からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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悔い改め

十字架を負って歩む人

テーマは 『 十字架を負って歩む人 』 です

【ルカの福音書9章23-25節】

イエスは、みなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。

人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。

救世軍の創設者であるウィリアム・ブース牧師は、1921年に21世紀教会に対して心配しました。

今から100年前に何を心配したでしょうか?

六つありました。


1. 聖霊のいない教会

2. キリストのいないキリスト教

3. 生まれ変わりがない救い

4. 悔い改めのない赦し

5. 神のいない政治

6. 地獄のない天国


いま世界を見ると、これらのことばが あり得ない話ではなく、実際そのようになってしまった教会も多いです。


あいまいな教え、十字架のないメッセージ、妥協してしまった真理、罪も悔い改めも天国も地獄も語らず、肯定的思考、哲学、道徳、倫理の教えが流行っています。


どんなに素晴らしい教えであっても、キリスト信仰の本質であるイエス・キリストが抜けているならば、それはキリスト教信仰ではありません。


そして十字架を負わない信徒も 主の弟子にはなれないです。

主の弟子は、日々自分の十字架を負って歩む人です。


イエス・キリストの 人としての人生も、自分を捨て、自分の十字架を負ってまっすぐに歩んだ人生でした。


十字架にかかるために生まれ、十字架を負い、十字架の上で死なれました。

なぜでしょうか。

そこにはキリストとしての使命がありました。


人類を罪から救うため 神が立てた計画は、罪のない神の子キリストが 罪人の代わりに十字架の上で死ぬこと でしたので、最初からその十字架を負うために 地上に遣わされました。


そして神はキリストを死からよみがえらせ、天の御座にあげて、すべてのものがその前にひざをかがめるようにしました。


勝利も いのちも 神の国も 主の弟子として使命を全うした人に与えられるものです。

十字架を負って勝利した主は、私たちにも “主の弟子になるために十字架を負う” ように言われました。


イエス様には イエス様の十字架があるように、救われた者は弟子になって、自分が負うべき十字架を負わなければなりません。


これは とても大切なことですが、十字架を語らない教会、十字架を負わせない教会、十字架を負わない信徒たちが多いです。

教会の責任もあり、信徒の責任もあります。


出来るだけ多くの人々を集めることが目標である教会は、信徒たちを まるで “お客様” のように扱います。


お客様を大事にして、お客様が欲しいものを備え、お客様を喜ばせるために色々なイベントを催します。


「楽しんで下さい。何もしなくて良いです。ゆっくりして下さい。」と言います。

負担になる話もしないですし、奉仕もさせないです。気楽に参加して気楽に帰れるように配慮します。


それで人が集まると、教会がリバイバルしたと喜びます。


それが、主の求める弟子の姿であり、リバイバルでしょうか?

弟子はなく、お客さんだらけの教会が、“主の教会” でしょうか?


聖書を読んでみても、そのように教えた箇所は一つもありません。






信じることも、主の所に来ることも 難しいことではありません。


しかし主について行きたいと願うならば、話は違います。


その道は 主が言われるようにしないと、ついて行けない道です。


ですから そのようにしていない人は、弟子ではなく “お客さん” です。

本人がそれに甘んじています。


天国は お客さんを招待する所ではなく、主に従ってきた人が勝利者として入る所です。


私たちは騙されてはいけないです。

広い道を お客さんとして楽に歩いた人に、天国は保証されていないです。


キリストは「楽な道を 楽に歩くのではなく、険しい道を 十字架を負って歩きなさい。」と言われました。


その道を主も歩きました。

ついて行く人に他の道はありません。

キリストは、弟子になる者に 主について来たいならば こうしなさいと言われました。



「自分を捨て」と言われました。

十字架を負って 主に従うための一歩が、自分を捨てることでした。


自分を捨てることは、自我を捨てることです。

人間が最後まで捨てずに固執しているのは “自我” です。


思考、意志、やり方、性格、行動、計画など自分が優先、自分が主人であるという自意識です。


これを否定することが「自分を捨てる」ことですが、自我はなかなか素直に従いません。

神のことばに一番反抗するのも、この自我です。


自我を捨てず、死ぬまで主の働きをすることは出来ます。

しかし、その人の内面は信じる前と何も変わっていないです。
見た目は 信じる人に見えても、その人自身は変わっていないです。


弟子のように見えて、弟子ではないです。


自我を捨てなかったなら、人間は変わることも、十字架の道も歩けないです。


イエス様が神でありながら、人間になって十字架の道を歩けたのは自我を完全に捨てたので可能でした。


【ピリピ2章6-8節】

キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、

ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、

自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。

自分を捨てない人が、イエス様を 自分の主人にすることが出来るでしょうか。


私たちが自分を捨てることは、自分の主人を変えることであり、主のことばに従って日々聖なる者に変わっていくことです。


最近 中国で大規模な軍事パレードがありました。

内モンゴル自治区でも 北京でも1万2千人の軍人が参加しました。


内モンゴルでの習近平国家主席の演説だと思いますが、軍人たちに向けて「共産党のために永遠に仕え、命をささげるように」というようなことを語りました。

中国には230万人の軍人がいます。


彼らは共産党にために、国のためにいのちを捨てると思います。

その思いがないと、最初から軍人にはならないと思います。


その演説のことばや軍人たちの姿を見て、あることを ずっと考えていました。

「私はどうなのか ――」と。


共産党のために若い軍人たちがいのちを懸けているのに、私は主のためにいのちを懸けているのかと。


皆さんはどうでしょうか?主のために何が出来ますか?

なかなか答えられないと思います。


なぜなら主のために何が出来るかよりは、“主が 私のために何をしてくれるのか” に もっと関心があるからです。


これは弟子の姿ではなく、お客さんの姿です。


お客さんは自分を満足させてくれることだけを期待します。

しかし弟子は、主を満足させることだけを考えます。


軍人であるならば、命をかけて国のために戦います。

誰かが自分のために戦ってくれることを期待しません。

自分が誰かのために戦います。


それが、彼らが負っている使命の十字架です。


築地市場の火災現場では、消防士たちが一生懸命に消火活動をしていました。

建物の中が激しく燃えているのに、ある消防士が「中に入りましょう。」と声を出しました。


その後、消防士は火の中に入って行きました。

それが、彼らが負っている使命の十字架です。


軍人にふさわしく、消防士にふさわしくなり、その働きをするのが彼らの使命であり、彼らはそのために全力を尽くします。


主について行きたい人も、それにふさわしい者にならないといけないです。


弟子にふさわしい者になるためには 自分を捨て、弟子としての使命の十字架を負わなければなりません。


パウロは主について行く者になりました。

それをこのように表現しました。


【第1コリント9章23-27節】

私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。

競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。

また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。

ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。

私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。

彼はキリストにあって全く新しい者になり、きよくなり、数々の苦難と迫害の中で、自分の十字架を負って弟子の姿になり、勝利者になりました。


【第1テモテ6章14節】

私たちの主イエス・キリストの現れの時まで、あなたは命令を守り、傷のない、非難されるところのない者でありなさい。

このように言われてありますが、自分を捨てず、十字架を負わず、死ぬまで お客さんとして満足していますか?

それとも主のことば通りについて歩きますか?


いのちも勝利も救いも最後まで主について行くものが手にすることが出来ます。


十字架を負った者が勝利の主と喜ぶことが出来ます。
v( ̄∇ ̄)v


2017.8.6
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会


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もし愛がないならば

テーマは 『 もし愛がないならば 』 です

【第1コリント13章1-3節】

たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。

また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。

また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。

今日のことばは、心にしっかりと止めないと 後に大変なことになります。


愛がすべてのいのちの源で、愛があれば価値があり、命があるのに、愛がないなら いのちも価値もないことを教えています。


みことばを知って本気にしていましたか?
それとも、今まで頭に入れただけでしたか?


この愛の価値と重要性は すでにイエス様から聞いています。


【マタイの福音書22章36-40節】

「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」

そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』

これがたいせつな第一の戒めです。

『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。

律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」

このように、“大切な愛” に対して、人々は軽く考えますが、主は決して愛を軽く考えたことがありません。


いつか私たちは、主の前に立って、主から裁きを受けます。


その時、神の裁きの基準も、“私たちが神を愛したのか、隣人を愛したのか” が一番の裁きの対象になります。


そこで人々は戸惑うでしょう。

愛が裁きの対象になるとは考えなかったからです。


この世では そういうものが裁きの対象には全くならないです。


しかし神は 人の心を見る方です。

行動の内側にある目的や動機に目を向ける方です。

そして、しっかりと調べる方です。






もし、私たちが熱心に主の働きをしても、そこに愛がないならば どうなりますか。


“異言、預言、知識、完全な信仰” などは、聖霊の賜物であり、“善行、献身” などは それによって現れた実でもあります。


神が下さった素晴らしい賜物で、良い実を結ぶことは主が喜ぶことです。


主が喜ぶことをしたにも関わらず、ある人々の働きは評価されません。

その理由として挙げられたのが「愛」でした。


本文にもあるように、その人の中に愛がないならば、何の値うちもないものと評価されます。


聖徒は神の働きをすれば、当然良い報いを受けるものだと期待しますが、神は みんなが同じ報いを受けることはないと教えました。


反対に厳しい目に会う者もいることを語りました。


【マタイの福音書7章22-23節】

その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。』

しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』

大いに期待した者たちが報われることもなく、悲惨なことに追い出されることになりました。

どのような理由で追い出されたと思いますか?


