からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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信仰の人・ヒゼキヤ王の生き方

テーマは 『 信仰の人・ヒゼキヤ王の生き方 』 です

【第2歴代誌31章20-21節】

ヒゼキヤはユダ全国にこのように行い、その神、主の目の前に、良いこと、正しいこと、誠実なことを行った。

彼は、彼が始めたすべてのわざにおいて、すなわち、神の宮の奉仕、律法、命令において神に求め、心を尽くして行い、その目的を果たした。

数少ない良い王として記録されたヒゼキヤ王の生き方は、神が喜んだ生き方でした。


間違えた生き方をすると 失敗の人生になりますが、神が喜ぶ生き方をすると、勝利の人生になります。


神に喜ばれる生き方をした ヒゼキヤ王の生き方を、今日は学びます。





主の目の前を歩んだ生き方




すなわち、常に “主を意識した生き方” でした。

これが 主と共に歩む人生です。


口先だけで 『主よ。主よ』 と言う人は、この生き方は出来ないです。


自分の思いのままに生きる人は、主の存在を重たく感じるので、出来るだけ神を避けて1人で歩むことを好みます。


しかし 主を愛する人、信仰ある人は、神から離れて生きることは考えられないので、いつも主に近付き、主と共に人生を歩みます。


そして 主の御心を求め、主の御心を行うことを喜びとします。

『良いこと、正しいこと、誠実なこと』 は、主が喜ぶことです。


【ピリピ4章8節】

最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。

これらのことが主に喜ばれることだから心に留めなさい、と言われました。

ヒゼキヤ王も、これらのものを心に留めて生きましたので、それが神によって評価されました。


自分たちの人生の評価は、自分でも他人でもなく、神がなさいます。


高い点数を受けるのは、神のみこころを行う人であることは間違いないです。




神の国とその義とをまず第一に求める生き方




王としての第一の仕事は、神の仕事だと思いながら生きました。


多くのクリスチャンは、それは無理だと思いながら、世の仕事を第一にします。

そのために神の働きをないがしろにしながらも、何とも思いません。


王の仕事はたくさんあります。

国の最高統治者なので、責任も重く、毎日決定しなければならない重要な課題もたくさんあります。


しかし彼は、それもないがしろにすることなく良い統治者として国民からも愛され、国も繁栄しました。


第一にすることは 量の問題よりも、“質の問題” です。

何に重点を置くかです。


何かと理由をつけて、神の命令と働きを ないがしろにしないことです。


なぜなら神が私たちを造り、私たちを闇の中から、呪いと滅びから救い出した目的があるからです。


【エペソ2章10節】

私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。

ここでいう良い行いの一番は、『神の国とその義とを第一に求めること』 です。


これこそが神の秩序です。

その秩序に従って生きる人の人生が狂うことはありません。




目的を果たすまで怠けず 忠実に生きる生き方




良い計画を始める人は多いです。

高い目標を立てる人も多いです。

勢いよく始める人も多いです。


しかし目標を達成するまで続ける人は少ないです。


目的を達成するまで続けることは、その働きを任せた神を喜ばせたい心が強いから出来ることです。


自分を喜ばせる人は、自分の感情に忠実です。
自分の心に従います。


しかし神に従う人は、どんな困難があっても神を求めながら、神を喜ばせるために励みます。


パウロ自身も このような生き方をしました。


【ピリピ3章13-14節】

兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、

キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。

そして、それを また他の聖徒たちに勧めました。


【ピリピ3章15節】

ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。もし、あなたがたがどこかでこれと違った考え方をしているなら、神はそのこともあなたがたに明らかにしてくださいます。

目的を達成するまで、忍耐しがら忠実に働くことは、働きを任せて下さった方を喜ばせることです。

それによって良い実を見ることが出来ます。


葉っぱばかりで 実りがない木が呪われたように、実のない人生は失敗した人生です。


『怠けた悪いしもべだ』 という評価を主から受けますが、実りが多いしもべは 『良い忠実なしもべだ』 と、高い評価を受けます。


皆さんは今、どのような生き方をしていますか?


