からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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聖書

自分への義務

テーマは 『 自分への義務 』 です

【箴言1章5-6節】

知恵のある者はこれを聞いて理解を深め、悟りのある者は指導を得る。

これは箴言と、比喩と、知恵のある者のことばと、そのなぞとを理解するためである。

自分への義務は 誰かのためではなく、自分自身を守るための義務です。


神への義務、隣人への義務を学びましたが、自分がダメな人間になってしまうなら何も始まらないです。

自分への義務として、必要なことばが箴言にありますので それを紹介します。


自分への義務を果たす人は、“自分を愛する人、自分を大事にする人” です。


自分を大事にしない人は、誰も大事にすることが出来ないです。



自分を愛する人は、知恵のことばを熱心に聞いて 知恵ある人になります。

そして自分を成長させます。


自分への義務は 命令よりも、私たちへの “愛の勧め” です。


自分をないがしろにして、自分の人生をダメにする人も多いです。

失敗する人生も多いです。


そうならないためにも 今回、紹介する箴言のことばを心に刻んで 自分への義務として守るならば、
後悔のない人生を送ることが出来ます。




心を守り、右にも左にもそれない




【箴言4章23節】

力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。

【箴言4章26-27節】

あなたの足の道筋に心を配り、あなたのすべての道を堅く定めよ。

右にも左にもそれてはならない。あなたの足を悪から遠ざけよ。

【箴言25章28節】

自分の心を制することができない人は、城壁のない、打ちこわされた町のようだ。



くちびると舌を守り、言葉の節制と敬虔を目指す




【箴言17章27-28節】

自分のことばを控える者は知識に富む者。心の冷静な人は英知のある者。

愚か者でも、黙っていれば、知恵のある者と思われ、そのくちびるを閉じていれば、悟りのある者と思われる。

【箴言18章6-7節】

愚かな者のくちびるは争いを起こし、その口はむち打つ者を呼び寄せる。

愚かな者の口は自分の滅びとなり、そのくちびるは自分のたましいのわなとなる。

【箴言21章23節】

自分の口と舌とを守る者は、自分自身を守って苦しみに会わない。



感情を押さえて怒りをあらわさない




【箴言14章17節】

短気な者は愚かなことをする。悪をたくらむ者は憎まれる。

【箴言15章1節】

柔らかな答えは憤りを静める。しかし激しいことばは怒りを引き起こす。



心を低くして謙遜になる




【箴言16章18-19節】

高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。

へりくだって貧しい者とともにいるのは、高ぶる者とともにいて、分捕り物を分けるのにまさる。

【箴言18章12節】

人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。



怠惰を捨てる




【箴言6章6節】

なまけ者よ。蟻のところへ行き、そのやり方を見て、知恵を得よ。

【箴言19章15節】

怠惰は人を深い眠りに陥らせ、なまけ者は飢える。

【箴言22章13節】

なまけ者は言う。「獅子が外にいる。私はちまたで殺される」と。

★怠け者は言い訳が多い。




富よりは名声を




【箴言22章1節】

名声は多くの富よりも望ましい。愛顧は銀や金にまさる。

★公義を行い、道徳的な人生を生きて 神と人から認められることは富にまさる。

その人は神から恵みを受ける。


アーメン (・∀・)つ


2017.9.10
聖日礼拝メッセージ

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今は聖霊時代

テーマは 『 今は聖霊時代 』 です

【使徒の働き2章1-8節】

五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。

すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。

また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。

すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。

さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、

この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。

彼らは驚き怪しんで言った。「どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤの人ではありませんか。

それなのに、私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。

イエス様はこの世を去って行く前に、弟子たちに重要な話をしました。


ご自分が父のもとへ行くこと、そして聖霊を遣わすことを約束されました。

聖霊時代の開幕を宣言しました。


初めであり、終わりである神、三位一体である神は、世界に対するシナリオを書き、最初は父なる神が 時代の主役、次はイエス様、最後の時代は聖霊が主役になり、世界という同じ舞台で “主役” を変え、役割を変えながら 神は今も働いておられます。



