からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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栄光

聖徒が取るべき神への礼儀

テーマは 『 聖徒が取るべき神への礼儀 』 です

【詩篇30編1-6節】

主よ。私はあなたをあがめます。あなたが私を引き上げ、私の敵を喜ばせることはされなかったからです。

私の神、主よ。私があなたに叫び求めると、あなたは私を、いやされました。

主よ。あなたは私のたましいをよみから引き上げ、私が穴に下って行かないように、私を生かしておかれました。

聖徒たちよ。主をほめ歌え。その聖なる御名に感謝せよ。

まことに、御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。

私が栄えたときに、私はこう言った。「私は決してゆるがされない。」

良い人間関係を作るためには、それにふさわしいことばや行動が必要です。


もし礼儀がない行動や悪いことばを使うならば、相手を傷つけるだけでなく、人間関係も壊れてしまいます。

そして自分の印象もとても悪くなります。


ですから人間関係で 皆がその部分では気をつけます。



クリスチャンには、人間関係よりも優先しなければならない関係があります。


それは自分を救い、恵みを与えておられる神との関係です。

神との関係を良くするためにも、神にふさわしい礼儀が必要です。


しかし神に無礼な態度をとる人も多いです。

そういう人は、もちろん神との関係が悪いですね。



皆さんは神との関係が良いですか、微妙ですか。それとも悪いですか?



