からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

八戸ノ里キリスト教会より メルマガ配信中!

メルマガ購読・解除

読者購読規約
毎朝7時に配信しています! 1日の始まりを神様の恵みで満たしてくださいね
powered by まぐまぐ!
 
         

私たちの信仰は大丈夫なのか

テーマは 『 私たちの信仰は大丈夫なのか 』 です

【第1コリント9章27節】

私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。

直接会ったことはないですが、間接的に知っている あるクリスチャンの奥様が、愛する娘の病死をきっかけに 信仰を捨てた話を聞きました。

もちろん その奥様も熱心に宣教活動をしたクリスチャンでした。


最近その奥様が数年前から教会にまったく行かず、信仰からも離れたことを聞いてびっくりしました。

そして悲しくなりました。「まさか」と思いました。


本人も、自分自身が神も信仰も捨てて、神に敵対する者になるとは想像もしなかったと思います。


私たちもいつ自分がそうなるかは誰も知らないと思います。

他人も信頼出来ないですが、自分自身も信頼出来ないです。


昨日の心と今日の心が違うので信頼が出来ないです。



「あなたの信仰は大丈夫ですか?」に どのような答えをしますか?


私は「大丈夫じゃないです」と素直に言えます。

信仰が波乗りする時があります。


良い時は大丈夫でも、良くないことが起きると自分の信仰がどう変わるかが心配です。

私たちの信仰を揺れ動かすものが色々あります。


それに気付くことも信仰の失格者にならないために必要です。




神より もっと愛するものがありますか




神より愛するものが存在するならば、その信仰は大丈夫ではないです。


アブラハムが祝福の人になったのは、厳しい神のテストに合格してからでした。

大事な1人息子イサクを神にささげてからでした。


神はその子をいけにえとしてささげるように言いました。

父親として自分の子のいのちに手を下すことは簡単に出来るでしょうか。


しかしアブラハムは神のことばに従いました。

殺す直前に神が彼を止めました。


神は彼が誰を一番愛するのか、恐れているのかをテストしました。

その後に神様は彼を大いに祝福しました。



娘の死で神から離れたその人も、それまではアブラハムの話は耳にタコが出来るほど聞いたと思います。

素晴らしい信仰だと、心では(アブラハムを)尊敬したと思います。

神を一番と思っていたのに、神を一番愛する愛が 自分にないことを証明する結果になりました。


この愛の問題に失敗すると、みんなが信仰のテストに失敗します。


一度、愛の問題で失敗した弟子シモン・ペテロに主が現れて質問しました。


「ヨハネの子シモン。あなたはこの人たち以上に、わたしを愛しますか。」

ペテロは二度目には失敗しませんでした。




肉の思いが霊の思いよりも強いですか




カイン、イシュマエル、エサウとアベル、イサク、ヤコブの違いが分かりますか。


前者は世俗的で肉に属する者で、後者は神を愛する霊に属する霊的な者です。

同じ信仰ある家庭で、信仰も受け継ぎましたが、彼らの人生は分かれていきました。


肉に属する者になり、信仰をないがしろにした者たちと、肉のものよりは上にある聖いもの、霊的なものに関心が高く、神を愛しながら生きた者に分かれました。


自分の思い、自分の欲、自分の判断が強い人は肉の思いが強い人です。


その人たちは苦い根を持っています。

それは古い人の根っこです。そこから肉の行いが始まります。


それは「不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興」です。


しかし霊の思いは、それとは まったく違います。

その人たちは御霊によって生きています。


霊の思いは愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。


肉の思いは、信仰を堕落させ、神の国を相続出来ないようにします。


しかし霊の思いは、御霊の実をたくさん結ぶので、神に役立つ者、神の国にふさわしい者になります。




神への非難の思いがありますか




神への非難の思いは信仰に致命的です。


娘を失った人が信仰から離れた原因は、きっと神への非難の思いが強かったと思います。

「なぜ私の娘のいのちを助けず取ったのか」と。

神を 盗人、殺人をした悪い神である思いが彼女の心になかったと言えるでしょうか。


「すべてのことについて感謝しなさい」と言われていますが、それが日々守られてあるでしょうか?

守られていないと思います。




ヨナの姿を通して神への非難の思いの危険性をみたいと思います。


神のことばに不従順して嵐に会い、魚に飲まれて、魚のお腹に入り、生き地獄を体験しました。

神が助けて下さらなかったならば、誰も知らない所で死んだと思います。


しかし、神の憐れみで助かったので 彼は第二の人生を送るようになりました。

二度いのちを得たことが小さいことでしょうか?


一生感謝してもしきれない恵みなのに、あっという間に忘れてしまう恩知らずの姿を私たちはヨナ書で見ることが出来ます。


ニネベの人たちを滅ぼす計画が神から出て、彼はそれを神の命令でニネベの町の人々に伝えました。


しかし予想もしなかったことが起こりました。

彼らが本気でそのことばを受け止め、断食しながら神の前に悔い改めました。


神は彼らの姿を見て滅ぼす計画をやめました。

それで彼は不機嫌になり、神への不満が、神への非難に変わり、神にそれをぶつけました。




私たちは自分に悪いこと、思い通りにならないことがあると神を非難します。

そして他人に良いことや、祝福があると、それも妬んで神を非難します。


自分一人のいのちは大切なのに、十二万以上の人間と多くの家畜のいのちに対しては惜しむ心がヨナにはまったくありませんでした。


自己中心的な人間は、神の心には関心がなく、自分が中心で回らないと神に対して不機嫌です。


自分を助けた神の恵みはすっかり忘れて、不満を言う者になったことが悲しいですね。


自分たちにも、ヨナの姿があります。

これが私たちの信仰を汚染させ、ダメな信仰にしてしまいます。


ですから私たちは神や人と戦うのではなく、自分の中にいる強い敵と戦わないと、それに自分がつまずきます。


神や人につまずいたと言えますか?

