からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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感謝

礼拝を捧げていますか

テーマは 『 礼拝を捧げていますか 』 です

ハレルヤ。

主の恵みと平安を祈ります。


皆さんは毎日、主に礼拝を捧げているでしょうか。

賛美をささげているでしょうか。


祈りをしていますか?
みことばを読んでいますか?


それをしているならば、その人は主に礼拝をささげている人です。


賛美も祈りも、主が喜ぶことです。

私たちの心を主に向けることです。


賛美をたくさん捧げると、自然に口から賛美が流れます。

それによって、いつも主に礼拝を捧げることができます。


歩きながらも賛美するならば、主に礼拝を捧げている姿です。


最近は毎日、10曲の賛美を捧げています。


1ヵ月以上それを続けています。

始めて良かったと思います。


なぜなら自分の中に賛美がとどまるようになり、自然に心の中から賛美が出るようになりました。


祈りたいのに、祈りができない時は、サタンの攻撃を受けています。

サタンが祈りを妨害しています。


その時は祈るのをやめるのではなく、賛美を大きな声で歌ってみてください。


主の前に出て、賛美を歌い続けていく時に、サタンは追い出されていきます。

そうすると祈りができる霊の状態になります。


主は賛美の中におられる方ですから、賛美の中で働いてくださいます。

救われて間もない時に、イエス様に対する感謝と嬉しい気持ちがいっぱいでした。


その時よく歌った賛美がありました。

聖歌ならば、284番です。


主イエスを想う時、私はいつも韓国語でその賛美を歌っていました。


賛美を口ずさみ、みことばをいつも口ずさむならば、
自分の心を守ることもできますし、神様が喜ぶ礼拝も捧げることができます。


アーメン v( ̄∇ ̄)v


2015.3.9
3分テレフォンメッセージ

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何を感謝するのか

テーマは 『 何を感謝するのか 』 です

【詩篇103章1-5節】

わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。

わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、

あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、

あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように新しくなる。

詩篇103編は、波乱万丈の人生を生きた ダビデ王が書いた箇所です。


103編は全部で22節ありますが、1節はこのように始まりました。


【詩篇103編1節】

わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。

そして22節は、次のことばで終わりました。


【詩篇103編22節】

主をほめたたえよ。すべて造られたものたちよ。主の治められるすべての所で。わがたましいよ。主をほめたたえよ。

これで分かるように、詩篇103編は「神の恵みに対する感謝の賛美」です。

ダビデは、どんな時にも 絶えず神に感謝の賛美をささげた人物でした。


感謝の賛美は、神がとても喜ぶいけにえなので、ささげるように言われています。


【ヘブル13章15節】

ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。

神の恵みを知っている人は誰でも、神に感謝の賛美をささげることが出来ます。

それも絶えずささげることが出来ます。


私たちは何を 神に感謝すべきでしょうか?





すでに受けた恵みに感謝すること




地上で神の恵みを受けていない人は、1人もいません。

すべての人は神が造った世界で、色々な恵みを 生まれながら受けています。


たとえ過酷な環境の中で生まれたとしても、神が最初からそのような環境にしたのではなく、良い環境だったところを人間が破壊して悪くしましたし、人間の罪と悪によって良いものを得られなくなったことが多いです。


信じる者は、“特別な恵み” を神から受けました。

本文にもあるように、


罪が赦されたこと、死から命に移され救われたこと、神の裁きの代わりにあわれと恵みと愛を受けたことに感謝しなければなりません。


そして、霊肉とも癒されたこと、サタンから解放されたことも、私たちが受けた恵みです。


このことを忘れず、絶えず神に感謝をささげることです。


感謝を忘れる時から罪が始まります。


イスラエル人が そのことを見せました。


長い間、エジプトで苦しんでいた民を 神はあわれんで、エジプトに厳しい災いを下して、イスラエル人を救い出しました。


そして追跡して来たパロとその軍勢に対しても裁きを下し、イスラエル人が無事に紅海の海を渡れるようにしました。

完全な救いでした。


その恵みを受けた直後に、モーセとイスラエル人は神に感謝の賛美をささげました。


【出エジプト記15章1-3節】

そこで、モーセとイスラエル人は、主に向かって、この歌を歌った。彼らは言った。「主に向かって私は歌おう。主は輝かしくも勝利を収められ、馬と乗り手とを海の中に投げ込まれたゆえに。

主は、私の力であり、ほめ歌である。主は、私の救いとなられた。この方こそ、わが神。私はこの方をほめたたえる。私の父の神。この方を私はあがめる。

主はいくさびと。その御名は主。

このように主が喜ぶ感謝の賛美をささげました。

しかし3日後には別の姿がありました。それは “主の恵みをすっかり忘れた姿” でした。


3日間、荒野を歩きましたが、水がなく、マラに来ましたが、その水は苦くて飲めませんでした。


すると民は次のようになりました。

民はモーセにつぶやいて、『私たちは何を飲んだら良いのですか。』と言いました。


受けた恵みのことは すっかり忘れて、現実の問題を見て つぶやきました。

これが人間の弱さであり、罪深さです。


受けた恵みをすぐに忘れることが多く、すぐ つぶやくので、「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」と言われてあります。


「受けた恵みなんか無い」という人は 大ウソつきであり、目が見えない人であり、良心が麻痺した人です。





今受けている恵みに感謝すること




現在受けている恵みに感謝するためには、満ち足りる心を伴う “敬虔” が必要です。


【第1テモテ6章6-10節】

しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です。

私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。

衣食があれば、それで満足すべきです。

金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。

毎日、様々なニュースに接する度に 感謝することが多いです。


自然災害や事件、事故がない日はありません。

悲惨な目に遭った人が、特別に悪い人で 罪深いからでしょうか?


そんなことはないです。そういうことは誰にでも起こることです。

たまたま その人たちが そういう目に遭っただけで、自分たちも いつ どんな目に遭うかは誰も知らないです。


ですから、苦しみに遭っている人には 憐れみの心を持ち、いま自分が守られていることに対しては、感謝をささげないといけないです。


日々の食べ物があることが本当に感謝です。
家があることも感謝です。


トイレがあることも感謝です。
インドでは、トイレのある家が53%です。

他の貧しい国に行けば、もっとひどく トイレも水道も何もないです。


そこに生まれた人は、一杯の水でも感謝します。

それも また人々と分け合います。


快適な環境にいながら感謝しないと、本当に罰が当たりますね。


信仰の自由がある今、生きていることも感謝です。

この状況が いつ変わるか分かりません。


大きな患難がないこともすごく感謝です。


感謝できる恵みがいま存在しているのに、欲張りの心が働いて感謝出来ずにいるならば、その人は結局、悲しい末路を迎えることになります。





これから受ける恵みに感謝すること




これから受ける恵みに感謝するためには、神の約束を信じる信仰が必要です。

神の約束は保証された祝福であり、恵みです。


たとえ苦難の中にいる人でも、神の約束を知り、その約束を信じるならば 希望が出て来ます。

希望ある人は その保証された約束を信じて、苦難の中でも感謝することが出来ます。


苦難の中には、絶望だけがあるのではありません。


神は そこに “約束” という恵みを送って下さいます。


それを受け取る人は、恵みに感謝し、それによって勝利することが出来ます。

アブラハムの例を見ます。


【ヘブル11章17-19節】

信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。彼は約束を与えられていましたが、自分のただひとりの子をささげたのです。

