からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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地獄は悲惨な場所

テーマは 『 地獄は悲惨な場所 』 です

【マルコの福音書9章43-48節】

もし、あなたの手があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。片手でいのちに入るほうが、両手そろっていてゲヘナの消えぬ火の中に落ち込むよりは、あなたにとってよいことです。

もし、あなたの足があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。片足でいのちに入るほうが、両足そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。

もし、あなたの目があなたのつまずきを引き起こすのなら、それをえぐり出しなさい。片目で神の国に入るほうが、両目そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。

そこでは、彼らを食ううじは、尽きることがなく、火は消えることがありません。

世の中には地獄を信じない人が多いです。

地獄も恐れず、罪も恐れない人が多いです。


クリスチャンの中にも地獄を信じない人がいます。



今日のことばはイエス様が語った地獄のメッセージです。


「イエス様もみことばも信じるけど、地獄は信じない」 という人は矛盾しています。

なぜなら今日のことばは主が語った地獄のメッセージであるからです。


地獄が存在しないのに地獄の話をしますか?


それも厳しいことを語りながらメッセージしました。

聖書のほかの箇所でも地獄の話は多いです。



【マタイの福音書23章33節】

おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。

【マタイの福音書10章28節】

からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

【第2ペテロ2章4節】

神は、罪を犯した御使いたちを、容赦せず、地獄に引き渡し、さばきの時まで暗やみの穴の中に閉じ込めてしまわれました。

【ヨハネの黙示録20章14-15節】

それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。

いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。




地獄はどんなところでしょうか




  • 真っ暗闇で光が全くなく、耐えることが出来ない苦しみが永遠に続く場所。
  • 残酷な拷問があり、うじや虫、蛇などがあふれる場所。

  • 水一滴得られない所、永遠に消えない火の池がある。
  • 一秒の休みも得られない場所。

  • 死にたくても死ぬことができなく、希望が全くなく絶望だけがある場所。
  • 泣いて歯ぎしりするところ、自分が行った通りに報いを受ける場所。

  • 一度入ると永遠に出られない所。
  • 火の池の中で永遠に苦しむ場所。

  • 叫んでも誰も助けてくれる者がいない場所。
  • 永遠に飢え渇きがある場所です。


こんなところが実際にあります。


悪魔、サタンはいま活発に働いています。


【第1ペテロ5章8節】

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。


悪魔はどんな目的をもって歩き回っていますか?


人々を地獄に落とすためです。


自分(悪魔)がいる地獄に一人でも多くの人を連れ込むために、惑わしながら歩き回り、時には光の天使、時には義のしもべ、または様々な誘惑をもって人々をつまずかせ、地獄に落としていきます。


地獄のメッセージを聞いても信じない理由、罪から離れない理由は、聖書も地獄も信じないし、地獄のことよりも罪の誘惑が強いからです。

死んだら何もかも終わりで、天国も地獄もない と思うのは、自分だけの考えで事実ではありません。



イエス様は誰一人地獄に行くことを願わないです。


信じて、悔い改めて、救われてほしいと願っておられます。

信じて主に従う者は、いのちの書にその名が書かれ、地獄には行かないです。


しかし信じない者、いのちの書に名のない者、不法を行う者、罪を犯した後も悔い改めない者、生まれ変わっていない者は天国には行けず、残念ながら地獄に行きます。


何があっても地獄には行かない者になりましょう。

とても悲惨な場所ですから。


【ヨハネの福音書3章16節】

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

アーメン ( -д-)ノ


2020.9.20
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誰を赦そうとしたのか

テーマは 『 誰を赦そうとしたのか 』 です

【ルカの福音書23章33-34節】

「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。

そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。

イエス様が十字架にかかった場面を想像して下さい。


小高い丘には十字架が三本ありました。

二人の犯罪人とイエス様です。


大勢の人々がその光景を見に集まっていました。

悲しみながらその死を見守っているのではなく、自分たちの勝利に歓声をあげている者たちがほとんどでした。


彼らは総督ピラトの所にイエスを連れて行き、「十字架だ。十字架につけろ。」と叫び続けていたので、自分たちの願い通りになったことで喜び、勝利に酔っていました。


そして指導者たちは嘲笑って、「あれは他人を救った。もし神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。」と言いました。


他にも「ユダヤ人の王なら、自分を救え。」「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え。」と嘲笑いました。



あらゆる声が聞こえましたが、それにイエス様は一切反応することなく祈りました。

「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」


これは誰のために祈ったでしょうか?


自分に罪をかぶせたパリサイ人や宗教指導者たちですか。

自分に死刑判決を下したピラトですか。

鞭打って十字架につけたローマの兵士たちですか。

自分を裏切って逃げた弟子たちですか。

恩知らずの群衆ですか。


イエス様が父に赦して下さいとお願いした人々は、自分が何をしているのか分かっていない人たちでした。


すなわち、自分が神の子を殺していることを知らない人たち、
律法を守り 正義と公義を行わなければならないのに 自分たちの既得権と貪欲な心でそれを捨てた者たち、
自分たちの罪のために十字架にかかって血を流していることを知らない者たち、
偏見をもって誤った判断をした者たち、
神に敵対しているすべての者たちのために、イエス様は父なる神に赦しを祈りました。



苦しみの中で自分のために祈るのが当たり前なのに、また人々を呪っても仕方ないような状況の中で、イエス様は自分が何をしているのか分からない人々のために 父に祈っていました。



