テーマは『 心の掃除をしましょう 』です。

【Ⅰヨハネ1章8-10節】

今年1年を振り返ると、時間が経つにつれて信仰が生温くなっている心に気付きました。
心の温度が変わっています。目標を立てたにも関わらず、今では怠慢であることがわかります。

悔い改めて、心を立て直すことが必要です。
Ⅰヨハネ1章10節のみことばは、その人の心に神様のことばがなく、
罪がどういうものなのかを知らないという人です。 
【 使徒の働き2章 】に悔い改めのことが書かれています。

悔い改めると罪が赦されますが、このみことばを聞いて腹を立てる人は、パリサイ人であり、
頭の中だけでみことばを理解している人です。

「 悔い改め 」は素晴らしいものです。
罪で裁かれず、神様に立ち返るならば罪が赦され、それは恵みになります。

私たちは手・足・言葉・身体の罪には気付きますが、心の罪には気付きにくいです。

神様が共にいる場所は、私たちの心の中であります。その心の中が主に似ているものにならなければなりません。
神様との深い交わりをするために心の掃除が必要です。

もし、肉の思いで心が満杯なら、神様はその中に入ることができません。

心の中を変えていく時に、神様が働きます。
悔い改めなければいけないものがあるにも関わらず、悔い改めない者。自分で気付いています。
心の中にそういうものがあるならば、そのままにしていてはいけません。

イエス様を見上げながら悔い改めます。
自己中心的なものが多いです。思うまま、自分の為だけに動くことは神様の思いとは違います。
自分が神のようになっています。

そして「 愛 」の部分はどうだったでしょうか?【 Ⅰコリント13章 】
自分の姿と比べてどうでしょうか。私たちは計算的に動いていないでしょうか。
しかし、イエス様の愛はそういうものではありません。

神様を愛する心が足りないから、霊的なものに投資をしなく、
愛があるならば 神の働きをとても喜び、共に過ごす時間が多くなります。

神様は「 あなたたちの行動は計算ばかりでケチだな 」と見ておられます。
神様は私が愛の姿になるのを見たいと願っておられます。

柔和なイエス様に対し、私たちは心が冷たく鋭いです。そのような姿を見て神様は喜ぶでしょうか?
喜ばないですね。

他人に対する赦しは、私自身の罪を赦すことです。
何十年前にイヤなことをした人に仕返しをしたいと思うならば、赦していないということです。
自分が罪を犯すなら罪人になります。
その人を赦してあげなさい。 あとは神様が正しく裁いてくださいます。
あなたがその思いから解放されます。他人を赦すならば、さらに赦される者になります。

「 熱心さ 」に対して、聖書には生ぬるいクリスチャンが多いという言葉が多いです。
(様々な事でも)冷たいものと熱いものはくっつけないです。
冷たいものは、冷たいもの。熱いものは、熱いもの。信仰も熱心な人同士が一緒になり、さらに熱くなります。
生ぬるい者と熱い者は一緒にはなれません。

自分の姿は、以前よりどうなったでしょうか?  ――再び、心が熱くなるように。
神は深い交わりをしたいと思っておられます。あなたの姿を変えていきなさい。
頑なな心は、ますます氷のようになります。→その人にサタンが働き、餌食になります。
心に神様が存在しないので、ますます状況が悪くなります。

部屋の掃除をするときに、心の掃除も同時にしたら良いです。
聖霊様に「 どこを悔い改めが必要でしょうか 」と祈り、イエス様と自分の姿を比べるようにしましょう。

2011.12.18
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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