テーマは 『 神様が喜ぶ人、神様が嫌う人 』 です

【詩篇5編1-12節】

私の言うことを耳に入れてください。主よ。私のうめきを聞き取ってください。

私の叫びの声を心に留めてください。私の王、私の神。私はあなたに祈っています。

主よ。朝明けに、私の声を聞いてください。朝明けに、私はあなたのために備えをし、見張りをいたします。

あなたは悪を喜ぶ神ではなく、わざわいは、あなたとともに住まないからです。誇り高ぶる者たちは御目の前に立つことはできません。あなたは不法を行うすべての者を憎まれます。

あなたは偽りを言う者どもを滅ぼされます。主は血を流す者と欺く者とを忌みきらわれます。

しかし、私は、豊かな恵みによって、あなたの家に行き、あなたを恐れつつ、あなたの聖なる宮に向かってひれ伏します。

主よ。私を待ち伏せている者がおりますから、あなたの義によって私を導いてください。私の前に、あなたの道をまっすぐにしてください。

彼らの口には真実がなく、その心には破滅があるのです。彼らののどは、開いた墓で、彼らはその舌でへつらいを言うのです。

神よ。彼らを罪に定めてください。彼らがおのれのはかりごとで倒れますように。彼らのはなはだしいそむきのゆえに彼らを追い散らしてください。彼らはあなたに逆らうからです。

こうして、あなたに身を避ける者がみな喜び、とこしえまでも喜び歌いますように。あなたが彼らをかばってくださり、御名を愛する者たちがあなたを誇りますように。

主よ。まことに、あなたは正しい者を祝福し、大盾で囲むように愛で彼を囲まれます。

愛の神様が人間を造りましたが、神様はすべての人間を愛するわけではないです。
人間も、神様を知っていてもすべての人が神様を愛するわけではないです。

聖書には神様の祝福がたくさんありますが、その祝福も誰もが受けられるわけではないです。
神様は、その人を喜ぶ時に祝福を注ぎます。神様が忌み嫌う人にはそのような祝福が注がれることはなく、
その人たちが望んでいなくても滅びが来ます。

詩篇5編はダビデが書きましたが、ダビデは神様の目に喜ぶ者でした。彼の中に神様が喜ぶものがたくさんありました。

信仰は、神を神として認めることで、心に受け入れる人です。神を神と思って仕える人です。神を恐れる人であります。
そして主の前に出て礼拝を捧げる人で、神様を愛する人です。

自分が神様を信じると言いながら、神に対する愛も恐れも従う心もなく、神様を喜ばせようという思いもないならば、
それは死んだ信仰であります。

信仰がある人は自分には頼らず神様に頼ります。
神様は、その人が頼る姿を見て「この人にはわたしに対する信仰がある」と映ります。
ダビデもそうでした。巨人・ゴリヤテと戦う時にダビデが誰に頼っているのかを知ることができます。

ゴリヤテは神を知らない不信仰な者でした。


【Ⅰサムエル17章45-50節】

ダビデはぺリシテ人に言った。「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私はおまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。

きょう、主はおまえを私の手に渡される。私はおまえを打って、おまえの頭を胴体から離し、きょう、ぺリシテ人の陣営のしかばねを、空の鳥、地の獣に与える。すべての国は、イスラエルに神がおられることを知るであろう。

この全集団も、主が剣や槍を使わずに救うことを知るであろう。この戦いは主の戦いだ。主はおまえたちをわれわれの手に渡される。」

そのぺリシテ人は、立ち上がり、ダビデを迎え撃とうと近づいて来た。ダビデもすばやく戦場を走って行き、ぺリシテ人に立ち向かった。

ダビデは袋の中に手を差し入れ、石を一つ取り、石投げでそれを放ち、ぺリシテ人の額を打った。石は額に食い込み、彼はうつぶせに倒れた。

こうしてダビデは、石投げと一つの石で、このぺリシテ人に勝った。ダビデの手には、一振りの剣もなかったが、このぺリシテ人を打ち殺してしまった。

ダビデに力があったのではないです。
相手のゴリヤテはすごい武器を持っていました。しかし、ダビデは初めから勝利を宣言していました。
ダビデは1つの石に頼ったのではなく、神様に頼る姿があります。