聖霊時代の開幕は、宣言した通りに始まりました。

開幕の日が ペンテコステの日でした。


その日に聖霊は、主のことばを信じ、聖霊を待ち望んでいた人々の上に 激しく下りました。


その時から世の終わりまでが聖霊の時代で、今も聖霊は時代の主役として働いておられます。



聖霊の働きが初代教会で終わったかのように錯覚しているクリスチャンもいますが、聖霊の時代は世の終わりまで続きます。


聖霊は、特に聖徒たちのために働いておられる方なので、信じる者にとって聖霊はなくてはならない存在です。


聖霊の役割を考えるならば それが分かります。

聖霊の重要な役割を伝えたいと思います。




人を新しく生まれさせ 神の国に導く




イエス様は次のように話されました。


【ヨハネの福音書3章3-8節】

「イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」

ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」

イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。

肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。

あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。

風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。

古い人、肉に属する人が 霊の人として生まれるために、聖霊の働きは必ず必要です。


御霊によって生まれなければ、神の国に入ることが出来ない と主が宣言しました。


ですから聖霊が来ないといけないです。



世の初めから聖霊はもちろん働いておられましたが、完全な主役としての働きではありませんでした。


しかし、完全な主役としての働きが始まることが宣言され、その働きの内容も啓示されました。


【使徒の働き1章4-5節】

彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。

ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」

人が新しく生まれるために必要な水のバプテスマと聖霊のバプテスマが、聖霊が来られたことで完璧に揃いました。



主の約束を信じて祈りながら待ち望んでいた弟子たちに 聖霊が風のように、火のように下り、彼らはみな聖霊のバプテスマを受けました。

そして彼らは 以前とは違う新しい者になりました。


使徒の働きを読むと、福音書での弟子の姿とは霊的にまったく違う姿を発見することが出来ます。

体は同じでも中身が変わっていました。




聖徒たちを真理に導き入れます




聖徒たちは、聖霊の導きがないと 真理を悟ることが出来ません。


悟ることは、ただの知識とは違います。

知識があっても、悟りのない人は多いです。


悟りは本来の意味、隠された奥義を知ることです。


聖書ならば文字通りではなく、神が言おうとする霊的意味を知る事です。



律法学者たちやパリサイ人たちは律法の知識は相当ありました。

しかし彼らは、霊的には無知で 悟りがありませんでした。


主が語ることばに対する 彼らの理解は、文字を越えませんでした。

「この人は何を言っているのか」と理解が出来ず、心の中でさばいていました。



しかし開かれた心を持つ群衆は、彼らよりも悟っていました。

知識を誇る者には悟りがないのに、聖霊の助けによって知識のない者が真理を悟りました。



群衆は、その教えを語るイエス様に驚き、イエス様から権威を感じ取りました。

弟子たちも聖霊を受けた後に ものすごく真理を悟る者になりました。


聖霊に満たされたペテロは、群衆の前に立って突然語り始めました。

ペテロは無学な者なのに、律法学者よりも正確に聖書のことばを引用しながら状況を説明しました。



それまで説教者の経験もなかったのに、人の心を揺さぶるメッセージを語り、それを聞いた人々は心を刺され、その日だけで3千人ほど救われました。


聖霊が ペテロを真理の中に導き入れたので、真理を悟り、真理を語ることが出来ました。




聖徒たちに力を与え
証人として遣わします




【使徒の働き1章8節】

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

神の願いは、信じる者が “主の証人” となって、全世界に出て行き福音を伝えることです。


そのためには力が必要なので、聖霊を受けさせ、聖霊と共に働くように助けて下さいます。


神の働きは自分の力だけでやってはいけないです。

聖霊の力と助け、導きが必ず必要です。



大胆に福音を伝えるためにも聖霊の力は必要です。


臆病の霊では人が怖くて 何も伝えられません。

弟子たちは、聖霊を受ける前は 臆病者でした。

人を恐れる者でした。


しかし聖霊を受けてからは 殉教も恐れず、大胆な者になり、迫害されても 主の証人として立派に働きました。


聖霊の力は人を変え、その人を主に仕える者にして下さいます。




聖徒に賜物を与え、
神の教会を建て上げます




教会は “主の体” ですので、人間の力や才能、熱心さで建て上げていくのではないです。


主役である聖霊が、聖徒たちに必要な賜物を与え、役割をさせ、命ある教会を作ります。


【第1コリント12章4-6節】

さて、賜物にはいろいろの種類がありますが、御霊は同じ御霊です。

奉仕にはいろいろの種類がありますが、主は同じ主です。

働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。

【第1コリント12章11節】

しかし、同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。

賜物を受けた聖徒たちは、謙遜な心でその賜物を使って みなの益になるように働きをすべきです。




イエス様の栄光を現わします




【ヨハネの福音書16章14節】

御霊はわたしの栄光を現します。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。

人となってこの世に来られたイエス様を見て、人々の反応はそれぞれ違っていました。

神が人となったことに対して ほとんどの人は知らず、預言者だとか誰かの生まれ変わりだとか、良い人とか意見が分かれました。


本人が証言しても、なかなか信じてもらえませんでした。


しかし聖霊は、人々に イエス様が真の神であることを証明して下さいました。

イエス様と同じ働きをすることで主のことばが真実であることを証明しました。


聖霊がイエス様のものを受けて働きをしているので、イエス様と同じ働きをするのは当然です。


世の終わりまで聖霊の時代は続きます。
神のみわざも続きます。



黙示録にも 明確に聖霊の姿が現れてあります。

黙示録は、終わりの時代に起こることを預言しています。


聖霊を勝手に時代の主役から引き降ろし、勝手に神のシナリオを変えた人には神の厳しい叱責があります。



聖霊の時代は終わったという人は聖霊を冒涜する人です。

クリスチャンでありながら、このように恐ろしいことをしている人がいますが、その人はまず聖霊を受けることです。


受けるならば、聖霊を否定することは出来ないです。


イエス様の栄光を現わす方が聖霊ですから、聖霊を否定したら主の栄光を妨害する人になります。


私たちは聖霊を遣わして下さった神のみこころを悟り、いつも聖霊を歓迎し、聖霊と共に歩む者になりましょう。
(=゚ω゚)人(゚ω゚=) アーメン


2017.6.4
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キリストの十字架と私

テーマは 『 キリストの十字架と私 』 です

【ガラテヤ1章4節】

キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり、父である方のみこころによったのです。

今週はキリストの受難週です。

キリストが苦しみを受け、十字架につけられ死んだ時期です。


みなさんは十字架を見た時に、そこに釘づけられて死んだキリストをすぐに思い出しますか?

それとも 何も思わないですか?


クリスチャンならば、キリストを思い出すと思います。


キリストが 罪人の罪を贖うために十字架の上で死んだことは、聖書を通して聞いていますので、それは信じていると思います。


しかし、その “十字架と自分” をしっかり結びつけないと、キリストの十字架に特別な意味があっても、それが自分とは何の関係もないものになります。


今回はまず「キリストの十字架の特別な意味」を語り、そのあとに「キリストの十字架と私」に対して学びます。





キリストの十字架の特別な意味




キリストの十字架の意味を はっきり知って信じることで、私たちは神がすでに備えた驚くべき恵みを受けることが出来ます。

知らないならばもちろん何の恵みも受けられません。


《 罪を赦す力 = 罪によって人間はきよい神との関係が断絶されました 》


なぜなら “罪” は、神との関係を断絶させるからです。


ですから神との関係を回復するためには、罪が洗われる必要と罪の赦しが必要になります。


神はイエス・キリストの十字架の苦難と死 という方法で、私たちの罪を赦しました。


私たちがキリストの十字架の前に来て 自分の罪を悔い改めて信じる時に、キリストの血が罪を洗い、罪の赦しを受けることが出来ます。


キリストの血には、“罪を赦す力” があります。


【ガラテヤ1章4節】

キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。

罪が赦されると たましいが救われ、神との関係も回復します。



《 愛の力 = 十字架の贖いは 神が人間を愛している証拠 》


“キリストの十字架のみ” が私たちを神の愛に導きます。


イエス様が人間を愛していなかったならば、自分のいのちをささげることは出来なかったと思います。


【ローマ5章8節】

しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。


《 神と出会う場所 = 十字架の力だけが私たちを神に導きます 》


旧約時代に幕屋で神に会ったように、私たちはキリストの十字架を通して神に会います。


神がご自身を現し、私たちを呼ぶのもキリストの十字架を通してです。

そのように神が決めましたので、それ以外の道はありません。





キリストの十字架と私




・十字架の上で古い人は死んで、新しい人になりましたか?


【ガラテヤ2章20節】

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

使徒パウロの告白ですが、キリストに本当に出会ったならば、このような同じ告白が私たちからも出なければなりません。


神を知らなかった時の姿は古い姿です。

自分の思いのままに生きた姿でした。


しかしキリストを信じることは、古い人を捨てて 新しい人として生きることを意味します。


罪から離れ、義のために生きることです。


【第1ペテロ2章24節】

そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。


【第2コリント5章17節】

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

この新しく生まれ変わった経験がない人は、まだ救われていないです。


変わったならば、本人が一番それに気付くはずです。

罪から離れてキリストの中にいま生きていますか。



・十字架のために迫害を受けていますか?


【ガラテヤ5章11節】

兄弟たち。もし私が今でも割礼を宣べ伝えているなら、どうして今なお迫害を受けることがありましょう。それなら、十字架のつまずきは取り除かれているはずです。


【ガラテヤ6章12節】

あなたがたに割礼を強制する人たちは、肉において外見をよくしたい人たちです。 彼らはただ、キリストの十字架のために迫害を受けたくないだけなのです。

行いや儀式によって救いを受け、祝福を受けると思っている人は それらを重んじ、それらに魅力を感じ、一生懸命にそれを追い求めます。

そういう人が迫害を受けることはあまりないです。


しかし それを拒否し、キリストの十字架を信じる信仰のみに救いがあるという人は、迫害を受けます。


その迫害を受けたくないから妥協したり、ごまかしたりして生きるならば、それは十字架を知らない人です。


イエス様は主の弟子になる人は、誰でも迫害を受けると言われました。

殉教するほどの迫害もあれば、周りから受ける不当な扱いや嫌がらせなどの小さい迫害もあります。


十字架によって新しくなった人は、迫害を受けてもキリストから離れません。

さらにキリストに近付きます。


そのようにしていますか?

それとも迫害は絶対に嫌だと キリストから離れますか?



・誇っているのは十字架ですか、それとも肉のものですか?


【ガラテヤ6章14節】

しかし私には、私たち主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。

自分にとって価値のないものを誇る人はいません。

その人が愛するもの、関心が高いもの、大事にするものは、その人が誇るもので分かります。


次の言葉で自分の状態を調べるならば、自分がどこに属し、何を誇り、何に従っているかが分かります。


【ローマ8章5-10節】

肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。

肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。

というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。

肉にある者は神を喜ばせることができません。

けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。

もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。

キリストの十字架を一番の誇りとしている人は、十字架の意味と価値を知っている人です。


そうでない人は、まだ十字架の意味と価値を知らない人です。



・日々自分の十字架を負っていますか?


