からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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慰め

良い実を結んでいますか

テーマは 『 良い実を結んでいますか 』 です

【マタイの福音書25章35-40節】

あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、

わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』

すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。

いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。

また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』

すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』

神様が喜ぶ良い実を結ぶ人もいれば、良い実を結ぶこともなく無駄な人生を生きる人もいます。


今日のことばに出て来る人たちは、自分たちは気付いていなかったですが、主が見た時に、良い実がたくさん結ばれていて、そのことを主は喜んで下さいました。


この人たちは 良い実を結ぼうと頑張ったわけでもないです。

普段の生活の中で、その実は結ばれていました。



普段どのような生活をして、主に喜ばれる良い実が結ばれていったのでしょうか?


その人たちは感謝が習慣化された人たちであると思います。


感謝の習慣化は、自分より もっと苦しんでいる人、また困難な中で生きる隣人に目を向け、その人たちと共に生きようとする姿勢を持ってないと出来ないからです。



つぶやきと不平が習慣化された人は、いつも他人と比べて 妬みや嫉妬心を持っているので、そこから憎しみや つぶやきが始まります。


そこに “感謝” は存在しません。

感謝がないところに 良い実が結ばれないのは当たり前です。


感謝が習慣化された人たちは どのような生活をしているでしょうか?

本文から その生活を知ることが出来ます。




感謝が習慣化された生活




まずは困っている人たちを助けました。


空腹な人に食べ物を与え、渇いた者に飲ませ、裸の者に着る物を与えました。


“自分さえ良ければ” と思うのではなく、他人の苦しみに共感する姿勢があり、手を差し伸べて その人に必要なものを与えました。

このことは主に喜ばれることです。「それは わたしにしたことだ」 と主から言われました。



そして苦しんでいる人を見て、励ましと慰めを与える生活をしていました。

病気の人や牢の中にいる人たちを訪ねて 励まし、慰めを与えました。


精神的に苦しんでいる人たち、肉体的に苦しんでいる人たちは気落ちして絶望的になることが多いです。

その人たちにとって温かい言葉一つが、どれほど力や希望になるか分かりません。


このようなことを いつもやっている人は感謝の心を持っている人です。



そして、いつも誰かのために とりなしをする人たちも 良い実を結んでいます。


時間はいのちです。

ですから誰かのために とりなしをしていることは、その人に自分のいのちの時間を与えていることになります。


愛の心、感謝の心がないと自発的に誰かのために祈ることは出来ないです。



このように、日々の生活のなかで、いつもやっている小さいことが 主に喜ばれ、主に覚えられ、主はそれを良い実として認めて下さるのです。


そして 報いとして御国に導き入れ、永遠のいのちも与えると約束して下さいました。


あまりにも小さいことなので、本人もあまり覚えてないことでも 主はすべて覚えておられ、そして報いて下さいます。


自分たちの普段の生活はどうでしょうか。

何に関心があり、何をやっているでしょうか?


そこに 主に喜ばれる良い実がありますか。
アーメン .。゚+.(・∀・)゚+.゚


2018.11.25
収穫感謝礼拝メッセージ

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マラの苦い水の教訓

テーマは 『 マラの苦い水の教訓 』 です

【出エジプト記15章23-25節】

彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲むことができなかった。それで、そこはマラと呼ばれた。

民はモーセにつぶやいて、「私たちは何を飲んだらよいのですか」と言った。

モーセは主に叫んだ。すると、主は彼に一本の木を示されたので、モーセはそれを水に投げ入れた。すると、水は甘くなった。



1.人生の道は
旅人の道である




【創世記47章9節】

ヤコブはパロに答えた。「私のたどった年月は百三十年です。私の齢の年月はわずかで、ふしあわせで、私の先祖のたどった齢の年月には及びません。」


【第1ペテロ2章11節】

愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。



2.人生の道では
必要なものを得られない時もある




【マタイの福音書6章34節】

だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。



3.人生の道には
度々苦い試練と苦痛がある




【ピリピ1章29-30節】

あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです。

あなたがたは、私について先に見たこと、また、私についていま聞いているのと同じ戦いを経験しているのです。



4.神様は 聖徒を訓練するために
時には苦難の道を歩かせる




【詩篇23章4節】

たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。



5.キリストは
苦い人生を変えて下さる




【マタイの福音書11章28-30節】

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。

わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」



6.神のみことばの中で
人生の問題が解決される




【民数記23章19節】

神は人間ではなく、偽りを言うことがない。人の子ではなく、悔いることがない。神は言われたことを、なさらないだろうか。約束されたことを成し遂げられないだろうか。



7.主に従うと 苦い人生の後に
永遠の喜びと安息がある




【ヨハネの黙示録21章4節】

彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」

アーメン(*´∇`*)

