からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

八戸ノ里キリスト教会より メルマガ配信中!

メルマガ購読・解除

読者購読規約
毎朝7時に配信しています! 1日の始まりを神様の恵みで満たしてくださいね
powered by まぐまぐ!
 
         

環境

感謝が人生を変える

テーマは 『 感謝が人生を変える 』 です

【詩篇136編1-3節、23-26節】

主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。

神の神であられる方に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。

主の主である方に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。


主は私たちが卑しめられたとき、私たちを御心に留められた。その恵みはとこしえまで。

主は私たちを敵から救い出された。その恵みはとこしえまで。

天の神に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。

今日は収穫感謝礼拝を主に捧げます。


あと1か月半で今年も終わります。あっという間です。


主から受けた恵みを全部覚えていますか?

感謝をしましたか?


昨日パリで連続テロ事件が起こり、世界をびっくりさせました。

フランスにとっては悪夢の日でした。
百何十人が死亡し、多くの人が負傷しました。

テロは突然 何の前触れもなく起こり、多くの尊い いのちが突然奪われました。


6ケ所でテロが起こりましたが、コンサート会場で一番多くの死者が出ました。

アメリカのロックバンドのコンサートでしたから、犠牲者の多くは若者だと思うので、短い人生で終わった人が多かったと思います。


最近はテロ爆発事件で亡くなる人も多いので、自分が いつどこで人生が終わるか分からないです。


人生は短いです。

その人生をどのように生きるかがとても重要です。

ある人たちは人生がいつまでも続くと勘違いしながら生きていますが、人生は短いです。


歳を重ねていくと人生はさらに短く感じます。


しかしある意味では人生は長いです。

まだまだ夢のために、ビジョンのために生きる時間が残されているからです。

そして死後の世界もあるので、その意味で人生が終わることはありません。


「人生とは何か」を論じても それはむなしいですし、答えるのも難しいです。

しかし日々をどのように生きるかによって、人々は自分の人生に対しては答えを出すことが出来ます。


何よりも良い人生を造り出すためには、感謝に優れていないといけないです。


感謝が多い人はまず表情が明るいし、肯定的な人生を生きていますので、幸せオーラが出ています。


反対に 感謝せず、何かと不満が多い人は 表情が険しく、不幸がにじみ出ています。


どちらが良い人生であるかは、見た目でも判断が出来ます。






今回は “ 感謝が人生を変える”  ことに対して話します。


詩篇136編は神の前で感謝をする みことばです。


この箇所には感謝の原理があります。

1節から26節まで 感謝の内容が並べられていますが、神からの受けた多くの恵みを思い出しながら、1つ1つ感謝する内容でした。


主が良くして下さった恵みを忘れないことは良い事です。


しかしそれを神の前に1つ1つ取り上げながら感謝することは神がとても喜ぶ事です。


人間関係においても、もし過去に人から受けた恵みを忘れず、何年後でも相手に感謝を忘れていないことを伝えると「昔のことなのに、未だに覚えているんですか?」と驚きながらも嬉しい気持ちになります。


しかし受けた恵みに対して覚えておらず、感謝のことばも無いならば どのような気持ちになりますか?

これからは何もしないと心で決心しますし、したくなくなります。


皆さんは受けた恵みをよく覚えていますか?

