からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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敬虔

実を結ばない者にならないために

テーマは 『 実を結ばない者にならないために 』 です

【テトス3章14節】

私たち一同も、なくてならないもののために、正しい仕事に励むように教えられなければなりません。それは、実を結ばない者にならないためです。

神様が私たちの罪を赦して下さったのも たましいを救って下さったのも、私たちが良い実を結んで神に栄光をささげる者にするためです。


もちろん私たち自身も良い実を結ぶことで神にほめられ、神様から素晴らしい報いを受けます。


神様は私たちがどんなにきれいごとを言っても、へつらいのことばを使っても、それに惑わされる方ではなく、私たちが結んだ実を見て、私たちが何者なのかを評価します。


主から恵みを受けながらも、良い実を結んでいない人に対しては、厳しいさばきしかないので注意しなければなりません。


テトス3章では、実を結ばない者にならないためにはどうすべきかを教えています。




従順する者になる




救われていない時は 神が期待するような実はありませんでした。

その時の状態が悪かったからです。


【テトス3章3節】

私たちも以前は、愚かな者であり、不従順で、迷った者であり、いろいろな欲情と快楽の奴隷になり、悪意とねたみの中に生活し、憎まれ者であり、互いに憎しみ合う者でした。

良い実を結ぶことが到底出来ない状態でした。


ですから実を結ぶために、神のことばに従順する者になれば、自然と良い実、聖霊の実を結ぶことが出来ます。


以前の生き方を変えないならば、良い実を結ぶことは不可能です。




すべての良いわざを進んでする




良いわざに励むことを心がけるようにすることです。


【テトス3章1節】

あなたは彼らに注意を与えて、支配者たちと権威者たちに服従し、従順で、すべての良いわざを進んでする者とならせなさい。

【テトス3章8節】

これは信頼できることばですから、私は、あなたがこれらのことについて、確信をもって話すように願っています。それは、神を信じている人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。これらのことは良いことであって、人々に有益なことです。

【テトス2章7節】

また、すべての点で自分自身が良いわざの模範となり

主は信じる者たちに対して次のように語りました。


【マタイの福音書5章13節、14節】

地の塩です。世界の光です

と言われました。

また、このようにも語っています。


【マタイの福音書5章16節】

あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

良いわざに励んだ模範的な人がいました。

その人はコルネリオという百人隊長です。


【使徒の働き10章2節】

彼は敬虔な人で、全家族とともに神を恐れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神に祈りをしていたが、

【使徒の働き10章22節】 には “ユダヤ全国民に評判の良い人” と評価された人です。

神の目に留まった良いわざを行っていた人でした。


神はわざわざペテロを送って彼を祝福しました。

ユダヤ全国民に評判が良いとはすごいことです。




すべての人に優しい態度を示す者になる




【テトス3章2節】

また、だれをもそしらず、争わず、柔和で、すべての人に優しい態度を示す者とならせなさい。

残念ながら、私たちは まだまだこういう態度が足りないです。


古い人が出てくる時が多いし、優しく出来ない時も多いです。

ですから、努力して自分自身の態度を変えていかなければなりません。


心の中にある苦い根と雑草を取り除いて 心の畑を良い地にしない限り、良い実を結ぶことは出来ないと思います。




無益でむだなものを避けること




口数が多ければ多いほど、高慢であればあるほど、無益でむだなことに時間を使います。


聖書では無益な例をあげています。

『 愚かな議論、系図、口論、律法についての論争、空想話、悪口、噂話 』


これらのことを避けて、良いわざに励む時に 主が期待する実を結ぶことが出来ます。

アーメン v( ̄∇ ̄)v


2018.8.12
聖日礼拝メッセージ

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何を感謝するのか

テーマは 『 何を感謝するのか 』 です

【詩篇103章1-5節】

わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。

わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、

あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、

あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように新しくなる。

詩篇103編は、波乱万丈の人生を生きた ダビデ王が書いた箇所です。


103編は全部で22節ありますが、1節はこのように始まりました。


【詩篇103編1節】

わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。

そして22節は、次のことばで終わりました。


【詩篇103編22節】

主をほめたたえよ。すべて造られたものたちよ。主の治められるすべての所で。わがたましいよ。主をほめたたえよ。

これで分かるように、詩篇103編は「神の恵みに対する感謝の賛美」です。

ダビデは、どんな時にも 絶えず神に感謝の賛美をささげた人物でした。


感謝の賛美は、神がとても喜ぶいけにえなので、ささげるように言われています。


【ヘブル13章15節】

ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。

神の恵みを知っている人は誰でも、神に感謝の賛美をささげることが出来ます。

それも絶えずささげることが出来ます。


私たちは何を 神に感謝すべきでしょうか?





