からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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未来

時を分別して未来を準備する

テーマは 『 時を分別して未来を準備する 』 です

【第1列王記20章20-22節】

彼らはおのおのその相手を打ったので、アラムは逃げ、イスラエル人は追った。アラムの王ベン・ハダデは馬に乗り、騎兵たちといっしょに、のがれた。

イスラエルの王は出て来て、馬と戦車を分捕り、アラムを打って大損害を与えた。

その後、あの預言者がイスラエルの王に近寄って来て言った。「さあ、奮い立って、これからなすべきことをわきまえ知りなさい。来年の今ごろ、アラムの王があなたを攻めに上って来るから。」

先週は「時を分別する知恵」に対してメッセージを伝えました。


分別する知恵だけで終わってしまうならば、何の役にも立ちません。

その知恵をもって未来を準備しないといけないです。


未来を決定するのは自分の態度です。


自然災害など自分では予測出来ないこともありますが、予測して自分で未来のために準備出来ることもあるので、その場合は しっかり準備することが大切です。


未来に悪いことが起きても、私たちの態度によって良いことにもなりますし、良いことが起きても、私たちの態度によって悪いことにもなります。



本文で主の預言者が語った預言は良い知らせでしたか?

―― 良い知らせではなかったです。


「来年の今ごろアラムの王が攻めて来る」という悪い知らせでした。



しかし預言のことばをよく考えてみると、それに対して前もって準備をしておけば大丈夫だという意味にもなります。


そのことばを聞いたアハブ王は 戦争の準備をしていたので、次の戦いでも勝利することが出来ました。

そのように準備することで、未来を良くすることが出来ます。


未来を準備するために、私たちは何をしたら良いのかを今日は学びます。




多くの情報を得ること




今は何もかも目まぐるしく変化しています。

何が変化していくのかに対して 多様な情報を知るならば、新しい変化に対して、準備することが出来ます。


デジタル時代になるだけで社会、世界のシステム、経済、教育、仕事が変わります。

アナログ時代にとどまっていては取り残されます。

会社も倒産します。国も破綻する時代です。


世界を引っ張る七つの会社は、すべて情報関連の会社です。

IT関連の会社です。



「これからなすべきことをわきまえ知りなさい」ということは、その情報を得てどのように行動すべきかを決めることです。


ここで必要なのがまた 『神の知恵』 です。

地上の情報は地上で得ますが、天の情報は聖書から得るので、聖書をよく読んで下さい。



預言者エリヤが知らせたのは天の極秘情報です。

極秘情報を聞いて、準備したので、後にアハブは勝利することが出来ました。


情報を持たないと成功はないです。

国々や企業が極秘情報を得るために莫大なお金を使う理由は それによって上に立ち、利益を得るためです。




過去を点検して、未来を準備する




過去を点検するのも、未来の変化に成功するためです。

未来は違う世界から飛んでくるものではなく、過去と繋がってあります。



今回のコロナウイルスは、過去にあった『サーズウイルス(SARS)』と 『マーズウイルス(MARS)』と関係性があります。

サーズもマーズも、今回のコロナウイルスも似た点が多いです。

発熱、咳、息切れなどの呼吸器官がやられて死亡するケースが多いです。



世界がこの病気で今も大変ですが、韓国が今回うまく対応できた理由は、過去にサーズとマーズの経験があったからです。


その時も感染が広がったので、そこから学んで、マスクや呼吸器、防護服の準備、医療システムを整えたので、今回のコロナウイルスの時にうまく対処することが出来ました。

もう新規感染者はほとんど出なくなりました。


過去の経験と自分たちの過去の態度をよく調べることで未来を準備することが出来ます。



独裁者たちの結末はよく似ています。

しかし独裁者たちはそこから学ぶこともなく、同じ道を辿ります。

自分はうまくやっていけると思う傾向があります。


自分をよく調べるためには神の目で自分を調べることです。


【詩篇26編2節】

主よ。私を調べ、私を試みてください。私の思いと私の心をためしてください。



肯定的な信仰をもって積極的に行動すること




未来を準備する時に、未来の変化に対処できる 新しい自分を準備しないといけないです。

自分が変わらないと明るい未来はないですね。


しかし自分が新しく変わろうとする時に 一番それを邪魔するのも自分自身です。

情報を得ることも、良い計画を立てるのもそんなに難しいことではないです。



しかし自分が変わることは意外と難しいですね。

行動が伴わないといけないからです。


行動しようとする時に過去の失敗やトラウマなどで、急ブレーキを踏む人が多いです。

そして無理だと止めてしまいます。


一番の失敗は何もしないことです。行動せずにいると後がしんどくなります。



未来は確実に来るのに、何も準備ができていないので 適応できず苦労します。

