からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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悔い改め

使徒の働き29章は 私たちの働き

テーマは 『 使徒の働き29章は 私たちの働き 』 です

【使徒の働き28章31節】

大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。

本文のことばは、パウロの働きが書かれてあります。

彼は、訪ねて来る人たちを みな迎えて朝から晩まで語り続けました。


パウロは主に出会ってから伝道を始め、死ぬまで伝道のために いのちをささげました。


使徒の働きは 主の復活の後に 弟子たちが聖霊を受けて、イエス様から受けた命令に従って 人々に福音を伝えていく姿が記録されてあります。



どのようなことがあったのかを学びたいと思います。


使徒の働きは、聖霊を受けた使徒たちの 新しい働きから始まりました。


ペテロが他の弟子たちと立ち上がって、民に向かって初めてのメッセージを伝えたことで新しい時代が始まりました。

使徒の働きの時代です。


ペテロは大胆に福音を語りました。

キリストが救い主であり、メシヤであることを伝えました。


それによって何が起こったでしょうか?




最初の悔い改めが起こる




福音を聞いた人々は、使徒たちに次のように聞きました。


【使徒の働き2章37節】

「私たちはどうしたらよいでしょうか」

それに対して、使徒たちは このように答えました。


【使徒の働き2章38節】

「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。

そのことばを受け入れた者はバプテスマを受けました。

その数が三千人でした。彼らは弟子に加えられました。




最初の奇跡は3章に




生まれつき足のなえた人が、ペテロとヨハネによって完全に癒され、その人は歩くことが出来ました。


癒しの奇跡のためにペテロはこのように言いました。


【使徒の働き3章6節】

「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって歩きなさい。」



最初の迫害




最初の迫害は、大勢の人が信じることで危機感を感じた祭司たち、宮の守衛長、サドカイ人によって起こりました。

彼らは 使徒たちにこのように言いました。


【使徒の働き4章18節】

「いっさいイエスの名によって語ったり教えたりしてはならない。

このように厳しく命じました。




最初の執事たち




最初の執事たちが選ばれました。


信じる者が増えることで、問題も色々起こりました。

それらの問題を解決し、教会の働きをするための働き人たちが任命されました。


その時に、使徒たちは このように言いました。


【使徒の働き6章4節】

私たちは、もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むことにします。」



最初の殉教者




最初の殉教者が出ました。


7人の執事の1人である聖霊と知恵と恵みと力に満ちたステパノが、敵意と妬みを持っていた人たちが投げた石に殺されました。


死んでいくステパノはこのように祈りました。


【使徒の働き7章59、60節】

「主イエスよ。私の霊をお受けください。

主よ。この罪を彼らに負わせないでください。



最初の異邦人の回心




神様は わざわざペテロに幻を見せて、彼を百人隊長コルネリオの家に遣わしました。


ペテロはそこで福音を語り、集まった異邦人たちが聖霊を受け、救われました。




最初の使徒の殉教者




使徒の中でも最初の殉教者が出ました。

ヘロデ王がヤコブを剣で殺しました。


しばらく立たないうちに 神がヘロデ王を打ったので、彼は虫にかまれて死にました。




宣教に対する最初の召命




アンテオケの教会で、パウロとバルナバが神の命令によって 異邦人宣教のために召命を受けました。


彼らは異邦人宣教のために すぐに出かけました。

このようにして福音は、エルサレムから全世界に広がるようになりました。


弟子が弟子を作り、彼らが福音を伝えることで、今も使徒の働きは続いています。

神の弟子たちへの使命です。


【マルコの福音書16章15節】

「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。

そこで彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えました。

主は彼らと共に働き、みことばに伴う しるしをもって、みことばを確かなものとされました。



私たちが弟子たちのように福音を伝えていく時に、主は 今も共に働いて下さいます。


使徒の働き29章は、実際に聖書にはないですが、使命を受けた私たち1人1人の働きが書かれなければなりません。

そして、その29章は、主の再臨の時まで続きます。


再臨の後は主の裁きの時ですから、その時は救いのチャンスはありません。


神は、私たちの働きによって一人でも多くの人が救われることを願い、また神の国が広がることを願っておられます。


アーメン (・∀・)

2018.7.1
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惑わしの霊に惑わされた人とは

テーマは 『 惑わしの霊に惑わされた人とは 』 です

【第2テサロニケ2章3、9-12節】

だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないからです。


不法の人の到来は、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力、しるし、不思議がそれに伴い、

また、滅びる人たちに対するあらゆる悪の欺きが行われます。なぜなら、彼らは救われるために真理への愛を受け入れなかったからです。

それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。

それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。

終わりの時代の特徴の一つは、サタンが教会の中に惑わしの霊を送り、多くの者が惑わされ、その人たちによって背教が起こることです。


しかし惑わされた人たち、惑わされた教会の悲劇は、それに気付いていないです。

惑わされることは、“ すべてのことが明白にされたにも関わらず、目と耳がふさがれて、事実を悟ることが出来ない” ことです。


教会が惑わされていることは、すでに神のさばきが その教会に臨んであることです。


信じる者が惑わされると、心が頑なになり、目と耳がふさがれるので、自分の罪を悟ることも、真理を悟ることも難しくなります。


その状態のままでいくならば、それがさばきです。

滅びの中にそのまま置かれることが裁きです。


教会でも、惑わしの霊が働くと真理とは関係ないこと、神とは関係ないことが平気に行われます。

非真理を まるで真理のように伝えます。

そして、いつの間にか真理ではなく、人間の教えを教えるところもあります。


信徒たちも あまりそのことを気にすることもないです。


“悔い改めなさい” ということばが、教会で語られてなくても、それを問題ないと考えたりもします。

それは惑わされて目と耳がふさがれている状態です。


ですから、イエス様は よく「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われました。


背教は教会の中から起こります。

すでに背教が始まっているのに、それに気付いていない場合が多いです。






律法学者やパリサイ人は、神に敵対しながらも、自分たちは誰よりも敬虔で、信仰深く、神に喜ばれていると思っていました。

そのようなことが今の時代さらに起こってあります。


覆いがあるので気付かないのです。

“惑わし” という覆いがあるために、目が見えず、耳も聞こえません。


ある特定の思想や理念が骨まで染みて洗脳された人は、自分の思想と理念を守るために、真理であってもそれを蹴ってしまいます。


イエス様が真理を語っても 彼らは真理を悟らず、敵意をもって主を非難しました。

その姿を見たイエス様は、彼らに対して「わざわいだ。目の見えぬ手引きども。」
また「目の見えぬ者たち。」と言いました。

さらに次の箇所では、


【マタイの福音書23章13節】

わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは人々から天の御国をさえぎっているのです。目分も入らず、入ろうとしている人々をも入らせません。

惑わされた者がやっていることは 主が喜ぶことではなく、サタンが喜ぶことをします。


惑わされた人は みことばの知識がないから惑わされたでしょうか。


―― そうではないです。

たくさんの知識があっても惑わされる人がいます。


なぜ神のことばの知識があるのに惑わされたでしょうか?

