からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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聖霊充満

水のバプテスマと聖霊のバプテスマ

テーマは 『 水のバプテスマと聖霊のバプテスマ 』 です

【使徒の働き19章1-7節】

アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、

「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らは、「いいえ。聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした。」と答えた。

「では、どんなバプテスマを受けたのですか」と言うと、「ヨハネのバプテスマです」と答えた。

そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです」と言った。

これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。

パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。

その人々は、みなで十二人ほどであった。

今日は聖霊が下ったペンテコステの日です。

イエス様は復活してから天に上る前に、弟子たちに “一つの命令” と “一つの約束” を与えました。

“命令”は次の箇所です。


【使徒の働き1章4節】

「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。

そして “約束”は次の箇所です。


【使徒の働き1章5節】

ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」

これらを聞いた弟子たちはエルサレムを離れないで、聖霊を受けるために祈りながら待ちました。

そしてペテコステの日に彼らに聖霊が激しく臨みました。


弟子たちにとっても初体験で、彼らは聖霊に満たされ、異言を語ったり 預言したりと、聖霊によって新しい者に生まれ変わりました。

弟子たちのことばや行動を見ると、以前の弟子たちの姿ではありませんでした。


彼らを変えたのは聖霊でした。

彼らも以前、ヨハネから水のバプテスマを受けました。


そしてペンテコステの日に聖霊のバプテスマも受けました。




ヨハネのバプテスマとは




この“バプテスマ” は皆さんも、世の人々も知っている水の洗礼です。


ヨハネはイエス様よりも先に来られ、主のための道を準備した人物でした。

その時、ユダヤ全地域の人々は、ヨハネが水のバプテスマを授けているヨルダン川に来て、自分の罪を告白してヨハネから水のバプテスマを受けました。


その時ヨハネは、人々に次のように話しました。


【マタイの福音書3章11節】

私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。

ここでも水のバプテスマと聖霊のバプテスマが全く違うことと、両方のバプテスマが必要であることが明白です。


“水のバプテスマを受けたから、天国に行く切符を手に入れた” と喜ぶのは間違いです。


もう一つのバプテスマが、もっと重要です。
これなしに天国に入ることは難しいです。


パウロがエペソの弟子たちに会った時に、なぜいきなり「信じた時、聖霊を受けましたか。」と質問したでしょうか。

それは聖霊を受けた証拠が、本当に生まれ変わったことを証明するのに不可欠であったからです。


【ローマ8章9節】

けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。

パウロの質問は「信じた時に聖霊の臨在を体験しましたか。」という意味でもあります。


ペンテコステの日に集まっていた120人全員が聖霊の臨在を体験したので、彼らは自分たちが聖霊のバプテスマを受けたことを明確に知りました。

私自身も聖霊の臨在を体験したので、自分が聖霊のバプテスマを受けたことを知りました。


受けた人ならばそれが何かわかります。

臨在の体験は それぞれ違いますが、臨在を体験すると自分が変わったことが分かります。


心がまるで入れ替わった感じがして、以前と同じ心ではないです。



パウロは、エペソの弟子たちのことばや行動を見て、彼らが聖霊充満でないことを感じたと思います。


それで質問した時に、彼らは「いいえ。聖霊の与えられることは聞きもしませんでした。」と答えました。


パウロや主の弟子たちが福音を伝える所では、皆が水のバプテスマと聖霊のバプテスマを受けていましたが、なぜエペソの弟子たちは聖霊のバプテスマを知らなかったのでしょうか。

