からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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約束

アブラハムから学ぶ従順する信仰

テーマは 『 アブラハムから学ぶ従順する信仰 』 です

【創世記22章1-14節】

これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。神は彼に、「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は、「はい。ここにおります」と答えた。

神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」

翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、ふたりの若い者と息子イサクとをいっしょに連れて行った。彼は全焼のいけにえのためのたきぎを割った。こうして彼は、神がお告げになった場所へ出かけて行った。

三日目に、アブラハムが目を上げると、その場所がはるかかなたに見えた。

それでアブラハムは若い者たちに、「あなたがたは、ろばといっしょに、ここに残っていなさい。私と子どもとはあそこに行き、礼拝をして、あなたがたのところに戻って来る」と言った。

アブラハムは全焼のいけにえのためのたきぎを取り、それをその子イサクに負わせ、火と刀とを自分の手に取り、ふたりはいっしょに進んで行った。

イサクは父アブラハムに話しかけて言った。「お父さん。」すると彼は、「何だ。イサク」と答えた。イサクは尋ねた。「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか。」

アブラハムは答えた。「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」こうしてふたりはいっしょに歩き続けた。

ふたりは神がアブラハムに告げられた場所に着き、アブラハムはその所に祭壇を築いた。そうしてたきぎを並べ、自分の子イサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上に置いた。

アブラハムは手を伸ばし、刀を取って自分の子をほふろうとした。

そのとき、主の使いが天から彼を呼び、「アブラハム。アブラハム」と仰せられた。彼は答えた。「はい。ここにおります。」

御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」

アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶにひっかけている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の子の代わりに、全焼のいけにえとしてささげた。

そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「主の山の上には備えがある」と言い伝えられている。

私たちが直面する多くの問題の原因になるのは、神に対する不従順の罪です。


神のことばに素直に従えば発生しなかった問題のほとんどが、神に従わなかったことが原因で発生します。

今まであった問題や苦難には、自分や家族の誰かの不従順の罪があったことを否定出来ません。



ですから問題の解決を願うならば、不従順の罪を悔い改めて 心を入れ替え、従順する人にならなければなりません。


アブラハムは 私たちに従順の模範を見せてくれた “信仰の人” です。

従順とは何かを見せてくれました。



創世記22章は、アブラハムにとっては人生最大の試練の時でした。

とんでもない大きな問題が降りかかって来ました。

それも、神から直接来た試練なので、神に助けを求めるわけにもいかなかったです。


神にも相談出来ないからといって、人間に相談しても解決するわけがないです。


このような大変な試練をどのように乗り越えたのかを見ると、そこにあるのは “神への従順” でした。




神のことばに対して 一切つぶやかず従順したアブラハム




アブラハムが神から受けた命令は、到底 理解も納得も出来ない命令でした。


「自分の子を全焼のいけにえとしてささげなさい」 と命令されたら、私たちはどうしますか?


まずは自分の耳を疑い、神ではなくサタンからだと思うでしょう。

「神がそんなことを言うはずがない」と思うのが当然ではないでしょうか。


そこから様々な思いが巡り、それを神にぶつけるのが普段の私たちのやり方です。



しかしアブラハムは違いました。

私たちは自分の思いと神の思いが違う時には、いつも不従順の道を選びます。

不従順の習慣が根強く残っているからです。


しかしこの時のアブラハムの辞書には、“不従順” という文字がなかったと思われます。

一言も言わず、彼は従順しました。


信仰の土台は神のことばです。


そして生きた信仰は、みことばへの従順です。

神のことばに有無を言わなかったのがアブラハムでした。




従順の実践が早かったアブラハム




アブラハムは神の命令があった翌朝、すべての準備をしてイサクを連れて、神が示す所に出かけて行きました。


アブラハムが感情もない石のような心の持ち主でしょうか?

また、息子を愛さないお父さんでしょうか?



アブラハムにとってイサクは愛してやまない存在でした。

また神の約束の子で、100歳の時に生まれた かけがえのない存在です。


神の命令に従うにしても、神に「しばらく息子と過ごす時間を下さい」とお願いするのが平凡な人たちの願いだと思いますが、アブラハムには そういうことがなかったです。


命令にはすぐに従うと思っていたのでしょう。

そして息子と共に時間を過ごしたら、きっと神に従うことは出来なくなると思ったでしょう。



従順を遅らせると、必ず誘惑するものが近づいてきて誘惑します。

サタンはいつもチャンスを狙って近づきます。


私たちが迷う時、モタモタしている時に、甘いことばを持ち込んできて、従順出来ないように邪魔をします。


これに引っかかる人が実に多いです。

アブラハムは惑わされないために、また不従順を警戒して すぐに実行に移したと思います。



従順は後回しせず、すぐに実践することです。


「神様を信じなさい」と言っても、「いつか信じます」と言う人は なかなか信じません。


しかし決断する人は、その時から信仰が芽生えてきます。

従順は早ければ早いほどしやすいです。


遅れれば遅れるほど 従順出来なくなります。



怠け者で不従順が身についているならば、その命令さえも忘れてしまいます。

行いが伴わない信仰は “死んだ信仰” です。

死んだ信仰がその人を救いますか?


