からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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永遠の命

主によって与えられたいのち

テーマは 『 主によって与えられたいのち 』 です

【ヨハネの福音書6章32-35節】

イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。モーセはあなたがたに天からのパンを与えたのではありません。しかし、わたしの父は、あなたがたに天からまことのパンをお与えになります。

というのは、神のパンは、天から下って来て、世にいのちを与えるものだからです。」

そこで彼らはイエスに言った。「主よ。いつもそのパンを私たちにお与えください。」

イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。

イエス・キリストの誕生、苦難、十字架の死、そして復活の一連の出来事は なぜあったのかを一言でいうならば、「信じる者にいのちを与える」ためです。


罪によってすべての人間が死の支配下にあるので、人間を死から救い出すために、天の父なる神が計画したのが “御子イエスを人間として地上に遣わすこと” でした。


そしてキリストの生涯を通して、人間にいのちを与える道を完成しました。

死の道しかなかった所にいのちの道を造りました。


イエス・キリストという道でした。


救いはいのちを得ることです。

死からいのちに移されることが、“救い” です。



主イエスは「いのち」ということばをよく使いました。

主はすべてがいのちのためであることを話しました。


【ヨハネの福音書3章14-17節】

モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。

それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。

復活だけがいのちを与えるのではなく、十字架にかかったイエス様を見上げて信じるだけでもいのちを得ます。



それをモーセの時代に証明しました。

民数記21章には荒野でイスラエルの民が荒野での旅に我慢が出来なくなり、神とモーセに逆らって非難し、文句を言いまくりました。


それで神は燃える蛇を送ったので、その蛇が民をかみついたので、多くの者が死にました。

すると民が悔い改めたので、神はモーセに青銅の蛇を造るように命じました。


その時に語った神のことばです。


【民数記21章8節】

「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる。」

このように語って下さいました。

そのことば通り、見上げた人は生きました。



それはイエス様の十字架の姿でした。

十字架の主を見上げる者も生きることを教えて下さいました。



最後の晩餐の時に語ったことばでも、主は自分の体と血を私たちに与えると言われました。

その理由はいのちを与えるためでした。


【ルカの福音書22章19-20節】

これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。

この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。


生きた者を食べることは出来ないです。

そのために主は死にました。


しかしその死は私たちにいのちを与えるためでした。


【ヨハネの福音書6章53-54節】

イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。

わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。

【ヨハネの福音書11章25-26節】

イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。

また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」


主が墓の中に葬られた後に 主の復活を知らないマリアは、墓の中に主の遺体がないことを見て泣きました。


そこに二人の御使いがいて、彼らはマリアに言いました。

「女の方。なぜ泣いているのですか。」


後でイエス様も現れて同じことばを言いました。

「なぜ泣いているのですか。誰を捜しているのですか。」


死んだ人のためには人々は悲しくて泣きます。



しかし主は復活したので泣く必要がありませんでした。


生きておられる主を信じて、いつも主を見上げて生きている人には いのちがあるので、主に感謝しながら喜びながら生きることです。


【第1ヨハネ5章11-13節】

そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。

御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。

私が神の御子の名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。

アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚

2020.4.12
イースター礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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クリスチャンの特権

テーマは『 主に出会った時に与えられたもの 』です

【 ヨハネの福音書1章12節 】

私たちがクリスチャンになって神様から与えられたものを知らなければならないです。
それは全て霊的なものです。

聖書を読んでいると無知という言葉がたくさん出てきます。
神様を知らない人だけが無知なのではなく、神様に出会って自分がどういう存在に変わり、
神様から何が与えられたのかを知らないということも無知であります。

それらを知らないと、救われたにも関わらず(自分が)神様についているのかも分からず、
古い人のままなのか、新しい人になったのか 分からないので さまよいます。ですから簡単に妥協します。

クリスチャンになったからといって、急に顔や生活習慣、性格や行動が変わるわけでもないです。
しかし内側は全く違うものに変わっていることを気付かなければならないです。
気付かなければ、そのように生きることができないです。

今回は自分は何者なのかということを語りたいと思います。


【 ヨハネの福音書1章12節 】

神の子どもになった「特権」とありますが、これは身分であります。
神の子どもというのは、私たちが生まれながらに神様の子どもということではないです。

もともとは神様に造られた子どもですが、私たちが罪によって自分の魂をサタンに売り渡していました。
ですから以前は罪の奴隷でありましたが、イエス様の血によって代価を払い神様の子どもとされました。


