テーマは 『 実が結ばれる良い地 』 です
【マタイの福音書13章8節】
別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。
【マタイの福音書13章23節】
ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。
マタイの福音書13章には種まきのたとえがあります。
四つの異なる所に同じ種が蒔かれました。
すると、まったく実りがない所があれば、豊かな実を結ぶ所もありました。
今回の本文は、豊かな実を結んだ良い地に対して語っています。
私たちも出来れば多くの実を結びたいと願っていますので、どうすれば良い地になって実を結ぶことが出来るかを学びたいと思います。
柔和で謙遜な心は良い地
普通に考えても悪い心から良い実を結ぶことは不可能です。
悪い心からは悪い実が結ばれます。
ですから、良い心から良い実が結ばれることは 神の法則です。
柔和な心は柔らかい心です。
私たちがある人を見て「あの人はいい人だ。」と言う時があります。
柔らかさや暖かさを態度や声で感じると 好印象を受けて、良い人だと思い込みます。
新約聖書で柔和な人で思い浮かぶ人は バルナバです。
“慰めの子” と呼ばれました。
彼の行いを見ると、神の言葉を聞いた時に感動を受けて、自分の畑を売り その代金を使徒たちの足もとに置きました。
大金だと思いますが、それを自慢することもなく、身をかがめて使徒たちの足元に置きました。
そしてもう1つは パウロが回心した後、皆はそのことが信じられず、パウロを恐れて近づかなかったですが、バルナバはパウロを引き受けて、使徒たちに紹介しました。
柔和な人なので、人にとても優しいです。
彼のことを聖書はこのように言いました。
【使徒の働き11章24節】
彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大ぜいの人が主に導かれた。
これは良い実を結んだ姿でしたので、多くの人々が導かれました。
モーセは謙遜な人でした。
普通の謙遜ではないですね。
次のような評価をもらうこと自体、すごい人だなと思いました。
【民数記12章3節】
さて、モーセという人は、地上のだれにもまさって非常に謙遜であった。
彼が立派な指導力を発揮して、自分の役割を果たすことが出来たのは、彼の心が良い地であったからです。
心の土壌が荒っぽく かたくなな人は、絶対に立派な人格を備えることが出来ないですし、立派な人生を歩むことも出来ません。
イエス様の謙遜もすべての人にまさっていました。
自ら自分のことを次のように言いました。
【マタイの福音書11章29節】
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば安らぎが来ます。
そのような心があるので 罪人を招き、問題のある人を受け入れ、助けを求めるひとを拒みませんでした。
パウロもその心を見習い、柔和で謙遜な人になりました。
ですから私たちにも良い心になるように命じました。
人を自分よりもすぐれた者と思う心がまた 良い実を結ぶ謙遜な心です。
謙遜と柔和の土壌から良い実がたくさん結ばれます。
【箴言22章4節】
謙遜と、主を恐れることの報いは、富と誉れといのちである。
良い地から結ばれる実です。
◎従順する心に良い実が結ばれる
私たちの人生で、良い実を結ぶためには 土壌だけ良ければ、あとはいらないことではないです。
良い土壌に実を結ばせるためには、聞く耳をもって主のことばをよく聞き、そして聞いたことばに従うことです。
【第1サムエル記15章22節】
するとサムエルは言った。「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。
知識ある人も才能ある人も 誰でも実を結ぶためには、主のことばを聞かなければなりません。
御言葉をないがしろにするならば、良い実を結ぶことは出来ません。
御言葉を聞いて、すぐ実行に移すことを “従順” と言います。
いくらみことばの知識をならべても、理論を立てても、行いが伴わないと 実を結ぶことは出来ません。
従順も、“完全な従順” が実を結びます。
聖徒の中でも、聞くことは聞きますが、実行せずにそのままにしている信徒が多いです。
いくら悟っても従順しないならば、価値がありません。
主は天国に入る資格でも次のように語りました。
サウロ王はみことばを聞きましたが、完全な従順ではありませんでした。
それでサムエルが今回のことばを彼に語りました。
主のみこころを知っていても、それを行わないならば天国に入れません。
そして良い実を結ぶことも出来ません。
忍耐する心が実を結ぶ
忍耐は、まず希望をもって忍耐することです。
希望があると忍耐出来ます。
自分の人生の土壌に 実を結ばせたい人は、忍耐することを学ばないといけないです。
忍耐できる土壌は良い土壌です。
いくら実を結ぶ完璧な条件が揃っていても、忍耐出来ないならば、実を結ぶことは出来ません。
ヨブは忍耐の人でした。
すべてが取られ、人生最悪の苦難を受けていましたが、神を呪うことも、神から離れることも、つぶやくこともせずに ひたすら忍耐していました。
忍耐の中での彼の告白でわかります。
【ヨブ記23章9-10節】
左に向かって行っても、私は神を見ず、右に向きを変えても、私は会うことができない。
しかし、神は、私の行く道を知っておられる。神は私を調べられる。私は金のように、出て来る。
彼のことをヤコブ書にはこのように書いてあります。
【ヤコブ5章11節】
見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いであると、私たちは考えます。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いています。また、主が彼になさったことの結末を見たのです。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だということです。
ヨブは試練の以前よりも試練に耐えた後にさらに豊かになりました。
農夫が 暑さや疲れにも耐えて熱心に働くのは、豊かな収穫を期待するからです。
収穫が農夫の希望です。
忍耐は最後までしなければ、実を刈り取ることが出来ません。
もし途中で諦めるならば、それまでの忍耐も労苦も報われません。
選手がゴールまで辿り着かないと失格になります。
勝利することは出来ません。
リンゴも梨もぶどうも完熟まで待たないと 甘さが足りないので、美味しいとも思わないです。
完熟するまで忍耐が必要です。
【ヘブル10章36節】
あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。
熱心さも才能も重要です。
しかしそれが全部揃っても忍耐出来ないならば、実は期待出来ません。
主は、私たちが実を結ぶことを期待します。
良い実を期待します。
私たちが実を結ぶ時に、私たちが主の弟子であることが認められます。
それは私たちの土壌が良かったことを意味し、そこに柔和と謙遜な心、主のことばと従順、忍耐がすべてあったことを証明します。
自分の状態をよく見て下さい。
それらのものが揃っているでしょうか。
良い地になるように、日々よく管理しましょう。
(。・ω・)ノ゙
2016.10.16
聖日礼拝メッセージ
八戸ノ里キリスト教会
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