からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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成熟

聖徒の霊的生活とは

テーマは 『 聖徒の霊的生活とは 』 です

【ピリピ3章17ー21節】

兄弟たち。私を見ならう者になってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。

というのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。

彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。

けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。

キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

聖徒とは、キリストがご自身の血の代価を払って買い取り、“神の所有とされた人たち” の事です。


聖徒は 天国の国籍を持っている 天国の市民です。

天国の市民として、この地上で生きていくためには、以前とは違う生活が要求されます。


キリストに見習う生活、キリストのための生活、キリスト者として より成熟した生活です。


それらの生活は聖徒の霊的生活ですが、具体的にどのようなことかを 今回は学びます。




キリストに見習う生活




キリストは、神である方が “人間を罪から贖う目的” を持って 人間になられました。

そのために支払った犠牲はすごいものでした。


その犠牲の愛と、十字架の死と復活を信じて救われた人が、今度はキリストに見習う生き方をしなければなりません。


天国の市民になったならば、すでに地上でも それにふさわしく生きるのは当然だと思います。

聖徒にふさわしく生きるために、キリストに見習うべきことは色々ありますが、絶対外せないものがあります。


それは、「 聖、愛、真理 」です。


 聖 について 


【第1テサロニケ4章3ー5節】

神のみこころは、あなたがたが聖くなることです。あなたがたが不品行を避け、

各自わきまえて、自分のからだを、聖く、また尊く保ち、

神を知らない異邦人のように情欲におぼれず、

【ヘブル12章14節】

すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。


 愛 について 


【第1ヨハネ4章7ー8節】

愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。

愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。

【第1ヨハネ4章16節】

私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。


 真理 について 


【第1テモテ2章4節】

神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。

【第3ヨハネ3ー4節】

兄弟たちがやって来ては、あなたが真理に歩んでいるその真実を証言してくれるので、私は非常に喜んでいます。

私の子どもたちが真理に歩んでいることを聞くことほど、私にとって大きな喜びはありません。

聖徒であっても真理に歩んでいないと、あっという間に真理とは反対の道を歩みます。

そして十字架の敵として歩みます。


すなわち真理を愛さない、信じない、真理に逆らう、真理から耳をそむけることになります。

そして道に迷い、サタンのわなに陥り、惑わされてしまいます。


真理の中を歩むことは、“キリストの中で歩むこと” です。




霊的競走に励む生活




聖徒は天国を目指して歩む人たちです。


オリンピックの陸上競技に出場する選手たちは、どんなに苦しくても日々訓練し、そして試合に出ると決められた道を全力で走ります。


そこには怠ける姿勢も、言い訳も、諦めることもないです。

体の調子が悪くてもやります。

たとえ最下位になっても、ゴールに向かって全力を尽くします。



天国を目指す人がゴールまで辿り着かないならば どうなりますか?


入れないのはもちろんですが、地獄行きになります。

これだけは避けないといけないです。


(人生・いのち は) 1回限りの競走であることを知らないといけないです。


【ピリピ3章12ー14節】

私は、すでに得たのではなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。

兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、

キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。

霊的競走は決して楽ではないです。

様々な邪魔や誘惑もあります。

それでも足を止めて やめてはいけないです。


なぜならば理由があるからです。


【ローマ8章18節】

今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。

先にあるものがあまりにも素晴らしいものですから、それを思いながら競走に励むことです。




霊的戦いの生活




この世には、目に見えない霊的戦いが絶えずあります。


見える世界の裏にある “見えない世界での戦いが より厳しくて激しい” です。


見える世界も見えない世界も造ったのは神です。


暗闇の世界では サタンと悪霊がつねに働き、彼らは悪いことしかしません。


神に敵対し、信じる者の信仰を邪魔して信仰から離れさせ、神から離れさせ、滅ぼすためにいつも働きます。

信じない者はすでにサタンに支配されています。


サタンは、信じる者に対して戦いを挑んでくるので、聖徒はそれに対して霊的戦いをしないといけないです。


【エペソ6章11ー13節】

悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。

私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。

ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。

【ヤコブ4章7節】

ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。

【第1ペテロ5章8ー9節】

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。

堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。

神は霊的戦いを避けるように、そして逃げるようにとは一度も語ったことがありません。

この戦いは、“立ち向かって勝利” するように命じられています。


イエス様は悪魔に勝利した方です。


悪魔が持つ死の力を打ち破って、復活したことでサタンに勝利しました。



主のことば通りに、神の全能の力と神の武具を着けて、恐れず悪魔に立ち向かうならば必ず勝利します。


聖徒はこのような生活をするように召されていることを自覚して、その生活をしていきましょう。


礼拝に参加するだけで、信仰生活をしていると錯覚しては困ります。

キリストが「しなさい」 と言われたことを していくのが 信仰生活です。


キリストを愛するならば、キリスト中心の生活になります。
(。・ω・)ノ゙


2017.9.24
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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主が喜ぶこと

テーマは 『 主が喜ぶこと 』 です

ハレルヤ

今日も主の守りがありますように。


イエス様が私たちに一番求めておられることは、何だと思いますか?

