からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

八戸ノ里キリスト教会より メルマガ配信中!

メルマガ購読・解除

読者購読規約
毎朝7時に配信しています! 1日の始まりを神様の恵みで満たしてくださいね
powered by まぐまぐ!
 
         

知恵

あなたの主はだれですか?

テーマは 『 あなたの 主 はだれですか? 』 です

【第1ペテロ3章15節】

むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。

神は 私たちに聞きます。

「あなたの主は誰なのか。」


私も、私自身に聞きます。

「あなたは誰を主にしたいのか?」


誰が 私の心の中の “主” になるべきでしょうか?


神の答えは「キリストを主にしなさい。」です。




なぜ “キリスト” でしょうか




キリストは、どのようなお方でしょうか?


キリストは私たちを救う方です。

私たちに慰めが必要な時に、慰めて下さる方です。


そして、私たちの心と体を いやして下さる方です。


また、私たちを罪の束縛から 解放して下さる方です。

私たちをひとみのように 守って下さる方であり、私たちのことを 私たち以上に よく知っておられる方です。


私たちにとって、一番よいものが何かを知っておられる方で、私たちに教えて下さる方です。


私たちに 世が知らない知恵を 与えて下さる方です。

私たちが行くべき道を一番よく知って導いておられる方です。


王の王、主の主です。


私は この方(イエス・キリスト)を “主” にしてから、これらすべてを体験しました。

すべてが真実でした。



この方を、“自分の心の主” にしたいと思いませんか?


口先だけで「主よ。主よ。」と言うのは、キリストを主にしている姿ではありません。


心の中で、キリストを主として崇めないといけないです。


心の中で、主として崇めることは どういうことでしょうか?

このことばを参考にして下さい。


【イザヤ書8章13節】

万軍の主、この方を、聖なる方とし、この方を、あなたがたは恐れ、この方を、あなたがたのおののきとせよ。



キリストを 心の主として崇めるならば、
私たちの人生はどのような人生になるのか




  • 神のことばを聞いて従順する人、忠実な人になる

  • キリスト者として聖なる敬虔な人になる。

  • 主のいのちが私に注がれるのでいのちあふれる人生になる。

  • 希望ある人生になる(復活、天国、罪の赦し、変わらない神の約束、報いなどを受ける。

  • 聖霊の導きを受ける人生になる。



もし 違うものが心の主になるならば、どうなるのか




≪ “私自身” が 私の主ならば ≫

・神から遠く離れた放蕩息子(ルカの福音書15章の内容)のように、孤独な人生、悲惨な人生になる


≪ 貪欲(富、名誉、権力、快楽などを愛し求める欲)が私の主ならば ≫

・いつも罪の誘惑に負けて罪の奴隷になり、堕落の人生になる


≪ サタンを主にするならば ≫

・とんでもない悪を行う者になる


イエスをお金で売った 弟子の1人であったイスカリオテ・ユダのような人、弟アベルを殺したカインのような人、平気に人を殺したり、悪を行う者、そして今もISなどテロ集団に入っているような者は、“サタン” を自分の主にしています。


自分自身が認めなくてもそうです。

そうじゃないと 人間として そのようなことが出来るでしょうか。


彼らは喜んで悪を行います。

そのような人は 皆、サタンの奴隷です。


環境が、人が、自分を変えるのではないです。

本当に自分を変えるのは、自分が “だれを自分の心の主にしたか” によって変わります。


外にあるものからは色々と影響を受けますが、自分の心の中で誰を主にするかは 他人が決めるのではなく、自分が決めることが出来ます。


自分が心の中に誰を主として崇めるかによって、私たちは(今までとは)違う人生を生きるようになります。
v( ̄∇ ̄)v


2017.3.19
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会


~ 新たなブログが仲間入り ~

Bible66のブログ

みことばサプリ


~ お知らせ ~

からし種の信仰と成長:ブログランキング
人気ブログランキングへ
(別ウィンドウで開きます)

多くの人に読んでもらえる可能性があるので
皆さんのクリックが、福音伝道に繋がります☆


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

人間は神のかたち

テーマは 『 人間は神のかたち 』 です

【創世記1章26-27節】

神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」

神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。

人間とは何者でしょうか。

ダーウィンの進化論に基づいて、人間はサルの仲間でしょうか。


聖書の観点と違って、進化論では人間は神の形ではなく、動物のかたちに似た存在と言っています。

進化論を始めたダーウィンは、死ぬ前年に友人に送った手紙で、自分の理論に対して疑問を持ち とても心配していました。


「私は 人間の心の確信が劣る動物の心から発達したものなのか、それならば どんな価値があり、信じられるものなのかに対して深刻な疑問を持っている。
心に対する確信があったとしても誰がサルの心の確信を信じられるのか。」


それでも彼の弟子たちは、ますます進化論を広めていきました。

進化論者たちは人間を研究する時に 動物の研究を基礎にしています。


しかし人間は、肉体の面は動物と似たような部分も色々ありますが、精神面においては まったく違う存在です。


神は「人間は神に似ている。」と言われますが、人間は自らを「動物と似ている。」と主張します。


神は人間を神のかたちに創造したと言われましたが、それは外見的なものではなく、神の品性や属性を意味します。




◎神が人間を神のかたちに創造した理由




この世のすべての存在から “人間” を区別したからです。


自分が神の形に造られたことを知る時に、私たちは神の形を現す人生を生きることが出来ます。

イエス様が1番神の形を現した方でした。


神に栄光をささげることは、私たちが神の形を現す時に神が栄光を受けます。

「私は誰でしょうか。何で生まれたでのしょうか。生きる目的は何ですか。」と悩む人たちも多いです。


自分の存在意味を理解しないと、自分が誰なのかも分かりません。

自分が誰なのかをよく知らないと、人間は動物のように生きるしかありません。


人間が他の被造物と区別された存在であることを知る時に、動物とは違う生活をします。




◎人間は貴重な存在




人間がなぜ貴重な存在なのでしょうか。


神が人間を初めから他のすべての被造物とは違って特別に造ったからです。


人間はすべての被造物の中で、唯一 神と交わりが出来る存在です。

他の被造物が神に祈りますか?礼拝をささげますか?仕えますか?神の名を呼びますか?

これが出来るのは人間だけです。


自分が貴重な存在であることは 神に出会って、神との正しい関係を築く時に悟ることが出来ます。

神は、同じ人間を造っていないので、私たちは誰とも比較する必要がありません。


特別な才能がなくても、学歴や力がなくても、私たちは世界にたった1人の人間として 神が造りました。


“なぜ私を造ったんですか?”という人もいますが、それは自分の価値をまだ知らないので 自分を無価値な者、ゴミのように要らない存在だと思っています。

自分を粗末に扱わず、貴重な存在と思うならば、環境や状態は関係ないです。

金やダイヤモンドは、ゴミの中にあったとしても、それはゴミではなく、価値ある存在です。

それと同じように、自分は貴重な存在です。




◎人間は神の愛の対象




神が人間を造った時の様子を見ると、他の被造物とは違いました。


【創世記2章7-8節】

神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった。

神である主は東の方エデンに園を設け、そこに主の形造った人を置かれた。

そして神様は、人間に エデンの園を支配し、管理する特別な使命を与えました。

ここまで神様が人間に特別な祝福と使命を与えたのは、人間を愛したからです。


【イザヤ書43章4節】

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。

何もなくても愛されている人は幸せな人です。

自分を愛してくれる人がいなくても、神は愛しておられます。

自分が誰であるかを知らない人は幸せにはなりません。


自分の価値と存在の意味を知ることほど大切なことはありません。




◎人間は神の作品




【エペソ書2章10節】

私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。

作品は、機械で作っているような商品ではありません。

商品ならば、同じものを大量に作ります。
しかし作品は、1つ1つ違うので 作品自体に価値があります。


人への妬みもコンプレックスも 自分と他人を比較するから生じるのです。

自分が神の作品であることを知っている人は、その価値を認識しながら生きていますので、自分をないがしろにすることも けなすことも 傷つけることもしません。


例えば、クリスチャンならば 神の子どもとして、世の光として、世の塩として、この世と区別していきます。


自分が神の作品であることを悟らず、本能的に欲望の中で生きる人に対して 次のようなことばがあります。


 

