からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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忍耐

神からの良い報い

テーマは 『 神からの良い報い 』 です

【へブル6章10-12節】

神は正しい方であって、あなたがたの行いを忘れず、あなたがたがこれまで聖徒たちに仕え、また今も仕えて神の御名のために示したあの愛をお忘れにならないのです。

そこで、私たちは、あなたがたひとりひとりが、同じ熱心さを示して、最後まで、私たちの希望について十分な確信を持ち続けてくれるように切望します。

それは、あなたがたがなまけずに、信仰と忍耐によって約束のものを相続するあの人たちに、ならう者となるためです。

自分が信じる神がどのような方なのか正しく知っていますか?


私たちが信じる神は正しく、真実で公平な方です。

また変わらない方であり、すべてご存知で、私たちの行いを忘れずに覚えておられる方、また良い報いを与えて下さる方です。


神を知れば知るほど 神への信仰も強くなり成長します。

また良い報いを与えて下さる神であることを知っていれば、私たちの信仰も行動も変わります。



神は、私たちが神を正しく知って この世で良い働きをすることを願っておられます。


救いは信仰によって受けますが、信仰には それにふさわしい良い行いが伴わないといけないです。

すなわち良い実を結ばないといけないことです。


聖徒は良い報いがあるから良い働きをするのではなく、神を愛するから良い行いをします。



良い行いをする前にすべきことがあります。

まずは確認です。


【ローマ12章2節】

この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

良い行いをするための私たちの態度に対してはまず、愛の行いをすることです。


見せかけの信仰ではなく、心から神を信じ、その信仰で聖徒の愛を実践する人は決して神の救いからもれることがないです。



神は聖徒が愛の精神で良い行いをする時に、それを喜んで受け入れ必ず良い報いを与えて下さいます。


【第1コリント3章8節】

植える者と水を注ぐ者は、一つですが、それぞれ自分自身の働きに従って自分自身の報酬を受けるのです。

【ヨハネの黙示録2章23節】

また、わたしは、あなたがたの行いに応じてひとりひとりに報いよう。


そして他人に対しての愛の行いだけでなく、自分自身の信仰を成長させる時も 神はその人に素晴らしい報いを与えます。

それは永遠のいのちであり、天の御国です。



信仰が成長せず、しかも堕落してしまった人には良い報いはありません。


神の真理のことばを聞いても、悟らず怠けて、天国への望みをもって追及しないなら、神が用意した栄光あるものは受けることが出来ないです。


信仰の成長や信仰の忍耐は神の約束の祝福を得るために必要です。


【へブル6章15節】

こうして、アブラハムは、忍耐の末に、約束のものを得ました。

アーメン (・∀・)


2020.10.11
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誰を赦そうとしたのか

テーマは 『 誰を赦そうとしたのか 』 です

【ルカの福音書23章33-34節】

「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。

そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。

イエス様が十字架にかかった場面を想像して下さい。


小高い丘には十字架が三本ありました。

二人の犯罪人とイエス様です。


大勢の人々がその光景を見に集まっていました。

悲しみながらその死を見守っているのではなく、自分たちの勝利に歓声をあげている者たちがほとんどでした。


彼らは総督ピラトの所にイエスを連れて行き、「十字架だ。十字架につけろ。」と叫び続けていたので、自分たちの願い通りになったことで喜び、勝利に酔っていました。


そして指導者たちは嘲笑って、「あれは他人を救った。もし神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。」と言いました。


他にも「ユダヤ人の王なら、自分を救え。」「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え。」と嘲笑いました。



あらゆる声が聞こえましたが、それにイエス様は一切反応することなく祈りました。

「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」


これは誰のために祈ったでしょうか?


自分に罪をかぶせたパリサイ人や宗教指導者たちですか。

自分に死刑判決を下したピラトですか。

鞭打って十字架につけたローマの兵士たちですか。

自分を裏切って逃げた弟子たちですか。

恩知らずの群衆ですか。


イエス様が父に赦して下さいとお願いした人々は、自分が何をしているのか分かっていない人たちでした。


すなわち、自分が神の子を殺していることを知らない人たち、
律法を守り 正義と公義を行わなければならないのに 自分たちの既得権と貪欲な心でそれを捨てた者たち、
自分たちの罪のために十字架にかかって血を流していることを知らない者たち、
偏見をもって誤った判断をした者たち、
神に敵対しているすべての者たちのために、イエス様は父なる神に赦しを祈りました。



