からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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準備

三つのラッパの音の意味

テーマは 『 三つのラッパの音の意味 』 です

【エレミヤ書6章16-19節】

主はこう仰せられる。「四つ辻に立って見渡し、昔からの通り道、幸いの道はどこにあるかを尋ね、それを歩んで、あなたがたのいこいを見いだせ。しかし、彼らは『そこを歩まない』と言った。

また、わたしは、あなたがたの上に見張り人を立て、『角笛の音に注意せよ』と言わせたのに、彼らは『注意しない』と言った。

それゆえ、諸国の民よ。聞け。会衆よ。知れ。彼らに何が起こるかを。

この国よ。聞け。見よ。わたしはこの民にわざわいをもたらす。これは彼らのたくらみの実。彼らが、わたしのことばに注意せず、わたしの律法を退けたからだ。



警告を与える角笛の音




17節に「角笛の音」が出て来ます。


旧約時代では、ラッパの役割を角笛がしました。

戦争や危険が迫る時に 民たちを目覚めさせ、備えや避難が出来るように角笛を吹いて警告しました。


しかし 神様が実際に角笛を鳴らすようにしたのは、もっと深い意味があります。


神は多くの預言者や祭司たちの口を通して、預言や啓示を与えて、これから起こることや神のさばきなどを伝えましたが、それがすべて警告のラッパです。

これは私たちが必ず聞かなければならないラッパの音です。



「角笛の音に注意せよ。」と言われてあります。

もし「注意しない」と言うならば、わざわいに会いますね。

次の箇所にも警告を与える場面が出て来ます。


【エゼキエル書33章1-7節】

次のような主のことばが私にあった。

「人の子よ。あなたの民の者たちに告げて言え。わたしが一つの国に剣を送るとき、その国の民は彼らの中からひとりを選び、自分たちの見張り人とする。

剣がその国に来るのを見たなら、彼は角笛を吹き鳴らし、民に警告を与えなければならない。

だれかが、角笛の音を聞いても警告を受けないなら、剣が来て、その者を打ち取るとき、その血の責任はその者の頭上に帰する。

角笛の音を聞きながら、警告を受けなければ、その血の責任は彼自身に帰する。しかし、警告を受けていれば、彼は自分のいのちを救う。

しかし、見張り人が、剣の来るのを見ながら角笛を吹き鳴らさず、そのため民が警告を受けないとき、剣が来て、彼らの中のひとりを打ち取れば、その者は自分の咎のために打ち取られ、わたしはその血の責任を見張り人に問う。