【詩篇49章12-13節】

しかし人は、その栄華のうちにとどまれない。人は滅びうせる獣に等しい。

これが愚か者どもの道、彼らに従い、彼らの言うことを受け入れる者どもの道である。

【第2ペテロ2章12節】

ところがこの者どもは、捕えられ殺されるために自然に生まれついた、理性のない動物と同じで、自分が知りもしないことをそしるのです。それで動物が滅ぼされるように、彼らも滅ぼされてしまうのです。



◎人間は従順する存在




神は絶対的な存在です。

神によって造られたすべてのものは、神に従順する時に真の価値があります。


神に逆らって生きている人は、偉い人でも、自由な人でも、強い人間でもありません。

神に逆らって生きることは、神から見た時に、とんでもない罪であり、それは必ず裁かれます。


自分は神のことばに従順する存在として造られたことを知る時に、どのように生きるべきかが分かります。

人間は、創造された本来の目的通りに生きる時が1番幸せです。


私たちの人生の計画も、私たちを造った神のみこころに従うように設定をしないといけないです。

“神に従わなくても、悪いこともせず真面目に生きることが正しい” と思う人が多いですが、自分が誰なのかも知らない中で正しく生きることが出来るでしょうか。


自分の人生が終わる時に「私を造った方の御心に従って生きた」と告白したいならば、自分を造った神の目的を正確に知ることが大切です。


みことばに従順する人が、知恵ある人と言われる理由がそこにあります。
(´・ω・`)

2016.6.19
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

今が備えをする時である

テーマは 『  今が備えをする時である 』 です

【創世記41章29―36節】

今すぐ、エジプト全土に七年間の大豊作が訪れます。

それから、そのあと、七年間のききんが起こり、エジプトの地の豊作はみな忘れられます。ききんが地を荒れ果てさせ、

この地の豊作は後に来るききんのため、跡もわからなくなります。そのききんは、非常にきびしいからです。

夢が二度パロにくり返されたのは、このことが神によって定められ、神がすみやかにこれをなさるからです。

それゆえ、今、パロは、さとくて知恵のある人を見つけ、その者をエジプトの国の上に置かれますように。

パロは、国中に監督官を任命するよう行動を起こされ、豊作の七年間に、エジプトの地に、備えをなさいますように。

彼らにこれからの豊作の年のすべての食糧を集めさせ、パロの権威のもとに、町々に穀物をたくわえ、保管させるためです。

その食糧は、エジプトの国に起こる七年のききんのための、国のたくわえとなさいますように。この地がききんで滅びないためです。」

神が歴史の主権者であることを信じますか。そして神の預言は必ず成就することを信じますか。

私は信じます。
なぜならば歴史がそれを証明しているからです。


「偶然」という言葉がありますが、神様がなさることは偶然だと言わせないために、神様は前もって預言を与えておられます。


まだ起きてないことを神様は預言で教えて下さいます。

信仰ある人はそれをそのまま信じて行動します。


本文はエジプトの国で これから先に何が起こるかを神様が夢でパロに示しました。

しかし夢を見たパロも、すべての知恵ある者たちや呪法師も、夢の説き明かしが出来ませんでした。

そこへ ヘブル人の奴隷であり、罪を被せられて牢の中にいたヨセフが呼ばれました。

ヨセフは夢の説き明かしはもちろん、それに対する立派な対策もアドバイスしました。


すると王は彼のことばを受け入れ、ヨセフが奴隷であるにも関わらず 王の次の地位に彼を任命しました。

本当にありえない決定でありました。ヨセフの人生も一瞬で変わってしまいました。

パロがヨセフを№2の地位にした理由は何ですか。

夢の説き明かしが良かったからでしょうか?


もちろんそれもありますが、パロは彼の中に神の存在を見たからです。


「神の霊の宿っているこのような人を、ほかに見つけることができようか。」

「神がこれらすべてのことをあなたに知らされたのであれば、あなたのように、さとくて知恵のある者はほかにはいない」

このように神の存在を認めました。


四大文明の1つであるエジプト文明が一番盛んな時代でしたので、知恵ある人もたくさんいましたが、神の霊が宿っているヨセフの知恵を超える人はいませんでした。


将来起こることを神様が示すことも、そして そのことを神の人を使って素晴らしい知恵で教えているのも、その目的は 信じて備えをさせるためであり、それによって備えをした人々を生かすためです。


聖書に記録された歴史の中に起こったことだけを見ても、ソドムとゴモラの町が罪のために滅ぼされることを、神はアブラハムに前もって伝えました。

それによってその町から甥であるロトの家族を救い出すことが出来ましたが、もし示されなかったならば1人も助からなかったでしょう。

その時、神のことばを真剣に聞いて主に立ち返った人は 他にはいなく、町と共に人々が滅ぼされました。


ノアの箱舟も神の預言によって造られました。

ノアは箱舟を一所懸命造りながら、洪水で世界が滅びることを人々に伝えましたが、人々はノアの警告を無視しました。

その結果、洪水の時に助かったのは、箱舟を造り 洪水に備えたノアとその家族だけでした。


ダニエルに見せた幻の内容で、すでに歴史の中で成就したものも多くありますし、これから起こることもまだあります。

イエス様が人間として生まれることも預言され、その通りになりました。


そしてエジブトでは、ヨセフが話した通りになりました。


【創世記41章46-49節】

― ヨセフがエジプトの王パロに仕えるようになったときは三十歳であった― ヨセフはパロの前を去ってエジプト全土を巡り歩いた。

さて、豊作の七年間に地は豊かに生産した。

そこで、ヨセフはエジプトの地に産した七年間の食糧をことごとく集め、その食糧を町々にたくわえた。すなわち、町の周囲にある畑の食糧をおのおのその町の中にたくわえた。

ヨセフは穀物を海の砂のように非常に多くたくわえ、量りきれなくなったので、ついに量ることをやめた。

【創世記41章53-57節】

エジプトの地にあった豊作の七年が終わると、

ヨセフの言ったとおり、七年のききんが来始めた。そのききんはすべての国に臨んだが、エジプト全土には食物があった。

やがて、エジプトの全土が飢えると、その民はパロに食物を求めて叫んだ。そこでパロは全エジプトに言った。「ヨセフのもとに行き、彼の言うとおりにせよ。」

ききんは全世界に及んだ。ききんがエジプトの国でひどくなったとき、ヨセフはすべての穀物倉をあけて、エジプトに売った。

また、ききんが全世界にひどくなったので、世界中が穀物を買うために、エジプトのヨセフのところに来た。

もし神からの夢をないがしろにし、神の知恵に従わなかったならば、エジプトだけでなく全世界が飢えによって ほとんどの人が死んだかも知れないです。

神が言われるように備えをしたのでエジプトだけではなく、全世界の人々までも生かすことが出来ました。


今の時代にも神様の預言があります。
そしてその預言通りになってきたことが見えて来ました。


【マタイの福音書24章6-8節】

また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。

民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。

しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。

昨日のニュースで聞きましたが、昨年テロによる死者は3万2727人で 2013年と比べると、81%の増加でした。
過去45年で最悪になりました。


そして絶えず戦争も起こってありますし、世界中で大地震が増えましたし噴火も増えました。

北朝鮮だけでも、昨年1月の報告で 穀倉地帯で飢餓が原因で死んだ人が数千人いました。


毎年ひどくなっているのは主の預言通りであります。

私たちはこのような時代に何を備えたらいいでしょうか。

そしてこれから起こると言われてある出来事のために、何を備えたら良いのかを伝えます。




霊的ききんのためにみことばの備え




ききんのために食料の備えも必要ですが、霊的ききんのためにみことばの備えが必要です。


【アモス書8章11-12節】

見よ。その日が来る。―神である主の御告げ―その日、わたしは、この地にききんを送る。パンのききんではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞くことのききんである。

彼らは海から海へとさまよい歩き、北から東へと、主のことばを捜し求めて、行き巡る。しかしこれを見いだせない。

迫害が起こって聖書が取りあげられる時、教会が堕落して真理ではなく人間の教えを教える時代になる時に、真理のことばを聞くことが難しくなります。

そのために聖書を読める時に、そして真理が語られる時にしっかりと自分の中にみ言葉を蓄えておかないと信仰を守ることが出来ないですし、いのちのパンがないので霊的飢えで魂が死んでいきます。


聖書が読める時に毎日み言葉を呼んで黙想し心に蓄えて下さい。
必要な時が来ます。




キリストの再臨に対する備え




キリストの再臨に対する備えが必要です。

マタイの福音書25章に、花婿を迎える10人の花嫁のたとえ話がありますが、このたとえは主の再臨に対して備えた者と備えていない者を教えるためのたとえでした。


5人の花嫁は、ともしびと油を しっかりと備えて花婿を待っていましたが、残りの5人はともしびだけを用意して、油の備えをしませんでした。

愚かな5人はともしびが消えそうになり、油を買いに行った時に、花婿が来て彼女たちは花婿を迎えることが出来ませんでした。


もう既に戸は閉められ 婚礼の祝宴が開かれました。
彼女たちは主の再臨に間に合わなかった人です。

再臨を迎える備えは、結婚式を控えた新婦がどのように日々を過ごすのかを想像したら分かると思います。

何よりも自分自身をきよく保つと思います。花婿だけを愛して心待ちにするでしょう。


いつ再臨するか分からないからと好きなように生きていたら災難です。


主は次のように言われました。


【マタイの福音書25章13節】

だから、目をさましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないからです。

主の再臨を信じない人は 何のことだろう?と思うでしょうが、復活して天に昇って行ったイエス様は再臨して、信じる者を天国に連れて行き、信じない者たちは裁くと預言しました。


それが世の終わりになると言われました。

十字架の死の預言、復活の預言も全部その通りでしたので、再臨もその通りになると信じます。




いつでも天国に行ける備え




いつ死んでも天国へ行けるように備えが必要です。

アブラハムと金持ちとラザロの話が ルカの福音書16章にありますが、死んで金持ちは地獄、アブラハムとラザロは天国でした。

悲惨な地獄にいる金持ちが言ったことばを聞くと、天国に行くために何が必要であるかが分かります。


【ルカの福音書16章27-31節】

彼は言った。『父よ。ではお願いです。ラザロを私の父の家に送ってください。

私には兄弟が五人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせて下さい。』

しかしアブラハムは言った。『彼らには、モーセと預言者があります。その言うことを聞くべきです。』

彼は言った。『いいえ、父アブラハム。もし、だれかが死んだ者の中から彼らのところに行ってやったら、彼らは悔い改めるに違いありません。』

アブラバムは彼に言った。『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』」

主を信じる信仰と悔い改めが天国に入る条件です。


金持ちは信仰もなかったですし、悔い改めも出来ていませんでした。

人は明日のことがわかりません。
ですから、いつ何があっても天国に行けるように信仰を持ち、自分の罪を悔い改めておくことです。


このように備えをしておけば、ヨセフの時代にききんがあっても食べ物の備えがあり飢えることがなかったように、これからますます患難が大きくなっていく世の中で備えがある人は、その中でも守られます。

すべきことをしないでいると慌てることになり、被害を受ける者になりますので、今からでもしっかりと備えましょう。
( ̄‥ ̄)=3

2015.6.21
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

曜日別の祈りです(リニューアルしました)
今日の祈り

神様からの警告のことばです(新コーナー)
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

アメリカ神学校で 神様の訓練がスタートしたヒョノちゃんのブログです。
ヒョノのブログ

毎週日曜日の八戸ノ里キリスト教会のご馳走です!
主の食卓のブログ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

霊的成長するには?

テーマは『 霊的成長のための祈り 』です

【コロサイ1章9-12節】

こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。

また、主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられますように。

また、神の栄光ある権能に従い、あらゆる力をもって強くされて、忍耐と寛容を尽くし、

また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように。

パウロのコロサイ人に対する祈りです。

パウロは福音を伝えて教会を建てていきます。そして そこに集まる信徒たちに みことばをもって教育していきます。
彼らが神を知り 神の中で新しい者に変えられ、霊的に成長をして主の弟子たちになり、
彼らが次の世代に福音を宣べ伝えていくことが一番の願いであります。

そのためには救われただけでは話にならないです。
救われた者ということは、新しく生まれ変わったことを意味します。その人たちは、霊的赤ちゃんであります。
赤ちゃんのままでは何も使い物にならないです。
その人たちには恵みだけが必要で 養っていかなければならないです。

生まれ変わった人は自分自身が霊的成長することを求めなければならないです。
しかし、霊的成長は努力だけで出来ることではないです。

成長したいのにどうしたら良いのか?教会へ行き、みことばを聞き、皆と交わりをしたら成長できるのか?
みことばだけを読んだら良いのか、奉仕をしたら成長できるのか――。

それ以前に私たちは神様から受けなければならないものがあります。

このような(パウロの)祈りを 求め続けて、強くされていかないと成長することができないです。
私たちはこの祈りに沿って霊的成長のために日々 生活の中で祈らなければならないと思います。


9節の「あらゆる霊的な知識と理解力によって」というのは何を意味しているでしょうか?
物事を総合的に判断する力であります。
人々は何かを見て判断することが出来ますが、それは偏っています。偏った判断は間違えています。
全体を総合的に見る力は、神様による知恵がないと出来ないです。

霊的な知恵と理解力、これがないと私たちは先に進められないです。
霊的なことがよく分からないのに、私たちはどうやって霊的に成長をして、霊的な働きができるでしょうか。

ソロモンが祈った祈りを思い出したら良いと思います。
神様に「正しい裁きが出来るように、わたしに聞き分ける力をください。」と判断力を求めました。
これこそが霊的知恵・霊的理解力であります。

これは聖霊様が与えてくださる賜物です。賜物は聖霊様が持っているものですので 求めることであります。


9節に「神のみこころ」とありますが、神様のみこころが何であるかと言うと、神様が喜ぶことです。
神様が喜ぶことが何であるかを私たちがはっきりと知ることが大切であります。
私たちは自分が喜ぶことが良いことだと思っていますが、それは神様のみこころと違うことが多いです。

霊的知恵と霊的理解力があれば、神様のみこころを知ることは それほど難しくないです。
霊的なものを求めることは、神様が喜ぶことであります。

多くの者は肉のものをたくさん求めます。
高慢な思いで求めたり、みこころに適わないものを一生懸命祈っています。ですから叶えられません。
しかし、神様が喜ぶ霊的なものを求める時には惜しまずに与えてくださいます。

主にかなった歩みをすることは召しに相応しく歩くことであります。
みこころを知ると自分に対する召しが分かります。

私たちが自分勝手に歩くと、そこに罪が生まれます。


10節に「あらゆる点で主に喜ばれ」とありますが、神様を喜ばせる働きをすることです。

主を喜ばせるためには、時には自分の思いを神様の前で消していかなければならないです。
自分の計画、習慣、性格、色々なクセ、苦難、このようなものを私たちは消さなければならないです。
全部を持ったままでは神様に喜ばれる姿にはならないです。

この姿は、どのような姿でしょうか――?
主のみこころの全てにおいて従順する姿であります。

自分の思いが神様に敵対する思いになりますので、それらを十字架につけます。
霊的成長のために、肉のものはどんどん捨てなければならないです。
肉のものを捨てた時に、そこに霊のものが入ってきます。

その結果として 実を結ぶことができます。それが聖霊の実であり 美しい実です。(10節)