よく考えるならば自分が自分の信仰につまずいています。


神や人への苦い思い、肉の思い、世を愛する心はあるのに、肝心な信仰がないのです。


これが一番の問題です。
アーメン ヽ(TдT)ノ


2018.5.6
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい訳で!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

なぜなのか

テーマは 『 なぜなのか 』 です

【ヨハネの福音書1章29節】

その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。

昔よく聴いていた福音聖歌がありました。

「誰が知っているのか。主の心を~」 この歌詞から歌が始まりました。


何十年も主を信じていますが、未だに主の心がわかりません。


なぜ被造物である人間を これほどまでに愛して惜しんでいるのか、主の心が分かりません。


罪を犯した人間が、その報いとして死んで滅びることは当然なのに、なぜ罪を犯したことのない神の子イエス様に人間の罪を背負わせたのか ――


アダムとエバが罪を犯した時に、彼らを滅ぼして、新しい人間と世界を造れば良かったのに、なぜ彼らを生かして、その時から神の子を犠牲にする計画を立てたのか。


次の箇所でダビデもこのように語りました。


【詩篇8編4節】

人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。

全知全能なる力ある神が、取るに足りないちっぽけな人間のために、なぜ神の子イエス様をあのむごい十字架につけたのか、いまだに全ては理解出来ないです。


私たちが一体 何者だから、イエス様が来られて罪を取り除き、救いの道を与え、救われた者に「神の子になる特権」を与えたのかわかりません。

神の子を殺した犯罪者なのに。


また、自分に小さなあやまちを犯した1人の人間に対しても、敵意をむき出しにするほど とんでもない者に対して、なぜ神は我慢が出来るのか、理解が出来ないです。


誰よりも知恵がある方なのに、時には愚かな方法を わざわざ選ぶ神に、「なぜですか?」と理解が出来ないです。

神の心がわからないです。


人間は自分を知恵ある者と思い、その知恵を高らかに誇るのに。

なぜ神は愚かな者のようにふるまうでしょうか。


私のような人間になぜ恵みを注いでおられるのかわからないです。


「なぜですか?」だらけの主の恵みを、当たり前のように受けてはいけないですね。


私たちは、主に対して返すことが出来ないたくさんの負債があります。


ただ主に感謝をささげること、そして主の恵みを何一つ忘れないことです。

アーメン (*´ -`)(´- `*)


2018.4.29
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい訳で!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

神の栄光を横取りしてはならない

テーマは 『 神の栄光を横取りしてはならない 』 です

【使徒の働き14章11-18節】

パウロのしたことを見た群衆は、声を張り上げ、ルカオニヤ語で、「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになったのだ」と言った。

そして、バルナバをゼウスと呼び、パウロがおもに話す人であったので、パウロをヘルメスと呼んだ。

すると、町の門の前にあるゼウス神殿の祭司は、雄牛数頭と花飾りを門の前に携えて来て、群衆といっしょに、いけにえをささげようとした。

これを聞いた使徒たち。バルナバとパウロは、衣を裂いて、群衆の中に駆け込み、叫びながら

言った。「皆さん。どうしてこんなことをするのですか。私たちも皆さんと同じ人間です。そして、あなたがたがこのようなむなしいことを捨てて、天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神に立ち返るように、福音を宣べ伝えている者たちです。

過ぎ去った時代には、神はあらゆる国の人々がそれぞれ自分の道を歩むことを許しておられました。

とはいえ、ご自身のことをあかししないでおられたのではありません。すなわち、恵みをもって、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たしてくださったのです。」