彼らに愛がなかったからです。


彼らは最初から愛がなかった者でしたか?
―― そうではないです。

彼らはみな、神を愛して神に従いました。


しかし、主の働きをしていく中で、彼らの愛が変わっていきました。

最初は主を愛し、魂を愛して一生懸命働きました。


しかし働きが続く中で、教会が大きくなるにつれて、彼らの愛が変わってしまいました。

そして心が主から離れるようになりました。


彼らは、教会や働き、自分自身をもっと愛する者になりました。

また ある者は富、ある者は世のもの、ある者は権力、ある者は快楽 を愛するようになりました。


表の働きには変化はありません。

しかし彼らは主への初めの愛から離れてしまいました。






エペソ教会に語った主のことばで確認することが出来ます。

エペソ教会は立派な働きをした教会でした。


信徒たちも熱心で、奇跡や賜物、みことばへの理解、霊的戦いなど すべてが揃った教会でした。


自分たちには 何の問題もないと思っていました。

しかし意外なことで主から非難されました。


【ヨハネの黙示録2章4-5節】

しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。

それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。

恐ろしいことばです。


燭台を取り外すことは、“教会を消す” という意味です。

なぜ、そこまですると思いますか?


教会はキリストの十字架の犠牲の愛によって出来た “愛の共同体” であり、神の愛を伝え、愛を実践する所なので、その力を失ったならば存在する目的がないからです。


なぜ、よく働いたクリスチャンたち、牧師たちの中で地獄に行く者がいますか?


彼らも最初は主を愛する者でした。

愛によって良い働きをしました。


しかし、途中から 彼らの愛が変わってしまいました。

イエス様よりも違うものをもっと愛する者になりました。


そして、死ぬまで それを愛し、悔い改めなかったので、彼らは地獄に行きました。

あり得ないことだと思ってはいけないです。



イエス様を一度裏切ったペテロに、再び使命を与える時に イエス様は何を彼に確認したでしょうか。

ヨハネの福音書21章15-18節 のことばの中にあります。


三度も主が彼に確認したことは、「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」でした。


主を一番に愛する心があるかどうかを確認しました。

主を一番に愛さず、働きをするならば、そこには別の目的があり、その人は結局 その目的のために働いたことになります。


ですからその働きは、主の働きにはならないので、主はそれを認めず、彼らは主とは関係のない働きをした者になります。


いま誰を一番愛していますか?

主ですか?
それとも、違うものですか ――。


この教会でも、主を愛さなくなった人たちがいます。

教会からも遠ざかりました。今、どこに向かっているでしょうか。


主を愛して奉仕をしていますか。

それとも別の目的があってやっていますか?


自分の心を点検してみて下さい。

あとで嘆くことがないように、初めの愛に戻るために悔い改めましょう。


役に立たないしもべにならないように、愛によって働きをする者になりましょう。
(・∀・)


2017.7.23
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本当に救われていますか?

テーマは 『 本当に救われていますか? 』 です

【使徒の働き2章36-42節】

ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」

人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。

そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。

なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」

ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って彼らに勧めた。

そこで彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。

そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。

長い間、教会に来ている人に、
そして 牧師や伝道師、教師、預言者、奉仕をしている信徒に「本当に救われていますか?」と誰が聞くでしょうか。


救われていると思うので、あえて聞くことはしないですね。


しかし、彼らがみな救われていると 誰が断言出来ますか?

実際は救われてもいないのに、救われたと勘違いして、教会に通い、そして働きをしている人もいます。


もしかしたら私たちの中にも 救われてない人がいるかも知れないです。


今日は一人一人が、「自分は本当に救われているのか」に対して考えたいと思います。







まずは、“救われること” は何でしょうか?


罪によってサタンの奴隷にされ、サタンの言いなりに生きていた人間が、神の福音を聞き、悔い改めて、神に立ち返り、神の恵みによって、そこから解放され自由の身になり、神の子どもになることです。


【ヨハネの福音書1章12節】

しかし、この方(イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

今日の本文は、人々が救いに導かれていく様子がありますし、救われた人々が その後に どのような生き方をしたのかが鮮明にしるされてあります。

彼らの姿は、確実に救われた人々の姿です。


もし自分は救われたと思っていても、彼らのような姿がまったくないならば、救われたと言えるでしょうか。


“救われること” ほど重要なことが人間にあるでしょうか。

これ以上に重要なことはないと思います。


永遠のいのちが懸かってありますから。


多くの人々は「救い」に関しては もちろん無関心ですが、救いを必要だと思って信じた人々の中にも実際は救われてない人がいるのが一番の問題です。


「本当に私は救われているのか。本当に天国に行けるのか。
主の再臨の時に携挙されるのか」


このことをよく考えながら生きている人は、目を覚ましている人です。


初代教会の信徒の姿は、本当に救われた人の典型的な姿です。

生活が神中心になり、礼拝中心になり、付き合う人も信徒たちに変わりました。


【第2コリント5章17節】

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

このことば通りに、古いものは過ぎ去って新しい者になりました。

これが救われた人の姿です。


この通りの姿が、初代教会の信徒たちからは見られました。

神の言葉に逆らって生きていた彼らが、今は神の言葉を堅く守る者になりました。


神との交わりもせず、遠く離れていた者が交わりをし、礼拝をささげ、祈りをささげ、神の中にとどまっていました。


毎日神と共に歩む生活をするようになりました。

これは古い人の時は想像も出来なかった生活です。


まったく新しい生活で、それを彼らは毎日喜んで続けていました。






このように皆さんも変わりましたか?


以前と同じ生活を今もしているならば、何を持って自分は救われたと言えますか?


キリストを知っているから、みことばを知っているから、礼拝を守っているから、それだけで自分は救われたと思っていますか?


救われたことは新しい者として生まれ変わったことですから、新しい生き方が必要です。


聖書にも書かれていないのに、神学者たちの解釈が、まるで真理であるかのように教会で教えたりすることは とても危険です。


真理は聖書にありますので、聖書を一番重視しないといけないです。


「ある神学者がこう言ったから、別に変わらなくても、このままの姿で大丈夫だ」 という教えは正しいでしょうか。


イエス様が律法学者たちに対して なぜあのように厳しかったと思いますか?

自分たちの考えから出た教えを神のことばより重視したからです。


自分たちの教えのために神の言葉を無にしたので、イエス様は非難しました。

こういうことが今も行われてあります。


「一度信仰告白したら何をしても天国に行ける」と 皆さんは信じていますか?


残念ながらそうではありません。

福音の門は広く開かれてありますが、救いの門は決して広くありません。


救いを、まるでバーゲンセールのように安売りする教理は 大きな間違いです。


【マタイの福音書7章13-14節】

狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。

いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。

これが聖書の教えです。


救いを安く売って大量に天国に入ることが真理ではなく、本当に救われる人は少ないのが真理です。


このことを語った後に すぐイエス様はこのように語りました。


【マタイの福音書7章15-16節】

にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。

あなたがたは、実によって彼らを見分けることが出来ます。ぶどうは、いばらから取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。

救いを安く売っている者は にせ預言者です。

救われてもいないのに、救われたと言う者、天国にも行けないのに、行けると言う者はにせ預言者です。


真理は 真理の実、偽りは 偽りの実を結びます。

サタンが蒔いた偽りの教えが、キリスト教の中にもたくさんあります。


耳に良いことばに騙されて、魂が眠ったままの信徒たちがたくさんいますし、今のままでも自分は救われているから平安だと安心しています。

しかし神のことばは 偽りを必ず暴きます。


バプテスマのヨハネが この偽りを見抜きました。


水のバプテスマを受けたから間違いなく天国に行けると思っている人は、よく聞いてほしいです。

水のバプテスマを授けていたヨハネのことばです。


【マタイの福音書3章7-10節】

しかし、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けに来るのを見たとき、ヨハネは彼らに言った。「まむしのすえたち。たれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。

それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。

『われわれの父はアブラハムだ』と心の中で言うような考えではいけない。あなたがたに言っておくが、神は、この石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。

斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。

有名な祭司や律法学者が自分の所に来る姿を見て、ヨハネは歓迎したでしょうか。


“悔い改めてもない者が 水のバプテスマを受けても無駄だ” と宣言していました。


宗教家であっても、神が望む悔い改めがなく、信仰告白と儀式だけでは救われないです。

悔い改めて新しく生まれ変わっていないならば、その人の所属は 相変わらずサタンの奴隷です。


ですから「まむしの子」と言われました。

彼らは良い実ではなく、いばらとあざみの実を結んでいました。


神は 人の心を見て、その人を判断します。


信仰告白、洗礼、悔い改め、そして聖霊によって生まれ変わったならば良いですが、そうでないなら、ただ “宗教をやっているだけ” で、未だに救われていないです。


「まむしの子」と言われた彼らが、後に何をしたでしょうか?

