からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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愚か者

知恵のある者になる

テーマは 『 知恵のある者になる 』 です


2月になり、いつのまにか2019年も一か月以上過ぎました。


そこで振り返ってみてください。

1月はあなたの思った通りになりましたか?


私は反省点がたくさんあります。

特に仕事先とかで「こう言うべきだったのに、いらんことを言ってしまった。」「しゃべらなくても良いのに無駄に一人で話し過ぎた」「言い過ぎた」などなど・・・。


反省することばかりであり、また注意を忘れて失敗を繰り返したりしています。

そのような経験はございませんか。



例えば、次から挙げることに どのくらいあなたは当てはまりますか?


  • さわがしい、無駄口をたたく
  • 曲がったことを言う
  • よく聞かないうちに返事をする
  • 自分の愚かさを言いふらす、吐き出す、食いあさる、繰り返す
  • わきまえがない、何も知らない、思慮がない
  • 悪事が楽しみ、悪から離れることを忌み嫌う
  • むなしいものを追い求める
  • なまけ者
  • 自分の怒りをすぐ現す、怒りやすくて自信が強い、短気、争いを起こす
  • 主に向かって激しく怒る
  • 争いを起こす
  • 母をさげすむ、自分の父の訓戒を侮る
  • 思慮深いことばをさげすむ、英知を喜ばない
  • 自分の意見だけを表す、自分の心に頼るもの

これからの姿は、すべて聖書でいう “愚か者” です。


知恵がない愚か者なんです。


また、どこかで「こんな自分じゃダメだ」「直さないとな」と思っていませんか?


もし、それすらも思っていないのならば 心の姿勢に問題があります。

愚かなまま生きていると、その道は命の道には繋がっていないですし、心にも平安がないです。



一方で、知恵を持ち、賢く生きることができれば、あなたは次のようになります。


  • 安全に住まい、わざわいをおそれることもなく、安らかである
  • たましいが楽しんでいる
  • 悪の道やねじれごとを言う者から救い出される
  • いのちの年と平安が増し加えられる
  • からだを健康にし、骨に元気をつける
  • 恐れがない
  • 休む時、眠りが心地いい
  • 主がおられ、守ってくださる
  • 主から恵みをいただく
  • つまずくことがない
  • 高められ、ほめられる

これらはいずれも聖書で書いてある「知恵のある人」の姿です。






私たちは “なんとなく” 何も考えずに生きるのではなく、もちろん「愚かな者」として生きるべきではなく、知恵のある者として生きなければなりません。


それは自分自身にとっても、周りの人にとっても、神様の目にとっても有益なことであり、望まれることであるからです。


それでは知恵を得て生きるには どうしたら良いのでしょうか。

人間を造られた神様が、一番 人間がどう生きていけば良いかをご存知であります。


例えば、iPhoneを作った人が、一番iPhoneの使い方を知っています。



それと同じように、私たちを造られた方が 一番私たち自身や生き方もご存知なのです。


その神様の御言葉を聞き、また実践することは、私たちが生きるべき方法を知り、人間らしく、神様によって造られた者として生きることです。



神様は、私たちに このようにおっしゃっています。


【ヤコブ1章5節】

あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、その人はだれにでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。

神様は私たちに “求めなさい” とおっしゃっています。

私たちは神様に「知恵を与えてください」と願うべきであります。


何か問題にぶつかった時や、それだけではなく、日常生活を生きる私たちは あらゆる瞬間にこの “知恵” を神様に求めるべきなのです。



聖書には、今までで誰よりも一番知恵と知識を持ち、そしてこれからの未来でも彼にまさる者はいない と言われている人物がいます。


それはソロモンです。

ソロモンはダビデの息子であり、王でもありました。


聖書では、どのようにソロモンが知恵を得るようになったかを はっきり記録しています。


それは もちろん神様からでした。


【第1列王記3章3-14節】

ソロモンは主を愛し、父ダビデのおきてに歩んでいたが、ただし、彼は高き所でいけにえをささげ、香をたいていた。

王はいけにえをささげるためにギブオンへ行った。そこは最も重要な高き所であったからである。ソロモンはそこの祭壇の上に一千頭の全勝のいけにえをささげた。

その夜、ギブオンで主は夢のうちにソロモンに現れた。神は仰せられた。「あなたに何を与えようか。願え。」

ソロモンは言った。「あなたは、あなたのしもべ、私の父ダビデに大いなる恵みを施されました。それは、彼が誠実と正義と真心とをもって、あなたの御前を歩んだからです。あなたは、この大いなる恵みを彼のために取っておき、きょう、その王座に着く子を彼にお与えになりました。

