からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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神様

感謝が人生を変える

テーマは 『 感謝が人生を変える 』 です

【詩篇136編1-3節、23-26節】

主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。

神の神であられる方に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。

主の主である方に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。


主は私たちが卑しめられたとき、私たちを御心に留められた。その恵みはとこしえまで。

主は私たちを敵から救い出された。その恵みはとこしえまで。

天の神に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。

今日は収穫感謝礼拝を主に捧げます。


あと1か月半で今年も終わります。あっという間です。


主から受けた恵みを全部覚えていますか?

感謝をしましたか?


昨日パリで連続テロ事件が起こり、世界をびっくりさせました。

フランスにとっては悪夢の日でした。
百何十人が死亡し、多くの人が負傷しました。

テロは突然 何の前触れもなく起こり、多くの尊い いのちが突然奪われました。


6ケ所でテロが起こりましたが、コンサート会場で一番多くの死者が出ました。

アメリカのロックバンドのコンサートでしたから、犠牲者の多くは若者だと思うので、短い人生で終わった人が多かったと思います。


最近はテロ爆発事件で亡くなる人も多いので、自分が いつどこで人生が終わるか分からないです。


人生は短いです。

その人生をどのように生きるかがとても重要です。

ある人たちは人生がいつまでも続くと勘違いしながら生きていますが、人生は短いです。


歳を重ねていくと人生はさらに短く感じます。


しかしある意味では人生は長いです。

まだまだ夢のために、ビジョンのために生きる時間が残されているからです。

そして死後の世界もあるので、その意味で人生が終わることはありません。


「人生とは何か」を論じても それはむなしいですし、答えるのも難しいです。

しかし日々をどのように生きるかによって、人々は自分の人生に対しては答えを出すことが出来ます。


何よりも良い人生を造り出すためには、感謝に優れていないといけないです。


感謝が多い人はまず表情が明るいし、肯定的な人生を生きていますので、幸せオーラが出ています。


反対に 感謝せず、何かと不満が多い人は 表情が険しく、不幸がにじみ出ています。


どちらが良い人生であるかは、見た目でも判断が出来ます。






今回は “ 感謝が人生を変える”  ことに対して話します。


詩篇136編は神の前で感謝をする みことばです。


この箇所には感謝の原理があります。

1節から26節まで 感謝の内容が並べられていますが、神からの受けた多くの恵みを思い出しながら、1つ1つ感謝する内容でした。


主が良くして下さった恵みを忘れないことは良い事です。


しかしそれを神の前に1つ1つ取り上げながら感謝することは神がとても喜ぶ事です。


人間関係においても、もし過去に人から受けた恵みを忘れず、何年後でも相手に感謝を忘れていないことを伝えると「昔のことなのに、未だに覚えているんですか?」と驚きながらも嬉しい気持ちになります。


しかし受けた恵みに対して覚えておらず、感謝のことばも無いならば どのような気持ちになりますか?

これからは何もしないと心で決心しますし、したくなくなります。


皆さんは受けた恵みをよく覚えていますか?

そして感謝もしていますか。

感謝は日々の生活の中から生まれて来なければなりません。


私たちの日常は毎日がお祭りではありません。

平凡であるから、感謝そのものを忘れることが多いです。


特別に良いことがあると感謝しやすいですが、そうではないと感謝することもなく、1日が終わることが多いでしょう。


しかし平凡な日常の中でも感謝することを捜して感謝することが大切です。


私たちは食事の時に食べ物に対して感謝の祈りをします。
それは本当に感謝な事です。


イスラエルの民は40年間 荒野を通りましたが、その間ずっと神が与えた特別な食べ物・マナを食べて生きました。


最初は喜んで感謝して食べましたが、しかし しばらく経たないうちにマナに対して悪く言い始めました。

「こんな みじめな物は食べたくないし、もう飽きた。」
感謝が消えて、文句を言いながら “ 肉が食べたい ” と要求しました。


しまいには、奴隷の時を懐かしく思いました。
それには神様もびっくりでした。


もしマナが毎日与えられなかったならば、イスラエルの民は全員荒野で飢え死したと思います。

それは彼らにとっては いのちのパンでした。


しかし毎日与えられると、それが当たり前になり、感謝することもしなくなりました。


昔より今は食べ物が豊富ですが、昔より食べ物に文句を言う人が多いです。

毎日 食べ物があることは すごく感謝で、毎日ご飯が食べられることは素晴らしい恵みです。


神戸地震の時にいつも冷たいおにぎりばかりを食べていた避難民たちは 温かいご飯を食べた時にしみじみと温かいご飯のありがたさを感じました。


そのように平凡な日常の中に感謝なことは たくさんあります。


まずは平凡な日常の中で感謝するものを捜して感謝することです。
それは目に見えるものだけではありません。


昨日 電車で帰る時に、どのような感謝があるのかを考えました。

そしたら正常に呼吸していることが感謝でした。

以前、呼吸困難になったことがありました。


息をすることの しんどさを初めてその時に感じました。

苦しくて酸素缶を買い、酸素を吸いました。1本1000円でしたが、2本買って吸いました。

少しは楽になりましたが、高かったです。


お金も支払わず、タダで空気を吸って呼吸していることは、実はすごく感謝なことです。


見えること、聞こえること、歩けること、話せることも大きな感謝です。


ですから、探せば 感謝出来ることがいくらでも出てきます。

失ったものや、無いものばかりを考えながら生きると、感謝が出て来ることはないですが、あるものに目をとめると、すべてが感謝に変わります。


人生の晴れの日に感謝するのは一般的です。


しかし、人生の雨の日に感謝ができるのは 聖霊充満な人生です。


そのためには普段から すべてを主の手にゆだね、たとえ最悪の状況に出会っても感謝をすると、自分の心に決めておくことが大切です。


なぜなら主の約束のことばがあるからです。


【ローマ8章28節】

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

約束を信じて、心の準備をしておかないと、最悪の時に信仰が揺れ動いて倒れやすくなります。


そして私たちの感謝の出発は「主は慈しみ深い方であり、その恵みはとこしえまで」と信じる信仰からです。

信仰と感謝は比例します。


信仰の目で見ると感謝することがとても多いです。

神様に対する信仰が強いと感謝もそれに比例して多くなります。






神はどのような方ですか?
世界で一番偉大な方です。


神の神、主の主とは、神の偉大さと絶対主権を現すことばです。


人間の力と努力だけで、何かを成功させることは出来ないです。
神の恵みなしにすべては不可能です。


尽きない神の恵みがあって すべてが動いていますし、祝福されています。


苦難と問題の中にいる人が、今 いるかも知れません。


しかし人生の問題は、視覚と思いと信仰の問題です。

信仰があるので すべてが栄え、問題も起こらないとは神が約束していないです。


何があってもいつも喜び、絶えず祈り、すべてについて感謝するのが信仰だと教えました。


太陽の光も、苦難の雨も聖徒たちに降ります。

それは苦難の中で 私たちの人格を整え、肉の視覚を信仰の視覚に変えるためです。

試練の中で聖徒たちは変わっていきます。


イエス様に似る者にするために、“試練”という炉を通ります。


様々な問題の炉を通りながら、内側にある不純物が取り除かれ、聖くなり、悟りを得、問題を克服していく過程の中で さらに成熟していくことが多いです。


ですから、私たちが試練の荒野を通る時には、環境の変化を祈る前に、自分自身の変化のためにまず祈ることです。

また、どんな環境の中でも感謝出来る者になれるように祈ることです。

自分が変わると環境も不思議に変わります。


しかし自分が変わらず、文句ばかり言うならば試練はさらに厳しくなります。

苦難を克服する最善の道は、すべてに感謝する事です。


苦難を“自分が成長するチャンスだ”と信仰で受け止め 感謝すると、信仰も成長し、神様もその人を助けて祝福して下さいます。


感謝をする時に、人生は変わります。


私たちは生まれた時に何も持たずに生まれましたし、何も持たずに世を去ります。


欲深い人は感謝が出来ないですし、その人生は幸せにはならず、むなしい人生で終わります。


しかし小さなことに対しても感謝をする人は、感謝することが多いので、自分の人生をますます幸せにしていきます。


肉の視覚と思いで足りないもの、あらさがしをすると不満がますます増えていきます。

しかし視覚と思いを変えると、不満だったことを感謝の条件に変える事が出来ます。


世を見ると絶望や失望することが多いので、希望が見えてこないです。


しかし目をイエス様に向けると希望が生まれ、喜びが生まれ、感謝が生まれ、平安な心になります。

このように自分の視覚を変えると、人生も変わります。


世界で起こっていること、自分の人生で起こっていることを、神に信頼しながら、信仰の視覚で見ると違って見えます。


神様はすべての状況をすぐにでも変える力がある方ですが、良い目的をもって沈黙を守る時があります。

イエス様が十字架で苦しんでいる時も、神様は沈黙を守りました。

それは、イエス様の死が 人類の救いのために必要であったからです。


もし試練があるならば、そこに神の良い目的があることを信じて感謝してみて下さい。

いつかそれがはっきり分かる時が来ます。


自分は幸福ではないと言う人たちも多いです。

もちろん色々な原因があると思いますが、感謝が足りないことも原因の1つです。


感謝が足りないと魂が渇きますし、感謝はたましいに潤いを与えます。


そして感謝は幸せと祝福の扉を開ける鍵です。

ですから感謝する心は環境を変えますし、さらに人生を変えます。


また、さらに神のみこころも計画も変えることが出来ます。

懲らしめが恵みに変わることがあります。


すべてのことについて感謝することを習慣化して下さい。その感謝によって幸せが訪れ、奇跡が起こります。


感謝は神との関係も人との関係もよくします。

そして神を喜ばせ、人も喜ばせることが出来ます。


感謝のことばが口から絶えることがないようにしましょう。
.。゚+.(・∀・)゚+.゚

2015.11.15
収穫感謝祭礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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勝利の人生

テーマは 『 勝利の人生 』 です

【エレミヤ書29章11-13節】

わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。― 主の御告げ ― それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。

もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。

2014年・WHO(世界保健機関)報告では、世界の自殺者は年間80万人超でした。


それは 40秒毎に1人が自殺していたことになります。恐ろしい数字です。


最大の数はインドの25万人、中国、韓国、日本も自殺者の多い国に入りました。

国々によって理由も様々で、ストレスや うつ病、貧困、いじめ、経済面なども理由に入りました。

孤独のために自殺した人も多かったです。


昔と比べ 社会も人間関係もストレスが多く、不安や絶望感が大きくなったので、人生に絶望し、将来を悲観して いのちを断つ人が多くなったと思います。

その人たちは人生に負けたと思いながら亡くなったでしょう。


将来に対して全く不安がないと言うならば、それは嘘だと思います。

周りで起こる様々なことを見ると不安が出てきますし、絶望することも出て来ます。


その時に 私たちは世の流れに自分を任せて行きますか?