【マタイの福音書16章24節】

それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

何かを負うことはしなければならない責任があります。


どんな責任でも負うことは しんどいことです。

出来れば責任は負いたくないと思ってしまいます。


キリストも重い死の十字架を背負いました。

その苦難はとてもつらい苦難でした。


しかし最後まで十字架を負いました。

それによって 人類の罪が赦される道、救いの道、神との和解の道が出来ました。

私たちにも主が負わせた十字架があります。


ある人はそれが嫌でどこかに投げ捨てました。

負担もなくなり、身軽になって良かったと思うでしょう。


しかし いま笑う者は後で泣きます。いま泣く者は後で笑います。


もし十字架を負わせられたならば、黙ってそれを負って主に従うことです。



子ロバは、イエス様が自分の上に乗った時に 黙って歩き出しました。


主が私たちに負わせる十字架は、祝福の十字架です。


後に 主と清算する時に、多くの報いをもたらすものになります。


しかし投げ捨てて十字架を負わなかった人にあるのは、厳しい叱責です。

「悪い怠けたしもべだ」と聞くでしょう。


十字架のない人生を選ぶか、十字架のある人生を選ぶかは自分で選べます。


しかし天国へ行くのは自分では選べないです。

神様が決めます。


十字架と共に歩んだ人には、天国の道を開きます。

なぜなら十字架の道が天国への道だからです。


十字架を愛して生きる人もいれば、十字架の敵として生きている人も多いです。


あなたはどらちですか?
(゚Д゚≡゚Д゚)


2017.4.9
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人間をとる漁師

テーマは 『 人間をとる漁師 』 です

【マタイの福音書4章18-20節】

イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられた時、ふたりの兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレをご覧になった。彼らは湖で網を打っていた。漁師だったからである。

イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」

彼らはすぐに網を捨てて従った。

イエス様が最初に弟子として選んだペテロとアンデレ兄弟は、職業が漁師でした。


仕事が終わって網を打っていた時に、イエス様が近づいて話かけてきました。

「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」と。


すると二人はすぐに網を捨てて従いました。

ものすごく早い決断でしたが、イエス様が語ったことばの意味をちゃんと理解していたでしょうか?


後の彼らの行動を見ると、イエス様の思いとは違っていたことが分かります。

彼らは、“偉い人になって人々の上に君臨する” という意味で理解していました。


最初は他に選ばれた弟子も同じで、誰が一番になるかをみんな興味があって、もめたこともありました。

「人間をとる漁師」ということばは、イエス様が多分初めて使ったことばだと思います。

聖書以外では聞いたことがないことばです。


魚をとる漁師たちに対して、「人間をとる漁師」ということばは イエス様の洞察力から出たことばだと思います。

イエス様が彼らにさせようとする働きが、漁師の働きと似ているからです。


イエス様はいま私たちにも同じことを語っています。


「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」

これは主の約束でもあります。


私たちは自分たちの努力で 人間をとる漁師になるのではありません。


主について来るならば漁師にしてあげる と言われました。

主について来ない者は、まず人間をとる漁師にはなりません。


人間をとる漁師はイエス様によって造られていきます。


弟子たちの姿を見ると造られていくのが分かります。

魚をとる漁師の姿と、人間をとる漁師の姿は共通点が多いです。


漁師が働く場所は広い海か湖です。

弟子たちが働く場所は 全世界です。


【マルコの福音書16章15節】

「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。

漁師は広い海に出て行って魚がとれそうな場所に網を仕掛け、餌を蒔いたりもします。

そして次の日に網を回収するためにまた出掛けます。

回収すると たくさん獲れていたり、一匹も獲れなかったりもします。


聖書では、二回 弟子たちが何も獲れなかった日がありました。

海に網をおろしたからと言って必ず獲れることではありません。

何も獲れない時もあります。


伝道することは、それと似ています。


一生懸命 網をおろして働いたからと、それが必ず報われることはありません。

何にもない時もたくさんあります。


それでも海に文句を言いながら (獲ることを)やめる人はいません。

過酷な状況の中でも し続けるのが漁師の仕事です。


人間をとる漁師の働きの中でも直面する多くの戦いがあります。




人間をとる漁師の仕事をなぜ主はさせるでしょうか




全人類に対する神の救いの計画のために働く人が必要だからです。


【第2ペテロ3章9節】

ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

【ローマ10章13-15節】

「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。

しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。

遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」

【マタイの福音書24章14節】

この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。



人間をとる漁師の主な仕事は、遣わされて人々に福音を伝えること




イエス様が、まずどのような働きをするのかを見せました。


そして弟子たちに 次のように話されました。


【マタイの福音書9章35-38節】

それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやされた。

また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。

そのとき、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。

だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」

それからマタイの福音書10章では 弟子たちを正式に任命し、彼らに力を注ぎ、人々に遣わしました。


その時に様々な注意点と、彼らが直面する問題や困難に対して詳しく話しました。

それに関しては、みなさんが聖書を読んでみて下さい。


異邦人に福音を伝えたパウロは、この働きに対してこのように言いました。


【エペソ3章7節】

私は、神の力の働きにより、自分に与えられた神の恵みの賜物によって、この福音に仕える者とされました。

「人間をとる漁師」に選ばれたことが神の恵みと思って、死に至るまで忠実に働き、数えきれない多くの魂を主に導きました。

立派な 人間をとる漁師になっていました。




「人間をとる漁師」として、どのように福音を伝えるべきでしょうか




福音を伝える方法は 時代によって、地域によって変わっていきます。


イエス様がおられた時代は、人々の所に出かけて直接 福音を語りました。

人々はそこに集まって福音を聞きました。


路傍伝道は、昔 よく使われた方法でした。

人々の生活が、今よりも単調で そんなに忙しくもなかったので、路傍伝道の時も集まって来ました。


しかし、いま路傍伝道はあまり効果がないです。

立ち止まって聞く人はほとんどいないです。


今の時代に合うものが効果あります。

今はすべての人たちがネットを使う時代です。


みんな手に携帯を持って、それで情報を手に入れますし、人と会話をします。

悪魔もそれを大いに使っています。


ISがどのようにして戦闘員を集めたでしょうか?

ネットを使って募集しました。

そこに連絡した人たちが渡って行き、テロリストになっていきました。


SNSを使って、すべての情報が拡散されたり、そこから情報を得たりする時代に変わりましたので、いまこれが福音を伝える一番有効な手段です。


【第2テモテ4章2節】

みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。

時間も空間も関係なく、SNSを使って福音を人々に伝えることが出来ます。






アメリカでのことです。

最近アメリカでは「Back to church Sunday」運動が盛んになったらしいです。


教会から離れた人や 一度も教会に来たことのない人たちを、日曜日の礼拝に招待する運動ですが、メールで招待状を送る方法です。

それが素晴らしい効果を上げていると聞きました。


この運動に参加する人々は 週に一度、それを1年間、自分が通う教会に招待するメールを送りました。

それによって 70万人が参加しました。

すると一年間で参加した教会の出席者が20%増えました。


最初はそんな方法は “幼稚である” とか、“効果がない” とか否定的だった教会も、いまは参加しているので100万人に増えたと聞きました。

しないよりは した方が良いです。


どんなに小さいことに見えても、しないよりは効果があります。


私たちの周りにいる信じない家族や知り合いの魂を導くためには、小さいことでも実践しようとする意思と努力が必要です。


イランで ムスリムだった人が、アメリカでクリスチャンになって 今は福音を伝える放送をやっていますが、たくさんのムスリムの人が その放送を聞いています。


ムスリムの人たちを伝道するためにやっている90分放送ですが、パキスタンで250万人、サウジアラビアで10万人、スーダンで500万人、イランで100万人、それ以外でも聞いていて今は5千万人が聞いています。


福音に反対する人も多いですが、聞きたいと願っている人も多いです。


教会のホームページでも毎日福音を伝えています。


ただ単に 教会を紹介するために作ったのではなく、福音を伝える目的で作りました。

訪問者がどんどん増えているので効果があります。

「今日のいのちのパン」や「今週のメッセージ」でも毎日訪問者が多くなってきました。


みなさんも個人的にSNSを使って福音を伝えて下さい。


聖書のことばだけを伝えるブログを作っても良いと思います。

メールで伝えても良いです。


良い知らせを伝えることが「人間をとる漁師」の仕事です。


みことばの種が蒔かれると、いつか芽が出る時があります。

自分にも福音を伝える使命があることを覚えましょう。
v( ̄∇ ̄)v


2017.2.5
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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大胆さが必要

テーマは 『 大胆さが必要 』 です

【申命記31章6-8節】

強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主ご自身があなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。

ついでモーセはヨシュアを呼び寄せ、イスラエルのすべての人々の目で彼に言った。「強くあれ。雄々しくあれ。主がこの民の先祖たちに与えると誓われた地に、彼らとともに入るのはあなたであり、それを彼らに受け継がせるのもあなたである。

主ご自身があなたの前に進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない。

モーセが民に対して、そしてヨシュアに対して、なぜ同じことばをもって励ましたでしょうか?