【 ヨハネの福音書3章16節 】

「永遠の命」です。これは私たちが自ら棄てない限り、永遠に私たちのものであります。


【 ヨハネの福音書8章32節 】

「真理」です。真理はイエス様であります。そのイエス様を知るということは、イエス様に出会ったことであります。
“あなたがたを自由にします”という言葉は、罪の奴隷から自由になるということです。
誘惑は必ず来ます。
以前は罪の奴隷だったけど、今はキリストにあって私は自由になったと言葉で宣言をすることで
サタンは逃げていきます。


【 マタイの福音書11章28-29節 】

安らぎ=「平安」です。イエス様が来なさいとおっしゃられて、その言葉を聞き、来た人は安らぎを得ます。
安らぎを得た人の姿が書かれている箇所は【 マルコの福音書5章32-34節 】です。
長い間、長血でとても苦しんでいた彼女は全てがダメになるほど酷い目に遭いましたが、
自らイエス様の前に出て  イエス様の衣に触れました。そして彼女は心も体も癒されて平安な心で帰りました。
私たちもイエス様に色々なことを打ち明けて、重荷を降ろして帰るのが主が私たちに与えてくださった
祝福の約束であります。

ですから心に安らぎがない時に、主の前に来てください。そして重荷を降ろしてください。
重荷を降ろさないで、ただ愚痴だけをこぼして そのまま帰るのではないです。
「私に平安をください。私の重荷を全部イエス様に委ねます。」と任せて、安心して帰ったら良いと思います。


【 使徒の働き2章38-39節 】

「聖霊」が与えられています。私たちが罪を悔い改めてイエス様を信じた時に、賜物で与えてくださいました。
聖霊はお金を払って得られるものではないです。
信じたら誰にでも聖霊を受けることができます。


【 使徒の働き16章31節 】

「救い」が与えられます。救いを受けるためには他に道はないです。
信じたら救われます。魂の救いがないと天国に入ることができないです。


【 ローマ3章26節 】

「義」です。イエス様を信じるということは自然とイエス様が十字架に架けられた時に流した血が注がれています。
血を流すことによって罪が赦されます。罪が赦された状態が「義」(正しい者)であります。
自分で一生懸命 努力をして正しい事を行い、私を義と認めてくださいと言っても
神様は絶対にそれは認めないです。
それは神様の方法とは違うからです。イエス様の血を注いで初めてその者を義と認めてくださるので
私たちが信じたその時に、神様の目から見て義とされています。


【 ローマ8章30節 】

「栄光」です。(みことばは)過去形で書かれてあります。信じた者だけに神様が次々と与えてくださったものです。
人間の努力によって得られるものは1つもないです。すべてイエス様によって私たちが得るものなのです。


【 Ⅱコリント2章14節 】

「勝利」です。私たちは神様から勝利を得ている者であります。
以前はどんなに世の中で立派な地位を得ても、結局その道は滅びの道でありますので
全てが虚しいものになっていき、敗北者で終わります。
しかしイエス様を信じたその時から 私たちはイエス様の足跡についていくものになります。
主は勝利をしましたので、イエス様と共にいる者は、その行列に入れてもらえます。
キリストが私たちを勝利者にしてくださいました。


【 Ⅱコリント5章17節 】

「新しいもの」にしてくださいました。自分にその認識がないと新しい者としての生き方ができません。
この世に引っ張られ妥協をしながら古い人のまま生きているのは、
神様のみこころと自分が何者かを知らない者であります。
私は新しく造られた者なんだと宣言をしたら良いです。私は神様の子どもの特権があることを告白していきましょう。


【 Ⅰヨハネ1章7節 】

「罪の赦し」です。神様は私たちがこれからも罪を犯すことを知っておられます。
イエス様の血には私たちの過去、現在、未来の全ての罪までも聖める力があります。
私たちは罪から生まれた者であり、私たちの中にそのようなものが染みついています。
ですから罪を犯した時は、そういうことを告白するなら 神様は またイエス様の血をもって注ぎ、
私たちの罪を赦し、聖めてくださいます。
悔い改めないなら赦されませんが、悔い改めるなら神様によって聖められます。これは聖書の真理であります。


