からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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真理

今をどのように生きるべきなのか

テーマは 『 今をどのように生きるべきなのか 』 です

【第1テサロニケ5章12-22節】

兄弟たちよ。あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主にあってあなたがたを指導し、訓戒している人々を認めなさい。

その務めのゆえに、愛をもって深い尊敬を払いなさい。お互いの間に平和を保ちなさい。

兄弟たち。あなたがたに勧告します。気ままな者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。

だれでも悪をもって悪に報いないように気をつけ、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行うよう務めなさい。

いつも喜んでいなさい。

絶えず祈りなさい。

すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

御霊を消してはなりません。

預言をないがしろにしてはいけません。

しかし、すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。

悪はどんな悪でも避けなさい。

間違えて解釈した終末論は 現実を否定し、現実逃避したり、または希望も未来も持たず、天国だけを考えて、足が地についていない生活をさせます。

聖書的終末論は、決してそのようなものではありません。


聖書的終末論は、キリストの再臨と一番関係があります。


聖徒たちは キリストの再臨を待ち望みながら、神との正しい関係を保ち、天国と救いを受けた者ですから、地上では “救いへの感謝と喜びをもって生活し、良い実を結ぶように生きる” ことが 正しい姿勢です。


聖書的終末論は、決して暗いものではなく、むしろ希望をもって生きる終末論です。


ですから救いの目的は、

私たちに天国への望みを与え、この世では神から受けた使命を正しく成し遂げさせるためです。


聖徒が正しい終末論をもって、日々の生活で守るべき指針が 本文の中にあります。




霊的指導者を認め尊敬し、霊的指導者は模範を見せること




【ヘブル13章17節】

あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人々は神に弁明する者であって、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。ですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆いてすることにならないようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならないからです。



お互いの間に平和を保つこと




平和を保つためにはこのような心構えが必要です。


【ローマ12章10節】

兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりもまさっていると思いなさい。

自分にはない相手の良い所や長所を見つけることです。


【ローマ12章16節】

互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。



すべての人に対して寛容でありなさい




気ままな者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助けることです。


【ローマ15章1-2節】

私たち力ある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。

私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益になるようにすべきです。



悪をもって悪に報いず、いつも善を行うように務めなさい




【ローマ12章21節】

悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。

【ガラテヤ6章9-10節】

善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。

ですから、私たちは、機会があるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行いましょう。





★ 次の三つは、神に対して持つべき 一番 “基本的な信仰生活の姿勢” です。


◆ いつも喜んでいなさい。


神に受け入れられ、永遠の御国に入る救いの祝福を受けたので喜ぶことが出来ます。


◆ 絶えず祈りなさい。


祈りによって神との交わりが出来、また自分の弱さのために神の助けを必要とする時にも祈りは神への通路になります。


◆ すべてのことについて感謝しなさい。


神がすべてのことを働かせて益として下さることを知っているから感謝出来ます。




御霊を消しても悲しませてもいけない




御霊を消している教会があることは、とても悲しいことです。

御霊を消すことは主の臨在を消すことと同じです。


聖書は御霊を消してはならないと、はっきりと書かれています。


【エペソ4章30節】

神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。



伝えられた神のことばと預言、賜物をないがしろにしてはいけません




【第2ペテロ1章21節】

なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。

【第2テモテ1章6節】

それですから、私はあなたに注意したいのです。私の按手をもってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。



すべてのことをよく見分けること




正しく見分けるために必要なのは “真理” です。


真理は どの時代でも何が正しいか、何が良いかを教えます。


神の目に正しいものは すべて正しいですし、神の目に良いものは すべて良いものです。


人間の目には良く見えても、神の目には悪であるならば、それは “悪” です。


ですから神の真理で分別すると間違いはないです。




悪はどんな悪でも避けること




悪は 罪そのものです。
神が一番忌み嫌うものは、罪です。


罪から来る報酬は死ですから、悪は避けなければなりません。


このような姿勢で 終末を生きる目的は、次のためです。


【第1テサロニケ5章23節】

平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。

アーメン (´・ω・`)

2017.10.22
聖日礼拝メッセージ

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聖徒の霊的生活とは

テーマは 『 聖徒の霊的生活とは 』 です

【ピリピ3章17ー21節】

兄弟たち。私を見ならう者になってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。

というのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。

彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。

けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。

キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

聖徒とは、キリストがご自身の血の代価を払って買い取り、“神の所有とされた人たち” の事です。


聖徒は 天国の国籍を持っている 天国の市民です。

天国の市民として、この地上で生きていくためには、以前とは違う生活が要求されます。


キリストに見習う生活、キリストのための生活、キリスト者として より成熟した生活です。


それらの生活は聖徒の霊的生活ですが、具体的にどのようなことかを 今回は学びます。




キリストに見習う生活




キリストは、神である方が “人間を罪から贖う目的” を持って 人間になられました。

そのために支払った犠牲はすごいものでした。


その犠牲の愛と、十字架の死と復活を信じて救われた人が、今度はキリストに見習う生き方をしなければなりません。


天国の市民になったならば、すでに地上でも それにふさわしく生きるのは当然だと思います。

聖徒にふさわしく生きるために、キリストに見習うべきことは色々ありますが、絶対外せないものがあります。


それは、「 聖、愛、真理 」です。


 聖 について 


【第1テサロニケ4章3ー5節】

神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。あなたがたが不品行を避け、

各自わきまえて、自分のからだを、聖く、また尊く保ち、

神を知らない異邦人のように情欲におぼれず、

【ヘブル12章14節】

すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。


 愛 について 


【第1ヨハネ4章7ー8節】

愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。

愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。

【第1ヨハネ4章16節】

私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。


 真理 について 


【第1テモテ2章4節】

神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。

【第3ヨハネ3ー4節】

兄弟たちがやって来ては、あなたが真理に歩んでいるその真実を証言してくれるので、私は非常に喜んでいます。

私の子どもたちが真理に歩んでいることを聞くことほど、私にとって大きな喜びはありません。

聖徒であっても真理に歩んでいないと、あっという間に真理とは反対の道を歩みます。

そして十字架の敵として歩みます。


すなわち真理を愛さない、信じない、真理に逆らう、真理から耳をそむけることになります。

そして道に迷い、サタンのわなに陥り、惑わされてしまいます。


真理の中を歩むことは、“キリストの中で歩むこと” です。




霊的競走に励む生活




聖徒は天国を目指して歩む人たちです。


オリンピックの陸上競技に出場する選手たちは、どんなに苦しくても日々訓練し、そして試合に出ると決められた道を全力で走ります。


そこには怠ける姿勢も、言い訳も、諦めることもないです。

体の調子が悪くてもやります。

たとえ最下位になっても、ゴールに向かって全力を尽くします。



天国を目指す人がゴールまで辿り着かないならば どうなりますか?


入れないのはもちろんですが、地獄行きになります。

これだけは避けないといけないです。


(人生・いのち は) 1回限りの競走であることを知らないといけないです。


【ピリピ3章12ー14節】

私は、すでに得たのではなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。

兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、

キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。

霊的競走は決して楽ではないです。

様々な邪魔や誘惑もあります。

それでも足を止めて やめてはいけないです。


なぜならば理由があるからです。


【ローマ8章18節】

今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。

先にあるものがあまりにも素晴らしいものですから、それを思いながら競走に励むことです。




霊的戦いの生活




この世には、目に見えない霊的戦いが絶えずあります。


見える世界の裏にある “見えない世界での戦いが より厳しくて激しい” です。


見える世界も見えない世界も造ったのは神です。


暗闇の世界では サタンと悪霊がつねに働き、彼らは悪いことしかしません。


神に敵対し、信じる者の信仰を邪魔して信仰から離れさせ、神から離れさせ、滅ぼすためにいつも働きます。

信じない者はすでにサタンに支配されています。


サタンは、信じる者に対して戦いを挑んでくるので、聖徒はそれに対して霊的戦いをしないといけないです。


【エペソ6章11ー13節】

悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。

私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。

ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。

【ヤコブ4章7節】

ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。

【第1ペテロ5章8ー9節】

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。

堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。

神は霊的戦いを避けるように、そして逃げるようにとは一度も語ったことがありません。

この戦いは、“立ち向かって勝利” するように命じられています。


イエス様は悪魔に勝利した方です。


悪魔が持つ死の力を打ち破って、復活したことでサタンに勝利しました。



主のことば通りに、神の全能の力と神の武具を着けて、恐れず悪魔に立ち向かうならば必ず勝利します。


聖徒はこのような生活をするように召されていることを自覚して、その生活をしていきましょう。


礼拝に参加するだけで、信仰生活をしていると錯覚しては困ります。

キリストが「しなさい」 と言われたことを していくのが 信仰生活です。


キリストを愛するならば、キリスト中心の生活になります。
(。・ω・)ノ゙


2017.9.24
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本当に救われていますか?

