からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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礼儀

愛とは

テーマは 『 愛とは 』 です


「愛」とはどのようなものでしょうか。

聖書の「愛」は恋愛の「愛」ではなく、心がドキドキするような「愛」ではなく、恋人や夫婦の中の「愛」のことではなく、恋人、夫婦、子ども、兄弟、家族、教会の兄弟姉妹、友達、会社の人、周りの人々すべてに対する「愛」を指します。


【第1コリント13章1-13節】

たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。

また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。

また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、

不正を喜ばずに真理を喜びます。

すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。

というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預言することも一部分だからです。

完全なものが現れたら、不完全なものはすたれます。

私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。

今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。

こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。


まずこの箇所を大きく分けると3つに分けることができます。






1)愛なしでは意味なし(1-3節)

2)愛の性質(4-7節)

3)愛は絶えない(8-13節)


2つ目の「愛の性質」を詳しく見ていく前に、先に他の二つを確認していきましょう。


1)愛なしでは意味なし(1-3節)

たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。

また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。

また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。


たとえ、どんなに賜物を持っていても、預言が出来ても、知識が優れていても、完全な信仰があったとしても、愛がなければ意味がありません。


すべて それは形だけ、スペックだけがすごくて中身がない人間です。

たとえ、全財産を貧しい人にあげて素晴らしい奉仕をしたとしても、迫害から逃げずに信仰を貫いたとしても、愛がなければ何の価値もないのです。


それほど愛はすべてのうちで最も大切であり、愛がなければ何の意味がないほど、愛は必要不可欠なものなのです。


3)愛は絶えない(8-13節)

愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。

というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預言することも一部分だからです。

完全なものが現れたら、不完全なものはすたれます。

私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。

今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。

こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。


預言、異言、知識はすべて神様、イエス様についてです。


今は私たちが直接神様、イエス様と会うことができません。

そのため、これから再び来られるイエス様や世の終わり、天の御国についての預言が与えられていますが、その預言は神様について すべて語られているのではなく、一部について語られているのです。


それはまるで鏡にぼんやりと映る姿を見ているようです。

当時の鏡は今私たちが持っているような くっきりとはっきりと映っている鏡ではなく、青銅でできた鏡のため、ぼんやりと映っていたのです。


神様やイエス様のことを私たちは今はっきりと見ることはできず、預言や聖書を通して、どういう方なのか、ぼんやりと知っています。



でもイエス様が再び来られる時、また私たちが天の御国に帰る時には 私たちはいよいよ神様、イエス様と直接顔と顔を合わせて見るようになるのです。


そうなると預言、異言、知識はすべて必要がなくなります。

残るものは聖書に書かれている通り、神様を信じる私たちの信仰、イエス様の中にある希望、神様、そして人々への愛なのです。


この愛は止まることがなく、なくなることがなく、常にあるものなのです。

次に、実際にこの愛とは何か、4-7節を詳しく見ていきましょう。






2)愛の性質(4-7節)

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、

不正を喜ばずに真理を喜びます。

すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。


① 愛は寛容、親切

この「寛容」は、ギリシャ語では「忍耐」の意味であり、特に「何か怒るようなことがあったのにも関わらず、文句も言わずに我慢すること、忍耐すること」を意味しています。


相手が何かあなたを怒らせるようなことをしたとしても、それに対して文句を言わずに忍耐し、赦すこと、寛容である姿が愛の姿なのです。

しかもそれに加えて、その人に親切にすることが本当の愛の姿です。



私たちが悔い改めをする時、「しまった」と心から反省する時はいつでしょうか?