キリストを十字架につけた群れになりました。


悔い改めがきちんとされず、生まれ変わってなくても宗教生活は出来ます。

しかし、古い人が良い実を結ぶことは出来ないです。


救われているかいないかも 実を見て判断することが出来ます。


悪い木は悪い実を、良い木は必ず良い実を結びます。

これは変わることのない法則です。


悪い実を結んだ人に対して、さらに このような言葉もあります。


【ヘブル6章5-8節】

神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで、

しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることは出来ません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。

土地は、その上にしばしば降る雨を吸い込んで、これを耕す人たちのために有用な作物を生じるなら、神の祝福にあずかります。

しかし、いばらやあざみなどを生えさせるなら、無用なものであって、やがてのろいを受け、ついには焼かれてしまします。

焼かれる場所が天国でしょうか。

天国ではなく、地獄です。


救われた人は、生涯を通して救われた証明になる “良い実” を結ばないといけないです。


悪い実を結ぶことは最初から救われていないか、救われた後に堕落したかです。


救いの道に入ったことは 新しい人に生まれ変わったことですから、その時から良い種を蒔いて、良い実がなるようにしなければなりません。


相変わらず悪い種を蒔いて 悪い実を結ぶならば、古い人のままだと思います。

実がその人の実態を教えています。






本当に救われた人の姿を確認したいと思います。


【エペソ4章17-24節】

そこで私は、主にあって言明し、おごそかに勧めます。もはや、異邦人がむなしい心で歩んでいるように歩んではなりません。

彼らは、その知性において暗くなり、彼らのうちにある無知と、かたくなな心とのゆえに、神のいのちから遠く離れています。

道徳的に無感覚となった彼らは、好色に身をゆだねて、あらゆる不潔な行いをむさぼるようになっています。

しかし、あなたがたはキリストを、このようには学びませんでした。

ただし、ほんとうにあなたがたがキリストに聞き、キリストにあって教えられているのならばです。まさしく真理はイエスにあるのですから。

その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、

またあなたがたが心の霊において新しくされ、

真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。

【エペソ4章5章1-9節】

ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。

また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。

あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。

また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。

あなたがたがよく見て知っているとおり、不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者―― これが偶像礼拝者です、―― こういう人はだれも、キリストと神との御国を相続することができません。

むなしいことばに、だまされてはいけません。こういう行いのゆえに、神の怒りは不従順な子らに下るのです。

ですから、彼らの仲間になってはいけません。

あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。

―― 光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです ――

【第1テサロニケ5章5-10節】

あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。

ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。

眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。

しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。

神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。

主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。

そして、次の箇所にも救われた人の姿があります。


【ヘブル10章37-39節】

「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。

わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」

私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。

自分は本当に救われたかどうかを、これらのことばで判断して下さい。


まったく違う姿であるならば、最初からやり直すことです。

神への信仰、悔い改め、水のバプテスマ、聖霊のバプテスマ、すべてをやり直してください。


そして新しい生き方をして下さい。

変わらない姿のままで、天国は行けないです。


神に立ち返って本当に救われてほしいです。
ヽ(TдT)ノ


2017.7.2
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神の愛がわかりますか

テーマは 『 神の愛がわかりますか 』 です

【ルカの福音書15章1-7節】

さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。

すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」

そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。

「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。

見つけたら、大喜びでその羊をかついで、

帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。

あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正し人にまさる喜びが天にあるのです。

【ルカの福音書15章11-32節】

またこう話された。「ある人に息子がふたりあった。

弟が父に、『お父さん。私に財産の分け前を下さい』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。

それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。

何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。

それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。

彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。

しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。

立って、父のところに行って、こう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。

もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』

こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。

息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』

ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。

そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。

このむすこは、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。

ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえて来た。

それで、しもべのひとりを呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、

しもべは言った。『弟さんがお帰りになったのです。無事な姿をお迎えしたというので、お父さんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。』

すると、兄はおこって、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。

しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。

それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』

父は彼に言った。『子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。

だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」

厳しい神のイメージしか持っていない人が多いですが、神の本当の姿は “愛の神” です。


「神は愛です。」と言われてあります。

それを信じていますか?


本文で、神の愛が どのような形で現れたのかを見て、神の愛を感じてほしいです。


神の愛を知ることは、私たちにとって “大きな恵み” です。




ひとりの魂も見捨てず、捜し歩く愛、労苦を惜しまない愛




【ルカの福音書15章4節】

「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。



無限の喜びの愛




【ルカの福音書15章5-6節】

見つけたら、大喜びでその羊をかついで、

帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。

【ルカの福音書15章22-23節】

ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。

そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。

【ルカの福音書15章32節】

だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」



すべてを与えて下さる愛




【ルカの福音書15章12節】

弟が父に、『お父さん。私に財産の分け前を下さい』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。

【ルカの福音書15章31節】

父は彼に言った。『子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。



帰って来ることを切に待ち望んでいる愛




【ルカの福音書15章20節】

こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。



無条件に赦す愛




【ルカの福音書15章21-23節】

息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』

ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。

そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。



権威を回復させて下さる愛




【ルカの福音書15章22節】

ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。

失われた一人の魂を捜し求める 神の心が 神の愛です。


一人の魂をどれほど主が大切に思っておられるかを知りましょう


【マタイの福音書18章10-14節】

あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。まことに、あなたがたに告げます。彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。

〔人の子は、失われている者を救うために来たのです。〕

あなたがたはどう思いますか。もし、だれかが百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷い出たとしたら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。

そして、もし、いたとなれば、まことに、あなたがたに告げます。その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです。

このように、この小さい者たちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではありません。

アーメン (・∀・)つ

2017.6.18
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無効な悔い改めと 真の悔い改め

テーマは 『 無効な悔い改めと 真の悔い改め 』 です

【使徒の働き3章19節】

そういうわけですから、あなたがたの罪をぬぐい去っていただくために、悔い改めて、神に立ち返りなさい。

2、3日でも髪を洗わないと、髪は脂っぽくなり 絡まりますし、臭いもします。

同じく 体も洗わないと、だんだん臭くなります。


本人も気持ち悪く感じますし、周りの人も臭いので近付きたくありません。

ですから私たちは嫌でも毎日のように体を洗います。

そして、それは毎日の習慣になってあります。


「なぜ洗わないといけないですか。」と言う人もいません。

それが当たり前になっているからです。



“悔い改め” は、神を知らない人にとっては「それ何?」と言われるでしょう。

「何を悔い改めるの?私、何か悪いことでもした?そんな覚えないけど。」と、そこで おしまいですね。



しかしクリスチャンになった人は、そうであってはいけないです。


神が忌み嫌うのが罪であることを知って、イエス・キリストが私たちの罪のために十字架にかかったことを知っているならば、罪の問題を軽く考えてはいけないです。


悔い改めは、“心を洗うこと” で、心に付いた汚れをきれいに洗って、主に立ち返ることです。


そして自分の考え、価値観、行動パターンを、神の民らしく変えることです。


悔い改めは、単純に感情の変化程度ではなく、生き方の体制が変わることです。


聖書を読むと、様々な人の悔い改めの姿がありますが、神が受け入れた悔い改めと、そうではない悔い改めがあります。

そしてその結果も全然違います。

無効な悔い改めが多いことにも気付きます。


悔い改めがなかった人、無効な悔い改めをした人、神が認めた真の悔い改めをした人を調べます。


神は罪を赦す神なので悔い改めを待っておられます。





アダム、エバ、カイン、イスカリオテ・ユダなど
(悔い改めがなかった人たち)




人類最初に罪を犯し、世界に罪をもたらしたアダムとエバは、罪を犯した後に 悔い改めた姿がありませんでした。


罪を犯した後に、自分たちが裸であることに恥を感じましたが、罪がない時には 神の前で裸であっても恥ずかしいとは思いませんでした。


しかし罪を犯した後に恥を感じました。

以前とは違う心の変化に彼らは気付きました。


神の言葉に違反したことで生まれた恥という思いに対して、神の前に出て 罪を悔い改めなければいけなかったのに、ふたりは悔い改めず、自らがその問題を解決しようとしました。


その方法とは 次の箇所です。


【創世記3章7節】

このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。

自分たちの方法で罪を隠せると思いました。

しかし、それで罪が隠れることも消えることもありません。


彼らの息子であったカインは、弟を殺した最初の殺人者ですが、彼も親と同じく悔い改めがありませんでした。


神は彼に現れて聞きました。(創世記4章9節)

「あなたの弟アベルは、どこにいるのか。」
それに対して、彼の答えは「知りません。私は、自分の弟の番人なのでしょうか。」

と嘘を言い、開き直りました。


神はすべてを知っていました。

神から罪を指摘されても彼は悔い改めませんでした。


ただ 自分にくだる罰がこわくて、自分のいのちが守られるように 必死に神に求めました。

悔い改めなかった彼らは、今どこにいると思いますか?