そうすると人生に疲れて自ら命を絶ちたくなると思います。


エレミヤと言う預言者がイスラエルの民に神のことばを伝えていましたが、その当時イスラエルは国も無くなり、彼らはバビロンで捕虜の身となっていました。


彼らの罪の結果でそのようになり、そして捕虜生活は長く続きました。

その中で人々は絶望していました。


絶望的になっている彼らを見て、神様は預言者エレミヤを通して語りました。

その内容は素晴らしいものでした。


絶望の中にいる人たちにとって希望と勇気を与えるメッセージで、勝利の人生を生きるヒントがそこにありました。


今回は、そこから勝利の人生のヒントを学びたいと思います。





・自分が置かれた環境の中で最善を尽くす




にせ預言者たちは 耳に良いことばを人々に語り、「捕虜期間が早く終わって国に帰られる」と民たちを惑わしました。


しかし主がエレミヤに啓示したのは、捕虜期間は70年間続くということでした。

それで神様は、彼らが地に足がつかない生活ではなく、しっかりと地に足をつけて生きることを示しました。


【エレミヤ書29章5-7節】

家を建てて住みつき、畑を作って、その実を食べよ。

妻をめとって、息子、娘を生み、あなたがたの息子には妻をめとり、娘には夫を与えて、息子、娘を産ませ、そこでふえよ。減ってはならない。

わたしがあなたがたを引いて行ったその町の繁栄を求め、そのために主に祈れ。そこの繁栄は、あなたがたの繁栄になるのだから。」

これらのことばは、今も主の再臨を待ち望みながら歩んでいる私たちに必要なことばです。

たとえ明日 世の終わりが来ても、今日しっかりと地に足をつけて生きることを主は勧めています。


聖徒は決して現実逃避しながら生きる存在ではありません。


現実を認め、自分が置かれた環境に適応しながら、その中で自分に出来ることが何かを思いながら、小さなことに忠実な人にならないといけないです。


神が与えた環境の中で神の栄光を現すために、信仰を持って最善を尽くすことが主に喜ばれる人生です。

神様はその人に恵みと力を与えて下さいます。





・自分の人生を主に委ねる




【エレミヤ書29章11節】

わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。― 主の御告げ ― それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

愛とあわれみ深い神様が私たちに与えるのは、災いの計画ではなく良い計画です。

しかし、私たちが神様のみこころを知らず 信頼しないならば、私たちは試みに会い、試練にも会います。


幼子が親に自分を完全にゆだねて生きるように、私たちも霊の父である真実な神様に自分の人生を完全に委ねて生きることを主は要求しています。


いつも私たちはこの部分が一番足りないと思います。
神様は私たちの保護者です。


私たちは主の前では幼子と同じなのに、主に委ねることも頼ることもせず、自分の力で生きようとします。
それが問題です。


謙遜になって委ねるならば、もっと自由に幸せに生きることが出来ます。



ですから人生を主に委ねることを学ばないといけないです。


【詩篇37篇5節】

あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。

【箴言16章3節】

あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。

神様が私たちのために計画を立ててあり、安心してそれに従うなら 神様は一歩ずつ私たちを導いて下さいますし、困難の中でも私たちを守って下さいます。



頭では分かっていても主に委ねることがなかなか難しいのは、信仰の弱さが原因です。

神様への信頼が足りなく、“心配と疑い”が委ねることを邪魔します。


信仰の勝利者は自分の人生を完全に主に委ねて歩みました。

アブラハムの姿を見てもそうでした。


【ヘブル11章8節】

信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。

自分に対する神様の計画を知った時に、完全に自分の人生を神様に委ねて従いました。

それによって彼は幸せで満足ある人生を送りました。


自分の人生設計だけがすべてと思う人が多いですが、すべて自分の計画通りになりますか?

それは神様が喜ぶ人生でしょうか。


神様の計画に自分の人生を委ねることが良い人生であり 幸せな人生です。





・いつも主を求めながら生きること




【エレミヤ書29章13節】

もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。

神様は私たちの祈りを喜んで聞いてくださる方です。


幼子が持つママたちがよく言う言葉があります。
私も子どもを産んで経験しました。


実際は赤ちゃんが泣いてもいないのに、耳に赤ちゃんの泣き声がずっと聞こえてきます。

泣いていると思って赤ちゃんの傍へ行くと寝ています。
そのようなことがよくありました。


赤ちゃんは泣くことで色々なことを伝えるので、ママは赤ちゃんの泣き声にいつも耳を傾けます。

それが赤ちゃんから離れると、泣いてもないのに 時々泣いていると錯覚してすぐに赤ちゃんの所へ行きます。


神様はこれ以上に私たちの声に反応して下さる方です。

私たちは神様に祈ることが出来ますし、祈りは神様の力と恵みを自分のところに下らせます。


「祈ったのに何も答えて下さらなかった」と よく聞きますが、果たしてその祈りが主の心に適う祈りでしょうか。


もしみこころに適う祈りならば、主は答えて下さいます。


【エレミヤ書33章3節】

わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。

このように約束して下さいました。


問題や試練の中で自分1人で解決しようとする人たちが多いです。

神様に頼らず、人にも頼らない人も多いですが、それは不信仰の姿であり、高慢な姿でもあります。


聖徒たちは問題が生じた時は 何よりも先に神様を呼ばないといけないです。


熱心に神様を求めながら、神様の導きと指示を受けることです。


1人で頑張る人は力尽きて絶望することが多いですが、神様に祈り 信頼する人は必ず神様に助け出されます。


詩篇42篇に出てくる祈りは良い祈りです。


【詩篇42篇1-2節】

鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。

私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。


【詩篇42篇5節】

わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。

【詩篇42篇8節】

昼には、主が恵みを施し、夜には、その歌が私とともにあります。私のいのち、神への、祈りが。

主のことばは魂を生き返らせます。


私たちの人生を食い物にしようとするサタンの勢力がますます強く働いているので、いつも主を求めながら、自分の人生を主に委ね、現実の中で最善を尽くす時に 私たちは神様の助けと計画の中で必ず勝利の人生を歩むことが出来ます。
(・◇・)ゞ


2015.10.25
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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霊的戦いにおいてのサタンの策略

テーマは 『 霊的戦いにおいてのサタンの策略 』 です

【エペソ6章11-12節】

悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。

私たちの格闘は血肉に対する ものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。

今、世界中の人々が注目し、毎日ニュースに出ない日がないのは「イスラム国」です。
日本人の人質が殺されたことによって、さらに身近なニュースになってしまいました。

歴史上、もっとも残忍で残酷なテロリスト集団と言われています。


彼らは平気で人を殺していますし、占領した地域では公開処刑を日常的に行うなど住民を恐怖によって支配しています。

彼らは 人間の命を虫けらのように扱っています。
それをやっているイスラム国の戦闘員たちは以前からそんな者たちだったのでしょうか?

それは違います。
外国からの若者も多数いますが、彼らはそれまで人を殺したことがない人たちがほとんどだと思います。


それが現在は、人を殺すのをまるで楽しむかのように残忍であるのはどのように説明したら良いでしょうか?

私たちは目に見える人間だけで評価してはいけません。


その背後で何が動いているのか 気付かなければなりません。


聖書では神の存在も教えていますが、サタンや悪霊の存在も教えています。
神のみわざも教えていますが、サタンの策略や活動も教えています。


クリスチャンはこのことに対して詳しく知らなければなりません。


【ホセア書4章6節】

わたしの民は知識がないので滅ぼされる。

このように書かれているのに、無知によって人を殺すこともありますし、自分が滅ぼされることもあります。


イエス様のことは知っていても、悪魔に対して知らないクリスチャンもたくさんいます。

ここの教会では そのことを教えているので皆さんは既に知っています。


しかしそのことを教えない教会が多いです。牧師がそのことを知らないからです。


最初の人間であったアダムとエバもサタンに騙されて罪を犯しました。

サタンがいなかったら罪は犯さなかったと思います。


イエス様の十二弟子の1人であったイスカリオテ・ユダの心はなぜ変わってしまったのでしょうか?