それは人に指摘され、文句を言われた時でしょうか。

いや、むしろ逆に悪いことをした相手が私たちを赦し、それどころか親切にしてくれた時に心から「申し訳なかった」と悔いたり、反省をしたりするのではないでしょうか。



人の心を溶かし、和らげるのは、指摘の言葉ではありません。

人の心を動かし、和らげるのは、その人を赦す心、寛容な心、相手に対する親切な心、親切な行動なのです。


愛は相手があなたにしたことに対して、文句を言わずに忍耐し、逆にその相手に親切に接することです。





② 妬まない、自慢しない、高慢にならない

妬みとは、他の人が持っているものや、他の人のことを羨ましいと思うことや、誰の方がもっと良いのか、優れているのかと言い争うことです。

また、人の成功を喜ばしいと思わないことです。


ここでの「愛は自慢しない」は、その相手に対して自分のことを自慢しないということです。


「私すごいでしょ、偉いでしょ」と自慢すること、高いプライドを持って相手に接することは愛のない姿です。

それは相手の徳を高めること、つまり人々の役に立つ、人々がよくなるように仕えるのとは正反対であり、「自分自身、自分だけよければ良い」という考え方なのです。


本当の愛の姿は、相手に対して自分のことを自慢せず、相手の上に立とうとしません。






③ 礼儀に反することをせず、不正を喜ばない

礼儀とは、人前での態度、ふるまいです。


ここでは、礼儀に反する事として不品行や、性的な問題なども挙げられます。

今でいう「ハラスメント」をしないということです。


自分自身がしないということだけではなく、相手が行っている不正、つまり聖書的ではないこと、聖書に反することを喜ばないことも愛です。


もし相手が罪を犯しているのならば、その罪自体に私たちは喜ぶべきではありませんし、むしろ相手が正しい道に戻れるよう、神様が喜ぶ姿に変えられるように努めるべきです。


ここでの「真理」は、義と霊的に清いこと、つまりは神様の中で正しく、霊的であることを喜ぶべきだと教えています。





④ 自分のやり方、自分を優先しない

日本語の聖書では、「自分の利益を求めない」と書いてありますが、ギリシャ語には実は「利益」という言葉はなく、「自分の」とまでしか書かれていないのです。


つまりは「自分のもの」を求めない、言い換えると自分のやり方、自分を優先しないということです。






⑤ 怒らず、人のした悪を思わない

ここで「人のした悪を思わない」とありますが、ギリシャ語では、「人のした悪を数えない、記録しない」という意味です。


私たちは よく「この人にこんなことされた」「昔もこんなことしたよね」と相手がした悪いことを心の中で記録しがちです。


でも、人を愛することは、その人がした悪いことを心の中で記録せず、数えないことです。

罪は悪いことですし、犯すべきではないのですが、いつまでも人の罪を私たちが覚えて記録しておくべきではないのです。


神様も罪自体は全く喜ばないですし、私たちが罪を犯さないことを願っていらっしゃいますが、私たちが犯した罪をいつまでも記録して覚え、ずっと責め続けることはなさらないのです。

私たちが支払うべき罪の代価をイエス様が代わりに支払ってくださったからです。


私たちにした人の悪は、私たちが記録せず、代わりにイエス様がその人の代価を支払ってくださったことを覚え、その罪を赦すべきです。






この愛の姿を全部まとめて書いてあるのが、7節です。


すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

この愛の姿ですが、私たちの実際の生活の中で一番想像しやすく、似ている姿は、“赤ちゃんへの母の愛” です。


お母さんは赤ちゃんと共に過ごしながら、その赤ちゃんが泣きまくったり、変えたばかりのおむつにうんちをしたりしても怒らず、そのことを覚えて責めず、それでも赤ちゃんにやさしくし、大切に接するのです。


夜泣きをしてあまり眠れなくても赤ちゃんをあやしますし、それでも赤ちゃんの面倒を見ますし、礼儀に反するようなことはしません。

お母さんはいつも自分のことは優先せず、赤ちゃんを優先して赤ちゃんのことを思います。


その赤ちゃんのためにすべてを我慢し、その赤ちゃんが元気に大きく育っていくことを信じ、期待し、何があっても耐え忍びます。

この親の赤ちゃんに対する愛が、聖書で書かれている愛の姿に一番近い身近な愛の姿です。



また、この世で完全な愛を見せたのは一人しかいません。

それはイエス様が私たちに向けた愛です。


イエス様が私たちを愛したその姿、その愛の形はここで書かれているのにすべて当てはまります。


聖書で書かれているイエス様の姿を見ることによっても、愛がどういうものであるかを私たちは知ることができるのです。


その愛を私たちも実践していかないといけないのです。

なぜ私たちは周りの人を愛さないといけないのでしょうか。


彼らが私たちによくしてくれたからですか。

家族だからですか。


何かをしてくれたから愛すのではなく、その隣人を愛することは神様が私たちに与えた一番大切な命令だからです。


【マタイの福音書22章35-40節】

そして、彼らのうちのひとりの律法の専門家が、イエスをためそうとして、尋ねた。

「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」

そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』

これがたいせつな第一の戒めです。

『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。

律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」


私たちが周りの人を愛す理由は、その人がどうとか、何をしたからとかではなく、神様がそのように私たちに求めているからです。


神様が私たちを愛してくださったのも同じです。

神様が私たちを愛すと決めてくださったから、私たちが罪を犯し、どんな姿であったとしても、私たちを赦し、愛し、信じて待っていてくださるのです。



私たちも神様が私たちにしてくださったように、周りの人を愛すべきなのです。


完全な姿ではないけれども、少しずつキリストの姿に似たものになること、そのためには何よりもキリストが私たちに一番大切だと教えてくれた「隣人を愛しなさい」ということを実践することが大切なのです。