神はアブラハムに対して、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる」と言われたのですが、

彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。これは型です。

アブラハムは約束を信じたので、イサクをささげるように 神から言われた時に、パニックになることもなく、神のことばに従順しました。


神は彼の信仰を祝福し、イサクの代わりになる一頭の雄羊を用意していました。

アブラハムは初めからそのことは知りませんでした。


祭壇の薪の上にイサクを載せ、刀を振り上げた時に 神が知らせて下さいました。


神が良いことをして下さったので、アブラハムはその場所をアドナイ・イルエ(主の山には備えがあるという意味)と名づけました。


約束に対する信仰、感謝を伴う従順があったので、神は特別な祝福を与えて下さいました。


神は特別な祝福を与えると約束して下さいました。

どのような人に与えるでしょうか?


【詩篇103編11-13節】

天が地上はるかに高いように、御恵みは、主を恐れる者の上に大きい。

東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される。

父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。

主を恐れる人に特別な祝福を与えます。

次の箇所にもあります。


【詩篇103編17-18節】

しかし、主の恵みは、とこしえから、とこしえまで、主を恐れる者の上にある。主の義はその子らの子に及び、

主の契約を守る者、その戒めを心に留めて、行う者に及ぶ。

そして主は主を恐れる者に恵みと憐れみとの冠をかぶらせ、一生を良いもので満たされます。


過去に受けた恵み、いま受けている恵み、これから受ける恵みに感謝する私たちになれますように。
アーメン (*´∇`*)


2017.11.19
収穫感謝礼拝メッセージ

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今をどのように生きるべきなのか

テーマは 『 今をどのように生きるべきなのか 』 です

【第1テサロニケ5章12-22節】

兄弟たちよ。あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主にあってあなたがたを指導し、訓戒している人々を認めなさい。

その務めのゆえに、愛をもって深い尊敬を払いなさい。お互いの間に平和を保ちなさい。

兄弟たち。あなたがたに勧告します。気ままな者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。

だれでも悪をもって悪に報いないように気をつけ、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行うよう務めなさい。

いつも喜んでいなさい。

絶えず祈りなさい。

すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

御霊を消してはなりません。

預言をないがしろにしてはいけません。

しかし、すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。

悪はどんな悪でも避けなさい。

間違えて解釈した終末論は 現実を否定し、現実逃避したり、または希望も未来も持たず、天国だけを考えて、足が地についていない生活をさせます。

聖書的終末論は、決してそのようなものではありません。


聖書的終末論は、キリストの再臨と一番関係があります。


聖徒たちは キリストの再臨を待ち望みながら、神との正しい関係を保ち、天国と救いを受けた者ですから、地上では “救いへの感謝と喜びをもって生活し、良い実を結ぶように生きる” ことが 正しい姿勢です。


聖書的終末論は、決して暗いものではなく、むしろ希望をもって生きる終末論です。


ですから救いの目的は、

私たちに天国への望みを与え、この世では神から受けた使命を正しく成し遂げさせるためです。


聖徒が正しい終末論をもって、日々の生活で守るべき指針が 本文の中にあります。




霊的指導者を認め尊敬し、霊的指導者は模範を見せること




【ヘブル13章17節】

あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人々は神に弁明する者であって、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。ですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆いてすることにならないようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならないからです。



お互いの間に平和を保つこと




平和を保つためにはこのような心構えが必要です。


【ローマ12章10節】

兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりもまさっていると思いなさい。

自分にはない相手の良い所や長所を見つけることです。


【ローマ12章16節】

互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。



すべての人に対して寛容でありなさい




気ままな者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助けることです。


【ローマ15章1-2節】

私たち力ある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。

私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益になるようにすべきです。



悪をもって悪に報いず、いつも善を行うように務めなさい




【ローマ12章21節】

悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。

【ガラテヤ6章9-10節】

善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。

ですから、私たちは、機会があるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行いましょう。





★ 次の三つは、神に対して持つべき 一番 “基本的な信仰生活の姿勢” です。


◆ いつも喜んでいなさい。


神に受け入れられ、永遠の御国に入る救いの祝福を受けたので喜ぶことが出来ます。


◆ 絶えず祈りなさい。


祈りによって神との交わりが出来、また自分の弱さのために神の助けを必要とする時にも祈りは神への通路になります。


◆ すべてのことについて感謝しなさい。


神がすべてのことを働かせて益として下さることを知っているから感謝出来ます。




御霊を消しても悲しませてもいけない




御霊を消している教会があることは、とても悲しいことです。

御霊を消すことは主の臨在を消すことと同じです。


聖書は御霊を消してはならないと、はっきりと書かれています。


【エペソ4章30節】

神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。



伝えられた神のことばと預言、賜物をないがしろにしてはいけません




【第2ペテロ1章21節】

なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。

【第2テモテ1章6節】

それですから、私はあなたに注意したいのです。私の按手をもってあなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。



すべてのことをよく見分けること




正しく見分けるために必要なのは “真理” です。


真理は どの時代でも何が正しいか、何が良いかを教えます。


神の目に正しいものは すべて正しいですし、神の目に良いものは すべて良いものです。


人間の目には良く見えても、神の目には悪であるならば、それは “悪” です。


ですから神の真理で分別すると間違いはないです。




悪はどんな悪でも避けること




悪は 罪そのものです。
神が一番忌み嫌うものは、罪です。


罪から来る報酬は死ですから、悪は避けなければなりません。


このような姿勢で 終末を生きる目的は、次のためです。


【第1テサロニケ5章23節】

平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。

アーメン (´・ω・`)

2017.10.22
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感謝と奇跡

テーマは 『 感謝と奇跡 』 です

【ヨハネの福音書6章1-13節】

その後、イエスはガリラヤの湖、すなわち、テベリヤの湖の向こう岸へ行かれた。

大ぜいの人の群れがイエスにつき従っていた。それはイエスが病人たちになさっていたしるしを見たからである。

イエスは山に登り、弟子たちとともにそこにすわられた。

さて、ユダヤ人の祭りである過越が間近になっていた。

イエスは目を上げて、大ぜいの人の群れがご自分のほうに来るのを見て、ピリポに言われた。「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか。

もっとも、イエスは、ピリポをためしてこう言われたのであった。イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである。

ピリポはイエスに答えた。「めいめいが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」

弟子のひとりシモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った。

「ここに少年が大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持っています。しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」

イエスは言われた。「人々をすわらせなさい。」その場所には草が多かった。そこで男たちはすわった。その数はおよそ五千人であった。

そこで、イエスはパンを取り、感謝をささげてから、すわっている人々に分けてやられた。また、小さい魚も同じようにして、彼らにほしいだけ分けられた。

そして、彼らが十分食べたとき、弟子たちに言われた。「余ったパン切れを、一つもむだに捨てないように集めなさい。」

彼らは集めてみた。すると、大麦のパン五つから出て来たパン切れを、人々が食べたうえ、なお余ったもので十二のかごがいっぱいになった。

みなさんは毎日祈っていますか?