神様のことを知りたいという人が多いですが、このように歩んで実を結んでいくと自然に神様のことが
分かるようになります。

みこころに従順して、上にあるもの(霊のもの)を求めて成長し実を結んでいくと、実を結ぶ過程の中で
神様がどのような方であるのか すごく分かるのです。


【コロサイ1章11節】

また、神の栄光ある権能に従い、あらゆる力をもって強くされて、忍耐と寛容を尽くし

力は自分にあるのではないです。神様によって私たちは力を受けなければならないです。内側の力であります。

内側に力がないと、忍耐ができません。

信徒たちの生活において、忍耐はとても大切なものです。忍耐できない人は成長は無理なのです。
成長する時には忍耐が必要です。
あらゆる訓練や苦しみや苦難、その中で 自分の思い通りにならなくてもその中で待ち望む力は内側の力であります。

「神様、私は力がない者なのです。忍耐をしようとしても力がなくて、すぐに切れてしまいます。
切れた瞬間に成長が止まってしまうのです。ですから、神様。私に力をください。実を結ぶためにも
忍耐が必要であります。そのために神様によって強くされる必要がありますので力をください。」と
肉の力に頼るのではなくて、日々 祈りによって主に求めることです。

希望を持って生きることができます。


11節に「寛容」とありますが、これは神様に対することではなく、人に対する寛容であります。

特に私たちが寛容を示さなければならないのは、自分が気に入らない人たち、自分が敵だと思っている人たち、
自分を苦しめる人たちです。
そういう人たちに対して狭い心ではなくて、広い心をもって恵みを与え続けることであります。

内側にその力があると敵を許すことができます。
狭い心は、クリスチャンの心ではないです。

私たちは元々、本当に狭い心なのですが神様から力を受けて、どんどん器を広くしなければならないです。


12節に「感謝をささげるように」とあります。

これも主に祈らなければならないです。「私が感謝の人でありますように。」

 

何を求めて生活をするのか、神様が一番願うのは霊的成長です。
これを求めないならば、神様は与えたものまでも取り上げてしまわれます。
しかし、豊かに持っている者は、さらに与えられます。

周りの人たちに影響力を与える人になってください。 (・◇・)ゞ

2013.7.28
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

アメリカ神学校で 神様の訓練がスタートしたヒョノちゃんのブログです。
ヒョノのブログ

毎週日曜日の八戸ノ里キリスト教会のご馳走です!
主の食卓のブログ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

人生を委ねるとは?

テーマは 『 人生の道を委ねる 』 です

【詩篇37編5-6節】

私たちは永遠にこの地上で定着をして生活はできません。
そういう人は世界中を探しても1人もいないです。みんな出発して終わり(生死)があります。

みんなそれぞれ違う道を歩みます。
私たちは、自分が進む道に何があるのか、明日 自分の人生に何が起こるのか、
10年先はどうなっているのか、誰1人知りません。それは未知の世界であります。

これから歩む道というのは、「未知の道」であります。
もし、私たちの人生に対する素晴らしい助言をしてくださる方がいるならば、私たちは聞きたいです。
「どうやったら私たちに与えられた人生を豊かな人生に生きることができるのか?もっと良い人生に出来るのか?」
そういう助言をして欲しいと願うと思います。

私たちの人生において案内してくれる人がいるならば、私たちは拒む必要はないです。
神様は私たちに素晴らしい助言を、今日の聖書箇所で教えてくださっています。(※主にゆだねよ)

大切な自分の人生の道を委ねるということは、その基本になるものがあります。
その基本がないと、委ねることは絶対に出来ないです。その基本は3節に書いてあります。
まずは、主に信頼をすることです。

ただ苦しいから神様に拝む・・・ではないです。これだと「信頼」がないからです。
「信頼」はお互いの関係で築かれるものであります。

私たちは神様を信じる時に周りの人がからかう時があります。
「神様を信じる人は弱い人ばかりだ。弱いから神様を信じるんだろう。自分の力で生きなさい。」
このような言葉をすごく聞きます。
しかし、それは間違っていることです。弱いから頼っていることではないです。
無知な者だから頼るのです。

世の中には「私は強い」という人がいますね。何が強いのかはわかりませんが、
強くある人が多いです。

しかし神様は「主に信頼をするということは、弱いことではないんだ。
自分を知っている者がやることなんだ。」とおっしゃいます。

自分には限界があることを知っている者、明日のことも知らない無知な者だと知っている者、
知恵のない者だということを、悟っている人であります。

これらを悟っているので、それを知っておられる神様に色々な助言をいただくのは、
知恵ある人の態度であります。

知恵がないのに自分の力でなんでもかんでもするのは、どうすれば良いのかがわからなくなります。

「このお方は何でもできる」、「ものすごい力がある」、「私が倒れても助けてくださるお方である」と
このような意味の信頼であります。

これから自分が歩む全ての道、人生の計画を委ねていくならば、神様はその人にどうすると語りましたか――?
5-6節に神様が教えてあります。真昼ということは、光が一番強く輝くことだとおっしゃいます。

私たちは自分の行いで、自分を義なる者としようとすることがとても多いです。
“私の力で”、“私の努力で”、“私の能力でします”。「ですから誰にも頼りません。」
このような人は、神様は「真っ逆さまに倒れるんだ」とおっしゃいます。
障害物に当たって倒れた時に、誰も起き上がらせる人がいません。

主に信頼をする時に神様は、その人の人生を輝くようにしてくださいます。
神様の助けと守りが、常にその人にあると、神様が語ってくださいました。
恥を受けないように神様がしてくださいます。

神様から見て、人間らしく生きて欲しい姿で生きるのが勝利の人生であります。
虚しい人生にしたくなければ、【伝道者の書】を読んでください。

【箴言3章5-7節】

【イザヤ書42章16節】

私たちは目が見えてはいても、先のことが見えない者(盲人)であります。
自分たちの道を神様に委ねるならば、神様は闇を光にしてくださいます。
委ねる者を神様が守るという約束であります。

ですから、私たちは目が見えるという勘違いをしないことであります。
今、目の前にあるものしか見えていません。

「神様が私たちの目になるように、神様が自分たちの歩む道の光になってくださるように、主よ、お願いします。」と祈ると神様は聞いてくださいます。

【詩篇25編8-10節】

信頼をするということは、お互いに結んだ契約を守ることであります。
神様は契約を勝手に破る方ではないので、私たちの方で神様に信頼していくならば、
私たちが歩むその道は、恵み、真、それに満たされてあります。

神様は頼る者たちを見捨てたことがありません。

自分の力だけでこれから生きようとする人たちは一番愚かであります。

知恵ある神様の言葉に従って、自分の人生を委ねていきましょう。 v( ̄∇ ̄)v 

2013.2.10
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

プラス人生になるには

テーマは『プラス人生の計算法について』です。

【マタイ13章23節】

足して増えていくのが「+」であり、引いて減っていくのが「-」であります。
この計算が出来ない人はほとんどいないと思います。
同じく、プラスの言葉、マイナスの言葉も知らない人はほとんどいないと思います。

(暗算や計算機を使っての足し算や引き算は)とても単純な計算ですが、

人生においてプラス・マイナスはそう簡単なことではないですね。
数学の計算は知識があればできます。
しかし、頭が良くて、数学が良く出来たからと言って、それがそのまま その人の人生において
プラスになるかと言ったら、そうではないです。

私たちの人生において、プラス・マイナスの計算は、数学とは全然違います。

知恵が必要であります。
プラス人生を生きるには、知識ではなくて、知恵が必要です。

すごく頭の良い人でも、明日の事はわからないものであります。
また、人生の先まで全て計算できる人はいないです。

聖書のみことばは、私たちを救い、先のことまで全てご存知である神様が教えてくださる知恵を
自分の人生に当てはめていくと、私たちの人生にプラスになる知恵を神様からいただくことができます。

自分の人生は、ある部分で自分で責任を持たなければならないです。何かのせいではないです。
「親が悪いから、環境が悪いから、あれが悪いから。」これらは愚かな言葉であります。