苦しみの中で自分のために祈るのが当たり前なのに、また人々を呪っても仕方ないような状況の中で、イエス様は自分が何をしているのか分からない人々のために 父に祈っていました。



主の愛と赦し、犠牲、忍耐は十字架の上での祈りにすべて現れました。


これでもキリストを嘲笑いますか。

拒みますか。


「キリストの十字架は、私とは何の関係もない」と言いますか。


【第1ペテロ2章22-24節】

キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。

ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。

そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

アーメン ヽ(TдT)ノ


2020.9.13
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狭い門と良い実、岩の上に建てた

テーマは 『 狭い門と良い実、岩の上に建てた 』 です

【マタイの福音書7章13-27節】

狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。

いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。

にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。

あなたがたは、実によって彼らを見分けることができます。ぶどうは、いばらからは取れないし、いちじくは、あざみから取れるわけがないでしょう。

同様に、良い木はみな良い実を結ぶが、悪い木は悪い実を結びます。

良い木が悪い実をならせることはできないし、また、悪い木が良い実をならせることもできません。

良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。

こういうわけで、あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。

わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。

その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。』

しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』

だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。

雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。

また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。

雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」

この世で神を信じて聖徒として生きることがどういうことであるかを 本文で主が教えて下さいました。


口先の信仰告白と「主よ、主よ。」と言うだけでは、永遠のいのちも神の国に入ることが出来ないです。

主は この世でどのように生きるべきかを教えて下さいました。




狭い門から入り、狭い道を歩む




狭い門から入り、狭い道を歩むためには、次に示された道を歩むことです。


【詩篇1編1節】

幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。

【ローマ12章2節】

この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。

【エペソ4章22-24節】

その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、

またあなたがたが心の霊において新しくされ、

真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。


こうする時に聖徒たちは世に属する重荷と罪とを捨てて、信仰の狭い道を最後まで歩くことが出来ます。




良い実を結ぶこと




真理の道を歩み、うわべの信仰ではなく、行いが伴う信仰生活をする時に良い実を結ぶことが出来ます。


悪い実はあざみといばらです。

何の役にも立たないむなしい実です。


偽りの教訓、惑わしに惑わされた者は、たとえ預言者であっても主の目には偽物であり本物ではないです。



良い行いを通して良い実が結ばれます。

良い実を結ぶためには忍耐が必要です。


【ヤコブ5章7-8節】

こういうわけですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っています。

あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。



岩の上に家を建てること




私たちは行いによって救われたのではないですが、行いを通して自分の信仰が生きた信仰であることを見せなければなりません。


みことばの上に立つ信仰は、患難や苦しい時にも揺れ動くことがありません。


神が下さった祝福や奇跡の上に信仰の家を建てるならば 試練と苦難が来た時に、信仰が根元から取られ倒れてしまいます。


【第2コリント13章5節】

あなたがたは、信仰に立っているかどうか、自分自身をためし、また吟味しなさい。

【ヤコブ1章22節】

また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。


キリストのみことばに従順したかどうかは神の国に入る時にとても重要です。

裁きの対象になるからです。



イエス・キリストが見せて下さった模範的な生き方は私たちが見習わないといけないです。


主は狭い道を歩み、良い実を結び、神のことばに従順しました。

これが救われた聖徒たちが歩まないといけない道です。


2020.7.12
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十字架のイエスをののしった人たち

テーマは 『 十字架のイエスをののしった人たち 』 です

【マタイの福音書27章37-44節】

また、イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。

そのとき、イエスといっしょに、ふたりの強盗が、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけられた。

道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって、

言った。「神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。もし、神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りて来い。」

同じように、祭司長たちも律法学者、長老たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。

「彼は他人を救ったが、自分は救えない。イスラエルの王だ。今、十字架から降りてもらおうか。そうしたら、われわれは信じるから。

彼は神により頼んでいる。もし神のお気に入りなら、いま救っていただくがいい。『わたしは神の子だ』と言っているのだから。」

イエスといっしょに十字架につけられた強盗どもも、同じようにイエスをののしった。

【ルカの福音書23章35節】

民衆はそばに立ってながめていた。指導者たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った。もし、神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。」