恵みと祝福は、神との良い関係の中で生まれます。

悪い関係は壊れた関係なので、良いものを受けるためには修復が必要です。


クリスチャンとって、神は絶対的な存在でなければならないです。


人間関係よりも関係が薄いならば、それは深刻な問題です。

「本当にクリスチャンですか?」と言いたくなります。


そういう人は、神を自分の必要のために利用できる存在として考えている人にしか思えないです。

神は利用されるほど愚かな方ではないです。



神は偉大で全知全能なる方で、絶対的な存在なので、それにふさわしい態度や礼儀が必要です。


聖書から神への礼儀を調べます。




いつも主を崇めること




【詩篇30編1節】

私はあなたをあがめます。

あがめることは、心から神を褒め称えることです。


憧れの人に会った時の人々の反応は 感動、感激で言葉も出ず、涙を流したりもします。

そしてその人に対してはすべてを称えますね。

その人をあがめていることが その態度によって分かります。


神を崇める態度には、“神を褒め称えること、神を喜ぶこと、神に感謝すること” があります。


【詩篇7編17節】

その義にふさわしく、主を、私はほめたたえよう。いと高き方、主の御名をほめ歌おう。

【詩篇30編4節】

聖徒たちよ。主をほめ歌え。その聖なる御名に感謝せよ。

【詩篇89編16節】

彼らは、あなたの御名をいつも喜び、あなたの義によって、高く上げられます。



いつも主の御名を誇り、栄光を主に捧げること




主の御名を誇り、栄光を主にささげる理由があります。


主は全能者であり、宇宙と歴史を支配する絶対的な存在であるからです。


主にまさる者は存在しません。



【詩篇20編7節】

ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。

【詩篇29編1-2節】

力ある者の子らよ。主に帰せよ。栄光と力とを主に帰せよ。

御名の栄光を、主に帰せよ。聖なる飾り物を着けて主にひれ伏せ。



主を愛し、主に頼ること




神を愛し、神に頼ることは神中心に生きることです。


その人はすべてを神にかけて生きています。

神と共に歩みます。


【申命記7章9節】

あなたは知っているのだ。あなたの神、主だけが神であり、誠実な神である。主を愛し、主の命令を守る者には恵みの契約を千代までも守られるが、

【イザヤ書26章3-4節】

志の堅固な者を、あなたは全き平安のうちに守られます。その人があなたに信頼しているからです。

いつまでも主に信頼せよ。ヤハ、主は、とこしえの岩だから。



主の御名を語り告げること




すべての人々に神の偉大な御名を語り告げることは生涯すべきことです。


主の御名は隠すべき名ではありません。

すべての人が主を知るように、その前にひざまずくように語り告げることです。


【詩篇22章22-23節】

私は、御名を私の兄弟たちに語り告げ、会衆の中で、あなたを賛美しましょう。

主を恐れる人々よ。主を賛美せよ。ヤコブのすべてのすえよ。主をあがめよ。イスラエルのすべてのすえよ。主の前におののけ。

私たちが日々神様に対して、このような姿勢を見せるならば、神様が喜ばないはずがありません。

神との関係が悪くなるはずもありません。



いつまでも良い関係で、神の恵みと救いと助けと守りを受けます。


神がそうすると約束して下さったからです。


【詩篇37編3-6節】

主に信頼して善を行え。地に住み、誠実を養え。

主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。

あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。

主は、あなたの義を光のように、あなたのさばきを真昼のように輝かされる。

アーメン (*・ω・)ノ

2019.4.28
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イエス・キリストの十字架事件

テーマは 『 イエス・キリストの十字架事件 』 です

【ヘブル12章2節】

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

聖書の核心はイエス・キリストの十字架です。


旧約聖書はイエス・キリストの十字架を啓示し、新約聖書はイエス・キリストの十字架事件が実際に完成したことを見せてあります。


十字架事件は昔、エルサレムで起きた一つの事件で片づけるようなものではなく、神の人類を救う計画と教会、神の国の完成に関する偉大な計画でした。


イエス・キリストの十字架は世界歴史の中心です。

人間が歴史の中心ではありません。


十字架のない宗教はむなしいし、十字架のない宗教には救いといのちはありません。

十字架なしに栄光の冠もありません。



キリストの十字架を正しく悟るならば、十字架こそ人類に神が与えた最高の祝福であることがわかります。


そして信仰によって十字架の祝福を信じるならば、その祝福を受けることが出来ます。


キリストの十字架に関する聖書箇所を読むと、十字架の全貌が見えてきます。




十字架に関する聖書箇所




【マタイの福音書26章2節】

「あなたがたの知っているとおり、二日たつと過越の祭りになります。人の子は十字架につけられるために引き渡されます。」

【ルカの福音書23章26節】

彼らは、イエスを引いて行く途中、いなかから出て来たシモンというクレネ人をつかまえ、この人に十字架を負わせてイエスのうしろから運ばせた。

【ヨハネの福音書19章25節】

兵士たちはこのようなことをしたが、イエスの十字架のそばには、イエスの母と母の姉妹と、クロパの妻のマリヤとマグダラのマリヤが立っていた。

【マタイの福音書10章38節】

自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。

【マタイの福音書16章24節】

それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

【第1コリント1章18節】

十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。

【第1ペテロ2章24節】

そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

【エペソ2章16節】

また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。

【ガラテヤ5章24節】

キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。

【ガラテヤ6章14節】

しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。

【へブル6章6節】

しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。

アーメン ヽ(TдT)ノ

2019.4.14
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実を結ばない者にならないために

テーマは 『 実を結ばない者にならないために 』 です

【テトス3章14節】

私たち一同も、なくてならないもののために、正しい仕事に励むように教えられなければなりません。それは、実を結ばない者にならないためです。

神様が私たちの罪を赦して下さったのも たましいを救って下さったのも、私たちが良い実を結んで神に栄光をささげる者にするためです。


もちろん私たち自身も良い実を結ぶことで神にほめられ、神様から素晴らしい報いを受けます。


神様は私たちがどんなにきれいごとを言っても、へつらいのことばを使っても、それに惑わされる方ではなく、私たちが結んだ実を見て、私たちが何者なのかを評価します。


主から恵みを受けながらも、良い実を結んでいない人に対しては、厳しいさばきしかないので注意しなければなりません。


テトス3章では、実を結ばない者にならないためにはどうすべきかを教えています。




従順する者になる




救われていない時は 神が期待するような実はありませんでした。

その時の状態が悪かったからです。


【テトス3章3節】

私たちも以前は、愚かな者であり、不従順で、迷った者であり、いろいろな欲情と快楽の奴隷になり、悪意とねたみの中に生活し、憎まれ者であり、互いに憎しみ合う者でした。

良い実を結ぶことが到底出来ない状態でした。


ですから実を結ぶために、神のことばに従順する者になれば、自然と良い実、聖霊の実を結ぶことが出来ます。


以前の生き方を変えないならば、良い実を結ぶことは不可能です。




すべての良いわざを進んでする




良いわざに励むことを心がけるようにすることです。


【テトス3章1節】

あなたは彼らに注意を与えて、支配者たちと権威者たちに服従し、従順で、すべての良いわざを進んでする者とならせなさい。

【テトス3章8節】

これは信頼できることばですから、私は、あなたがこれらのことについて、確信をもって話すように願っています。それは、神を信じている人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。これらのことは良いことであって、人々に有益なことです。

【テトス2章7節】

また、すべての点で自分自身が良いわざの模範となり

主は信じる者たちに対して次のように語りました。


【マタイの福音書5章13節、14節】

地の塩です。世界の光です

と言われました。

また、このようにも語っています。


【マタイの福音書5章16節】

あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

良いわざに励んだ模範的な人がいました。

その人はコルネリオという百人隊長です。


【使徒の働き10章2節】

彼は敬虔な人で、全家族とともに神を恐れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神に祈りをしていたが、

【使徒の働き10章22節】 には “ユダヤ全国民に評判の良い人” と評価された人です。

神の目に留まった良いわざを行っていた人でした。


神はわざわざペテロを送って彼を祝福しました。

ユダヤ全国民に評判が良いとはすごいことです。




すべての人に優しい態度を示す者になる




【テトス3章2節】

また、だれをもそしらず、争わず、柔和で、すべての人に優しい態度を示す者とならせなさい。

残念ながら、私たちは まだまだこういう態度が足りないです。


古い人が出てくる時が多いし、優しく出来ない時も多いです。

ですから、努力して自分自身の態度を変えていかなければなりません。


心の中にある苦い根と雑草を取り除いて 心の畑を良い地にしない限り、良い実を結ぶことは出来ないと思います。




無益でむだなものを避けること




口数が多ければ多いほど、高慢であればあるほど、無益でむだなことに時間を使います。


聖書では無益な例をあげています。

『 愚かな議論、系図、口論、律法についての論争、空想話、悪口、噂話 』


これらのことを避けて、良いわざに励む時に 主が期待する実を結ぶことが出来ます。

アーメン v( ̄∇ ̄)v


2018.8.12
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善を行いなさい

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テーマは 『 善を行いなさい 』 です

【詩篇37編3節】

主に信頼して善を行え。地に住み、誠実を養え。

善と悪が混在している世界の中で生きていますが、今の時代は 善と悪の区別も曖昧になり、良い価値観が低下しているのを肌で感じています。

“善を悪” と言い、“悪を善” と言う時代になりました。


しかしクリスチャンは、永遠に変わらない神のことばの基準によって 生きる価値観をしっかり持たないといけないです。


悪を行う人の価値観は、呪われる “快楽” を “価値あるもの” と思います。

一時的で、不完全で、むなしいものを、最高の価値と思って追求します。


しかし善を行う人は、永遠の真理といのち、まことの天の喜びを最高の価値と思って追求します。


人は自分が蒔いたものをいつか必ず刈り取ります。

それは神が決めた法則ですから、神はみことばで注意を与えておられます。


今回は「善を行いなさい」と言われたことばを学び、恵みを受けたいと思います。




主に信頼して善を行いなさい




信仰ある人が 主に信頼することは、基本中の基本です。

信頼というのは、主にぶら下がっている状態です。


ですから主を敬い、主に信頼する中での善を行わなければならないです。

主から離れた善は、主の目には決して善にはなりません。


主から離れても良いことをする人はいます。

良いことではあっても、それを善とは言えません。


いつも主にあって善を行うようにすることです。


このことは主が喜ぶことなのかを考えるならば、答えが出てきます。




忍耐をもって善を行いなさい




【ローマ2章7節】

忍耐をもって善を行い、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、

イエス様は私たちに善を行った方でした。

どのような心で善を行ったでしょうか。


【イザヤ書42章3節】

彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともなく、まことをもって公義をもたらす。

このような あわれみ深い心で、人々に善を行いました。


形式的にする人は、忍耐しながら善を行うことが出来ません。


しかし憐れみと愛の心がある人だけが、忍耐しながら人々に善を行うことが出来ます。

善を行うことは、人が不足している杯を満たすようなものです。


ダビデは主からの恵みをこのように表現しました。


【詩篇23編5節】

私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。

主が私たちの杯を恵みで満たして下さるので、私たちも持っているもので 人の杯を満たしていくのが善です。


そして、いつも善を行うことが出来るように、「主よ。今日も私の杯を満たして下さい。」と祈ることも良いと思います。




善は主に喜ばれることであり、
勝利の道であり、報いもすばらしい




【第1ペテロ2章20節】

罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。

何をしたら主に喜ばれるのかと考えている人がいるならば、善を行うことが主に喜ばれることです。


【ローマ12章21節】

悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。

善を行う者と悪を行う者への報いが どれほど違うか が書かれています。


【ローマ2章9-10節】

患難と苦悩とは、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、悪を行うすべての者の上に下り、

栄光と誉れと平和は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、善を行うすべての者の上にあります。



主からの勧めのことば




【ガラテヤ6章9-10節】

善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。

ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行いましょう。

人に対して関心をもって善を行いましょう。
アーメン (*´ -`)(´- `*)


2018.7.15
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神の栄光を横取りしてはならない

テーマは 『 神の栄光を横取りしてはならない 』 です

【使徒の働き14章11-18節】

パウロのしたことを見た群衆は、声を張り上げ、ルカオニヤ語で、「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになったのだ」と言った。

そして、バルナバをゼウスと呼び、パウロがおもに話す人であったので、パウロをヘルメスと呼んだ。

すると、町の門の前にあるゼウス神殿の祭司は、雄牛数頭と花飾りを門の前に携えて来て、群衆といっしょに、いけにえをささげようとした。

これを聞いた使徒たち。バルナバとパウロは、衣を裂いて、群衆の中に駆け込み、叫びながら

言った。「皆さん。どうしてこんなことをするのですか。私たちも皆さんと同じ人間です。そして、あなたがたがこのようなむなしいことを捨てて、天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神に立ち返るように、福音を宣べ伝えている者たちです。

過ぎ去った時代には、神はあらゆる国の人々がそれぞれ自分の道を歩むことを許しておられました。

とはいえ、ご自身のことをあかししないでおられたのではありません。すなわち、恵みをもって、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たしてくださったのです。」

