からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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これからもどうぞよろしくお願い致します♪

成長

私たちは神様の建物、畑

テーマは 『 私たちは神様の建物、畑 』 です


今回は “教会とは何か、教会に仕える主のしもべや、教会生活が どうあるべきか” を見ていきましょう。

第1コリント3章を見ていきますが、その前にまず、コリントの教会がその当時どのような教会であったかを見ていきます。



コリント教会の始まりは 使徒18章に書かれており、AD50の初め、パウロが2回目の宣教旅行の際に、コリントを訪れて宣教し、プリスキラとアクラと一緒に18ヶ月間も住みながらコリントの教会を建てました。


パウロはそこでユダヤ人から迫害を受け、のちにシリヤに向けて出発するためにコリントを出ました。

その後、アポロがコリントに到着して、その教会に仕えていました。

実際にアポロの姿を見てみましょう。


【使徒の働き18章24-28節】

さて、アレキサンドリヤの生まれで、雄弁なアポロというユダヤ人がエペソに来た。彼は聖書に通じていた。

この人は、主の道の教えを受け、霊に燃えて、イエスのことを正確に語り、また教えていたが、ただヨハネのバプテスマしか知らなかった。

彼は会堂で大胆に話し始めた。それを聞いていたプリスキラとアクラは、彼を招き入れて、神の道をもっと正確に彼に説明した。

そして、アポロがアカヤへ渡りたいと思っていたので、兄弟たちは彼を励まし、そこの弟子たちに、彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。彼はそこに着くと、すでに恵みによって信者になっていた人たちを大いに助けた。

彼は聖書によって、イエスがキリストであることを証明して、力強く、公然とユダヤ人たちを論破したからである。


コリントの教会は 教会を初めに建てたパウロや、その後のアポロのメッセージによって霊的に成長していました。


コリントという町は ギリシャにあり、都会で、成功している人々が多かったのですが、コリントの教会には社会的に低い地位の人も多く、もちろん高い地位の人もいました。

約1世紀の間ローマの植民地であったため、ローマの影響も受けていました。



また、ギリシャの文化では英雄をまるで神のように扱い、神のように仕えていた文化もありました。

コリントの教会の姿について見ていきましょう。


【第1コリント 1章4-9節】

私は、キリスト・イエスによってあなたがたに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも神に感謝しています。

というのは、あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです。

それは、キリストについてのあかしが、あなたがたの中で確かになったからで、

その結果、あなたがたはどんな賜物にも欠けるところがなく、また、熱心に私たちの主イエス・キリストの現れを待っています。

主も、あなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者として、最後まで堅く保ってくださいます。

神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。


パウロの言葉によると、コリント教会はことばや、知識、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者になったこと、また、賜物も欠けることなくあること、熱心に主イエスの現れを待っている信仰深い姿がありました。


これだけを見ると、成長していて霊的にもしっかりしていると思うかも知れません。

しかし、一つそのコリント教会に大きな問題があったのです。


【第1コリント 1章10-12節】

さて、兄弟たち。私は、私たちの主イエス・キリストの御名によって、あなたがたにお願いします。どうか、みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を完全に保ってください。

実はあなたがたのことをクロエの家の者から知らされました。兄弟たち。あなたがたの間には争いがあるそうで、

あなたがたはめいめいに、「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケパに」「私はキリストにつく」と言っているということです。


コリント教会の中で、人々は信仰を持って育ちながらも、徐々に人々の中で「私はパウロの方がいいな、パウロが元々この教会を建てたし」

「私はアポロの方がいい。メッセージが力強いし、うまいし。」

「いや、わたしはケパ、ペテロが良い。」

「いや、それなら私はキリストだけについていく。」という声を上がり始めました。



教会に集い、みことばを聞き、霊的にも成長していきながらも、気づけば少しずつ「私はあの人がいい、この人がいい」と「どの人が良いか」と論争を始め、分裂が起き始めたのです。


それに対して、パウロは第1コリント3章で詳しく述べています。


【第1コリント 3章1-17節】

さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。

私はあなたがたには乳を与えて、堅い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです。

あなたがたは、まだ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。

ある人が、「私はパウロにつく」と言えば、別の人は、「私はアポロに」と言う。そういうことでは、あなたがたは、ただの人たちではありませんか。

アポロとは何でしょう。パウロとは何でしょう。あなたがたが信仰に入るために用いられたしもべであって、主がおのおのに授けられたとおりのことをしたのです。

私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。

それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。

植える者と水を注ぐ者は、一つですが、それぞれ自分自身の働きに従って自分自身の報酬を受けるのです。

私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。

与えられた神の恵みによって、私は賢い建築家のように、土台を据えました。そして、ほかの人がその上に家を建てています。しかし、どのように建てるかについてはそれぞれが注意しなければなりません。

というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。

もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、

各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現れ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。

もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。

もしだれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、火の中をくぐるようにして助かります。

あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。

もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。


ここでは人々がアポロの方についていく、パウロの方についていくと分裂している様子が書かれています。


本来は ただの人であるこのアポロやパウロを、気づけば神様よりも大切にし、重要視している姿が人々の中で見られました。



それについて、パウロは二つの例を使って私たちに教えています。




畑と建物のたとえ




まずは、畑の例えです。

初めに教会という種を植えたのはパウロであり、その種が育つために水を注いだのはアポロですが、実際にそれを育てて成長させたのは神様です。


いくら私たちが畑に種をたくさん蒔いて、水をたくさんやったとしても、太陽の光がなければ育ちません。

太陽の光は私たちが作り出すことは出来ず、神様の恵みによって与えられるものです。


神様の恵みなしに、教会が成長することはないのです。



神様と共に生き、神様の恵みがない教会に、いくら人がたくさんいても、素晴らしい指導者がいたとしても、それは成長しない死んだ教会です。


私たちが大切にすべきなのは、植える者でもなく、水を注ぐ者でもなく、それを成長させてくださる神様ご自身です。


私たちが大切にし、またいつも教会の中で中心に置くべきは神様なのです。






次にもう一つの例えとして、建物が挙げられています。


建築家は、オーナーに依頼されてそのオーナーの希望通りに建物を建てますが、その建物自体は建築家のものではなく、オーナーのものです。


建築家パウロは、オーナーである神様にコリントの教会を建てるように言われて、しっかりイエス・キリストという土台の上に教会を建てましたが、その教会自体は神様のものであり、パウロのものではありません。


すべては神様のものであるのにも関わらず、それをまるで建築家のパウロや、その建物を維持している管理人のアポロの方を重要視していました。



いつの間にか、神様を求めにくるはずの教会で、神様よりも人を見るようになりました。

それで どの人の方が良いのかと、意見が割れ、口論になったり、もめたりしていますが、それは本来間違った姿なのです。


教会はキリストが土台になっており、教会自体も神様のものであり、そのオーナーである神様に私たちは会いに行くのです。


また、どんな建物になっているのか、ちゃんとオーナーが言ったとおりに建物を建てているかどうかを判断するのは、オーナー自身であり、建物自身ではないのです。



もし建築家である神のしもべが、オーナーである神様の言う通りにしっかり教会を建てないのならば、イエス様が再び来られる日にすべて明らかになり、神様が判断をし、裁きを下されます。


それは私たち人間がその人がどうなのかを判断するのではなく、神様が判断することなのです。






それでは、私たちがすべきことは何でしょうか?