私たちが主のために何かをすることよりも、“私たちの変化” です。

日々 新しく変わることを一番求めておられます。


主のためにたくさの働きをしたから、それが豊かな人生を保証することにはならないです。


私たちが主に出会って、どれくらい変わったのかを主は関心を持って見守っておられます。

どれほど私たちの内なる人が成長するかを主は楽しみにしておられます。

私たちが日々新しく変化していくためには、主と共にいる時間が必要です。


イエス様さえ、地上での忙しい日々の中で、いつも静かな所に一人でいました。

それは休むためではなく、父なる神と共に過ごすためでした。


時には徹夜をしながら父と共にいました。

次の日は寝ることなく働きました。

繰り返し毎日のようにしました。

その時間が主にとって安らぐ時間であり、神の前に静まる時間、黙想する時間でした。


日々、あれこれと忙しい私たちにとって、このような時間はとても必要ですが、本当に邪魔するものが多く、また肉体の休みや、自分がしたいことを優先する傾向があるので、頭では分かっていても実行することが難しいことも確かです。


主の前で静まる時間がないと私たちの内なる人が変化することは とても難しいです。

だんだんそのことに対しても関心が薄れていきます。

身体が疲れると、すぐ眠くなることを皆さんは経験していると思います。


私たちが神と交わる時間を持たず、みことばも食べないと、内なる人はだんだん疲れて栄養失調になり弱って、知らぬ間に眠ってしまいます。


霊的眠りより怖いものはないです。

寝てしまった人は横で騒ぎが起こっても知らずにいることが多いです。


その人たちは主が来て起こしても、その声が聞こえません。

主は「目を覚ましていなさい」といつも語っておられます。

そのためには日々、個人的に主と過ごす時間が必要です。


主のことばに耳を傾ける必要があります。

その中で深い理解と分別力、愛、謙遜、奉仕、そして成熟していきます。


主といつもともにいる人が主の香りを放つことが出来ます。


そのように変化していくことを、主は私たちに期待し、変化していくと一番喜んでくださいます。
(。・ω・)ノ゙

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成熟した人

テーマは『成熟した人の姿』です。

【コロサイ1章9-12節】

パウロがコロサイ人の為に、彼らの信仰が成熟することを願って祈る祈りであります。

私たち信仰を持った人達は成熟しなければなりません。
信仰の成熟のために求めるべきものがあります。
どんな人が成熟した人でしょうか。こちらの聖書箇所に書かれてあります。

奉仕を熱心にしているから、その人の信仰が成熟した人。
そういう基準はないです。
神様の基準は私たちが考えていることとは違います。熱心に神様のところに来るから、
日曜日に来るから、捧げ物をするから、奉仕をたくさんするから、信仰歴が長いから、
その人の信仰が成熟したのではなく、中身を見なければならないです。

自分の努力だけで成長することは難しいです。
人々はこの聖句を聞いて一生懸命努力してこうなろうと思いますが、
霊的なことは自分の努力だけでは成熟できないです。

聖霊様の助けが必ず必要であります。私達自身の中には霊的なものを生み出す力はないです。
聖霊様によって私たちが「これは霊的なものである」と、
そこから私たちは色々なものを受け取ることができます。

成長したいならば、聖霊様に求めて受け取り成熟しなければならないです。
受け取ってから努力が必要であります。最初から努力して実を結んで、
できない時に「神様助けてください」ではなくて、最初から神様と共に始めないとできないものであると思って、
まず神様にそれを求めていかなければならないです。

信仰が成熟するために、この聖句に祈りがあります。
〈あらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように〉
 
私たちはいつも神様のみこころを求めます。
神様のみこころというのは、神様が喜ぶことであります。神様が喜ばないことは、みこころではないです。
私たちが何かをする時に一番わかりやすい基準です。
「この事をしたら、神様は喜ぶかどうか?」 それをまず考えるべきであります。

聖書はこうすると神様が喜ぶことだとたくさんみことばで教えてあります。
これは神様が喜ぶことであるというものは、それは全て神のみこころであります。
それを知るには霊的知恵の理解力が必要であります。