テーマは 『 本当に救われていますか? 』 です

【使徒の働き2章36-42節】

ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」

人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。

そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。

なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」

ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って彼らに勧めた。

そこで彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。

そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。

長い間、教会に来ている人に、
そして 牧師や伝道師、教師、預言者、奉仕をしている信徒に「本当に救われていますか?」と誰が聞くでしょうか。


救われていると思うので、あえて聞くことはしないですね。


しかし、彼らがみな救われていると 誰が断言出来ますか?

実際は救われてもいないのに、救われたと勘違いして、教会に通い、そして働きをしている人もいます。


もしかしたら私たちの中にも 救われてない人がいるかも知れないです。


今日は一人一人が、「自分は本当に救われているのか」に対して考えたいと思います。







まずは、“救われること” は何でしょうか?


罪によってサタンの奴隷にされ、サタンの言いなりに生きていた人間が、神の福音を聞き、悔い改めて、神に立ち返り、神の恵みによって、そこから解放され自由の身になり、神の子どもになることです。


【ヨハネの福音書1章12節】

しかし、この方(イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

今日の本文は、人々が救いに導かれていく様子がありますし、救われた人々が その後に どのような生き方をしたのかが鮮明にしるされてあります。

彼らの姿は、確実に救われた人々の姿です。


もし自分は救われたと思っていても、彼らのような姿がまったくないならば、救われたと言えるでしょうか。


“救われること” ほど重要なことが人間にあるでしょうか。

これ以上に重要なことはないと思います。


永遠のいのちが懸かってありますから。


多くの人々は「救い」に関しては もちろん無関心ですが、救いを必要だと思って信じた人々の中にも実際は救われてない人がいるのが一番の問題です。


「本当に私は救われているのか。本当に天国に行けるのか。
主の再臨の時に携挙されるのか」


このことをよく考えながら生きている人は、目を覚ましている人です。


初代教会の信徒の姿は、本当に救われた人の典型的な姿です。

生活が神中心になり、礼拝中心になり、付き合う人も信徒たちに変わりました。


【第2コリント5章17節】

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

このことば通りに、古いものは過ぎ去って新しい者になりました。

これが救われた人の姿です。


この通りの姿が、初代教会の信徒たちからは見られました。

神の言葉に逆らって生きていた彼らが、今は神の言葉を堅く守る者になりました。


神との交わりもせず、遠く離れていた者が交わりをし、礼拝をささげ、祈りをささげ、神の中にとどまっていました。


毎日神と共に歩む生活をするようになりました。

これは古い人の時は想像も出来なかった生活です。


まったく新しい生活で、それを彼らは毎日喜んで続けていました。






このように皆さんも変わりましたか?


以前と同じ生活を今もしているならば、何を持って自分は救われたと言えますか?


キリストを知っているから、みことばを知っているから、礼拝を守っているから、それだけで自分は救われたと思っていますか?


救われたことは新しい者として生まれ変わったことですから、新しい生き方が必要です。


聖書にも書かれていないのに、神学者たちの解釈が、まるで真理であるかのように教会で教えたりすることは とても危険です。


真理は聖書にありますので、聖書を一番重視しないといけないです。


「ある神学者がこう言ったから、別に変わらなくても、このままの姿で大丈夫だ」 という教えは正しいでしょうか。


イエス様が律法学者たちに対して なぜあのように厳しかったと思いますか?

自分たちの考えから出た教えを神のことばより重視したからです。


自分たちの教えのために神の言葉を無にしたので、イエス様は非難しました。

こういうことが今も行われてあります。


「一度信仰告白したら何をしても天国に行ける」と 皆さんは信じていますか?


残念ながらそうではありません。

福音の門は広く開かれてありますが、救いの門は決して広くありません。


救いを、まるでバーゲンセールのように安売りする教理は 大きな間違いです。


【マタイの福音書7章13-14節】

狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。

いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。

これが聖書の教えです。


救いを安く売って大量に天国に入ることが真理ではなく、本当に救われる人は少ないのが真理です。


このことを語った後に すぐイエス様はこのように語りました。


【マタイの福音書7章15-16節】

にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。

あなたがたは、実によって彼らを見分けることが出来ます。ぶどうは、いばらから取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。

救いを安く売っている者は にせ預言者です。

救われてもいないのに、救われたと言う者、天国にも行けないのに、行けると言う者はにせ預言者です。


真理は 真理の実、偽りは 偽りの実を結びます。

サタンが蒔いた偽りの教えが、キリスト教の中にもたくさんあります。


耳に良いことばに騙されて、魂が眠ったままの信徒たちがたくさんいますし、今のままでも自分は救われているから平安だと安心しています。

しかし神のことばは 偽りを必ず暴きます。


バプテスマのヨハネが この偽りを見抜きました。


水のバプテスマを受けたから間違いなく天国に行けると思っている人は、よく聞いてほしいです。

水のバプテスマを授けていたヨハネのことばです。


【マタイの福音書3章7-10節】

しかし、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けに来るのを見たとき、ヨハネは彼らに言った。「まむしのすえたち。たれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。

それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。

『われわれの父はアブラハムだ』と心の中で言うような考えではいけない。あなたがたに言っておくが、神は、この石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。

斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。

有名な祭司や律法学者が自分の所に来る姿を見て、ヨハネは歓迎したでしょうか。


“悔い改めてもない者が 水のバプテスマを受けても無駄だ” と宣言していました。


宗教家であっても、神が望む悔い改めがなく、信仰告白と儀式だけでは救われないです。

悔い改めて新しく生まれ変わっていないならば、その人の所属は 相変わらずサタンの奴隷です。


ですから「まむしの子」と言われました。

彼らは良い実ではなく、いばらとあざみの実を結んでいました。


神は 人の心を見て、その人を判断します。


信仰告白、洗礼、悔い改め、そして聖霊によって生まれ変わったならば良いですが、そうでないなら、ただ “宗教をやっているだけ” で、未だに救われていないです。


「まむしの子」と言われた彼らが、後に何をしたでしょうか?

キリストを十字架につけた群れになりました。


悔い改めがきちんとされず、生まれ変わってなくても宗教生活は出来ます。

しかし、古い人が良い実を結ぶことは出来ないです。


救われているかいないかも 実を見て判断することが出来ます。


悪い木は悪い実を、良い木は必ず良い実を結びます。

これは変わることのない法則です。


悪い実を結んだ人に対して、さらに このような言葉もあります。


【ヘブル6章5-8節】

神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで、

しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることは出来ません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。

土地は、その上にしばしば降る雨を吸い込んで、これを耕す人たちのために有用な作物を生じるなら、神の祝福にあずかります。

しかし、いばらやあざみなどを生えさせるなら、無用なものであって、やがてのろいを受け、ついには焼かれてしまします。

焼かれる場所が天国でしょうか。

天国ではなく、地獄です。


救われた人は、生涯を通して救われた証明になる “良い実” を結ばないといけないです。


悪い実を結ぶことは最初から救われていないか、救われた後に堕落したかです。


救いの道に入ったことは 新しい人に生まれ変わったことですから、その時から良い種を蒔いて、良い実がなるようにしなければなりません。


相変わらず悪い種を蒔いて 悪い実を結ぶならば、古い人のままだと思います。

実がその人の実態を教えています。






本当に救われた人の姿を確認したいと思います。


【エペソ4章17-24節】

そこで私は、主にあって言明し、おごそかに勧めます。もはや、異邦人がむなしい心で歩んでいるように歩んではなりません。

彼らは、その知性において暗くなり、彼らのうちにある無知と、かたくなな心とのゆえに、神のいのちから遠く離れています。

道徳的に無感覚となった彼らは、好色に身をゆだねて、あらゆる不潔な行いをむさぼるようになっています。

しかし、あなたがたはキリストを、このようには学びませんでした。

ただし、ほんとうにあなたがたがキリストに聞き、キリストにあって教えられているのならばです。まさしく真理はイエスにあるのですから。

その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、

またあなたがたが心の霊において新しくされ、

真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。

【エペソ4章5章1-9節】

ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。

また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。

あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。

また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。

あなたがたがよく見て知っているとおり、不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者―― これが偶像礼拝者です、―― こういう人はだれも、キリストと神との御国を相続することができません。