祈っているならば 願いのための祈りが多いですか?

それとも、感謝するための祈りが多いですか?



神様は願いも感謝も聞いておられます。


しかし神様を最も喜ばせるのは “感謝” です。


感謝する時に、さらに強い恵みの雨が天から降ってきます。



そして、感謝の中でも さらに神が喜ぶ感謝があります。

試練の中での感謝と、小さいことに大きな感謝をささげる時に神様はとても喜びます。



いつも感謝している人を見ると、霊的にも精神的にも安定しています。

顔も笑顔です。

口から絶えず感謝のことばが出てきます。


感謝のない人を見るといつも不機嫌な顔、不満げな顔、そして文句を言います。

そこから嫌なものが流れてきます。



今年も既に2ヵ月が過ぎましたが、どれくらい感謝しましたか?


“神の恵みなしには生きていけないな” と思う出来事も色々ありました。

そういうものがあるからこそ、受けている恵みに対して感謝が出てきます。


自分がいま存在していることを神様の恵みだと思っていますか?

自分の足で歩いて来られたことを感謝しましたか?



ある大学2年生の男の人が、交通事故で脊髄を痛めて首から下がマヒしました。

動けなくなりましたが、口に棒をくわえながらパソコンで文字を入力して 友達にメールを送ります。


今は それしか出来ないです。人生が一瞬にして変わりました。

とてもかわいそうでした。


2度も交通事故にあった私から見ると、いま生きているのは すばらしい神の恵みです。

いつもそのことを思っています。






今日のテーマは、“感謝と奇跡“ の話ですが、本文には感謝と奇跡があります。


主は五つのパンと二匹の魚で、男だけで5千人、そして女と子どもを合わせると二万人くらいの人たちに食べさせました。

まさに奇跡です。


その奇跡を起こす “前” のことを 見ていきたいと思います。


主は、父なる神にまず感謝をささげました。

奇跡が起きてからの感謝ではなく、“最初から” 感謝しました。


そして感謝して分け与えた時に、みんなが食べられる分のパンと魚になりました。


主は自分の力を見せびらかすために奇跡を行ったのではないです。



この奇跡は群衆に対する ある思いから始まりました。

本文には出ていないですが、別の福音書には 次のようにあります。


【マルコの福音書6章34節】

イエスは、船から上がられると、多くの群衆をご覧になった。そして彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた。

彼らの魂を憐れみ、まずは霊のパンを与えました。


それから次の箇所です。


【マタイの福音書15章32節】

イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。「かわいそうに、この群衆はもう三日間もわたしといっしょにいて、食べる物を持っていないのです。彼らを空腹のままで帰らせたくありません。途中で動けなくなるといけないから。」

食べ物もなく、肉体も弱ってきたことを見て、かわいそうに思い、奇跡を行って彼らを食べさせたいと主は思いました。



聖書にある奇跡を見ると、主のあわれみによって、信仰によって、必要性に応じて奇跡が起きたことが分かります。


誰かに対して憐れみの心を持って祈る時に、その祈りが聞かれることを経験していると思います。


憐れみの心がある時に、私たちの祈りも真剣な祈りになります。


親は常に子どもに対して憐れみの心を持っています。

ですから 惜しむ心がないですし 真剣です。

夫婦でも互いに憐れむ心があると、喧嘩することもなく感謝し合います。


イエス様の奇跡は、とても小さいものから始まりました。



少年が持っていた大麦のパン五つと小さい魚二匹でした。

これは貧しい人たちが食べる食事です。


このみすぼらしい小さい食べ物が主の手に載せられた時に 二万人近い人が食べた “パンの奇跡” になりました。


どんなに小さいものでも、主の手によって大きく用いられることができます。



もちろん主は、無から有を創造することも出来る方です。


神様は大きなものよりは小さいものを用いることを喜びます。


自分には小さいものしかないし、才能もないし、力もないと嘆く必要はないです。

私たちが小さいものを差し出す時に、主は喜びます。


小さいことに感謝出来ず、満足せず、大きなもの、多くのものを求める時が多いですが、私たちは小さいことに対して感謝が必要です。


小さいことも 主から与えられた “恵み” です。






マタイの福音書15章には カナン人の女性が出てきますが、彼女は小さい恵みに大きく感謝した人でした。


悪霊に取りつかれた娘の癒しを求めてイエス様の所に来て懇願しました。

しかしその時の主のことばは意外なものでした。


「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです」


女の人はそれに対して、
「主よ。そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます。」


彼女は食卓から落ちて来るパンくずの恵みにも感謝出来る人でした。

その感謝によって奇跡が起こりました。


イエス様がパンくずの恵みではなく、その娘を悪霊から解放する奇跡を行いました。


彼女には 受ける前からすでに感謝の心がありました。

これはイエス様からもいつも見られる姿です。


パンの奇跡でも、まずパンを手に取って父なる神に感謝をささげました。

最後の晩餐の時にも、自分の体がむち打たれて死ぬことを知っていながら感謝をささげてパンを裂き、それを弟子たちに配りました。

これから起こる奇跡に感謝しました。



感謝を蒔くと、感謝なことが起こります。


受けてからの感謝も主は喜びますが、受ける前から感謝することは さらに喜びます。


そこには神の奇跡を信じる強い信仰が見られるからです。


これから みなさんもそのような感謝をしてみて下さい。

神様は小さいもの、みすぼらしいものを手に取って神に感謝をささげる人に奇跡を表します。


“不満” では奇跡は起こりません。

“感謝” では奇跡が起こります。


主の感謝でパンと魚に奇跡が起こり、人々は満腹しました。


その後に、主は弟子たちに「余ったものは一つもむだに捨てないように集めなさい。」と言われました。

なぜそうしたでしょうか?


神が私たちに恵みとして与えられたものを むだにしたり、勝手に捨てたりすることは神の恵みをさげすむ行為だからです。


それは神を無視し冒涜する姿です。


いつも “下さい、下さい” ばかり言うのではなく、与えられた恵みを大切に使うことが主の恵みを知っている人の姿です。


どんなに小さい恵みでもそうです。


神は感謝する聖徒を喜びますし、豊かな恵みと奇跡を与えて下さいます。


そして感謝する聖徒たちを サタンは倒すことが出来ません。


感謝は神と周波が合います。

しかし、不満はサタンと周波が合います。



サタンは、感謝する聖徒を誘惑して試みに会わせて倒すことが出来ないです。

すべてに対して感謝しているので隙間がないです。


神から受けた恵みを思い出してみて下さい。

そして心から感謝してみて下さい。


感謝する人の人生にこれから奇跡が起こります。
(・∀・)つ


2017.3.5
聖日礼拝メッセージ

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三つのことを目指す

テーマは 『 三つのことを目指す 』 です

【第1テサロニケ5章16-18節】
いつも喜んでいなさい。

絶えず祈りなさい。

すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

新年をどんな年にしたいと願っていますか?