今の生き方で 神から良い評価を得る自信がありますか。


それとも、いつか後悔する生き方をしていますか。
Σ(=゚ω゚=;)


2017.7.16
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会


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パウロメッセージの重要テーマ

テーマは 『 パウロメッセージの重要テーマ 』 です

【使徒の働き20章19-21節】

私は謙遜の限りを尽くし、涙をもって、またユダヤ人の陰謀によりわが身にふりかかる数々の試練の中で、主に仕えました。

益になることは、少しもためらわず、あなたがたに知らせました。人々の前でも、家々でも、あなたがたに教え、

ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。

パウロは復活したイエス様によって直接使徒として召されました。

その場面は次の箇所にありますが、パウロに対して主が語ったことばです。


【使徒の働き9章15節】

わたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。

そしてパウロは主の心にかなう働きをしました。
救われた異邦人にとってパウロの存在は本当にいのちの恩人です。


パウロの働きは簡単に出来たわけではありませんでした。

真の神を知らない異邦人の所へ行って、彼は命懸けで福音を伝えました。
多くの迫害と反対の中でも彼は伝えるべきことは大胆に伝えました。


私たちも神様のことを人々に伝えますが、人々が喜んで聞くことはほとんどありません。

その為、私たちは委縮し、消極的になり、何をどう伝えたら良いのかと悩んでしまいます。
聖書のことばはたくさん知っているのに、伝えるべきことばが分からず困ったと言うクリスチャンも多いです。


今回は最高の伝道者であったパウロのメッセージの重要テーマが何であったのかを皆さんに伝えます。

これから皆さんが福音を伝える時に、その内容で伝えたらいいと思います。





1.神に対する悔い改めと主イエスに対する信仰




【使徒の働き20章21節】

ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。

悔い改めと信仰は切り離すことが出来ないものです。


悔い改めなしに救われることはないですし、また 信仰なしに救われることもありません。


キリスト教のもっとも基本的な真理は神様に対する悔い改めと信仰です。

罪を犯したことのない人間は世には存在しません。
自分には罪がないという人は罪に気づいてないか、罪が何なのかを知らない人です。

悔い改めとは、自分には罪があることを神の前で認めることであり、罪を憎んで罪を悔いている心の変化を意味します。

そして主イエスに対する信仰は、キリストが十字架の上で死んで成し遂げた贖いとキリストが救い主であることを信じることです。


救いはまず悔い改めがあり、それに信仰が結びつく時に得られるものです。パウロは必ずこのことを語りました。




2.キリストによる罪の赦しと義




【使徒の働き13章38-39節】

ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいて下さい。

モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって、解放されるのです。

パウロはすべての人はキリストを通して神様からの罪の赦しを受けるべきであると強調しました。

なぜならば罪によって神様との関係が断絶された人間は、キリストを通して罪の赦しを受けるまでは神様と和解することが出来ません。


【コロサイ2章13節】

あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、

神様は私たちが罪を悔い改める時にその罪を赦して下さる方です。

モーセの律法はそれを犯す者に対する刑罰はあっても罪の赦しや救いの保証はありませんでした。

イエス・キリストは律法が保証しなかった罪の赦しを保証しただけではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められ、救いを得ることまでも保証しました。




3.イエス・キリストの復活




【使徒の働き17章3節】

そして、キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないことを説明し、また論証して、「私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです」と言った。

キリストの復活は作り話ではなく、実際にありました。

多くの目撃者があり、復活してからも何度も弟子たちや人々の前に現れました。
そしてパウロ自身も復活した主によって使徒と任命されました。

それまでパウロはキリストに敵対し、信徒たちを激しく迫害した者でした。


そして “キリストの復活” こそ信じる者たちの希望です。

キリストの復活がないならば、私たちの信仰もむなしいものになります。




4.神の国(天国)