【第1ヨハネ4章7-11節】

愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。

愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。

アーメン (=゚ω゚)人(゚ω゚=)


2021.5.23
聖日礼拝メッセージ

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聖徒が取るべき神への礼儀

テーマは 『 聖徒が取るべき神への礼儀 』 です

【詩篇30編1-6節】

主よ。私はあなたをあがめます。あなたが私を引き上げ、私の敵を喜ばせることはされなかったからです。

私の神、主よ。私があなたに叫び求めると、あなたは私を、いやされました。

主よ。あなたは私のたましいをよみから引き上げ、私が穴に下って行かないように、私を生かしておかれました。

聖徒たちよ。主をほめ歌え。その聖なる御名に感謝せよ。

まことに、御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。

私が栄えたときに、私はこう言った。「私は決してゆるがされない。」

良い人間関係を作るためには、それにふさわしいことばや行動が必要です。


もし礼儀がない行動や悪いことばを使うならば、相手を傷つけるだけでなく、人間関係も壊れてしまいます。

そして自分の印象もとても悪くなります。


ですから人間関係で 皆がその部分では気をつけます。



クリスチャンには、人間関係よりも優先しなければならない関係があります。


それは自分を救い、恵みを与えておられる神との関係です。

神との関係を良くするためにも、神にふさわしい礼儀が必要です。


しかし神に無礼な態度をとる人も多いです。

そういう人は、もちろん神との関係が悪いですね。



皆さんは神との関係が良いですか、微妙ですか。それとも悪いですか?



