からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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疑い

神が忌み嫌うことをしてはならない

テーマは 『 神が忌み嫌うことをしてはならない 』 です

【詩篇95編10-11節】

わたしは四十年の間、その世代の者たちを忌みきらい、そして言った。「彼らは、心の迷っている民だ。彼らは、わたしの道を知ってはいない」と。

それゆえ、わたしは怒って誓った。「確かに彼らは、わたしの安息に、入れない」と。

この話を、昔のイスラエルの民の話として聞くのではなく、今の自分たちに語る 主のことば として聞いてほしいです。


聖書に書かれていることばは、どの時代にも神を信じる人たちに語る主のことばです。

もちろん今回のことばも、その意味で 私たちに語る主のことばです。


聖書には「主を恐れなさい」ということばが たくさん書かれてあります。

主を恐れることは “主を愛すること、主に従うこと、主に栄光をささげる” ことです。


ですから当然、主が忌みきらうことを聖徒たちはしてはならないです。



民に安息を与えると約束して40年間も導いた主が、「安息に入らせない」と なぜ言ったでしょうか。

それは40年間の彼らの行動が原因でした。


彼らは主を恐れたのではなく、いつも主が忌み嫌うことだけをして 主を怒らせたからです。


嫌がらせをすると関係は必ず壊れます。

嫌がらせを受けると相手に対して怒りの感情が出て来ます。


ましてや神に対して嫌がることをしたら、どうなるでしょうか?

その結果は安息に入れなかったことでした。

恐ろしい実を刈り取りました。


そういう目に会わないために、私たちのどんな行動が神に嫌われるのかを学びたいと思います。




神に対しての偽善的な態度と不従順




偽善的な態度は、神を欺く態度です。

うわべだけを良くする信仰生活、口先だけの愛と従順、信仰告白などは主が忌み嫌います。


“主のため” と言いながら、自分の欲を満たしている者たちを 主は見抜いています。


主が願うことは 主のことば通りにすることなのに、従うフリだけをして実際は不従順である姿を忌み嫌います。




この世と妥協すること




【ローマ12章2節】

この世と調子を合わせてはいけません。

真理を曲げて、この世の流れに調子を合わせて妥協することを主は忌み嫌います。


同性愛は主が忌み嫌う事なのに、それを時代が認めるからと言って、それに合わせて妥協するならば、主はその人を忌み嫌います。

主よりもこの世を優先するからです。


闇の勢力と悪人を、愛で覆うような愚かなこともしてはいけないです。

彼らは敵であり、闇の勢力です。


自分には力がないからと言って 世の力と妥協することは、主が嫌う行動です。


主に頼ってみことばの上に堅く立たないといけないです。




神を疑う行為




「祈ったのに答えられなかった」と言って、神の存在や神の力を疑う人がいますが、神は疑う行為を忌み嫌います。


私たちは神の奇跡や神の全知全能なる力を疑ってはいけないです。


神がすでに行ったことを覚えながら、神に頼らなければなりません。



神は 疑う人にこのように厳しいことばを語りました。


【ヤコブ1章6-7節】

ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。

そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。

すなわち疑う人には何もあげないと宣言しました。




聖霊を悲しませる行動




【エペソ4章30節】

神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。

聖徒たちがどのようなことをしたら聖霊が悲しむでしょうか?



聖霊は聖なる方ですから、聖徒たちが汚れたことばや行動、そしてあらゆる罪を犯す姿を見た時に悲しみます。


聖徒たちは罪の行動で聖霊を悲しませる者ではなく、良いことをして聖霊を喜ばせなければならないです。


神から、言葉では言い表せないほどの恵みを受けた聖徒が、その恵みと愛を忘れて神が忌み嫌うことを行うならば、
それは自分の救いをないがしろにすることであり、神に敵対する行為なので永遠の安息を失うことになります。

アーメン (・∀・)


2018.8.26
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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神の約束を信じたアブラハムの信仰

