からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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祝福

無効な悔い改めと 真の悔い改め

テーマは 『 無効な悔い改めと 真の悔い改め 』 です

【使徒の働き3章19節】

そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。

2、3日でも髪を洗わないと、髪は脂っぽくなり 絡まりますし、臭いもします。

同じく 体も洗わないと、だんだん臭くなります。


本人も気持ち悪く感じますし、周りの人も臭いので近付きたくありません。

ですから私たちは嫌でも毎日のように体を洗います。

そして、それは毎日の習慣になってあります。


「なぜ洗わないといけないですか。」と言う人もいません。

それが当たり前になっているからです。



“悔い改め” は、神を知らない人にとっては「それ何?」と言われるでしょう。

「何を悔い改めるの?私、何か悪いことでもした?そんな覚えないけど。」と、そこで おしまいですね。



しかしクリスチャンになった人は、そうであってはいけないです。


神が忌み嫌うのが罪であることを知って、イエス・キリストが私たちの罪のために十字架にかかったことを知っているならば、罪の問題を軽く考えてはいけないです。


悔い改めは、“心を洗うこと” で、心に付いた汚れをきれいに洗って、主に立ち返ることです。


そして自分の考え、価値観、行動パターンを、神の民らしく変えることです。


悔い改めは、単純に感情の変化程度ではなく、生き方の体制が変わることです。


聖書を読むと、様々な人の悔い改めの姿がありますが、神が受け入れた悔い改めと、そうではない悔い改めがあります。

そしてその結果も全然違います。

無効な悔い改めが多いことにも気付きます。


悔い改めがなかった人、無効な悔い改めをした人、神が認めた真の悔い改めをした人を調べます。


神は罪を赦す神なので悔い改めを待っておられます。





アダム、エバ、カイン、イスカリオテ・ユダなど
(悔い改めがなかった人たち)




人類最初に罪を犯し、世界に罪をもたらしたアダムとエバは、罪を犯した後に 悔い改めた姿がありませんでした。


罪を犯した後に、自分たちが裸であることに恥を感じましたが、罪がない時には 神の前で裸であっても恥ずかしいとは思いませんでした。


しかし罪を犯した後に恥を感じました。

以前とは違う心の変化に彼らは気付きました。


神の言葉に違反したことで生まれた恥という思いに対して、神の前に出て 罪を悔い改めなければいけなかったのに、ふたりは悔い改めず、自らがその問題を解決しようとしました。


その方法とは 次の箇所です。


【創世記3章7節】

このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。

自分たちの方法で罪を隠せると思いました。

しかし、それで罪が隠れることも消えることもありません。


彼らの息子であったカインは、弟を殺した最初の殺人者ですが、彼も親と同じく悔い改めがありませんでした。


神は彼に現れて聞きました。(創世記4章9節)

「あなたの弟アベルは、どこにいるのか。」
それに対して、彼の答えは「知りません。私は、自分の弟の番人なのでしょうか。」

と嘘を言い、開き直りました。


神はすべてを知っていました。

神から罪を指摘されても彼は悔い改めませんでした。


ただ 自分にくだる罰がこわくて、自分のいのちが守られるように 必死に神に求めました。

悔い改めなかった彼らは、今どこにいると思いますか?

神の恵みによって 天国と地獄を何度も訪問した ある牧師先生から聞きました。


ある時にどうしても知りたくて、イエス様に聞いたことが「アダムとエバは今どこにいますか?」でした。


それから御使いたちに案内されて行った場所は地獄でした。

そこでアダム、エバ、カインを見ました。

とても悲惨な姿でした。


長い間、彼らがそこで苦しみを受けていることが良くわかりました。


罪を悔い改めない人は、誰でも彼らのように地獄に行きます。


聖書の神のことばです。

イスカリオテ・ユダはどうでしたか?


彼は主の十二弟子の一人でありながら、お金でイエス様を敵に売りました。

その後に彼は自分の行動を後悔しました。


主の前で悔い改めたのではなく、彼も自らの方法を取りました。

それは自殺でした。
彼は首をつって自殺しました。


それで罪が無くなったでしょうか?

神が求めるのは、そういう事ではないです。


神に立ち返って悔い改めることです。


神は、赦す用意をして待っておられます。


立ち返る場所は主であって、自分のいのちを絶つことではないです。





ペテロの悔い改め
(真の悔い改め)




イスカリオテ・ユダと同じく、ペテロも十二弟子の一人でした。


彼もイエス様のことを、3度も “知らない” と嘘を言いました。


それも最後は、呪いながら 「自分はイエスを知らない」 と言いました。

ユダも悪かったですが、ペテロもそれに負けず悪かったです。


しかし彼が自分に語った主のことばを思い出した時に、彼の中に激しい心の動揺がありました。

主のことばで、自分が犯した罪の重さに気付きました。


それで彼は何をしたでしょうか?


【マタイの福音書26章75節】

そこでペテロは、「鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います」とイエスの言われたあのことばを思い出した。そうして、彼は出て行って、激しく泣いた。

この涙は、悔い改めの涙です。

心から出てくる涙こそ、悔い改めの涙です。


今、クリスチャンに必要なものは このような涙です。


涙が枯れているならば、その心も枯れています。

悔い改めの涙が必要です。


【第2コリント7章9-10節】

今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、あなたがたが悲しんで悔い改めたからです。あなたがたは神のみこころに添って悲しんだので、私たちのために何の害も受けなかったからです。

神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。




サウル王の悔い改め
(無効な悔い改め)




サウル王は、最初は謙遜な人でした。

神は彼をイスラエルの初代王にしました。


しかし彼が王になってから、彼は神に対して不従順するようになりました。

神の命令を聞いても、それを素直に行ったのではなく、勝手な解釈をして不従順の罪を犯しました。

そして、それを罪とも思わなかったです。


サムエル預言者から叱責を受けた時に、すぐに民を非難して民のせいにし責任転嫁をしました。


また 神との関係よりも 人との関係を重視して、神に犯した罪の重大さに気付かなかったです。

そして神からの厳しいことばを聞いた後も、神に不従順したことを悔いるよりは 自分が受ける損失に対して悲しみました。


彼は罪を指摘された時に次のようなことを言いました。


【第1サムエル記15章24-25節】

サウルはサムエルに言った。「私は罪を犯しました。私は主の命令と、あなたのことばにそむいたからです。私は民を恐れて、彼らの声に従ったのです。

どうか今、私の罪を赦し、私といっしょに帰ってください。私は主を礼拝いたします。」

悔い改めているように見えますが、実際は口先だけの悔い改めで、彼は神に立ち返りませんでした。

自分の面目を保つためだけでした。


その後、彼はますます神に逆らいながら罪を犯す者になり、完全に破滅してしまいました。


真の悔い改めがないと、心はさらにかたくなになり、真理に逆らいますし、霊的には盲目になり、闇の道を歩み、最後は永遠の滅びの刑罰を受けます。





ダビデの悔い改め
(真の悔い改め)




ダビデも神の前に、姦淫の罪と 殺人の罪を犯しました。


神は、彼が自ら悔い改めることを願って しばらく時間を与えましたが、彼は自分の罪を隠していました。


その間、彼は精神的にも肉体的にも衰弱していきました。

喜びも無くなり、力も無くなりました。


それを見て、神は預言者ナタンを彼に遣わしました。

預言者は彼の所に来て 祝福のことばは一言も話さず、罪を悟らせるための言葉だけを語りました。


その時、ダビデは厳しいことを言うナタンを殺すことも出来ましたが、彼はナタンの忠告に感謝しました。


後に、ダビデは自分の子に ナタン という名前まで付けました。


ダビデは言い訳をせず、忠告を受け入れて、神の前に涙を流しながら 徹底的に自らの罪を悔い改めました。

その時の告白が詩篇51編です。


【詩篇51編1-4節】

神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪をぬぐい去ってください。

どうか私の咎を、私から全く洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。

まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。私の罪は、いつも私の目の前にあります。

私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行いました。それゆえ、あなたが宣告されるとき、あなたは正しく、さばかれるとき、あなたはきよくあられます。