主の愛と赦し、犠牲、忍耐は十字架の上での祈りにすべて現れました。


これでもキリストを嘲笑いますか。

拒みますか。


「キリストの十字架は、私とは何の関係もない」と言いますか。


【第1ペテロ2章22-24節】

キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。

ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。

そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

アーメン ヽ(TдT)ノ


2020.9.13
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私たちのアイデンティティ

テーマは 『 私たちのアイデンティティ 』 です

突然ですが、あなたの自己紹介をしてください。


仕事や、家事、育児が忙しくなると、時間に追われ、一生懸命にタスクをこなすと、気づけば一日が終わるのです。

忙しい日々に忙殺され始めると、そのうち私たちは、心も渇き、何か問題があるとそればかりを考えてしまって、憤りを感じるのです。


毎日を生きるだけで精いっぱいになり、そのうち何で生きているのかすらわからなくなったり、もはや何も考えずにただ日々を送るだけになったりしてしまうのです。



そうなると、どうなるでしょうか。

神様の声よりも、人々の声の方を考えて、心がそっちに向いていきます。


そうなると、自分が本当は何者であるのかを忘れ、人から言われる姿をまるでそのようだと勘違いしていくのです。


どんどん苦しくなっていくのです。

一度立ち止まってみてください。


あなたは、本当はどんな人なのでしょうか。

本当はどう生きていくべきなのでしょうか。


今日は、私たちが本当は何者であるのかを知っていきましょう。






しっかりアイデンティティを知ることは、私たちが本来はどんな生活を、どんな人生をどのように生きるべきかを教えてくれ、その道へと導いてくれます。


本来のあるべき姿を生きることによって、私たちの人生の豊かさや、心の平安も変わっていくのです。

一度立ち止まって、聖書を読みながら知っていきましょう。


【エペソ2章10節】

私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。

私たちは、神様の作品です。


一人一人、神様が造った作品です。

神様は私たち一人一人を、目的を持って造られました。


また、大きな目的の一つとしては、ここに書いてあるように「良い行ないをする、歩む」ことであり、また、それは私たちが自分の力で何とか頑張るのではなく、神様から力を受けて、私たちができることをするのです。


私たちの大前提として、私たちは神様の作品であるということをまず覚えておきましょう。


誰かがあなたのことを悪く言おうが、あなたのことを否定しようが、私たちは神様によって目的を持って造られた、一人一人大切な神様の作品なのです。






神様が造ってくださったことを覚え、また、私たちが神様に造られたどんなものであるのか、さらに詳しく、私たちのアイデンティティについて考えていきます。


ところで、先ほど自己紹介をしてください、と言いましたが、聖書でもたくさん自己紹介が載っています。


その人の名前を述べる前に、言うことがあります。

聖書ではよく「ヌンの子ヨシュア」、「アモツの子イザヤ」など、父親の名前をまず紹介してから、その人の名前を紹介します。


では、私たちはどうでしょうか。

私たちは誰の子なのでしょうか。


【ヨハネの福音書1章12-13節】

しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。

【第1ヨハネの手紙3章1-2節】

私たちが神の子どもと呼ばれるために、──事実、いま私たちは神の子どもです──御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。

愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現れたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。


誰かの娘や息子であったり、誰かの妻や夫であったり、あるいは誰かの母親や、父親、また、どこかの会社の一員であったり、学校の生徒である前に、まず第一に、あなたは神様の子どもなのです。


神に選ばれて、神によって生まれた、神の子どもなのです。

私たちが今、自分の名前を紹介するならば、「神の子〇〇」となるのです。


肉の親も もちろんいますが、私たちは、私たちの魂を造られたお父さん、神様の子どもなのです。






さて、神の子どもである私たちは、神様にとってどのような子どもなのでしょうか。

2つのポイントを今日は見ていきます。


【エペソ5章1節】

ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。

また、愛のうちに歩みなさい。



キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。


私たちは神様の子どもであり、神様によって愛されている子どもなのです。

私たちへの神様の愛は私たちが想像できるよりもはるかに大きく、深いです。


私たちを愛してくれているのは、私たちが何か特別なことをしたから、素晴らしいことをしたからではないのです。


イエス様が一番私たちへの愛をはっきり表してくれた、その十字架は、私たちが神様のことを求めず、否定し、共に生きず、自分が好きなように罪を犯しまくっていた時、そんな時に示してくれた愛なのです。



私たちがイエス様に何かをしたからじゃない。

イエス様に尽くしたから愛してくれた訳じゃない。

私たちの見た目がきれいだからじゃない。

中身が、性格がきれいだからじゃない。


ただ、そのままのあなたを神様が赦し、受け入れ、愛すると決めたからです。


神様が愛すると決めたから、愛し抜くと決めたから、私たちが一番恥ずかしい瞬間、みじめな姿、汚い姿も全部知ったうえでも、それでも、私たちを受け入れ愛してくれるのが、私たちの父、神様なのです。


私たちはその神様に愛されている子どもなのです。






その大きな愛を知った時、その愛に触れられた時に、私たちは神様のことを愛し、周りの人のことも愛し、赦せるようになるのです。


神様は何もなく突然、「赦しなさい」「愛しなさい」という命令を先に出したのではないです。

その前の部分が、大前提がとても大切なのです。


私たちが人々を赦し、愛し、親切にできるのは、神様が先にそうしてくれたからなのです。


私たちが神様によって愛されているから、だからこそ私たちも神様が愛してくれたように周りの人々を愛するべきなのです。

また、その愛は赦しの愛です。


【エペソ4章32節】

お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。


エペソ人への手紙では、パウロは最初ひたすら神様の愛について話しています。

どのように神様が私たちを愛して、救ったか、それをずっと語っているのです。


その愛をしっかり自覚すること、受け入れてかみしめることがまず必要です。

そこから初めて私たちは周りの人々を愛し、赦すことができるのです。


それが、神様が私たちを神様の作品として作り、神様の愛する子どもとして、私たちの生きるべき姿なのです。


私たちがどのように生きるべきか、何をすべきかを考える時、忙しさ、何か問題の中で憤りを感じる時に、まずは神様と向き合うことが大切なのです。



神様ファーストにすることによって、私たちの生きるべき姿が見えてきますし、神様の愛を受けて初めて、周りの人を愛すことができます。

私たちが隣人を愛し、赦せるのは、神様が私たちを愛し、赦してくれたからです。


その隣人が私たちをまず愛したわけでもなく、よくしてくれた訳でもなく、赦しを求めてきた訳でもない。


それでも、その人を赦し、愛することができるようになるのは、私たちが神様の愛と赦し、その大きな恵みを知っているから。

それを体験したからなのです。


神様が私たちを赦してくれたから、だからこそ私たちも私たちの周りの人を赦すのです。






人への怒りや、恨み、憎しみをすべて捨て、赦し、また、愛することは、決して簡単ではないけれど、神様の愛があるから、神様の大きな愛を受けているから可能なことです。


人を赦せないと思った時、何か問題があった時、その時はまずあなたは神様から愛されている子どもであることを思い出してください。


私たちが謝り、反省し、赦しを必死に請う前に、先にイエス様はあなたを愛され、あなたの罪が赦され、あなたが生きるために、代わりにイエス様はご自分のいのちを十字架で捨てたことを思い出し、黙想してください。