人の子よ。わたしはあなたをイスラエルの家の見張り人とした。あなたは、わたしの口からことばを聞くとき、わたしに代わって彼らに警告を与えよ。

今の時代も、神様は目を覚ましているクリスチャンたちを通して警告を与えておられます。

ラッパを吹かせています。


その音を聞いて、主を迎えることが出来るように準備しないといけないです。




携挙のラッパの音




【第1テサロニケ4章16-17節】

主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、

次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

【第1コリント15章51-52節】

聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみな、眠ることになるのではなく変えられるのです。

終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。


携挙が起こる時に吹かれるラッパによって超自然的な現象が起こります。


誰も見たことも経験したこともないことが起こります。

主を迎える準備が出来た人だけが一瞬に変えられて雲の中に一挙に引き上げられます。


ラッパの音を聞いてから準備しようとしても間に合いません。


今の時代を見るとその時が近づいていることがよく分かります。

いつ起きてもおかしくありません。



主の日は盗人のように突然来ると言われてあります。

ラッパが響いたら終わりです。


突然多くの人が消えていきます。


残ってしまった人々は携挙のラッパの音を二度と聞くことはありません。




大患難のラッパの音




ヨハネの黙示録8章、9章ではわざわいをもたらすラッパが吹かれる場面が出て来ます。


神の命令によって全世界にもたらされる恐ろしい患難のために次々とラッパが吹かれます。


誰もこの患難から逃れることは出来ないです。

誰も何の準備も出来ないです。


すべての自然や生き物にもわざわいが来るからです。



人間が長い間犯した罪に対する神の激しい怒りが、残されたすべての人々の上にくだります。


誰がこれに耐えることが出来るでしょうか。

どれほど激しい患難なのかを、次の2箇所で見たいと思います。


【ヨハネの黙示録9章6節】

その期間には、人々は死を求めるが、どうしても見いだせず、死を願うが、死が彼らから逃げて行くのである。

【ヨハネの黙示録9章18節

これらの三つの災害、すなわち、彼らの口から出ている火と煙と硫黄とのために、人類の三分の一は殺された。


これで終わりではなく、大患難はさらに続きます。

考えるだけでもゾッとする患難に誰が耐えることが出来るでしょうか。


目覚めるように吹き鳴らされるラッパの音も聞けなくなる時が来ます。


いつ携挙のラッパが吹かれてもおかしくない今の時代です。

今はまだ間に合います。



警告のラッパの音を聞いて目覚めて携挙の準備をすることです。


毎日雲を見ても主の再臨を思い起こすことです。

迎える準備が出来てあるかどうかを確かめることです。
アーメン ( ̄‥ ̄)=3


2019.8.4
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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花嫁としての準備

テーマは 『 花嫁としての準備 』 です

【詩篇119篇97-104節】

どんなにか私は、あなたのみおしえを愛していることでしょう。これが一日中、私の思いとなっています。

あなたの仰せは、 私を私の敵よりも賢くします。それはとこしえに、私のものだからです。

私は私のすべての師よりも悟りがあります。それはあなたのさとしが 私の思いだからです。

私は老人よりもわきまえがあります。それは、私があなたの戒めを守っているからです。

私はあらゆる悪の道から私の足を引き止めました。あなたのことばを守るためです。

私はあなたの定めから離れませんでした。それは、 あなたが私を教えられたからです。

あなたのみことばは、私の上あごに、なんと甘いことでしょう。蜜よりも私の口に甘いのです。

私には、あなたの戒めがあるので、わきまえがあります。それゆえ、私は偽りの道をことごとく憎みます。

このみことばを読んで、自分の言葉として主に告白をしました。

私にとって主は、何も無くても いつも私の心を癒して下さる方です。


世の中でどんなに恐ろしいニュースが流れて、終わりの時代に向かっていても――
どんな時でも私の心が主に繋がれているので、私はすぐに主のいる安全なところに逃げ込むことができます。


この詩篇119篇の1節1節を読むと、とても重い言葉だと感じます。
この言葉の中で黙想をしていくと「この告白はまだ自分には出来ないな」など色々と思います。

それでもその中で自分とピッタリのことばを見つけると、とても嬉しくなって(記者と)一緒になって感謝をしたり、私はまだまだ成長過程ですが、 「私にも詩篇の記者と同じ心がありました。感謝します。」という心で主に感謝を捧げることができます。