2017.5.28
聖日礼拝メッセージ

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実が結ばれる良い地

テーマは 『 実が結ばれる良い地 』 です

【マタイの福音書13章8節】

別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。

【マタイの福音書13章23節】

ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。

マタイの福音書13章には種まきのたとえがあります。


四つの異なる所に同じ種が蒔かれました。

すると、まったく実りがない所があれば、豊かな実を結ぶ所もありました。


今回の本文は、豊かな実を結んだ良い地に対して語っています。


私たちも出来れば多くの実を結びたいと願っていますので、どうすれば良い地になって実を結ぶことが出来るかを学びたいと思います。




柔和で謙遜な心は良い地




普通に考えても悪い心から良い実を結ぶことは不可能です。

悪い心からは悪い実が結ばれます。


ですから、良い心から良い実が結ばれることは 神の法則です。

柔和な心は柔らかい心です。


私たちがある人を見て「あの人はいい人だ。」と言う時があります。

柔らかさや暖かさを態度や声で感じると 好印象を受けて、良い人だと思い込みます。


新約聖書で柔和な人で思い浮かぶ人は バルナバです。

“慰めの子” と呼ばれました。


彼の行いを見ると、神の言葉を聞いた時に感動を受けて、自分の畑を売り その代金を使徒たちの足もとに置きました。

大金だと思いますが、それを自慢することもなく、身をかがめて使徒たちの足元に置きました。


そしてもう1つは パウロが回心した後、皆はそのことが信じられず、パウロを恐れて近づかなかったですが、バルナバはパウロを引き受けて、使徒たちに紹介しました。

柔和な人なので、人にとても優しいです。


彼のことを聖書はこのように言いました。


【使徒の働き11章24節】

彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大ぜいの人が主に導かれた。

これは良い実を結んだ姿でしたので、多くの人々が導かれました。






モーセは謙遜な人でした。

普通の謙遜ではないですね。
次のような評価をもらうこと自体、すごい人だなと思いました。


【民数記12章3節】

さて、モーセという人は、地上のだれにもまさって非常に謙遜であった。

彼が立派な指導力を発揮して、自分の役割を果たすことが出来たのは、彼の心が良い地であったからです。


心の土壌が荒っぽく かたくなな人は、絶対に立派な人格を備えることが出来ないですし、立派な人生を歩むことも出来ません。


イエス様の謙遜もすべての人にまさっていました。

自ら自分のことを次のように言いました。


【マタイの福音書11章29節】

わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば安らぎが来ます。

そのような心があるので 罪人を招き、問題のある人を受け入れ、助けを求めるひとを拒みませんでした。

パウロもその心を見習い、柔和で謙遜な人になりました。

ですから私たちにも良い心になるように命じました。


人を自分よりもすぐれた者と思う心がまた 良い実を結ぶ謙遜な心です。


謙遜と柔和の土壌から良い実がたくさん結ばれます。


【箴言22章4節】

謙遜と、主を恐れることの報いは、富と誉れといのちである。

良い地から結ばれる実です。




◎従順する心に良い実が結ばれる




私たちの人生で、良い実を結ぶためには 土壌だけ良ければ、あとはいらないことではないです。


良い土壌に実を結ばせるためには、聞く耳をもって主のことばをよく聞き、そして聞いたことばに従うことです。


【第1サムエル記15章22節】

するとサムエルは言った。「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。

知識ある人も才能ある人も 誰でも実を結ぶためには、主のことばを聞かなければなりません。


御言葉をないがしろにするならば、良い実を結ぶことは出来ません。


御言葉を聞いて、すぐ実行に移すことを “従順” と言います。


いくらみことばの知識をならべても、理論を立てても、行いが伴わないと 実を結ぶことは出来ません。


従順も、“完全な従順” が実を結びます。


聖徒の中でも、聞くことは聞きますが、実行せずにそのままにしている信徒が多いです。

いくら悟っても従順しないならば、価値がありません。

主は天国に入る資格でも次のように語りました。


サウロ王はみことばを聞きましたが、完全な従順ではありませんでした。

それでサムエルが今回のことばを彼に語りました。


主のみこころを知っていても、それを行わないならば天国に入れません。