すぐ従う人に神の祝福があります。




アブラハムは盲目的に従順したのではなく、疑わず確信をもって従順しました




この信仰はこの出来事の前からアブラハムにありました。

100歳の時に子どもが生まれると聞いた時、アブラハムが見せた信仰です。


【ローマ4章20-21節】

彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、

神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。

そしてその信仰通り 100歳の時に、息子イサクが生まれました。

そして、「その息子をささげなさい」と言われた時にも、アブラハムには別の信仰の確信がありました。


それは、“神には神の良い考えがある” と疑わずに確信していました。



イサクが「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、どこにあるのですか。」

と聞かれた時に「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」と答えました。


人間的には、アブラハムは息子を全焼のいけにえにしなければならない現実が苦しくて心を引き裂かれる思いがあったと思います。


しかし、そのことよりも上に置いたのが神への従順、神への愛、神への信頼でした。



偉大な信仰は、平凡な生活の中で生まれるものではないです。


激しい試練の中で、神を疑わず信じて行動する時に生まれるものです。


偉大な信仰は、誘惑に勝利した信仰です。

神のことばを守り抜いた信仰です。


このような信仰を見て、神は共にいて下さり祝福を与えます。



従順したアブラハムに神がかけた言葉は,本当に祝福の言葉でした。


【創世記22章16-18節】

わたしは自分にかけて誓う。あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、

わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。

あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」


不従順の罪を捨てて、アブラハムの従順の信仰を学びましょう。
アーメン v( ̄∇ ̄)v


2018.12.2
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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神の約束を信じたアブラハムの信仰

テーマは 『 神の約束を信じたアブラハムの信仰 』 です

【ローマ4章19-21節】

アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。

彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、

神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。

聖書から、“神のことばと信仰” を除くならば、何が残るでしょうか。

そして、それらを除いた聖書が私たちにどのような意味を残すでしょうか。
それは何の価値もないものになってしまいます。


信仰は神のことばと私たちをつなぐ役割をします。


いくら聖書が真理であり、いのちのことばだとしても、読む人に信仰がないならば聖書をどんなにたくさん読んでも、その人に聖書の価値はわかりません。


ただの一冊の本に過ぎません。


また、ある人が「自分には信仰がある」と言っても、その人の信じるものが真理のことばでないならば、その信仰はむなしいものとなり、その魂を救うことは出来ません。


アブラハムという人物は、“信仰の父”と呼ばれています。
神様は、アブラハムが見せた信仰を 良い信仰だと認めて下さいました。

それはアブラハムが神の言葉に対して信仰をもって受け止め、その信仰が最後まで生きていたからです。


アブラハムは神様を直接見たから神を信じたのでしょうか?

神を信じない多くの人は、「神を見せてくれるならば信じる」と言います。


高慢と不信仰な心で「神を見せてくれ」と言っても、神がその人に現れることはありません。

なぜなら神が認める信仰は、見て信じる信仰ではなく、見ずに神の約束を信じる信仰をよしと認めて下さるからです。


信仰がない人に神が現れるのではなく、信仰がある時に神を見ることが出来ます。

(ここで、「見る」というのは自分の肉の目で見るという事ではなく、心の目で見るということです。)


