からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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今は終わりの時代、目を覚まして用心していなさい

テーマは 『 今は終わりの時代、目を覚まして用心していなさい 』 です

【マタイの福音書24章35ー44節】

この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。

ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。

人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。

洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。

そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。

そのとき、畑にふたりいると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。

ふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。

だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。

しかし、このことは知っておきなさい。家の主人は、どろぼうが夜の何時に来ると知っていたら、目を見張っていたでしょうし、また、おめおめと自分の家に押し入られはしなかったでしょう。

だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。

主が再臨するその日、その時に関して私たちは知らなくても良いです。


なぜなら はっきりとその時、その日は教えられていないからです。



しかし 主が明確にしたのは、主は思いがけない時に来られると言われたことです。


主の再臨を信じて心からその日を待ち望んでいますか?


【マルコの福音書13章32節】

ただしその日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。

【第1テサロニケ5章1ー2節】

兄弟たち。それらがいつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません。

主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知しているからです。

【第2ペテロ3章10節】

しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。

主の日が来る時まで、人々は何が起こるかも知らないで、普段通りの生活をしていると思います。


結婚し、仕事に出かけ、食べたり飲んだりと、いつもの生活をしています。

それ自体が悪いことではありません。


ただ、それらのことばかりに没頭して、神に対しては無関心であることが問題です。



神は世界を造り、それを動かし、そして計画を立てています。

どれほどの人がそのことに関心があるでしょうか?


まるで神が存在しないかのように無視しながら無関心でありますが、神は みことばを送って世界に対して、これから何をなさるかを教えています。


それを聞かないならば 何の準備も出来ず、ある日突然 世界の終わりを迎えてしまいます。


神のことばに関心もなく、魂が眠っている人々に、主は目を覚ますように警告を送っています。



【マタイの福音書24章42節】

だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。

【マタイの福音書25章13節】

だから、目をさましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないからです。

【マルコの福音書13章37節】

わたしがあなたがたに話していることは、すべての人に言っているのです。目をさましていなさい。

【ルカの福音書21章36節】

しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。

【コロサイ4章2節】

目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。

主は語った通りに必ず来られます。

準備して待つ者は幸いです。
ヽ(TдT)ノ


2017.5.21
聖日礼拝メッセージ

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自分を捨てる者の義務

テーマは 『 自分を捨てる者の義務 』 です

【マタイの福音書16章24節】

それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

主 (イエス・キリスト) について行きたいけど、自分を捨てることが どういうことか分からないという聖徒も多いです。


今回は、自分を捨てる者の義務について伝えます。




1.世の心配を捨てる


【マタイの福音書6章25ー34節】

だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。

空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。

あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。

なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。

しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。

きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。

そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。

こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。

だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。



2.自分の思いよりも、主の思いを優先する


【ルカの福音書14章26ー27節】

「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません。

自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。



3.放蕩に走らないように気をつける


【ルカの福音書21章34節】

あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに望むことのないように、よく気をつけていなさい。



4.兄弟のつまずきになるようなことはしない


【ローマ14章21節】

肉を食べず、ぶどう酒を飲まず、そのほか兄弟のつまずきになることをしないのは良いことなのです。



5.信仰の弱い者のために自分の行動を自制する


【ローマ15章1節】

私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。



6.他人の利益に心がける


【第1コリント10章24節】

たれでも、自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけなさい。



7.肉の欲を取り除く


【ガラテヤ5章24節】

キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。



8.情欲によって滅びていく古い人を脱ぎ捨てること


【エペソ4章22節】

その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、




9.たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざける


【第1ペテロ2章11節】

愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。



10.罪の生活から離れる


【ローマ6章6ー7節】

私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。

死んでしまった者は、罪から解放されているのです。

(。・ω・)ノ゙ アーメン

2017.5.14
聖日礼拝メッセージ

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携挙は必ず起こる

テーマは 『 携挙は必ず起こる 』 です

【第1テサロニケ4章15-17節】

私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。

主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、

次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。



携挙とは何か




携挙とは、イエス・キリストが空中再臨する時に、主にあって死んだ人たちが まず よみがえり、次に主を信じ、主を迎える準備が出来ている人々が たちまち朽ちない姿に変えられて 雲の中に一挙に引き上げられ 空中で主と会うことです。


携挙は、理性的には理解が出来ない、超自然的な現象で、神の主権による奇跡とも言えます。


携挙は、これから起こるもっとも重要な預言の一つです。


信じない人は、こういうことが起こることすら分からないと思います。

主の他の預言がすべて成就したように、この預言も成就します。




旧約で見る 携挙のように
死を見なかった二人




≪ エノク ≫

【創世記5章23-24節】

エノクの一生は三百六十五年であった。エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。

≪ エリヤ ≫

【第2列王記2章11-12節】

こうして、彼らがなお進みながら話していると、なんと、一台の火の戦車と火の馬とが現れ、このふたりの間を分け隔て、エリヤは、たつまきに乗って天へ上って行った。

エリシャはこれを見て、「わが父。わが父。イスラエルの戦車と騎兵たち」と叫んでいたが、彼はもう見えなかった。そこで、彼は自分の着物をつかみ、それを二つに引き裂いた。



携挙が起こる時期




携挙の前に起こると預言されたことは、ほとんど起こってありますので、いつ携挙があっても不思議ではない時代に いま私たちは生きています。


主は携挙の日に対しては はっきりとは言われませんでしたが、次のように語って下さいました。


【マタイの福音書24章42-44節】

だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。

しかし、このことは知っておきなさい。家の主人は、どろぼうが夜の何時に来ると知っていたら、目を見張っていたでしょうし、また、おめおめと自分の家に押し入れられはしなかったでしょう。

だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。



携挙が起こる時期の三つの見解




携挙の時期に対しては 三つの見解がありますが、それは世の終末にある7年患難の時に焦点を合わせて、患難前、患難の前期、患難の後期と分かれてありますが、いまもっとも携挙の時期と有力であるのは患難前です。

7年患難の預言は ダニエル書 に書かれています。


【ダニエル書9章27節】

彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半周の間、いけにえとささげ物とをやめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現れる。ついに、定められた絶滅が荒らす者の上にふりかかる。」