むなしいことばに、だまされてはいけません。こういう行いのゆえに、神の怒りは不従順な子らに下るのです。

ですから、彼らの仲間になってはいけません。

あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。

―― 光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです ――

【第1テサロニケ5章5-10節】

あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。

ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。

眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。

しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。

神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。

主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。

そして、次の箇所にも救われた人の姿があります。


【ヘブル10章37-39節】

「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。

わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」

私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。

自分は本当に救われたかどうかを、これらのことばで判断して下さい。


まったく違う姿であるならば、最初からやり直すことです。

神への信仰、悔い改め、水のバプテスマ、聖霊のバプテスマ、すべてをやり直してください。


そして新しい生き方をして下さい。

変わらない姿のままで、天国は行けないです。


神に立ち返って本当に救われてほしいです。
ヽ(TдT)ノ


2017.7.2
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今は聖霊時代

テーマは 『 今は聖霊時代 』 です

【使徒の働き2章1-8節】

五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。

すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。

また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。

すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。

さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、

この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。

彼らは驚き怪しんで言った。「どうでしょう。いま話しているこの人たちは、みなガリラヤの人ではありませんか。

それなのに、私たちめいめいの国の国語で話すのを聞くとは、いったいどうしたことでしょう。

イエス様はこの世を去って行く前に、弟子たちに重要な話をしました。


ご自分が父のもとへ行くこと、そして聖霊を遣わすことを約束されました。

聖霊時代の開幕を宣言しました。


初めであり、終わりである神、三位一体である神は、世界に対するシナリオを書き、最初は父なる神が 時代の主役、次はイエス様、最後の時代は聖霊が主役になり、世界という同じ舞台で “主役” を変え、役割を変えながら 神は今も働いておられます。



聖霊時代の開幕は、宣言した通りに始まりました。

開幕の日が ペンテコステの日でした。


その日に聖霊は、主のことばを信じ、聖霊を待ち望んでいた人々の上に 激しく下りました。


その時から世の終わりまでが聖霊の時代で、今も聖霊は時代の主役として働いておられます。



聖霊の働きが初代教会で終わったかのように錯覚しているクリスチャンもいますが、聖霊の時代は世の終わりまで続きます。


聖霊は、特に聖徒たちのために働いておられる方なので、信じる者にとって聖霊はなくてはならない存在です。


聖霊の役割を考えるならば それが分かります。

聖霊の重要な役割を伝えたいと思います。




人を新しく生まれさせ 神の国に導く




イエス様は次のように話されました。


【ヨハネの福音書3章3-8節】

「イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」

ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」

イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。

肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。

あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。

風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。

古い人、肉に属する人が 霊の人として生まれるために、聖霊の働きは必ず必要です。


御霊によって生まれなければ、神の国に入ることが出来ない と主が宣言しました。


ですから聖霊が来ないといけないです。



世の初めから聖霊はもちろん働いておられましたが、完全な主役としての働きではありませんでした。


しかし、完全な主役としての働きが始まることが宣言され、その働きの内容も啓示されました。


【使徒の働き1章4-5節】

彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。

ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」

人が新しく生まれるために必要な水のバプテスマと聖霊のバプテスマが、聖霊が来られたことで完璧に揃いました。



主の約束を信じて祈りながら待ち望んでいた弟子たちに 聖霊が風のように、火のように下り、彼らはみな聖霊のバプテスマを受けました。

そして彼らは 以前とは違う新しい者になりました。


使徒の働きを読むと、福音書での弟子の姿とは霊的にまったく違う姿を発見することが出来ます。

体は同じでも中身が変わっていました。




聖徒たちを真理に導き入れます




聖徒たちは、聖霊の導きがないと 真理を悟ることが出来ません。


悟ることは、ただの知識とは違います。

知識があっても、悟りのない人は多いです。


悟りは本来の意味、隠された奥義を知ることです。


聖書ならば文字通りではなく、神が言おうとする霊的意味を知る事です。



律法学者たちやパリサイ人たちは律法の知識は相当ありました。

しかし彼らは、霊的には無知で 悟りがありませんでした。


主が語ることばに対する 彼らの理解は、文字を越えませんでした。

「この人は何を言っているのか」と理解が出来ず、心の中でさばいていました。



しかし開かれた心を持つ群衆は、彼らよりも悟っていました。

知識を誇る者には悟りがないのに、聖霊の助けによって知識のない者が真理を悟りました。



群衆は、その教えを語るイエス様に驚き、イエス様から権威を感じ取りました。

弟子たちも聖霊を受けた後に ものすごく真理を悟る者になりました。


聖霊に満たされたペテロは、群衆の前に立って突然語り始めました。

ペテロは無学な者なのに、律法学者よりも正確に聖書のことばを引用しながら状況を説明しました。



それまで説教者の経験もなかったのに、人の心を揺さぶるメッセージを語り、それを聞いた人々は心を刺され、その日だけで3千人ほど救われました。


聖霊が ペテロを真理の中に導き入れたので、真理を悟り、真理を語ることが出来ました。




聖徒たちに力を与え
証人として遣わします




【使徒の働き1章8節】

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

神の願いは、信じる者が “主の証人” となって、全世界に出て行き福音を伝えることです。


そのためには力が必要なので、聖霊を受けさせ、聖霊と共に働くように助けて下さいます。


神の働きは自分の力だけでやってはいけないです。

聖霊の力と助け、導きが必ず必要です。



大胆に福音を伝えるためにも聖霊の力は必要です。


臆病の霊では人が怖くて 何も伝えられません。

弟子たちは、聖霊を受ける前は 臆病者でした。

人を恐れる者でした。


しかし聖霊を受けてからは 殉教も恐れず、大胆な者になり、迫害されても 主の証人として立派に働きました。


聖霊の力は人を変え、その人を主に仕える者にして下さいます。




聖徒に賜物を与え、
神の教会を建て上げます




教会は “主の体” ですので、人間の力や才能、熱心さで建て上げていくのではないです。


主役である聖霊が、聖徒たちに必要な賜物を与え、役割をさせ、命ある教会を作ります。


【第1コリント12章4-6節】

さて、賜物にはいろいろの種類がありますが、御霊は同じ御霊です。

奉仕にはいろいろの種類がありますが、主は同じ主です。

働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。

【第1コリント12章11節】

しかし、同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。

賜物を受けた聖徒たちは、謙遜な心でその賜物を使って みなの益になるように働きをすべきです。




イエス様の栄光を現わします




【ヨハネの福音書16章14節】

御霊はわたしの栄光を現します。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。

人となってこの世に来られたイエス様を見て、人々の反応はそれぞれ違っていました。

神が人となったことに対して ほとんどの人は知らず、預言者だとか誰かの生まれ変わりだとか、良い人とか意見が分かれました。


本人が証言しても、なかなか信じてもらえませんでした。


しかし聖霊は、人々に イエス様が真の神であることを証明して下さいました。

イエス様と同じ働きをすることで主のことばが真実であることを証明しました。


聖霊がイエス様のものを受けて働きをしているので、イエス様と同じ働きをするのは当然です。


世の終わりまで聖霊の時代は続きます。
神のみわざも続きます。



黙示録にも 明確に聖霊の姿が現れてあります。

黙示録は、終わりの時代に起こることを預言しています。


聖霊を勝手に時代の主役から引き降ろし、勝手に神のシナリオを変えた人には神の厳しい叱責があります。



聖霊の時代は終わったという人は聖霊を冒涜する人です。

クリスチャンでありながら、このように恐ろしいことをしている人がいますが、その人はまず聖霊を受けることです。


受けるならば、聖霊を否定することは出来ないです。


イエス様の栄光を現わす方が聖霊ですから、聖霊を否定したら主の栄光を妨害する人になります。


私たちは聖霊を遣わして下さった神のみこころを悟り、いつも聖霊を歓迎し、聖霊と共に歩む者になりましょう。
(=゚ω゚)人(゚ω゚=) アーメン


2017.6.4
ペンテコステ礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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騒がしい世の中を見て思うこと