わが神、主よ。今、あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。しかし、私は小さい子どもで、出入りするすべを知りません。

そのうえ、しもべは、あなたの選んだあなたの民の中におります。しかも彼らはあまりにも多くて、数えることも調べることもできないほど、おびただしい民です。

善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」

この願い事は主の御心にかなった。ソロモンがこのことを願ったからである。

神は彼に仰せられた。『あなたがこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、

今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたのあとに、あなたのような者も起こらない。

また、あなたの父ダビデが歩んだように、あなたもわたしのおきてと命令を守って、わたしの道を歩むなら、あなたの日を長くしよう。

【第1列王記3章11-12節】

神は彼に仰せられた。『あなたがこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、

今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたのあとに、あなたのような者も起こらない。

この世の誰よりも知恵を持ったソロモンが書いた知恵の書が、“箴言” と “伝道者の書” です。



箴言には、生活や人生を通して、神様から得た知恵について書いてあり、


伝道者の書には、誰よりも富と権力があり、ありとあらゆる楽しみをし尽くした上で、ソロモンが感じたこと、それはすべてを得たとしてもむなしく、結局は神様をおそれること こそが、一番人間にとって大切なことであり、一番すべきことだと伝えている本です。



本日は特にその箴言から「知恵」について見ていきます。




知恵とは?




この知恵とは一体何なのでしょうか?

この「知恵」とは頭の中で知っているだけの「情報」とは異なります。


特に、ヘブライ語での「知恵」は、実際に使われることを前提として、適用(実践)するところまでを含んでおります。


つまりは、「知っているだけ」ではなく、「知っている生活に役立つ知識を実際に取り入れて行うこと」こそが、「知恵」なのです。



例えば、いくらテニスのやり方を本や動画で頭に知識として叩き込んだところで、実際に体を動かして練習を積まない限り、テニスは上達しませんし、それは “知っている” だけで何も使い物にはならないのです。


私たちも「知恵」を知っているだけで、実際に私たちの生活に、その「知恵」を取り入れない限り意味がないものです。



それでは、実際に私たちが生活に取り入れるべき「知恵」の一番土台となるところを見てみましょう。



【箴言1章7節】

主を恐れることは知識の初めである。愚かな者は知恵と訓戒をさげすむ。

【箴言9章10節】

主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。



ここで、知恵と知識は同じようなものとして扱われていますが、まず この知恵を得るために必要なことは「主を恐れること」です。


ここでいう「主を恐れること」とは、「神様は怖い人。ひどくて厳しくて恐怖を感じる。」という意味ではなく、「かしこまる」という意味での「おそれる」です。


つまりは恐怖心からではなく「神様は偉大だな。すごい方だな と、ひれ伏すこと」です。



例えば、子どもであるならば 学校の先生は権威があって、先生の前ではシャキッとしたり、会社で働いている人の場合は、上司や、社長、会長の前では「ちゃんとしよう」と思うことと似ています。


あまり先生や会社の上司などに良いイメージがない方は、あなたが憧れている人や、すごいなと思う方、お偉い人の前ではかしこまって、きちんとしようとなりませんか?

