からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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時間

神の時間

テーマは 『 神の時間 』 です

【伝道者の書3章11節】

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。


聖書には『時』の話がたくさん出てきます。

伝道者の書3章には『時』の話がたくさん出てきます。


【伝道者の書3章1節】

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。


と書いてあります。


三つの『時』があることが分かります。

時計やカレンダーの時間があります。


次に生物的な時間です。

すべての生き物に与えられる時間です。


そして、時間を超越した神の時間があります。



カレンダーの『時間』と生物的な『時間』は、古代ギリシャ語で『クロノス』と言います。

物理的に流れる時間です。


毎日時計が知らせる時間、私たちが普通に言う時間です。

人間が止めることも捕まえることも出来ない時間です。


流れた時間は取り戻すことが出来ないです。



神の時間は『カイロス』と言います。

私たちが図ることが出来ない時間です。特別な意味が与えられた時間です。


ある出来事が起こる時間です。

人間が機会を狙って掴むことが出来る時間です。


そして永遠の時間です。

カイロスは過去、現在、未来にとらわれない神様の次元の時です。



聖書には両方の 『時』 が出てきますが、神様は私たちが時を正しく理解し、時を賢く用いることを願っています。


神様が一番願うのは 『クロノス』の世界で、『カイロス』を生きることです。


神様は人間に永遠への思いを与えて下さいました。



私たちがこの世界で生きている時には時間の支配を受けています。

時間に追われ、忙しく生きています。


毎年 自分の歳を考えます。

何かをしようとしても時間がないと言って時間を気にします。

この歳だから出来ないとも言います。








イエス様の人生は33年で終わりました。

その中でも神の働きは3年ほどで、とても短かったです。


しかし十字架の上で死ぬ前に語ったことばは、『完了した。』でした。

私たちの時間で計算すると とても短い時間ですが、イエス様はその時間の中で、すべてのことをなさいました。



そこでイエス様がなさったことは救いのわざだけではないです。


十字架を通して 人間の時間と神の時間をつなげました。
クリスチャンは、新しい時間の概念をもって生きる人たちです。


肉体のいのちがある時には 相変わらず人間の時間の中を歩んでいますが、それと同時に永遠の時間、神の時間の中で生きています。



イエス様ご自身、二つの時間の中で生きた方でした。


そして主の中にいる者も二つの時間の中で生きています。

二つの時間が理解できるならば、次のことばが理解できると思います。



【ヨハネの福音書11章25-26節】

イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。

また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。』


永遠のいのちはカイロスの時間です。

救いの中にカイロスがあります。


神様はいつもカイロスの中で働く方です。


すなわち私たちの時間に合わせて働くことはないです。

神の時間表の中で働きます。



アブラハムに子供を与えると約束しましたが、アブラハムは待ちきれず サラではなく、ハガルを通してイシュマエルという息子を設けましたが、神様はそれを認めませんでした。


100歳になった時にイサクが生まれました。

神が決めた『時』は、アブラハムが100歳になった時でした。


私たちが願う時間クロノスと 神が願うカイロスが一致する時にわざが起こります。

奇跡が起こり、祈りが答えられます。



私たちは自分が願う時間に 祈りの答えが来ることを待っています。


しかし答えられないことが多いので失望し不満を言って自分勝手にします。

すると悪い結果を見る時が多いです。


神様と時が一致しないときはどうしたら良いでしょうか?


『神様が願うカイロスに、まだ私が満ちていないな。

カイロスの時間は私の願いが叶えられない時間ではなく、かえって神様が私のために耐え忍びながら待っておられる時間であり、私を励ましている時間だと思わないといけないな。』と悟ることです。


自分の歳、自分の時間、自分のクロノスに敏感な人が多いです。



モーセやヨセフ、アブラハムなどを見て下さい。


神の時間と自分の時間の間で葛藤があり、苦しみもありましたが、神の時間が来るまで忍耐しました。

その間に砕かれて自分の肉の思いや欲が死んで、神の人に成長しました。


『時が満ちて』 ということばが聖書にありますが、その時が一番適切な時、完璧な時という意味です。








人間にとって一番の祝福は何でしょうか?

神様の招きにすぐに応えて、神様からの恵みである救いを受け 永遠の時間の中に入ることです。


十字架の死を通った聖徒は クロノスの時間ではなく、カイロスの時間を生きる人になります。



【第2コリント6章2節】

神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。』確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。


すべての時間は神様の手の中にあります。

時間を造ったのも神様です。


ルカの福音書12章には金持ちの人が出てきます。

その人は自分の時間がたくさん残っていると思いました。


しかし神様はその人に宣言しました。

『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。』 と。


あなたの時間は終わったと言われました。



時間は売るところもなければ、貯蓄も出来ないです。

失った時間は戻ってきません。


神の時間の中で生きるためには、自分の時間を忘れることから始めないといけないです。


神の時計を見て、その時計に私の人生を合わせ、時間の優先順位を決めることです。



【エペソ5章15-17節】

そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、

機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。

ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。

アーメン (*゚∀゚)っ


2022.3.20
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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主の時