テーマは 『 神の約束を信じたアブラハムの信仰 』 です

【ローマ4章19-21節】

アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。

彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、

神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。

聖書から、“神のことばと信仰” を除くならば、何が残るでしょうか。

そして、それらを除いた聖書が私たちにどのような意味を残すでしょうか。
それは何の価値もないものになってしまいます。


信仰は神のことばと私たちをつなぐ役割をします。


いくら聖書が真理であり、いのちのことばだとしても、読む人に信仰がないならば聖書をどんなにたくさん読んでも、その人に聖書の価値はわかりません。


ただの一冊の本に過ぎません。


また、ある人が「自分には信仰がある」と言っても、その人の信じるものが真理のことばでないならば、その信仰はむなしいものとなり、その魂を救うことは出来ません。


アブラハムという人物は、“信仰の父”と呼ばれています。
神様は、アブラハムが見せた信仰を 良い信仰だと認めて下さいました。

それはアブラハムが神の言葉に対して信仰をもって受け止め、その信仰が最後まで生きていたからです。


アブラハムは神様を直接見たから神を信じたのでしょうか?

神を信じない多くの人は、「神を見せてくれるならば信じる」と言います。


高慢と不信仰な心で「神を見せてくれ」と言っても、神がその人に現れることはありません。

なぜなら神が認める信仰は、見て信じる信仰ではなく、見ずに神の約束を信じる信仰をよしと認めて下さるからです。


信仰がない人に神が現れるのではなく、信仰がある時に神を見ることが出来ます。

(ここで、「見る」というのは自分の肉の目で見るという事ではなく、心の目で見るということです。)


神のことばを信じる人は、心の目で神を見るようにして生きています。






アブラハムの信仰が、どのような信仰であったのかを見たいと思います。

アブラハムはある時に神の声を聞きました。それはアブラハムにとって初体験でした。


目で神を見たのではなく、聞こえてくる神のことばでした。

神から聞かされた内容はあまりにもスケールが大きくてよく理解出来ない神の一方的な約束でした。


【創世記12章1-3節】

主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。

そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。

あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」

もし皆さんがこのようなことばを聞いたならば、理解できますか。
そして神のことばを理解できないまま、すぐに従うことが出来ますか。


すぐに出来るならば、アブラハムの信仰を認めた神が、皆さんの信仰を認めて下さると思います。

しかし出来ないならば、アブラハムの信仰を見習うことです。


アブラハムは神の約束のことばを信じ、主が仰せられた通りに出かけました。
冒険するには75歳という年齢は厳しいと思います。


しかし、アブラハムは従順出来ない理由を捜したのではなく、ただ神から言われた通りに従いました。


その時のアブラハムの信仰は、神に完全に従順する信仰でした。

信仰のない人から見ると無謀な人間に見えたでしょう。
“失敗したらどうするの” と心配する声が周りから大きくなるでしょう。



すぐに心配する人は、なかなか信仰が成長しないです。神のことばよりも自分の感情に忠実だからです。

そのような人は神の言葉よりも自分がどう思うのかが一番です。
自分が安心出来たら(言葉に)従うけど 安心出来ないと、神の言葉に頼るのが苦手です。


しかし アブラハムは神のことばだけに信仰を結び付けて従順しました。

簡単そうに見えても、人々はここで失敗することが多いです。


まずは「そんなことが信じられません、そんなことが起こるはずがありません」 と勝手に神様のことばをつぶして従うことはしません。

神がせっかく語って下さったのに、どれほど多くの人々が、自分たちの不信仰で神の言葉を無視するかわかりません。


まるで神様が嘘つき、詐欺師であるかのように「信じたらダメ」 と否定します。


アブラハムは信じて大胆に出かけました。
神様が喜ぶ信仰は、従順する信仰です。


信仰ある人は、自分の頭で理解出来ず 納得できなくても、神が語ったことばが一番で、そのことばに従います。


アブラハムの信仰は、神の約束を最初から疑わない信仰でした。

最初の神の約束のことばを疑わずに受け入れたアブラハムでしたが、すぐにその信仰が認められ、すべての祝福を受けたでしょうか。


現実はどうでしたか―?

