からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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聖書

キリストの何を信じるのか

テーマは 『 キリストの何を信じるのか 』 です

【第1ヨハネ4章1-3節】

愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。

人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。

イエスを告白しない霊はどれ一つとして神から出たものではありません。それは反キリストの霊です。あなたがたはそれが来ることを聞いていたのですが、今それが世に来ているのです。

宗教は世にたくさんあります。

人々は自分が信じたいものを信じています。


しかし問題は、“何でも好きなものを選んで信じたら それで良いのか” です。


自分では問題がないと思っても、神から見れば “大いに問題あり” です。

神々と呼ばれるすべてのものは 神ではないからです。



神は “唯一の神” なので、それ以外は違う霊です。


聖書では その霊を “サタン、悪霊” と呼びます。



またサタンは人々を騙すために反キリストも世にたくさん送りました。


私たちは騙されないために、それらの霊を試さないといけないです。

本物のキリストと 反キリストを見分ける方法が聖書に書かれてあります。




・メシヤであるイエス様は肉体をもっていました




マリヤが聖霊によって身ごもり、イエス様を産みました。


肉体をもって来られた理由は、十字架の上で私たちの罪を贖うためでした。


【ヨハネの福音書1章14節】

ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

ですから、人となって来たイエス・キリストを告白する霊は偽物ではありません。


肉体があるので “神” として信じない人もいますが、聖書では肉体がないとキリストではないと言われています。




キリストの神性を信じることです




キリストは神のひとり子です。

イエスは神ではないし、メシヤでもないと否定する人は偽り者です。


【第1ヨハネ4章14-15節】

私たちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたのを見て、今そのあかしをしています。

だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。

【第1ヨハネ5章5節】

世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。



十字架の死によって私たちの罪を贖ったキリストこそ、私たちの救い主であることを信じます




【第1ヨハネ4章10節】

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

救いとは、死からいのちに移されたことを意味します。


【第1ヨハネ5章12節】

御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。



キリストは愛です




【第1ヨハネ4章7-8節】

愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。

愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。

神は愛であることを信じることです。


アーメン v( ̄∇ ̄)v


2019.9.15
聖日礼拝メッセージ

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最後まで走りぬく

テーマは 『 最後まで走りぬく 』 です

【伝道者の書 3章1-14節】

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。

生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。

殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。

泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。

石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。

捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。

引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。

愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。

働く者は労苦して何の益を得よう。

私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。

私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。

また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。

私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。神がこのことをされたのだ。人は神を恐れなければならない。

私たちが今 生きている人生は平坦ではありません。


「救われていたら、いつも良いことばかり」、「問題なんか起こらない」、「ずっと平安であり、幸せである」わけではないのです。



実際に聖書にはこのように死ぬ、失う、殺す、崩す、投げ捨てる、引き裂く、戦う時があると書かれていて、現に私たちの人生でも これは起こっているのです。

その時々は、苦しいものであり、楽なものではありません。


私達が生まれる時があり、癒やされる時があり、喜ぶときがあり、収穫する時があり、それぞれがその時にかなっているように、これらの困難も時にかなっているのです。






私たちは生きていると、いずれ死にます。

その死ぬタイミングは誰にもわからないのです。


急に事故で亡くなる場合もあれば、病気で徐々に亡くなる場合もあります。


命は神様が握っているものであり、その “時” は神様にしか分かりません。



生きていれば苦しみもありますし、そしていずれは死ぬのです。

その中で私たちがすべきことは何でしょうか?


それは神様が与えてくださった使命に対して 忠実に働き、喜び楽しむことなのです。


また、真理を知り、神様のみことばを かみしめて生きることです。



神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。

神様がなさることは時に私たちは全く理解できない時もあります。

ただ、神様のなさることはすべて時にかなって美しいのです。






例えば、イエス様をこの世に送り、罪人のために身代わりになって死ぬことは普通に考えてありえないことなのです。


ご自分の息子を、罪のない息子を、否定し拒絶し侮辱し痛めつけ 裏切り苦しめる者たちのために わざわざ十字架につけさせるのです。


ペテロもそれが理解できなかったのです。

なぜイエス様が捕まえられて苦しみを受けないといけないのか。


十字架にかけられるその瞬間だけを見ると むごく、ひどい、あり得ないことなのです。



ですが、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」のです。


神様がそのようにイエス様をわざわざ罪人のためにこの世に送り、十字架にかけさせたのは、罪人を救うためであり、解放するためであり、死に打ち勝って勝利をおさめ、栄光を受けるためでありました。


私たちが永遠に神様とともに生きるために、自らを犠牲にして来てくださったのです。



私たちの目には見えないことがたくさんあります。

生きていて理解できないこと、辛くてしんどいことがあるのです。


「何でこんなことが?」「なぜ私ばかりこんなに苦しむの?」
そう思うことがたくさんあります。


それでも、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」と信じる信仰が必要です。


神様にゆだねながら、私たちは今 神様に与えられた使命をしっかり果たすことです。

その中で喜びを得ることなのです。






もう一つ、人生を生きていくための秘訣があるので、みことばを見ていきます。


【へブル12章1-3節】

こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。

忍耐を持って最後まで走りぬくことが大切です。


天の御国に行くその最後まで、信仰のレースを走り抜かないとだめなのです。

途中で信仰のレースをやめることは、神様と一緒に生きないことであり、御国に行かないことであります。


どんなに辛かろうが、私たちは走り抜かないといけないのです。



陸上のレースでも走り切らないと記録は残らないのです。

どんなに有名な選手であったとしても、レースの途中で終わってしまうと、それは意味がないのです。


むしろタイムが遅かったとしても最後まで走り抜いた者に栄冠がいくのです。



最後まで走り抜く方法を神様は ここで語ってくださっています。


―いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けること―信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないこと です。



陸上のレースで大きなかばんを担いでる人、重荷を背負ったまま本番に臨む人を見たことがありますか?

