からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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教会

空中再臨と地上再臨

テーマは 『 空中再臨と地上再臨 』 です

【使徒の働き1章9-11節】

こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。

イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。

そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」

キリストの誕生、キリストが受けた苦難、十字架、キリストの死、そして 復活は、すでに過去に起きたことなので、キリスト者はもちろん知っていますが、未信者の中でも多くの人が知っています。


しかしキリストの再臨はどうでしょうか?

未信者の人は、ほとんど知らないと思います。


キリスト者の中では 再臨を信じて、日々 主の再臨を待ち望んでいる人もいれば、信じない人もいますし、頭では知っていますが、あまり関心もなく 準備をしない人も多いです。


しかし “再臨” は必ず起こることで、すべての終わりを意味します。


いのちと死、救いと滅び、天国と地獄 に分かれていきます。

(その時になってからでは)チャンスがないです。


再臨に対して 主ご自身が何度も語り、主の弟子たちも聖霊によって語りました。


主の再臨は二度あります。


一度だと思っている人は間違えています。

なぜならば 空中再臨と地上再臨は、“目的と再臨の時の様子” が全然違うからです。


今回は、空中再臨と地上再臨の目的と、その時の様子、そして空中再臨の時に起こる 聖徒の携挙について学びます。

携挙されるためには どうしたらよいのかも話します。


再臨の間にある様々なことは、内容が膨大なので、また別の礼拝の時に伝えます。




空中再臨の目的と主の姿、聖徒の携挙




主は、主の再臨を待ち望んでいる聖徒たちを迎えるために 空中再臨をします。


キリストは、そのことを “花婿が花嫁を迎えに行く姿” だと語りました。


主が空中再臨するので、その時に聖徒の携挙が起こります。

空中の主の所に、地上から引き上げられ、主に会います。


【マタイの福音書24章30-31節】

そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。

人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。

【第1テサロニケ4章16-17節】

主は、号令と、御使いたちのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、

次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

この時に携挙される聖徒たちにとっては、この日は 最高の喜びの日であり、祝宴の日であり、愛する主に会う最高に幸せな日になります。


結婚式に望む花嫁の姿になります。

その時に、朽ちない体に変えられ、地上を離れて永遠の御国に入ります。


(※携挙のことは、とても奥が深いので また別の日に話します)


空中再臨の時の主の様子は、大能と輝かしい栄光を帯びて雲に乗った姿です。


その時のイエス様の姿は、十字架で死んだときのような悲惨な姿ではありません。

勝利した王の王、主の主の姿です。



空中再臨の時、地上では かつてないほどの大患難が始まっています。


長い間、人間の悪に対して忍耐した神の怒りの裁きが始まっています。


信じない者、悔い改めない者、にせ預言者、サタンに従って あらゆる悪を行った者、そしてこの世と妥協し堕落した信徒、警告を無視し生ぬるい信仰で準備が出来なかった信徒たちは、地上に残されて激しい迫害を受けます。


しかし目を覚まして主の再臨を迎える準備が出来た信徒たちは、すでに引き上げられているので その苦しみを受けることはありません。




地上再臨の目的と主の様子




空中再臨の後に、地上再臨があります。

地上再臨の目的は、世界を完全に滅ぼすためです。


悔い改めることもなく 主を信じず、偶像崇拝をし、あらゆる悪を行った者に対する裁きです。


この時の主は、厳しい裁き主として来られます。

どのようなことをするのか、次の聖書のことばにあります。


【ヨハネの黙示録19章11-21節】

また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、「忠実また真実」と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。

その目は燃える炎であり、その頭には多くの王冠があって、ご自身のほかだれも知らない名が書かれていた。

その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。

天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。

この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。

その着物にも、ももにも、「王の王、主の主」という名が書かれていた。

また私は、太陽の中にひとりの御使いが立っているのを見た。彼は大声で叫び、中天を飛ぶすべての鳥に言った。「さあ、神の大宴会に集まり、

王の肉、千人隊長の肉、勇者の肉、馬とそれに乗る者の肉、すべての自由人と奴隷、小さい者と大きい者の肉を食べよ。」

また私は、獣と地上の王たちとその軍勢が集まり、馬に乗った方とその軍勢と戦いを交えるのを見た。

すると、獣は捕らえられた。また、獣の前でしるしを行い、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も、彼といっしょに捕らえられた。そして、このふたりは、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。

残りの者たちも、馬に乗った方の口から出る剣によって殺され、すべての鳥が、彼らの肉を飽きるほどに食べた。

この時は雲ではなく 白い馬に乗って、一人ではなく 勝利した聖徒たちと共に来られます。


【ゼカリヤ書14章3-5節】

主が出て来られる。決戦の日に戦うように、それらの国々と戦われる。

その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山は、その真ん中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ移り、他の半分は南へ移る。

山々の谷はアツァルにまで達するので、あなたがたは、わたしの山々の谷に逃げよう。ユダの王ウジヤの時、地震を避けて逃げたように、あなたがたは逃げよう。私の神、主が来られる。すべての聖徒たちも主とともに来る。

主が地上再臨する時が世界の終わりです。


それまでに地上では すでに多くの災難や戦争や疫病などで、多くの人々が死んでいます。


黙示録に詳しいことが全て書かれてあります。




携挙されるためにどんな準備をすべきなのか




携挙される聖徒はわずかで、多くの聖徒たちは残されると言われてあります。


信仰告白した人ならば、全員携挙されると言われることばは、事実ではありません。


目を覚まして用意していない人は残されます。

口先だけの信仰で良い実を結んでない人も残されます。


聖くなければ、だれも主を見ることは出来ません。




二重生活 (信仰と生活が別々)




生活の中に 信仰の実がなく、死んだ信仰、むなしい信仰、無価値な信仰生活をしている人は、悔い改めない限り 携挙はないです。


神の御心に適う信仰、神が認める信仰 (不平、不満、つぶやき、不安、絶望、怒り、悲しみの生活、世を愛して世に従うのではなく、


主を一番に愛すること、福音にふさわしく生きる、光と塩の生活、真実で偽りのない生活、聖別された生活、


いつも喜び、絶えず祈り、すべてに感謝する生活、主に従う生活をする、みことばに従う生活、祈りの生活、罪の悔い改め(聖さ)、罪から離れる生活、偽善を捨てる)を持って、再臨を準備する人を 主は患難の時に引き上げて下さいます。



黙示録の七つの教会のうち、五つの教会から非難と悔い改めが命じられました。


非難されていない教会に対しては、主の約束のことばがありました。

それは携挙とも思われます。


【ヨハネの黙示録3章10節】

あなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。

主のことばを守って生きている者に対して、主も守って下さると約束してくださいました。




主の再臨はとても近い




再臨の前兆に対して聖書は啓示しました。

いま すべてが成就されました。


その啓示には、イスラエルの建国、ロシアの浮上、信仰からの離脱、背教、旅行と知識の増加、新世界政府の計画、戦争や内戦などがありますが、すべて預言通りになりました。

これ以外にも様々な前兆があります。


【マタイの福音書24章42-44節】

だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。

しかし、このことは知っておきなさい。家の主人は、どろぼうが夜の何時に来ると知っていたら、目を見張っていたでしょうし、また、おめおめと自分の家に押し入られはしなかったでしょう。

だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。

空中再臨も地上再臨も 作り話ではありません。


今 世界は混乱があり、たくさんの問題があります。

以前とは違いますね。


聖徒に対する残忍な迫害もあります。

多くのクリスチャンたちは、この時代がどれほど深刻であるのかを全然知らないです。


教会は 時代を分別出来ず、沈黙しています。

再臨の話をすると、まるで異端や頭のおかしい人のように見ています。


主のことばに耳を傾け、この世を見て下さい。

主のことば通りになってあります。


信じて行動する者になりましょう。

主の再臨への準備がとても必要です。
Σヾ( ̄0 ̄;ノ

2017.3.26
聖日礼拝メッセージ

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礼拝を捧げる姿勢

テーマは 『 礼拝を捧げる姿勢 』 です


ハレルヤ。

今日1日も主の導きと守りがあることを祈ります。

今年も神様の前で私たちは礼拝を捧げるようになります。


形式的に捧げる礼拝にならない為に、どのように礼拝すべきかをもう一度話したいと思います。


まず、私たちは礼拝の対象は、この世を創造し、私たちを造ってくださった1人の神様であることを覚えましょう。

他のどんなものに対しても私たちはそれを礼拝の対象にしてはいけないです。


多くの礼拝の中に、伝統に従うとか、人間的な想いから出た様々なやり方で礼拝を捧げますけれども、それは神の前には何の価値もなく、愚かな者に過ぎません。


神様の前に礼拝を捧げる時には、神様が語ってくださったように霊とまことを持って礼拝をしなければなりません。


霊とまことを持って礼拝を捧げることは、どういうことでしょうか?


神様に目を向け、神様に集中することです。

そして自分の心から礼拝を捧げることであります。


礼拝の中でも、多くの雑念が私たちの礼拝を妨害する時があります。

その時には、祈りによって雑念を追い出し、もう一度神様にしっかりと目を向けましょう。


そして神様に捧げる礼拝は、教会に来られた時だけではありません。


教会に来ていない毎日の生活の中でも、私たちは神の栄光を現しながら、神様が喜ぶ生活をする時に、そのことが神を喜ばせる礼拝になります。


生活と礼拝を分離することは出来ません。


教会に来ては御使いの顔をして、教会を出た瞬間から悪魔の顔になったらいけないです。


教会を出て仮面を脱いで、世の人々と同じように肉に従って生活をして、礼拝を捧げるその時だけ天使の仮面を被って 教会に入ってきて礼拝を捧げても、その礼拝は神様が受け入れることができません。


また、神に捧げる礼拝は、くちびるの賛美のいけにえを捧げなければなりません。


多くの人々が、ただ口を開いて賛美をしたら、神様がその賛美を受け入れてくださると思うんですけども、賛美はそういうものではありません。


賛美そのものも神に捧げるいけにえでなければならないです。


私たちが口を開いて主の御名をのべ伝える時に、それは立派なくちびるの実になります。

神への賛美になります。


祈りを中止しながらも、賛美生活をしない人も多いし、みことばには忠実でありながらも、賛美を飾りほどに考える人々は、自分の無知を悔い改めなければなりません。


【へブル13章15節】

ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくびちるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。

心から出てくる神様への感謝、神の御名を高めること、心からの祈り、私の手の奉仕、このすべてが神様に捧げられるものになるならば、神様はその礼拝を喜んで受け入れてくださいます。


このような姿勢を持って、神様に礼拝していきましょう。
(・∀・)


2017.1.9
3分テレフォンメッセージ

(毎日24時更新):06-6618-9105 、06-6618-9106

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五つの教会が受けた主からの非難と対策

テーマは 『 五つの教会が受けた主からの非難と対策 』 です

【ヨハネの黙示録1章10ー11節】

私は、主の日に御霊に感じ、私のうしろにラッパの音のような大きな声を聞いた。

その声はこう言った。「あなたの見ることを巻き物にしるして、七つの教会、すなわち、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィア、ラオデキヤに送りなさい。」