ダビデはそれ以来、罪から離れ、神の御心に従って歩み出しました。


真の悔い改めは 行動が伴い、悔い改めにふさわしい実を結びます。


神は その人の罪を赦し、いのちを与え、新しい心と霊を与えます。

携挙されるためにも、徹底的な悔い改めが必要です。


天国に入るためにも、救いや祝福を受けるためにも、悔い改めが最も必要であることを自覚しましょう。


悔い改めをないがしろにしてはいけないです。
。゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン


2017.4.2
聖日礼拝メッセージ

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私たちを祝福したいと願う主

テーマは 『 私たちを祝福したいと願う主 』 です

【民数記6章23-27節】

「アロンとその子らに告げて言え。あなたがたはイスラエル人をこのように祝福して言いなさい。

『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。

主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。

主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』

彼らがわたしの名でイスラエル人のために祈るなら、わたしは彼らを祝福しよう。」

人間が神に求めることは、何と言っても祝福ですね。

自分を呪ってほしいと神に祈る人がいるでしょうか。


時にはあまりにも辛いので、神に「生きるより死んだほうがましです。私の命を取って下さい。」と嘆くことはあるかも知れません。


しかし、本音は “祝福されること” です。

祝福されたら死にたいとは言わないと思います。


聖書によると、私たちが必死に祝福を求めて、やっと祝福されるのではなく、神の方が私たちを祝福したいと強い願いを持っていることが分かります。


親子関係で考えるとその意味が分かると思います。

子どもが生まれると、子どもが何も願わなくても、親の方がたくさんの祝福を与えようとあれこれ考えます。


神様もそうですね。

神様は私たちを愛しているので、祝福したいと願っています。


神が選んだ神の民には、特別な祝福があることを、イスラエルに向かって語った言葉で知ることが出来ます。


それは神を信じる者に与える祝福です。


今回は そのことを考えながら メッセージを聞いて下さい。




神は 祝福の神で、祝福を与えたいと願っています




神ご自身が「受けるよりも与える方が幸いである」と言われました。


世界とその中にある すべてのものを造ったのは 神であり、神はそれらを私たちのために与えて下さいました。

空気もタダ、太陽の光や熱もタダ、山や川、空もタダで見ることが出来ます。


とても大切なものをタダで使うようにしたのは神です。


それは神が “祝福の神” だからです。


【マタイの福音書5章45節】

天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。

すべてのものを人間の祝福のために創造し、創世記から黙示録まで読むと、神の祝福がたくさんあることが発見出来ます。

神を信じることは、その祝福を受けるためです。


神ほど私たちを祝福したいと願う方はいません。


人間は悪いことがあると、神様のせいにして、神のことを悪く言いますが、それは “悪魔” がしたことを神と勘違いした人がいう事です。


ですから 神に悪口言う前に、自分が信じる神が 本当の神かどうかを調べてから言って下さい。


人に悪を働くのは神ではなく、悪魔(サタン)であることを知りましょう。


聖書には悪魔の仕業がたくさん出てきます。

“盗む、滅ぼす、惑わす、誘惑する、罠を仕掛ける、襲いかかる、苦痛を与える、病気を与える、死をもたらす” など様々な例があります。


しかし神は初めから祝福の神です。

その祝福なしには人間は存在できないです。


【哀歌3章22-23節】

私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。

それは朝ごとに新しい。

祝福の神を信じる人は幸いな人です。


神を誤解しながら生きる人は、特別な神の祝福を逃すことになりますので本当にもったいないです。




祝福の神は、私たちが祝福を求めることを願っています




神は “祝福の神” ですが、私たちがその祝福を求めて神の御前に出ることを願っています。


何も求めないで、神に任せるのが “信仰深い姿” だと思いますか?

―― そうではないです。


神は祝福に対しては、求めるように言われました。


【第1ヨハネ5章14-15節】

何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。

私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。

イエス様は、声を上げてイエス様を呼んだ人々に「何をしてほしいのか」と聞きました。


その時、願いをはっきり言った人たちは みな祝福されました。


祝福は積極的に求めることです。


主がそのようにしなさいと言われましたので、祝福は本人が積極的に求めることです。

神がそれを願っておられるからです。




ほかの人のためにも 祝福を求めることを神は要求します




神はすべての人が祝福されることを願っています。


ですから 自分だけ祝福されることを願う人は、神の心とは違うので、神はそれを “貪欲” と言って嫌います。


神はどの人のことも愛しています。

神の愛は変わることがありません。


私たちは愛される資格があったでしょうか?

他の人より優れた所があるでしょうか?

罪がなかったでしょうか?


それを考えると、他の人を悪人呼ばわりしたり、祝福を受ける資格がないと言ったらいけないです。


神は次のように言われました。


【マタイの福音書5章44節】

自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。

また弟子たちを遣わした時にも このように話しました。

【マタイの福音書10章12-13節】

その家に入るときには、平安を祈るあいさつをしなさい。

その家がそれにふさわしい家なら、その平安はきっとその家に来るし、もし、ふさわしい家でないなら、その平安はあなたがたのところに返って来ます。

ですから私たちが他人のために祝福するのは、神のみこころですし、それは必ず相手の祝福になるか、自分の祝福になるかで無駄になることはありません。


相手のために神に求めることも祝福であり、自分が受けた祝福を 人のために使うことも祝福を与えることです。


最近ニュースで知りました。

わずかな年金で生活が出来ない貧困老人がたくさんいるのに、生活保護を申請しない老人が多いということです。


その理由は、受けることを恥だと思うらしいです。

「施しは受けたくないと。
生活はとても悲惨なのにそれでも受けないと。」


生活保護は、最初から困った人のために使う予算です。

自分たちが税金を払って、そこから受けることですから、 “施し“ ではないですね。


国には様々な制度が国民のためにあります。

他の制度は積極的に使いながら、生活保護だけをそのように思うことは、その制度に対する偏見だと思います。

困った人にはそれは準備された祝福です。


悪いのは、お金が十分あるのに、その制度を悪用する人たちです。


私たちは、神がどのような祝福を用意してあるのかを もっともっと知る必要があります。


そして、その祝福の制度を積極的に使うことです。

どうにもならないからと死を選んだり、諦めたりする前に、まだやっていないことがないかを探ることです。


聖書には神の祝福がたくさんあります。

神を信じてそれを求めるならば、その願いが みこころにかなう時には祝福を受けることができます。


神は真実な方ですから、その約束を守ります。
(・◇・)ゞ

2017.1.15
聖日礼拝メッセージ

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受けたものは流して行く

テーマは 『 受けたものは流して行く 』 です

【ルカの福音書6章38節】

与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人々を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」

家の近くに 第二寝屋川がありますが、水の色がほぼ黒に近く、ごみや黒い油のようなものが浮かんでおり、時々 魚や亀やカモも見えますが、色は全部 “黒” で本当に汚い川です。


その理由は色々あると思いますが、私が感じるのは、流れないので汚い川になっていると思います。

ごみがある時に見ると 全く流れていないです。


時々 機械を使って波を起こすと、ごみは流れて どこかに消えていきます。

どこに流れていくのかは分かりません。

綺麗な川なら良いのに と橋を渡るたびに思います。


夏に上高地に行った時に川の水があまりにも透明で綺麗だったので、そのまま飲みたくなりました。

山からきれいな水が勢いよく下流に流れていくので、いつでも綺麗ですね。


受けても流さないと汚くなりますが、絶えず流すならば いつも綺麗です。


イスラエルのヨルダン川と 死海もよく比べられます。

ヨルダン川は綺麗ですし、大きな魚も住んでいて 主の弟子たちもそこで漁師をやっていた人たちでした。

ヨルダン川の水は綺麗で、泳いでいる魚も見ました。

そこで魚料理を食べたこともあります。


ヨルダン川から流れる水は、死海に向かって流れます。

死海は見た目は綺麗に見えますが、生き物が生息できないので “死海” です。

死海は、“受けるだけ受けて、流さないので死海” になりました。


私たちも受けたものを 流すか流さないかによって “ヨルダン川” にもなり “死海” にもなります。


イエス様は絶えず恵みを流して下さる方です。


皆さんが、認識しているか 認識していないかに関係なく、絶えず恵みを流しています。

私自身は何を見ても、そこに神の恵みが流れているのが見えます。


しかし、ある人はその恵みに気付かず、こぼしていながら 「自分には恵みがない」 と神につぶやいています。

また ある人は、手を握ってあげても 「こんなものは要らない」 と投げ捨てる人もいます。

ある人は受けた恵みを 自分のものだけにして、誰にもそれを流さない人もいます。


そばで困っている人、倒れた人がいても それが目に入って来ないです。

“自分さえ良ければ” という精神は、「貪欲」そのものです。


それは、サタンの思いです。
神様が忌み嫌う心です。


しかし受けた恵みを、きちんと流して行く人たちもいます。

その人たちは、いつも神様から新鮮な恵みを受けています。


他の人たちにも 良い恵みを流すので、神様は天を開いて その人が乏しくならないように与えて下さいます。


イエス様は 最初に弟子たちを遣わした時に このように語りました。


【マタイの福音書10章8節】

病人をいやし、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。

イエス様は、まず彼らに恵みと力を与えました。

そして それを使って他の人を助け、恵みを流すように命じました。


私たちが教会で互いに仕え合うことは、お互いが受けた恵みを流して行く姿です。


それによって、みんなが恵みを受けます。


“自分には流す恵みがない” というのは、言い訳に過ぎないです。

流したことがないので、気付いていないだけです。


私たちは、あらゆるところで、色んな人に恵みを流すことが出来ます。


やろうと “決心” すれば、何を流すべきかが分かります。

手を差し伸べれば、そこに恵みを流す対象がいます。


私たちはすでに多くの恵みを神から受けています。

最大の恵みは神から受けた愛です。


(私たちは神から)受けたので、この愛を流して行かなければなりません。

自分が救われたように、人も救われるように神を紹介し、祈りをささげ、世話をすることが 愛の恵みを流している姿です。


自分だけ天国に行くことを喜んだらいけないですね。

他の人も天国へ行けるようにするのが 愛ある姿です。


神が「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」と命じましたが、それは本来 私たちに出来ることでしょうか?