みんな薄く軽いユニフォームを着ているだけで、荷物は何一つ持たずに全力で走っています。


私たちが走り抜くこのレースでは、すべての重荷と罪を捨てて走らないといけません。


重荷を担いだまま、罪を背負ったまま走るのは とても大変であり、走り抜くことは不可能なのです。






何のために自分でその重荷を抱えようとするのですか。

何のために罪を持ったまま生きようとするのですか。


それが私たちを助けてくれるでしょうか。


―― いいえ、そんなことはありません。


私たちは信仰のレースを走り抜くためには、一切の重荷、罪を捨て去らないといけないのです。



そして、それにはもう一つ大切なこと、「イエスから目を離さないこと」です。


イエス様から目を離すこととは、“イエス様以外のものを見ていること” です。

つまりは、イエス様を見上げないといけないのに、人を求める、問題を見る、罪を見る、環境を見ることです。


人を見ている間、問題や自分の罪、環境を見ているということは、つまりはイエス様から目をそらしているということなのです。



一生懸命 人を見て求めると、罠にかかります。

神様よりも人のことを大切に思い始めるのです。


人に愛されること・認められることを先に求めるのです。

問題や環境ばかりを見ても、問題は解決されません。


罪ばかりを見ても、それから免れることはないのです。






私たちが必要なのは、イエス様を見ることです。


イエス様を見、イエス様の生き方・人生を見ることで知恵が与えられ、慰めが与えられ、元気が与えられ、勇気が与えられ、愛が与えられるのです。


イエス様は私たちが通った以上、(今まで)経験した、またこれから経験する試練以上の試練と困難、苦しみ、死をすべて受けた方なのです。

それでも走り抜いたのは、その先にある “栄光・命・復活・喜び” をずっと見ていたからです。



私たちもイエス様を見上げ、イエス様のように “その先にあること” を見るのです。


【へブル12章10-11節】

なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。

すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。

試練は失望に終わることはありません。


人間の目や価値観では すぐに分からなくても、もはや生きている間に分からなかったとしても、耐え忍び、最後まで走り抜くことで、平安の義の実を結ぶのです。



神様の中で強くありましょう。

ますますイエス様を見上げましょう。


注意散漫にならず、イエス様を見上げましょう。

そして、信じ、ゆだねることです。


神様のなさることはすべて時にかなって美しい、ということばをかみしめ、味わっていきましょう。


アーメン (・∀・)

2019.8.25
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教会のための美しい祈り

テーマは 『 教会のための美しい祈り 』 です

【ピリピ1章9-11節】

私は祈っています。あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、

あなたがたが、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように。またあなたがたが、キリストの日には純真で非難されるところがなく、

イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされている者となり、神の御栄えと誉れが現されますように。

教会はキリストの体であり、教会のかしらはイエス・キリストです。


聖徒たちはキリストの体の各部分になっています。


ですから救われた者たちの集まりは教会です。

教会のための祈りが聖書にありますが、四つ紹介します。


日々の祈りに取り入れましょう。


本文のピリピ1章9-11節は教会のためのいのりです。




真の知識、識別力、純真、義の実、神の御栄えと誉れが現れるように




【コロサイ1章9-14節】

こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。

また、主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられますように。

また、神の栄光ある権能に従い、あらゆる力をもって強くされて、忍耐と寛容を尽くし、

また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように。

神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。

この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。

【エペソ1章16-19節】

あなたがたのために絶えず感謝をささげ、あなたがたのことを覚えて祈っています。

どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。

また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。

【エペソ3章14-19節】

こういうわけで、私はひざをかがめて、

天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父の前に祈ります。

どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。

こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、

すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、

人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。

アーメン v( ̄∇ ̄)v

2019.6.16
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いのちをかけた決断

テーマは 『 いのちをかけた決断 』 です

【マタイの福音書16章25-26節】

いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。

人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。

白血病新薬の一回当たりの価格が、3,350万円という高額であることが分かりました。


アメリカでは一回当たり5,000万円とさらに高額でした。

一回で完全に治るわけでもないですが。


そのことを考えると病気になった時に、初めていのちの価値がどれほど高いかが分かります。

永遠のいのちでもなく、限られたいのちなのに、いのちをちょっと伸ばすだけでもたくさんのお金を払わなければなりません。


ましてや永遠のいのちになると どうなるでしょうか。


本文では いのちをかけた決断によって、ある人はいのちを得、ある人はいのちを失ったことを語っています。

自分の決断によって、良い結果と悪い結果が出てきます。


自分のいのちのために永遠のいのちを手放した人、永遠のいのちのために自分のいのちを手放した人、人のためにいのちを懸けた決断をした人たちもいます。


聖書の中で、いのちが懸かった瞬間に 人々がどのような決断をしたのかを見て、自分ならばどのような決断をするのかを考えてみましょう。




愚かな決断をした人たち
(いのちを失った)




●アダムとエバ

サタンの嘘に騙され、誘惑に負け、神の命令に逆らって愚かな決断をしたために いのちを失いました


【創世記3章13節】

そこで、神である主は女に仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。」女は答えた。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べたのです。」

●金持ちの青年

永遠のいのちを得るチャンスが来たのに、財産を手放すことが出来ず、財産を選ぶ決断をしたために永遠のいのちを失いました


【ルカの福音書18章23-25節】

すると彼は、これを聞いて、非常に悲しんだ。たいへんな金持ちだったからである。

イエスは彼を見てこう言われた。「裕福な者が神の国に入ることは、何とむずかしいことでしょう。

金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」

●イスカリオテ・ユダ

お金欲しさにイエス様を売る決断をして、肉体のいのちも永遠のいのちも失いました


【マタイの福音書26章14-16節】

そのとき、十二弟子のひとりで、イスカリオテ・ユダという者が、祭司長たちのところへ行って、

こう言った。「彼をあなたがたに売るとしたら、いったいいくらくれますか。」すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。

そのときから、彼はイエスを引き渡す機会をねらっていた。



正しい決断をした人たち
(いのちを得た)