それには理由がありました。


彼らはパウロから福音を聞いて信じたのではなく、アポロという人から福音を聞きました。


【使徒の働き18章24ー25節】

さて、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。

この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。

これが原因でした。

ですから彼らは水のバプテスマしか受けていなかったのです。


今も世界のある教会では同じことが行われています。

水のバプテスマは受けていますが、聖霊のバプテスマを受けていない信徒たちも多いです。


その人たちも聖霊のバプテスマを知らない指導者から福音を聞いたからです。

しかしそれでは不十分であることを主が語っておられます。


水のバプテスマの儀式は “自分の罪を告白してキリストを受け入れたことを象徴する行為” です。


しかし、水のバプテスマが救いを受ける条件でも 明確に救いを受けた証明になるわけでもないです。

それは、教会がその人の信仰告白を聞いて、その人を教会員として受け入れたという意味で行う儀式です。


水のバプテスマは、地上の教会を作る時に必要です。

教会の外にいる人と教会員との区別にもなります。


使徒たちも福音伝道と水のバプテスマを平行しながら教会を設立していきました。

人は水のバプテスマを受けることで 自分がクリスチャンになったことを認識しますし、教会員になったと実感します。


しかしこれだけで救われた、生まれ変わったとの証明にはならず、必ず聖霊のバプテスマが必要です。




聖霊のバプテスマとは




水のバプテスマが教会員になったと教会が認めるものならば、聖霊のバプテスマは 聖霊が(その人が)クリスチャンになったことを認めたと印を押すようなものです。


【第2コリント1章22節】

神はまた、確認の印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました。

聖霊のバプテスマを受けた人は、罪が赦されただけではなく、サタンの支配下にいた古い人は死んでキリストの中で新しく生まれ変わったことを体験した人です。


これによってその人はキリストと一つになり、キリストの支配下にいます。


水のバプテスマを受けた人の中にもクリスチャンではない人もいます。

イエス様が語った天の御国のたとえに「麦と毒麦のたとえ」がありますが、麦は真のクリスチャン、毒麦は教会の中にいるクリスチャンに見えてもそうでない人のことです。


ヨハネが水のバプテスマを授けていた時に、大勢のパリサイ人やサドカイ人たちがバプテスマを受けに来ました。


彼らを見てヨハネは次のように語りました。


【マタイの福音書3章7-8節】

「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。

それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。

このように厳しく言いました。

心からの悔い改めもなく、儀式や形を重んじる彼らは 皆が受ける水のバプテスマを受けずにはおられなかったです。

それをヨハネは見抜きました。


このようなクリスチャンが多いです。

洗礼は受けましたが、悔い改めにふさわしい実もなく、古い人のまま生きる人、主から離れた人も大勢います。


しかし本当に悔い改めて主を信じ、また聖霊のバプテスマを受けた人たちは、彼らとは明らかに違います。

たとえ主から “離れなさい” と言われても、彼らは離れることが出来ません。


なぜなら聖霊の印が心に押されていて、聖霊がその人の中に住んでいるからです。


聖霊を追い出して以前の状態に戻ることなど考えられないです。


「自分が聖霊のバプテスマを受けたかどうかは、どうやって分かりますか?」と知りたい人もいると思います。


特別に神秘的な聖霊の臨在を体験してなくても、主を愛し、主を自分の救い主として信じ、自分が変わったならば、その人は聖霊のバプテスマを受けた人です。


主から離れて生きることが出来ない人は、聖霊のバプテスマを受けた人です。


イエス様も水のバプテスマと聖霊のバプテスマを受けました。

それは私たちにその2つが必要であることを教える目的もありました。


【ヨハネの福音書3章5-6節】

イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。

肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。

聖霊のバプテスマを受けた人は、常に力に満ちた生活をするために聖霊に満たされることです。


聖霊は力を与えて、私たちを助けて下さいますし、賜物も与えて主の働きが出来るようにして下さいます。

日々聖霊に満たされ、聖霊の導きの中で生きる人は、安定した信仰生活が出来ます。


聖霊の助けなしにみことばだけでは弱いです。


みことばだけで大丈夫だと思う人は神に頼らない人です。


主のことば通り聖霊を受けて、聖霊と共に歩む人が力を受けて実を結ぶことが出来ます。
.。゚+.(・∀・)゚+.゚


2016.5.15
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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聖霊に満たされるためには

テーマは 『  聖霊に満たされるためには 』 です

【使徒の働き11章24節】

彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大ぜいの人が主に導かれた。

「使徒の働き」を読むと 主の十二弟子以外にも多くの弟子たちが素晴らしい活動をしたことが記録されてあります。

彼らは十二弟子と変わらない多くの働きをしました。


バルナバは、主の弟子になり、後に偉大な使徒になるパウロを最初に助けた人でもありました。

彼は多くの人々を主の弟子にしました。


それはイエス様から次のように言われた通りの働きをしたことを意味します。


【マタイの福音書28章19節】

それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。

立派な働きをした弟子たちに共通するものは、聖霊と信仰に満ちた姿でした。


聖霊充満な人は信仰充満な人です。
信仰充満な人は聖霊充満な人です。


信仰がない人は 弟子にはなれませんし、弟子を作ることも出来ません。

そして信仰のない人を神様が用いることもありません。


主の弟子になり、弟子を作る人たちは聖霊充満な人たちです。


聖霊に満たされないと、自分の知恵や力、自分の思いで働くので 神様が喜ぶ働きも勝利の信仰生活も出来ません。


ですから神様は、私たちに “聖霊に満たされなさい” と命じました。


聖霊は、神様が遣わして下さった神の霊です。

私たちを助け、私たちが勝利ある信仰生活が出来るように、また聖霊の力を受けて立派な働きが出来るように助けて下さいます。


信仰生活のために聖霊を受けることは当然です。

聖霊を拒否することは、神を拒否することと同じです。


神を拒否しながら どのような信仰生活を送りますか?

それは むなしい信仰生活で、自己満足に過ぎないので 神とは関係がありません。


聖霊を受けた使徒や弟子たちの働きは、すなわち聖霊による働きでした。
聖霊なしには不可能な働きです。


ですから「使徒の働き」の中に “聖霊” という言葉がたくさん書かれています。

「使徒の働き」を読みながらチェックしてみて下さい。


彼らはどのようにして聖霊に満たされたのでしょうか?

―― 聖霊に関して主が命じた言葉に彼らが従順したので 聖霊に満たされました。


主が聖霊に関して命じたことは何でしょうか。




聖霊を受けなさい





【ヨハネの福音書20章22節】

そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。

聖霊は主の霊ですから、もし私たちが主の霊を受けないと、私たちは主の者ではありません。自分の中に聖霊を受け入れることで、聖霊が自分の心の中に住みます。



【第1コリント3章16節】

あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。

そしてイエス様は次のようにも語りました。


【使徒の働き1章8節】

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

弟子となり キリストの証人になるためには聖霊なしでは不可能です。


ですから聖霊は主のことば通り、必ず受けなければなりません。




御霊を消してはなりません




このことばは次の箇所にもあります。


【第1テサロニケ5章19節】

御霊を消してはなりません。

聖霊を消すことは、その指導を受けることを拒否し、聖書に明確に示された神のみこころに従わないで、それに逆らうことです。


御霊を消してしまうと どのような状態になるでしょうか?


