※本日は教会イベントの為、礼拝はショートメッセージでしたので、
13日に行われた「水曜礼拝・聖書の学び」を載せました。


テーマは 『 神なしの人生と、神にある人生 』 です

【伝道者の書1章2-3節】

空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。

伝道者の書を開くと いきなりこの言葉が出てくるので、多くの人は戸惑うと思います。
この書は人生のむなしさを語る書だと思う人が多いでしょう。

まるで虚無主義者が書いたもののように見えますし、哲学書にも見えると思います。


しかし「伝道者の書」は、“人間がどのように真の幸せを追求できるか”がテーマです。

そして神なしの人生が いかにむなしいかを語っています。

生と死を真剣に考える人ならば、この伝道者の書で悟りを得ることが出来ます。


今回は「神なしの人生と神にある人生」の差が いかに大きいかを比較しながら恵みを受けたいと思います。




労苦に対して





【伝道者の書1章3節】

日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。


【伝道者の書2章18節】

私は、日の下で骨折ったいっさいの労苦を憎んだ。後継者のために残さなければならないからである。

“日の下”という用語は 物理的な空間の意味ではなく、神様は天に、人間は地上に住むという考えから出た表現です。

神様との関係が断絶され、罪によって汚れた地上で、短い人生を送りながら労苦しても、すべてむなしいということです。

地上のものに目標を定めて汗を流し 労苦をしても、永遠にそれが続くわけではありません。


しかし神様との関係が回復し、神様の中で生きる人たちは何が違うのでしょうか。


【ピリピ1章6節】

あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。

主にあるすべての労苦に対して、主は良い実が結ばれるように助けて下さるだけではなく、さらに良い実に対して報いも与えて下さいます。

神の国においても、素晴らしい報いを受けます。



【第1コリント15章58節】

ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。


労苦した聖徒には「義の冠、いのちの冠、栄光の冠」などが用意されています。




新しいものに対して





【伝道者の書1章9節】

昔あったものは、これからもあり、昔起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない。

むなしく無意味で、満足のない人生を根本的に変える 新しいものはないことを語っています。

ある人たちは色々な最新のものを見せながら、「これは新しいものではないか」と反論しますが、多くのものは既にあったものを新しく発展させて作ったものです。


しかし主にある者はこのように変わります。


【第2コリント5章17節】

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

神との関係、自分の所属、身分、行き先、死からいのちへと、何もかもが新しくなりました。

自分の力ではなく、神様の一方的な恵みによって新しくされ、それまでなかった祝福を受けるようになります。


神は創造主で、今も創造の働きをしておられます。




死に対して





【伝道者の書6章12節】

だれが知ろうか。影のように過ごすむなしいつかのまの人生で、何が人のために善であるかを。だれが人に告げることができようか。彼の後に、日の下で何が起こるかを。


【伝道者の書9章3節】

同じ結末がすべての人に来るということ、これは日の下で行われるすべての事のうちで最も悪い。だから、人の子らの心は悪に満ち、生きている間、その心には狂気が満ち、それから後、死人のところに行く。

日の下にいる人間は死ぬしかない存在です。

罪を犯した人間が、避けることが出来ない1つの定めは「死」です。
そして死後の「裁き」です。


【ヘブル9章27節】

そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように。

たとえ人間が、神の摂理に従順することを拒みながら生きていたとしても、死の摂理に対しては従順するしかない弱い存在であること、そして神に頼らない人生は、まるで実態のない影のように むなしく去って行くということを伝えています。


しかし神にある者には素晴らしい約束があります。


【ヨハネの福音書3章16節】

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

 

キリストを信じる者の肉体も 地上では死を迎えますが、(キリストにあって)罪赦された人は裁きにあわず、永遠のいのちを受けて生きるようになります。


【ヨハネの黙示録20章12-15節】

また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。

海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行いに応じてさばかれた。

それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。

いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。

この時、自分の不信仰をいくら嘆いても、時遅しです。

今も多くの人々が自分の力や財産、知識、偶像に頼りながら生活をしています。


ある人は、真の神に頼って生きる者を弱い者だと言ってバカにしたりしますが、いつか神の前に立った時には 誰が知恵ある者で、誰が愚か者であるのかが明確にされます。




快楽について





【伝道者の書8章15節】

私は快楽を賛美する。日の下では、食べて、飲んで、楽しむよりほかに、人にとって良いことはない。これは、日の下で、神が人に与える一生の間に、その労苦に添えてくださるものだ。