【使徒の働き19章8節】

それから、パウロは会堂に入って、三か月の間大胆に語り、神の国について論じて、彼らを説得しようと努めた。

神の国、すなわち天国こそが聖書が提示する究極的なビジョンです。
神の国があるからキリスト教の救いは永遠性を持ちます。


天国がないならば私たちにどんな希望があるでしょうか。どこに向かって歩んだらいいかわからなくなります。

この世がすべてであるならば、私たちは神様を信じる理由がありません。
狭い道を歩む理由も、迫害される理由も、また忍耐する理由もなく、好きなように生きればいいです。


しかし、天国は間違いなくあります。

信仰の人々はどの時代にも天国にあこがれていて、地上では旅人として生活しました。


天国はお金で行ける国でもなく、権力で行ける国でもなく、キリストの十字架を通った人たちが行ける国です。
神様が支配し、涙も苦しみもない平安の場所です。

神様が準備した最高の場所です。
「私の父の家には、住まいがたくさんあります。」とイエス様が教えて下さいました。


地上でどんなに辛いことがあっても、天国があるから先が楽しみです。




5.偶像崇拝者に対する最後のさばき




【使徒の働き17章16節】

さて、アテネでふたりを待っていたパウロは、町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを感じた。

この憤りはパウロ個人の憤りでしょうか?
―― これは神様の憤りです。


なぜならば神様は次のようにはっきりと宣言しました。

「わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。」 と。


神様を無視し、神でもない偶像を拝む者に対しては厳しい裁きがあります。


【ヨハネの黙示録21章8節】

しかし。おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」

パウロはこれ以外にも人々にとって益になることは、少しもためらわずに知らせました。

なぜならばパウロは誰よりも人々の魂を深く愛したからです。
パウロの心と姿勢はイエス様に見習ったものでした。


一人の魂も滅びることを願わない神の心を知って、パウロ自身もその心で福音を伝えました。

私たちは何を伝えたら良いかを考える前に、魂に対する深い愛が自分にあるかどうかを調べなければなりません。
愛がないと語ることが出来ません。


愛がないならば、主に愛の心を求めましょう。
そして愛の心をもって人々の救いのために祈り、パウロが伝えたように伝えましょう。
(・∀・)つ


【使徒の働き20章24-27節】

けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。

皆さん。御国を宣べ伝えてあなたがたの中を巡回した私の顔を、あなたがたはもう二度と見ることがないことを、いま私は知っています。

ですから、私はきょうここで、あなたがたに宣言します。 私は、すべての人たちが受けるさばきについて責任がありません。

私は、神のご計画の全体を、余すところなくあなたがたに知らせておいたからです。

2015.3.15
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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クリスチャンの特権

テーマは『 主に出会った時に与えられたもの 』です

【 ヨハネの福音書1章12節 】

私たちがクリスチャンになって神様から与えられたものを知らなければならないです。
それは全て霊的なものです。

聖書を読んでいると無知という言葉がたくさん出てきます。
神様を知らない人だけが無知なのではなく、神様に出会って自分がどういう存在に変わり、
神様から何が与えられたのかを知らないということも無知であります。

それらを知らないと、救われたにも関わらず(自分が)神様についているのかも分からず、
古い人のままなのか、新しい人になったのか 分からないので さまよいます。ですから簡単に妥協します。

クリスチャンになったからといって、急に顔や生活習慣、性格や行動が変わるわけでもないです。
しかし内側は全く違うものに変わっていることを気付かなければならないです。
気付かなければ、そのように生きることができないです。

今回は自分は何者なのかということを語りたいと思います。


【 ヨハネの福音書1章12節 】

神の子どもになった「特権」とありますが、これは身分であります。
神の子どもというのは、私たちが生まれながらに神様の子どもということではないです。

もともとは神様に造られた子どもですが、私たちが罪によって自分の魂をサタンに売り渡していました。
ですから以前は罪の奴隷でありましたが、イエス様の血によって代価を払い神様の子どもとされました。