●アブラハム

目に入れても痛くない息子イサクを、主の命令に従ってささげる決断をしました


その結果、息子のいのちを取り戻すことが出来ました。


【創世記22章9節】

ふたりは神がアブラハムに告げられた場所に着き、アブラハムはその所に祭壇を築いた。そうしてたきぎを並べ、自分の子イサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上に置いた。

●ペテロや他の弟子、パウロ

死の連続の迫害の中でも、いのちをかけて福音を伝える決断をしました


殉教することも恐れず、彼らは主から永遠のいのちを得ることを信じていたので 主のためにいのちを捨てました。


【ピリピ1章20-21節】

それは私の切なる祈りと願いにかなっています。すなわち、どんな場合にも恥じることなく、いつものように今も大胆に語って、生きるにも死ぬにも私の身によって、キリストがあがめられることです。

私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。



人のためにいのちをかける決断をした人たち
(人を助けた)




●エステル

同族がハマンの陰謀によって虐殺されることを知り、いのちを懸けて王の前に出ました


その結果、同族を虐殺から救い出しました。


【エステル記4章16節】

「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」

●エパフロデト

パウロの窮乏の時、助けに行き、死ぬほどの病気にかかりましたが、その中でも忠実に仕えた人でした


【ピリピ2章30節】

なぜなら、彼は、キリストの仕事のために、いのちの危険を冒して死ぬばかりになったからです。彼は私に対して、あなたがたが私に仕えることのできなかった分を果たそうとしたのです。

アーメン (・∀・)つ


2019.5.19
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聖徒が取るべき神への礼儀

テーマは 『 聖徒が取るべき神への礼儀 』 です

【詩篇30編1-6節】

主よ。私はあなたをあがめます。あなたが私を引き上げ、私の敵を喜ばせることはされなかったからです。

私の神、主よ。私があなたに叫び求めると、あなたは私を、いやされました。

主よ。あなたは私のたましいをよみから引き上げ、私が穴に下って行かないように、私を生かしておかれました。

聖徒たちよ。主をほめ歌え。その聖なる御名に感謝せよ。

まことに、御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。

私が栄えたときに、私はこう言った。「私は決してゆるがされない。」

良い人間関係を作るためには、それにふさわしいことばや行動が必要です。


もし礼儀がない行動や悪いことばを使うならば、相手を傷つけるだけでなく、人間関係も壊れてしまいます。

そして自分の印象もとても悪くなります。


ですから人間関係で 皆がその部分では気をつけます。



クリスチャンには、人間関係よりも優先しなければならない関係があります。


それは自分を救い、恵みを与えておられる神との関係です。

神との関係を良くするためにも、神にふさわしい礼儀が必要です。


しかし神に無礼な態度をとる人も多いです。

そういう人は、もちろん神との関係が悪いですね。



皆さんは神との関係が良いですか、微妙ですか。それとも悪いですか?