この言葉は、快楽を勧めているのではないです。


日の下で行なわれる様々なことや矛盾に対して、私たちは全て理解しているわけではありません。

その中で失望したり、諦めるのではなく、神様が与えて下さった人生を 意味ある人生にすること、そして楽しく生きることも必要です。


ただ肉体の快楽というよりも、労苦に対する喜びを味わうことです。

ですが、その快楽も一時的なものです。


しかし主にある者には違う喜びがあります。


【ピリピ2章13節】

神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。

これは主の外にいる人には説明しても分からないと思います。


しかし主にある人は、快楽に勝る喜びを 主の働きの中で感じることができます。
私自身もその快楽に勝る喜びを主にあって発見することが出来ました。




悟りに対して





【伝道者の書8章17節】

すべては神のみわざであることがわかった。人は日の下で行われるみわざを見きわめることはできない。人は労苦して捜し求めても、見いだすことはない。知恵ある者が知っていると思っても、見きわめることはできない。

神様から特別な知恵を授かったソロモンでさえ、神のみわざを全て知ることは出来ないと告白しました。


いくら人間に知恵があっても、人間として超えることが出来ない限界があることを ここでもはっきりと伝えています。

これが主にあってはどのように変わるでしょうか。


【第1コリント13章12節】

今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。

預言や啓示によって 今も主にある人々には、主を知らない人々よりも多くの部分で悟りが与えられていますが、いつか私たちが完全に悟る日が来ることがとても楽しみです。




人間としては予測不可能な時と機会に対して





【伝道者の書9章11-12節】

私は再び、日の下を見たが、競争は足の早い人のものではなく、戦いは勇士のものではなく、またパンは知恵ある人のものではなく、また富は悟りのある人のものではなく、愛顧は知識のある人のものではないことがわかった。すべての人が時と機会に出会うからだ。

しかも、人は自分の時を知らない。悪い網にかかった魚のように、わなにかかった鳥のように、人の子らもまた、わざわいの時が突然彼らを襲うと、それにかかってしまう。

日の下で行われる全てのことが、人間の常識の中の理解できる範囲で論理的に行われることはありません。


優勝は間違いないと思われていた選手が脱落し、意外な選手が優勝することもよくあることですし、才能や能力があると必ず成功するとも限らないです。

その人たちが失敗する姿を見ることによって、人生の成功や失敗は その人自身の能力や人格、才能や努力だけで決まるのではなく、人間の判断を超えた神の主権が働いているので、人間は主権者である神を恐れなければなりません。

災いや災害は、どんなに科学が進んでいても、いつどこで何が起こるか人間には分かりません。


不確実な現実の前で、人間はむなしさを感じますが、その中で、謙遜な心を持って自分の人生が主の主権の下にあることを認めて生きなければならないことを教えています。


神が人間に対して絶対的主権者であることを教える言葉があります。


【第1コリント1章26-29節】

兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。

しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。

また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。

これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。



老年を迎えた時に




世俗的な価値観を持っている人は、神のさばきがあるとは思っていないので、老年になってもそれに対して何の準備をすることもなく、ただ自分の価値観によって自分の人生の決算をするだけです。

幸せであったのか、不幸であったのか――。


しかし神のさばきは、昔も今も変わらない神様の主権によって行われます。
それに対して伝道者の書12章では警告を与えています。


人生は 長く生きることやスピードではなく、方向が大切です。
自分の思うままに生きたり、すべてを手に入れて満足しても、その方向が間違っているならば、すべてはむなしく終わってしまいます。


【伝道者の書12章1節】

あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。

そして神を恐れることと 神の命令を守ることを勧めました。


【伝道者の書12章13-14節】

結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。

神は善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。

「伝道者の書」の結論は、虚無主義でも運命論でもなく、神を知らない人生、神のいない人生がどんなにむなしく無益であるかを教えています。


神なしの知恵、労苦、人生の目的、成功、欲望、名声、権力、富などは何になるでしょうか。
結論はすべてがむなしいです。


特に老年に必要な知恵は 神を恐れ、神の命令を守ることです。

神様の前に立つ日が近いからです。


伝道者の書は、ソロモン王が老年になって人生を振り返りながら悟ったことを教えています。

すべてのものを手に入れ、あらゆるものを楽しんだ者が語ることばでありますので、受ける教訓があります。
Σ(・ω・ノ)ノ

2015.5.13
水曜礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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