こう言って、ようやくのことで、群衆が彼らにいけにえをささげるのをやめさせた。

神が人間を造った一番の目的は“神の栄光のため” でした。


【イザヤ書43章7節】

わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。

ですから、もし人間がその目的通りに生きていないならば、その人は神に逆らう人生を生きています。

造られた目的を知らないと、神のみこころに従って歩むことは不可能です。


人間を造った神は 聖書を通して、その目的を私たちに教えて下さいました。


しかしその目的を知ったとしても神の栄光を横取りするならば、それは神を冒涜することになります。




神に栄光をささげる姿




パウロとバルナバは 神に選ばれ、宣教師としての働きをしていました。


神は、パウロに奇跡や癒しを行う力を注いで下さいました。

パウロはイエス様に出会うまでは病人を癒したことも、奇跡を起こしたこともありませんでした。


しかしイエス様に出会ってから、多くの癒しや奇跡を行い、人々に知られるようになりました。


ある時、パウロは生まれつき足のなえた人を癒しました。

すると群衆は、彼らが人間ではない神であると声を張り上げました。


そして二人は突然、ギリシャ神話に出て来る神になってしまいました。

パウロがヘルメス、バルナバがゼウスになりました。


そしてゼウス神殿の祭司や群衆も、二人にいけにえをささげようとしました。


もし二人がそれを受け入れたならば、彼らは 人々の上に神として君臨することも可能でした。


しかし、このことで一番危機感を感じたのは二人でした。

どれほど二人がびっくりしかと言えば、衣を裂いて叫びながら人間宣言しました。


自分たちは神ではなく、神のしもべであることを伝えました。

二人はとんでもない騒ぎが起こったことでびっくりしたと思います。


これらのことは、サタンの策略だったと思います。


サタンは、自分が神になりたくて堕落した存在です。

アダムとエバは、このサタンの策略に負けたので堕落しました。


神の栄光を横取りしようとしたことで、彼らは神から刑罰を受けました。


神が受けるべき栄光を 自分が受けることは、神のものを盗むことです。


主の弟子ペテロにも似たような経験がありました。


主の導きで、百人隊長コルネリオに会いに行きました。

当時の力関係で言うならば、ペテロがコルネリオよりも下です。


しかし同じく神からの導きを受けたコルネリオは、ペテロが自分の家を訪ねた時に、すぐさま出向いて、ペテロの足元にひれ伏して拝みました。

プライドの高い人ならば 天狗になる瞬間です。


しかしペテロは驚いて彼を起こして「お立ちなさい。私も一人の人間です」と 神の栄光を盗みませんでした。


主の働きの中でも、このような誘惑が多いです。

自分を高く評価する瞬間、サタンはその思いにつけ込みます。


ある牧師が天国へ行った時に、すでに召された有名な牧師に会ってみたいとイエス様にお願いをしました。

すると主の表情が雲ってきて、しばらく沈黙が流れました。


その後、静かに「彼は ここにはいない」と言われました。

一瞬、意味が分からなかったそうです。


召された牧師は有名な方で、とても素晴らしい働きをしたからです。


その後、地獄の牢獄の中に閉じ込められた その牧師を、主が見せて下さいました。


「なぜ あの牧師はあそこにいますか?」
あり得ない状況に戸惑いながら主に聞くと、


主からの答えは「彼は私の栄光を横取りしたからだよ。」

牢獄にいる牧師が叫びました。


「主の栄光を横取りしてはならない!」




主の栄光を横取りした聖書の人物は




【使徒の働き12章21-23節】

定められた日に、ヘロデ王は王服を着けて、王座に着き、彼らに向かって演説を始めた。

そこで民衆は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた。

するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えた。

虫にかまれたことが直接的な死因ですが、それより先にあった出来事が死因に結び付き、神の栄光を横取りしたことでした。


神が死因を教えて下さらなかったならば、死因は虫にかまれて死んだかわいそうな人として記録されたと思います。

この罪は誰でも犯しやすい罪です。


私たちの自我の中には、アダムの罪の性質があります。


神になりたい欲望があります。


ですから、主の働きをする人でも 自我を捨てないと、いつでも 口では “神に栄光” と言いながら、自分が栄光を受けることを喜びます。


素晴らしい業績を残し、人々に尊敬されている主のしもべたちは、常にこの誘惑にさらされています。

高慢になると主の栄光を自分のものにします。


謙遜になることが必要ですが、自分を砕かないと謙遜にならないので、偉くなるにつれて誘惑に負けていく人が多いです。


【マタイの福音書7章22-23節】

その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。』

しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。



神が偶像崇拝を忌み嫌う理由




偶像は人間の手の作品であり、人間が造った神です。


まことの神にこそ栄光をささげなければならない人間が、自分たちで造った(偶像の)神を神として拝みながら、それに栄光をささげる姿に、(まことの)神は我慢が出来ないです。


生きた人間や死んだ先祖たちを拝む行為も、神の栄光をむなしいものにささげる行為であるので、神はそれに対して必ず刑罰を与えると警告してあります。


【出エジプト記20章4節】

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。

偶像崇拝は 神の栄光を台無しにする姿であります。


【ローマ1章23節】

不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。

偶像崇拝によって栄光を受け 喜ぶのは、神になりたくて神に逆らった“サタン” です。


サタンは神の栄光を横取りするために人々を惑わし、次々と偶像の神を造らせ、サタンが栄光を受けています。


栄光を受けるべき方は、主お一人です。


【詩篇24編8節】

栄光の王とは、だれか。強く、力ある主。戦いに力ある主。

【詩篇24編10節】

その栄光の王とはだれか。万軍の主。これぞ、栄光の王。

私たちは自分は取るに足りない者であることを自覚し、すべての栄光を主にささげましょう。


アーメン (・∀・)


2018.4.15
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救われた人の生き方と神の要求

テーマは 『 救われた人の生き方と神の要求 』 です

【第1ペテロ1章13-17節】

ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現れのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。

従順な子どもとなり、以前あなたがたが無知であったときのさまざまな欲望に従わず、

あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なるものとされなさい。

それは、「わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない」と書いてあるからです。

また、人をそれぞれのわざに従って公平にさばかれる方を父と呼んでいるのなら、あなたがたが地上にしばらくとどまっている間の時を、恐れかしこんで過ごしなさい。

信じる人も信じない人も、あらゆる目的で聖書を読んでいます。


聖書は 正しく言うならば、信じる人のために神が与えてくださった神のことばです。


【第2テモテ3章16-17節】

聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。

それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。

聖書には 信じる者への教えと戒め、命令などがたくさんあります。

今日の本文からも それらのものを受け取ることが出来ます。


救われた者がどのように生きるべきか と、神の要求を知ることが出来ます。


人間にとって一番大切で、重要で、必要なものは何か知っていますか?


それはイエス・キリストに出会う事、キリストに会ってたましいが救われること、そして日々 神を知ることです。


これ以上に価値あるものはありません。


もちろん神に対して、救いに対して 無知であった時は、そうは思いませんでした。

神を知り、救われた後に初めてその重要性、価値を知りました。


人を罪や無知、滅びから救い出した神は、その人がどのように生きるべきか、神が求めるものは何かを教えて下さいました。






神が人々を救った後に、その人に要求する最も大切なものが二つあります。


1つは、“私たちが聖なる者になること”、そしてもう1つは、“神に栄光をささげること” です。


救われる前の人間の姿は、神に対しては無知、不従順、不信仰、そして様々な欲望に従って歩んでいました。

それはむなしい生き方でした。


なぜなら神の裁きの日には、その生き方によって裁かれ、永遠の滅びと永遠の死を迎えるからです。


神は、すべての人間が そのような生き方をして滅びていくので、あわれみ深い神はイエス・キリストによる救いの道を用意して下さいました。


“救い” は全世界の人々に差別なく開かれてあります。


【ローマ10章13節】

「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。

しかし、救われた後は “新しい生き方をしなければならない” と明確に教えています。

救われたことは、神の子どもになったことを意味します。


神の子どもは神に似る者にならなければならないです。


すなわち聖なる者になることです。


これを知らない人が多いです。

神は選民にしたイスラエルの民に、それを繰り返して要求していました。


【レビ記11章44-45節】

わたしはあなたがたの神、主であるからだ。あなたがたは自分の身を聖別し、聖なる者となりなさい。わたしが聖であるから。地をはういかなる群生するものによっても、自分自身を汚してはならない。