恵みと祝福は、神との良い関係の中で生まれます。

悪い関係は壊れた関係なので、良いものを受けるためには修復が必要です。


クリスチャンとって、神は絶対的な存在でなければならないです。


人間関係よりも関係が薄いならば、それは深刻な問題です。

「本当にクリスチャンですか?」と言いたくなります。


そういう人は、神を自分の必要のために利用できる存在として考えている人にしか思えないです。

神は利用されるほど愚かな方ではないです。



神は偉大で全知全能なる方で、絶対的な存在なので、それにふさわしい態度や礼儀が必要です。


聖書から神への礼儀を調べます。




いつも主を崇めること




【詩篇30編1節】

私はあなたをあがめます。

あがめることは、心から神を褒め称えることです。


憧れの人に会った時の人々の反応は 感動、感激で言葉も出ず、涙を流したりもします。

そしてその人に対してはすべてを称えますね。

その人をあがめていることが その態度によって分かります。


神を崇める態度には、“神を褒め称えること、神を喜ぶこと、神に感謝すること” があります。


【詩篇7編17節】

その義にふさわしく、主を、私はほめたたえよう。いと高き方、主の御名をほめ歌おう。

【詩篇30編4節】

聖徒たちよ。主をほめ歌え。その聖なる御名に感謝せよ。

【詩篇89編16節】

彼らは、あなたの御名をいつも喜び、あなたの義によって、高く上げられます。



いつも主の御名を誇り、栄光を主に捧げること




主の御名を誇り、栄光を主にささげる理由があります。


主は全能者であり、宇宙と歴史を支配する絶対的な存在であるからです。


主にまさる者は存在しません。



【詩篇20編7節】

ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。

【詩篇29編1-2節】

力ある者の子らよ。主に帰せよ。栄光と力とを主に帰せよ。

御名の栄光を、主に帰せよ。聖なる飾り物を着けて主にひれ伏せ。



主を愛し、主に頼ること




神を愛し、神に頼ることは神中心に生きることです。


その人はすべてを神にかけて生きています。

神と共に歩みます。


【申命記7章9節】

あなたは知っているのだ。あなたの神、主だけが神であり、誠実な神である。主を愛し、主の命令を守る者には恵みの契約を千代までも守られるが、

【イザヤ書26章3-4節】

志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。

いつまでも主に信頼せよ。ヤハ、主は、とこしえの岩だから。



主の御名を語り告げること




すべての人々に神の偉大な御名を語り告げることは生涯すべきことです。


主の御名は隠すべき名ではありません。

すべての人が主を知るように、その前にひざまずくように語り告げることです。


【詩篇22章22-23節】

私は、御名を私の兄弟たちに語り告げ、会衆の中で、あなたを賛美しましょう。

主を恐れる人々よ。主を賛美せよ。ヤコブのすべてのすえよ。主をあがめよ。イスラエルのすべてのすえよ。主の前におののけ。

私たちが日々神様に対して、このような姿勢を見せるならば、神様が喜ばないはずがありません。

神との関係が悪くなるはずもありません。



いつまでも良い関係で、神の恵みと救いと助けと守りを受けます。


神がそうすると約束して下さったからです。


【詩篇37編3-6節】

主に信頼して善を行え。地に住み、誠実を養え。

主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。

あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。

主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。

アーメン (*・ω・)ノ

2019.4.28
聖日礼拝メッセージ

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イエス・キリストの十字架事件

テーマは 『 イエス・キリストの十字架事件 』 です

【ヘブル12章2節】

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

聖書の核心はイエス・キリストの十字架です。


旧約聖書はイエス・キリストの十字架を啓示し、新約聖書はイエス・キリストの十字架事件が実際に完成したことを見せてあります。


十字架事件は昔、エルサレムで起きた一つの事件で片づけるようなものではなく、神の人類を救う計画と教会、神の国の完成に関する偉大な計画でした。


イエス・キリストの十字架は世界歴史の中心です。

人間が歴史の中心ではありません。


十字架のない宗教はむなしいし、十字架のない宗教には救いといのちはありません。

十字架なしに栄光の冠もありません。



キリストの十字架を正しく悟るならば、十字架こそ人類に神が与えた最高の祝福であることがわかります。


そして信仰によって十字架の祝福を信じるならば、その祝福を受けることが出来ます。


キリストの十字架に関する聖書箇所を読むと、十字架の全貌が見えてきます。




十字架に関する聖書箇所




【マタイの福音書26章2節】

「あなたがたの知っているとおり、二日たつと過越の祭りになります。人の子は十字架につけられるために引き渡されます。」

【ルカの福音書23章26節】

彼らは、イエスを引いて行く途中、いなかから出て来たシモンというクレネ人をつかまえ、この人に十字架を負わせてイエスのうしろから運ばせた。

【ヨハネの福音書19章25節】

兵士たちはこのようなことをしたが、イエスの十字架のそばには、イエスの母と母の姉妹と、クロパの妻のマリヤとマグダラのマリヤが立っていた。

【マタイの福音書10章38節】

自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。

【マタイの福音書16章24節】

それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

【第1コリント1章18節】

十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。

【第1ペテロ2章24節】

そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

【エペソ2章16節】

また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。

【ガラテヤ5章24節】

キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。

【ガラテヤ6章14節】

しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。

【へブル6章6節】

しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。

アーメン ヽ(TдT)ノ

2019.4.14
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知恵のある者になる

テーマは 『 知恵のある者になる 』 です


2月になり、いつのまにか2019年も一か月以上過ぎました。


そこで振り返ってみてください。

1月はあなたの思った通りになりましたか?


私は反省点がたくさんあります。

特に仕事先とかで「こう言うべきだったのに、いらんことを言ってしまった。」「しゃべらなくても良いのに無駄に一人で話し過ぎた」「言い過ぎた」などなど・・・。


反省することばかりであり、また注意を忘れて失敗を繰り返したりしています。

そのような経験はございませんか。



例えば、次から挙げることに どのくらいあなたは当てはまりますか?


  • さわがしい、無駄口をたたく
  • 曲がったことを言う
  • よく聞かないうちに返事をする
  • 自分の愚かさを言いふらす、吐き出す、食いあさる、繰り返す
  • わきまえがない、何も知らない、思慮がない
  • 悪事が楽しみ、悪から離れることを忌み嫌う
  • むなしいものを追い求める
  • なまけ者
  • 自分の怒りをすぐ現す、怒りやすくて自信が強い、短気、争いを起こす
  • 主に向かって激しく怒る
  • 争いを起こす
  • 母をさげすむ、自分の父の訓戒を侮る
  • 思慮深いことばをさげすむ、英知を喜ばない
  • 自分の意見だけを表す、自分の心に頼るもの

これからの姿は、すべて聖書でいう “愚か者” です。


知恵がない愚か者なんです。


また、どこかで「こんな自分じゃダメだ」「直さないとな」と思っていませんか?


もし、それすらも思っていないのならば 心の姿勢に問題があります。

愚かなまま生きていると、その道は命の道には繋がっていないですし、心にも平安がないです。



一方で、知恵を持ち、賢く生きることができれば、あなたは次のようになります。


  • 安全に住まい、わざわいをおそれることもなく、安らかである
  • たましいが楽しんでいる
  • 悪の道やねじれごとを言う者から救い出される
  • いのちの年と平安が増し加えられる
  • からだを健康にし、骨に元気をつける
  • 恐れがない
  • 休む時、眠りが心地いい
  • 主がおられ、守ってくださる
  • 主から恵みをいただく
  • つまずくことがない
  • 高められ、ほめられる

これらはいずれも聖書で書いてある「知恵のある人」の姿です。






私たちは “なんとなく” 何も考えずに生きるのではなく、もちろん「愚かな者」として生きるべきではなく、知恵のある者として生きなければなりません。


それは自分自身にとっても、周りの人にとっても、神様の目にとっても有益なことであり、望まれることであるからです。


それでは知恵を得て生きるには どうしたら良いのでしょうか。

人間を造られた神様が、一番 人間がどう生きていけば良いかをご存知であります。


例えば、iPhoneを作った人が、一番iPhoneの使い方を知っています。



それと同じように、私たちを造られた方が 一番私たち自身や生き方もご存知なのです。


その神様の御言葉を聞き、また実践することは、私たちが生きるべき方法を知り、人間らしく、神様によって造られた者として生きることです。



神様は、私たちに このようにおっしゃっています。


【ヤコブ1章5節】

あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人はだれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。