それは、これからカナンの地を征服しないといけない大きな戦いが 目前に迫っていたからでした。

戦う相手には 高い城壁、訓練された勇士たち、様々な武器がありますが、荒野を40年間通って来た自分たちには 武器も訓練された勇士も戦いの経験もまったくないので、どうしたら良いか分からず、当然民たちには不安と恐れがいっぱいでした。


戦う前から敗北感を味わっていたと思いますし、無気力状態だったと思います。


しかし神の約束を信じ、荒野で40年間 神の守りを見てきたモーセですので、自分がいなくても神ご自身が イスラエルの民を約束の地に必ず入れて下さると信じていたので、自分の後継者として これから指導者になるヨシュアと共に 戦いに参加する民を励ましました。


「強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。」

このことばは、終わりの時代を生きている私たちに、今 もっとも必要な言葉だと思います。

なぜなら 主を信じている者にとって、これからの時代は患難の時代になるからです。


信じない人たちは世の流れに従い、それに合わせて生きるので、そんなに大変とは言えないです。


しかし神のみこころのままに生きようとする者には、それに逆らわなければならないことが多くなるので、戦わないと信仰を捨てるしかありません。


信仰を捨てることは、永遠のいのちを失うことですが、それでも現実の患難に勇敢に戦うことが出来ず 目先のことで恐れが入り、クリスチャンとして生きていくことをやめてしまいます。

これから ますます戦いが激しくなることは預言されてあります。


そして、その戦いは霊的戦いではなく、実際の戦いになるからです。


祈りの中で「サタンよ。イエスの御名によって出て行け。」は誰でも言えます。

別に怖いことも不安になることもありません。


しかし実際の戦いは、そんなものではなく “実戦” です。

現実の戦いで勝利することは 簡単なことではないです。


私たちがこれから直面する戦いが、どのような戦いになるのかを聖書と歴史を通して なぜ “大胆さ” が私たちに必要であるかが分かります。


信仰だけでは戦いに勝利できないです。

大胆さがないと、信仰があっても 負ける戦いがたくさんあります。


現実の中でどのような戦いがあるのかを学びます。




世の権力、すなわち政治的圧力との戦い




これはイエス様も バプテスマのヨハネも 聖書に出てくる多くの預言者も そして迫害を受けた信徒たちも経験しました。


神に逆らう法律を作って、クリスチャンを攻撃しました。

クリスチャンから信仰を奪うためでした。


従わない人は 殺されたり、迫害を受けました。


大胆な預言者や信仰ある人たちは見て見ぬふりをせず、不正と不義に対して大胆に抗議したため迫害を受けたり殉教したり、預言者たちは殺されました。


アメリカでもオバマ政権の時に、キリスト教に対して圧力をかける法律を作って物言えぬようにしました。


アメリカのクリスチャンたちは それに対して沈黙しました。

大胆に戦ったこともなく、とても無力でしたので、神が忌み嫌う法律が次々と決まってしまいました。

クリスチャンたちの負けでした。

それは政治的圧力との戦いに失敗したことになります。


その時に 大胆にそれに向かって立ち上がったのが 今のトランプ大統領でした。


彼にある最高の賜物は “大胆さ” です。

1人で不正な権力に立ち向かいました。




軍事的脅威との戦い




ダビデとゴリヤテの戦いがありました。


ペリシテ人の陣営から 並外れた体と戦いに強いゴリヤテが出て、イスラエル陣営に向かって脅しの言葉を掛けただけで イスラエルの民は意気消沈し、非常に恐れて誰も戦いに出なくなりました。

このままならば 完全にイスラエルの負けでした。


しかし、たまたま そこにいた兄たちに会いに来ていたダビデが まったく恐れず、大胆にゴリヤテに向かって叫びました。


【第1サムエル記17章45、47、46節】

おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。

この戦いは主の戦いだ。

主はおまえを私の手に渡される。

そして1人で立ち向かいました。


結果はどうなりましたか?
殺されましたか?


その戦いの結果は、ダビデの勝利でした。

ダビデに力があったのではなく、彼の大胆な行動に 神が働き、彼のことば通りの結果をもたらして下さいました。


そのことで司令官に任命されたダビデは、それからのすべての戦いに いつも神に頼って大胆に戦ったので一度も負けたことがありませんでした。




軍事力脅威による戦い




まさに いま世界の多くの国々は軍事力の強い大国を目指しています。


代表的な国は、ロシアと中国と北朝鮮です。

周りの国や世界を不安にさせます。


軍事大国だからということで、戦争にいつも勝つでしょうか?

歴史を見ると、そうでもありません。


劣勢だったのに 神に祈って大胆に行動したことで勝利した実際の戦いは 歴史の中にも色々あります。

世界のあちらこちらで さらに戦争や内戦が起こります。


聖書にそのことも預言されてありますので、驚くことでもないです。




宗教弾圧による戦い




イエス様に対して敵意を持って殺したのも 当時の宗教指導者たちでした。


ローマ時代にあったクリスチャン対する大量虐殺、日本でも同じことがありました。

今もイスラム世界、北朝鮮で弾圧を受けるクリスチャンも多いです。


そして聖書の預言にもあるように 主の再臨の前に、反キリストが現れ、世界的に激しいキリスト教徒に対する迫害が起こります。


その迫害に耐えられず、信仰を捨てる者が大勢出てくると言われました。

しかし、その中でも最後まで耐え忍ぶ者が救われます。


主の弟子ペテロが “いのちを捨てても主に従う” と言った後に、何時間も立たないうちに主を知らないと三度も言ったことを見ても、人間は本当に弱い者です。


信仰が強い者でも、迫害に耐えることは大変です。


その時は殉教する覚悟が出来た人が 大胆に戦うことが出来、信仰を守ることが出来ます。


それ以外は無理です。




悪口、誹謗、中傷など人から受ける多くの攻撃や経済的攻撃




その時、つまずいたり、疑いや不安や恐れで心が折れて戦うことが出来ず、敗北してしまう人も多いです。

信仰を捨て、イエス様から離れる人も多いです。

そうなると 救いも永遠の命も失ってしまいます。


私たちが戦いに勝利して信仰を守るためには 人や環境を恐れず、また死をも恐れない大胆さが必要です。

それなしには恐れに負けて 勝利出来ないです。


「死ななければならないならば死ぬ。」という覚悟があると大胆になります。




大胆になるために役立つ方法




① モーセが話したことばに、その方法があります。


「あなたの神、主ご自身があなたと共に進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」


主が共におられることへの確信が 私たちを安心させ、大胆にさせます。


ヨシュアもダビデも その確信で大胆に戦い勝利しました。

主は力があり、味方になって下さいますし、約束に対して真実な方です。そして戦いに強い方です。


② すべての主権者である神を一番恐れることで、他のものへの恐れが消えて大胆になります。


【マタイの福音書10章28節】

からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

人を恐れるとわなに陥ります。


③ 神の言葉の上に堅く立つ時に大胆になれます。


みことばは 力を与え、希望を与え、慰めを与えます。


そして、みことばを守る者には 神の助けと守りがあります。


【第2コリント4章16-18節】

ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。

今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。

私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。

④ 自分の弱さを知って神に頼り 大胆さを祈り求めることです。


パウロは自分の弱さを知り、自分が祈るのはもちろん、他の人々にも自分が大胆に福音を伝えることが出来るように 祈りの要請をいつもしていました。


神様にいつも大胆になれるように祈り求めることが必要です。

祈りの備えが いざという時に力になります。


⑤ 聖書に出てくる人物が、戦いや攻撃を受けた時に どのように戦ったのかを、しっかり学ぶことで その大胆さの秘訣も学べます。


攻撃や患難に人間的な方法で戦うのではなく、勝利した人たちからやり方を学び、その通りにやってみることも一つの方法です。

このようにして、普段から大胆さを身に着けるように訓練していかないと、すぐに恐れが入ってそれに負けてしまいます。


パウロは次のように言いました。


「私は私を強くして下さる方によってどんなことでもできるのです。」
大胆な宣言です。


そしてその通りに彼は激しい迫害の中でも福音を伝え、自分の使命を果たし、殉教しました。

殉教は負けたことではなく、いのちを懸けて信仰を守り通した証です。


目まぐるしく変わる世の中で、それに流されず神のみこころを行いながら生きるためには、たくさんの戦いに大胆に取り組まないといけないです。

目を覚まして神から力を受けて勝利していきましょう。
( ̄‥ ̄)=3

2017.1.29
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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私たちを祝福したいと願う主