こう言って、ようやくのことで、群衆が彼らにいけにえをささげるのをやめさせた。

神が人間を造った一番の目的は“神の栄光のため” でした。


【イザヤ書43章7節】

わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。

ですから、もし人間がその目的通りに生きていないならば、その人は神に逆らう人生を生きています。

造られた目的を知らないと、神のみこころに従って歩むことは不可能です。


人間を造った神は 聖書を通して、その目的を私たちに教えて下さいました。


しかしその目的を知ったとしても神の栄光を横取りするならば、それは神を冒涜することになります。




神に栄光をささげる姿




パウロとバルナバは 神に選ばれ、宣教師としての働きをしていました。


神は、パウロに奇跡や癒しを行う力を注いで下さいました。

パウロはイエス様に出会うまでは病人を癒したことも、奇跡を起こしたこともありませんでした。


しかしイエス様に出会ってから、多くの癒しや奇跡を行い、人々に知られるようになりました。


ある時、パウロは生まれつき足のなえた人を癒しました。

すると群衆は、彼らが人間ではない神であると声を張り上げました。


そして二人は突然、ギリシャ神話に出て来る神になってしまいました。

パウロがヘルメス、バルナバがゼウスになりました。


そしてゼウス神殿の祭司や群衆も、二人にいけにえをささげようとしました。


もし二人がそれを受け入れたならば、彼らは 人々の上に神として君臨することも可能でした。


しかし、このことで一番危機感を感じたのは二人でした。

どれほど二人がびっくりしかと言えば、衣を裂いて叫びながら人間宣言しました。


自分たちは神ではなく、神のしもべであることを伝えました。

二人はとんでもない騒ぎが起こったことでびっくりしたと思います。


これらのことは、サタンの策略だったと思います。


サタンは、自分が神になりたくて堕落した存在です。

アダムとエバは、このサタンの策略に負けたので堕落しました。


神の栄光を横取りしようとしたことで、彼らは神から刑罰を受けました。


神が受けるべき栄光を 自分が受けることは、神のものを盗むことです。


主の弟子ペテロにも似たような経験がありました。


主の導きで、百人隊長コルネリオに会いに行きました。

当時の力関係で言うならば、ペテロがコルネリオよりも下です。


しかし同じく神からの導きを受けたコルネリオは、ペテロが自分の家を訪ねた時に、すぐさま出向いて、ペテロの足元にひれ伏して拝みました。

プライドの高い人ならば 天狗になる瞬間です。


しかしペテロは驚いて彼を起こして「お立ちなさい。私も一人の人間です」と 神の栄光を盗みませんでした。


主の働きの中でも、このような誘惑が多いです。

自分を高く評価する瞬間、サタンはその思いにつけ込みます。


ある牧師が天国へ行った時に、すでに召された有名な牧師に会ってみたいとイエス様にお願いをしました。

すると主の表情が雲ってきて、しばらく沈黙が流れました。


その後、静かに「彼は ここにはいない」と言われました。

一瞬、意味が分からなかったそうです。


召された牧師は有名な方で、とても素晴らしい働きをしたからです。


その後、地獄の牢獄の中に閉じ込められた その牧師を、主が見せて下さいました。


「なぜ あの牧師はあそこにいますか?」
あり得ない状況に戸惑いながら主に聞くと、


主からの答えは「彼は私の栄光を横取りしたからだよ。」

牢獄にいる牧師が叫びました。


「主の栄光を横取りしてはならない!」




主の栄光を横取りした聖書の人物は




【使徒の働き12章21-23節】

定められた日に、ヘロデ王は王服を着けて、王座に着き、彼らに向かって演説を始めた。

そこで民衆は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた。

するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えた。

虫にかまれたことが直接的な死因ですが、それより先にあった出来事が死因に結び付き、神の栄光を横取りしたことでした。


神が死因を教えて下さらなかったならば、死因は虫にかまれて死んだかわいそうな人として記録されたと思います。

この罪は誰でも犯しやすい罪です。


私たちの自我の中には、アダムの罪の性質があります。


神になりたい欲望があります。


ですから、主の働きをする人でも 自我を捨てないと、いつでも 口では “神に栄光” と言いながら、自分が栄光を受けることを喜びます。


素晴らしい業績を残し、人々に尊敬されている主のしもべたちは、常にこの誘惑にさらされています。

高慢になると主の栄光を自分のものにします。


謙遜になることが必要ですが、自分を砕かないと謙遜にならないので、偉くなるにつれて誘惑に負けていく人が多いです。


【マタイの福音書7章22-23節】

その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。』

しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。



神が偶像崇拝を忌み嫌う理由




偶像は人間の手の作品であり、人間が造った神です。


まことの神にこそ栄光をささげなければならない人間が、自分たちで造った(偶像の)神を神として拝みながら、それに栄光をささげる姿に、(まことの)神は我慢が出来ないです。


生きた人間や死んだ先祖たちを拝む行為も、神の栄光をむなしいものにささげる行為であるので、神はそれに対して必ず刑罰を与えると警告してあります。


【出エジプト記20章4節】

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。

偶像崇拝は 神の栄光を台無しにする姿であります。


【ローマ1章23節】

不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。

偶像崇拝によって栄光を受け 喜ぶのは、神になりたくて神に逆らった“サタン” です。


サタンは神の栄光を横取りするために人々を惑わし、次々と偶像の神を造らせ、サタンが栄光を受けています。


栄光を受けるべき方は、主お一人です。


【詩篇24編8節】

栄光の王とは、だれか。強く、力ある主。戦いに力ある主。

【詩篇24編10節】

その栄光の王とはだれか。万軍の主。これぞ、栄光の王。

私たちは自分は取るに足りない者であることを自覚し、すべての栄光を主にささげましょう。


アーメン (・∀・)


2018.4.15
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

復活がもたらした祝福

テーマは 『 復活がもたらした祝福 』 です

【第1コリント15章12-19節】

ところで、キリストは死者の中から復活された、と宣べ伝えられているのなら、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はない、と言っている人がいるのですか。

もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。

そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。

それどころか、私たちは神について偽証をした者ということになります。なぜなら、もしもかりに、死者の復活はないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずですが、私たちは神がキリストをよみがえらせた、と言って神に逆らう証言をしたからです。

もし、死者がよみがえらないのなら、キリストもよみがえらなかったでしょう。

そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。そうだったらあなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。

そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。

もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。

キリストの復活は、ただの驚きではなく、信じる者たちに どれほど大きな祝福をもたらしたか分かりません。


信じる人々は、その素晴らしい祝福を知らなければなりません。

イースターは “祝福の日” です。


受難週には、キリストの受難について伝えましたが、
復活の日である今回は、復活がもたらした祝福は何かを伝えます。




敵に対する完全勝利




十字架の苦難も復活も、父なる神の救いの計画に最初からありました。

それによって救いは完成します。


キリストは十字架の苦難を受け、そして復活もしましたので、救いの計画は完成しました。


救いの計画を妨害しようとしたサタンの計画は、“復活” によって失敗で終わりました。

キリストの敵に対する完全な勝利は、信じる者にも同じ勝利をもたらしました。


詩篇23編は、キリストの苦難と復活がもたらした重要な預言があります。


【詩篇23編5節】

私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。

私たちは、私たちを迫害した敵が見ている前で、主が私たちのために用意して下さるごちそうの食事、主にきよめられた美しい姿、そして あふれる恵みの前に 感激する日が必ず来ます。




再臨の主が来られる




イエス様は すでに来られた方であり、再び来られる方です。

以前は、私たちと同じ姿で地上に来られましたが、将来は復活した体で来られます。


今は聖霊として私たちの中におられる方ですが、将来は復活の体で再臨なさいます。


【ヨハネの福音書14章18-19節】

わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻ってくるのです。

いましばらくで世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。

主を否定する人は 主を見ることがないですが、信じる者は天国で永遠に主を見ます。




本物の福音を伝える証人になる




なぜイエス・キリストの福音だけが本物の福音でしょうか?


私達のために死に、私達のために復活した方は、イエス・キリスト以外には いないからです。


【使徒の働き4章12節】

この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」

【使徒の働き16章31節】

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」


救いもないのに、(他の宗教にも)まるで救いがあるかのように伝えることは、人を騙すことです。


しかしキリストの証人は、救いがある本物の福音を伝えています。

復活した主は 弟子たちに力を与え、証人にすると約束しました。


【使徒の働き1章8節】

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」



十字架の苦難は復活につながる




十字架の苦難は険しいものでした。

しかし、その後にあるものが “復活のいのち” でした。


【マタイの福音書7章13-14節】

狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。

いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。

復活のいのちは、キリストを信じることで得ることが出来ます。

キリストの復活は、人間の理性では信じることが出来ません。


ですから、“信仰” によって、信じられないことを “信じる” のです。


ある人は 目の前で起きたことに対しても、「信じられない」と言います。


2千年も前に起きたキリストの復活は、信仰によって信じることが出来ます。


【ヨハネの福音書3章36節】

御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。



主のための労苦は無駄にはならない




世の宗教は、死人に対しての供養や 死人に対しての献身を要求し、それによって “報いを得る” と言います。

それに疑いを持たずに信じる人が とても多いです。


死人に一体 何が出来ると思いますか?