【ヨハネの福音書13章2節】

夕食の間のことであった。悪魔はすでにシモンの子イスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れていたが、

サタンが入れる思いは罪の思いです。
殺意の思い、騙す思い、汚れた思い、偽りの思い、裏切りの思い、淫乱な思いなどを入れます。

クリスチャンでもこれを知らない人が多いです。


ただ「自分が悪いからそういうことを思うんだ」と言って、自分を責めたりしますが、実はそのような思いを私たちに入れるのはサタンです。

サタンはとても巧妙で狡猾です。
まるで それらの思いが、その人自身から出たかのように思わせます。

そのことによって自分(サタン)に敵対しないようにし、さらに働きます。


今、イスラム国の戦闘員を見ると、無理やり脅かされてやっている人もいますが、自ら志願した人たちのほとんどはサタンが残忍に人を殺す思いなどを入れて 自分たちの目的のために利用しています。


彼らがやっていることを見て、人間的だと思いますか?―― それはとても悪魔的です。


私たちはサタンがどのように私たちに接近してくるのかを知らなければなりません。

その策略を知る必要があります。
サタンに騙されず、またサタンと戦うためにも しっかりと学ばなければなりません。




①サタンは私たちに悪い思いを入れる




多くの人が、これが悪い思いとは知らず、受け入れてしまう思いがあります。

それは“恐れ”です。
なぜイスラム国が残忍な殺し方をする映像を次々と流すと思いますか?

また なぜ支配地域で公開処刑をしたり遺体を放置したりするのか分かりますか?


それは人々に恐れを入れるためです。

「この人たちはとても恐い存在だ。立ち向かえない。」という恐れの思いを入れて支配するためです。

不安になると人間の心の中には恐れの思いが出てきます。

そして(サタンは人々の心に)神様に対する疑いの思いを入れます。
「神様が存在するならば、なぜこんなに惨いことが起こるのか。」 または「神様がいるならば、なぜあなたを守らなかったのか?信じる必要があるのか?」という不信仰や疑いの思いを入れます。


これに私たちは騙されてはいけません。


【Ⅱテモテ1章7節】

神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。

そして「恐れるな。強くあれ、雄々しくあれ。わたしがあなたとともにいるから」と語っておられます。




②サタンは人々を通して私たちを妨げる




私たちは誰と親しくしているのかを調べないといけないです。

親しい者が自分に対して罪を犯すように誘惑しているのかどうか、もし平気に罪を犯す者がいるならば、関係を切ることが大切です。


人々を通して間違えた教えを受ける時もあります。間違えた教えの中には惑わしの霊が働きます。


私が日本に来て、それほど経っていない時に若い日本人女性が親切にしてくれました。

そして私を教会に連れて行ってくれましたが、そこは統一教会でした。


もし私が韓国にいた時に統一教会の正体を知らないでいたならば、今ごろ統一教会の信者となって、とんでもないことになっていたと思います。

私はそこは行きたくなかったので、その人との関係を断ちました。

その後 何度も家に訪ねてきましたが、居留守にしていました。


家族を遣ってもサタンが働くので気をつけなければなりません。信仰から離れるように迫害します。




③サタンは直接私たちを攻撃したり邪魔をする




多くの場合、病気で攻撃をします。

ヨブがひどい攻撃にあいました。足の裏から頭の頂まで、すなわち体全体に悪性の腫物が出て、かゆくてかゆくて土器のかけらを取って自分の身をかきました。

言葉では表現できないほど辛かったと思います。


激しいサタンの攻撃でした。
突然、体の調子が悪くなったりする時に、それがサタンから来る場合があります。




④サタンはマスメディアを通して私たちを攻撃する




サタンはTV、映画、ネット、YouTubeなどを最大限に活用します。
今、イスラム国はこれを1番最大に用いています。

ゲームを見ても、すごく暴力的なものが多く、悪魔的なものもたくさんあります。


日本でも問題になってきたのが「人を殺してみたかった」という欲に負けて、実際に人を殺した事件がありました。

女の子がそのような恐ろしいことをしました。
小さい頃から目にした多くのものにどれほど残酷な場面がたくさんあったでしょうか。


日本では子ども向けにたくさんのアニメが作られていますが、悪魔やモンスターが全部可愛いキャラクターに作られて、皆に大人気です。これはサタンの勝利です。


悪魔が恐い存在ではなく、親しみやすい存在になってしまいました。
これはサタンの策略ですが、誰もこれに気付いていません。


ドラマやマスコミを巧みに使って、どれほど人々を誘惑するか分かりません。
目の欲、肉の欲をますます大きくさせていきます。

世を愛するように仕向けます。または世の流れに従うように誘惑します。


悪いことなのに、皆がやると まるでそれが常識であるかのように、人々の判断を鈍くさせます。




⑤サタンは偶像や迷信を通して攻撃する




TVや雑誌などによく出てくる「今日の運勢」などを使って、サタンは人々を支配します。


占いやおみくじ、運が良くなると言って売られる物なども日本にはよくあります。

昔からの伝統と言われるものの中にも、サタンの策略がとても多く隠されていますので、よく調べてみないといけないです。

それらのものによって、私たちの中に汚れた思いや惑わしの霊が入り、私たちの霊を汚します。


これらのサタンの策略に対して、私たちは何もせずに ただ見るだけで良いでしょうか?

神様は、サタンと戦う方法を明確に語ってくださいました。





①悪魔の策略に対して立ち向かい、神のすべての武具を身に着ける




神の武具は、信仰や行動によって着けることができます。

私たちはサタンが悪い思いを入れられないように心を守り、思いを守り、また偽りや不義を捨てて正しく信仰生活をし、日々 神のことばを受け入れ、真理の道を歩む時に 全身に神の武具を着けることができます。




②権威ある主の御名でサタンと戦う




【マルコの福音書16章17節】

信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、

イエスの御名には力があります。

主の御名を使うことができる人はイエス様を信じる者全員です。

悪魔は私たちの力で追い出すことは出来ません。


悪魔が恐れるのは、私たちではなく神様であり、神の御名、神のみことばを恐れます。

神には 悪魔たちが勝てない力と権威があるからです。


イエス様がサタンと戦う時も、みことばを使いました。

私たちもみことばやイエス様の御名を使って戦う時にサタンが出ていきます。




③主の血にも強い力がある



自分を守るためにも「主よ。血潮で私を覆い守ってください。これから戦います。」と血潮を求めます。

そして敵にも主の血潮をかけます。これが攻撃の武器になります。


私たちの戦いは目に見えないサタンとの戦いでありますので、これらのことを みことば通りに信仰によってしなければなりません。


サタンは今 世界で強く働いています。
世の終わりに向けて戦いが始まっています。

イスラム国だけでなく、周りの国々の人の中にも憎しみ、殺意、復讐の思いを入れて殺し合っています。


自分の策略に人々が巻き込まれているので、サタンは大いに喜んでいます。

私たちはサタンの働きをよく見なければなりません。

神のことばによって時代もよく見分けなければなりません。


そして何より自分の中にサタンがどんな策略をもって働いているのかを調べなければなりません。

それを見つけたなら、それに立ち向かわないといけないです。


何もせずにいればサタンに支配されてしまいます。

そうしたら自分の人生がどのようになるのかを考えてみてください。
(;´Д`)


2015.2.8
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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聖書にある繁栄の原則

テーマは 『 聖書にある繁栄の原則 』 です

【詩篇122篇9節】

私たちの神、主の家のために、私は、おまえの繁栄を求めよう。



繁栄の原理





【創世記26章12-13節】

イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。主が彼を祝福してくださったのである。

こうして、この人は富み、ますます栄えて、非常に裕福になった

新聞を読んでもテレビを見てもネットを読んでも経済的な困難や問題に対する内容がとても多いです。

イサクが生きた時代もそうでした。その地にききんがあって彼はそこに住む事が出来ず生きる場所を探して見つけたのがペリシテの地でした。

ペリシテ人は外国人の労働者にいい仕事場やいい土地を与えることはしませんでした。
しかし神様が祝福した時に、その年に百倍の収穫を得ました。

百万円を投資して一年で1億円を稼いだことになります。聖書で神様は30倍、60倍、100倍祝福すると語りました。

聖書によれば神と共に歩んだ人、神の繁栄の原理に従って生きた人々は環境を超越して繁栄を経験しましたし、それは今も変わりがありません。


【創世記13章2節】

アブラムは家畜と銀と金とに非常に富んでいた。

モーセの祝福は次の箇所です。

【申命記34章7節】

モーセが死んだときは百二十歳であったが、彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった。

ヨブの祝福は次の箇所です。

【ヨブ記42章12節】

主はヨブの前の半生よりあとの半生をもっと祝福された。それで彼は羊一万四千頭、らくだ六千頭、牛一千くびき、雌ろば一千頭を持つことになった。


ヨブは一度 無一文になりましたが、神に感謝して従ってっきたので、以前よりも2倍の祝福が与えられました。

神様から繁栄の祝福を受けて金持ちになった人たちの心が変質して神様を失望させた事が多いですが、もし神様の祝福を受けて神様が喜ぶように使うなら すべきことはたくさんあります。


世の富が邪悪な者たちに集められ、この世を腐敗させ、罪を犯させ、人々に悪い影響を与えることに使われることがいいですか?それとも世の富が神の人々に与えられ良いことのために使われるのがいいですか?
当然少しでも良い所に使われるのがいいです。


聖書では信じる者達に清く貧しく生きるように語ってないです。
私たちが祝福を与える神様から祝福を受けて繁栄することを主は願っておられます。




繁栄適用




聖書の繁栄原理は永遠に変わりません。しかしその原理を適用する方法はいつも変わります。
原理が“真理”という衣を着ているなら、方法は“時代”という衣を着ています。

真理が永遠であるように原理も永遠です。しかし時代が変わるように繁栄を適用する方法はいつも変わります。


たとえば伝道することは神の御心であり私たちは伝道しなければなりません。

昔は路傍伝道をすると人々が集まって話を聞きました。
しかし今はどうですか?