わたしは、あなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から導き出した主であるから。あなたがたは聖なる者となりなさい。わたしが聖であるから。」

【レビ記19章2節】

「イスラエル人の全会衆に告げて言え。あなたがたの神、主であるわたしが聖であるから、あなたがたも聖なる者とならなければならない。

【レビ記20章7-8節】

あなたがたが自分の身を聖別するなら、あなたがたは聖なる者となる。わたしがあなたがたの神、主であるからだ。

あなたがたは、わたしのおきてを守るなら、それを行うであろう。わたしはあなたがたを聖なる者とする主である。



聖なる者になるためには、私たちの内側を変えなければなりません。


イエス様は 厳格に宗教儀式を守りながら、自分を敬虔な者と思っていたパリサイ人、律法学者、祭司たちに対して「偽善者、まむしのすえども、蛇ども」と呼びました。

さらに、白く塗った墓、外側は人に正しく見えても、内側は偽善と不法でいっぱいであると叱りました。


彼らには地獄に行くとも言いました。

それは彼らが、主が期待する聖なる者でなかったからです。


彼らは内側をきよめることには関心が無く、人によく見せたい思いだけで 偽善の仮面をかぶった生き方をしていました。


彼らは 心と行いを見て、公正に裁く神の存在を無視していました。

神は人が無視したから無視される方ではなく、厳しくその行いに対して裁きます。



信じる者は、以前と変わらない生き方をするのではなく、聖なる者になるための努力を日々しなければなりません。


再臨するキリストを迎えたいならば なおさらです。

自分の人格を変えることから始めないといけないです。


霊肉ともに汚れないように、シミがつかないように、偽善にならないように、神の前に恥かしくないように正しく、真実に、従順に生きることです。


自我を捨て、悪い習慣を捨て、悔いた心を主の十字架の祭壇にささげ、祈りで自分を整え、みことばの黙想によって自分自身を訓練していく時に、内側はますます聖なるものに変わっていきます。


また次の箇所にもあります。


【詩篇1編1節】

悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。

生き方によって罪から離れることです。


そうしていくならば、だんだん内側が変わり、それによって人格が変わっていきます。






神に栄光をささげる生活を神は要求します。


【第1コリント10章31節】

こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。

このように言われました。


私たちがキリストにあって信仰をもって歩み、愛をもって行い、希望をもって 主と共に歩みながら主の喜ぶことをするならば、それによって主に栄光をささげることができます。


難しく考えないで主が喜ぶことをするならば、主もそれを喜びます。

主が喜ぶことが、主に栄光をささげたことになります。


神に栄光をささげる生活をしていますか?

正しいこと、神が喜ぶ生活をしていますか?

そのことを気にしながら生きていますか?


主は恵み豊かな方ですが、今度は裁き主として再臨なさいます。


自分を聖別しながら、神の栄光のために生きるならば、主がいつ来られても問題はありませんが、何もしてないならば、わざわいになります。
アーメン (*゚∀゚)っ


2018.2.11
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主の名によってすべてをなす

テーマは 『 主の名によってすべてをなす 』 です

【コロサイ3章17節】

あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。

クリスチャンとして生きるために一番重要な教えが 本文のことばです。

自分をクリスチャンだと思うならば、自分とキリストを引き離すことは出来ないです。


使徒パウロは、強いことばで 自分とキリストの関係を語りました。


【ガラテヤ2章20節】

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

自分の存在はなく、いつもキリストの存在を現していました。

キリストのために生きた人生で、それによって誰よりもキリストに栄光をささげ、人々を主に導きました。


キリストもパウロを愛し、大いに用いて下さいました。


そのように私たちも キリストを現す生活をいつも心掛けながら生きているでしょうか?


「彼(パウロ)は別格だ」 と思ってはいけないです。

彼も私たちと同じ人間です。


キリストに対する思いが私たちとは違っていました。


自我を殺し、キリストに見習う生活を常にしました。



キリストは、すべての信じる者に(パウロと)同じことを期待しています。

キリストにふさわしく生きることを願っています。


ですから、“主の名によってすべてをなすこと。” は、キリストが私たちに望む生き方です。



“主の名によってすべてをなす” ことは、主の尊い名が汚されることなく、その名が みなからあがめれるようにすることです。


主に迷惑をかけることではなく、栄光をささげることです。


最近も、有名人の息子が覚せい剤使用で逮捕され、父親が涙を流しながら謝罪する場面を テレビで観て、心が痛みました。

息子は子どもでもなく、すでに大人であるのに、そして親は悪いこともしていないのに、人の前で泣きながら頭を下げて謝る姿は 本当に悲しくなります。


その姿を息子に見せて、深く反省してもらいたい気持ちになりました。

「お前のせいで、親がこんなに辛い思いをしているんだよ」と。


子どもは、自分のせいで 親が辛い思いをしていることに対して 責任を感じなければならないです。

そして、これは クリスチャンにも当てはまります。



クリスチャンが もし悪いことをするなら、一番の被害者は “イエス様” です。


イエス様の名が地に落ち、イエス様や教会に迷惑をかけることになります。


ですから、“主の名によってしなさい” と言われることは、常に主の名誉と栄光のことを まず考えなさい ということです。


私たちが すべてにおいて主の名を使うことは、“徹底的に主に頼って生きること” を意味します。

頼らないと、信じる者にふさわしい行動が出来ないからです。


そもそも "クリスチャン” とは、自分に頼ることをやめて、キリストに頼ることを選んだ人です。


主に頼らないと、キリストから言われたことは何一つ出来ないです。


赦すことも、愛することも、仕えることも、犠牲を払うことも出来ないです。

自分の思いで、自分の力で、憎い人を愛せますか?
罪を犯した者を赦せますか?


しかし、取るに足りない自分を受け入れたイエス様のことを考えると、罪深い自分を赦して下さった主の赦しに感謝の思いが出てきて、愛される価値のない自分を愛して下さったイエス様の事を思いながら主に頼ると それが出来るようになります。


主が私のような者を これほどまでに愛して下さったのに、「あの人を赦すことは出来ません」とは言えない思いになります。


「感謝もなく、ありがたさも分からないような人間に なぜ私が仕えなければならないのか」 と思われますが、主の名を使うと 主がまず私に仕えて下さったのに、私が何者で、出来ないと拒否できるのか という思いになります。


父なる神が、キリストを通して 自分にして下さったことをいつも思いながら、主イエスの名で主と同じことをしていく時に、それによって父なる神に感謝をささげることが出来ますし、栄光をささげることが出来ます。


主イエスの名によって ことばや行動をするならば、それでクリスチャンにふさわしい姿になります。


主の名を使って悪いことは出来ないはずです。

本物ではない偽善者は主の名を使って 多くの者を惑わしたりします、その人たちが後に受ける裁きは厳しいものになります。


クリスチャンは何をするにも、それが神の御心に適うことなのかを考えることです。


しかし、どんなに良いことに思われても、神の御心と反してあるならば、神の栄光にはならないです。


それは良い結果が期待できないです。



人前では、自分はキリストの大使である自覚が必要です。

大使はその国を代表する者です。


ですから発言にもすごく気を遣いますし、行動も国に迷惑が掛からないように慎重です。


クリスチャンも、神の国の大使として “主に遣わされた者” です。


神の国がいかに素晴らしい国であるかを人々に伝え、神からのメッセージを人々に伝える任務を任された人たちです。


ですから、神にも 神の国にも迷惑が掛からないようにしないといけないです。

自分のせいで誰かがつまずいたら それはいけないからです。


【第1コリント10章31節】

こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。

【エペソ5章20節】

いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。

アーメン (・∀・)つ


2017.10.15
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神への義務

テーマは 『 神への義務 』 です

【箴言1章7節】

主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。

創造主である神は すべてのものを、目的をもって創造しました。


例えば 太陽と月を創造した目的は、創世記1章14-18節にあります。


【創世記1章14-18節】

神は仰せられた。「光る物が天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。しるしのため、季節のため、日のため、年のためにあれ。

