からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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羊飼い

神様の しもべとは?

テーマは『 神様の しもべとは? 』 です

【使徒の働き20章22-24節】

こちらはパウロが人生の終わり頃に語ったことばです。
パウロは神様の しもべですが、私たちも しもべであります。

神様とは主人と しもべの関係です。

自分を選んでくださった方、神様に対して自分が人生の最期までどういう姿勢で仕えているのか、
これを見ることができます。


しもべの姿とはどういう姿でしょうか?
自分の思いのままに働くのではなくて、しもべは常に主人のみこころに従って歩むものであります。
反抗する者は、もはや しもべではないです。

モーセ、アブラハム、アロン、パウロ、ヨセフなど偉大な者であっても、彼らは自分は しもべであるという
認識を忘れたことがないです。

しもべたちはみこころを知り、そのみこころが自分にとってどんなに厳しく不利であっても、
それに対して「いいえ。」とは言えない人たちです。聞き従うということは「はい。」であります。
なぜならそれは主人からの命令だからです。

パウロに与えられた命令は、自分が迫害を受け死ぬかもしれないということが語られました。
当時の迫害はムチを打たれたり、石を投げられたり、命を落とす人もいました。
もし私たちが、自分が進んでいく道にあるんだと知っていたらどうしますか?

パウロはそれを聞いても一切逃げませんでした。彼の周りにいるクリスチャンたちが一生懸命止めました。
パウロが持っている しもべの精神と、周りにいるしもべの精神が全く違いました。
彼らは苦しかったら逃げる。「後でそれをしよう。今、死にたくありません。長く生きてたくさん働きますから、
神様、他の人を行かせてください。」と、きっと私たちは色んな言い訳をすると思います。
しかし、パウロは自分の主人がそう命令してあるならば、わたしが行かないで誰が行くんだ?と
彼は周りの人たちの言葉を断りました。


クリスチャンたちが神様の子になったということは、その瞬間から「どの道に入ったのかを知りなさい。」と
いうことであります。「広い道ではない」と語りました。それは選ばれた者たちが歩く道は別にあるということです。

2つの道があり、1つは自由に暮らして死んだらどうでもいい、死んだ後は何がわかるんだ?だから「飲めよ、
楽しめよ。」とその道の方が良いです。と思う人は自分が主人で良いと神様は語ります。

しかし、「いや、私は永遠の命も欲しいし、天国があるなら入りたい」と思う人は、その道を選ばないと
辿り着かないです。そこには、私たちをそこまで導く主人がいます。案内する主人の言うことを聞かなければ
ならなく、そこでは自分勝手に出来ないので(自分はどちらの道へ行くのか)選択をしなさいということであります。

パウロは神様の道を選びました。その先に何が待っているのか、そんなに問題ではなかったです。
なぜなら目的地を知っているからです。

私たちが しもべであるならば、必ず主のみこころに従って、そこに迫害や苦しみがあっても
その道を行きます。それが従順なのです。
良い時だけ従うのは従順ではないです。従順は自分を殺さなければ出来ないです。


主の しもべたちは、与えられた使命を最期まで全うしなければならないです。これを別の言葉で言うなら忠実です。
中途半端にして神様に言われた時に「時間がなかったからです」など言い訳をしますが、
本当の部分はそうではなく、怠けている心がいっぱいあるからです。従いたくないという思いが詰まってあります。
旧約聖書のサウル王のようになります。

エゼキエル書には神様の厳しい言葉が書かれています。
そこには神様に従わないで偶像を作ったイスラエルの姿がありますが、
主を信じた者でも自分勝手に歩いた者に対して、神様は怒りをその者に注ぎました。
これは上下関係です。
命令を与える者と、不従順する者に対して神様が語った言葉ですので読んでみてください。


私たちが神様から与えられた使命を果たす時に、すごく気を付けなければならないことがあります。
ただ熱心に働けということではないです。それは熱心党になります。

主に仕えた しもべたちを見ると、人々にものすごく仕えました。
神様に仕えることは、人に仕えることであります。
神様は私たちが人々に仕えるように(私たちを)選んでくださいました。

本当の主の しもべの中にあるものは、ただ仕事熱心な者ではないです。人に対する愛があります。

自分の身を常に守ろうとする者は しもべの姿ではないです。
自分が第一で、他人のことはどうでもいい。他人のために自分のものは何一つあげたくもない、
「何で私があの人たちのために時間を捧げ、命まで捧げることがあるのか?」と思う人は、
まだ しもべの心が分からない人であります。

しもべたちは仕えることが自分たちの喜びになっています。

彼らは主を見上げて力を受けていました。常に彼らは自分たちを選んでくださった神様から目を離しませんでした。
疲れた時もいつも神様のところに来て力を受け、恵みや知恵をもらい、また出て行って仕事をしました。

いつの間にか神様を忘れて仕事に没頭するのは牧師たちの姿でも多いです。
仕事は熱心にしますが、羊(信徒)を置き去りにして羊を見ません。
牧師にとって、本来 それが一番大切なことですが、自分の仕事に熱心に はまっていき、
羊が後ろで鳴いていたり倒れていても、関心がないです。

羊の世話をするのは、羊飼いであり、(他に)誰がするのでしょうか?
そういうことであります。
仕事熱心よりも、神様ご自身や神様が与えてくださった魂に熱心であることが大切です。
牧師は羊を飼うことが仕事であります。