神の愛の恵みがないと出来ませんが、私たちが受けた神の愛を流して行くならば 出来ないこともないです。

そうすると、自分の愛ではなく、“神の愛” で愛することが出来ます。


「こんな私のような者も 神が愛して下さったならば、神はこの人をもっと愛しておられるかも」 と思って、受けた神の愛を流せば良いと思います。


愛を流さず自分だけにとどめるならば “自己愛” ですが、流せば “隣人愛” に変わります。

そして様々な神の恵みを体験したならば、感謝して終わるのではなく、恩返しを忘れてはいけないです。


恩返しは、恵みを流していくことです。

人から良くしてもらったならば、自分も誰かに対して良くしてあげれば、それが恩返しの連鎖になり 人間関係がとても良くなりますし、社会もよくなります。






私自身のことですが、34年前に輸血を受けて いのちが助かった経験がありました。

それがなかったならば、いま生きていないですね。


出産の時に出血多量で2度も意識を失くし、1日中輸血をしました。

それで助かりました。

それがあったので、自分も献血して誰かを助けたいと思いました。


毎年献血しようと思って2回しましたが、その後 法律が変わり、輸血した人は献血が出来なくなりました。

それがすごく残念でした。
それでも したかったので、奈良へ行って献血する所に行きました。


献血する前に問診票に記入しないといけないですが、過去に輸血した人は●をつけないといけないですが、私はそれにつけなかったです。

しかし過去に輸血をしたことが記録に残っていたので出来なく、それからは献血を諦めました。

その法律がないなら、今もずっと献血していると思います。


皆さんは良くしてもらったことはありませんか?
それを他の人たちに流していますか?


過去に終わった事として記憶にもないでしょうか?


【詩篇103編2節】

主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

このように言われてありますが、記憶だけしなさいという意味ではなく、自分が受けた恵みを流すようにするならば 決して忘れることが出来ないです。


自分が神に赦されたならば、他の人のことも赦します。

赦された人はそれがどんなに素晴らしいことかが分かります。


【マタイの福音書6章14ー15節】

もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。

しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。

私たちは罪赦されて “神の子ども” になりました。

ですから当然 神様は、私たちが人に対して赦すことを期待します。


しかし、(私たちが他人の罪を赦さず)期待外れになると、私たちが罪を悔い改めて赦しを求めても、神はそれには応じないと語っておられます。


【マタイの福音書6章14節】

もし人の罪を赦すなら、あなたがの天の父もあなたがたを赦してくださいます。

神の力が私たちに与えられたならば、神は私たちがその力を持って他の人を立ててほしいと願っています。


知恵の力もあり、金銭の力もあり、健康の力、能力の力もあります。

それを使って人を助けることです。


神様が今日のことばでも “与えなさい” と命じました。

このように あらゆる恵みを私たちが流して行く時に、神が栄光を受けます。


元々それは神から流れて来たものだからです。


与えたらどのようになりますか?

与えた人も、受けた人も 共に神様から祝福を受けます。

しかし与えた人の方が何倍も祝福されます。


本文のことばにその約束があります。


【ルカの福音書6章38節】

与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。

一番祝福を受ける人は、“与えた人” です。


神は偽りを言わない方であり、約束を真実に守る方です。


「与えると空っぽになり、損するだけで自分が困る」のではなく、何倍も主が報いて下さいますので さらに豊かになります。


その実例が聖書にも色々あります。

エリヤに与えた貧しいやもめが大いに祝福されました。


また 少年が差し出した小さい弁当で、5千人以上が食べる奇跡もありました。

与え続けた人が乞食になった話は聞いたことがありません。


反対に、たくさん持っていた人がすべてを失って乞食になった話はたくさんあります。

貪欲な心を持っていたイスカリオテ・ユダは結局祝福されることもなく自滅しました。


神様が自分に何かを与えて下さった時には、自分だけの恵みと思わず、それを誰に流そうか?と考えてみて下さい。


パウロは主の教えを守り通しました。

その告白が次の箇所にあります。


使徒の働き20章35節】

このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」

私たちも主のことばを心に刻んで、与えることが習慣になるようにしましょう。
v( ̄∇ ̄)v


2016.11.27
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主の懲らしめは愛のむち

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【ヘブル12章4ー12節】

あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがありません。

そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。

主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」

訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。

もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。

さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。

なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。

すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。

ですから弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。

聖書には神の祝福と叱責と呪いが書かれてありますが、どちらが多いと思いますか。


私たちを愛する神だから祝福が多いと思いますか?

意外にも聖書には叱責と呪いのことばが2倍以上も多いです。


すると神は意地悪く恐ろしい神でしょうか。

そうではないです。

神は愛の神であり、恵み豊かな神です。


ならば なぜ叱責と呪いの言葉が多いでしょうか。

その理由を神が親子関係をたとえにして説明して下さいました。


私たちには生んで育ててくれた親がいます。
みなさんが小さい時から今まで、親からほめられたことが多かったでしょうか。

叱られたり、怒られたりしたことが多かったでしょうか。


きっと叱られ、怒られたことが多かったと思います。


一番の理由は親の言うことを聞かないことが一番の原因だと思います。


叱られると「ごめんなさい。」と言った後に すぐまた同じ過ちを犯します。

そして親はイライラしてまた怒ります。これの繰り返しです。


その結果、ほめられることより、叱られたり、叩かれたりすることが多いです。


親ではない他人からはどうでしょうか?

他人は、ほめる言葉しか言わないです。


「かわいい、えらい、いい子ね」
このように言うのはなぜですか。

自分の子でもないし、育てる義務もないので、気持ちの良いほめことばを気軽に言えます。


しかし、自分の子にはそうはいかないです。

親として責任を持ってしっかりと育てないといけないので、しつけも必要ですし、また立派に育ってほしいので、間違えたことに対しては口うるさく言う時が多いです。


子どもを愛するので 他人の子には言わないことばも自分の子には分かるまでしつこく言います。


呪いの言葉も 本気ではないですが、腹が立って言う時もありますね。

きつい言葉に傷つくこともあったと思いますが、“何をしても何も言われないこと” は幸せな事でしょうか?


そのような人は 幸せな者ではなく、私生子であると言われました。

それは自分に関心を示す者がいなく、放置された状態です。


この世で一番哀れな人は自分に関心を持ったり、心配してくれる人が一人もいない人です。


悪いことをした時に、きちんと叱ってくれる人がいることは幸せなことです。


神は私たちを愛するだけではなく、心配もして下さいます。

神は私たちのことを “子” と呼んでいます。


神を信じて本当に救われた人の身分は「神の子」です。
キリストの贖いによって神の子になりました。



【ローマ8章15ー16節】

あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。

私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。

神は永遠に私たちの霊の父です。

ですから私たちに対する思いが、肉の親とは比べられないほど大きいですし、愛も大きいです。


それで神は、愛する子どもが不従順した時には懲らしめます。

そして懲らしめる時にも、神は私たちのことを考えながら懲らしめますので、それが何かをみことばで学びたいと思います。




1.私たちの益のため




不従順の道の最後は滅びであり、呪いです。


神はだれよりも そのことを知っておられるので、懲らしめて霊の子どもである私たちを正しい道に導きます。


私たちは元々不従順の子らでしたので、神を信じた後もそのままの態度で生きることが多いです。


“神の子” という身分だけが変わり、生活や態度は以前と変わらないならば、神がそれを黙認するでしょうか。


神の子になったならば、神に従って生きることが当然です。


主人が変わったのに、どうして今も 昔の主人の言うことを聞いて従っているのでしょうか?

