からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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病気

こんな時はどうすればいいのか

テーマは 『 こんな時はどうすればいいのか 』 です

【ヤコブ5章13-15節】

あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。

あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。

信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。

パソコンやスマホ、電化製品などを買うと、その製品の使い方や困った時の解決方法などが書かれている分厚い説明書が必ず付いてきます。


小さい文字で あまりにもたくさん書いてあるので、ほとんどの人は説明書をあまり読まないですね。

しかし困った時は 説明書を調べます。


すると そこに解決方法が書かれているので助かることが多いです。

造った人が1番その製品に対して詳しいので、きちんと解決方法を知っています。


聖書は私たちのことを “神の作品” だと呼んでいます。

すなわち人間は 神の手によって造られた作品です。


ですから私たちを1番よく知っているのは神様です。


神は(すべてを造った)創造主ですので、被造物のことを全て知っておられます。


造られた者として どのように生きるべきかを神が教えないと、私たちは分からないです。

そのことを聖書だけが正しく教えています。


神から言われた通りに生きる人は、人間を造った神の目的にふさわしく生きる人です。


神はまた 人間に何か問題が生じた時に一番有効な解決方法も創造主は持っておられます。


すでに創造主を信じ、聖徒になった人たちは 神が示した有効な解決方法を常に用いることです。

今回の本文は、その中の一部分ですが、私たちが使うと 大いに役立ちます。





苦しんでいる人は祈りなさい




私たちの人生には 多くの苦しみがあります。

別れや失敗、病気、貧困、悩み等々。


その時の一番の解決策は、まず神に祈ることです。


「祈るだけで解決されるのか」と言う人は、祈りのパワーをまったく知らない人で、神がどれほど偉大で力ある方であるかを知らない人です。
また、神がどれほど自分のことを愛しているかを知らない人です。



神は決して人間を強い者として造ったわけではなく、神に依存しながら生きるように造りました。


ですから人間は、苦しみがあると すぐに落胆し、つぶやきます。

その状態ならば苦しみが増すだけです。


ですので、神は私たちに 「助けるから苦しい時は一人で悩まないで わたしに祈りなさい。」 と解決方法を教えて下さいました。


祈ると、苦難を乗り越える力を神様から受けることが出来ますし、神のみこころを発見出来ますし、また神様から慰めを受けますし、そして助けられます。


聖書には実際にそのようにして神の恵みを受けた多くの聖徒たちの姿が出てきます。


【詩篇91編15節】

彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。

神様はこのように約束して下さいました。

そして そのように苦しみの時に 主に祈った現代の聖徒たちも、主の助けを受けました。


ジョージ・ミュラーは、94歳までイギリスで孤児院を経営した立派なクリスチャンでしたが、彼を有名にしたのは 5万回の祈りが答えられたことでした。


お金がない中での孤児院経営は大変ですが、彼は資金集めのためにチャリティー募金活動などをしたことがありませんでした。


彼が孤児院を維持するためにやったことは 神への祈りだけでした。

神はそのすべての祈りに答えて下さり、孤児たちを養うことが出来ました。


私も皆さんも 苦しい時に神に祈って助けてもらった証はたくさんあります。


神の言葉は真実です。神の約束も真実です。





喜んでいる人は賛美しなさい




良いことに対して1人で喜んでいる人がいます。

良いことがあったのに証をしない人もいます。


恵みと祝福を隠して、自分1人で楽しむ事でも喜ぶことでもありません。


良い恵みを与えて下さった神には 必ず栄光と感謝をささげることです。


それが神に賛美をささげることです。

歌を歌うだけが賛美ではなく、賛美する香は “神を礼拝すること” です。


礼拝の中には感謝がありますし、祈りがありますし、賛美がありますし、献金があります。


私たちが受けた恵みに対して黙っていることは罪です。

なぜなら、神に栄光をささげない行為は “恩知らずな者” だからです。


恵みを “恵み” として認識していないので “罪” と言えます。

神の恵みに感謝して、神に賛美をささげることがとても大切です。


苦しい時に神に祈ることはたくさん出来るのに、祝福された後に 神に賛美をささげる人は少ないです。






四つの福音書を読むと、様々な人の姿が出てきます。


苦しんでいる人、病気の人、悪霊に取りつかれた人などが みんなイエス様の所に助けを求めて集まってきて、皆が癒されました。

しかし感謝し、神を賛美した人は1割程でした。


10人の らい病人が癒された時に、感謝して主を賛美した人は1人だけでした。

それも、ノンクリスチャンでした。


ユダヤ人は選民でしたが、サマリヤ人は選民ではありませんでした。

選民ではないサマリヤ人が、わざわざイエス様の所に戻って来て 主にひれ伏して感謝し栄光をささげました。

これは、クリスチャンが感謝していなかったことになります。


神の恵みを一番受け、誰よりも恵みを知っているはずなのに なぜ感謝しなかったでしょうか?