テーマは 『 私たちを祝福したいと願う主 』 です

【民数記6章23-27節】

「アロンとその子らに告げて言え。あなたがたはイスラエル人をこのように祝福して言いなさい。

『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。

主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。

主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』

彼らがわたしの名でイスラエル人のために祈るなら、わたしは彼らを祝福しよう。」

人間が神に求めることは、何と言っても祝福ですね。

自分を呪ってほしいと神に祈る人がいるでしょうか。


時にはあまりにも辛いので、神に「生きるより死んだほうがましです。私の命を取って下さい。」と嘆くことはあるかも知れません。


しかし、本音は “祝福されること” です。

祝福されたら死にたいとは言わないと思います。


聖書によると、私たちが必死に祝福を求めて、やっと祝福されるのではなく、神の方が私たちを祝福したいと強い願いを持っていることが分かります。


親子関係で考えるとその意味が分かると思います。

子どもが生まれると、子どもが何も願わなくても、親の方がたくさんの祝福を与えようとあれこれ考えます。


神様もそうですね。

神様は私たちを愛しているので、祝福したいと願っています。


神が選んだ神の民には、特別な祝福があることを、イスラエルに向かって語った言葉で知ることが出来ます。


それは神を信じる者に与える祝福です。


今回は そのことを考えながら メッセージを聞いて下さい。




神は 祝福の神で、祝福を与えたいと願っています




神ご自身が「受けるよりも与える方が幸いである」と言われました。


世界とその中にある すべてのものを造ったのは 神であり、神はそれらを私たちのために与えて下さいました。

空気もタダ、太陽の光や熱もタダ、山や川、空もタダで見ることが出来ます。


とても大切なものをタダで使うようにしたのは神です。


それは神が “祝福の神” だからです。


【マタイの福音書5章45節】

天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。

すべてのものを人間の祝福のために創造し、創世記から黙示録まで読むと、神の祝福がたくさんあることが発見出来ます。

神を信じることは、その祝福を受けるためです。


神ほど私たちを祝福したいと願う方はいません。


人間は悪いことがあると、神様のせいにして、神のことを悪く言いますが、それは “悪魔” がしたことを神と勘違いした人がいう事です。


ですから 神に悪口言う前に、自分が信じる神が 本当の神かどうかを調べてから言って下さい。


人に悪を働くのは神ではなく、悪魔(サタン)であることを知りましょう。


聖書には悪魔の仕業がたくさん出てきます。

“盗む、滅ぼす、惑わす、誘惑する、罠を仕掛ける、襲いかかる、苦痛を与える、病気を与える、死をもたらす” など様々な例があります。


しかし神は初めから祝福の神です。

その祝福なしには人間は存在できないです。


【哀歌3章22-23節】

私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。

それは朝ごとに新しい。

祝福の神を信じる人は幸いな人です。


神を誤解しながら生きる人は、特別な神の祝福を逃すことになりますので本当にもったいないです。




祝福の神は、私たちが祝福を求めることを願っています




神は “祝福の神” ですが、私たちがその祝福を求めて神の御前に出ることを願っています。


何も求めないで、神に任せるのが “信仰深い姿” だと思いますか?

―― そうではないです。


神は祝福に対しては、求めるように言われました。


【第1ヨハネ5章14-15節】

何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。

私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。

イエス様は、声を上げてイエス様を呼んだ人々に「何をしてほしいのか」と聞きました。


その時、願いをはっきり言った人たちは みな祝福されました。


祝福は積極的に求めることです。


主がそのようにしなさいと言われましたので、祝福は本人が積極的に求めることです。

神がそれを願っておられるからです。




ほかの人のためにも 祝福を求めることを神は要求します




神はすべての人が祝福されることを願っています。


ですから 自分だけ祝福されることを願う人は、神の心とは違うので、神はそれを “貪欲” と言って嫌います。


神はどの人のことも愛しています。

神の愛は変わることがありません。


私たちは愛される資格があったでしょうか?

他の人より優れた所があるでしょうか?

罪がなかったでしょうか?


それを考えると、他の人を悪人呼ばわりしたり、祝福を受ける資格がないと言ったらいけないです。


神は次のように言われました。


【マタイの福音書5章44節】

自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。

また弟子たちを遣わした時にも このように話しました。

【マタイの福音書10章12-13節】

その家に入るときには、平安を祈るあいさつをしなさい。

その家がそれにふさわしい家なら、その平安はきっとその家に来るし、もし、ふさわしい家でないなら、その平安はあなたがたのところに返って来ます。

ですから私たちが他人のために祝福するのは、神のみこころですし、それは必ず相手の祝福になるか、自分の祝福になるかで無駄になることはありません。


相手のために神に求めることも祝福であり、自分が受けた祝福を 人のために使うことも祝福を与えることです。


最近ニュースで知りました。

わずかな年金で生活が出来ない貧困老人がたくさんいるのに、生活保護を申請しない老人が多いということです。


その理由は、受けることを恥だと思うらしいです。

「施しは受けたくないと。
生活はとても悲惨なのにそれでも受けないと。」


生活保護は、最初から困った人のために使う予算です。

自分たちが税金を払って、そこから受けることですから、 “施し“ ではないですね。


国には様々な制度が国民のためにあります。

他の制度は積極的に使いながら、生活保護だけをそのように思うことは、その制度に対する偏見だと思います。

困った人にはそれは準備された祝福です。


悪いのは、お金が十分あるのに、その制度を悪用する人たちです。


私たちは、神がどのような祝福を用意してあるのかを もっともっと知る必要があります。


そして、その祝福の制度を積極的に使うことです。

どうにもならないからと死を選んだり、諦めたりする前に、まだやっていないことがないかを探ることです。


聖書には神の祝福がたくさんあります。

神を信じてそれを求めるならば、その願いが みこころにかなう時には祝福を受けることができます。


神は真実な方ですから、その約束を守ります。
(・◇・)ゞ

2017.1.15
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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人生の台本

テーマは 『 人生の台本 』 です

ハレルヤ。

今日も聖霊に満たされますように祈ります。


人生には台本がありません。

人生ほど先が読めないものはありません。

ですから、ドラマチックでもあります。


聖書にはドラマよりも面白い ある人たちの人生が書かれてあります。


【第2列王記7章3-4節】

さて、四人のツァラアトに冒された人が、町の門の入口にいた。彼らは互いに言った。「私たちはどうして死ぬまでここにすわっていなければならないのだろうか。

たとい、私たちが町に入ろうと言っても、町はききんなので、私たちはそこで死ななければならない。ここにすわっていても死んでしまう。さあ今、アラムの陣営に入り込もう。もし彼らが私たちを生かしてくれるなら、私たちは生きのびられる。もし殺すなら、そのときは死ぬまでのことだ。」

当時、ライ病人は、町の中に住むことが許されず、町の外に隔離されて生活していました。

普通に生きることができず、社会から疎外されていました。


しかし、神様は彼らを使ってアラムに包囲され、そのためひどい飢饉が町を襲い、飢え死するしか道が残されていなかったユダヤ人たちに勝利の知らせを伝える者にしました。

四人のライ病人たちは、どうせ死ぬ運命だから、祖国を裏切り、アラムの軍隊に降伏するために行きました。


神様は自分の力をあきらめ、神の前に完全に降伏する人たちに恵みを与えた話が聖書に色々と出てきます。

しかし、それが終わりではなく、救い出した人たちを神の働き人として用いてくださいました。


ライ病人がしたことといえば、とにかく生きるために その道を探っただけでした。

何一つ持っていないライ病人として選択できる道は降伏することしかなく、彼らはその道を選びました。


しかし、何が起こったでしょうか?