【雅歌4章9-16節】

私の妹、花嫁よ。あなたは私の心を奪った。あなたのただ一度のまなざしと、あなたの首飾りのただ一つの宝石で、私の心を奪ってしまった。

私の妹、花嫁よ。あなたの愛は、なんと麗しいことよ。あなたの愛は、ぶどう酒よりもはるかにまさり、あなたの香油のかおりは、すべての香料にもまさっている。

花嫁よ。あなたのくちびるは蜂蜜をしたたらせ、あなたの舌の裏には蜜と乳がある。あなたの着物のかおりは、レバノンのかおりのようだ。

私の妹、花嫁は、閉じられた庭、閉じられた源、封じられた泉。

あなたの産み出すものは、最上の実をみのらすざくろの園、ヘンナ樹にナルド、

ナルド、サフラン、菖蒲、肉桂に、乳香の取れるすべての木、没薬、アロエに、香料の最上のものすべて、

庭の泉、湧き水の井戸、 レバノンからの流れ。

北風よ、起きよ。南風よ、吹け。私の庭に吹き、そのかおりを漂わせておくれ。私の愛する方が庭に入り、その最上の実を 食べることができるように。

聖書には“花嫁”という言葉が何度も出てきますが、男性の方にはピンと来ないかも知れません。

でも、この箇所は“自分の心”のことを言っているのです。
つまり、イエス様に捧げる私たちの心を指しています。


私たちの心が、神様に捧げる最上のもので満たされているかどうかを確認してみたいと思います。





~雅歌4章より~




(聖書を読む時に)私たちはこのような言葉をサーッと流してしまうとダメなのです。
そうではなく、自分自身に問い返してみてください。


< 私の妹、花嫁よ >

イエス様があなたをご覧になって、愛のまなざしで私たちの名前を呼んで下さるのです。(自分の名前を入れて読んでみてください)



< あなたの愛は、なんと麗しいことよ >

読んでいて「えっ?本当かな…」と思いませんか?
自分の愛は、イエス様が「あなたの愛は、なんと麗しいことよ」と言ってくださるほど イエス様に対して愛に満ちているでしょうか?



< あなたの愛は、ぶどう酒よりもはるかにまさり、あなたの香油のかおりは、すべての香料にもまさっている >

“あなたにとって わたしが一番なのか?”と、イエス様が私たちを見て下さっているのです。


雅歌は、恋人同士の麗しい詩なのです。
ですからイエス様に対する私たちの愛を確かめる詩なのです。


“花嫁よ。あなたの愛はどこにあるのか?あなたの心の中にわたしに捧げる麗しいものは何かあるか?”
今、自分の心を探ってみてください。

イエス様に捧げる美しいものが私たちの心の中にあるでしょうか?


私たちは「イエス様!こうしてください。ああしてください。」と祈ります。

しかし、神様は天におられて、私たちは地にいます。


私たちの心は、神様にピッタリするほど合ってはいないのです。ピントがずれています。
それに加えて私たちの心は麗しくないのです。



< 花嫁よ。あなたのくちびるは蜂蜜をしたたらせ、あなたの舌の裏には蜜と乳がある。 >

イエス様は私たちに「わたしの愛する息子よ。」「わたしの愛する娘よ。」と言ってくださるのですが、雅歌を読み進めていくと、このようなことばが書かれています。

この箇所はどのような意味でしょうか?


私たちのくちびるは神様が造ってくださいましたが、私たちのくちびるからは一体何が出て来るでしょうか―?

口は、心にあるものがそのまま出てきます。

ですから私たちの心が良い思いで満ちていれば 良い言葉が出てきますが、悪い心で満ちているなら 悪い言葉が口を通してそのまま外に出ていきます。


イエス様を喜ばせる愛の告白と、甘い甘い蜜、神様のことばに常に従いたいと思うみことばを 私たちはいつも告白しているでしょうか?

私たちはあまりにもこの世に染まって生きているので、1日のうちでイエス様のことを思い出すのはとても短いのです。


私たちは終わりの時、花嫁の姿でイエス様に「主よ、来てください」と言う際に、どうしても必要なものは“整えられた心”です。
私たちの心が 整えられた心になっていないと、花嫁の姿とは言えないです。



< 私の妹、花嫁は、閉じられた庭、閉じられた源、封じられた泉 ~以下15節まで~ >

ここに書かれているのは全て最上のものです。

私たちは世の中で生きていますが、誰に対しても何に対しても 心を開けていては、心がすぐにゴミだらけになってしまいます。


サタンは私たちの心にゴミをいっぱい入れてやろうと狙っており、いつも待ち構えています。

思い煩い、怒り、ねたみ、嫉妬、苦しみ、他人との比較、競争意識、劣等感など、悪魔がごっそりと持って私たちの心を目がけて投げて来るのです。

それを全て受け取っていたら、私たちの心はあっという間にゴミだらけです。


花嫁の心が“閉じられた庭、閉じられた源、封じられた泉”とはどのような意味でしょうか?