惑わされやすい人の姿があります。


人を恐れ、人から認められたいと願っている人 が惑わされやすいです。


パリサイ人にも見られた姿です。

今も人を恐れ、人から認められたい思いが強いならば、牧師であっても信徒であっても惑わされます。


それを見て、サタンは惑わしの霊を送り、人々を惑わし、あらゆる不思議なことや奇跡も行います。

それによって人々は惑わされます。


また、苦難を嫌がる人々も惑わされやすいです。


苦難が嫌だから妥協して信仰から退きます。


惑わされた人たちは、自分で愚かなことをしていても、また背教の状態になっていても悟っていません。


惑わしの霊が人の霊を支配するので、その人たちは世の流れに抵抗なく従います。

そして善を悪と言い、悪を善と言います。

正しい分別が出来なくなります。


神が真理を通して罪だと言うのに、それを否定して罪ではないと言う人は 惑わされた人です。


大衆文化、政治、社会、教育、宗教など すべての面にそのような傾向があるならば、自分の中に惑わしの霊が働いている証拠です。


すべてを神の視覚で、神の基準で測ってみるならば、自分が惑わされているか いないかを判断することが出来ます。


神が悪と言ったならばそれは悪ですし、善と言ったものは善です。


世の中の常識とは違っても、神のことばが真理です。


それを曲げている人は惑わしの霊が働いてあります。






聖書には麦と毒麦のたとえ、羊とヤギのたとえがあります。

信じる人の中で、惑わされた人と惑わされてない人を分けます。


自ら信仰があると自慢しても、惑わされた人は主とは関係ない人です。


本当に主との関係が良い人は何も考えず、何の疑いもなく世の思想や価値観、風潮を受け入れず、必ず真理の物差しで霊的分別をします。


しかし人や環境、問題などに振り回されやすい人は、正しい霊的知識も乏しいので、真理の物差しで判断するよりは 周りの意見や自分の思い、自分の価値基準で分別するので、そこで惑わしの霊が働きます。


惑わしの霊は エデンの園でもアダムとエバを惑わし、今も信じる人々を惑わすために様々な策略をもって働いています。


その様子も主が教えて下さいました。

主のことばに目を開き、耳を開いて下さい。


「私は大丈夫だ」 と思うことが一番危ないです。

自分を信頼し過ぎるからです。


【イザヤ書9章16節】

この民の指導者は迷わす者となり、彼らに導かれる者は惑わされる。

【マタイの福音書24章11節】

また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。

【マタイの福音書24章24節】

にせキリスト、にせ預言者たちが現れて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。

アーメン (  ̄っ ̄)

2018.6.10
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必ず代価を払うようになる

テーマは 『 必ず代価を払うようになる 』 です

【マタイの福音書13章18-23節】

ですから、種蒔きのたとえを聞きなさい。

御国の言葉を聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。

また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。

しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間、そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。

また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。

ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」

本文の種まきのたとえは知っていると思います。

今日は「必ず代価を払うようになる」とテーマを決めました。


良い実を結んだ人とは関係なく、良い実を結ばなかった人に対するメッセージです。


畑は、人の心を現してあります。

四つあるので四つのタイプの人が出て来ます。


その中で良い実を結んだ畑は一つだけで、ほかは悪い実を結びました。

良い実がない人は、すべて悪い実を結んだことになってあります。

良い実を期待したのに、期待する実がないことは主の目に悪い者です。


良い実を結んでいない三つのタイプの人は「時を逃した人」と言えます。

神が与えた恵みの時をすべて逃した人と言えます。


良い実を結んだ人は「時を知り、時を生かした人」です。



私たちの人生は与えられた時間だけです。

その中ですべきことをしなければなりません。


実を結んでいない三つのタイプの人の共通点は「時を逃した人たち」ですが、
彼らはどのような時を逃したでしょうか?






  • 悔い改める時があったのに 悔い改めをせず時を逃しました

  • 愛する時があったのに、愛することをせず時を逃しました

  • 赦す時があったのに、赦さずに時を逃しました

  • 福音を伝える時があったのに、福音を伝えませんでした

  • 聖霊によって祈る時があったのに、祈りをしませんでした


なぜ時を逃してしまったでしょうか?

問題は彼らの心にありました。


心によって 神との関係、人との関係、環境も信仰も結ぶ実も変わってきます。


どんなに良いものでも 悪い心の中に入れると、悪いものになってしまいます。

悪い心で良い実を結ぶことは絶対に出来ないです。


私たちの心に傷と苦い根と憎しみ、妬み、争い、劣等感、被害意識、偽り、淫乱、つぶやきなどあらゆる汚いものが満たされてあると、それは悪い心で、そこから聖い信仰も良い実も出ることはないです。


主は最初から「自分を捨てなさい。」と言われました。

このような悪い心を捨てなさいという意味です。


まずは捨てることです。

捨てないならば、その心に愛と聖である主は住むことが出来ません。


悔い改めることは、心にある汚いものを捨てることです。

汚い所に良いものを入れても、悪いものに染まってしまいます。


十字架の前に出て、自分を否定することは、自分の心の中を空っぽにすることです。


肉の思い、偏見、汚い思いを捨てて空っぽにするならば、主はそこに主の愛と赦しと恵みを入れて下さいます。


心に悪いものを貯めた状態で信仰生活をするならば、救いの完成に至ることはありません。





悪霊の例を挙げます。


悪霊はイエス様のことをよく知っていました。

そしてみことばもよく知っていましたし、恐れていました。

「あなたこそ神の子です。」とも言いました。


(悪霊は)救われたでしょうか?

―― 救われていないです。


なぜでしょうか?

悪霊は絶対に悔い改めないからです。


そして自分の過ちも知らないし、愛さず、赦さず、相変わらず自分の悪い思いが要求するまま行動します。

悪い実しか結んでいないです。


ですから永遠の滅びしか残されてないです。



もし自分で信仰があると言い、賜物を使って働いたと言っても、心の中に悪い思いを持ったままなら、救われていない悪霊と同じ扱いを受けるようになります。


神が与えた時を逃し、すべきこともせず、自分の思いのままに生きた人たちに 神は代価を払わせます。


良い実を結んだ人は、すでに主が十字架で代価を払って下さったので払う必要がありません。


しかし悪い実を結んだ人たちに対しては厳しい代価を払わせます。

死んだ後に必ず代価を払わせますが、生きている時にも代価を払う時があります。


次の箇所は代価を払う姿です。


【マタイの福音書7章19節】

良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。

【マタイの福音書7章22-23節】

その日には大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇跡をたくさん行ったではありませんか。』

しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』

【ヨハネの黙示録20章13-15節】

海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行いに応じてさばかれた。

それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。

いのちの書に名の記されていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。

これからの時代でも代価を払う時が来ます。

今は終わりの時代です。


終わりの時代に定められてあるのは、携挙と7年の大患難、そして主の再臨と裁きです。


三つのタイプの人たちは、残念ながら携挙されません。

地上に残されて大患難を受けます。


ノアの時代のように箱舟の戸が閉められた後に、外に残されて大洪水でいのちを落としました。


主と携挙された人たちは 婚礼の祝宴に入りますが、祝宴の戸が閉められて外に残された人たちは、大患難の中で代価を払わなければなりません。


キリストの苦難の十字架によって もたらされた永遠のいのちと救いを軽く考え、ないがしろにした代価を払わないといけないです。


大患難の中で耐えられるでしょうか?