また天の大空で光る物となり、地上を照らせ。」そのようになった。

神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼をつかさどらせ、小さいほうの光る物には夜をつかさどらせた。また星を造られた。

神はそれらを天の大空に置き、地上を照らさせ、

また昼と夜とをつかさどり、光とやみとを区別するようにされた。神はそれを見て良しとされた。

太陽も月も 創造の時から今まで、神の目的通りに動いて 神への義務をしっかり果たしています。

1分でも勝手に動いたことがありません。


人間も、神が特別な思いと目的があり造りました。

人間を造る時の神の思いと目的が書いてあるのが創世記1章26-28節です。


【創世記1章26-28節】

神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」

神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。

神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」

そして、別の目的もありました。


【イザヤ書43章7節】

わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。

人間のために人間が造られたのではなく、神ご自身のために造られたのが、“人間” でした。


ですから人間には、神が決めた “神への義務” があります。

他のすべての被造物は、何の問題もなく神への義務を果たしているのに、人間だけが義務を果たさず、逆らって生きるので、他の被造物までも苦しんでいます。


神の存在、自分の存在意味も知らないで生まれて死ぬ人がたくさんいます。


そうならないために、今回は “人間が果たすべき神への義務が何か” を話したいと思います。




神を恐れること




今日の本文である “主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。”


神を恐れることは、奴隷が主人を恐れる時の恐れではなく、神を自分の創造主として認め、その方だけに絶対的に仕える姿勢です。
また神の意志に服従することです。


【ヨブ記28章28節】

こうして、神は人に仰せられた。「見よ。主を恐れること、これが知恵である。悪から離れることは悟りである。」

【詩篇111編10節】

主を恐れることは、知恵の初め。これを行う人はみな、良い明察を得る。主の誉れは永遠に堅く立つ。

頭がよく、何でも知っている人が知恵ある人ではないです。

自分が何のために造られたのかを知らない人は “愚か者” です。


聖書はそれを知らない人は、悟りを得ていない人と言います。


【詩篇49編20節】

人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅びうせる獣に等しい。

この人たちは神の存在も知らないですし、神への恐れもなく、神への義務も知りません。

しかし悟りがあって、神への義務も知っている人は、神への恐れがあります。


ダビデは、自分のことも神の存在も知りました。

ですから告白が違います。


【詩篇57編11節】

神よ。あなたが、天であがめられ、あなたの栄光が、全世界であがめられますように。

神への義務も果たし、神に栄光もささげました。

神は彼を主の心にかなう者だと言われました。




心を尽くして主に拠り頼むこと




【箴言3章5節】

心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。

神は、人間には自由意思を与えましたが、それは何でもして良いという自由ではありません。


最初の人間であったアダムに、そのことを知らせました。

創世記3章15-17節で、アダムにして良いことと、してはならないことを命令しました。


【創世記2章15-17節】

神である主は人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。

神である主は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。

しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」

しかしアダムは サタンの誘惑のことばに惑わされて、神を信頼せず、すべてを任せることもせず、自分の悟りに頼りました。

そして神のようになろうとして、神への義務を捨て、神に逆らいました。


その結果、世界に罪と死が入り、神との関係が壊れ、土地が呪われ、エデンの園からも追い出されました。


他の被造物は神へ義務を果たしているのに、人間だけが義務を果たさず違反行為をして堕落してしまいました。

今も 自分の悟り、力、お金、権力、人、偽りの神に頼って生きている人が多いです。


しかし、人間は 心を尽くして主に拠り頼みながら生きていかなければなりません。


それが人間に与えられた神への義務だからです。


神を無視し、他の者に頼って生きることは、神から見た時に 神への侮辱であり、神を軽んじる行為になります。




どこにおいても主を認めること




【箴言3章6節】

あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

このことばは、私たち人生のあらゆる部分において神を認め、神を敬うことを意味します。


神を認めることは 知識として認める意味よりは、主との深い交わりを通して 人格的に主を知ることです。


礼拝の時、危険な時、困った時だけ神を認めるのではなく、いつも神が主権者であることを認めることです。


そうするならば神は私たちを導いて下さいます。

自分の生活すべてにおいて 主を認めることは、“神への義務” です。




財産と収穫の初物で主をあがめること




【箴言3章9節】

あなたの財産とすべての収穫の初物で、主をあがめよ。

神を恐れる、認めることを、口先だけでするのではなく、どのように実践するかを具体的に教えた箇所です。


神は自分の倉を満たす前に、まず神の倉を満たすように語りました。

なぜでしょうか?


それは、すべてのものは主が与えた恵みであることを認め、感謝する意味もあります。


アベルのささげものと カインのささげものを神が区別して、アベルのささげ物は受け入れ、カインのものは受け取らなかった理由が、創世記4章3-4節にあります。


【創世記4章3-4節】
ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来たが、

アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最良のものを持って来た。主はアベルとそのささげ物とに目を留められた。

アベルにあって カインには なかったものがありました。


初子、最良のもの、自分自身がカインにはありませんでした。

カインが持って来た作物が何かは分かりませんが、“何本かの人参” だったかも知れません。


あらゆる作物から最高に良いものを選んで持って来たならば、神は受け入れたと思います。

神へのささげものに、真心も恐れもないことが分かります。


日本でも皇室に入るものは、スーパーで安売りするものでしょうか?

それはあり得ないことだと思います。

きっと最高に良いものを入れると思います。


すべてのものを作ったのは 主ですから、所有者も 主に間違いありません。


主のものを主の倉に先に入れず、全部自分のものにしたり、残りのものをささげることは主にふさわしいことでしょうか?


それを簡単にやってしまうのが、人間です。

「神様は、私の困った事情を知っているでしょう」と言いながら、神にはささげず、自分を優先にします。


財産と収穫の初物を神にささげるのは “神への義務”です。


神はその義務を果たす人に、このような祝福を与えると約束しました。


【箴言3章10節】

そうすれば、あなたの倉は豊かに満たされ、あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれる。

神の倉を先に満たす人に 神が約束した祝福です。

ささげないと その祝福を受けることが出来ないです。




主の懲らしめをないがしろにしてはならない




【箴言3章11-12節】

わが子よ。主の懲らしめをないがしろにするな。その叱責をいとうな。

父がかわいがる子をしかるように、主は愛する者をしかる。

主の懲らしめは、主の怒りの現れではなく、“神の愛の現れ” です。


愛する者から汚れや堕落を防ぐため、間違った行動を矯正するために 懲らしめを与える時があります。

その時、神に反抗したり、不従順したりするのではなく、反対にへりくだって 神のことばを聞くのが 神への義務です。


子どもが悪いことをしても 親が何も言わないなら、親の義務をないがしろにしたことになります。

親が子どものために叱るのに、子どもが言うことを聞かない場合は、子どもが親に従う義務を果たしていないです。


私たちは 神が私たちを懲らしめる時、それが神の愛の表現であり、神の恵みの手であることを知って 神に聞き従うことです。


もし ないがしろにするならば、神の愛は 怒りに変わります。

その時は厳しい目に会いますので、気をつけないといけないです。


このように人間は 誰であれ、神に対して行うべき義務があります。


それを行っている人と、行っていない人に対する 神の扱い方は全然違います。


箴言を書いたソロモンは、神への義務を熱心に果たした時もありましたし、堕落した時もありました。

両方を経験したソロモンが、結論として語ったことばがあります。


【伝道者の書12章13-14節】

結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。

神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。

主の再臨を準備する人は、主への義務を 日々果たしていなければなりません。

もう一度点検してみて下さい。
(☆゚∀゚)