心は大切な方だけに開けるのです。
世の中が私たちに向かって色々なものを投げてくる時には 心を閉じておかなければならないですが、反応しないということではないです。

反応はしますが、神様と一緒に対処していけば良いのです。


私たちの一番大事な心は、一番大切な方のためにいつもとっておきます。

閉じられた庭というのは、最上のもので満ちた庭のことで、その庭をいつも開けて誰かに踏みつけられるままにしている人はいないですね。


一番大事な物、一番麗しいもの、花嫁は花婿のために心を準備しておくのです。

その日のために大事なものは蓄えてしまっておき、いつでもイエス様が来られたら“ どうぞ ”と言って閉じられた庭を開けるのです。



< 北風よ、起きよ。南風よ、吹け。私の庭に吹き、そのかおりを漂わせておくれ。私の愛する方が庭に入り、その最上の実を 食べることができるように。 >

祈りは(心を)開けている状態であり、大事な方との“交わりの時”です。
自分の心の中で イエス様に蓄えてきたものが、その時に香りを放ちます。

祈りは戦いのときではありますが、ものすごく甘い時間でもあります。


私の心がイエス様に向いていて、イエス様が私の心をとらえてくださるので、この世で何が起きてもとても落ち着くことができています。


それは イエス様のために、日々心を聖めていこうと努力をしているからです。

悔い改めというものは、自分の心を綺麗にすることで、「愛するイエス様のために日々綺麗にして準備をしていきます」というのが日々の姿勢です。






【創世記3章6節】

そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を 取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。

これは私たちの普段の姿です。
私たちが肉を殺さないまま生きると、いつも失敗をするのです。


サタンはいつも私たちの五感を通して 良いものに見えるものを持ってきます。

そうすると「良いなぁ」、「あ、これは私が願っていたことだ!」とすぐに手が出ます。
これは肉の姿そのままです。これが私たちの日常の姿なのです。


つまりエバの姿は、私たちも持っているということです。


先ほど、心を守ることについて話をしました。

私たちは心を守らないと、あっという間に罪を犯します。

サタンはいつも私たちをジーっと見ていて目をそらすことがないです。私たちの目にサタンが映らなくても確かに霊の世界があります。


特にクリスチャンは狙われて、1人でも多くのクリスチャンを地獄へ落としたいので しつこくついてきます。

そこで私たちが“御霊によって歩みなさい”というみことばを握っていないと、あっという間に落とされてしまいます。


みことばは私たちの足のともしびです。道の光です。
私たちが歩む道をイエス様が守って下さいと祈っていても、ある1つの選択で道を踏み外すときがあります。

私たちは武装していなければならないです。
世のもので心が充満な時にサタンの試みがやってくると100%落ちてしまいます。


神様は私たちに聖書を通して失敗した人たちの姿を赤裸々に見せていますが、これは“あなたも同じような者だから気をつけなさい。”ということです。






【創世記19章26節】

ロトのうしろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまった。

これはソドムとゴモラが滅ぼされた時でした。
神様が御使いを送って町を調べに来て滅ぼそうと決めたのです。

アブラハムのとりなしによって ロトと妻、娘たちは救い出されたのですが、ロトの妻だけが塩の柱になりました。

それは御使いが語られた言葉を心に留めていなかったからです。


御使いは次のように語っていました。


【創世記19章17節】

彼らを外のほうに連れ出したとき、そのひとりは言った。「いのちがけで逃げなさい。うしろを振り返ってはいけない。この低地のどこででも 立ち止まってはならない。山に逃げなさい。さもないと滅ぼされてしまう。」

うしろを振り返ってはいけないと言われていましたが、心に留めていませんでした。
それでまさか死ぬとは思っていませんでした。


町は火と硫黄で焼き尽くされてしまいましたが、ロトの家族はその災難からは逃れて神様からの憐みによって逃げましたが、まさかこんな所で (ロトの妻は)死んでしまいました。

これも私たちにとっては他人事ではないです。


私たちは自分が思っているほど強い者ではないです。


自分の姿をよくよく見ると、どんなに汚れた者なのか、と自分の罪を真正面から見て、「自分は弱い者だ。」「自分は罪深い者なんだ。」と自分の姿を知り それを心に留めて必死で生きている者と、のほほんと生きている者とでは試みが来たときに差が生じます。