アラム軍隊の耳には、彼らの歩く音がまるで戦車の響き、馬のいななき、大軍勢の騒ぎのように聞こえたので、彼らは恐れて何もかも捨てて逃げていきました。


ライ病人たちは何が起こったかも知らず、アラムの陣営に行って、驚く光景を目にしました。彼らはお腹いっぱいに食べ、この良い知らせをユダヤ人にも伝えました。


これは誰一人想像することすら出来ない 神の不思議な方法でした。

この方法に用いられた人たちは、霊的な人でも 特別な力がある人でもなかったことが、私たちに慰めを与えます。


アラムの軍隊も ライ病人たちも普段通りにやっていたでしょう。

しかし、神のドラマに動員された人たちは、何も分からず その役割を立派にこなしていました。


私たちの人生も、台本を事前にもらって演技をするドラマとは違って、次の場面がどのように進行されていくのか まったく分かりません。

ですから、人生に神の演出という信仰がないと、不安に絡まれてしまいます。


私たちが信じなければならないのは、神のドラマは私たちが想像すらできない神の方法で進みますが、次の箇所にあるように信じなければなりません。


【ローマ8章28節】

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

それを悟る人は患難の中でも、希望をもって感謝し 喜ぶことが出来ます。

神のドラマで、自分がどのような役割をするのか知る必要もありません。

事前に知ったら面白くないです。


ただ自分の役割に忠実であれば良いです。

神が演出する人生には、“失敗” という結末がないことを確信しながら、日々忠実な者になりましょう。
(*´Д`*)

2016.2.22
3分テレフォンメッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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五つの教会が受けた主からの非難と対策

テーマは 『 五つの教会が受けた主からの非難と対策 』 です

【ヨハネの黙示録1章10ー11節】

私は、主の日に御霊に感じ、私のうしろにラッパの音のような大きな声を聞いた。

その声はこう言った。「あなたの見ることを巻き物にしるして、七つの教会、すなわち、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィア、ラオデキヤに送りなさい。」

先週は 七つの教会の中で、主からほめ言葉をもらった六つの教会を学びましたが、今回は七つの教会の中で、非難を受けた教会が五つもありましたので、どの部分が非難されたのか。


そして、それを変えるために、どのような対策を主から受けたのかを学びます。




◎ エペソ教会




【ヨハネの黙示録2章4ー5節】

しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。

それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。

この教会の問題は、初めの愛から離れたことでした。


他のすべてが良かっただけにこの部分は残念であります。

しかしこのような教会がたくさんあるのも事実です。


なぜ初めの愛から離れてしまったでしょうか。

奉仕や活動ばかりに心が向いてしまって、いつの間にかキリストとの交わりが減り、キリストへの関心も減り、ないがしろになってしまいました。


家庭で例えるならば、家族のために仕事を熱心にするのは良いですが、時間がなくて家族と話す時間も 共に食事する時間もなく 愛し合う時間もないことです。

家庭に一番必要なものが抜けていきます。


それによって すれ違いが生じ、心が離れていきます。


教会に多くの行事があるのを主が喜ぶでしょうか。

それに忙しくて、神とゆっくり交わる時間も 聖徒同士ゆっくり交わる時間もないのが主の願うことでしょうか?
―― そうではないです。


初めは自分たちの心がキリストで満たされていたのに、ある時から無関心になりはじめたのは、主が“どこから落ちたのかを思い出しなさい” と、対策を教えて下さいました。

そして “悔い改めなさい” と語ってくださいました。


自分たちの心が再びキリストに満たされ、キリストと新たな関係を結んで初めて 悔い改めたことになります。


主が一番願うのは“主を愛すること”です。


奉仕ではなく、イベントでもないです。

まずは主を愛し、主の栄光のために働くことです。


いまエペソ教会は存在しません。

エペソ教会があった地域から数キロ以内に教会は存在していなく、イスラムが支配しています。

キリストが燭台を取り外してしまいました。
悲しいことです。




◎ ペルガモ教会




【ヨハネの黙示録2章14ー16節】

しかし、あなたには少しばかり非難すべきことがある。あなたのうちに、バラムの教えを奉じている人々がいる。バラムはバラクに教えて、イスラエルの人々の前に、つまずきの石を置き、偶像の神にささげた物を食べさせ、また不品行を行わせた。

それと同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを奉じている人々がいる。

だから、悔い改めなさい。もしそうしないなら、わたしは、すぐにあなたのところに行き、わたしの口の剣をもって彼らと戦おう。

バラムは旧約聖書に出てくる にせ預言者で、イスラエル民族をつまずかせた預言者でした。


神は彼がしようとしたことを止めたので、最初はそれに従いましたが、結局 後で彼はイスラエル民族が神に罪を犯すようにたくらみ、イスラエル民族はそれに引っかかりました。

バラムの教えとは、不道徳と偶像崇拝へ導く教えでした。


多くの哲学も教会の中に入り、教会の中に教理というものも出来てしまいました。

非真理に対しては、真理であり 両刃の鋭い剣である “主のことば” で戦わないといけないです。


この時期に異教の多くの教えが教会に入りました。

多くの異教徒の教えが入ると、教会はどうなってしまうでしょうか?


カトリックがやっていることは、聖書にないことですが、それらのものが生まれました。

死人のための祈り、十字架を拝むことや聖人やマリア崇拝、裁きに対する間違った教えなどがあります。


このような混ぜ物で、教会は堕落していきます。




◎ テアテラ教会




【ヨハネの黙示録2章20ー23節】

しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは、イゼベルという女をなすがままにさせている。この女は、預言者だと自称しているが、わたしのしもべたちを教えて誤りに導き、不品行を行わせ、偶像の神にささげた物を食べさせている。

わたしは悔い改める機会を与えたが、この女は不品行を悔い改めようとしない。

見よ。わたしは、この女を病の床に投げ込もう。また、この女と姦淫を行う者たちも、この女の行いを離れて悔い改めなければ、大きな患難の中に投げ込もう。

また、わたしは、この女の子どもたちをも死病によって殺す。こうして全教会は、わたしが人の思いと心を探る者であることを知るようになる。また、わたしは、あなたがたの行いに応じてひとりひとりに報いよう。

非難されたことは、イゼベルという にせ預言者の働きを許したことでした。


旧約時代のイゼベルは残忍な殺人者であり、異教徒でイスラエルの中でバアル崇拝を大々的に行った人物でした。

にせ預言者イザベルも、不義の偶像崇拝を教えていました。

そして決して悔い改めませんでした。


にせ預言者は サタンの霊に完全に支配されて、教会を内部から潰す働きをしますし、信徒たちを惑わして地獄に落とす策略で活動しますので、その者が受ける罰は サタンが受ける罰と同じです。


光の天使のように変装し、神から来たメッセージだと言いますが、中身はオオカミです。

それに騙されないことがとても大切です。

それに従う者は真理から離れて行きます。




◎ サルデス教会




【ヨハネの黙示録3章1ー3節】

また、サルデスにある教会の御使いに書き送れ。『神の七つの御霊、および七つの星を持つ方がこう言われる。わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる。