神様は私たちに “求めなさい” とおっしゃっています。

私たちは神様に「知恵を与えてください」と願うべきであります。


何か問題にぶつかった時や、それだけではなく、日常生活を生きる私たちは あらゆる瞬間にこの “知恵” を神様に求めるべきなのです。



聖書には、今までで誰よりも一番知恵と知識を持ち、そしてこれからの未来でも彼にまさる者はいない と言われている人物がいます。


それはソロモンです。

ソロモンはダビデの息子であり、王でもありました。


聖書では、どのようにソロモンが知恵を得るようになったかを はっきり記録しています。


それは もちろん神様からでした。


【第1列王記3章3-14節】

ソロモンは主を愛し、父ダビデのおきてに歩んでいたが、ただし、彼は高き所でいけにえをささげ、香をたいていた。

王はいけにえをささげるためにギブオンへ行った。そこは最も重要な高き所であったからである。ソロモンはそこの祭壇の上に一千頭の全勝のいけにえをささげた。

その夜、ギブオンで主は夢のうちにソロモンに現れた。神は仰せられた。「あなたに何を与えようか。願え。」

ソロモンは言った。「あなたは、あなたのしもべ、私の父ダビデに大いなる恵みを施されました。それは、彼が誠実と正義と真心とをもって、あなたの御前を歩んだからです。あなたは、この大いなる恵みを彼のために取っておき、きょう、その王座に着く子を彼にお与えになりました。

わが神、主よ。今、あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。しかし、私は小さい子どもで、出入りするすべを知りません。

そのうえ、しもべは、あなたの選んだあなたの民の中におります。しかも彼らはあまりにも多くて、数えることも調べることもできないほど、おびただしい民です。

善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」

この願い事は主の御心にかなった。ソロモンがこのことを願ったからである。

神は彼に仰せられた。『あなたがこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、

今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたのあとに、あなたのような者も起こらない。

また、あなたの父ダビデが歩んだように、あなたもわたしのおきてと命令を守って、わたしの道を歩むなら、あなたの日を長くしよう。

【第1列王記3章11-12節】

神は彼に仰せられた。『あなたがこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、

今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたのあとに、あなたのような者も起こらない。

この世の誰よりも知恵を持ったソロモンが書いた知恵の書が、“箴言” と “伝道者の書” です。



箴言には、生活や人生を通して、神様から得た知恵について書いてあり、


伝道者の書には、誰よりも富と権力があり、ありとあらゆる楽しみをし尽くした上で、ソロモンが感じたこと、それはすべてを得たとしてもむなしく、結局は神様をおそれること こそが、一番人間にとって大切なことであり、一番すべきことだと伝えている本です。



本日は特にその箴言から「知恵」について見ていきます。




知恵とは?




この知恵とは一体何なのでしょうか?

この「知恵」とは頭の中で知っているだけの「情報」とは異なります。


特に、ヘブライ語での「知恵」は、実際に使われることを前提として、適用(実践)するところまでを含んでおります。


つまりは、「知っているだけ」ではなく、「知っている生活に役立つ知識を実際に取り入れて行うこと」こそが、「知恵」なのです。



例えば、いくらテニスのやり方を本や動画で頭に知識として叩き込んだところで、実際に体を動かして練習を積まない限り、テニスは上達しませんし、それは “知っている” だけで何も使い物にはならないのです。


私たちも「知恵」を知っているだけで、実際に私たちの生活に、その「知恵」を取り入れない限り意味がないものです。



それでは、実際に私たちが生活に取り入れるべき「知恵」の一番土台となるところを見てみましょう。



【箴言1章7節】

主を恐れることは知識の初めである。愚かな者は知恵と訓戒をさげすむ。

【箴言9章10節】

主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。



ここで、知恵と知識は同じようなものとして扱われていますが、まず この知恵を得るために必要なことは「主を恐れること」です。


ここでいう「主を恐れること」とは、「神様は怖い人。ひどくて厳しくて恐怖を感じる。」という意味ではなく、「かしこまる」という意味での「おそれる」です。


つまりは恐怖心からではなく「神様は偉大だな。すごい方だな と、ひれ伏すこと」です。



例えば、子どもであるならば 学校の先生は権威があって、先生の前ではシャキッとしたり、会社で働いている人の場合は、上司や、社長、会長の前では「ちゃんとしよう」と思うことと似ています。


あまり先生や会社の上司などに良いイメージがない方は、あなたが憧れている人や、すごいなと思う方、お偉い人の前ではかしこまって、きちんとしようとなりませんか?

それと似たような感覚でもあります。



また、この「おそれる」という言葉には、「礼拝する」という意味も含まれています。


つまりは神様を知り、関係を築き、偉大な方であると悟り、その方の前でちゃんとしようと思い、また礼拝する事こそが、真の知恵を得る第一歩と言えます。


知恵は神をおそれることから始まり、神様の御言葉を通して知恵は与えられる。

また、聖書にはキリスト自身に知恵がすべて隠されていると書かれてあります。


【コロサイ2章3節】

このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。

知恵を持って生きるということは、キリストを知り、キリストが歩んだように歩むことです。


キリストこそが唯一完全な人間であり、神様であった方です。

このキリストを通して私たちは知恵を得るべきなのです。


また、人にとっての究極の知恵は、私たちが人生で一番大切なもので必要不可欠であり、いのちを与える「イエス様の十字架」を知り、そこにある救いを受け入れることです。



これこそが、人が生きる上で一番大切なものであり、生きるために なくてはないものであります。


この福音を聞き、知り、受け入れ、イエス様とともに生き、イエス様が歩まれたように歩んでいく事こそが一番知恵のある姿なのです。


その究極の知恵を得たうえで、私たちは日々の生活で出会う様々なシーンで必要な知恵を得るべきであります。


箴言やイエス様の姿が描かれている福音書、その他の聖書箇所の様々なところに私たちが日々必要とする「知恵」が書かれてあります。


その聖書を開きながら、自分がどう生きていくべきか、家族の中で、会社の中で、友達の輪の中で、教会の中でどう知恵を持って振る舞うべきかを学び続け、それを実践する事こそが 私たちの日々の目標とすべきではありませんか。



知恵が足りないですか?