テーマは 『 騒がしい世の中を見て思うこと 』 です

【アモス書5章22-24節】

たとい、あなたがたが全焼のいけにえや、穀物のささげ物をわたしにささげても、わたしはこれを喜ばない。あなたがたの肥えた家畜の和解のいけにえにも、目もくれない。

あなたがたの歌の騒ぎを、わたしから遠ざけよ。わたしはあなたがたの琴の音を聞きたくない。

公義を水のように、正義をいつも水の流れる川のように、流れさせよ。

世の中がとても騒がしいです。

アメリカでは選挙の時も選挙が終わった後も、国民が騒ぎ出しています。


各地で暴動化しています。

それぞれ 今まで溜まっていた怒りやうっぷん、心配、無力感など様々な感情が一気に表面化してきました。


韓国でも昨夜100万人の人たちがデモを行いました。

そして、そのデモに対して「朴大統領はそこまで悪くない。」と反対する人たちもデモを行っていました。


同じ人間同士ですが、人間の考えは両極端です。


右翼と左翼、悪魔と天使、保守派とリベラル派、自由貿易と保護貿易など両極端を 時計の振り子のように行ったり来たりしています。


そして互いに激しくぶつかり合っています。

みんな自分の考えが正しいと思って、反対の意見に対しては激しく反発し、怒りをぶつけています。


これは今に始まったことではなく、昔からあることです。

それによって内戦が起こったり、戦争が起こったりします。


こうなると人々は戦いながらも、すごく不安を感じます。

社会が不安定になり、秩序が壊れることは、人々にとって とてもこわいことです。


それを狙って悪を働く者や自分の欲望を満たそうとする者が必ず出て来るからです。


アメリカと韓国は今とても揺れています。

韓国は現役の大統領に対して、“辞めろ” と連日デモが起こり、アメリカでは新しく大統領になったトランプに対して、彼を大統領として認めたくない人々が絶望的になってデモを行っていますし、トランプの支持者たちも 色々と過激的になっていて、いつまでこれらの状態が続くかわからない状態です。






わたしたちクリスチャンは、これらの状態をどのように見るべきでしょうか。


クリスチャンは肉の思いと肉の目だけで物事を判断してはいけないです。
それをすると、肝心な神様の計画とみこころを見ることが出来なくなります。


私たちが肉の思いに流されることを一番期待し喜ぶのはサタンです。


神様は、どんな状況の中でも 私たちが “神の目” で見ることを期待します。


世の中がどんなに両極端に分かれていても、神様は右にも左にもそれることなく 真理の道を歩きます。

それが人間とはまったく違います。


人間は都合によって、感情によって、また他人の意見や惑わしによって、いつでも手のひらを返すように心を変える信頼出来ない生き物です。


ですから人間がまともに生きようとするならば 主を恐れ、主のことばに従って歩むことです。


これ以外に道はありません。

歴史の審判者は、“神” であって 人間ではありません。


みんながまるで裁判官のように裁き合っていますが、それが正しいかどうかの判断は誰がしますか?

そこでも判断が分かれていきます。


このような人間の姿を見て、神が語るメッセージは何でしょうか?


【アモス5章24節】

公義を水のように、正義をいつも水の流れる川のように、流れさせよ。

公義と正義は神のことばです。

真理を行えば、右にも左にもそれることなく まっすぐに歩くことが出来ます。


まっすぐの道こそが公義であり、正義です。


【アモス書5章14-15節】

善を求めよ。悪を求めるな。そうすれば、あなたがたは生き、あなたがたが言うように、万軍の神、主が、あなたがたとともにおられよう。

悪を憎み、善を愛し、門で正しいさばきをせよ。もしや、ヨセフの残りの者をあわれまれるかもしれない。

人間は善人に見え、善を愛するように見えても、心の中を覗いてみると、神が語った次のような姿です。


【創世記6章5節】

主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。

【エレミヤ書17章9-10節】

人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。

わたし、主が心を探り、思いを調べ、それぞれの生き方により、行いの結ぶ実によって報いる。






みなさんはこの言葉に反論できますか?

私の心には悪がないと――。


私は反論できません。なぜなら神が言われる通りの者だからです。

自分の中に いつも悪い思いがあることを知っています。


環境が悪いとか 人が悪いとか言う前に、自分自身が腐敗していることに まず気づかないといけないです。


そこで必要なのが、真理の道を歩まず脇道にそれて生きている自分の生き方を、まず悔い改めることです。


曲がった道にいながら、いくら正義と公義を叫んでも それはむなしいことばであり、それ自体が悪です。



自分の思い、主張、生き方が神の言葉に沿っているかどうかを、まず調べるのが先だと思います。


そして自分が真理の中にいるならば主張しても良いと思います。

また、公義と正義を行う生き方をするためには、次の聖書の言葉から学ぶ必要があります。

イエス様に対する預言のことばですが、そこに私たちが学ぶべき姿があります。


【イザヤ書11章1-5節】

エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。

その上に、主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。

この方は主を恐れることを喜び、その目の見るところによってさばかず、その耳の聞くところによって判決を下さず、

正義をもって寄るべのない者をさばき、公正をもって国の貧しい者のために判決を下し、口のむちで国を打ち、くちびるの息で悪者を殺す。

正義はその腰の帯となり、真実は胴の帯となる。

公義と真実を 帯として身に着けて初めて その力を発揮することが出来ます。


そういうものを持たない者が騒ぎ出すと国々は滅びていきます。

特に政治家たちはこれを備えていないといけないです。


すべての権力は、神がそれを使って 国と国民のために使うように与えているのに、それを自分の利益、また特定の人の利益のために使うことはとんでもないことです。


ですからその人たちも、そういう利益を捨てて主を恐れ、主のことばに従う時に 主の助けと恵みを受けるようになるでしょう。

そして一般市民に必要なものは、次のみことばです。


【ローマ12章16節】

互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。

このように主のことばに立ち返り、自分がいま何をすべきかを わきまえて行っていくならば、平和の主が共にいて下さいます。


闇の力はどんどん人々の心に憎しみ、怒り、敵対心を入れて争うように仕向けますが、それに惑わされて悪の流れに流されてはいけないです。


ソドムとゴモラの町は、正しい者10人がいなかったために 主の裁きを受けて滅ぼされました。


罪から立ち返り、公義と正義、真実の心をもって行い、世界のため、人々のために祈る人が主の目には正しい者に映ります。

こういう姿に私たちがなることを主は願っています。


非難し傷つけ合うと ますます悪に陥るだけです。

このような時代を主のことばの知恵によって乗り越えていきたいと願います。
(*・ω・)ノ

2016.11.13
聖日礼拝メッセージ

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神の選びと召しの目的

テーマは 『 神の選びと召しの目的 』 です


【第2テサロニケ2章13-14節】

しかし、あなたがたのことについては、私たちはいつでも神に感謝しなければなりません。主に愛されている兄弟たち。神は、御霊による聖めと、真理による信仰によって、あなたがたを、初めから救いにお選びになったからです。

ですから神は、私たちの福音によってあなたがたを召し、私たちの主イエス・キリストの栄光を得させてくださったのです。

日本では春と秋に園遊会が開かれます。

天皇、皇后の招待によって、議会の議長、各界の著名人、功績者などが配偶者と共に招かれるので 2千人を超える人々が参加します。


誰でも招かれるのではなく、その時に活躍した人たちが招かれると思います。

招かれた時に、嫌がって断る人がいるでしょうか。

特別な理由がない限り断る人はいないと思います。


むしろ天皇、皇后からの招待だからこそ 光栄と思って喜んで参加するでしょう。


私が思うには まことの天の神に招待されることほど、この世で一番光栄な招待はないと思います。


その価値を知らない人はそうとは思わないでしょうが。


園遊会で天皇と会話をしている人たちを見ると、みんな緊張しているのが見てわかります。


救われた人が いつか天国で神と対面した時はどうでしょうか。

緊張よりは あまりにも嬉しくて言葉も出ないと思います。

想像するだけで心にこみあげてくるものがあります。


神様が私たちを特別に選び、召されるにはどのような目的があるでしょうか?