そして良い実を結ぶことも出来ません。




忍耐する心が実を結ぶ




忍耐は、まず希望をもって忍耐することです。
希望があると忍耐出来ます。


自分の人生の土壌に 実を結ばせたい人は、忍耐することを学ばないといけないです。

忍耐できる土壌は良い土壌です。


いくら実を結ぶ完璧な条件が揃っていても、忍耐出来ないならば、実を結ぶことは出来ません。


ヨブは忍耐の人でした。

すべてが取られ、人生最悪の苦難を受けていましたが、神を呪うことも、神から離れることも、つぶやくこともせずに ひたすら忍耐していました。


忍耐の中での彼の告白でわかります。


【ヨブ記23章9-10節】

左に向かって行っても、私は神を見ず、右に向きを変えても、私は会うことができない。

しかし、神は、私の行く道を知っておられる。神は私を調べられる。私は金のように、出て来る。

彼のことをヤコブ書にはこのように書いてあります。


【ヤコブ5章11節】

見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いであると、私たちは考えます。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いています。また、主が彼になさったことの結末を見たのです。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だということです。

ヨブは試練の以前よりも試練に耐えた後にさらに豊かになりました。


農夫が 暑さや疲れにも耐えて熱心に働くのは、豊かな収穫を期待するからです。

収穫が農夫の希望です。


忍耐は最後までしなければ、実を刈り取ることが出来ません。


もし途中で諦めるならば、それまでの忍耐も労苦も報われません。


選手がゴールまで辿り着かないと失格になります。

勝利することは出来ません。


リンゴも梨もぶどうも完熟まで待たないと 甘さが足りないので、美味しいとも思わないです。

完熟するまで忍耐が必要です。


【ヘブル10章36節】

あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。

熱心さも才能も重要です。

しかしそれが全部揃っても忍耐出来ないならば、実は期待出来ません。


主は、私たちが実を結ぶことを期待します。

良い実を期待します。


私たちが実を結ぶ時に、私たちが主の弟子であることが認められます。

それは私たちの土壌が良かったことを意味し、そこに柔和と謙遜な心、主のことばと従順、忍耐がすべてあったことを証明します。


自分の状態をよく見て下さい。

それらのものが揃っているでしょうか。


良い地になるように、日々よく管理しましょう。
(。・ω・)ノ゙

2016.10.16
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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聞く耳

ハレルヤ。

主の愛を今日も感じる1日になりますように。


主の言葉を聞く時に 私たちに必要なのは、聞く耳であり、そしてその言葉に対して ただ黙っているのではなく、その言葉に対して応答していかなければなりません。


質問するのも応答であり、答えるのも応答であります。

みことばを聞いても無反応は、その言葉を聞いていないか、あるいは無視する行為であります。


バプテスマのヨハネは、群衆たちに向かって 「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。斧もすでに木の根元に置かれています。 だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。」 と言いました。

そうしたら群衆は、腹を立てたのではなく、「それでは、私たちはどうすればよいのでしょう。」 と救われるために質問をしました。(ルカの福音書3章7-10節)


それは みことばに対する良い反応です。


それに対してヨハネからは答えがありました。
「悔い改めなさい」でした。


その言葉通りに悔い改めるならば、 「まむしのすえたち」 から 「神の子どもたち」 に変わることができる恵みを、神様から受けることができます。


ある律法の専門家は、イエスを試そうとして質問しました。


【ルカの福音書10章25節】

先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。

心の動機は良いものではなかったですが、イエス様はそれに対しても、きちんと答えてくださいました。

総合的に見ると、“みことばに従順しなさい” が答えでした。


私たちが聖書を読む時やメッセージを聞く時に、いつも聞く耳を開いて聞きながら「私はどうすれば良いでしょうか。」と主に質問するなら、主はそれに対して私たちに必要なことばを与えてくださいます。