恵みと祝福は、神との良い関係の中で生まれます。

悪い関係は壊れた関係なので、良いものを受けるためには修復が必要です。


クリスチャンとって、神は絶対的な存在でなければならないです。


人間関係よりも関係が薄いならば、それは深刻な問題です。

「本当にクリスチャンですか?」と言いたくなります。


そういう人は、神を自分の必要のために利用できる存在として考えている人にしか思えないです。

神は利用されるほど愚かな方ではないです。



神は偉大で全知全能なる方で、絶対的な存在なので、それにふさわしい態度や礼儀が必要です。


聖書から神への礼儀を調べます。




いつも主を崇めること




【詩篇30編1節】

私はあなたをあがめます。

あがめることは、心から神を褒め称えることです。


憧れの人に会った時の人々の反応は 感動、感激で言葉も出ず、涙を流したりもします。

そしてその人に対してはすべてを称えますね。

その人をあがめていることが その態度によって分かります。


神を崇める態度には、“神を褒め称えること、神を喜ぶこと、神に感謝すること” があります。


【詩篇7編17節】

その義にふさわしく、主を、私はほめたたえよう。いと高き方、主の御名をほめ歌おう。

【詩篇30編4節】

聖徒たちよ。主をほめ歌え。その聖なる御名に感謝せよ。

【詩篇89編16節】

彼らは、あなたの御名をいつも喜び、あなたの義によって、高く上げられます。



いつも主の御名を誇り、栄光を主に捧げること




主の御名を誇り、栄光を主にささげる理由があります。


主は全能者であり、宇宙と歴史を支配する絶対的な存在であるからです。


主にまさる者は存在しません。



【詩篇20編7節】

ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。

【詩篇29編1-2節】

力ある者の子らよ。主に帰せよ。栄光と力とを主に帰せよ。

御名の栄光を、主に帰せよ。聖なる飾り物を着けて主にひれ伏せ。



主を愛し、主に頼ること




神を愛し、神に頼ることは神中心に生きることです。


その人はすべてを神にかけて生きています。

神と共に歩みます。


【申命記7章9節】

あなたは知っているのだ。あなたの神、主だけが神であり、誠実な神である。主を愛し、主の命令を守る者には恵みの契約を千代までも守られるが、

【イザヤ書26章3-4節】

志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。

いつまでも主に信頼せよ。ヤハ、主は、とこしえの岩だから。



主の御名を語り告げること




すべての人々に神の偉大な御名を語り告げることは生涯すべきことです。


主の御名は隠すべき名ではありません。

すべての人が主を知るように、その前にひざまずくように語り告げることです。


【詩篇22章22-23節】

私は、御名を私の兄弟たちに語り告げ、会衆の中で、あなたを賛美しましょう。

主を恐れる人々よ。主を賛美せよ。ヤコブのすべてのすえよ。主をあがめよ。イスラエルのすべてのすえよ。主の前におののけ。

私たちが日々神様に対して、このような姿勢を見せるならば、神様が喜ばないはずがありません。

神との関係が悪くなるはずもありません。



いつまでも良い関係で、神の恵みと救いと助けと守りを受けます。


神がそうすると約束して下さったからです。


【詩篇37編3-6節】

主に信頼して善を行え。地に住み、誠実を養え。

主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。

あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。

主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。

アーメン (*・ω・)ノ

2019.4.28
聖日礼拝メッセージ

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主が求めておられること

テーマは 『 主が求めておられること 』 です

【ミカ書6章8節】

主はあなたに告げられた。人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか。

2016年がスタートしました。

心を引き締め、身を慎むことが必要です。


スタートから何も考えず ダラダラと生きるならば、神にとっても人にとっても役に立たない者になります。


新しい一年をしっかりと信仰持って神と共に歩むためには、神が何を喜び、何を私たちに要求するのかを知って、それに合わせて生きる時に、その信仰は生き生きとした信仰になり、神に喜ばれる人になれます。


私たちが神のみこころを知って、それに共感しないと 神と共に歩むことはとても難しいので、今回はみこころを知って、共感してこの一年を神と共に歩みたいと思います。


今回のテーマ箇所の 主のことばには、主が求めるものがあります。




公義を行うこと




この “公義” とは どのような意味でしょうか。


神のことばに従って正しく生きることです。


これは罪人である者として、真の悔い改めなしには不可能です。


なぜならば真の悔い改めなしに、神の前に正しく歩むことが出来ないからです。


神に逆らう態度や、神が忌み嫌うものから離れ、神の言葉に従うことが “公義を行う” ことです。

真の悔い改めもない状態で、他のものでごまかしても 神がそれを知らないわけでもないですし、喜ぶわけでもありません。


クリスチャンの中でも自己流信仰の人がとても多いです。

自分だけが良いと思うやり方で信仰生活して、それを正しいと主張します。

そして他の人を裁きます。


それが正しいですか?それが公義でしょうか?
―― それは違います。


ヨブという人物を見ると、公義を行うとは どういうことかが分かります。


【ヨブ記1章1節】

ウツの地にヨブという名の人がいた。この人は潔白で正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていた。

【ヨブ記1章4-5節】

彼の息子たちは互いに行き来し、それぞれ自分の日に、その家で祝宴を開き、人をやって彼らの三人の姉妹も招き、彼らといっしょに飲み食いするのを常としていた。

こうして祝宴の日が一巡すると、ヨブは彼らを呼び寄せ、聖別することにしていた。彼は翌朝早く、彼らひとりひとりのために、それぞれの全焼のいけにえをささげた。ヨブは、「私の息子たちが、あるいは罪を犯し、心の中で神をのろったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつもこのようにしていた。