クリスチャンは神からの恵みを “当たり前” と思う傾向があります。


“特別” という認識が足りないです。
恵みを受けるのが自分の権利だと思っています。


「それを いちいち言葉や行動で表さないといけないですか?」と思っているならば、賛美しなさいと言われた神のことばに逆らっている姿になります。


神様はそのような姿を喜ばないです。

恵みを受けて喜んでいるならば、まず神に賛美しなさいと言われました。


神にきちんとお礼を伝えて、栄光をささげることが聖徒としてすべきことです。




病気の人は祈ってもらいなさい




これは苦しんでいる人に祈りなさいということを、さらに強調したことでもありますが、それは病気にかかった人は苦しんでいる人だからです。

本人が祈るだけではなく、なぜ教会の指導者を招いて祈ってもらいなさいと言われたでしょうか。


医者でもなく 教会の指導者を招いて祈ってもらいなさいというのは、医者は要らないというわけではないです。


ヤコブは 優先順位のことを言いました。

医者を招く前に、まず神を求めるようにと勧めています。


教会の指導者は信徒を世話する者です。そして、聖徒のためにとりなしをする者です。

ですから信徒が病気の時には必死に神に祈ります。


私たちを造った神様ほど、人体に対して詳しい方は存在しません。


そして主は癒し主ですので、その神に まず先にお祈りすることは当然です。


その例が旧約聖書にあります。


【第2歴代誌16章12節】

それから、アサはその治世の第三十九年に、両足とも病気にかかった。彼の病は重かった。ところが、その病の中でさえ、彼は主を求めることをしないで、逆に医者を求めた。

なぜこのことが聖書に書かれていると思いますか?


アサ王が、神の前にいつも悪を行う 神を知らない王だったならば、わざわざ聖書に書く必要はありません。

しかしアサ王は20人いたユダの王の中でも 四人の良い王のうちの1人でした。


もともとは神が喜ぶことを行った王であり、信仰もありました。


しかしだんだんと信仰が弱くなっていきました。

そして病気になった時に神を求めることをせず、医者を求めました。

その行動が間違えていたので、わざわざ聖書に書いて残しました。


聖徒が病気になった時に、私たちは まず何をすべきかを その箇所と今回の本文のことばで教えています。


病人にオリーブ油を塗ったのは古代社会の慣習でもありました。

治療の効果を得るためでありますが、聖書では油は神の恵みのしるしとして言われてありますので、病人に対して神様が関心を持って治療を行っていることを見せるためでもありました。


このように書かれているからと、今も必ず油を用いて祈る必要はないです。
なぜなら時代背景が変わりましたから。


イエスの名によって祈る時に神は病人を癒すことが多いです。


信仰による祈りに、神は奇跡で答え、病人を癒します。


不信仰や疑いを持って祈っても 癒しは起こりません。

神が働かないからです。


病気の中には、罪から来た病気もありますが、それが祈った人によって示され、本人が悔い改めると主がその罪を赦し、病気を癒すこともあります。


私も病人のために祈ることが多いですが、ある時には神がその人の罪を示す時があります。

すると その時は悔い改めるように勧めます。

悔い改めた後に癒された人たちもいます。


このように神様は「こういう時にはこのようにしなさいと」私たちに詳しく教えて下さったので、そのやり方を使うと間違いがないです。


自分が神様より良い方法があるならば別ですが、果たしてもっと良い方法があるでしょうか?
(゚Д゚) !!

2016.1.31
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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私の癒し主イエス様