【 ヨハネの福音書3章16節 】

「永遠の命」です。これは私たちが自ら棄てない限り、永遠に私たちのものであります。


【 ヨハネの福音書8章32節 】

「真理」です。真理はイエス様であります。そのイエス様を知るということは、イエス様に出会ったことであります。
“あなたがたを自由にします”という言葉は、罪の奴隷から自由になるということです。
誘惑は必ず来ます。
以前は罪の奴隷だったけど、今はキリストにあって私は自由になったと言葉で宣言をすることで
サタンは逃げていきます。


【 マタイの福音書11章28-29節 】

安らぎ=「平安」です。イエス様が来なさいとおっしゃられて、その言葉を聞き、来た人は安らぎを得ます。
安らぎを得た人の姿が書かれている箇所は【 マルコの福音書5章32-34節 】です。
長い間、長血でとても苦しんでいた彼女は全てがダメになるほど酷い目に遭いましたが、
自らイエス様の前に出て  イエス様の衣に触れました。そして彼女は心も体も癒されて平安な心で帰りました。
私たちもイエス様に色々なことを打ち明けて、重荷を降ろして帰るのが主が私たちに与えてくださった
祝福の約束であります。

ですから心に安らぎがない時に、主の前に来てください。そして重荷を降ろしてください。
重荷を降ろさないで、ただ愚痴だけをこぼして そのまま帰るのではないです。
「私に平安をください。私の重荷を全部イエス様に委ねます。」と任せて、安心して帰ったら良いと思います。


【 使徒の働き2章38-39節 】

「聖霊」が与えられています。私たちが罪を悔い改めてイエス様を信じた時に、賜物で与えてくださいました。
聖霊はお金を払って得られるものではないです。
信じたら誰にでも聖霊を受けることができます。


【 使徒の働き16章31節 】

「救い」が与えられます。救いを受けるためには他に道はないです。
信じたら救われます。魂の救いがないと天国に入ることができないです。


【 ローマ3章26節 】

「義」です。イエス様を信じるということは自然とイエス様が十字架に架けられた時に流した血が注がれています。
血を流すことによって罪が赦されます。罪が赦された状態が「義」(正しい者)であります。
自分で一生懸命 努力をして正しい事を行い、私を義と認めてくださいと言っても
神様は絶対にそれは認めないです。
それは神様の方法とは違うからです。イエス様の血を注いで初めてその者を義と認めてくださるので
私たちが信じたその時に、神様の目から見て義とされています。


【 ローマ8章30節 】

「栄光」です。(みことばは)過去形で書かれてあります。信じた者だけに神様が次々と与えてくださったものです。
人間の努力によって得られるものは1つもないです。すべてイエス様によって私たちが得るものなのです。


【 Ⅱコリント2章14節 】

「勝利」です。私たちは神様から勝利を得ている者であります。
以前はどんなに世の中で立派な地位を得ても、結局その道は滅びの道でありますので
全てが虚しいものになっていき、敗北者で終わります。
しかしイエス様を信じたその時から 私たちはイエス様の足跡についていくものになります。
主は勝利をしましたので、イエス様と共にいる者は、その行列に入れてもらえます。
キリストが私たちを勝利者にしてくださいました。


【 Ⅱコリント5章17節 】

「新しいもの」にしてくださいました。自分にその認識がないと新しい者としての生き方ができません。
この世に引っ張られ妥協をしながら古い人のまま生きているのは、
神様のみこころと自分が何者かを知らない者であります。
私は新しく造られた者なんだと宣言をしたら良いです。私は神様の子どもの特権があることを告白していきましょう。


【 Ⅰヨハネ1章7節 】

「罪の赦し」です。神様は私たちがこれからも罪を犯すことを知っておられます。
イエス様の血には私たちの過去、現在、未来の全ての罪までも聖める力があります。
私たちは罪から生まれた者であり、私たちの中にそのようなものが染みついています。
ですから罪を犯した時は、そういうことを告白するなら 神様は またイエス様の血をもって注ぎ、
私たちの罪を赦し、聖めてくださいます。
悔い改めないなら赦されませんが、悔い改めるなら神様によって聖められます。これは聖書の真理であります。