神の恵みによって 天国と地獄を何度も訪問した ある牧師先生から聞きました。


ある時にどうしても知りたくて、イエス様に聞いたことが「アダムとエバは今どこにいますか?」でした。


それから御使いたちに案内されて行った場所は地獄でした。

そこでアダム、エバ、カインを見ました。

とても悲惨な姿でした。


長い間、彼らがそこで苦しみを受けていることが良くわかりました。


罪を悔い改めない人は、誰でも彼らのように地獄に行きます。


聖書の神のことばです。

イスカリオテ・ユダはどうでしたか?


彼は主の十二弟子の一人でありながら、お金でイエス様を敵に売りました。

その後に彼は自分の行動を後悔しました。


主の前で悔い改めたのではなく、彼も自らの方法を取りました。

それは自殺でした。
彼は首をつって自殺しました。


それで罪が無くなったでしょうか?

神が求めるのは、そういう事ではないです。


神に立ち返って悔い改めることです。


神は、赦す用意をして待っておられます。


立ち返る場所は主であって、自分のいのちを絶つことではないです。





ペテロの悔い改め
(真の悔い改め)




イスカリオテ・ユダと同じく、ペテロも十二弟子の一人でした。


彼もイエス様のことを、3度も “知らない” と嘘を言いました。


それも最後は、呪いながら 「自分はイエスを知らない」 と言いました。

ユダも悪かったですが、ペテロもそれに負けず悪かったです。


しかし彼が自分に語った主のことばを思い出した時に、彼の中に激しい心の動揺がありました。

主のことばで、自分が犯した罪の重さに気付きました。


それで彼は何をしたでしょうか?


【マタイの福音書26章75節】

そこでペテロは、「鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います」とイエスの言われたあのことばを思い出した。そうして、彼は出て行って、激しく泣いた。

この涙は、悔い改めの涙です。

心から出てくる涙こそ、悔い改めの涙です。


今、クリスチャンに必要なものは このような涙です。


涙が枯れているならば、その心も枯れています。

悔い改めの涙が必要です。


【第2コリント7章9-10節】

今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、あなたがたが悲しんで悔い改めたからです。あなたがたは神のみこころに添って悲しんだので、私たちのために何の害も受けなかったからです。

神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。




サウル王の悔い改め
(無効な悔い改め)




サウル王は、最初は謙遜な人でした。

神は彼をイスラエルの初代王にしました。


しかし彼が王になってから、彼は神に対して不従順するようになりました。

神の命令を聞いても、それを素直に行ったのではなく、勝手な解釈をして不従順の罪を犯しました。

そして、それを罪とも思わなかったです。


サムエル預言者から叱責を受けた時に、すぐに民を非難して民のせいにし責任転嫁をしました。


また 神との関係よりも 人との関係を重視して、神に犯した罪の重大さに気付かなかったです。

そして神からの厳しいことばを聞いた後も、神に不従順したことを悔いるよりは 自分が受ける損失に対して悲しみました。


彼は罪を指摘された時に次のようなことを言いました。


【第1サムエル記15章24-25節】

サウルはサムエルに言った。「私は罪を犯しました。私は主の命令と、あなたのことばにそむいたからです。私は民を恐れて、彼らの声に従ったのです。

どうか今、私の罪を赦し、私といっしょに帰ってください。私は主を礼拝いたします。」

悔い改めているように見えますが、実際は口先だけの悔い改めで、彼は神に立ち返りませんでした。

自分の面目を保つためだけでした。


その後、彼はますます神に逆らいながら罪を犯す者になり、完全に破滅してしまいました。


真の悔い改めがないと、心はさらにかたくなになり、真理に逆らいますし、霊的には盲目になり、闇の道を歩み、最後は永遠の滅びの刑罰を受けます。





ダビデの悔い改め
(真の悔い改め)




ダビデも神の前に、姦淫の罪と 殺人の罪を犯しました。


神は、彼が自ら悔い改めることを願って しばらく時間を与えましたが、彼は自分の罪を隠していました。


その間、彼は精神的にも肉体的にも衰弱していきました。

喜びも無くなり、力も無くなりました。


それを見て、神は預言者ナタンを彼に遣わしました。

預言者は彼の所に来て 祝福のことばは一言も話さず、罪を悟らせるための言葉だけを語りました。


その時、ダビデは厳しいことを言うナタンを殺すことも出来ましたが、彼はナタンの忠告に感謝しました。


後に、ダビデは自分の子に ナタン という名前まで付けました。


ダビデは言い訳をせず、忠告を受け入れて、神の前に涙を流しながら 徹底的に自らの罪を悔い改めました。

その時の告白が詩篇51編です。


【詩篇51編1-4節】

神よ。御恵みによって、私に情けをかけ、あなたの豊かなあわれみによって、私のそむきの罪をぬぐい去ってください。

どうか私の咎を、私から全く洗い去り、私の罪から、私をきよめてください。

まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。私の罪は、いつも私の目の前にあります。

私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行いました。それゆえ、あなたが宣告されるとき、あなたは正しく、さばかれるとき、あなたはきよくあられます。

ダビデはそれ以来、罪から離れ、神の御心に従って歩み出しました。


真の悔い改めは 行動が伴い、悔い改めにふさわしい実を結びます。


神は その人の罪を赦し、いのちを与え、新しい心と霊を与えます。

携挙されるためにも、徹底的な悔い改めが必要です。


天国に入るためにも、救いや祝福を受けるためにも、悔い改めが最も必要であることを自覚しましょう。


悔い改めをないがしろにしてはいけないです。
。゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン


2017.4.2
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空中再臨と地上再臨

テーマは 『 空中再臨と地上再臨 』 です

【使徒の働き1章9-11節】

こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。

イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。

そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」

キリストの誕生、キリストが受けた苦難、十字架、キリストの死、そして 復活は、すでに過去に起きたことなので、キリスト者はもちろん知っていますが、未信者の中でも多くの人が知っています。


しかしキリストの再臨はどうでしょうか?

未信者の人は、ほとんど知らないと思います。


キリスト者の中では 再臨を信じて、日々 主の再臨を待ち望んでいる人もいれば、信じない人もいますし、頭では知っていますが、あまり関心もなく 準備をしない人も多いです。


しかし “再臨” は必ず起こることで、すべての終わりを意味します。


いのちと死、救いと滅び、天国と地獄 に分かれていきます。

(その時になってからでは)チャンスがないです。


再臨に対して 主ご自身が何度も語り、主の弟子たちも聖霊によって語りました。


主の再臨は二度あります。


一度だと思っている人は間違えています。

なぜならば 空中再臨と地上再臨は、“目的と再臨の時の様子” が全然違うからです。


今回は、空中再臨と地上再臨の目的と、その時の様子、そして空中再臨の時に起こる 聖徒の携挙について学びます。

携挙されるためには どうしたらよいのかも話します。


再臨の間にある様々なことは、内容が膨大なので、また別の礼拝の時に伝えます。




空中再臨の目的と主の姿、聖徒の携挙




主は、主の再臨を待ち望んでいる聖徒たちを迎えるために 空中再臨をします。


キリストは、そのことを “花婿が花嫁を迎えに行く姿” だと語りました。


主が空中再臨するので、その時に聖徒の携挙が起こります。

空中の主の所に、地上から引き上げられ、主に会います。


【マタイの福音書24章30-31節】

そのとき、人の子のしるしが天に現れます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。

人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。

【第1テサロニケ4章16-17節】

主は、号令と、御使いたちのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、

次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。

この時に携挙される聖徒たちにとっては、この日は 最高の喜びの日であり、祝宴の日であり、愛する主に会う最高に幸せな日になります。


結婚式に望む花嫁の姿になります。

その時に、朽ちない体に変えられ、地上を離れて永遠の御国に入ります。


(※携挙のことは、とても奥が深いので また別の日に話します)


空中再臨の時の主の様子は、大能と輝かしい栄光を帯びて雲に乗った姿です。


その時のイエス様の姿は、十字架で死んだときのような悲惨な姿ではありません。

勝利した王の王、主の主の姿です。



空中再臨の時、地上では かつてないほどの大患難が始まっています。


長い間、人間の悪に対して忍耐した神の怒りの裁きが始まっています。


信じない者、悔い改めない者、にせ預言者、サタンに従って あらゆる悪を行った者、そしてこの世と妥協し堕落した信徒、警告を無視し生ぬるい信仰で準備が出来なかった信徒たちは、地上に残されて激しい迫害を受けます。