火のような試練の中での信仰生活はほぼ無理です。


結局サタンの奴隷にされ、サタンが受ける同じ扱いを受けます。


時が少ししか残されていません。

時を知り、時を生かしますか?


それとも時を逃して自分の思いのままに生きますか?


今は決断の時です。 ( -д-)ノ


2018.6.3
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聞かれる祈りの内容

テーマは 『 聞かれる祈りの内容 』 です

【詩篇66編18-20節】

もしも私の心にいだく不義があるなら、主は聞き入れてくださらない。

しかし、確かに、神は聞き入れ、私の祈りの声を心に留められた。

ほむべきかな。神。神は、私の祈りを退けず、御恵みを私から取り去られなかった。

自分の祈りが いつも聞かれると、「祈りなさい」と言われなくても聖徒たちは喜んで祈ると思います。


しかし、祈っても聞かれない祈りがあると 神様は教えて下さいましたので、祈る前にそれを点検して祈りを始めることです。


聞かれない祈りには原因があります。

≪ 快楽のための悪い動機、不義、利己的、疑い、不信仰、不従順、高慢、不人情 ≫


それでは聞かれる祈りのためには、正しい動機はもちろんですが、祈りの内容も大切ですので、今回は “聞かれる祈りの内容” を話します。




私の罪、咎が何かを悟らせて下さい




自分の「罪、咎、過ち、不義」が何かを知るための祈りです。

私たちは弱い人間ですから、時々試みにあって罪を犯します。


ですから、悔い改めて “神の赦しを求める祈り” が必要です。

罪があるのに 罪を認めない人の祈りは聞かれません。


【第1ヨハネ1章10節】

もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。

罪を認めるダビデの祈りは、主が聞いて下さいました。


【詩篇51編3-4節】

まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。私の罪は、いつも私の目の前にあります。

私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行いました。それゆえ、あなたが宣告されるとき、あなたは正しく、さばかれるとき、あなたはきよくあられます。

罪を認める人と認めない人がいます。


人間は なかなか自分の罪を認めようとせず、そこから目をそらし、隠そうとします。


それは罪を育てる危険なことです。


反対に 罪を明るみに出して、悔い改めて罪の赦しを受けるために罪を悟らせて下さいと祈る必要があります。


人と動物の違いは何でしょうか?

自分の罪、咎、過ちを悟り、恥を感じながら悔い改めることです。


いつも主の前に出て罪を告白し、赦しを求める者になりますように。




主の御心がなるように




主を信じ、主の栄光のために生きる と言いながら、主の御心に従って歩んでいない時がとても多いです。


神のみこころと自分の思いがぶつかった時に、主のみこころに従わず、自分の思いを通そうとしたことはありませんか?


主の御心から離れて 自分の思いのままに生きたことで様々な問題が生まれ、心が荒れ果てます。



自分の自我、高慢が打たれ、御心に従う者になれるように祈ることです。


主の十字架の上に自分の思いを釘づけ、主の御心に従うことです。

主はみこころがなるように祈る時に 聞き入れて下さいます。


イエス様は十字架にかかって死ぬ日が近づいた時にこのように祈りました。


【マタイの福音書26章39節】

それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。

主の十字架に自分の思いを釘づけ、私のいのちの限り、主の御心に従います。
アーメン。




聖霊で満たして下さい




聖霊に満たされないと、聖霊の導きを受けることも、聖霊のみこころに従って歩むことも出来ません。


私たちの自我は肉の欲望を求めようとしますが、聖霊は私たちに益になることを教えます。

聖霊に対して主はこう語りました。



【ヨハネの福音書15章26節】

わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。

【ヨハネの福音書16章7-8節】

しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。

その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。

聖霊はこのように 真理について、罪について、義に対して、さばきについて私たちに教え、主のみこころを教えて下さいます。



私たちは自己中心に生きようとしますが、神は 私たちが神中心に生きることを願っておられます。


そのためにも聖霊に満たされる必要があります。


また正しい信仰で、教会生活、祈りの生活、奉仕生活を送るためにも 聖霊に満たされなければなりません。


主よ。いつも聖霊で満たして下さい。
私にきよい心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新しくして下さい。あなたの聖霊を私から取り去らないで下さい。
むしろ聖霊で満たして下さい。アーメン。




良い実を結ばせて下さい




主が私たちに期待することは、良い実を結ぶことです。

実を結ばないものは取り除くと言われました。


【ヨハネの福音書15章2節】

わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。

【ヨハネの福音書15章5-6節】

わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。

聖徒が良い実を結ぶことは必須です。


主にとどまっているならば、聖霊の光と恵みの雨によって 豊かな実を結ぶことが出来ます。


自分の力では良い実を結ぶことは不可能です。

良い実を結ぶために時に適う恵みを主に求めます。


主よ。豊かな実を結ばせて下さい。良い実を結ぶようにして下さい。
アーメン。


祈りが聞かれた時はいつでも感謝の心から主に賛美をささげます。
( ´∀`)つ


2018.3.11
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常に前進していくためには

テーマは 『 常に前進していくためには 』 です

【ピリピ3章12-16節】

私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そして、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。

兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、

キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。

ですから、成人である者はみな、このような考え方をしましょう。もし、あなたがたがどこかでこれと違った考え方をしているなら、神はそのこともあなたがたに明らかにしてくださいます。

それはそれとして、私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです。

新年になると、さらなる成長を目指して 新しい計画や目標を立てる人が多いです。


今年も すでに2ヵ月が過ぎましたが、順調に計画通りに進んでいますか。

それとも三日坊主で終わりましたか。


計画通りに進んでいる人より、思うように進んでいない人の方が多いと思います。

進んでいない様々な理由はあると思います。


しかし、環境よりも 自分自身に理由がある人が多いと思います。



みなさんはどう思いますか?

環境のせいですか。それとも自分のせいですか?


常に前進していく人は、素晴らしいと思います。

その人たちは環境が良いから、または運が良いので、問題なく前進していると思いますか?


