からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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確信

圧倒的な主の愛

テーマは 『 圧倒的な主の愛 』 です

【ローマ8章35-39節】

私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。

「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。

しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。

私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、

高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

キリストの愛は世界にある すべての愛を全部合わせた愛よりも 大きな愛だと私は思っています。

ですから、その愛を “圧倒的な愛” と表現しました。


この “圧倒的な愛” に勝てるものは一つもないです。


その愛で私たちを愛するために、キリストはこの世に来て下さいました。


罪がないことを除いては、私たちと同じものになりました。

そしてその愛を余すところなく表して下さいました。


神はキリストを通して、どれほど私たち人間を愛しているかを見せて下さいました。

その圧倒的な愛を私たちは知らなければなりません。




救いの根源は圧倒的な主の愛である




【ヨハネの福音書3章16-17節】

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。

【第1ヨハネ3章16節】

キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。

ひとり子イエス様を、罪人である私たちの “救い” のために与えて下さった愛は 普通の愛ではなく、人間には存在しない “圧倒的な愛” です。


それによって救いを可能にしました。


「なぜ私のような者のために そんなことをしましたか?」と聞くならば、主はこのように答えるでしょう。


―― あなたを愛しているから ――



愛するのに条件があるならば、それは条件的な愛であって、純粋な愛にはなりません。


神の愛は純粋な愛で圧倒的な愛です。

そしてその愛にはものすごいパワーがあります。
引き離さないパワーです。


その愛を知っているならば、この世でどんな患難や苦しみがあっても恐れる必要がありません。


なぜならば離さないほどの強い神の愛で愛されているからです。


キリストの愛は、皆さんが抱えている患難、苦しみ、危険、剣よりも決して小さなものではありません。

すべての問題を圧倒する愛です。



自分が抱えている苦しみや問題によって 主から離れようと考えているならば、それは主の愛にまだ気付いていないです。


しかし反対に、放蕩息子のように問題の中で、主の愛に気付くならば幸いです。


主が話された放蕩息子の例えは、皆さんも知っています。

お父さんの愛に改めて目覚めたのは彼が無一文になってからでした。


すべてに恵まれていた時には まったく気付いていませんでした。

ですから財産をもらって遠くに離れて行きました。



すべてを失って誰からも愛されることなく、1人で困っていた時に、お父さんの愛を思い出しました。

それで家に帰ることを決心しました。もちろん不安と恐れもありました。

お父さんが自分を受け入れてくれるかどうかは分からないので、しもべの1人になっても良いと思って帰りました。


彼が帰った時に、思っても見なかったお父さんの愛溢れる歓迎を受けて彼はびっくりしました。

その時、やっとお父さんの愛が どれほど強い愛であるのかを実感しました。




聖徒は主の愛を実体験によって
確信することが必要である





患難、苦しみ、迫害、飢え、裸、危険、剣などは、実際に救いを妨害するためのサタンの攻撃によるものとして現れることも多いです。

また信じる者を倒す目的でそのような試練が来ます。


そのような厳しい状況の中でも、神の愛を確信する人だけが、自分の救いと信仰を守って勝利することが出来ます。


主の愛に対しての確信がない人は、厳しい状況の中で耐えることが出来ず、主の愛を疑って、主から離れて行きます。


愛よりも強いものはないです。

神様がひとり子キリストをお与えになったほどに自分を愛しておられると思うならば、目の前の患難が主の愛より大きく見えることはないです。


迫害が主の愛を奪い取るような強力なものには見えません。



殉教した人たちは、自分を愛する主の愛をどこでも感じるので、むしろ死ぬことも喜んでいました。

神の絶対的な愛と天国への確信を持っていたので、彼らはいのちが取られてもキリストから離れませんでした。


私たちを愛しておられる主が、苦しみの中にいる愛する者たちを見捨てることなどありえないことです。


それを彼らもみな信じていました。


【第1ヨハネ4章7-11節】

愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。

愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。

福音を異邦人に伝えたパウロは、コリントの信徒たちに手紙の最後にこのように言いました。


【第1コリント16章24節】

私の愛は、キリスト・イエスにあって、あなたがたすべての者とともにあります。

主の圧倒的な愛を体験した人は、人もこのように愛することが出来ます。

アーメン (。・ω・)ノ゙


2018.9.2
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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人生の台本