先週は 七つの教会の中で、主からほめ言葉をもらった六つの教会を学びましたが、今回は七つの教会の中で、非難を受けた教会が五つもありましたので、どの部分が非難されたのか。


そして、それを変えるために、どのような対策を主から受けたのかを学びます。




◎ エペソ教会




【ヨハネの黙示録2章4ー5節】

しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。

それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。

この教会の問題は、初めの愛から離れたことでした。


他のすべてが良かっただけにこの部分は残念であります。

しかしこのような教会がたくさんあるのも事実です。


なぜ初めの愛から離れてしまったでしょうか。

奉仕や活動ばかりに心が向いてしまって、いつの間にかキリストとの交わりが減り、キリストへの関心も減り、ないがしろになってしまいました。


家庭で例えるならば、家族のために仕事を熱心にするのは良いですが、時間がなくて家族と話す時間も 共に食事する時間もなく 愛し合う時間もないことです。

家庭に一番必要なものが抜けていきます。


それによって すれ違いが生じ、心が離れていきます。


教会に多くの行事があるのを主が喜ぶでしょうか。

それに忙しくて、神とゆっくり交わる時間も 聖徒同士ゆっくり交わる時間もないのが主の願うことでしょうか?
―― そうではないです。


初めは自分たちの心がキリストで満たされていたのに、ある時から無関心になりはじめたのは、主が“どこから落ちたのかを思い出しなさい” と、対策を教えて下さいました。

そして “悔い改めなさい” と語ってくださいました。


自分たちの心が再びキリストに満たされ、キリストと新たな関係を結んで初めて 悔い改めたことになります。


主が一番願うのは“主を愛すること”です。


奉仕ではなく、イベントでもないです。

まずは主を愛し、主の栄光のために働くことです。


いまエペソ教会は存在しません。

エペソ教会があった地域から数キロ以内に教会は存在していなく、イスラムが支配しています。

キリストが燭台を取り外してしまいました。
悲しいことです。




◎ ペルガモ教会




【ヨハネの黙示録2章14ー16節】

しかし、あなたには少しばかり非難すべきことがある。あなたのうちに、バラムの教えを奉じている人々がいる。バラムはバラクに教えて、イスラエルの人々の前に、つまずきの石を置き、偶像の神にささげた物を食べさせ、また不品行を行わせた。

それと同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを奉じている人々がいる。

だから、悔い改めなさい。もしそうしないなら、わたしは、すぐにあなたのところに行き、わたしの口の剣をもって彼らと戦おう。

バラムは旧約聖書に出てくる にせ預言者で、イスラエル民族をつまずかせた預言者でした。


神は彼がしようとしたことを止めたので、最初はそれに従いましたが、結局 後で彼はイスラエル民族が神に罪を犯すようにたくらみ、イスラエル民族はそれに引っかかりました。

バラムの教えとは、不道徳と偶像崇拝へ導く教えでした。


多くの哲学も教会の中に入り、教会の中に教理というものも出来てしまいました。

非真理に対しては、真理であり 両刃の鋭い剣である “主のことば” で戦わないといけないです。


この時期に異教の多くの教えが教会に入りました。

多くの異教徒の教えが入ると、教会はどうなってしまうでしょうか?


カトリックがやっていることは、聖書にないことですが、それらのものが生まれました。

死人のための祈り、十字架を拝むことや聖人やマリア崇拝、裁きに対する間違った教えなどがあります。


このような混ぜ物で、教会は堕落していきます。




◎ テアテラ教会




【ヨハネの黙示録2章20ー23節】

しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは、イゼベルという女をなすがままにさせている。この女は、預言者だと自称しているが、わたしのしもべたちを教えて誤りに導き、不品行を行わせ、偶像の神にささげた物を食べさせている。

わたしは悔い改める機会を与えたが、この女は不品行を悔い改めようとしない。

見よ。わたしは、この女を病の床に投げ込もう。また、この女と姦淫を行う者たちも、この女の行いを離れて悔い改めなければ、大きな患難の中に投げ込もう。

また、わたしは、この女の子どもたちをも死病によって殺す。こうして全教会は、わたしが人の思いと心を探る者であることを知るようになる。また、わたしは、あなたがたの行いに応じてひとりひとりに報いよう。

非難されたことは、イゼベルという にせ預言者の働きを許したことでした。


旧約時代のイゼベルは残忍な殺人者であり、異教徒でイスラエルの中でバアル崇拝を大々的に行った人物でした。

にせ預言者イザベルも、不義の偶像崇拝を教えていました。

そして決して悔い改めませんでした。


にせ預言者は サタンの霊に完全に支配されて、教会を内部から潰す働きをしますし、信徒たちを惑わして地獄に落とす策略で活動しますので、その者が受ける罰は サタンが受ける罰と同じです。


光の天使のように変装し、神から来たメッセージだと言いますが、中身はオオカミです。

それに騙されないことがとても大切です。

それに従う者は真理から離れて行きます。




◎ サルデス教会




【ヨハネの黙示録3章1ー3節】

また、サルデスにある教会の御使いに書き送れ。『神の七つの御霊、および七つの星を持つ方がこう言われる。わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる。

目をさましなさい。そして死にかけているほかの人たちを力づけなさい。わたしは、あなたの行いが、わたしの神の御前に全うされたとは見ていない。

だから、あなたがどのように受け、また聞いたのかを思い出しなさい。それを堅く守り、また悔い改めなさい。もし、目をさまさなければ、わたしは盗人のように来る。あなたには、わたしがいつあなたのところに来るか、決してわからない。

“生きているようにされているが、実は死んでいる教会” とは、どのような教会でしょうか。

真理ではないものと妥協する教会のことです。


御言葉に従って信仰生活をするのではなく、様々な教理や形にとらえられた “形” だけの教会です。

名ばかりの教会で、そこには いのちも主の臨在もありません。


どんなにたくさんの人や活動があったとしても、それが主の心に適っていないならば 主はそれを神の働きではなく、人の働きと見ます。

すなわち神とは何の関係もないということです。


このような姿も、多くの教会の中で見られる姿です。

真理に戻り、神が喜ぶことをしないといけないです。




◎ ラオデキヤ教会




【ヨハネの黙示録3章15ー19節】

「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。

このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。

あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。

わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現さないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。

わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。

無関心、なまぬるく無気力が彼らの姿でした。


見た目は何一つ乏しいものがないように見えました。

しかし彼らの霊の状態は みじめで、哀れで、貧しく、盲目で、裸でした。


神聖な部分がなく、教会が世俗化されてしまいました。

クリスチャンと言いながら、重要なキリスト教理を軽く考え、世の価値観で生きる人、反キリスト的な思想で生きている人、御霊に従うよりは肉に従うことを好む人たちがたくさんいる教会です。


それが当たり前のような教会で、悔い改めることもない教会です。


【第2テモテ3章5節】

見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。

主から指摘された悪い部分を直すこともなく、放置するならば、それが癌細胞のように広がって命取りになります。


主がいない建物だけの教会、いのちのない死体のような信徒たちになってしまいます。


悔い改めることが一番の対策であることを主が教えて下さいました。
。゚(゚´Д`゚)゜。

2016.9.11
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悪魔の正体と策略

テーマは 『 悪魔の正体と策略 』 です

【第1ペテロ5章8-9節】

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。

堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。

聖書には神の存在だけでなく、悪魔の存在も現れています。


そして、悪霊が 人間や人間世界に及ぼす悪い影響に対しても詳しく教えています。


イエス様も悪魔と戦いました。

そして 私たちもこの悪魔と戦うように言われました。


この教会では、いつも霊的戦いをしていますが、ますます悪魔の働きが強くなっているので、身を慎み、目を覚ますために さらにしっかりと悪魔の正体と策略に対して学びます。




悪魔の正体



悪魔には様々な姿があるので、それによって呼ばれる名前も違います。


聖書の中にある名前だけでも、20以上はあります。

  • 暁の子
  • 明けの明星
  • 悪魔
  • サタン
  • ベルゼブル
  • 悪い者
  • 人殺し
  • 偽り者
  • 世を支配する者
  • この世の神
  • ベリアル
  • 空中の権威を持つ支配者
  • 暗闇の世界の支配者
  • 誘惑者
  • 死の力を持つ者
  • 底知れぬ所の御使い
  • アバドン
  • 大きな赤い竜
  • 古いへび
  • 全世界を惑わす者、訴えている者