2017年に対して様々な予測や預言が言われてあります。


神からのものなのか、そうでないかは実際に起こるまでは判断できないです。

世界がどう変わるか、日本がどう変わるかは分りませんが、自分に関しては変わらないといけないので、そのことは真剣に考えないといけないです。

何よりもすでに神から言われた大切なことは、絶対に無視してはいけないと思います。


本文のことばは、どの時代にあっても私たちが目指すべき大切な神のことばです。

これを抜きに神のみこころを行うことは出来ません。


今回は「三つのことを目指す」という内容で伝えます。




いつも喜ぶことを目指す




なぜ 喜ぶことが大切で必要でしょうか?


「別に喜ばなくても良いでしょう。誰かに迷惑かけるわけでもなく、罪を犯しているわけでもないのに」と思っている人がいるかも知れません。

ですが、いつも喜ぶべき理由があります。


まずは喜びがどこから出て来るのかを考えてみましょう。


喜びは、頭や外部からではなく、心から出てきます。

聖霊を受けた人と受けていない人には違いがあります。
心の状態です。


【ヨハネの福音書7章38節】

わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」

このように書いてあるように、聖霊が心に内住します。

そして喜びは、“生ける水の川” から出てくるものです。


喜びは御霊によるものです。


喜びは御霊の九つの実にも入っています。

生ける水の川が流れる心は とても重要な場所なので、心を見守るように言われました。


【箴言4章23節】

力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。

心が守られると、そこから絶えず いのちの水が流れて、私たちの心は潤って当然そこから喜びも出てきます。

しかし、心が守られないと 泉は枯れて心はどんどん砂漠化していき、喜びが出なくなります。


心が荒れて疲れ果ててしまいます。

ですから喜びも消えていきます。


“いつも喜んでいなさい” と言われるのは、すなわち心の泉からいつも生ける水が流れる状態を保つためです。


いつも喜んでいる状態は、心が守られている状態です。

いのちの泉も守られている証拠です。

そして聖霊に満たされている状態です。


自分の心の状態を知る1つのしるしが、この “喜び” です。

もし喜びがないなら、胃カメラで胃を調べるように、自分の心を覗いてみて下さい。


聖霊は見えず、何か違うものがそこに詰まっていると思います。

心に “あってはならないもの” が入っていると思います。


喜びがないな と思った時は、すぐに心の状態を調べて下さい。


パウロが迫害され、むち打たれ、ピリピの牢獄の中にいながらも喜んでいたのは、どんな時にも自分の心を守り、聖霊に満たされていたからです。




絶えず祈ることを目指す




現代の信徒たちの特徴は、“祈らないこと” です。


忙しいから祈れないという人が多いです。

本当にそうでしょうか?


忙しいと言いながらも、自分がしたいことは全部しますね。

食べること、テレビを見ること、スマホをいじること、雑談、趣味生活、仕事などの場合は「忙しい」と言って、しないことはないですね。


しかし聖書を読んだり、祈ったりする時間だけは「ない」と言います。

ある意味、私たちは嘘つきです。


自分のためには時間を使っても、神様には時間を使いたくないです。

そうしながら神体験を願い、祝福や恵みを求めます。

そして信仰が強くなることを願います。


なぜ神様は「絶えず祈りなさい」と言われたでしょうか。

神を知るために、神体験するために “祈りは必須” です。


みなさんがメッセージを聞いたり、賛美をしただけで 神体験や神を知ることは難しいです。

神を知るためには、神の前に出る必要があります。


イエス様がどう祈るべきかを教えました。


【マタイの福音書6章6節】

あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。

神の前に出て、静まる時間が祈りの時間です。

それは神との対面の時間です。


神を知り、神体験が多い人たちは みんな祈りの人でした。

ダニエルは祈るために、わざわざ仕事の合間でも家に帰りました。


一日三度時間を決めて毎日神に祈りました。

神は彼に会って下さいました。


祈ったらいのちが取られることを知っていながらも、いつもと変わらない姿勢で祈るために家に帰りました。

その後にダニエルはすごい神体験をしました。


飢えた獅子の穴に投げ込まれても、えじきにされず 御使いたちによって守られました。


神を信じると言いながら 神への知識、神体験もないことは恥ずかしいことです。

それでは信仰も成長しません。

ですから神はそんな者にならないように “絶えず祈りなさい” と命じました。


祈って下さい。
そうすれば必ず神体験をします。




すべての事について感謝することを目指す




昨年の事を感謝で終えましたか?

感謝で終えた人は、感謝で新年を始めたと思います。


「すべての事について感謝しなさい」と言われると、「アーメン」と答えない人も多いです。


「色々あったから出来ない」という思いがありますね。

神は出来ないことを私たちに要求するのではありません。


「すべての事について感謝する」ことは、すべての事を感謝で解釈することです。


同じものを見ても、感謝する人と感謝しない人の “差” は何でしょうか?

思い出してみましょう。


モーセがカナンの地を探らせるために12人の斥候を送りました。

40日後に彼らは帰って来ました。

10人と2人の報告が正反対でした。


感謝の信仰があったヨシュアとカレブは、神の言葉通りの良い地であったので感謝しながら帰り、うれしい報告をしました。


しかし別の10人は、高い城壁、背の高い住民を見て 恐れが入って、その地をとても悪く言いふらし、自分たちを導いた主に不平不満を言いました。


主のことばで見ると、すべてが感謝ですが、主のことばを忘れ、人間的な目だけで見ると不安と恐れで、不信仰に陥って感謝の代わりにつぶやきが出てきます。


同じものを見てもどう解釈するかは人それぞれ違います。

ですから環境や人のせいで感謝出来ないと言うのは言い訳です。






私たちが住む世界には悪いことがたくさん起こっています。

自然災害、テロ、病気、内戦や戦争がいつの時代にもあります。

ですから自分たちが災難にあったとしても、おかしいことではないです。


特別に悪い人がそのような災難に遭うのではなく、誰にでも起こり得ることです。


ですから苦難を乗り越えていくために、気落ちせず、失望しないため、信仰を守るためには “感謝の解釈” が必要です。


不幸な時、辛い時に感謝が出来ないと、不幸と辛さに飲み込まれてしまいます。

感謝が出来ないと、つまずいて信仰を捨てる場合もあります。


神から離れることは、自分のいのちに関わることです。


どんな時でも感謝することを身に着けるための訓練としては、辛い目にあった時は、いつもイエス様のことを思い出して下さい。


人から侮辱されたり、迫害されたり、ひどい目にあった時は、イエス様がひどい目にあった時の場面を思い出して下さい。

すると慰められます。


自分とは比べられない試練を主は受けながらも感謝しました。

それを学ぶことです。


主がなさったようにするならば、どんな時でも感謝することができます。

主を見るならば我慢が出来、感謝も出来ます。


すべての事について感謝する姿勢は、成熟した信仰の姿勢です。

成熟しているので、その感謝によって多くの実を結ぶことが出来ます。


これらの三つのことは、キリスト・イエスにあって 神が私たちに望んでおられることです。


神の期待に応えますか?