功績も活動もしていない者たち、罪と咎の多い者をなぜ選ぶのでしょうか。

この世では招かれることもない者たちを 神様が選び召される目的を、私たちは知る必要があります。


知らないと価値が分からず、感謝も出来ず、宝物を持ち腐らせる結果になります。


神様ははっきりとした目的をもって私たちを選んで下さいました。

今回はそのことを伝えます。




1.救いとキリストの栄光を得させるために




今回の本文に そのことが書かれてあります。


神様が私たちを選ぶ目的は たましいの救いを得させるためです。

このことは救われた人ならば皆が知っています。


救われないと誰も神の国に入ることは出来ません。

神の国に入る第一条件は “救われること” です。


神の恵みと福音によって罪人が救われます。

決して人間の努力や力で救いを受けることは出来ません。


神の真理のことばを聞いて 信仰で受け止める時に、神の恵みによって罪赦され、救いを得ます。


そしてキリストの栄光を得させるためです。

人からの栄光ではなく、神の栄光を与えて下さるために召して下さいます。


勝利の行列に私たちを入れて下さいますし、キリストの栄光も与えて下さいます。




2.完全な者、強い者、不動の者とするため




【第1ペテロ5章10節】

あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。

私たちをありのままの姿で選んで下さる神様ですが、ありのままの姿で生きるのではなく、新しい人にするように私たちを変えるために召して下さいました。

これは祝福です。


神にあって私たちは変わります。

それも弱い者ではなく強い者に、完全な者に変わります。

召しの目的です。




3.聖潔を得させるため




【第1テサロニケ4章7節】

神が私たちを召されたのは、汚れを行わせるためではなく、聖潔を得させるためでる。



4.キリストの平和を与えるために




【コロサイ3章15節】

キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。

救われた人はイエス様によって神と和解した人です。


和解した人に与えられるのがキリストの平和です。

罪人にはこの平和がありません。




5.神のしもべとして用いるために




【ローマ1章1節】

神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ、

召されたすべての人は しもべとしておのおの主から受けた召命があります。
忠実に従う時に、神は必ずその人に良い報いを与えて下さいます。




6.祝福を受け継ぐために




第1ペテロ3章9節】

悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのですから。

祝福を受け継ぐために召された人は、祝福の種を蒔かなければなりません。


悪を蒔いて祝福を願っても祝福はありません。
蒔いた種が悪いからです。

祝福の種を蒔けば祝福を刈り取ります。


神は このようにすべて良いものを与えるために 私たちを選び、私たちを召されます。


しかし、このことを どんなに人に話してもほとんどの人は関心を示しません。

目に見えるものではないと見向きもしません。

(その人たちは)人からの栄誉ではないと興味も示しません。


ある人は 「そんなものは要りません」 と拒否します。

ある人は知ろうとしません。

また 疑います。
「今は忙しいから いつか考えます」 と言って、神の選びと招待を断ります。


これは本当に愚かな選択だと思います。
自分の祝福を自分で断ることです。


偉い人の招待は 他のことを犠牲にしても喜んで応じる人が、神の招待だけは嫌って断る人が多いです。


このように素晴らしい祝福をどこで得られるでしょうか?

そして、すでにこの召しを受けた人は 召しにふさわしく生き、絶えず神様から受けた恵みに感謝して、さらなる祝福を神から受けましょう。
(・∀・)


2016.5.1
聖日礼拝メッセージ

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私たちのための主の祈り

テーマは 『 私たちのための主の祈り 』 です

【ヨハネの福音書17章15-22節】

彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。

わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。

真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。

あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。

わたしは、彼らのため、わたし自身を聖め別ちます。彼ら自身も真理によって聖め別たれるためです。

わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。

それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。

またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。

今月はキリストの受難、十字架の死、復活があります。

その流れを今月のテーマとして語ります。


イエス様は いつも祈りをささげる方でしたが、特に自分の死が迫って来た時に、弟子たちのためにいつもより長い祈りをしました。

聖書に書かれたイエス様の祈りで、ヨハネの福音書17章の祈りが一番長いです。


その内容は弟子のため、また私たちのための祈りでした。

その祈りには、主の深い愛と主の願いがありました。


そして私たちに対する主の期待も反映されています。


今回は 祈りの内容に心を向けたいと思います。




・悪い者からの守りを祈る




悪い者に出会って良いことはありません。

サタンはいつも聖徒たちを狙います。


罪を犯させるために誘惑して、サタンがどれほど策略をもって働くか分かりません。


それに気付かず眠っている聖徒が多いのは事実です。

皆さんは目を覚ましていますか?
悪い者に いつも警戒していますか?


3年間、弟子たちと共にいたイエス様は 弟子たちの姿をよく見ていました。


肉の欲と思いで 互いに妬んだり、高慢になったり、争ったりする姿を見ました。

主と共にいながらも サタンの誘惑に負け、罪を犯していました。

そのことを深刻に考えている弟子はいませんでした。


悪者を警戒するように教えても、実行できていない弟子たちを見て、死が迫った時でも主は彼らのために祈りました。

主は 彼らの活躍、健康、幸せ、成功などは祈りませんでした。


なぜなら それより大切なことは、彼らが罪を犯さないことでした。


“罪” は神との関係を悪くし、いのちに関わることです。


人は罪を犯すと “罪の奴隷” になってしまいます。
それが神との関係を壊す要因になります。


“ 罪から来る報酬は死 ” ですので、悪の道へと誘う悪い者から守って下さるように祈りました。


この祈りはいつも必要な祈りです。

私たちも 神様に、悪い者から守って下さるように祈らないといけないです。

イエス様がそのように祈ったならば、私たちもそのように祈ることです。


実際に十字架にかかる前の晩に悪い者が近付くことを知っている主は 必死に祈りました。


そして弟子たちにも 「誘惑に陥らないように目を覚まして祈りなさい。」 と何度も命じました。

しかし眠気に負けた弟子たちは、誰も祈ることができず寝てしまい 祈りが出来ませんでした。


その結果、祈りがなかったので 人を恐れて、信仰から離れ、自分たちを愛し育てたイエス様をみんな裏切りました。


もし彼らのためのイエス様の祈りがなかったならば、彼らは誰も立ち直ることが出来なかったと思います。

そして主のための働きも出来なかったと思います。


ある時に、弟子たちが “祈りを教えて下さい” と言われた時に、「私たちを試みに会わせないで、悪からお救い下さい。」と祈るように教えました。

しかし彼らは その意味が分からなかったですが、あやまちを犯した後に その祈りの重要性をすごく実感したと思います。


弱い私たちも 主が私たちのために「悪い者から守って下さい」と祈ったように同じく祈ることです。




・聖別されること祈る




ヨハネの福音書17章17節にある 「真理によって彼らを聖め別ってください。」 と祈りました。


【ヨハネの福音書8章32節】

そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」

このような みことばがありますが、“真理を知ることは キリストを知ること” で、“ 自由になることはキリストを信じて信頼し服従すると罪から解放され罪に支配されることがない” ということです。


罪は私たちを汚しますが、罪赦され、真理の支配を受けると聖くなっていきます。


神の願いは 私たちが聖なる者になることです。

“聖” は神の属性です。


そして信じる者がますます聖化されることを主は願っています。

新しく生まれ変わった者にはこれが必須です。

次の箇所は “聖化” に関することばです。


【エペソ4章23-24節】

またあなたがたが心の霊において新しくされ、

真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。

“聖化” は、聖霊抜きにして出来ることではありません。


聖霊が信徒の中に働いて、罪の汚れから解放し、新しい人にして、みこころに従うように、良い行いが出来るようにして下さいます。


“救われたので それで万事OKという事はない” です。


ますます聖なる者となるために、罪から離れ、真理に従うことが大切です。

聖め別たれることは、聖別されることですから、そのためには神の言葉に従うことが必要です。


みことばは 教えと戒めと矯正と義の訓練とに有益で、私たちを聖め、良い働きが出来るようにします。




・一つとなるように祈る




ヨハネの福音書17章21-22節で  一つになるように祈りました。


これは信徒たちが一つになることは もちろんですが、教会が一つになることを祈りました。


イエス様と父なる神は いつも一つでした。


教会はキリストの体で、かしらはキリスト、私たち信徒は 体である教会の各部分です。

そして教会が一つになることは、全世界の教会が連合するという意味ではなく、本質的な側面での統一性を意味します。


父なる神とイエス様はすべてにおいて いつも一致していました。


互いが愛し尊重していましたし、互いに高めていました。

それは素晴らしい関係でした。


それと同じように、私たちが 主と一致すること、聖徒たちもキリストにあって一つになることを祈りました。

教会の体の一部分になった信徒たちが “一つ” になることで、神とキリストを伝えることが出来ます。


分裂したり、争ったりすると キリストを伝えることが出来ません。

そんな所にたましいを導きたいとは誰も思わないですね。


年齢や出身、考えが違っても 互いに愛し合い、人を自分よりも優れた者と思い、互いに重荷を負い合う時に “一つ” になれます。


非難したり、壁を造ったり、差別することは みことばに背くことです。

主は私たちに合わせるために卑しい人間の姿になりました。

それが模範です。


大した者でもない私たちが高ぶった思いをもって一つにならないと、主もその人と一つになることが出来なくなります。


主が与えて下さった新しい戒めが、次の箇所にあります。


【ヨハネの福音書13章34節】

あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

これが一つになれる一番の方法です。

イエス様は、最後の日も このように弟子たちや私たちのために祈って下さいました。


その時、イエス様はどのような気持ちで祈ったのかをよく考えることです。

主の祈りが無駄にならないように、その祈りが自分の身になるように同じ祈りをしながら生きることです。


罪人、悪を行う者、汚れた者、分裂を起こす者は 神に喜ばれることも、御国に入ることもありません。

私たちを愛した主は 一人でも失われる者がないように、心を込めて祈りました。


日々、目を覚まして祈っているならば 悪者の誘惑に負けることはありません。

聖くなればなるほど 神を見ることが出来ますし、神の子と呼ばれます。

そして教会を愛し、キリストを愛し、聖徒を愛するならば それによって一つになれます。


主が祈ったように祈りながら実行してみましょう。
v( ̄∇ ̄)v

2016.6.14
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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悪魔との戦い方