彼らがどんな祝福を持っていますか?

死人が、生きている人のために一体 何が出来ますか?


もし、キリストが 復活 しなかったならば、これと同じことです。

すべてが むなしくなります。


しかし キリストは “復活” したので、結果が違います。


【第1コリント15章58節】

ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。

このように キリストの復活は、素晴らしい祝福を私たちに もたらしました。


ですから、私たちも 復活のいのちに望みを抱いて、荒野の道を歩むことが出来ます。


アーメン v( ̄∇ ̄)v

2018.4.1
イースター礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

主の十字架の苦難と臨終

テーマは 『 主の十字架の苦難と臨終 』 です

【マタイの福音書27章45-50節】

さて、十二時から、全地が暗くなって、三時まで続いた。

三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

すると、それを聞いて、そこに立っていた人々のうち、ある人たちは、「この人はエリヤを呼んでいる」と言った。

また、彼らのひとりがすぐ走って行って、海綿を取り、それに酸いぶどう酒を含ませて、葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした。

ほかの者たちは、「私たちはエリヤが助けに来るかどうか見ることにしよう」と言った。

そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。

過去の苦しい記憶を、いつまでも覚えていることは良くないことです。

なぜなら、その記憶が 今の幸せも消してしまうからです。


それがあったから今の幸せがある と、肯定的に思うならば問題はないですが、過去の苦しい記憶に支配されているならば、その苦しみは いつまでも続きます。

ですから、良かったことは長く覚えていても、辛い記憶は早く忘れることが良いです。



イエス様は主のことで、私たちが忘れてはならないことがあると語りました。


“主がよくして下さったことと、主の十字架の苦難を忘れてはならない” ことです。


主が受けた苦しみは 主が覚えるのではなく、私たちが覚えることです。

そうしないといけないです。

「主が受けた苦しみを、いつまでも覚えてそれを記念とすること」は主からの命令でもあります。


主の十字架の死がなかったならば、罪人が救われる根拠も保証もありません。


罪人たちを救うために、主がどれほどの恥辱と苦難を実際に受けたかを知らないならば、救いの価値も分かりません。


主ご自身がどれほどの犠牲を払ったのかを、もう一度 この受難週に考えたいと思います。

主の十字架の苦難と臨終の姿を伝えます。




十字架にかかった時刻




十字架にかかったのは 午前9時でした。

そして、臨終までかかった時間は 6時間でした。

正午から3時までは ユダの全地が暗くなりました。


なぜ暗くなったでしょうか?


神の子を十字架につけて殺したユダヤ人に対する “神の厳しいさばきのしるし” とも言えます。


昔、エジプトに対して 神がさばきを下した時に、暗闇を送ったことがありました。


【出エジプト記10章21-23節】

主はモーセに仰せられた。「あなたの手を天に向けて差し伸べ、やみがエジプトの地の上に来て、やみにさわれるほどにせよ。」

モーセが天に向けて手を差し伸ばしたとき、エジプト全土は三日間真っ暗やみとなった。

三日間、だれも互いに見ることも、自分の場所から立つこともできなかった。しかしイスラエル人の住む所には光があった。

イスラエル人を迫害したエジプトの民に、神はさばきを下しました。

そして主イエスを迫害し殺したイスラエルの民に対しても、主は同じくさばきを行います。


その “しるし” としての暗やみと言えます。




最後に何を叫んだのか




主は死ぬ前に、最後の力を振り絞って何を叫んだでしょうか?


「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」でした。

これは詩篇22編1節の成就でした。


「わが神、わが神。どうして、わたしをお見捨てになったのですか」と叫びました。


父なる神との結びつきが強かった主の口から出る このことばは、イエス様の “霊の叫び” でした。



母親に捨てられた時に、幼子が「ママ、行かないで」と泣き叫ぶ時の叫びと、お腹が空いて泣き叫ぶ声が同じでしょうか?

捨てられた時の叫びは、恐れと不安、孤独から来る たましいの叫びです。




神のひとり子イエス様が、なぜ父なる神から捨てられ辛い目に会わないといけなかったでしょうか?


それは “人類の罪の問題と罪の深刻性” でした。


そして「その人類を贖うための大使命」が、イエス様に懸かっていたからです。


人類の罪を背負って 十字架にかかったイエス様は、罪に対する裁きをその身に受け、死ななければなりませんでした。


愛の目だけで見るならば、神がイエス様を十字架につけて見捨てることは出来ません。


しかし罪に対して正しい裁きを行う神の目で見るならば、捨てられて死刑を受けることは罪に対する当然の報いでした。

そこには 少しの憐れみも愛もありませんでした。



十字架でのイエス様は、神の裁きを受ける姿でした。

神の裁きを受けなければならないほど、人類の罪は深刻でした。



イエス様が受けた苦しみは、恐ろしい肉体の苦しみがありました。

そして人々から受けた侮辱やののしり、あざけり、愛する者たちの裏切りによる 精神的な苦しみがありました。


しかし、最もイエス様が感じた苦しみは、しばらくの間でも父なる神と断絶しなければならない “霊的苦悩” でした。


しかし、主は 全人類のために 自分を贖いのいけにえとしてささげることを決心したので、すべての苦しみをその身に受け、最後まで主の御心に従順しました。


深刻な混乱と苦しみの中でも、ただ父なる神を見上げ、すべてを委ねたので真の勝利を得ることが出来ました。




主の臨終の姿




主は最後に、もう一度大声で叫んで息を引き取りました。

どのようなことばが最後のことばになったでしょうか。


【ヨハネの福音書19章30節】

イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した」と言われた。そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。

「完了した」は、自分の使命をすべて成し遂げたという “勝利宣言” でした。


人生を全うした意味ではありません。

主は33歳という若さでした。寿命を全うして死ぬ年ではありません。


神のみこころを全うするために来られ、その働きを終えたという意味です。

そして、続いて語ったことばが 次の箇所にあります。


【ルカの福音書23章46節】

イエスは大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。

自分のたましいを、いのちの主権者である父なる神に委ねました。


神が受け取ったイエス様の霊は、どんなに尊い霊でしょうか。

もし宝石に例えるならば、光輝いて見ることが出来ない輝きのある霊だと思います。


罪のために汚れて暗くなった人類の醜い霊とは到底比べることも出来ないものです。

父なる神の手に委ねられた主の霊は、再びいのちを得て 世の光としてよみがえります。


来週はイースターです。


主は、私たちのために十字架にかかって死に、また 私たちのためによみがえりました。

そのことを信じていますか?