すでに受けた恵みに感謝すること




地上で神の恵みを受けていない人は、1人もいません。

すべての人は神が造った世界で、色々な恵みを 生まれながら受けています。


たとえ過酷な環境の中で生まれたとしても、神が最初からそのような環境にしたのではなく、良い環境だったところを人間が破壊して悪くしましたし、人間の罪と悪によって良いものを得られなくなったことが多いです。


信じる者は、“特別な恵み” を神から受けました。

本文にもあるように、


罪が赦されたこと、死から命に移され救われたこと、神の裁きの代わりにあわれと恵みと愛を受けたことに感謝しなければなりません。


そして、霊肉とも癒されたこと、サタンから解放されたことも、私たちが受けた恵みです。


このことを忘れず、絶えず神に感謝をささげることです。


感謝を忘れる時から罪が始まります。


イスラエル人が そのことを見せました。


長い間、エジプトで苦しんでいた民を 神はあわれんで、エジプトに厳しい災いを下して、イスラエル人を救い出しました。


そして追跡して来たパロとその軍勢に対しても裁きを下し、イスラエル人が無事に紅海の海を渡れるようにしました。

完全な救いでした。


その恵みを受けた直後に、モーセとイスラエル人は神に感謝の賛美をささげました。


【出エジプト記15章1-3節】

そこで、モーセとイスラエル人は、主に向かって、この歌を歌った。彼らは言った。「主に向かって私は歌おう。主は輝かしくも勝利を収められ、馬と乗り手とを海の中に投げ込まれたゆえに。

主は、私の力であり、ほめ歌である。主は、私の救いとなられた。この方こそ、わが神。私はこの方をほめたたえる。私の父の神。この方を私はあがめる。

主はいくさびと。その御名は主。

このように主が喜ぶ感謝の賛美をささげました。

しかし3日後には別の姿がありました。それは “主の恵みをすっかり忘れた姿” でした。


3日間、荒野を歩きましたが、水がなく、マラに来ましたが、その水は苦くて飲めませんでした。


すると民は次のようになりました。

民はモーセにつぶやいて、『私たちは何を飲んだら良いのですか。』と言いました。


受けた恵みのことは すっかり忘れて、現実の問題を見て つぶやきました。

これが人間の弱さであり、罪深さです。


受けた恵みをすぐに忘れることが多く、すぐ つぶやくので、「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」と言われてあります。


「受けた恵みなんか無い」という人は 大ウソつきであり、目が見えない人であり、良心が麻痺した人です。





今受けている恵みに感謝すること




現在受けている恵みに感謝するためには、満ち足りる心を伴う “敬虔” が必要です。


【第1テモテ6章6-10節】

しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。

私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。

衣食があれば、それで満足すべきです。

金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。

毎日、様々なニュースに接する度に 感謝することが多いです。


自然災害や事件、事故がない日はありません。

悲惨な目に遭った人が、特別に悪い人で 罪深いからでしょうか?