【 ヨハネの黙示録3章5節 】

信じる者は、いのちの書に名前が書かれます。「○月○日にわたし(神様)の子どもになった」と
これがないと神の御国に入ることができないです。

クリスチャンの中に疑問に思っている人たち、開き直っている人たちは
信じた時にいのちの書に名前が書かれてあるから、その後は神様から離れて罪を犯したとしても、
神様は名前を消すことがないから、私は必ず天国に入るんだ。という人たちがいます。

それは全て真理でしょうか――?
そうではないです。なぜかと言うと【 ヨハネの黙示録5章5節 】に書かれてあります。
もちろん神様は信じたその時に、いのちの書に名前を書いてくださいますが、
その者が神様に背を向け、裏切り、悔い改めることもせず、罪の中にどっぷり浸かって生活をするならば
もはや、その者は神の子ではないです。そして いのちの書から名前が消されます。
しかし勝利をする者は、神様の方から いのちの書の名前を消すことは決してないです。


勝利をするということは、特別なことをするのではく、神様の中にしっかりと留まることであります。
そして、いのちの道を最後まで歩く者が勝利者であります。

まとめると次のとおりです。

  • 神の子どもになりました。
  • 永遠の命を受けました。
  • 自由を受けました。
  • 安らぎを受けました。
  • 聖霊を受けました。
  • 救いを受けました。
  • 義と認められました。
  • 栄光を受けました。
  • 勝利を受けました。
  • 新しくなりました。
  • 罪の赦しを受けました。
  • いのちの書に自分の名前が書かれました。

これらは素晴らしいものであります。これを私たちが信じた時に、神によって全て受け取ってあります。
どれほどクリスチャンという身分は素晴らしい身分であり 特権があるのか、
素晴らしい祝福を私たちが既に受けています。

主に感謝をしながら、その者らしく私たちが生きるべきであります。 ( ´∀`)つ

2013.4.21
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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聖別された生活

テーマは『聖別された生活をするために』です。

【Ⅱコリント6章14-18節】

神様はこのみことばの中で全然違うものを2つずつ比べています。
そこに一致があるのか、それが釣り合っているのか調和しているのかという言葉を使いながら、
私たちがそこから出て分離することを語っています。

私たちが神さまの子どもになったということは、この世から聖別されたことを意味します。
元々は この世にいましたが、そこから神様が連れ出して聖めた者です。
聖徒という言葉は “聖くされた者達”のことであります。

神様は聖い方でありますので、神様はご自分の子どもにするのも まず汚れたものを洗い聖めます。
汚れたままで良いということはないです。

放蕩息子が帰ってきた時にお父さんはどう行動したでしょうか――?
息子は乞食(こじき)のような生活をしていました。出て行った時と帰ってきた時の姿が全然違いました。
お金をたくさん持ち立派な服装をして出て行きましたが、湯水のように使い散財しました。
完全に乞食になり食べ物がなく、道ばたに寝ていた者でした。
服も汚く洗うことなく誰が見ても乞食でありました。

汚くて見るに見られない状態でしたが、お父さんはそのままの状態で家に入れたわけではないです。
綺麗にしました。新しい服を着せました。新しい履物を与えました。
息子は「わたしはもうお父さんの子の資格はないです。」と言いましたがお父さんはまず全部洗って
新しい服に指輪をはめさせて新しくしました。
神様がなさることはそういうことです。

アダムとエバは、罪を犯した時に神様はどうしましたか――?
罪がない時は、彼らには汚れがなかったです。汚れがないので裸のままで生活をしていても
恥ずかしいと思ったことはないです。

しかし、罪を犯した時に葉っぱを持ってきて見せたくないところを隠しました。
そしたら神様が彼らに「イエス様・救い主を与える」と約束をし、
動物の皮で服を作って彼らに着せました。
以前、彼らが着ていた葉っぱのようなものではないです。寒さにも耐えられるように
神様自身が服を作って着せました。神の手によるものであります。