自分の知恵だけでは、世の中の人達、神様と何も関係なく生きている人たちは、
聖書の言葉を開いていてもそれは霊的知恵がないから理解ができないです。

聖書を読んで、神様のみことばを読むと神と人間との関係があり、そして書かれた目的があり、
そしてその理解力は片面だけではなく、全体を見て理解する力であります。
<少しだけ見て理解したからその人達に霊的知恵がある>ではないです。
全体像を見なければ理解したとは言えないです。

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

「スリーミニッツ」という本は、アメリカ48州でベストセラーになりました。
(日本語版は、「天国は、ほんとうにある~天国へ旅して帰ってきた小さな男の子の驚くべき物語~青志社」
です。)

4歳の男の子が盲腸の手術をしました。お医者さんから助からないと言われましたが、
臓器が破裂して毒が体内に溜まっている状態なので洗わなければなりませんでした。
その男の子が手術室で体験したことがありました。しかし、その事はすぐに親には言わず、
数年後にポツポツと牧師である父親に話し始めました。
父親は自分の子供に教えた事もないですが、子供が今まで聞いたこともない話をするようになるので
気になっていました。
男の子が体験したことを「イエス様が話をしてくれた」と言うので親はびっくりしました。
父親が「どこで聞いたの?」と聞くと、
「イエス様が膝に乗せてくれて話をしてくれた」など、そのような事がありました。

その男の子が語る言葉は霊的知恵がすごかったです。それを聞いた父親が聖書を開きます。
なぜならば、子供が語っている言葉が真実かどうかを確かめなければいけないからです。
一度も天国の話をしたことがないのに、信徒の親族の葬儀に出席した時に、男の子が棺の前で
「この人は信じているの?信じていたら良いのに、信じていたら良いのに」と言葉を繰り返しました。
父親が「どうして?」と聞くと「イエス様がはっきり言った。
イエス様を信じない人は天国には入れないとはっきり言ったから。」
だから信じていたら良いのにという言葉を何度も言いました。

その男の子には1人のお姉さんがいました。そしてお姉さんと男の子との間に子供がもう1人いました。
しかし産まれる前に流産をしてしまい牧師夫婦はすごく悲しみました。男の子であるか女の子であるか、
両親は知らないです。
その事は男の子に教えたことがないですが、「僕にはお姉ちゃんが2人いる。」と言いました。
親は「お姉ちゃんは1人しかいないでしょう。」と言いましたが「いや、違う。2人、2人」と言いました。
「どうして2人なの?」と聞くと、「天国で会った」と言いました。「どのくらいの子供?」と
聞くと「お姉ちゃんより少し小さい」と言いました。
「どうやってわかったの?」と聞くと「イエス様が連れて来てくれた。」と。
髪の毛が黒い女の子だったことを言ったので親はそれを聞いて癒されていきました。

流産をした子がどこへ行くのか聖書には書いていないですし、神様の御座のことが書かれていても
神様の御座とはどういう所なのか?と。でもその男の子は行っていました。

お父さんは試しました。
「イエス様はどこにいたの?」と聞きました。聖書には「神様の右側に座っている」と書いてあります。
男の子はこの言葉を知りません。
男の子がジーッとお父さんを見て、「右の方にイエス様は座っていた」と言いました。
これは小さい子供であっても、聖書をたくさん読んでいる牧師であっても霊的知恵は足りないです。
でも直接そこにいて見た人は霊的知恵がすごいことであります。

お父さんはさらに試しました。
「そしたら左側には誰がいるの?」と聞きました。
お父さんの頭の中では「聖霊様がいるだろう」と思っていました。
男の子は「違う。ガブリエル天使がいた。」と言いました。お父さんがびっくりしました。
「聖霊様はどこにいたの?」と聞くと、「僕の傍にいてくれた。小さい椅子に座らせてくれた。」と言いました。

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

ガブリエル天使は神様の言葉を聞いてメッセージを伝える方であります。その事が聖書に書かれてあります。

私たちは聖書を100回読んでいても、それこそ霊の目が開かれないと知恵がないです。知識がないです。

私たちは神様を体験すること。
それがすごく大切なことは成熟する時に、みこころを行う時にすごく神様を体験します。
みこころを行いなさい、ということは、もちろん「神様、霊的知恵と理解力を与えてください。」と祈りますが、
それだけでは不十分です。それは与えられても与えられたかをどうやってわかるでしょうか。
私たちが神のみこころを行う時に、みことばを行う時に、自分がそれをもらったことがわかります。
上から来るものは霊的知恵であります。知恵が与えられると理解ができます。神様はこれを与えます。