今日のことばを語ったパウロは、あらゆる面から尊敬できる人で、学ぶべきところがたくさんあります。


いつも悪い環境で、迫害や反対、殺そうとする人たちまで いたにも関わらず、どのようにして いつも前進することが出来たでしょうか?



今日は、前進できた秘訣を学びます。

本文には 立ち止まった姿がなく、つねに前進していく姿が見られます。


  • 一事に励んでいる
  • ひたむきに前のものに向かって進み
  • 一心に走っている
  • 進むべきです

ここには、後退する姿も、わき見をする姿も、立ち止まった姿も、あきらめた姿もありませんでした。


伝道者として多忙な生活をしていました。

たくさんの迫害で体も弱かったです。


ゆっくり休める所もない不便な生活をしていましたが、彼は前進して実を結び、信じる者に手本を見せました。




信仰を日々 新しくする




信仰は 神の言葉の種をもらって、それを心の畑に植え、それを成長させ、実を結んでいくことです。


信仰があるか ないか、良い信仰か 悪い信仰かは、結ぶ実によって分かります。


良い信仰は良い実を結びます。

しかし、悪い信仰は悪い実を結びます。


良い信仰は、真理である神のことばを受け入れ、植えて、成長させて実を結びます。

良い信仰は常に前進していきます。


良い信仰のために、いつも自分の信仰の状態を診断して 悪い所は直し、良い所は伸ばします。


信仰を新しくしていきます。

決して白く塗った墓のようにはしません。


いつまで経っても良い実を結ばない信仰は 問題があります。

その人たちの中には 生ぬるい信仰、形式的な信仰があります。


生ぬるい信仰と 形式的な信仰は、中身を変えず うわべだけを白く塗って信仰生活します。

イエス様は、その人たちに向かって、“白く塗った墓のようだ” と言いました。



前進するためには、信仰を “常に新しくする” 必要があります。


信仰を新しくするためには、正しい選択が必要です。


堕落したこの世は、真理よりも偽りが溢れています。

真理よりは、偽りを受け入れ 信じることが多いです。


十字架の救いの道を選ばず、滅びと死の広い道を選ぶ人が圧倒的に多いです。


偽りは、信仰生活にダメージを与えます。

信仰をむしばみます。



ですから 前進するためには、善と真理を選ぶことです。

常に新しくしないと、偽りに導かれて歩むことになります。


毎日 真理の道を確かめながら、自分が真理に導かれているか どうかを確認していきます。


パウロは人々にみことばを教えましたが、自分にも厳しくみことばを適用しながら生きました。

日々自分の信仰を新しくして神のことばに従い、神と共に歩みました。




ビジョンを再確認する




ビジョンは生きるために必要です。

ビジョンがある人と、ない人は 生き方が違います。


自殺する若者が多いのはとても残念です。

生きる目的がないので、いのちを断ちます。


たとえ目的があったとしても、それは目に見える目的だったと思います。

そして うまく行かない時に絶望して、自らいのちを断ってしまいますね。



パウロはいつもいのちが狙われました。

しかし彼はそれを恐れませんでした。


彼には明確なビジョンがあったからです。

それは、自分が作り出したビジョンではなく、主から受けたビジョンでした。


そのビジョンは、いのちが尽きるまで続くビジョンでした。

“生きるにしても 死ぬにしても、主のために” これが彼のビジョンでした。


人の魂を救うために 福音を人々に伝えることが、彼のビジョンでした。



パウロは、イエス様から このようなビジョンをいただきました。

『 私の名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、私の選びの器 』


このビジョンを受けてからは、すべてが順調だったでしょうか?
―― とんでもないです。


最初からユダヤ人、異邦人たちに いのちを狙われ、絶えず迫害を受けました。


うまく行かない状況の中で、疑いや挫折がなかったと思いますか?

パウロは、その思いに支配されないために、いつも主から聞いたビジョンを再確認しながら前進していきました。



主のことばは変わりません。

状況が悪くても、主からのビジョンは変わりません。主は真実な方ですから。


主からビジョンをもらった人は、死に至るまで前進していきます。


前進出来ていない人は、ビジョンを失くした人です。

取り戻さないといけないです。




心を入れ替える




心を入れ替えないと、かたくなな心になります。

うなじのこわいものになります。


心を入れ替えない人は、心を閉ざして生きる人です。


自分の基準、判断、肉の思い、苦い根で いっぱいの心は “死んだ心” です。


肉の思いは憎しみ、妬み、高慢、敵に対する復讐心、のろいの剣などです。

それは冬のような心です。


季節は、冬の後には春が来ます。

そのように、心の季節も変えていかないといけないです。


憎しみや不信などで 氷のように冷たくなった冬の心に、春のような温かい 聖霊の恵みの風を受け入れ、心を新しくしていかなければなりません。


神様は愛と恵みと赦しを備えて待っておられます。



心を開いて、自ら反省して 心を引き裂き、悔い改めることです。


人の心を新しくするのも、神の愛と恵みと赦しを受けるのも、“悔い改め” の通路を通って入って来ます。



悪い思いを入れたままでは 苦い根が心に深く降ろされて、そこからあらゆる悪いものが実を結びます。

冷たい心は愛と恵みがない心です。


悔い改めるなら聖霊の風と愛と恵みの季節が自分の心にも来ます。



心を入れ替える人だけが、心も軽くなって前進することが出来ます。

神の恵みなしに、私たちは天国に向かって歩くことが出来ないです。


世のものや自分の力や努力で前進出来るのではないです。

それで進んでも 長続きしないです。


しかし信仰、ビジョン、心をいつも新しくするならば、常に前進することが出来ます。


神の国に向かって、

そして 目標に向かって ――。


アーメン v( ̄∇ ̄)v

2018.3.4
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一年間の総決算

テーマは 『 一年間の総決算 』 です

【ルカの福音書12章16-21節】

それから人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。

そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』

そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。

そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』

しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』

自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」

一年があっという間に過ぎたと みんなが言います。

そして一年間 何をしたのかよく分からないとも言います。


今日が今年の最後の日です。


今年をどのように締めくくり、新年を迎えるのか、この時間 考えようと思います。

一年間の総決算ですが、二つのことでの決算をしてみます。


まずは “地上に蓄えたもの” と “天に蓄えたもの” で考えます。


本文でも神様は、二つのもので金持ちの財産の決算をしました。



この金持ちは地上での決算はすごい黒字でした。

豊作でしたので すごく祝福されました。


地上に蓄えたものは、その人の汗と努力の結果で得たものですから、それも素晴らしい祝福です。

それは私たちの生活を豊かにするために神が与えた祝福です。


天に蓄えることは 私たちが神のみこころに従って、私たちがささげるすべてのものです。


これは地上での生活を敬虔に恵み豊かなものにします。


そして、それは神が喜ぶものであり、天に宝を積むことです。


【ルカの福音書12章33-34節】

持ち物を売って、施しをしなさい。自分のために、古くならない財布を作り、朽ちることのない宝を天に積み上げなさい。そこには、盗人も近寄らず、しみもいためることがありません。

あなたがたの宝のあるところに、あなたがたの心もあるからです。

困った者、貧しい者、助けが必要な人々に施しをしても 返してもらうことはないですが、それは天に宝を積むことになります。


神ご自身がその人を祝福します。

それは主の約束です。


【マタイの福音書25章40節】

すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』

ここの王はイエス様です。

その人たちに与えられる祝福が素晴らしいです。


【マタイの福音書25章34節】

そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。

私たちは どれほど主のためにささげ、主のために働き、また多くの人々に善行を行ったでしょうか。


預金通帳にお金が増え続けることが喜びでしょうか?