未来がないならば 何もしなくて良いですが、良い未来を期待するならば、変化をためしていかないといけないです。


未来を予測しながら、肯定的な信仰を持って行動しましょう。



預言者のことばを聞いたアハブは恐れることなく、次の勝利のために戦う準備をしました。


もし彼が以前の勝利で高慢になり、預言者のことばを無視して何も準備しなかったり、恐れて準備せずにいたならば、戦争に負けて悲惨な状況になったと思います。


未来を準備する人は何も恐れる必要がありません。


準備する姿勢は信仰の姿勢なので、信仰ある人を神は祝福して下さいます。
アーメン (・∀・)つ


2020.5.10
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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あなたの中に復活信仰がありますか?

テーマは 『 あなたの中に復活の信仰がありますか 』 です

【Ⅱコリント4章7-15節】

私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。

私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。

迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。

いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。

私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。

こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。

「私は信じた。それゆえに語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。

それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立てさせてくださることを知っているからです。

すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためです。

私たちは信仰生活をしていますが、自分の中に復活の信仰はあるでしょうか?

イースター礼拝の時になると、復活の信仰がある人は1つのことを考えます。
それは“キリストが私のために十字架にかかって死に、私に命を与えるために蘇ってくださった”ということです。
イースターの時はそれを考えなければいけないです。

受難週の時は、十字架の死について考えますが、イースターの時はキリストが死んで3日後に蘇ったのは 私たちに永遠の命を与えるためであります。

私たちは十字架の死を見た時には、「私の罪のために…」と自分の罪に気付きます。
これは十字架を正しく見ている人であります。


私たちに復活が与えられても今はまだ目に見えていないですが、イエス様が地上に再臨した時に イエス様と同じような身体に復活します。
今はまだ私たちは蘇りの身体を持つ事はできないです。

これには時があり、神様が定めた時にキリストが地上に再臨した時は、死んだ者がまず復活の身体を着ます。次にイエス様を信じている生きている者たちが
復活の栄光の身体を着るようになります。


復活信仰はキリスト教の最も基礎的な信仰であります。
他の宗教には絶対にないものであります。他の宗教では自分たちの教祖の墓を誇り お参りをします。

しかしキリスト教には墓参りがないです。なぜなら、そこにはおられないからです。生きておられる方であります。これが根本的に違います。
ですからキリスト教を信じる人は、この復活の部分まで信じなければいけないです。


自分が死んだ後、キリストが再臨する時に復活するという事実に感謝しながら 復活の信仰をもって臨む信徒たちはそんなに多くはありません。

クリスチャンとして復活信仰を持って生きるということは とても大切であります。
ただそれを信じるだけではなく、この復活信仰を持って生きるようにしないと、私たちの信仰生活は生き生きとはしないです。

同じ神様を信じているのですが、生き生きと信じている人と、力が抜けて生きているのか死んでいるのか分からないような信仰生活は何が違うのかを、私たちは今日 考えてみたいと思います。


復活信仰は、信徒生活の活力源でもあります。そこから活力をもらうので生き生きとした信仰生活をすることができます。

パウロが本文の中で語っているのは、私たちが理解できないような部分もあります。これは当時 パウロや信徒たちに激しい迫害がありましたのでその人たちに向けて手紙を送りました。

今の時代、迫害されていない私たちから見たら意味がよく分からない部分もあります。
しかし私たちはパウロから実践的な信仰生活を学ぶことができます。


イエス様は模範として見せてくださいましたが、神様ですので 私たちが信仰生活を学ぶことは難しいかも知れません。

しかしイエス様からその教えをしっかりともらって、その通りに生きた偉大な使徒であるパウロを見ると、私たちが地上でどういう信仰生活をしたら良いのかヒントを得ることができます。

激しい迫害の中で復活信仰がどのような形として現れたでしょうか?