それはおかしいことですが、多くのクリスチャンは神様と言いながらも、実際に従うのは昔の主人であるサタンのことばです。


それを神様が良しとするでしょうか。

不従順や、間違えた道、悪いことから立ち返らせるために、苦難を与えたり、しもべの口を通して叱責の言葉を語ったりします。


友達や先輩の話にはよく従うのに、親のことばには「うるさい、うざい。」と言いながら反抗する子が多いですね。

育てたのは親なのに言う事を聞かないことは悪いことです。


滅びから救い出したのに、感謝もせず、悪いことは全部神のせいにしながら反抗する子に対して 神は黙ってはおられないです。

その子には懲らしめ、むちを当てます。

そして誰によって生かされているのかを見せます。


神は救われてないたましいを見て悲しみますが、同時に救われた人々の不信仰や不従順を見て、さらに苦しみます。


アメリカで 親は教会に通うのに、子どもが来なくなった理由を聞きました。


1番目の理由は教会に神がいなかった。

2番目は親が教会に通っても、信じない人と同じ生活をしているので(神を)信じる必要がないと答えました。


(子どもたちは 親が)神の言葉に従順しない姿を見ていました。

これは大きな問題です。


信じるならば、神を敬い、神の言葉に従うことです。

従うことが神に一番喜ばれ、祝福を受ける道です。


神は私たちが祝福を受ける者にしたいので懲らしめという愛の鞭も使います。

愛の鞭に打たれても何とも思わない人、反抗する人たちに対して 神様は私生子のように放置します。


神はその者に対して無関心になります。これが捨てられることです。




2.苦難の中でも忍耐しながら実を結び、天国の平安を持つため




神の子は神の相続者であるので、神から後でたくさん良いものを受け取ります。


【ローマ書8章17節】

もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。

相続者として恥じることのない者にするために、神が苦難を通らせて私たちの内にある不純物を取り除いたり、また聖なる者にするために懲らしめを与えます。


【ヨハネの福音書16章33節】

わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」

来月には夏のオリンピックがあります。

それに参加する選手たちは、いま遊ぶことも休むこともなくハードな練習をしながら監督やコーチに毎日叱られたり、怒られたりしていると思います。

泣きながら忍耐しているのは、栄冠を手に入れるためです。


私たちも栄光ある姿になるため、聖い者になるために、弱くて不完全な霊的弱点を直していかなければなりません。


神は私たちを助けて下さいますが、それに取り組まなければならないのは私たちです。


私たちが変われば変わるほど 私たちは成長し、きよめられて御霊の実を結ぶことが出来ます。


神の国には汚れたままの姿で入ることは出来ません。

きよめられた姿で入ります。


御霊の実こそが本物の神の子であることを証明させてくれます。


【ヨハネの福音書15章2節】

わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。

この刈り込みが試練だったり、懲らしめだったりします。


神から懲らしめを受ける時の心構えを教えて下さいました。


主の懲らしめを軽んじてはならないことと弱り果ててはならないことです。


なぜならば、神は私たちを憎んでいるのではなく、私たちを愛して、私たちの益のために、神の国を相続させるために、良い実を結ぶように霊の父として訓練していることだと教えて下さったからです。


ですから弱った手と衰えたひざとをまっすぐにすることです。
( ̄‥ ̄)=3


2016.7.17
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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模範的な祈り

ハレルヤ

主の守りが今日もありますように。


今日はソロモンの模範的な祈りに対して話します。

第1列王記3章には、ソロモンの祈りの内容がありますが、


【第1列王記3章9節】

「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」


この祈りは、主の心に適い、主は彼に素晴らしい祝福を与えました。

求めなかったものまでも与えてくださいました。


ソロモンの祈りから私たちが得る教訓があります。


まずはソロモンは、求める前に主を愛し、主に一千頭の全勝のいけにえを捧げていました。

霊的渇きと献身が既にありました。


自分に与えられた仕事の重圧だけで主に求めたのではなく、普段からソロモンは主に対して献身的な人でした。

この姿は本当に学ぶべき姿です。


困った時だけ、必要なものがある時だけ、主に祈る人は明らかに主を利用する人で、主をあがめる人ではないです。


その人たちの祈りに、主は苦々しい思いを持っておられます。

その人たちの祈りは忌み嫌われます。


また、ソロモンの祈りは確実に答えられる祈りの模範を見せました。


主が与えたいと願うものを求めたことです。


ソロモンはダビデと違って、まだ若く、政治の経験もない者ですから、神が彼に与えたいのは民を正しく治める力、判断力、知恵でした。

それにピッタリの祈りをしたので、祈りが答えられました。


普段 神と共に歩む人は、神のみこころが分かるので正しく求めることが出来ます。


そして祈りは、既に与えられた神の恵みを忘れず感謝するところから始めなければなりません。


ソロモンはまず、過去の恵みに対して感謝を捧げました。

感謝を始めると普段見逃していた神の恵みに改めて気付くことがあります。


そして、祈りの時に自分を隠すことなく、偽ることなく、裸にして神の前に現すことです。

ソロモンは神の前で「私は小さい子どもで、出入りするすべを知りません。」と素直に言いました。


神はこのように自分を素直に現しながら告白する祈りを聞いて下さいます。


神の前で嘘を言ったら、それがバレないでしょうか。

高慢な人は自分のことを偉く言いますし、嘘つきは神の前でも平気で嘘を言います。

それは神を侮る態度です。


素直な人の祈りに主は答えます。

そして祈る時に、自分の願いや欲望よりは、神の御心に適うことを求める時に、祈りは答えられます。


何を言っているのか分からないような祈りではなく、明確に祈る時に主は答えてくださいます。

信仰ある人たちの祈りは、とても簡潔で明確です。


その人たちは、父なる神がお願いする先に、必要なものを知っておられることを知っています。


このように皆さんは祈っていますか?
祈りを変えるだけで答えられる祈りも増えると信じます。
v( ̄∇ ̄)v

3分テレフォンメッセージ

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聖徒が取るべき態度

テーマは 『 聖徒が取るべき態度 』 です

【ヤコブ4章7ー8節】

ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。

神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。



1.神に対して




・神に従いなさい (ヤコブ4章7節)

神に従うことは神の恵みにふさわしく生きることです。

従うことは、神の前にへりくだり 心と思いと力を尽くして神の言葉に服従し、神の摂理に自分自身を完全にゆだねることです。


【第1ペテロ5章6節】

ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。

・神に近づきなさい (ヤコブ4章8節)

神に背を向けて この世を愛し、この世と仲良くして神との距離が離れている人には、そこにいつまでもとどまらず、方向を変えて神に近づくことを勧めます。


恵みも救いも永遠の命も天国も すべて神が持ってあります。

それが欲しいならば、神に近づかなければなりません。


“今は何も生活に不自由がないし満足しているし、神は別に要らない” という人は、この世を離れる時には一番哀れな人です。


(地上を離れる時は)何一つこの世から持ち出せないことを知らなければなりません。


その時、慌てて神を求めても助かることはありません。
救われるチャンスはもうないです。

そこから人生最大の後悔と苦しみが始まります。

私たちは、生きているうちに私たちを招いておられる神に近づかなければなりません。


神様のことがよく分からないと言う人がいます。

それは 切に求めていなく、近づかないので分からないのです。


神は必ず求める者にご自身を現わし、近づく者に近づいて下さる方です。

神が近づくということは、祝福と恵みを与えることを意味します。


【第2歴代誌15章1ー2節】

すると、神の霊がオデデの子アザルヤの上に臨んだ。

そこで、彼はアサの前に出て行き、彼に言った。「アサおよび、すべてユダとベニヤミンの人々よ。私の言うことを聞きなさい。あなたがたが主とともにいる間は、主はあなたがたとともにおられます。もし、あなたがたがこの方を求めるなら、あなたがたにご自身を示してくださいます。もし、あなたがたがこの方を捨て去るなら、この方はあなたがたを捨ててしまわれます。



2.悪魔に対して




・悪魔に立ち向かいなさい (ヤコブ4章7節)

悪魔の姿は、映画に出てくるような恐ろしい怪物だと思うなら、皆さんは悪魔に立ち向かうことを諦めて逃げるでしょう。

それなら私でも怖くて逃げます。


しかし実際は そんなものではないです。

悪魔を恐れて逃げるならば どこまでもついて来ますが、敵対するならば悪魔が避けて行きます。


私たちが悪魔を恐れる必要がないのは、私たちを罪から贖って下さったイエス・キリストの名を使う権限が私たちにあるからです。


ですから悪魔と戦うためには、いつも神に近づきながらイエス・キリストの名には悪魔を追い出す力があることを認めて、その名を信頼することです。


悪魔と戦うためには、悪魔がどこでどのように働いているかをまず突き止めることです。


空中に向かって、「悪魔よ、出て行け」 と言うのではないです。

悪魔は人間の中に目立たないように密かに働きます。


自分の姿がバレないように働くのが 悪魔の巧妙なやり方です。


  1. まずは人の中に欲望を入れる
  2. 欲望を通して私たちに影響を与える
  3. 肉的な欲望の中に 悪魔は様々な衝動を入れる
  4. 物を見ると買いたくなる衝動、女を見ると情欲の衝動を起こさせる
  5. 怒り、憎しみ、敵意、争いなどの衝動を入れ、それを巧みに操る

【ヤコブ4章1節】

何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。

戦う欲望によって人々と戦い、どれだけ多くの人命が犠牲になり、また戦った人たちの人生もダメになったか分かりません。


本来ならば、悪魔と戦わなければならないのに、悪魔は人間の中に戦う欲望を入れて、それを他人に向けさせて悪魔自身は何もせず、人間同士を戦わせて互いに滅ぼされるようにします。