それは私たちが何者であるのか、また神様と私たちの関係をしっかり理解して生きることです。


【第1コリント3章9節】

私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。


【第1コリント3章16節】

あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。


私たちは神様の畑、建物であり、神様の神殿そのものです。

また、神の御霊、つまり聖霊様が私たちの中に宿っておられます。


私たちが自覚すべきは、私たち自身が神様の教会になっていることであり、私たち自身が神様のものであるということです。



聖霊様が私たちの中に生きているのであれば、人を中心とした肉的な者として生きるのではなく、神様を中心とした聖霊と歩む霊的な者として歩まないといけません。


教会は、人中心ではなく、人を求めに来るのでもなく、私たちの父でありオーナーである神様を求めに来るべきです。



もし人を求めて 人のために来るのならば、肉の者として集まることになり、教会とは言えず、ただの人の集まりに過ぎません。


しかし、神様のものとして、聖霊様が宿っているものとして集まるのが神の教会です。


神様ご自身を求める時、頼り祈り求める時に神様は、私たちの想像をはるかに超えて私たちを成長させてくださり、祝福してくださり、守ってくださいます。



神様は教会をご自身のものとして建てました。


また、そこに集う信徒たちは神様の教会そのものであり、神様のものであります。

教会を成長させたのも神様です。



神様はこれからも私たちに、神様のものとして、神様を求め、いつも神様を中心に礼拝を捧げ、教会で交わりを持ち、成長することを願っております。


それは私たちにとっても恵みのあることなのです。

これからも成長させてくださる神様と共に、神様のものとして教会生活を続けていきましょう!


アーメン (*・ω・)ノ


2021.4.18
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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神からの良い報い

テーマは 『 神からの良い報い 』 です

【へブル6章10-12節】

神は正しい方であって、あなたがたの行いを忘れず、あなたがたがこれまで聖徒たちに仕え、また今も仕えて神の御名のために示したあの愛をお忘れにならないのです。

そこで、私たちは、あなたがたひとりひとりが、同じ熱心さを示して、最後まで、私たちの希望について十分な確信を持ち続けてくれるように切望します。

それは、あなたがたがなまけずに、信仰と忍耐によって約束のものを相続するあの人たちに、ならう者となるためです。

自分が信じる神がどのような方なのか正しく知っていますか?


私たちが信じる神は正しく、真実で公平な方です。

また変わらない方であり、すべてご存知で、私たちの行いを忘れずに覚えておられる方、また良い報いを与えて下さる方です。


神を知れば知るほど 神への信仰も強くなり成長します。

また良い報いを与えて下さる神であることを知っていれば、私たちの信仰も行動も変わります。



神は、私たちが神を正しく知って この世で良い働きをすることを願っておられます。


救いは信仰によって受けますが、信仰には それにふさわしい良い行いが伴わないといけないです。

すなわち良い実を結ばないといけないことです。


聖徒は良い報いがあるから良い働きをするのではなく、神を愛するから良い行いをします。



良い行いをする前にすべきことがあります。

まずは確認です。


【ローマ12章2節】

この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

良い行いをするための私たちの態度に対してはまず、愛の行いをすることです。


見せかけの信仰ではなく、心から神を信じ、その信仰で聖徒の愛を実践する人は決して神の救いからもれることがないです。



神は聖徒が愛の精神で良い行いをする時に、それを喜んで受け入れ必ず良い報いを与えて下さいます。


【第1コリント3章8節】

植える者と水を注ぐ者は、一つですが、それぞれ自分自身の働きに従って自分自身の報酬を受けるのです。

【ヨハネの黙示録2章23節】

また、わたしは、あなたがたの行いに応じてひとりひとりに報いよう。


そして他人に対しての愛の行いだけでなく、自分自身の信仰を成長させる時も 神はその人に素晴らしい報いを与えます。

それは永遠のいのちであり、天の御国です。



信仰が成長せず、しかも堕落してしまった人には良い報いはありません。


神の真理のことばを聞いても、悟らず怠けて、天国への望みをもって追及しないなら、神が用意した栄光あるものは受けることが出来ないです。


信仰の成長や信仰の忍耐は神の約束の祝福を得るために必要です。


【へブル6章15節】

こうして、アブラハムは、忍耐の末に、約束のものを得ました。

アーメン (・∀・)


2020.10.11
聖日礼拝メッセージ

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祈りのパワー

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【へブル13章18-19節】

私たちのために祈ってください。私たちは、正しい良心を持っていると確信しており、何事についても正しく行動しようと願っているからです。

また、もっと祈ってくださるよう特にお願いします。それだけ、私があなたがたのところに早く帰れるようになるからです。

祈りに関しては たくさん聞いているので、祈っていると思います。


しかし なぜ祈るべきか、祈りにはどんなパワーがあるかに対しては あまり知らない人が多いと思います。


困った時の神頼みぐらいしか思っていない人も多いです。

ですから何もない時は祈らないし、祈りなさいと言われると、それを大きな負担と感じます。



祈りは聖徒の特権であり、とても重要です。

祈りによってすべてが変わるからです。


そして、祈りによって人生の車輪が早く回るということも知らなければなりません。


会社での仕事も効率的にすればするほど、時間も短縮出来るし 仕事のスピードも速くなりますし、時間の浪費がないので もっと多くの働きが出来ます。

効率化がないと たくさん働いたわりには残るものが少ないです。



祈りにも似たようなところがあります。

本文でも祈りの要請がありました。二度も要請がありました。


「もっと祈ってくださるよう特にお願いします。」ということばが なぜあったでしょうか。


たくさん祈ることで何が変わるでしょうか?

「それだけ、私があなたがたのところに早く帰れるようになるからです。」と理由を言いました。


すなわち 祈りによって神の働きも祈りの答えもスピードが速くなるということです。



軽自動車とスポーツカーは同じスピードが出るでしょうか?

軽自動車とスポーツカーのパワーとスピードは全く違います。



祈ると神のパワーが加わって、私たちがする全てのことに、神が働き、無駄がないように、神が私たちを助けて下さいます。


祈ることによって人生の速度を上げることが出来ます。

祈ることによって答えも早く来ます。

目標も早く達成することが出来ます。


祈りに対して、主は「いつも、目を覚まして、絶えず、祈りに励みなさい。」と言われました。


様々な人生の問題、試練、成長、人生の目標などを乗り越え、成し遂げるために祈りほど重要なことはありません。


ですから神の働きを活発にした使徒たちも絶えず祈りながら、また祈りの要請をしました。



また祈りの効率を上げるためには 祈るだけで良いのではなく、正しい良心をもって正しい位置に立っていないといけないです。


汚れた思いを持ちながらいくら神に願っても、神はその人のためには働きません。

神は祈りを通して私たちと共に働きます。


【ヤコブ5章16節】

ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。

アーメン (*´ -`)(´- `*)

2019.12.1
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イエス様のライフスタイル

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【ルカの福音書21章37節】

さてイエスは、昼は宮で教え、夜はいつも外に出てオリーブという山で過ごされた。

新しく生まれ変わったクリスチャンならば、イエス様抜きの生き方はしてないと思います。


いつも、どうしたらもっとイエス様に近づけるかを考えると思います。

どうしたらもっと信仰ある者になれるのかを考えます。


なぜなら自分の姿が きっと主の目には「信仰の薄い者」に見えると思うからです。


良い信仰を持つために努力する人もいると思います。

しかし、うまくいかなくて悩む時もあります。


なぜ努力しても良い信仰、主が喜ぶ人間になれないのでしょうか?


イエス様が地上にいた時は、私たちと同じ “人間” として生活しました。

同じように弱さを持っていました。


しかしイエス様は世の中でも、世に染まらず、偉大な救いのわざを成し遂げました。


なぜそれが出来たでしょうか。

イエス様のライフスタイルを見たら分かります。


そして私たちが努力してもうまく行かない原因も、私たちのライフスタイルにあります。

主のライフスタイルと私たちのライフスタイルがあまりにも違うからです。






本来ならば、イエス様のライフスタイルをマネしなければならないのに、私たちは自分のライフスタイルを優先にします。


主のライフスタイルに従わないです。


それでは いつまで経っても、私たちの信仰生活はうまくいかないです。

もちろん勝利することも難しいです。


毎日習慣的にやることが、その人のライフスタイルです。



イエス様のライフスタイルはどうでしたか?

