テーマは 『 主に従うこととは 』 です
【第2テモテ4章16-18節】
私の最初の弁明の際には、私を支持する者はだれもなく、みな私を見捨ててしまいました。どうか、彼らがそのためにさばかれることのありませんように。
しかし、主は、私とともに立ち、私に力を与えてくださいました。それは、私を通してみことばが余すところなく宣べ伝えられ、すべての国の人々がみことばを聞くようになるためでした。私は獅子の口から助け出されました。
主は私を、すべての悪のわざから助け出し、天の御国に救い入れてくださいます。主に、御栄えがとこしえにありますように。アーメン。
口先だけで「主に従います」と言うのは簡単です。
言うだけで何もしなくて良いですから。
しかし、実際に主に従って歩むことは簡単ではなく、とても難しいです。
なぜなら主が歩んだように歩まないといけないからです。
主の使徒・パウロは、「主に従って歩む」ことが、どういう事かを身をもって現した人でした。
イエス様のように生きてイエス様のように死にました。
イエス様からビジョンと使命を受け、イエス様と親密な関係を結び、共に歩みました。
そして主が 弟子や従って来たすべての者に捨てられたように、パウロも捨てられました。
そしてイエス様のように彼らを赦しました。
主を愛し、人を愛する愛をそのまま見せました。
イエス様は、人のために この世に来られ、人に仕えましたが、人の手によって十字架にかけられ死にました。
十字架の上で父なる神に祈りました。
「父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」
パウロも自分を見捨てた人たちに対して「彼らがさばかれることがありませんように。」と願いました。
イエス様に似た姿がありました。
イエス様に出会った後のパウロの生き方、心、働き、愛、すべてはイエス様の中に見られるものでした。
違うところはありませんでした。
主に従うことは、主と同じ生き方をすることです。
違う生き方ならば、別々の道を歩んでいることを意味します。
主と同じ生き方は、みことばの知識だけでは100%無理です。
知識だけでは主の心を知ることが出来ません。
理解も出来ません。
十字架の知識を持っていても 十字架にかかった主の心や痛み、苦しみを知ることは出来ないです。
自分が同じ経験をして初めて共感し、知ることが出来ます。
主に従った人々は、主と同じことを実行しました。
無条件の愛、犠牲的な奉仕、心からの服従、完全な自己否定、しもべとしての謙遜がありました。
信仰と愛、希望をもって、神に栄光をささげながら自分の十字架を負ってビジョンと使命を全うしました。
天の御国にふさわしい者になりました。
アーメン ヽ(^o^)丿
2019.9.1
聖日礼拝メッセージ
八戸ノ里キリスト教会
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