だからと言って、何でもかんでも世話をすることではないです。そのようにすると育たないです。
いつまでも赤ちゃんのままです。

時には厳しく、時には優しく、それは羊を教育するために必要です。
そして育てながら、みこころに従う忠実な者に神様がしてくださるので、 私たち自身が神様の前に、
言うことを聞かないで反抗をする不従順な者にならないで、たとえ今までがそうだとしても
「あぁ、神様。私は本当にダメな子でした。私が変わらないといけないんですね。私を変えてください。
神様が誰なのかよく知って、神様の言葉に対して恐れ おののく者でありますように。」

恐れ おののくことは大切です。

口では「私は しもべです。」と言いながら、しもべの姿の香りが1つも出ないならば、やり直しです。
やり直して、本物の しもべになりましょう。 (*´ -`)(´- `*) 

2013.1.27
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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信じなさい

テーマは『信じなさい』です

【ヨハネ20章31節】

「私は神様を信じています。」と言っても、そのような姿が見えない時があります。
信じることは、ある意味簡単なことですが、ある意味ではとても難しいものです。

クリスチャンの心の中に、信仰よりも不信仰が多い姿がすごくあります。
イエス様が神だと書かれているのはヨハネの福音書なので、(もし自分の内に熱いものが感じられなければ)
ヨハネの福音書を読んでください。

自分が信じる神様がどんな方であるのか、それをきちんと知らなければならないです。
信仰が弱いと思う時は、神様のことを知らなさすぎるからです。

信仰は自分で選ぶことです。

【ヨハネ10章37-39節】

統一教会の故・文鮮明は莫大なお金を使い、策略がすごいです。異端の人はずる賢いです。
自分のことをメシヤと言っていますが、彼は奇跡を行うことは1つもできないです。
全てお金の力に頼っています。
多くの異端は、口では言いますが、それを裏付けるもの・人々を信用させるものがないです。

イエス様はお金を使って何かをしたということが1度もないです。
ですからイエス様が行った技を見て、信用しなさい(信じなさい)ということであります。

【ヨハネ1章11-12節】

神の国とは天国のことです。天国に入られなければ、全て地獄へ行きます。
残念ながら律法を持っているからといって神の国に入るのではないです。
信仰によって入る国が、神の国であります。

弘法大師は自分達の魂のために何をしましたか? ――何もしていないです。ただ仏教を伝えただけです。
仏教は人間の教えであります。倫理的には良いかも知れないです。
(悪いことをするな 良い行いをしなさい等 それを否定することではないです。)
しかしそれは救いがあることではないです。その人自身は悟りを得ていないです。
ブッダが悟りを得ていないのに、その人達が悟りを得る事はできないです。
ただただそういう者になりたくて、修業をしているだけであります。
悟りを得たいという思いで、ずっと求めるだけです。

【ヨハネ3章16-21節】

2つの道があります。御子が現れて、信じるか信じないか。それは自由であります。
しかし結果は自分で選ぶことはできないです。
結果は、選んだ瞬間に決まってしまいます。
いのちを選ぶならば、自分は裁かれないでいのちを得ます。
でも信じないならば、もう既に裁かれています。

【ヨハネ3章36節】

イエスキリストは私たちに永遠のいのちを持って欲しいと願っています。これは神様のみこころです。
これは救いの道を与えたことであります。

【ヨハネ5章24-29節】

救い主を信じたか、信じなかったかによって判決が決まります。
良い事をしたか、悪い事をしたかが基準ではないです。

【ヨハネ10章25-29節】

口先だけの「信じています」ではないです。主が自分の名を呼んでいる時に、
自分がその通りについているのかというのが大切なことであります。
呼んでいるのに、ついていかない。呼んでいるのに、聞く耳がない。
これは “わたしの羊に属していないんだ ”ということです。

【ヨハネ12章26節】

自分があちこちに彷徨っている者なのか、
自分の思いのままに自分が行きたいところに勝手に行って歩く者なのか、
自分がしたいことを自分の思いのまましている者なのか、それともキリストはどこへ行っているのか?と、
いつも羊飼いを追いながら、羊飼いについていくなら その人達はイエス様に属している羊であります。

自分がどんな姿であるのか――。

【ローマ10章9-13節】

信仰告白は毎日必要であります。
「今日も主よ、信じます。」「今日も聖霊様、私を導いてください。」
「聖霊様、今日も歓迎します。私の中で働いてください。」「私は今日も神様に頼ります。私を助けてください。」
「私は何もできない者です。主の力がないと何もできない弱い者です。」

毎日、羊飼いに頼って生きているその姿、それが羊であります。

教会に来るからといって1人残らず天国へ行くんだというのは聖書には書いていないです。

【ヨハネの黙示録3章1-5節】

上(天)に上げられる人数の方が少ないです。

白い服を洗わないと黒くなっていきます。以前と同じように汚れた服になります。
悔い改めないということは、洗わないことであります。
自分を打ち砕くこと、毎日寝る前には悔い改めます。

自分がいつ死ぬかわからないです。「死」は年齢に関係ないです。
(天国か地獄の道なので、)白い衣を着ていなければならないです。
私たちを弁護してくれるイエス様がいなければ天の御国には入れないです。

一番賢い人の姿は、老後のために準備をすることではないです。
永遠の世界に行く準備をすることが賢い生き方であります。 (* ̄∇ ̄*)


<今週の目標>

【自分の信仰はどんなものだったのか。名ばかりの信仰だったのか。
イエス様が語るように確信を持って信じて日々生活をしているのか。
今回の聖書個所をもう一度読んでください。
自分の信仰を生きた信仰に整えてください。
一番よく信じる人の姿は、みことばを堅く守る人、悔い改める人、目を覚ましている人。
これが、今生きている人の姿であります。自分はどうなのか、鏡のように自分の姿を照らしてみてください。】

2012.8.12
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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