目をさましなさい。そして死にかけているほかの人たちを力づけなさい。わたしは、あなたの行いが、わたしの神の御前に全うされたとは見ていない。

だから、あなたがどのように受け、また聞いたのかを思い出しなさい。それを堅く守り、また悔い改めなさい。もし、目をさまさなければ、わたしは盗人のように来る。あなたには、わたしがいつあなたのところに来るか、決してわからない。

“生きているようにされているが、実は死んでいる教会” とは、どのような教会でしょうか。

真理ではないものと妥協する教会のことです。


御言葉に従って信仰生活をするのではなく、様々な教理や形にとらえられた “形” だけの教会です。

名ばかりの教会で、そこには いのちも主の臨在もありません。


どんなにたくさんの人や活動があったとしても、それが主の心に適っていないならば 主はそれを神の働きではなく、人の働きと見ます。

すなわち神とは何の関係もないということです。


このような姿も、多くの教会の中で見られる姿です。

真理に戻り、神が喜ぶことをしないといけないです。




◎ ラオデキヤ教会




【ヨハネの黙示録3章15ー19節】

「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。

このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。

あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。

わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現さないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。

わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。

無関心、なまぬるく無気力が彼らの姿でした。


見た目は何一つ乏しいものがないように見えました。

しかし彼らの霊の状態は みじめで、哀れで、貧しく、盲目で、裸でした。


神聖な部分がなく、教会が世俗化されてしまいました。

クリスチャンと言いながら、重要なキリスト教理を軽く考え、世の価値観で生きる人、反キリスト的な思想で生きている人、御霊に従うよりは肉に従うことを好む人たちがたくさんいる教会です。


それが当たり前のような教会で、悔い改めることもない教会です。


【第2テモテ3章5節】

見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。

主から指摘された悪い部分を直すこともなく、放置するならば、それが癌細胞のように広がって命取りになります。


主がいない建物だけの教会、いのちのない死体のような信徒たちになってしまいます。


悔い改めることが一番の対策であることを主が教えて下さいました。
。゚(゚´Д`゚)゜。

2016.9.11
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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愛を見せなさい

テーマは 『 愛を見せなさい 』 です

【ヨハネの福音書14章21節】

わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現します。」

男性は愛を見せることがあまり上手ではないところがあります。


“言葉で言わなくても見たら分かるだろう” と勝手に思います。

女性は度々「愛している」という言葉を聞きながら、相手の愛を確認して幸せを感じ安心感を得ると言われています。

それは別に男性を疑っているわけではないです。


夫は、妻が愛のことばを言ってほしいと言われると、うっとうしいと思いますが、女性の心理を知って 理解するのが良いですね。


女性は愛されたい気持ちが強いので 愛を確認したいですし、男性は尊敬されたい思いが強いので 愛のことばよりは 尊敬のことばに感動するそうです。


イエス様は男性でしたが、やさしく愛をよく現していました。
心がとても温かい方でした。


愛は、無言で また何もしなくても感じるものでしょうか?


神様さえも私たちを無言で何もせずに愛したのでなく、行動で愛を現しました。


愛が本当にあるならば、それは必ず見える形で現れます。

ですから神は “愛を見せなさい” と語りました。


イエス様の告別メッセージには、特に “愛” に関することばが多かったですし、それが重要なテーマでした。


本文でも「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。」と語りました。



また、次の箇所にはこのように語っておられます。


【ヨハネの福音書13章34節】

あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

【ヨハネの福音書14章15節】

もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。

【ヨハネの福音書14章23-24節】

イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。

わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。あなたがたが聞いていることばは、わたしのものではなく、わたしを遣わした父のことばなのです。

【ヨハネの福音書15章12節】

わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。

イエス様はこのように “愛すること” が新しい戒めであると明確に教えて下さいました。


私たちは 愛し合うという新しい戒めを、どれほど守っていますか?


さらに、“神を愛すること”、“互いに愛すること” は切っても切れない関係であることが次の箇所に書かれています。


【第1ヨハネ4章7-16節】

愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。

愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。

いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。

神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。

私たちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたのを見て、今そのあかしをしています。

だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。

私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。

愛を軽く考えてはならないことが、これらのことばでも分かりますね。


愛はことばだけで伝わるのではなく、イエス様を愛する人は主の戒めを守ることで、主への愛が証明され、互いに愛することで神への愛がその人の中にあることが証明されます。


愛は、いのちある種です。

蒔かないと実が結ばない種です。


主の名によってどんなに素晴らしい働きをしても 愛が抜けてあるならば、いのちの実がない葉っぱばかりの働きになってしまいます。


それは実を結ぶことを期待する主を裏切ることになります。


【第1コリント13章1-3節】

たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。

また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値打ちもありません。

働きと賜物も重視しますが、それを価値あるものにするのは “愛” です。

愛のないものは主が受け取らないです。

この世の評価は すべて結果ですが、主の評価は “愛があるかどうか” です。


なぜ主は、愛で評価をするのでしょうか?

愛は結果ではなく “方向” だからです。


結果ばかり考える人は、目指す方向が “結果” ですから、働きや賜物を重視し、そこにいつも目を向けます。

ですから確かに結果はついてくると思います。


しかし主を愛する人は、愛の対象である “主” に目を向けます。

つまり 愛の方が働きよりも優先です。


ですから、いつも目も心もイエス様に向けます。
その人たちは、イエス様から目を離しません。



【ヘブル12章2節】

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。

このように私たちがどこに目を向けるべきかを教えて下さいました。


愛は、愛の対象に関心があり、そこにすべてを向けます。

主がそのようにしました。


働きよりは 人に関心を示し、人を愛することがいつも優先でした。

私たちもそうあるべきであると主は教えました。


マリヤとマルタ姉妹のことは皆さんも知っています。

マルタは働き者です。
しかしマリヤは怠けているように見えました。


なぜならマルタは忙しく回っているのに、マリヤはイエス様の足元に座ってイエス様を見ながら話を聞いていたからです。


手伝わないマリヤを見て、マルタは腹が立ってイエス様にその不満をもらしました。

しかしイエス様からは意外なことばが返って来ました。


【ルカの福音書10章41-42節】

「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。

しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」

多くのクリスチャンが“マルタ状態”かも知れません。


熱心な人は主のために何かをしようとあれこれとやりますが、それが段々しんどくなり、主に会うと文句を言います。


ある人は、自分の仕事や遊びが優先で主と会う約束をいつも破ります。

礼拝や祈りの時間は主と先約した時間です。


しかし、よく破るのでイエス様はその人に会えないです。


イエス様は愛する人を待っているのに、その人が来ないと寂しい思いをします。


主が一番願うのは、私たちが主を愛することです。


そして主との時間を大切にし、主のことばに耳を傾けることです。

そして聞いたことば通りに行動することです。


これが主を一番喜ばせることです。


主を愛する時間もない人は、主を忘れ、いつか主も「あなたが誰なのか知らない」と言います。


いつも主を愛して共にいますか?
それとも忘れていますか?遠く離れていますか?


聖書でマリヤとマルタの姿を見ても、マリヤの方が主への愛が強いように見えます。


主を愛するのでイエス様から目を離さないでいましたし、主のことばは彼女には一番のごちそうでしたので、みことばを消化していました。


主を愛する人は 主の戒めをないがしろにせず守ります。

それは当然ですね。






ベロニカという女性が主の恵みによって地獄と天国を見学しました。

地獄に多くのクリスチャンがいる姿を見てとても疑問でした。

クリスチャンがいるとは思ってもみなかったからです。


それで 主にその理由を聞きました。


主の答えは「彼らはわたしを信じてはいたが、わたしのことばに従って生きることはしなかった。
多くのクリスチャンが教会の中、家族の前、知り合いの前だけおとなしく行動しているが、彼らは自分自身をいつも騙しながら生きているのだ。
私の父の目はすべてを見ているし、どこでもすべてのことばを聞いているのだ。」でした。


形式的で愛の冷めた結婚生活のような信仰生活を 主が喜ぶでしょうか?