自分の人生の最後が、今の歩みを見てプラスになるのか、マイナスになるのか、これくらいの計算は
しておかなければいけないと思います。計算せずに生きると、みじめな人生になります。

プラスになることを紹介していきます。

【イザヤ書40章28-31節】

今は疲れている人達が多いです。それも若者が人生に疲れているんです。
生きる希望を失って、本来は力が満ち溢れなければいけない20~40代の人が自殺をしています。

自分の思い通りに就職ができないからと、つまずいて毎日マイナスの言葉を使う毎に
心が疲れてきます。

力の源は、人間そのものではないです。人間には必ず限界があり弱さがあります。
しかし、自分に力を与えて命を注いでくださる神様を自分の味方にするならば、
弱くなった時に「力をください。」と呼ぶことができるのです。

【マタイの福音書16章26節】

いくらお金を手に入れたとしても、命が一番大切であります。命は買うことができません。
命を得ることは、プラス人生の始まりであります。

【ヨハネの福音書1章11-12、16節】

私たちは生きることと死ぬことはとても大切なことですが、それを曖昧にして(肉体の死後の世界を)
考えないようにしています。本当に自分の人生がプラスなのか、マイナスなのかを計算しなければ
いけないです。欲しい物や富など、私たちが生きている時には欲望を満たし楽しませることができますが、
しかし、命に勝るものではないです。

【マタイ8章5-8節】、【詩篇19編7-8節】

人間の言葉は完全ではありませんが、神様の言葉は完全であります。
今までは目が見えない者のように生きていました。目先のことも判断ができなく、分別力もなく、
悟りもないという者を、神様は言葉によって与えてくださる。そうすると、その人の人生が
マイナスの人生に転落をすることはないです。

真理の言葉でなければ、悟れないです。悟りを得ることで自分の人生にプラスになります。
神様の子供になった特権を与えた者達に、神様は良いものを与えたいです。
みことばを一言受けて、病気が癒された人もいます。

人間は生まれてから死ぬまでに、色んな良い事もあれば、病気になったり災いが起きたりします。
(悪い事があった時は)私は今、たくさん支払っているんだ。当然支払うべきことを今 支払っているから、
後は楽になるんだと考えたら良いです。

一度も不幸に遭わない人生の人はどこにいるでしょうか。

不幸なシナリオではなく、自分で幸せなシナリオを書くべきです。
神様は私たちにプラスの人生を歩むことを願っておられます。

【ルカの福音書6章38節】

プラス人生を生きたければ、与えることであります。
与えるものは色々ありますが、「愛を与える」、「人々に関心を与える」、「親切を与える」
これは私たちの人生を豊かにさせるものであります。

愛する人は、愛が返ってきます。自分が他人を愛さないなら愛が返ってくることはないです。蒔かないからです。
人々に関心を持ってみてください。その人たちも自分に関心を持ってくれます。
それも2倍、3倍になって返ってきます。

「ください、ください」だけを蒔くのではなく、そして「愛してほしい、愛してほしい」と言いながらも、
自分は愛を与えない。ですので、相手も反応をしないです。
これは家庭でも同じであります。自分の方から1つの親切を蒔いてみてください。
すると、相手の心が良くなって2つの親切が返ってくるのです。
1つの種を蒔いて1つの実を結ぶのではなく たくさんの実が結ばれるのです。
三十倍、六十倍、百倍になっていきます。

「ください」という者は何も増えなく、持っている物までも消えていきます。

自分が愛されたいなぁと思うならば、
愛を探し求めていくのではなく、自分が誰かに対して愛を見せることであります。
自分の知識を他人に与えることが出来、自分の身体を他人に与えて仕え、奉仕することもできます。
そして言葉で励ますこともできます。

自分がいざ困ったという時には、その前に(自分が)蒔いているので返ってきます。
みことばを一人歩きさせるのではなく、まず自分で実行していくことです。
期待して蒔けば、時が来た時にある者は三十倍、ある者は六十倍、ある者は百倍になっていきます。

自分が死ぬ時に握りしめているものが役に立つものなのか?と神様が語ってあります。
だからと言って、お金を湯水のように使いなさいということではないです。正しい目的の為には使います。
愛を与えることができるのも、私たちが生きている時だけであります。
死ぬ時に「愛したかった」というのは愚かな言葉であります。

人に一番必要なものは愛であり、良いものは他の人にどんどん流していくことであります。
相手に何かが足りないことに気付いたならば、声を掛けて「私に出来ることは何かありますか?」と
与えることであります。そうする時に私たちの心に喜びが来ますし、
私たちの人生の中でこれからプラスになることが、いっぱいあちらこちらから出てきます。

敵を作るのではなくて、愛する仲間をたくさん作ることであります。
共に歩む人をたくさん作ることです。今、うまくいっているから「いらない」というのなら、
高慢になっていきます。だんだん人生がマイナス人生になっていきます。

聖書の言葉には人生を豊かにするものがたくさんありますので、自分にとってプラスになるものを
拒むことをしないように、「私はもっと豊かになりたい。」と思うならば、自分の人生に悪いものを捨てて、
足を引っ張らないように。そして神様からくる良いものはどんどんプラスしていくと人生そのものを豊かにするので
力が出て希望も出てきます。愛の人に変わっていきます。
イエス様に出会って みじめになったという人は、みことばが全然活かされていないことであります。
祝福を自分の人生にプラスしてください。神様は惜しまずに与えてくださいます。 v( ̄∇ ̄)v

2012.12.16
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

サタンとの戦いに勝利する!

テーマは『霊的戦いに勝利するために』です。

【ヨシュア記5章2-5節】

6章に大きい霊的戦いが出てきます。神様から出たものが霊的戦いです。
土地を奪うためにする人間の戦いではなく、滅ぼさなければならないサタンの勢力に対する戦いです。
聖なる霊的戦いであります。

イスラム教はアッラーの神の為と言いますが、自分達のために人を殺したりテロを起こしたりします。
そういうことをして自分達は天国へ行きたいと思っています。

聖書に出てくる霊的戦いは神様からの指示があります。
旧約聖書を読むと、戦いがとても多いですが、実際の戦いであります。
霊的戦いに対して一番偉大な教材は旧約聖書であります。
新約聖書はさらに範囲が拡大されて霊的戦いのことを主が語っておられます。

しかし新約聖書の霊的戦いをするには、旧約聖書に出てくる戦いを学ばなければならないです。
旧約聖書を通して主の戦いの姿を見せて、私たちはそれを学びなさいと言っておられます。

戦いに負けたことが一度ありますが、それを探ると何故負けたのか原因が出てきます。
そして勝利した戦いは、勝利した秘訣が書かれてあります。

旧約聖書は霊的戦いで勝つために学ぶ点が多いです。
エリコは、とても恐ろしい町です。
そこには強い軍隊やすごい城壁があり、彼らの力では勝利することは不可能であります。
イスラエルの民たちは武器を持っておらず、戦いの経験もなく、40歳以下の者でありました。
その中には女の人や子供もいました。

この状況の中、神様はどうやって勝利に導いたのでしょうか。
神様の命令がありました。戦いの前にまず させたことは、割礼をしなさいということでした。
これは人間的な思いで見たら、とても愚かなことであります。

割礼というものは、神様がアブラハムと契約を結んだ時に語った1つの印であり、神の民になる契約です。
神様との関係をもう1度整理し、新しくしなさいということであります。

【コロサイ書2章11節】

神様の前で無力な者、自分を否定する者、神様だけに頼る者、こういう者に神様は霊的戦いで
勝利を与えてくださいます。

割礼を受けた者らしく生きていかないといけません。
心が大切であります。心は聖霊様が住む「神の神殿」であります。
その神殿の中に神様がおられますので、私たちは割礼を受けないと聖霊様が住むことができないのです。 
私たちの肉のものを十字架につけなければならないです。
肉の手段を捨てなければ、本当の意味で割礼を受けた者ではないということになります。