これら三つのことを実行するならば 世界がどう変わるかは関係がなく、充実した一年、成長する一年、祝福される一年になります。


世界の主権者は神です。

神はみこころを行う人を特別扱いして下さいます。


神体験、奇跡、守り、祝福を与えます。
(´∀`*)

2017.1.2
新年礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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1年間の感謝

テーマは 『 1年間の感謝 』 です

【詩篇23篇1-6節】
主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。

主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。

主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。

たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。

私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。

まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追ってくるでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。

12月になると1年があっという間に過ぎた感じがします。

「1年ってこんなに長いの?」と言われた人に、今まで会ったことがありません。


今年も あと2週間ほど残っていますが、来週がクリスマス礼拝で、その次は新年になりますので、今日は一年間受けた主の恵みに感謝したいと思います。


今日の聖書のことばは詩篇23篇です。

詩篇の中でも一番よく知られてあります。


23篇には感謝という言葉はありませんが、感謝の気持ちがにじみ出てあります。

感謝の思いなしにこの詩篇は書けないですね。


今日は何に対する感謝があるのかを考えてみたいと思います。

すると自分たちも何に対して感謝すべきかがわかります。




神様が共におられたことに対する感謝




23篇全体には常に主が共におられるのがわかります。

これこそが最大の感謝です。


主は私から遠く離れた所におられる方ではなく、いつも共におられる方です。


私たちの手を握って私たちを導き、守って下さる主です。


ダビデにはそのような信仰があったので、前向きで健全な人生を生きることが出来ました。


彼の人生は決して平凡で順調な人生ではなく、波乱万丈な人生でした。

しかし、その中でも神が自分と共におられるという信仰を持っていたので、苦しみの中でも、神の慰めと勇気を受けて勝利することが出来ました。


神が共におられるという事実から目をそらすと私たちは絶望し、常に不安と思い煩いに支配されます。


主はいつも共にいて下さる方です。
それが神の約束でした。


【マタイの福音書28章20節】

見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。

主が共におられることがどれほど感謝かわかりません。

主がいない生活は考えられません。


今年も主が共にいて下さったことが何よりも感謝です。




主の助けと導きと守りが感謝




ダビデは 主が羊飼いとして自分を緑の牧場、いこいの水のほとり、義の道に導き、敵からも守って下さったことをすべて思い出して感謝しました。


ダビデは多くの戦いを経験した勇士でもありました。

ですから命が取られるような場面がたくさんあったにもかかわらず、生き延びたことは自分の力でなく神の助けと守りがあったからと彼は信じていました。


わたしたちも同じです。

主の守りと助けがなかったならば、どうなったでしょうか。


皆さんも自分の人生を振り返ってみて下さい。

思い出すと危険な場面が色々ありました。

助けられた、守られたという場面が色々と思い出されます。


一つ間違えたら死んだかも知れない場面があります。

車を運転する人は、事故を起こしたかも知れない場面があります。


地震などの自然災害も今年も多かったです。

色んな病気も流行っています。

テロも毎日のように世界の様々な場所で起きています。


これらは自分で自分を守ることが出来ないです。

神様の守りと助けなしには生きていけないです。


ですから無事に過ごせたことが大きな感謝です。




衣食があったことに感謝




【第1テモテ6章7-8節】

私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。

衣食があれば、それで満足すべきです。

衣食は人間生活の一番の基本です。

不足があると生活が不便になりとても困ります。

世界に目を向けると家もなく、食べるものもなく、着る物もない人がたくさんいます。


日本人口の何倍も困っている人がいます。

難民のことを考えると一瞬にしてすべてを失い、どこに向かったら良いのかも分からず困っている人がたくさんいます。


それを見た時も本当に衣食があることに感謝が出てきます。


日本も貧困層が年々増えています。

その人たちは衣食住を確保するだけで毎日必死です。


不自由なく一年過ごせたことは本当に感謝です。


“良いことが何もなかったから感謝したくない” ではなく、それでも守られて、助けてもらったので感謝することです。


感謝は、自分自身の活気ある生活のために、他人に喜びをプレゼントするために、神の祝福の手を握るために必要です。


感謝は、神様に明日の恵みを期待します。

6節のことばに恵みへの期待と信仰があります。


まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。


ある牧師が書いた「ありがとう」です。


「ありがとう。窓よ。ありがとう。カーテンよ。ありがとう。床よ。ありがとう。壁よ。ありがとう。天井よ。ありがとう。木々よ。ありがとう。庭よ。ありがとう。空よ。ありがとう。友よ。ありがとう。兄弟よ。ありがとう。みんなよ。見回しても、見回してもありがたいことばかり。朝も夕もすべてを見てもありがたいことばかり。」
.。゚+.(・∀・)゚+.゚

2016.12.18
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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受けたものは流して行く

テーマは 『 受けたものは流して行く 』 です

【ルカの福音書6章38節】

与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人々を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」

家の近くに 第二寝屋川がありますが、水の色がほぼ黒に近く、ごみや黒い油のようなものが浮かんでおり、時々 魚や亀やカモも見えますが、色は全部 “黒” で本当に汚い川です。