アーメン ヽ(TдT)ノ


2018.3.25
受難週礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい訳で!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

イエスを殺そうとした理由

テーマは 『 イエスを殺そうとした理由 』 です

【マルコの福音書3章6節】

そこでパリサイ人たちは出て行って、すぐにヘロデ党の者たちといっしょになって、イエスをどのようにして葬り去ろうかと相談を始めた。

イエス・キリストは、ある日突然 十字架にかかって死んだのではなく、早くから殺意をもって殺そうとした人たちがいました。

そして結局、彼らによって殺されました。


誰がどのような理由があって最初から殺そうとしたのでしょうか?


殺意をもっていた人たちは テロ集団ではなく、厳格なユダヤ教徒であるパリサイ人たち、そして祭司や律法学者たち、すなわち “宗教指導者や宗教熱心な人たち” でした。


これは今の時代も変わらないですね。

イスラム原理主義者たちが世界中で行うテロを見ると、その恐ろしさが分かります。


イエスを殺そうとした人々も似たような人間でした。

彼らは 誰よりも律法を知り、それを厳格に守っている者でした。


しかし、イエスに対する彼らの姿を見ると 平気に律法を犯していました。

十戒には「殺してはならない。」と明確に書いてあるにも関わらず、彼らは人殺しをしようを企んでいました。


なぜ 神のことばを破りながらも、イエスを殺そうとしたのでしょうか。

殺意から殺人に繋がっていきました。


そこには2つの大きな理由が考えられます。




政治的理由




イエスが生まれた時、東方の博士たちが 特別な星に導かれて エルサレムまでやって来ました。

そして、「ユダヤ人の王として お生まれになった方は、どこにおいでになりますか。」と尋ねました。


するとその時、王であったヘロデは 恐れ戸惑って、自分は何も知らないので、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、「キリストはどこに生まれるのか」 と問いただしました。

彼らは、“ベツレヘムで生まれる” と正確に教えました。


しかし、彼らは見に行くこともしませんでした。

長い間、待ち望んでいた人たちなのに、メシヤが生まれた話を聞いても 全く動かず、歓迎もせず、捜しに行くこともしない姿が不思議でたまらないですね。


無関心でした。


博士たちは星に導かれて幼子イエスに会い、ひれ伏して拝みました。

ユダヤの王として認めました。


しかし一番メシヤに対して詳しい宗教指導者たちは、誰一人尋ねて行って拝むこともしませんでした。


後にイエスが公の場で宣教を開始し、誰も行ったことのない様々な奇跡や権威あることば、すなわちメシヤの預言と同じ働きをしているのを見ながらも、また人々が イエスをユダヤの王だと言っても 彼らだけは認めませんでした。

そして受け入れることもしませんでした。



また、イエスの所に多くの人々が集まり、どこへ行っても歓迎されているイエスの姿を見て、彼らの心は妬みでいっぱいでした。

なぜなら、(イエスが宣教を開始する前まで)彼らは民を支配し、権力を振るっていたからです。


人々の流れと関心が イエスに向いてしまうと、自分たちの権力を維持するのが難しいと考えていたので、消すしかないと思いました。

これは、いつの時代にも政治の世界でよく起こることです。


メシヤとして認めない心、妬み、権力欲によって殺そうとしました。




宗教的理由




イエスに対する信仰がなく、メシヤとして信じることが出来ませんでした。


信じないので、イエスが “メシヤであると宣言すること” に腹を立てました。

そのことを受け入れることが出来ませんでした。


そして彼らは宗教儀式を行うことを喜び、日々それを励んでいるのに、イエスが自分たちとは違うことをして、その儀式を破ることもするので ますます憎み、敵対し殺そうとしました。


(イエスを)神ではなく、悪霊だと彼らは思っていて悪霊呼ばわりしました。


また時には、イエスが 自分が天から来られた神の子、時には神 とも言うので、“神を侮辱する者” として生かしておいてはいけないと思って殺そうとしました。


【ヨハネの福音書5章18節】

このためユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとするようになった。イエスが安息日を破っておられただけでなく、ご自身を神と等しくして、神を自分の父と呼んでおられたからである。

【ヨハネの福音書8章58-59節】

イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。」

すると彼らは石を取ってイエスに投げつけようとした。しかし、イエスは身を隠して、宮から出て行かれた。

彼らが霊的無知であったからです。


【ヨハネの福音書12章40節】

「主は彼らの目を盲目にされた。また、彼らの心をかたくなにされた。それは、彼らが目で見ず、心で理解せず、回心せず、そしてわたしが彼らをいやすことのないためである。」

彼らが本当に聖書に詳しい者であったならば、イエスが預言されたメシヤである証拠をたくさん見つけることが出来たと思いますが、彼らは一度も イエスが本当にメシヤであるかどうかを詳しく調べたこともありませんでした。



ただ自分たちがイメージしていた(メシヤの)姿ではなく、また自分たちにある欲や高慢や妬みなどによって殺意をもち続け、結局は自分たちの手でメシヤを殺してしまいました。

この罪はどんなに大きな罪でしょうか。


主イエスに敵対して生きることは、自分の命取りになります。


信じていのちを得る者になりたいです。
アーメン (・∀・)


2018.3.18
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

救われた人の生き方と神の要求

テーマは 『 救われた人の生き方と神の要求 』 です

【第1ペテロ1章13-17節】

ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現れのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。

従順な子どもとなり、以前あなたがたが無知であったときのさまざまな欲望に従わず、

あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なるものとされなさい。

それは、「わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない」と書いてあるからです。

また、人をそれぞれのわざに従って公平にさばかれる方を父と呼んでいるのなら、あなたがたが地上にしばらくとどまっている間の時を、恐れかしこんで過ごしなさい。

信じる人も信じない人も、あらゆる目的で聖書を読んでいます。


聖書は 正しく言うならば、信じる人のために神が与えてくださった神のことばです。


【第2テモテ3章16-17節】

聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。

それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。

聖書には 信じる者への教えと戒め、命令などがたくさんあります。

今日の本文からも それらのものを受け取ることが出来ます。


救われた者がどのように生きるべきか と、神の要求を知ることが出来ます。


人間にとって一番大切で、重要で、必要なものは何か知っていますか?