聖書を100回読んだからといって、理解ができるわけではないです。
1つの聖書箇所を読んで「神様、私はもっともっとみことばによって成長したいです。
ですから、私に霊的理解、知恵を与えてください」と それを求めながら私たちが聖書を読むならば、
聖霊様がすごく働きます。
偏ったところだけ自分で何とか分かるのは、バランスが悪いです。成長することができないです。
神様にそれらを求めるべきであります。

霊的理解力と知恵が与えられると、主に適った歩みができます。
主に適った歩みは、私たちの生活、そして霊的状態、それは神様に褒められます。
叱責される時は、主に適った歩みではないです。神様のみこころからずれていることです。

時々、みなさんに神様の預言を与える時がありますが、褒められる時もあれば、叱責される時もあります。
みこころに適った働きをした時は褒めてくださり、みこころに適っていない歩みをしている時は
叱責のことばを与えます。「悔い改めなさい。」叱責がある時は正しい道に戻れということであります。
「聖徒にふさわしく歩みなさい。」

自分がなぜ選ばれたのか。選ばれた者であるなら、選ばれた者らしく生きること。
これは主に適った歩みをすることであります。それができるには、みこころを知らなければできないです。

みこころを知らないと自分勝手に行動をしてしまいます。これは神様が褒めるわけがないです。

成長した人の姿はあらゆる点で主に喜ばれるように、その人達は(行動を)します。

―主に喜ばれるために何をしたら良いでしょうか。―

①神のみことばに従順することであります。

これに勝るものはないです。これは神様の権威に従うことであります。
最後の権威を持っておられる方の声にあなたは従わないのか?
従う時に神様は喜んでくださいます。私たちは従わなければならない存在であります。
自分が神様を指図するのではなく、神様の指示をもらってそれに従うのが私たちの義務でもあります。

ヨハネの福音書15章にある「父は農夫、イエス様はぶどうの木、私たちは枝」 この関係です。
そうでなければ実を結ぶことができません。
「私の中に留まり、そして私のみことばを行うならば、その人達は必ず実を結ぶ」
それが成熟した人の姿であります。成熟した人はこの世にたくさんの実を結んだ人であります。
まだ実が結ばれていない、まだ葉っぱだけだというのは まだまだその人は成長していかなければならないです。

成長はその人が結んだ実を見たらわかります。
あぁ、あの人は「喜びの実」を結んであるなぁ。(「従順の実」「信仰の実」「愛の実」)
実はどんな実でも成熟した人でなければ結ぶことができないです。
芽が出た段階ではなく、完全に花を咲かせ実を結んだ時に「成長した、成熟した」と言えます。

神様は常に小さいことに忠実になりなさいという言葉がありますが、それはテストの為であります。
この人がその事に対してどれほど心を込めてやるのか、準備するのか、実行するのか。
大きい事になると「力がないです。神様、やったことがないです。」と出来ないので、
神様はまず出来るところからやらせて、その人がそれに従ってきちんとやるのか、準備するのか、
それを神様はテストをします。

神様の言葉には不従順するのに、口だけは立派に語る。これはとても未熟な姿であります。
成長した人の姿ではないです。

自分や人を判断する時は、結んだ実を見ればわかります。
「あぁ、自分はまだまだなんだ」と分かったら、落ち込んで何もしないのではなく、成長しなければならないです。
いつまで経っても小さい枝のまま、いつまで経っても1つの実も結ばれていない。
―信仰の薄い者。―

神様は1年経ったり、2年経ったりするとそれぐらい大きくなっていることを期待します。
期待するのがみこころです。
そこまで自分がなっているかどうかを自分で点検することであります。
去年より私は成長しているのか? 去年よりも私は実を結んでいるのか?

②神の力によって強くされていかなければならないです。

力ある働き、奇跡を行う、そういうことの為ではないです。
忍耐と寛容、聖霊の実を結ぶために、私たちは強くされていかなければならないです。
忍耐をすることは力がないとできないことであります。
患難の中でも望みを抱いて忍耐する。待ち望む。これはものすごい内なる力であります。
力がないと出来ないです。小さな風が吹いてきてもすぐに倒れてしまいます。
これは忍耐する力がないことであります。

「今日も神様、力を与えてください」、「生きる力」、「患難の中でも耐える力」
「苦しみの中でも希望を持って辛抱する力」、「神様、ください」 これが内側の力であります。
肉体の力とは関係がないです。身体は立派であってでも心が小心者はたくさんいます。
か弱い女の人であっても神様から力をもらうと、ものすごい忍耐力があります。積極的な態度があります。
これは神の力をもらわないと私たちは絶対無理なことでありますので、
忍耐できるように「求めなさい」と語ってあり、私たちが「満たしてください」と願わなければならないです。