【コロサイ書3章5-10節】

今あるべき姿は3章10節のことばであります。

サタンを恐れたりしますが、恐れはサタンが持ってきたものであります。
しかし、神様はサタンを恐れる必要がないとおっしゃっています。
なぜなら、当然守らなければならない神様の言葉を、自分達が守らないために受ける神様の御怒りの方が
大きいからです。
サタンがもたらすものよりも、神から来るものを恐れなければなりません。
私たちの身体も魂も殺すことができるのは神様であります。
サタンよりも力ある神様を恐れないといけないです。

神様に助けを祈り求めたら、助けてくださいますが、
しかし私たち自身が神様の敵になって神様の怒りを起こしてしまうならば、誰も助ける者がいないです。
サタンが助けてくれますか? ――サタンは助けるものではないです。私たちが滅びることをサタンは喜びます。

戦う時に、神様が味方である時に、私たちは勝利することができます。
霊的戦いは神に逆らう勢力に対する戦いであります。

なぜ私はいつも霊的戦いに勝利できないのか?なぜ神様は私を助けてくださらないのか?
あなたは本当に割礼を受けているのか?神様との関係であなたはどうなのか?あなたは私に従っているのか?
もし逆らっているのなら、いくら求めても神様は助けることができないです。

神様が一番悲しがるのは、既に自分がサタンのところに行っていることに気付いていないことです。
目が見えない、自分がどこにいるのかもわかっていないことです。

【申命記20章4節】

神様との関係を正しくするならば全ての戦いで勝利を与えてくださる神様です。

旧約聖書の霊的戦いで勝利したものは、神様の指示に全ての民たちがその通りに従いました。
そして神様に献身しました。すると100%その戦いは勝利で終わりました。

指導者も民も、祈りながら神様に作戦を聞くと必ず方法を教えてくださいました。
エリコの戦いでも神様の方法に従ったことで勝利することができました。
戦いに負けた時は、神様に従わなかったことが原因なのに、神様につぶやきました。
敗北の理由は神様ではなく、民たちにありました。従わなかった罪があるからです。

【Ⅱコリント10章3-4節】、【エペソ6章10-12節】

聖徒たちの霊的戦いは常にあります。
この時に私たちは「サタンを追い出さなければ」と考えたり、
自分を苦しめる周りの人達をターゲットにして「あれがサタンだ」と他人と戦い始めます。
しかし、それだけが霊的戦いではないです。

一番強いものは「常にあなたの内側にある」と神様が語っておられます。
私たちが戦うべき相手は、外部の勢力ではなく信仰生活で起きる
自分の内側にあるものとの戦いが一番しなければならない戦いであります。

①肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢
これは御父から出たものではないです。神様から出たものなら戦う必要はないです。
しかし、神様から出ていないものが私たちの中に存在するなら、それはどこから来たものでしょうか?
――それは、この世(悪霊)から来たものです。

私たちには肉の欲、目の欲がありますが、それらは神様に対して戦いを挑むものです。
肉の身体を脱ぎ捨てなさい、そしてイエス様から心の割礼を受けているのに、それを持つならば
再び古い者に戻ったということになります。
サタンと共に仲良く歩んだ時の姿に戻っていることを意味します。

こういう思いが出てきた時に、サタンに立ち向かっていかなければならないです。
そうしないと肉の奴隷になってしまいます。
霊的戦いを軽く考えるならば、自分の命が取られることを意味します。
サタンの目的は、「盗む」、「滅ぼす」、「(魂を)殺す」です。
わずかな肉の欲のために、あなたの大切な永遠の命を手放すのか?
肉の欲を殺しても殺しても常に出てくるので、これは激しい戦いになります。

②悪からの誘惑
サタンが私たちの心に植え付ける色んな想いです。
不信感、疑い、憎しみ、怒り、不安
これは私たちの想いにサタンが常に入れるものです。悪を行うように誘惑するものです。

良い想いは神様が与えてくださいます。私たちが良い行いをするためにみことばを入れます。
そうすると心が満たされていきますが、悪い想いは全てサタンが入れる悪いものです。
私たちは自分の心を守らなければならないです。サタンの誘惑に乗り、心に入れてしまうと罪を生みます。

③罪との戦い
罪と知っていながら、留まっているなら全てを失うので立ち返らなければならないです。
罪の奴隷になると、さらに罪を犯します。ついには心が死んでしまい、
良心が麻痺されて、罪を犯しても何にも思わなくなります。そうなると完全に神様から切り離されてしまいます。
私たちは罪を犯さずに生きる人はいないですが、しかし罪を犯したならば悔い改めて立ち返り、
罪の奴隷になってはいけないと神様が語っておられます。

罪は楽しいだろう?やり続けなさい。神様を信じてみことばに従って生きるのは、しんどいだろう?
短い人生、喜び楽しみながら快楽を求めながら生きなさい。
そして肉を喜ばせる言葉に誘惑され「神に従うのはしんどいな~、もう ほっといてくれ」となってしまうと、
その先は自分で刈り取らなければならないです。
他の者が刈り取るのではなくて、自分が蒔いたものは自分で刈り取ることになります。

しかし戦って私たちが神様の言葉に従っていくならば、神様が共に闘ってくださいます。
神様が戦うので負けることは有り得ないです。霊的戦いは自分の永遠の命にかかっています。

戦いそのものは楽ではないです。
しかし主は、楽ではない中でも神様に頼るならば、神様は力を与えて勝利することができます。

私たちは1週間に1回は礼拝に参加をしてみことばを聞きながら賛美をしますが、
これは軽く考えてはいけないです。これは戦いの1つの武器であります。

しんどくて参加したくない時こそ、それは肉の想いでサタンに抑えられていることなので
神様がいるところに行かないと、さらにサタンによって抑えられていきます。
礼拝の場所ではみことばを宣言し、賛美があるのでサタンは追い出されていきます。
来る時は肉体はしんどいです。しかし神様は、しんどい時に1人でどうやって戦うんだ?
サタンは私たちが神のところへ行かないように策略を持って働きます。

【詩篇149編5-9節】

礼拝の中でサタンを縛ります。知恵を受け、神様の助けを受けて勝利するために礼拝に来なければならないです。
その想いで来るならば、神様は帰る時に必ず勝利させてくださいます。
だからサタンに騙されてはいけないです。
サタンの誘惑であり聖徒たちが聖日礼拝に来ることは神様との契約であり、神の民である印であります。

本当に心に割礼を受けている者は、神様の安息日を守り、神様に祈らないといけないです。
もちろんこの複雑な世の中に生きているので、どうにもならない時もありますが、
それ以外の理由で、行けるのに自分の肉に負けてサタンに騙されて行かないならば
霊的戦いに負けたことを意味します。

ある牧師が「サタンを縛ることをしているんですか?そんなことをしてはいけない」と言っていました。
そういう牧師の教会は悲惨であります。サタンはやりたい放題です。
聖書にはこのように書いてあります。「悪魔に立ち向かいなさい。」、そして「戦いなさい」という言葉もあります。
私たちはサタンが多く働くところで生きているのに、戦わないならば奴隷になってしまいます。

霊的戦いに勝利するために旧約聖書で学び、負けた戦いにも何故負けたのかを知ると、
そこに自分の姿が出て来ます。
従わなかったから、欲を出したから、罪をそのままにしたから・・・いつまで経っても勝利できないです。

肉を叩いて潰して、聖霊に服従させなければならないです。
もし自分の想いのままに生きるならどうなるか、士師記を読めばわかります。

神様を恐れてください。そして神様が語った通りに指示に従ってください。そうするならば100%勝利します。
日々戦うと、どんどん新しい者に変わっていきます。 ( ̄‥ ̄)=3 フン

2012.3.4
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

人生で大切なものは?

テーマは『 人生において大切なもの 』です。

【伝道者の書3章12-13節】

ソロモンの口を通して何を神様は伝えたかったのでしょうか?