テーマは 『 人生の台本 』 です

ハレルヤ。

今日も聖霊に満たされますように祈ります。


人生には台本がありません。

人生ほど先が読めないものはありません。

ですから、ドラマチックでもあります。


聖書にはドラマよりも面白い ある人たちの人生が書かれてあります。


【第2列王記7章3-4節】

さて、四人のツァラアトに冒された人が、町の門の入口にいた。彼らは互いに言った。「私たちはどうして死ぬまでここにすわっていなければならないのだろうか。

たとい、私たちが町に入ろうと言っても、町はききんなので、私たちはそこで死ななければならない。ここにすわっていても死んでしまう。さあ今、アラムの陣営に入り込もう。もし彼らが私たちを生かしてくれるなら、私たちは生きのびられる。もし殺すなら、そのときは死ぬまでのことだ。」

当時、ライ病人は、町の中に住むことが許されず、町の外に隔離されて生活していました。

普通に生きることができず、社会から疎外されていました。


しかし、神様は彼らを使ってアラムに包囲され、そのためひどい飢饉が町を襲い、飢え死するしか道が残されていなかったユダヤ人たちに勝利の知らせを伝える者にしました。

四人のライ病人たちは、どうせ死ぬ運命だから、祖国を裏切り、アラムの軍隊に降伏するために行きました。


神様は自分の力をあきらめ、神の前に完全に降伏する人たちに恵みを与えた話が聖書に色々と出てきます。

しかし、それが終わりではなく、救い出した人たちを神の働き人として用いてくださいました。


ライ病人がしたことといえば、とにかく生きるために その道を探っただけでした。

何一つ持っていないライ病人として選択できる道は降伏することしかなく、彼らはその道を選びました。


しかし、何が起こったでしょうか?

アラム軍隊の耳には、彼らの歩く音がまるで戦車の響き、馬のいななき、大軍勢の騒ぎのように聞こえたので、彼らは恐れて何もかも捨てて逃げていきました。


ライ病人たちは何が起こったかも知らず、アラムの陣営に行って、驚く光景を目にしました。彼らはお腹いっぱいに食べ、この良い知らせをユダヤ人にも伝えました。


これは誰一人想像することすら出来ない 神の不思議な方法でした。

この方法に用いられた人たちは、霊的な人でも 特別な力がある人でもなかったことが、私たちに慰めを与えます。


アラムの軍隊も ライ病人たちも普段通りにやっていたでしょう。

しかし、神のドラマに動員された人たちは、何も分からず その役割を立派にこなしていました。


私たちの人生も、台本を事前にもらって演技をするドラマとは違って、次の場面がどのように進行されていくのか まったく分かりません。

ですから、人生に神の演出という信仰がないと、不安に絡まれてしまいます。


私たちが信じなければならないのは、神のドラマは私たちが想像すらできない神の方法で進みますが、次の箇所にあるように信じなければなりません。


【ローマ8章28節】

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

それを悟る人は患難の中でも、希望をもって感謝し 喜ぶことが出来ます。

神のドラマで、自分がどのような役割をするのか知る必要もありません。

事前に知ったら面白くないです。


ただ自分の役割に忠実であれば良いです。

神が演出する人生には、“失敗” という結末がないことを確信しながら、日々忠実な者になりましょう。
(*´Д`*)