そして感謝もしていますか。

感謝は日々の生活の中から生まれて来なければなりません。


私たちの日常は毎日がお祭りではありません。

平凡であるから、感謝そのものを忘れることが多いです。


特別に良いことがあると感謝しやすいですが、そうではないと感謝することもなく、1日が終わることが多いでしょう。


しかし平凡な日常の中でも感謝することを捜して感謝することが大切です。


私たちは食事の時に食べ物に対して感謝の祈りをします。
それは本当に感謝な事です。


イスラエルの民は40年間 荒野を通りましたが、その間ずっと神が与えた特別な食べ物・マナを食べて生きました。


最初は喜んで感謝して食べましたが、しかし しばらく経たないうちにマナに対して悪く言い始めました。

「こんな みじめな物は食べたくないし、もう飽きた。」
感謝が消えて、文句を言いながら “ 肉が食べたい ” と要求しました。


しまいには、奴隷の時を懐かしく思いました。
それには神様もびっくりでした。


もしマナが毎日与えられなかったならば、イスラエルの民は全員荒野で飢え死したと思います。

それは彼らにとっては いのちのパンでした。


しかし毎日与えられると、それが当たり前になり、感謝することもしなくなりました。


昔より今は食べ物が豊富ですが、昔より食べ物に文句を言う人が多いです。

毎日 食べ物があることは すごく感謝で、毎日ご飯が食べられることは素晴らしい恵みです。


神戸地震の時にいつも冷たいおにぎりばかりを食べていた避難民たちは 温かいご飯を食べた時にしみじみと温かいご飯のありがたさを感じました。


そのように平凡な日常の中に感謝なことは たくさんあります。


まずは平凡な日常の中で感謝するものを捜して感謝することです。
それは目に見えるものだけではありません。


昨日 電車で帰る時に、どのような感謝があるのかを考えました。

そしたら正常に呼吸していることが感謝でした。

以前、呼吸困難になったことがありました。


息をすることの しんどさを初めてその時に感じました。

苦しくて酸素缶を買い、酸素を吸いました。1本1000円でしたが、2本買って吸いました。

少しは楽になりましたが、高かったです。


お金も支払わず、タダで空気を吸って呼吸していることは、実はすごく感謝なことです。


見えること、聞こえること、歩けること、話せることも大きな感謝です。


ですから、探せば 感謝出来ることがいくらでも出てきます。

失ったものや、無いものばかりを考えながら生きると、感謝が出て来ることはないですが、あるものに目をとめると、すべてが感謝に変わります。


人生の晴れの日に感謝するのは一般的です。


しかし、人生の雨の日に感謝ができるのは 聖霊充満な人生です。


そのためには普段から すべてを主の手にゆだね、たとえ最悪の状況に出会っても感謝をすると、自分の心に決めておくことが大切です。


なぜなら主の約束のことばがあるからです。


【ローマ8章28節】

神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

約束を信じて、心の準備をしておかないと、最悪の時に信仰が揺れ動いて倒れやすくなります。


そして私たちの感謝の出発は「主は慈しみ深い方であり、その恵みはとこしえまで」と信じる信仰からです。

信仰と感謝は比例します。


信仰の目で見ると感謝することがとても多いです。

神様に対する信仰が強いと感謝もそれに比例して多くなります。






神はどのような方ですか?
世界で一番偉大な方です。


神の神、主の主とは、神の偉大さと絶対主権を現すことばです。


人間の力と努力だけで、何かを成功させることは出来ないです。
神の恵みなしにすべては不可能です。


尽きない神の恵みがあって すべてが動いていますし、祝福されています。


苦難と問題の中にいる人が、今 いるかも知れません。


しかし人生の問題は、視覚と思いと信仰の問題です。

信仰があるので すべてが栄え、問題も起こらないとは神が約束していないです。


何があってもいつも喜び、絶えず祈り、すべてについて感謝するのが信仰だと教えました。


太陽の光も、苦難の雨も聖徒たちに降ります。

それは苦難の中で 私たちの人格を整え、肉の視覚を信仰の視覚に変えるためです。

試練の中で聖徒たちは変わっていきます。


イエス様に似る者にするために、“試練”という炉を通ります。


様々な問題の炉を通りながら、内側にある不純物が取り除かれ、聖くなり、悟りを得、問題を克服していく過程の中で さらに成熟していくことが多いです。


ですから、私たちが試練の荒野を通る時には、環境の変化を祈る前に、自分自身の変化のためにまず祈ることです。

また、どんな環境の中でも感謝出来る者になれるように祈ることです。

自分が変わると環境も不思議に変わります。


しかし自分が変わらず、文句ばかり言うならば試練はさらに厳しくなります。

苦難を克服する最善の道は、すべてに感謝する事です。


苦難を“自分が成長するチャンスだ”と信仰で受け止め 感謝すると、信仰も成長し、神様もその人を助けて祝福して下さいます。


感謝をする時に、人生は変わります。


私たちは生まれた時に何も持たずに生まれましたし、何も持たずに世を去ります。


欲深い人は感謝が出来ないですし、その人生は幸せにはならず、むなしい人生で終わります。


しかし小さなことに対しても感謝をする人は、感謝することが多いので、自分の人生をますます幸せにしていきます。


肉の視覚と思いで足りないもの、あらさがしをすると不満がますます増えていきます。

しかし視覚と思いを変えると、不満だったことを感謝の条件に変える事が出来ます。


世を見ると絶望や失望することが多いので、希望が見えてこないです。