1人の人物を通して 変わっていく状態を調べてみます。

イスラエルの初代王であるサウルは、当時の預言者サムエルを通して神のことばを受けました。


【第1サムエル記10章6節】

主の霊があなたの上に激しく下ると、あなたも彼らといっしょに預言して、あなたは新しい人に変えられます。

そして、すべてのことが言葉通りにサウルに起こりました。


彼は聖霊に満たされ、新しい人となり、力を受けてイスラエルの初代王になりました。

神は彼の力になって下さり、王としての働きが始まりました。


しかし しばらく経たないうちに、彼が神を求めず、人間的な思いを優先にして、神の命令を知っていながらも従わず 不従順しました。

それも1度だけではなく、度重なる彼の不従順に聖霊は彼から離れていきました。


すると悪霊がチャンスを得て、彼の心を完全に支配し、その時から彼は悩まされ、ますます悪を行う者になっていきました。

聖霊を消すことは、悪霊を自分の中に招くことになります。


人間は霊的存在なので、肉体だけで生きることは出来ないです。

聖霊に支配されるか、悪霊に支配されるか どちらかです。


聖霊に逆らいながら 聖霊充満を求めること自体間違えています。

聖霊を消す人に、聖霊充満はありえないことです。


そして聖霊と常に人格的な交わりをせず、空気の存在のように無視したり、交わりをしないと それも聖霊を消すことになります。




聖霊を悲しませてはいけません





【エペソ4章30節】

神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。

聖霊を悲しませる行為は 罪から離れず、悪いことを行うことです。


聖霊は私たちを助け、私たちが多くの良いわざを行うことを願っているのに、私たちが良いことをせず、悪いことばかりを行うならば聖霊は悲しみます。

それは聖霊との関係を壊すことになります。


罪は聖霊を悲しませる最も大きな原因になります。


聖霊は罪から離れない人とは交わりが出来ません。


聖霊を悲しませると、だんだん罪が神との間に仕切りを造り、関係が悪くなり、祈りは聞かれなくなります。


ですから聖霊に満たされたいならば、罪を悔い改めて、悪から離れ、聖霊との関係を良くしなければなりません。




御霊によって歩みなさい





【ガラテヤ5章16節】

私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。


【ガラテヤ5章25節】

もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。

御霊によって歩むことは、御霊に従順し、すべての罪を悔い改め、聖書にある主の命令に従順して生きることです。


生活全般において常に聖霊と共に歩みながら、聖霊のことばに従うと、他の肉の思いが心を支配することがないので、心の中はいつも聖霊の思いで満たされるようになります。


試合を控えた選手は、コーチや監督のことばには絶対的従順が要求されます。

もし言うことを聞かないならば、その選手はレギュラーから外されるか、試合に出ても負けます。


選手は良い成績を残すためにコーチの指導に全て従います。

どんなに過酷な訓練や暴言に 泣きながらもずっと耐えます。


人間に対しても そのように寄り添って歩むならば、自分のいのちの主、自分の人生を勝利に導こうとする聖霊によって歩むことは なおさら必要なことです。


私たちが本気で聖霊に満たされたいと願うならば、これらの条件を満たしていかなければなりません。

ある瞬間だけではなく、ずっとそれを継続していく時に、その人は聖霊充満な人になります。


その人は日々の生活で聖霊に導かれて歩みますし、主の弟子になりますし、主の弟子を作る人にもなります。

皆さんもこのようにして聖霊充満な人になりますように主の御名によってお祈りします。
(´・ω・`)


2015.12.13
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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使徒パウロの同労者

テーマは『 使徒パウロの同労者 』です

【ローマ16章1-7節】

ケンクレヤにある教会の執事で、私たちの姉妹であるフィベを、あなたがたに推薦します。

どうぞ、聖徒にふさわしいかたで、主にあってこの人を歓迎し、あなたがたの助けを必要とすることは、どんなことでも助けてあげてください。この人は、多くの人を助け、また私自身をも助けてくれた人です。

キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。

この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。

またその家の教会によろしく伝えてください。私の愛するエパネトによろしく。この人はアジヤでキリストを信じた最初の人です。

あなたがたのために非常に労苦したマリヤによろしく。

私の同国人で私といっしょに投獄されたことのある、アンドロニコとユニアスにもよろしく。この人々は使徒たちの間によく知られている人々で、また私より先にキリストにある者となったのです。

パウロは たくさんの働きをした人であることは、誰もが知っています。
彼は十二使徒たち以上の働きをし、偉大な人物でした。

しかし、どんなに偉大な人であっても、聖霊の力を受けた人であっても、1人ですべてをこなすことは出来ないです。

パウロの仕事の陰では、多くの人々の協力がありました。
すべて平信徒でした。この人たちはイエス様が働いたように働いた人々であります。

パウロの同労者には テモテ、バルナバ、ルカなどは聖書に度々出てきます。

今回は私たちがあまり聞き慣れていない名前ですが、その人たちのことを考えてみたいと思います。
パウロにとって とても大切な仲間たちであります。




【ローマ16章1節】

ケンクレヤにある教会の執事で、私たちの姉妹であるフィベを、あなたがたに推薦します。

≪フィベ≫… 女性の執事です。教会での執事は、信徒たちの中で一番働きが多い者であります。
神学校へ行くのが献身ではなく、執事と任命されるのは「教会であなたは主に一生懸命献身しなさい」ということです。
あらゆる仕事をして教会をたてていく者です。
パウロが「この人を推薦する」と言ったのは、それは「認められた人」ということです。
私たちは信用できない人を人々に推薦することはできないです。
また、パウロにとってフィベは、パウロが伝道で出て行くことが多かったですが、そのための経済的援助をしました。
惜しまずに神様の働きのためにパウロに捧げて助けました。他にも、困った人たちに対しても彼女は助けました。
とても親切で心の優しい者でした。