75歳で従順して出かけましたが、25年間何事も起こりませんでした。
25年は決して短い時間ではありません。


自分ならばどうするのかと考えてみて下さい。

信じた私がバカだったと自分に対して腹を立てますか?
また、神様に向かって嘘つきと文句を言いますか。


たぶん私たちならば両方やっていると思います。

しかしアブラバムは、子孫が与えられる約束を受けたにも関わらず、いつの間にか100歳になり、生産不能になり、子を持つことが不可能になったにもかからわず、アブラハムは神の約束を疑いませんでした。


これは素晴らしい信仰です。






人々は信仰よりは不信仰を選び、信仰よりは疑いを選びます。

忍耐よりは諦めて、時間を無駄にするよりは他の方法を捜します。

しかし別の方法も見つからず失望して終わる人が多いです。


沖縄に行った時、海岸にある木を見ましたが、形がちょっとおかしく、木の葉や枝が不揃いでした。

台風が多いので、暴風で枝が折れたり、葉っぱが落ちた為だと思います。


でも激しい風の中でもしっかり立っているのは、植えられた所に、必死に頑張ってしがみついて 根を深く降ろしたから倒れなかったと思います。


疑いは二心です。どうしようかと迷う心です。

根を下ろそうか、やめようかと二心で戦いますが、そのような状態では立ってはおられません。

現実の強い風で倒されてしまいます。


アブラハムは自分や妻が年取ってこどもを産む力がないことを知っていても、信仰が弱ることもなく、神の約束を疑うこともなかった理由は、アブラハムが神の無限なる力と 神は約束を守る神であることを信じたからです。


【イザヤ書55章11節】

そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。

環境に左右されたり、自分の状態に左右されたりするのは信仰の姿ではありません。


神の絶対的な力と真実さに対する完全な信頼こそ、不可能に見える状況の中でも アブラハムを苛酷な現実から守る信仰の力になっていたと思います。


信仰は力です。

環境を見て信仰が無気力症にかかる人が多いです。それは信仰の根っこが弱いからです。


アブラハムも人間的な目で見ると、大いなる民族の先祖になることは想像出来ない状況でしたが、それでも信じたので 「信仰の先祖」 と呼ばれています。

この姿は私たちが見習わないといけないです。


次々と変わる環境や状況に振り回されて信仰の無気力症に落ちるのではなく、そのような時こそ忍耐をもって神の約束を堅く信じ、耐えることです。


その姿を確信に満ちた信仰と言えます。


確信とは、疑いが入る隙間もないほどに、自分に与えられた神の約束のことばと、神は約束したものを必ず成し遂げる方であることを心の中に満たすことです。


そして日々そのことを黙想することです。

まるでそのことが当たり前であるかのように思われると、信仰の根を深く降ろしたことになるので、過酷な現実の中でも倒れることがありません。


その人たちを倒そうとするサタンの策略も失敗に終わり、さらに試練の中で信仰は強くなり、成長していきます。


見えるものにすぐ心が取られたり、疑ったり、失望すると、倒そうとするサタンに隙を与えることになります。

現実的な可能性があったり、少しでも希望がある時は、信仰を守ることがそんなに難しいことではありません。


ところが、激しい試練や不可能な状況に直面すると、私たちの信仰は病にかかり 倒れやすいですし、疑いと絶望で揺れ動いてしまいます。


しかし、そのような時でもアブラハムがしたように、神に望みを置いて、神の約束を信じ続けるならば、神は約束したことを必ず成就して下さいます。


信仰が弱いと、神から素晴らしい約束を受けても、それを無駄にしてしまうことが多いです。

しかしアブラハムのようにするならば、すべての約束を自分のものにすることが出来ます。


信仰が弱くなったと実感する時は、アブラハムの信仰をもう一度学んで下さい。


彼が教えてくれます。
( ̄‥ ̄)=3

2015.7.26
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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恐れに対して

テーマは『 恐れに対して 』です

恐れは、「恐怖・不安・心配」であり、クリスチャン=霊の世界の中で生きる者にとっては、恐れの霊によります。
つまり サタンがもたらす霊によって恐れが心の中に湧きあがってきます。

サタンが持ってくる悪魔の種は、「見る・聞く」など身体の五感を通して入ってくることもあります。
五感の扉を通して私たちに様々な考えを吹き込みます。それはサタンが最も得意としている策略です。
怒り・恐れ・情欲・憎しみ・妬みなどの思いを送りこみ 私たちを潰そうとしてきます。