しかし目を覚まして主の再臨を迎える準備が出来た信徒たちは、すでに引き上げられているので その苦しみを受けることはありません。




地上再臨の目的と主の様子




空中再臨の後に、地上再臨があります。

地上再臨の目的は、世界を完全に滅ぼすためです。


悔い改めることもなく 主を信じず、偶像崇拝をし、あらゆる悪を行った者に対する裁きです。


この時の主は、厳しい裁き主として来られます。

どのようなことをするのか、次の聖書のことばにあります。


【ヨハネの黙示録19章11-21節】

また、私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。それに乗った方は、「忠実また真実」と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。

その目は燃える炎であり、その頭には多くの王冠があって、ご自身のほかだれも知らない名が書かれていた。

その方は血に染まった衣を着ていて、その名は「神のことば」と呼ばれた。

天にある軍勢はまっ白な、きよい麻布を着て、白い馬に乗って彼につき従った。

この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。

その着物にも、ももにも、「王の王、主の主」という名が書かれていた。

また私は、太陽の中にひとりの御使いが立っているのを見た。彼は大声で叫び、中天を飛ぶすべての鳥に言った。「さあ、神の大宴会に集まり、

王の肉、千人隊長の肉、勇者の肉、馬とそれに乗る者の肉、すべての自由人と奴隷、小さい者と大きい者の肉を食べよ。」

また私は、獣と地上の王たちとその軍勢が集まり、馬に乗った方とその軍勢と戦いを交えるのを見た。

すると、獣は捕らえられた。また、獣の前でしるしを行い、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝む人々とを惑わしたあのにせ預言者も、彼といっしょに捕らえられた。そして、このふたりは、硫黄の燃えている火の池に、生きたままで投げ込まれた。

残りの者たちも、馬に乗った方の口から出る剣によって殺され、すべての鳥が、彼らの肉を飽きるほどに食べた。

この時は雲ではなく 白い馬に乗って、一人ではなく 勝利した聖徒たちと共に来られます。


【ゼカリヤ書14章3-5節】

主が出て来られる。決戦の日に戦うように、それらの国々と戦われる。

その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。オリーブ山は、その真ん中で二つに裂け、東西に延びる非常に大きな谷ができる。山の半分は北へ移り、他の半分は南へ移る。

山々の谷はアツァルにまで達するので、あなたがたは、わたしの山々の谷に逃げよう。ユダの王ウジヤの時、地震を避けて逃げたように、あなたがたは逃げよう。私の神、主が来られる。すべての聖徒たちも主とともに来る。

主が地上再臨する時が世界の終わりです。


それまでに地上では すでに多くの災難や戦争や疫病などで、多くの人々が死んでいます。


黙示録に詳しいことが全て書かれてあります。




携挙されるためにどんな準備をすべきなのか




携挙される聖徒はわずかで、多くの聖徒たちは残されると言われてあります。


信仰告白した人ならば、全員携挙されると言われることばは、事実ではありません。


目を覚まして用意していない人は残されます。

口先だけの信仰で良い実を結んでない人も残されます。


聖くなければ、だれも主を見ることは出来ません。




二重生活 (信仰と生活が別々)




生活の中に 信仰の実がなく、死んだ信仰、むなしい信仰、無価値な信仰生活をしている人は、悔い改めない限り 携挙はないです。


神の御心に適う信仰、神が認める信仰 (不平、不満、つぶやき、不安、絶望、怒り、悲しみの生活、世を愛して世に従うのではなく、


主を一番に愛すること、福音にふさわしく生きる、光と塩の生活、真実で偽りのない生活、聖別された生活、


いつも喜び、絶えず祈り、すべてに感謝する生活、主に従う生活をする、みことばに従う生活、祈りの生活、罪の悔い改め(聖さ)、罪から離れる生活、偽善を捨てる)を持って、再臨を準備する人を 主は患難の時に引き上げて下さいます。



黙示録の七つの教会のうち、五つの教会から非難と悔い改めが命じられました。


非難されていない教会に対しては、主の約束のことばがありました。

それは携挙とも思われます。


【ヨハネの黙示録3章10節】

あなたが、わたしの忍耐について言ったことばを守ったから、わたしも、地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時には、あなたを守ろう。

主のことばを守って生きている者に対して、主も守って下さると約束してくださいました。




主の再臨はとても近い




再臨の前兆に対して聖書は啓示しました。

いま すべてが成就されました。


その啓示には、イスラエルの建国、ロシアの浮上、信仰からの離脱、背教、旅行と知識の増加、新世界政府の計画、戦争や内戦などがありますが、すべて預言通りになりました。

これ以外にも様々な前兆があります。


【マタイの福音書24章42-44節】

だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。

しかし、このことは知っておきなさい。家の主人は、どろぼうが夜の何時に来ると知っていたら、目を見張っていたでしょうし、また、おめおめと自分の家に押し入られはしなかったでしょう。

だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。

空中再臨も地上再臨も 作り話ではありません。


今 世界は混乱があり、たくさんの問題があります。

以前とは違いますね。


聖徒に対する残忍な迫害もあります。

多くのクリスチャンたちは、この時代がどれほど深刻であるのかを全然知らないです。


教会は 時代を分別出来ず、沈黙しています。

再臨の話をすると、まるで異端や頭のおかしい人のように見ています。


主のことばに耳を傾け、この世を見て下さい。

主のことば通りになってあります。


信じて行動する者になりましょう。

主の再臨への準備がとても必要です。
Σヾ( ̄0 ̄;ノ

2017.3.26
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会


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人間をとる漁師

テーマは 『 人間をとる漁師 』 です

【マタイの福音書4章18-20節】

イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられた時、ふたりの兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレをご覧になった。彼らは湖で網を打っていた。漁師だったからである。

イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」

彼らはすぐに網を捨てて従った。

イエス様が最初に弟子として選んだペテロとアンデレ兄弟は、職業が漁師でした。


仕事が終わって網を打っていた時に、イエス様が近づいて話かけてきました。

「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」と。


すると二人はすぐに網を捨てて従いました。

ものすごく早い決断でしたが、イエス様が語ったことばの意味をちゃんと理解していたでしょうか?


後の彼らの行動を見ると、イエス様の思いとは違っていたことが分かります。

彼らは、“偉い人になって人々の上に君臨する” という意味で理解していました。


最初は他に選ばれた弟子も同じで、誰が一番になるかをみんな興味があって、もめたこともありました。

「人間をとる漁師」ということばは、イエス様が多分初めて使ったことばだと思います。

聖書以外では聞いたことがないことばです。


魚をとる漁師たちに対して、「人間をとる漁師」ということばは イエス様の洞察力から出たことばだと思います。

イエス様が彼らにさせようとする働きが、漁師の働きと似ているからです。


イエス様はいま私たちにも同じことを語っています。


「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」

これは主の約束でもあります。


私たちは自分たちの努力で 人間をとる漁師になるのではありません。


主について来るならば漁師にしてあげる と言われました。

主について来ない者は、まず人間をとる漁師にはなりません。


人間をとる漁師はイエス様によって造られていきます。


弟子たちの姿を見ると造られていくのが分かります。

魚をとる漁師の姿と、人間をとる漁師の姿は共通点が多いです。


漁師が働く場所は広い海か湖です。

弟子たちが働く場所は 全世界です。


【マルコの福音書16章15節】

「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。

漁師は広い海に出て行って魚がとれそうな場所に網を仕掛け、餌を蒔いたりもします。

そして次の日に網を回収するためにまた出掛けます。

回収すると たくさん獲れていたり、一匹も獲れなかったりもします。


聖書では、二回 弟子たちが何も獲れなかった日がありました。

海に網をおろしたからと言って必ず獲れることではありません。

何も獲れない時もあります。


伝道することは、それと似ています。


一生懸命 網をおろして働いたからと、それが必ず報われることはありません。

何にもない時もたくさんあります。


それでも海に文句を言いながら (獲ることを)やめる人はいません。

過酷な状況の中でも し続けるのが漁師の仕事です。


人間をとる漁師の働きの中でも直面する多くの戦いがあります。




人間をとる漁師の仕事をなぜ主はさせるでしょうか




全人類に対する神の救いの計画のために働く人が必要だからです。


【第2ペテロ3章9節】

ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

【ローマ10章13-15節】

「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。

しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。

遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」

【マタイの福音書24章14節】

この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。



人間をとる漁師の主な仕事は、遣わされて人々に福音を伝えること




イエス様が、まずどのような働きをするのかを見せました。


そして弟子たちに 次のように話されました。


【マタイの福音書9章35-38節】

それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやされた。

また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。

そのとき、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。

だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」

それからマタイの福音書10章では 弟子たちを正式に任命し、彼らに力を注ぎ、人々に遣わしました。


その時に様々な注意点と、彼らが直面する問題や困難に対して詳しく話しました。

それに関しては、みなさんが聖書を読んでみて下さい。


異邦人に福音を伝えたパウロは、この働きに対してこのように言いました。


【エペソ3章7節】

私は、神の力の働きにより、自分に与えられた神の恵みの賜物によって、この福音に仕える者とされました。

「人間をとる漁師」に選ばれたことが神の恵みと思って、死に至るまで忠実に働き、数えきれない多くの魂を主に導きました。

立派な 人間をとる漁師になっていました。




「人間をとる漁師」として、どのように福音を伝えるべきでしょうか




福音を伝える方法は 時代によって、地域によって変わっていきます。


イエス様がおられた時代は、人々の所に出かけて直接 福音を語りました。

人々はそこに集まって福音を聞きました。


路傍伝道は、昔 よく使われた方法でした。

人々の生活が、今よりも単調で そんなに忙しくもなかったので、路傍伝道の時も集まって来ました。


しかし、いま路傍伝道はあまり効果がないです。

立ち止まって聞く人はほとんどいないです。


今の時代に合うものが効果あります。

今はすべての人たちがネットを使う時代です。


みんな手に携帯を持って、それで情報を手に入れますし、人と会話をします。

悪魔もそれを大いに使っています。


ISがどのようにして戦闘員を集めたでしょうか?