テーマは 『 悪魔との戦い方 』 です

【ヤコブ書4章7節】

ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。

先週は 「悪魔の正体と策略」 に対して学びました。


悪魔は軽く考えてはいけない、決して弱い存在ではないです。

そのことをまず しっかりとわきまえましょう。


「使徒の働き」 を読んでみると分かります。

使徒パウロが命じると 悪魔は出て行きました。

それを見たユダヤの祭司長の7人の息子たちが、悪霊につかれている者に向かって主イエスの名をとなえました。


【使徒の働き19章12-16節】

「パウロの宣べ伝えているイエスによって、おまえたちに命じる」

このように言ってみましたが、次のように悪霊が答えました。


「自分はイエスを知っているし、パウロもよく知っている。けれどおまえたちは何者だ」

そして、悪魔は 彼らに飛びかかり、2人の者を押しつけて、みなを打ち負かしたので、彼らは裸にされ、傷を負って逃げだしました。


悪魔は相手を見抜いています。

勝てる人と負ける人を見ただけで分かります。


悪魔は人間より はるかに力があるので、人間をまったく恐れません。


むしろ人間を支配して、自分の奴隷にし、“世の支配者” として君臨しています。


3階建ての家で例えるならば、1階は人間、2階は悪魔、3階は神様が住んでいます。

神様が 1番力があります。

次に力があるのは悪魔で、最後が人間です。


ですから、悪魔に勝つためにはどうしたらよいか、力ある神に戦い方を教えてもらうことです。


そして私たちが3階に引っ越しをし、神と共に住むことです。


聖書には 悪魔の策略もありますが、神の勝利の秘策も色々と紹介されています。


今回は避けられない悪魔との戦い方を主のことばから学びます。




・神に従って悪魔に立ち向かう




悪魔は “私たちが神と共にいる時、神に従っている時” に私たちを攻撃しても勝利することは出来ません。


なぜなら悪魔は、私たち人間のことは全く恐れないですが、神には勝てないので 神を恐れています。

神の前では(悪魔は)逃げ去ります。


私たちがいつも神と共にいて、神に従うと、神は私たちに悪魔を追い出す権威を授けて 悪魔に勝利出来るようにして下さいます。


すると悪魔は、その権威の前に思うように働くことが出来ず、私たちが “主の名” によって追い出すと悪魔は出て行きます。


パウロはその権威があったので、悪魔を追い出しましたが、その権威がない者が追い出した時に、反対に悪魔の攻撃を受けて 自分たちが悪魔から逃げ去りました。


ですから神は “神に従って、悪魔に立ち向かいなさい” と命じました。

権威もなく、1人で戦うと悪魔からひどい目に遭います。


悪魔との戦いは、ネット世界のゲームの戦いではなく、実際の戦いです。


サタンが1番標的にするのは、“クリスチャンでありながら 神に従わない人、神と共に歩まない人” です。


その人たちは神を信じているのに、いつまで経っても悪魔から自由にされず支配されています。


その人たちは悪魔の言うことはよく聞いても、神の言うことには聞かず、死んだ信仰状態です。

悪魔に支配されているので、生まれ変わったとは言えない状態です。



イエス様は「私の中にとどまりなさい。私を離れては何も出来ない。」と言われました。


悪魔との戦いに勝ちたいならば、主の中にとどまりながら、主に従うことが最も大切です。


悪魔は強いですし、数も とても多いです。

次々と攻撃をしかけますので、神の中が一番安全な場所です。


サムソンもダビデも主と共にいて、従った時は強い敵に勝利しましたが、欲望に心が取られた時にサタンがしかけた罠に引っ掛かり、罪を犯し、サタンに勝利をもたらしました。


彼らが悔い改め主に立ち返った時に、再びサタンに勝利することが出来ました。


ですから悪魔に立ち向かうためには、いつも主に従って主の中にとどまることが必要です。




・神のすべての武具を身に着ける




【エペソ6章10-17節】

終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。

悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。

私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。

ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。

では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、

足には平和の福音の備えをはきなさい。

これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。

救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。

神は “キリストの兵士” として召された聖徒たちが、霊的戦いで勝利出来るように “神の武具” を用意して下さいました。


霊的戦いをする聖徒たちは、必ず神の武具を着ないといけないのに、この武具があることすら知らないクリスチャンが多いです。

みことばは知っていても、着ていない人が多いです。


その人たちは何を持って悪魔と戦っているでしょうか?
肉の力で戦っているでしょうか?それとも、大声が武器でしょうか?


人と人、国と国の戦いには 目に見える武器が必要ですが、(目には見えない)霊的存在である悪魔との戦いには 神から言われた “神のすべての武具” が必要です。


神の武具には、神の力と守り、恵みがありますので、それによって戦うならば、勝利は間違いないです。


サタンにいつもやられている人は、神の武具がない “裸の状態” で出て行くのでサタンの捕虜にされてしまいます。

そして神が助けてくれなかったので、「すべては神様のせいです」と神に文句を言います。

これは とんでもないことです。


裸で手ぶらの状態で 神の指示も無視して敵の前に出るならば、物笑いです。

それでは あっという間にサタンの奴隷にされてしまいます。


神の武具を 【ローマ13章12節】 では、「光の武具」と言っていますし、【第2コリント6章7節】 では「義の武器」と言われています。


闇である悪魔は 光には勝てませんし、不義である悪魔は 義の前では勝利出来ません。






また、神のすべての武具に何があるのかを学びます。


腰には “真理の帯” です。

真理は、世の価値観・偽りから私たちを守ります。


この世ではサタンが蒔いた価値観にあふれています。

そのほとんどが真理に逆らう価値観です。


ですから(この世は)神に敵対しながら生きています。


世の価値観に勝つためには、真理による価値観と行動が強力な武器になります。


胸当ては 急所を守る役割をしますが、“正義の胸当て” は、神の言葉に忠実に従うことで着けることが出来ますし、その胸当てはサタンの惑わしの火矢から守ってくれます。


福音の履き物は“ 福音を伝えること” で、サタンの勢力を打ち破ります。

信仰の大盾は、“主の力を信頼して、敵の攻撃を防ぐことも攻撃する” ことも出来ます。


また信仰は “世に勝つ力” です。


救いのかぶとは、“救いを確信すること”で、大胆に戦うことが出来ます。

神の救いが確信できないとサタンとの戦いに恐れが出て、勝つことが出来ません。


手には聖霊が与えて下さった みことばの剣をしっかり握って “悪魔を攻撃” します。




・祈りによって戦う




【エペソ6章18節】

すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。

兵士がどんなに完全武装していても 眠っているならば、あっという間に敵にやられてしまいます。


聖書は、目を覚まして御霊によって祈るように命令しています。

それは敵がいつ攻撃するか分からないからです。

“祈り” によって神の守りと恵みを受けることが出来ます。


霊的戦いは激しいので、勝つためには神の助け、守り、恵みが必要です。


イエス様も 十字架を前にして、ゲッセマネの園で汗が血のしずくになるまで祈ったので、悪魔との激しい戦いに勝利することが出来ました。


イエス様が弟子たちには「誘惑に陥らないように目を覚まして祈りなさい」と何度も言いましたが、誰も祈らず眠ってしまったので戦いに敗れ、イエス様を裏切り、散々な目に遭いました。