たかが 思いなのですが、この「思い」によって全身に悪影響を及ぼし、病気になったりします。

サタンは「偽りの父」です。
その恐れが私たちの心に入ると無力になってしまいます。そして愚かな決断をしてしまいます。
これでは聖霊による祝福ではなく、呪いをもたらす方向へと歩んでしまうことになります。


【ローマ8章1-2節】

こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。

なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。

いのちの御霊の原理とは、キリスト・イエスにあります。イエス・キリストを信じる信仰によって、
それまでは 罪と死の原理の中で生きていた私たちが、いのちの御霊の原理のほうへ移されることになります。

いのちの御霊の原理は、「愛、希望、喜び、平安」です。
また、罪と死の原理の性質は「絶望」「自分さえ良ければいいという利己主義」「憎しみ」です。

私たち人間は「いのちの御霊の原理」か、「罪と死の原理の中」で暮らしています。

クリスチャンになったからといって、これから先も いのちと御霊の原理の中で歩めるかと言えば、そうではありません。
それは何故でしょうか? ――信仰がないからです。

信仰があれば恐れを抱く必要はありません。しかし、心に恐れがあるので信仰が揺らいでいきます。
「いのちと御霊の原理」と、「罪と死の原理」のどちらが自分のものになるかは、自分次第です。


【箴言18章21節】

死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。

私たちがどのようなことを信じて、どのような言葉を口にするかによって、どちらの力が自分のものになるかが決まってきます。
そして、それを支えているのは御使いです。
自分の意思、言葉、行動によって、私たちの歩む方向が決まります。

私たちが選んだものを自分自身が証人として立ち、自分にとっては どちらが真理であるかを立証していかなければなりません。

信仰が心に芽生えると、私たちは自由になります。
ですから サタンは私たちから自由を奪おうと必死になります。

信仰に堅く立ち、信仰による自由を選択しているならば、サタンは私たちに太刀打ちできないことをよく知っています。
ですからサタンは、私たちから信仰を奪おうと必死になっています。

クリスチャンを地獄に突き落とす事が出来ないのなら、サタンはその人から自由を奪って身動きができないようにし、
キリストの証人として立てないようにしてきます。

恐れは神様からもたらされたものではありません。恐れは罪だからです。それはみことばを信じていないことを意味しています。


【Ⅱテモテ1章7節】

神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。

ここの「おくびょう」という言葉を英語で調べると「fear」になります。その意味は「恐れ」です。


【ローマ8章15節】

あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。 私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。

恐れにとっての最高の友は「疑い」です。疑いは、恐れを抱く前に私たちの頭の中に浮かぶものです。
疑いを抱けば 恐れが結びついていきます。

私たちが神様から与えられている約束の言葉に対して疑いを持つことをサタンは望んでいます。
サタンは私たちに みことばの力とイエスの御名の権威に疑いを抱かせようとしています。

疑いを抱くと、私たちの心の扉が大きく開かれて、恐れが簡単に入ることを知っているので、
常にサタンは疑いの言葉を持ってきて恐れさせようとします。


【ヨブ記1章5節】

こうして祝宴の日が一巡すると、ヨブは彼らを呼び寄せ、聖別することにしていた。彼は翌朝早く、彼らひとりひとりの ために、それぞれの全焼のいけにえをささげた。ヨブは、「私の息子たちが、あるいは罪を犯し、心の中で神をのろったかもしれない」と 思ったからである。ヨブはいつもこのようにしていた。

ヨブの心の中は不安でいっぱいでした。ヨブが心に恐れを抱いたために、サタンとヨブを隔てる垣根が取り外されてしまいました。
それは神様が取り除いたのではなく、ヨブが恐れを抱いたためでした。