1週とは7年間を意味します。

7年患難の間に起こることは 反キリストの出現、反キリストとイスラエルが特別な平和契約を結びます。


そしてイスラエルは史上最大の繁栄と平和の時代を迎えます。

その間に第三神殿が再建します。

この時期に 黙示録11章にある二人の証人が活動します。


しかし前半の3年半が過ぎた時に、反キリストはイスラエルとの特別契約を破棄します。


そして世界の宗教を統一し、自分以外のものを崇拝することを禁じ、それに従わない者への大迫害と殺害が始まります。


そして世界の最終戦争も起こります。

この時の患難に対して主のことばがあります。


【マタイの福音書24章21-22節】

そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。

もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。



携挙のための準備




主のことばのように目を覚まして、その日のためにキリストの花嫁として準備することです。


マタイの福音書25章には 花嫁として準備出来た人と、準備出来なかった人がいました。

準備出来なかった人は、キリストを迎えることが出来ませんでした。


【第2ペテロ3章10-11節】

しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。

このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。

【第2ペテロ3章14節】

そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。

主は信じる者たちを迎えに来ると約束しました。

それを信じる人は その日を待ち望んでいます。


耐えられないほどの患難の中で主を信じることは とても難しいです。


携挙される者になるように努力する方が ずっと簡単です。


主のことばのように、目を覚まして 花嫁の支度をしていきましょう。
.。゚+.(・∀・)゚+.゚

2017.4.23
聖日礼拝メッセージ

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人生の台本

テーマは 『 人生の台本 』 です

ハレルヤ。

今日も聖霊に満たされますように祈ります。


人生には台本がありません。

人生ほど先が読めないものはありません。

ですから、ドラマチックでもあります。


聖書にはドラマよりも面白い ある人たちの人生が書かれてあります。


【第2列王記7章3-4節】

さて、四人のツァラアトに冒された人が、町の門の入口にいた。彼らは互いに言った。「私たちはどうして死ぬまでここにすわっていなければならないのだろうか。

たとい、私たちが町に入ろうと言っても、町はききんなので、私たちはそこで死ななければならない。ここにすわっていても死んでしまう。さあ今、アラムの陣営に入り込もう。もし彼らが私たちを生かしてくれるなら、私たちは生きのびられる。もし殺すなら、そのときは死ぬまでのことだ。」

当時、ライ病人は、町の中に住むことが許されず、町の外に隔離されて生活していました。

普通に生きることができず、社会から疎外されていました。


しかし、神様は彼らを使ってアラムに包囲され、そのためひどい飢饉が町を襲い、飢え死するしか道が残されていなかったユダヤ人たちに勝利の知らせを伝える者にしました。

四人のライ病人たちは、どうせ死ぬ運命だから、祖国を裏切り、アラムの軍隊に降伏するために行きました。


神様は自分の力をあきらめ、神の前に完全に降伏する人たちに恵みを与えた話が聖書に色々と出てきます。

しかし、それが終わりではなく、救い出した人たちを神の働き人として用いてくださいました。


ライ病人がしたことといえば、とにかく生きるために その道を探っただけでした。

何一つ持っていないライ病人として選択できる道は降伏することしかなく、彼らはその道を選びました。


しかし、何が起こったでしょうか?

アラム軍隊の耳には、彼らの歩く音がまるで戦車の響き、馬のいななき、大軍勢の騒ぎのように聞こえたので、彼らは恐れて何もかも捨てて逃げていきました。


ライ病人たちは何が起こったかも知らず、アラムの陣営に行って、驚く光景を目にしました。彼らはお腹いっぱいに食べ、この良い知らせをユダヤ人にも伝えました。


これは誰一人想像することすら出来ない 神の不思議な方法でした。

この方法に用いられた人たちは、霊的な人でも 特別な力がある人でもなかったことが、私たちに慰めを与えます。


アラムの軍隊も ライ病人たちも普段通りにやっていたでしょう。

しかし、神のドラマに動員された人たちは、何も分からず その役割を立派にこなしていました。


私たちの人生も、台本を事前にもらって演技をするドラマとは違って、次の場面がどのように進行されていくのか まったく分かりません。

ですから、人生に神の演出という信仰がないと、不安に絡まれてしまいます。


私たちが信じなければならないのは、神のドラマは私たちが想像すらできない神の方法で進みますが、次の箇所にあるように信じなければなりません。


【ローマ8章28節】

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

それを悟る人は患難の中でも、希望をもって感謝し 喜ぶことが出来ます。

神のドラマで、自分がどのような役割をするのか知る必要もありません。

事前に知ったら面白くないです。


ただ自分の役割に忠実であれば良いです。

神が演出する人生には、“失敗” という結末がないことを確信しながら、日々忠実な者になりましょう。
(*´Д`*)

2016.2.22
3分テレフォンメッセージ

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騒がしい世の中を見て思うこと

テーマは 『 騒がしい世の中を見て思うこと 』 です

【アモス書5章22-24節】

たとい、あなたがたが全焼のいけにえや、穀物のささげ物をわたしにささげても、わたしはこれを喜ばない。あなたがたの肥えた家畜の和解のいけにえにも、目もくれない。

あなたがたの歌の騒ぎを、わたしから遠ざけよ。わたしはあなたがたの琴の音を聞きたくない。

公義を水のように、正義をいつも水の流れる川のように、流れさせよ。

世の中がとても騒がしいです。

アメリカでは選挙の時も選挙が終わった後も、国民が騒ぎ出しています。


各地で暴動化しています。

それぞれ 今まで溜まっていた怒りやうっぷん、心配、無力感など様々な感情が一気に表面化してきました。


韓国でも昨夜100万人の人たちがデモを行いました。

そして、そのデモに対して「朴大統領はそこまで悪くない。」と反対する人たちもデモを行っていました。


同じ人間同士ですが、人間の考えは両極端です。


右翼と左翼、悪魔と天使、保守派とリベラル派、自由貿易と保護貿易など両極端を 時計の振り子のように行ったり来たりしています。


そして互いに激しくぶつかり合っています。

みんな自分の考えが正しいと思って、反対の意見に対しては激しく反発し、怒りをぶつけています。


これは今に始まったことではなく、昔からあることです。

それによって内戦が起こったり、戦争が起こったりします。


こうなると人々は戦いながらも、すごく不安を感じます。

社会が不安定になり、秩序が壊れることは、人々にとって とてもこわいことです。


それを狙って悪を働く者や自分の欲望を満たそうとする者が必ず出て来るからです。


アメリカと韓国は今とても揺れています。

韓国は現役の大統領に対して、“辞めろ” と連日デモが起こり、アメリカでは新しく大統領になったトランプに対して、彼を大統領として認めたくない人々が絶望的になってデモを行っていますし、トランプの支持者たちも 色々と過激的になっていて、いつまでこれらの状態が続くかわからない状態です。