それと似たような感覚でもあります。



また、この「おそれる」という言葉には、「礼拝する」という意味も含まれています。


つまりは神様を知り、関係を築き、偉大な方であると悟り、その方の前でちゃんとしようと思い、また礼拝する事こそが、真の知恵を得る第一歩と言えます。


知恵は神をおそれることから始まり、神様の御言葉を通して知恵は与えられる。

また、聖書にはキリスト自身に知恵がすべて隠されていると書かれてあります。


【コロサイ2章3節】

このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。

知恵を持って生きるということは、キリストを知り、キリストが歩んだように歩むことです。


キリストこそが唯一完全な人間であり、神様であった方です。

このキリストを通して私たちは知恵を得るべきなのです。


また、人にとっての究極の知恵は、私たちが人生で一番大切なもので必要不可欠であり、いのちを与える「イエス様の十字架」を知り、そこにある救いを受け入れることです。



これこそが、人が生きる上で一番大切なものであり、生きるために なくてはないものであります。


この福音を聞き、知り、受け入れ、イエス様とともに生き、イエス様が歩まれたように歩んでいく事こそが一番知恵のある姿なのです。


その究極の知恵を得たうえで、私たちは日々の生活で出会う様々なシーンで必要な知恵を得るべきであります。


箴言やイエス様の姿が描かれている福音書、その他の聖書箇所の様々なところに私たちが日々必要とする「知恵」が書かれてあります。


その聖書を開きながら、自分がどう生きていくべきか、家族の中で、会社の中で、友達の輪の中で、教会の中でどう知恵を持って振る舞うべきかを学び続け、それを実践する事こそが 私たちの日々の目標とすべきではありませんか。



知恵が足りないですか?


―― 神様に求めてください。


逆にあなたは自分自身を 知恵のある者と思っているのですか。


【箴言3章5-8節】

心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。

あなたの行く所どこにおいても、主を求めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

自分を知恵のある者と思うな。主を恐れて、悪から離れよ。

それはあなたのからだを健康にし、あなたの骨に元気をつける。

それは神様が求める姿ではありませんし、真の知恵を持つ者とも言えません。


神様に知恵を求めましょう。



まずは神様を知り、偉大な神様の前でおそれかしこまり、礼拝しましょう。

神様が教えてくれる御言葉を読み、受け止め、生活で実践しましょう。


もし、御言葉を聞いたり読んだりして、たくさん知っていたとしても「実践しない」ならば意味がないのです。



どんなにダイエット方法をたくさん調べて、たくさん知っていたとしても、実際に実践しない限り 痩せないのです。


同じように「知恵」を頭で持っていて、「実践しない」ならば意味がないのです。

本当の意味で知恵を持つということは、知恵を持ち、それを実践するということです。


また実践をして、すぐ元の愚かな姿に戻るのは、せっかく痩せたのに、すぐリバウンドする人と同じです。


あなたは今のそのままの姿で良いですか?


それとも、知恵を聞き、受け入れ、実践し、知恵のある者へと変わっていきたいですか?


今日から知恵を実践し、神様の前で「知恵のある者」として認められるように一緒に変わっていきませんか。
アーメン (・∀・)


2019.2.3
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会



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神への義務

テーマは 『 神への義務 』 です

【箴言1章7節】

主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。

創造主である神は すべてのものを、目的をもって創造しました。


例えば 太陽と月を創造した目的は、創世記1章14-18節にあります。


【創世記1章14-18節】

神は仰せられた。「光る物が天の大空にあって、昼と夜とを区別せよ。しるしのため、季節のため、日のため、年のためにあれ。

また天の大空で光る物となり、地上を照らせ。」そのようになった。

神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼をつかさどらせ、小さいほうの光る物には夜をつかさどらせた。また星を造られた。

神はそれらを天の大空に置き、地上を照らさせ、

また昼と夜とをつかさどり、光とやみとを区別するようにされた。神はそれを見て良しとされた。

太陽も月も 創造の時から今まで、神の目的通りに動いて 神への義務をしっかり果たしています。

1分でも勝手に動いたことがありません。


人間も、神が特別な思いと目的があり造りました。

人間を造る時の神の思いと目的が書いてあるのが創世記1章26-28節です。


【創世記1章26-28節】

神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」

神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。

神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」

そして、別の目的もありました。


【イザヤ書43章7節】

わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。

人間のために人間が造られたのではなく、神ご自身のために造られたのが、“人間” でした。


ですから人間には、神が決めた “神への義務” があります。

他のすべての被造物は、何の問題もなく神への義務を果たしているのに、人間だけが義務を果たさず、逆らって生きるので、他の被造物までも苦しんでいます。


神の存在、自分の存在意味も知らないで生まれて死ぬ人がたくさんいます。


そうならないために、今回は “人間が果たすべき神への義務が何か” を話したいと思います。




神を恐れること




今日の本文である “主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。”