ですから、神様が私たちを子どもにしたということは私たちをこの世・暗闇の中から光に移し
サタンの奴隷、支配された者をそこから出しました。

(あなたがたは)神の子どもになったのに以前と同じ生活をするのか?ということであります。
そのことを神様は教えたかったです。
私たちは身分が変わると、それからの生き方も変わっていかなければならないです。
それを維持していく必要があります。

その時 1回だけ参加して「神様、聖くしてください。」と、それから世の中に出て行って
世の中にどっぷり浸かって生活をして、世の人なのか神様の子どもなのか区別がつきません。
そのような生活は神様は願っておられないです。

1度聖められた者はそれからはどうすべきなのかを神様は はっきりと教えてあります。

【Ⅱコリント6章14節】

聖別された生活をするためにとても大切なことであります。
「信じない人と断絶することですか?」、「彼らとは話をしてはいけないことですか?」
そのような極端な言葉ではないです。
神様は私たちの信仰を脅かす人、信仰を汚す人、妥協させようとする人達、
そういう人達と私たちはくびきを負ってはいけないということであります。

なぜなら私たちは信じていない人達に福音を宣べ伝える必要があるからです。
だけどその中で自分が持っている信仰が取られる そういう働きをする人と
私たちは一緒に歩くことはできないです。

不信者は、信者の傍にいるからといって(不信者が)勝手に救われることはないです。
同伴者にはならないです。
同じ信仰を持つならば天の御国に向かってずっと一緒に歩くことができますが、
「この人は私が好きな人だから、別に(イエス様を)信じなくても一緒に居たら
一緒に天国に連れて行ってもらえる。」 ――これは とんでもないことであります。

信仰は1人1人のものです。 あなたが信仰告白して信じるならば救われるということであります。
「私1人が信じたから勝手に家族が救われる」「私1人が信じるから自分が愛する人が勝手に救われる」ということは聖書には書かれていないです。

「主イエスを信じなさい。そうすればあなたも あなたの家族も救われます。」というみことばがありますが
私たちが信じると、神様を知る者になります。そうすると自分達の家族の為に祈ることになります。
私たちが信じないならば、家族の救いの為に祈ることはできないです。
しかし、自分だけが天国へ行って、家族が地獄に行って良いですか?――それは誰も思わないです。

「どうか神様、家族を救ってください。」と祈りを蒔くので、時が来た時にその家族が救われるようになります。
語ることで言葉の種が落ちるので救われます。種が落ちないと救われないです。

まだ信じていない人と一緒に教会へ来るから救いの同伴者になる、ということは絶対にないです。
ですから神様は勝手な思いを持ったらいけないということをおっしゃいます。
主の前に出てお互いに信者にならないと合わないくびきになってしまいます。

結婚相手は同じ信仰を持っていないのであれば、行く道が違うので同伴者にはなりません。
結婚する前はピッタリ合っていても、結婚をしたら色んな揉め事が出て来ますが
初めから合わないくびきを負って一緒になることはありません。価値観が違って、
目指すところが全部違います。歩くところが全部違います。
ですから 結婚はすごく大切なことであり、人生での大きな決断であります。
性格とかは皆違います。それを(自分も)一緒に合わせるということではないです。
それはその人の個性でありますが、聖書箇所は真理であります。
行く道が違うとどんどん分かれて行って1人は上に、1人は下へくだっていきます。
そこに幸せはないです。信仰と不信仰の戦いがあります。
そのことで不信者との親密な関係はいけないということです。
どちらかが影響されます。

ソロモンは立派な信仰を持っていました。しかし神様の言葉に不従順し、情欲が出て異邦人の女を
1000人妻にしました。
その妻たちは自分の偶像を持ってきてあらゆる物を建てました。ソロモンはそれを手伝いました。
ソロモンが知恵を持って信仰を守ろうとしても、そもそも出発から間違えていました。
神様がするなとおっしゃっているのに、自分の情欲に負けて倒れました。
女の人達は倒れず相変わらず偶像の神をそのまま信じました。