それほどまでに、あなたはイエス様によって愛されているのです。



その愛が、あなたに触れる時、あなたもイエス様があなたを愛したように、人々を愛すことができるのです。


私たちの力でするのではなく、神様の愛によって愛することなのです。

その愛によって、私たちの周りの人も神様の愛を見るようになるのです。


神様の子どもとして、愛されている子どもとして、人々を愛していくべきであるということを見てきましたが、もう一つ合わせて見ておきましょう。


【エペソ5章8節】

あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。


私たちは神様によって生まれた、光の子どもなのです。

それが私たちのアイデンティティです。


暗闇、つまり罪は常に私たちを追ってきます。

しつこく影のように追ってきます。



私たちは、信仰が強い時、燃えている時はまだ罪を拒否することができます。


でも少しでも揺らぐと、「あぁ、結局私はまた負けてしまうんだ。罪を犯したくないのに犯してしまうんだ」と思い、苦しい思いをしながらもまた同じ罪を繰り返してしまいます。


罪を断ち切ることは簡単なことではないです。


あのパウロさえも、ローマ7章19-20節で


「私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。

もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。」

と言っているほどです。


しかし、私たちはその罪の下には、その暗闇の下にはもういないはずで、主にあって光に移され、光の子どもとなったはずなのです。


自ら暗闇に戻っていく必要もないですし、暗闇に支配される必要もありません。


【エペソ5章14節】

明らかにされたものはみな、光だからです。それで、こう言われています。「眠っている人よ。目をさませ。死者の中から起き上がれ。そうすれば、キリストが、あなたを照らされる。」





光の子どもとして生きるのは自分の力でできるもの、自分で光を放てるのではありません。


キリストに近づき、キリストの光によって照らされることによって可能なのです。

罪から離れ、キリストに近づくことです。


私たちとキリストは月と太陽のようです。

月である私たちは、私たちだけでは光を放てませんが、太陽であるキリストによって照らされるのです。


勇気を持って、その罪を捨てましょう。


私たちにふさわしくないからです。

私たちは罪を行うために生まれたわけでも、そのために生きているわけでもない。



私たちが生きているのは光の子どもとして、愛されている子どもとして、良い行ないを行い、神様を愛し、また人々を愛するために生きているのです。


この暗闇の中で、暗闇として生きるのではなく、光である神様とともに生き、キリストの光によって照らされ、光の子どもとして生きましょう。



光の子どもとして、罪を捨て、罪の中ではなく、神様の中で生き続けるために、覚えておくべきことが一つあります。


それは、私たちが罪を行う時に、私たちよりも神様が、聖霊様が悲しまれていることです。


【エペソ4章30-32節】

神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。

無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。

お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。


私たちが罪を犯すとき、罪の中で生きる時、私たちだけが苦しい思いをしているのではありません。

何よりも、私たちの中に住まわれる聖霊様が悲しむのです。


「娘よ、なぜそうするのか」「息子よ、私が一緒にいるのではないか」「一緒に生きているのに、私のことを見向きもせず、その罪の方を選ぶのか」と、聖霊様が悲しむのです。


私たち以上に、苦しく、悲しい思いをするのです。


それでも、あなたの目の前にあるその罪は、神様以上に、一緒に心の中に住まわれている聖霊様以上に価値があるもの、捨てられないものですか。


神様を悲しませてもいいと思えるほど、必要なことなのですか。

すべきことなのですか。


罪の誘惑が来た時、十字架の前に出てきてください。

そのイエス様の愛を見てください。


あなたの中に住んでいる聖霊様を見てください。


こんなに愛してくださる方を裏切ってもいいのか、悲しませてもいいのか、それでも私は喜ぶのか、それでも何よりもその罪の方が大切なのか、そう考える時、その罪を手放せるようになります。

捨てることができます。


罪を見ていても、ただ腹が立ったり、悲しくなったり、苦しくなりつらくなるだけです。






私たちが見るべきは罪ではなく、十字架であり、聖霊様と向き合うことなのです。


光の子どもとして、一切の闇を捨てましょう。

捨て去りましょう。


あなたがその罪を捨てる時、聖霊様はきっと喜んでくださいますし、私たちの心に平安が来、心が解放されるのです。


罪を捨てて生きることは、光の中に歩み、罪から解放されて、心に平安が来て、生きることなのです。


それが私たちの本来の生きるべき姿なのです。



最後にもう一度言います。


自己紹介をしてください。あなたは誰ですか。


今日学んだこと、悟ったことをしっかり黙想しながら明日からも神様から愛されている子ども、光の子どもとして生きていきましょう。


アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚


2020.9.6
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時を分別する知恵

テーマは 『 時を分別する知恵 』 です

【伝道者の書3章1-8節】

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。

生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。

殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。

泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。

石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。

捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。

引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。

愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。

この世は、神の摂理と計画の中で動きます。

この時代の先にある神の大いなる計画が 2つあります。


1つは、福音が全世界、民族、種族に宣べ伝えられることです。


【マタイの福音書24章14節】

この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。

そしてもう1つは、イスラエルの完全回復です。

これは全世界で起こる大リバイバルですが、すぐには起こらないです。



その前にまず全世界に経済危機が来ます。

経済危機はすでに始まりました。


経済危機と共に様々な混乱、政治的な動揺が同時に起こります。

多くの人々がその罠に陥り、大変苦しくなります。


その中で絶望しないため、つまずかないため、そして苦難の先にあるものに希望を持って生きるためには、“時を分別する知恵” が何よりも必要です。



経済危機は黙示録18章にも預言されてあります。


これから私たちは、コロナウイルス前の時代とはまったく違う時代を体験するようになります。

残念ながら元の時代には戻れないです。


ですから心の準備と、どのような変化が起こるのかを知る知恵が必要です。

どのような時代になるのかを まず予測することが必要です。




国際社会の変化




アジア人に対する嫌悪感と人種差別です。

コロナによって特に被害を受けた人々から敵対心が起こり、人種差別が起こります。


経済危機で倒産する国も出てきます。

経済のグローバル化の後退、自由貿易秩序が後退し、保護主義あるいは管理貿易へと変わります。

グローバル経営環境が大きく変化します。



企業の連鎖倒産、金融危機、輸出も悪化します。

4次産業革命が起こり、デジタル化社会になります。


米中対立がさらに激化し、世界の国々と中国の関係も悪くなります。




働く環境の変化




コロナで多くの会社が在宅勤務に切り替えました。


これから勤務方式が在宅勤務になる人が増えます。

また遠隔操作によって仕事する人、AIを使うことで人員削減が起こります。


これらの変化や経済不況によって低所得時代になります。

失業者も溢れることで暴動が世界中に起こり、治安が悪くなります。


コロナの後の経済不況は歴史の中で一番の不況で長期間続きます。






ですから、それに対して 自分たちも準備をしないといけないです。


コロナウイルスという疫病によって、すべてが変わりました。

この疫病と経済不況はなぜ起こったでしょうか?