神を恐れることは、奴隷が主人を恐れる時の恐れではなく、神を自分の創造主として認め、その方だけに絶対的に仕える姿勢です。
また神の意志に服従することです。


【ヨブ記28章28節】

こうして、神は人に仰せられた。「見よ。主を恐れること、これが知恵である。悪から離れることは悟りである。」

【詩篇111編10節】

主を恐れることは、知恵の初め。これを行う人はみな、良い明察を得る。主の誉れは永遠に堅く立つ。

頭がよく、何でも知っている人が知恵ある人ではないです。

自分が何のために造られたのかを知らない人は “愚か者” です。


聖書はそれを知らない人は、悟りを得ていない人と言います。


【詩篇49編20節】

人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅びうせる獣に等しい。

この人たちは神の存在も知らないですし、神への恐れもなく、神への義務も知りません。

しかし悟りがあって、神への義務も知っている人は、神への恐れがあります。


ダビデは、自分のことも神の存在も知りました。

ですから告白が違います。


【詩篇57編11節】

神よ。あなたが、天であがめられ、あなたの栄光が、全世界であがめられますように。

神への義務も果たし、神に栄光もささげました。

神は彼を主の心にかなう者だと言われました。




心を尽くして主に拠り頼むこと




【箴言3章5節】

心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。

神は、人間には自由意思を与えましたが、それは何でもして良いという自由ではありません。


最初の人間であったアダムに、そのことを知らせました。

創世記3章15-17節で、アダムにして良いことと、してはならないことを命令しました。


【創世記2章15-17節】

神である主は人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。

神である主は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。

しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」

しかしアダムは サタンの誘惑のことばに惑わされて、神を信頼せず、すべてを任せることもせず、自分の悟りに頼りました。

そして神のようになろうとして、神への義務を捨て、神に逆らいました。


その結果、世界に罪と死が入り、神との関係が壊れ、土地が呪われ、エデンの園からも追い出されました。


他の被造物は神へ義務を果たしているのに、人間だけが義務を果たさず違反行為をして堕落してしまいました。

今も 自分の悟り、力、お金、権力、人、偽りの神に頼って生きている人が多いです。


しかし、人間は 心を尽くして主に拠り頼みながら生きていかなければなりません。


それが人間に与えられた神への義務だからです。


神を無視し、他の者に頼って生きることは、神から見た時に 神への侮辱であり、神を軽んじる行為になります。




どこにおいても主を認めること




【箴言3章6節】

あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。

このことばは、私たち人生のあらゆる部分において神を認め、神を敬うことを意味します。


神を認めることは 知識として認める意味よりは、主との深い交わりを通して 人格的に主を知ることです。


礼拝の時、危険な時、困った時だけ神を認めるのではなく、いつも神が主権者であることを認めることです。


そうするならば神は私たちを導いて下さいます。

自分の生活すべてにおいて 主を認めることは、“神への義務” です。




財産と収穫の初物で主をあがめること




【箴言3章9節】

あなたの財産とすべての収穫の初物で、主をあがめよ。

神を恐れる、認めることを、口先だけでするのではなく、どのように実践するかを具体的に教えた箇所です。


神は自分の倉を満たす前に、まず神の倉を満たすように語りました。

なぜでしょうか?


それは、すべてのものは主が与えた恵みであることを認め、感謝する意味もあります。


アベルのささげものと カインのささげものを神が区別して、アベルのささげ物は受け入れ、カインのものは受け取らなかった理由が、創世記4章3-4節にあります。


【創世記4章3-4節】
ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来たが、

アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最良のものを持って来た。主はアベルとそのささげ物とに目を留められた。

アベルにあって カインには なかったものがありました。


初子、最良のもの、自分自身がカインにはありませんでした。

カインが持って来た作物が何かは分かりませんが、“何本かの人参” だったかも知れません。


あらゆる作物から最高に良いものを選んで持って来たならば、神は受け入れたと思います。

神へのささげものに、真心も恐れもないことが分かります。


日本でも皇室に入るものは、スーパーで安売りするものでしょうか?

それはあり得ないことだと思います。

きっと最高に良いものを入れると思います。


すべてのものを作ったのは 主ですから、所有者も 主に間違いありません。


主のものを主の倉に先に入れず、全部自分のものにしたり、残りのものをささげることは主にふさわしいことでしょうか?