などがあります。


聞いただけでも悪者の姿が想像出来ます。

悪魔は アダムとエバを堕落させ、彼らの祝福を盗み、神との関係を壊し、死をもたらした悪い存在です。

そして今も同じことを人間や世界にしています。


悪魔が堕落した天使であることは、クリスチャンならば知っています。

霊の存在であり、霊の世界に対してはとても詳しいです。


霊の世界は 架空の世界ではなく、“現実よりもリアルな世界” です。


すべてのものは 霊の世界から始まりました。

物質の世界は、後から創造されました。


神が遣わす御使いは聖徒に仕える霊ですが、悪魔は聖徒たちを攻撃する悪の働きをします。


(悪魔は)死の力をもって人々と世界を支配する、暗やみの支配者です。

軽く見てはならない存在です。

策略家であり、世界でどんな悪でも平気に行う存在で仲間がたくさんいます。




悪魔の働き



今日の本文にあるのが悪魔の働きです。


ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら歩き回っています。

活発な働きを全世界でしています。

戦争もテロも事件も、悪魔の働きによるものがほとんどです。


獅子が獲物を捜すのは 食い尽くすためで、その手にかかれば、いのちが危険です。

イエス様が語ったことばが、ヨハネの福音書にありますが、これは悪霊の働きを見せてあります。


【ヨハネの福音書10章10節】

盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。

人殺しが計画的に人を殺すように、悪魔も計画的に人を狙って働きをします。

悪魔は今も激しく神に敵対するために活動しています。


そのために教会を攻撃し、信徒たちを誘惑し、あらゆる手段を使って人々が救われないように妨害します。


神様とは反対のことをするのが 悪魔の働きです。

悪魔は働きのために緻密な作戦や策略を立てて実行します。


この策略を聖徒たちは知らないといけないです。


信じてない人たちはサタンの支配下にあるので、いつでもサタンは好きなように出来ます。



サタンは、豊かに祝福することも出来ますし、成功させることも出来ます。
しかしサタンは 彼らのたましいを手に入れてあるので、最終的には地獄に突き落とします。


そして、その結末に大喜びする恐ろしい悪魔です。


聖徒を落とすためには霊的戦いが必要なので、悪魔は、神に敵対する時には 巧妙な策略を立てます。


多くのクリスチャンたちが サタンに対して無知で、霊的戦いに対しても知らないのでほとんど悪魔が勝利しますね。


クリスチャンたちは教会に通っているだけで満足し、世の人と変わらない霊的状態です。


霊の目も耳も開いていなく、ラオデキヤ教会のような状態がとても多いです。


サタンから見たらありがたい状態で、とても働きやすい環境です。




悪魔の策略



実際に悪魔に長い間 仕えていた人から聞きました。

びっくりするような内容が色々ありました。


悪魔に対しても、その策略に対しても何も知らないクリスチャンが多過ぎることは怖いことです。


聖徒が “キリストの兵士” と呼ばれるように、悪魔にも “悪魔の兵士” と呼ばれる者たちがいます。


彼らはすごい策略を持って、キリストの兵士たちを攻撃して勝利しています。

ものすごい力を持ってありますし、とても熱心です。


しかしキリストの兵士たちの多くは 寝ていて、サタンの捕虜にされてしまいました。

サタンに悩まされています。


悪魔の策略は、まず地域に呪文や呪術をかけてイエス・キリストの真理が入らないように妨害します。

その地域に貧困、病気、淫乱、暴力、麻薬の霊などを送って、その霊が地域を支配するようにします。


世界や地域を見ると よく分かります。


日本もその霊に強く支配されているので、福音が入らないです。

偶像が盛んです。


神の命令で、初めて八戸ノ里に来た時も、強いサタンの力を感じて、恐れと不安が出たので道端に立ったまま祈りをしましたが、体が震えた記憶があります。


そして教会開拓をしたくない思いが出ました。

しかし神の命令があったので開拓をして 今に至りました。






2年前に神様が夢でこの地域を支配しているサタンの陣地をはっきりと見せて下さり、人々が霊的にサタンに捕えられ縛られていることを見ました。

そのことをはっきり覚えています。

サタンの働きがどれほど強いかを見せて下さいました。


アルコール、ギャンブル、麻薬、スマホ中毒など、中毒と呼ばれる状態は99.99%サタンの働きです。


サタンは最初 (その人に)“一回だけ”と誘惑をします。

そして快楽を与えます。


それがまだ弱い時は抜け出ることも出来ますが、中毒にかかると自分の意思では もはや無理です。


それはサタンに完全に支配されてあるので、そこから抜けることは 本人の意志では不可能で、霊的戦いが必要であり、神の助けが必要です。


悪魔は、人々の心に 自分たち(悪魔)を神のように信じる心を入れ、真理に対しては疑いを入れて 真理を信じないようにし、十字架を否定するようにします。


たとえ信じたとしても十字架から分離させるために、真理が悟れないように攻撃します。

人は救われた瞬間から戦いが始まります。
それはサタンとの戦争です。


救われた人には、“神の目的と使命” がありますが、サタンはその目的と使命を私たちから取り除こうとします。

そこからサタンとの戦争が始まり、サタンが激しく攻撃してきますが、多くの人はそれを神様のせいにします。


悪いことが起こると すべて神様のせいにして、誰もそれをサタンのせいにはしないです。

教会の外にいる人も教会の中にいる人も同じことを言います。


病気、苦難、貧困、出世が出来ないことなど、人生で起こる様々な問題を 全て神様のせいにします。
これは間違いです。


誰もサタンの仕業と思わず、神のせいにして神を攻撃するので 人々は神から離れ、サタンの存在には気付かないので サタンは自由に好きなことが出来ます。


それがサタンの巧みな策略です。

神のせいにして神から離れさせる作戦です。


長く教会に通っていても真理を悟ってないならば、(真理を悟らないように)サタンによって覆いが掛けられています。


そして形だけの信仰にさせます。
多くのクリスチャンが “名ばかりのクリスチャン” です。


真理を悟り、真理によって自由にされ、キリストの兵士として戦って勝利している人は少ないのが残念です。


サタンは、人の弱点をよく研究しているので、弱い所を誘惑し集中的に攻撃します。


すると その攻撃で、ほとんどの人は誘惑されてしまいます。

誘惑されないために必要なのが霊的訓練です。


罪と肉の欲と戦って勝利するためには、自分の肉を打ち叩かないといけないです。


それが霊的訓練です。

肉のものがあればあるほど、悪魔がそこを誘惑し攻撃します。






教会の中で働く悪魔の策略には、何があるでしょうか?


一つ(一致)にならないように、“分離の霊” を入れます。


この霊が働くと 妬みや高慢、非難、悪口、不満が出て来て、愛し合う代わりに分裂、分派が起こります。

そして愛の交わりが出来なくなります。

信仰状態が悪くなり、人々は救われなくなります。


また“惑わしの霊” を入れて、真理から離れるようにして偽りを信じさせ、信仰を堕落させます。


そして“メッセージを使う策略” もあります。

教会が人々に、幸せと恵みだけをメッセージするように仕向けます。


これは信徒たちにアメだけを食べさせることです。


人々が教会に来る時には “罪、呪い、問題、サタンの縛り、病気、悩み” などを持って来ます。


その時に必要なのは、そこから自由にさせることです。

捕らわれた人には解放を、囚人には釈放を告げ、悲しむ者には慰めを、病人にはいやしの働きをしたのがイエス様でした。


幸せと恵みのメッセージだけでは、そこから自由になることは出来ないです。

まず悔い改めさせ、悪霊を追い出し、癒しを行って自由にさせる必要がありますが、それをしないで恵みのメッセージだけを伝え、何も起こらないようにするのもサタンの策略です。


サタンは その働きが教会で出来ないようにして、人々がいつまでも縛られたまま自由が何かも分からず、幸せと恵みだけを求めるようにします。


たましいの状態を何も変わらないようにします。
そこが悪魔の狙いです。


人は霊的手術が必要であり、罪からの自由が必要です。


個人の領域での悪魔の策略は、私たちの “ことばと感情” を使います。

絶えず否定的なことば、非難のことば、悪いことば、攻撃的なことばを使うようにします。

ことばはそのまま種となって実を結びます。


家庭の中の不和の一番の原因も “ことば” です。


間違えた一つの行動よりも、それを非難する言葉のほうが圧倒的に多く、サタンはそれを使って人間関係や家庭を破壊します。

否定的で非難のことばを一番たくさん使っている人が 一番サタンに支配されています。


その口は悪魔が出入りする門です。

サタンは その人が言った通りに悪いことをします。


それはサタンに “しなさい” と命令するのと同じです。

自分のことばで全てを失うこともあります。


そしていつも怒ってイライラする人も、サタンに大いに用いられています。

その悪い感情で空気を汚します。


自分の体にも毒を蒔くので、いつかは病気になりますね。


サタンは、信徒の心に疑い、不信仰、恐れ、憂鬱な思いを入れます。

それによって平安を盗みます。


これらは神から来るものではないことを知って、騙されずにサタンとの戦いをしないといけないです。


次回は 「サタンとの戦い方」 に対して学びます。
( ̄ー ̄)


2016.2.14
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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キリストとの交わり

テーマは 『 キリストとの交わり 』 です

ジョン・チャールズ・ライルは、19世紀イギリスで チャールズ・スポルジョンと共に清教徒の霊性を持った立派な牧師でした。

その当時のイギリスでは、洗礼を受け、教会に登録するだけで生まれ変わった人、天国の民になったと認めていたので、ライルは天から落ちた爆弾のような存在でした。


なぜならば、彼は福音の教理を絶対に曲げずに、いつも正しい福音を伝えました。

それは人を悔い改めさせ、救いを得させるメッセージでした。


彼は聖霊の人でした。

リバイバルは聖霊によらなければならないことを知って、いつも聖霊の火を求めました。


次のことばは、ある時のメッセージでした。


「残念ながら、救いに至る信仰もなく、キリストとも交わりがないのがはっきりしているのに、死んだら天国に行くという人があまりにも多いです。

しかし、そういう人は天国には相応しくないです。

皆さんは地上でキリストを高く崇めることもしませんでした。

皆さんはキリストとまったく交わりを持ちませんでした。

皆さんはキリストを愛していません。悲しいことです。


皆さんが天国で何が出来るでしょうか。

天国は決して皆さんのためにある所ではありません。

天国の喜びは皆さんのために喜びではないはずです。

天国の幸せは、皆さんが手にすることが出来ない祝福です。

天国での日々が皆さんには負担になり、つまらないでしょう。

遅すぎることがないように悔い改めて、心に変化が起こりますように。


天国への確実な準備はイエス様との交わりです。

洗礼を受けたから、教会に通うから、間違いなく天国に入ることは有り得ないです。

はっきりしているのは、天国はただ私たちに与える神のプレゼントではないことです。

そこはイエス・キリストだけが最高の喜びである所です。

私たちはこの世で生きながら、イエス様が最高の喜びでなければならないです。

ここでイエス様と仲良くしていないのに、天国で永遠に仲良く出来るわけがないです。」


このメッセージはもっともだと思いました。

パウロはイエス様を知らない時には、教会を迫害しましたが、知ってからは別人になりました。

一番の変化は、イエス様に対するパウロの思いでした。


【ピリピ3章8-9節】

それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。 私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、

キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストと信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです。

2015.10.24
3分テレフォンメッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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聖書に出てくる地域教会②

テーマは 『  聖書に出てくる地域教会② 』 です

【第2コリント8章1-5節】

さて、兄弟たち。私たちは、マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。

苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。

私はあかしします。彼らは自ら進んで、力に応じ、いや力以上にささげ、

聖徒たちをささえる交わりの恵みにあずかりたいと、熱心に私たちに願ったのです。

そして、私たちの期待以上に、神のみこころに従って、まず自分自身を主にささげ、また、私たちにもゆだねてくれました。

先週に続いて、今週も 聖書に出てくる地域教会に対して伝えます。


メッセージを準備している時に、イギリスで10年間活動している宣教師の話を聞いて、本当にショックでした。


これまでに5千以上の教会が消え、多くの教会だった建物がイスラムのモスクになり、宣教の父と呼ばれたウィリアム・ケアリーを記念して建てた教会までも、今はイスラムのモスクになったという話でした。


そして、多くのクリスチャンがイスラム教に変わったと聞いてさらにショックでした。

なぜそうなったのかについては、別の機会に話したいと思います。


そして聖書に出てくる地域教会があったところのほとんどがイスラム化しました。
エルサレムにも多くのアラブ人がいて、ソロモン神殿があった場所にイスラム寺院の黄金のドームがあります。

イスラム教徒はそこで礼拝をしているので、これらの現実を見ると、とても悲しくなります。


なぜこうなってしまったのかは、クリスチャンたちに責任があり、神に責任はありません。

当時の信徒たちの信仰や活動を、今の自分たちの姿と比べると大きな差があります。


そのことに気付かないと、信仰はさらに形式的になって衰退し、いつか神に対して背を向け、場合によってはイスラム教に変わる人たちも多く出てきます。



20世紀は民主主義と共産主義の戦いがあり、そして共産主義は消えていきました。


しかし21世紀はイスラム教とキリスト教が対立する時代になります。


有力な人たちが口を揃えてそのように話していますし、実際それが始まったことも私たちは見ています。

キリスト教が優勢ではないです。
毎年2千万人のイスラム教徒が増えていると言われています。


イエス様が次のように語りました。


【マタイの福音書24章9節】

そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。

クリスチャンが迫害されることは、イスラム教の勢力が強くなることを意味します。


今もISの人たちは異教徒にイスラム教に改宗することを要求しますが、それを断ると すぐに連れ出して殺します。

既にたくさんの人々が殺されました。


ですから、私たちが本来あるべき姿に戻らないと、堕落して取り返しのつかない事になってしまいますので、今日も教会の姿を真剣に学んでいきましょう。





マケドニヤの諸教会




マケドニヤ教会は、今のマケドニヤ共和国ではなく、ギリシャ北部にあるバルカン半島の地域にある教会でした。

パウロは幻に招かれてマケドニヤに行きました。そのいきさつは、使徒の働き16章にあります。


【使徒の働き16章9節-10節】

ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。

パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤへ出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだ、と確信したからである。