人間を謙遜にさせるためです。


人間は地に属することしか関心がなく、物質や快楽を愛し、それに執着し、高慢な態度で多くの罪を犯しながら生きてきました。


自然に対しても悪いことばかりをして来ました。

コロナウイルスによって自分たちが好んでやって来たことが出来なくなりました。


主が無理やり止めた気がします。



人間以外の生き物には感染しませんでした。

自然も人間に反撃して、自ら自然環境を良くさせました。


今まで考えずに生きてきた人間に 考える時間を与えました。

自分たちの人生を振り返る良いチャンスでもあります。


また、低所得になるので、生活の規模も縮小していかないといけないです。

今から縮小していかないといけないです。


今まで通りに生きていると、突然危機的なことに遭った時、耐えられず極端な選択、愚かな選択をする人が出て来ます。




どのような準備が必要か




これからは本当に厳しい時代になるので、どのような準備をしたら良いのかを考えます。


すべての主権者である主に祈ることです。


祈りはどんな危機の時にも私たちを守る強力な力です。



祈らない人はつまずき倒れます。

危機が起こる前から祈ることです。


主は祈りなさいと命じました。


【マタイの福音書26章41節】

誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。


自分の問題だけでなく、世界と民族のため、神のみこころのために祈ることです。

とりなしの祈りを神は期待しています。


神のみこころは、人々が主に立ち返り、救われることです。



神のみこころのために祈るならば、私たちは患難の後に来る大リバイバルを見るだけでなく、それに用いられる者にもなります。


また患難が来る前に 主と1対1の関係、主との健全な関係を築くことです。


現実ばかり見るならば、不安と恐れで精神的に参ってしまいます。


しかし主との関係が良くなると 主を見上げながら生きるので、不安や恐れ、心配から守られます。

そして主の守りと恵みの中にとどまることが出来ます。


患難を乗り越えて “金のような信仰” を持って出てくることが出来ます。




時を分別する知恵




時を分別する知恵があるならば危機管理が出来ます。

起こる前に対処する方法を考えることが出来ます。


予測もしなかったことが起きた時と、予測したことが起きた時では対処が全く違います。


準備することは、予測して事態を迎えることです。

準備した者は余裕があります。

恐れることがないです。


何事にも定まった時があり、すべての営みにも時があります。


主のしもべが時代と時を分別出来ないならば、信徒たちを誤った道に導いて自分も信徒たちも共に倒れてしまいます。


いつでも目を覚まして時を分別する知恵を持ってしっかりと準備をしましょう。
アーメン ( -д-)ノ


2020.5.2
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苦難の時、神はわれらの避け所

テーマは 『 苦難の時、神はわれらの避け所 』 です

【詩篇91編1-16節】

いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る。

私は主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神」と。

主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。

主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。

あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。

また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。

千人が、あなたのかたわらに、万人が、あなたの右手に倒れても、それはあなたには、近づかない。

あなたはただ、それを目にし、悪者への報いを見るだけである。

それはあなたが私の避け所である主を、いと高き方を、あなたの住まいとしたからである。

わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。

まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。

彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする。

あなたは、獅子とコブラとを踏みつけ、若獅子と蛇とを踏みにじろう。

彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。

彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。

わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。

いま全世界はコロナウイルスという疫病でおびえています。


誰ひとり 今のように世界中に広がり感染者や死亡者が毎日増加するとは想像すら出来ませんでした。


安全地帯がどこにもありませんし、人々の移動も制限されてきました。

世界経済も厳しくなり、これからは食糧難も世界中に起こると思います。



なぜこのようなことが起こるでしょうか。

その原因は 人間の罪です。


【創世記6章5節】

主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。

悪が増大した時にノアの洪水がありました。

今はその時よりも もっと悪が増大してあります。



その罪と悪に対しての主のことばです。


【エレミヤ書24章10節】

わたしは彼らのうちに、剣と、ききんと、疫病を送り、彼らとその先祖に与えた地から彼らを滅ぼし尽くす。」


他にも「剣、ききん、疫病」が出るのは次の箇所です。


【エレミヤ書29章17-18節】

万軍の主はこう仰せられる。「見よ。わたしは彼らの中に、剣とききんと疫病を送り、彼らを悪くて食べられない割れたいちじくのようにする。

わたしは剣とききんと疫病で彼らを追い、彼らを、地のすべての王国のおののきとし、わたしが彼らを追い散らしたすべての国の間で、のろいとし、恐怖とし、あざけりとし、そしりとする。

【エレミヤ書34章17節】

それゆえ、主はこう仰せられる。『あなたがたはわたしに聞き従わず、各自、自分の同胞や隣人に解放を告げなかったので、見よ、わたしはあなたがたに──主の御告げ──剣と疫病とききんの解放を宣言する。わたしは、あなたがたを地のすべての王国のおののきとする。

【エレミヤ書42章17節】

エジプトに行ってそこに寄留しようと決心した者たちはみな、そこで剣とききんと疫病で死に、わたしが彼らに下すわざわいをのがれて生き残る者はいない。』

コロナウイルスは疫病です。


見えない疫病は恐ろしいです。誰が感染するか分かりません。

それが人々に不安を与えます。


そしてこれから来るききんや剣は もっと恐いものですね。



その中で、どのようにしたら守られるのか、安心して生きられるのかを誰もが考えると思います。




解決方法




神はそれに対して解決の方法を教えて下さいました。


まずは神の前に悔い改めることです。


【第2歴代誌7章13-15節】

もし、わたしが天を閉ざしたため雨が降らなくなった場合、また、いなごに命じてこの地を食い尽くさせた場合、また、もし、わたしの民に対して疫病を送った場合、

わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。

今や、わたしはこの所でささげられる祈りに目を留め、耳を傾けよう。

(参考)

【第1列王記8章35-39節】

彼らがあなたに罪を犯したため、天が閉ざされて雨が降らない場合、彼らがこの所に向かって祈り、御名をほめたたえ、あなたの懲らしめによって彼らがその罪から立ち返るなら、

あなたご自身が天でこれを聞き、あなたのしもべたち、あなたの民イスラエルの罪を赦し、彼らの歩むべき良い道を彼らに教え、あなたの民に相続地としてお与えになったあなたの地に雨を降らせてください。