都会の生活は忙しくて足を止めてじっくり聞く人はほとんどいません。
チラシをたくさん配ってもそんなに効果がありません。


時代にあう方法を見つけてしなければならないのに昔のやり方に縛られている人々や教会も多いです。

誰かがやった方法を真似するのは難しくありません。
しかし新しい方法や道を作るのはとても難しいことです。


繁栄する人々は繁栄の原理を新しい方法で適用する知恵があります。

繁栄した人たちはすでに繁栄した人たちから繁栄の原理を学んでその原理を自分自身に適用するのに卓越した人たちです。

時代の状況把握が早く、それに合うまったく新しい方法を作り出します。
神様は信仰の人々にはそのような創造の力を与えます。


新しい服を着なければならないのに古い服を脱ぐ事を恐れている人が多いです。

ですからイェス様は“新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければなりません。”と語って下さいました。

スティーブ・ジョブズ氏など創造する人は勇気があります。他人と衝突することもありますが、人の評価を気にしません。


周りの人は頭の中でアイデアは浮かびますが、そこで止まります。
しかし繁栄意識がある人は実行します。失敗を恐れず、大胆に新しいことに挑戦します。


私たちは先入観や恐れなど自分の中にある古い考えを捨てなければなりません。


クリスチャンは古いものに縛られてはいけません。




繁栄意識




とても辛い状況の中でも、これ以上辛くならないから“よかった”と言う人、“大丈夫です、感謝です。”といつも言う人には繁栄意識があります。

繁栄意識は神様が人間に与えた権利です。
エデンの園でアダムが生き物につける名はみな、それがその名となりました。

神様はことばでこの世を創造し、その創造の作業をアダムにもさせてアダムが名をつけるとその通りにしました。


アダムの子孫である私たちにもことばで創造する力が与えられてあります。

繁栄や成功はある特別な人だけが持ってある秘訣ではありません。

すべてが栄える人はことばで“繁栄”を叫び、繁栄を創造するから繁栄します。


神様は祝福を与える方ですので、あなたの口を大きく開きなさいと言われました。
大きく開ける時に大きなものが入って来ます。

神様が私たちに素晴らしい約束をたくさんしているのに、悪魔によって人々は否定的な思いに洗脳されてその頭を繁栄意識に変えるのがどんなに難しいかわかりません。

神様が「何をして欲しいのか?」と語った時に、「私はこの病気を癒して欲しいです」と言った人だけが病気が癒されました。


出来ないという言葉はあれほどよく信じながら、出来るということばは死んでも信じないですね。
繁栄したいならば、無意識に使う否定的なことばをすべて反対(肯定的)にして使って下さい。

『できるものならと言うのか。信じる者にはどんなことでも出来るのです。』と否定的なことばを言う人にイェス様が語りました。


私たちは失敗意識や貧乏意識など、どれほど否定的な意識が多いでしょうか。




繁栄態度




大企業で新入社員の採用担当をする人がこう話しました。

大企業に履歴書を出すぐらいの人ならば それらしい実力はあるので、そこにたくさんの資格があると書いてもそれをみて合格、不合格を決めることはあまりないと言います。


面接官は面接室に扉を開けて入る瞬間1秒でその人の合格、不合格を決定します。

面接が始まり、質問と答えのやりとりの過程でそれが変わる確率は10%にも満たないと言います。


面接官の目が一瞬見ただけで“合格”になる秘訣は何ですか?

繁栄態度です。
やることすべてがうまくいく人は栄えるしかない態度を持っています。

面接官は人を選ぶ時に実力も無視しませんが、実力よりもまずその態度を重要視します。


すべてが栄える人はある時点から否定的な思いと態度を肯定的で積極的な態度に変えた人です。そして何事もよくなる方に解釈し、肯定的な態度を取ります。

それが習慣になった人は無意識的にもそのような態度を取ります。

いくら面接でいい印象を与えようと準備し練習しても普段から“繁栄態度”をもって生きる人じゃないと面接官の目に1秒でばれてしまいます。

ですから面接室に入った時から面接が始まるのではなく、普段の生活の態度からが始まりです。


繁栄態度をもってない人は信仰のない人です。疑いが多い人です。

聖書の偉大な人物たちがどれほど“繁栄態度”で生きたかを知ることが出来ます。
繁栄態度は信仰を持ってない人でも持つことが出来ます。

その人たちは神様ではなく信念を信じます。“積極的な思考法則”、“肯定的な力”のようなものはすべて信念を“繁栄態度”に変えた理論です。


ヨシュアとカレブの繁栄態度を見てみましょう。否定的な言葉を語る人々の前で大胆に語りました。


【民数記14章9節】

ただ、主にそむいてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちのえじきになるからだ。彼らの守りは、彼らから取り去られている。しかし主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない



繁栄秘密




聖書に出てくる繁栄した人々はそれ自体に満足した人たちではなく、それをよく用いた人たちでした。

名誉や権力、富の奴隷に転落せずそれを用いて他の人々を繁栄させました。


14世紀百年戦争当時フランスのある都市ですが、英国軍に包囲されました。その都市は結局降伏することになりました。

そして英国の王エドワード3世に慈悲を求める降伏使節団を派遣しました。
英国王は“すべての市民の命を保証する条件で都市の代表6名を首つりにしなさい。”と命令しました。

市民たちは誰が処刑になるのかで大混乱になりました。


みんなが戸惑っている時に、その都市で一番の金持ちであるEustache de StPierreが処刑になることを志願しました。続いて市長、商人、法律家、など貴族が処刑に賛同しました。

彼らは次の日に処刑を受けるために処刑所に集まりました。
しかし妊娠した王姫の願いを受け入れた王は処刑を自ら受け入れた六人の犠牲精神に感動して彼らを生かしました。


この話が歴史書に記録され高い身分に伴う道徳的義務である「ノブレス・オブリージュ」の象徴になりました。

大体キリスト国家が多いヨーロッパでは“金持ち”が尊敬を受け肯定的に受け止められているのは、彼らが“高貴に生まれた者は高貴に行動しなければならない”という ノブレス・オブリージュを黄金律にして自負心を持って実行するからです。

彼らは富を子どもに譲りません。


神様がある人に多くの富を与えるのは1人で使って残ったものを子孫に残すのではなく分け与える意味で与えてあります。

繁栄秘密がこれです。他人を栄えさせることが自分も栄える道です。聖書に書いてあります。


【創世記26章30節】

そこでイサクは彼らのために宴会を催し、彼らは飲んだり食べたりした。


【マタイ7章12節】

それで何事でも自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。

聖書にある繁栄法則を使うことは神様が望むことです。

私たちが神様から良いものを受けて、それを用いて神様が喜ぶことをするのが目的です。
(・∀・)つ


【Ⅲヨハネ2】

愛する者よ。あなたがたましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、健康であるように祈ります。

2015.2.1
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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クリスチャンの経済生活

テーマは 『 クリスチャンの経済生活 』 です

【マタイの福音書6章30-32節】

きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、まして、あなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。

そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。

こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。

何を食べるか、何を飲むか、何を着るかを心配しているのは種類が多いから選ぶことに悩んでいる姿を語っているのではなく、経済的問題を抱えている人がいるということを言われています。

クリスチャンの中でもお金の心配をしている人がとても多いです。

実際にお金を持っている人も心配をし、持っていない人も心配をしています。


主は一言で心配している人に“信仰の薄い人たち”と言っておられます。

その理由は神様に対する信仰、信頼が足りないからです。

神が養っておられることに対して信頼しきっていない信徒たちが多いです。


神様が与えて下さると言っても、それに対して疑っている人も多いのです。

「来年はどうしよう。再来年はどうしよう。お金はどんどん消えていくし、入ってくるところもないし、助けてくれる人もいないし、貯金もないし、これから先どう生きたら良いの?」と先のことが心配でたまらない人たちもいると思います。


しかし、神様はその人達に対して「心配するのはやめなさい。」と語りました。
その理由は、不信仰から心配が出るからです。

神様が教えるクリスチャンの経済生活を正しく学べば、私たちは不要な心配から解放されます。

もし学ばないならば、いつまでも計算をしながら心配から逃れることはできません。


聖書の中で、神は多くの場面で神を信じる人たちに関わりながら、その経済生活を支えているのは、神ご自身であることを見せています。

それをこれから学びたいと思います。




モーセとイスラエルの民から学ぶ





【民数記11章13-15節】

どこから私は肉を得て、この民全体に与えなければならないのでしょうか。彼らは私に泣き叫び、『私たちに肉を与えて食べさせてくれ』と言うのです。

私だけでは、この民全体を負うことはできません。私には重すぎます。

私にこんなしうちをなさるのなら、お願いです、どうか私を殺してください。これ以上、私を苦しみに会わせないでください。」

モーセの心配と重圧がどれほど大きかったのか、彼は神に向かって「どうか私を殺してください。」と祈りました。

そのモーセの言葉を聞いて、神様は肉を与えると語りました。


【民数記11章18-20節】

あなたは民に言わなければならない。あすのために身をきよめなさい。あなたがたは肉が食べられるのだ。あなたがたが泣いて、『ああ肉が食べたい。エジプトでは良かった』と、主につぶやいて言ったからだ。主が肉を下さる。あなたがたは肉が食べられるのだ。

あなたがたが食べるのは、一日や二日や五日や十日や二十日だけではなく、

一か月もであって、ついにはあなたがたの鼻から出て来て、吐きけを催すほどになる。それは、あなたがたのうちにおられる主をないがしろにして、御前に泣き、『なぜ、こうして私たちはエジプトから出て来たのだろう』と言ったからだ。」