―― 神様に求めてください。


逆にあなたは自分自身を 知恵のある者と思っているのですか。


【箴言3章5-8節】

心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。

あなたの行く所どこにおいても、主を求めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

自分を知恵のある者と思うな。主を恐れて、悪から離れよ。

それはあなたのからだを健康にし、あなたの骨に元気をつける。

それは神様が求める姿ではありませんし、真の知恵を持つ者とも言えません。


神様に知恵を求めましょう。



まずは神様を知り、偉大な神様の前でおそれかしこまり、礼拝しましょう。

神様が教えてくれる御言葉を読み、受け止め、生活で実践しましょう。


もし、御言葉を聞いたり読んだりして、たくさん知っていたとしても「実践しない」ならば意味がないのです。



どんなにダイエット方法をたくさん調べて、たくさん知っていたとしても、実際に実践しない限り 痩せないのです。


同じように「知恵」を頭で持っていて、「実践しない」ならば意味がないのです。

本当の意味で知恵を持つということは、知恵を持ち、それを実践するということです。


また実践をして、すぐ元の愚かな姿に戻るのは、せっかく痩せたのに、すぐリバウンドする人と同じです。


あなたは今のそのままの姿で良いですか?


それとも、知恵を聞き、受け入れ、実践し、知恵のある者へと変わっていきたいですか?


今日から知恵を実践し、神様の前で「知恵のある者」として認められるように一緒に変わっていきませんか。
アーメン (・∀・)


2019.2.3
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神の栄光を横取りしてはならない

テーマは 『 神の栄光を横取りしてはならない 』 です

【使徒の働き14章11-18節】

パウロのしたことを見た群衆は、声を張り上げ、ルカオニヤ語で、「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになったのだ」と言った。

そして、バルナバをゼウスと呼び、パウロがおもに話す人であったので、パウロをヘルメスと呼んだ。

すると、町の門の前にあるゼウス神殿の祭司は、雄牛数頭と花飾りを門の前に携えて来て、群衆といっしょに、いけにえをささげようとした。

これを聞いた使徒たち。バルナバとパウロは、衣を裂いて、群衆の中に駆け込み、叫びながら

言った。「皆さん。どうしてこんなことをするのですか。私たちも皆さんと同じ人間です。そして、あなたがたがこのようなむなしいことを捨てて、天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神に立ち返るように、福音を宣べ伝えている者たちです。

過ぎ去った時代には、神はあらゆる国の人々がそれぞれ自分の道を歩むことを許しておられました。

とはいえ、ご自身のことをあかししないでおられたのではありません。すなわち、恵みをもって、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たしてくださったのです。」