人間はいつもこれに騙されています。


ですから神は、あなたが戦う相手は人間ではなく、あなたの中にある悪魔、相手の中にある悪魔であることを知って正しく戦いなさいと教えています。

悪魔こそ私たちの敵です。


【第1ペテロ5章8ー9節】

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。

堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。

【エペソ4章27節】

悪魔に機会を与えないようにしなさい。

自分たちの中で悪魔が働くチャンスを与えないようにすることです。


怒ったり争ったり自分で復讐したりすることは、悪魔に機会を与えることになります。

私たちが悪魔に機会を与えると、悪魔が働いて実を結びますが、その実を刈り取ってひどい目に遭うのは私たちです。


ですから騙されてはいけないです。


自分の中に様々な欲望を抑えられなくなった時には、いま自分の中に悪魔が強く働いていることをすぐ悟って 悪魔に立ち向かって戦うことです。


すると悪魔は自分の正体がばれたので働くことが出来ず追い出されます。


追い出さないと自分が悪魔に支配されて悪魔の思い通りに従うようになります。




3.罪に対して




【ヤコブ4章8節】

罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。

罪ある人と 二心の人とは、別々の人のことを言うのではなく、同じ人の中にある 心と行動です。

自分の欲望のままに生きていることが罪ある生活ですし、二心は 神とこの世を行ったり来たりする生活のことです。


手を洗いきよめることは、儀式的な面で汚いものを洗うことを意味します。


罪は汚いものであり、決して綺麗なものではないです。
それは洗わないといけないものです。


自分の現在の罪の生活を悔い改め、具体的に神を信じる者としての生活を見せないといけないです。

悔い改めの実を結ぶことが手を洗ったことになります。


そして心を清くすることは、心の問題のことで霊的姦淫の罪を捨てることです。


神を愛するか世を愛するかをハッキリさせることです。


さまようことをやめて 神を見上げる生活をしないと神に近づくことは出来ません。


世を愛して妥協しながら神を求めても そこには距離があります。

しかし清さと聖潔を求めながら神に近づくと神もその人に近づいて下さいます。


【ローマ13章14節】

主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。

【第1ヨハネ2章16ー17節】

すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。

世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行う者は、いつまでもながらえます。

このように悪魔には敵対し、罪を避け、神に近づくことが聖徒の取るべき態度です。

神は明確に私たちに教えて下さいました。


ですから、“分からないから出来ない” というのは ただの言い訳です。


みことばをしっかり受け止め、聖霊の助けを求めながら聖徒らしくいきましょう。
(・◇・)ゞ

2016.6.5
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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自分の内面を美しく変えるために

テーマは 『 自分の内面を美しく変えるために 』 です

【第1ペテロ3章8-12節】

最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。

悪を持って悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。

「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押えて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、

悪から遠ざかって善を行い、平和を求めてこれを追い求めよ。

主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。しかし主の顔は、悪を行う者に立ち向かう。」

人に対する評価は色々ありますが、その中でも “心が汚い、腹黒い、二重人格者” などは、とても嫌な評価で、人から聞きたくない評価です。


しかし そのようなことばは、本人には直接言わないですが、陰で言われる人もいて、本人だけが知らないことも多いです。


皆さんは自分に対してどのような評価をしていますか。
周りの人からどのような評価を受けましたか。

陰の評価も気になりますか?


人間の内面に対して聖書ほど精通している本はありません。


今回の本文は、私たちの内面をどのように変えるべきかを教えています。

大切な教えです。


イエス様を信じる人は、何よりも内面を変えないと生まれ変わったとは言えないです。


生まれ変わった人は、内面が変わりますので それによって分かります。


神様が私たちに願うのは、日々新しくなることと聖くなることです。

それは内面の変化を意味します。


今回は、みことばを参考にしてどうやったら内面を美しく変えられるかを考えようと思います。





・親切、同情心、愛、あわれみ、謙遜な心を持つ人になる




時代と共に人間も変化してきました。

しかし良い方向ではなく、悪い方向に変わって来たことを日々感じています。


日々 よく聞くことばに、いじめ、虐待、暴力、殺人、無関心、テロ、自爆、イライラ、むかつく (=腹立つ )、など とても嫌なことばがニュースに流れます。


これは人間の内面がどれほど荒れ果てたかを見せてあります。醜い姿です。


その人生には いばらとあざみが生えています。

決してそういう姿になりたいとは思いません。


“ いのちを愛し、幸せな日々を過ごしたい ” と思う人は、違う心を持たないといけないです。


四つの畑のたとえが聖書にありますが、良い実を結んで祝福された畑は1つだけで、それは良い地でしたが、それ以外の畑は 実が結ばれませんでした。


きれいな心は良い地で、このような心でなければ、いのちの泉も幸せの花も咲かないです。


親切、同情心、愛、あわれみ、謙遜は良い地です。


内面を このような良い地にしないといけないです。


自分たちの内面を良い地に変えるために、クリスチャンはまず自分の身分が何かをきちんと認識することです。


なぜならば、それによってモチベーションがはっきりするからです。



【第1コリント6章19-20節】

あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。

あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。

  • 自分の体は聖霊の宮であること
  • 自分は神の栄光を現すために存在していること
  • 自分は将来キリストの花嫁になること

このような身分と立場であることを常に認識することです。


そのモチベーションを持って、自分の内面を変えるために取り組むことです。


「聖霊がおられるところを汚して良いのか?怒りや高慢、憎しみで満たして良いのか?」と自分自身に問うことです。


そして、“ イエス様ならばどうするのか ” を考えて、主から学び、行動していくうちに私たちの内面から石や雑草などが取り除かれて、きれいな良い地に変わっていきます。


主の中で、主と共に歩みながら、すべてのことを いつもイエス様と関連して考えることです。


イエス様が人々に対して見せた親切、同情心、愛、あわれみ、謙遜などをそのまま真似をすることです。


実際に行動していくと、確実に生き方が変わっていくことを体験しますし、祝福も体験します。

良い心で行動することで、自分の中も平安ですし、人間関係も良くなっていきます。


嘘ではないので、「出来ません」とは言わないで、試して見ることです。

共におられる聖霊様も私たちが行動する時に助けて下さいます。


聖霊様が一番喜んで助けて下さる時は、私たちが変わろうとする時です。

なぜならば私たちの中で大変つらい思いをしているのは、聖霊様だからです。


なぜなら私たちの心が悪い状態の時は、心の中がPM2.5よりもひどい状態になるからです。

汚い空気のような状態の中で聖霊様がいないといけないことは大変つらいことです。


心の内面を変えることは、心の空気がきれいになることなので、聖霊様は喜んで助けて下さいます。





・祝福を与える人、平和をもたらす人になる




【第1ペテロ3章9節】

悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。

「目には目で、歯には歯で」という思いが人間の中にはあります。


悪いことされたら復讐したい強い意志が出ますが、神様はそれを認めていないです。
同じことをすると同じ人間になってしまいます。


被害者の立場であっても、神は私たちが悪を行ったり、罪を犯すことを願いません。


祝福を与えるために(私たちを)選んだのに、罪を犯すと神はその人を祝福することが出来なくなります。

私たちが主のことばを聞いても素直になれず、心をかたくなにすることが多いので繰り返し語っておられます。

さらに聖書のことばを開きます。



【マタイの福音書5章44-45節】

しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。

それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。


【ルカの福音書6章27-28節】

しかし、いま聞いているあなたがたに、わたしはこう言います。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行いなさい。

あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。


【ルカの福音書6章35節】

ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。


【ローマ12章17-21節】

だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。

あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。

愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」

もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。

悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。

神様が敵に対しても、悪を行う者に対しても、祝福しなさいと命じた理由も きちんと話して下さいました。


神様ご自身が神に敵対するものに対しても そのようにしているからです。


ですから 神のこどもであるならば、当然のように神の方法でしないといけないです。

そして神様は、私たちに裁きの権限を与えていないので、私たちが自らの手で復讐をすると、神の権限に逆らう罪を犯すことになるので、かえって祝福するように言われました。


祝福する行為は、“赦す” ことを意味します。


赦さないと心が病みますし、サタンがその中で働くので心が守れなくなります。

聖霊も悲しみますので祝福もないです。
何も良いことがないので祝福しないと言われています。


祝福すると自分に祝福がくるからです。



【マタイの福音書5章9節】

平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるから。

このように人を祝福することは平和をつくることです。


神の子どもは平和をつくる人で、悪魔の子は平和を壊す働きをします。

分裂、分派、破壊行為を平気にします。


ISがやっていることをみると悪魔のやり方です。

平和を壊し、人のいのちを奪い、人を不幸しています。


もし私たちクリスチャンがそのような行動をするならば、それが神に栄光をささげることになるでしょうか?


人とは違う 次元の高い生活をする時に、人々は自分たちの行動を恥かしく思い、神をあがめるようになります。


私たちは古い人をキリストと共に十字架につけたと前回のメッセージで聞きました。
前回のメッセージはこちら

ですから古い人の内面を持ったまま生きることは出来ないです。


必ず新しく美しく変わった内面で生きなければならないです。

主の命令でもありますので、これは全員に言えることです。


変わらないと主のこどもと認めてもらえないです。

心が良い地である、内面の美しい人を目指して努力しましょう。
.。゚+.(・∀・)゚+.゚


2016.1.17
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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感謝が人生を変える

テーマは 『 感謝が人生を変える 』 です

【詩篇136編1-3節、23-26節】

主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。

神の神であられる方に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。

主の主である方に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。


主は私たちが卑しめられたとき、私たちを御心に留められた。その恵みはとこしえまで。

主は私たちを敵から救い出された。その恵みはとこしえまで。

天の神に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。

今日は収穫感謝礼拝を主に捧げます。


あと1か月半で今年も終わります。あっという間です。


主から受けた恵みを全部覚えていますか?