神に対して富まない生き方で満足していますか。


それとも 天に宝を積み上げることが喜びでしょうか?


ある人たちは「金持ちになってからにします」と言う人がいます。

主は それが言い訳であることを知っているので、持ち物を売って、施しをしなさいとも言われます。


次の箇所に模範になる人々がいました。

彼らは地上には何も蓄えていないですが、天にはたくさんのものを蓄えました。


【第2コリント8章1-5節】

さて、兄弟たち。私たちは、マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。

苦しみのゆえに激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。

私はあかしします。彼らは自ら進んで、力に応じ、いや力以上にささげ、

聖徒たちをささえる交わりの恵みにあずかりたいと、熱心に私たちに願ったのです。

そして、私たちの期待以上に、神のみこころに従って、まず自分自身を主にささげ、また、私たちにもゆだねてくれました。





もう一つ決算すべきものがあります。


それは、どれほど多くの愛と励ましと理解のことばを一年間残したでしょうか。


ある人たちは一年間、他人への非難と誹謗中傷をたくさん残したかも知れません。

それは必ずその自分自身に返って来ます。


すでに悲惨な結果を見た人もいると思います。

いま受けていなくても、いつかはそれが自分に返ってきます。


人間関係を壊し、信用を落とし、そして恥を受けます。

ですから今からでも悪口や非難したことに対して謝らないといけないです。


「すみませんでした。」「私が悪かったです。」
もしそれを実行に移さず、そのままにしておくならば 自分の心とたましいを どんどん病気にしていきます。


もし直接、言いにくいならば 主の前に出て告白して下さい。

罪を悔い改めて下さい。


そして以後、愛と励ましと理解のことばで満たして下さい。

一人一人 考えてみて下さい。


一年間 天にどれぐらい蓄えたのか、そしてどれくらい人に対して愛を示してきたのかを考えて下さい。


これは毎年 私たちが心掛けないといけないことです。
(。・ω・)ノ゙



2017.12.31
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十字架を負って歩む人

テーマは 『 十字架を負って歩む人 』 です

【ルカの福音書9章23-25節】

イエスは、みなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。

人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。

救世軍の創設者であるウィリアム・ブース牧師は、1921年に21世紀教会に対して心配しました。

今から100年前に何を心配したでしょうか?

六つありました。


1. 聖霊のいない教会

2. キリストのいないキリスト教

3. 生まれ変わりがない救い

4. 悔い改めのない赦し

5. 神のいない政治

6. 地獄のない天国


いま世界を見ると、これらのことばが あり得ない話ではなく、実際そのようになってしまった教会も多いです。


あいまいな教え、十字架のないメッセージ、妥協してしまった真理、罪も悔い改めも天国も地獄も語らず、肯定的思考、哲学、道徳、倫理の教えが流行っています。


どんなに素晴らしい教えであっても、キリスト信仰の本質であるイエス・キリストが抜けているならば、それはキリスト教信仰ではありません。


そして十字架を負わない信徒も 主の弟子にはなれないです。

主の弟子は、日々自分の十字架を負って歩む人です。


イエス・キリストの 人としての人生も、自分を捨て、自分の十字架を負ってまっすぐに歩んだ人生でした。


十字架にかかるために生まれ、十字架を負い、十字架の上で死なれました。

なぜでしょうか。

そこにはキリストとしての使命がありました。


人類を罪から救うため 神が立てた計画は、罪のない神の子キリストが 罪人の代わりに十字架の上で死ぬこと でしたので、最初からその十字架を負うために 地上に遣わされました。


そして神はキリストを死からよみがえらせ、天の御座にあげて、すべてのものがその前にひざをかがめるようにしました。


勝利も いのちも 神の国も 主の弟子として使命を全うした人に与えられるものです。

十字架を負って勝利した主は、私たちにも “主の弟子になるために十字架を負う” ように言われました。


イエス様には イエス様の十字架があるように、救われた者は弟子になって、自分が負うべき十字架を負わなければなりません。


これは とても大切なことですが、十字架を語らない教会、十字架を負わせない教会、十字架を負わない信徒たちが多いです。

教会の責任もあり、信徒の責任もあります。


出来るだけ多くの人々を集めることが目標である教会は、信徒たちを まるで “お客様” のように扱います。


お客様を大事にして、お客様が欲しいものを備え、お客様を喜ばせるために色々なイベントを催します。


「楽しんで下さい。何もしなくて良いです。ゆっくりして下さい。」と言います。

負担になる話もしないですし、奉仕もさせないです。気楽に参加して気楽に帰れるように配慮します。


それで人が集まると、教会がリバイバルしたと喜びます。


それが、主の求める弟子の姿であり、リバイバルでしょうか?

弟子はなく、お客さんだらけの教会が、“主の教会” でしょうか?