わたしたちクリスチャンは、これらの状態をどのように見るべきでしょうか。


クリスチャンは肉の思いと肉の目だけで物事を判断してはいけないです。
それをすると、肝心な神様の計画とみこころを見ることが出来なくなります。


私たちが肉の思いに流されることを一番期待し喜ぶのはサタンです。


神様は、どんな状況の中でも 私たちが “神の目” で見ることを期待します。


世の中がどんなに両極端に分かれていても、神様は右にも左にもそれることなく 真理の道を歩きます。

それが人間とはまったく違います。


人間は都合によって、感情によって、また他人の意見や惑わしによって、いつでも手のひらを返すように心を変える信頼出来ない生き物です。


ですから人間がまともに生きようとするならば 主を恐れ、主のことばに従って歩むことです。


これ以外に道はありません。

歴史の審判者は、“神” であって 人間ではありません。


みんながまるで裁判官のように裁き合っていますが、それが正しいかどうかの判断は誰がしますか?

そこでも判断が分かれていきます。


このような人間の姿を見て、神が語るメッセージは何でしょうか?


【アモス5章24節】

公義を水のように、正義をいつも水の流れる川のように、流れさせよ。

公義と正義は神のことばです。

真理を行えば、右にも左にもそれることなく まっすぐに歩くことが出来ます。


まっすぐの道こそが公義であり、正義です。


【アモス書5章14-15節】

善を求めよ。悪を求めるな。そうすれば、あなたがたは生き、あなたがたが言うように、万軍の神、主が、あなたがたとともにおられよう。

悪を憎み、善を愛し、門で正しいさばきをせよ。もしや、ヨセフの残りの者をあわれまれるかもしれない。

人間は善人に見え、善を愛するように見えても、心の中を覗いてみると、神が語った次のような姿です。


【創世記6章5節】

主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。

【エレミヤ書17章9-10節】

人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。

わたし、主が心を探り、思いを調べ、それぞれの生き方により、行いの結ぶ実によって報いる。






みなさんはこの言葉に反論できますか?

私の心には悪がないと――。


私は反論できません。なぜなら神が言われる通りの者だからです。

自分の中に いつも悪い思いがあることを知っています。


環境が悪いとか 人が悪いとか言う前に、自分自身が腐敗していることに まず気づかないといけないです。


そこで必要なのが、真理の道を歩まず脇道にそれて生きている自分の生き方を、まず悔い改めることです。


曲がった道にいながら、いくら正義と公義を叫んでも それはむなしいことばであり、それ自体が悪です。



自分の思い、主張、生き方が神の言葉に沿っているかどうかを、まず調べるのが先だと思います。


そして自分が真理の中にいるならば主張しても良いと思います。

また、公義と正義を行う生き方をするためには、次の聖書の言葉から学ぶ必要があります。

イエス様に対する預言のことばですが、そこに私たちが学ぶべき姿があります。


【イザヤ書11章1-5節】

エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。

その上に、主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。

この方は主を恐れることを喜び、その目の見るところによってさばかず、その耳の聞くところによって判決を下さず、

正義をもって寄るべのない者をさばき、公正をもって国の貧しい者のために判決を下し、口のむちで国を打ち、くちびるの息で悪者を殺す。

正義はその腰の帯となり、真実は胴の帯となる。

公義と真実を 帯として身に着けて初めて その力を発揮することが出来ます。


そういうものを持たない者が騒ぎ出すと国々は滅びていきます。

特に政治家たちはこれを備えていないといけないです。


すべての権力は、神がそれを使って 国と国民のために使うように与えているのに、それを自分の利益、また特定の人の利益のために使うことはとんでもないことです。


ですからその人たちも、そういう利益を捨てて主を恐れ、主のことばに従う時に 主の助けと恵みを受けるようになるでしょう。

そして一般市民に必要なものは、次のみことばです。


【ローマ12章16節】

互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。

このように主のことばに立ち返り、自分がいま何をすべきかを わきまえて行っていくならば、平和の主が共にいて下さいます。


闇の力はどんどん人々の心に憎しみ、怒り、敵対心を入れて争うように仕向けますが、それに惑わされて悪の流れに流されてはいけないです。


ソドムとゴモラの町は、正しい者10人がいなかったために 主の裁きを受けて滅ぼされました。


罪から立ち返り、公義と正義、真実の心をもって行い、世界のため、人々のために祈る人が主の目には正しい者に映ります。

こういう姿に私たちがなることを主は願っています。


非難し傷つけ合うと ますます悪に陥るだけです。

このような時代を主のことばの知恵によって乗り越えていきたいと願います。
(*・ω・)ノ

2016.11.13
聖日礼拝メッセージ

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信仰が成長しない理由

テーマは 『 信仰が成長しない理由 』 です

【ヘブル5章12節】

あなたがたは年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神のことばの初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要があるのです。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要とするようになっています。

みなさんは(イエス様を)信じてから何年経ちましたか。

もし5年ならば 5年分成長しましたか?


もし一年に1回聖書を読むとしたら、5回は読みましたか。

5年間礼拝は何回参加しましたか。


1年は52週ありますから、5年ならば260回です。

260回メッセージを聞いて人生に変化がありましたか?
成長しましたか。

神様と親しくなりましたか?