出かけて行った最初の町がピリピで、マケドニヤ地方にある一番大きな町でした。

マケドニヤの諸教会とは、その地域にあるピリピ教会、テサロニケ教会、べレア教会を含めて言います。


ピリピ教会は、パウロの伝道によってヨーロッパで最初に出来た教会でした。

最初に信徒になった人は、紫布の商人でルデヤという女性でした。


ピリピの看守やその家族、また献身的な女性信徒たちがその教会のメンバーでした。


マケドニヤ教会にはギリシャ人やローマ人が多くいて、ユダヤ人は少なかったです。

ピリピ教会は献身においても信仰の深さにおいても他の教会よりも優れていました。



その当時、教会は外部からも迫害がありましたし、社会の中でも不利な立場にありましたので、経済的にもとても貧しかったです。

しかしその中でもマケドニヤの諸教会は素晴らしいことをしました。


それは その極度の貧しさの中でも、ききんのために苦しんでいるエルサレムの信徒たちのために献金をささげたことでした。

それも 頼まれたからではなく、困っていることを聞いて、自ら進んで 力以上に惜しみなく捧げました。


この献金の姿勢はパウロが褒めるほどの模範的な姿でした。

信仰は献金にすごく反映されます。


信仰がある人たちは、自分が持っているものは神から与えられたものであるという認識があるので、神のみこころに従ってそれを使います。そして天に自分の宝を積み上げます。


しかし信仰が薄い人たちは、自分の物という認識が強いので、惜しむ心があり嫌々ながら捧げます。そして天よりは地上に蓄えることに熱心です。

もちろん施しにもあまり関心がないです。


献金や施しは、たくさん持っているからといって出来るのではないです。

基本的に(お金や物をたくさん)持っている人はケチな人が多いですし、施しにも消極的です。


教会でも同じことが言えます。ケチな姿勢を変えない限り、喜んですることは出来ないです。


献金や施しは、神の恵みに対する “感謝の表現” です。

神と隣人に対する愛がある人は自発的にします。
イエス・キリストの犠牲と愛の精神を現す方法として ささげものをします。


ピリピ教会は主のためだけではなく、主のしもべであるパウロのためにも何でもしてあげたいと願った教会でした。

それについてパウロは、ピリピ教会に手紙を送りました。


【ピリピ4章14-16節】

それにしても、あなたがたは、よく私と困難を分け合ってくれました。

ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福音を宣べ伝え始めたころ、マケドニヤを離れて行ったときには、私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした。

テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは一度ならず二度までも物を送って、私の乏しさを補ってくれました。

それによってパウロはとても励まされたと思います。

パウロが投獄されたことで、失望したり 弱くなったりもしましたが、パウロの働きに愛をもって協力した教会でした。


そしてベレア教会に対して、次の箇所に書かれています。


【使徒の働き17章11-12節】

ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。

そのため、彼らのうちの多くの者が信仰に入った。その中にはギリシヤの貴婦人や男子も少なくなかった。

マケドニヤの諸教会から学べるのは 喜んで献金や施しをすること、また熱心にみことばを聞き、毎日聖書を調べること、教会や主のしもべに協力する姿です。


その人や教会に与えられる祝福は次の箇所にあります。


【ピリピ4章18-19節】

私は、すべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロデトからあなたがたの贈り物を受けたので、満ち足りています。それは香ばしいかおりであって、神が喜んで受けてくださる供え物です。

また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。

主に捧げる人は主が祝福します。

しかし 主にささげることをケチる人には、主の祝福の約束は来ないです。





コリント教会




コリント教会の姿は、【コリント人への手紙】を読むと よく分かります。

聖書に出てくる教会の中でも、一番問題が多かったかも知れません。


【使徒の働き18章】に コリント教会がどのようにして出来たのかが書かれています。

パウロはコリントで、アクラとプリスキラ夫婦と一緒に働きをしました。
そこでもユダヤ人からはすごく迫害を受けましたが、多くのコリント人が救われました。


パウロは主の命令によってコリントに1年半いながら神のことばを教え続けました。
しかしコリント教会には多くの問題がありました。

それは彼らの社会背景にも問題があり、コリント人の気質にも問題がありました。


コリントは港で商業都市でした。
ローマの世俗文化が盛んでしたし、偶像崇拝、哲学的宗教、性道徳に とても乱れていました。

その中で人間関係も打算的で殺伐としていました。


キリスト教の福音を簡単に受け入れはしましたが、彼らはコリント文化の否定的な影響を清算出来ず、パウロがいる間は教会に秩序がありましたが、パウロが新しい宣教地を求めて教会を離れると、信徒たちはあらゆる誘惑や間違った教え、また罪の中に巻き込まれるようになりました。


そこで教会の中に分裂や性的罪が起こったり、聖餐式でも無節制な態度を見せました。

またパウロの使徒職に対しても疑う者たちがいました。


真理でない世のものが教会に入り、様々な問題が生まれました。

これはコリント教会だけの問題ではないですね。
偶像崇拝を長くしてきた人やそういう文化の中で育った人々は同じく直面する問題です。


日本はコリントと似たような社会です。
世俗文化や偶像崇拝が盛んであり、性道徳も乱れています。

クリスチャンになっても、それが清算出来ない人が多いです。


日常的にぶつかることが多いので つい妥協して周りの人たちと調子を合わせることが多いです。

それが本人にとっても楽です。
しかし救われた人にそれはふさわしくない姿です。


パウロは問題の多いコリント教会に対し、様々な問題について何が正しいのかを真理のことばで教えました。

第1と第2の長い手紙を送りました。


コリントの手紙を読んでみて下さい。ただ、時代背景もあるので解釈には気をつけて下さい。

手紙の最後に、パウロは 警告と勧めのことばを送りました。


【第2コリント13章5節】

あなたがたは、信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい。それとも、あなたがたのうちにはイエス・キリストがおられることを、自分で認めないのですか。―あなたがたがそれに不適格であれば別です。―

信仰に立っているかどうかは、自分がキリストに属しているかどうかをよく調べることです。


信仰歴が長い人でも自分の中に主がおられるかどうかに対して確信が持てず疑う人たちもいます。
自分の信仰をはっきりしないといけないです。


【第2コリント13章7節】

私たちは、あなたがたがどんな悪をも行わないように神に祈っています。それによって、私たち自身の適格であることが明らかになるというのではなく、たとい私たちは不適格のように見えても、あなたがたに正しい行いをしてもらいたいためです。

悪を悔い改めて正しい行いをするように勧めています。


【第2コリント13章8節】

私たちは、真理に逆らっては何をすることもできず、真理のためなら、何でもできるのです。

真理に逆らってはいけないと警告しました。

真理に逆らうことはイエス・キリストと福音の真理に逆らうことです。


【第2コリント13章11-12節】

終わりに、兄弟たち。喜びなさい。完全な者になりなさい。慰めを受けなさい。一つ心になりなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神はあなたがたとともにいてくださいます。

聖なる口づけをもって、互いにあいさつをかわしなさい。すべての聖徒たちが、あなたがたによろしくと言っています。

まだ教会の分裂の傷を完全に克服していないコリント教会に対して、教会の一致と聖徒の交わりを希望してパウロは聖徒たちを激励しました。

これらの警告と勧めのことばは、コリント教会だけに向けられるものではありません。


自分の中でも悔い改めて立ち返らなければならないものはないのかを考えることです。


今は悔い改めのチャンスです。赦しを受けるチャンスです。

また、初心に帰る時です。信仰を新しくするチャンスです。


教会の姿は自分たちの姿でもあります。

良いものは取り入れ、直すべきところは直していきましょう。
( -д-)ノ

2015.7.19
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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聖書に出てくる地域教会①

テーマは 『  聖書に出てくる地域教会① 』 です

【使徒の働き8章1節】

サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。

聖書に出てくる地域教会に対して、今回と次回の2回にわたってメッセージを伝えたいと思います。


ヨハネの黙示録に出てくるアジアの七つの教会に対してはよく聞きますが、それ以外の教会もありますので、今回は七つの教会以外の教会はどのような教会であったのかをみて、自分たちの教会も良い所は学びたいと思います。


イギリスに留学中の韓国留学生たちが、宣教師と教会を探していました。

イギリスには古くから大きな教会がたくさんありますが、
彼らが使わない時間に教会を借りようと思い、ロンドンにある多くの教会を訪ねました。


すると、すべての教会の責任者たちから まず最初に聞かれたことは、“賃貸料としていくら支払うのか?”でした。


なぜ皆が同じ事を聞くのか、だんだんと不思議な気がして来ました。

どうして教会がお金のことを先に聞くのかと思い、その理由を聞きました。


そうしたら、どこの教会も貧しいので冷暖房を使うことが難しく、もし冷暖房を使用するならお金が必要である為、お金のことを先に聞いたと言われました。


教会の建物は立派ですが、信徒は年寄りばかりで 前から2列目まで人が座り、その後ろは空席状態でした。

イギリスは18世紀から19世紀にかけて信徒が多く、世界的に有名な説教者たちも多かったです。

スポルジョンの教会には6千人の座席があり、世界中に宣教師たちも送りました。


しかし、今はどこの教会も人が少ないので、以前のような輝きは完全に消えてしまいました。



反対にイスラム教を信じる人がすごく増えて、教会の建物までイスラム教が買い占め、建物はそのままで、十字架だけを取り除き、そこにイスラム教のシンボルである三日月を飾っています。