聖書を読んでみても、そのように教えた箇所は一つもありません。






信じることも、主の所に来ることも 難しいことではありません。


しかし主について行きたいと願うならば、話は違います。


その道は 主が言われるようにしないと、ついて行けない道です。


ですから そのようにしていない人は、弟子ではなく “お客さん” です。

本人がそれに甘んじています。


天国は お客さんを招待する所ではなく、主に従ってきた人が勝利者として入る所です。


私たちは騙されてはいけないです。

広い道を お客さんとして楽に歩いた人に、天国は保証されていないです。


キリストは「楽な道を 楽に歩くのではなく、険しい道を 十字架を負って歩きなさい。」と言われました。


その道を主も歩きました。

ついて行く人に他の道はありません。

キリストは、弟子になる者に 主について来たいならば こうしなさいと言われました。



「自分を捨て」と言われました。

十字架を負って 主に従うための一歩が、自分を捨てることでした。


自分を捨てることは、自我を捨てることです。

人間が最後まで捨てずに固執しているのは “自我” です。


思考、意志、やり方、性格、行動、計画など自分が優先、自分が主人であるという自意識です。


これを否定することが「自分を捨てる」ことですが、自我はなかなか素直に従いません。

神のことばに一番反抗するのも、この自我です。


自我を捨てず、死ぬまで主の働きをすることは出来ます。

しかし、その人の内面は信じる前と何も変わっていないです。
見た目は 信じる人に見えても、その人自身は変わっていないです。


弟子のように見えて、弟子ではないです。


自我を捨てなかったなら、人間は変わることも、十字架の道も歩けないです。


イエス様が神でありながら、人間になって十字架の道を歩けたのは自我を完全に捨てたので可能でした。


【ピリピ2章6-8節】

キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、

ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、

自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。

自分を捨てない人が、イエス様を 自分の主人にすることが出来るでしょうか。


私たちが自分を捨てることは、自分の主人を変えることであり、主のことばに従って日々聖なる者に変わっていくことです。


最近 中国で大規模な軍事パレードがありました。

内モンゴル自治区でも 北京でも1万2千人の軍人が参加しました。


内モンゴルでの習近平国家主席の演説だと思いますが、軍人たちに向けて「共産党のために永遠に仕え、命をささげるように」というようなことを語りました。

中国には230万人の軍人がいます。


彼らは共産党にために、国のためにいのちを捨てると思います。

その思いがないと、最初から軍人にはならないと思います。


その演説のことばや軍人たちの姿を見て、あることを ずっと考えていました。

「私はどうなのか ――」と。


共産党のために若い軍人たちがいのちを懸けているのに、私は主のためにいのちを懸けているのかと。


皆さんはどうでしょうか?主のために何が出来ますか?

なかなか答えられないと思います。


なぜなら主のために何が出来るかよりは、“主が 私のために何をしてくれるのか” に もっと関心があるからです。


これは弟子の姿ではなく、お客さんの姿です。


お客さんは自分を満足させてくれることだけを期待します。

しかし弟子は、主を満足させることだけを考えます。


軍人であるならば、命をかけて国のために戦います。

誰かが自分のために戦ってくれることを期待しません。

自分が誰かのために戦います。


それが、彼らが負っている使命の十字架です。


築地市場の火災現場では、消防士たちが一生懸命に消火活動をしていました。

建物の中が激しく燃えているのに、ある消防士が「中に入りましょう。」と声を出しました。


その後、消防士は火の中に入って行きました。

それが、彼らが負っている使命の十字架です。


軍人にふさわしく、消防士にふさわしくなり、その働きをするのが彼らの使命であり、彼らはそのために全力を尽くします。


主について行きたい人も、それにふさわしい者にならないといけないです。


弟子にふさわしい者になるためには 自分を捨て、弟子としての使命の十字架を負わなければなりません。


パウロは主について行く者になりました。

それをこのように表現しました。


【第1コリント9章23-27節】

私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。

競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。

また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。

ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。

私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。

彼はキリストにあって全く新しい者になり、きよくなり、数々の苦難と迫害の中で、自分の十字架を負って弟子の姿になり、勝利者になりました。


【第1テモテ6章14節】

私たちの主イエス・キリストの現れの時まで、あなたは命令を守り、傷のない、非難されるところのない者でありなさい。

このように言われてありますが、自分を捨てず、十字架を負わず、死ぬまで お客さんとして満足していますか?

それとも主のことば通りについて歩きますか?


いのちも勝利も救いも最後まで主について行くものが手にすることが出来ます。


十字架を負った者が勝利の主と喜ぶことが出来ます。
v( ̄∇ ̄)v


2017.8.6
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もし愛がないならば

テーマは 『 もし愛がないならば 』 です

【第1コリント13章1-3節】

たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。

また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。

また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。

今日のことばは、心にしっかりと止めないと 後に大変なことになります。


愛がすべてのいのちの源で、愛があれば価値があり、命があるのに、愛がないなら いのちも価値もないことを教えています。


みことばを知って本気にしていましたか?
それとも、今まで頭に入れただけでしたか?


この愛の価値と重要性は すでにイエス様から聞いています。


【マタイの福音書22章36-40節】

「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」

そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』

これがたいせつな第一の戒めです。

『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。

律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」

このように、“大切な愛” に対して、人々は軽く考えますが、主は決して愛を軽く考えたことがありません。


いつか私たちは、主の前に立って、主から裁きを受けます。


その時、神の裁きの基準も、“私たちが神を愛したのか、隣人を愛したのか” が一番の裁きの対象になります。


そこで人々は戸惑うでしょう。

愛が裁きの対象になるとは考えなかったからです。


この世では そういうものが裁きの対象には全くならないです。


しかし神は 人の心を見る方です。

行動の内側にある目的や動機に目を向ける方です。

そして、しっかりと調べる方です。






もし、私たちが熱心に主の働きをしても、そこに愛がないならば どうなりますか。


“異言、預言、知識、完全な信仰” などは、聖霊の賜物であり、“善行、献身” などは それによって現れた実でもあります。


神が下さった素晴らしい賜物で、良い実を結ぶことは主が喜ぶことです。


主が喜ぶことをしたにも関わらず、ある人々の働きは評価されません。

その理由として挙げられたのが「愛」でした。


本文にもあるように、その人の中に愛がないならば、何の値うちもないものと評価されます。


聖徒は神の働きをすれば、当然良い報いを受けるものだと期待しますが、神は みんなが同じ報いを受けることはないと教えました。


反対に厳しい目に会う者もいることを語りました。


【マタイの福音書7章22-23節】

その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。』

しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』

大いに期待した者たちが報われることもなく、悲惨なことに追い出されることになりました。

どのような理由で追い出されたと思いますか?


彼らに愛がなかったからです。


彼らは最初から愛がなかった者でしたか?
―― そうではないです。

彼らはみな、神を愛して神に従いました。


しかし、主の働きをしていく中で、彼らの愛が変わっていきました。

最初は主を愛し、魂を愛して一生懸命働きました。


しかし働きが続く中で、教会が大きくなるにつれて、彼らの愛が変わってしまいました。

そして心が主から離れるようになりました。


彼らは、教会や働き、自分自身をもっと愛する者になりました。

また ある者は富、ある者は世のもの、ある者は権力、ある者は快楽 を愛するようになりました。


表の働きには変化はありません。

しかし彼らは主への初めの愛から離れてしまいました。






エペソ教会に語った主のことばで確認することが出来ます。

エペソ教会は立派な働きをした教会でした。


信徒たちも熱心で、奇跡や賜物、みことばへの理解、霊的戦いなど すべてが揃った教会でした。


自分たちには 何の問題もないと思っていました。

しかし意外なことで主から非難されました。


【ヨハネの黙示録2章4-5節】

しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。

それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。

恐ろしいことばです。


燭台を取り外すことは、“教会を消す” という意味です。

なぜ、そこまですると思いますか?


教会はキリストの十字架の犠牲の愛によって出来た “愛の共同体” であり、神の愛を伝え、愛を実践する所なので、その力を失ったならば存在する目的がないからです。


なぜ、よく働いたクリスチャンたち、牧師たちの中で地獄に行く者がいますか?