もし信じて20年経つならば、これの4倍になります。

人は20年生きると成人として認められます。


信仰歴20年ならば、信仰成長も大人になっていないといけないですね。


しかし 残念ながら、信仰の成長が1歳、2歳で止まったようなクリスチャンがあまりにも多いのが問題です。


最近そのような姿を見て、私自身がすごく危機感を感じています。

不安になり悲しくなります。


「それで良いの?天国に行けるの?それでは無理でしょう。本当に危ないですよ。」 と言いたくなる人たちが多いです。

しかしその人たちからは まったく危機感が感じられないです。


神を喜ばせるのも、神の国に入るのも “信仰なし”には出来ません。


信仰の年数からして、教師になっていないといけない人が、今 入学したばかりの子どものようであると言われることは恥ずかしいことです。

なぜ何年経っても信仰が成長しないままですか?


今回は、その理由を学びたいと思います。




・信仰生活に無関心




信じた後でも、信仰生活に無関心な人は 信仰生活を“宗教活動“ と思っています。


暇があれば、また 問題があれば教会に行くだけです。

信仰生活が自分のいのちが懸かった生活とは思わないで、他の宗教と同じ感覚で関わっています。


神を愛し、神を求め、神に従うことは考えないので、神との関係がとても希薄です。


神を信じ 信頼しているよりは、“知っている程度” で終わっている人も多いです。


その姿は はっきり言って、まだ回心してない状態です。

すなわち、救われた とは言えないです。


生まれた赤ちゃんがお母さんの乳を求めないでしょうか。

必死に求めて泣き続けます。
そして毎日乳を飲んで成長していきます。

生まれて生きているならば、それは当然の姿です。


信じて救われた人は、霊的に新しく生まれた人です。

生まれ変わった人が神を求めず、神の言葉を食べずに生きていけますか?


神と共に生きる信仰生活に無関心でおられるでしょうか。
それは出来ないです。


神の救いの恵みを受け、生まれ変わった人は、神を愛して神を求めますし、みことばを求めますし、祈りますし、教会にも行きたくなります。


それがないならば、自分が本当に救われたかどうかを確かめてほしいです。

上にあるものを求めずには霊の人は生きることが出来ません。


また初めは関心があったのに、だんだん信仰に無関心になった人は 恵みから落ちた状態です。

“救われたから天国には行ける” と思って適当に信仰生活をします。


みことばも食べず、祈りもせず、礼拝や交わりも “気分次第” ならば、どんどん恵みから離れ、信仰は弱くなり、成長が止まり やがて死んだ信仰になります。


神を愛しているならば、こんな状態にはなれません。


神を愛する心がない人は、信仰生活に対しても無関心になります。

無関心は愛がない状態です。


このような人は悔い改めて初めの愛を回復しないといけないです。

神の恵みを思い出して、その恵みの中に戻らないといけないです。




・肉的なことが優先




霊的なことに関心があり 求める人は、神の国とその義とをまず第一に求めます。


しかし肉的なことが優先な人は、常に肉的なことを考えます。


【ローマ8章5節】

肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。

【ローマ8章8節】

肉にある者は神を喜ばせることができません。

いつも 何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、どうやって楽しむかばかりを考える人、また 人のことばかり考える人、また お金を愛する人、快楽を愛する人など 肉的なことが優先でそれに心も時間も注いでいる人は信仰が成長しません。


その人たちはあらゆる誘惑に遭い、結局は世を愛して信仰から離れて行きます。

教会に通っても肉的なことを優先にする人は、決して神が1番にはなれないです。


その人たちは神様のことも “自分の欲望” のために利用します。

祝福してくれないと文句を言って神を侮辱します。


祈りをしても自分の必要しか求めません。


神の言葉を聞いても実践せず、自分の肉の思いのまま生きているので、いつまでも信仰が幼子のままで成長しません。


肉の思いをみことばで打ちたたいて従わせないと、肉の人のままで、肉から死を刈り取ります。

それで いのちを得ることはありません。


霊から始まり、肉で終わらないようにしなければなりません。




・悔い改めない




信仰生活で悔い改めはとても大切です。


救われたならば 悔い改める必要がないと教える教団や先生がいますが、はたしてそれが正しいでしょうか?

それは間違いです。


悔い改めは死ぬ時までしなければならないです。


イエス様が福音を伝え始めた時に語った言葉が「悔い改めなさい」でした。


“信じなさい” ではなく “悔い改めなさい” でした。


悔い改めなしに救いは もちろん無いです。

悔い改めは罪を捨てることです。
罪から立ち返り、罪から離れることです。


聖書には、「イエス様が過去、現在、未来の罪までも赦して下さったから、悔い改めは最初の1回で終わりだから、後は悔い改める必要がない」 とは書いていないです。

ヨハネの黙示録に、神様が教会に送った手紙にも何度も “悔い改めなさい” という警告が出てきます。

“救われたから何をしても天国に入れる” という発想は捨てた方が良いです。


天国は、汚れた人は入れません。
罪をいっぱい持っている人は入れません。


一度 綺麗に洗っただけで、汚れが2度とつかないでしょうか?

そんなことはありません。汚れは必ずつきます。

ですから再び洗う必要があります。

悔い改めることもその理由です。


しかし罪を愛する人たちは、罪から離れるのが簡単ではないので悔い改めることをせず、自らをごまかしながら「神は愛だから一度救われた者を見捨てるわけがない。」と神を軽く見て、神をバカにしています。


神が罪をどれほど忌み嫌っているかを知らないといけないです。

悔い改めないことは罪を愛する姿です。


それは神を恐れない姿であり、御言葉に逆らう姿です。

罪の中にとどまっているので 信仰が成長することなく、反対に信仰は形だけになってしまいます。




・かたくなな心




この心は みことばを受け入れない心で、自分の考えが何よりも優先です。

神のことばを聞いても悟りを受け入れるのではなく、自分の知識や経験、思いで判断してみことばを退けます。


ですから当然みことばに従順することが出来なくなります。

聞く耳がないので、聞いても聞いてもみことばで成長することがありません。


こういう人は何十年間 教会に通っても疑いと不信仰があるので成長が出来ていないです。


かたくなな人は、自分が1番で高慢なので 真剣に神を知ろうとも思わないですし、学ぶ姿勢もないです。

聞いても心の中で神のことばをさばきます。

自分の思いや考えが神のことばより常に上に立ってあります。


神が恵みを流しても受けることが出来ません。

恵みは上から流れるので、低い所に立っていないと受けることが出来ません。


ですから、低い所にいる謙遜な人が恵みを受けます。


成長は恵みによりますので謙遜な人は恵みの中でどんどん成長しますが、高慢な人は恵みがないので成長出来ません。




・怠慢




成長したい思いはありますが、怠けているので、成長のための努力がないです。

いつも「聖書を読まなければ、祈らなければ、成長しなければ、奉仕もしなければ、何とかしなければ」と “いつもしなければ” と悩んでいますが、結局は「面倒くさい、しんどい、今はしたくない、明日からしよう」と常に言い訳して、後回しにして何もしないです。