もし、この地に、ききんが起こり、疫病や立ち枯れや、黒穂病、いなごや油虫が発生した場合、また、敵がこの地の町々を攻め囲んだ場合、どんなわざわい、どんな病気の場合にも、

だれでも、あなたの民イスラエルがおのおの自分の心の悩みを知り、この宮に向かって両手を差し伸べて祈るとき、どのような祈り、願いも、

あなたご自身が、あなたの御住まいの所である天で聞いて、赦し、またかなえてください。ひとりひとりに、そのすべての生き方にしたがって報いてください。あなたはその心を知っておられます。あなただけがすべての人の子の心を知っておられるからです。

そして神の守りのみことばを堅く信じることです。


詩篇91編にあることばには、神はどのような方なのか、神の守りの約束、そして神はだれを守るのかが書いてあります。


詩篇91編は疫病、飢饉、剣の前で恐れるのではなく、乗り越える力を得るように という内容です。


自分の罪、国の罪を悔い改めて、主に立ち返るならば、主の助けと守り、平安を得ることが出来ます。


人に頼らず、神だけに頼ることです。


神は人間がいつまでも罪の道を歩み、滅びることを願っていません。

悪の道から立ち返って生きることを願っています。


アーメン (゚´Д`゚)゜。

2020.3.15
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見張りとして警告する

テーマは 『 見張りとして警告する 』 です

【エゼキエル書33章1-7節】

次のような主のことばが私にあった。

「人の子よ。あなたの民の者たちに告げて言え。わたしが一つの国に剣を送るとき、その国の民は彼らの中からひとりを選び、自分たちの見張り人とする。

剣がその国に来るのを見たなら、彼は角笛を吹き鳴らし、民に警告を与えなければならない。

だれかが、角笛の音を聞いても警告を受けないなら、剣が来て、その者を打ち取るとき、その血の責任はその者の頭上に帰する。

角笛の音を聞きながら、警告を受けなければ、その血の責任は彼自身に帰する。しかし、警告を受けていれば、彼は自分のいのちを救う。

しかし、見張り人が、剣の来るのを見ながら角笛を吹き鳴らさず、そのため民が警告を受けないとき、剣が来て、彼らの中のひとりを打ち取れば、その者は自分の咎のために打ち取られ、わたしはその血の責任を見張り人に問う。

人の子よ。わたしはあなたをイスラエルの家の見張り人とした。あなたは、わたしの口からことばを聞くとき、わたしに代わって彼らに警告を与えよ。

エゼキエルは預言者です。


預言者は見張りとしての務めが 神から与えられました。


預言者は神のことばを聞いて、神の代わりに民に警告を与えます。

見張りとしての務めはとても重要です。


神は見張りの役割を預言者だけではなく、今は牧師、伝道師、聖徒たちにも与えてあります。

牧師は聖徒たちに警告を与え、聖徒たちは異邦人たちに与える義務があります。


今の時代は見張りとして警告しないといけないことが次々と起きています。



見張りとしての使命




見張りとして立つためには まず神の声を聞くことです。

そして神のみこころを知り、神の代わりに警告を与えることです。


警告は罪人たちの罪を責め、正しく立たせるためです。


神は、神を信じない世の人々よりは神の民たちにまず警告します。

なぜなら神の民たちが罪の中にいるならば、この世には希望がないからです。


この世は堕落してあり、不義があり、闇に覆われてあります。


闇がある世界で世の光として人々を光に導かないといけない神の民が罪を犯し、霊的に堕落し、神とバアルを同時に信じる偶像崇拝をするならば、神は彼らに剣や災いを送ります。

戦争、飢饉、疫病、災害などです。


神はそれらと共に見張りも立てます。

警告を与えるためです。

彼らを目覚めさせ、また備えさせるためです。



見張り人は剣をよく使いこなす者でも、特別な力がある人でもないです。

見張り人は常に起きていることが大切です。


危険な状況が迫って来るのに 眠っていて警告しないならば、大きな災難になってしまいます。


見張りは、神のことばを正しく伝え、霊的に目を覚まさせ、信徒たちに警告することを戸惑ったり怠けてはいけないです。


また聞く者たちは、祝福と慰めのことばを語らないことを不満に思ってはならないです。


霊的に無知な者は 時代を見分ける分別力がないのに、目の前に起こっていることを見ても悟りがなく 実の安逸だけを求めます。



しかし今、霊の世界では激しい戦いが行われています。


ですから警告と叱責のことばを聞くことで時代を知ることが出来、悔い改めて神に立ち返ることが出来、備えることが出来ます。


コロナウイルス、オーストラリアやブラジルの火災、イギリスの暴風雨、アフリカのバッタの被害、内戦など、中身をよく見ると神から出た災害であることがよく分かります。


すべて “罪” が原因であることがよく分かります。



罪の中にいる者たちに、いま主はそれらを通して警告しておられます。


見張り人は、それを知って警告のラッパを吹いて警告を与えないといけないです。

私とみなさんが見張り人です。


どの時代にも神は見張りを立てました。

モーセ、サムエル、エリヤ、エリシャ、ナタン、エレミヤなどは警告のラッパと裁きのラッパを吹いて民たちに警告しました。


忠実な見張りの姿です。


【イザヤ書21章6-9節】

主は私にこう仰せられた。「さあ、見張りを立たせ、見たことを告げさせよ。

戦車や、二列に並んだ騎兵、ろばに乗った者や、らくだに乗った者を見たなら、よくよく注意を払わせよ。」

すると獅子が叫んだ。「主よ。私は昼間はずっと物見の塔の上に立ち、夜はいつも私の見張り所についています。

ああ、今、戦車や兵士、二列に並んだ騎兵がやって来ます。彼らは互いに言っています。『倒れた。バビロンは倒れた。その神々のすべての刻んだ像も地に打ち砕かれた』と。」

主のことばを聞いて目を覚ましている見張り人であるので、民に正しく警告することが出来ました。


私たちもこの時代の見張り人として主のことばを聞き、主のみこころを知って警告を与えなければなりません。
アーメン ( ̄‥ ̄)=3


2020.2.23
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1年間神との関係はどうだったのか

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【第1ヨハネ2章6節】

神のうちにとどまっていると言う者は、自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません。

今年も もうすぐ終わりです。

数日後には2020年が始まります。


ですから一年間を振り返ってみて、その中で神との関係がどうだったのかに焦点を合わせてメッセージを伝えます。


信仰生活の勝敗は神との関係にあります。


神の国に向かって行くためには勝利しないといけないです。


神は勝利を得る者に様々な祝福を与えます。

負けた者に祝福はありません。


神との関係に問題がない人は勝利し、問題がある人は失敗します。



キリストはいつも父なる神との関係を語りました。

その関係は最高の関係で、完全な信頼関係でした。


私たちは次の項目で神との関係がどうだったのかを考えてみたいと思います。




神と共に歩んだのか




いつでもどこでもエノクのように神と共に歩んだ人は 神との関係に問題はありません。


しかし普段は主を忘れて生活し、日曜日もかろうじて礼拝だけ参加し、時には礼拝もさぼって生活したならば、その人たちにとって神との関係は冷めた関係で、良い関係ではないです。


神と離れられない関係なのか、それとも冷めた関係なのかを調べてみて下さい。




神のみこころを求めて みこころのままに生きたでしょうか




何かをする時にまず主のみこころを求めるでしょうか?