①いつも主の臨在の中で生きること



もしイエス様が墓の中にいるならば臨在はないですし、何も出てくるものが無く 助けるものもないです。

しかし“臨在”ということは、今 生きておられるイエス様ですので、その中で私たちが生きることが復活信仰生活であります。

死人に頼って生きることと、生きている方に頼る信仰では 天と地ほどの差があります。

パウロ自身はキリストに出会ってから激しい苦難に次々と遭いました。


しかし彼はキリストに出会った瞬間から彼は自分に与えられた素晴らしい恵みに気付きました。
この恵みに気付いていない人は、イエス様を信じて何十年経っていても神様は見えないです。自分が何のために信仰生活をするのかも分からないです。


しかし恵みを知っている人は、神様の恵みによって自分が救い出された確信を得ているので苦難があっても忍耐ができます。
私たちが苦しみの中で忍耐が出来て、苦しみの中で勝利をするのは自分の力ではないです。
神様の力や恵みによって、その人たちが勝利し感謝することができます。


激しい迫害の中でもパウロは感謝を捧げていました。常にその中で感謝と賛美をしていたのです。これは臨在の中で生きることであります。

「主よ。私に力を注いでください。私を強めてください。」と祈るよりも 自分自身が主の中に入っていくことが大切です。私たちのように小さなものの中に入ってくるよりは、大きなイエス様の中に私たちが入るのが良いのです。


主はすべてのことを成し遂げられました。それを私たちは信じて主の中・臨在の中で生きると、常にそこから力が与えられるのです。

パウロは常にキリストの中で生きることを意識して生活をしていました。ですから力が強く 彼の信仰は常に前進でした。




②復活信仰はいつも未来を見ながら生きる信仰



世の中では現実を見なさいと言いますが、クリスチャンはそうではないです。

もちろん現実も見るのですが、現実がすべてではないのです。
私たちは現実を見てから 必ず未来を見なければなりません。

現実的に見るならば福音のために毎日激しい苦難を受けていたパウロの姿はあわれな姿でありました。それは8節~10節の言葉に書かれています。

その他にもパウロの手紙にはたくさん語っています。


【ローマ8章36節】

一日中死に定められている

【Ⅰコリント15章31節】

私にとって毎日が死の連続です

【ガラテヤ6章17節】

私はこの身にイエスの焼き印を帯びているのです

このように自分が受けている苦難を表現しました。

しかし この中で絶望している姿は1つもなく、不平不満を言っている姿も1つもありませんでした。
彼は現実だけを見ておらず、常に霊の目が開かれて未来を見ていました。

復活の信仰を持っている人たちは必ず先を見るのです。今は苦しみがあっても、このままでは終わらないのだと次の2箇所で語りました。


【ローマ8章17-18節】

 もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。

今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。

栄光を共に受けるために苦難が必要であります。クリスチャンになるということは苦しみが全く無いということではないです。


なぜ患難があるでしょうか?
パウロは命をかけて主のために働きをしているので、激しい苦難の中でも常に神様がパウロを助けることによって福音は前進していきました。
それを通して神様が見せたいものは、苦しみがあるからこれが終わりではないのだと、その中で神様が力を与えて恵みを与え助けることによってこの世に福音が異邦人にも伝わっていることを直接見せてくださいました。

パウロは苦しみから救い出されるために神様の力を体験しました。


私たちに苦しみがある時に神様に助けを求めます。私たちが実際に受けている苦しみはパウロが受けている苦しみとは違います。
福音のために迫害を受けていることはほとんどないです。ある意味で自分たちの肉から出てくるものによって苦しみを受けることが多いので、その時 私たちは神様に立ち返らなければならないです。悔い改めて立ち返って主の中に留まることによって私たちは救い出されます。


パウロは自分の人生を全て主に捧げて仕えていました。パウロが受けた苦難は私たちの想像を遥かに超えたものであります。
しかしそれも全て神様の計画であるのです。

私たちは苦しい時「神様はなぜ助けてくださらないのですか?」と それだけを祈るのではなく、自分の苦しみがどこから来ているのかを考えるべきであります。

自分が蒔いて刈り取っているのか、それとも自分が実際に迫害を受けて苦しみがあるのかによって結果が違います。

迫害されて苦しみがあるならば、神様は常にその人を見捨てることがなく助けてくださいます。そして神の御力をその人に見せて希望を与えてくださるのです。


【Ⅱテモテ2章8-11節】

私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。

私は、福音のために、苦しみを受け、犯罪者のようにつながれています。しかし、神のことばは、つながれてはいません。

ですから、私は選ばれた人たちのてめに、すべてのことを耐え忍びます。それは、彼らもまたキリスト・イエスにある救いと、それとともに、とこしえの栄光を受けるようになるためです。