彼らも最初は主を愛する者でした。

愛によって良い働きをしました。


しかし、途中から 彼らの愛が変わってしまいました。

イエス様よりも違うものをもっと愛する者になりました。


そして、死ぬまで それを愛し、悔い改めなかったので、彼らは地獄に行きました。

あり得ないことだと思ってはいけないです。



イエス様を一度裏切ったペテロに、再び使命を与える時に イエス様は何を彼に確認したでしょうか。

ヨハネの福音書21章15-18節 のことばの中にあります。


三度も主が彼に確認したことは、「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」でした。


主を一番に愛する心があるかどうかを確認しました。

主を一番に愛さず、働きをするならば、そこには別の目的があり、その人は結局 その目的のために働いたことになります。


ですからその働きは、主の働きにはならないので、主はそれを認めず、彼らは主とは関係のない働きをした者になります。


いま誰を一番愛していますか?

主ですか?
それとも、違うものですか ――。


この教会でも、主を愛さなくなった人たちがいます。

教会からも遠ざかりました。今、どこに向かっているでしょうか。


主を愛して奉仕をしていますか。

それとも別の目的があってやっていますか?


自分の心を点検してみて下さい。

あとで嘆くことがないように、初めの愛に戻るために悔い改めましょう。


役に立たないしもべにならないように、愛によって働きをする者になりましょう。
(・∀・)


2017.7.23
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本当に救われていますか?

テーマは 『 本当に救われていますか? 』 です

【使徒の働き2章36-42節】

ですから、イスラエルのすべての人々は、このことをはっきりと知らなければなりません。すなわち、神が、今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」

人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。

そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。

なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。」

ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って彼らに勧めた。

そこで彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。

そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。

長い間、教会に来ている人に、
そして 牧師や伝道師、教師、預言者、奉仕をしている信徒に「本当に救われていますか?」と誰が聞くでしょうか。


救われていると思うので、あえて聞くことはしないですね。


しかし、彼らがみな救われていると 誰が断言出来ますか?

実際は救われてもいないのに、救われたと勘違いして、教会に通い、そして働きをしている人もいます。


もしかしたら私たちの中にも 救われてない人がいるかも知れないです。


今日は一人一人が、「自分は本当に救われているのか」に対して考えたいと思います。







まずは、“救われること” は何でしょうか?


罪によってサタンの奴隷にされ、サタンの言いなりに生きていた人間が、神の福音を聞き、悔い改めて、神に立ち返り、神の恵みによって、そこから解放され自由の身になり、神の子どもになることです。


【ヨハネの福音書1章12節】

しかし、この方(イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

今日の本文は、人々が救いに導かれていく様子がありますし、救われた人々が その後に どのような生き方をしたのかが鮮明にしるされてあります。

彼らの姿は、確実に救われた人々の姿です。


もし自分は救われたと思っていても、彼らのような姿がまったくないならば、救われたと言えるでしょうか。


“救われること” ほど重要なことが人間にあるでしょうか。

これ以上に重要なことはないと思います。


永遠のいのちが懸かってありますから。


多くの人々は「救い」に関しては もちろん無関心ですが、救いを必要だと思って信じた人々の中にも実際は救われてない人がいるのが一番の問題です。


「本当に私は救われているのか。本当に天国に行けるのか。
主の再臨の時に携挙されるのか」


このことをよく考えながら生きている人は、目を覚ましている人です。


初代教会の信徒の姿は、本当に救われた人の典型的な姿です。

生活が神中心になり、礼拝中心になり、付き合う人も信徒たちに変わりました。


【第2コリント5章17節】

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

このことば通りに、古いものは過ぎ去って新しい者になりました。

これが救われた人の姿です。


この通りの姿が、初代教会の信徒たちからは見られました。

神の言葉に逆らって生きていた彼らが、今は神の言葉を堅く守る者になりました。


神との交わりもせず、遠く離れていた者が交わりをし、礼拝をささげ、祈りをささげ、神の中にとどまっていました。


毎日神と共に歩む生活をするようになりました。

これは古い人の時は想像も出来なかった生活です。


まったく新しい生活で、それを彼らは毎日喜んで続けていました。






このように皆さんも変わりましたか?


以前と同じ生活を今もしているならば、何を持って自分は救われたと言えますか?


キリストを知っているから、みことばを知っているから、礼拝を守っているから、それだけで自分は救われたと思っていますか?


救われたことは新しい者として生まれ変わったことですから、新しい生き方が必要です。


聖書にも書かれていないのに、神学者たちの解釈が、まるで真理であるかのように教会で教えたりすることは とても危険です。


真理は聖書にありますので、聖書を一番重視しないといけないです。


「ある神学者がこう言ったから、別に変わらなくても、このままの姿で大丈夫だ」 という教えは正しいでしょうか。


イエス様が律法学者たちに対して なぜあのように厳しかったと思いますか?

自分たちの考えから出た教えを神のことばより重視したからです。


自分たちの教えのために神の言葉を無にしたので、イエス様は非難しました。

こういうことが今も行われてあります。


「一度信仰告白したら何をしても天国に行ける」と 皆さんは信じていますか?


残念ながらそうではありません。

福音の門は広く開かれてありますが、救いの門は決して広くありません。


救いを、まるでバーゲンセールのように安売りする教理は 大きな間違いです。


【マタイの福音書7章13-14節】

狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。

いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。

これが聖書の教えです。


救いを安く売って大量に天国に入ることが真理ではなく、本当に救われる人は少ないのが真理です。


このことを語った後に すぐイエス様はこのように語りました。


【マタイの福音書7章15-16節】

にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。

あなたがたは、実によって彼らを見分けることが出来ます。ぶどうは、いばらから取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。

救いを安く売っている者は にせ預言者です。

救われてもいないのに、救われたと言う者、天国にも行けないのに、行けると言う者はにせ預言者です。


真理は 真理の実、偽りは 偽りの実を結びます。

サタンが蒔いた偽りの教えが、キリスト教の中にもたくさんあります。


耳に良いことばに騙されて、魂が眠ったままの信徒たちがたくさんいますし、今のままでも自分は救われているから平安だと安心しています。

しかし神のことばは 偽りを必ず暴きます。


バプテスマのヨハネが この偽りを見抜きました。


水のバプテスマを受けたから間違いなく天国に行けると思っている人は、よく聞いてほしいです。

水のバプテスマを授けていたヨハネのことばです。


【マタイの福音書3章7-10節】

しかし、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けに来るのを見たとき、ヨハネは彼らに言った。「まむしのすえたち。たれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。

それなら、悔い改めにふさわしい実を結びなさい。

『われわれの父はアブラハムだ』と心の中で言うような考えではいけない。あなたがたに言っておくが、神は、この石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。

斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。

有名な祭司や律法学者が自分の所に来る姿を見て、ヨハネは歓迎したでしょうか。


“悔い改めてもない者が 水のバプテスマを受けても無駄だ” と宣言していました。


宗教家であっても、神が望む悔い改めがなく、信仰告白と儀式だけでは救われないです。

悔い改めて新しく生まれ変わっていないならば、その人の所属は 相変わらずサタンの奴隷です。


ですから「まむしの子」と言われました。

彼らは良い実ではなく、いばらとあざみの実を結んでいました。


神は 人の心を見て、その人を判断します。


信仰告白、洗礼、悔い改め、そして聖霊によって生まれ変わったならば良いですが、そうでないなら、ただ “宗教をやっているだけ” で、未だに救われていないです。


「まむしの子」と言われた彼らが、後に何をしたでしょうか?