いつも主がおられる所にはたくさんの人々が集まっていました。


教えを聞くために、癒してもらうために、奇跡を見たいために、そして訴える口実を見つけるために群衆が集まっていました。


しかし、その時は誰一人イエス様に向かってののしった人はいませんでした。

「おまえ」と呼んだ人もいませんでした。

「主よ、ダビデの子よ。先生」などと呼んでいました。


その人たちが一夜にしてイエス様をののしる人々に変わってしまいました。


イエス様は肉体の苦痛の中でも彼らが吐き出す ののしりのことばを聞いていました。

それが最も辛かったと思います。



自分に対して完全に背を向けた人たち、そして十字架の意味を知らない人たち、主の苦しみに共感出来ず、さらに侮辱する人たち、恵みを忘れた恩知らずの人たち。


それを眺める主の心はどうだったでしょうか。

彼らを見て主は言われました。


「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」

主の口からは祈りのことばが出ました。


「自分で何をしているかわからない人たち」が哀れでした。


彼らが嘲り、ののしるつもりで言った次の言葉に主の正体が現れていました。


「ユダヤ人の王イエス」、「神殿を壊して三日で建てる人」、「神の子」、「他人を救った人」、「イスラエルの王」、「彼は神に拠り頼っている」、「神のお気に入り」、「私は神の子だ」、「神の子キリスト」、「選ばれた者」


そのままイエス様を信じればみんな救われるのに、信じず自分たちの救い主をののしっていました。


ですから主は「自分で何をしているか分からない」と言われました。

その通りに無知で愚かで悟りのない者たちでした。



後になった1人だけがまともになり、恵みを受けた人がいました。

主の右側にいた犯罪人です。


あいかわらず主をののしっている犯罪人に対して、次のように言いました。


【ルカの福音書23章40-43】

ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。

われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」

そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」

イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」

ののしった時とはまったく違うことばを語りました。

「イエス様」と丁寧なことばで言いました。


主はすぐに彼に言われました。

「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」


1人の魂が立ち返ったことで、主はすごく喜んだと思います。

悲しみいっぱいの主の心を神が慰めて下さったと思います。



ここで私たちは 真理を知っていながらも、信じることもなく、主をののしった人たちがなぜそのような愚かなことをしたのかを考える必要があります。


私たちもそのようになる危険性がいっぱいあります。


主はそうならないように すでに教えて下さっていましたが、それを心に留めなかったために失敗しました。


どのような注意点を主が与えたでしょうか?




惑わされないように




【マルコの福音書13章5-6】

そこで、イエスは彼らに話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。

わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそそれだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。


「宗教家に惑わされないようにしなさい」 と言われました。


イエス様のことを悪く言って人々を惑わした者たちはみんな宗教家でした。

その者たちが無知な群衆を惑わしました。


自分たちが人を惑わしたのに、反対にイエス様のことを「人を惑わす男だ」とピラトに言いました。


終わりの時も宗教家が人々を惑わして主を裏切るようにします。


祭司長たちは自分たちの利益のために人々を惑わしイエス様を十字架につけました。




心配したり、恐れたりしてはならない




【マルコの福音書13章11節】

彼らに捕らえられ、引き渡されたとき、何と言おうかなどと案じるには及びません。ただ、そのとき自分に示されることを、話しなさい。話すのはあなたがたではなく、聖霊です。

人々は権力を恐れます。

自分のいのちのことも心配します。


それで迫害があると信仰を捨てる人が多いです。

人々は権力を振るう人の前ではおとなしくなり、言われた通りにします。


権力に服従したり妥協する教会や信徒も迫害の時に多くなります。




忍耐しなさい




【マルコの福音書13章13節】

また、わたしの名のために、あなたがたはみなの者に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。


信仰の試練に耐えられないと、主を裏切るようになります。


どんなに善を行っても、隣人を愛しても、真理を行う人は 闇の中で生活する人に憎まれます。

彼らは良いことや愛することに対して攻撃するのではなく、真理に従って生きるので攻撃します。


闇と光は一致することが不可能です。

ですから闇が光を憎みます。


誰かの支持を受ける時もあれば、誰かの憎しみを受けることもあります。

そこで耐えられない人は信仰生活が難しくなります。



終わりの時に、自分の信仰を守りながら、主を愛していくためには、主のことばを心に留め、そのみことばをよく黙想し、神の約束を信じ、日々神様と交わりをすることです。


それを通して霊的力を蓄えることです。

そして神の守りと導きも信じることです。


信仰を守り通すために、日々何をしたら良いかを考えながら忠実に生きましょう。
アーメン (。・ω・)ノ゙


2020.4.5
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神の足し算

テーマは 『 神の足し算 』 です

【マタイの福音書19章27-29節】

そのとき、ペテロはイエスに答えて言った。「ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。私たちは何がいただけるでしょうか。」

