からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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神中心

本当に救われていますか?

テーマは 『 本当に救われていますか? 』 です

【使徒の働き2章36-42節】

ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」

人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。

そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。

なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」

ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って彼らに勧めた。

そこで彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。

そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。

長い間、教会に来ている人に、
そして 牧師や伝道師、教師、預言者、奉仕をしている信徒に「本当に救われていますか?」と誰が聞くでしょうか。


救われていると思うので、あえて聞くことはしないですね。


しかし、彼らがみな救われていると 誰が断言出来ますか?

実際は救われてもいないのに、救われたと勘違いして、教会に通い、そして働きをしている人もいます。


もしかしたら私たちの中にも 救われてない人がいるかも知れないです。


今日は一人一人が、「自分は本当に救われているのか」に対して考えたいと思います。







まずは、“救われること” は何でしょうか?


罪によってサタンの奴隷にされ、サタンの言いなりに生きていた人間が、神の福音を聞き、悔い改めて、神に立ち返り、神の恵みによって、そこから解放され自由の身になり、神の子どもになることです。


【ヨハネの福音書1章12節】

しかし、この方(イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

今日の本文は、人々が救いに導かれていく様子がありますし、救われた人々が その後に どのような生き方をしたのかが鮮明にしるされてあります。

彼らの姿は、確実に救われた人々の姿です。


もし自分は救われたと思っていても、彼らのような姿がまったくないならば、救われたと言えるでしょうか。


“救われること” ほど重要なことが人間にあるでしょうか。

これ以上に重要なことはないと思います。


永遠のいのちが懸かってありますから。


多くの人々は「救い」に関しては もちろん無関心ですが、救いを必要だと思って信じた人々の中にも実際は救われてない人がいるのが一番の問題です。


「本当に私は救われているのか。本当に天国に行けるのか。
主の再臨の時に携挙されるのか」


このことをよく考えながら生きている人は、目を覚ましている人です。


初代教会の信徒の姿は、本当に救われた人の典型的な姿です。

生活が神中心になり、礼拝中心になり、付き合う人も信徒たちに変わりました。


【第2コリント5章17節】

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

このことば通りに、古いものは過ぎ去って新しい者になりました。

これが救われた人の姿です。


この通りの姿が、初代教会の信徒たちからは見られました。

神の言葉に逆らって生きていた彼らが、今は神の言葉を堅く守る者になりました。


神との交わりもせず、遠く離れていた者が交わりをし、礼拝をささげ、祈りをささげ、神の中にとどまっていました。


毎日神と共に歩む生活をするようになりました。

これは古い人の時は想像も出来なかった生活です。


まったく新しい生活で、それを彼らは毎日喜んで続けていました。






このように皆さんも変わりましたか?


以前と同じ生活を今もしているならば、何を持って自分は救われたと言えますか?


キリストを知っているから、みことばを知っているから、礼拝を守っているから、それだけで自分は救われたと思っていますか?


救われたことは新しい者として生まれ変わったことですから、新しい生き方が必要です。


聖書にも書かれていないのに、神学者たちの解釈が、まるで真理であるかのように教会で教えたりすることは とても危険です。


真理は聖書にありますので、聖書を一番重視しないといけないです。


「ある神学者がこう言ったから、別に変わらなくても、このままの姿で大丈夫だ」 という教えは正しいでしょうか。


イエス様が律法学者たちに対して なぜあのように厳しかったと思いますか?

自分たちの考えから出た教えを神のことばより重視したからです。


自分たちの教えのために神の言葉を無にしたので、イエス様は非難しました。

こういうことが今も行われてあります。


「一度信仰告白したら何をしても天国に行ける」と 皆さんは信じていますか?


残念ながらそうではありません。

福音の門は広く開かれてありますが、救いの門は決して広くありません。


救いを、まるでバーゲンセールのように安売りする教理は 大きな間違いです。


【マタイの福音書7章13-14節】

狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。

いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。

これが聖書の教えです。


救いを安く売って大量に天国に入ることが真理ではなく、本当に救われる人は少ないのが真理です。


このことを語った後に すぐイエス様はこのように語りました。


【マタイの福音書7章15-16節】

にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。

あなたがたは、実によって彼らを見分けることが出来ます。ぶどうは、いばらから取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。