このようなタイプもとても多いです。


成長している人を見て“うらやましい” と思いながらも、自分では何もしないです。

何もしない人は成長出来る材料がないので成長が出来ないです。


聖書は「働きたくない者は食べるな」と言われました。

神様は怠け者のことを悪い者と呼んでいます。


それは神の使命も働きもないがしろにするからです。

何もしないで神の恵みを無駄にするので神に嫌われます。


神様は霊に燃えて熱心になるように命じておられます。


私たちの信仰が成長して良い実を結ぶことによって神は栄光を受けますし、私たちは良い恵みと救いを受けて神の国に入ることが出来ます。


救われたならば 自分のために生きるのではなく、神のために生きることが義務です。

成長も義務です。
成長しなくて良いとは神様は語ったことがありません。


反対にキリストの満ち満ちた身丈にまで達するように言われました。

主の再臨が近づいています。


今 成長しないと、いつ成長しますか。

このことをないがしろにすると必ず後悔する時がきます。
ヽ(TдT)ノ

2016.4.10
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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私のたましいが神を待ち望む理由

テーマは 『 私のたましいが神を待ち望む理由 』 です

【詩篇62編1-12節】

私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。

神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私は決して、ゆるがされない。

おまえたちは、いつまでひとりの人を襲うのか。おまえたちはこぞって打ち殺そうとしている。あたかも、傾いた城壁が、ぐらつく石垣のように。

まことに、彼らは彼を高い地位から突き落とそうとたくらんでいる。彼らは偽りを好み、口では祝福し、心の中ではのろう。

私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ。

神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私はゆるがされることはない。

私の救いと、私の栄光は、神にかかっている。私の力の岩と避け所は、神のうちにある。

民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。

まことに、身分の低い人々は、むなしく、高い人々は、偽りだ。はかりにかけると、彼らは上に上がる。彼らを合わせても、息より軽い。

圧政にたよるな。略奪にむなしい望みをかけるな。富はふえても、それに心を留めるな。

神は、一度告げられた。二度、私はそれを聞いた。力は、神のものであることを。

主よ。恵みも、あなたのものです。あなたは、そのしわざに応じて、人に報いられます。

2月5日、熱海発大島行きの高速ジェット船が クジラと衝突し、海上を漂流していましたが、海上保安部の巡視船が救助に向かって彼らを助けました。


74人が乗っていましたが、全員無事に助けることが出来ました。

クジラとぶつかって船がダメージを受けて漂流し始めましたが すぐに助けを求めたので助かりました。


最近ギリシャのエーゲ海では難民船が次々と漂流したり、沈んだりして多くの人々がいのちを落としています。


彼らがいのちを落としたのは、漂流しても助けを求めるところがなかったからです。

ですから、船に1つでも問題が起きてしまうと 助かることもなく、悲惨な結果に繋がってしまいます。
とても気の毒です。


助けを求めるところがあれば、多くの人が助かったと思います。


それを見ても、助けを求めるところがあるのと ないのとでは天と地ほどの差があります。

それで生死が決まってしまいます。


人生の海上で漂っている時に、助けを求めるところがある人は 本当に幸いです。


本文は、助けを求める所があったダビデの告白です。


助けを求めた後は、助けが来るまで じっと待つ姿が見られます。

これこそ神にすべてをゆだねている姿です。


さらにダビデは、自分がなぜ黙って、ただ神を待ち望むかについて語っています。




・すべての救いは 自分が待ち望む神から来る




この救いは、自分のいのちを狙う者からの救いはもちろん、たましいの救い、絶望からの救い、悪者からの救い、苦しみや患難からの救い、病気や痛みからの救いなども含まれた “すべての救い” です。


私たちが信じる神は “唯一の救い主” であるからです。


世界にはたくさんの宗教があり、「それぞれに救いがある」 と言いますが、まことの救いは、イエス様から来ることを知らないといけないです。


【使徒の働き4章12節】

この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、 私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」

主は私たちの救い主です。

ですから苦しみに会った時には、人間的な方法や思いで救いを得ようとするのではなく、初めから絶対的な信頼を この神に置いて神に助けを求めることです。


これが救われる一番の近道です。

神様にすべての状況を話して 神の助けが来るまで神を待ち望むことです。


この詩篇を書いたダビデも、そのようにしていつも救い出されました。


彼は 救いを神に求めた後は、自分の信仰を次のように告白しながら保っていました。


【詩篇62編1-2節】

私の救いは神から来る。

神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私は決して、ゆるがされない。



・すべての望みは 自分が待ち望む神にある




人間には様々な希望があります。

救いへの希望もあれば、叶えたい夢もあります。


しかし、人間の欲望が入った希望は むなしく終わることが多いです。


世にあるすべてのものを欲しいままに手に入れ、欲望をすべて満たしたソロモン王が告白したことばを聞いてみましょう。


【伝道者の書で1章14節】

私は、日の下で行われたすべてのわざを見たが、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。

欲望から出た人間的な望みは消えて行くものです。

自分の欲望によって 永遠の喜びと満足を与えることはないですが、聖徒が持っている望みは それとは違います。


聖徒にある “望み” とはなんでしょうか?