2016.2.22
3分テレフォンメッセージ

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信仰はどのように働くのか

テーマは 『 信仰はどのように働くのか 』 です


【ヘブル11章1-3節】

信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。

昔の人々はこの信仰によって称賛されました。

信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えないものからできたのではないことを悟るのです。

一般的に 《信仰は何か》 と質問すると、「神様を信じること」と答える人が一番多いですね。


《信仰を持つと どうなりますか》 と質問すると、「天国に行く。」 「祈ったら願いが叶えられる。」と答える人が多いです。

みなさんはどう思いますか。


今回は信仰を持ったら、その信仰がどのように働くのかを学びたいと思います。




◎神の約束と神の力に対する確信が出てくる




1節に “保証と確信” という言葉がありますが、信仰があると、この二つのものが出てきます。


聖書は神の約束のことばであふれています。

理解出来ない部分もありますが、信仰を持つと そのすべてに対して疑いではなく、確信が出てきます。


もし皆さんが、信用も信頼も出来ない人と約束したならば、その約束が実行されるまで何度も不安になったり、思い煩ったりすると思います。

「約束は保証する」と言われても、信用出来ず 疑うと思います。


相手が信じられない不信仰は そのように疑い、不安、思い煩いをもたらしますが、信仰は反対に信頼、平安、確信をもたらします。

保証すると言われなくても不思議と保証されたと信じることが出来ます。


信仰は神の約束に対しても必ずそうなると確信出来ます。確信は、信じて疑わないことです。


信仰とは、五感で感じなくても、神の言葉に対する確信によって神がおられること、神がすべてを造ったこと、神が今も働いていること、神には力があって不可能がないこと、天国も地獄もあることなどを全部信じられますし、確信します。