そんなことはないです。そういうことは誰にでも起こることです。

たまたま その人たちが そういう目に遭っただけで、自分たちも いつ どんな目に遭うかは誰も知らないです。


ですから、苦しみに遭っている人には 憐れみの心を持ち、いま自分が守られていることに対しては、感謝をささげないといけないです。


日々の食べ物があることが本当に感謝です。
家があることも感謝です。


トイレがあることも感謝です。
インドでは、トイレのある家が53%です。

他の貧しい国に行けば、もっとひどく トイレも水道も何もないです。


そこに生まれた人は、一杯の水でも感謝します。

それも また人々と分け合います。


快適な環境にいながら感謝しないと、本当に罰が当たりますね。


信仰の自由がある今、生きていることも感謝です。

この状況が いつ変わるか分かりません。


大きな患難がないこともすごく感謝です。


感謝できる恵みがいま存在しているのに、欲張りの心が働いて感謝出来ずにいるならば、その人は結局、悲しい末路を迎えることになります。





これから受ける恵みに感謝すること




これから受ける恵みに感謝するためには、神の約束を信じる信仰が必要です。

神の約束は保証された祝福であり、恵みです。


たとえ苦難の中にいる人でも、神の約束を知り、その約束を信じるならば 希望が出て来ます。

希望ある人は その保証された約束を信じて、苦難の中でも感謝することが出来ます。


苦難の中には、絶望だけがあるのではありません。


神は そこに “約束” という恵みを送って下さいます。


それを受け取る人は、恵みに感謝し、それによって勝利することが出来ます。

アブラハムの例を見ます。


【ヘブル11章17-19節】

信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。彼は約束を与えられていましたが、自分のただひとりの子をささげたのです。

神はアブラハムに対して、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる」と言われたのですが、

彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。これは型です。

アブラハムは約束を信じたので、イサクをささげるように 神から言われた時に、パニックになることもなく、神のことばに従順しました。


神は彼の信仰を祝福し、イサクの代わりになる一頭の雄羊を用意していました。

アブラハムは初めからそのことは知りませんでした。


祭壇の薪の上にイサクを載せ、刀を振り上げた時に 神が知らせて下さいました。


神が良いことをして下さったので、アブラハムはその場所をアドナイ・イルエ(主の山には備えがあるという意味)と名づけました。


約束に対する信仰、感謝を伴う従順があったので、神は特別な祝福を与えて下さいました。


神は特別な祝福を与えると約束して下さいました。

どのような人に与えるでしょうか?


【詩篇103編11-13節】

天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。

東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される。

父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。

主を恐れる人に特別な祝福を与えます。

次の箇所にもあります。


【詩篇103編17-18節】

しかし、主の恵みは、とこしえから、とこしえまで、主を恐れる者の上にある。主の義はその子らの子に及び、

主の契約を守る者、その戒めを心に留めて、行う者に及ぶ。

そして主は主を恐れる者に恵みと憐れみとの冠をかぶらせ、一生を良いもので満たされます。


過去に受けた恵み、いま受けている恵み、これから受ける恵みに感謝する私たちになれますように。
アーメン (*´∇`*)


2017.11.19
収穫感謝礼拝メッセージ

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好意を持たれるクリスチャンになるには

テーマは 『 好意を持たれるクリスチャンになる 』 です


【使徒の働き2章46-47節】

そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、

神を賛美し、 すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。

日本ではクリスチャン人口がとても少ないので調査をすることはあまりないと思いますが、
韓国ではクリスチャン人口が多いのでキリスト教倫理実践運動という団体が
“2013年 韓国教会の社会的信頼度 世論調査”を実施しました。

そこでは様々な人が参加をし、クリスチャンではない人たちも大勢いました。
宗教全体に対する調査もあり、カトリック教会、プロテスタント教会、仏教の信頼度などの結果が公開されました。





◎ 宗教や信者に対して信頼しているか?

信頼-[ 19.4% ]、信頼していない-[ 44.6% ]、普通-[ 36.0% ]
(信頼と答えた人の内訳  カトリック教会-[ 29.2% ]、プロテスタント教会-[ 21.3% ]、仏教-[ 28.0% ]


◎ 無宗教の人たちに聞いた各宗教への信頼度

カトリック-[ 32.7% ]、プロテスタント-[ 8.6% ]、仏教-[ 26.6% ]、
プロテスタントに対しては10%にも満たなかったです。


◎ プロテスタント教会の構成別信頼度

信徒-[ 30.3% ]、牧師-[ 21.1% ]、教会活動-[ 14.1% ]
牧師に関しては信徒よりも信頼度が低かったです。


◎ 社会奉仕活動
カトリック教-[ 32.1% ]、プロテスタント教-[ 41.3% ]、仏教-[ 6.8% ]


これらの結果を見て、初代教会の姿からは程遠いものを感じました。
韓国では アメリカから宣教師が来て、プロテスタントが拡がっていきましたが、当時は人々から好意を持たれていました。教会に対しては人々が迫害をしましたが、そこで働く人々の姿勢に対しては信頼度が高かったのです。
しかし、信者がとても増えたため 至る所に教会が建てられ豊かになりました。その反面、信頼度はどんどん落ちていきました。
その問題が 内部のものだけではなく、ニュースに流れるものでしたので、未信者や無宗教の人々が幻滅する姿に映りました