みことばを、聞く耳を開いて聞く時に、みことばは私たちの中に働きだします。


それまで自分とは無縁と思っていた言葉が 【へブル4章12節】 にあるように、

神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と 骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。

このように みことばを聞く人たちの中に、みことばは力をもって働きます。


みことばを受け入れる人の中に、みことばを実践する人々の中にそのみことばは働いて、時には癒しを、時には慰めを、時にはその人を変えていく偉大な働きをします。


ですから いつもイエス様は、“聞く耳のある者は聞きなさい。”と語ってくださいました。

聞く耳は恵みを受ける一番の道でもあります。
v( ̄∇ ̄)v

2013.9.13
3分テレフォンメッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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神の守りと慰め

テーマは 『 神の守りと慰め 』 です

【詩篇116編1-19節】

私は主を愛する。主は私の声、私の願いを聞いてくださるから。

主は、私に耳を傾けられるので、私は生きるかぎり 主を呼び求めよう。

死の綱が私を取り巻き、よみの恐怖が私を襲い、私は苦しみと悲しみの中にあった。

そのとき、私は主の御名を呼び求めた。「主よ。どうか私のいのちを助け出してください。」

主は情け深く、正しい。 まことに、私たちの神はあわれみ深い。

主はわきまえのない者を守られる。私がおとしめられたとき、私をお救いになった。

私のたましいよ。おまえの全きいこいに戻れ。主はおまえに、良くしてくださったからだ。

まことに、あなたは私のたましいを死から、 私の目を涙から、私の足をつまずきから、救い出されました。

私は、生ける者の地で、主の御前を歩き進もう。

「私は大いに悩んだ」と言ったときも、私は信じた。

私はあわてて「すべての人は偽りを言う者だ」と言った。

主が、ことごとく私に良くしてくださったことについて、私は主に何をお返ししようか。

私は救いの杯をかかげ、主の御名を 呼び求めよう。

私は、自分の誓いを主に果たそう。ああ、御民すべてのいる所で。

主の聖徒たちの死は主の目に尊い。

ああ、主よ。私はまことにあなたのしもべです。私は、あなたのしもべ、あなたのはしための子です。あなたは私のかせを 解かれました。

私はあなたに感謝のいけにえをささげ、主の御名を呼び求めます。

私は自分の誓いを主に果たそう。 ああ、御民すべてのいる所で。

主の家の大庭で。エルサレムよ。あなたの真ん中で。ハレルヤ。

祝福の中で、平安の中で、いつも神様と親しい関係を持ちながら神様を第一にして生きる人の信仰は成熟した素晴らしい信仰です。

なぜならば これが意外と難しいからです。
私たちは何も問題がない平安の中でいつも変わらない心で神様を第一にしながら生活をすることは 案外難しいのです。


知らぬ間に、神様への想いが薄れていき、信仰も生温くなり霊的にはダメになってしまうからです。
これは誰にでもなる危険性があるということであります。

神様は人間が苦難の時より、苦難から救い出され 祝福された時のほうが神様のことを忘れる可能性があることを指摘されました。


【申命記8章10-14節】

あなたが食べて満ち足りたとき、主が賜った良い地について、あなたの神、主をほめたたえなければならない。

気をつけなさ い。私が、きょう、あなたに命じる主の命令と、主の定めと、主のおきてとを守らず、あなたの神、主を忘れることがないように。

あなたが食 べて満ち足り、りっぱな家を建てて住み、

あなたの牛や羊の群れがふえ、金銀が増し、あなたの所有物がみな増し加わり、

あなたの心が高ぶり、あなたの神、主を忘れる、そういうことがないように。――

神様のことを“忘れる”という言葉が出てきます。私たちは この言葉を心に留めて気を付けなければいけません。

苦しい時は必死に神様を求めたのに、苦しみが消えた途端 自分に祝福を与えてくださった神様のことを忘れてしまうのです。