2017.8.20
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神様を尊ぶならば、神様も私を尊ぶ

テーマは 『 神様を尊ぶならば、神様も私を尊ぶ 』 です

【Ⅰサムエル記2章30節】

それゆえ、―イスラエルの神、主の御告げだ―あなたの家と、あなたの父の家とは、永遠にわたしの前を歩む、と確かに言ったが、 今や、―主の御告げだ―絶対にそんなことはない。わたしは、わたしを尊ぶ者を尊ぶ。わたしをさげすむ者は軽んじられる。

皆さんはこのことばに同意しますか?それとも同意しませんか?

同意するならば、その人は神様のことをよく知っていますし、自分が何者なのか自己認識も出来ている人でしょう。


神様とはどのようなお方でしょうか?

一言で説明出来るような神様ではありませんが、
「主は天と地と海とその中のいっさいを造った方」、「われらの主は偉大であり、力に富み、その英知は測りがたい」、「主はあわれみ深く、情け深い神。怒るのにおそく、 恵みとまことに富んでおられる方」


この偉大な神様が造ったのが人間です。人間が造られた目的は次の箇所です。


【イザヤ書43章7節】

わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。

私たちがこれらのことを明確に認識し、そのとおりの関係の中で正しく生きるならば問題ないと思います。

その人はどのような状況の中でも神をほめたたえ、神を尊び、喜んで神に仕えながら神に栄光を捧げるでしょう。
ある意味、それが自分の使命だと思うでしょう。“それが人間として生まれた目的だ ”と。


皆さんはどのように思っていますか?

ある人は「私は一度きりの人生を神のために生きることは嫌だ。」
また ある人は「別に造ってと頼んだ覚えがないし。勝手なことを言わないで。」と、皆さんはどうですか?

(従って生きるか生きないかは別にして)神を知り、人間の存在の意味が分かっているので、このようなことばは口にしないと思います。


神様は誰に今回のテーマ箇所のことばを語ったのでしょうか?

エリ祭司でした。エリはアロンの子孫として生まれました。
アロンは神によって大祭司と任命され、そして大祭司になるのはアロンの子孫だけだと神様が決めていました。

大祭司は民の中でも一番神に近づき、一番神に仕え、神に栄光をささげる務めを任された人です。

素晴らしい特権であります。そして誰よりも重い責任も与えられていました。
その家系で生まれることは、また素晴らしいことです。


そのエリはきちんと務めを果たしてきたでしょうか?
2人の息子も一緒に祭司として働きをしていましたが、神のみこころにふさわしい働きをせず、

残念ながらこの人たちは自分たちの立場を悪用し、醜い罪や到底 赦されない罪を平気に神の前で行いました。

主を侮り、全く恐れる心も尊ぶ姿もありませんでした。
神様は彼らを赦すことも受け入れることも出来ませんでしたので、彼らに与えられていた約束も祝福もすべて取り消し、彼らに死を宣告しました。

皆さんはこのことを不当だと思いますか?それとも神のなさったことに同意しますか?


人間としての使命や働き人としての責任を果たさないならば、何事もなかったかのように終わることはなく、責任を取らなければなりません。






2001.9.11のアメリカ同時多発テロ事件は未だに はっきりと覚えています。
テロによって3,025名が死亡、6,291名の負傷者が出ました。

ワールドトレードセンターの2つのビルが爆破され、火災も発生し炎上する中、救助に向かった消防士や警察官たちは建物が崩れ落ちる中、人々を避難させながら、自分たちは建物の中に 入って行きました。「早く逃げなさい!」と人々に言いながら、自分たちは火が燃える中に入って行きました。


彼らがなぜ自分たちの命を顧みずそのような行動を取ったのでしょうか?
それは彼らの使命であるからです。

彼らが消防士や警察官になった時には、危険があっても飛び込んで人を助けると心に決めているからです。

そして彼らはどのようになったでしょうか?343名の消防士、23名の警察官が亡くなりました。

さらに、その時は生きていましたが、建物が崩れる時に降ってきたコンクリートパウダーから出た有害物質によって多くの消防士や警察官が癌になり亡くなっている報告があります。

彼らが使命に生きている姿がここにあります。


私たちは神からの使命に対してどのように生きているでしょうか?

彼らのように使命に燃えていた若者たちの姿がダニエル書に出てきます。


ダニエルの3人の友人は神を尊び、神に従って歩むことを自分たちの生きる目的・使命と考えて生きていました。

彼らに大変な試練が来て、彼らは捕虜の身でした。
ネブカデネザル王は金の像を造って、それを拝まない者は火の燃える炉の中に投げ込むように法令を作りました。


しかし、3人は命を捨てなければならない時でも最後まで神を尊び、王の法令も大切ですが、その法令よりもさらに尊い神の命令をもっと尊重しました。


十戒の第2の戒めである「偶像を拝んではならない」という命令を守るために、彼らは次のような名言を残しました。


【ダニエル書3章16-18節】

シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴはネブカデネザル王に言った。「私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません。

もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。

しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」

王はこのことばに怒りが収まらず、炉を普通より七倍熱くせよと命じました。
そして3人はその火の中に投げ込まれました。彼らはその後、どのようになったでしょうか?

神様が彼らを助けてくださいました。これはまさに奇跡でした。


【ダニエル書3章27節】

火は彼らのからだにはききめがなく、その頭の毛も焦げず、上着も以前と変わらず、火のにおいもしなかった。

このように彼らの様子が書かれています。


金の像を造った王もビックリして神をほめたたえました。


【ダニエル書3章28節】

「ほむべきかな。シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの神。神は御使いを送って、王の命令にそむき、自分たちのからだを差し出しても、 神に信頼し、自分たちの神のほかはどんな神にも仕えず、また拝まないこのしもべたちを救われた。

これがまさに「わたしは、わたしを尊ぶ者を尊ぶ」と語った主のことばが実現されたことです。

私たちは神様が自分に対しての扱いが不当のように思われて、神に文句を言ったり、呟いたりしますが、その前に自分が今まで神様に対してどうだったのかを考えましょう。


「たくさん祈ったのに…」が良い報いを受ける条件ではありません。
神ご自身に対してどうだったのか?これが最も大切です。


【申命記8章6節】

あなたの神、主の命令を守って、その道に歩み、主を恐れなさい。

【詩篇91編14節】

彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。

【詩篇145編18-20節】

主を呼び求める者すべて、まことをもって主を呼び求める者すべてに主は近くあられる。

また主を恐れる者の願いをかなえ、 彼らの叫びを聞いて、救われる。

すべて主を愛する者は主が守られる。しかし、悪者はすべて滅ぼされる。

【詩篇147編11節】

主を恐れる者と御恵みを待ち望む者とを主は好まれる。


私たちが主を愛し、主を恐れ、主を尊び、主の命令を守って 主を呼び求めるならば、主は約束のことば通りにしてくださいます。

しかし、その反対のことをするならば、エリに与えたように みことばに書いている約束も、個人的に語ったことばも神様は取り消します。

その点を注意しなければなりません。


自分自身の様神への態度が、そのまま自分自身に返ってきます。
(゚∇゚ ;)エッ!?