人を助ける人たちは、優しい人でないと助けることができないです。
自分のことしか関心がない人は、他人を助けることはしないです。
心優しい人は、他人に関心があり、愛があります。彼女はそのような者でした。
奉仕をする時も、お金だけを捧げて偉そうにしたのではなくて、一生懸命に仕事をし献身しました。
また、フィベは従順で みことば通りに動く人でした。
私たちはこのような姿を学ばなければならないです。




【ローマ16章3-4節】

キリスト・イエスにあって私の同労者であるプリスカとアクラによろしく伝えてください。

この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。

≪プリスカ とアクラ≫… 夫婦であります。「使徒の働き」の中にはこの人たちの姿が何度も出てきます。


【使徒の働き18章1-4節】

その後、パウロはアテネを去って、コリントへ行った。

ここで、アクラというポント生まれのユダヤ人およびその妻プリスキラに出会った。クラウデオ帝が、すべてのユダヤ人をローマから退去させるように命令したため、近ごろイタリヤから来ていたのである。パウロはふたりのところに行き、

自分も同業者であったので、その家に住んでいっしょに仕事をした。彼らの職業は天幕作りであった。

パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人とギリシヤ人を承服させようとした。

【使徒の働き18章24-28節】

さて、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。

この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。

彼は会堂で大胆に話し始めた。それを聞いていたプリスキラとアクラは、彼を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した。

そして、アポロがアカヤへ渡りたいと思っていたので、兄弟たちは彼を励まし、そこの弟子たちに、彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。彼はそこに着くと、すでに恵みによって信者になっていた人たちを大いに助けた。

彼は聖書によって、イエスがキリストであることを証明して、力強く、公然とユダヤ人たちを論破したからである。

プリスカとアクラは、パウロを招いて一緒に生活をしていました。
聖書の中で、一番理想的な夫婦の形は、この2人です。
夫婦が同じ神様を信じ、一緒に協力して素晴らしい働きをしました。

1年6ヵ月間パウロと生活をしました。その中でパウロは、夫婦に聖書のことをよく教えました。

そして、この家を解放して教会にしていました。この夫婦はパウロによって、みことば充満、聖霊充満になり
聖書の知識が多いアポロよりも この夫婦の方が霊の目が開かれていて彼より上でした。
アポロは知識だけでみことばを伝えましたが、彼に欠けているものを明確に知り、招き入れて聖霊によって働きをすることを教えました。

どれほどこの夫婦が、神様やパウロに献身的であったかは、パウロがコリントからエペソへ移動した時に、
この夫婦も引っ越し パウロについて行き、そこでもパウロを支えたことで分かります。


【ローマ16章4節】

この人たちは、自分のいのちの危険を冒して私のいのちを守ってくれたのです。この人たちには、私だけではなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。

命を懸けてパウロと共に働きをしました。これはすごいことです。たとえ命に関わることであっても、
逃げることをしませんでした。

神様の働き、すなわち霊的なことと肉のことを、私たちはハッキリと区別をしなければならないです。
私たちは生活をしていますので、色々なことがあります。
しかし問題に引っかかる度に「神様の働きを辞めたい。今はそんなことをしている場合ではない」となると、
その魂は死んでいきます。その(肉の)問題は自分で精一杯努力をして解決していくものであります。

神様の働きは変わらないです。
自分たちが生活をしていることを 全て神様の働きに引っかけて神様の働きを辞めていくならば、
サタンはいつでもその人に問題を与えるのです。完全に働きが出来ないようにし、信仰が離れていきます。

神様の働きがあるので、今まで守られてきたのです。
「神様の働きは絶対に辞めることができません。ですので、色々な邪魔をする問題を早く解決してください。」と神様に助けを求めるのが良いです。
神様の働きを辞めたら楽になるということは絶対にありません。辞めると神様の助けがなくなります。

プリスカとアクラはパウロを守る為に自分たちが前に立っているのです。
このような人たちが 神様が祝福する人であります。

自分たちの家で礼拝をすることは、神様の恵みなのです。
私たちクリスチャンは何が一番大切かと言うと、霊的祝福ほど大切なものはないです。
それはいつまでも残るものです。
私たちはいつまでも残るものを手にしていなければ、ラオデキヤ教会のような霊的姿になります。




【ローマ16章5節】

またその家の教会によろしく伝えてください。私の愛するエパネトによろしく。この人はアジヤでキリストを信じた最初の人です。

≪エパネト≫… 性別は分かりませんが、パウロがアジヤで伝道をして最初に信じた人です。
パウロの心にすごく残っている人物です。

しかし、それだけではないです。なぜここで、この人を語るのでしょうか―?

この人は救われただけではなくて、その後 立派な働き人になったからです。これはとても大切であります。
救いを受けても その後はどのようになっているのか分からない人が、世の中には大勢います。

しかし、救われたその時から信仰が成長して 神様の働き人になることは一番理想的であります。
救われた人が熱心に働くほど、主のしもべたちを喜ばせる姿はないです。




【ローマ16章6節】

あなたがたのために非常に労苦したマリヤによろしく。

≪マリヤ≫… 名前通り女性であります。信徒たちのために非常に労苦をしました。
熱心に自分の身体をもって奉仕をしました。旅人をもてなし、人々に食事の用意をし、苦しんでいる者を慰め、
お祈りをし、常に生活そのものが教会と信徒たちに関心があって生活をしてきました。

自分を犠牲にした立派な姿であります。このような人達がパウロを支えていました。




【ローマ16章7節】

私の同国人で私といっしょに投獄されたことのある、アンドロニコとユニアスにもよろしく。この人々は使徒たちの間によく知られている人々で、また私より先にキリストにある者となったのです。