ネットを使って募集しました。

そこに連絡した人たちが渡って行き、テロリストになっていきました。


SNSを使って、すべての情報が拡散されたり、そこから情報を得たりする時代に変わりましたので、いまこれが福音を伝える一番有効な手段です。


【第2テモテ4章2節】

みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。

時間も空間も関係なく、SNSを使って福音を人々に伝えることが出来ます。






アメリカでのことです。

最近アメリカでは「Back to church Sunday」運動が盛んになったらしいです。


教会から離れた人や 一度も教会に来たことのない人たちを、日曜日の礼拝に招待する運動ですが、メールで招待状を送る方法です。

それが素晴らしい効果を上げていると聞きました。


この運動に参加する人々は 週に一度、それを1年間、自分が通う教会に招待するメールを送りました。

それによって 70万人が参加しました。

すると一年間で参加した教会の出席者が20%増えました。


最初はそんな方法は “幼稚である” とか、“効果がない” とか否定的だった教会も、いまは参加しているので100万人に増えたと聞きました。

しないよりは した方が良いです。


どんなに小さいことに見えても、しないよりは効果があります。


私たちの周りにいる信じない家族や知り合いの魂を導くためには、小さいことでも実践しようとする意思と努力が必要です。


イランで ムスリムだった人が、アメリカでクリスチャンになって 今は福音を伝える放送をやっていますが、たくさんのムスリムの人が その放送を聞いています。


ムスリムの人たちを伝道するためにやっている90分放送ですが、パキスタンで250万人、サウジアラビアで10万人、スーダンで500万人、イランで100万人、それ以外でも聞いていて今は5千万人が聞いています。


福音に反対する人も多いですが、聞きたいと願っている人も多いです。


教会のホームページでも毎日福音を伝えています。


ただ単に 教会を紹介するために作ったのではなく、福音を伝える目的で作りました。

訪問者がどんどん増えているので効果があります。

「今日のいのちのパン」や「今週のメッセージ」でも毎日訪問者が多くなってきました。


みなさんも個人的にSNSを使って福音を伝えて下さい。


聖書のことばだけを伝えるブログを作っても良いと思います。

メールで伝えても良いです。


良い知らせを伝えることが「人間をとる漁師」の仕事です。


みことばの種が蒔かれると、いつか芽が出る時があります。

自分にも福音を伝える使命があることを覚えましょう。
v( ̄∇ ̄)v


2017.2.5
聖日礼拝メッセージ

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聖徒だけが持つ特権

テーマは 『 聖徒だけが持つ特権 』 です

【ヘブル4章16節】

ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。

“特権” とは特定の人、身分、階級に与えられている、他に優越した権利です。


特権を持つ人は良い待遇を受けることも多いです。

月に何度も飛行機に乗りますが、飛行機一つにしてもダイヤモンドカードを持っている人は優先的に乗れますし、荷物の制限もなく、ラウンジも自由に使えます。

もし自分が持っている特権を知らないならば、その権利を使うことも知らないので、もったいないです。


聖徒である皆さんは “聖徒だけが持つ特権” が何かを知っていますか?


聖徒が持つ 特権も義務も責任も知らないで信仰生活する人が実に多いです。

そして特権を使ってはいますが、それが特権と思わずに使っています。


今回は聖徒だけが持つ特権に対して学びます。




神の御座に近づける特権




これを特権と思わない人が多いですが、これは聖徒だけが持つ特権です。


たとえば安倍総理は日本の総理ですが、いつでも皆さんが会いたいと思う時に会えますか?

たぶん会うのは無理です。


認められる何かがある場合は別だと思いますが、それは簡単ではありません。

しかし安倍さんの子どもならば、家で自由に会うことが出来ますし、別のところでも許可をもらうのは難しくないですね。


神は世界で一人の神ですが、人間が会いたいと言って いつでも会えるでしょうか。
―― 会えないです。


しかし神に贖われて、神の子になると立場が変わります。


聖徒には、神がいつでも神の御座に近づくことが出来る特権を与えておられます。


“キリスト” によって神と和解させられ、神の子になったので、その特権を得ています。


【ヨハネの福音書14章6節】

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。

聖徒は、“道” であるイエス様を信じる者なので、キリストも その人のことを知っていて、その道を通って父なる神の前に行ける許可を与えておられます。


「イエスの血で神の前に、イエスの血で父の前に一歩ずつ進む。」

このような賛美があるように、父なる神の前に行ける特権は イエス様によって与えられた素晴らしい特権です。


旧約時代は神の臨在がある聖所には、任命された祭司以外は誰も入ることが出来ませんでした。

しかし新約時代の聖徒たちは、神の臨在の中に入ることが出来ます。


死んだら もっと神は近くにおられます。



【ヨハネの黙示録4章4節】

また、御座の回りに二十四の座があった。これらの座には、白い衣を着て、金の冠を頭にかぶった二十四人の長老たちがすわっていた。

聖徒にとって、神は 決して遠く離れて近づくことも出来ない神ではなく、いつでも近づくことが出来ます。




永遠のいのちがもらえる特権





【ヨハネの福音書3章36節】

御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。

“永遠のいのち” ほど価値あるものは 世には存在しません。


金持ちの青年が主の所に来て、永遠の命を得るためには何をしたら良いのかと イエス様に聞きました。

イエス様は、「財産を売って貧しい者に与えてから、私について来なさい」 と言われましたが、金持ちは財産を手放すことが出来ないので、そのまま帰り、2度と帰ってくることはありませんでした。