それとも自分で決めた後に主に祝福だけを求めるでしょうか?


神が喜ぶ人はいつも主のみこころを求める人です。

それが主の主権を認める行為であり、主の計画に従う人です。


神の導きの中で生きる人と 神をただ利用する人は、みこころを求めるか求めないかで分かります。


みこころを求めてその通りに生きた人は良い実を結んだ年になったと思います。




神のみことばを実践したのか




神のことばを聞くだけで終わったでしょうか?

それとも一生懸命に実践したでしょうか?


実践した人は自分でも自分の信仰が成長したことに気づいていると思います。

そして多くの神体験もしたと思います。


体験も証もなかったならば、みことばを実践していないことですね。


みことばには多くの約束が伴ってあるので、実践したならば必ず神が約束を果たして恵みを注ぎます。


神はみことばを実践する人を信仰ある人として認めます。




神の前にいつも罪を悔い改めたでしょうか




罪を犯さずに生きることは ほぼ不可能です。


罪を犯した時にいつも心を痛めながら悔い改めていますか。

それとも罪を軽く考えたり、勝手に赦されたと思って何もしなかったでしょうか。


罪は必ず悔い改めないといけないです。


キリストの花嫁の姿は聖い姿でなければなりません。

罪によって汚れたままの姿はキリストにふさわしくありません。


今からでも遅くはないです。

今年の罪をすべて悔い改めて主の赦しを求めましょう。


これらの項目で神との関係を点検してみて下さい。


そして神の前に静まってもう一度神との関係を新しくして新年を迎えて下さい。
アーメン (*´∇`*)


2019.12.29
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最後まで走りぬく

テーマは 『 最後まで走りぬく 』 です

【伝道者の書 3章1-14節】

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。

生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。

殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。

泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。

石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。

捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。

引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。

愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。

働く者は労苦して何の益を得よう。

私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。

私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。

また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。

私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。神がこのことをされたのだ。人は神を恐れなければならない。

私たちが今 生きている人生は平坦ではありません。


「救われていたら、いつも良いことばかり」、「問題なんか起こらない」、「ずっと平安であり、幸せである」わけではないのです。



実際に聖書にはこのように死ぬ、失う、殺す、崩す、投げ捨てる、引き裂く、戦う時があると書かれていて、現に私たちの人生でも これは起こっているのです。

その時々は、苦しいものであり、楽なものではありません。


私達が生まれる時があり、癒やされる時があり、喜ぶときがあり、収穫する時があり、それぞれがその時にかなっているように、これらの困難も時にかなっているのです。






私たちは生きていると、いずれ死にます。

その死ぬタイミングは誰にもわからないのです。


急に事故で亡くなる場合もあれば、病気で徐々に亡くなる場合もあります。


命は神様が握っているものであり、その “時” は神様にしか分かりません。



生きていれば苦しみもありますし、そしていずれは死ぬのです。

その中で私たちがすべきことは何でしょうか?


それは神様が与えてくださった使命に対して 忠実に働き、喜び楽しむことなのです。


また、真理を知り、神様のみことばを かみしめて生きることです。



神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。

神様がなさることは時に私たちは全く理解できない時もあります。

ただ、神様のなさることはすべて時にかなって美しいのです。






例えば、イエス様をこの世に送り、罪人のために身代わりになって死ぬことは普通に考えてありえないことなのです。


ご自分の息子を、罪のない息子を、否定し拒絶し侮辱し痛めつけ 裏切り苦しめる者たちのために わざわざ十字架につけさせるのです。


ペテロもそれが理解できなかったのです。

なぜイエス様が捕まえられて苦しみを受けないといけないのか。


十字架にかけられるその瞬間だけを見ると むごく、ひどい、あり得ないことなのです。



ですが、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」のです。


神様がそのようにイエス様をわざわざ罪人のためにこの世に送り、十字架にかけさせたのは、罪人を救うためであり、解放するためであり、死に打ち勝って勝利をおさめ、栄光を受けるためでありました。


私たちが永遠に神様とともに生きるために、自らを犠牲にして来てくださったのです。



私たちの目には見えないことがたくさんあります。

生きていて理解できないこと、辛くてしんどいことがあるのです。


「何でこんなことが?」「なぜ私ばかりこんなに苦しむの?」
そう思うことがたくさんあります。


それでも、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」と信じる信仰が必要です。


神様にゆだねながら、私たちは今 神様に与えられた使命をしっかり果たすことです。

その中で喜びを得ることなのです。






もう一つ、人生を生きていくための秘訣があるので、みことばを見ていきます。


【へブル12章1-3節】

こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。

忍耐を持って最後まで走りぬくことが大切です。


天の御国に行くその最後まで、信仰のレースを走り抜かないとだめなのです。

途中で信仰のレースをやめることは、神様と一緒に生きないことであり、御国に行かないことであります。


どんなに辛かろうが、私たちは走り抜かないといけないのです。



陸上のレースでも走り切らないと記録は残らないのです。

どんなに有名な選手であったとしても、レースの途中で終わってしまうと、それは意味がないのです。


むしろタイムが遅かったとしても最後まで走り抜いた者に栄冠がいくのです。



最後まで走り抜く方法を神様は ここで語ってくださっています。


―いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けること―信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないこと です。



陸上のレースで大きなかばんを担いでる人、重荷を背負ったまま本番に臨む人を見たことがありますか?

