からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

八戸ノ里キリスト教会より メルマガ配信中!

メルマガ購読・解除

読者購読規約
毎朝7時に配信しています! 1日の始まりを神様の恵みで満たしてくださいね
powered by まぐまぐ!
 
         

生まれ変わる

自分の内面を美しく変えるために

テーマは 『 自分の内面を美しく変えるために 』 です

【第1ペテロ3章8-12節】

最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。

悪を持って悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。

「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押えて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、

悪から遠ざかって善を行い、平和を求めてこれを追い求めよ。

主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。しかし主の顔は、悪を行う者に立ち向かう。」

人に対する評価は色々ありますが、その中でも “心が汚い、腹黒い、二重人格者” などは、とても嫌な評価で、人から聞きたくない評価です。


しかし そのようなことばは、本人には直接言わないですが、陰で言われる人もいて、本人だけが知らないことも多いです。


皆さんは自分に対してどのような評価をしていますか。
周りの人からどのような評価を受けましたか。

陰の評価も気になりますか?


人間の内面に対して聖書ほど精通している本はありません。


今回の本文は、私たちの内面をどのように変えるべきかを教えています。

大切な教えです。


イエス様を信じる人は、何よりも内面を変えないと生まれ変わったとは言えないです。


生まれ変わった人は、内面が変わりますので それによって分かります。


神様が私たちに願うのは、日々新しくなることと聖くなることです。

それは内面の変化を意味します。


今回は、みことばを参考にしてどうやったら内面を美しく変えられるかを考えようと思います。





・親切、同情心、愛、あわれみ、謙遜な心を持つ人になる




時代と共に人間も変化してきました。

しかし良い方向ではなく、悪い方向に変わって来たことを日々感じています。


日々 よく聞くことばに、いじめ、虐待、暴力、殺人、無関心、テロ、自爆、イライラ、むかつく (=腹立つ )、など とても嫌なことばがニュースに流れます。


これは人間の内面がどれほど荒れ果てたかを見せてあります。醜い姿です。


その人生には いばらとあざみが生えています。

決してそういう姿になりたいとは思いません。


“ いのちを愛し、幸せな日々を過ごしたい ” と思う人は、違う心を持たないといけないです。


四つの畑のたとえが聖書にありますが、良い実を結んで祝福された畑は1つだけで、それは良い地でしたが、それ以外の畑は 実が結ばれませんでした。


きれいな心は良い地で、このような心でなければ、いのちの泉も幸せの花も咲かないです。


親切、同情心、愛、あわれみ、謙遜は良い地です。


内面を このような良い地にしないといけないです。


自分たちの内面を良い地に変えるために、クリスチャンはまず自分の身分が何かをきちんと認識することです。


なぜならば、それによってモチベーションがはっきりするからです。



【第1コリント6章19-20節】

あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。

あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。

  • 自分の体は聖霊の宮であること
  • 自分は神の栄光を現すために存在していること
  • 自分は将来キリストの花嫁になること

このような身分と立場であることを常に認識することです。


そのモチベーションを持って、自分の内面を変えるために取り組むことです。


「聖霊がおられるところを汚して良いのか?怒りや高慢、憎しみで満たして良いのか?」と自分自身に問うことです。


そして、“ イエス様ならばどうするのか ” を考えて、主から学び、行動していくうちに私たちの内面から石や雑草などが取り除かれて、きれいな良い地に変わっていきます。


主の中で、主と共に歩みながら、すべてのことを いつもイエス様と関連して考えることです。


イエス様が人々に対して見せた親切、同情心、愛、あわれみ、謙遜などをそのまま真似をすることです。


実際に行動していくと、確実に生き方が変わっていくことを体験しますし、祝福も体験します。

良い心で行動することで、自分の中も平安ですし、人間関係も良くなっていきます。


嘘ではないので、「出来ません」とは言わないで、試して見ることです。

共におられる聖霊様も私たちが行動する時に助けて下さいます。


聖霊様が一番喜んで助けて下さる時は、私たちが変わろうとする時です。

なぜならば私たちの中で大変つらい思いをしているのは、聖霊様だからです。


なぜなら私たちの心が悪い状態の時は、心の中がPM2.5よりもひどい状態になるからです。

汚い空気のような状態の中で聖霊様がいないといけないことは大変つらいことです。


心の内面を変えることは、心の空気がきれいになることなので、聖霊様は喜んで助けて下さいます。





・祝福を与える人、平和をもたらす人になる




【第1ペテロ3章9節】

悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。

「目には目で、歯には歯で」という思いが人間の中にはあります。


悪いことされたら復讐したい強い意志が出ますが、神様はそれを認めていないです。
同じことをすると同じ人間になってしまいます。


被害者の立場であっても、神は私たちが悪を行ったり、罪を犯すことを願いません。


祝福を与えるために(私たちを)選んだのに、罪を犯すと神はその人を祝福することが出来なくなります。

私たちが主のことばを聞いても素直になれず、心をかたくなにすることが多いので繰り返し語っておられます。

さらに聖書のことばを開きます。



【マタイの福音書5章44-45節】

しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。

それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。


【ルカの福音書6章27-28節】

しかし、いま聞いているあなたがたに、わたしはこう言います。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行いなさい。

あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。


【ルカの福音書6章35節】

ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。


【ローマ12章17-21節】

だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。

あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。

愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」

もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。

悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。

神様が敵に対しても、悪を行う者に対しても、祝福しなさいと命じた理由も きちんと話して下さいました。


神様ご自身が神に敵対するものに対しても そのようにしているからです。


ですから 神のこどもであるならば、当然のように神の方法でしないといけないです。

そして神様は、私たちに裁きの権限を与えていないので、私たちが自らの手で復讐をすると、神の権限に逆らう罪を犯すことになるので、かえって祝福するように言われました。


祝福する行為は、“赦す” ことを意味します。


赦さないと心が病みますし、サタンがその中で働くので心が守れなくなります。

聖霊も悲しみますので祝福もないです。
何も良いことがないので祝福しないと言われています。


祝福すると自分に祝福がくるからです。



【マタイの福音書5章9節】

平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるから。

このように人を祝福することは平和をつくることです。


神の子どもは平和をつくる人で、悪魔の子は平和を壊す働きをします。

分裂、分派、破壊行為を平気にします。


ISがやっていることをみると悪魔のやり方です。

平和を壊し、人のいのちを奪い、人を不幸しています。


もし私たちクリスチャンがそのような行動をするならば、それが神に栄光をささげることになるでしょうか?


人とは違う 次元の高い生活をする時に、人々は自分たちの行動を恥かしく思い、神をあがめるようになります。


私たちは古い人をキリストと共に十字架につけたと前回のメッセージで聞きました。
前回のメッセージはこちら

ですから古い人の内面を持ったまま生きることは出来ないです。


必ず新しく美しく変わった内面で生きなければならないです。

主の命令でもありますので、これは全員に言えることです。


変わらないと主のこどもと認めてもらえないです。

心が良い地である、内面の美しい人を目指して努力しましょう。
.。゚+.(・∀・)゚+.゚


2016.1.17
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

クリスチャンの人生とは?

テーマは 【クリスチャンの人生】 です

【Ⅱコリント5章17節】

みことばを聞きながら自分自身を診断したら良いと思います。
みことばは、クリスチャンの人生とはどういうものであるのかを教えています。

日曜日に礼拝に来るのがクリスチャンだというのは違います。
クリスチャンが礼拝を守るのは当然のことです。
聖書を読んでいるからクリスチャンの人生を生きているというのは 一部分であります。

クリスチャンの人生は、生活の中にクリスチャンとしての様々な姿が実際に出てこなければならないです。
人生は生活そのものであります。
クリスチャンは、キリストにあって古いものが過ぎ去り、全てのものが新しくなった時から
スタートであります。新しくなった その時から新しいものとして生きるのがクリスチャンであります。

しかし、どのように生きたらクリスチャンの人生になるのかは、よく分かっていないです。
その部分を3つに分けて紹介します。


①信仰によって生きる

私たちは、信仰によってクリスチャンになりました。
毎日信仰によって生きるのがクリスチャンの人生であります。
神様は「義人は信仰によって生きる」と語りました。
義人は神様が認める正しい人であります。
神様から見て正しい人というのは、キリストに出会って信仰により救われた姿、罪が洗われた人を言います。
義人になった瞬間から、その人は信仰によって生きなければ意味がないです。

新しい者(義人)になったならば、その時から神様をもっと頼りながら信仰によって生活をしなければ
ならないです。

私たちが救われると、イエス様が私たちの心の中に入ってきます。これがクリスチャンであります。

以前はサタンの奴隷であり、サタンが私たちの心を支配して欲のままに生きていました。
しかし、救われたことによって変わってきました。私たちの中にイエス様が入って来てくださいました。
もし信仰によって生きないならば、「何をしても天国に行く」と言って、相変わらず古い人のままで
生きるならば、主は一緒に暮らすことはできません。その時から私たちの心はエデンの園ではないです。
主が共にいるのでエデンの園であります。

以前、私たちは広い道を歩きました。その道は大勢が歩いています。最期は滅びで、永遠の地獄です。
しかし信仰をもって救われたその時から道が変わってきました。険しくて狭い道であります。
しかし、その道は「命の道」であります。

命の道を通っているのに「この道はしんどい、歩きたくない。辛い。試練も多い。世の中の不利益もある。
日曜日に礼拝に行かなければならない。クリスチャンとしてこれもあれもしなければならない。」
「以前の方が良かった」と言って、そこから再び広い道に行くならば、その先には永遠の命はないです。

毎日、私たちは永遠の命の道を歩いているのかどうかを自分で点検しなければなりません。
狭い道だけを歩くのが信仰の道であります。

毎日、毎日、楽な道を歩くならば、その先は暗闇の世界です。
そのことを私たちは知らなければならないです。

「弱くて、まだ信仰が足りないけれど、『 それでもその道を選ぼう 』と、神様に私の力ではできません。
助けてください。この永遠の道を歩けるように、みことばに従って歩けるように神様 助けてください。」と
私たちが祈りながら神様に頼るならば、それが信仰によって生きる道であります。