今日のことばにあります。


「夜はいつも外に出てオリーブという山で過ごされた。」


イエス様のライフスタイルは、夜になると静かな所で一人になることでした。


毎日大勢の人に囲まれ、昼は多くの働きをしました。

誰よりも忙しかったです。


早朝から人々が集まるので、食事する暇もないほどで、それが毎日繰り返されていました。


しかし夜になると、いつも人からも 弟子たちからも離れて一人になりました。

休むためではなく、父なる神に祈りをささげ、交わりをするためでした。


父なる神と二人で過ごす時間が、イエス様にとってはもっとも貴重な時間で、それが主の働きの原動力になっていました。






「もし明日死ぬならば、今日何をしますか?」
という質問は、みなさんも聞いたことがあると思います。


皆さんなら何をしますか?

いま考えてみて下さい。



イエス様は何をしましたか。


ルカの福音書22章39節は十字架にかかる前日の姿です。

イエス様は自分が次の日に死ぬことも知っていました。


【ルカの福音書22章39節】

それからイエスは出て、いつものようにオリーブ山に行かれ、弟子たちも従った。

人生最後の日でも、いつもと同じようにオリーブ山に行かれ、その晩もいつものように父なる神と時間を過ごしていました。


弟子たちも一緒にいましたが、彼らのライフスタイルは いつも主の近くで寝ることでした。


ですから「目を覚まして祈りなさい。」と何度も聞いたにも関わらず 出来ませんでした。

そして誘惑に負け、倒れました。


しかしイエス様のようなライフスタイルで生きた人たちは、みな勝利の人生を生きました。


もしイエス様のように静かに神と共に過ごすライフスタイルがなく、昼も夜も世の中にどっぷり浸かって、神との時間もまったく持たず、好きなことばかりしたり、眠りをむさぼるライフスタイルならば、誘惑が来た時に倒れてしまいます。


信仰も薄いままです。

もちろん成長も出来ません。


人としてのイエス様は そのライフスタイルを通して、私たちに生き方も教えて下さいました。


自分のライフスタイルを早く変えることが、誘惑の多い世の中で倒れない秘訣でもあります。

アーメン ( ̄‥ ̄)=3


2019.8.11
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主が喜ぶこと

テーマは 『 主が喜ぶこと 』 です

ハレルヤ

今日も主の守りがありますように。


イエス様が私たちに一番求めておられることは、何だと思いますか?

私たちが主のために何かをすることよりも、“私たちの変化” です。

日々 新しく変わることを一番求めておられます。


主のためにたくさの働きをしたから、それが豊かな人生を保証することにはならないです。


私たちが主に出会って、どれくらい変わったのかを主は関心を持って見守っておられます。

どれほど私たちの内なる人が成長するかを主は楽しみにしておられます。

私たちが日々新しく変化していくためには、主と共にいる時間が必要です。


イエス様さえ、地上での忙しい日々の中で、いつも静かな所に一人でいました。

それは休むためではなく、父なる神と共に過ごすためでした。


時には徹夜をしながら父と共にいました。

次の日は寝ることなく働きました。

繰り返し毎日のようにしました。

その時間が主にとって安らぐ時間であり、神の前に静まる時間、黙想する時間でした。


日々、あれこれと忙しい私たちにとって、このような時間はとても必要ですが、本当に邪魔するものが多く、また肉体の休みや、自分がしたいことを優先する傾向があるので、頭では分かっていても実行することが難しいことも確かです。


主の前で静まる時間がないと私たちの内なる人が変化することは とても難しいです。

だんだんそのことに対しても関心が薄れていきます。

身体が疲れると、すぐ眠くなることを皆さんは経験していると思います。


私たちが神と交わる時間を持たず、みことばも食べないと、内なる人はだんだん疲れて栄養失調になり弱って、知らぬ間に眠ってしまいます。


霊的眠りより怖いものはないです。

寝てしまった人は横で騒ぎが起こっても知らずにいることが多いです。


その人たちは主が来て起こしても、その声が聞こえません。

主は「目を覚ましていなさい」といつも語っておられます。

そのためには日々、個人的に主と過ごす時間が必要です。


主のことばに耳を傾ける必要があります。

その中で深い理解と分別力、愛、謙遜、奉仕、そして成熟していきます。


主といつもともにいる人が主の香りを放つことが出来ます。


そのように変化していくことを、主は私たちに期待し、変化していくと一番喜んでくださいます。
(。・ω・)ノ゙

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今年成長しましたか

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【第2ペテロ1章5-10節】

こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、

知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、

敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。

これらがあなたがたに備わり、ますます豊かになるなら、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知る点で、役に立たない者とか、実を結ばない者になることはありません。

これらを備えていない者は、近視眼であり、盲目であって、自分の以前の罪がきよめられたことを忘れてしまったのです。

ですから、兄弟たちよ。ますます熱心に、あなたがたの召されたことと選ばれたこととを確かなものとしなさい。これらのことを行っていれば、つまずくことなど決してありません。

今年最後の礼拝ですので、1年を振り返りながら 主から受けた恵みに感謝することは大切です。


それと共に大切なのは、主から受けた恵みを使って成長したのか、成長してどのような実を結んだのかを点検するのも大切なことです。


忠実なしもべとして、その恵みと賜物を使ったならば、1年間成長して豊かな実を結んだはずです。


今日は“1年間 成長したのか、実を結んだのか”、他人を見るのではなく、自分を見て下さい。




成長していく過程




まずは成長していく過程をみてみます。

どの部分においての成長を 神が期待するのか 5-7節にあります。


信仰から始まり、徳、知識、自制、忍耐、敬虔、兄弟愛、愛です。


自分は昨年よりも成長したと評価するならば、これらの部分において 確かに成長があったと思います。


成長した人には実が結ばれているので、本人や周りの人も確認出来ます。

“実”は目立たないのではなく、目立ちます。

その人の信仰生活や、人格、人間関係が変わります。


信仰生活を良くしようと思って努力をした人は、すべての部分において成長があったと思います。


成長は信仰から始まり、最終的な実は愛なので、愛が以前よりもあるならば、その過程にある部分でも確かに成長があります。


しかし愛の部分において変わっていないならば、その間にあるものも変化なしだと思います。


成長も、「祈れば成長出来ると思って神様に祈ったのに、成長させてくれなかった」と言う人がいますが、それは間違えた考えです。

なぜならば信仰が成長するためには 神の恵みはもちろん欠かせませんが、恵みだけで成長出来るものではありません。


いくら素晴らしいコーチが選手を育てようとしても、選手自身が真剣に努力をしないと上達出来ません。


信徒たちは救われた後は成長するために、日々肉の思いと戦いながら、努力が必要です。


神様は生ぬるい人や 何も努力しない人に恵みを注ぐのではなく、努力する人に恵みを注ぎます。

すなわち実を結ぼうとする人に、恵みの雨と栄誉と世話をします。

本文でも5節に「あらゆる努力をして」ということばがあります。


これは成長するために最善を尽くすことを意味します。

真剣に取り組まないと続けることが出来ません。


私たち人間は 楽な道を好みますし、出来ることならば怠けたいと思う心があります。

自ら汗を流して奉仕をする人は少ないです。

油断をすると、すぐに怠けてしまうのが私たちの習性です。


それらと戦いながら努力しないと成長は望めないです。

しんどくても努力を続けると、いつの間にか実が結ばれます。


みなさんも今年の年頭に色々と計画を立てたと思います。

しかし、どんなにすごい計画を立てても、努力と継続なしに達成することは出来ないです。

努力をしないと三日坊主で終わってしまいます。


聖書通読の計画はどうなりましたか。
みことばの知識は増えましたか。


人格や品性においても変化がありましたか。
自制や忍耐が出来ましたか。

愛ある者に変わりましたか。
祈りや奉仕、伝道にも力を入れましたか。




成長も実も結んでいないのは何が問題なのか




これは、まず その人の信仰生活に問題があります。

私たちにとって家庭生活も社会生活も大切ですが、最も大切な生活は 信仰生活であることを知っていますか?