救いを安く売っている者は にせ預言者です。

救われてもいないのに、救われたと言う者、天国にも行けないのに、行けると言う者はにせ預言者です。


真理は 真理の実、偽りは 偽りの実を結びます。

サタンが蒔いた偽りの教えが、キリスト教の中にもたくさんあります。


耳に良いことばに騙されて、魂が眠ったままの信徒たちがたくさんいますし、今のままでも自分は救われているから平安だと安心しています。

しかし神のことばは 偽りを必ず暴きます。


バプテスマのヨハネが この偽りを見抜きました。


水のバプテスマを受けたから間違いなく天国に行けると思っている人は、よく聞いてほしいです。

水のバプテスマを授けていたヨハネのことばです。


【マタイの福音書3章7-10節】

しかし、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けに来るのを見たとき、ヨハネは彼らに言った。「まむしのすえたち。たれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。

それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。

『われわれの父はアブラハムだ』と心の中で言うような考えではいけない。あなたがたに言っておくが、神は、この石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。

斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。

有名な祭司や律法学者が自分の所に来る姿を見て、ヨハネは歓迎したでしょうか。


“悔い改めてもない者が 水のバプテスマを受けても無駄だ” と宣言していました。


宗教家であっても、神が望む悔い改めがなく、信仰告白と儀式だけでは救われないです。

悔い改めて新しく生まれ変わっていないならば、その人の所属は 相変わらずサタンの奴隷です。


ですから「まむしの子」と言われました。

彼らは良い実ではなく、いばらとあざみの実を結んでいました。


神は 人の心を見て、その人を判断します。


信仰告白、洗礼、悔い改め、そして聖霊によって生まれ変わったならば良いですが、そうでないなら、ただ “宗教をやっているだけ” で、未だに救われていないです。


「まむしの子」と言われた彼らが、後に何をしたでしょうか?

キリストを十字架につけた群れになりました。


悔い改めがきちんとされず、生まれ変わってなくても宗教生活は出来ます。

しかし、古い人が良い実を結ぶことは出来ないです。


救われているかいないかも 実を見て判断することが出来ます。


悪い木は悪い実を、良い木は必ず良い実を結びます。

これは変わることのない法則です。


悪い実を結んだ人に対して、さらに このような言葉もあります。


【ヘブル6章5-8節】

神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで、

しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることは出来ません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。

土地は、その上にしばしば降る雨を吸い込んで、これを耕す人たちのために有用な作物を生じるなら、神の祝福にあずかります。

しかし、いばらやあざみなどを生えさせるなら、無用なものであって、やがてのろいを受け、ついには焼かれてしまします。

焼かれる場所が天国でしょうか。

天国ではなく、地獄です。


救われた人は、生涯を通して救われた証明になる “良い実” を結ばないといけないです。


悪い実を結ぶことは最初から救われていないか、救われた後に堕落したかです。


救いの道に入ったことは 新しい人に生まれ変わったことですから、その時から良い種を蒔いて、良い実がなるようにしなければなりません。


相変わらず悪い種を蒔いて 悪い実を結ぶならば、古い人のままだと思います。

実がその人の実態を教えています。






本当に救われた人の姿を確認したいと思います。


【エペソ4章17-24節】

そこで私は、主にあって言明し、おごそかに勧めます。もはや、異邦人がむなしい心で歩んでいるように歩んではなりません。

彼らは、その知性において暗くなり、彼らのうちにある無知と、かたくなな心とのゆえに、神のいのちから遠く離れています。

道徳的に無感覚となった彼らは、好色に身をゆだねて、あらゆる不潔な行いをむさぼるようになっています。

しかし、あなたがたはキリストを、このようには学びませんでした。

ただし、ほんとうにあなたがたがキリストに聞き、キリストにあって教えられているのならばです。まさしく真理はイエスにあるのですから。

その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、

またあなたがたが心の霊において新しくされ、

真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。

【エペソ4章5章1-9節】

ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。

また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。

あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。

また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。

あなたがたがよく見て知っているとおり、不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者―― これが偶像礼拝者です、―― こういう人はだれも、キリストと神との御国を相続することができません。

むなしいことばに、だまされてはいけません。こういう行いのゆえに、神の怒りは不従順な子らに下るのです。

ですから、彼らの仲間になってはいけません。

あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。

―― 光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです ――

【第1テサロニケ5章5-10節】

あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。

ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。

眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。

しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。

神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。

主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。

そして、次の箇所にも救われた人の姿があります。


【ヘブル10章37-39節】

「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。

わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」

私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。

自分は本当に救われたかどうかを、これらのことばで判断して下さい。


まったく違う姿であるならば、最初からやり直すことです。

神への信仰、悔い改め、水のバプテスマ、聖霊のバプテスマ、すべてをやり直してください。


そして新しい生き方をして下さい。

変わらない姿のままで、天国は行けないです。


神に立ち返って本当に救われてほしいです。
ヽ(TдT)ノ


2017.7.2
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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聖霊による変化