≪アンドロニコ とユニアス≫… ユダヤ人です。祈りと霊的戦いにおいてパウロのパートナーであります。
異邦人は全て偶像崇拝をしていますので、そこで福音を伝えると当然のように迫害を受けるのです。
ですから先頭に立って、パウロと一緒に捕らえられた者たちであります。
教会の奉仕には色々な戦いがありますが、このように霊的戦いを共にする人もすごく必要です。
とりなしの祈り、戦いの祈り、一緒に出て行って闘う働きをシラス、バルナバ、ルカ、マルコもこのような働きをしました。

ですから一緒に捕らえられて牢の中に入れられたこともたくさんありました。
自分たちの生活があるにも関わらず先頭に立っていました。

天国へ行った時にパウロだけ祝福をたくさん与えて、この人たちには祝福を少しだけ与えるということはないです。
神様の目から見たら同じなのです。名前の問題ではないです。
「使徒だから」、「平信徒だから」ではなく、命を懸けて働く姿は同じ姿であります。
パウロはそれを知っている者でした。




牧師であるのに仕事をしない。
牧師であるのに何もしない、遊んでばかり、寝てばかり、聖書も読まない、祈りもしない。
そのようは人たちもいるのです。

また、信徒だからといって「別に私たちはしなくて良い」と言って寝ている人、何もせず逃げてばかりいる、
このような人は神様はどのように見ているでしょうか―。
怠け者、使命を果たさない者、自分のタラントを土に埋めた者、自分の教会が苦しんでいるのに関心もない者です。


パウロは次のように語ります。

ローマ16章19-20節

あなたがたの従順はすべての人に知られているので、私はあなたがたのことを喜んでいます。しかし、私は、あなたがたが善にはさとく、悪にはうとくあってほしい、と望んでいます。

平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。

これからも良い働きに励みなさいということであります。
今している働きは素晴らしい働きだからと高慢になってはいけないです。
過去のことを人前で誇って、働きをしなくなるのはいけない と、これからも良いことをし続けなさいと言っています。
悪に無関心になることが良いとパウロが語っています。

私たちがサタンに「出て行け」と言うから、サタンが私たちの言葉を恐れて出て行くのではなく、
私たちが従順して主が喜ぶ働きをずっとしていくと、神様がそれらのものを踏みつけてくださるのです。
サタンは私たちの力で踏まれるのではなくて、主が私たちを通して働きをしてくださるので踏みつけられるのです。

踏みつけられるということは、サタンが私たちを倒すことができないということであります。

立派に献身して働く人たちに サタンはどうすることもできないです。その人と神様の関係が平和です。

神様がその人を尊く用いてくださるのです。

今、使徒パウロは ここにはいませんが、聖霊様が働いておられます。
私たちは聖霊様の同労者にならなければならないです。
そして牧師や信徒たちが一緒に働きます。一緒に働くことで、一緒に良いものを神様から受けるようになります。

信徒と一緒に心を痛める事、教会に問題がある時に一緒に祈ること、問題がある信徒と一緒に祈ることなど
協力して初めて良い働きが出来るのであって、1人で全部しなさいと言ったら絶対に無理であります。

それを私たちは みことばを通して、いつか神様の御前に立った時に報いを受ける人になってほしいです。
今、振り返ってみると、あの時に神様から離れないで献身して一生懸命働いたことを良かったと思う日が必ず来ると思います。 (^∀^)

2013.9.22
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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霊的スランプとは?

テーマは 『 霊的スランプについて 』 です

【マタイの福音書14章22-33節】

2つの弟子たちの姿を見て、イエス様が言葉を語りました。
1つは、イエス様が湖の上を歩いている姿を見て「あれは幽霊だ」と言って、
12人の弟子たちが叫び声を上げました。
もう1つは、ペテロが水の上を歩いて、そして波を見て怖くなり沈みかけました。
イエス様がその時に語った言葉は 「 信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。 」 でした。

また 「 しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。 」 と語りましたが、
この2つの言葉を私たちが聞くと、その人たちの霊的状態がはっきりと見えてきます。

私たちはいつ霊的スランプに陥るのでしょうか?
本文の弟子たちは苦難があり不安になりました。
私たちの心は、苦難が来た時に 「 何で(苦難が)来たの?! 」 と不安や恐れでいっぱいになります。

そのようになると私たちの中で一番初めにダメージを受けるところは心であります。
弟子たちは実際におぼれたわけでもないですが、しかし彼らを見ると怖くなったのは心の問題でした。

「 しんどいなぁ 」 という言葉は、どういうことを私たちに物語るでしょうか。
霊的スランプに陥ったという信号であります。赤信号です。
心が「しんどいな。」 「辛いな。」 「イライラするな。」 「忍耐できないな。」
私たちの(心の)状態が自分たちの口を通し、身体を通して苦しみが出てきます。

それらのものを私たちは霊的スランプに陥るものだとあまり気が付かないです。

いつもサタンは、私たちがそれに気づかないので働きやすいのです。
しんどい&疲れた&何もしたくない&やる気がない&頭がパニックになる。そのようにして、私たちの力が
抜けていきます。

そしてその人たちは環境を見ます。
「 神様はどこで何をしているのか?私がこんなに苦しんでいるのに。 」 と呟きます。

イエス様が弟子たちに語った 「 しっかりしなさい。 」 とは、何に対して言ったのでしょうか?
それは、あなたの心を立て直しなさいということに対してであります。

多くの人が苦難を受けると、心が沈んでいきます。表情を見ると笑顔がなく喜びがないです。いつも悩んでいます。

今、心の状態を覗いてみてください。どのような状態でしょうか。
――喜びはありますか? ――平安がありますか? ――波が立たない心ですか?
――自分の心をしっかり守っているという状態ですか?