しかし目をイエス様に向けると希望が生まれ、喜びが生まれ、感謝が生まれ、平安な心になります。

このように自分の視覚を変えると、人生も変わります。


世界で起こっていること、自分の人生で起こっていることを、神に信頼しながら、信仰の視覚で見ると違って見えます。


神様はすべての状況をすぐにでも変える力がある方ですが、良い目的をもって沈黙を守る時があります。

イエス様が十字架で苦しんでいる時も、神様は沈黙を守りました。

それは、イエス様の死が 人類の救いのために必要であったからです。


もし試練があるならば、そこに神の良い目的があることを信じて感謝してみて下さい。

いつかそれがはっきり分かる時が来ます。


自分は幸福ではないと言う人たちも多いです。

もちろん色々な原因があると思いますが、感謝が足りないことも原因の1つです。


感謝が足りないと魂が渇きますし、感謝はたましいに潤いを与えます。


そして感謝は幸せと祝福の扉を開ける鍵です。

ですから感謝する心は環境を変えますし、さらに人生を変えます。


また、さらに神のみこころも計画も変えることが出来ます。

懲らしめが恵みに変わることがあります。


すべてのことについて感謝することを習慣化して下さい。その感謝によって幸せが訪れ、奇跡が起こります。


感謝は神との関係も人との関係もよくします。

そして神を喜ばせ、人も喜ばせることが出来ます。


感謝のことばが口から絶えることがないようにしましょう。
.。゚+.(・∀・)゚+.゚

2015.11.15
収穫感謝祭礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

みことばがあふれています!
八戸ノ里キリスト教会ホームページ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

神様からの警告のことばです
警告のラッパ

地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

ダニエルに学ぶ勝利する信仰生活

テーマは『 ダニエルに学ぶ勝利する信仰生活 』です

【ダニエル書1章8-16節】

ダニエルは、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官(かんがん)の長に願った。

神は宦官の長に、ダニエルを愛しいつくしむ心を与えられた。

宦官の長はダニエルに言った。「私は、あなたがたの食べ物と飲み物とを定めた王さまを恐れている。もし王さまが、あなたがたの顔に、あなたがたと同年輩の少年より元気がないのを見たなら、王さまはきっと私を罰するだろう。」

そこで、ダニエルは、宦官の長がダニエル、ハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤのために任命した世話役に言った。

「どうか十日間、しもべたちをためしてください。私たちに野菜を与えて食べさせ、水を与えて飲ませてください。」

そのようにして、私たちの顔色と、王さまの食べるごちそうを食べている少年たちの顔色とを見比べて、あなたの見るところに従ってこのしもべたちを扱ってください。」

世話役は彼らのこの申し出を聞き入れて、十日間、彼らをためしてみた。

十日の終わりになると、彼らの顔色は、王の食べるごちそうを食べているどの少年よりも良く、からだも肥えていた。

そこで世話役は、彼らの食べるはずだったごちそうと、飲むはずだったぶどう酒とを取りやめて、彼らに野菜を与えることにした。

ダニエルの光り輝くものは、彼の信仰です。
西洋の人々は、自分たちの子どもがダニエルのようになって欲しいという願いを込めて、ダニエルという名前を
結構付けています。

当時のダニエルは、少年でありました。そして悲惨な状況にいました。
イスラエルの民は戦争に負けましたので、バビロンに連れていかれた捕虜の身分でした。

もともとはそのような者ではなかったです。彼は王族の親族でした。なぜならば、ダニエル書1章3節に
書かれています。

王は宦官の長アシュペナズに命じて、イスラエル人の中から、王族か貴族を数人選んで連れて来させた。

王族だった者が戦争に負けた為に転落し、奴隷・捕虜の身分になりましたので絶望的な人生に変わりました。
自分の思い通りに何も出来ない「自由」が奪われるのは、一番最悪な環境であります。

しかし、ダニエルがその中でも絶望して自分の人生を投げ出していないことが分かります。
普通ならば希望がないので投げ出してしまいます。
今の若者たちが自分の命を投げ出す一番の原因は希望がないことです。

ダニエルの姿を見て、学ぶことがとても多くあります。

多くの人たちが環境のせいにして、「信仰生活をしたいです。良い信仰をもって、成長したいです。
だけど身体が言うことを聞かないです。」と、ああだこうだと言って 結局「出来ません。」と言うのです。
ですが、聖書には神様がいつもおっしゃっているように、主にある者には不可能がないのです。
不可能という言葉を使うこと自体が不信仰なのです。

聖書の中には、色々な人物が出てきます。色々な環境、色々な道を通る人物がいます。
それを自分に当てはめていくのです。
絶望的な環境の中で勝利した人たちは、どうやってそこから抜け出したのか、それを学ぶのが聖書なのです。

聖書を開いて、自分と同じ立場の中にいる人たち、自分よりも もっとひどい状況の中にいる人たちから学ぶと
自分とその人物との違いが分かります。

それを変えていくだけでも、私たちは今とは違う人生を生きることができます。

聖書に出て来る人物の生活を見ると、勝利で終わる人たちの話がたくさんあります。
それを今の時代で活かすと、自分たちも必ず勝利することができます。


ダニエルは悪い環境の中から、どうやって抜け出ることができたのでしょうか?