神のことばを信じる人は、心の目で神を見るようにして生きています。






アブラハムの信仰が、どのような信仰であったのかを見たいと思います。

アブラハムはある時に神の声を聞きました。それはアブラハムにとって初体験でした。


目で神を見たのではなく、聞こえてくる神のことばでした。

神から聞かされた内容はあまりにもスケールが大きくてよく理解出来ない神の一方的な約束でした。


【創世記12章1-3節】

主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。

そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。

あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」

もし皆さんがこのようなことばを聞いたならば、理解できますか。
そして神のことばを理解できないまま、すぐに従うことが出来ますか。


すぐに出来るならば、アブラハムの信仰を認めた神が、皆さんの信仰を認めて下さると思います。

しかし出来ないならば、アブラハムの信仰を見習うことです。


アブラハムは神の約束のことばを信じ、主が仰せられた通りに出かけました。
冒険するには75歳という年齢は厳しいと思います。


しかし、アブラハムは従順出来ない理由を捜したのではなく、ただ神から言われた通りに従いました。


その時のアブラハムの信仰は、神に完全に従順する信仰でした。

信仰のない人から見ると無謀な人間に見えたでしょう。
“失敗したらどうするの” と心配する声が周りから大きくなるでしょう。



すぐに心配する人は、なかなか信仰が成長しないです。神のことばよりも自分の感情に忠実だからです。

そのような人は神の言葉よりも自分がどう思うのかが一番です。
自分が安心出来たら(言葉に)従うけど 安心出来ないと、神の言葉に頼るのが苦手です。


しかし アブラハムは神のことばだけに信仰を結び付けて従順しました。

簡単そうに見えても、人々はここで失敗することが多いです。


まずは「そんなことが信じられません、そんなことが起こるはずがありません」 と勝手に神様のことばをつぶして従うことはしません。

神がせっかく語って下さったのに、どれほど多くの人々が、自分たちの不信仰で神の言葉を無視するかわかりません。


まるで神様が嘘つき、詐欺師であるかのように「信じたらダメ」 と否定します。


アブラハムは信じて大胆に出かけました。
神様が喜ぶ信仰は、従順する信仰です。


信仰ある人は、自分の頭で理解出来ず 納得できなくても、神が語ったことばが一番で、そのことばに従います。


アブラハムの信仰は、神の約束を最初から疑わない信仰でした。

最初の神の約束のことばを疑わずに受け入れたアブラハムでしたが、すぐにその信仰が認められ、すべての祝福を受けたでしょうか。


現実はどうでしたか―?

75歳で従順して出かけましたが、25年間何事も起こりませんでした。
25年は決して短い時間ではありません。


自分ならばどうするのかと考えてみて下さい。

信じた私がバカだったと自分に対して腹を立てますか?
また、神様に向かって嘘つきと文句を言いますか。


たぶん私たちならば両方やっていると思います。

しかしアブラバムは、子孫が与えられる約束を受けたにも関わらず、いつの間にか100歳になり、生産不能になり、子を持つことが不可能になったにもかからわず、アブラハムは神の約束を疑いませんでした。


これは素晴らしい信仰です。






人々は信仰よりは不信仰を選び、信仰よりは疑いを選びます。

忍耐よりは諦めて、時間を無駄にするよりは他の方法を捜します。

しかし別の方法も見つからず失望して終わる人が多いです。


沖縄に行った時、海岸にある木を見ましたが、形がちょっとおかしく、木の葉や枝が不揃いでした。

台風が多いので、暴風で枝が折れたり、葉っぱが落ちた為だと思います。


でも激しい風の中でもしっかり立っているのは、植えられた所に、必死に頑張ってしがみついて 根を深く降ろしたから倒れなかったと思います。


疑いは二心です。どうしようかと迷う心です。

根を下ろそうか、やめようかと二心で戦いますが、そのような状態では立ってはおられません。

現実の強い風で倒されてしまいます。


アブラハムは自分や妻が年取ってこどもを産む力がないことを知っていても、信仰が弱ることもなく、神の約束を疑うこともなかった理由は、アブラハムが神の無限なる力と 神は約束を守る神であることを信じたからです。


【イザヤ書55章11節】

そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。

環境に左右されたり、自分の状態に左右されたりするのは信仰の姿ではありません。


神の絶対的な力と真実さに対する完全な信頼こそ、不可能に見える状況の中でも アブラハムを苛酷な現実から守る信仰の力になっていたと思います。


信仰は力です。

環境を見て信仰が無気力症にかかる人が多いです。それは信仰の根っこが弱いからです。


アブラハムも人間的な目で見ると、大いなる民族の先祖になることは想像出来ない状況でしたが、それでも信じたので 「信仰の先祖」 と呼ばれています。

この姿は私たちが見習わないといけないです。


次々と変わる環境や状況に振り回されて信仰の無気力症に落ちるのではなく、そのような時こそ忍耐をもって神の約束を堅く信じ、耐えることです。


その姿を確信に満ちた信仰と言えます。


確信とは、疑いが入る隙間もないほどに、自分に与えられた神の約束のことばと、神は約束したものを必ず成し遂げる方であることを心の中に満たすことです。


そして日々そのことを黙想することです。

まるでそのことが当たり前であるかのように思われると、信仰の根を深く降ろしたことになるので、過酷な現実の中でも倒れることがありません。


その人たちを倒そうとするサタンの策略も失敗に終わり、さらに試練の中で信仰は強くなり、成長していきます。


見えるものにすぐ心が取られたり、疑ったり、失望すると、倒そうとするサタンに隙を与えることになります。

現実的な可能性があったり、少しでも希望がある時は、信仰を守ることがそんなに難しいことではありません。


ところが、激しい試練や不可能な状況に直面すると、私たちの信仰は病にかかり 倒れやすいですし、疑いと絶望で揺れ動いてしまいます。


しかし、そのような時でもアブラハムがしたように、神に望みを置いて、神の約束を信じ続けるならば、神は約束したことを必ず成就して下さいます。


信仰が弱いと、神から素晴らしい約束を受けても、それを無駄にしてしまうことが多いです。

しかしアブラハムのようにするならば、すべての約束を自分のものにすることが出来ます。


信仰が弱くなったと実感する時は、アブラハムの信仰をもう一度学んで下さい。


彼が教えてくれます。
( ̄‥ ̄)=3

2015.7.26
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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約束を信じる信仰告白