また、信徒よりも牧師に対する信頼度が低いのも、社会的に有名な牧師たちが様々な問題を起こしたためでした。

そして 教会の信徒たちに対する信頼度が、何故ここまで低いのか? ということも調査されていました。




① ほかの宗教に対する排他的態度-[ 24.0% ]
キリスト教を信じる人たちは、自分たちだけが正しいとし 他の宗教の人に対しては排他的な態度を取ることが信頼度を落としています。


② 不透明な財政使用-[ 22.8% ]
牧師が教会の財産をたくさん使ったり、長老たちが教会のものを自分勝手に運用することがニュースで報道されました。
宗教は 税金を支払っていないので、大きな教会になるとたくさんのお金があります。それを申告しないので、どのようになっているのか分からないのです。


③ 教会指導者-[ 21.0% ]
指導者たちの生き方そのものが人々の模範ではなく、贅沢三昧な生活をしたり傲慢な姿であったり、女性問題やお金の問題があって信頼度が落ちているのです。


④ 教会成長主義-[ 14.5% ]
教会の規模を大きくしようとするのは人々の目につきます。街で一番高い建物は教会であります。建てること自体は悪いことではありませんが、
正しい成長をしていないのに(無理やり人を引っ張ってくる等)、人数が多くなったことを周囲に自慢します。


⑤ 信徒たちの生活そのもの-[ 13.1% ]
「そんなことをして、それでも信徒か」と人々は見ているのです。



信頼度が低い・信頼しない理由

◎ 言語一致していない
口先だけ色々なことを語りますが、行動が伴っていないです。

私たちは、自分たちと関係がないとは言えないです。
聖書に書かれている初代教会の姿は、世界中の教会でもなかなか見られなくなりました。

宗教の対立は霊的なものでありますので、対決は必ず起こります。
しかし 私たちが非難される者になるならば、それは間違えた姿であります。


クリスチャンはイエス様によって価値ある者にされました。しかし、価値ある者になれたはずなのに本人が価値のないものにしてしまうならば、神様がすごく悲しみます。

不正などのニュースはとても耳が痛い話ですが、私たちはこのようなことに対して改善していくべきです。
そのような問題があることで 私たちは人々に福音を伝えることが出来ないと言い訳をし、何もしないのは大きな間違いであります。
間違えたものは改善していかなければならないです。


私たちは教会そのものを動かすことは出来ませんが、「私自身」というものを変えることは出来ます。
自分1人を変えることで周囲の見方が変わるのです。1人1人がとても大切です。




どのように改善していくべきでしょうか――?


① 忠実な生き方をする

これは真面目な生き方をするのとは意味が違います。
クリスチャンにとって忠実な生き方とは、「敬虔な生活」であります。

人々がクリスチャンを見て、最初に求めているものは敬虔な姿です。真理に対して言語一致な生活です。
人は 口先ばかりの発言をする人を嫌います。言うだけで何もやっていないのは忠実な生き方ではないです。

神と共に生きる姿とは、みことば・真理の中を歩み、神様が望むことすることです。
神様がやって欲しいと思うことをよく聞き、それを毎日の生活の中で実行していくことは敬虔な姿であります。



② 愛する生活

【Ⅱテモテ3章1-4節】

終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。

そのときに人々は、自分を愛する者、 金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することも知らない者、汚れた者になり、

情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、

裏切る者、向こう見ずな者、 慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、

一番初めに「自分を愛する者」と書かれていますが、神様が、愛する生活をしなさいというのは、自己愛ではないです。 「私が一番大切」、「私が一番」というのは堕落した人間の姿であります。

イエス様は自分を捨てました。神様が語る愛とは、他人を愛する愛であります。
自分を愛する者は それを捨てない限り、神や他人を愛することはできないです。他人に犠牲を払うことが出来ないです。


愛とは自己犠牲があるものです。
自分の時間を他人に捧げるのは嫌というのは愛ではなく、それは「私が(他人のために)苦しむのは嫌。近寄るな、向こうへ行け」という自己愛からきており、 自分中心であるのです。