三日月は発展を意味します。


モスクに違和感を持っているヨーロッパ人が多いので、教会を買ってそのようにすると 周りの人がモスクだと気付かず、教会だと思っているようです。


イスラム教徒は世界で4人に1人です。
日本でも外国人を含めて11万人のイスラム教徒がいます。お金の力でどんどん浸透しています。


このような時代ですので、教会がしっかりしないと 後でとんでもないことが現実に起こります。


リバイバルした時代の教会の姿が聖書に出てくるので、それを学んで初心に戻らないと、すべての教会が衰退すると思います。


信徒の数が増えるのもリバイバルですが、霊的に強くならないと サタンやこの世に潰されてしまいます。


ですから、その時代の教会の姿をしっかりと学び、受け入れるべきものは受け入れたいです。
今、とても弱さを感じていますので、教会が変わって欲しいと思います。


これから初代教会の姿をみていきます。




エルサレム教会




エルサレム教会は聖霊降臨の後に最初に出来た教会で、霊的に一番強い教会でした。

教会の指導者たちが主の弟子たちでした。


【使徒の働き2章40-47節】

ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って彼らに勧めた。

そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。

そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。

そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われた。

信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。

そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。

そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、

神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。

特徴としては、聖霊の働きが活発で 多くの奇跡が起きたこと、そして主のことばに対する全き従順、信徒たちの深い交わり、霊的祝福を何よりも求めた教会でした。


そして評判の良い教会でしたので、毎日救われる人がたくさんいて、爆発的なリバイバルがありました。

しかしこのような状態は長く続きませんでした。

サタンによる激しい迫害が始まり、それによって使徒たち以外はエルサレムに留まることが出来ず、諸地方に散らされていきました。


散らされた人たちは、ただ逃げたのではなく、みことばを宣べながら巡り歩きました。

そして彼らが行く町に奇跡が起こり、大きな喜びが起こりました。


しかし迫害によって使徒ヤコブが殉教し、他の使徒たちも苦難を受け、多くの信徒たちも苦難や殉教をしましたが、その中でも彼らは喜んでいました。


最強の教会でした。


それが出来たのは、信徒たちが聖霊に満たされ、みことばに満たされ、伝道に熱い思いを持っており、神の国とその義とを第一に求めたからです。


これは心を神に向ける時に可能ですので、私たちが学ぶべき姿です。


形式的な信仰生活では、迫害にすぐ倒されてしまいます。

そのような信仰生活では聖霊に満たされることも、従順することも、使命に燃えることも出来ません。


私たちにはこれが足りないと思います。
形式的で生ぬるい信仰がとても多いので、悔い改めが必要です。




アンテオケ教会




次はアンテオケ教会の姿です。


【使徒の働き11章25-26節】

バルナバはサウロを捜しにタルソへ行き、

彼に会って、アンテオケに連れて来た。そして、まる一年の間、彼らは教会に集まり、大ぜいの人たちを教えた。弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。

アンテオケはローマ帝國で、ローマ、アレクサンドリアに続いて 3番目に大きな都市で人口は50万人いました。


アンテオケ教会に初めて異邦人伝道の基地が設置され、バルナバとサウロ(=パウロ)がそこで人々を教えました。

ここは異邦人教会の中心地であり、宣教基地でした。


この時、初めてキリスト者と呼ばれたということは、キリスト教がユダヤ教とは完全に区別された新しい宗教であると認められたことを意味します。

それまでユダヤ人は、キリストを信じる者を “ナザレ人”や“ガリラヤ人”と呼んでいました。


アンテオケ教会は、断食と祈りをしながら聖霊の導きを受けて、正式にバルナバとサウロを宣教師として派遣しました。

そしてこの教会は 愛がある教会で、ユダヤにいる信徒たちがききんのために困っている知らせを聞くと、それぞれの力に応じて救援物資を送りました。


アンテオケ教会は霊的に成長し、数においても大きく成長した教会でした。

教えられたみことばをよく守り、よく祈り、愛の労苦があったのでリバイバルしました。


数は多くても霊的に弱い教会も多いですが、アンテオケ教会はバランスの取れた教会でした。




カイザリヤ教会




カイザリヤ教会に対しては知らない人も多いと思います。

カイザリヤは地中海に面した所にありますが、ここはエルサレム教会の執事であったピリポの故郷でした。


ピリポはエルサレム教会で最初に選ばれた7人執事の1人でした。

その時に選ばれた執事の条件は、「御霊と信仰と知恵に満ち、評判が良いこと」でしたが、7人の中で一番活躍したのはピリポでした。


彼の活躍は使徒の働き8章に書かれていますが、たくさんの奇跡を行い、誰よりも伝道に熱心で、至る所で福音を伝えました。


【使徒の働き8章40節】

それからピリポはアゾトに現れ、すべての町々を通って福音を宣べ伝え、カイザリヤに行った。

自分の故郷へ行って教会を設立しました。

私たちもこの姿勢を学ぶべきです。
直接私たちが行けないならば、自分の故郷に教会が出来るように祈ることです。


日本人はキリスト教に対して興味がなく、無関心な人がとても多いです。


しかしキリストを信じている人は、その人たちに関心を持って自分たちの故郷にも教会が出来るように祈ることです。


教会がないと、たとえ救われたとしても礼拝する場所がないので困ります。

私たちはピリポのように、執事でも このような立派な働きが出来ることを知って挑戦することです。


牧師だけが教会を建てるのではなく、信徒たちも出来ます。
熱心に伝道したら教会が建ちます。


神戸教会は魂が救われてから出来た教会でしたし、私も信徒の時に教会を開拓しました。


熱心に伝道する信徒がいると、教会はリバイバルしますし、伝道しないとリバイバルはないです。


伝道して下さい。たましいにみことばを伝えて下さい。
そうすると聖霊が働きます。




ローマ教会




伝承によれば、最初 ローマに福音を伝えたのは、バルナバと言われています。


この教会は、ローマ帝國の最大都市であるローマに出来た教会でした。

人口が80万人もいる大きな都市でした。

皇帝が存在し、多くの神殿がありましたし、帝國らしいあらゆる設備が整った大都会でした。


ローマ教会の構成は、ユダヤ人と異邦人が混ざっていましたが、異邦人の方が多かったです。


ユダヤ人と異邦人が一緒にいることで、教会の中には様々な摩擦がありました。

間違えた律法主義信仰を持ったユダヤ人と、それとは反対のキリストにある自由を強調する異邦人の間で意見の衝突がありました。


ローマ書は キリスト教の教理が一番書かれていますが、それは教会の問題点を解決するためにパウロが、救いや信仰、律法、キリスト者の生活全般に対して詳しく教えました。


ローマ教会だけではなく、異邦人がいる教会では同じ問題がありましたので、代表的存在であるローマ教会に教理を伝えました。

ローマ教会は地理的な面もありますが、異邦人教会の代表的な存在になっていきました。


ネロ皇帝は自分でローマ市に火をつけておきながら、その犯人がキリスト教徒であるとして大迫害を加え、焼き殺しました。

また何人かの皇帝によって激しい迫害があり、信徒たちは地下に潜るようになりましたし、その迫害の中で多くのキリスト教徒が殉教し、ペテロもパウロも殉教しました。


それでも信徒たちは信仰を捨てることをせず、命を懸けました。

やがてキリスト教はローマ帝國で認められるようになりました。


ローマ教会をカトリック教会の始まりと思っている人がいますが、それは大きな間違いです。
なぜならば、カトリック教会に初代ローマ教会のような姿はありません。

(初代教会は)ペテロを法王にしたこともないですし、巨大な権力も富も持ちませんでした。


ローマ教会の信徒たちは、信仰のために貧しくなり、権力にも妥協せず、迫害され殺されていきました。

それはカトリック教会とはまったく違う姿でした。似ても似つかない姿です。






これからの時代は、世の権力と富と他の宗教との戦いが激しくなる時代になります。


すでに韓国でもイスラム教が学校の中でも、色々なところでぶつかっています。

とても怖い時代になってきました。


私たちは、聖書にある教会が それらの戦いの中で生き残ったことを見ながら、信仰を強め、聖霊に満たされ、みことばに堅く立って、ますます愛し合い、助け合わないと教会はだんだん衰退して消えていきます。


「この教会が潰れたら、他の教会に行けば良い」と思うのは、神も教会をも愛していない姿です。


ますます主のために良い働きが出来る教会になるように、力を合わせないといけないです。


信徒が教会に無関心であるならば、未信者よりも悪い姿です。


初代教会はとても霊的に強い教会で、神の言葉に対しても よく聞き従順していました。
そして迫害にもよく耐えました。


主の再臨が近づいているので、私たちは目を覚まして、神の働きにも力を入れて、教会を強め、魂に対しても関心を持ってみことばを伝え、それぞれが出来ることをしていきましょう。


この世の流れがとても不気味です。
イスラム勢力は拡大してきています。


クリスチャンとして生きにくい時代になっています。

生ぬるい教会では飲み込まれてしまいます。


生ぬるい信仰では妥協して名ばかりの信仰になり、迫害があると“主を知らない”と言います。


必ずその時代が来ますので、危機感をもって信仰生活をしましょう。
(・◇・)ゞ


2015.7.12
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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今日の祈り

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3通りの立場の人々

テーマは 『 3通りの立場の人々に自分を照らし合わせて吟味する 』 です

【ルカの福音書5章17-25節】

ある日のこと、イエスが教えておられると、パリサイ人と律法の教師たちも、そこにすわっていた。彼らは、ガリラヤとユダヤとのすべての村々や、エルサレ ムから来ていた。イエスは、主の御力をもって、病気を直しておられた。

するとそこに、男たちが、中風をわずらっている人を、床のままで運んで来た。そし て、何とかして家の中に運び込み、イエスの前に置こうとしていた。

しかし、大ぜい人がいて、どうにも病人を運び込む方法が見つからないので、屋上に上 って屋根の瓦をはがし、そこから彼の寝床を、ちょうど人々の真ん中のイエスの前に、つり降ろした。

彼らの信仰を見て、イエスは「友よ。あなたの罪は赦されました」と言われた。

ところが、律法学者、パリサイ人たちは、理屈を言い始めた。「神をけがすこ とを言うこの人は、いったい何者だ。神のほかに、だれが罪を赦すことができよう。」

その理屈を見抜いておられたイエスは、彼らに言われた。「なぜ、心の中でそんな理屈を言っているのか。

『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらがやさしいか。

人の子が地上で罪を赦す権威を 持っていることを、あなたがたに悟らせるために」と言って、中風の人に、「あなたに命じる。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言われた。

すると彼は、たちどころに人々の前で立ち上がり、寝ていた床をたたんで、神をあがめながら自分の家に帰った。



①四人の男性




この四人が中風の家族なのか友人かは不明です。


【ルカの福音書5章18節】

するとそこに、男たちが、中風をわずらっている人を、床のままで運んで来た。そして、何とかして家の中に運び込み、イエスの前に置こうとしていた。

“何とかして”という四人の男性の強い愛とイエス様の前に置いたら必ず癒されるという信仰が伺えます。

しかし、次のようなことばも書かれています。


【ルカの福音書5章19節】

しかし、大ぜい人がいて、どうにも病人を運び込む方法が見つからないので

中風の人をイエス様の前に運び込むことが難しい状況です。

もし私たちが4人のうちの1人だったならどうするでしょうか?
立ちすくんだり、諦めて帰るでしょうか?