それはイエス・キリストに出会う事、キリストに会ってたましいが救われること、そして日々 神を知ることです。


これ以上に価値あるものはありません。


もちろん神に対して、救いに対して 無知であった時は、そうは思いませんでした。

神を知り、救われた後に初めてその重要性、価値を知りました。


人を罪や無知、滅びから救い出した神は、その人がどのように生きるべきか、神が求めるものは何かを教えて下さいました。






神が人々を救った後に、その人に要求する最も大切なものが二つあります。


1つは、“私たちが聖なる者になること”、そしてもう1つは、“神に栄光をささげること” です。


救われる前の人間の姿は、神に対しては無知、不従順、不信仰、そして様々な欲望に従って歩んでいました。

それはむなしい生き方でした。


なぜなら神の裁きの日には、その生き方によって裁かれ、永遠の滅びと永遠の死を迎えるからです。


神は、すべての人間が そのような生き方をして滅びていくので、あわれみ深い神はイエス・キリストによる救いの道を用意して下さいました。


“救い” は全世界の人々に差別なく開かれてあります。


【ローマ10章13節】

「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。

しかし、救われた後は “新しい生き方をしなければならない” と明確に教えています。

救われたことは、神の子どもになったことを意味します。


神の子どもは神に似る者にならなければならないです。


すなわち聖なる者になることです。


これを知らない人が多いです。

神は選民にしたイスラエルの民に、それを繰り返して要求していました。


【レビ記11章44-45節】

わたしはあなたがたの神、主であるからだ。あなたがたは自分の身を聖別し、聖なる者となりなさい。わたしが聖であるから。地をはういかなる群生するものによっても、自分自身を汚してはならない。

わたしは、あなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から導き出した主であるから。あなたがたは聖なる者となりなさい。わたしが聖であるから。」

【レビ記19章2節】

「イスラエル人の全会衆に告げて言え。あなたがたの神、主であるわたしが聖であるから、あなたがたも聖なる者とならなければならない。

【レビ記20章7-8節】

あなたがたが自分の身を聖別するなら、あなたがたは聖なる者となる。わたしがあなたがたの神、主であるからだ。

あなたがたは、わたしのおきてを守るなら、それを行うであろう。わたしはあなたがたを聖なる者とする主である。



聖なる者になるためには、私たちの内側を変えなければなりません。


イエス様は 厳格に宗教儀式を守りながら、自分を敬虔な者と思っていたパリサイ人、律法学者、祭司たちに対して「偽善者、まむしのすえども、蛇ども」と呼びました。

さらに、白く塗った墓、外側は人に正しく見えても、内側は偽善と不法でいっぱいであると叱りました。


彼らには地獄に行くとも言いました。

それは彼らが、主が期待する聖なる者でなかったからです。


彼らは内側をきよめることには関心が無く、人によく見せたい思いだけで 偽善の仮面をかぶった生き方をしていました。


彼らは 心と行いを見て、公正に裁く神の存在を無視していました。

神は人が無視したから無視される方ではなく、厳しくその行いに対して裁きます。



信じる者は、以前と変わらない生き方をするのではなく、聖なる者になるための努力を日々しなければなりません。


再臨するキリストを迎えたいならば なおさらです。

自分の人格を変えることから始めないといけないです。


霊肉ともに汚れないように、シミがつかないように、偽善にならないように、神の前に恥かしくないように正しく、真実に、従順に生きることです。


自我を捨て、悪い習慣を捨て、悔いた心を主の十字架の祭壇にささげ、祈りで自分を整え、みことばの黙想によって自分自身を訓練していく時に、内側はますます聖なるものに変わっていきます。


また次の箇所にもあります。


【詩篇1編1節】

悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。

生き方によって罪から離れることです。


そうしていくならば、だんだん内側が変わり、それによって人格が変わっていきます。






神に栄光をささげる生活を神は要求します。


【第1コリント10章31節】

こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。

このように言われました。


私たちがキリストにあって信仰をもって歩み、愛をもって行い、希望をもって 主と共に歩みながら主の喜ぶことをするならば、それによって主に栄光をささげることができます。


難しく考えないで主が喜ぶことをするならば、主もそれを喜びます。

主が喜ぶことが、主に栄光をささげたことになります。


神に栄光をささげる生活をしていますか?

正しいこと、神が喜ぶ生活をしていますか?

そのことを気にしながら生きていますか?


主は恵み豊かな方ですが、今度は裁き主として再臨なさいます。


自分を聖別しながら、神の栄光のために生きるならば、主がいつ来られても問題はありませんが、何もしてないならば、わざわいになります。
アーメン (*゚∀゚)っ


2018.2.11
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい訳で!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

災難を新しい挑戦のチャンスに

テーマは 『 災難を新しい挑戦のチャンスに 』 です

ハレルヤ。

主の恵みと守りが、今日もありますように祈ります。


災難を新しい挑戦のチャンスだと考えたことがありますか?


地震や火災、また戦争などによって建物が破壊され、がれきの山になり、灰になっている姿を見ると、ため息が出ますし、悲しくなり辛くなり、絶望的になります。


しかし、ある人たちは災難を新しい挑戦のチャンスだと思って立ち上がります。



1941年、発明家であるトーマス・エジソンの実験室で火災が発生しました。

それによって数知れないほどの多くの道具と彼が長い間力を注いで研究した資料などが すべて燃えてしまいました。


彼の息子チャールズが走っていくと、
父エジソンは、恐ろしい勢いで燃えている実験室を見ていました。


びっくりしたチャールズに、エジソンは こう聞きました。

「ママはどこにいるのか?早く探して、こっちに連れてきなさい。

こういう光景は2度と見ることが出来ないから。」


その翌日、彼が夢と希望が灰に変わってしまった姿を見て、こう語りました。


「破壊は何と有益なものであるのか。私たちが間違ったものを灰にしてしまったから、神様に感謝します。私たちは再び挑戦をします。」


開かれた意識の所有者が 災難を受けた時、こういう態度を取るのを通して、本当の信仰がどういうものであるのかも見せてあります。






ヨブも すべてのものを失った時、彼の本当の信仰を神様に見せました。


子ども10人を亡くしました。

財産もすべて失くしました。


しかし、彼はその中でも一言も不平不満を言わずに、そういうものに対して執着心を見せませんでした。

その中でも神様に感謝を捧げ、神を礼拝し、神様を求めました。


その災難の中で、彼が絶望だけしていたならば、どういうことになったでしょうか?