もしも、なぜ私は他人を愛することが出来ないのか――?と思うならば、それは自己愛が強過ぎるからです。

愛は、自分から手を差し伸べることであります。相手を洗うために自分の手を汚すことであり、そして 自分の物を相手に与えることです。

他人を愛すると言いながらも、文句ばかりを言って 感謝をせず相手を利用するのは愛ではなく、悪魔の心であります。本物の信仰は、キリスト教という垣根を巡らし、自分だけが正しく、他はみな悪魔の子だと追い出す偏ったものではないです。


本物の信仰は“だれでも”神の公義の愛によって接することです。そうする時に彼らにもイエス様による救いを得るチャンスが来ます。いつも彼らに愛の手を差し伸べたり、継続して声をかけるのです。すると相手の人たちも自分たちに興味を持つのです。

キリスト教が非難される理由も“本物の愛”が消えたのがその原因であります。



③ 良き香りを放つ姿

香りは、無理やり作り出すものではないです。
人々は良い香りを出すために香水をかけますが、それは鼻が痛くなることが多いです。周りに迷惑な時もあります。お花も綺麗ですが香りがキツイお花もあります。

しかし、野の花はどうでしょうか――? 野の花はとても素朴であります。
あまり気付かれない存在ですが素朴な美しさがあり、周りにかすかな香りを放つのです。

クリスチャンはそうあるべきです。
私たちは、神と共に歩むなら イエス様の香りが自分に移り、自分でも知らぬ間に(自分から)良い香りが出てくるのです。


自分の口から出てくる言葉、自分の行動から出てくるもの、自分の生き方から出てくるものが、人々に不愉快な思いにさせるかどうかを 冷静な目で調べることであります。

怒ったり 不平不満を言うと醜い顔になります。私たちが地上から離れ、神様が私たちの顔を見たときに「あなたは、わたしの美しい花嫁である」とは絶対に言わないです。
「表情はあなたの一生を証明するものだ。わたしの花嫁には相応しくない。向こうへ行きなさい。」と言われます。


クリスチャンとして 私たちは周りから見られているのです。自分が(キリスト教の)信頼度を落としていく者にはならず、自分たちの生き方を通して今までキリスト教に対して 非難をしていた人たちが 非難することが出来ないようにすべきだと思います。

感謝をする人、いつも笑顔である人、真理の言葉と一致する生活、常に人々に愛を示す生活、
自分だけを愛して地獄へ落ちるよりは、自分の犠牲を払って美しい姿に生まれ変わる方が良いです。

そのような生き方をして神様に栄光を捧げていきたいと思います。

本物の信仰も、本物の愛も 愛する対象を最後まで信じることであり、それを最後まで守ることです。
少しだけ愛して、相手が自分の思い通りにならないからと手を抜くということは、本物の愛ではないです。

信仰も愛も同じで、最後まで耐え忍ぶのが「愛」であります。 (´∀`*)

2014.2.9
聖日礼拝メッセージ

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聖く生きるために

テーマは 『 聖く生きるために 』 です

【ガラテヤ2章20節】

パウロが語った言葉です。キリストにあって敬虔に生きるための毎日の自己宣言であります。

クリスチャンは古い罪からイエス様の十字架によって聖められていますが、
私たちが罪を犯すと汚くなります。衣服でもそうですが、私たちの霊の状態も
日々罪を洗わないと、以前の姿に戻ります。

天の御国は罪が存在しなく、誘惑がないです。サタンもいないので、
永遠の御国の世界に入ると私たちは聖くあります。

しかし、この地上は汚れた場所であります。この地上はサタンが支配するところであります。
罪が溢れるところで私たちが生活をしています。汚くならないわけがないです。

その中で日々私たちが聖くなるには、何もしないわけにはいかないです。
(イエス様を)信じたから敬虔な生活が自然にできることはないです。

「御言葉を読むから、祈るから、教会に行くから、礼拝に参加するから、奉仕をするから・・・」
それで自分が聖くなることは有り得ないです。

そういうすべてのものを私たちが活かして実践するなら、自分たちの欲を十字架につけて
初めて私たちは敬虔なものになります。


【エレミヤ書17章9節】

私たちは聖められても、聖められても、自分たちの深いところには まだまだいっぱい汚れたものが
あります。

私たちは自分の心を他人には見せたくないものですね。
他人の心は知りたいと思うのですが、自分の心は絶対に他人には見せたくないです。

それは、なぜかというと、心の中に汚れた物がいっぱいあるからです。
どんな人にも悪があります。それはなかなか治らないです。

打ち砕いても、打ち砕いても、変わろうと決心しても いつも倒れます。
(神様を)信じる、信じないに関わらず、人間であるなら誰でも同じです。

信仰生活は簡単ではないです。
罪を犯す生活は自分の欲のままに生きたら良いので簡単ですが、
自分の中の汚れたもの、汚い罪を、自分で日々十字架につけるということは、難しいことであります。