その理由は色々あると思いますが、私が感じるのは、流れないので汚い川になっていると思います。

ごみがある時に見ると 全く流れていないです。


時々 機械を使って波を起こすと、ごみは流れて どこかに消えていきます。

どこに流れていくのかは分かりません。

綺麗な川なら良いのに と橋を渡るたびに思います。


夏に上高地に行った時に川の水があまりにも透明で綺麗だったので、そのまま飲みたくなりました。

山からきれいな水が勢いよく下流に流れていくので、いつでも綺麗ですね。


受けても流さないと汚くなりますが、絶えず流すならば いつも綺麗です。


イスラエルのヨルダン川と 死海もよく比べられます。

ヨルダン川は綺麗ですし、大きな魚も住んでいて 主の弟子たちもそこで漁師をやっていた人たちでした。

ヨルダン川の水は綺麗で、泳いでいる魚も見ました。

そこで魚料理を食べたこともあります。


ヨルダン川から流れる水は、死海に向かって流れます。

死海は見た目は綺麗に見えますが、生き物が生息できないので “死海” です。

死海は、“受けるだけ受けて、流さないので死海” になりました。


私たちも受けたものを 流すか流さないかによって “ヨルダン川” にもなり “死海” にもなります。


イエス様は絶えず恵みを流して下さる方です。


皆さんが、認識しているか 認識していないかに関係なく、絶えず恵みを流しています。

私自身は何を見ても、そこに神の恵みが流れているのが見えます。


しかし、ある人はその恵みに気付かず、こぼしていながら 「自分には恵みがない」 と神につぶやいています。

また ある人は、手を握ってあげても 「こんなものは要らない」 と投げ捨てる人もいます。

ある人は受けた恵みを 自分のものだけにして、誰にもそれを流さない人もいます。


そばで困っている人、倒れた人がいても それが目に入って来ないです。

“自分さえ良ければ” という精神は、「貪欲」そのものです。


それは、サタンの思いです。
神様が忌み嫌う心です。


しかし受けた恵みを、きちんと流して行く人たちもいます。

その人たちは、いつも神様から新鮮な恵みを受けています。


他の人たちにも 良い恵みを流すので、神様は天を開いて その人が乏しくならないように与えて下さいます。


イエス様は 最初に弟子たちを遣わした時に このように語りました。


【マタイの福音書10章8節】

病人をいやし、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。

イエス様は、まず彼らに恵みと力を与えました。

そして それを使って他の人を助け、恵みを流すように命じました。


私たちが教会で互いに仕え合うことは、お互いが受けた恵みを流して行く姿です。


それによって、みんなが恵みを受けます。


“自分には流す恵みがない” というのは、言い訳に過ぎないです。

流したことがないので、気付いていないだけです。


私たちは、あらゆるところで、色んな人に恵みを流すことが出来ます。


やろうと “決心” すれば、何を流すべきかが分かります。

手を差し伸べれば、そこに恵みを流す対象がいます。


私たちはすでに多くの恵みを神から受けています。

最大の恵みは神から受けた愛です。


(私たちは神から)受けたので、この愛を流して行かなければなりません。

自分が救われたように、人も救われるように神を紹介し、祈りをささげ、世話をすることが 愛の恵みを流している姿です。


自分だけ天国に行くことを喜んだらいけないですね。

他の人も天国へ行けるようにするのが 愛ある姿です。


神が「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」と命じましたが、それは本来 私たちに出来ることでしょうか?


神の愛の恵みがないと出来ませんが、私たちが受けた神の愛を流して行くならば 出来ないこともないです。

そうすると、自分の愛ではなく、“神の愛” で愛することが出来ます。


「こんな私のような者も 神が愛して下さったならば、神はこの人をもっと愛しておられるかも」 と思って、受けた神の愛を流せば良いと思います。


愛を流さず自分だけにとどめるならば “自己愛” ですが、流せば “隣人愛” に変わります。

そして様々な神の恵みを体験したならば、感謝して終わるのではなく、恩返しを忘れてはいけないです。


恩返しは、恵みを流していくことです。

人から良くしてもらったならば、自分も誰かに対して良くしてあげれば、それが恩返しの連鎖になり 人間関係がとても良くなりますし、社会もよくなります。






私自身のことですが、34年前に輸血を受けて いのちが助かった経験がありました。

それがなかったならば、いま生きていないですね。


出産の時に出血多量で2度も意識を失くし、1日中輸血をしました。

それで助かりました。

それがあったので、自分も献血して誰かを助けたいと思いました。


毎年献血しようと思って2回しましたが、その後 法律が変わり、輸血した人は献血が出来なくなりました。

それがすごく残念でした。
それでも したかったので、奈良へ行って献血する所に行きました。


献血する前に問診票に記入しないといけないですが、過去に輸血した人は●をつけないといけないですが、私はそれにつけなかったです。

しかし過去に輸血をしたことが記録に残っていたので出来なく、それからは献血を諦めました。

その法律がないなら、今もずっと献血していると思います。


皆さんは良くしてもらったことはありませんか?
それを他の人たちに流していますか?


過去に終わった事として記憶にもないでしょうか?


【詩篇103編2節】

主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

このように言われてありますが、記憶だけしなさいという意味ではなく、自分が受けた恵みを流すようにするならば 決して忘れることが出来ないです。


自分が神に赦されたならば、他の人のことも赦します。

赦された人はそれがどんなに素晴らしいことかが分かります。


【マタイの福音書6章14ー15節】

もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。

しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。

私たちは罪赦されて “神の子ども” になりました。

ですから当然 神様は、私たちが人に対して赦すことを期待します。


しかし、(私たちが他人の罪を赦さず)期待外れになると、私たちが罪を悔い改めて赦しを求めても、神はそれには応じないと語っておられます。


【マタイの福音書6章14節】

もし人の罪を赦すなら、あなたがの天の父もあなたがたを赦してくださいます。

神の力が私たちに与えられたならば、神は私たちがその力を持って他の人を立ててほしいと願っています。


知恵の力もあり、金銭の力もあり、健康の力、能力の力もあります。

それを使って人を助けることです。


神様が今日のことばでも “与えなさい” と命じました。

このように あらゆる恵みを私たちが流して行く時に、神が栄光を受けます。


元々それは神から流れて来たものだからです。


与えたらどのようになりますか?

与えた人も、受けた人も 共に神様から祝福を受けます。

しかし与えた人の方が何倍も祝福されます。


本文のことばにその約束があります。


【ルカの福音書6章38節】

与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。

一番祝福を受ける人は、“与えた人” です。


神は偽りを言わない方であり、約束を真実に守る方です。


「与えると空っぽになり、損するだけで自分が困る」のではなく、何倍も主が報いて下さいますので さらに豊かになります。


その実例が聖書にも色々あります。

エリヤに与えた貧しいやもめが大いに祝福されました。


また 少年が差し出した小さい弁当で、5千人以上が食べる奇跡もありました。

与え続けた人が乞食になった話は聞いたことがありません。


反対に、たくさん持っていた人がすべてを失って乞食になった話はたくさんあります。

貪欲な心を持っていたイスカリオテ・ユダは結局祝福されることもなく自滅しました。


神様が自分に何かを与えて下さった時には、自分だけの恵みと思わず、それを誰に流そうか?と考えてみて下さい。


パウロは主の教えを守り通しました。

その告白が次の箇所にあります。


使徒の働き20章35節】

このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。」

私たちも主のことばを心に刻んで、与えることが習慣になるようにしましょう。
v( ̄∇ ̄)v


2016.11.27
聖日礼拝メッセージ

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何を感謝するのか、なぜ感謝するのか

テーマは 『 何を感謝するのか、なぜ感謝するのか 』 です

【第1テサロニケ5章18節】

すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

神様は、すべての事について感謝しなさい と言われました。

感謝することは、主が喜ばれることであり、またクリスチャンとして当然すべきことでもあります。


聖書に感謝の言葉が入っている聖句を検索したら 186箇所出てきました。

もっとあるかも知れないですね。

内容を少し調べると、本当に様々なことで感謝がささげられていましたし、感謝しなさいという命令もありました。


キリスト教は感謝の宗教です。


感謝をいつも主に捧げていますか?

今日は特に “収穫感謝礼拝” ですので、タイトルを 「何を感謝するのか、なぜ感謝するのか」 にしました。


聖書を調べるとそれが分かります。


旧約聖書を読むと、ユダヤ人には三大祭りがありました。

その祭りは人間が決めたのではなく、すべて神の命令によって決められました。

そして その三大祭りは、すべて感謝祭でした。


それを理解すれば 私たちは “何を、なぜ感謝するのか” が分かります。

祭りの記録があるのは、出エジプト記23章、レビ記23章にあります。




過越の祭り




まず「過越の祭り」は、“種無しのパンの祭り” とも言います。

なぜなら続けてやる祭りであるからです。


【レビ記23章5-8節】

第一月の十四日には、夕暮れに過越のいけにえを主にささげる。

この月の十五日には、主の、種を入れないパンの祭りである。七日間、あなたがたは種を入れないパンを食べなければならない。

最初の日は、あなたがたの聖なる会合とし、どんな労働の仕事もしてはならない。

七日間、火によるささげ物を主にささげる。七日目は聖なる会合である。あなたがたは、どんな労働の仕事もしてはならない。」

神様は なぜ過越の祭りを行うようにしたのでしょうか?