【 ヨハネの黙示録3章5節 】

信じる者は、いのちの書に名前が書かれます。「○月○日にわたし(神様)の子どもになった」と
これがないと神の御国に入ることができないです。

クリスチャンの中に疑問に思っている人たち、開き直っている人たちは
信じた時にいのちの書に名前が書かれてあるから、その後は神様から離れて罪を犯したとしても、
神様は名前を消すことがないから、私は必ず天国に入るんだ。という人たちがいます。

それは全て真理でしょうか――?
そうではないです。なぜかと言うと【 ヨハネの黙示録5章5節 】に書かれてあります。
もちろん神様は信じたその時に、いのちの書に名前を書いてくださいますが、
その者が神様に背を向け、裏切り、悔い改めることもせず、罪の中にどっぷり浸かって生活をするならば
もはや、その者は神の子ではないです。そして いのちの書から名前が消されます。
しかし勝利をする者は、神様の方から いのちの書の名前を消すことは決してないです。


勝利をするということは、特別なことをするのではく、神様の中にしっかりと留まることであります。
そして、いのちの道を最後まで歩く者が勝利者であります。

まとめると次のとおりです。

  • 神の子どもになりました。
  • 永遠の命を受けました。
  • 自由を受けました。
  • 安らぎを受けました。
  • 聖霊を受けました。
  • 救いを受けました。
  • 義と認められました。
  • 栄光を受けました。
  • 勝利を受けました。
  • 新しくなりました。
  • 罪の赦しを受けました。
  • いのちの書に自分の名前が書かれました。

これらは素晴らしいものであります。これを私たちが信じた時に、神によって全て受け取ってあります。
どれほどクリスチャンという身分は素晴らしい身分であり 特権があるのか、
素晴らしい祝福を私たちが既に受けています。

主に感謝をしながら、その者らしく私たちが生きるべきであります。 ( ´∀`)つ

2013.4.21
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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イエス・キリストが来られた目的

テーマは『 神様と人間の関係の為に来られたイエス様 』です。

【使徒の働き20章35節】

私たちは与えるより、受ける方が良いと思いますが、イエス様は逆のことを言われています。
そしてイエス様はそれを実行されました。

私たちは主に対して何かを与えましたか?
献金でしょうか? ――それは違います。

人間は生まれた時は裸であり、何も持っていません。
与えられないと生きていけないのが人間であります。
すべて神様から与えられたものですが、正しい人間に必要なものを与える為に、
イエス様は人の姿になって来られました。

目に見えるものは価値がなく、錆びて古くなっていきます。

イエス様のものは、努力して与えられるものではありません。
受けているのに「受けていません」というクリスチャンが多くいます。
なぜかというと、それらのものは全て「 目に見えるものを言っている 」からです。

すでに与えられている神様からの恵みに気付いて感謝をしましょう。

神様と人間の関係を良くする為に、イエス様が来られましたが、人間は心が頑なであり
神様に対しても頑なな心があります。神様から造られた人間が神様を必要ないと言います。

【エペソ2章14節】

仲介者(イエス様)が必要です。争いなさいとは一言も言っていません。
暗闇の中にいる人類のところへイエス様は来られましたが、
救われる前は、暗闇の心が私たちの中にありました。しかし救われてからは光の子となりました。

【エペソ5章8節】

人間として生きているのに何の為に生きているのかわからない。
どこが道なのかわからないので道を示してくださいました。

贖いの恵みはなぜ必要でしょうか?

【創世記3章16-19節】

人間には労苦・のろいがあります。人間以外に被造物にもあります。嘆く人生に人間はなりました。

【マルコ10章45節】(人の子=キリスト)

イエス様の命 → 人間の罪を贖いました。
イエス様を信じると、恵みによって罪が赦されます。永遠の命が与えられます。

【エペソ2章1節】、【ヨハネ6章51節】

本当のパンのことではないです。
霊的に開かれていないと、霊的なことばを聞いても肉的なもので解釈をしてしまいます。
信じること、受け入れること = パンを食べること

人は 「 ないです。」 と言いながら、亡くなる時にたくさんの物を蓄えていることがわかります。
残された人が大変な作業をします。
イエス様は何一つありませんでした。与えるためだけに来られました。
いつでも恵みを与えるイエス様です。(´∀`*)

2011.12.25
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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