しかし四人はこの状況でも諦めずに、聖書に “屋上に上って屋根の瓦をはがし、そこから彼の寝床を、ちょうど人々の真ん中のイエスの前に、つり降ろした”と書かれています。

屋上に上って屋根の瓦をはがすことは、普通で考えるとあり得ないことですし、尋常ではない発想です。
周りにいる人々はそれを見て軽蔑したり呆れたと思います。


しかし、中風の人をイエス様の前に連れて行き “何とかして、どうしても癒して欲しい”という切実な思い、強い愛がありました。

これは神様が知恵を与えてくださったと思います。普通ならば思いもよらないことです。

イエス様は屋根を壊したことに対して決して咎めることもなく、愛と熱意を見て中風の人を癒されました。


私たちには様々な妨げがあります。

自分が神様のもとに行こうとしているのに、妨げがあってなかなか前に進めない時があります。

しかし、この箇所で教えられることは、“上を見なさい”ということです。上には天があるだけで、神様がいてくださるのです。


また、この四人の男性を自分に当てはめると、この中風の人は、まだ救われていない家族や知人、友人です。

病気や罪などにどっぷりと浸かって縛られ自分1人では身動きが取れない状態です。

そして、この四人の姿はクリスチャンの祈りです。 それは切実な思いと熱意で、愛ある祈りで神様の前に人々を運ぶことが出来る力です。


みことばを握りしめるというのは どういうことなのか、ある時に教えられたことがあります。


私たちが困っている時にみことばの棒が差し出されます。

私たちは そのみことばの棒を必死で握りしめます。そして神様に“上に上げてください!”と必死で祈ります。

そうすると一生懸命 みことばの棒を掴んでいたのですが、それを引きずり下ろそうと サタンが妨げや攻撃を持ってやってきます。私たちを棒(神様)から引き離そうとします。

でも私たちが必死になって両手で握りしめていると、神様は棒ごと引き上げてくださいます。


私たちがみことばにすがり付いている時に、その姿を見て神様は引き上げてくださり、約束を成就してくださいます。




②中風の人




次に、中風の人と自分たちを照らし合わせてみたいと思います。


床の間まで寝ながら運ばれていくのは、ジロジロ見られるので結構恥ずかしくて辛いだろうなと思いました。
また、自分を運んでくれた四人の男性に申し訳ないという気兼ねもあるかもしれません。

中風の人も、たとえ運ばれたとしても “もしかしたら癒されないのではないか” と疑いを持つかも知れません。


しかしここに書かれている中風の人には、そのような雑念は一切ありませんでした。

自分自身が何とかして癒されたいという切なる願い、そしてイエス様の前に連れて行ってもらえたら必ず自分は癒されるのだという信仰。
そして人々が自分のことをどのように見ようが、そんなことは関係ないというプライドを捨てた謙遜さがありました。


これは私たちにも神様が言ってくださっていることだと思います。

例えば私たちが病気で倒れて身動きが取れなくなって祈れない時があります。自分の力ではどうすることもできないことがあります。

そういうときは周りの四人の人が助けてくれます。
これが教会の姿です。ですから私たちには教会が必要なのです。


私たちが1人で祈れなくても教会の人々が祈ってくれます。

自宅や職場など この世では本音と建前の世界があります。しかし教会では本音と建前は必要ありません。

教会ではプライドを捨てて自分自身の本当の姿をさらけ出して良いところです。
自分を強い者であるとか、信仰が強い者であるなど、見栄をはったりプライドを持つ必要はありません。


周りの助けをもらってでも、神様の前に切実に祈り求めました。そして四人の人は、その姿を見てイエス様の前に運びました。

これが、神様から喜ばれる教会ではないか と私は感じました。




③パリサイ人と律法の教師




【ルカの福音書5章17節】

ある日のこと、イエスが教えておられると、パリサイ人と律法の教師たちも、そこにすわっていた。

【ルカの福音書5章21節】

ところが、律法学者、パリサイ人たちは、理屈を言い始めた。 「神をけがすことを言うこの人は、いったい何者だ。神のほかに、だれが罪を赦すことができよう。」

神様が癒しをなさる場所にパリサイ人や律法学者がいました。


パリサイ人や律法学者たちは、“自分たちこそが神様の正しいしもべである”と高ぶり、集まっている人々を見下して真実である神様を批判していました。

このような人々は教会にもいます。


この人たちの罪の一番恐ろしいことは、自分たちは神様に反することをしていながら、自分たちは神様の前に正しい者であると勘違いをしているところです。


この教会では、牧師を通して地獄へ行った人々の証を聞きますが、
地獄へおちた人は「なぜ自分がここにいるのですか?!私をここから出して下さい!」とイエス様に叫んでいる姿があり、そのような人が多いです。

この人たちは自分の罪が分からなかったり、知ろうとしなかった人だと思います。


私たちは天国へ行きたいと願っているので、自分たちの罪が分かっていたなら心から悔い改めると思います。そして赦していただいて天国へ行きたいと切に願っています。

しかし地獄へ行った人は自分の罪が分からなかったので悔い改めをすることが出来なかった人も多くいるのではないかと思います。

これこそがパリサイ人や律法学者の姿であると感じました。






私自身もこの罪を犯しているのではないだろうか?と思います。皆さんはどうでしょうか?

自分の罪を悔い改めてはいるけれど、もしかしたら自分が気付いていないところで神様の前に相当大きな罪を犯しているのではないかと恐ろしくなります。

自分が正しいと思って取っている言動や言葉が、本当に正しいかは私たち人間には分かりません。


私たちは相手の側面しか分からず、そこで判断して言葉をかけますが、神様はその人の心の葛藤や苦しみなどすべてをご存知で、私たちの正しいと思っている言動や言葉が本当に正しいかは私たちには判断ができません。

これは神様にしか分からないことです。


しかし自分が正しいと思い込んで勘違いをしていることも多くあるのかも知れないということを今回教えられました。

私たちは信仰・愛・憐み・赦し・知恵・祈り・悔い改め、これらの何1つを取っても、自分の力で出来るものは何1つありません。


すべては神様から与えられる聖霊の油注ぎによらないと自分たちでは出来ません。
しかし、これらを自分の力や行い・正しさ・自分の聖い心でやると勘違いをしていることが大きな罪かもしれないと考えさせられました。


いつも悔い改めをしている罪は神様は既に赦してくださっています。
でも自分たちが気付かないところで悔い改めていない大きな罪が残っているのかもしれません。

罪とは的外れという意味です。私たちが悔い改めをしている時に、もしかしたら的外れな悔い改めをしてしまっているということも思いました。


そうしたら私たちはどのような悔い改めをしたら良いでしょうか?

神様の御前に私たちは謙遜になって、何を悔い改めたら良いのかも分かりません。
私たちの罪は何なのか、神様が示して教えてくださいと祈ることだと思います。


そして日々の悔い改めと共に私たちが何を悔い改めたら良いのか はっきりと示してくださいと祈るならば、必ず神様ははっきりと教えてくださいます。


悔い改めるなら神様は赦してくださいます。

神様は私たちを決して地獄へ落としたいわけではありません。
私たちが家族や周囲の人と共に天国へ行くことを神様ご自身が願ってくださっています。


そのためには私たち自身の罪の悔い改めが必要です。
そして何が罪であるのか教えてくださいと祈る謙遜な心が必要です。


家族や周囲の人々の救いや癒しのためには、私たちクリスチャンが諦めない祈りと熱意、切実な涙をもった願いと愛が必要であると思います。


私たちが疲れ果てている時に、周りの人たちに祈れない時もあります。ですからそれすらも神様に求めていかなければいけないと思います。

そうするならば神様が必ず私たちの願いを聞いてくださると信じます。
。゜(´Д`)゜。

2014.12.14
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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地獄を見てきた聖徒の証です
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シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝

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感謝は礼儀である

テーマは 『 感謝は礼儀である 』 です

【詩篇111篇1-10節】

ハレルヤ。私は心を尽くして主に感謝しよう。直ぐな人のつどいと集会において。

主のみわざは偉大で、みわざを喜ぶすべての人々に尋ね求められる。

そのみわざは尊厳と威光。その義は永遠に堅く立つ。

主は、その奇しいわざを記念とされた。主は情け深く、あわれみ深く、

主を恐れる者に食べ物を与え、その契約をとこしえに覚えておられる。

異邦の民のゆずりの地を、ご自分の民に与え、彼らに、そのみわざの力を告げ知らせられた。

御手のわざは真実、公正、そのすべての戒めは確かである。

それらは世々限りなく保たれ、まことと正しさをもって行われる。

主は、御民に贖いを送り、ご自分の契約をとこしえに定められた。主の御名は聖であり、おそれおおい。

主を恐れることは、知恵の初め。これを行う人はみな、良い明察を得る。主の誉れは永遠に堅く立つ。

今日は収穫感謝祭ですので、感謝をテーマにしたメッセージを伝えたいと思います。


“収穫”ということばがあると、何かを手に入れたから それに対して感謝を捧げる事だと思っているかも知れません。

もちろん得たことに対しては、私たちは当然のように感謝をしなければなりません。
(何かを得たのに)まるで受けていないかのように黙っていてはいけません。


ですから今日は神様から受けた恵みに対して1つ1つ覚えながら、しっかりと感謝をして欲しいです。


そして今回は、それ以外にも私たちが最も感謝をしなければならないことがあるので、それに焦点を合わせて語りたいと思います。


今回のテーマは「感謝は礼儀である」と決めました。

人に対して感謝のことばを伝えることは、相手に対して礼儀を見せていることです。

良くしてもらっているのに、感謝のことば1つ言わない人に対して礼儀正しいと言えるでしょうか?
きっと、礼儀のない人だと思うでしょう。


神様に対しても感謝のことばを言うなら、礼儀のある人です。
しかし感謝のことばを言わないならば、神様に対して礼儀のない人になります。


詩篇111篇は“神への賛美”です。

賛美は神への最高の感謝です。神の存在そのものに対しての感謝であり、神の前に立って最高の礼儀を見せている姿です。


神様を本当に知っている者は、常に神様に目を向けて、神様の存在そのものに感謝しています。
皆さんはそのようにしていますか?


自分に対して神様が何をしたか、しなかったかに関係なく神様という素晴らしい存在がおられることに感謝をささげます。

心を尽くして主に感謝しますと告白することが神様が1番喜ぶ感謝です。

最大の敬意を現わしながら主をほめたたえ感謝をささげる時に、主が喜ばないはずがありません。


具体的にどのようなことをほめたたえ感謝をしたでしょうか?





①主の偉大さ、主の尊厳と威光、そして主の義をほめたたえる




いつも神様のことを考え、神様のことを調べ、神様に近づく人は自然とその口からまず神様への賛美が出てきます。


『主は何と素晴らしい方でしょうか。あなたはまことに偉大な方です。
栄光に満ちた主よ。主の栄光がとこしえにありますように。主は情け深く、あわれみ深い方です。』


このように次から次へと主への賛美が出てきます。

これがすべて神の存在に対する感謝です。


“感謝します。感謝します。”と言うことが感謝ではなく、主への賛美は立派な感謝でありますので、主の前に出た時は いつも主をほめたたえることからはじめてください。


いきなり「これをしてください。あれをしてください。」と神様を召使いのように命令しながら使ってはいけません。

それは神様のことをまともに知らない人がすることであり、礼儀がなっていない人の姿です。





②教会と神の民たちに対して感謝




1節で「私は心を尽くして主に感謝しよう。直ぐな人のつどいと集会において。」と感謝をささげました。

主を信じる人々が集まる教会と信じる人々の親しい交わりに対して心から感謝をささげていますか?