【箴言10章28節】

正しい者の望みは喜びであり、悪者の期待は消えうせる。

これは、消えることのない喜びです。


【箴言14章32節】

悪者は自分の悪によって打ち倒され、正しい者は、自分の死の中にものがれ場がある。

正しい者は、たとえ死の瞬間でも 神に信頼しているので、永遠のいのちへの希望があります。

“死者の復活” という望みがあります。


この望みほど素晴らしい望みはありません。

これは神の恵みによって与えられる望みです。


【詩篇62編7節】

私の救いと、私の栄光は、神にかかっている。私の力の岩と避け所は、神のうちにある。

この言葉は 私が辛かった時や、死にそうだった時、そして先が見えなかった時に、本当に力と希望を与えたことばでした。


よく このみことばを告白していました。

望みを抱いて忍耐しました。


他にも支えになったことばがあるので紹介します。


【詩篇68編19節】

ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。

【詩篇118編17節】

私は死ぬことなく、かえって生き、そして主のわざを語りつげよう。

【ローマ5章5節】

この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

これらのことばを信じ、望みを持って神を待ち望みました。

そして大変な時期を乗り越えました。


ダビデ自身 いつもそのように助け出されました。


【詩篇62編8節】

民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。

このように勧めています。




・神が一番安全な避け所であるから神をただ待ち望む




これから起こるかも知れない人生の苦難や嵐のための避け所を 必死で造ろうとするのが人間ですね。


財産、人間関係、地位など色々あります。


“それさえあれば助かる、何とかなる” と思いながら頼ります。

しかしそれは不完全であるので、一時的な避け所に過ぎません。


私たちには、安全で決して揺るがされない避け所が必要です。


神の中ほど安全な避け所はありません。


【詩篇63編7-8節】

あなたは私の助けでした。御翼の陰で、私は喜び歌います。

私のたましいは、あなたにすがり、あなたの右の手は、私をささえてくださいます。

これは、彼がユダの荒野にいた時の告白ですが、避け所である神の中にいる姿です。


神に仕えていたすべての信仰の人たちも苦しみや迫害の中で似たような告白をしました。



【イザヤ書25章4節】

あなたは弱っている者のとりで、貧しい者の悩みのときのとりで、あらしのときの避け所、暑さを避ける陰となられたからです。横暴な者たちの息は、壁に吹きつけるあらしのようだからです。

【エレミヤ書17章17節】

私を恐れさせないでください。あなたは、わざわいの日の、私の身の避け所です。

“神を 自分の一番安全な避け所” と思う聖徒になりましょう。


神に向かって人生の航路を固定しましょう。


なぜなら、神様だけが 私たちの人生に救いを与え、望みを与え、安全な避け所であるからです。


たとえ嵐にぶつかることがあっても主が助けて下さいます。



【詩篇107編27-31節】

彼らは酔った人のようによろめき、ふらついて分別が乱れた。

この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から連れ出された。

主があらしを静めると、波はないだ。

波がないだので彼らは喜んだ。そして主は、彼らをその望む港に導かれた。

彼らは、主の恵みと、人の子らへの奇しいわざを主に感謝せよ。

(・∀・) アーメン

2016.2.7
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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キリストとの交わり

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ジョン・チャールズ・ライルは、19世紀イギリスで チャールズ・スポルジョンと共に清教徒の霊性を持った立派な牧師でした。

その当時のイギリスでは、洗礼を受け、教会に登録するだけで生まれ変わった人、天国の民になったと認めていたので、ライルは天から落ちた爆弾のような存在でした。


なぜならば、彼は福音の教理を絶対に曲げずに、いつも正しい福音を伝えました。

それは人を悔い改めさせ、救いを得させるメッセージでした。


彼は聖霊の人でした。

リバイバルは聖霊によらなければならないことを知って、いつも聖霊の火を求めました。


次のことばは、ある時のメッセージでした。


「残念ながら、救いに至る信仰もなく、キリストとも交わりがないのがはっきりしているのに、死んだら天国に行くという人があまりにも多いです。

しかし、そういう人は天国には相応しくないです。

皆さんは地上でキリストを高く崇めることもしませんでした。

皆さんはキリストとまったく交わりを持ちませんでした。

皆さんはキリストを愛していません。悲しいことです。


皆さんが天国で何が出来るでしょうか。

天国は決して皆さんのためにある所ではありません。

天国の喜びは皆さんのために喜びではないはずです。

天国の幸せは、皆さんが手にすることが出来ない祝福です。

天国での日々が皆さんには負担になり、つまらないでしょう。

遅すぎることがないように悔い改めて、心に変化が起こりますように。


天国への確実な準備はイエス様との交わりです。

洗礼を受けたから、教会に通うから、間違いなく天国に入ることは有り得ないです。

はっきりしているのは、天国はただ私たちに与える神のプレゼントではないことです。

そこはイエス・キリストだけが最高の喜びである所です。

私たちはこの世で生きながら、イエス様が最高の喜びでなければならないです。

ここでイエス様と仲良くしていないのに、天国で永遠に仲良く出来るわけがないです。」


このメッセージはもっともだと思いました。

パウロはイエス様を知らない時には、教会を迫害しましたが、知ってからは別人になりました。

一番の変化は、イエス様に対するパウロの思いでした。


【ピリピ3章8-9節】

それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。 私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、

キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストと信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。

2015.10.24
3分テレフォンメッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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恵みを受けた聖徒

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【第2コリント9章8節】

神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。

“聖徒” の意味は分かりますか。

学校で教えを受ける者を意味する生徒ではなく、“聖なる者”を意味します。


聖書で聖徒の定義は次の箇所です。


【第1ペテロ2章9-10節】

しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。

あなたがたは、以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、以前はあわれみを受けない者であったのに、今はあわれみを受けた者です。

このように神から永遠の特権を受け、選ばれた存在が聖徒です。

そして聖徒とは、その恵みを認識しながら それに答え、恵みの中で生きている者です。


ですから聖徒は自分が何者で、自分がどのような恵みを受けているのかを正確に知らないと、聖徒としての特権があるにも関わらず、みじめな者として生きてしまいます。

しかし、そのような人がたくさんいます。


そして 「恵みを受けた」 と聖徒たちがよく言いますが、その恵みが 聖書の示す恵みとは どこかかけ離れた感じを受ける時があります。


今日は聖徒が神から受けた恵みが何であるかを学びます。

これは聖徒であるならば、皆が受けている恵みです。




生ける望みの恵み




“生ける望みの恵み” とは何でしょうか?


【第1ペテロ1章3-4節】

私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。

また、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられているのです。

聖徒には、生ける望みが2つあります。

それはキリストの復活のように 自分たちも復活の恵みを受けています。


“復活の恵み” とはどのようなものでしょうか?