主がもっとも望んでおられるのは愛の関係です。

主の愛は熱い愛なので、なまぬるい愛では満足しません。

“あなたの愛を見せなさい” と言われます。


信じる者として生きることは、愛の関係をずっと保っていくことです。


愛すれば愛するほど 心も霊的にも豊かになります。

そこから多くの実が結ばれていきます。


愛は話したり、考えたり、感じたりする以上のものです。

愛の関係が必要です。


イエス様は、私たちを愛して十字架に架かると話しただけではなく、実際に架かりました。

いのちを実際に捨てました。


喜んで自分を与えるのが愛です。

私たちのために十字架を負った主が語ったことばがあります。


【マタイの福音書16章24節】

それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

主を愛する者ならば 自分の十字架を負って主についていきます。


ある教会で 主の教えとは違って人間的な思いで「こんなに苦労の多い時代に 教会の中でも重たい話を聞くならば ストレスガ溜まって死にます。教会では慰めと平安と安息を得なければなりません。」といつも祝福のメッセージだけを伝えるところがあります。


主の十字架は愛です。

私たちを愛したので死にました。


私たちが負う十字架も愛の十字架です。主への愛です。


自分のストレスの方がもっと大切で、自分が負う十字架を嫌がって拒否することは 主を愛していない証拠です。


愛する人には十字架は決して重荷ではないです。

育児は大変ですが、それを重荷と思って育児を拒否するでしょうか?


大変でも子どもを愛するので犠牲を喜んで払います。

他の理由はありません。


主を愛する人は自分が負う十字架を見るのではなく、愛する主を見て、自分も十字架を負います。


イエス様に対する自分の愛に偽りがあるならば、それは愛ではないです。

愛のない者に主は分からないとまで言われました。


主を愛する者は 父なる神に愛され、イエス様にも愛されます。


愛の本質は まぎれもない愛です。

愛がないならば、それは値打ちも本質も中身もない形だけのむなしいものになります。

互いに愛することで私たちが主を愛していること、そして神を知っていることが分かります。


主を愛していますか?互いに愛していますか?
愛の実が結ばれていますか?


それとも自分だけを愛しながら満足していますか?
Σ(`□´/)/

2016.5.8
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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私をあわれんで下さい

テーマは 『 私をあわれんで下さい 』 です

【マタイの福音書15章21-22節】

それから、イエスはそこを去って、ツロとシドンの地方に立ちのかれた。

すると、その地方のカナン人の女が出て来て、叫び声をあげて言った。「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が、ひどく悪霊に取りつかれているのです。」

「どう祈ったら祈りが答えられますか。どう祈ったらいいかわからないです。」と言うクリスチャンが多いです。

このように、祈りを難しく考える人が意外にも多いです。


イエス様がどのような祈りに いち早く反応したかを聖書で調べるならば、どう祈るべきかが分かります。


イエス様の所には常に様々な問題や悩みを抱えた人たちが ひっきりなしに集まって来ました。

数えられないほどの奇跡がありましたが、ある奇跡は聖書に記録されてあります。


きっとそこには 神様が語りたいメッセージがあったので、特別に記録として残したかもしれないです。


今日の聖書の内容からは、答えられる祈りの言葉が出てきました。


主の所に悪霊に取りつかれた娘を抱えた女の人が来ました。

想像するだけでも日々大変な思いをしながら娘を育てていたと思います。


治す方法すらありませんので 先も見えないです。
毎日が戦いの日々です。


私も、今までそういう人たちを 何人も見てきましたし、悪霊も追い出しました。

家族もとてもつらい思いをしていました。


そのような苦しみを抱えた女の人が、主の所に来て話したことばは とても短いことばでした。


「主よ。ダビデの子よ。私をあわれんで下さい。娘がひどく悪霊に取りつかれているのです。私をあわれんで下さい。」
この言葉がすべてでした。


これだけでも 辛い状況と切なる願いが伝わってきます。

ことば数が多ければ多いほど(祈りが)聞かれると思って、あれこれと言う人が多いですが、主の耳に一番入りやすいことばは「私をあわれんで下さい」ということばです。


なぜなら主は あわれみ深い方なので、この女の人はそれを知って 主のあわれみに訴えかけました。


そして主も そのことばにすぐ反応しました。

その後、イエス様は彼女の信仰を試しますが、それに対してしっかりと信仰を見せました。


さらに女の人は進み出て、主の前にひれ伏して、「主よ。私を助けて下さい」と懇願しました。


主が “あわれみ深い神” だけではなく、 “助け主” であることも知っている女の人は、積極的に主に願いました。

主は女の人の願いを叶えてあげました。

そして娘から悪霊が出て行き、癒されました。


私たちに主に対する揺るがない信仰があるならば「主よ。私をあわれんでください。私を助けて下さい。」と祈るだけでも主は答えて下さいます。






二人の盲人が目の癒しの奇跡を体験しましたが、彼らにも同じものが見られました。



【マタイの福音書9章27節】

イエスがそこを出て、道を通って行かれると、ふたりの盲人が大声で、「ダビデの子よ。私たちをあわれんでください」と叫びながらついて来た。

そして さらにイエス様のみもとまでやって来た時に、イエス様は「私にそんなことが出来ると信じるのか」と聞かれた時に、「そうです。主よ」と自分たちの信仰を見せました。


すると、主はすぐに彼らの目にさわって「あなたがたの信仰のとおりになれ」と言われました。

そして彼らの目が見えるようになりました。


彼らは「主はあわれみ深い方、奇跡を行う主、願いを叶えて下さる主」であることを信じました。


その信仰を持って「主よ。私たちをあわれんで下さい」と叫んだので 主が癒して下さいました。


【へブル11章6節】

信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。

このように書かれているように、信仰をもって 主に「私たちをあわれんで下さい」と求めたので、奇跡が彼らに起こりました。


また、祈るために宮に来られた取税人の祈りはどうでしたか。

彼は罪の問題を持ってきました。
次の箇所です。


【ルカの福音書18章13節】

ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』

彼の前に、律法を守って敬虔な信仰生活していると自任しているパリサイ人の祈りには反応しなかった主が この人の祈りには反応しました。

そして彼の罪を赦して下さいました。


罪人が罪を赦してもらうために あれこれ言ったのではなく、自分の罪を悔い改めながら「神様。私をあわれんで下さい」と言っただけでしたが、それは主がとても喜ぶ祈りでした。


主が罪を赦して下さる主だと信じたので、主に直接お願いしました。


「私をあわれんで下さい」と祈る時に、主はあわれんで下さいます。

「私を助けて下さい」と祈る時に、主は助けて下さいます。


短いことばですが、主はその言葉に その人の辛さ、大変さ、悩み、願いがすべて入っていることを知っておられます。


そして、その言葉とともに主への信仰を持って主に近づく人に 主は答えて下さいます。

あわれみ深い主は、あわれみを求める祈りに すぐに耳を傾けて下さいます。



【ヘブル4章16節】

ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

神様は私たちをあわれんで下さる方です。

また助けて下さる方です。


「私を助けて下さい」と信仰の先祖たちが 苦しみの中で主に助けを求めた時に、いつも助けて下さいました。


自分の中に 主への信仰があり、問題を主の所に持って行き 「主よ。私をあわれんで下さい。私を助けて下さい」と言うだけで、主は答えて下さる方です。


たくさん祈らないと主が見向きもして下さらないと勘違いしてはいけないです。


切なる思いで 「主よ。あわれんで下さい」 と祈るだけでも、その祈りは主に届きます。


(神様に)届いた祈りには必ず答えがあります。


「私をあわれんで下さい」という祈りは、謙遜な祈りです。
そして「私を助けて下さい」はSOSの祈りです。



【第1ペテロ5章5節】

みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。

主の前にへりくだって切に求める祈りと願いに 主はいち早く答えて下さいます。


「私をあわれんでください。私を助けてください。」は、とても良い祈りのことばです。
(。・ω・)ノ゙

2016.1.24
聖日礼拝メッセージ

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