【ダニエル書1章8節】

ダニエルは、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官(かんがん)の長に願った。

これは、正しい決断力です。

神様が人間を造られた時は自分で何かを決断する必要はありませんでした。
神様が全て用意してくださり、人間はそれに従うだけで良かったのです。
しかし、人間が勝手に善悪の木の実を食べた瞬間から、自分が何を選ぶかによって責任を
負わなければならない立場に変わってしまいました。

ここでダニエルは1つの選択をしました。

王さまから出された命令は、王のごちそうを食べて、そこで彼を成長させて様々な学問を教えて王さまに仕える
訓練をすることでした。
ですから (偶像に捧げた)ごちそうを食べなければなりませんでした。他の者たちは大喜びでした。
本来、捕虜が食べる物はみすぼらしいものですが、ここでは王さまが食べるものでした。

若者は食欲旺盛ですので、目の前にごちそうが出たら「食べたい」と思うのは自然なことであります。
しかし彼はそれを聞いた瞬間に、王さまは偶像崇拝をする者でしたので「これを食べてはいけない。」と
思いました。

神様の言葉が、ダニエルの人生の価値観でした。
何によって生きるのかというと、神様の言葉でありますので、(食べてしまうと)神様に違反をすることになります。

イエス様が断食をして空腹なのを知り、サタンは「石がパンになるように命じなさい」と、
イエス様にも一番最初に来た誘惑が食欲でした。
ですから、私たちは軽く考えてはいけないです。若い人、特に男の人は食欲が旺盛です。
ダニエルに大きな誘惑が来ましたが食べないことを決断をし、相手に伝えました。

ただの食べ物の決断だけではないです。彼が口に出して言ったということは「死」を覚悟しているのです。
なぜならば、王さまの命令を捕虜が逆らうということは命に関わることだからです。

私たちはこのような選択をしなければならないです。
みことばに反する事をするのか、それとも肉を満たす美味しいものを拒むのか――。
その時 私たちはどちらを選ぶのかがとても大切であります。

私たちは間違えた選択をしてしまうので、それを刈り取ってしまうのです。
私たちは楽な道を選びがちです。

ダニエルもこの問題が来たときに悩んだと思います。ですが彼が握っているものは神様の言葉でした。

自分の所属がどこなのか――?
このバビロンの王さまに所属しているのではなく、その上に立っている神様に所属している者。
選択の基準は何かというと神様の言葉なのです。
みことばが心に根を下ろしている人は、心があまり揺れることはないです。

しかし、みことばが心に住んでいないと、神様の言葉をしっかりと握りしめて決断をすることが難しいです。

ダニエルは信仰第一でした。これは絶対に譲らないものだと決めてありましたので、それと違うものが来た時に
大胆に選択することが出来ました。

みことばに反することは全て罪になります。
私たちが罪を犯すことで最初に起こることは、神様との関係にヒビが入り 破壊されます。

誘惑が多い世の中でも、みことばの中で生きることが区別された生活です。

私たちが神様の言葉に沿って選択をすると、その時にはサタンがものすごく攻撃をすると思います。
しかし、神様は正しい選択をした者を必ず守ります。これが聖書の世界であります。

神様のみことばを守る為に、その道を選んだ者を神様は見捨てることはないです。

結果を見ると、ダニエルは正しい選択をしたことが分かります。




次に、ダニエルから学ぶ信仰の姿勢は、神様に全てを委ねて頼ったことです。

彼は1つの提案をしました。それはとても知恵のある提案でした。
「十日間、野菜と水だけをください。そして比べてみてください。」ということでした。
これはある意味で愚かな提案でした。医学的に見ても、化学的に見ても、野菜と水だけの者と
肉や好きな物を食べる者のどちらが血色が良くて健康的になるでしょうか?それは当然 後者でしょう。

人間の目には愚かな提案でした。人々が「そんなバカな」と思うことに神様が働きます。

人々は自分たちが思っていた事と違う結果になった時に誰を見るでしょうか――?
それは、神様であります。肉を食べていた者よりも(ダニエルたちは)血色が良く、肥えていました。
人間の思いを遥かに超えたことであります。

ダニエルの信仰を見て神様は祝福しました。
信仰の勝利は私たちが神様に頼る時に来るのです。

自分の方法であれこれやるので祝福が来ないのです。

今の時代で、王さまの存在に当たるのは、権威や物質であります。
物質は黄金主義です。これはクリスチャンも同じです。自分の手にしっかりと握っていないと安心できず、
神様だけでは不安なので「お金も神様も両方必要なのです。」と。