感謝をしましたか?


昨日パリで連続テロ事件が起こり、世界をびっくりさせました。

フランスにとっては悪夢の日でした。
百何十人が死亡し、多くの人が負傷しました。

テロは突然 何の前触れもなく起こり、多くの尊い いのちが突然奪われました。


6ケ所でテロが起こりましたが、コンサート会場で一番多くの死者が出ました。

アメリカのロックバンドのコンサートでしたから、犠牲者の多くは若者だと思うので、短い人生で終わった人が多かったと思います。


最近はテロ爆発事件で亡くなる人も多いので、自分が いつどこで人生が終わるか分からないです。


人生は短いです。

その人生をどのように生きるかがとても重要です。

ある人たちは人生がいつまでも続くと勘違いしながら生きていますが、人生は短いです。


歳を重ねていくと人生はさらに短く感じます。


しかしある意味では人生は長いです。

まだまだ夢のために、ビジョンのために生きる時間が残されているからです。

そして死後の世界もあるので、その意味で人生が終わることはありません。


「人生とは何か」を論じても それはむなしいですし、答えるのも難しいです。

しかし日々をどのように生きるかによって、人々は自分の人生に対しては答えを出すことが出来ます。


何よりも良い人生を造り出すためには、感謝に優れていないといけないです。


感謝が多い人はまず表情が明るいし、肯定的な人生を生きていますので、幸せオーラが出ています。


反対に 感謝せず、何かと不満が多い人は 表情が険しく、不幸がにじみ出ています。


どちらが良い人生であるかは、見た目でも判断が出来ます。






今回は “ 感謝が人生を変える”  ことに対して話します。


詩篇136編は神の前で感謝をする みことばです。


この箇所には感謝の原理があります。

1節から26節まで 感謝の内容が並べられていますが、神からの受けた多くの恵みを思い出しながら、1つ1つ感謝する内容でした。


主が良くして下さった恵みを忘れないことは良い事です。


しかしそれを神の前に1つ1つ取り上げながら感謝することは神がとても喜ぶ事です。


人間関係においても、もし過去に人から受けた恵みを忘れず、何年後でも相手に感謝を忘れていないことを伝えると「昔のことなのに、未だに覚えているんですか?」と驚きながらも嬉しい気持ちになります。


しかし受けた恵みに対して覚えておらず、感謝のことばも無いならば どのような気持ちになりますか?

これからは何もしないと心で決心しますし、したくなくなります。


皆さんは受けた恵みをよく覚えていますか?

そして感謝もしていますか。

感謝は日々の生活の中から生まれて来なければなりません。


私たちの日常は毎日がお祭りではありません。

平凡であるから、感謝そのものを忘れることが多いです。


特別に良いことがあると感謝しやすいですが、そうではないと感謝することもなく、1日が終わることが多いでしょう。


しかし平凡な日常の中でも感謝することを捜して感謝することが大切です。


私たちは食事の時に食べ物に対して感謝の祈りをします。
それは本当に感謝な事です。


イスラエルの民は40年間 荒野を通りましたが、その間ずっと神が与えた特別な食べ物・マナを食べて生きました。


最初は喜んで感謝して食べましたが、しかし しばらく経たないうちにマナに対して悪く言い始めました。

「こんな みじめな物は食べたくないし、もう飽きた。」
感謝が消えて、文句を言いながら “ 肉が食べたい ” と要求しました。


しまいには、奴隷の時を懐かしく思いました。
それには神様もびっくりでした。


もしマナが毎日与えられなかったならば、イスラエルの民は全員荒野で飢え死したと思います。

それは彼らにとっては いのちのパンでした。


しかし毎日与えられると、それが当たり前になり、感謝することもしなくなりました。


昔より今は食べ物が豊富ですが、昔より食べ物に文句を言う人が多いです。

毎日 食べ物があることは すごく感謝で、毎日ご飯が食べられることは素晴らしい恵みです。


神戸地震の時にいつも冷たいおにぎりばかりを食べていた避難民たちは 温かいご飯を食べた時にしみじみと温かいご飯のありがたさを感じました。


そのように平凡な日常の中に感謝なことは たくさんあります。


まずは平凡な日常の中で感謝するものを捜して感謝することです。
それは目に見えるものだけではありません。


昨日 電車で帰る時に、どのような感謝があるのかを考えました。

そしたら正常に呼吸していることが感謝でした。

以前、呼吸困難になったことがありました。


息をすることの しんどさを初めてその時に感じました。

苦しくて酸素缶を買い、酸素を吸いました。1本1000円でしたが、2本買って吸いました。

少しは楽になりましたが、高かったです。


お金も支払わず、タダで空気を吸って呼吸していることは、実はすごく感謝なことです。


見えること、聞こえること、歩けること、話せることも大きな感謝です。


ですから、探せば 感謝出来ることがいくらでも出てきます。

失ったものや、無いものばかりを考えながら生きると、感謝が出て来ることはないですが、あるものに目をとめると、すべてが感謝に変わります。


人生の晴れの日に感謝するのは一般的です。


しかし、人生の雨の日に感謝ができるのは 聖霊充満な人生です。


そのためには普段から すべてを主の手にゆだね、たとえ最悪の状況に出会っても感謝をすると、自分の心に決めておくことが大切です。


なぜなら主の約束のことばがあるからです。


【ローマ8章28節】

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

約束を信じて、心の準備をしておかないと、最悪の時に信仰が揺れ動いて倒れやすくなります。


そして私たちの感謝の出発は「主は慈しみ深い方であり、その恵みはとこしえまで」と信じる信仰からです。

信仰と感謝は比例します。


信仰の目で見ると感謝することがとても多いです。

神様に対する信仰が強いと感謝もそれに比例して多くなります。






神はどのような方ですか?
世界で一番偉大な方です。


神の神、主の主とは、神の偉大さと絶対主権を現すことばです。


人間の力と努力だけで、何かを成功させることは出来ないです。
神の恵みなしにすべては不可能です。


尽きない神の恵みがあって すべてが動いていますし、祝福されています。


苦難と問題の中にいる人が、今 いるかも知れません。


しかし人生の問題は、視覚と思いと信仰の問題です。

信仰があるので すべてが栄え、問題も起こらないとは神が約束していないです。


何があってもいつも喜び、絶えず祈り、すべてについて感謝するのが信仰だと教えました。


太陽の光も、苦難の雨も聖徒たちに降ります。

それは苦難の中で 私たちの人格を整え、肉の視覚を信仰の視覚に変えるためです。

試練の中で聖徒たちは変わっていきます。


イエス様に似る者にするために、“試練”という炉を通ります。


様々な問題の炉を通りながら、内側にある不純物が取り除かれ、聖くなり、悟りを得、問題を克服していく過程の中で さらに成熟していくことが多いです。


ですから、私たちが試練の荒野を通る時には、環境の変化を祈る前に、自分自身の変化のためにまず祈ることです。

また、どんな環境の中でも感謝出来る者になれるように祈ることです。

自分が変わると環境も不思議に変わります。


しかし自分が変わらず、文句ばかり言うならば試練はさらに厳しくなります。

苦難を克服する最善の道は、すべてに感謝する事です。


苦難を“自分が成長するチャンスだ”と信仰で受け止め 感謝すると、信仰も成長し、神様もその人を助けて祝福して下さいます。


感謝をする時に、人生は変わります。


私たちは生まれた時に何も持たずに生まれましたし、何も持たずに世を去ります。


欲深い人は感謝が出来ないですし、その人生は幸せにはならず、むなしい人生で終わります。


しかし小さなことに対しても感謝をする人は、感謝することが多いので、自分の人生をますます幸せにしていきます。


肉の視覚と思いで足りないもの、あらさがしをすると不満がますます増えていきます。

しかし視覚と思いを変えると、不満だったことを感謝の条件に変える事が出来ます。


世を見ると絶望や失望することが多いので、希望が見えてこないです。


しかし目をイエス様に向けると希望が生まれ、喜びが生まれ、感謝が生まれ、平安な心になります。

このように自分の視覚を変えると、人生も変わります。


世界で起こっていること、自分の人生で起こっていることを、神に信頼しながら、信仰の視覚で見ると違って見えます。


神様はすべての状況をすぐにでも変える力がある方ですが、良い目的をもって沈黙を守る時があります。

イエス様が十字架で苦しんでいる時も、神様は沈黙を守りました。

それは、イエス様の死が 人類の救いのために必要であったからです。


もし試練があるならば、そこに神の良い目的があることを信じて感謝してみて下さい。

いつかそれがはっきり分かる時が来ます。


自分は幸福ではないと言う人たちも多いです。

もちろん色々な原因があると思いますが、感謝が足りないことも原因の1つです。


感謝が足りないと魂が渇きますし、感謝はたましいに潤いを与えます。


そして感謝は幸せと祝福の扉を開ける鍵です。

ですから感謝する心は環境を変えますし、さらに人生を変えます。


また、さらに神のみこころも計画も変えることが出来ます。

懲らしめが恵みに変わることがあります。


すべてのことについて感謝することを習慣化して下さい。その感謝によって幸せが訪れ、奇跡が起こります。


感謝は神との関係も人との関係もよくします。

そして神を喜ばせ、人も喜ばせることが出来ます。


感謝のことばが口から絶えることがないようにしましょう。
.。゚+.(・∀・)゚+.゚

2015.11.15
収穫感謝祭礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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誰が冠を受けるのか