信仰生活は神との関係です。
そして、いのちが懸かっています。

ですから、その意味で他のものよりも重要です。


しかし その重要性を認識せず、社会生活や家庭生活だけを重要視し、信仰生活をないがしろにすると当然のように、信仰は形だけのものになります。そこには成長もないです。

神との関係も どうでも良いと考えるので、聖霊も悲しみます。


信仰生活のためにあらゆる努力をして成長し、実を結ぶ意味すら分からないですし関心もないです。


そのような死んだ信仰、または生ぬるい信仰が1番の問題です。

生ぬるいので、神が優先ではなく、仕事、自分、家族、趣味、肉の思いが優先です。


そういう思いが強いので、信仰生活にも力がなく、神の思いよりは心配や悩み、不安、葛藤、肉の欲が常に心を支配します。


それによって心が良い地ではなく、いばらの地になってしまいます。

そこにみことばの種を蒔いても、実を結ぶことが出来ません。

みことばがないので喜びと平安がなくなり、だんだんと聖書も読めなくなり、祈りも出来なくなるので、心が砂漠のように枯れて水のない状態になります。


それで霊的状態が悪くなるので、惑わしの霊や偽りの霊など サタンが活発に働きます。

すると聖霊に導かれて歩むことが出来ず、サタンに導かれて歩むようになります。


自分の中に神が働くのか、サタンが働くのか、その分別も出来なくなり、惑わされてつまずいてしまいます。

つまずいた状態は、枝が木から離れた状態です。

枝だけでは絶対に実を結ぶこともなく、枯れてしまうと主が語りました。


折れた枝、木から離れた枝に恵みの雨は無用なので、神は恵みを注ぎません。

実を結んでいない人は、自分が神から恵みを受けた者であることを忘れています。


罪から自分を贖って下さった主の恵みを忘れて主をないがしろにしています。

立てた誓願もきっと忘れているでしょう。


恵みを忘れると熱心さがなくなり、だんだんと生ぬるくなり、感謝も消えて やる気もなくなります。


また神様への熱い思いが消えてあるならば、初めの愛から落ちている状態です。


すると神との関係も倦怠期を迎え、神が空気のような存在になります。

信仰生活がしんどくなり、どんどん神からも教会からも距離を置くようになります。

神への奉仕も負担になります。


主はそのような人をどう思うでしょうか。

役に立たない者、実を結ばない者、近視眼、盲目、恵みを忘れた者、初めの愛から落ちた者、生ぬるい者、つまずいた者とみなし 悔い改めを勧めます。


悔い改めないと大変なことになります。
サタンの餌食になってしまいます。


神からの恵みも受けることが出来なくなります。



神様が私たちに期待する姿




神様が私たちに期待するのはこのような姿です。


【ヨハネの福音書15章1-2節】

わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。

わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。


【ヨハネの福音書15章8節】

あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。

私たちが弟子として成長し、多くの実を結んで神に栄光をささげることを望んでいます。


私たちが実を結ぶためには、神の中にとどまりながら、いつも主の恵みに感謝し、熱い心で、あらゆる努力が必要です。

自分がなぜ主から救いを受け、主に選ばれたのかを日々考えながら、自分の十字架を負って主に従っていくことです。


十字架は楽ではないですが、主が共に負っておられるので主に頼ることです。

楽じゃないからと言って、自分でそれを投げ出したらいけないです。

私たちがその十字架を捨てると、主がそれを負うので、それは主を苦しめることになります。


主に栄光をささげるどころか、主を迫害することになります。

私1人くらい成長しなくても良いでしょう。
1人ぐらい実を結ばなくても教会に迷惑をかけることもないし、生活に別に問題が起こることもない と思う人がいるならば、なぜ自分がそのような人になりたいのかを、よく考えることです。


素晴らしい神様の恵みと守りと助けを受けながらも 実を結ばないことは、神様の問題ではなく、実を結ばない人の問題です。


主が私たちに恵みを与えるのは、私たちが実を結ぶためです。

神は成長して実を結ぶ人に素晴らしい約束を与えています。


【ヨハネの福音書15章7節】

あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。

努力もしない、実も結ばない人の祈りに答える義務が主にはありません。


しかし実を結ぶ人の祈りには、約束があるので答えて下さいます。
.。゚+.(・∀・)゚+.゚

2015.12.27
聖日礼拝メッセージ

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神の約束を信じたアブラハムの信仰

テーマは 『 神の約束を信じたアブラハムの信仰 』 です

【ローマ4章19-21節】

アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。

彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、

神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。

聖書から、“神のことばと信仰” を除くならば、何が残るでしょうか。

そして、それらを除いた聖書が私たちにどのような意味を残すでしょうか。
それは何の価値もないものになってしまいます。


信仰は神のことばと私たちをつなぐ役割をします。


いくら聖書が真理であり、いのちのことばだとしても、読む人に信仰がないならば聖書をどんなにたくさん読んでも、その人に聖書の価値はわかりません。


ただの一冊の本に過ぎません。


また、ある人が「自分には信仰がある」と言っても、その人の信じるものが真理のことばでないならば、その信仰はむなしいものとなり、その魂を救うことは出来ません。


アブラハムという人物は、“信仰の父”と呼ばれています。
神様は、アブラハムが見せた信仰を 良い信仰だと認めて下さいました。

それはアブラハムが神の言葉に対して信仰をもって受け止め、その信仰が最後まで生きていたからです。


アブラハムは神様を直接見たから神を信じたのでしょうか?

神を信じない多くの人は、「神を見せてくれるならば信じる」と言います。


高慢と不信仰な心で「神を見せてくれ」と言っても、神がその人に現れることはありません。

なぜなら神が認める信仰は、見て信じる信仰ではなく、見ずに神の約束を信じる信仰をよしと認めて下さるからです。


信仰がない人に神が現れるのではなく、信仰がある時に神を見ることが出来ます。

(ここで、「見る」というのは自分の肉の目で見るという事ではなく、心の目で見るということです。)


神のことばを信じる人は、心の目で神を見るようにして生きています。






アブラハムの信仰が、どのような信仰であったのかを見たいと思います。

アブラハムはある時に神の声を聞きました。それはアブラハムにとって初体験でした。


目で神を見たのではなく、聞こえてくる神のことばでした。

神から聞かされた内容はあまりにもスケールが大きくてよく理解出来ない神の一方的な約束でした。


【創世記12章1-3節】

主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。

そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。

あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」

もし皆さんがこのようなことばを聞いたならば、理解できますか。
そして神のことばを理解できないまま、すぐに従うことが出来ますか。


すぐに出来るならば、アブラハムの信仰を認めた神が、皆さんの信仰を認めて下さると思います。

しかし出来ないならば、アブラハムの信仰を見習うことです。


アブラハムは神の約束のことばを信じ、主が仰せられた通りに出かけました。
冒険するには75歳という年齢は厳しいと思います。


しかし、アブラハムは従順出来ない理由を捜したのではなく、ただ神から言われた通りに従いました。


その時のアブラハムの信仰は、神に完全に従順する信仰でした。

信仰のない人から見ると無謀な人間に見えたでしょう。
“失敗したらどうするの” と心配する声が周りから大きくなるでしょう。



すぐに心配する人は、なかなか信仰が成長しないです。神のことばよりも自分の感情に忠実だからです。

そのような人は神の言葉よりも自分がどう思うのかが一番です。
自分が安心出来たら(言葉に)従うけど 安心出来ないと、神の言葉に頼るのが苦手です。


しかし アブラハムは神のことばだけに信仰を結び付けて従順しました。

簡単そうに見えても、人々はここで失敗することが多いです。


まずは「そんなことが信じられません、そんなことが起こるはずがありません」 と勝手に神様のことばをつぶして従うことはしません。

神がせっかく語って下さったのに、どれほど多くの人々が、自分たちの不信仰で神の言葉を無視するかわかりません。


まるで神様が嘘つき、詐欺師であるかのように「信じたらダメ」 と否定します。


アブラハムは信じて大胆に出かけました。
神様が喜ぶ信仰は、従順する信仰です。


信仰ある人は、自分の頭で理解出来ず 納得できなくても、神が語ったことばが一番で、そのことばに従います。


アブラハムの信仰は、神の約束を最初から疑わない信仰でした。

最初の神の約束のことばを疑わずに受け入れたアブラハムでしたが、すぐにその信仰が認められ、すべての祝福を受けたでしょうか。


現実はどうでしたか―?