キリストを十字架につけた群れになりました。


悔い改めがきちんとされず、生まれ変わってなくても宗教生活は出来ます。

しかし、古い人が良い実を結ぶことは出来ないです。


救われているかいないかも 実を見て判断することが出来ます。


悪い木は悪い実を、良い木は必ず良い実を結びます。

これは変わることのない法則です。


悪い実を結んだ人に対して、さらに このような言葉もあります。


【ヘブル6章5-8節】

神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで、

しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることは出来ません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。

土地は、その上にしばしば降る雨を吸い込んで、これを耕す人たちのために有用な作物を生じるなら、神の祝福にあずかります。

しかし、いばらやあざみなどを生えさせるなら、無用なものであって、やがてのろいを受け、ついには焼かれてしまします。

焼かれる場所が天国でしょうか。

天国ではなく、地獄です。


救われた人は、生涯を通して救われた証明になる “良い実” を結ばないといけないです。


悪い実を結ぶことは最初から救われていないか、救われた後に堕落したかです。


救いの道に入ったことは 新しい人に生まれ変わったことですから、その時から良い種を蒔いて、良い実がなるようにしなければなりません。


相変わらず悪い種を蒔いて 悪い実を結ぶならば、古い人のままだと思います。

実がその人の実態を教えています。






本当に救われた人の姿を確認したいと思います。


【エペソ4章17-24節】

そこで私は、主にあって言明し、おごそかに勧めます。もはや、異邦人がむなしい心で歩んでいるように歩んではなりません。

彼らは、その知性において暗くなり、彼らのうちにある無知と、かたくなな心とのゆえに、神のいのちから遠く離れています。

道徳的に無感覚となった彼らは、好色に身をゆだねて、あらゆる不潔な行いをむさぼるようになっています。

しかし、あなたがたはキリストを、このようには学びませんでした。

ただし、ほんとうにあなたがたがキリストに聞き、キリストにあって教えられているのならばです。まさしく真理はイエスにあるのですから。

その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、

またあなたがたが心の霊において新しくされ、

真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。

【エペソ4章5章1-9節】

ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。

また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。

あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。

また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。

あなたがたがよく見て知っているとおり、不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者―― これが偶像礼拝者です、―― こういう人はだれも、キリストと神との御国を相続することができません。

むなしいことばに、だまされてはいけません。こういう行いのゆえに、神の怒りは不従順な子らに下るのです。

ですから、彼らの仲間になってはいけません。

あなたがたは、以前は暗やみでしたが、今は、主にあって、光となりました。光の子どもらしく歩みなさい。

―― 光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです ――

【第1テサロニケ5章5-10節】

あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。

ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。

眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。

しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。

神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。

主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。

そして、次の箇所にも救われた人の姿があります。


【ヘブル10章37-39節】

「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。

わたしの義人は信仰によって生きる。もし、恐れ退くなら、わたしのこころは彼を喜ばない。」

私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。

自分は本当に救われたかどうかを、これらのことばで判断して下さい。


まったく違う姿であるならば、最初からやり直すことです。

神への信仰、悔い改め、水のバプテスマ、聖霊のバプテスマ、すべてをやり直してください。


そして新しい生き方をして下さい。

変わらない姿のままで、天国は行けないです。


神に立ち返って本当に救われてほしいです。
ヽ(TдT)ノ


2017.7.2
聖日礼拝メッセージ

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神の愛がわかりますか

テーマは 『 神の愛がわかりますか 』 です

【ルカの福音書15章1-7節】

さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。

すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」

そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。

「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。

見つけたら、大喜びでその羊をかついで、

帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。

あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正し人にまさる喜びが天にあるのです。

【ルカの福音書15章11-32節】

またこう話された。「ある人に息子がふたりあった。

弟が父に、『お父さん。私に財産の分け前を下さい』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。

それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。

何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。

それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。

彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。

しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。

立って、父のところに行って、こう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。

もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』

こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。

息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』

ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。

そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。

このむすこは、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして彼らは祝宴を始めた。

ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえて来た。

それで、しもべのひとりを呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、

しもべは言った。『弟さんがお帰りになったのです。無事な姿をお迎えしたというので、お父さんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。』

すると、兄はおこって、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。

しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。

それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』

父は彼に言った。『子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。

だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」

厳しい神のイメージしか持っていない人が多いですが、神の本当の姿は “愛の神” です。


「神は愛です。」と言われてあります。

それを信じていますか?


本文で、神の愛が どのような形で現れたのかを見て、神の愛を感じてほしいです。


神の愛を知ることは、私たちにとって “大きな恵み” です。




ひとりの魂も見捨てず、捜し歩く愛、労苦を惜しまない愛




【ルカの福音書15章4節】

「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。



無限の喜びの愛




【ルカの福音書15章5-6節】

見つけたら、大喜びでその羊をかついで、

帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。

【ルカの福音書15章22-23節】

ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。

そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。

【ルカの福音書15章32節】

だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」



すべてを与えて下さる愛




【ルカの福音書15章12節】

弟が父に、『お父さん。私に財産の分け前を下さい』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。

【ルカの福音書15章31節】

父は彼に言った。『子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。



帰って来ることを切に待ち望んでいる愛




【ルカの福音書15章20節】

こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。



無条件に赦す愛




【ルカの福音書15章21-23節】

息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』

ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。

そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。



権威を回復させて下さる愛




【ルカの福音書15章22節】

ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。

失われた一人の魂を捜し求める 神の心が 神の愛です。


一人の魂をどれほど主が大切に思っておられるかを知りましょう


【マタイの福音書18章10-14節】

あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。まことに、あなたがたに告げます。彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。

〔人の子は、失われている者を救うために来たのです。〕

あなたがたはどう思いますか。もし、だれかが百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷い出たとしたら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。

そして、もし、いたとなれば、まことに、あなたがたに告げます。その人は迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜ぶのです。

このように、この小さい者たちのひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではありません。

アーメン (・∀・)つ

2017.6.18
聖日礼拝メッセージ

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