テーマは『 悔い改めと神の救い 』です

【ヨナ書3章1-10節】

この民族はある意味では残忍で恐がられ
イスラエル民族にとっても、脅威的な存在でした。

3章2節と、3章4節では神様が語る言葉が違う事に気付くと思います。
4節では裁きだけを宣言する言葉でした。

そして、ヨナの心の中で思うことがあります。
彼らは神様を知らない残忍な者で、救いようもない者たちであり、
たとえ神様の言葉を聞いても立ち返ることは有り得なく、
この民族全体が救いから一番遠い存在だと思っていました。
ヨナは神様の言葉を1日しか伝えませんでした。彼らに伝えても無駄だと思っていたからです。

私たちも福音を伝える時に、同じように思う心があります。

福音を反対したり、神様を信じなかったり、悪い人を見ると、「あぁ、この人に福音を伝えても
耳を傾けて、悔い改めて、神様に立ち返るなんて有り得ない」と
続けて伝える事をしないで、1回で終わりになります。

そのような想いがどこかで働きます。それを自分で判断し、
「この者は絶対に救われない」と結論を出しています。

人間はいつも神様の言葉に従うと言いながら、自分の中には色々な思いがあって、
中途半端な働きをします。自分で勝手に止めてしまいます。

しかし実際には、ヨナが予想もしなかったことが、この町で起こりました。
彼らは、神様の裁きの言葉を聞いた瞬間に、なぜか心が開かれたのです。

ヨナの方が驚きました。言葉を伝えた次の日に彼らに変化が起こりました。
(ヨナは)1日しか伝えていないのに、彼らの心に神様への恐れが出て来たのです。

旧約聖書の中でこのような国全体の悔い改めが起こったことは歴史の中で一度もないです。
ソドムとゴモラの町でも同じく滅ぼされることを聞いています。
しかし、彼らはビクともしませんでした。「滅ぼされるわけがない」と、さらに悪を行いました。
誰一人立ち返った人や悔い改めた人はいませんでした。
ですから、滅ぼされました。

ノアの洪水の時も、箱舟を造りながら皆が滅ぼされる終末が来ることをメッセージで伝えても
人々はビクともしませんでした。
「私たちは今が良い。」 ――なぜ人は、警告の言葉を聞きながら そのような思いになるのでしょうか?
それは彼らの中にある思いなのです。人本主義です。

人本主義は、「この世が全て。人間の文化が一番良い」という根を下ろしているので
このような人たちは、神様の裁きの言葉を聞いても無視をするのです。

神本主義はそうではないです。神中心に生きる人は、神様の世界を期待しますし、
神様の言葉が一番恐ろしいのです。

神様の言葉に従わないで勝手にすることは、どんな結果をもたらすのかわかるので恐れ従いますが、
人本主義は、自分が中心であります。

4節の「四十日」という期間は、神様の憐れみの時間です。
人間に立ち返ってほしいという思いが強いです。人間にとっては悔い改めの時間であります。

神様の裁きの言葉の中にも、救いのメッセージがあります。

すべての人が真理を知り、救われる事がみこころです。
どんな悪人でも滅びるのは神様のみこころではないということであります。

そしてニネベの人々に、一気に悔い改めが起こりました。大リバイバルでありました。

リバイバルというのは、単に教会の人数が増えることではないです。
リバイバルは2つあります。

①罪の中にいる人や、神様に触れたことがない人たちがメッセージを聞いて、
自分の罪を悔い改めて、まことの神様に出会い信じて救われることです。

②救われた者たちが、いつの間にか信仰が生温くなり眠っているクリスチャンたちが
目を覚まして立ち上がり、悔い改めて「こんな生き方をしてはいけないんだ」という思いがくることです。

この両方が起こることが本当のリバイバルであります。

神様は私たちが罪を犯す姿を見ますが、悔い改める姿も見ています。
私たちの信仰生活は、みことばを聞いて努力する姿が見えないといけないです。
「自分は変わりたいです。でも自分の力では出来ないです。神様助けて欲しいです」と祈り、
自分が出来るところから動きながら変わっていく人は、その努力する姿を神様が見て祝福していきます。

努力する姿もなく、熱心な姿もなく、神様に頼る姿もないなら、何になるでしょうか?

ニネベの人たちが神様の言葉を聞き、恐れおののいて悔い改めている姿を、
私たちクリスチャンは学ばなければならないです。


【ヨナ書3章10節】

【ヨナ書4章2節】(私は、あなたが情け深く~)

神様を正しく見ているヨナの姿であります。

【ヨナ書4章3節】

これはいらない思いで、人間の思いであります。ヨナは彼らよりも汚い心を持っていました。
神様がなさったことに不満で、それを見たくないので殺してくださいと言ったのです。
怒りを神様にぶつけました。

他人が祝福される姿を見て、腹を立てるのは神様が喜ばない姿です。
クリスチャンの姿が時には汚いことが多いです。
肉の思いには綺麗なものがないです。神様が与える思いは美しいものであります。
主から来るものは全て良いものです。

肉の実を結んだら滅びです。

自分の思いの中にフッと入ってきたものに、これはどちらからきたのか?(神様ORサタン)
汚いものは全てサタンが与えたものです。たとえ受けたとしても「もういらない」と言って、
捨てます。
しかし、神様のものは、一生懸命求めて自分の中にたくさん良いものを蒔き、留めておきます。
そうすると、どんどん良いものが出てきます。


【ヨナ書4章10-11節】

罪人たちに対して長く忍耐して憐れんでおられる神様が見えます。
今の時代はまだ悔い改めができるチャンスがあります。
悔い改めのチャンスがないのは、イエス様が再臨して最期の裁きの時からです。

私たちが神様の言葉に反応して立ち返るならば、必ず救われます。
警告の言葉は、ただの警告ではなく、神様からの救いのメッセージだと思ったら良いと思います。
恵みを受けるチャンスでもあります。

ニネベの町は、ヨナが伝えたメッセージによって彼らは、この時は滅ぼされることなく
救い出されました。
しかし恵みを忘れてしまうと、後でどのような結果になるのかをヨナが亡くなって100年後に
ナホムという預言者がニネベに対して預言をしている言葉があります。

【ナホム書】を読んでください。

ニネベに対する滅亡のメッセージが伝えられました。そして彼らは立ち返らなかったので、
歴史の中で消え去っていきました。

私たちは救い出されたことを、いつも感謝して、目を覚まして慎み深くしておかなければならないです。
主がその人たちを守り、常に祝福を与えてくださいます。 (・◇・)ゞ

2013.6.9
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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