テーマは 『 私の癒し主イエス様 』 です

【マルコの福音書5章24-34節】

そこで、イエスは彼といっしょに出かけられたが、多くの群衆がイエスについて来て、イエスに押し迫った。

ところで、十二年の間長血をわずらっている女がいた。

この女は多くの医者からひどいめに会わされて、自分の持ち物をみな使い果たしてしまったが、何のかいもなく、かえって悪くなる一方であった。

彼女は、イエスのことを耳にして、群衆の中に紛れ込み、うしろから、イエスの着物にさわった。

「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」と考えていたからである。

すると、すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、 からだに感じた。

イエスも、すぐに、自分のうちから力が外に出て行ったことに気づいて、群衆の中を振り向いて、「だれがわたしの着物に さわったのですか」と言われた。

そこで弟子たちはイエスに言った。「群衆があなたに押し迫っているのをご覧になっていて、 それでも『だれがわたしにさわったのか』とおっしゃるのですか。」

イエスは、それをした人を知ろうとして、見回しておられた。

女は恐れおののき、自分の身に起こった事を知り、イエスの前に出てひれ伏し、イエスに真実を余すところなく打ち明けた。

そこで、イエスは彼女にこう言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」

長血の女の癒しは、この箇所だけではなく マタイの福音書、ルカの福音書にも出てきます。

3つの福音書に出て来るということは、私たちに重要なメッセージを伝えていると思います。


まずは、12年間 長血をわずらっていた女の人を見たいと思います。

12年間はとても長い時間です。
肉体の苦しみは言うまでもないですが、精神的な苦しみはそれ以上だと思います。

皆さんが彼女の立場になって考えてみてください。


1日の痛みだけでも苦しみが大きいのに、それが12年間です。

彼女には、やるべきことは全てやりましたが、何一つ報われませんでした。

頼りにしていた多くの医者からひどい目に会わされて、自分の持ち物をみな使い果たしてしまいましたが、何のかいもなく、かえって悪くなる一方でした。

残ったものは挫折感と痛みと心の深い傷でした。そして社会生活も出来なくなりました。

それ以上、何もすることもなく希望は消えていきました。

これは多くの人間の姿を現してありますが、自分たちの姿かも知れません。


見た目は何も問題がないように見える人がたくさんいます。
人間関係もよく健康で、家族にも恵まれ、仕事もうまくいくならば、その人は本当に何も問題がないように見えます。

しかし、内面に問題を抱えている人は意外と多いです。

劣等感で苦しむ人、鬱で苦しむ人、自分の性格や習慣で悩んでいる人、妬みや殺意、怒り、さまざまな欲、心の傷、依存症などで苦しんでいる人がとても多いです。

周りの人に言うことも出来ず、1人で悩んでいます。


自分の内面の問題を人に話すことに対して、ためらう人は自分で抱えて日々苦しんでいます。

どのように直したら良いのか分からず、そのままにしておくと心の中は苦しみ、痛みが増していき、悪いものならば、それによって心が腐っていきます。

肉体の病気によって苦しむ人よりも、これらの内面の問題によって苦しむ人の方が 現代は多いかも知れません。

特に若い人は、体は健康なのに 心に抱えているさまざまな問題によって苦しむ人がとても多いです。

それによって自分の人生を失っていく人たちがいます。


長血の女の人も病気で、何もかも全て失ってしまいました。

その女の耳に入ってきた情報がありましたが、それは彼女にとって必要な情報でした。

“イエスという人がすべての病を癒し、死んだ人も生き返らせる”ということを聞いて会いに出かけました。


人々で溢れている所に入って行くのは、彼女にとって とても大変なことでした。
しかし、彼女は自分の傷の痛みをもって勇気を出してイエス様の方に近づきました。

彼女はただ近付いたのではありません。


「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」という信仰を持ちました。
これは大きな信仰です。


なぜなら、それまで彼女は自分の病気を直すため、ワラにでもすがりたいという思いで多くの医者の所へ行きましたが、直るどころか さらに悪くなった状況の中でも お着物にさわることができればと思うことはすごい信仰です。

医者でもないイエス様に対する強い信頼でした。


彼女は最後の希望をイエス様に懸けました。これがとても重要なことです。

病院で何もできず、状態がさらに悪くなると人々は諦めて死ぬしか方法がないと思って諦めます。

また、周りの人も「あの人はそのまま死ぬだろう」と思って黙って見るだけです。

または「そのうち直るかも知れない」と無関心になっていきます。
これは正しいことでしょうか?―― そうではないです。


病気の人も周りの人も1つすべきことがあります。次の箇所です。


【ヤコブ5章14-16節】

あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。

信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。

ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。

なぜ医者を呼ぶようにと言わずに、教会の長老 すなわち教会の代表者を招くようにと言ったのでしょうか?