そのことばを聞いて、モーセは安心して喜んだでしょうか。

そうではなく、心配する様子が見えました。次の箇所です。


【民数記11章21-22節】

しかしモーセは申し上げた。「私といっしょにいる民は徒歩の男子だけで六十万です。しかもあなたは、彼らに肉を与え、一月の間食べさせる、と言われます。

彼らのために羊の群れ、牛の群れをほふっても、彼らに十分でしょうか。彼らのために海の魚を全部集めても、彼らに十分でしょうか。」

モーセは現実を見て、そんなことで実現されるはずがないという不信仰がありました。

それに対して神が語ったことばが次の箇所です。


【民数記11章23節】

主はモーセに答えられた。「主の手は短いのだろうか。わたしのことばが実現するかどうかは、今わかる。」

そして、その後はどうなりましたか?
主のことば通りになったでしょうか?答えは次の箇所です。


【民数記11章31-32節】

さて、主のほうから風が吹き、海の向こうからうずらを運んで来て、宿営の上に落とした。それは宿営の回りに、こちら側に約一日の道のり、あちら側にも約一日の道のり、地上に約二キュビトの高さになった。

民はその日は、終日終夜、その翌日も一日中出て行って、うずらを集め、――最も少なく集めた者でも、十ホメルほど集めた――彼らはそれらを、宿営の回りに広く広げた。

ここで私たちが学ぶことは、人間の思いと、神の思い、人間の計算と神のやり方はまったく違うことに気付くことです。

モーセは羊の群れ、牛の群れ、海の魚と言いましたが、神様はまったく違うやり方で 海の向こうからうずらを運んできました。

それはモーセの考えを超えて働く神の御業でした。


私たちは神様がしようとすることが分かりません。

私たちの計算は、神様の計算とは違うので(私たちの思いは)何の役にも立たず、反対に心配、疑い、不信仰を生じさせるだけなので、それらを捨てなければなりません。


『信じます。主のおことば通りになりますように。』と信仰によって神に期待しながら祈り続けることです。




エリヤの経済生活から学ぶ





【Ⅰ列王記17章1-16節】

ギルアデのティシュべの出のティシュべ人エリヤはアハブに言った。「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ二、三年の間は露も雨も降らないであろう。」

それから、彼に次のような主のことばがあった。

「ここを去って東へ向かい、ヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに身を隠せ。

そして、その川の水を飲まなければならない。わたしは烏(からす)に、そこであなたを養うように命じた。」

それで、彼は行って、主のことばのとおりにした。すなわち、彼はヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに行って住んだ。

幾羽かの烏が、朝になると彼のところにパンと肉とを運んで来、また、夕方になるとパンと肉とを運んで来た。彼はその川から水を飲んだ。

しかし、しばらくすると、その川がかれた。その地方に雨が降らなかったからである。

すると、彼に次のような主のことばがあった。

「さあ、シドンのツァレファテに行き、そこに住め。見よ。わたしは、そこのひとりのやもめに命じて、あなたを養うようにしている。」

彼はツァレファテへ出て行った。その町の門に着くと、ちょうどそこに、たきぎを拾い集めているひとりのやもめがいた。そこで、彼は彼女に声をかけて言った。「水差しにほんの少しの水を持って来て、私に飲ませてください。」

彼女が取りに行こうとすると、彼は彼女を呼んで言った。「一口のパンも持って来てください。」

彼女は答えた。「あなたの神、主は生きておられます。私はパンを持っておりません。ただ、かめの中に一握りの粉と、つぼにほんの少し油があるだけです。ご覧のとおり、二、三本のたきぎを集め、帰って行って、私と私の息子のためにそれを調理し、それを食べて、死のうとしているのです。」

エリヤは彼女に言った。「恐れてはいけません。行って、あなたが言ったようにしなさい。しかし、まず、私のためにそれで小さなパン菓子を作り、私のところに持って来なさい。それから後に、あなたとあなたの子どものために作りなさい。

イスラエルの神、主が、こう仰せられるからです。『主が地の上に雨を降らせる日までは、そのかめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならない。』」

彼女は行って、エリヤのことばのとおりにした。彼女と彼、および彼女の家族も、長い間それを食べた。

エリヤを通して言われた主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならなかった。

エリヤのこの時の経済状態は無一文でホームレス状態でした。

さらに彼を助ける人は誰もいなく、反対に命が狙われる立場にいました。


そのエリヤにあるものは、神の約束だけでした。
神が養うという約束だけが彼に保証されていました。


そして人間では考えられない方法を、神様はここでも使いました。

この時、神によって用いられたのは、幾羽かのカラスと 一握りの粉と少しの油しか持っていない ひとりのやもめでした。

本来 カラスは人間が食べ残して捨てたゴミを拾って食べます。
最近は餌がなかったので100羽以上のカラスが死んだニュースもありました。


それなのに神が働くと、カラスがパンと肉とを運んで来て、人間を養う鳥に変化しました。

そして社会の中でも一番弱くて貧しいやもめを使って養うことは人間としては考えられない方法ですが、これが神様のやり方です。

人間は、持っている者には養う力があるので、当然そこに期待を寄せます。
しかし神様は、そのことを知っておられるので、その方法は使いません。


私自身もこれは経験済みです。
人間的に期待した所からは得たことが一度もありません。いつも有り得ない所からの助けがありました。


エリヤは神に完全に頼って何も心配せず、経済的なことは神様に任せました。

頼ることは神から言われたことに対して何も言わず、その通りにすることです。


モーセは神のことばに反論しましたが、エリヤは一言も反論せず 神から言われた通りにして神によって養われました。

3年6カ月の間、それも自分だけではなく、やもめとその家族までも養われました。


その日、その日 食べるものが与えられました。(そのかめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならなかった。)




やもめとエリシャから学ぶ





【Ⅱ列王記4章1-7節】

預言者のともがらの妻のひとりがエリシャに叫んで言った。「あなたのしもべである私の夫が死にました。ご存じのように、あなたのしもべは、主を恐れておりました。ところが、貸し主が来て、私のふたりの子どもを自分の奴隷にしようとしております。」

エリシャは彼女に言った。「何をしてあげようか。あなたには、家にどんな物があるか、言いなさい。」彼女は答えた。「はしための家には何もありません。ただ、油のつぼ一つしかありません。」

すると、彼は言った。「外に出て行って、隣の人みなから、器を借りて来なさい。からの器を。それも、一つ二つではいけません。

家で入ったなら、あなたと子どもたちのうしろの戸を閉じなさい。そのすべての器に油をつぎなさい。いっぱいになったものはわきに置きなさい。」

そこで、彼女は彼のもとから去り、子どもたちといっしょにうしろの戸を閉じ、子どもたちが次々に彼女のところに持って来る器に油をついだ。

器がいっぱいになったので、彼女は子どもに言った。「もっと器を持って来なさい。」子どもが彼女に、「もう器はありません」と言うと、油は止まった。

彼女が神の人に知らせに行くと、彼は言った。「行って、その油を売り、あなたの負債を払いなさい。その残りで、あなたと子どもたちは暮らしていけます。」

たくさんの負債を抱え、2人の子どもが奴隷にされる運命になり、持っているものは何もなく、油のつぼ一つしかないやもめで、本当にどうにもならない状況です。

食べ物も持ち物もなく、あるのは借金だけです。


皆さんなら、このような状況でどうしますか?無理心中ですか?

経済的理由で無理心中した人たちは、今までたくさんいます。
どうにもならないという絶望感でそこに至ります。


でも彼女は自分の苦しい状況を神の人エリシャに話しました。

エリシャから出たことばは「何をしてあげようか。あなたには家にどんな物があるか言いなさい。」でした。


そして彼女が持っている一つのつぼ、また彼女が隣の人みなから借りて来た からの器に神の奇跡が起こりました。

ここで私たちは「これで何になるのか」という小さなものが“祝福の始まり”であることに気付くことです。

まずエリヤの時のやもめは一握りの粉と油を ささげました。


神に種を蒔くと、パン一個が3年6カ月の食べ物の祝福になりました。
捧げなさいと言われたものを捧げて祝福を受けました。

エリシャ時代のやもめは信仰によって、からの器を用意しました。

すると抱えた問題をすべて解決できる油がすべての器にいっぱいになりました。


捧げるものがなかった このやもめは言われた通りに信仰の器を用意したので祝福されました。

私たちは2人の最も貧しかったやもめたちが受けた祝福を見て、無いから捧げないのではなく、無いからこそ蒔かなければならないし、そして蒔いた後は信仰で期待する大切さを学ぶことです。


神様はやもめ、みなしごに対してあわれみ深い方です。


【詩篇68篇5-6節】

みなしごの父、やもめのさばき人は聖なる住まいにおられる神。

神は孤独な者を家に住まわせ、捕らわれ人を導き出して栄えさせられる。しかし、頑迷な者だけは、焦げつく地に住む。



中国奥地へ宣教に行った宣教師から学ぶ




ハリソン・テイラーは宣教師として信仰によって献身しました。

しかし働きはどんどん増え、協力者と宣教費が必要でしたが、彼を助ける人は誰もいませんでした。


彼の精神的負担は大きくなり、夜も眠れなくなり、ついには神経衰弱にかかるほどになりました。

そんなある日、彼はヨハネの福音書15章5節を読みました。


【ヨハネの福音書15章5節】

わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。 わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

このことばが心にぶつかりました。
その瞬間、急に太陽の光が当たったように、彼の心が明るくなり始めました。

彼は“主はぶどうの木で、私はその枝であるのに 私が心配する必要があるのか?主が水分と栄養を与える木である。私はそれを受け入れれば良いことで、自分がそれに水分と栄養を与えようと心配したことは何と愚かなことであったのか。主よ。この時間からは心配や思い煩いを主に委ねます。私を養ってください。”


このように彼は主の前にひざまずき、自分の愚かさを悔い改めながら問題を主に委ねました。

彼はその後から祈る度に答えられ、成功的に中国宣教ができました。


イエス・キリストを信じる私たちは、私たちの生活現場で起こるすべての問題だけではなく、私たちの経済もすべて神に委ねる訓練をしなければなりません。
(。・ω・)ノ゙



【ピリピ4章19節】

また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。


【マタイの福音書7章9-11節】

あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。

また、子が魚を下さいと言うのに、 だれが蛇を与えるでしょう。

してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。 とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。

2015.1.11
聖日礼拝メッセージ

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キリスト、神の愛―その愛を伝えるのがクリスチャン

テーマは 『 キリスト、神の愛―その愛を伝えるのがクリスチャン 』 です


本当の意味でクリスチャンとは?