こう言って、ようやくのことで、群衆が彼らにいけにえをささげるのをやめさせた。

神が人間を造った一番の目的は“神の栄光のため” でした。


【イザヤ書43章7節】

わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。

ですから、もし人間がその目的通りに生きていないならば、その人は神に逆らう人生を生きています。

造られた目的を知らないと、神のみこころに従って歩むことは不可能です。


人間を造った神は 聖書を通して、その目的を私たちに教えて下さいました。


しかしその目的を知ったとしても神の栄光を横取りするならば、それは神を冒涜することになります。




神に栄光をささげる姿




パウロとバルナバは 神に選ばれ、宣教師としての働きをしていました。


神は、パウロに奇跡や癒しを行う力を注いで下さいました。

パウロはイエス様に出会うまでは病人を癒したことも、奇跡を起こしたこともありませんでした。


しかしイエス様に出会ってから、多くの癒しや奇跡を行い、人々に知られるようになりました。


ある時、パウロは生まれつき足のなえた人を癒しました。

すると群衆は、彼らが人間ではない神であると声を張り上げました。


そして二人は突然、ギリシャ神話に出て来る神になってしまいました。

パウロがヘルメス、バルナバがゼウスになりました。


そしてゼウス神殿の祭司や群衆も、二人にいけにえをささげようとしました。


もし二人がそれを受け入れたならば、彼らは 人々の上に神として君臨することも可能でした。


しかし、このことで一番危機感を感じたのは二人でした。

どれほど二人がびっくりしかと言えば、衣を裂いて叫びながら人間宣言しました。


自分たちは神ではなく、神のしもべであることを伝えました。

二人はとんでもない騒ぎが起こったことでびっくりしたと思います。


これらのことは、サタンの策略だったと思います。


サタンは、自分が神になりたくて堕落した存在です。

アダムとエバは、このサタンの策略に負けたので堕落しました。


神の栄光を横取りしようとしたことで、彼らは神から刑罰を受けました。


神が受けるべき栄光を 自分が受けることは、神のものを盗むことです。


主の弟子ペテロにも似たような経験がありました。


主の導きで、百人隊長コルネリオに会いに行きました。

当時の力関係で言うならば、ペテロがコルネリオよりも下です。


しかし同じく神からの導きを受けたコルネリオは、ペテロが自分の家を訪ねた時に、すぐさま出向いて、ペテロの足元にひれ伏して拝みました。

プライドの高い人ならば 天狗になる瞬間です。


しかしペテロは驚いて彼を起こして「お立ちなさい。私も一人の人間です」と 神の栄光を盗みませんでした。


主の働きの中でも、このような誘惑が多いです。

自分を高く評価する瞬間、サタンはその思いにつけ込みます。


ある牧師が天国へ行った時に、すでに召された有名な牧師に会ってみたいとイエス様にお願いをしました。

すると主の表情が雲ってきて、しばらく沈黙が流れました。


その後、静かに「彼は ここにはいない」と言われました。

一瞬、意味が分からなかったそうです。


召された牧師は有名な方で、とても素晴らしい働きをしたからです。


その後、地獄の牢獄の中に閉じ込められた その牧師を、主が見せて下さいました。


「なぜ あの牧師はあそこにいますか?」
あり得ない状況に戸惑いながら主に聞くと、


主からの答えは「彼は私の栄光を横取りしたからだよ。」

牢獄にいる牧師が叫びました。


「主の栄光を横取りしてはならない!」




主の栄光を横取りした聖書の人物は




【使徒の働き12章21-23節】

定められた日に、ヘロデ王は王服を着けて、王座に着き、彼らに向かって演説を始めた。

そこで民衆は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた。

するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えた。

虫にかまれたことが直接的な死因ですが、それより先にあった出来事が死因に結び付き、神の栄光を横取りしたことでした。


神が死因を教えて下さらなかったならば、死因は虫にかまれて死んだかわいそうな人として記録されたと思います。

この罪は誰でも犯しやすい罪です。


私たちの自我の中には、アダムの罪の性質があります。


神になりたい欲望があります。


ですから、主の働きをする人でも 自我を捨てないと、いつでも 口では “神に栄光” と言いながら、自分が栄光を受けることを喜びます。


素晴らしい業績を残し、人々に尊敬されている主のしもべたちは、常にこの誘惑にさらされています。

高慢になると主の栄光を自分のものにします。


謙遜になることが必要ですが、自分を砕かないと謙遜にならないので、偉くなるにつれて誘惑に負けていく人が多いです。


【マタイの福音書7章22-23節】

その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。』

しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。



神が偶像崇拝を忌み嫌う理由




偶像は人間の手の作品であり、人間が造った神です。


まことの神にこそ栄光をささげなければならない人間が、自分たちで造った(偶像の)神を神として拝みながら、それに栄光をささげる姿に、(まことの)神は我慢が出来ないです。


生きた人間や死んだ先祖たちを拝む行為も、神の栄光をむなしいものにささげる行為であるので、神はそれに対して必ず刑罰を与えると警告してあります。


【出エジプト記20章4節】

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。

偶像崇拝は 神の栄光を台無しにする姿であります。


【ローマ1章23節】

不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。

偶像崇拝によって栄光を受け 喜ぶのは、神になりたくて神に逆らった“サタン” です。


サタンは神の栄光を横取りするために人々を惑わし、次々と偶像の神を造らせ、サタンが栄光を受けています。


栄光を受けるべき方は、主お一人です。


【詩篇24編8節】

栄光の王とは、だれか。強く、力ある主。戦いに力ある主。

【詩篇24編10節】

その栄光の王とはだれか。万軍の主。これぞ、栄光の王。

私たちは自分は取るに足りない者であることを自覚し、すべての栄光を主にささげましょう。


アーメン (・∀・)


2018.4.15
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勝利した人たちが使うことば

テーマは 『 勝利した人たちが使うことば 』 です

【ピリピ4章13節】

私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。

環境が 人に勝利をもたらすのではなく、
“健全な信仰と思考を持って勝利のことばを使う人” が勝利を勝ち取ります。


今日のことばは、使徒パウロが語ったことばでした。


パウロの置かれた環境は、常に “最悪な環境” でした。

福音を伝えるのが彼の使命ですが、常に反対、妨害、迫害の環境での働きでした。


肉体的にも死の連続の状況でしたが、なぜ そのような中でも、彼は福音によって世界を変える勝利の働きが出来たでしょうか?

もちろんパウロだけではなく、聖書にはパウロと同じく勝利を得た人々が多く出てきます。


彼らに共通するものは、健全な信仰と思考、そして常に勝利のことばを使ったことでした。


私たちは、主のことばに関心があります。


主のことばで力を受けたり、慰めを受けたり、励ましを受けたりします。

そして主のことばに頼ります。


主はどうでしょうか?


主は、私たちのことばに関心があります。

ことばを聞いて、私たちの信仰や考え方を知ります。


勝利を得た人たちのことばには とても力があり、自信があり、希望があり、神への信頼がありました。

パウロは困難に直面しても、弱音を吐きませんでした。


なぜなら、共におられる主に 完全に信頼していたからです。


自分が受けた使命は、主からの使命なので、そこに失敗があるとは考えていませんでした。

どんなに環境が悪くても、自分は必ず勝利すると宣言して働きました。


ローマでは、次のように勝利について語りました。


【ローマ8章35-37節】

私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。

「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。

しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。

患難、苦しみ、迫害、飢え、裸、剣があるから と、主から離れる人は勝利者ではなく、“敗北者” です。


【第2ペテロ2章19-20節】

人はだれかに征服されれば、その征服者の奴隷となったのです。

主であり救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れからのがれ、その後再びそれに巻き込まれて征服されるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪いものとなります。

環境に左右される人は 信仰があったとしても、結局は環境に倒されて勝利することが出来ません。


勝利する人たちは 環境ではなく、主に信頼し、みことばに信仰を築き上げ、健全な思考をもって、環境に向かって勝利のことばを使います。


「私は必ず勝利者となる。圧倒的な勝利者となる。私は私を強くして下さる方によって、どんなことでも出来る。

決してサタンが喜ぶようなことばは使いません。


他に勝利した人たちのことばも聖書にありますので紹介します。




ヨセフ




ヨセフが語ったことばです。


【創世記45章5節】

今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。

もし このようなことばではなく、恨みのことばで彼らを恨んだり、復讐したならば、ヨセフは勝利者にはなりませんでした。




カレブ




【民数記13章30節】

そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。」

多数が否定的な思いで、絶望的なことばを使っても、
カレブは最後まで勝利のことばを言いました。


神は カレブのことばを心に留め、彼には勝利を与えました。


しかし絶望的なことば、つぶやきに対しては このように語りました。


【民数記14章28-29節】

あなたは彼らに言え。これは主の御告げである。わたしは生きている。わたしは必ずあなたがたに、わたしの耳に告げたそのとおりをしよう。

この荒野であなたがたは死体となって倒れる。わたしにつぶやいた者で、二十歳以上の登録され数えられた者たちはみな倒れて死ぬ。

私たちは自由にことばを使うことが出来ます。

しかし、自分が使ったことばの実を刈り取るのは、自分自身であることを忘れてはいけないです。




ダビデ




戦う前に、すでに勝利宣言のことば使ったダビデのことばです。


【第1サムエル記17章47節】

この全集団も、主が剣や槍を使わずに救うことを知るであろう。この戦いは主の戦いだ。主はおまえたちをわれわれの手に渡される。」

全イスラエルが恐れていたゴリヤテに対して、恐れなかったのは ダビデだけでした。

神は彼に勝利を与えました。


ゴリヤテを恐れていたサウル王のことばと比較してみましょう。

使うことばが違いました。





サウル




【第1サムエル記17章33節】

サウルはダビデに言った。「あなたは、あのペリシテ人のところへ行って、あれと戦うことはできない。あなたはまだ若いし、あれは若い時から戦士だったのだから。」

普段どのようなことばを神様に、自分自身に、他人に使っていますか?