これは医者が要らないという意味ではなく、優先順位のことを語っています。
医者を呼ぶ前に、 まず神様を求めることを私たちに教えています。


多くの人が問題にぶつかったり、病気になったりすると、神様の中で解決策を探すのではなく、まず世の中で解決策を必死に探してから、すべての希望がなくなった後にやっと神様を求めることが多いです。

それが問題であります。


まずは神様に助けを求めることです。
本人はもちろんですが、周りの信仰を持っている人も癒しのために神様に力を合わせてとりなしをすることです。


オリーブ油というものが出てきますが、古代社会ではそれらのものを治療のために使ったことはありました。

聖書の中で良きサマリヤ人のたとえがありますが、強盗に襲われて半殺しにされ倒れた人を見つけたサマリヤ人は その人に近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで包帯をし、介抱してあげました。

ここではオリーブ油は神の恵みを象徴しています。


神のことばに従って祈る時に、神の恵みが注がれます。 癒されるために必要なのは、神に信頼する信仰です。


医者に頼っても医者も人間ですから限界があります。

苦しみの中で夜通し泣いても何の解決にもなりませんし、人に訴えても何もしてもらえることがありません。

悩んでも何も良いことがありません。


重要なのは、必死に神を求めて祈っているかです。クリスチャンにとって これはとても大切なことです。

癒す力がある神様、力ある神様を無視して 力もない人間に助けを求めることが神の御心に適っているでしょうか。


神様は助けと癒しを求めて主のところに来る人を喜びます。


その人たちに神様はどのようにしたでしょうか。長血をわずらった女の人に何が起こったでしょうか。

着物に触った途端に、すぐに血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことも彼女自身の身体に感じ、
そしてイエス様も自分のうちから力が出て行ったことを感じました。

イエス様は彼女の信仰を見て、彼女の信仰による行動を喜びました。

そして彼女に対して「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」と優しく語って下さいました。


イエス様は彼女の肉体の病気だけではなく、心の病も癒し、そして主の家族としても受け入れ、救いを与えて下さいました。

この癒しは イエス様1人だけで出来たのではありません。
彼女の勇気と、イエス様に対する信頼がなかったならば、彼女は決して癒されなかったでしょう。

聖書のほかの箇所でも同じようなことがありました。


【マルコの福音書6章55-56節】

そのあたりをくまなく走り回り、イエスがおられると聞いた場所へ、病人を床に載せて運んで来た。

イエスが入って行かれると、村でも町でも部落でも、人々は病人たちを広場に寝かせ、そして、せめて、イエスの着物の端にでもさわらせてくださるようにと願った。そして、さわった人々はみな、いやされた。

癒しを求めている人々の必死な姿と彼らの信仰をここで見ることができます。

少しだけ祈ってから「こんなに祈っているのに、なぜ癒してくださらないのですか?」と文句を言うクリスチャンが多いです。

悩む時間は長いですが、祈る時間はほとんどありません。


「イエス様の着物をさわることでも出来ればきっと直る」という信仰を持ったこともなく、祈っても何も変わらないという不信仰だけは強いです。

「神様は何もしてくれないから祈らない」と言う人もいます。

残念ながら、そのような人は神様がどんなに力が強く、癒し主であっても自分の不信仰のために癒されることはありません。

イエス様が癒された長血の女の人にはっきりと「あなたの信仰があなたを直したのです」と言ったからです。


次の箇所にも癒しの内容があります。


【マタイの福音書9章27-30節】

イエスがそこを出て、道を通って行かれると、ふたりの盲人が大声で、「ダビデの子よ。私たちをあわれんでください」と叫びながらついて来た。

家に入られると、その盲人たちはみもとにやって来た。イエスが「わたしにそんなことができると信じるのか」と言われると、彼らは「そうです。主よ」と言った。

そこで、イエスは彼らの目にさわって、「あなたがたの信仰のとおりになれ」と言われた。

すると、彼らの目があいた。イエスは彼らをきびしく 戒めて、「決してだれにも知られないように気をつけなさい」と言われた。

私たちの信仰と祈りがイエス様の癒しの力と1つになる時に奇跡が起こります。

「何でも癒してくれますか?どれくらい祈ったら良いですか?」と聞く必要はありません。

癒された人たちは、そういうことをイエス様に聞くことはしないです。


結果がどうなるのか、いつになるのかということに心が取られるのではなく、「きっと直る」という信仰が必要です。

自分が癒されたいならば「イエス様の着物にでもさわりたい」と必死に思いながら、「主よ。私をあわれんで下さい」と叫び続けることです。

「どうでもいい」と思う人に、主は力を現わすことはできません。
その人の不信仰がイエス様の力を拒否するからです。


主が癒し主であることは誰も否定できません。


【マタイの福音書9章35節】

それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやされた。

イエス様の御前に身体の病気、心の病気、傷の診断書を持っていき癒してもらい、心も体も健やかな者になることを主の御名によって願います。
(*´∇`*)

2015.2.15
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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