イエス・キリスト(神)を愛する人、人々(互い)を愛する人

だれでもイエスを愛する人は、イエスのことばを守ります。


【ヨハネの福音書14章23節】

イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちは その人のところに来て、その人とともに住みます。


【ヨハネの福音書14章15節】

もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。



【ヨハネの福音書14章21節】

わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を 彼に現します。」


【ヨハネの福音書15章10節】

もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、 わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。


【ヨハネの福音書15章12節】

わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。


イエス様のことば(戒め)とは?


【ヨハネの福音書15章17節】

あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、わたしのあなたがたに与える戒めです。


【ヨハネの福音書13章34-35節】

あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

もし互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。




イエスへの愛、人々への愛を通してこの世にイエス、その愛、そして私たちがイエスを愛するクリスチャンということを知ってもらう


なぜこの世に知ってもらうのか?


【ヨハネの福音書3章16-17節】

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、 永遠のいのちを持つためである。

神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。

イエス様がこの世に来た意味、そして神様がわざわざ自分の愛するひとり子をこの世に送ってくださったその意味は、つまりこの世が救われるため。


この世とは?

この世界のすべての人。全員。つまりあなたの周りの人々、家族、友達、同僚、知り合い、近所の人、道端を歩いてる人、すべてです。


人々が救われなければならない。
人々がこのイエス様が来てくださったこと、それほどまでに神様が私たちを愛してくださっていることを知らなければならない。


日本に生きていること、そのことのすごさ

キリストの愛を伝えたくても周りにいなくて伝えられない人もいる。日本に来て福音を伝えたくてたまらなくて、お祈りをささげて、日本語を一生懸命勉強し、お金も一生懸命ためている人がたくさんいる


あなたは本当に隣人を愛していますか?

本当に愛するのならばその人々が滅びていくのを見て平気でいられるわけがない。

イエス様が望んでおられることは、私たちだけがイエスを信じ愛し 救われるのではなく、この世のみんながイエス様を知り、その愛を知り、人々が救われること。

その愛を伝えるのがクリスチャンである。


どうしたら伝わるのか?


【ヨハネの福音書13章34-35節】

あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたが私の弟子であることを、すべての人が認めるのです。


愛を通してこの世はイエスの愛を知る


【ヨハネの福音書15章5-9節】

わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。

あなたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。

あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。

父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。


イエスの愛にとどまり、またわたしたちが求めることでこの世はイエスの愛を知り、実が結ばれ、神様を栄光をお受けになる。


どれだけうまく伝えるか、どれだけ知識がいるかではない。
もちろんうまく伝えること、たくさんの知識を持って伝えることも大切である。

だけど一番大切なのは愛である。その人、人々を愛すること。

つまりその愛する人々すべてが救われること。
自分の楽しみ、自分の喜びのために生きるのではない。


この世のすべての人々が救われてほしいと思っている神様

ひとり子イエス・キリストをこの世に送り出し、十字架で死なせるほどの自分の中の最大限、ベストをしてくださった神様、また自分のいのちをわざわざこのような罪深く、自分のことばかりを愛している私たちのためにすててくださったイエス様。

今もすべての人が救われてほしいと思い、祈ってくださっているイエス様。

その大きな愛のために私たちも もっと神様を愛し、人々を愛し、その救いを伝えていかなければならない。

愛を持ってすること。
それがすべて。(・◇・)ゞ

2015.1.4
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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クリスチャンが語る言葉

テーマは『 クリスチャンの言葉の生活 』です

【マタイの福音書12章35-37節】

心を「良い倉」と「悪い倉」に例えました。
心の中に悪いものがあるならば、それが自然と口から(言葉になって)出てきます。

恵みを受けた人は、言葉が変わっていきます。
以前の言葉は使わなくなります。以前は世の中の言葉を好んで使い、誰かを非難する言葉や
興味のある世のことばかりを語っていました。

しかし恵みを受けた人は、神様のことを語りたくて、うずうずします。誰に対しても神様のことを語ります。
恵みの言葉が、その人の中から出てきます。

言葉は、信仰生活と ものすごく密接な関係があります。

信仰生活をする人が、信仰や神様や恵みの話をしないならば、正しい信仰生活をしていないことであります。

《マタイの福音書12章34節》 に 出てくる「まむしのすえたち」という言葉は、
形では信仰生活を送っているように見えますが、その人たちの口から出る言葉があまりにも悪いのです。
他人を非難したり、罪に定める悪い言葉ばかりが出てきます。

イエス様の言葉はどうだったでしょうか――?
イエス様が来られる以前は、パリサイ人、律法学者、祭司たちが人々に教えていました。
人々はずっとその言葉を聞きながら信仰生活を送っていました。

しかし、イエス様が来られて言葉を語った時に、人々はその言葉を聞き 驚きました。
なぜ驚いたのかというと、(律法学者たちが語る言葉にも似ているのに)イエス様の口から出るのは
恵みの言葉だったからです。

今まで律法学者たちが語っていた(厳しくて 愛のない)言葉で、人々はとても重荷になっていたのですが、
イエス様は、重荷はご自身で負い、人々には恵みを流していきました。
絶望に陥っている人には「心配するな。わたしがあなたと共にいる」と癒し、命を注ぎました。

主から出てくる言葉はすべて私たちにとって益になるものです。

クリスチャンは当然のように、イエス様の言葉を習わなければならないです。
主は「あなたが口を開くならば、どんな言葉を語るのか」と見ておられますので
私たちが口から言葉を出す時には、悪いものを取り出すのか、それとも良いものを取り出して人々に与えるのか、
それを考えなければならないです。

聖書には私たちが避けなければならない言葉や、語らなければならない言葉が書かれています。
私たちは、時が良くても悪くても、口を開いて語らなければならない言葉がたくさんあります。

交わりの時でも、みんな信仰の話をしている時に、黙って何も言わないのは問題であります。
「語る言葉がないです」というのは心が空き缶の状態です。心に何も入っていないので語る言葉がないのです。
神様の言葉が1つも留まっていないので、その人は語る言葉がないです。

また、私たちは語らなければいけなく、語る時には気を付けなければならないのですが、
その前に、私たちは入れ物に気を付けなければいけないです。

悪いものを入れたならば、当然のように悪いものが出てきます。


【エペソ4章29節】

他人を傷付ける言葉を口から出してはいけません。それは相手を汚してしまいます。
自分は他人から悪い言葉を聞きたくないでしょう。
私たちは自分がされたくないことを(他人に)してはいけないです。

悪い言葉を使った本人は忘れるかも知れませんが、後になって神様から裁かれることになります。

クリスチャンは、口(=語る言葉)もクリスチャンでなければ ならないのです。
他の部分はクリスチャンで、口だけはサタン。これはいけないことです。

私たちは言葉を変えなければならないです。これは一夜で出来る事ではないです。

心の入れ物を変えていくならば、自然と使う言葉が変わっていきます。
相手を生かす言葉、慰める言葉、愛の言葉は、恵みを与える言葉であります。


【コロサイ3章16節】

まず自分たちの心の中にキリストの言葉を豊かに入れないと、世のものが入ってくるのです。
毎月みことばの暗唱をしていますが、私たちは心にみことばを蓄えて、必要な時にみことばを出せるように
しておかなければならないです。

聖書のことをたくさん知っていても、知識を誇るのではないです。
自分の知識を誇る人たちがいますが、これは高慢であります。
なぜならば主の言葉は、人に役立つように恵みを流しなさいと語っていますので、高慢を流してはいけないです。

ある人は頭に知識を蓄えて知識を語ります。しかし、それを聞いても相手は命を受けないです。

自分の心で噛みしめて味わい 恵みを受けたものを語るならば、人々はそれを聞いて「私もそうしよう」と思います。

しかし頭の中にある知識を、相手より上に立って教えるならば、
聞いてもどう活かしていけば良いのかがわからないです。知識は知識で終わります。
人に役立つ言葉や恵みを流す言葉を知恵にしていかなければならないです。

「私はこのみことばで、これをやってみました。そしたら本当に神様からの素晴らしい恵みがあって、
そしてこういう結果が出てきました。このみことばで力を受けました。」
これは心に(みことばを)住まわせた言葉です。頭の知識ではないです。

知識は冷たいものであります。知識は「あなた、そんなことも知らないの?」と相手を裁くことになります。
それは恵みにならないし、人の益にもなりません。

真理は正しい言葉でありますが、真理そのものを語る時はその人自身が真理を体験してから語るのが
一番良いです。

まず自分で行い、味わってみて、そして美味しかったものを人に伝えると、相手に慰めを与えることができます。


【コロサイ4章6節】

言葉は内容よりも言い方があります。言い方が悪いと、良いことでもトゲが付いたものになります。
綺麗なお花を渡すならば、トゲは取ってから渡すのが良いです。
「綺麗だなぁ」と思ってもトゲに刺されたなら手放してしまいます。

ですから、私たちが使う言葉もいつも剣であるならば、たとえ真理の言葉であっても親切ではない人が語るなら
剣に変わります。
聖書の言葉はすべて素晴らしいですが、愛のない人や親切ではない人が語るなら、裁くための言葉にしか
聞こえないです。

クリスチャン同士がみことばで裁きあって傷つけていることがたくさんあります。

しかし親切な愛の心で使う言葉なら、叱責の言葉であっても聞き入れるべきであります。

悪い言葉はやめようと努力をしなければならないです。
悪い言葉が出そうな時は口を閉ざし、良い言葉の時は口を開いて語るべきであります。


【詩篇37編30-31節】

【詩篇51編15節】

神様が語って欲しい言葉を語られるようにと祈ることであります。
祈る人は唇に気を付けます。口を開くべきか閉じるべきか、それを判断できます。

私たちは悩みを話したり、問題を話したりすることは良いのですが、ある人たちは常に不平不満や
感謝がなく、いつも自分のことしか語らないのは良くないことであります。
その人は相手の言葉を聞かないです。私たちは聖い会話をするべきであります。
私たちが話している言葉を、常に主が聞いておられるんだということを忘れないでください。

私たちも他人に悪い影響を与える者ではなくて、神様が恵みを流していきなさい、益になる言葉を語りなさいと
語ってありますので、私たちの中に留めて相手に益になるのかを考えてからみことばを使っていきましょう。
 (^∀^)

2013.4.7
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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祝福とは?

