テーマは『 霊的生活がどう破滅していくのか 』です

【へブル2章1-4節】

ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなければなりません。

もし、御使いたちを通して語られたみことばでさえ、堅く立てられて動くことがなく、すべての違反と不従順が当然の処罰を受けたとすれば、

私たちがこんなにすばらしい救いをないがしろにした場合、どうしてのがれることができましょう。この救いは最初主によって語られ、それを聞いた人たちが、確かなものとしてこれを私たちに示し、

そのうえ神も、しるしと不思議とさまざまの力あるわざにより、また、みこころに従って聖霊が分け与えてくださる賜物によってあかしされました。

神様によって救いだされた人々は、新しく生まれた者ですので当然のように成長していかなければならないです。

霊的生活をしながら成長していかなければならないです。
しかし、成長せずに生まれたままの姿で自分は大丈夫だと思っているならば、その人はいつかは神様に背を向けて堕落していく危険がとても多いです。すると当然の処罰を受けるようになります。

私たちは、救いを受けたならば その救いは自分が持っているものの中で一番優れたものであるという認識が必要です。

この認識がないと、素晴らしい救いをないがしろにしてしまうのです。
本当に価値あるものは誰もないがしろにしないと思います。
しかし救われたのに、救いに対して価値を知らないと ないがしろにします。自分の思いのまま生きるのです。


そうなると、みことばから離れていますので押し流されて霊的に漂流する者になります。
しっかりと希望の港に留まっていないといけないのですが、勝手に動き出すのでいつの間にか広い海へ流されて
どこへ行くのかも知らないで、戻ろうとしても戻ることが出来なくなるのです。

救いはイエス様の中にしかないので、自分が勝手に神様から離れて他のところで「救ってください!」と叫んでも
誰もそこから救い出すことが出来ないです。


私たちは神様が願う信仰の実を結んでいかなければならないです。しかし、私たちは救われただけで
洗礼を受けただけで安心して何もせず、神様の前にも来ないで、みことばも読まず、祈りもしないで、霊的生活を
一切しないならば、その魂が実を結ぶことは有り得ないです。

世のことはだんだん好きになるのですが、みことばを読むのはだんだん面倒になります。
そして堕落する生活をするようになります。それが霊的堕落に繋がっていきます。

クリスチャンだから、救われたからと言って全員が天国に入るのではないです。
救いをないがしろにするならば当然のように処罰を受けることが、このみことばに書かれています。
誰もがその危険性があります。十二弟子もイエス様を一時的に見捨てました。




【へブル3章7-11節】

ですから、聖霊が言われるとおりです。「きょう、もし御声を聞くならば、荒野での試みの日に御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。

あなたがたの父祖たちは、そこでわたしを試みて証拠を求め、四十年の間、わたしのわざを見た。

だから、わたしはその時代を憤って言った。彼らは常に心が迷い、わたしの道を悟らなかった。

わたしは、怒りをもって誓ったように、決して彼らをわたしの安息に入らせない。」

心が頑なになって、みことばに従わない姿勢は、不信仰の心であります。頑なな心は従順しない心です。

クリスチャンが生きる目的は主です。イエス様のために生きる道なのです。

私たちは自分の考えで生きる者ではないのです。自分の考えで生きるのは肉に属しているのです。
しかし神様の子どもになったのなら、主人が誰なのか、主の言葉が一番なのです。
ですから、頑なな心は砕きなさい。それはあなたの魂を滅ぼすものであると語ります。


【へブル5章11-13節】

この方について、私たちは話すべきことをたくさん持っていますが、あなたがたの耳が鈍くなっているため、説き明かすことが困難です。

あなたがたは年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神のことばの初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要があるのです。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要とするようになっています。

まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。

【へブル6章4-8節】

一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる者となり、

神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで、

しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。

土地は、その上にしばしば降る雨を吸い込んで、これを耕す人たちのために有用な作物を生じるなら、神の祝福にあずかります。

しかし、いばらやあざみなどを生えさせるなら、無用なものであって、やがてのろいを受け、ついには焼かれてしまいます。

成長しないのは怠けているからなのです。

成長することに関心がなく、怠けている人たちは、みことばを聞いても耳が鈍いです。
反応しない耳になっています。

成長したいと願う人は、いつも耳が開いていて神様の言葉を1つも漏らさず、
聞いて実行し自分の栄養にして成長する気持ちが強いです。

聖徒は自分のためだけではなく、主のため、教会のため、人々のためにも霊的に成長しなければならないです。
そのために努力をしなければならないです。

努力をすることの基本は、まず みことばを食べることであります。
みことばを食べる人はどんどん大きくなっていきます。




【へブル10章26-31節】

もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。

ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。

だれでもモーセの律法を無視する者は、二、三の証人のことばに基づいて、あわれみを受けることなく死刑に処せられます。

まして、神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものとみなし、恵みの御霊を侮る者は、どんなに重い処罰に値するか、考えてみなさい。

私たちは、「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする」、また、「主がその民をさばかれる」と言われる方を知っています。

生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです。

心が悪くなって罪を犯し、みことばをあざける人たちの姿です。

これは神様を信じていない人の姿ではないです。神様を信じていない人は、神様を裏切るということもないです。

つまり「真理の知識を受けて後」ということは、神様を知っている者たちの姿です。
悔い改めないで良心までも麻痺されて罪を犯しながらも 平気に生きているのです。
そして口先だけで「神様、赦してください。」と言いますが、生活そのものは立ち返っていないです。

イエス様は罪のいけにえになって十字架にかかりました。その十字架にかかったイエス様を無視し続けるならば、
誰が自分のための仲介者になるでしょうか?―― 誰もいないです。
誰もいないので滅びるしかないです。




【へブル12章25節】

語っておられる方を拒まないように注意しなさい。なぜなら、地上においても、警告を与えた方を拒んだ彼らが処罰を免れることができなかったとすれば、まして天から語っておられる方に背を向ける私たちが、処罰を免れることができないのは当然ではありませんか。

神様の言葉は福音であります。たとえ警告の言葉であっても、私たちの魂にとっては良い知らせなのです。
その言葉を聞いて私たちが立ち返るならば、自分の命を守ることができます。

神様は必ずみことばに書かれた通りに裁く方であります。




霊的堕落を止めるために

  • 真理の言葉に対して正しい知識と信仰を持つべき
  • みことばを正しく悟って、みことばの上に堅く立って日々の信仰生活をすることが大切
  • 罪の誘惑を断ち切らなければいけない

神様が願う道から離れて自分の思いのままに生きるのが堕落であります。
自分の中から出て来る誘惑もあります。

間違えた悪い考え、頑なな心、毎日の罪の習慣、これをし続けるならば滅びてしまいます。

これらを潰していかないと、サタンがそのにおいを嗅いで近寄ってくるのです。


【へブル3章13節】

「きょう」と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。

心が頑なということは、罪に誘惑されているのです。
神様の言葉を握っているなら心が頑なにはならないからです。


【箴言4章14-15節】

悪者どもの道に入るな。悪人たちの道を歩むな。

それを無視せよ。そこを通るな。それを避けて通れ。

このように語るのは、罪が誘惑をするからです。誘惑される場所に近寄らないことであります。
小さな誘惑でも私たちは断ち切ることが大切です。

堕落するならば、永遠の刑罰があることを覚えなければならないです。

自分が今、いばらとあざみを生えさせているのか、それとも神様が喜ぶ実を結んでいるのか、
自分の姿を見たら分かると思います。

神様は、成長して実を結んだ人だけを安息に入れるのです。これを忘れないようにしましょう。 (⌒-⌒)

2013.10.6
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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すべての事について…感謝❤

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