イエス様が心のことを語る時は霊的なものです。

イエス様がここで霊的な姿をしっかりと見せてあります。イエス様やペテロが湖の上を歩いたことは、
それは現実的に可能なことでしょうか?
可能ではないです。現実的には不可能なことであります。

しかし、それは“自然法則がそれを許さなく、裏付けができない”と言うのは、現実だけを見る人たちです。
全てのことを理論的に考える人は、それを受け入れることができないです。

ですから、神様が 「 霊的になれ 」 ということであります。
現実ばかりを見て、信仰がない中で見るならば、「 そんなものは嘘だ 」 となります。

イエス様は、世の中のすべてのものは目に見えるものだけで動くのではないと語っています。

世界が広く、宇宙が広いということは、そこに霊的世界が存在するということであります。
私たちが自然法則だけで理解できないことがたくさんあります。

私たちの心は目に見えないものです。
肉体は機械を通してならば見ることができますが、心はいくら機械を通しても見ることができないです。
心を写真に撮ることはできないですが、でも私たちには心があるのです。

自然法則を乗り越えたもの、霊の世界では不可能がないです。

霊の世界は広く、その中に目で見える現実の世界があり、それは一部分であります。
ですから、神様がすべてのことを霊の目で見ないとあなたは理解できないと語ります。
しかし、私たちはそれをある意味では知っていながらも、訓練をされていないのですべてのものを霊的に
見ることをしないです。(現実に)目に見えるものだけ、人を見て、環境を見て、苦難を見て・・・等、
それだけで心が騒ぎ出して、それだけでもうダメだとなります。

そしてすぐに私たちはスランプに陥ります。

聖書に「あなたのこころを見守れ。」ということは、そこからいのちが出るということで、
いのちは霊的なものであります。

私たちがイキイキと常に生きるためには、心が元気でないとできないです。

しかし、人々は身体は元気であっても心が病気であったり、クリスチャンもいつも霊的スランプに陥って、
力のない生活をしています。

環境を恐れるのではく、本当に恐れなければならないのは神様であります。

スランプに陥るということは、サタンに引っ張られているということです。
そのまま引っ張られると不幸な者になります。

神様が私たちに苦難を与えるのは、目覚めさせるためであります。
あなたが誰に頼って生きるべきなのかということと、忍耐をさせるためです。
そして謙遜な者にさせるために苦難も与えると語ってくださいました。

ですから苦難が起こった時に、霊の世界の中でそれを見なければならないです。
誰かのせいではなく、
自分が眠っているから、自分が違うところを見ているから、神様ではなく問題ばかりを見ているから
神様に呟くから、自分の心が高慢だからなど、
神様はそれらのものを通して、私たちがそこから成長をして霊の人になることを望んでおられます。

苦しみに遭って、そこで霊的悟りを得た人は 「 苦しみに遭ったことは幸せでした。」と、
それは霊の目で見たからです。

私たちはすぐにイエス様から目を離します。そして自分で陥っていきます。
心に恐れが出て来るのは、私たちの信仰が薄く霊的スランプに陥ったことなのです。

私たちの心が強くなって自分の心を自分でしっかりと守っていくならば、
イエス様が常に自分と共におられることに気付くはずなのです。
イエス様が共にいるならば、何を恐れるんだ?と、これは成長の言葉であります。

イエス様が共におられながらも幽霊だと思うなら、小さな波でもすぐに落ち込んで沈んでいきます。

神様に従ってみることです。そしたら神様は見捨てることはしないです。
そして自分自身はしっかりと神様に繋がります。激しい攻撃の中でもイエス様だけが命の綱であります。


【Ⅰペテロ3章14節】

ペテロは何度も失敗をし、自分の心を守ることもできませんでした。
しかしだんだん霊の者として成長をしていった時に、すべてのことを霊の目で見ることが出来て、
自分の心をしっかりと守ることができました。

賜物を持っているから聖霊充満ということではないです。
聖霊充満は、自分の心をしっかり守って、その中で聖霊様が溢れることなのです。
聖霊によって導かれ、常に聖霊と共に歩む人が聖霊充満な人であります。

自分の心が揺れる度に、「 しっかりせい! 」 という言葉を自分にかけることです。

クリスチャンなのに現実に縛られて、クリスチャンなのにいつもイエス様を見ないで現実を見て、
悩んだり、苦しんだりする姿を見てイエス様が与えた言葉が次の箇所です。


【ヨハネの黙示録3章1-3節】

霊的スランプは死んでいる状態であります。

大胆に行動をしていくのが生きた信仰であり、ただ悩んで苦しんでいるのは眠った信仰であります。

霊は(出来事を)全ての角度から見ると、それが起きている原因がわかってきます。
すると正しい方法で戦うことができ前進をしていきます。

殺すのも生かすのも自分次第であります。

サタンの攻撃や環境など色んなことを通し、だんだんスランプに陥れて殺そうとしているサタンに向かって
(ダビデは霊的戦いに長けた者であり、色々な失敗を重ねて強くされた者でありますが)
ダビデのことが書かれている箇所があります。


【詩篇25編1-22節】

私たちの心が騒ぎ出す時に、じっくりとこの言葉を食べてください。
神様に助けを求め、神様に目を向けています。そして信頼しています。悔い改めています。
自分の悩みを打ち明けています。敵が立ち去る祈りです。

実際にはものすごい苦しみがあるのです。しかし神様の前に出て神様だけを求めることは、
現実を見ることではないです。
ですからダビデはいつも助け出されました。彼は勝利の人生で終わりました。