テーマは 『  誰が冠を受けるのか 』 です

【第2テモテ4章6-8節】

私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。

私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。

今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けて下さるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けて下さるのです。

世界で最も値段の高い王冠や宝石をインターネットで調べてみました。

100億円を超えるものから 何十億円のものまでありました。


イギリス王室の王冠などは 宝石がたくさん装飾されており、とても高価に見えますし、他の国の王族やお金持ちが高い宝石を所有していました。


しかし、どんなに高価で輝く王冠や宝石であっても 誰1人それを死後の世界にまで身につけて持っていった人はいません。
誰もが地上に残して行き、その所有者が次々と変わっていきます。


永遠に自分の物にはならず、あっという間に自分から離れて行くものと知っていながらも、人々は地上の様々なものを得るために、自分のいのちさえも惜しまずに必死の努力をします。



最近、東大阪市で 64歳の兄が、61歳の弟を殺害する事件が起きました。

親が残した財産による金銭トラブルでした。

親は子どもの幸せと思って財産を残しましたが、結果は悲惨なものになりました。


持っているために生じるトラブルはたくさんあります。

それでも人はそんなことは心にも留めません。


聖徒もそうやって生きるべきでしょうか?

朽ちて行くものを得るために人生を懸けるべきでしょうか。


聖徒の生き方はそれとは違います。

聖徒が得ようとするものはむなしく消えて行く世のものではなく、永遠に消えることのない神が備えておられる冠です。


それは神様が与えて下さる聖徒への報いです。

しかし聖徒という理由だけで、自動的に受けられる冠ではないです。


ある人は、“それならあまり価値がない”と言います。


冠が勝利者に与えられるものであることを知らないといけないです。


それならば、どのような人が冠を神様から受けるでしょうか。
今回はそのことを学びたいと思います。




1.人生の最後まで勇敢に戦い、忍耐によって自分の信仰を守った人




主に選ばれ、主を信じた人たちが皆 最後まで信仰を守り、主と共に歩むと思いますか?
――そうではないです。


多くの人が主から離れて行きます。

イエス様の12弟子の1人であったイスカリオテ・ユダも主を裏切り、去って行きました。


また、イエス様が語ったことばに対し、自分たちが気に入らないという理由でつぶやきながら、12弟子ではない他の多くの弟子たちも離れ去っていき、もはやイエス様と共に歩かなかったと聖書に記録されています。


パウロと共に福音伝道に仕えていたテマスも 世を愛した為、パウロを捨てて去って行きました。

毎日奇跡を体験し、神の存在が明確に現れているのを見ながらも、神から離れて行きました。


実際に この教会でも信仰告白をして救われた人が ずっと教会に残っていたならば、今 空いている席はだいぶ埋まっていると思います。


しかし他の教会に移った人よりも 信仰を捨てた人の方が多いので、とても残念に思います。


なぜそのようになってしまったのかを考えると、サタンに惑わされて不信仰になったり、富の誘惑に目がくらんだり、この世を愛する心が強くて、信仰を捨てて世に戻りました。



信仰の道、いのちの道は狭い道であると 主が語って下さったように、その道を歩むためにはこの世から来るあらゆる誘惑や試み、試練に忍耐しながら戦わなければなりません。


ですから信仰を最後まで守ることは簡単なことではないです。


また、時には信仰のために家族や親族、職場からも反対されたり、迫害されたり、侮辱されたり、不当な扱いを受けたりします。

それで信仰を捨てた人も多いです。


しかし そのような中でも、神から離れず信仰を守った人たちには神が素晴らしい報いとして冠をその人たちに与えることは当然のことです。


神は初めから信仰の勝利者のために、永遠に消えることのない いのちの冠、栄光の冠を備えておられます。


いのちをかけて信仰を守ったのに何もないならば、それほど虚しく無駄なことはないです。

しかし神様はそのようなことはなさらない方なので、豊かに祝福して下さいます。


【マタイの福音書24章13節】

しかし最後まで耐え忍ぶ者は救われます。

このような約束がありますが、救われることは いのちの冠を得ることを意味します。


このいのちは永遠のいのちです。
いのちほど大切なものはないので、これほど素晴らしい祝福はありません。




2.自分に与えられた使命や働きに忠実な人




パウロが神からの冠を期待する理由は、神から与えられた “走るべき道” を走り終えたからです。


走るべき道がまだ残っているのに走りを中断したのではなく、“疲れたから後はゆっくり休もう” ではないです。

ゴールは、“いのちが尽きるところまで” が走り終える地点です。


ある牧師の話です。

年を取ったので、教会からも引退するように言われ、引退しました。

奥さんの方が先に亡くなり、牧師は子供たちに迷惑はかけたくないということで、老人ホームに自ら入りました。


しかし、そこで何もせずに時間を過ごしたのではなく、周りの入居者の様子を見ていました。

そこには寂しさを感じている人、問題を抱えている人、病気の人など様々な人たちがいました。


そこで牧師は毎日 人々の世話を始めました。
そうすると、皆がとても喜んでくれて、施設の関係者たちもすごく喜んでくれました。

そして、全員がその牧師のことを “神様が送って下さった天使” と呼びました。


これが忠実な働きです。

言い訳が多いのは忠実とは言えないです。


私たちは、“死に至るまで忠実でありなさい” と言われています。


神様が(その働きを)取り上げない限り、自ら辞退をしないことです。

それは主から受ける冠を自分から拒否することになります。






ロサンゼルスオリンピックのマラソンで、ある女性選手がフラフラと意識が朦朧になりながらも、ゴールに向かって歩きました。

何度も倒れそうになりながら、ゴールまで辿り着いて倒れました。


選手としてずっと目指して走って来ましたので、簡単に諦めることが出来なかったと思います。


その姿に皆が大拍手を送りました。

メダルは取れませんでしたが、最後まで走りぬく姿勢は 私たちに感動を与えました。


自分に与えられた神からの奉仕をないがしろにして、忠実でもないのに神様が与えてくださる冠に対しては関心と期待が大きい人がとても多いです。


しかしこのような人たちには、忠実な人だけに与えられる冠を受けることが出来ません。


神の働きをするためには、自分がしたいことを先にしてから 残りの時間ですることは出来ません。
神様は、“神の国とその義とをまず第一に求めなさい”と語りました。


自分のことよりも、神様の働きをまず考えて忠実に働いて下さい。


黙示録でも忠実な人たちだけに与えられる祝福がたくさんありました。

そうではない人たちには「悔い改めなさい」と言われました。


「昔はよく奉仕をしましたが、今はしていません」という人たちがいますが、それは自慢話ではなく、その人が忠実な者から今は怠け者になったことを意味します。


特別な事情も もちろんあると思いますが、本当にそれだけの理由なのかをよく考えてみて下さい。

神様は心の内を誰よりも知っておられるからです。




3.福音を伝える人




イエス様がわざわざ地上に来られた目的は何でしょうか。


【ルカの福音書19章10節】

人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。

イエス様ほど魂に対して関心が強い方はおられません。

神様が1番喜ぶのは、失われた魂を捜して救うことです。


よみがえってから天に上る時に、弟子たちに命じたのが 全世界に福音を宣べ伝えることでした。

福音を伝えるのは聖徒たちに与えられた使命です。


自分だけが救われて天国に行くのではなく、他の人も天国へ行けるようにと福音を伝えます。


弟子たち全員は、なぜ殉教しましたか?
――彼らが主の命令に従って福音を伝え、福音を拒否する人たちによっていのちが奪われました。


日本でも韓国でも、初めに福音を伝えに来た外国人の宣教師たちが多くいのちを落としました。
そして信徒たちも殉教しました。


福音の内容もまともに聞かず、最初から反対されました。

心の頑なな者は聞く耳がないです。


古いものに執着を持っている人や既得権を持って良い思いをしている人たちは、新しいものに対していつも反対し妨害します。
それは全世界どこも同じです。


それでも逃げず、恐れずに福音を伝えることが大切です。


なぜなら福音を聞かせないと彼らは救われることがないからです。

反対する人の中にも、聞いて信じる人がいるかも知れないです。


パウロは福音に命を懸けました。

その様子は次の箇所です。


【第1テサロニケ2章9節】

兄弟たち。あなたがたは、私たちの労苦と苦闘を覚えているでしょう。私たちはあなたがたのだれにも負担をかけまいとして、昼も夜も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えました。