あなたの人生の中で一番大切なものは何ですか?
自分の関心はどこにありますか?お金、持ち物、命、家族…色々あると思います。

若い人達は「命の次には携帯電話」だという人もいて、自分の命を落とす人もいますが、
これは何も気付いていないことであります。

決して「物」ではないです。物は一瞬で消えていきます。「人」でもないです。
人ほど移り変わりやすい、裏切りやすいものもないです。
朝霧のように消えていくものですので、神様はそんなものに信頼するなとおっしゃいます。

ソロモンはこの地上で生まれた人の中で一番全ての物を持っていた人物です。
父・ダビデも素晴らしい人でした。神を信じ、知恵、お金、名誉、権力、欲しい物、全てを持っていました。
そして全てのものを経験していました。妻を1000人。あらゆる快楽も全部経験しました。

そのソロモンが語る言葉なので、私たちはすごく納得できます。実際に経験して書いたものが
伝道者の書です。その中でソロモンは「全てのものが虚しかった」と言っています。

それでは一体、生きてる人間は何が楽しみなのでしょうか?
虚しさの中で、「それでは、何故 神様は人間を造ったのだろうか?」
それでソロモンが主にあって悟ったことが、人生の中で一番大切なものが、伝道者の書3章12節のことばでした。

食べたり、飲んだりするのは、「それは快楽でしょう?」と思いがちですが、
私たちが喜び楽しむことは神様からのプレゼントです。
それなら私たちは喜び楽しまなければならない者だということです。

そうなると矛盾を感じてしまいますが、ここで神様が語っているのは私たちの平凡な日常生活の中でということです。
私たちは毎日食べたり飲んだりしています。

「飲む」というのはお酒のことではないです。
人々は特別なことがあると嬉しいと喜びますが、平凡な1日の生活の中では何も感じなくなっています。
しかし日々の生活そのものが、あなたたちにとって神様が与えてくださった喜びであります。

もちろん神様から離れて食べたり飲んだりするならば虚しさだけが残ります。

【伝道者の書2章24-25節】

神様の主権の中で日常生活を楽しみ喜ぶことが大切なことです。

日々、何も感じずにいた部分が1日取り上げられたらどうなるでしょうか?
食べ物が無くなったらどうなるでしょうか?毎年世界では10億人が飢えで命を失くしています。
アフリカでは飲み水がなく、不衛生な水しかない地域もあります。
韓国のある地域では、洪水が起こり各家庭に水が届かなくなりました。すると住人はトイレに行きたいのに
水が出ないから使えませんでした。すると1~2時間後、都会のマンションの裏には汚物が至る所にありました。

人々は1~2時間止まっただけでパニックになります。トイレの水が出ることがどれだけ感謝なことでしょうか。

神様は生きる為に必要なものをいつも与えてくださっています。
祈りの中で語ったことばで、《日毎の糧を今日もお与えください。いつも主にあって求めなさい。》
当たり前ではないです。与えてくださっていることに感謝しましょう。
そして与えられた時は、神様が与えてくださった素晴らしいものを喜び楽しみましょう。

お金が喜びを与えることはないです。お金はあればあるほどあらゆる誘惑に陥る、と。
これは【Ⅰテモテ6章】にあります。

明日の心配はするな。明日は明日祈れば良い。今日守られたことを感謝しますと
喜び楽しみなさい。平凡なことを当たり前ではないことだと気付きなさいと神様がおっしゃっています。
それはとても大切なことで、これらが崩れると全てが崩れるということであります。

【伝道者の書3章22節】

もう1つ人生において大切なことで、「自分の仕事を楽しむこと」です。
人間は働くように造ってあります。たった1度限りの人生です。
2度とやり直すチャンスが来ないということです。だから最善を尽くします。

年老いた人で悔いることは最善を尽くさなかったことで「若かったあの時に、もっと努力していれば――。」
と、よく後ろを振り返ります。わずかな時間の人生の中で、最善を尽くさなかったことを一番後悔します。

もし繰り返し生まれ変われるのであれば、私たちは怠けてしまいます。
しかしそのようなことはありません。1度だけのチャンスです。

だから自分に与えられた仕事・働きに最善を尽くすことが大切です。
手抜きをすると必ず後で自分に返ってきます。後悔ばかりの人生になります。
自分に仕事が与えられたことを感謝しましょう。

世の中には色々な仕事がありますが、自分の仕事に不満を持っている人がとても多いです。
不満があると手抜きになっていきます。心がそこにいかないからです。
不満ではなく、今自分に仕事が与えられていることに感謝しようと最善を尽くすならば
次にすごく良いものが待ってあります。

最善を尽くさない人に神様は祝福を与えないです。
「何で私がこんなことをしなければならないの」と不満を言うのではないです。
日本や韓国は就職難だと言われていますが、そうではないです。
大学生は一流企業を目指していますが、中小企業では人手が足りなくて困っています。

人々の益にならない仕事(詐欺師やヤクザなど)ではなく、
それ以外の仕事の人たちは、私たちにとっていなければ困る存在です。

例えば、ごみ収集の人達がいなければどうなるでしょうか?
1~2日で街中はゴミだらけになってしまいます。臭いもします。本当にその人達に対して感謝であります。

主婦の仕事や会社の仕事を喜び楽しみながら臨むと、努力した成果が出てきます。周りの人も見ています。

最善を尽くすことが大切です。手抜き・不満ではないです。

【エレミヤ書31章3節】

神様は何でもできるお方ですが、全てのことに最善を尽くす神様であります。
小さいことに忠実な者に大きいことを任せるということは、小さいことだからないがしろにするのではなく、
それを本当に心を込めて最善を尽くす人に神様は祝福を備えてくださいます。

「こんなこと…」ではなくて、私たちは与えられたことに対して最善を尽くす時に
神様はそれよりも大きいものを次から次へと備えてくださいます。
そのような人達が人生で成功します。人生で後悔もないです。

力を残すと、後で後悔し引きずってしまうので、引きずらない為にもその時に出来る精一杯のことをします。
「私に出来ることは何か?」探してみて、力が残らないようにやってみます。
それが終わったら、それ以上出来ることはないから感謝し、引きずらないことです。

神様は1つのことを教えてくださっています。
今日という日、それは今 生きているこの瞬間のことであります。
私たちは「明日が…、あさってが…。10年後が…、20年後が…。」いつもそれを見ているのは
それはしっかりと地に足がついていないことです。

【へブル3章13-15節】

今日1日、最善を尽くしましょう。「明日がどうなるかあなたにはわかるのか? わからないんだ。
今の時間が永遠に続くことはない。あなたに与えられた時間は今しかないんだ。
今日この時間が大切であり、すべきことをしなさい。神様を愛することを今日しなさい。」
今日与えられたことは、自分が持っている力を使うことです。自分に与えられた分だけ最善を尽くします。

隣人に対してもずっと自分といるわけではないです。「今日」愛すること。
仕事、家族、隣人に対してもそれを楽しみながら最善を尽くすと自分が満たされていきます。
そして自分が成長していきます。
しかし、「明日にしたら良い」となると、終わりの日になると後悔ばかり、引きずることばかりになります。
その人生は失敗になります。

【伝道者の書7章1-4節】

良い名声…これは有名になって、色んなことをして業績を残す、ということでないです。
神様と人々から受ける良い評判のことです。
霊的な姿、人格、行いの動機が神様から認められることです。
パウロのようになりたいな、ペテロのようになりたいなというのが良い名声ということです。

生まれたその日から、罪や労苦、心配が始まります。冷静に見ると苦労が多いです。
だれもが通る道です。
神様がいなければ死ぬ日は地獄へ行くので恐ろしいですが、私たちは主にあって
死ぬ日は全てから解放される日であります。労苦から悲しみから心配から解放されて
安息の地に入ることです。これが聖書が教える死後の世界です。信じる者が入る世界であります。
これを悟らなければならないです。

喪中の家に行くと、私たちの心が謙虚になります。自分もいつかこうなるんだろうと
誰も避けることができないので、自分を顧みる時間になります。そこで教わることが多いです。

肉体を喜ばせる快楽の人生が良いと求める人がとても多いです。
「それが無いと生きた意味がない」という人は、愚かな者です。
肉の満足だけの為に生きる人生は滅びだけが待っています。
大切なことは自分の未来を準備する人が本当に知恵ある者であります。

あらゆるものを通して学びなさい。
人々の心にいつまでも残る人になりなさい。どこに向かって歩くのか?