公義を行う人は 神を恐れていますので、悪から遠ざかり、常に罪から聖別します。

罪に対して敏感で 罪を放置せず、すぐに悔い改めます。


これは形式的な信仰態度では出来ないことであり、心を引き締め、身を慎みながら生きている姿です。


ヨブのように真剣な態度で神を恐れ、神の前で生きようとする人が公義を行う人です。


新約聖書では公義を行う姿を次のようにも教えました。



【ローマ12章1-2節】

そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

日々 聖くなることが公義を行う姿で、それが霊的礼拝になります。


これは、神が私たちに常に求めておられる姿です。

真実な主の前で、偽りや形式で固めたものを差し出しても 主が喜ぶはずがありません。


それは神の前に礼儀ある姿ではないです。

私たちも礼儀のない人は好きではないですね。

神様に対しても礼儀がないならば嫌われます。


公義を行うことは神への礼儀です。




誠実を愛すること




“誠実” とは真心があることです。

真心で人や物事に対応することです。


それをさらに “愛すること” はそれに集中して心をすべて注ぐことです。


人はうわべを見ますが、神様は心を見ます。


何をするにも 神様は心の状態を見て判断します。

死に至るまで忠実な姿が、“誠実を愛する姿” です。


人間ほど変わりやすい者はいません。
手の平を返すように 心を変えることが多いですね。


神様は、誠実を愛する人を求めています。


神様は 愛していたイスラエルの民からいつも裏切られました。

彼らは簡単に神を捨てて、他の神々を求めて離れて行きました。

誠実さがなく、姦淫を行いました。


・神様だけを愛し続ける人が 神に誠実な人です。

・迫害があっても信仰を捨てず、主を信じる人が誠実を愛する姿です。

・奉仕がしんどくてもやり続けることが 誠実を愛する人です。

・誠実な人は、聞くだけで済ませる人ではなく実行する人です。


儒教の生みの親である孔子が ペルシヤ王の招きを受けた時に、馬鹿っぽい弟子1人だけを連れて行きました。

王は愚かに見える弟子を見て、孔子に「なぜあんな人を連れて来ましたか。」と尋ねると、孔子は答えました。


「私には一つ教えると十を悟る賢い弟子は多いですが、彼らは頭で理解するだけで実践しないですが、この弟子はあまりにも足りないので、一つ教えると それを忘れてはいけないと思って、すぐに実践する人だから私が一番愛して傍に置いています。」


聞いても何もしない人は、誠実な人ではないです。


心を込めて実行する人、そして それを継続する人は誠実で忠実な人です。

これは本当に必要な姿です。

神の民に求められるのは、頭に知識だけをいっぱい詰める人ではなく、誠実を愛する姿です。




へりくだって神と共に歩むこと




へりくだっている人は、己を知っている人です。


人生で一番難しいことは 自分自身を正確に知ることです。

へりくだっている人は、自分が無知であることを知って、絶えず変わろうとします。

そして自分の弱さを恥ずかしがらずに認めます。


自分の間違いも認め、自分の限界も知っているので努力をします。

そして自分の弱さを知っているので、人の弱さも理解し、人の間違いにも寛大です。

自分が弱い存在であることを知っているので、神に頼り、神と共に歩みます。


従順は へりくだる者が出来ます。

このような人と 主は共に歩みます。

これが今年目指すべき姿です。
(・∀・)つ


2016.1.2
新年礼拝メッセージ

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感謝は礼儀である

テーマは 『 感謝は礼儀である 』 です

【詩篇111篇1-10節】

ハレルヤ。私は心を尽くして主に感謝しよう。直ぐな人のつどいと集会において。

主のみわざは偉大で、みわざを喜ぶすべての人々に尋ね求められる。

そのみわざは尊厳と威光。その義は永遠に堅く立つ。

主は、その奇しいわざを記念とされた。主は情け深く、あわれみ深く、

主を恐れる者に食べ物を与え、その契約をとこしえに覚えておられる。

異邦の民のゆずりの地を、ご自分の民に与え、彼らに、そのみわざの力を告げ知らせられた。

御手のわざは真実、公正、そのすべての戒めは確かである。

それらは世々限りなく保たれ、まことと正しさをもって行われる。

主は、御民に贖いを送り、ご自分の契約をとこしえに定められた。主の御名は聖であり、おそれおおい。

主を恐れることは、知恵の初め。これを行う人はみな、良い明察を得る。主の誉れは永遠に堅く立つ。

今日は収穫感謝祭ですので、感謝をテーマにしたメッセージを伝えたいと思います。


“収穫”ということばがあると、何かを手に入れたから それに対して感謝を捧げる事だと思っているかも知れません。

もちろん得たことに対しては、私たちは当然のように感謝をしなければなりません。
(何かを得たのに)まるで受けていないかのように黙っていてはいけません。


ですから今日は神様から受けた恵みに対して1つ1つ覚えながら、しっかりと感謝をして欲しいです。


そして今回は、それ以外にも私たちが最も感謝をしなければならないことがあるので、それに焦点を合わせて語りたいと思います。


今回のテーマは「感謝は礼儀である」と決めました。

人に対して感謝のことばを伝えることは、相手に対して礼儀を見せていることです。

良くしてもらっているのに、感謝のことば1つ言わない人に対して礼儀正しいと言えるでしょうか?
きっと、礼儀のない人だと思うでしょう。


神様に対しても感謝のことばを言うなら、礼儀のある人です。
しかし感謝のことばを言わないならば、神様に対して礼儀のない人になります。


詩篇111篇は“神への賛美”です。

賛美は神への最高の感謝です。神の存在そのものに対しての感謝であり、神の前に立って最高の礼儀を見せている姿です。


神様を本当に知っている者は、常に神様に目を向けて、神様の存在そのものに感謝しています。
皆さんはそのようにしていますか?