私たちも、ソロモンのような信仰が素晴らしかった人も倒れるのに、自分達も罪のくびきを負って
「大丈夫です」と言えるでしょうか? そしてますます自分が汚れていきます。
私たちは世の流れに流れるのは簡単なことであります。そこで生活しているので慣れています。

「何で教会にいつも行くの?」とかをいちいち言う人とは、縁を切った方が良いです。
それを聞いているとだんだん誘惑されていきます。そして自分自身が神様から離れていきます。
神様はそれを警告しておられます。

【Ⅱコリント6章16節】

私たちは神様を受け入れましたので、聖霊様は私たちの内側に住んでおられます。
ですので神様は私たちの身体は神の宮と言っておられます。
その身体を罪で汚してはいけないです。

1番汚すものは「偶像」であります。宗教は心でするものであります。
偶像は全てサタンでありますので、それを拝むならばサタンが当然入ってきます。
多くの人たちは自分の信じる神がいます。私たちがその人達と妥協し
その人達の考え・教え、そういうものに私たちが耳を傾けるならば、だんだん自分の中で
それらのものに対する色んな思いが出て来て思いが汚されていきます。
罪が出て、偶像崇拝をすることになります。
淫乱・姦淫によっても汚されます。思いが汚されます。そうすると聖霊様が悲しみます。
聖霊の宮なのに色んな汚いものをその中に持ち込んでくるならば、宮が汚されていきます。
それは全て罪であります。自分でごまかしても罪は「罪」です。
汚れたものに触れるな、そこから離れなさいということであります。

【詩篇1編1節】

汚い所に座ったら汚くなる、その人達と一緒になると思いが汚れていく。そうなってしまいます。

【ローマ書6章13節】

罪の道具にするのではなく、神様が喜ぶ働きをするために自分の身体を使うことであります。
神様に恥をかかせてはいけないです。
義のものに使わないなら全て不義になります。

【ローマ12章1-2節】

(みことばに従うなら)私たちは自然に聖い生活になります。この世は悪の領域です。
この世に調子を合わせるのではなく、その中でも神のみこころを求めて
自分自身が汚れないように聖い生き方をする人が一番立派な人であります。

【Ⅰテサロニケ5章22節】

みことばからずれたものは悪です。小さなことでも汚れなので警戒しなければ
ならないです。

【Ⅰヨハネ1章9節】

人間は弱いものなので、罪を犯すことがあります。それでも神様は、そこでお終い
というのではなく悔い改めなさいとおっしゃいます。
赦されるということは聖められるということです。汚れがついたままではなく、
これを繰り返さなければならないです。

【Ⅰヨハネ2章27-28節】

注ぎの油は聖霊様です。私たちがキリストに留まるということは、真理の中に留まるということで、
自分の中に聖霊様を招き入れるということであります。すると汚れることはないです。
いつでも神の前に出られる聖い状態になるようにしましょう。 v( ̄∇ ̄)v

2012.4.29
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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義とは何でしょうか?

テーマは『義とは一体何なのか?』です。

【イザヤ書54章14-17節】

義とは、神から正しい者と見なされ、神から罪のない者と見なされることです。

義について詳しく書かれている箇所が下記です

【ローマ3章19-28節】

3章22節は、神様を信じた人には、神様から義をプレゼントされています。
3章24節は、私たちは何もしないでいても義と認められています。
3章20節は、私たちの行いの正しさを強調するのが律法主義です。しかしこれによって罪の意識だけが
生じてしまいます。

律法主義というのは、「形式主義で心や愛が無いこと」です。
それによって自分が律法主義に陥ると完璧にすることを求めます。
もしも完璧にできないと自己卑下してしまいます。
その結果、コンプレックスに陥り、苦しみ、縛られてしまいます。