それはイスラエル民族が解放されたことを感謝する祭りです。


エジプトで430年間 奴隷生活をしながら苦しんでいたイスラエル人を、神はモーセという指導者を遣わして解放する計画を立てて それを実行に移しました。


エジプト王パロがイスラエル人を解放しないので、神は10の災いをエジプトに下しました。

最後にあった わざわいが、エジプトにいるすべての初子が死ぬことでした。


神は事前にパロに伝えましたが、パロはその言葉を聞いても心をかたくなにして聞き入れませんでした。

“まさかそんなことは起こらないだろう” と、彼は神のことばを無視しました。


神はわざわいの時に イスラエル人を区別するために、助かる方法を教えました。


それは羊をほふり、その血を取り、家々の二つの門柱と、かもいにつけると、裁きが下る時に 神がその血を見て、その所を通り越して、そこには滅びのわざわいが起こらないようにすると言われました。


それを信じてイスラエル人は 言われた通りにして、初子が死ぬという悲劇に見舞われた家はありませんでした。


しかしエジプト人の間では、すべての家の初子が死んだので 大変な悲しみがありました。

このわざわいがあってパロはイスラエル人を解放しました。


イスラエル人は430年間の奴隷生活から完全に解放され、カナンの地に向かうことが出来ました。

解放されたことを忘れず、いつも感謝することを覚えさせるために、神はこの過越の祭りを行うように命じました。


教会では聖餐式がこれに当たります。


イエス様は、私たちをサタンの奴隷から神の子どもに、死から命に移すため 私たちのためにほふられた  “過越の小羊“ です。


(イエス様が)流されたその血によって、私たちは守られ 救い出されました。


サタンの奴隷から解放されたこと、救われたことを私たちは感謝しなければなりません。


霊的に “過越の祭り“ は、過越の小羊となったキリストを暗示します。

次のみことばにも書かれています。


【第1コリント5章7-8節】

新しい粉のかたまりのままでいるために、古いパン種を取り除きなさい。あなたがたはパン種のないものだからです。私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです。

ですから、私たちは、古いパン種を用いたり、悪意と不正のパン種を用いたりしないで、パン種の入らない、純粋で真実なパンで、祭りをしようではありませんか。



五旬節




次の祭りは「五旬節」です。


【出エジプト記23章16節】

また、あなたが畑に種を蒔いて得た勤労の初穂の刈り入れの祭りと、年の終わりにはあなたの勤労の実を畑から取り入れる収穫祭を行わなければならない。

神様は収穫の刈り入れの初穂、すなわち春の収穫の時も 年の終わりの収穫の時も 祭りをするように言われました。


なぜかと言うと、大麦と小麦の収穫の時期が違っていたからです。


この祭りは、日々のすべての糧の生産者も供給者も、“主” であることを認め告白する意味があります。


種を蒔くこと、水を注ぐことは人間に出来ますが、成長させるのは神がなさることです。


私たちは日々の糧を得るために仕事をしていますが、仕事する資本である体は、神様が守って下さらないと自分の力では守れないです。


恵みによって糧を得たことに対して神に感謝することです。

また、この祭りにも霊的意味があります。


収穫の初穂は、“復活したイエス・キリスト” を象徴します。


【第1コリント15章20節】

しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。

この “復活” は信じる者に大きな希望を与えてあります。


それは私たちも復活の恵みに預かれるからです。


五旬節は、初穂をささげてから50日になる日に行われた祭りです。

この時は1日だけの祭りでした。


この日は労働せずに収穫の感謝を神にささげ、隣人との楽しい交わりをしました。


五旬節の霊的象徴は “聖霊降臨” です。


五旬節に聖霊が下りました。

私たちが神に感謝しないといけないのは、聖霊を私たちのために遣わして下さったからです。


聖霊なしには 生まれ変わることも信じることも、また神の子にふさわしく生きることも出来ないです。


私たちは日々この聖霊によって守られ導かれていますので、このことを大いに感謝しないといけないです。




仮庵の祭り




次の祭りは「仮庵の祭り」です。


【レビ記23章33-34節】

ついで主はモーセに告げて仰せられた。

「イスラエル人に告げて言え。この第七月の十五日には、七日間にわたる主の仮庵の祭りが始まる。

この祭りは1年間労苦して得た収穫の後に行う民族最大の祭りでした。


そしてこの祭りは、エジプトの奴隷から解放され40年間 荒野で生活した時も神が自分たちを導き守って下さったことを記念する祭りでした。


七日間家を離れ、野原に仮庵を建てて生活しながら過去の荒野生活を振り返り、信仰を新しくしていました。


聖徒たちは今、この祭りをどのように解釈して行うと良いでしょうか?


天の御国に向かって歩んでいる聖徒たちも、主に導かれ守られていますので、そのことを悟らないといけないですし、私たちが肉体という衣を脱ぎ捨てた後は、永遠に安息と平安がある天の住まいで主と共に生きることを悟り、救いを与えて下さった神に常に感謝をすることです。


ただ 衣食住が与えられたこと、そして健康であったこと、守られたことだけが感謝ではなく、もっと大きな霊的恵みが自分たちに与えられていることを覚えて、それを与えて下さった神に感謝することです。


神の一方的な愛と恵みによって救いを受け、日々守られ、助けられ、また天国への道、復活の祝福があることが感謝の内容であり、感謝すべき理由です。



なぜ今の時期に、教会では “収穫感謝礼拝” をするのかを少しだけ話します。


アメリカでの感謝祭の始まりは、1620年に信仰の自由を求めて、イギリスの聖教徒たちがメイフラワー号に乗って新大陸アメリカに渡って行きました。

厳しい冬と直面し、生活もままならず、渡った半分の人は いのちを落としました。

そして先住民に助けられた残りの人たちは、翌年1621年の時に 無事に収穫出来たもので先住民たちも招待し、自分たちを助けて下さった神に感謝をささげたのが感謝祭の始まりでした。


アメリカでは、11月の第四の木曜日が感謝際です。


日本では勤労感謝の日に近い11月の第四主日に礼拝をする教会が多いですが、その日に必ずしなければならないわけでもありません。

イギリスやドイツ、カナダなど感謝祭の日はそれぞれ違います。


“いつする” のが重要ではなく、感謝の心が重要であり、恵みを忘れず、覚えて生きることが大切です。


そして神が命じた感謝祭の内容を悟って、感謝をささげることが大切です。
.。゚+.(・∀・)゚+.゚

2016.11.20
収穫感謝礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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模範的な祈り