75歳で従順して出かけましたが、25年間何事も起こりませんでした。
25年は決して短い時間ではありません。


自分ならばどうするのかと考えてみて下さい。

信じた私がバカだったと自分に対して腹を立てますか?
また、神様に向かって嘘つきと文句を言いますか。


たぶん私たちならば両方やっていると思います。

しかしアブラバムは、子孫が与えられる約束を受けたにも関わらず、いつの間にか100歳になり、生産不能になり、子を持つことが不可能になったにもかからわず、アブラハムは神の約束を疑いませんでした。


これは素晴らしい信仰です。






人々は信仰よりは不信仰を選び、信仰よりは疑いを選びます。

忍耐よりは諦めて、時間を無駄にするよりは他の方法を捜します。

しかし別の方法も見つからず失望して終わる人が多いです。


沖縄に行った時、海岸にある木を見ましたが、形がちょっとおかしく、木の葉や枝が不揃いでした。

台風が多いので、暴風で枝が折れたり、葉っぱが落ちた為だと思います。


でも激しい風の中でもしっかり立っているのは、植えられた所に、必死に頑張ってしがみついて 根を深く降ろしたから倒れなかったと思います。


疑いは二心です。どうしようかと迷う心です。

根を下ろそうか、やめようかと二心で戦いますが、そのような状態では立ってはおられません。

現実の強い風で倒されてしまいます。


アブラハムは自分や妻が年取ってこどもを産む力がないことを知っていても、信仰が弱ることもなく、神の約束を疑うこともなかった理由は、アブラハムが神の無限なる力と 神は約束を守る神であることを信じたからです。


【イザヤ書55章11節】

そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。

環境に左右されたり、自分の状態に左右されたりするのは信仰の姿ではありません。


神の絶対的な力と真実さに対する完全な信頼こそ、不可能に見える状況の中でも アブラハムを苛酷な現実から守る信仰の力になっていたと思います。


信仰は力です。

環境を見て信仰が無気力症にかかる人が多いです。それは信仰の根っこが弱いからです。


アブラハムも人間的な目で見ると、大いなる民族の先祖になることは想像出来ない状況でしたが、それでも信じたので 「信仰の先祖」 と呼ばれています。

この姿は私たちが見習わないといけないです。


次々と変わる環境や状況に振り回されて信仰の無気力症に落ちるのではなく、そのような時こそ忍耐をもって神の約束を堅く信じ、耐えることです。


その姿を確信に満ちた信仰と言えます。


確信とは、疑いが入る隙間もないほどに、自分に与えられた神の約束のことばと、神は約束したものを必ず成し遂げる方であることを心の中に満たすことです。


そして日々そのことを黙想することです。

まるでそのことが当たり前であるかのように思われると、信仰の根を深く降ろしたことになるので、過酷な現実の中でも倒れることがありません。


その人たちを倒そうとするサタンの策略も失敗に終わり、さらに試練の中で信仰は強くなり、成長していきます。


見えるものにすぐ心が取られたり、疑ったり、失望すると、倒そうとするサタンに隙を与えることになります。

現実的な可能性があったり、少しでも希望がある時は、信仰を守ることがそんなに難しいことではありません。


ところが、激しい試練や不可能な状況に直面すると、私たちの信仰は病にかかり 倒れやすいですし、疑いと絶望で揺れ動いてしまいます。


しかし、そのような時でもアブラハムがしたように、神に望みを置いて、神の約束を信じ続けるならば、神は約束したことを必ず成就して下さいます。


信仰が弱いと、神から素晴らしい約束を受けても、それを無駄にしてしまうことが多いです。

しかしアブラハムのようにするならば、すべての約束を自分のものにすることが出来ます。


信仰が弱くなったと実感する時は、アブラハムの信仰をもう一度学んで下さい。


彼が教えてくれます。
( ̄‥ ̄)=3

2015.7.26
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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ルデヤの信仰

テーマは 『 ルデヤの信仰 』 です

【使徒の働き16章12-15節】

それからピリピに行ったが、ここはマケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった。私たちはこの町に幾日か滞在した。

安息日に、私たちは町の門を出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰をおろして、集まった女たちに話した。

テアテラ市の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語る事に心を留めるようにされた。

そして、彼女も、またその家族もバプテスマを受けたとき、彼女は、「私を主に忠実な者とお思いでしたら、どうか、私の家に来てお泊りください。」と言って頼み、強いてそうさせた。

神の計画に従うならば、そこには必ず祝福があります。

パウロは神様から1つのことを示され、伝道のために召されました。
パウロと一行はアジアで福音を伝える計画でしたが、聖霊様がそれを禁じ、神によって1つの幻を見せました。

1人のマケドニヤ人が彼の前に立って「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願する姿でした。

その幻を見たパウロとその一行はただちにマケドニヤに向かって行きました。
マケドニヤはギリシャ北部に位置し、アレクサンドリアが有名でアレクサンドロス大王ゆかりの地でもあります。


川岸へ行った時に、そこに女の人たちがいるのを見ました。パウロはそこで祈り、福音を伝えました。

当時ピリピはマケドニヤの第一の町で、ピリピで幾日か滞在している時に1人の女性・ルデヤに出会いました。


彼女の信仰のことは、ここにはほとんど書かれていませんが、素晴らしい信仰でした。
彼女はどういう経緯で神を信じたかはわかりませんが、それまではユダヤ教を信じていました。

彼女の信仰の姿を調べてみましょう。



1.自分の仕事に忠実でありながら神を敬う人(14節)




ルデヤはテアテラ市の紫布の商人で、ビジネス拡大のためにピリピに移住してきたと思われます。
そして相当の財産も持っていると推測されます。

私たちは自分の仕事に熱心になると、神様のことをないがしろにする傾向があり、礼拝に行けなくなることもあります。

ルデヤは 自分の仕事にも忠実で熱心ですが、神に対する信仰をないがしろにせず神を敬う信仰の人でした。

これがとても大切であります。



2.聞く耳を開いてみことばを聞く準備が出来ていた(14節)




主がルデヤの心を開いて、パウロが語る言葉に留めるようにされましたが、聞く耳がない人に対しては 神様がわざわざ耳を開くことはないです。

“聞く耳”が彼女にありましたので、神様が更に彼女が悟るように助けてくださったのです。
ルデヤはこのことによって、ユダヤ教からキリスト教に改宗しました。

ルデヤが改宗者の第1号でした。
そしてパウロがピリピで福音を語って救われた魂も ルデヤが第1号でした。


信仰はみことばを聞くことから始まります。

私たちが神様の言葉を聞く時に、耳を傾けて 心を開いて神様の言葉を聞かないと、信仰が絶対に成長しないです。


どうやったら信仰が成長しますか?と質問をする人がいますが、みことばを聞く姿勢を変えないならば信仰が成長しないです。

みことばを聞く時は、しっかりとみことばを聞き「今日、主は私に何を語るのか?」と、そして聞いたことをただ頭の知識として入れるのではなく、心に留めることが とても大切であります。

もし、その時にみことばを悟ることが出来ていなければ、更に言葉を聞くことであります。また「これはどのような意味ですか?」と聞くことです。


更に深く探っていく時に、言葉がその人の内に留まり その人のいのちになり 血となり、成長させていきます。

聞く耳を持っている人たちの姿は、使徒の働き17章11節に書かれています。


【使徒の働き17章11節】

ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。

私たちの中に、このような姿勢があるでしょうか?