“祈り” がどんなに重要な戦いの武器になるかは、このことで弟子たちはすごく分かりました。

その後は祈りに専念する弟子たちになりました。


また、悪霊に取りつかれた少年が来た時に 弟子たちだけで悪霊を追い出そうとしましたが、出来ませんでした。

しかしイエス様が来て悪霊を追い出しました。


そこで弟子たちは「なぜ自分たちはそれが出来なかったのか」と主に聞きました。

その時も主は、悪霊を追い出すために “祈りが必要であること” を教えました。


【マルコの福音書9章29節】

「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出せるものではありません。」

普段から祈りがしっかり出来ている人は、サタンとの戦いに強いです。

自分に力があるからではなく、祈りによって神に頼り、神の助けと恵みを受けるからです。


サタンとの戦いはますます強く巧妙になります。


戦いを恐れるのではなく、神の中にとどまること、神に従うこと、神のすべての武具を身に着けること、そして目を覚まして 絶えず祈ることで、勝利出来ますので、後は大胆に悪魔に立ち向かいましょう。
( ̄‥ ̄)=3

2016.2.21
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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聖書にある繁栄の原則

テーマは 『 聖書にある繁栄の原則 』 です

【詩篇122篇9節】

私たちの神、主の家のために、私は、おまえの繁栄を求めよう。



繁栄の原理





【創世記26章12-13節】

イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。主が彼を祝福してくださったのである。

こうして、この人は富み、ますます栄えて、非常に裕福になった

新聞を読んでもテレビを見てもネットを読んでも経済的な困難や問題に対する内容がとても多いです。

イサクが生きた時代もそうでした。その地にききんがあって彼はそこに住む事が出来ず生きる場所を探して見つけたのがペリシテの地でした。

ペリシテ人は外国人の労働者にいい仕事場やいい土地を与えることはしませんでした。
しかし神様が祝福した時に、その年に百倍の収穫を得ました。

百万円を投資して一年で1億円を稼いだことになります。聖書で神様は30倍、60倍、100倍祝福すると語りました。

聖書によれば神と共に歩んだ人、神の繁栄の原理に従って生きた人々は環境を超越して繁栄を経験しましたし、それは今も変わりがありません。


【創世記13章2節】

アブラムは家畜と銀と金とに非常に富んでいた。

モーセの祝福は次の箇所です。

【申命記34章7節】

モーセが死んだときは百二十歳であったが、彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった。

ヨブの祝福は次の箇所です。

【ヨブ記42章12節】

主はヨブの前の半生よりあとの半生をもっと祝福された。それで彼は羊一万四千頭、らくだ六千頭、牛一千くびき、雌ろば一千頭を持つことになった。


ヨブは一度 無一文になりましたが、神に感謝して従ってっきたので、以前よりも2倍の祝福が与えられました。

神様から繁栄の祝福を受けて金持ちになった人たちの心が変質して神様を失望させた事が多いですが、もし神様の祝福を受けて神様が喜ぶように使うなら すべきことはたくさんあります。


世の富が邪悪な者たちに集められ、この世を腐敗させ、罪を犯させ、人々に悪い影響を与えることに使われることがいいですか?それとも世の富が神の人々に与えられ良いことのために使われるのがいいですか?
当然少しでも良い所に使われるのがいいです。


聖書では信じる者達に清く貧しく生きるように語ってないです。
私たちが祝福を与える神様から祝福を受けて繁栄することを主は願っておられます。




繁栄適用




聖書の繁栄原理は永遠に変わりません。しかしその原理を適用する方法はいつも変わります。
原理が“真理”という衣を着ているなら、方法は“時代”という衣を着ています。

真理が永遠であるように原理も永遠です。しかし時代が変わるように繁栄を適用する方法はいつも変わります。


たとえば伝道することは神の御心であり私たちは伝道しなければなりません。

昔は路傍伝道をすると人々が集まって話を聞きました。
しかし今はどうですか?

都会の生活は忙しくて足を止めてじっくり聞く人はほとんどいません。
チラシをたくさん配ってもそんなに効果がありません。


時代にあう方法を見つけてしなければならないのに昔のやり方に縛られている人々や教会も多いです。

誰かがやった方法を真似するのは難しくありません。
しかし新しい方法や道を作るのはとても難しいことです。


繁栄する人々は繁栄の原理を新しい方法で適用する知恵があります。

繁栄した人たちはすでに繁栄した人たちから繁栄の原理を学んでその原理を自分自身に適用するのに卓越した人たちです。

時代の状況把握が早く、それに合うまったく新しい方法を作り出します。
神様は信仰の人々にはそのような創造の力を与えます。


新しい服を着なければならないのに古い服を脱ぐ事を恐れている人が多いです。

ですからイェス様は“新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければなりません。”と語って下さいました。

スティーブ・ジョブズ氏など創造する人は勇気があります。他人と衝突することもありますが、人の評価を気にしません。


周りの人は頭の中でアイデアは浮かびますが、そこで止まります。
しかし繁栄意識がある人は実行します。失敗を恐れず、大胆に新しいことに挑戦します。


私たちは先入観や恐れなど自分の中にある古い考えを捨てなければなりません。


クリスチャンは古いものに縛られてはいけません。




繁栄意識




とても辛い状況の中でも、これ以上辛くならないから“よかった”と言う人、“大丈夫です、感謝です。”といつも言う人には繁栄意識があります。

繁栄意識は神様が人間に与えた権利です。
エデンの園でアダムが生き物につける名はみな、それがその名となりました。

神様はことばでこの世を創造し、その創造の作業をアダムにもさせてアダムが名をつけるとその通りにしました。


アダムの子孫である私たちにもことばで創造する力が与えられてあります。

繁栄や成功はある特別な人だけが持ってある秘訣ではありません。

すべてが栄える人はことばで“繁栄”を叫び、繁栄を創造するから繁栄します。


神様は祝福を与える方ですので、あなたの口を大きく開きなさいと言われました。
大きく開ける時に大きなものが入って来ます。

神様が私たちに素晴らしい約束をたくさんしているのに、悪魔によって人々は否定的な思いに洗脳されてその頭を繁栄意識に変えるのがどんなに難しいかわかりません。

神様が「何をして欲しいのか?」と語った時に、「私はこの病気を癒して欲しいです」と言った人だけが病気が癒されました。


出来ないという言葉はあれほどよく信じながら、出来るということばは死んでも信じないですね。
繁栄したいならば、無意識に使う否定的なことばをすべて反対(肯定的)にして使って下さい。

『できるものならと言うのか。信じる者にはどんなことでも出来るのです。』と否定的なことばを言う人にイェス様が語りました。


私たちは失敗意識や貧乏意識など、どれほど否定的な意識が多いでしょうか。




繁栄態度




大企業で新入社員の採用担当をする人がこう話しました。

大企業に履歴書を出すぐらいの人ならば それらしい実力はあるので、そこにたくさんの資格があると書いてもそれをみて合格、不合格を決めることはあまりないと言います。


面接官は面接室に扉を開けて入る瞬間1秒でその人の合格、不合格を決定します。

面接が始まり、質問と答えのやりとりの過程でそれが変わる確率は10%にも満たないと言います。


面接官の目が一瞬見ただけで“合格”になる秘訣は何ですか?

繁栄態度です。
やることすべてがうまくいく人は栄えるしかない態度を持っています。

面接官は人を選ぶ時に実力も無視しませんが、実力よりもまずその態度を重要視します。


すべてが栄える人はある時点から否定的な思いと態度を肯定的で積極的な態度に変えた人です。そして何事もよくなる方に解釈し、肯定的な態度を取ります。

それが習慣になった人は無意識的にもそのような態度を取ります。

いくら面接でいい印象を与えようと準備し練習しても普段から“繁栄態度”をもって生きる人じゃないと面接官の目に1秒でばれてしまいます。

ですから面接室に入った時から面接が始まるのではなく、普段の生活の態度からが始まりです。


繁栄態度をもってない人は信仰のない人です。疑いが多い人です。

聖書の偉大な人物たちがどれほど“繁栄態度”で生きたかを知ることが出来ます。
繁栄態度は信仰を持ってない人でも持つことが出来ます。

その人たちは神様ではなく信念を信じます。“積極的な思考法則”、“肯定的な力”のようなものはすべて信念を“繁栄態度”に変えた理論です。


ヨシュアとカレブの繁栄態度を見てみましょう。否定的な言葉を語る人々の前で大胆に語りました。


【民数記14章9節】

ただ、主にそむいてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちのえじきになるからだ。彼らの守りは、彼らから取り去られている。しかし主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない



繁栄秘密




聖書に出てくる繁栄した人々はそれ自体に満足した人たちではなく、それをよく用いた人たちでした。

名誉や権力、富の奴隷に転落せずそれを用いて他の人々を繁栄させました。


14世紀百年戦争当時フランスのある都市ですが、英国軍に包囲されました。その都市は結局降伏することになりました。

そして英国の王エドワード3世に慈悲を求める降伏使節団を派遣しました。
英国王は“すべての市民の命を保証する条件で都市の代表6名を首つりにしなさい。”と命令しました。

市民たちは誰が処刑になるのかで大混乱になりました。


みんなが戸惑っている時に、その都市で一番の金持ちであるEustache de StPierreが処刑になることを志願しました。続いて市長、商人、法律家、など貴族が処刑に賛同しました。

彼らは次の日に処刑を受けるために処刑所に集まりました。
しかし妊娠した王姫の願いを受け入れた王は処刑を自ら受け入れた六人の犠牲精神に感動して彼らを生かしました。


この話が歴史書に記録され高い身分に伴う道徳的義務である「ノブレス・オブリージュ」の象徴になりました。

大体キリスト国家が多いヨーロッパでは“金持ち”が尊敬を受け肯定的に受け止められているのは、彼らが“高貴に生まれた者は高貴に行動しなければならない”という ノブレス・オブリージュを黄金律にして自負心を持って実行するからです。

彼らは富を子どもに譲りません。


神様がある人に多くの富を与えるのは1人で使って残ったものを子孫に残すのではなく分け与える意味で与えてあります。

繁栄秘密がこれです。他人を栄えさせることが自分も栄える道です。聖書に書いてあります。


【創世記26章30節】

そこでイサクは彼らのために宴会を催し、彼らは飲んだり食べたりした。


【マタイ7章12節】

それで何事でも自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。

聖書にある繁栄法則を使うことは神様が望むことです。

私たちが神様から良いものを受けて、それを用いて神様が喜ぶことをするのが目的です。
(・∀・)つ


【Ⅲヨハネ2】

愛する者よ。あなたがたましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、健康であるように祈ります。

2015.2.1
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365日主と共に歩む

テーマは 『 365日主と共に歩む 』 です

【創世記5章21-24節】

エノクは六十五年生きて、メトシェラを生んだ。

エノクはメトシェラを生んで後、三百年、神とともに歩んだ。そして、息子、娘たちを生んだ。

エノクの一生は三百六十五年であった。

エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。

このタイトルを今年の教会の目標に決めました。

そして、みなさん個人の目標にもしてほしいと願います。

1年365日を主と共に歩む人生を今描いてみてください。
想像できますか?


未知の人生の旅路を誰と共に歩みたいですか?

誰と共に歩んだら安心できますか?誰と共に歩んだら幸せですか?
それは どう考えても人間ではないですね。

聖書に出てくる人物で、死を見ずにいなくなった人が2人います。
おそらく生まれてきたすべての人類の中では この2人しかいないでしょう。


1人は本文に書かれていたエノク、もう1人は預言者エリヤであります。

エノクは「神が彼を取られたのでいなくなった」と記録されています。


そして、もう1人のエリヤは次の箇所に書かれています。


【Ⅱ列王記2章11節】

こうして、彼らがなお進みながら話していると、なんと、一台の火の戦車と火の馬とが現れ、このふたりの間を分け隔て、エリヤは、たつまきに乗って天へ上って行った。

このようにしてエリヤはいなくなりました。


2人に共通するものは、死を体験することなく天に上げられたことと、神と共にいつも歩んだことでした。

エノクの時代、人々はとても長生きで、九百年以上生きている人が多かったです。

彼が生きた地上での365年はとても短い人生でしたが、900年以上生きた人々の人生には“生まれた”、“死んだ”という記録だけが書かれていて、幸せな人生を送ったというイメージが浮かばないです。


しかし、エノクからは幸せな人生だったというイメージが浮かんできます。
皆さんはそう思いませんか?


365年間、神とともに歩んだエノクはすばらしい人生だったと思います。

今、私たちは365年間 神とともに歩むことは不可能です。
その年齢まで生きられる人はいないからです。


それでも、せめて何十年間でも神と共に歩む人生を生きるのはどうでしょうか?


まずは365日、主と共に歩む人生が どのような人生であるのかを自分で体験してみるのはどうですか?

どのようにしたら365日 主と共に歩む事ができるのかを聖書から学びたいと思います。




(1)毎日 聖霊と交わりをすること




まずは、聖霊と毎日交わりをすることです。

聖霊はイエス様が天に上って行き、私たちのために遣わしてくださった主の霊です。


【ヨハネの福音書15章26節】

わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。


【ヨハネの福音書16章13節】

しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起 ころうとしていることをあなたがたに示すからです。

そしてイエス様のことば通り、聖霊が遣わされて地上に来たことは使徒の働き2章に はっきりと示されています。

今、私たち信じる者の中におられる方は聖霊様です。


聖霊様は私たちを助け、真理に導き入れ、罪と義について、さばきについても教えて下さる方です。


聖書には、この聖霊を悲しませてはいけないと書いています。

聖霊様を悲しませる行為は、聖霊を無視する、認めない、物扱いをする、そして私たちが罪を犯したり、聖霊をけなすことなどです。


聖霊と毎日交わりをすることは、聖霊を認め、歓迎し、日々親しく会話をすることです。

24時間 自分と共にいることを認識して声をかけてください。


「聖霊様、おはようございます。感謝します。嬉しいです。○○を一緒にしてください。助けて下さい。」など絶えず会話をしてみてください。私はいつもそのようにしています。

いつでもどこでも常に聖霊様と一緒です。とても安心感がありますし、心が平安になります。




(2)365日 主に仕えること




365日 主に仕えることです。

主が私たちに語ったことばあります。


【ヨハネの黙示録2章10節】

死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。

私たちは主に仕えるために召されたものです。
自分の人生をもって主に栄光を捧げるように私たちは選ばれました。

主の働きにおいて私たちはアルバイトをしているのではなく、受けた恵みに対して感謝しながら一生 主に仕えるのが当然なことです。


だれよりも多くの働きをして主に仕えたパウロの中にある思いは次のような思いでした。


【Ⅱコリント12章15節】

私はあなたがたのたましいのためには、大いに喜んで財を費やし、また私自身をさえ使い尽くしましょう。

喜んで福音のために働きました。その働きは主に仕える働きです。

365日、毎日主に仕えることを心がけましょう。
私自身が一番ではなく、主のため、福音のため、他人のためのことを まず考えましょう。




(3)365日 主のことばを食べる




365日、主のことばを食べましょう。

主はみことばによって私たちを導きます。聖霊は私たちを真理に導き入れます。

ですから聖霊の導きを受けるためには、みことばを食べなければなりません。


目で読んで終わるのではなく、心の中に入れるのが“食べる”ことです。


【詩篇19篇7-8節】

主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。

主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。

このようにみことばは素晴らしく、私たちに多くの良いものを与えて下さいます。


みことばは神からの最大の祝福でもあります。

みことばをいつも食べて生きる人は、主に導かれて生きるので つまずくことがありませんし、闇の中でさまようこともありません。


【詩篇119篇105節】

あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。

また、みことばを食べることは、みことばに従順することも意味します。
みことばを吐き出すことは不従順の姿です。


甘いことばでも苦いことばでも偏食せずに神様が用意してくださった霊の食べ物としてしっかりと食べましょう。

それによって霊的に富む者となって、いつも聖霊充満の状態で生きることができます。




(4)365日 主が喜ぶ善行を行う




365日 主が喜ぶ善行を行いましょう。

主と共に歩むと言いながら 闇の中を歩み、闇のわざを行い、罪の実を結ぶならば聖霊様を共犯者にしてしまいます。


聖霊様が私たちに罪を犯させるはずがありません。
聖霊様が共におられるならば善を行わなければなりません。


【ガラテヤ6章7-10節】

思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。

自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。

善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。

ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行いましょう。

毎日、善を行う機会があるかどうかアンテナを張って、機会を見つけては行動に移しましょう。

特に行った善は、後で自分自身で良い実を刈り取ることができます。

今年はこのように、とにかく主と共に歩むことを一番の目標にしてエノクを見習いたいと思います。


共に歩む相手が誰であるかによって人生が大きく変わります。

主と共に365日歩むなら、主はその人を正しく導き豊かに祝福してくださいます。
v( ̄∇ ̄)v

2015.1.2
新年礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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