信仰がないと何一つ確信できないです。

信仰がないと、聖書は ただの物語に過ぎないと思ってしまいます。


世界と人間の創造や奇跡の内容も信じられず、事実として受け入れることが出来ないです。


ですから、次のように言われます。


【ヘブル11章6節】

信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。



◎信仰によって神の摂理、みこころやみわざを悟ることが出来る




信仰がない時は神の存在、神のみこころ、神の救いの計画、キリストの十字架に対して全くの無知です。

すなわち悟ることが出来ないです。


悟りは、厳しい修行や瞑想で得るものではなく、神によって開かれる知恵です。


悟りが与えられないと、特に神のみことばとみこころを知ることは出来ません。

見えない世界や神に対して知りたくて、人間は必死に修行したり、想像力を生かして理解しようとします。


そして自分に悟りが与えられたと言って、人に勝手な教えをしたり、宗教を作ったりしますが、それらのもので真の神を知ることは出来ません。


しかし、神の言葉を聞いて正しい信仰を持つと 神の存在、神の計画、みこころ、神のみわざに対して悟ることが出来ます。


悟りの霊によって聖書の世界、霊の世界、神の世界が開かれていきます。

一気に全部開かれるわけではないですが、神の存在に対しては一気に信仰が出て来ます。


頭で理解するのではなく、心で信じるようになります。

これは神からの不思議な恵みです。


博士も悟れないのに、無学な人が悟ることは 神の世界ではよくあることです。


【へブル11章3節】

信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。

このようにありますが、これは見える世界が、目に見えない神のことばによって造られたことを意味します。


信仰があると 神の救いの計画、主の十字架、御国、世の終わりやさばきなどを悟ることが出来ますが、信仰がないならば聖書を読んでも神のみこころを悟ることは出来ません。


聖書を読む人は多いと思いますが、どんなに読んでも信仰を持たない人もいますが、わずかなことばを聞いても 信仰を持つ人がいます。


なぜなのかはよく分からないですが、これも神の一方的な恵みだと信じています。




◎信仰は神の約束のことばの上で働く




信仰の始まりも土台も すべて神の約束のことばです。

アブラハムの信仰はどのように働いたでしょうか。


【ヘブル11章8節】

信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。

アブラハムの信仰の行動は、神から約束のことばを聞いて、それに従って行動しました。

自分の計画でも人の勧めでもありませんでした。

神は彼が行動出来るように約束を与えました。


【創世記12章1-3節】

主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。

そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。

あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」

信仰ある人はこのように神の約束のことばの上で行動します。

すると主の御心のままに生きることが出来ます。


自分の考えや知識や経験、計画で動くのは信仰ではありません。
それは信仰とは無関係です。


神の言葉によって動くのが信仰です。


信仰が 神の約束と自分を結びつけます。

信仰は神の約束のことばと深く関係します。




◎信仰はキリストを一番大切にする




【へブル11章26節】

彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです。

これはモーセの信仰の姿ですが、モーセは自分が置かれた環境の中でとどまったならば、パロの娘の養子として権力、名誉、富、贅沢な生活すべてを手に入れることが出来ました。


しかし、そのすべてを失うことを知っていながらも、モーセはキリストを選びました。

イスラエルの民と共に苦労しましたが、彼はキリストから得られるものに注目して キリストを選びました。

パウロも同じでした。


【ピリピ3章7-8節】

しかし、私にとって得であったこのようなものをみな、私はキリストのゆえに、損と思うようになりました。

それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。

キリストをすべてにまさる方として尊敬できるのも信仰によります。




◎信仰が働くと 大きな試練にも迫害にも耐えることが出来る




【ヘブル11章35-38節】

女たちは、死んだ者をよみがえらせていただきました。またほかの人たちは、さらにすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを願わないで拷問を受けました。

また、ほかの人の人たちは、あざけられ、むちで打たれ、さらに鎖につながれ、牢に入れられるめに会い、

また、石で打たれ、試みを受け、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊ややぎの皮を着て歩き回り、乏しくなり、悩まされ、苦しめられ、

――この世は彼らにふさわしい所ではありませんでした――荒野と山とほら穴と地の穴とをさまよいました。

信仰がないと主のための小さい苦難にも耐えることが出来ません。


信仰がある人は苦難の中でも希望を持ちます。

(その人たちは)神が 神を愛する者のために備えておられるものを見ています。


聖徒が受け継ぐものがどのように栄光に富んだものかを知っているので、それが忍耐出来る力を与えます。


たとえ殉教しても主から様々な冠を受け、神がおられる天国で永遠に住むことを知っているので、死をも恐れません。


信仰がないと主のゆえに受ける試練に耐えられません。

しかし信仰があれば 自分を捨て、自分の十字架を負って主に従うことが出来ます。


信仰がどのように働くかを知れば、もっと信仰を生かすことが出来ます。


“自分は信仰がある” と言っても、今回のことばのように 信仰を働かせることがないならば、その信仰が何になるでしょうか。

中味のない形式的な信仰で終わってしまいます。


そのような姿に対して主から言われることばは「信仰の薄い者だ」です。

しかし弟子たちが信仰を働かせるようになってからは、そのことばは言わなくなりました。


たとえ今、「信仰の薄い者だ。」と言われている人でも、その信仰を働かせるならば、信仰は強くなりますし、その信仰で主を喜ばせることが出来ます。


そして信仰を持っている人も、その信仰によって多くの恵みを受けることが出来ます。
(*・ω・)ノ


2016.8.14
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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信仰の柔順