神様はこのように、主のことばに従いながら、働く人に目を留めておられます。

そして彼らの労苦と苦闘に、報いとして栄光の冠をその人たちに与えて下さいます。


この世でも最善を尽くした時に良いものを得ますが、主のために最善を尽くして働いた者たちに対する神からの報いは、私たちが想像することも出来ないほど尊い物であり、永遠のものです。

価値あるものを目指すのが、無駄な人生を歩まない方法です。


財産、権力、名誉、欲しい物のために命を懸けて最善を尽くす人がたくさんいますが、それによって神からいのちの冠、栄光の冠を受けることは出来ません。


聖徒の人生は価値があり 尊いものですので、(まだ救われていない人とは)目指すものが違います。


素晴らしいものを用意しておられる神様に期待しながら、この世で走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通し、そして人々に福音を伝えることです。


そのようにしている人は神様が用意した素晴らしい報いがあります。

それは永遠にその人の冠として その人に栄光を与え続けます。


人それぞれの働きに神は正しく報いて下さいますので、いのちと栄光の冠を受けられるように 与えられた人生で最善を尽くしていきましょう。
( ̄∠  ̄ )ノ

2015.8.16
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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神の計画と神の願い

テーマは 『 神の計画と神の願い 』 です

【エペソ1章3-6節】

私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。

すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。

神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。

それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。

本文には、神の人類に対する壮大なプロジェクトがあります。

その計画を立てたのは神であり、このプロジェクトは変わることもなく今も続いています。

このプロジェクトはイエス・キリストの誕生、十字架の苦難、復活、昇天によってその内容が明らかになりました。


みなさんは神の人類に対する計画を知っていますか?

今回はその計画の内容と神の願いに対して学びたいと思います。



■神の計画の内容について■



1.イエス・キリストの恵みによって人類を罪から贖う計画




人間は創造主に出会うまでは人間の始まりや、尊厳、役割、堕落や罪がどのようなものであるのか、そして自分に贖いが必要であることも知ることが出来ません。

創造主に出会わないと、でたらめなことを聞いても分別がつかず 信じてしまいます。


そして人々は、人間がサルから進化しているという進化論を疑うことなく信じています。

もしも、それが事実であるならば、今もサルは進化を続けなければなりません。
サルはサル、人間は人間であるので、まったく別物です。

創造主に出会って初めて人間は神の作品であり、その目的は神の栄光を現す存在として造られたことが分かります。


【エペソ2章10節】

私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。

しかし、創世記3章に最初の人間であったアダムとエバが神の命令に自ら不従順することによって 神の前に罪を犯しました。

罪とは神の言葉に対しての違反行為を意味します。

人間は神の祝福と神の愛を受ける存在として造られましたし、神様に栄光をささげる特別な存在でもありました。

それなのに、神様からしてはならないと命じられたことに対して違反しました。


その違反によって神との関係が壊れ、祝福を失い、その代わりに死、呪い、労苦、罪の奴隷、サタンに支配されるようになりました。


それによって、まったく希望のない絶望状態になりました。
しかし、それを見てかわいそうに思ったのも神様でした。

そして死と絶望状態の中に陥ってしまった人間を救う神のプロジェクトが始まりました。

そのプロジェクトの中心的な存在がイエス・キリストでした。


次の箇所に全貌があります。


【ヨハネの福音書3章16-17節】

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。

人間が神に対して罪を犯し堕落していても、人間に対する神の愛は変わりませんでした。
救いは神の愛そのものです。

救いを受けることは神の愛を受け止めることです。救いを拒むことは神の愛を拒むことと同じです。

その愛を拒み続けることは永遠に自分自身を神から離す行為です。

それによって罪の結果である死を免れることがなく、神の怒りを招くことになります。


救いは人間として生まれたならば、誰にでも必要です。
なぜなら神の前に違反行為をしてない人は1人もいないからです。

しかし救いは私たちの努力によって得られるものではなく、神がすでにキリストにあって用意した恵みを信じて受け取ることです。


救いとは無関係であった人が救いを受ける過程をエペソ書2章で知ることが出来ます。


【エペソ2章1-9節】

あなたがたは自分の罪過と罪との中で死んでいた者であって、

そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。

私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。

しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、

罪過の中で死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです――

キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。

それは、あとに来る世々において、そのすぐれて豊かな御恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜る慈愛によって明らかにお示しになるためでした。

あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。

行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。

救いは、(私たちの)努力も資格も罪の状態も関係なく、救いを求めるすべての人に神のプレゼントとして与えられます。

これは尊いプレゼントなので必ず受け取る必要があります。

自分が罪ある人間であることを告白し、イエス・キリストが救い主であることを信じるならば恵みとして救いを受けます。




2.私たちを選び、神の子にして、素晴らしい祝福を相続する者にする計画




救いは、罪によって神との関係を分離された人間が 再び神と和解して新しい関係になることですが、その関係は最も親密な関係である“父と子の関係”、すなわち神の家族になることです。

神の家族になるということは神と共に生きることです。

神から遠く離れていた者が神と共に生きる者になると、今までとは違う生活になり、日々 神様と個人的な交わりをします。

神様は神の子どもたちに素晴らしい祝福を相続させる計画をもっています。


そのことを神のことばで確認します。


【ヨハネの福音書1章12節】

しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

【ガラテヤ3章26節】

あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。

【ガラテヤ4章6-7節】

そして、あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。

ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子ならば、神による相続人です。

神から相続するものは天にあるすべての霊的祝福です。
この霊的祝福は私たちが想像も出来ないほどの素晴らしい祝福です。


イエス様が弟子たちに「私の父の家には住まいがたくさんあります。」と話したこともあります。

これは天国の話ですね。
また、黙示録にも私たちが相続するものがたくさん書かれています。

すべてが素晴らしい祝福です。神の家族になった者だけがその祝福を相続することが出来ます。


日本では死んだら誰でも天国に行くような話をよく聞きます。

「天国に行ってもお酒を飲んだり、マージャンをしてください」と、まるで地上と同じ生活をするように言いますが、その根拠はどこにあるのでしょうか?

また地獄の話も聞きますが、それなら地獄は誰が行くでしょうか?

明確な根拠もないのに、そのように言うのは “そうあってほしい” という希望があるからだと思います。


そういうわけで明確な根拠があるものを信じたら心配なく天国に行けます。




3.地の果てにまで証人として主に仕えさせるための計画




イエス・キリストは十二弟子を選びました。

彼らは特別に偉い者でもなく、どこにでもいるような平凡な人々でした。

その人たちを主は3年間訓練して証人として世に遣わしました。

イエス様はすべての人が救われることを願って弟子たちに出て行って福音を伝えるように命じました。


【マルコの福音書16章15-16節】

それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。

信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。

【マルコの福音書16章19-20節】

主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。

そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。

弟子たちは証人としての働きを いのちを懸けてしました。

平凡な人たちでしたが、主の命令に従って出て行った時に、主は彼らに力を与え、その働きが出来るようにして下さいました。


信じる者はすべて弟子にならないといけないです。

弟子とはイエス様に従う人ですが、それだけではなく、生活の中でイエス様の姿を再現していく人たちです。

主から学んだことを実行していき、また主に似る者になることです。


最初の弟子たちによって救われた人々も次々と弟子になりました。


【第2テモテ2章2節】

多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。

【第2テモテ2章9-10節】

私は、福音のために、苦しみを受け、犯罪者のようにつながれています。しかし、神のことばは、つながれてはいません。

ですから、私は選ばれた人たちのために、すべてのことを耐え忍びます。それは、彼らもまたキリスト・イエスにある救いと、それとともに、とこしえの栄光を受けるようになるためです。

このように証人たちの働きによって福音は全世界に広がって行きます。


【マタイの福音書24章14節】

この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。

ここに神様の願いが込められてあります。

救いの対象は全世界の人々です。


救いの良い知らせを人々に聞かせて魂を救うのが神様の願いです。


救いを受ける者は最初から決まっていると言う人もいますが、聖書は次のように書いています。


【第1テモテ2章4節】

神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。

すべての人が救われることが神の最大の願いです。

そして次のように救いの門を開いておられます。


【マタイの福音書11章28節】

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

【ヨハネの黙示録3章20節】

見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。

すべての人の救いに主は関心があります。

救いの恵みを与えたいと願って今も人々を招待しています。


主の声を聞いて心に招くならば その人は救いを受け、神の家族、御国を相続する者、主の証人になります。

―― 救いを受けていますか?
救いは物ではありません。


自分の存在を “どこに所属させるか” です。

まことの神の所属になることが救いであります。
(*´∇`*)

2015.6.28
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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