その答えが次の箇所にあります。



【第1コリント15章42-44節】

死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、

卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、

血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。

多くの迫害の中で、殉教した聖徒たちが忍耐しながらも、その中で喜んでいたのは この復活の恵みを知っていたからです。


聖徒にとって 死は永遠の死ではなく、復活の恵みを受けていますので、そこから永遠の命が始まります。


キリストの再臨にイエス様と同じく朽ちない体を着る復活が起こります。


もう一つの恵みは天国に入る恵みです。


天国がなく、この世がすべてであるならば、信仰を持つ必要はないですね。

私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちはすべての人の中で一番哀れな者です。


キリストは いつも天国の話を弟子たちにし、そこに希望を置くようにしました。


聖徒の天国への希望は決してむなしいものにはなりません。

夢を語っているのではなく、それこそ現実です。

イエス様が私たちに天国を約束して下さいました。



【ヨハネの福音書14章2-3節】

わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。

わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。

主のことばは天国への保証です。
そして主は真実な方です。


たとえ地上で多くの苦しみや戦いがあっても この生ける望みをもっている人は絶望したり、つまずいたり、主から離れることはしません。


むしろ この生ける望みがあるので、早くそれを受けたくて主に会う日を待ち望んでいます。





おりにかなった助けの恵み




この恵みなしに生きてこられなかったと私はいつも思っています。

どれほど この “おりにかなった助け” によって生かされてきたか分かりません。



【ヘブル4章16節】

ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

神様はあらゆる恵みを常に備えておられる方です。


わたしたちが常にすべてのことに満ち溢れる者になることを願っていますし、そして あふれるばかり与えることが出来る神様です。


そのことは今回のテーマ箇所でも知らせています。

わたしは聖書でそのことばを見つけた時には とても嬉しくなりました。


この素晴らしい恵みをいつも受けようと思い、その時からその恵みを受けています。

神から恵みを受ける準備をして神に求めます。


他の人と比較して妬みや不満を言うのではなく、自分に必要な恵みのことは自分が直接 神様の御前に出て求めました。



【伝道者の書3章1節】

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。

このように書かれていますので、私は恵みを受ける時は自分で(時期を)決めないで、それを神にゆだね、ただ必要な恵みを いつも神様に求めると、神がちょうど良い時に用意した恵みを与えて下さいます。


私はこの恵みを日々体験し、本当にそれによって生かされています。

これは自分の努力や力ではなく、主の恵みです。


この恵みはすべての聖徒が受けている恵みです。


それを知って恵みの中に生きるか生きないかによって、受ける恵みが違うと思います。

いつも大胆に求める人は 恵みをたくさん受けます。


聖霊様を私たちの所に遣わして下さったイエス様のみこころは、聖霊によって日々私たちを慰め、助け、力を与え、危機から救い出し、そして導くことです。


おりにかなった助けを与えるために遣わして下さいました。

そしてその恵みを大胆に求めなさいと勧めています。


求めると受けますが、求めないと受けられません。





キリストにあるいのち




聖徒が受けた特権は主の保証付きです。
失われたりするものではなく、主が約束のことばをもって保証しておられます。


聖徒に保証された素晴らしい恵みに 「いのち」 があります。


肉体のいのちも保証されるならば、安心して生活が出来ますが、いのちが保証されないと安心して生活が出来ません。


もし「余命一年です」と言われるなら、その時から死ぬ日を数えますね。

保証がないので、いのちは本当に取られてしまいます。


しかし、主が聖徒たちに保証したものがあります。次の箇所です。



【ヨハネの福音書5章24節】


まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。


【ヨハネの福音書6章37節】

父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。


【ローマ8章1-2節】

こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。

なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。

聖徒はキリストを信じる信仰によって罪の赦しを受けて救われ、またキリストによって新しい命を得ています。


いのちであるキリストが聖徒の中におられることで、私たちは いのちある者になりました。

主が来られた目的は、私たちが永遠の命を得るためです。


ですから 自分が聖徒であるならば、いつも死に行く人のように暗い顔つきで生きるのではなく、いのちある者らしく生きないといけないです。


神の恵みは取るに足りない者に特権を与えました。


その特権には「生ける望み、おりにかなった助けを受ける恵み、そしてキリストの中にあるいのち」です。


聖徒ならばこの特権を知らないといけないです。


そしてその特権を喜び、日々味わいながら使うことです。
v( ̄∇ ̄)v


2015.9.27
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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神の約束を信じたアブラハムの信仰

テーマは 『 神の約束を信じたアブラハムの信仰 』 です

【ローマ4章19-21節】

アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。

彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、

神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。

聖書から、“神のことばと信仰” を除くならば、何が残るでしょうか。

そして、それらを除いた聖書が私たちにどのような意味を残すでしょうか。
それは何の価値もないものになってしまいます。


信仰は神のことばと私たちをつなぐ役割をします。


いくら聖書が真理であり、いのちのことばだとしても、読む人に信仰がないならば聖書をどんなにたくさん読んでも、その人に聖書の価値はわかりません。


ただの一冊の本に過ぎません。


また、ある人が「自分には信仰がある」と言っても、その人の信じるものが真理のことばでないならば、その信仰はむなしいものとなり、その魂を救うことは出来ません。


アブラハムという人物は、“信仰の父”と呼ばれています。
神様は、アブラハムが見せた信仰を 良い信仰だと認めて下さいました。

それはアブラハムが神の言葉に対して信仰をもって受け止め、その信仰が最後まで生きていたからです。


アブラハムは神様を直接見たから神を信じたのでしょうか?