次のことばは信頼すべきことばです。「もし私たちが、彼とともに死んだのなら、彼とともに生きるようになる。

現実は、徐々に死に向かっていきます。あらゆる苦しみがあります。肉体も死にます。
しかし未来にあるものは“とこしえの栄光”です。これが復活の信仰であります。

復活の信仰は苦難だけを見るのではなく、苦難がどのような実を結ぶのか、苦難によって自分は何が得られるのか それを常に見るのです。

いつもイエス様を見て、イエス様がどのような道を辿って、どのような姿になっているのか それは将来の自分の姿であります。

苦しみは永遠に続くことはなく消えていきます。そして主の栄光を見る時に慰められます。


復活の信仰には良いものがいっぱいあります。栄光の姿を常に見ているので、喜びが出てきます。感謝が出てきます。力が湧いてきます。希望が出てきます。

絶望がないです。そこに弱々しい姿はないです。もしかしたら現実はそのような姿かもしれないです。弱さがあり、いつ壊れるかわからない土の器のようなものであります。
また 限界があります。

しかしキリストによって復活の力が自分たちの中で働くので どんな時でも希望があり、慰め・力があります。



③望みをこの世におかず、天においているので、この世を愛することをせず、
またこの世のどんな艱難に対して恐れません



いつも現実を見て恐れをたくさん持っている人がいます。
それは何故だと思いますか?

この世に対して、執着心が多いからです。この世ばかりを見るのです。
その人の関心事が全てこの世のものなので、この世に抑えられてしまうのです。この世に支配されるので、少し変化しただけで怯えて心配をするのです。


聖書には クリスチャンはこの世を見ながら、この世と仲良くして生きなさいとは語っていないです。
反対にこの世から聖められなさいと、クリスチャン生活は聖められる生活であります。この世の汚れから洗って内側を聖くし、この世の光として塩として聖い者として生きるように神様が選んでおられます。

そう生きるためには この世に対して執着を持つのではないです。この世を愛するのでもないです。
世に執着して愛する人は多いですが、この世は自分を愛してはくれないです。


しかし 神様のことを愛するならば、もっともっと大きな愛を神様から受けるようになります。
神様が与えてくださるものは、小さなものでも私たちの心を本当に満たしてくれるものであります。
神様に望みをかけるなら、神様は私たちに本当に必要な喜び・平安・力・命を絶えず与えてくださるのです。

神様が私たちに願うのは、私たちが地上で旅人として旅をしながら勝利し 天の御国に入ってくることを心待ちにしておられます。

でも旅人がこの世に執着して天国を見ないならば神様は残念に思います。

パウロは地上で色々なことがあっても そこに彼の心が捕らえられることはありませんでした。


信仰が弱い人たちは この世に倒されたり裏切られたりすることがありますが、
目をイエス様に向けて 自分の目的地を天に定めている人たちは、周りで色々言われても そこにあまり関心がないです。

「まぁ そういうこともあって、確かに生きている時に必要かも知れないけど、それが全てではないし大切なことではない。」とはっきりと自分の心に区切りをつけるのです。
「私が目指すのはここである。私はそれに向かって前進するのだ」と。このような人たちには恐れがないです。

自分が帰るところを知っていますので苦しみの中にいる人たちはそのようにして勝利していきました。


私たちが生きている時代も終末に向かって歩んでいます。
これからもっと様々なことが起こります。毎日、世界で事件があり 国の危機があり 個人の危機があります。
それを見て私たちがいつも恐れるならば心がもたないです。


「これは神様が聖書の中で教えてくださった黙示録の世界を生きているのだ。」と、その中で自分はどのように生きるべきなのかを、また 自分の望みをどこにかけるのかを考えるべきであります。

神様が備えてくださっている素晴らしいところがあるから迎えに来てくださるのだということです。


私たちはいつどのような姿でこの世を去るか分かりませんが、復活信仰を持っているならば どのような状況の中でも苦しみで終わるのではなくて
「私の地上での旅路が終わるのだ。しかし私はこれで終わりではない。私のためにイエス様が備えた永遠の住まいがある。もうすぐイエス様に会えるのだ。」と
このような希望があります。


ですから私たちが生きている時に復活信仰を持っていることの大切さが そこにあります。

復活信仰を持つなら 生き生きとした信仰生活ができます。持っていないならば小さな風で倒されて恐れて死んでしまうのです。
(・◇・)ゞ

2014.4.20
イースター礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

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