異邦人のように教会に通う人とお客さんのように通う人は感謝を知らないと思います。

しかし教会を愛し、信徒を愛する人たちは教会があることを感謝し、信徒に対しても いつも主に感謝を捧げます。


教会は神がおられる所です。
神に仕えていたコラの子たちが神にささげた賛美が詩篇84篇ですが、1節から4節に素晴らしいことばが出てきます。


【詩篇84篇1-4節】

万軍の主。あなたのお住まいはなんと、慕わしいことでしょう。

私のたましいは、主の大庭を恋い慕って絶え入るばかりです。私の心も、身も、生ける神に喜びの歌を歌います。

雀さえも、住みかを見つけました。つばめも、ひなを入れる巣、 あなたの祭壇を見つけました。万軍の主。私の王、私の神よ。

なんと幸いなことでしょう。あなたの家に住む人たちは。 彼らは、いつも、あなたをほめたたえています。

皆さんにはこのような思いがありますか?


もし迫害が起こり、教会が壊され、信徒たちも散らされてしまうならば、その時に教会と信徒の仲間がどれほど大切な存在であったかを身に染みるほど分かると思います。


私たちが毎週集まって共に礼拝をささげ、祈り、一緒に語りながら食事をすることは本当に感謝なことですし、本当に幸せなことです。


いつも私はこのことを感謝しています。
なぜなら これがとても とても大きな祝福だからです。





③神様がいつも私たちに恵みを与えて下さることに感謝




神様は私たちのたましいを救い出しただけではなく、日々必要な食べ物を与え、住むところも与え、日々守ってくださる方です。

何もない荒野でもイスラエルの民200万人以上を40年間養ってくださった神様です。


イエス様は私たちに次のように語ってくださいました。


【マタイの福音書6章31-32節】

そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。

こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。

このように主が必要を満たす方であると教えて下さいました。


そして次のように主に祈りなさいと教えました。

私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。

実際に私たちは今年もすべてのものが与えられて生活できたことを感謝します。


食べ物がなくて飢えたことも、着る物がなくて裸で過ごしたことも 寝るところがなくてホームレスになったこともありませんでした。

すべてが守られましたので、心から感謝を捧げないといけません。


今日 話したすべてのことばを日々実行しながら生きた人物を聖書で探すならば、アブラハム、モーセ、ダニエル、ヨセフなど色々出てきますが、個人的にダビデは素晴らしかったと思います。


詩篇23篇にその姿が映されています。
神様への限りない感謝と信仰の思いが詩篇23篇です。
(・∀・)


【詩篇23篇1-6節】

主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。

主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。

主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。

たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。 あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。

私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、 私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。

まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、 私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

2014.11.23
収穫感謝祭メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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地獄を見てきた聖徒の証です
幻と啓示~天国と地獄~

こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

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今、悔い改めなさい

テーマは 『 今、悔い改めなさい 』 です

【ヨハネの黙示録3章19節】

わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。

今まで「悔い改めなさい」というメッセージを何度かしたことがあり、最近では3月に語りましたが、
その時の悔い改めのメッセージと、今回の悔い改めのメッセージは神様は違った形で語ってくださいました。

イエス様は教会や信徒に対して、本文に書かれてあるように「熱心になって悔い改めなさい。」と語りました。


ある人がイエス様の導きで天国に連れて行かれました。

天国の素晴らしさを見て感動しました。
そして天国をすべて見せた後に、イエス様は小さな箱のようなものを持ってきました。
その箱を開けてみると、そこにはムチが入っていました。

天国ではムチは相応しくないものですが、イエス様はムチを取り出して近くにあった椅子を思いっきり叩きました。
イエス様がムチを打ちながら語った言葉が「わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。」でした。


これは悔い改めない神の子どもたちに対し、神様は懲らしめるために愛する者をムチで打つのだということをイエス様が見せてくださいました。

「今、悔い改めなさい」という言葉を聞いている人は幸いです。既に地獄へ行っている人にはそのチャンスがないのです。

悔い改めるチャンスを逃した人が地獄に入り、そこで永遠に苦しまなければならないのです。


教会にこのような言葉を送るということは、信じた後は誰でも罪を犯したり倒れたり堕落したとしても関係なしに天国へ行けるのだという言葉を否定するものです。

もし、罪を犯しても天国へ行けることが事実ならば、イエス様は「熱心になって悔い改めなさい」と言う必要がないです。

しかし聖書には悔い改めなさいという言葉がたくさん書かれています。


まだ(イエス様を)信じていなく罪の中にどっぷりと浸かっている人に対しては当然のように「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから 信じて救われなさい。」と伝えます。私たちもその言葉によって救われました。

神様は、神様の子どもになった人に対しても、「熱心になって悔い改めなさい。」と伝えます。

ムチ打たれても悔い改めないならば、その後はないです。神様は命を取ります。
そして行くところは地獄であります。




地獄の証



以前に話をしたことがありますが、クリスチャンが地獄を見た時に、そこには多くのクリスチャンがいることにびっくりします。

イエス・キリストを信じなくて地獄へ来た人もいますが、中には以前クリスチャンだった人たちが地獄にいるので きっと驚くと思います。


イエス様は多くの人々に天国と地獄を見せていますが、その目的はただ1つです。

人々が信じないからです。
世の中の人たちは地獄など存在しないと思っていますし、クリスチャンたちは “私たちは何をしても天国に入れる”と考えており、地獄は関係がないと思っているので イエス様は天国と地獄を見せて、裁きがあることを伝えているのです。

そして地獄を見た人たちは“他の人たちに伝えなさい”ということで頻繁にそのようなことが起きています。


終わりの時代ですので、誰も地獄には行って欲しくないという強い思いが イエス様にはあります。


ある姉妹が、地獄を見た時にびっくりしました。

それは以前 同じ教会にいた献身的な信徒で、イエス様を愛し、よく仕え、たくさんの奉仕をし、聖書に書かれている善行もたくさん行っていた人でした。

捧げものもきちんと捧げ、貧しい者にも愛をもって施しをした人なので、誰が見ても天国でイエス様に歓迎されて冠を受けて一番良い所に座っていると思われるような人でした。

何と その人を地獄で見付けました。それを見た姉妹が心に激しい動揺を感じました。


火の中で燃えている姉妹を見て、イエス様に「クリスチャンも地獄に来るんですか?彼女は評判の良いクリスチャンでした。なぜ あの姉妹がここにいるんですか? 信じられません。私たち教会の人々は彼女が天国でたくさんの報いを受けていると思いました。」と言いました。


そこでイエス様は、このように語りました。

“彼女はサタンの嘘に騙されていたのだ。
サタンは彼女の耳元で「大きい罪は悔い改めても、小さい罪は悔い改めをしなくて良い」と囁き、 彼女は大きな罪と小さな罪を自分で区別していた。”


私たちは大きな罪は神様の御前で悔い改めますが、小さな罪には罪責感を感じますが それが命取りになるとは思っていないのです。

しかし彼女は悔い改めをせず、小さなことだと思い それを延々と続けました。
サタンが彼女を騙していたので、神様は何度も“悔い改めなさい”と語りましたが、彼女にはサタンの言葉の方が都合が良かったのです。

なぜなら 自分が犯している小さな罪を捨てたくなかったからです。
ずっと小さな罪を続けて、最期まで小さなことだと思って悔い改めなかったのです。


ですから神様は「彼女がわたしを愛したとしても 彼女は最期までわたしのことばに耳を傾けず、罪を持ったまま死んだ。だから地獄へ来たのだ。」と語りました。

私がその証を読んでいる時に、突然 心の深い所から震えるほどの恐怖心を抱きました。それは「自分が地獄に落ちるのではないか」という恐れでした。
今までの罪は悔い改めて生きていますが「私はサタンに騙されていることはないでしょうか?」と。主の前で「私の罪を赦してください。」と、すぐに悔い改めのお祈りをしました。


今まで神様に甘えて「天国へ行くのだ」と思っていましたが、地獄へ行った彼女が立派な信仰生活をしていたにも関わらず、そのような人も地獄へ行くならば 私も例外ではないと必死に震え上がりながら祈りました。恐ろしくてまるで自分が地獄にいるような感じがしました。





そこで主が語った言葉があります。次の箇所です。


【Ⅰコリント9章27節】

私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私が他の人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。

自分のからだを打つということは、罪と激しく戦う姿です。
神の言葉に自分の肉の思いを従わせるのです。

パウロは人々に福音を伝えていますが、パウロは日々 自分のたましいを見ながら罪と戦い、悔い改めていました。


しかし多くの牧師や伝道師が地獄にいる姿があります。
それは他人に伝えておきながら自分は落ちている姿です。


ですから自分を聖める為に、日々自分を打ち叩かなければならないです。
他人を叩くのではなく、今 自分が犯している罪は何かを調べて打ち叩くのです。そして立ち返ることです。
パウロがやっていたことは毎日毎日悔い改めて罪と戦い自分自身を罪から守ったことでした。

パウロの言葉に常に出てくるのは「勝利」であります。
それはただ地上の働きを勝利したという意味ではなく、神様のみこころを正しく行い、自分自身が救われて天の御国に入ったということです。


罪を行なう行為が聖霊を悲しませる行為だと語りました。
神の御霊を悲しませてはいけませんとエペソに書かれています。

何をしたら聖霊が悲しむのかと言うと、罪を犯して悔い改めず放置することが聖霊様を悲しませることです。

罪を行う行為が 不法を行う姿であります。


神様は罪の大きさは(大きくても小さくても)関係がないと語りました。
罪は罪であります。「小さいから汚れではない」ではないです。

イエス様は悔い改めない人の姿はこうであると語った箇所があります。次の箇所です。


【マタイの福音書5章13節】

あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、 外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。

“塩が塩けをなくす”ということは、外から何かが入ってきて塩けがなくなったのではないです。
そうではなく内側で何かが起きたことであります。

イエス様はこれは小さなことではなく1番の犯罪だと語りました。内面的深刻な危機です。

外から来る誘惑よりも、自分の中に悔い改めをしない心が 塩けをなくしているのです。
自分たちの中にある悔い改めない心こそが最も強い敵です。心が不法と汚れで満ちています。

私たちが悔い改めるなら聖められて回復します。


しかし、これは小さなことだと思って「これくらいイエス様ぐちゃぐちゃ言わないでください。」と、他人から言われても「皆がやっていることだ。これが私の命を取るとは思えないわ」と心を頑なにして相変わらず同じ生活をするのです。


これが命取りになるということはアモス書に書かれています。

【アモス5章19節】

人が獅子の前を逃げても、熊が彼に会い、家に入って手を壁につけると、蛇が彼にかみつくようなものである。

外から誘惑がたくさん来ると、私たちは誘惑されてはいけないと吠えたける獅子の前から逃げます。熊のように襲うものもあります。
しかし家に入ったから安心・大丈夫だと思っても、家の中にはもっと大きな敵がいるのです。

家の中というのは、自分たちの心の中のことであり、外よりも内にはもっと恐ろしい蛇がいるのです。


蛇はサタンです。獅子や熊よりも蛇の方が恐ろしいです。
蛇は大きくはないですが、毒を持っているので咬まれたら死にます。

内側にある悔い改めない心、これこそがあなたの命を奪います。


私たちは誘惑されて 時には倒れることがあり、外側から来るものにはすぐに気が付き悔い改めますが、自分の中で ずっと共に住んでいるのに、存在すら気付いていない蛇が咬みついていることに気が付かないのです。

隠れた罪も神様はすべてご存知です。
私たちが隠している部分にはそこに蛇が住んでいると思わなければいけないです。

偽り、憎しみの心は蛇のようなものだと思っていますか?「あの人が憎い!」という思いがありますか?