ヨブの恐れの心が磁石となり、ヨブが最も恐れていたことを引きつけてしまったのです。


【ヨブ記3章25節】

私の最も恐れたものが、私を襲い、私のおびえたものが、私の身にふりかかったからだ。

ヨブはいつも息子のことで恐れていました。そしてサタンがそこに入ってきました。
その後にヨブはこの告白をしました。

自分の生活の中に、恐れの城壁を築いてしまった時にヨブはサタンに隙を与え、サタンのなすがままになりました。

なぜこのようなことになったのでしょうか――?
それはヨブが神様の約束に拠りすがろうとせず、恐れを選択したからです。

恐れは、聞くことからはじまり、聞くことは悪魔の言葉によるのです。
私たちの生活に祝福をもたらしてくれる法則は 私たちの生活に呪いをもたらす恐れにもそっくり当てはまります。
神様は365日 私たちに「恐れるな」と言われます。




― 恐れの霊を追い出す方法 ―


①恐れを打ち砕くと、はっきりと決意し、滅びの霊を自分から根絶やしにすると決意する


【ローマ8章31-32節】

では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。

私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、 私たちに恵んでくださらないことがありましょう。

必ず与えてくださると信じた時に、恐れは出ていきます。


②神がいかに大いなる力で、私たちのことを守って下さっているのかを理解する

神様が今まで私たちをどのように守ってくださったのか、どのように私たちを滅びから救いへと導いてくださったか、
どのように神様は私たちの祈りを聞いてくださったのかを、もう一度思い巡らし、自分に言い聞かせることによって
いかに大いなる神様であることを理解することができます。

イエス様は私たちの救い主です。ということは、私たちは救われた時点で守られることを約束されています。
そのことをしっかりと信じなければなりません。


③神の約束をさらに堅く信じる

私たちは預言の言葉や聖書の言葉を通して 神様から約束をいただいています。
神様からの約束を堅く信じて手放さないようにしなければいけません。


【Ⅱペテロ1章4節】

その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲の もたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。

サタンがこの約束を軽んじさせようと色々な手段を使ってくるのです。
神様の約束を堅く信じていれば、私たちは山をも動かし、病人を癒すことも出来ます。
しかし サタンは信仰の力を損なわせようと恐れを抱かせます。

もし、疑いや恐れについてあれこれ考えるようになってしまったなら、私たちは戦いに負けたことになります。

私たちは神様からみことばをいただいたのなら絶対に何があっても しがみつき、手放してはいけません。
信仰は神のみことばを聞くことからはじまります。ですから 何度も口で信仰の告白をしていかなければなりません。

すると、神様はその信仰に答えて、私たちが求めている通りに実現させてくださいます。

その時に必要なのは、忍耐です。

神様からの約束をいただいていると、サタンは攻撃をしてきます。
サタンが攻撃してくるところは、自分の弱い部分です。
私たちはそれによって揺らいでしまう時がありますが、忍耐を持ち続けてサタンと戦い、約束の言葉を宣言していくならば、神様は私たちの信仰に働いてくださいます。


④神の言葉により、サタンに対抗すること

イエスの御名によってサタンを追い出すことです。
サタンが囁く言葉に対して、私たちは神様の言葉を振りかざして「 私は神様からこのような言葉をいただいたのだ。お前たちの言葉は嘘だから出て行け 」と宣言しなければなりません。

神様は、強い信仰を持っている人だけに働くのではないです。

私たち1人1人がどんなに弱い者であっても、神様は働いてくださいます。また私たちの弱さや信仰のレベルも すべてご存知です。ですから、それぞれ信仰の強さが違っても、悪魔に立ち向かう決意をして追い出していくならば、神様は助けてくださいます。

私たちの信仰が弱いからと諦めるのではなく、自分たちがどんなに弱くても神様の子どもである サタンに立ち向かわなければならないと決意をすることです。


【ルカの福音書10章17-19節】

さて、七十人が喜んで帰って来て、こう言った。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」

イエスは言われた。「わたしが見ていると、サタンが、いなずまのように天から落ちました。

確かに、 わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは 何一つありません。

サタンを追い出した後に宣言をし、そして神様からの約束の言葉を告白します。


【ローマ8章37節】

しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。

私たちは弱い者ですが、イエス様は勝利者です。そしてイエスの御名に力があります。
そのイエスの御名を使う時に、私たちは圧倒的な勝利者になります。
その信仰に働いてくださるからです。 v( ̄∇ ̄)v

2013.12.8
聖日礼拝メッセージ

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