ヨブの妻は、彼にひどいことを言いました。


「それでもなお、あなたは自分の誠実を堅く保つのですか?神をのろって死になさい。」


ヨブがこの災難を新しい挑戦の機会だと思わないで、
絶望的な目で見たならば、その言葉を聞いて、自殺したかも知れないです。


しかし、ヨブはそういう思いを持たず、新しく挑戦しました。

信仰によって再びはじめました。


そうすると神様は、彼に以前よりも2倍の祝福を与えてくださいました。



私たちにも様々なことが起こると思います。


しかし、私たちはどんな時でも、それを新しい挑戦のチャンスだと思って 立ち上がるならば、神様が道を開いてくださいますし、力を与えてくださいますし、祝福も与えてくださいます。
アーメン (*´∇`*)


2017.10.1
3分テレフォンメッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい訳で!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

ダビデの礼拝に対する態度

テーマは 『 ダビデの礼拝に対する態度 』 です

【第1歴代誌16章1-4節】

こうして、彼らは、神の箱を運び込み、ダビデがそのために張った天幕の真ん中に安置した。それから、彼らは神の前に、全焼のいけにえと和解のいけにえをささげた。

ダビデは、全焼のいけにえと和解のいけにえをささげ終えてから、主の名によって民を祝福した。

そしてイスラエルのひとりひとりみなに、男にも女にも、それぞれ、丸型のパン、なつめやしの菓子、干しぶどうの菓子を分け与えた。

それから、レビ人の中のある者たちを、主の箱の前で仕えさせ、イスラエルの神、主を覚えて感謝し、ほめたたえるようにした。

ある人の信仰が、良い信仰か そうではないかは 何を見て分かりますか?

それは、礼拝態度を見ると分かります。


礼拝をないがしろにする人、形式的な礼拝で済ませる人の信仰は、良い信仰ではないです。

しかし礼拝を大切にし、真剣に取り組んでいる人は 良い信仰を持っています。


ダビデは良い信仰を持っている人ですが、その信仰が 礼拝にそのまま現れました。


ダビデが神の箱を運び込み、安置した天幕は モーセの荒野の幕屋とは違って、簡単な幕屋でした。

神殿が出来るまでの借り住まいのような天幕でした。


しかし、そこでささげられた礼拝は 本当に素晴らしい礼拝でした。

なぜならダビデは 神が求めておられる真の礼拝者であったからです。


イエス様は礼拝に対して次のように語りました。


【ヨハネの福音書4章23-24節】

しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。

神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」

ダビデには真の礼拝者の姿がありました。

ダビデはどのような礼拝を 主にささげたでしょうか?


神への喜びと感謝が礼拝に現れていました。


神に全焼のいけにえと和解のいけにえをささげ、主の名によって民を祝福し、そして和解のいけにえの一部を民にも与えて 喜びの祝宴をしました。


礼拝になくてはならないものは、“神への感謝と献身と喜び” です。


ダビデの礼拝には、それが溢れていました。


ダビデは いつも主の前に礼拝がささげられるように、主の前に仕える奉仕者を選び、いつも神に賛美をささげるようにしました。


賛美リーダーを立て、聖歌隊も作りました。

賛美隊が出来たのは、この時が初めてでした。


彼らは毎日の日課として 朝ごとに、夕ごとに絶えず主をほめたたえていました。

神への礼拝を どれほどダビデが大切に考えていたかが分かります。


そして主に仕える者たちにさせたのは、“主を覚えて感謝し、ほめたたえること” でした。


聖歌隊を作った目的は、礼拝をさらに敬虔なもの、聖なるものに導くためでした。

この時に作った聖歌隊は、ヘロデが建てた神殿が破壊されるまで続きました。



“主を覚えて感謝し、ほめたたえること” は礼拝の重要な部分です。


ダビデは聖歌隊が神の前で賛美出来るように、賛美も作りました。

8節から36節にある賛美は ダビデが直接書いたもので、それを聖歌隊に渡して歌わせました。


詩篇96編、105編、106編にも書かれています。

そこでも “主を覚えて感謝し、ほめたたえる” 内容がありました。


主を覚えることは 主のみわざを思い出し、公的に宣言し、記念として広く伝えることです。


神の偉大なみわざ、主のよくして下さったことを何一つ忘れず覚えることは大切です。


そして主に感謝することです。

感謝には「認める、告白する、ほめる」という意味も含まれてあります。


また主をほめたたえることです。

「ハレルヤ」は “主をほめたたえる” という意味です。


【イザヤ書41章16節】

あなたは主によって喜び、イスラエルの聖なる者によって誇る

という言葉がありますが、“主を喜ぶ、主を誇る” ことが主をほめたたえることです。






人間が造られた目的は何でしょうか?