【伝道者の書12章13節】

最も大切なことであります。神様の栄光のために人間を造ったからです。

【イザヤ43章7節】(人間を造った目的であります。)

自分の為にこうしてくださいと次元の低い祈りではなく、そして神様を自分の為に使うのではなくて、
順番を間違えてはいけません。神様の為に私が造られたということです。

しかし神様は怖いお方ではありません。

あまりにも素晴らしいお方、偉大さの前で、それに対する尊敬の思いが「恐れ」であります。
その前に自分が軽率にできないからです。自分と同レベルだと思ったらいけないです。

神様を心から尊敬する人が、神様の命令を守ります。
神様を軽く考えるから、神様の命令を軽く扱います。自分が何者かを知るべきです。

①生きている間、日々の生活の中で喜び楽しむこと。
②自分の仕事を楽しみ、最善を尽くすこと。
③死んだ後に良い名声を残すように生きること。
④神を恐れ、その命令を守ること。

これらが最も大切なことです。悔いがない人生が成功した人生です。
日々の生活の中で実行してみてください。どう生きるべきかを知って生きる、知恵ある者になります。

そういう人がたくさんの良い実を結ぶことができます。
神様が、わからないなら学びなさいと教えてくださっています。
あなたの人生を楽しみながら生きなさい。苦しみながら、泣きながら生きるのは、神様のみこころではないです。
私たちの生き方が間違えているから、たくさんの苦しみに遭っているだけです。

教えられた通りにやってみるならば満たされます。
他人が認めるかどうかは関係なく、自分自身の心が満たされます。

今日学んだことを自分に当てはめて、生き方を直す部分があれば直してみてください。(^∀^)

2012.2.26
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

後悔をしない人生とは!

テーマは『 どのように生きるのか 』です。

【使徒の働き6章8節】

私たち人間はどれくらい長く生きるのかが問題ではなく、「どのように生きるのか」が問題であります。
一番長く生きている人が幸せかというと、そうではないです。内容が必要です。

神様は与えられた命を1人1人どのように生きているのかを見ておられます。

価値ある人生とは・・・?ステパノは初代教会の平信徒でした。

【使徒の働き6章3節】 ※これは人を選ぶときの基準であります。

お金を持っている人が長老の立場になる教会があります。しかし、それだと教会は不幸になります。
なぜなら、それは 神様の御心ではなく、自分たちの思いだけでやっているからです。

【使徒の働き6章5節】

ステパノは救われてから、聖霊充満な人生を送っています。

「聖霊充満」な人とはどういう人を指すでしょうか?
奇跡・癒し・異言の賜物がある人のことだと思っている人もいるかもしれませんが、そうではありません。

聖霊充満とは、まず御心を求める人であります。そして神様から言葉が与えられたら、従順する人のことです。
聖霊を受け入れると、聖霊が自分の内に入ります。そして聖霊の働きに対して敏感になっていきます。
そうすると古いものが消えていきます。主の御心のまま動く人です。

ステパノは知恵も充満な者でありました。
知恵充満とは、真理をはっきりと分別し、わきまえることができることです。
人間の知恵だけでは足りません。そして知識でもありません。

悟るなら行いなさい → 人々に教えていく → 働き人

知恵がないと 自分の思いになり、神様の計画通りに動けません。
(私たちは勝手に考えるところがあり、神の願いではない別のことをしてしまいます。)
知恵を働かせると、御心を正確に知ることができます。

「小さい働きは目立たないから・・・。」 ―― 果たして、それは神様の御心でしょうか?
知恵充満になると、「いま 神様は私に○○をして欲しいんだ。」とわかるようになります。

後悔しない人生にするには、知恵を働かせることです。そして岩の上に建てる賢い人になりましょう。

ステパノは対人関係に対しても良い人格でした。
仮に働きがあったとしても、人格が成っていなければいけません。
バランスのとれた人、あらゆる観点から見ても整えられた人です。
トゲがいっぱい付いている人には、誰もその人のことを尊敬はしないです。

まず第一に神様を愛し、そして自分自身のように隣人を愛する。こちらの両方ができる人が良い人格です。
マザー・テレサも、人に対して愛しました。

聖霊充満→古い自分を捨てる→聖霊の実を結ぶ→愛・恵み・信仰・柔和など・・・
自然と愛のある人に変わっていきます。

ステパノは「許しの人」でもありました。
人間の心は陰険・ねたみが出ます。
ステパノは殉教されましたが、その相手に対しても責めることなく許しました。

【使徒の働き6章15節】

聖書の中で、御使いの顔になったのはモーセとステパノでした。
モーセは神様と40日間会話をして戻ってきた時、御使いのような表情になっていました。

聖霊充満になればなるほど、顔が輝いていきます。平安な顔です。
恐れの顔が消えていきます。(^_^)ニコニコ

私たちは、相手の顔を窺うことがありますが、それは相手の心がわかるからです。

自分の顔に責任を持ちましょう。 愚かな人は愚かさが顔に表れます。

自分では気付きませんが、他人はいつも自分の顔を見ています。
そして神様はもっと見ておられますね。
鏡をよく見てみましょう。もしも怒っている顔をしていたら、心を変えていくようにしましょう。

ステパノの最期は、イエス様が十字架につけられた時と同じ表情でした。

【使徒の働き7章59-60節】

相手を許して、ステパノは天国へ行きました。

私たちは他人を許していなければ天の御国へは入れません。今のうちに人を許すようにすることです。
自分で蒔いたものは、後に刈り取ることになります。

他人の罪を許さなければ、神様はあなたの罪を決して許すことはありません。
(これは自分自身に呪いをかけていることになります。)
ステパノのように許しましょう。

イエス様は人々から色々な目に遭わされましたが、全て許されました。

10年前のことを今でも思い煩っているのであれば・・・これは相手よりも自分の方が罪深いです。
愛がないから許せないのです。ステパノのような生き方を目指しましょう。

==================

礼拝後のヘス牧師の祈り

愛する天の神様。ステパノは平信徒として本当に立派な実を結んだ者であり、
自分に与えられたその人生を神様が喜ぶように生きた人でした。
神様、私たちもそのような生き方をしたいと思います。
無意味な人生、いつも悔いてばかりの人生、人を許さないでいつも心の中に
呪いの思いをいっぱい持ってある人生はもういきたくありません。
せっかく神様が私たちを滅びから救い出してくださったのに、
私たちが再びその滅びの中で、泥沼の中で生きるのは、イエス様の恵みをないがしろにすることであります。
私たちが聖霊を受けて、聖霊によって生まれ変わってあるならば、私たちの生き方も
当然のように新しい生き方をしなければならないと思います。

ステパノは主に出会うまでは、そんな生き方ではありませんでしたが、
主に出会ってからは、これは新しい生き方でいきました。
いつも聖霊に満たされ、知恵に満たされ、愛に満たされ、そして許しに満たされた人でした。
イエス様の中にあるもの、彼は追い求め、そして追求し、そしてその通りにいたものであります。
ですから彼の本当に人生は、良い実を結んだ人生でした。

神様、私たちが去年とまた今年も同じ生き方をする者ではなくて、
去年よりももっと、もっと神の人になれるように成長した姿としていけるように、
聖霊様、みことばを与えてくださり感謝します。
この言葉をただ聞き流す者ではなくて、心に留めてそれを目指していける聖徒たちになりますように
祝福してください。

イエス様の御名によってお祈りいたします。アーメン。

2012.1.8
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

livedoor プロフィール
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

(^^) からし種 に投票してね
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