しかし神様は愛の方でありますので、神様の中には憎しみがないです。
私たちは神様が持っていないものを自分で持ちながら天の御国に平気で入ろうとするならば、「あなたの心は地獄に相応しい」と言われて天国には入れないです。

皆さんは他人を憎む心がある時に平安がありますか? ――ないですね。


平安は聖霊様が与える心なので、憎しみがあるところには平安が絶対に来ないです。自分が死にたくない(地獄へ行きたくない)なら赦すことです。
これはとても大切なことであります。

「死んでも赦さない」というのは、クリスチャンには相応しい言葉ではないです。





適当に妥協することも神様は罪であると語りました。
なぜなら神様の言葉を自分に都合の良いように解釈をして変えてしまうからです。


教会の中には、聖霊を欺く罪がすごく多いです。
什一献金を正確にしてください。ごまかしていながらも「捧げました」と言うのは聖霊を欺くことであります。
大きな金額が入ったときには もったいないなと思って捧げないのです。

ボーナスが入った時には什一献金を捧げてください。それは収入でありますので正確にしてください。

神様に指摘をされた時に「バレたか」ではないです。それが命取りになるのです。


主の心が激しく痛み、涙を流しているのは世の中にある多くの教会がサルデスのような教会、ラオデキアの教会のような姿であるからです。 教会とは聖徒たちの姿です。


【ヨハネの黙示録3章1-3節】

また、サルデスにある教会の御使いに書き送れ。『神の七つの御霊、および七つの星を持つ方がこう言われる。 「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる。

目をさましなさい。そして死にかけているほかの人たちを力づけなさい。わたしは、あなたの行いが、 わたしの神の御前に全うされたとは見ていない。

だから、あなたがどのように受け、また聞いたのかを思い出しなさい。それを堅く守り、また悔い改めなさい。 もし、目をさまさなければ、わたしは盗人のように来る。あなたには、わたしがいつあなたのところに来るか、決してわからない。

自分では生きていると思っていても、実は死んでいて、目をさましていると思っていても眠っている姿。そして自分は全うしたと思っているのに、神様はそうではないと語ります。

ですから評価が全然違うのです。この時に私たちは(自分の評価ではなく)神様の言葉を聞くことであります。


【ヨハネの黙示録3章14-17節】

また、ラオデキヤにある教会の御使いに書き送れ。『アーメンである方、忠実で、真実な証人、神に造られたものの根源である方がこう言われる。

わたしは、あなたの行ないを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。

このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。

あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。

私たちは自分のことをきちんとみことばに当てはめないので知らないのです。
ですから 悔い改めをしないで放置をして、結局それが命取りになってしまいます。

みことばを読む時に、“これはあの人のための言葉だ ”と思ってはいけないです。


“これは私に語る言葉であるのだ ”と常に自分のことだと思わないならば、神様と私たちは何の関係でしょうか?他人を見ている場合ではないです。


【ヨハネの黙示録3章5節】

勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして私は彼の名をいのちの書から消すようなことは決してしない 。わたしは彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い表す。

いのちの書に自分の名前が書かれていないと、もちろん天の御国には入れないですが、以前に いのちの書に書かれていたのに名前を消されてしまった人も入ることができないです。
いのちの書から名前を消されたら痕が残らないです。


「勝利を得る者は、いのちの書から消さない」と神様が語るということは、“名前が消されることもある”という意味だと私たちは解釈しなければならないです。

私たちが信じた時から、神様は冠と報いを準備してくださっていますが、ある者たちは堕落をしたのでそれらの報いが使い物にならなくなりました。

その使い物にならなくなった物を見て、イエス様は苦しんでおられます。


神様は私たちの姿を見て、悔い改めに導いてくださいますが、悔い改めに導く主の姿を見てみたいと思います。
どのような時に私たちが気付いて悔い改めるべきでしょうか?




みことばを聞く時に罪を自覚する




【使徒の働き2章37-38節】

人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。

そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そしてそれぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。 そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。


皆さんがこのような厳しい話を聞いていると、心が刺されると思います。
心が刺されていない人は、聞く耳と心を閉ざしているということで問題であります。

しかし 聞く耳を開いている人は、この言葉が自分の心に刺さると思います。
心が刺されるということは、罪の自覚があるということです。


罪の自覚があるならば、今が悔い改めるチャンスであり、気付いた時に悔い改めないならば、罪をそのままにしている状態です。

気付いたならば、その場で悔い改めて立ち返ることです。
自覚をしたということは悔い改めのチャンスが与えられた恵みであります。

罪を悔い改めなかったために命ではなく、滅ぼされてしまう人たちがどんなに多いか分かりません。




神の慈愛




【ローマ2章4節】

それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。

神様の慈愛は、私たちにすぐムチを打たないということです。
罪を犯して まだ悔い改めをしていないのに、神様は裁かずに見てくださっています。

神様は裁き主ですが、裁かずにジーッと見ながら祝福も与えてくださいます。


私たちが「善い者」だから祝福が与えられているわけではないです。これは全て神様の慈愛であります。


神様から何も言われないからと安心して悔い改めをするチャンスを逃して死んでしまうならば、その人は終わりです。

何かがあった時に、私たちはすぐに悔い改めないと、神様の慈愛と忍耐と寛容を無視することになりますので、その過ちを犯さないようにしましょう。




神の忍耐




【Ⅱペテロ3章9節】

主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して 忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

主が再臨することは昔から言われていますが、今 主は準備をし、御使いたちは既にラッパを持っている状態です。そして吹く準備も出来ています。

しかし、なぜラッパを吹かないのでしょうか ――?
それは地上にいる神を信じる者たちの準備が まだ出来ていないからです。
ですから神様が忍耐をして延ばしてくださっています。


しかし今は、もうこれ以上は延ばせないのだと何度も語っておられます。

神様の忍耐がある時に悔い改めをしないといけないです。神様の忍耐が切れた時は世の終わりであります。

私たちは悔い改めの時間が与えられている時に、本気で悔い改めなければならないです。
悔い改めをせずに、その時を逃した者が滅びている姿が黙示録に書かれています。


【ヨハネの黙示録2章21-22節】

わたしは悔い改める機会を与えたが、この女は不品行を悔い改めようとしない。

見よ。わたしは、この女を病の床に投げ込もう。また、この女と姦淫を行う者たちも、この女の行いを離れて悔い改めなければ、大きな患難の中に投げ込もう。

大きな患難は世の終わりです。
最後の患難の時は誰も主を信じることが出来ないですし、生き延びることすら出来ません。


悔い改める機会を与えていたのに、悔い改めようとしなかったということですので、私たちは絶対にそういうことにならないように気をつけなければいけないです。




悔い改めの姿勢




しかし私たちが主の前で悔い改める時に、どのような姿勢で悔い改めるべきでしょうか?

口先だけで「悪かったです。神様、これからはそんなことはしません。」と言うのが悔い改めではなく、
悔い改める時の状態は、このような状態であるとⅡコリント7章9-10節に書かれています。

みなさんが悔い改める時はどうでしょうか?比べてみてください。


【Ⅱコリント7章9-10節】

今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、あなたがた悲しんで悔い改めたからです。あなたがたは神のみこころに添って悲しんだので、私たちのために何の害も受けなかったのです。

神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。

「私は本当に罪深い姿であるのだ」と主の前に震えあがりながら罪を告白して、自分の罪ある姿を悲しむ姿で主の前に出て悔い改めることが、神様が受け入れてくださる悔い改めの姿です。


罪のない者は1人もいないです。昨日(罪を)洗っても、今日また罪を犯す――。

ですが、罪を放置しないことです。今日またイエス様に悔い改めることであります。
毎日 毎日、今日が世の終わりかも知れないという思いで悔い改めなければいけないです。






皆さんは罪をどのようなものと思っているかは分かりませんが、私は罪のことを蛇だと思うことにしました。

自分自身が罪を嫌わないならば、罪から足を洗って手放すことが出来ないので「蛇が私を咬もうとしている。追い出してやろう。」と捨てることにします。


ニュースを見ていると、高齢者の万引きがとても増えたそうです。
その記事に書かれている言葉は、“万引き”という言葉が悪いと書かれていました。

万引きと言うと 軽いイメージなので、「窃盗罪」という言葉だと重たく感じて“刑務所へ行くかも知れない”と思えるので言葉を変えないといけないということでした。

「脱法ハーブ」も若者が事故を起こしていても「ハーブ」と言うから簡単に手を出すので、「麻薬」に変えなければならないのと同じです。

ですから 軽い言葉を使うと、人々はそれが重大なことであるにも関わらず、軽く考えてしまいます。


私たちは罪に対しても、軽く聞き流すならば罪の認識がありません。
「罪は蛇なので咬まれたら死ぬ」と警戒をしないと、後でそれによって命が取られてしまいます。


皆さんにとって天国へ行くことはどのようなことでしょうか?

すべてのものを手に入れても、命を失って地獄へ行くなら何になるでしょう。


自分の肉を打ち殺すことは、とても大変なことです。それを神様の言葉に服従させることは1番大変なことです。
しかし 永遠の世界がありますので、それは価値あることです。

イエス様は世界に向けて、教会に向けて、個人に向けて熱心になって悔い改めなさいと語っておられます。

世の中では罪という言葉は使わないです。
教会でも罪のことが語られなければ、その教会は“死んだ教会”であります。


私の教会は死んだ教会にはしたくないので、神様が熱心に語れとおっしゃるので、まず自分に語り 皆さんにも語って目を覚ますように言いたいです。

今回聞いたならば、その後 どうするかは皆さん1人1人の決断です。
命を得るのか、滅びを選ぶか、それは自由であります。

ですが、命を選んで欲しいです。
大したことのない罪の中に留まって 命をないがしろにするのは愚かであります。
ヽ(TдT)ノ

2014.7.20
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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リニューアルし、読みやすくなりました❤

地獄はこのような場所です。
幻と啓示~天国と地獄~

心の状態によって選んで、みことばを読んでくださいね!
目的別みことば

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金ヘス牧師のブログにもたくさんの恵みや知恵の種が蒔かれています。
金ヘス牧師のブログ

毎週日曜日の八戸ノ里キリスト教会のご馳走です!
主の食卓のブログ

毎日、神様のことばを吟味して恵みを受けてくださいね
今日の「いのちのパン」

シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

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