テーマは 『 聖霊による変化 』 です

【使徒の働き2章14-18節】

そこで、ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々にはっきりとこう言った。「ユダヤの人々、ならびにエルサレムに住むすべての人々。あなたがたに知っていただきたいことがあります。どうか、私のことばに耳を貸してください。

今は朝の九時ですから、あなたがたの思っているようにこの人たちは酔っているのではありません。

これは、預言者ヨエルによって語られた事です。

『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。

その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。

イエス様が天に帰られた後の最大の出来事は、何と言っても聖霊が下ったことですが、それに気付いていない人がとても多いですね。

キリストが誕生した時も、世の人々はそれに気付きませんでした。

何も起こっていないかのように普段の生活をしていました。


ですからキリストが活躍した時も、自分たちとは無関係だと思いましたし、今も無関係だと思っている人がどれほど多いか分かりません。

それは自分の魂が救われるチャンスを逃していることを意味しています。

地上ではキリストと無関係であっても特に問題はないですが、それが問題になるのは死後です。


死後には神のさばきがあり、それによって永遠のいのちか 永遠の滅びかを受けますが、その時にキリストが大いに関係してきます。


キリストを信じたか信じなかったかによって行き先が変わります。

ですから生きている時に信じる必要があります。






また、聖霊はどうでしょうか。

クリスチャンは聖霊を受けても受けなくても良いでしょうか。


答えは、受けなければなりません。
なぜなら、“受けなさい” とイエス様が命じたからです。


【使徒の働き1章4-5節】

彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。

ヨハネは水でパプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」


【使徒の働き1章8節】

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

この言葉は、弟子たちだけに与えられた言葉でしょうか。

そうではなく、信じるすべての人は聖霊を受けなければなりません。

しかし それを知らない人が多いですし、また 受けなくても良いと言う人もいます。


当時もたくさんの人が主のことばを聞きましたが、実際にエルサレムに留まりながら父の約束を信じた人は120名ほどしかいませんでした。

彼らは全員で心を合わせ、祈りに専念していました。
そして10日後のペンテコステの日に初めて人々に聖霊が下りました。


120名ほどが受けた聖霊は、初めての不思議な経験でしたが、それによって彼らは大きく変わりました。


聖霊によってどのような変化が起きたでしょうか?




1.他国のことば(異言)で話しだした




私たちは外国語は習わないと理解することも話すことも出来ません。

何年間 習ってもうまく話せないのが外国語です。
英語を幼稚園から大学まで習っても まともに話せない人がほとんどです。


それなのに、どこの国の言葉かも分からず 聖霊が語らせるまま話し出したので、集まった人々はそれを見てびっくりしました。


私の知り合いの女性の牧師先生は若い頃、ナンパをしようと付きまとって来た男の人に困り、何かを言おうとして口を開くと中国語が勝手に出てきて、それを聞いた男の人が「何だ、外国人か」と言いながら去って行ったと聞いたことがあります。


聖霊を受けた人たちが祈りの時に使う異言は、聖霊が語らせることばです。

自分にとって未知の言葉なので意味は分かりませんが、異言で祈ることは素晴らしいことです。


なぜならば 次のように書いているからです。


【第1コリント14章2節】

異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。というのは、だれも聞いていないのに、自分の霊で奥義を話すからです。


【第1コリント14章4節】

異言を話す者は自分の徳を高めますが


【第1コリント14章14節】

もし私が異言で祈るなら、私の霊は祈るが、私の知性は実を結ばないのです。


【第1コリント14章22節】

それで、異言は信者のためのしるしではなく、不信者のためのしるしです。

このように異言は神に話す言葉であり、自分の徳を高めますし、また不信者へのしるしであるので、パウロは「私はあなたがたがみな異言を話すことを望んでいます」と語 りました。