モーセは律法の象徴です。モーセはカナンには行けませんでした。
なぜなら律法では天国へは行けないと神様がおっしゃったからです。
天国に行くための唯一の方法は「イエス・キリストを信じること」です。 

自分の行いを強調し過ぎてしまうことは、イエス・キリストの十字架の贖いの大きさを軽く見てしまうことになります。私たちは自分の行いではなく、イエス・キリストを信じる信仰によって義人とされます。

義人とは、神様を信じる人が神様によって義と認められている人です。
神様から新しい者とされ、神様から罪がない者とされている人=すなわちイエス・キリストを信じる人です。
ということは、神様を信じている私たちは、神様から見たら義人であり、
ここにいる全ての人の祈りは聞かれるという権利を与えられているということになります。
また、それによって信仰の行動ができるということです。
律法の行いではなく、イエス・キリストへの信仰による行いが大切です。

しかし、私たちは罪を犯してしまいます。私たちの内にある色々なものが罪の行動に走らせてしまうことも
あります。そういう時には悔い改めをしましょう。

【イザヤ書54章14-15節】

しいたげるものや、攻め寄せる者はサタンを意味します。神様から攻撃は来ないです。
神様は私たちの絶対的な味方であります。
私たちと共におられる神様がサタンと戦ってくださいますが、
私たちが信仰・みことばの剣によって倒さなければいけないです。サタンを追い出したら近づくことはないです。

【ヨシュア1章9節】、【ルカの福音書9章1-2節】、【ルカの福音書10章17-20節】

イエス・キリストの御名を用いることによって、悪魔サタンは出て行きます。
このみことばを握り、宣言し、追い出しをしたら私たちに害を加えるものは何一つありません。

【イザヤ書54章16節】

この世の人間、天地万物全てのものは神様が造られました。破壊者も神様が造られました。

【イザヤ書54章17節】

キリストの血潮にある恵みをもらっているので、私たちはいつも神様の前に正しいとされて
義人として立つことができます。そのような私たちにサタンは攻めることができません。

また他人の口が私たちを罪に定めてくることがありますが、私たちがその人達を罪に定めることにもなります。
神様は人間を愛し憐れんでおられる方なので、その人を「赦しなさい」と言っておられます。
その人たちも神様が愛し憐れむ魂であるので、神様は(その人を)罪に定めるので私たちは赦さなければならないということです。

また、時には自分で自分を責めることはないでしょうか?

悔い改めをして神様から罪を赦していただいたにも関わらず、「私は義人ではない。」
「私は罪赦されていないから、私の祈りは聞かれないのではないか?」と思ったら
それは神様を嘘つきにすることになります。

これは謙遜なように見えて、謙遜ではないです。あなたのみことばが間違えていますということと同じになります。
神様からの「あなたは義人である」という言葉を、素直に受け取り告白することで自分自身が自由になれます。

神様が私を自由にしてくださっているのに、自分が律法的になったり宗教的になって
自分で自分を縛ってしまうのは、神様の御前に正しい姿ではありません。

今、自分が置かれている状態、環境がどうかが大切ではなく、何を信じているのか?
自分を見ているのか、神様を見ているのか、神様を信じ・信頼し見上げているのか
このようなことを神様は見ておられます。

今、苦しんでいるとしても神様を見上げて、自分や周囲、環境が変えられ続けていることを
信仰によって見ることを神様は望んでおられます。

神様を信じる前と、信じた後で何一つ変わっていないという人はいないと思います。
たとえ少しずつでも神様によって変えられています。
このように環境や状況を変えてくださる神様を見なさいと語っておられます。

【エレミヤ書29章11-14節】

神様が未来を見なさいとおっしゃっておられます。これからも絶対にあなたを変えるから
あなたを変えるわたし(神様)を見なさい。
ダメな自分、愚かな自分、失敗する自分、罪を犯す自分、情けない自分を見ないで
全てのことを働かせて益としてくださる神様を見なさい、と語ってくださっています。(^∀^)アーメン

【ローマ8章28節】

2012.12.2
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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