テーマは『 約束を信じる信仰告白 』です。

【創世記12章1-6節】

アブハラムがどのようにして信仰の先祖として誕生したのかを、彼の生涯を通して見せてあります。
この聖句には神様が与えた7つの約束が書かれています。

1.「 わたしはあなたを大いなる国民とする 」
2.「 あなたを祝福する 」 
3.「 あなたの名を大いなるものとしよう 」 
4.「 あなたの名は祝福となる 」
5.「 あなたを祝福する者をわたしは祝福する 」 
6.「 あなたをのろう者はわたしはのろう 」
7.「 地上のすべての民族は、あなたによって祝福される 」

これは小さな祝福ではないです。アブラムや私たちには考えられない、とても大きな祝福です。
人は、こんな大きな恵みは出来るはずがないと思うでしょう。
これは神様が一方的に彼に与えた約束であります。

しかし、これらの恵みは神様がアブラムへ無条件に与えたものではないので、
何もせずに約束通りになることはないです。
聖書の神様からの約束の言葉は、全てに対してそうであります。

その前に、「 あなたがこうするならば、叶えられる 」という条件があります。
この聖句での条件は【創世記12章1節】
< あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。> です。
その後に約束の言葉である12章2節の『 そうすれば―― 』と続きます。

私たちは小さな恵みには信じる心が出ますが、あまりにも大きな恵みだと聞く耳が開かれないです。

私たちの救いに対しても神様は条件を出しておられます。それは「 信じる者 」には救いを与える です。
自分の信仰がなければ、いくら素晴らしい神様の約束があっても自分の物にはなりません。
条件無しに神様の言葉が来ることはないです。

私たちが祝福を受けるには、まずは神様からの条件を聞かなければいけません。
聖書を読んだとき、素晴らしい恵みの言葉が書かれていると そのみことばを握ります。
しかし、ただ 『 聖書のここにこのような事が書かれてあります。叶えてください。』 と祈るならば,
神様から見ると、「 あなたはわたしが示した条件を知っているのか?そして行動したのか?」

アブラハムは神様の言葉を少しでも聞き逃していたら、このような祝福を受けることはできませんでした。
アブラハムが言葉通りに行動をしなければ、神様はこの条件に満たす人を探して、他の人に祝福を与えます。

神様は「 目的がない命令 」をするのではないです。
もし神様が「 行きなさい 」と言った場合は、その後に語った約束の言葉を聞かなければならないです
目的がないと不安だけがあり、私たちは行動ができないのです。
そして神様の言葉通りに行動をすると、そこに私たちが受ける祝福を備えてくださっています。

私たちには祝福が必要です。祝福なしに幸せになれないです。
祝福がほしい人ならば、神様の言葉を握らなければいけません。

「これが欲しいな、あれが欲しいな。」と思った時に、これを自分の物にするためには、
神様はどんな命令を与えているのか、私たちは考えなくてはいけないです。
条件を満たしていかないと、絶対に自分の物にはならないです。

信仰には行動が必要です。命令に従順する時に、神様が与えた約束ですのでその通りになります。
信仰は口で毎日告白することが大事です。神様の前であなたが本気でしているのかを表しなさい。
信仰がない人は、確信がないので言葉が弱いです。心から信じていないのです。

【申命記28章1節】、【申命記28章15節】

どちらも神様から約束の言葉です。自分はどちらに従うのか――?

なぜ祝福を与えてくださらないのですか? → 神様の約束を守っているのか?
タダで恵みをもらおうと考えています。

【ローマ4章19-22節】

アブラハムは約束の言葉を忘れたことがないです。告白をやめたことがないので信仰がますます強くなりました。
環境や自分を見るのではなく、信仰で受け取り神様の言葉を堅く握りました。

信仰告白をし、信じる人は行動が伴います。このような人は挫折することがないです。
「 もういいです。」と拒否をすると、神様の恵みはそこで終わってしまいます。
自分の口で祝福を潰してしまうのはいけません。

「 古い者 → 新しい者 」 「 呪われた者 → 祝福される者 」 「 弱い者 → 強い者 」 へ変えてくださいます。 

命じた通りに行動しなさい。すると神様を体験することができます。

以前に神様が自分に語った言葉があるならば、それをもう1度聞きなおすと良いです。
私たちが聞き従う時に、神様が責任を持って成就してくださいます。

2011.12.11
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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