それを簡単にやってしまうのが、人間です。

「神様は、私の困った事情を知っているでしょう」と言いながら、神にはささげず、自分を優先にします。


財産と収穫の初物を神にささげるのは “神への義務”です。


神はその義務を果たす人に、このような祝福を与えると約束しました。


【箴言3章10節】

そうすれば、あなたの倉は豊かに満たされ、あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれる。

神の倉を先に満たす人に 神が約束した祝福です。

ささげないと その祝福を受けることが出来ないです。




主の懲らしめをないがしろにしてはならない




【箴言3章11-12節】

わが子よ。主の懲らしめをないがしろにするな。その叱責をいとうな。

父がかわいがる子をしかるように、主は愛する者をしかる。

主の懲らしめは、主の怒りの現れではなく、“神の愛の現れ” です。


愛する者から汚れや堕落を防ぐため、間違った行動を矯正するために 懲らしめを与える時があります。

その時、神に反抗したり、不従順したりするのではなく、反対にへりくだって 神のことばを聞くのが 神への義務です。


子どもが悪いことをしても 親が何も言わないなら、親の義務をないがしろにしたことになります。

親が子どものために叱るのに、子どもが言うことを聞かない場合は、子どもが親に従う義務を果たしていないです。


私たちは 神が私たちを懲らしめる時、それが神の愛の表現であり、神の恵みの手であることを知って 神に聞き従うことです。


もし ないがしろにするならば、神の愛は 怒りに変わります。

その時は厳しい目に会いますので、気をつけないといけないです。


このように人間は 誰であれ、神に対して行うべき義務があります。


それを行っている人と、行っていない人に対する 神の扱い方は全然違います。


箴言を書いたソロモンは、神への義務を熱心に果たした時もありましたし、堕落した時もありました。

両方を経験したソロモンが、結論として語ったことばがあります。


【伝道者の書12章13-14節】

結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。

神は、善であれ悪であれ、すべての隠れたことについて、すべてのわざをさばかれるからだ。

主の再臨を準備する人は、主への義務を 日々果たしていなければなりません。

もう一度点検してみて下さい。
(☆゚∀゚)


2017.8.20
聖日礼拝メッセージ

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失敗から学ぶ

テーマは 『 失敗から学ぶ 』 です

ハレルヤ。

今日も主の守りと平安がありますように祈ります。


失敗や過ちを犯したことがない人間は、1人もいないと思います。

完璧主義者は失敗がないでしょうか?
世の中に完璧な人間など存在しないので、それは そう思っている人の錯覚だと思います。


何の基準で自分を完璧主義者だと自任するでしょうか。

私たちはむしろ「私は弱くて、惨めで、失敗の多い人間である」と認めましょう。


それが本来の人間の姿です。

選ばれて神の働きをしたすべての人たちにも失敗がありました。

それを見て、私たちは失敗しても良いんだと思うのではなく、なぜそういう失敗があったのかを調べることです。


人の失敗を見て、同じことをする人は愚か者です。


しかし、失敗から学ぶ者は、同じ失敗はしないです。

警戒して自分を守るからです。


イスラエルの初代大祭司はアロンでした。

モーセの兄で、神様は彼に大切な働きを任せました。


礼拝をつかさどる大祭司の働きで、神の前で仕える働きでした。

しかし、彼がやってしまった大きな過ちがありました。


【出エジプト記32章3-4節】

そこで、民はみな、その耳にある金の耳輪をはずして、アロンのところに持って来た。

彼がそれを、彼らの手から受け取り、のみで型を造り、鋳物の子牛にした。彼らは、「イスラエルよ。これがあなたをエジプトの地から連れ上ったあなたの神だ」と言った。

なぜ、このようなとんでもない大きな過ちを アロンは犯したでしょうか。

発端は、民からの要求でした。


モーセが神に会うため山に入り、帰ってくるのが遅くなった時に、民はアロンの所に来て「私たちに先立つ神を造ってください。モーセというものがどうなったのか私たちにはわからないから。」