神様が用意してくださったみことばを「食べたくない」と言って目を向けず、耳を開かず、心にも入れないで、ただ席に座っているだけで他のことを考えて空っぽのまま帰ると、その霊はどんどん衰えて死んでいきます。


私たちの内なるものが日々新しくなるように 神様は毎日「いのちのパン」と「いのちの水」を飲ませてくださっています。私たちはそれをしっかりと受け取って食べないと、信仰が成長することはないです。

イエス様がことばを語る時も、大勢の人々が集まってきましたが (聞く)姿勢は それぞれ違います。
それで「耳のある者は聞きなさい。」という言葉を使いました。

自分の耳が聞く準備が出来ているのか それが大切であります。


現在開催されているサッカーのワールドカップ 日本戦の試合で、宿泊施設のレストランでテレビ画面から目を離さず、トイレも我慢している人たちがたくさんいました。 1つの場面も見逃したくないという思いがそうさせます。


みことばを聞く私たちの姿勢はどうでしょうか?

いのちのパンは、私たちの内なるものが生きるためには必要なものであり、私たちの信仰が成長するためには みことばを食べなければいけないです。


私たちはもう1度自分たちの姿を考えなければならないです。

ルデヤは熱心に聞いていました。
彼女はビジネスをしているので忙しいですが、頭の中でずっとその事を考えるのではなく、“この時間はみことばを聞く時間である。”という思いで一生懸命その時間を無駄にしませんでした。

ですから神様がルデヤの姿を見て、恵みを注いでくださいました。その素晴らしい恵みとは「救い」でした。


そこでパウロから福音を聞き、福音の主体はキリストでありますので 彼女は悟り、耳を傾けたので恵みを受けることができました。




3.家族までも変える信仰(15節)




彼女はみことばを聞いて信仰を持ちました。そしてその家族も信じ、家族全員が水のバプテスマを受けました。
ルデヤは自分だけが信じたのではなく、家族にもそのことをすぐに伝えました。

回心からの行動がすごく早いです。彼女の中には、決断力と積極性があります。


決断力がないと信仰を持てないです。それまで自分が持っていた様々なものがある中、まったく違うものが来た時には 決断をしなければ信仰告白が出来ないです。

そして積極的な行動によって、次にどのように行動をしたら良いのかを考え すぐに彼女と家族がバプテスマを受けました。

これは、信じた通りに実行に移す信仰であり、自分の信仰を他人の前でも大胆に告白する信仰です。


信仰告白をしても、いざ「洗礼を受けましょう」となると「ちょっと待ってください。」と言ってなかなか洗礼を受けない人がいます。決断をしないのです。家族にも言わないのは迫害を受けたくないからです。


しかし、キリストに従っていくということは(周りからの)反対や迫害を覚悟しなければならないです。
それでも従っていくのが、本物の信仰であります。

聖書は、信じるのか信じないのか「白か黒」のどちらかであります。「灰色」は無いのです。

神様の福音はとても単純です。神様が人間を造った目的は(神様だけに)仕えることでしたが、人間が堕落してからは別のもの(サタン)に仕えるようになったのです。

ですから、神様が語った言葉は「今 どちらに仕えているのか」ということです。

≪ 神様に仕えるのか? それともサタンに仕えるのか? ≫


人間が誰にも仕えないということは無いです。必ずどちらかに仕えています。

神様に仕える人は、神様のことばを心に受け入れて、その言葉通りに生きる人のことであります。
しかし それをしない人は、自分の欲望のままに生きるので、そこでサタンが働きます。


私たちは積極的な行動を取らないと、口では信仰と言っても、生き方はサタンに相変わらず仕えているならば 救われていないのと同じ状態であります。


救われて新しい人になったのなら、その瞬間から新しい人としての歩みをしなければなりません。
ルデヤはすぐ行動に移して家族までも導きました。




神様の証




カナダで5年生の男の子がイエス様の恵みで天国まで連れて行かれて多くのことを教えてもらいました。
その中で一つの場面を紹介します。

地上の ある病室が見えました。そこにいる意識がない患者はノンクリスチャンでした。

周りにいる家族はクリスチャンでした。家族は死んでいくその患者のための祈りを熱心にしていました。
助かる見込みはないので、そのたましいの救いのため諦めずにイエス様にお願いをしていました。

クリスチャンたちは癒しを祈ったのではなく、このまま亡くなれば地獄へ行くことが分かるので イエス様に必死に祈っていました。


その患者の周りには既に悪霊が囲っていました。するとクリスチャンの家族が祈っている時に、
その祈りを主が聞いて、主が意識のない患者のそばに来ました。主ご自身がその人に福音を語りました。

家族の祈りが続く中、イエス様は何度もその人に向かって福音を語りましたが家族の目にはその様子は何も見えません。

そしてその患者のたましいは、イエス様のことばを最後に受け入れ、信じました。その瞬間集まっていた悪霊たちがあっという間に逃げました。
イエス様はそのたましいを受け取り、一緒に天にのぼりました。

人間には何も見えないので、何が起こり、その人が天国へ行ったのか、地獄に行ったのかがわかりません。


しかしイエス様はそれを見せた理由は、たましいがまだ地上で生きている時に希望を捨てるなということです。

死ぬ瞬間まで私たちがたましいの救いをあきらめてはいけないことを教えました。

イエス様は1人1人のたましいを非常に惜しんでおられます。1人も滅びて欲しくないという思いがあります。

家族の中にイエス様を信じる人がいなければ、その家族はそのまま滅びていきますが、
信じている家族がもしそこにいるならば、そのたましいのために祈ることであります。


最後の最後まで諦めないで、自分たちに出来ないならばイエス様にお願いをしてでも伝えることです。

私たちの信仰による積極的な行動がないと たましいは救われないです。
知恵が必要であります。どのような知恵をもって、このたましいのために働くことが出来るのか――?

私たちの姿が悪くなると、家族が救われるどころか私たちの行動で神様の御名が汚されることになります。


もちろん私たちが正しく動いても迫害されることもあります。
その時は、私たちが忍耐して神様に頼ることであります。




4.キリストのために献身する信仰(15節)




彼女は恵みだけ受けて去ったのではなく、自分の家を提供してパウロ一行を泊らせ、彼らをもてなしました。
ルデヤの家が、後のピリピ教会であります。

パウロを助けてピリピ教会を設立した献身的な信仰の所有者でした。

彼女は自分が持っている財産を主のために使いパウロを助け、そしてそこに来た人たちに もてなしをしました。
これはとても大切なことであり恵みを知っている人の姿であります。

「恵みだけ欲しい」と言って、いざ恵みだけをもらってサッと持ち逃げして2度と現れない、主のために何も働きをしないのは、次の祝福がないです。


私たちは恵みを受けたならば、それに対して感謝をして神様に対して私たちは返さなければならないです。

受けた物を持って蒔きます。ルデヤはこれをしました。


ヨーロッパで一番最初の教会がピリピ教会であります。
1人の女性が自分の信仰を使って自分の家を提供したところがマケドニヤ最初の教会であり、彼女が一番最初の改宗者であり、生きた信仰でありました。

そしてルデヤは故郷であるテアテラに行って教会を設立した人とも推測されています。 黙示録2章18節のテアテラ教会がその教会です。そこでも彼女は立派な働きをしました。


ピリピ書はパウロがピリピ教会に送った手紙ですが、この教会がどういう教会であるかが手紙の内容でわかります。 献身的なルデヤがいるピリピ教会は他の教会とは違っていました。

【ピリピ4章14-18節】

それにしても、あなたがたは、よく私と困難を分け合ってくれました。

ピリピの人たち。あなたがたも知っているとおり、私が福音を宣べ伝え始めたころ、マケドニヤを離れて行ったときには、 私の働きのために、物をやり取りしてくれた教会は、あなたがたのほかには一つもありませんでした。

テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは一度ならず二度までも物を送って、私の乏しさを補ってくれました。

私は贈り物を求めているのではありません。私のほしいのは、あなたがたの収支を償わせて余りある霊的祝福なのです。

私は、すべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロデトからあなたがたの贈り物を受けたので、満ち足りています。 それは香ばしいかおりであって、神が喜んで受けてくださる供え物です。


ピリピ教会はパウロのことを忘れませんでした。パウロのことを常に助けたいという思いで、そこで先頭に立っているのがルデヤであります。

他の教会では恵みだけを受けて、パウロの働きをないがしろにしていました。
パウロが乏しいことを知っていても誰も無関心でしたがピリピ教会だけは違っていました。

ですからピリピ書には喜びが溢れています。


私たちは弱い者ですが、ルデヤも強い者ではないです。
弱い者でしたがイエス様の福音を受け入れたその時から、ルデヤの人生が新しいものに変わっていきました。

その瞬間からイエス様に対して献身する人に変わりました。

自分たちの姿は 献身している姿なのか、それともいつまでも恵みだけをくださいと、恵みを受けた後は主のために何もしない姿でしょうか?それともルデヤのような姿が自分たちの中にあるでしょうか?

ルデヤのような人を見て、このような人だと語ります。次の箇所です。


【ローマ14章18節】

このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、また人々にも認められるのです。

これが私たちが目指す姿であります。本当の意味での献身であります。

ルデヤがそのような人でした。彼女から学ぶべきものがたくさんあります。
「私は何も出来ない」ではないです。その働きが出来るのです。


今は終わりの時代ですので、主の前に私たちは立たなければならないです。

今までのことは私たちはどうすることも出来ないですが、これからは恥ずかしくないように主に喜ばれる生き方をしていくべきであります。

それを明日からではなく、今からこのような心で生きようとする決心が必要であります。


決心したならば行動です。行動が伴わない決心は何の意味もないです。

決心したならば行動をするために祈ることです。聖書を読まなければいけないなと思ったら1節でも読むことであります。

これによって私たちは目を覚まして立ち上がることができます。 (・◇・)ゞ

2014.6.22
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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霊的生活は どう破滅するのか

テーマは『 霊的生活がどう破滅していくのか 』です

【へブル2章1-4節】

ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなければなりません。

もし、御使いたちを通して語られたみことばでさえ、堅く立てられて動くことがなく、すべての違反と不従順が当然の処罰を受けたとすれば、

私たちがこんなにすばらしい救いをないがしろにした場合、どうしてのがれることができましょう。この救いは最初主によって語られ、それを聞いた人たちが、確かなものとしてこれを私たちに示し、

そのうえ神も、しるしと不思議とさまざまの力あるわざにより、また、みこころに従って聖霊が分け与えてくださる賜物によってあかしされました。

神様によって救いだされた人々は、新しく生まれた者ですので当然のように成長していかなければならないです。

霊的生活をしながら成長していかなければならないです。
しかし、成長せずに生まれたままの姿で自分は大丈夫だと思っているならば、その人はいつかは神様に背を向けて堕落していく危険がとても多いです。すると当然の処罰を受けるようになります。

私たちは、救いを受けたならば その救いは自分が持っているものの中で一番優れたものであるという認識が必要です。

この認識がないと、素晴らしい救いをないがしろにしてしまうのです。
本当に価値あるものは誰もないがしろにしないと思います。
しかし救われたのに、救いに対して価値を知らないと ないがしろにします。自分の思いのまま生きるのです。


そうなると、みことばから離れていますので押し流されて霊的に漂流する者になります。
しっかりと希望の港に留まっていないといけないのですが、勝手に動き出すのでいつの間にか広い海へ流されて
どこへ行くのかも知らないで、戻ろうとしても戻ることが出来なくなるのです。

救いはイエス様の中にしかないので、自分が勝手に神様から離れて他のところで「救ってください!」と叫んでも
誰もそこから救い出すことが出来ないです。


私たちは神様が願う信仰の実を結んでいかなければならないです。しかし、私たちは救われただけで
洗礼を受けただけで安心して何もせず、神様の前にも来ないで、みことばも読まず、祈りもしないで、霊的生活を
一切しないならば、その魂が実を結ぶことは有り得ないです。

世のことはだんだん好きになるのですが、みことばを読むのはだんだん面倒になります。
そして堕落する生活をするようになります。それが霊的堕落に繋がっていきます。

クリスチャンだから、救われたからと言って全員が天国に入るのではないです。
救いをないがしろにするならば当然のように処罰を受けることが、このみことばに書かれています。
誰もがその危険性があります。十二弟子もイエス様を一時的に見捨てました。




【へブル3章7-11節】

ですから、聖霊が言われるとおりです。「きょう、もし御声を聞くならば、荒野での試みの日に御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。

あなたがたの父祖たちは、そこでわたしを試みて証拠を求め、四十年の間、わたしのわざを見た。

だから、わたしはその時代を憤って言った。彼らは常に心が迷い、わたしの道を悟らなかった。

わたしは、怒りをもって誓ったように、決して彼らをわたしの安息に入らせない。」

心が頑なになって、みことばに従わない姿勢は、不信仰の心であります。頑なな心は従順しない心です。

クリスチャンが生きる目的は主です。イエス様のために生きる道なのです。

私たちは自分の考えで生きる者ではないのです。自分の考えで生きるのは肉に属しているのです。
しかし神様の子どもになったのなら、主人が誰なのか、主の言葉が一番なのです。
ですから、頑なな心は砕きなさい。それはあなたの魂を滅ぼすものであると語ります。


【へブル5章11-13節】

この方について、私たちは話すべきことをたくさん持っていますが、あなたがたの耳が鈍くなっているため、説き明かすことが困難です。

あなたがたは年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神のことばの初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要があるのです。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要とするようになっています。

まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。

【へブル6章4-8節】

一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる者となり、

神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで、

しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。

土地は、その上にしばしば降る雨を吸い込んで、これを耕す人たちのために有用な作物を生じるなら、神の祝福にあずかります。

しかし、いばらやあざみなどを生えさせるなら、無用なものであって、やがてのろいを受け、ついには焼かれてしまいます。

成長しないのは怠けているからなのです。

成長することに関心がなく、怠けている人たちは、みことばを聞いても耳が鈍いです。
反応しない耳になっています。

成長したいと願う人は、いつも耳が開いていて神様の言葉を1つも漏らさず、
聞いて実行し自分の栄養にして成長する気持ちが強いです。

聖徒は自分のためだけではなく、主のため、教会のため、人々のためにも霊的に成長しなければならないです。
そのために努力をしなければならないです。

努力をすることの基本は、まず みことばを食べることであります。
みことばを食べる人はどんどん大きくなっていきます。




【へブル10章26-31節】

もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。

ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。

だれでもモーセの律法を無視する者は、二、三の証人のことばに基づいて、あわれみを受けることなく死刑に処せられます。

まして、神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものとみなし、恵みの御霊を侮る者は、どんなに重い処罰に値するか、考えてみなさい。

私たちは、「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする」、また、「主がその民をさばかれる」と言われる方を知っています。

生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです。

心が悪くなって罪を犯し、みことばをあざける人たちの姿です。

これは神様を信じていない人の姿ではないです。神様を信じていない人は、神様を裏切るということもないです。

つまり「真理の知識を受けて後」ということは、神様を知っている者たちの姿です。
悔い改めないで良心までも麻痺されて罪を犯しながらも 平気に生きているのです。
そして口先だけで「神様、赦してください。」と言いますが、生活そのものは立ち返っていないです。

イエス様は罪のいけにえになって十字架にかかりました。その十字架にかかったイエス様を無視し続けるならば、
誰が自分のための仲介者になるでしょうか?―― 誰もいないです。
誰もいないので滅びるしかないです。