テーマは『 信仰の従順 』です

【へブル12章2節】

-信仰にはいくつかのタイプがあります ――――――

薄い信仰 →【マタイ6章30節】、【マタイ14章31節】

行いのない空しい信仰 →【ヤコブ2章18節】、【ヤコブ14章17節】

愛のない信仰 →【Ⅰコリント13章2節】

生温い信仰 →【ヨハネの黙示録3章16節】

立派な信仰 →百人隊長・・・【マタイ8章10節】、【ルカ7章9節】
         カナンの女・・・【マタイ15章28節】、【マルコ7章26節】

愛によって働く堅い信仰 →【ガラテヤ5章6節】、【コロサイ2章5節】

神の力を信じる従順する信仰 →【コロサイ2章12節】、【Ⅱテサロニケ1章4節】

偽りのない聖い信仰 →【Ⅰテモテ1章5節】、【ユダ20節】

純粋な全き信仰 →【へブル10章22節】

-信仰とは ――――――

【へブル11章1節】

見えるもの、感じるものに頼らないで、みことばに信頼をすることです。

【へブル11章6節】

【マタイ9章29節】、【マルコ16章17節】

私たちは自分の心配事を祈り、それを主の御座に置いてきます。
しかし、またそれを自分で持ち帰ってきて「大丈夫かな?」と心配をして、
自分の力で何とかしようとする愚かなことをしていないでしょうか。
それは、主に委ねきっていない信仰の姿です。

【詩篇37編5節】

【ローマ14章22節】、【ヨハネ6章28節】

-今回のテーマである『従順する信仰』について ――――――

【ローマ10章17節】

①信仰によって、人々が7日の間エリコの城の周囲を回ると、その城壁は崩れ落ちました。
 信仰の叫び声をあげました。

②信仰によって、ノアは家族の救いの為に箱舟を造りました。

③信仰によって、モーセは はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民と共に
 苦しむことを選び取りました。

④信仰によって、アブラハムは受け継ぐべき地に出て行けと言われた時、行く先を知らずに
 出て行きました。【へブル11章8節】

アブラハムも、神様を信頼し、信じていたので主が共にいてくださるだけで、
充分だと思い信仰によって出て行ったのではないでしょうか。

私たちも同じように神様を信頼して従順するならば、必ず時が来たらみこころの道を
明らかにしてくださるお方です。

【ローマ4章18-21節】

アブラハムの信仰の試練です。彼は、望みを抱き信じたことによりイサクが与えられました。
そのイサクを、神様は捧げるように語りました。(私たちが自分の身に起きたらどのように思うでしょうか)
しかし、アブラハムは信仰の目で見ていました。
これは「全き信頼と従順の姿」です。

【へブル5章7節】、【Ⅰテモテ6章12節】、【ヨハネの黙示録14章12節】

主に従順して行く時に、強い信仰が養われていきます。
からし種ほどの小さな信仰を働かせる時に、主の大きな御業を見ることができます。

パウロほど艱難、迫害、苦しみを受けた者はいないでしょう。
素晴らしい信仰の姿勢、模範を見ることができます。

【Ⅱテモテ4章7節】

強い信仰は、一夜にして生まれたものではなく、いくつもの艱難に耐え、勝ち取ったものです。

私たちは様々な試練や悩みが生じてきます。その時に、みことばの約束を握り信仰の祈りを
捧げて行く時に、必ず勝利をさせてくださいます。

「貴方方はこの世では悩みがある。しかし、勇気を出しなさい。私は世に勝ったのです。」
と、みことばに書いてあります。
ですから、「私は信じる」と信仰の告白をしたらどうでしょうか。

試みの中で、信仰が試されますが、それも父の許しなしには起きないことなのです。
また、あなたがたのあった試練は、みな人の知らないようなものではないです。

【Ⅰコリント10章13節】、【Ⅰペテロ5章9節】

強い信仰を知る唯一の方法は、いくつもの大きな試練を耐えることです。

【ヤコブ1章3-4節】

信仰の力とは、神様のみことばの約束をどれだけ信じているかに比例するのではないでしょうか。
信じて体験していけばいくほど、信仰の力は増し加えられていきます。
主によって語られた事は、必ず実現すると信じきった人は何と幸いでしょう。

【Ⅱコリント13章5節】

力と聖霊と確信は、力あるみことば、聖霊様の慰め、励ましと助け、導きを受けながら
強い信仰と確信へと導かれて行きます。

【エペソ1章17-19節】

2012.11.4
聖日礼拝メッセ―ジ

八戸ノ里キリスト教会

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