永遠のいのちは、主に従ってくる聖徒たちに与えられます。

永遠の命はあまりにも高価なので金で買えるようなものではなく、キリストを信じて神の子になった者が、特権として受けられものです。


永遠のいのちは “死とは無縁” です。

それを持っている人は聖徒だけです。


聖徒をやめたら、もはや永遠のいのちは自分のものにはなりません。




祈りが答えられる特権




聖徒の祈りに聞いて下さる方がおられます。

私たちの霊の父である “神様” です。


この世には自分を神と呼ぶ人間がいて、それを信じる者も多いです。


「統一教会」や「神の教会」という異端も、教祖が “人間” なのに、自分自身を神と呼び、それに従う者も(その人物のことを)神と信じています。

(その教祖は)2人とも死にましたが、未だに死人を神と思ってそこから離れません。


中身を見ると教祖が彼らの祈りを聞いて祝福したのではなく、人々が教祖の願いや要求を聞いて、自分たちのもので教祖を満たしていました。


サタンが目をくらませると、悟りがなく盲目的になるので、騙されて利用されるだけです。


人間を神と信じるのも、偶像の神を造って願いを叶えて下さい と祈るのも同じです。



【イザヤ書44章9-11節】

偶像を造る者はみな、むなしい。彼らの慕うものは何の役にも立たない。彼らの仕えるものは、見ることもできず、知ることもできない。彼らはただ恥を見るだけだ。

だれが、いったい、何の役にも立たない神を造り、偶像を鋳たのだろうか。

見よ。その信徒たちはみな、恥を見る。それを細工した者が人間にすぎないからだ。彼らはみな集まり、立つがよい。彼らはおののいて共に恥を見る。

ですから、彼らが自分の神に祈っても それはむなしく恥を見るだけですが、聖徒たちの祈りは むなしくなることも、恥をかくこともありません。


聞いて答えて下さる神がおられるからです。

聖書には祈りの答えがいっぱいです。


神は喜んで聖徒たちの祈りを聞き、答えて下さいます。

祈らないと特権を使わないことですので損をします。




復活の特権





【第1コリント15章43-44節】

卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、

血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。

復活は永遠のいのちの始まりです。

イエス・キリストがよみがえられたことで、この特権が聖徒にも与えられました。


私たちも、いつかキリストと同じ体になります。

時間や空間の制約、そして朽ちることもない体に復活するのは聖徒だけの特権です。


信じないものは永遠の死ですが、聖徒は永遠に死の支配を受けることがなく、キリストのように死の力を打ち破って復活します。


自分が死んで復活することは、今はどのようなものか想像も出来ませんが、その日には喜び踊る者になると思います。




天国に入る特権




天国は聖徒たちのために主が備えて下さった場所です。

聖徒以外の人は、入ることが許されない場所です。


そこは神がおられる場所で、神が聖徒と共に永遠に住む場所です。

死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない場所です。


信じない人は、どんなに入りたくても入ることが出来ません。


入りたいならば生きている時に、罪を悔い改めて、イエス様を 自分の救い主として心に迎え入れ、聖徒になれば入れます。

天国はお金があるから、良いことたくさんしたから、立派な人だから入れるのではなく、信仰で入る国です。


神を信じて、天国を信じて入る準備をした人が入る所です。

自分を聖徒と思っても、準備出来てない人は入れないです。


天国のたとえで使われた “10人の花嫁の姿” を思い出して下さい。

10人の花嫁は、花婿である主を待ち続けていました。


賢い5人の花嫁はいつ花婿である主が来られても迎えられるように、ともしびと油の備えをしました。


しかし愚かな5人の花嫁は、花婿がいつ来るかもわからないのに、ともしびだけを準備し、油の用意はしていなかったです。

花婿が来るのが遅くなり、今にも ともしびが消えそうになりました。


それで油を買いに行っている間に 花婿が来られて、そこにいた賢い5人の花嫁だけが結婚式場に入りました。

油を買いに行った愚かな5人の花嫁の姿は哀れでした。

彼女たちの様子を次の箇所で見ます。


【マタイの福音書25章11-12節】

そのあとで、ほかの娘たちも来て、『ご主人さま、ご主人さま。あけてください』と言った。

しかし、彼は答えて、『確かなところ、私はあなたがたを知りません』と言った。

天国に入ることが出来ず、外の暗やみに置かれてしまいました。


せっかく天国に入る “特権” があったのに、その場にいなかったために、特権が無効になってしまいました。


その特権が認められず、残念な姿でした。

このようになって、聖徒の特権を失う者も実に多いです。


“目をさまして、身を慎み、用意していなさい” と言われた通りにしている聖徒が、天国に入り、言われてもそのようにしていない聖徒は、特権を使うことが出来ません。

世を愛して放蕩生活をしている人に、“天国の扉” は開かれません。


聖徒として準備した人は、問題なく天国に入ります。


このように聖徒としてどのような特権があるかを知り、いつ それを使うかを知って使う人が賢い聖徒です。

神が与えて下さった特権としての祝福をすべて自分のものにしていきましょう。

(・◇・)ゞ

2016.9.25
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五つの教会が受けた主からの非難と対策

テーマは 『 五つの教会が受けた主からの非難と対策 』 です

【ヨハネの黙示録1章10ー11節】

私は、主の日に御霊に感じ、私のうしろにラッパの音のような大きな声を聞いた。

その声はこう言った。「あなたの見ることを巻き物にしるして、七つの教会、すなわち、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィア、ラオデキヤに送りなさい。」

先週は 七つの教会の中で、主からほめ言葉をもらった六つの教会を学びましたが、今回は七つの教会の中で、非難を受けた教会が五つもありましたので、どの部分が非難されたのか。


そして、それを変えるために、どのような対策を主から受けたのかを学びます。




◎ エペソ教会




【ヨハネの黙示録2章4ー5節】

しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。

それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。

この教会の問題は、初めの愛から離れたことでした。


他のすべてが良かっただけにこの部分は残念であります。

しかしこのような教会がたくさんあるのも事実です。


なぜ初めの愛から離れてしまったでしょうか。

奉仕や活動ばかりに心が向いてしまって、いつの間にかキリストとの交わりが減り、キリストへの関心も減り、ないがしろになってしまいました。


家庭で例えるならば、家族のために仕事を熱心にするのは良いですが、時間がなくて家族と話す時間も 共に食事する時間もなく 愛し合う時間もないことです。

家庭に一番必要なものが抜けていきます。


それによって すれ違いが生じ、心が離れていきます。


教会に多くの行事があるのを主が喜ぶでしょうか。

それに忙しくて、神とゆっくり交わる時間も 聖徒同士ゆっくり交わる時間もないのが主の願うことでしょうか?
―― そうではないです。


初めは自分たちの心がキリストで満たされていたのに、ある時から無関心になりはじめたのは、主が“どこから落ちたのかを思い出しなさい” と、対策を教えて下さいました。

そして “悔い改めなさい” と語ってくださいました。


自分たちの心が再びキリストに満たされ、キリストと新たな関係を結んで初めて 悔い改めたことになります。


主が一番願うのは“主を愛すること”です。


奉仕ではなく、イベントでもないです。

まずは主を愛し、主の栄光のために働くことです。


いまエペソ教会は存在しません。

エペソ教会があった地域から数キロ以内に教会は存在していなく、イスラムが支配しています。

キリストが燭台を取り外してしまいました。
悲しいことです。




◎ ペルガモ教会




【ヨハネの黙示録2章14ー16節】

しかし、あなたには少しばかり非難すべきことがある。あなたのうちに、バラムの教えを奉じている人々がいる。バラムはバラクに教えて、イスラエルの人々の前に、つまずきの石を置き、偶像の神にささげた物を食べさせ、また不品行を行わせた。

それと同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを奉じている人々がいる。

だから、悔い改めなさい。もしそうしないなら、わたしは、すぐにあなたのところに行き、わたしの口の剣をもって彼らと戦おう。

バラムは旧約聖書に出てくる にせ預言者で、イスラエル民族をつまずかせた預言者でした。


神は彼がしようとしたことを止めたので、最初はそれに従いましたが、結局 後で彼はイスラエル民族が神に罪を犯すようにたくらみ、イスラエル民族はそれに引っかかりました。

バラムの教えとは、不道徳と偶像崇拝へ導く教えでした。


多くの哲学も教会の中に入り、教会の中に教理というものも出来てしまいました。

非真理に対しては、真理であり 両刃の鋭い剣である “主のことば” で戦わないといけないです。


この時期に異教の多くの教えが教会に入りました。

多くの異教徒の教えが入ると、教会はどうなってしまうでしょうか?


カトリックがやっていることは、聖書にないことですが、それらのものが生まれました。

死人のための祈り、十字架を拝むことや聖人やマリア崇拝、裁きに対する間違った教えなどがあります。


このような混ぜ物で、教会は堕落していきます。




◎ テアテラ教会




【ヨハネの黙示録2章20ー23節】

しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは、イゼベルという女をなすがままにさせている。この女は、預言者だと自称しているが、わたしのしもべたちを教えて誤りに導き、不品行を行わせ、偶像の神にささげた物を食べさせている。

わたしは悔い改める機会を与えたが、この女は不品行を悔い改めようとしない。

見よ。わたしは、この女を病の床に投げ込もう。また、この女と姦淫を行う者たちも、この女の行いを離れて悔い改めなければ、大きな患難の中に投げ込もう。

また、わたしは、この女の子どもたちをも死病によって殺す。こうして全教会は、わたしが人の思いと心を探る者であることを知るようになる。また、わたしは、あなたがたの行いに応じてひとりひとりに報いよう。

非難されたことは、イゼベルという にせ預言者の働きを許したことでした。


旧約時代のイゼベルは残忍な殺人者であり、異教徒でイスラエルの中でバアル崇拝を大々的に行った人物でした。

にせ預言者イザベルも、不義の偶像崇拝を教えていました。

そして決して悔い改めませんでした。


にせ預言者は サタンの霊に完全に支配されて、教会を内部から潰す働きをしますし、信徒たちを惑わして地獄に落とす策略で活動しますので、その者が受ける罰は サタンが受ける罰と同じです。


光の天使のように変装し、神から来たメッセージだと言いますが、中身はオオカミです。

それに騙されないことがとても大切です。

それに従う者は真理から離れて行きます。




◎ サルデス教会




【ヨハネの黙示録3章1ー3節】

また、サルデスにある教会の御使いに書き送れ。『神の七つの御霊、および七つの星を持つ方がこう言われる。わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる。

目をさましなさい。そして死にかけているほかの人たちを力づけなさい。わたしは、あなたの行いが、わたしの神の御前に全うされたとは見ていない。

だから、あなたがどのように受け、また聞いたのかを思い出しなさい。それを堅く守り、また悔い改めなさい。もし、目をさまさなければ、わたしは盗人のように来る。あなたには、わたしがいつあなたのところに来るか、決してわからない。

“生きているようにされているが、実は死んでいる教会” とは、どのような教会でしょうか。

真理ではないものと妥協する教会のことです。


御言葉に従って信仰生活をするのではなく、様々な教理や形にとらえられた “形” だけの教会です。

名ばかりの教会で、そこには いのちも主の臨在もありません。


どんなにたくさんの人や活動があったとしても、それが主の心に適っていないならば 主はそれを神の働きではなく、人の働きと見ます。

すなわち神とは何の関係もないということです。


このような姿も、多くの教会の中で見られる姿です。

真理に戻り、神が喜ぶことをしないといけないです。




◎ ラオデキヤ教会




【ヨハネの黙示録3章15ー19節】

「わたしは、あなたの行いを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。

このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。

あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。

わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精錬された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現さないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。

わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。

無関心、なまぬるく無気力が彼らの姿でした。


見た目は何一つ乏しいものがないように見えました。

しかし彼らの霊の状態は みじめで、哀れで、貧しく、盲目で、裸でした。


神聖な部分がなく、教会が世俗化されてしまいました。

クリスチャンと言いながら、重要なキリスト教理を軽く考え、世の価値観で生きる人、反キリスト的な思想で生きている人、御霊に従うよりは肉に従うことを好む人たちがたくさんいる教会です。


それが当たり前のような教会で、悔い改めることもない教会です。


【第2テモテ3章5節】

見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。

主から指摘された悪い部分を直すこともなく、放置するならば、それが癌細胞のように広がって命取りになります。


主がいない建物だけの教会、いのちのない死体のような信徒たちになってしまいます。


悔い改めることが一番の対策であることを主が教えて下さいました。
。゚(゚´Д`゚)゜。

2016.9.11
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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初めの愛を回復するために

テーマは 『 初めの愛を回復するために 』 です

【ヨハネの黙示録2章4-5節】

しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。

それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその所から取りはずしてしまおう。

信仰生活にも定期的に点検が必要です。


なぜなら、問題があるならば早くそれを直していかないと知らぬ間に重い病気にかかって大変なことになるからです。

放置していいものと放置してはいけないものがあります。


信仰生活が無気力、無感覚になり、喜びも平安もなく、新しく実が結ばれることもなく、信仰生活そのものがしんどく、神との関係も遠くなったような気がするならば、何よりも自分とイエス様との間に問題が生じたことに気付くことです。


信仰生活のほとんどの問題は、自分と主との関係に異変が起きたからです。


それを解決して信仰を立て直していかなければなりません。



今日のことばも 本人が気付いたのではなく、主からの診断でした。


初めの愛から離れただけで 主との関係に大きな問題が生じました。

主が非難したことはそれが罪だからです。


罪じゃないと(神様が)非難することも、悔い改めなさいと言うこともありません。


信仰が回復してほしいので “悔い改めなさい” と言われました。


どのように初めの愛を回復出来るかを今日は学びます。




◎失われた初めの愛を悔い改める




初めの愛がある状態は、すべてにおいて心も思いも尽くして主と共に歩みます。

それが一番の関心で重要なことだからです。


その時は主と共にいることがとても楽しいです。

教会に行くのもとても楽しいですし、聞く耳も開かれています。


しかし、ある時から主を忘れて生活する時間が増え始め、他のことで忙しくなります。


サタンは私たちを誘惑する者ですが、あらゆる方法を使って私たちをイエス様のいない忙しい生活に導きます。


そのことに気付かせず、主との時間を減らしていきます。


心ではイエス様との時間を持つことの大切さを知っていますが、だんだんと他のことで忙しくなり、主のために時間を使わなくなります。
ここから問題が生じます。


【ヨハネの福音書15章6節】

だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。

イエス様にずっと とどまることが大切なのに、とどまる時間が少なくなっていきます。

他のことに心が取られたり、他のことで忙しくするようにサタンは働きます。


イエス様と分離されていると 不幸になることもよく知っているのに、仕事に縛られたり、時には自分の快楽を求めて主との交わりをおろそかにします。


生活も守っていかないといけないからと人を喜ばせたり、自分を守るためにだんだん主に対して関心が無くなっていきます。

すると主と共に過ごす時間が減るために主を失ってしまいます。


主との間に様々なものが入り込んできます。

すると信仰生活がだんだん義務的になり、つまらなくなり、喜びも無くなってきます。


それを立て直すためには悔い改めが必要です。


どこから落ちたのかを思い出して、要らないものを捨てて時間を作って神の前に出て、その方と会話をしなければなりません。


主と再び愛し合うには ずっと主から目を離さず、会話を増やさないといけないです。


すると私たちの心に主の平安、愛、いのち、力が臨むようになります。

主に対して、教会に対して、とりなしに対して、奉仕に対して無関心になったことは愛で反応していないことです。


初めの愛を回復するためには、必ず “無関心” が罪であることを悟って、無関心を捨て、主を見上げなければなりません。

面と向かってイエス様に敵対するより、主の心を痛めつけるのは主に対する無関心です。


必ず私たちはこの罪を悔い改めないといけないです。

悔い改めないと、たとえ生きているとされても死んだ状態です。

すなわち霊的死です。




◎避けたくなる十字架を負う




イエス様に従いたいならば、弟子になりたいならば、成長したいならば、自分の十字架を負わなければなりません。


イエス様は私たちを愛する心で十字架を負ってカルバリの丘に上って行きました。

その主が私たちに自分の十字架を負ってついて来なさいと言われました。


私たちが十字架を負うならば 主が共に負って下さいます。

イエス様自身が先に十字架を負いましたので、十字架の痛みを知っておられます。


主が共に負って下さらないと、私たちが倒れるので 主が共に負って下さいます。


しかし私たちは十字架を負いたくないので十字架を避けようとします。
これが主への愛が冷めるきっかけになります。


十字架を避けて楽な道を歩みたい欲望が 私たちの中にあります。

この欲望は、主から来たものではなく、サタンから来たものに気付かないといけないです。


イエス様が十字架の死を話した時に、ペテロはすぐさまイエス様を止めました。

「そんなことがあってはいけない」と。

そして十字架を負わないように勧めました。


すると主は「下がれ。サタン。」と厳しく言いました。


今も私たちに十字架を負ってはいけないと誘惑をするのはサタンです。


「楽な道を歩んだら良い。苦難はイヤだろう。重い十字架は負わなくていい。避けたらいい。」と、まるで 私たちの味方のように親切に言います。


これは甘い誘惑です。

主はそれとは違って「自分の十字架を負って私に従いなさい。」と言われました。


十字架を負うことは私たちにとって良いことです。

私たちが地上で主のために十字架を負うと、その十字架は天国への喜びに変わります。


十字架を負うことは永遠の命にかかわる重要なことです。


サタンはそれを知っています。

サタンは、十字架を負いたくないすべての人を、自分の所(地獄)に連れて行きます。


そこには十字架の苦しみと比べられない苦しみが待っています。


サタンは私たちが十字架の道を歩まないように、あらゆる手段を使います。

私たちが永遠の命も永遠の喜びも受けてほしくないからです。


主が私たちの十字架を共に負ってくださるので、私たちはその中で以前は味わったことのない霊の喜びを感じることが出来ます。


主が与えてくださる十字架には、必ず慰めと助けがあります。


その方の愛と助けを信じないと 十字架を負う気がなくなり、十字架が耐えられない苦しみに感じられます。

そうなると本当にみじめな状態になります。


十字架が来た時は「主よ。感謝します。受け入れられるように恵みを下さい。十字架を負って喜んで耐えられるように恵みを与えて下さい。」と祈り求めることです。


苦難は、主と深い交わりが出来るチャンスでもあります。

苦難の時に、私たちは主しか頼れる所がないからです。


十字架の中には豊かな実があり、栄光があります。

十字架の中に勝利と復活があります。


産みの苦しみなしに新しい命の誕生がないのと同じです。


十字架は、私のたましいを この地上から解放して天国に導く有益をもたらします。




◎勝利を与える主の力に頼ること




私たちは自分の怠けさと罪との霊的戦いをしなければなりません。

勝利に戦いはつきものです。


「面倒くさいから今のままでいいんじゃないか?」と思う人に勝利はないです。


このままではいけないと思いながらも 悩むだけで何もせず、後回しにする人は どんどん信仰が弱くなり、無気力になっていきます。
そしてサタンに支配されます。


イエス様もサタンとの激しい戦いをして勝利しました。


ですから、私たちにも勝利出来る力を与えて下さいます。

力を与えたいと願っておられます。


私たちが毎日主の名を呼び、主に頼るならば、その力を得ることが出来ます。


主は私たちを贖う方、助ける方、力を与える方です。

それに対する信頼が必要です。


私たちが主の中にとどまり、主の弟子になるならば、私たちの人生の中に命と豊かな実を結ぶように働いて下さいます。


勝利は主の中にとどまる時だけです。

イエス様は何よりも私たちが主と共にいることを願っています。

そして私たちの愛を願っています。


弟子たちは自分だけの力では勝利することは出来ませんでした。


しかし一日中イエス様のことを考え、主を愛し、主の愛から離れなかったので、自分たちの心を守ることが出来ましたし、信仰を守ることも出来、主を裏切ることもありませんでした。


自分が毎日、主の中にとどまっているのか、主を愛しているのか、主のために犠牲を払う準備が出来ているのか、負うべき十字架を負っているのか、主に対して関心があるのかなど点検してみて下さい。


そして一つ一つ悔い改めながら立て直して下さい。

私たちが自分の中にある問題点に気付いて、主との静かな時間の中で主の前に出て行くならば解決されていきます。

主の前に出ない限り、ますます状態は悪くなっていきます。


主のことばのようにやってみて下さい。
(・◇・)ゞ

2016.8.28
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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