民の態度はとても横柄でした。


たくさんの神の奇跡を見たにも関わらず、また散々モーセの世話になったにも関わらず、簡単に背を向けました。

しかし、一番の失敗はアロンの態度でした。


指導者が民の犯罪の要求に対して受け入れることは、その民に呪いを受けさせることになります。


強く断って彼らの罪を指摘しないといけないのに、自分の立場と利益のために要求を受け入れました。

人を恐れると罠にかかります。


神の義は、いのちを懸けても守る価値がありますが、アロンは民の要求を断ることが出来ず、神の義を捨てて、みことばに反することを行いました。

そして、神が禁じている最も忌み嫌う偶像を造りました。

祭壇を築き、「明日は主への祭である」と、自ら率先して偶像崇拝を導きました。


しかし、そのことで神の怒りが彼らの上に激しく注がれるようになりました。


私たち神を信じる者は、神だけを信じ、神だけに仕えることです。

神の民は、神の民らしく、神のことば通りに生きることを悟って、社会的雰囲気や環境の要求のために神のことばに逆らう罪の道から離れなければなりません。


また人を恐れるのではなく、神を恐れて、失敗や過ちを犯すことがないようにしましょう。
( -д-)ノ

2016.1.22
3分テレフォンメッセージ

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イエス・キリストの十字架とあなたはどんな関係ですか

テーマは 『 イエス・キリストの十字架とあなたはどんな関係ですか 』 です

【Ⅰコリント1章18節】

十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。

今日は教会歴においてはシュロの日です。

イエスは十字架にかかるためにエルサレムに入りました。
それを知った人々は、今度こそイエスがユダヤの王になると思って、大歓迎しました。


その時、人々はシュロの木の枝を取って、出迎えのために出て行き、
“ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。”と大声で叫びました。


その日をシュロの日と言います。


人々にとっては これから自分たちに何か良い事が起こるという期待が大きかったです。
しかしイエスにとっては 苦難の十字架の道が始まる日でした。

それを知っているのはイエスご自身だけでした。

十字架が見えていない時は イエスは人々に歓迎されましたが、十字架が見えた時から人々の反応が分かれ始めました。

十字架に対して人々はどのように変わっていったでしょうか。


そして、みなさんはイエス・キリストの十字架と どのような関係ですか。




1.十字架を愚かと思い、毛嫌って呪う人




「十字架??あれは凶悪な犯罪人が受ける罰ではないか。」

「何だ、あの人は神でもないのに、自分のことを勝手に神と言い、人を惑わした者だったのか。神を冒涜した人は死ななければならない。騙されたことが悔しい。これ以上は騙されないぞ。」


このように怒りが込みあげてきた人たちは激しく叫びました。


「除け。除け。十字架につけろ。カイザルのほかには、私たちには王はありません。」と、世の王を自分たちの王として選び、まことの神を殺してしまいました。


キリストを十字架につけた彼らは 十字架で苦しんでいるイエスを見て、あざ笑って言いました。


「あれは他人を救った。もし神のキリストで、選ばれた者なら自分を救ってみろ。」

「おお、神殿を打ち壊して三日で建てる人よ。十字架から降りて来て、自分を救ってみろ。」

「他人を救ったが、自分は救えない。キリスト、イスラエルの王さま。今十字架から降りてもらおうか。われわれは、それを見たら信じるから。」


このように偉い人たちも十字架にかかったイエスを呪いました。


世の基準で見る十字架は 彼らにとっては犯罪人、呪われた者、愚かな生き方をした者、生きていては困る者たちが死んで当然な場所なので、絶対受け入れることが出来ないものでした。