詩篇116編は、神様からの救いを体験した者が その恵みを忘れることなく神様への感謝を捧げています。
これが私たちの姿でなければいけないです。


本文を通して、神様がどんなに素晴らしい方であるのか、そして その主に対して私たちがどのような姿勢で接するべきかを考えたいと思います。

私たちが今生きているのは、すべて主の恵みであります。
主の恵みはどのような形で現れたでしょうか。

恵みを受けることだけが大切なことではないです。
受けた後も、私たちは神様に対して正しい姿勢を見せなければならないです。




聖徒たちの祈りと願いを聞いてくださる主



【詩篇116編1-2節】

私は主を愛する。主は私の声、私の願いを聞いてくださるから。

主は、私に耳を傾けられるので、私は生きるかぎり 主を呼び求めよう。

幼子が言葉を覚えてくると、お母さんに1日中 話しかけてきます。
「これは何?」、「どうして?」と好奇心旺盛です。
その姿は とても可愛いですし、嬉しいのですが 1日中だと、お母さんはさすがに疲れてきて うっとうしくなり
「うるさいよ」、「静かにしなさい」と愛する子供であっても 親はだんだん返事もしなくなります。
これは子育てをした人なら誰でも経験したことがあると思います。


しかし、私たちの神様はどうでしょうか?

神様が信徒たちに語る言葉があります。「たえず祈りなさい。」という言葉です。
私たちに絶えず誰かが声をかけてくるならば疲れると思います。でも、神様だけは違います。
絶えず祈りなさいということは、“絶えずわたしに話しかけなさい。”ということであります。

すなわち、神様は私たちがどんなに神様に話しかけても嫌がらないですし、面倒とも思わず むしろ話を聞きたいお方です。

そして願いを叶えてあげ 祝福もしたいと思っています。
死にそうになって助けを求めても誰も聞いてくれる人がいなく、助けてもらえないならば どんなに絶望するでしょうか。


しかし私たちは絶望する必要がありません。

私たちの声にいつでも反応してくださり、そして一番良い時に一番良いものを与えてくださる主がおられることを感謝しましょう。


ある人は「私の祈りは聞かれないんだ。」と言います。
これはどちらの問題だと思いますか?




ある本に次のように書かれていました。

ある人が天国へ行って イエス様によって幻を見せられました。

裁きの座にイエス様が座っておられました。そこに2人の子供を連れた母親の姿がありました。
母親はそこでひざまずくと、瞬間的に御使いによって2人の子供が目の前から消え 残ったのは母親でした。
この母親には旦那さんから受ける苦しみがあったので辛くて 子供を連れて自殺をした身でした。

そこで母親がイエス様に言いました。「私がどれだけ辛かったのかを知っていますか?」
それに対してイエス様は「分かっている。」と答えました。


その旦那さんは小説家で色々なことを妥協してほとんど家に帰ってきませんでした。
母親は2人の子供を育てましたが、苦しみがすごくあるので 旦那さんに色々と言いましたが、旦那さんには聞く耳がありませんでした。
家族をないがしろにし、仕事を優先にしていました。

それで母親が苦しく耐えられなくなり 最後には自殺をしましたが、その母親はクリスチャンでした。
母親は「いつも教会へ行き祈りました。だけどイエス様は全然聞いてくださいませんでした。全く旦那は変わらなく 私の苦しみは無くなりませんでした。
ですから私はあまりにも苦しいので死ぬしかありませんでした。」と言いました。


しかしイエス様が語る言葉は違いました。
「わたしはあなたが一生懸命に祈っているのを知っているし聞いていた。あなたの苦しみも全部知っている。
だから あなたがわたしに祈っている時に、わたしはあなたを助けようと思って何度も何度もあなたのところへ訪ねて行った。」と語りました。
そこで母親が「いつイエス様が私に訪ねてくださったのですか?私はイエス様に会ったことがないです。私がどんなに叫んでも聞かれたという思いが1度もないです。」と言いました。


しかしイエス様は「あなたの扉の外に立って、あなたの心を何度も叩いたのだ。でもあなたは1度も心を開いたことがなかった。わたしがあなたの耳に語ろうとしても、あなたの心の中は“あなたの旦那のこと”しか無かった。あなたは祈りの中でもずっと旦那のことしか考えていない。」と語りました。