異言がまだ話せない人は、異言が話せるように聖霊に求めて下さい。
私も聖霊様に求めて受けました。





2.霊的に強くされ、大胆な者に変化した




“聖霊が望むと力を受ける”と語ったように 皆に力が与えられ、霊的に強くなり、大胆な者になりました。


以前は人を恐れて、イエス様を3度も知らないと言ったペテロの変えられた姿を見て下さい。
まるで別人のように変わりました。

環境や、人、権力を恐れていたペテロでしたが、大勢の前で大胆に即興で説教をする姿に人々は驚きました。


世の中で一番強い人は勇士ではなく、力士でもなく、聖霊充満な人です。

なぜならば、この人たちは 人や環境、サタンや権力、迫害や死も恐れないからです。


弟子たち全員は殉教しましたが、彼らはどこでも大胆な者でした。
聖霊が彼らの中に力を入れたからです。


【第2テモテ1章7-8節】

神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。

ですから、あなたは、私たちの主をあかしすることや、私が主の囚人であることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。

いつも何かを恐れ、自信がなく、消極的であるならば、いつも聖霊に満たされるように祈って下さい。


「強くあれ。雄々しくあれ」と主が命じておられます。





3.自己中心的な人から、神中心の人に変化された




自己中心であることは聖書に基づく考えではなく、自分の考え・知識・経験が 自分の価値観や行動の動機となります。


イエス様と共にいた時の弟子たちの姿を思い出して下さい。

霊的な人は1人もいませんでした。

イエス様の傍で3年間訓練されても、それぞれ自分が一番偉いと思っていましたし、出世することを夢見ていました。


相変わらず“自分”が世界の中心にいました。
それが、主が捕えられ十字架の事件が起きた時に明らかにされました。

皆がイエス様に背を向けました。
自分を捨て、自分の十字架を負って、主に従うことが出来ませんでした。


しかし皆が聖霊によって180度変わりました。

自分のために生きる者はいなくなり、主のために生きる者に変わりました。


【ピリピ1章21節】

私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。




4.みことばの悟りが与えられ、確信ある信仰に変わる




以前ペテロは、みことばに対してあまり分かりませんでしたし、イエス様から話を聞いても間違った解釈をしていましたが、聖霊を受けた後 その場で立って旧約聖書の言葉を正確に理解し、立派な説教が出来ました。

それには人々もびっくりしました。

そして人々がどのような間違いをしているのか、はっきりと指摘が出来るほどキリスト教の教理に対して正確に理解することが出来ました。


これによって信仰もみことばの上にしっかりと立つようになり、それからは真っ直ぐに進むことが出来ました。


聖霊の助けなしに神の言葉に対する悟りを得ることは難しいです。

自分勝手に解釈をして、悟りを得たという人もいますが、本当に悟りを得るためには聖霊の力と助けが必要です。


無学なペテロがこのように立派な説教がいきなり出来たのは 彼の力ではなく、すべて聖霊のよるものです。





5.使命を果たすことが出来る




弟子たちの例を挙げるならば、彼らが選ばれた時に言われたのは「あなた方を人間を取る漁師にしてあげよう。」でした。

すなわち魂を勝ち取るのが彼らの使命でした。

しかし聖霊が下るまでの姿は人間を取る漁師ではなく、再び魚を取る漁師に戻って行きました。


聖霊によって使命から離れていた彼らが使命を取り戻しました。
ですから福音が世界に広がるようになりました。それは聖霊が彼らを使命に目覚めさせて下さったからです。


そして彼らには証人としての使命もありました。
証人とは見たもの、聞いたものを隠さず ありのままを伝えることです。


自分のことを話すのではなく、イエス・キリストはこのような方でしたと証言をすることです。

彼らは聖霊に満たされた後、すぐに人々の前に証人の働きを始めました。



このように聖霊は人々を新しく変えて下さいます。

生ぬるい者ではなく、形式的な信仰生活ではなく、今回話したような変化を人々にもたらします。

それらのすべての変化は聖霊なしで得られることは不可能です。


弱いクリスチャン、名ばかりのクリスチャン、証人として働いたこともないならば、聖霊に対して無関心であるか、自分から勝手に聖霊と縁を切ったかです。


もし弟子たちのように変わりたいならば、何よりも聖霊に満たされることを求めて下さい。


聖霊なしの信仰生活は、ガソリンの入っていない車に乗っている人と同じです。

変化もなく、いつも同じ所に留まっている車の様です。

求めるすべての人に聖霊を注いで下さいますので、聖霊を受けて力強い信仰生活、実を結ぶ信仰生活をしましょう。
(。・ω・)ノ゙

2015.5.24
ペンテコステ礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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