖霊様)のことを知らないのですが、
聖霊様によらなければ、私たちは神様を体験することはできないです。

(聖書の)文字を読んで「信じる」と言った人と、自分で(神様を)体験した人では違うのです。
その時から聖霊様の力が働きますので、みことばを読んだ時に昔話には聞こえないです。
今の言葉として自分の心に落ちてきます。
私はイエス様を信じてもそんな経験が無いんだという人は自分の救いを疑わなければならないです。
「本当に私は生まれ変わったのか?」と。

伝道するから証人ということではないです。知識だけで語るなら(相手は)何も感じることができないです。

私たちはキリストの証人であって、自分の証人ではないです。
誰かに話をする時は、自分の話ではなく、キリストの話をするのが証人であります。
イエス様が重要であり、自分達は重要ではないです。
私たちは死ぬ時まで、キリストの証人にならなければいけないです。
そして証人が証言を変えてはいけないです。正しく語り続けなければならないです。

時には命をかけなければならないです。
今は全世界でクリスチャンがものすごく迫害をされています。
昔は日本でクリスチャンが迫害されてキリストのことを語る者がいれば殺されていました。
それが今は世界中で起こっています。

特にアフリカと中東ではひどいです。イスラム教がどんどん勢力を広げています。
そして政権をイスラム教が握っています。
しかし、それは(今の)クリスチャンのせいでもあります。クリスチャン達が証人にならなかったからです。
信仰があまりにも弱いです。
イスラム教が増えたのは、彼らはとても大胆で、ある意味では証人であるからです。
命をかけて働きをします。そのようにサタンがどんどん奪い取っていきます。

日本でも他の宗教は勢力を増してきています。その人達は団結して働いています。
クリスチャンは「自分は忙しい」と、自分とは関係のないことだと思っています。

中国でも地下教会で行うのは命がけです。中国では「復活」や「王の王、主の主」とも語ってはいけないです。
そして捕まると裁かれます。証人(殉教者)の思いがないとできないです。

「キリストに出会って私はこういう風に変わりました」と、自分が変わったことを人々に堂々と語る言葉は
命をかけないとできないです。

自分が非難され、脅迫が来て、そんなことをしたら殺してやると言われても(はっきりNo!と、)
クリスチャンとしての方法を言える。こういう人達のように私たちもならなければならないです。

ネヘミヤは苦労しならが長い間働きをする者であります。彼からとても学ぶことが多いです。
命をかけているのでビクともしないです。
私たちの信仰が成長していくためには、聖書に出てくる立派に働きをした人たちが目標にならなければ
ならないです。

私たちは今、何に命をかけているでしょうか?
イエス様より大事に思っているものを、イエス様の隣に置いてみてください。
それほどの価値が(それには)あるでしょうか?
自分の計画がイエス様と交換できるほどのものでしょうか。
お金だとしたら、お金が天国へ連れて行ってくれるのでしょうか。

証人の人生は、聖霊様に導かれる人生であります。聖霊様に導かれないと証人にはなれないです。
(自分の計画ではなく)いつでも聖霊様に全ての主権を求めて、
そして聖霊様の導きがあるならばどこに行っても証人としての働きをします。
聖霊様に導かれる事は、一番素晴らしいことであります。(仕方なくやるのではないです)

聖霊様が(自分の)先を行って道を開いてくださる、これほど素晴らしいことはないです。
証人は神様がやりなさいと言う時に、「出来ません」と言うことはないです。
神様の力を受けて従って行動をします。

今、やっていることが神様が喜んでくださるのかを計算しなければならないです。

常に悔い改めが必要です。
真理の中に留まるために、(悔い改めることによって)ズレている部分を元に戻します。

キリストの証人になるには、キリストを直接体験し、聖霊様を体験し、言葉ではっきりと人々に詳しく伝えます。
偉そうな言葉ではなく、親切な言葉で相手に尊敬をもって丁寧に語る時に相手は心を開いてくれます。
また、あまりにも真面目だと相手は引いてしまうので、神様に知恵を求めます。
「生真面目に」とは聖書には書いていないですね。

<今週の目標>

【キリストの証人として働いてください。知り合いなど誰でも、メールでも良いので伝えてください。】

2012.8.19
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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