みんな薄く軽いユニフォームを着ているだけで、荷物は何一つ持たずに全力で走っています。


私たちが走り抜くこのレースでは、すべての重荷と罪を捨てて走らないといけません。


重荷を担いだまま、罪を背負ったまま走るのは とても大変であり、走り抜くことは不可能なのです。






何のために自分でその重荷を抱えようとするのですか。

何のために罪を持ったまま生きようとするのですか。


それが私たちを助けてくれるでしょうか。


―― いいえ、そんなことはありません。


私たちは信仰のレースを走り抜くためには、一切の重荷、罪を捨て去らないといけないのです。



そして、それにはもう一つ大切なこと、「イエスから目を離さないこと」です。


イエス様から目を離すこととは、“イエス様以外のものを見ていること” です。

つまりは、イエス様を見上げないといけないのに、人を求める、問題を見る、罪を見る、環境を見ることです。


人を見ている間、問題や自分の罪、環境を見ているということは、つまりはイエス様から目をそらしているということなのです。



一生懸命 人を見て求めると、罠にかかります。

神様よりも人のことを大切に思い始めるのです。


人に愛されること・認められることを先に求めるのです。

問題や環境ばかりを見ても、問題は解決されません。


罪ばかりを見ても、それから免れることはないのです。






私たちが必要なのは、イエス様を見ることです。


イエス様を見、イエス様の生き方・人生を見ることで知恵が与えられ、慰めが与えられ、元気が与えられ、勇気が与えられ、愛が与えられるのです。


イエス様は私たちが通った以上、(今まで)経験した、またこれから経験する試練以上の試練と困難、苦しみ、死をすべて受けた方なのです。

それでも走り抜いたのは、その先にある “栄光・命・復活・喜び” をずっと見ていたからです。



私たちもイエス様を見上げ、イエス様のように “その先にあること” を見るのです。


【へブル12章10-11節】

なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。

すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。

試練は失望に終わることはありません。


人間の目や価値観では すぐに分からなくても、もはや生きている間に分からなかったとしても、耐え忍び、最後まで走り抜くことで、平安の義の実を結ぶのです。



神様の中で強くありましょう。

ますますイエス様を見上げましょう。


注意散漫にならず、イエス様を見上げましょう。

そして、信じ、ゆだねることです。


神様のなさることはすべて時にかなって美しい、ということばをかみしめ、味わっていきましょう。


アーメン (・∀・)

2019.8.25
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アブラハムから学ぶ従順する信仰

テーマは 『 アブラハムから学ぶ従順する信仰 』 です

【創世記22章1-14節】

これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。神は彼に、「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は、「はい。ここにおります」と答えた。

神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」

翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、ふたりの若い者と息子イサクとをいっしょに連れて行った。彼は全焼のいけにえのためのたきぎを割った。こうして彼は、神がお告げになった場所へ出かけて行った。

三日目に、アブラハムが目を上げると、その場所がはるかかなたに見えた。

それでアブラハムは若い者たちに、「あなたがたは、ろばといっしょに、ここに残っていなさい。私と子どもとはあそこに行き、礼拝をして、あなたがたのところに戻って来る」と言った。

アブラハムは全焼のいけにえのためのたきぎを取り、それをその子イサクに負わせ、火と刀とを自分の手に取り、ふたりはいっしょに進んで行った。

イサクは父アブラハムに話しかけて言った。「お父さん。」すると彼は、「何だ。イサク」と答えた。イサクは尋ねた。「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか。」

アブラハムは答えた。「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」こうしてふたりはいっしょに歩き続けた。

ふたりは神がアブラハムに告げられた場所に着き、アブラハムはその所に祭壇を築いた。そうしてたきぎを並べ、自分の子イサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上に置いた。

アブラハムは手を伸ばし、刀を取って自分の子をほふろうとした。

そのとき、主の使いが天から彼を呼び、「アブラハム。アブラハム」と仰せられた。彼は答えた。「はい。ここにおります。」

御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」

アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶにひっかけている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の子の代わりに、全焼のいけにえとしてささげた。

そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「主の山の上には備えがある」と言い伝えられている。

私たちが直面する多くの問題の原因になるのは、神に対する不従順の罪です。


神のことばに素直に従えば発生しなかった問題のほとんどが、神に従わなかったことが原因で発生します。

今まであった問題や苦難には、自分や家族の誰かの不従順の罪があったことを否定出来ません。



ですから問題の解決を願うならば、不従順の罪を悔い改めて 心を入れ替え、従順する人にならなければなりません。


アブラハムは 私たちに従順の模範を見せてくれた “信仰の人” です。

従順とは何かを見せてくれました。



創世記22章は、アブラハムにとっては人生最大の試練の時でした。

とんでもない大きな問題が降りかかって来ました。

それも、神から直接来た試練なので、神に助けを求めるわけにもいかなかったです。


神にも相談出来ないからといって、人間に相談しても解決するわけがないです。


このような大変な試練をどのように乗り越えたのかを見ると、そこにあるのは “神への従順” でした。




神のことばに対して 一切つぶやかず従順したアブラハム




アブラハムが神から受けた命令は、到底 理解も納得も出来ない命令でした。


「自分の子を全焼のいけにえとしてささげなさい」 と命令されたら、私たちはどうしますか?


まずは自分の耳を疑い、神ではなくサタンからだと思うでしょう。

「神がそんなことを言うはずがない」と思うのが当然ではないでしょうか。


そこから様々な思いが巡り、それを神にぶつけるのが普段の私たちのやり方です。



しかしアブラハムは違いました。

私たちは自分の思いと神の思いが違う時には、いつも不従順の道を選びます。

不従順の習慣が根強く残っているからです。


しかしこの時のアブラハムの辞書には、“不従順” という文字がなかったと思われます。

一言も言わず、彼は従順しました。


信仰の土台は神のことばです。


そして生きた信仰は、みことばへの従順です。

神のことばに有無を言わなかったのがアブラハムでした。




従順の実践が早かったアブラハム




アブラハムは神の命令があった翌朝、すべての準備をしてイサクを連れて、神が示す所に出かけて行きました。


アブラハムが感情もない石のような心の持ち主でしょうか?

また、息子を愛さないお父さんでしょうか?