答えは次の箇所にあります。


【イザヤ書43章21節】

わたしのために造ったこの民はわたしの栄誉を宣べ伝えよう。

すなわち人間は、“神への礼拝者” として造られました。


その目的通りに霊とまことを持って礼拝をささげる人は、造られた目的通りに生きている人で、礼拝をしていない人は、神の目的に反する生活を送っていることになります。


そのような礼拝では、神に喜ばれるはずがありません。


ダビデは素晴らしい礼拝者として生涯を送りました。

神は、ダビデに対して 主のみこころにかなう人だと言われ、素晴らしい礼拝者でした。


真の礼拝者になるためには、このことを心掛けないといけないです。


【第1コリント10章31節】

こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。

私たちに救いと希望を与えて下さった神に 栄光と感謝をささげることは当然です。


【ヘブル13章15-16節】

ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。

善を行うことと、持ち物を人に分けることとを怠ってはいけません。神はこのようないけにえを喜ばれるからです。

【第1歴代誌16章36節】

ほむべきかな。イスラエルの神、主。とこしえから、とこしえまで。それから、すべての民はアーメンと言い、主をほめたたえた。

神をほめたたえるのはとこしえまでです。


ダビデの賛歌に対して、民は “アーメン” と ほめたたえました。


“アーメン” は、他の人のことばに同意する時、また その人の人格に対する信頼の表現です。

祈りのことばや賛美に対して「まことにその通りです。」と同意するのが、“アーメン” です。


ダビデは幕屋でいつも礼拝がささげられるようにして、神に栄光をささげました。



信仰のない悪い王が登場すると、神への礼拝がないがしろにされ 国全体が堕落していきました。

しかし信仰の良い王が登場すると、まず初めに 神への礼拝が回復しました。


真の礼拝者たちは たましいが豊かに祝福されますし、礼拝の中でも いつも恵まれます。


礼拝をささげても、恵みも喜びも感じないならば、礼拝態度が良くないからです。

信仰をもって主を覚えて感謝し、主をほめたたえるならば 恵まれないわけがないです。


主は 今も真の礼拝者を探しています。
アーメン (・∀・)つ


2018.1.21
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

鷲が翼をかって上るように

テーマは 『 鷲が翼をかって上るように 』 です

【イザヤ書40章28-31節】

あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。

疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。

若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。

しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。

上って行く人生もあれば、下って行く人生もあります。

人間 誰もが上って行く人生は願っても、下って行く人生は望んでいないと思います。


上って行く人生は、繁栄していく人生ですから素晴らしい人生です。


主を信じる人に、主が願うことは何でしょうか?

本文にあるように、鷲のように翼をかって高く上って行く人生です。


永遠の神、力ある神、創造主である神を信じながら、下って行く人生はありえないからです。


しかし神を信じながらも 上って行く人生ではなく、翼を広げたこともなく 下って行く人生を生きるならば、それは聖霊を悲しませる行為であり、主の元に帰ることも出来ないです。



上って行く人生とは、“すべてが思いのまま うまくいく人生” と思ってはいけないです。

イエス様は次のように語りました。


【ルカの福音書9章25節】

人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。

富、名誉、権力、知恵など 欲しいものすべてを手に入れた人を成功者と言いますし、上って行く人生だと思っています。



しかし主の思いと人間の思いはまったく違います。


すべてを手に入れても神なしに生きる人、まことのいのちがない人は下って行く人生です。


上って行く人生は、神への望みを抱いて、いのちの翼をかって上って行きます。



その人たちの価値観、生きる意味、優先順位は世の人とは違います。


【ピリピ3章20-21節】

けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。

キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

自分の国籍が天にあること、自分は神の民であること、そして天国が、自分が住むべき所、いつか帰る家であることを自覚して生きています。


口を開くと天国の話をします。

心がこの地上ではなく、上(天)にあります。

そのような人の体は 地上にあっても、心はこの世にありません。






神はその人たちを鷲が翼をかって上ることが出来るように訓練します。


いくら気持ちがあっても、翼があっても、訓練をしないと飛ぶことは出来ません。

翼に力と生命力がないと飛べないです。


ですから神は ご自分の子たちが高く飛べるように、鷲がひなを訓練するように「訓練する」と、はっきり語りました。

次の箇所で、神はイスラエルの民への訓練を鷲のひなの訓練に例えました。


【申命記32章10-11節】

主は荒野で、獣のほえる荒地で彼を見つけ、これをいだき、世話をして、ご自分のひとみのように、これを守られた。

鷲が巣のひなを呼びさまし、そのひなの上を舞いかけり、翼を広げてこれを取り、羽に載せて行くように。

鷲はひなのために柔らかい快適な巣を作ります。

ひなが安心出来る場所を作り、えさを与え、敵からもしっかり守ります。


しかし、しばらくすると巣を荒らします。

ひなにとっては大試練です。

何が起こるかわからない不安だけがあります。


いつまでも居心地の良い場所にいると思ったのに、とんでもないことが起こります。

親鷲は巣を壊し、ひなをそこからつき落とします。


ひなは羽があっても 羽に力がないので、うまく飛ぶことが出来ず真っ逆さまに落ちて行きます。

死の恐怖です。



見守る親鷲は、ひなが岩に当たることがないように すばやく羽を広げて、ひなを載せて高く舞い上がります。

そのように繰り返しひなを訓練します。

訓練によって、ひなは自力で空を飛ぶことが出来ます。


高く飛ぶように、広い世界で生きるように造られてありますので訓練によってそれが出来るようになります。






神の民は、上って行く人生を生きるように召された者です。

堕落した地上を離れ、天に向かって上って行く人生を生きなければなりません。


そのため、神は召された者を必ず訓練します。


【申命記8章5節】

あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを、知らなければならない。

【ヘブル12章5-11節】

そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。

主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」

訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。

もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。

さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。

なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。

すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。

訓練によって失うものは一つもなく、むしろ得るものが多いです。

平安の義の実が結ばれます。


【ローマ5章3-5節】

そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、

忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。

“神を信じているのに どうして患難ばかり多いのか” と思っていますか?

神が自分を訓練しているとは思いませんか?


忍耐は祝福から生み出されるものではなく、患難の中で生み出されます。

品性は忍耐の中で生み出されます。


そして希望は練られた品性によって生み出されます。

この希望は天国への希望、永遠への希望です。


主に早く会いたいという希望です。その希望が魂の翼に生命力を与えます。


希望のない人は上ることが出来ないです。


この希望によって、迫害の中でも聖徒たちは平安と喜びに満たされて 神を賛美することが出来ました。


心は縛られることなく、翼をかって神の所に上り、神と交わりました。


神はたましいの翼に力をつけるために訓練をします。

訓練によって翼に力が出てきます。


そして、永遠の希望をもって 天に向かって上って行く人生を生きるようになります。


みなさんの翼にさらに力が与えられますように。
アーメン v( ̄∇ ̄)v


2018.1.14
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

毎日、テーマに沿って学ぶことができます!
bible66のブログ

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

聖書を理解しやすい訳で!
みことばサプリ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

プロフィール

ヤエクリ

アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

(^^) からし種 に投票してね
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