テーマは 『 主の時 』 です

【第2ペテロ3章8-10節】

しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。

主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。

私たちの時間の測定方法は、1日を24時間にして日、月、年、世紀と数えていきます。

その時間は 私たちのいのちの時間、すなわち “肉の時間” です。


神様はそのような時間測定はしません。

“永遠” とは、時間を気にしない領域です。


主は永遠に存在する方なので1日が千年のようで、千年が1日のようです。


しかし被造物の世界で 主が働く時には、主は時を定めて働きます。

自由気ままに働くのではないです。


聖書を読むと、いつも主は時を決めて みわざを現しました。

それは主ご自身のためではなく、人間に約束と希望を与えるために そのようにしたと思われます。


主は時間の中で生きる人間に、もう一つの時間が存在することを教えました。


それは、“主の時” です。

神様は、主の時がもっと重要であることを教えています。


その時間とは 数えるための時間ではなく、“主のみこころがなる時” のことを言います。


主の計画が行われる日のことを言います。


もし私たちが人間の時間だけを考えるならば、神のみこころの時とズレが生じます。

そうすると、神のみわざを見逃したり、時を見分けることも、時を用いることも出来ないです。


【伝道者の書3章1節】

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。

ここで言う “時” も、人間が決めた時ではなく、主が決めた時です。


知恵ある人は この時をよく見分け、その時を最大に用います。


救い主イエス・キリストがこの世に来られるという預言は、すでに創世記3章15節にありました。


【創世記3章15節】

わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。

それから長い時間が過ぎました。

それは人間にとって長い時間で、主の時が来た時に イエス様が約束の救い主として この地上に来られました。

しかし30年間は活動しませんでした。


そして主は、ご自分の時に 公の活動を始めました。


カナの婚礼に招かれた時も、
母マリヤが「ぶどう酒がありません」と イエス様に言った時に、
主は「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。私の時はまだ来ていません」と言われました。


少しの差だとしても、人の時ではなく、主の時に働くことを明確にしました。


主を信じる人は、特に主の時を優先しなければなりません。


主に導かれて動き、私たちの先を行かれる主に従っていかないといけないです。


勝手に飛び出して、主に対して「(主が)私について来なさい」ではいけないです。




主の再臨の時




これから注目しないといけないのは、“主の再臨の時” です。

主は再び再臨すると約束しました。


主の再臨は信じる者には喜びの日ですが、同時に この世が主によってさばかれる日でもあります。


再臨の時の様子で、まずは “空中再臨” です。


【第1テサロニケ4章16-17節】

主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、

次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

そして、次の箇所は “地上再臨” の時の様子です。


【ゼカリヤ書14章3-4節】

主が出て来られる。決戦の日に戦うように、それらの国々と戦われる。

その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山は、その真ん中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ移り、他の半分は南へ移る。

地の王たちは主に逆らい、国々も民たちも悪を行っている姿を 主は知っていますが、なぜ いま裁かないでしょうか?


主は時間をかけて、麦と毒麦を分ける作業をしておられます。

そして毒麦として分けられた悪人たちに対しては、「厳しく裁く」と宣言しました。


「いつ再臨がありますか?」と 人々は正確な時間を教えて下さいと願いました。

しかし、主はこのように答えました。


【マタイの福音書24章36節】

ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。

【マタイの福音書24章42節】

だから、目をさましていなさい、あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。

人間が考えるような時は教えませんでした。

神の時に実現されるので、人間に教える必要もないです。


ただ盗人のように来るから しっかりと主の時を用意して待ち望みなさいと言われました。




救いと恵みの時




【第2コリント6章2節】

神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。

自分の耳に、誰かを通して福音が伝えられた時が、“神の恵みと救いの時” です。


その時を逃してしまい、救われることもなく、永遠の滅びに入った人がどれほど多いか分かりません。

地獄は、永遠に自分の胸を叩きながら後悔する場所です。


「あの時、神が救いの手を伸ばしたのに、私がその手を振り切ったから、こんな辛い場所に来てしまったんだ」と、泣き叫びます。


神の救いの時、恵みの時を無視しつづけて救われないまま死ぬならば、永遠に救いはないです。


死んでからは救いも恵みも受ける時は来ないです。




悔い改めの時




自分が悔い改めたいからと言って、いつでも悔い改めることが出来るわけではないです。


悔い改めも、“神の恵み” がないと出来ません。

口先だけの悔い改めは悔い改めではないです。


罪を悲しみながら心を引き裂く悔い改めこそが 本物の悔い改めです。


【第2コリント7章9-10節】

今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、あなたがたが悲しんで悔い改めたからです。あなたがたは神のみこころに添って悲しんだので、私たちのために何の害も受けなかったのです。

神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。

世の事で悲しみながら泣く者は多いです。

しかし、泣くから問題が解決されるわけでもないです。


本当に私たちが悲しみながら泣かないといけないのは、自分の罪を悔い改めながら泣くことです。


すると、神から罪の赦し、救い、平安を受けることが出来ます。



神から「神に立ち返って悔い改めなさい」と言われた時には「今ですか?後で悔い改めをします。」とは言わないで下さい。


“後で” という思いは、サタンから来る 誘惑の思いです。


私たちは明日の事は分かりません。

“今” という時に、悔い改めも 救いも 恵みも受けないといけないです。

神はあわれみ深い方ですから、忍耐しながら待っておられます。


今の時を無駄にしないようにしましょう。


なぜなら、天の恵みの窓が閉まる時が来るからです。

救いに至る狭い門が閉ざされる時が来ます。


その時は 終わりの時であり、裁きの時です。


自分はまだ若いから大丈夫だと思っていますか?

自分の時ではなく、主の定まった時に すべてが起こります。


ですから主の時を知るために 知恵を求めて下さい。
v( ̄∇ ̄)v


2018.2.18
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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