彼らは自分たちの知恵に頼って、それで満足して、十字架を信じるどころか、拒絶反応を起こして呪います。

死んでも関係を持ちたくない と十字架を遠くに投げる人たちです。




2.十字架に無関心な人たち




「あの人は悪いことをしていないと思うよ。毎日 病人を癒し、奇跡もたくさん行ったし、まじめで優しいし。」

「十字架にかかるとはかわいそう。あの人を殺すなんて悪いことをしたな。」

「生かしておけば もっともっと奇跡が見られたのに。病人が助かるのに もったいない。」

「良い人だったのに もういなくなった。でもどうして神と言った人が十字架にかかって死んだのだろう。」

「意味が分からない。もう死んでしまったから忘れよう。」


このように十字架のイエスに対して無関心に生きる人たちがいます。


「別にいなくても困ることはないし、あの十字架とはもう関わりたくありません。」

「他にも信じているものがあるし、あんな死に方をした人を信じるのはちょっと…。」

「もう良いです。自分も救えなかったでしょう。あの人より立派な働きをした人もたくさんいるし。」


キリストの十字架を “無力” だと思って、他に頼れるものを探して、それに目を向けて自分の都合の良いように生きている人が一番多いです。


この世がすべてで、この世で利益をもたらしてくれるならば 魂でも平気に売る人たちにとって、十字架は関わりたくないものです。

「神のことも、罪のことも、悔い改めのことも、地獄の話も聞きたくはない。別に要らない。」と十字架とは無関係に日々生きています。


私自身も信じる前はそのような者でした。
十字架はキリスト教会のシンボルでしか考えたことがなく、イエス・キリストが死んだ十字架だとしか思いませんでした。

なぜ死んだのかと一度も考えたこともなく、キリストの十字架に対して考え始めたのは信じてからでした。

それまでは自分にとって十字架はまったく関係のないものでした。




3.キリストの十字架から目を離さない人々




実際にキリストが十字架にかかった時、十字架の真の意味を知っている人はイエス・キリスト本人以外には誰もいませんでした。

弟子たちも主の母であるマリアも知りませんでした。

キリストは一人で孤独に死んでいきました。


医者たちが、“キリストがどのくらい苦痛を味わったのか”を医学的に検証しました。

その話を聞いた時に、私たちの想像をはるかに超える痛みでした。


汗が血のしずくになるまで祈った時から、体の中ではストレスで血管が破裂していました。

裸にされてローマの兵士たちが力強く打ったむちで肉が裂かれ、神経が痛み、骨までも見えたと言います。

出血によって歩くことが出来ないほどの貧血状態に陥るとも言われました。


十字架の上ではさらに激しい痛みがあり、息をするたびに全身に鋭い痛みが走るので、ことばでは言い表すことが出来ないほどの痛みだと聞きました。

その激しい痛みの中でもイエス様は自分を十字架につけた人々を赦しました。


そして、涙を流しながら十字架を見上げる人たちがいました。
十字架の意味はまだ分かりませんが、主を愛して主に仕えていた人々でした。

たとえ人々がイエスを激しく呪っても、その人たちは主が与えて下さった恵みが忘れられません。
その愛を裏切ることが出来ません。ただ涙を流しながら、主の死を悲しんでいました。






私自身、何日間も ずっと心の中で流れていた賛美がありました。


韓国の賛美ですが、「主はなぜ私を愛したのか。なぜ私のためにカルバリに登らなければならなかったのか。なぜ私のために十字架にかからなければならなかったのか。」という歌詞です。

そうしたら その賛美の中にペテロもパウロも入って来た思いがしました。

彼らも同じ賛美をしているように感じました。


【 ペテロ 】

「主を三度も知らないと裏切った私をどうして赦し愛しておられますか。なぜ私を愛し、十字架にかかりましたか」


【 パウロ 】

「主を嫌い、教会とあなたと信徒たちを迫害した私をどうして愛して、私の罪のために十字架にかかりましたか。」


私も言いました。

「自分勝手に生きて神様を悲しませた私、多くの罪を犯した私をどうして愛して下さったんですか。なぜ主は私のためにカルバリに登らなければならなかったのですか。」

繰り返し心の中で賛美しました。


なぜ私が主に愛されているのか、なぜ私が赦されているのかがわかりません。
その愛から離れることが出来ないから主の十字架を見上げています。


主の赦しが十字架から流れるので主の十字架を離れることが出来ません。

「主よ。なぜ罪のない方が罪人である私のためにその激しい苦しみを受けなければならなかったのですか。」
罪赦して下さる十字架のキリストから離れて行く所がありません。


目が開かれ十字架に隠された恵み、祝福、神の力が見えてきました。

イエスが罪人ではなく、犯罪人でもなく、死んで当然な人でもなく、人を騙す者でもなく、生きてはいけない人でもなく、神を侮辱した人でもなく、自分を救えない人ではないです。


キリストを十字架につけた偉い人たちや呪った人たち、無関心であった人たち、知らなかった人たちや私たちが 本当は主がかかった十字架にかからなければならない者です。


自分に代わって死んで下さった方を愚か者と思っている人がいるならば、その人は世界一愚か者です。

キリストを侮辱するものは神を侮辱する者で、罰を免れることはありません。


もう一度十字架を見て下さい。
愚かに見えますか。関わりたくない十字架に見えますか。

それとも十字架を見て、「なぜ私を愛して十字架にかかりましたか」と涙が出てきますか。
。゚(゚´Д`゚)゜。

2015.3.29
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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