【エレミヤ書17章5-8節】

主はこう仰せられる。「人間に信頼し、肉を自分の腕とし、心が主から離れる者はのろわれよ。

そのような者は荒地のむろの木のように、しあわせが訪れても会うことはなく、荒野の溶岩地帯、住む者のない塩地に住む。

主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。

その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる。

主に信頼する者と、主に信頼しない者には、このような報いがあります。
神様に信頼しない者は、神様は忌み嫌います。


【詩篇5章7節】

しかし、私は、豊かな恵みによって、あなたの家に行き、あなたを恐れつつ、あなたの聖なる宮に向かってひれ伏します。

【詩篇5章12節】

主よ。まことに、あなたは正しい者を祝福し、大盾で囲むように愛で彼を囲まれます。

戦場でダビデが戦った時も、彼の身には盾1つなかったですが、神様は大盾で彼の命を守りました。


【詩篇4章5節】

義のいけにえをささげ、主に拠り頼め。

人に信頼するのではなく、聖徒たちはその信仰によって主に拠り頼みなさいということです。


【詩篇2章12節】

御子に口づけせよ。主が怒り、おまえたちが道で滅びないために。怒りは、いまにも燃えようとしている。幸いなことよ。すべて主に身を避ける人は。

「幸いなことよ。」ということは、神様に祝福されているということです。

世の終わりが近付いていることは、どの時代でも言われますが、今は本当に世の終わりなのです。
災いがありますが、私たちは自分の力で避けることはできないです。
しかし、神様が1つ安全な場所があると語りました。主に身を避ける人は幸いです。


【詩篇5章11節】

こうして、あなたに身を避ける者がみな喜び、とこしえまでも喜び歌いますように。あなたが彼らをかばってくださり、御名を愛する者たちがあなたを誇りますように。

ダビデには敵がたくさんいました。その敵は異邦人ではなく同じ国の者であります。
妬みや高慢な者たちはいつもダビデを殺そうとしました。しかし神様はその手には渡さなかったです。
なぜなら、ダビデを殺そうとする者たちは悪者だからです。

私たちはただ「祝福してください。」と祈り、実際の生活は神様に嫌われることばかりをするなら、
どんなに祈ってもそれは無駄な祈りになります。

言っている言葉と行動が全然違うものならば、神様はそれに騙されるでしょうか?――それはないです。


【詩篇5章4節】

あなたは悪を喜ぶ神ではなく、わざわいは、あなたとともに住まないからです。誇り高ぶる者たちは御目の前に立つことはできません。あなたは不法を行うすべての者を憎まれます。

神様が忌み嫌う人です。神様が嫌うことは、十戒の言葉を思い出してください。
イスラエルの歴史の中で、列王記・歴代誌を読むと興味深いことが書かれています。

初代王はサウル王でした。彼は最初は良い者でした。しかし段々不信仰になって、悪い者として終わりました。
神様が彼から離れました。悪を行った瞬間に聖霊様が出ていき、悪霊が入ってきました。

次に立てたのはダビデでした。ダビデは良い王様でした。その息子がソロモンでありますが、
ソロモン王も良い王様でした。ほとんどの部分は良い王様でしたが、女に溺れて偶像崇拝をした者でありましたが、
最後には悔い改めた者であります。悔い改める姿は伝道者の書を読むと分かります。

ソロモン王の息子、レハブアムからイスラエルの国が分裂王国になりました。
北イスラエルと南ユダの町が出ていきました。
南ユダには20人の王様がいました。そこで神様が語る言葉があります。