2014.8.31
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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効果的な祈りの模範

テーマは 『 効果的な祈りの模範 』 です

【イザヤ書37章1-7節】

ヒゼキヤ王は、これを聞いて、自分の衣を裂き、荒布を身にまとって、主の宮に入った。

彼は、宮内長官エルヤキム、書記シェブナ、年長の祭司たちは荒布をまとわせて、アモツの子、預言者イザヤのところに遣わした。

彼らはイザヤに言った。「ヒゼキヤはこう言っておられます。『きょうは、苦難と、懲らしめと、侮辱の日です。子どもが生まれようとするのに、それを産み出す力がないのです。

おそらく、あなたの神、主は、ラブ・シャケのことばを聞かれたことでしょう。彼の主君、アッシリヤの王が、生ける神をそしるために彼を遣わしたのです。あなたの神、主は、その聞かれたことばを責められますが、あなたはまだいる残りの者のため、祈りをささげてください。』」

ヒゼキヤ王の家来たちがイザヤのもとに来たとき、

イザヤは彼らに言った。「あなたがたの主君にこう言いなさい。主はこう仰せられる。『あなたが聞いたあのことば、アッシリヤの王の若い者たちがわたしたちを冒瀆したあのことばを恐れるな。

今、わたしは彼のうちに一つの霊を入れる。彼は、あるうわさを聞いて、自分の国に引き揚げる。 わたしは、その国で彼を剣で倒す。』」

クリスチャンは危機の瞬間にどこへ行きますか?家族の元に行きますか?友人の元ですか?
そして危険な環境の中でどのように対応をするでしょうか?これはすごく大切なことです。


今、イラクでは誰が迫害されているでしょうか?

イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」が他宗教・キリスト教徒やクルド人の宗教少数派の人たちを敵視しています。

女性数百人は捕らえられ、奴隷にされ、改宗を拒否する者を殺しています。
大量虐殺が行なわれる恐れがあります。この者たちはナイジェリアで200人以上の女生徒を拉致した組織と同じ思考回路で行動していると言われています。アメリカは空爆を始めましたが、彼ら(イスラム国)は残虐な者です。

クリスチャンや少数派の人々は10万人が山へ逃げています。食べ物や水、着替える服も何1つありません。
改宗するか、町から出て行くか、それとも税金(日本円で約4万8000円)を払うかという厳しい条件をつけて、住み慣れた場所から追い出しています。


今、子供も大人も砂漠へ逃げ込んだり、海へ逃げたり、山へ逃げたりと 聖書の預言通りの終わりの姿であるのです。これは宗教戦争なのです。

彼らはイスラム教の中でも違う神なのです。
彼らは「あなたもイスラム教ですか?それなら仲良くしましょう。」ではないのです。

自分たちと少しでも宗教観が違う者は自分たちの敵であり、「ジハード(聖戦)」の対象であるから平気で殺します。

人権などは無いです。
神が喜ぶのは自分たちの敵を殺すことだと思っています。


キリスト教の教えとは全く異なります。
キリスト教の教えは「あなたの敵を愛しなさい。」「敵が飢えているなら与えなさい。」「赦しなさい。」という言葉を使っています。

イラク政府は自分たちの力ではどうにもならないので、アメリカに助けを求めました。


私は今回のテーマ箇所であるイザヤ書37章を読みながら、ヒゼキヤ王がアッシリヤの侵略を受ける直前に彼がどのような心境であったのかを考えました。

時代は違いますが、似たような場面であります。

アッシリヤは多くの軍隊があり、力や武器もあります。彼らはあらゆる戦いで勝利をしています。
その国がイスラエルを侵略しに来るのです。そして宣戦布告しています。


【イザヤ書36章20節】

「これらの国々のすべての神々のうち、だれが自分たちの国を私の手から救い出しただろうか。主がエルサレムを私の手から救い出すとでもいうのか」

これは彼らだけを侮辱することばではないです。
お前たちが頼っている神の力が自分たちの力よりも弱いと侮辱する敵の高慢なことばです。


聞くだけでも恐れてしまうようなことばです。

今、イラクで起きているのが これと同じです。

この状況の中でヒゼキヤは軍隊もまともに持っておらず、力も無く、その中で彼が王としてどのような態度を取ったのか 私たちが学ぶべきものがあります。




1.自分が重大な問題を抱えていることを認識し 神に祈った




まず彼は今、自分が重大な問題を抱えていることを認識しました。そしてそのことを神に祈りました。

祈り以外には、これを乗り越える方法はないと認識したのです。


イザヤ書37章1節で、ヒゼキヤは侮辱・恐れあることばを聞いて、“自分の衣を裂き、荒布を身にまとって、主の宮にはいった。”と書かれています。

またイザヤ書37章3節では、“きょうは苦難と、懲らしめと、侮辱の日です。”と言っています。
これは、私の力ではどうすることも出来ないです という絶望的な状況です。

彼はすぐさま神に祈りました。


当時、エジプトはとても強い国でした。
今の時代ではアメリカに「私たちを助けてください」という思いになるのですが、私たちは(何かが起こると)強いものに頼りたくなるものです。これは私たちの心に自然と出てくる思いであります。

しかし、私たちの神様は「あなたが困った時は力ある人のところへ行き相談をしなさい。」と語ったでしょうか?
そうではないです。


神様は クリスチャンはこのような時に、どのような態度を取りなさいと言うのか、みことばで答えをもらわなければいけないです。


【イザヤ書30章2-3節】

彼らはエジプトに下って行こうとするが、わたしの指示をあおごうとしない。パロの保護のもとに身を避け、エジプトの陰に隠れようとする。

しかし、パロの保護にたよることは、あなたがたの恥をもたらし、エジプトの陰に身を隠すことは、侮辱をもたらす。

エジプトは強い国でしたので、多くの者たちが周りの国から侵略を受けるとエジプトに助けを求めに行くのです。

これは無償で助けることはなく、助けられる ということは、そのものにひざまずくことであります。借りを作ると後で返さなければならないです。


神様に祈りもせず、自分たちの計画でエジプトに下ろうとするのです。
“こんな時に神様に祈ってもすぐに答えを得られないし、私は祈っても神様の声が聞こえないし。”という思いがあるのです。






神様は、誰かに頼ることはむなしくなることを警告しました。

それならば神が望むのはどのような姿でしょうか。


【イザヤ書30章15節】

神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」 しかし、あなたがたは、これを望まなかった。

静かにしなさいということは、そこで神様の助けを求めなさい ということであります。


神様は私たちを助けてくださるお方です。

私たちに問題がある時に、確実に答えを得る方法は神様に祈ることです。
神様は祈る人に対して答えてくださるのです。

人はまともに祈りもせずに「この問題を何とかしてください!」と、これを祈りという人もいるのですが、これは祈りではないです。


そこに信頼する心がないからです。これは神様にお願いをする姿ではないです。


誰かに頼み事をする時は、礼儀をもってお願いをすると思います。
謙遜にして身を低くし、事情を話し丁寧な言葉で頭を下げると思います。

しかし神様にお願いする時には「なぜ神様はこんなことをするんですか?私が何か悪い事をしたのですか?!早くなんとかしてください。」

神様は私たちのしもべではないです。


神様に向かって口汚く心焦って語るならば、神様は聞きたくないです。「わたしを誰だと思うのか?」

私たちは神様に対して自分の態度が礼儀をもって語っているのかを考えるべきであります。


そこには信仰が必要です。
“神様は私のことをすべて知っている。今 私がどんな状況にいるのかも神様は知っている。ここで神様を信じて頼るならば、神様はきっと私を助けてくださる。”と落ち着き・信仰の心が必要なのです。