完璧に守ることは誰にもできないです。だけど「神様、私は弱い者です。私は倒れやすい者です。
誘惑に負けやすいです。でも神様、信仰によって生きられるように私を助けてください。」と求めます。
信仰とは頼ることであり、自分の力では出来ることではないので、自分の力で出来ないことを認め
神様の力を求めるのが信仰であります。
それが信仰によって生きる人生であります。


②従順によって奇跡を体験する生活

不可能な部分は出来ないというのは、クリスチャンの人生ではないです。

聖書に書かれている出来事は奇跡だらけであります。

奇跡を行う神様ですので、クリスチャンはこの奇跡を必ず体験しなければならないです。
自分の力で「これは不可能で どうにもならない」と思うことを、信仰がある人は神様に奇跡を求めます。
「神様、私の力ではどうにもなりません。不可能に見えます。でも私は不可能であるからといって絶望しません。
神様の奇跡を見せてください。」――それがクリスチャンの人生であります。

神様はいつも奇跡を備えてあります。その時に必要なのが、従順であります。
(多くの奇跡が起こっていることの前提は)「あなたがみことばに従うならば奇跡を見る」――です。

信仰の先祖・アブラハムも同じでした。当時アブラハムは100歳で、サラは90歳でした。
サラは不妊の女性でした。
自然の法則で見ると子供を産むことは100%不可能でありました。
サラは神様の言葉を聞いて心の中で笑いましたが、神様は「約束の言葉を信じなさい」と語りました。
信じることは従順です。

自分の頭の中で「そんなことはない」と言うのは不従順であります。

病気で「余命○カ月です。薬もなくて手を尽くすことができません。」と医者に言われた時に、
「そうですか。」と死ぬ日を待つのは、普通の人であります。
しかし、クリスチャン達はそこで引き下がるのでしょうか?
神様の御前に出て、祈るべきであります。神様は奇跡を行いたいです。

従順すると、神様は不思議な方法で道を開いて与えてくださいます。
その奇跡を体験する人は、信仰がどんどん成長していきます。

奇跡を体験しない人たちは、普通の人の生活をします。
クリスチャンでも奇跡を体験しない人、信じない人が大勢います。ですから信仰生活が面白くないです。

奇跡を日々体験する人は、神様なしには生きていけないです。


③毎日生まれ変わること

毎日生まれ変わることによって、新しい者として生きることができます。

どんなに新しい者でも、そのままだったら古い者になります。そうすると枯れて死んでいきます。

日々、イキイキしている人と、最初は(信仰が)熱かったのに段々生温くなり、冷めてやめてしまう人との
生活は何が違うのかと言うと、日々生まれ変わることをするか しないかの違いであります。

日々生まれ変わるということは、どういうことでしょうか?
それは日々、肉や自分の古い性質を十字架につけて殺すことであります。それをしないならば、新しくなれません。

いつも自分が聖くなるための努力をしないと、罪と咎が増えて古い人が蘇ってきます。


【Ⅰペテロ1章15-16節】

儀式を行うからクリスチャンではなく、
信仰によって生きる人生、従順によって奇跡を体験する人生、日々生まれ変わることによって新しくなる人生、
これこそがクリスチャンの人生であります。

クリスチャンとは何ですか?と質問された時に、「教会に行くのがクリスチャンです」と答えるのは大きな間違いです。
教会に行きながらも異邦人がたくさんいますし、教会に行きながらも神様に出会っていない人もたくさんいますし、
教会に行きながらもいつまで経っても(信仰が)赤ちゃんのままの人がたくさんいるのです。

そうではなくて、「信仰によって救われ、信仰によって生きる人です。従順することによって、神様の奇跡を
たくさん体験する人生です。そして古い自分を棄てて、どんどん新しくなっていくのがクリスチャンの人生です。」と
自分たちがそのように生きなければなりませんし、
周りの人にクリスチャンのことを正しく説明しなければならないです。

十字架にかけられたイエス様を信じた人は、自分もイエス様と共に十字架につけなければいけないです。
それが日々死んで生まれ変わる姿であります。

毎日私が死んでキリストが私の中で生きてくださいというのが、クリスチャンの人生であることを
心に留めてください。

クリスチャンの人生がどういうものであるのか私は知りませんから、このまま生きます。
今まで通りの生き方で生きます。というならば、教会に来ても全く意味がないです。

キリストは従順し 父なる神に信頼し、実際に十字架にかかって死にました。
これを私たちが見習い、ついて行くのがクリスチャンの人生であります。
狭い道ですが命の道を歩む人であります。追い出されることがないです。

そういう人が最後に勝利を勝ち取ります。

そのような生き方をする私たちになりましょう。 ( ̄‥ ̄) =3

2013.4.14
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

毎週日曜日の八戸ノ里キリスト教会のご馳走です
主の食卓のブログ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

livedoor プロフィール
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

(^^) からし種 に投票してね
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