私たちは敵の思いのままにしてはいけないです。
自分が恥を受けるのではなくて、自分が信仰によって勝利をし、反対に敵が恥を見るようにしなければ
ならないです。

心が動揺し始めたら放置するのではなく、目を覚まし、自分の魂にしっかり主を見なさいと言葉をかけ、
祈りによって、賛美によって力を受けましょう。

私たちが勝利をすることは神様が喜ぶことであります。 (^∀^)

2013.3.10
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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聖霊充満な秘訣とは

テーマは『 聖霊充満な秘訣 』です

【ローマ書12章1節】

教会に来る人たちは皆が同じラインに立っているわけでもなく、同じところに属しているわけでもないです。
羊とヤギ、麦と毒麦があります。
麦と毒麦の例えは、1つは実が詰まって良いもの。
1つは実が無いもの。外側は麦のように見えても、中身が無いです。

聖霊充満な人は、どのような人かと言うと、「内なる人」が生きている人、詰まっている人、健全な人であります。
このような人達が聖霊充満であります。

聖会巡りをする人達がいますが、それによって聖霊充満な生活になったでしょうか?
なってはいないです。だから飢え渇いて「どこへ行ったら聖霊充満になるのか?」と全国の聖会をまわります。
それは聖霊充満な姿ではないです。そのような方法で聖霊充満には絶対にならないです。
神様はそのような方法を絶対に使わないです。
その時の一時的な恵みはあるかも知れませんが、聖霊充満にはならないです。


―― 聖霊充満になるには ――

今回の聖句箇所のローマ書「聖い、生きた供え物としてささげなさい。」というのは、
『 献身 』であります。これは自分自身を神様に捧げたことです。
働きのために何かをするためでも、神学校へ行くことでもないです。

自分自身を聖い生きた供え物として神様に捧げたか 捧げていないか、であります。
捧げた人は聖霊充満に必ずなります。

日々、罪の悔い改めをしてイエス様の血が注がれると聖くなりますが、
どうやって聖い生きた供え物になるかと言えば、その人自身の自我が消えたことを意味します。

自我充満は肉に属している姿であります。
聖霊充満を妨害する1番の悪いものは、自我充満です。

自我がいっぱいになっているのに、聖霊様はどこに入りますか? 入りたくても入れないです。

順序があり「まずあなた自身をわたしの前に捧げなさい。」であります。
これが祝福を受ける秘訣であります。

【ルカ6章38節】

神からのものを受けたいならば、自分の心を空っぽにする必要があります。
「空っぽにして綺麗に掃除をしてきました。どうぞ入って来てください。」と
いうのが正しく聖霊を求める姿であります。


―― 聖霊充満を維持していくには ――

維持する方法は「愛」です。
献身をすると、神様のものが私たちの中に入ってきます。
その中には、賜物もあり、神様の愛もあり、神様がくださる色んな良いものがあります。

それを神様は「あなたが独り占めにしなさい」とは言っていないです。
今度は私たちが得たものを(周りの人に)与えることです。
無条件に与える。神様が示したところに与える。これは愛です。
他人の為に犠牲を払うと、聖霊が消えることはないです。

聖霊様が賜物を与えてくださるのも、他人に仕える為であります。
愛を実践しなさいということで、神様が賜物や恵みを与えてくださいます。

しかし、この愛は自分自身に勝たなければ出来ないことであります。
何故なら人は、自分を愛しているからです。「私のもの、私のもの・・・。」
自分の為には使っても、他人の為には使わない―。
犠牲の精神がない愛は、「愛ではない」です。

神様との関係でも、人間関係でも、犠牲が伴わない愛は「愛」ではなく、
世の中は「愛」、「愛」、「愛」ばかりを言いますが、それは「(自分に)くれ、くれ、くれ」という愛です。
与える愛ではないです。ですので、それには値打ちがなく すぐに壊れます。

しかし、神様は私たちに「あなたたちが聖霊充満を維持したいならば、ずっと続けて毎日のように
この愛を具体的に実践しなさい。」ということであります。
そうするならば、その人の中にある聖霊充満は消えることがないです。

献身はこの道の一番最初、入り口にすぎないものであります。
愛の実践を受けるために神様が与えてくださった賜物をタンスの中に仕舞い込むのではないです。

聖霊充満を受ける為に従順がないと全て虚しくなります。
従順する姿。これは秘訣でありますが、聖徒たちに何よりも必要なものであります。
従順ということは、神様の権威を認めることであります。神様を1番にすることであります。

祈りはたくさんしても、従順が無いならば、その祈りは聞かれないです。絶対に聞かれないです。
祈るということは、まず神様の声を聞くことであります。聞いて、それに従う時に管が良く通るようになります。

たくさん祈ったから与えられると勘違いをしていますが、
神様は「あなたが従順した分だけ、祝福が来る。」と語ってあります。
不従順をすると、神様から与えられたものも 取られます。

神様はどんな人に祝福を与えるか順番を決めるなら、従順した人であります。
神様がパッと見て、一番従順した人に先に与えます。その人をまず先に祝福をして、その次に従順する人、
またその次に従順する人・・・と祝福を与えていきます。
神様の言葉をよく聞いて、従いたいという心を持っている人達であります。

祈りをたくさんすれば、奉仕をたくさんすれば、神様は祝福するだろうと思いますが、
その前提にあるのは「従順」であります。

(神様が)自分に言われたことを、その通りにしていく その姿に神様が感動しますね。
神様はその人を呼んで祝福をしていきます。

従順しない理由は自我充満であります。


―― そして、信頼があります ――

神様は私たちに対する計画があります。私たちは自分で計画を立てて「神様、私の計画通りにしてください」と
神様に願いますが、それは正しいでしょうか?
―正しいものではないです。