母親は問題をイエス様に祈りながらも、母親の中にイエス様が入る隙間すらありませんでした。心の中には、100%旦那のことしか入っていませんでした。


私たちは問題があると神様にすごく祈りますが、
自分の心の中に神様が入ってくることが出来ないように問題だけを考えるのです。朝から晩まで問題を黙想するのです。

イエス様のことを黙想するのではなく、問題だけを黙想して心配ばかりをしているのです。

ですからイエス様がどんなにその人が可哀想に思って助けようとしても、結局はその人が拒んでいることになるのです。

イエス様が母親にそのことを語ると、母親は消えてしまいました。
それは天国ではなく 暗いものが来て一瞬にして姿が見えなくなりました。とても恐ろしいものでした。



私たちはイエス様が耳を傾けてくださることを知っていますが、その後は(祈りを)聞いてくださったイエス様が働けるように イエス様を歓迎し、そして問題を考えるのではないです。

私たちは忍耐をしながら希望をもって祈りながら「今日はどのように神様が働くのかなぁ」とイエス様を見れば良いのですが(イエス様を)見ないので失敗してしまうのです。

神様から祝福を受ける一番の手段は祈りなのです。神様は祈りなしに与えることはないです。
祈りは神様との交わりの手段だけではなく、神の恵みの通路です。




患難・苦痛から聖徒を助けてくださる主



祈りを聞いて、それで終わりということではないです。


【詩篇116編3-6節】

死の綱が私を取り巻き、よみの恐怖が私を襲い、私は苦しみと悲しみの中にあった。

そのとき、私は主の御名を呼び求めた。「主よ。どうか私のいのちを助け出してください。」

主は情け深く、正しい。 まことに、私たちの神はあわれみ深い。

主はわきまえのない者を守られる。私がおとしめられたとき、私をお救いになった。

この詩篇を書いた人がどんなに激しい苦しみの中にいたのかが 1つ1つの言葉で伝わってきます。主の御名を呼び求め、救いを訴えました。

苦しみの中、死の恐怖の中にいるならば 人間は生きてはいけないです。
人々は色々な方法を取りますが、クリスチャンはどのような方法を取ったら良いでしょうか?


どのような時でも聖徒たちは、その苦しみの中から出る為の突破口は 神様であります。他のものに頼るのではないです。

小さなことや、人間の力で出来る範囲のことでしたら、人間の力で解決されるかもしれませんが、
抱えている重荷が自分の力ではどうにもならない時は、「神様ならば この突破口を開いてくださることが出来るのだ」と初めから信じなければいけないです。

最強の救い主であり、最強の助け主であります。


この突破口は神様しかいない!という思いで 神様の御前に出てお祈りをしたら一番早いです。それが(問題解決への)一番の近道であります。


【イザヤ書12章2節】

見よ。神は私の救い。私は信頼して恐れることはない。ヤハ、主は、私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。

どのような時代でも、苦しみの時に神様を呼び求めた聖徒たちは 神様から助けてもらいましたので、同じ告白が出ます。


世の中の人たちは苦しい時に何かに頼ります。しかし 祈りの対象を間違えて偶像の神に必死に求めます。


【詩篇115編2-8節】

なぜ、国々は言うのか。「彼らの神は、いったいどこにいるのか」と。

私たちの神は、天におられ、 その望むところをことごとく行われる。

彼らの偶像は銀や金で、人の手のわざである。

口があっても語れず、目があっても見えない。

耳があっても聞こえず、鼻があってもかげない。

手があってもさわれず、足があっても歩けない。のどがあっても声をたてることもできない。

これを造る者も、 これに信頼する者もみな、これと同じである。

人々は誰かに助けを求めますが、多くの者たちが虚しいことをしているのだということです。
どんなにそこに心を注いでも、それは何も出来ない人間が作った偽りの神の姿であるので(助けることが)出来ないのです。ですから祈っても虚しいのです。