自分に対して神様が何をしたか、しなかったかに関係なく神様という素晴らしい存在がおられることに感謝をささげます。

心を尽くして主に感謝しますと告白することが神様が1番喜ぶ感謝です。

最大の敬意を現わしながら主をほめたたえ感謝をささげる時に、主が喜ばないはずがありません。


具体的にどのようなことをほめたたえ感謝をしたでしょうか?





①主の偉大さ、主の尊厳と威光、そして主の義をほめたたえる




いつも神様のことを考え、神様のことを調べ、神様に近づく人は自然とその口からまず神様への賛美が出てきます。


『主は何と素晴らしい方でしょうか。あなたはまことに偉大な方です。
栄光に満ちた主よ。主の栄光がとこしえにありますように。主は情け深く、あわれみ深い方です。』


このように次から次へと主への賛美が出てきます。

これがすべて神の存在に対する感謝です。


“感謝します。感謝します。”と言うことが感謝ではなく、主への賛美は立派な感謝でありますので、主の前に出た時は いつも主をほめたたえることからはじめてください。


いきなり「これをしてください。あれをしてください。」と神様を召使いのように命令しながら使ってはいけません。

それは神様のことをまともに知らない人がすることであり、礼儀がなっていない人の姿です。





②教会と神の民たちに対して感謝




1節で「私は心を尽くして主に感謝しよう。直ぐな人のつどいと集会において。」と感謝をささげました。

主を信じる人々が集まる教会と信じる人々の親しい交わりに対して心から感謝をささげていますか?


異邦人のように教会に通う人とお客さんのように通う人は感謝を知らないと思います。

しかし教会を愛し、信徒を愛する人たちは教会があることを感謝し、信徒に対しても いつも主に感謝を捧げます。


教会は神がおられる所です。
神に仕えていたコラの子たちが神にささげた賛美が詩篇84篇ですが、1節から4節に素晴らしいことばが出てきます。


【詩篇84篇1-4節】

万軍の主。あなたのお住まいはなんと、慕わしいことでしょう。

私のたましいは、主の大庭を恋い慕って絶え入るばかりです。私の心も、身も、生ける神に喜びの歌を歌います。

雀さえも、住みかを見つけました。つばめも、ひなを入れる巣、 あなたの祭壇を見つけました。万軍の主。私の王、私の神よ。

なんと幸いなことでしょう。あなたの家に住む人たちは。 彼らは、いつも、あなたをほめたたえています。

皆さんにはこのような思いがありますか?


もし迫害が起こり、教会が壊され、信徒たちも散らされてしまうならば、その時に教会と信徒の仲間がどれほど大切な存在であったかを身に染みるほど分かると思います。


私たちが毎週集まって共に礼拝をささげ、祈り、一緒に語りながら食事をすることは本当に感謝なことですし、本当に幸せなことです。


いつも私はこのことを感謝しています。
なぜなら これがとても とても大きな祝福だからです。





③神様がいつも私たちに恵みを与えて下さることに感謝




神様は私たちのたましいを救い出しただけではなく、日々必要な食べ物を与え、住むところも与え、日々守ってくださる方です。

何もない荒野でもイスラエルの民200万人以上を40年間養ってくださった神様です。


イエス様は私たちに次のように語ってくださいました。


【マタイの福音書6章31-32節】

そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。

こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。

このように主が必要を満たす方であると教えて下さいました。


そして次のように主に祈りなさいと教えました。

私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。

実際に私たちは今年もすべてのものが与えられて生活できたことを感謝します。


食べ物がなくて飢えたことも、着る物がなくて裸で過ごしたことも 寝るところがなくてホームレスになったこともありませんでした。

すべてが守られましたので、心から感謝を捧げないといけません。


今日 話したすべてのことばを日々実行しながら生きた人物を聖書で探すならば、アブラハム、モーセ、ダニエル、ヨセフなど色々出てきますが、個人的にダビデは素晴らしかったと思います。


詩篇23篇にその姿が映されています。
神様への限りない感謝と信仰の思いが詩篇23篇です。
(・∀・)


【詩篇23篇1-6節】

主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。

主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。

主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。

たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。 あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。

私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、 私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。

まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、 私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

2014.11.23
収穫感謝祭メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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