アブラハムにとってイサクは愛してやまない存在でした。

また神の約束の子で、100歳の時に生まれた かけがえのない存在です。


神の命令に従うにしても、神に「しばらく息子と過ごす時間を下さい」とお願いするのが平凡な人たちの願いだと思いますが、アブラハムには そういうことがなかったです。


命令にはすぐに従うと思っていたのでしょう。

そして息子と共に時間を過ごしたら、きっと神に従うことは出来なくなると思ったでしょう。



従順を遅らせると、必ず誘惑するものが近づいてきて誘惑します。

サタンはいつもチャンスを狙って近づきます。


私たちが迷う時、モタモタしている時に、甘いことばを持ち込んできて、従順出来ないように邪魔をします。


これに引っかかる人が実に多いです。

アブラハムは惑わされないために、また不従順を警戒して すぐに実行に移したと思います。



従順は後回しせず、すぐに実践することです。


「神様を信じなさい」と言っても、「いつか信じます」と言う人は なかなか信じません。


しかし決断する人は、その時から信仰が芽生えてきます。

従順は早ければ早いほどしやすいです。


遅れれば遅れるほど 従順出来なくなります。



怠け者で不従順が身についているならば、その命令さえも忘れてしまいます。

行いが伴わない信仰は “死んだ信仰” です。

死んだ信仰がその人を救いますか?


すぐ従う人に神の祝福があります。




アブラハムは盲目的に従順したのではなく、疑わず確信をもって従順しました




この信仰はこの出来事の前からアブラハムにありました。

100歳の時に子どもが生まれると聞いた時、アブラハムが見せた信仰です。


【ローマ4章20-21節】

彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、

神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。

そしてその信仰通り 100歳の時に、息子イサクが生まれました。

そして、「その息子をささげなさい」と言われた時にも、アブラハムには別の信仰の確信がありました。


それは、“神には神の良い考えがある” と疑わずに確信していました。



イサクが「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか。」

と聞かれた時に「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」と答えました。


人間的には、アブラハムは息子を全焼のいけにえにしなければならない現実が苦しくて心を引き裂かれる思いがあったと思います。


しかし、そのことよりも上に置いたのが神への従順、神への愛、神への信頼でした。



偉大な信仰は、平凡な生活の中で生まれるものではないです。


激しい試練の中で、神を疑わず信じて行動する時に生まれるものです。


偉大な信仰は、誘惑に勝利した信仰です。

神のことばを守り抜いた信仰です。


このような信仰を見て、神は共にいて下さり祝福を与えます。



従順したアブラハムに神がかけた言葉は,本当に祝福の言葉でした。


【創世記22章16-18節】

わたしは自分にかけて誓う。あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、

わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。

あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」


不従順の罪を捨てて、アブラハムの従順の信仰を学びましょう。
アーメン v( ̄∇ ̄)v


2018.12.2
聖日礼拝メッセージ

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圧倒的な主の愛

テーマは 『 圧倒的な主の愛 』 です

【ローマ8章35-39節】

私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。

「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。

しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。

私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、

高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

キリストの愛は世界にある すべての愛を全部合わせた愛よりも 大きな愛だと私は思っています。

ですから、その愛を “圧倒的な愛” と表現しました。


この “圧倒的な愛” に勝てるものは一つもないです。


その愛で私たちを愛するために、キリストはこの世に来て下さいました。


罪がないことを除いては、私たちと同じものになりました。

そしてその愛を余すところなく表して下さいました。


神はキリストを通して、どれほど私たち人間を愛しているかを見せて下さいました。

その圧倒的な愛を私たちは知らなければなりません。




救いの根源は圧倒的な主の愛である




【ヨハネの福音書3章16-17節】

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。

【第1ヨハネ3章16節】

キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。

ひとり子イエス様を、罪人である私たちの “救い” のために与えて下さった愛は 普通の愛ではなく、人間には存在しない “圧倒的な愛” です。


それによって救いを可能にしました。


「なぜ私のような者のために そんなことをしましたか?」と聞くならば、主はこのように答えるでしょう。


―― あなたを愛しているから ――



愛するのに条件があるならば、それは条件的な愛であって、純粋な愛にはなりません。


神の愛は純粋な愛で圧倒的な愛です。

そしてその愛にはものすごいパワーがあります。
引き離さないパワーです。


その愛を知っているならば、この世でどんな患難や苦しみがあっても恐れる必要がありません。


なぜならば離さないほどの強い神の愛で愛されているからです。


キリストの愛は、皆さんが抱えている患難、苦しみ、危険、剣よりも決して小さなものではありません。

すべての問題を圧倒する愛です。



自分が抱えている苦しみや問題によって 主から離れようと考えているならば、それは主の愛にまだ気付いていないです。


しかし反対に、放蕩息子のように問題の中で、主の愛に気付くならば幸いです。


主が話された放蕩息子の例えは、皆さんも知っています。

お父さんの愛に改めて目覚めたのは彼が無一文になってからでした。


すべてに恵まれていた時には まったく気付いていませんでした。

ですから財産をもらって遠くに離れて行きました。



すべてを失って誰からも愛されることなく、1人で困っていた時に、お父さんの愛を思い出しました。

それで家に帰ることを決心しました。もちろん不安と恐れもありました。

お父さんが自分を受け入れてくれるかどうかは分からないので、しもべの1人になっても良いと思って帰りました。


彼が帰った時に、思っても見なかったお父さんの愛溢れる歓迎を受けて彼はびっくりしました。

その時、やっとお父さんの愛が どれほど強い愛であるのかを実感しました。




聖徒は主の愛を実体験によって
確信することが必要である





患難、苦しみ、迫害、飢え、裸、危険、剣などは、実際に救いを妨害するためのサタンの攻撃によるものとして現れることも多いです。

また信じる者を倒す目的でそのような試練が来ます。


そのような厳しい状況の中でも、神の愛を確信する人だけが、自分の救いと信仰を守って勝利することが出来ます。


主の愛に対しての確信がない人は、厳しい状況の中で耐えることが出来ず、主の愛を疑って、主から離れて行きます。


愛よりも強いものはないです。

神様がひとり子キリストをお与えになったほどに自分を愛しておられると思うならば、目の前の患難が主の愛より大きく見えることはないです。


迫害が主の愛を奪い取るような強力なものには見えません。



殉教した人たちは、自分を愛する主の愛をどこでも感じるので、むしろ死ぬことも喜んでいました。

神の絶対的な愛と天国への確信を持っていたので、彼らはいのちが取られてもキリストから離れませんでした。


私たちを愛しておられる主が、苦しみの中にいる愛する者たちを見捨てることなどありえないことです。


それを彼らもみな信じていました。


【第1ヨハネ4章7-11節】

愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。

愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。

福音を異邦人に伝えたパウロは、コリントの信徒たちに手紙の最後にこのように言いました。


【第1コリント16章24節】

私の愛は、キリスト・イエスにあって、あなたがたすべての者とともにあります。

主の圧倒的な愛を体験した人は、人もこのように愛することが出来ます。

アーメン (。・ω・)ノ゙


2018.9.2
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