もちろん、物質も必要です。しかし神様は 2人の主人には仕えられないのだと語ってあります。

私たちは物質に頼るということは、世に頼るということです。
どうも私たちには、目に見えない神様よりも 目に見える物に頼る傾向があります。

ダニエルが祝福されたのは、たった1人の主人に仕えていたからです。
捕虜なので財産も何もなく、自分の命でさえ自分のものではないです。
しかし、彼はそのことを一切考えませんでした。


【エレミヤ書17章5-8節】

主はこう仰せられる。「人間に信頼し、肉を自分の腕とし、心が主から離れる者はのろわれよ。

そのような者は荒地のむろの木のように、しあわせが訪れても会うことはなく、荒野の溶岩地帯、住む者のない塩地に住む。

主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。

その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる。

これは約束であります。
主に頼る者は何もない中でも正しい選択をし、神様に委ねて生きるならば叶えてくださいます。

信仰がないなら神様は喜びませんが、信仰を持って頼るならば、神様の力はいくらでも働きます。
主がその者を通して神様の栄光を表してくださるのです。




次に、ダニエルから学ぶ信仰の姿勢は、行いの伴った信仰です。

「神様に頼ります。」「神様に信頼します。信じます。」と口では色々言うことはできますが、
本当に主に委ねた人たちは、行いがあるのです。

葛藤に私たちはすぐに負けてしまいます。決心しても3日も続かないので失敗するのです。
だけど彼は自分の肉体を打ち叩きながら、自分の信仰にある大きな障害物を毎日取り除けながら
行動しました。

神様は行いのない信仰は、一言で「死んだ信仰」だとおっしゃいました。
死んだ信仰に神様は働きません。また、行いはありますが 信仰が無いというのも神様は喜びません。

神様が喜ぶのは行いが伴った信仰で、自分が神様に約束した通りに日々続けていく人に信仰を認めて
喜んで、必ず勝利させてくださるのです。守るのです。

そして周りの人たちの心を変えていきます。

私たちが信仰の行動をすると、私たちは他人の心を変えることが出来ませんが、神様は人の心に働くのです。
それをダニエル書1章9節でも見ることができます。


【ダニエル書1章9節】

神は宦官の長に、ダニエルを愛しいつくしむ心を与えられた。

私たち1人1人が神様に正しい選択をし、みことばを守ろうと決心するその時から、神様は相手の心の中に
働きます。その人が信仰を守って生きていけるように、神様が全ての敵を取り除き 力を与え、恵みを準備して
くださるのです。

ですから、大切なことは、私たちが日々の生活の中で、神様のみこころを選ぶことなのです。
言われた通りに行いがある信仰を実行していくと、神様はその人に勝利を与えてくださいます。
喜ぶので神様の恵みがその人に来るのです。その人の生きた信仰が実を結ぶのです。

死んだ信仰はいくら待っても実を結びません。

しかし、生きた信仰には、芽が出て 時が来ると、神様の恵みによって実が結ばれます。
私たちが勝利をしたと言うことは、実が結ばれたということであります。その人が祝福されたという姿であります。

ダニエルはそのようにして、神様に祝福されました。
命を懸けた決断をしましたが、死ぬことはありませんでした。
常に神様は守ってくださいましたし、彼の信仰を周りの人が認めました。どんどん彼の地位を高く上げていきました。

ダニエルは、若い時から 年を取って死ぬ時まで、その信仰をずっと守っていました。

命に関わる選択がありますが、どんな時でもダニエルは正しい選択をしました。
それが、正しい者になり、良い実を結びました。

私たちは悪いものを選びながら「神様、私を祝福してください。」「滅ぼさないでください。」と言っていても
悪いものを選んでいるので、自分で清算をしなければならないです。

私たちが種を蒔くということは選択なのです。選択して行動をすることです。
決断して動くことが1つ1つの種であります。

ダニエルは、信仰(みことば)が第一だと思って、それをしっかりと握ったことによって
彼の人生は勝利で終わりました。

小さな信仰でも、それを働かせて多くの実を結びました。
私たちはそれを学びましょう。 (^∀^)

2013.9.8
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

アメリカ神学校で 神様の訓練がスタートしたヒョノちゃんのブログです。
ヒョノのブログ

毎週日曜日の八戸ノ里キリスト教会のご馳走です!
主の食卓のブログ

□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

livedoor プロフィール
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

(^^) からし種 に投票してね
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