テーマは 『 祝福について 』 です

【ヨハネの福音書4章13-14節】

祝福は私たちの幸せになります。祝福や幸せが嫌いな人はいません。
何かを求める人は、幸せになりたいからするのです。

イエス様が1人の女性と出会いました。その女性は必死に幸せになりたいと願い求めていました。
今よりもっと幸せになりたいというのは私たちの姿であります。
その心をイエス様が知っていました。

それで、分かりやすく井戸の水に例えて、私たちにとって本当の祝福とはどういうものであるのかを教えました。

私たちは幸せを求めて、それを手に入れても、毎日、そして死ぬまでその幸せは続かないです。
手に入れたら、また渇きます。

水が欲しくて海の水を飲んだら、その時は「良かった」と思いますが、それをどんどん海水を飲むほど
さらに渇きがひどくなります。後で生きていけなくなります。

イエス様が「あなたが飲んでいるのは、渇くような水である。そしたら、わたしが与えよう。」と語りました。

あなたが欲しい祝福をわたしが与えよう。わたしが与える物をあなたが受けるならば、
決して渇くことがありません。という言葉をイエス様が使ってくださいました。

神様は祝福を与えてくださるお方です。

【創世記1章27-28節】

神様はまず人間を祝福しました。多くの人たちが世の中の現状を見て、「神は本当にいるのか?」
「(神が)いるなら、なぜこんなに生きにくい世の中なのか。」と言いますが、
それは神様のせいではないです。
神様は祝福を与えましたが、アダムとエバがその祝福の中で生活をしませんでした。
ある意味ではその祝福を拒みました。
そして悪魔サタンが提案したものを、人間はサタンの偽りの言葉を欲しがり受けました。

それでサタンが語った通りの祝福が来たでしょうか?結果は次の聖句です。

【創世記3章16-19節】

苦労が来て、人生の道がいばらの道に変わりました。そして死が来ることになりました。

それでも神様はイエス様を通して、もう1度祝福したいという心は変わりませんでした。

【マタイの福音書5章3-12節】

祝福の祈りです。主がまず与えたい祝福は、「霊的祝福」です。
それは私たちの心と魂が祝福されることであります。

いくら美味しいものを食べても心が平安でなければ幸せではないです。
良い物を着るから私たちが幸せなのではないです。それは“その時だけ”で、また渇きます。

もちろん、神様はそのような祝福も与えてくださいますが、
私たちの心がまず満たされるように祝福してくださる神様であります。

イエス様は「わたしはそれが出来るのだ。」と私たちに語っておられるのです。

その祝福を私たちはどうやって受けることができるでしょうか――?

まずは神様の言葉をそのまま信じることであります。

いくら聞いていても、そんなはずがないだろうと考えならば、それはエサウのような心であります。
一杯の食べ物のために、自分の大切なもの(長子の権利)を売り飛ばすことです。
つまり、わずかな物で価値がないものばかりに目を留めて、わずかな物で満足しようとします。
しかし、その後はまた渇きます。

イエス様は「わたしの祝福を信じて、あなたが受けたいならば(祝福を受ける)器を準備して、
神様から受けなければならない」と語ります。
器というのは、私たち自身のことであります。

祝福を受ける1番良い器はどういう器でしょうか?次の聖句です。

【詩篇1編1-3節】

これは渇くことのない祝福であります。その人たちの人生がそのように生きるならば、受けます。
悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たないことです。

祝福を受けたいならば、祝福を受けるところに自分が立っていなければならないです。
神様の前に立って「私に祝福をください。」と祈るならば、神様の言葉通りに祝福が毎日そこに落ちてきます。

自分が祝福を受けたいならば、どうしたら良いのでしょうか?

それは、「他の人を祝福しなさい」であります。

神様は私だけを祝福したいのではなくて、皆が祝福を受けてほしいから
あなたは他の人の為に祝福を祈りなさいと語ってあります。

【マタイの福音書10章12-13節】

私たちは何に対しても祝福の祈りをしなさいということです。
平安こそが幸せであります。誰に対しても幸せになるように祈り、祝福を受けるように祈ります。
するとその人自身が祈っても、答えるのは神様です。
神様から見た時に、「(祈られている)この人は、祝福を受けることに まったく準備が出来ていない」となれば、
その祝福は、祈りをした人のところに神様が持ってきます。

私たちは祈りにお金がかかることはないです。
私たちが神様の法則に従ってすること。私たちの信仰の先祖・アブラハムに語った神様の言葉、
「あなたを祝福する者をわたしが祝福し、あなたを呪う者をわたしが呪う」と使いました。

悪人であってでも、あなたが呪ってはいけないです。その呪いがあなたのところに返ってはいけないから。
という言葉があります。

【Ⅰペテロ3章9-12節】

絶対にその人を祝福したくないと思うならば、自分自身も祝福を受けることができないです。
私たちは人々を祝福していかなければならないです。

他人のためにも祝福の祈りをしますが、自分自身も神様にいつも「祝福してください」と祈ります。

【Ⅲヨハネ-2節】

これは自分のためにも祈ったら良いです。他人のためにも、自分のためにも祈る必要があります。
「どうせ私みたいな人間は祝福されるはずがない。」と自分で否定的な言葉・呪いの言葉をかける
ならば、神様が祝福したくても出来ないです。

家族のためにも、子供のためにも、小言を言う前に祝福の祈りをするべきであります。

【詩篇67編7節】

イエス様が祝福の元でありますので、私たちがくっついて祝福を受けて、人々は私たちが祝福を受ける姿を見て、
神様を恐れるようにしてください。

「私を祝福してください。」と自分を価値ある者としてください。
私たちが価値のない者になると、他人に踏まれます。

私たちは本当の意味で、神様からたくさん祝福されないといけないです。

【申命記28章1-2節】

※申命記28章3節からのみことばにある「あなた」→「私」に変えて祈ると良いです。
神様はよく願う者、祈る者に祝福を与えてくださいます。(自分自身を)絶対に呪わないでください。

私たちは、良い実が出てくるものを蒔きながら「祝福してください」と祈ります。

イサクが種を蒔いて100倍の祝福を得ました。その祝福を私たちにも与えてくださいます。

神様は無限の祝福を持っておられますので、私たちが求めたら与えることが出来るお方であります。

成功するのが祝福ではないです。
価値ある者になるのが本物の祝福を受けた人であります。
 (・∀・)つ

2013.2.24
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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人生を委ねるとは?

テーマは 『 人生の道を委ねる 』 です

【詩篇37編5-6節】

私たちは永遠にこの地上で定着をして生活はできません。
そういう人は世界中を探しても1人もいないです。みんな出発して終わり(生死)があります。

みんなそれぞれ違う道を歩みます。
私たちは、自分が進む道に何があるのか、明日 自分の人生に何が起こるのか、
10年先はどうなっているのか、誰1人知りません。それは未知の世界であります。

これから歩む道というのは、「未知の道」であります。
もし、私たちの人生に対する素晴らしい助言をしてくださる方がいるならば、私たちは聞きたいです。
「どうやったら私たちに与えられた人生を豊かな人生に生きることができるのか?もっと良い人生に出来るのか?」
そういう助言をして欲しいと願うと思います。

私たちの人生において案内してくれる人がいるならば、私たちは拒む必要はないです。
神様は私たちに素晴らしい助言を、今日の聖書箇所で教えてくださっています。(※主にゆだねよ)

大切な自分の人生の道を委ねるということは、その基本になるものがあります。
その基本がないと、委ねることは絶対に出来ないです。その基本は3節に書いてあります。
まずは、主に信頼をすることです。

ただ苦しいから神様に拝む・・・ではないです。これだと「信頼」がないからです。
「信頼」はお互いの関係で築かれるものであります。

私たちは神様を信じる時に周りの人がからかう時があります。
「神様を信じる人は弱い人ばかりだ。弱いから神様を信じるんだろう。自分の力で生きなさい。」
このような言葉をすごく聞きます。
しかし、それは間違っていることです。弱いから頼っていることではないです。
無知な者だから頼るのです。