【へブル12章25節】

語っておられる方を拒まないように注意しなさい。なぜなら、地上においても、警告を与えた方を拒んだ彼らが処罰を免れることができなかったとすれば、まして天から語っておられる方に背を向ける私たちが、処罰を免れることができないのは当然ではありませんか。

神様の言葉は福音であります。たとえ警告の言葉であっても、私たちの魂にとっては良い知らせなのです。
その言葉を聞いて私たちが立ち返るならば、自分の命を守ることができます。

神様は必ずみことばに書かれた通りに裁く方であります。




霊的堕落を止めるために

  • 真理の言葉に対して正しい知識と信仰を持つべき
  • みことばを正しく悟って、みことばの上に堅く立って日々の信仰生活をすることが大切
  • 罪の誘惑を断ち切らなければいけない

神様が願う道から離れて自分の思いのままに生きるのが堕落であります。
自分の中から出て来る誘惑もあります。

間違えた悪い考え、頑なな心、毎日の罪の習慣、これをし続けるならば滅びてしまいます。

これらを潰していかないと、サタンがそのにおいを嗅いで近寄ってくるのです。


【へブル3章13節】

「きょう」と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。

心が頑なということは、罪に誘惑されているのです。
神様の言葉を握っているなら心が頑なにはならないからです。


【箴言4章14-15節】

悪者どもの道に入るな。悪人たちの道を歩むな。

それを無視せよ。そこを通るな。それを避けて通れ。

このように語るのは、罪が誘惑をするからです。誘惑される場所に近寄らないことであります。
小さな誘惑でも私たちは断ち切ることが大切です。

堕落するならば、永遠の刑罰があることを覚えなければならないです。

自分が今、いばらとあざみを生えさせているのか、それとも神様が喜ぶ実を結んでいるのか、
自分の姿を見たら分かると思います。

神様は、成長して実を結んだ人だけを安息に入れるのです。これを忘れないようにしましょう。 (⌒-⌒)

2013.10.6
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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信仰成長のために

テーマは『信仰の成長の為の勧め』です。

【ヘブル13章14-17節】

誰もが信仰が成長したいと思っていますが、ある人はどんどん成長し、ある人は変わらぬままです。
その違いは何でしょうか。

妬むということは自分が努力をしていないことを意味しています。
一生懸命する人は、自分のすべきことを探して忙しいので他人を妬むヒマがないです。
そして成長していきます。誰かと比較することがないです。自分より前を進む人を目指して
その人達から良い部分を学び進んで行きます。

他人と比較する人は、自分のことを棚に上げて、人々が持っているものを羨み妬みます。
傲慢になり、さらに堕落していきます。

ヘブル書には信仰をどうやって成長させるべきなのかが たくさん書かれてあります。

【ヘブル4章14-16節】

毎日の生活の中で、キリストに対しての信仰告白が大切であります。
他のものは信じません。
(このように信仰告白をしないと、信仰が揺れてしまいます。実際そのような人が多いです。)
「イエス様だけを信じます!」と自分の信仰を試していきましょう。

【ヘブル4章16節】

自分の力ではできないことです。信仰を保つには憐れみを受けなければできません。
神の御座に近づくことです。

【ヘブル6章1節】

「死んだ行いからの回心」とは、間違った行いを主の前で悔い改めることであります。
罪は神様から離れていることを意味します。そのままにしておくならば、どんどん道から
離れていきます。そして元に戻れなくなります。

【ヘブル6章12節】

信仰の先輩を見て、見習う事はすごく大切です。怠けていては成長ができないです。
信仰と忍耐が必要です。成長する人は通りたくない道も通ります。
成長するために忍耐しようという思い、その後には約束の物があります。 

教会の中でも、自分よりも信仰が成長している人たちを見て、見習うべきであります。
高慢な心になって その人達に聞かないのではなく、 「この人からはこういう部分を見習おう」と
それぞれ見習う部分があります。自分には持っていないものを持っています。
その人達を見て、妬むのではなく見習うことであります。
「どうやったらそのようになりますか?」と謙遜になって聞く事であります。

それによって、自分にプラスになって成長していきます。

【ヘブル10章23-25節】

日々、救いの希望がある人はぶれません。 私たちは上にあるものを見て目指していきます。
地上にあるものを求めて生きるのではないです。
この(救いの)希望が私たちを支えるものになってあります。
私たちは天国というものがだんだんと近づいてきてあります。
私たちが死ぬということは、イエス様に出会えるので慰めになります。

イエス様が地上に教会を残している理由があります。
私たちは弱い者であるので、時には倒れることもあります。弱くなってつまずくこともあります。
私たちはあらゆる部分で助けが必要です。
その部分でイエス様は人々を教会に導き、人を置いてあります。
「1人で大丈夫です。」 というのは、これほど危険なことはないです。

【ヘブル11章6節】

期待しないところに成長はないです。
みことばを読んで、祈りをするだけでは成長できません。

【ヘブル12章2節】

後ろを見ると信仰生活は後退します。信仰生活で後ろを振り向くことはないです。
人が死ぬ時に、イエス様を信じない人には悪魔サタンが迎えに来てその人を地獄に連れて行きます。
しかし、イエス様を信じる人には、御使いだけではなく、イエス様も迎えに来られます。
  

私たちは絶対にイエス様から目を離してはいけないです。
イエス様の後についていきます。私たちは後ろを振り向くと道に迷ってしまい、
サタンは「あなたの行く道はここだよ」と違う道に連れて行きます。
自分の前には誰が立っているのか(イエス様 o r サタン)、気をつけなければならないです。

【ヘブル12章7-8節】

成長するためには、懲らしめを訓練だと思ってその中で忍耐することであります。
良い事だけを受け入れるのではないです。辛いことも訓練だと思って受け入れないといけないです。
神様は愛する者に、ただ保護するのではなく、保護があっての中で訓練もあり懲らしめもあります。
信仰成長する為には、心を開いて「受け入れます。」と神様の訓練と懲らしめを受け入れることです。
 

 
【ヘブル12章28節】

奉仕をする時に、主を恐れながら奉仕をしていかなければならないです。
これが成長していく姿勢であります。
嫌々しながら仕方がなくするのは、神様を恐れている姿ではないです。
恐れるということは、神様が権威ある方であることを認めることです。
そして神の言葉に従って奉仕をする時に、どんどん成長していきます。
教会での奉仕がなければ、いつもお客さんのようになってしまいます。しかし、自分がその中の
一員であるならば、神に喜ばれるようにどんな小さな事でも喜んで主の前で奉仕をすることは
大切であります。

他人から言われなくても、自分でできることを探すことが大切です。
神様の教会は、皆さんの家であります。そこで自由に振舞って良いです。
乱すことではなく、「主にあって」です。このようにしたら皆が喜ぶんだ。助かるんだということを
見つけたならば、自分の仕事だと思って実行したら良いです。

【ヘブル13章13節】

キリストの苦難に喜んで参加する者になりなさいということです。
苦難さえも喜んですることが成熟した人の姿であり、(私たちが)ここまで成長しなさいということであります。
イエス様が十字架に架かった時は、弟子たちは皆逃げました。
だけど彼ら自身があとでわかりました。彼らは皆 宿営の外で命を懸け、殉教しました。

【ヘブル13章17節】

指導者の言う事を聞いて従順しなさいということであります。
指導者が神様からの言葉を預かって、神様の言葉をもって指導をすることに従順するということは、
神様に従順することであります。
指導者が勝手に間違った道なのに連れて行くならば、それはその指導者、そして目が見えない
羊たちも一緒に裁かれると書いてあります。

だから神様は目を開いていなさいとおっしゃいます。
この指導者について行って良いのかということを確認しなければなりません。
また、牧師が恐れおののく者であったならば、その教会は死んでいきます。 Σ( ̄ロ ̄|||)

< 今週の目標 >

【信仰の成長のために行動する】

2012.6.17
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

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