あなたが使ったことば通りの将来が あなたを待っています。

そして蒔かれたことば通りのことを刈り取ります。


勝利したいならば、環境が変わるのを待つのではなく、あなたの信仰、思考、ことばを変えて下さい。


そうするならば勝利の人生を送ることが出来ます。
アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚


2018.4.8
聖日礼拝メッセージ

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イエスを殺そうとした理由

テーマは 『 イエスを殺そうとした理由 』 です

【マルコの福音書3章6節】

そこでパリサイ人たちは出て行って、すぐにヘロデ党の者たちといっしょになって、イエスをどのようにして葬り去ろうかと相談を始めた。

イエス・キリストは、ある日突然 十字架にかかって死んだのではなく、早くから殺意をもって殺そうとした人たちがいました。

そして結局、彼らによって殺されました。


誰がどのような理由があって最初から殺そうとしたのでしょうか?


殺意をもっていた人たちは テロ集団ではなく、厳格なユダヤ教徒であるパリサイ人たち、そして祭司や律法学者たち、すなわち “宗教指導者や宗教熱心な人たち” でした。


これは今の時代も変わらないですね。

イスラム原理主義者たちが世界中で行うテロを見ると、その恐ろしさが分かります。


イエスを殺そうとした人々も似たような人間でした。

彼らは 誰よりも律法を知り、それを厳格に守っている者でした。


しかし、イエスに対する彼らの姿を見ると 平気に律法を犯していました。

十戒には「殺してはならない。」と明確に書いてあるにも関わらず、彼らは人殺しをしようを企んでいました。


なぜ 神のことばを破りながらも、イエスを殺そうとしたのでしょうか。

殺意から殺人に繋がっていきました。


そこには2つの大きな理由が考えられます。




政治的理由




イエスが生まれた時、東方の博士たちが 特別な星に導かれて エルサレムまでやって来ました。

そして、「ユダヤ人の王として お生まれになった方は、どこにおいでになりますか。」と尋ねました。


するとその時、王であったヘロデは 恐れ戸惑って、自分は何も知らないので、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、「キリストはどこに生まれるのか」 と問いただしました。

彼らは、“ベツレヘムで生まれる” と正確に教えました。


しかし、彼らは見に行くこともしませんでした。

長い間、待ち望んでいた人たちなのに、メシヤが生まれた話を聞いても 全く動かず、歓迎もせず、捜しに行くこともしない姿が不思議でたまらないですね。


無関心でした。


博士たちは星に導かれて幼子イエスに会い、ひれ伏して拝みました。

ユダヤの王として認めました。


しかし一番メシヤに対して詳しい宗教指導者たちは、誰一人尋ねて行って拝むこともしませんでした。


後にイエスが公の場で宣教を開始し、誰も行ったことのない様々な奇跡や権威あることば、すなわちメシヤの預言と同じ働きをしているのを見ながらも、また人々が イエスをユダヤの王だと言っても 彼らだけは認めませんでした。

そして受け入れることもしませんでした。



また、イエスの所に多くの人々が集まり、どこへ行っても歓迎されているイエスの姿を見て、彼らの心は妬みでいっぱいでした。

なぜなら、(イエスが宣教を開始する前まで)彼らは民を支配し、権力を振るっていたからです。


人々の流れと関心が イエスに向いてしまうと、自分たちの権力を維持するのが難しいと考えていたので、消すしかないと思いました。

これは、いつの時代にも政治の世界でよく起こることです。


メシヤとして認めない心、妬み、権力欲によって殺そうとしました。




宗教的理由




イエスに対する信仰がなく、メシヤとして信じることが出来ませんでした。


信じないので、イエスが “メシヤであると宣言すること” に腹を立てました。

そのことを受け入れることが出来ませんでした。


そして彼らは宗教儀式を行うことを喜び、日々それを励んでいるのに、イエスが自分たちとは違うことをして、その儀式を破ることもするので ますます憎み、敵対し殺そうとしました。


(イエスを)神ではなく、悪霊だと彼らは思っていて悪霊呼ばわりしました。


また時には、イエスが 自分が天から来られた神の子、時には神 とも言うので、“神を侮辱する者” として生かしておいてはいけないと思って殺そうとしました。


【ヨハネの福音書5章18節】

このためユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとするようになった。イエスが安息日を破っておられただけでなく、ご自身を神と等しくして、神を自分の父と呼んでおられたからである。

【ヨハネの福音書8章58-59節】

イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。」

すると彼らは石を取ってイエスに投げつけようとした。しかし、イエスは身を隠して、宮から出て行かれた。

彼らが霊的無知であったからです。


【ヨハネの福音書12章40節】

「主は彼らの目を盲目にされた。また、彼らの心をかたくなにされた。それは、彼らが目で見ず、心で理解せず、回心せず、そしてわたしが彼らをいやすことのないためである。」

彼らが本当に聖書に詳しい者であったならば、イエスが預言されたメシヤである証拠をたくさん見つけることが出来たと思いますが、彼らは一度も イエスが本当にメシヤであるかどうかを詳しく調べたこともありませんでした。



ただ自分たちがイメージしていた(メシヤの)姿ではなく、また自分たちにある欲や高慢や妬みなどによって殺意をもち続け、結局は自分たちの手でメシヤを殺してしまいました。

この罪はどんなに大きな罪でしょうか。


主イエスに敵対して生きることは、自分の命取りになります。


信じていのちを得る者になりたいです。
アーメン (・∀・)


2018.3.18
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