世の中には「私は強い」という人がいますね。何が強いのかはわかりませんが、
強くある人が多いです。

しかし神様は「主に信頼をするということは、弱いことではないんだ。
自分を知っている者がやることなんだ。」とおっしゃいます。

自分には限界があることを知っている者、明日のことも知らない無知な者だと知っている者、
知恵のない者だということを、悟っている人であります。

これらを悟っているので、それを知っておられる神様に色々な助言をいただくのは、
知恵ある人の態度であります。

知恵がないのに自分の力でなんでもかんでもするのは、どうすれば良いのかがわからなくなります。

「このお方は何でもできる」、「ものすごい力がある」、「私が倒れても助けてくださるお方である」と
このような意味の信頼であります。

これから自分が歩む全ての道、人生の計画を委ねていくならば、神様はその人にどうすると語りましたか――?
5-6節に神様が教えてあります。真昼ということは、光が一番強く輝くことだとおっしゃいます。

私たちは自分の行いで、自分を義なる者としようとすることがとても多いです。
“私の力で”、“私の努力で”、“私の能力でします”。「ですから誰にも頼りません。」
このような人は、神様は「真っ逆さまに倒れるんだ」とおっしゃいます。
障害物に当たって倒れた時に、誰も起き上がらせる人がいません。

主に信頼をする時に神様は、その人の人生を輝くようにしてくださいます。
神様の助けと守りが、常にその人にあると、神様が語ってくださいました。
恥を受けないように神様がしてくださいます。

神様から見て、人間らしく生きて欲しい姿で生きるのが勝利の人生であります。
虚しい人生にしたくなければ、【伝道者の書】を読んでください。

【箴言3章5-7節】

【イザヤ書42章16節】

私たちは目が見えてはいても、先のことが見えない者(盲人)であります。
自分たちの道を神様に委ねるならば、神様は闇を光にしてくださいます。
委ねる者を神様が守るという約束であります。

ですから、私たちは目が見えるという勘違いをしないことであります。
今、目の前にあるものしか見えていません。

「神様が私たちの目になるように、神様が自分たちの歩む道の光になってくださるように、主よ、お願いします。」と祈ると神様は聞いてくださいます。

【詩篇25編8-10節】

信頼をするということは、お互いに結んだ契約を守ることであります。
神様は契約を勝手に破る方ではないので、私たちの方で神様に信頼していくならば、
私たちが歩むその道は、恵み、真、それに満たされてあります。

神様は頼る者たちを見捨てたことがありません。

自分の力だけでこれから生きようとする人たちは一番愚かであります。

知恵ある神様の言葉に従って、自分の人生を委ねていきましょう。 v( ̄∇ ̄)v 

2013.2.10
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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心の中には何がありますか?

テーマは 『 私の心の中 』 です

【マタイの福音書13章1-9節】

種を蒔くことは、みことばを蒔くということです。畑というのは、私たちの心の中の状態のことです。

私たちの心の中は、どんな状態でしょうか。自分にしか心の状態がわからないと思います。
また、自分さえもわからない(心の)状態もあります。それは神様だけが私のことを深く知っておられます。
礼拝の時間というのは、私たちの心にみことばが蒔かれる時間です。
みことばを聞いて、良い地であるならば、ある時は悔い改めをしたり、力を得たりします。

しかし、みことばを聞いても何も思わない時には、心の中がどうであるかをよく見たら良いです。
自分の心の中に何があるのか――?

道ばたに落ちた種は、サタンがやってきて すぐにみことばを持ち去ります。
私たちがみことばを聞いても気に留めないでいると、サタンが盗みにやってきて、何も蒔かれたことが
なかったかのように1つも覚えていないです。

土の薄い岩地は、土はありますが その下に硬い岩があります。それは自我の岩です。
みことばを聞き、「良いみことばだなぁ」と思いますが、「それが一体自分に何が関係あるのか?」と。
今まで生きてきたなかで色々な価値観を持っています。そしてみことばを聞くと自分の中でぶつかります。
すると、岩が跳ね返しますので それ以上、良い芽が出ないです。

いばら というのは、私たちの思い煩いのことです。
思い煩いはとても速いスピードで大きくなっていきます。
せっかくみことばを聞いて身にしみても、そこに思い煩いが入ってくると、そのことばかり気になってしまいます。
みことばをあっという間に忘れてしまいます。
そうするとみことばに堅く立つことができないので力を受けることができません。

例えるなら、私たちは神様とコンセントで繋がなければなりません。
私たちが(目に)見えない神様に対して どんな思いを持っているのか、それに懸かっています。
思い煩いというのは、見える“何か”から来るものなのです。
それによって自分の目と心が捕らわれてしまいます。
私たちには神様が見えませんが、でも その見えない神様に自分の心を注いでいくと、
目に見える敵よりも、見えない神様の方が大きくなり力が強くなっていきます。

私たちは問題がある時に、神様のところへ駆け込まなければなりません。
そして祈りをすることが神様とコンセントを繋ぐということです。

【出エジプト記33章7-23節】

モーセと神様が親しく語っています。ここで、どのように神様と交わるのかを学ぶ事ができます。
私たちは自分の力で生きているように思いますが、自分の力というのは大したことがないのです。
しかし、世の中はそうではないです。自分中心の生き方を認めていますし、そうするべきだと言います。
ですから、競争社会になっています。
モーセは謙遜でへりくだり、神様は偉大な方であることを認めていました。
自分は無力であることも認めていました。ですから、神様はモーセにとても語りやすかったのです。

良い地とは、私たちの心の畑から要らない物を取り除いた地なのです。
最初から人間は全てが良い地ではないです。
私たちの心から、岩・いばら・苦い思い・人を許さない心や妬む心・色々な邪魔なものを
1つ1つ手作業で取り除いていくと良い地になります。

【Ⅱサムエル22章21-51節】

この言葉はイスラエルのダビデ王が語った言葉です。もともと彼は羊飼いでした。
王家から生まれた者ではないですが、神様が召させました。
また、末っ子のダビデは兄弟から軽く見られていました。
しかし神様はダビデを引き上げて王様にしてくださいました。

ダビデは色々な戦いに出て行きましたが、一度も負けたことがありませんでした。
どんな戦いでも自分の力で立ち向かわなかったからです。どんなに小さい事も大きな事も全て神様の手に
委ねました。だから神様が喜んで敵を打ち負かしました。

普段、主を呼ばない者が、その時になって主を呼んでも主は答えてくださいません。
神様は普段 祈りによって神様に近づかない者をよくご存知です。
普段、力を求めていないのに、神様と親しくしていないのに「なんで困った時だけわたしを呼ぶんだ」と、
おっしゃいます。

普段から親しい関係、神様を愛して「神様のことを知りたいなぁ」という願いで近寄る者を、
神様は決して その手を拒むことはないです。

神様はその人の心をご覧になります。(その人に)力を流すか流さないかは神様が決められます。

【詩篇119編24-32節】

詩篇119編は、クリスチャンが日々神様に祈るべき みことばです。
私たちがどういう姿勢で目を上げて、どういう心で神様に向かって良いのかをよく教えてくださる箇所です。
聖書は神様が私たちを愛して立たせる為に造ってくださった書物です。

神様を相談相手にしていますか?考えてみてください。

みことばは、ただ読んで通り過ぎたら何も残りません。
1つのみことばに目を留めて、「あれ?自分はそれが出来ているかな?」と吟味をすることです。

私たちはいつでも祈ることが出来ます。
普段から忙しい毎日を過ごしているので、祈る時間がないなぁと感じる時があるかも知れませんが、
聖書に書いてあるのは、時間が出来たら祈りなさいという言葉ではないです。
「絶えず祈りなさい」と書かれてあります。

私たちがイエス様に対する愛が深くなっていくと、いつもイエス様のことを考えてしまいます。
何かをしている時にでも、ふとイエス様のことを想うのが「絶えず祈りなさい」ということです。
神様は何でも話ができる相談相手なのです。

【ピリピ4章4-7節】

神様に信仰のスイッチを繋ぐと、この箇所に書いてあることが起こります。
神様は全てのことにおいて答えを持っておられるお方です。
私たちは色んな思い煩いが重くのしかかってきます。
ですが、神様に対してはまず感謝をもって近付いていくべきです。

自分で当たり前だと思っているもの(健康など)が取り去られたら、
その時 初めて私たちは神様からどれだけ良くしてくださっていたのかがわかります。

ですから、私たちが神様に近づく時は、いきなり願いをぶつけていくのではなくて、
感謝をもって近づく方法が一番良いのです。それから私たちの願いを神様に知っていただきます。

神様は偉大な方ですが、同時にご自分のことを知らせたくて、人となってこの世に生まれて来てくださった方です。
私たちに近づきたいと願ってくださる方ですので、
私たちは、「神様、今まで出来なかったんですけど赦してください。知らないで犯した多くの罪を赦してください。
今もよくわからないんですけど、近付きたいので 近付かせてください。」と、このような簡単な祈りで良いのです。

神様は私たちを愛しておられます。

神様はどんな人でも心を動かすことが出来るのです。神様に向かって私たちが祈るなら、
その時から神様が働かれて、あなたの周りを変えていってくださいます。

私たちの祈りは「いつ聞かれるんだ?」という思いが強ければ強いほど、「神様は聞いてくださっているのか、
聞いてくださらないのかわからない。もう自分でやってしまおう」となりがちです。

そうすると神様の権威ではなく、自分の権威でやりはじめることになります。

私たちはもともと、自分のやりたい方法でやりたいのです。それはこの世の生き方です。
そのような思いは私たちがもともと持っているものなのです。そこで神様のみことばを聞くとぶつかりますが、
「自分が偉いんだ。自分が正しいんだ。」では信仰のスイッチを繋ぐことはできません。

神様が生かしてくださる道を歩む私たちになりましょう。
神様の光の中を、光の子として歩む私たちになりたいと願っています。アーメン (*´∇`*)

2013.2.3
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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