ハレルヤ

主の守りが今日もありますように。


今日はソロモンの模範的な祈りに対して話します。

第1列王記3章には、ソロモンの祈りの内容がありますが、


【第1列王記3章9節】

「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」


この祈りは、主の心に適い、主は彼に素晴らしい祝福を与えました。

求めなかったものまでも与えてくださいました。


ソロモンの祈りから私たちが得る教訓があります。


まずはソロモンは、求める前に主を愛し、主に一千頭の全勝のいけにえを捧げていました。

霊的渇きと献身が既にありました。


自分に与えられた仕事の重圧だけで主に求めたのではなく、普段からソロモンは主に対して献身的な人でした。

この姿は本当に学ぶべき姿です。


困った時だけ、必要なものがある時だけ、主に祈る人は明らかに主を利用する人で、主をあがめる人ではないです。


その人たちの祈りに、主は苦々しい思いを持っておられます。

その人たちの祈りは忌み嫌われます。


また、ソロモンの祈りは確実に答えられる祈りの模範を見せました。


主が与えたいと願うものを求めたことです。


ソロモンはダビデと違って、まだ若く、政治の経験もない者ですから、神が彼に与えたいのは民を正しく治める力、判断力、知恵でした。

それにピッタリの祈りをしたので、祈りが答えられました。


普段 神と共に歩む人は、神のみこころが分かるので正しく求めることが出来ます。


そして祈りは、既に与えられた神の恵みを忘れず感謝するところから始めなければなりません。


ソロモンはまず、過去の恵みに対して感謝を捧げました。

感謝を始めると普段見逃していた神の恵みに改めて気付くことがあります。


そして、祈りの時に自分を隠すことなく、偽ることなく、裸にして神の前に現すことです。

ソロモンは神の前で「私は小さい子どもで、出入りするすべを知りません。」と素直に言いました。


神はこのように自分を素直に現しながら告白する祈りを聞いて下さいます。


神の前で嘘を言ったら、それがバレないでしょうか。

高慢な人は自分のことを偉く言いますし、嘘つきは神の前でも平気で嘘を言います。

それは神を侮る態度です。


素直な人の祈りに主は答えます。

そして祈る時に、自分の願いや欲望よりは、神の御心に適うことを求める時に、祈りは答えられます。


何を言っているのか分からないような祈りではなく、明確に祈る時に主は答えてくださいます。

信仰ある人たちの祈りは、とても簡潔で明確です。


その人たちは、父なる神がお願いする先に、必要なものを知っておられることを知っています。


このように皆さんは祈っていますか?
祈りを変えるだけで答えられる祈りも増えると信じます。
v( ̄∇ ̄)v

3分テレフォンメッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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神の選びと召しの目的

テーマは 『 神の選びと召しの目的 』 です


【第2テサロニケ2章13-14節】

しかし、あなたがたのことについては、私たちはいつでも神に感謝しなければなりません。主に愛されている兄弟たち。神は、御霊による聖めと、真理による信仰によって、あなたがたを、初めから救いにお選びになったからです。

ですから神は、私たちの福音によってあなたがたを召し、私たちの主イエス・キリストの栄光を得させてくださったのです。

日本では春と秋に園遊会が開かれます。

天皇、皇后の招待によって、議会の議長、各界の著名人、功績者などが配偶者と共に招かれるので 2千人を超える人々が参加します。


誰でも招かれるのではなく、その時に活躍した人たちが招かれると思います。

招かれた時に、嫌がって断る人がいるでしょうか。

特別な理由がない限り断る人はいないと思います。


むしろ天皇、皇后からの招待だからこそ 光栄と思って喜んで参加するでしょう。


私が思うには まことの天の神に招待されることほど、この世で一番光栄な招待はないと思います。


その価値を知らない人はそうとは思わないでしょうが。


園遊会で天皇と会話をしている人たちを見ると、みんな緊張しているのが見てわかります。


救われた人が いつか天国で神と対面した時はどうでしょうか。

緊張よりは あまりにも嬉しくて言葉も出ないと思います。

想像するだけで心にこみあげてくるものがあります。


神様が私たちを特別に選び、召されるにはどのような目的があるでしょうか?


功績も活動もしていない者たち、罪と咎の多い者をなぜ選ぶのでしょうか。

この世では招かれることもない者たちを 神様が選び召される目的を、私たちは知る必要があります。


知らないと価値が分からず、感謝も出来ず、宝物を持ち腐らせる結果になります。


神様ははっきりとした目的をもって私たちを選んで下さいました。

今回はそのことを伝えます。




1.救いとキリストの栄光を得させるために




今回の本文に そのことが書かれてあります。


神様が私たちを選ぶ目的は たましいの救いを得させるためです。

このことは救われた人ならば皆が知っています。


救われないと誰も神の国に入ることは出来ません。

神の国に入る第一条件は “救われること” です。


神の恵みと福音によって罪人が救われます。

決して人間の努力や力で救いを受けることは出来ません。


神の真理のことばを聞いて 信仰で受け止める時に、神の恵みによって罪赦され、救いを得ます。


そしてキリストの栄光を得させるためです。

人からの栄光ではなく、神の栄光を与えて下さるために召して下さいます。


勝利の行列に私たちを入れて下さいますし、キリストの栄光も与えて下さいます。




2.完全な者、強い者、不動の者とするため




【第1ペテロ5章10節】

あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。

私たちをありのままの姿で選んで下さる神様ですが、ありのままの姿で生きるのではなく、新しい人にするように私たちを変えるために召して下さいました。

これは祝福です。


神にあって私たちは変わります。

それも弱い者ではなく強い者に、完全な者に変わります。

召しの目的です。




3.聖潔を得させるため




【第1テサロニケ4章7節】

神が私たちを召されたのは、汚れを行わせるためではなく、聖潔を得させるためでる。



4.キリストの平和を与えるために




【コロサイ3章15節】

キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。

救われた人はイエス様によって神と和解した人です。


和解した人に与えられるのがキリストの平和です。

罪人にはこの平和がありません。




5.神のしもべとして用いるために




【ローマ1章1節】

神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ、

召されたすべての人は しもべとしておのおの主から受けた召命があります。
忠実に従う時に、神は必ずその人に良い報いを与えて下さいます。




6.祝福を受け継ぐために




第1ペテロ3章9節】

悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのですから。

祝福を受け継ぐために召された人は、祝福の種を蒔かなければなりません。


悪を蒔いて祝福を願っても祝福はありません。
蒔いた種が悪いからです。

祝福の種を蒔けば祝福を刈り取ります。


神は このようにすべて良いものを与えるために 私たちを選び、私たちを召されます。


しかし、このことを どんなに人に話してもほとんどの人は関心を示しません。

目に見えるものではないと見向きもしません。

(その人たちは)人からの栄誉ではないと興味も示しません。


ある人は 「そんなものは要りません」 と拒否します。

ある人は知ろうとしません。

また 疑います。
「今は忙しいから いつか考えます」 と言って、神の選びと招待を断ります。


これは本当に愚かな選択だと思います。
自分の祝福を自分で断ることです。


偉い人の招待は 他のことを犠牲にしても喜んで応じる人が、神の招待だけは嫌って断る人が多いです。


このように素晴らしい祝福をどこで得られるでしょうか?

そして、すでにこの召しを受けた人は 召しにふさわしく生き、絶えず神様から受けた恵みに感謝して、さらなる祝福を神から受けましょう。
(・∀・)


2016.5.1
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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