世の中では、その人の業績を見て評価するのです。しかし神様は一切それでは評価をしないです。
神様の評価は、彼が主の前で悪を行ったのか、主のみこころに適うことをしたのか、これが基準です。
ですから1人1人の王様に対して神様は語りました。
「彼はダビデのようではなかった。主の前で正しいことを行わなかった」神様の前で悪を行ったのか、善を行ったのか、
神様が言う善とはダビデのように行ったのかを見て、ダビデは一生神様と心が1つでした。
罪がない訳ではなく、罪を犯した時も灰をかぶって神様に悔い改めて神様だけを見ていました。

20人の王様は誰一人 神様の目に適う者はいませんでした。全員が悪でした。

南ユダでは悪い王様が20人中14人でした。その他の王様が全て良かったかというと、そうでもないです。
まぁまぁ良かったのは7人ですが、初めは良くても後で悪くなった王様もいます。
それでも南ユダのほうが良かったです。

悪が満ちると必ず神様は潰していきます。悪を喜ぶ神様ではないです。
それを見た時に私たちも同じことなのです。
主の目の前で私は悪い者なのか、それとも主のみこころに適う者なのか。
奉仕をたくさんしたから良いのではないです。

高慢な者たちはゴリヤテのような者です。自分の力に頼って偉そうに自分が死ぬことも知らないで、
高ぶる者は神様は必ず倒れると語りました。
私たちは神様の前では謙遜な者でなければならないです。

神様に拠り頼む人は謙遜な者なのです。小さなことでも拠り頼みます。問題があれば神様に祈ります。
自分の知恵に頼らず、力に頼らず、周りの人にも頼らず、権力にも頼らず、主に頼ります。

しかし誇り高ぶる者は、誰にも頼りません。


【箴言6章12-19節】

よこしまな者や不法の者は、曲がったことを言って歩き回り、

目くばせをし、足で合図し、指でさし、

そのねじれた心は、いつも悪を計り、争いをまき散らす。

それゆえ、災害は突然やって来て、彼はたちまち滅ぼされ、いやされることはない。

主の憎むものが六つある。いや、主ご自身の忌みきらうものが七つある。

高ぶる目、偽りの舌、罪のない者の血を流す手、

邪悪な計画を細工する心、悪へ走るに速い足、

まやかしを吹聴する偽りの証人、兄弟の間に争いを引き起こす者。

こういう者は主に忌み嫌われます。私たちはみことばを照らしてみて自分の姿を見なければならないです。


【詩篇7章11-13節】

神は正しい審判者、日々、怒る神。

悔い改めない者には剣をとぎ、弓を張って、ねらいを定め、

その者に向かって、死の武器を構え、矢を燃える矢とされる。

神様がすぐに私たちにしないのは、悔い改めて欲しいからです。悔い改めるチャンスを与えているのです。


【詩篇32章10-11節】

悪者には心の痛みが多い。しかし、主に信頼する者には、恵みが、その人を取り囲む。

正しい者たち。主にあって、喜び、楽しめ。すべて心の直ぐな人たちよ。喜びの声をあげよ。

【詩篇33章18-21節】

見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。彼らのたましいを死から救い出し、ききんのときにも彼らを生きながらえさせるために。

私たちのたましいは主を待ち望む。主は、われらの助け、われらの盾。

まことに私たちの心は主を喜ぶ。私たちは、聖なる御名に信頼している。

多くの人は、愛の神様なのに「どうしてこんなに厳しい事を」と思いますが、
神様はこのようにすると、こうなると初めから教えているのです。
ですから、(それを聞いていたのに)違反をして悪を行った者が悪いのです。

私たちが神様から喜ばれる者として生きているのか、自分勝手に嫌われることばかりをして呪われているのか、
2つの道から1つを選択しなければならないです。その中間の道はないです。

自分が蒔いた通りに神様が正しく裁くので、自分がやっている事は神様が喜ぶことなのか、それとも自分自身は喜ぶけれど神様に忌み嫌われることをしているのか、それは判断できると思います。

その判断をしながら神様に喜ばれる者、みこころに適う者になって神様が用意している祝福・恵みを受けて欲しいです。 (´ω`)ノ

2013.9.29
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

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