パウロの中にある一番の葛藤な何でしょうか?(私たちの戦いとは少し違います。)
―― それは律法との戦いでした。

パウロは誰よりも熱心に律法を守っていた者でした。
それからイエス様を信じて、そこから離れなければならないのに、恵みの中に生きようとすると
自分の中から出てくる律法という自己義が出てきました。

パウロは必死にその思いと戦っていました。

奴隷ということは 「 服従 」 を意味します。

罪の奴隷であるということは、罪が言うことをよく聞き、服従することであります。
私たちが(救われる前の)罪の奴隷の時は、悪に従順しました。
悪に服従すると、悪の力がさらに強くなり私たちを支配します。

悪に服従すると心に闇がどんどん入ってきます。闇が入ってくると滅びがきます。
滅びがくると、死がきます。魂も肉体も永遠の死です。

義の奴隷として生きるということは、義に対して従順することです。
それは真理に従順する姿であります。神様の御言葉に従って生きることを意味します。

日々、心の割礼を受けなさい。あなたの心を引き裂きなさいと主がおっしゃいます。
それは悔い改めることであります。

悔い改めは聖く生きるために必要なものであります。どんなに私たちが努力しても、
私たちは誘惑に弱い者ですから罪を犯します。

人々は臨在を求めますが、神様の導きに従うことはあまりしないです。

自分の思いを砕かなければ服従はできないです。義の奴隷になるには、
神様のみことばに従順し恵みを受けて、その中で生きることをしないと聖めることはできません。

神様は、神様ご自身を認めて従順する人たちをさらに恵み豊かに与えてくださいます。

(神様は)神様の子供である私たちを赦してくださいますが、赦してくださるからといって、
それを軽く考えていてはいけないことであります。

また、パウロは世に対して彼は死んで、神の御国のために生きました。
私たちも敬虔に生きたいと思うならば、世に対して死ななければなりません。
世ということは、目の欲、肉の欲、暮らし向きの自慢、この世を愛することです。
それらを十字架につけなければならないです。

サタンが与えるものは私たちが手に入れた瞬間に捕えられて、闇が入ってきます。
日々、自分の中にある欲を十字架につけないと、その欲のために自分が後でひどい目に遭います。

悪に対する報いがすぐに出てこないので、多くの人々が罪を恐れずに平気に誘惑され罪を犯します。
しかし、自分が犯した罪に対しては他人が刈り取ることがないです。自分が刈り取ります。


【Ⅱコリント10章18節】

自分を良く見せて、色々なものを身に着けて、自分で自分を推薦する人を
神様は「そういう人は信用できない」と語っておられます。
そうではなくて、主に推薦される人、その人の心を見ておられる神様ですので、
「この人は聖い人だ。」、「この人は信用できる人」、「この人の中には偽りがない」など
私たちは神様に推薦される人を目指さなければならないです。

私たちは毎日、自分が誘惑されそうなものを十字架につけることであります。
・高慢 ・自分を正しいと思う心 ・妬み ・憎しみ ・野望 ・世を愛する心 ・人を人とも思わない心
色々なものに誘惑されて溺れている自分の姿を日々、そこにつけます。

自分の姿を見て、自分は本当に羊の姿なのか?山羊ではないのか?と
自分で自分の姿を見なければならないです。

聖く生きる者が天の御国を相続します。

私たちはしんどくても、嫌でも日々叩かなければならない姿であります。

日々、自分を棄て、自分を十字架につけ、十字架を負って神様に従わないと、
天国には入れないです。

目を覚ましていないと罪を犯しやすいので、もっと日々の生活に気を付けなければなりません。

私たちは他人を非難する資格はありません。

他人には綺麗ごとを言っていても、裏を見ると汚いものが出てきたらもっと恥ずかしいです。
毎日起きた時、また、その都度することは、自分の肉の思いを十字架につけていくことです。 ((=゜エ゜=))

2013.3.17
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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