神様は私たちに命を与えた時に1人1人に対する計画を持っています。
あなたの人生そのものを捧げなさい。
捧げることは信頼をすることであります。自分の命を神様に任せるということは信頼できなければできないです。
私たちが立てた計画よりも遥かに神様の計画の方が素晴らしいです。祝福するために立てた計画であります。
平安を与えるために立てた計画であります。

私たちは明日のことがわからないです。霧のような人生なのに、「明日のことを心配するのか?」
最後まで自分の計画を握りしめて通そうとするなら、神様がそれを壊してしまいます。
計画通りにならないようにしてくださいます。

私たちが聖霊充満にならないと、魂を失っていきます。
世の中での一番の悲劇は魂を失うことであります。それは全てを失ってしまうことです。
たくさんの世の物を持っていても、墓場に持っていけないです。

イエス様の弟子たちは、無学であっても聖霊充満になることで、
世の中の口の上手い者たちの人間的な知恵を潰しました。
弟子たちは何も持ってはいませんでしたが、魂を生かす者になりました。
神様の働きが出来る者になりました。
自分達の生きる目的が何なのかを聖霊充満の中で悟りました。

自分の魂が失われないように、自分の人生の目的、何の為に生きているのか
これを忘れないようにしっかりと日々生活の中で考えていかなければならないです。
 ( -д-)ノ

2012.9.23
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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聖霊充満な人

テーマは『聖霊充満な人の姿』です。

【ルカ4章1-2節】

イエス様が模範であります。
イエス様は肉体を持っていますので、私たち人間と同じことを感じ、弱さもありましたが、
公の働きをする時には聖霊に満ちました。
私たちも神様の働きをする時には、聖霊充満でなければいけないことを教えてあります。

聖霊に満ちて、聖霊に導かれて働きをすることを神様が私たちに1番に願うことでありますが、
今のクリスチャンを見ると、この姿が消えてきてあります。

人々が自由意思で思いのまま歩み、教会に来ているから、祈りをしているから、
聖書を読んでいるから「自分は何1つ間違ったことをしていない」と思っています。
聖霊に満ちて導かれて生きるという認識がないです。

正しい信仰はイエス様が見せてくださっています。
聖霊が自分の中にいっぱいになると、何が起こるでしょうか?
御霊の思いに従って生きます。主から与えられた言葉に対しては従います。
これが聖霊充満な姿であります。

①みことばに従順する生活
(聖霊の支配を受けている姿です)
聖霊に満たされている人は、言い訳をすることがありません。

神様が私たちの御霊を導く時に使うのは、ほとんどが神様のみことばです。
なぜ、私たちはみことばに対して従わなければならないのかが、とても大切です。

【ヘブル4章12節】

神様は私たちの全てを支配したいです。
ですから私たちの魂・霊・肉体もその言葉に従わなければならないです。
神様の言葉が生きておられるので力があります。
(自分が)変わりたいと思う人は、みことばに従わないといけないです。
聖霊充満になりたい人は、神様の言葉に従わないと聖霊に満たされないです。

「聖霊に満たされたら、私は従います。」というのは間違えています。
神様の言葉を聞いたら心を頑なにしてはいけません。

心が固いということは、みことばを入れないということであります。
心を開くということは、聖霊様に従いますということです。

聖霊充満になるには祈りは必要ですが、それだけではなく、もう1つすべきことがあります。
私たちは誰かを家に招く時に、部屋を掃除します。掃除をしなければ、部屋に入ることもできません。
それと同じく、自分の思いでいっぱいのところで、「私の心に聖霊様来てください」と祈って
招待をしても聖い神様は入れないです。
自分の心を掃除をしなければならないです。心がゴミ屋敷では、(神様が)入りたくても入ることができません。

しかし、みことばに従うということは自分の思いが消えたことを意味します。
逆らう思いが消えています。従順すればするほど、心が聖められていきます。

②謙遜な姿

聖霊充満な人は自分の姿がよく見えます。
いつも自分の事ばかり見ている人は、意外と自分のことを知らないです。
自分の足りなさ・弱さ・罪に対してよく分かり、ただ嘆くのではなく共におられる聖霊様のところに
持っていきます。
一番謙遜な者は悔い改める人であります。神様の前で赦しを求める人。
私の力や努力ではなく、命あることも、ここまでこられたのも、目に見えない神様の守りと助けが
あって私はここまで来られたんだ。
神様の恵みと憐れみと、自分のような者を常に赦してくださっている神様の寛容さを知って、
神様の前にひざまづく者が謙遜な姿であります。

低くするところに恵みが流れていきます。

ただ人に見せる為に身を低くしていたり、言いたい事を言わないで、じっとしているのは
謙遜とは違う姿であります。

神様が一番嫌うのは「高慢」であります。

  

③実を結ぶ生活

神様のみことばを聞き従って神様の中に留まっているならば、実を結ぶことに力はいらないです。
自然と実を結ぶようになります。

【ガラテヤ5章19-23節】

自分が何を結んでいるかによって、聖霊に満たされているのか、肉に満たされているのかがわかります。
中が悪いのに、外に良い実が成ることはないです。
自分の中身に悪いものがあるならば、悪い実を結ぶので捨てて、そして入れ物を変えることです。

肉の木を育てるのではなくて、聖霊の実を結ぶ聖霊の木を育てます。

覚悟を決めて変わらなければいけないです。肉の思いは殺しましょう。
そして神様を迎え入れる生き方をしなければならないです。

御霊によって導かれることが自分達が祝福される道でありますので、その自覚を持たなければならないです。
「教えを聞いて何もしない」のは何も変わりません。
変わることを神様が願っておられます。 (*´ω`*)

2012.5.27
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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