【詩篇68篇19-20節】

ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。

神は私たちにとって救いの神。死を免れるのは、私の主、神による。

これを自分の心の中で信じることであります。

神様が私たちのために重荷をになってくださるということです。
私たちは、になう力がないと下敷きになって倒 れてしまいます。

ですから神様はそうなさらないです。


私たちが重荷を背負ってしんどい時に「神様、私を助けてください。」と祈るならば神様は私たちの荷を軽くしてくださるのです。


しかし荷を完全に取って あなたは一生重荷を負う必要なない、ということではないです。


【マタイの福音書11章28節】

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

このように約束のことばがあります。

神様は私たちが倒されて死ぬことを願うのではなく「わたしがあなたの救いの神であるのだ。あなたの重荷を軽くする神である。」と神様に頼り求めるように語っておられます。


主こそが私たちの救い主であり、私たちが信頼しても安心できる方であり、私たちの喜びや悲しみにも共感し、私たちの荷を軽くしてくださる方です。

自分の手に負えない問題に出会った時にはこの神に頼るのが一番の方法です。


【詩篇68篇35節】

神よ。あなたはご自身の聖なる所におられ、恐れられる方です。イスラエルの神こそ力と勢いとを御民にお与えになる方です。ほむべきかな。神。

私たちが神様に信頼し、静まっているならば私たちは 神様から“力と勢い”が来るのです。
戦う力と試練を乗り越える力を神様が与えてくださいます。

問題を神様に委ねて「神様、私は○○○で困っています。私の力には負えません。私を助けてください。」と、祈ると神様は力を与えてくださるのです。




2.問題解決と共に神に栄光を捧げる




次にヒゼキヤは問題解決と共に神に栄光を捧げる解決策を求めました。

ヒゼキヤは自分の国の問題のためだけではなく、敵が自分たちにかけた言葉で神を侮辱する言葉がありました。


彼は神様に“あの者たちは神様を侮辱しました。神様がこの問題を解決してください。そして私たちが神様に栄光を捧げるようにしてください。”と祈りました。ヒゼキヤが祈った目的は次の箇所です。


【イザヤ書37章20節】

私たちの神、主よ。今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、他のすべての王国は、あなただけが主であることを知りましょう。

侮辱した者たちが恥を見ますようにと祈りました。

神様が私たちを彼らの手から救い出して、彼らに神が生きておられる救い主であることを見せてください。と 祈っていました。神様はすべての祈りを聞きました。

祈りを聞いて預言者イザヤを通して、次のようなことばを与えてくださいました。


【イザヤ書37章6-7節】

イザヤは彼らに言った。「あなたがたの主君にこう言いなさい。主はこう仰せられる。『あなたが聞いたあのことば、アッシリヤの王の若い者たちが わたしたちを冒瀆したあのことばを恐れるな。

今、わたしは彼のうちに一つの霊を入れる。彼は、あるうわさを聞いて、自分の国に引き揚げる。 わたしは、その国で彼を剣で倒す。』」

結果はどうなったでしょうか?本当にその通りになりました。

その後の部分を読めば分かりますが、人間の手によらない神様の方法で侵略した者は死んでしまいました。


今、イラクで行われていることも 神様は彼らが神に向かって侮辱していることばを全て知っています。
神の子どもたちを彼らが激しく迫害している姿も 虐殺している姿も全部見ています。

すると、あるクリスチャンは「どうして神様はそれが起こる前に防がないのですか?」と言います。
神様の聖書の大きな計画は、最初から人間を祝福した神様でした。


しかし人間自らの欲・堕落した行動によって世界中であらゆる問題が出ています。

クリスチャンだとしても、皆が主のみこころに従って生きているでしょうか?
「私は神様のみこころとみことばを知っているのですが、それに従順していない時の方が多いです。」このように言うのは正直な告白であります。


そうすると、神の目から見るならば私たちも変えなければならないのです。クリスチャンであってもただ甘やかすことではないです。私たちは聖める必要があります。


まず初めにクリスチャンの方から苦しみが来るのです。私たちが道からそれたり汚れた者になると、神様はそういう悪者たちを使うのです。

その時に初めてクリスチャンは自分が横道にそれたことによって襲った苦難が、自分の罪によって刈り取っているのだと気付いて、立ち返るのです。


神様に立ち返って祈ることであります。名ばかりのクリスチャンで神様は喜ぶでしょうか?
喜ばないです。愛のムチをもって「来なさい。そのまま行ったら滅びなのだ。」と語ります。

そしてクリスチャンを目覚めさせる為に用いた悪者には、その後に神様がひどい目に遭わせるのです。


神様に敵対する者に対して、何もしない神様ではありません。


歴史を見ても独裁者たちの最期を見ると分かります。
彼らは権力と富を手に入れ、人々を簡単に殺しました。その人たちの最期が平安だった人はいないです。殺されていきました。

今、この時代に生きている私たちに対して、神様はどのように語っているでしょうか?次の箇所です。


【Ⅰペテロ5章6-10節】

ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。

あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。

堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。

あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。

終わりの時代はますます敵である悪魔が働きます。

ですから今は、昔では考えられない悪が地上で行われています。中東、アフリカ、ウクライナ、南米など私たちは見ています。
多くのクリスチャンが苦しみを受けています。神様にはその目的があります。

“あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。”これは純潔のものです。


不純物が取り除かれて神の国に入るのに相応しい者にさせるために、そのような苦しみを受けるのを神様が赦しているのです。


私たち人間は力が無いですが、神様には力があります。何もない所でも神様に助ける力があります。どのような方法でも使うことが出来る神であります。


ヒゼキヤは祈って助かりました。
そしてその後にヒゼキヤは病気にかかり、預言者イザヤを通して「あなたは死ぬ準備をしなさい。今すぐ家を整理しなさい」ということばでショックを受けました。

ヒゼキヤは大声で泣きながら「神様、助けてください」と祈りました。
すると神様はすぐさま答え「あなたに15年の命を加える」と語りました。神様は助けてくださいました。


神様の答えは、一番良い答えであります。
普段、私たちはどのような言葉を使っているでしょうか?神様は全てを聞いています。

ですから私たちは悪い言葉を使わないことであります。後で自分で刈り取った時にビックリするようなものが、以前に蒔いた言葉の種が成長してそのようになったことであります。


私たちは後でこのような実がなるのだと思いながら、良い種を蒔くことです。
良い種を蒔いたら、後で必ず良い実を刈り取るようになるのです。

また、普段からしっかりとした祈りをしてください。そうすると神様は必ずそれに対して答えてくださる方であります。

祈ることを神様は願っています。どのような時でも「祈り、祈り、祈り」です。これが一番効果的な態度です。


自分の計画、自分の方法でやっていたら、後で困ることがたくさんあります。

ですから始めから 知恵があり、力があり、すべての良い計画をもっている神様の手に委ねて、
「私は力がない者です。私は弱い者です。私は知恵もない者です。神様、どうしたら良いのか教えてください。」と導きを受けるならば、後のことは私たちが心配しなくて良いです。


ただ困る時だけ祈る神頼みは、それは宗教であります。

生きておられる神様に委ねて祈ると、神様から導きがあり、神様の計画が現れ、解決の方法が現れますので、私たちは神様の御手の中で守られるようになります。
.。゚+.(・∀・)゚+.゚ アーメン

2014.8.10
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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