この時は生きるか死ぬかのところです。試みは私たちの普段の生活の中で色々と出てきます。


ですから、みことばを握って忘れないことです。この時は「いのちがけで逃げなさい。」と言われました。
しかしロトの妻はいのちがけで逃げようとはしていなく、つい後ろを見てしまいました。


こういうことは私たちにもあるのです。

聖書の中の人物を通して自分の姿を見ると、自分の中にある弱さに気が付きます。






【マタイの福音書25章1節】

そこで、天の御国は、たとえて言えば、それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘のようです。

この箇所は皆さんもよくご存知です。

クリスチャンである娘十人がイエス様が帰ってこられるのを待っていました。

5人は準備万端でしたが、5人は準備が足りませんでした。
まさか油が必要になるとは想像もしていませんでした。


でも“まさか”ということが起こるのです。
そして準備のできていない5人は慌て、油が準備できている娘に分けてもらえないかを聞きました。
しかし断られて店に買いにいけば良いと言われました。


その時が来ると準備不足の人が、準備のできている人から助けをもらうことは出来ないです。

主が来られるという約束を私たちは知っています。でもその本気さは人それぞれです。


世の事が忙しくて、「今は他のことをしないといけない」とそれを優先させていると、いつの間にか花婿が来るということをサタンが遠くへ持っていき、思考の中から消してしまいます。


6節に“ところが、夜中になって”という言葉があります。いつの間にか娘たちはウトウトして寝ていました。
ところが夜中の思いもよらない時間に来ました。

私たちにはこういう時が来るのです。


“神様の時”は待ってはくれません。
『思いがけない時に来るから目を覚まして準備をしていなさい。わたしは前もって教えた』 とおっしゃるでしょう。


心を綺麗にしていくことは準備のうちの1つです。
そして、愛を与えていくことも準備のうちの1つです。


私たちは自分のためだけに生きているのではないです。

私たちと一緒にいる人たち、特に家族もそうです。一緒に生きている人たちに、イエス様がされたように愛をいっぱい注いで生きていくことは、≪互いに愛し合いなさい≫ という神様のみことばを実践するものです。


「私は天国へ行ってもあの人のことは知らない。」という心ではイエス様は喜ばれないです。

“あなたを愛している”とイエス様は私たちに言ってくださいます。
“でもあなたの隣にいる人もわたしはとても愛している。だからあなたが生きている間に (その人たちに)わたしのことを伝えてわたしの愛を流していきなさい。天国へ行く者を増やしていきなさい。”とおっしゃるのです。


私たちには天国へ行くための準備が色々とあります。
私たちは祈る時に色々な目が開かれていきます。


自分の思いが潰されていく時に 新しい神様の視点が入ってきます。


自分はこれで良いと思って生きていても、神様がそれはダメだとおっしゃるなら それは捨てなければならないです。


花嫁の姿は純白です。ですので、それに相応しい者になるために―。
私たちにはまだ時間があります。でもいつも目を覚ましていないと突然起こります。


【ヨハネの黙示録22章17-21節】

御霊も花嫁も言う。「来てください。」これを聞く者は、「来てください」と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、 それをただで受けなさい。

私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に 書いてある災害をその人に加えられる。

また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と 聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。

これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。 主イエスよ、来てください。

主イエスの恵みがすべての者とともにあるように。アーメン。

これを自分の言葉として「アーメン」と言ってください。

“しかり。わたしはすぐに来る。”主が来られることを私たちに語っておられます。


それに対して私たちは「アーメン。主イエスよ、来てください。」と心から言えるように準備をするのが大切です。

神様が私たちに前もって準備をさせるので、私たちは本当に幸いです。


でも準備ができない人がたくさんおられるので、そういう方たちの為には私たちを通してたくさんの愛を流して聞く耳を開かせて、そしてそこに必要なみことばを蒔いてください。


時が迫っているからです。
(; ̄Д ̄)

2014.11.9
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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