サタンが答えたとしても、与えた後には代価を取ります。その代価とは その人の命です。


しかし私たちの神様は、常に私たちを助けるために来てくださる神様であります。
この神様を心から信頼しなければならないです。

生きておられる神様は ただ1人であり、この神様だけが苦しみの中にいる者を助け 恵みを与え、そして救ってくださいます。




聖徒たちを完全に救いに導いてくださる主



【詩篇116編7-8節】

私のたましいよ。おまえの全きいこいに戻れ。主はおまえに、良くしてくださったからだ。

まことに、あなたは私のたましいを死から、 私の目を涙から、私の足をつまずきから、救い出されました。

神様は 私たちの魂だけを救ってくださるために来られたのではなく、魂を死から救うのはもちろん、悲しみの時に慰めを与え、
つまずきから救い出してくださる方です。

イエス様が働いた姿を見ると、魂の救い、病人の癒し、悪霊の追い出し、問題解決、慰め、祝福など何一つ足りないものはありませんでした。

どのような時でも助けてくださる神様に祈らなければならないです。
どんなに小さなことでも、大きなことでも神様にとってすべてが可能であります。


人間にとって不可能なことでも、見捨てることがないです。

人々は試練の中で犯しやすい罪があります。―― それは神様に対するつぶやきです。

ひどい試練の中で、神様につぶやいたり 不平不満の罪を犯しやすいです。
本来ならば神様に助けてもらわなければならない立場なのに、反対に神様の前で罪を犯すので どんどん神様との距離が出来てしまい、なかなか祈りが聞かれなくなるのです。


その中で神様に対する正しい知識を持つことがとても大切であります。
1つのつぶやきがどれほど神様の前で大きい罪かわからないです。

神様に助けてもらうには、つぶやくのではなく 苦しい時、悲しい時、辛い時、どのような時でも神様に信仰によって求めることが大切です。

これが信仰の姿であり、謙遜な姿であります。


自動販売機のようにボタンを押したらすぐに答えが出て来るものではないのです。
頼り続けながら神様に委ねることです。

神様は 私たちを見捨てるどころか このように恵みを与えてくださる方であることを堅く信じてください。


このような素晴らしい神様に対する私たちの態度はどうあるべきでしょうか?
ただ「感謝します。」だけで良いでしょうか?

それで終わってしまうならば、神様の恵みを分かっていない人であります。
私たちは恵みを受けた後が大切であります。

謙遜な態度はもちろん必要ですが、何よりも神様に対する実践的な決断の姿勢が必要です。


【詩篇116編12-17節】

主が、ことごとく私に良くしてくださったことについて、私は主に何をお返ししようか。

私は救いの杯をかかげ、主の御名を 呼び求めよう。

私は、自分の誓いを主に果たそう。ああ、御民すべてのいる所で。

主の聖徒たちの死は主の目に尊い。

ああ、主よ。私はまことにあなたのしもべです。私は、あなたのしもべ、あなたのはしための子です。あなたは私のかせを 解かれました。

私はあなたに感謝のいけにえをささげ、主の御名を呼び求めます。

1回きりではなく、死ぬ時までです。
ずっと神様が良くしてくださったことを忘れないことが、神様への感謝のいけにえであります。
常に思い出して感謝を捧げ、祈りの中で誓いを立てたならば それは必ず果たしていくことです。

これを神様が喜んでくださいます。


恵みをいただいた後に、私たちは神様のところを去り 神様を忘れて好きなように生きるならば、いつかその人の魂は死んでしまいます。

神様を見失ってしまいます。
それがどれほど恐ろしいことなのかを知らなければならないです。 (; ̄Д ̄)

2014.3.30
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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シャローム松山教会の礼拝メッセージです
すべての事について…感謝❤

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恐れがあるのは・・・なぜ?

今日のメッセージは、詩篇23-4

 『 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、
私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。』

恐れがあるのは、イエス様が自分のすぐ傍にいるのを忘れるから。
≪あなたは目が見えないのか?あなたの信仰はどこにあるのか?≫

信仰はみことばの上にあるので、しっかりと握って、
もし「主よ、どこにいるのですか?」と言ったとしたら「許してください」と悔い改めが必要です。( p_q)エ-ン
神様が共におられることを感じて歩くこと、それが信仰です。(*・ω・)ノ

八戸ノ里キリスト教会のメッセージより
~2011.10.2~


聖書 新改訳©1970,1978,2003新日本聖書刊行会

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