③いつも喜びをもって感謝を捧げることです。

一年中、毎日です。良いことだけではなく、悪いことでも感謝することであります。

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

4歳の男の子が手術室に入った時、お父さんが病院の小さい部屋へ行き祈りました。
お医者さんも厳しいという言葉を伝えていたので、お父さんの祈りが感謝の祈りではなかったです。
神様に対してのつぶやきの祈りでありました。なぜならそのお父さんは、以前にも試練があったからです。
野球をしてスライディングをする時に足の骨を2本折ってしまいました。
何カ月も痛みを伴う不便な生活をしていました。
それから男性なのに乳癌にかかってしまい手術をしました。
次から次へと災難がありました。それは自分の事なので耐えましたが、
4歳の子供が死にそうになっているので病院も何か所か動きながらやりましたが大変である。
そして子供が骨と皮だけしか残らなくなりました。

お父さんは「あんまりです。何でこんなにひどいことをするんですか。」
これは祈りではないです。神様に対して言いたいことを言っている牧師先生でした。
お母さんは厳しい状態なので色んなところへ電話をかけていました。

そして4歳の子供はその後、「お父さんはその部屋で祈ったでしょう?」、
「お母さんはそこで電話をしたでしょう?」と言ったので、両親は「どうやってわかったの?」と聞くと
「自分の霊が手術をしている時に引き上げられた。手術する自分の体を見た。
イエス様が来て、僕にそうした。」そしてそのまま天国へ行きましたが、
「(天国は)あまりにも素晴らしいところだから、そこに居たかった。
でも、イエス様が「あなたは帰らなければならない。
あなたのお父さんが、あなたの為に必死になって私に祈っているから。あなたは帰らなければならない。
お父さんの祈りにわたしは答えたいんだ。」と言ったので戻ってきたんだ。」と言いました。

その言葉を聞いて、牧師先生はものすごく悔い改めました。
神様に感謝して祈ったわけではないです。
不平不満を言いながら神様に言いたいことを全て言ったその祈りをイエス様は聞いてくださったということに、
本当に神様の前に顔を上げられなかったです。

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

感謝をして喜びながら祈りをするのは成熟した人の姿であります。
私たちも祈ってわかると思いますが、神様につぶやきながら祈る祈りもたくさんあると思います。
これはまだ未熟であります。それでもイエス様は悲しみの中で訴えているその祈りを聞いてくださるんです。

私たちは悪いからと言って、そうではないです。私たちは表面しか見ていないです。
その中で神様はどれほど働いてくださっているのか、私たちには見えていないです。

アメリカは医療費が高く、莫大な治療費や色んなお金がかかり、仕事もできないのですが
神様は色んな知らない人達を通して全て与えてくださいました。

私たちは先のことはわからないです。
現実のことだけを見るならば私たちは絶望になることもありますが
神様は全てのことを働かせて益にしてくださる。これも私にとったら何かの目的がある。
その中でも神様が働いてくださる。
そして私たちはその中でも喜びをもって感謝しなければならないです。
これが毎日できる人は1番成長した人の姿であります。

成長した人は、今日・明日と 心がころころ変わることはないです。
感謝すると決めたら一貫してすると、感謝の実が結ばれます。こうと決めたら何が起きても喜ぶ。

雨だから怒る、そこで風が吹いたから腹を立てる、これでは一年中休む暇がないと思います。

成熟した人達は、「私の物はこれです」とは言わないです。
完全に成長した人の姿は「私の物は一つもないです。」と本気に思っている人であります。
「全ては神のものであります。私も神のもの。私の命も神のもの。私のものはないです。」
この人達は神様の中で完全に生きている人であります。

まだ成熟していない人は「これは私のもの。これも私のもの。私のもの、私のもの・・・・・・・」
それが多ければ多いほど成長していないです。まだ神様から遠く離れています。
口では「神様、信じます。」と言っていても みことばの中に留まっていないです。

「神様、これは神様がくださったもの。私の命も子供も全て神様のもの。」 委ねてそれを認めて
そして本気にそう思って神様のために生きる人、この人は完全に成熟した人の姿であります。

成熟したいならば中途半端に成熟するのではなくて、そこまで成熟するんです。
その人達が天国でも神様に一番喜ばれる人、認められる人になります。

神様のみこころは私たちが成熟することであります。そして豊かに実を結ぶことであります。
それをもって神様に栄光を捧げることであります。
それを目指していきましょう。 (`・ω・´)

2012.4.22
聖日礼拝メッセージ

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