神を信じない多くの人は、「神を見せてくれるならば信じる」と言います。


高慢と不信仰な心で「神を見せてくれ」と言っても、神がその人に現れることはありません。

なぜなら神が認める信仰は、見て信じる信仰ではなく、見ずに神の約束を信じる信仰をよしと認めて下さるからです。


信仰がない人に神が現れるのではなく、信仰がある時に神を見ることが出来ます。

(ここで、「見る」というのは自分の肉の目で見るという事ではなく、心の目で見るということです。)


神のことばを信じる人は、心の目で神を見るようにして生きています。






アブラハムの信仰が、どのような信仰であったのかを見たいと思います。

アブラハムはある時に神の声を聞きました。それはアブラハムにとって初体験でした。


目で神を見たのではなく、聞こえてくる神のことばでした。

神から聞かされた内容はあまりにもスケールが大きくてよく理解出来ない神の一方的な約束でした。


【創世記12章1-3節】

主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。

そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。

あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」

もし皆さんがこのようなことばを聞いたならば、理解できますか。
そして神のことばを理解できないまま、すぐに従うことが出来ますか。


すぐに出来るならば、アブラハムの信仰を認めた神が、皆さんの信仰を認めて下さると思います。

しかし出来ないならば、アブラハムの信仰を見習うことです。


アブラハムは神の約束のことばを信じ、主が仰せられた通りに出かけました。
冒険するには75歳という年齢は厳しいと思います。


しかし、アブラハムは従順出来ない理由を捜したのではなく、ただ神から言われた通りに従いました。


その時のアブラハムの信仰は、神に完全に従順する信仰でした。

信仰のない人から見ると無謀な人間に見えたでしょう。
“失敗したらどうするの” と心配する声が周りから大きくなるでしょう。



すぐに心配する人は、なかなか信仰が成長しないです。神のことばよりも自分の感情に忠実だからです。

そのような人は神の言葉よりも自分がどう思うのかが一番です。
自分が安心出来たら(言葉に)従うけど 安心出来ないと、神の言葉に頼るのが苦手です。


しかし アブラハムは神のことばだけに信仰を結び付けて従順しました。

簡単そうに見えても、人々はここで失敗することが多いです。


まずは「そんなことが信じられません、そんなことが起こるはずがありません」 と勝手に神様のことばをつぶして従うことはしません。

神がせっかく語って下さったのに、どれほど多くの人々が、自分たちの不信仰で神の言葉を無視するかわかりません。


まるで神様が嘘つき、詐欺師であるかのように「信じたらダメ」 と否定します。


アブラハムは信じて大胆に出かけました。
神様が喜ぶ信仰は、従順する信仰です。


信仰ある人は、自分の頭で理解出来ず 納得できなくても、神が語ったことばが一番で、そのことばに従います。


アブラハムの信仰は、神の約束を最初から疑わない信仰でした。

最初の神の約束のことばを疑わずに受け入れたアブラハムでしたが、すぐにその信仰が認められ、すべての祝福を受けたでしょうか。


現実はどうでしたか―?

75歳で従順して出かけましたが、25年間何事も起こりませんでした。
25年は決して短い時間ではありません。


自分ならばどうするのかと考えてみて下さい。

信じた私がバカだったと自分に対して腹を立てますか?
また、神様に向かって嘘つきと文句を言いますか。


たぶん私たちならば両方やっていると思います。

しかしアブラバムは、子孫が与えられる約束を受けたにも関わらず、いつの間にか100歳になり、生産不能になり、子を持つことが不可能になったにもかからわず、アブラハムは神の約束を疑いませんでした。


これは素晴らしい信仰です。






人々は信仰よりは不信仰を選び、信仰よりは疑いを選びます。

忍耐よりは諦めて、時間を無駄にするよりは他の方法を捜します。

しかし別の方法も見つからず失望して終わる人が多いです。


沖縄に行った時、海岸にある木を見ましたが、形がちょっとおかしく、木の葉や枝が不揃いでした。

台風が多いので、暴風で枝が折れたり、葉っぱが落ちた為だと思います。


でも激しい風の中でもしっかり立っているのは、植えられた所に、必死に頑張ってしがみついて 根を深く降ろしたから倒れなかったと思います。


疑いは二心です。どうしようかと迷う心です。

根を下ろそうか、やめようかと二心で戦いますが、そのような状態では立ってはおられません。

現実の強い風で倒されてしまいます。


アブラハムは自分や妻が年取ってこどもを産む力がないことを知っていても、信仰が弱ることもなく、神の約束を疑うこともなかった理由は、アブラハムが神の無限なる力と 神は約束を守る神であることを信じたからです。


【イザヤ書55章11節】

そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。

環境に左右されたり、自分の状態に左右されたりするのは信仰の姿ではありません。


神の絶対的な力と真実さに対する完全な信頼こそ、不可能に見える状況の中でも アブラハムを苛酷な現実から守る信仰の力になっていたと思います。


信仰は力です。

環境を見て信仰が無気力症にかかる人が多いです。それは信仰の根っこが弱いからです。


アブラハムも人間的な目で見ると、大いなる民族の先祖になることは想像出来ない状況でしたが、それでも信じたので 「信仰の先祖」 と呼ばれています。

この姿は私たちが見習わないといけないです。


次々と変わる環境や状況に振り回されて信仰の無気力症に落ちるのではなく、そのような時こそ忍耐をもって神の約束を堅く信じ、耐えることです。


その姿を確信に満ちた信仰と言えます。


確信とは、疑いが入る隙間もないほどに、自分に与えられた神の約束のことばと、神は約束したものを必ず成し遂げる方であることを心の中に満たすことです。


そして日々そのことを黙想することです。

まるでそのことが当たり前であるかのように思われると、信仰の根を深く降ろしたことになるので、過酷な現実の中でも倒れることがありません。


その人たちを倒そうとするサタンの策略も失敗に終わり、さらに試練の中で信仰は強くなり、成長していきます。


見えるものにすぐ心が取られたり、疑ったり、失望すると、倒そうとするサタンに隙を与えることになります。

現実的な可能性があったり、少しでも希望がある時は、信仰を守ることがそんなに難しいことではありません。


ところが、激しい試練や不可能な状況に直面すると、私たちの信仰は病にかかり 倒れやすいですし、疑いと絶望で揺れ動いてしまいます。


しかし、そのような時でもアブラハムがしたように、神に望みを置いて、神の約束を信じ続けるならば、神は約束したことを必ず成就して下さいます。


信仰が弱いと、神から素晴らしい約束を受けても、それを無駄にしてしまうことが多いです。

しかしアブラハムのようにするならば、すべての約束を自分のものにすることが出来ます。


信仰が弱くなったと実感する時は、アブラハムの信仰をもう一度学んで下さい。


彼が教えてくれます。
( ̄‥ ̄)=3

2015.7.26
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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