そこで、イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。世が改まって人の子がその栄光の座に着く時、わたしに従って来たあなたがたも十二の座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。

また、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。

先週は神の引き算について学びました。

私たちの中から肉のものを取り除く神の引き算は、私たちを祝福するためのものであることを学びました。


神は引き算の後に、足し算を始めます。

どのような足し算をなさるのかを今回は見たいと思います。



本文でペテロは「私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。私たちは何がいただけるでしょうか。」と質問しました。


弟子たちは未来の保証と何らかの報いが欲しかったです。

何も得るものがないならば、悲惨な人生になりますね。


主は彼らに明確に何が与えられるかを語って下さいました。



神が私たちに与えて下さるのが “神の足し算” です。

神が下さらないと得られないものが色々あります。


ですから、引き算をする神は 足し算もします。


質問を受けた主は、弟子たちに未来の保証になることばを明確に語りました。


どのようなものが与えられるのかを見たいと思います。

神の足し算の内容です。




人の子が栄光の座に着く時、彼らも十二の座に着いて、イスラエルの十二部族をさばく




弟子たちはこの時、これを霊的に考えたのではなく、世的に考えました。

すなわち主が イスラエルの王になった時に、自分たちも良い地位に就くと思っていたでしょう。


しかし主が与えるものは はるかに価値あるものでした。


主の最後のさばきの時に従って来た者たちも、裁判官としての権威と役割を与えると約束しました。

さばかれる立場ではなく、裁く立場です。


自分たちを苦しめ、迫害した者たちを立場が変わってさばくことは何と素晴らしいことでしょうか。


【ルカの福音書22章28-30節】

けれども、あなたがたこそ、わたしのさまざまの試練の時にも、わたしについて来てくれた人たちです。

わたしの父がわたしに王権を与えてくださったように、わたしもあなたがたに王権を与えます。

それであなたがたは、わたしの国でわたしの食卓に着いて食事をし、王座に着いて、イスラエルの十二の部族をさばくのです。

【第1コリント6章2節】

あなたがたは、聖徒が世界をさばくようになることを知らないのですか。世界があなたがたによってさばかれるはずなのに、あなたがたは、ごく小さな事件さえもさばく力がないのですか。

【ヨハネの黙示録2章26-27節】

勝利を得る者、また最後までわたしのわざを守る者には、諸国の民を支配する権威を与えよう。

彼は、鉄の杖をもって土の器を打ち砕くようにして彼らを治める。わたし自身が父から支配の権威を受けているのと同じである。



世のものも豊かに祝福して下さる




捨てた者はその幾倍をも受けると約束しました。

別の福音書のことばにもあります。


【マルコの福音書10章29-30節】

イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、

その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。

“幾倍” も “百倍” も満ち溢れることを意味します。

この祝福は迫害と共に受けます。


ものやお金があり余ることが満ち溢れることではないです。


必要なものが必要な時に与えられることが満ち足りる祝福です。


【ピリピ4章17-18節】

私は贈り物を求めているのではありません。私のほしいのは、あなたがたの収支を償わせて余りある霊的祝福なのです。

私は、すべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロデトからあなたがたの贈り物を受けたので、満ち足りています。それは香ばしいかおりであって、神が喜んで受けてくださる供え物です。



永遠のいのち



永遠のいのちは神の御国で生きるために得るものですから、御国を相続する祝福もあります。


自分のいのちを捨てた時に、神はそこに永遠のいのちを注ぎます。


物質よりも はるかに価値ある永遠のいのち、神の足し算で最高のものです。


人間が罪を犯して失ってしまった永遠のいのちを 神を信じる者、主のためにいのちを捨てた者たちに与えて下さいます。


【ローマ2章7-8節】

忍耐をもって善を行い、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、

党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです。

【マタイの福音書18章9節】

また、もし、あなたの一方の目が、あなたをつまずかせるなら、それをえぐり出して捨てなさい。片目でいのちに入るほうが、両目そろっていて燃えるゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。

永遠のいのちは神の国に入る者に与えられます。



永遠のいのちがない人は永遠の死がある地獄に行きます。

地獄ほど悲惨な場所はないです。


そこに行った人たちが一番欲しがるものは何でしょうか?

永遠のいのちだと思います。



神はもっとも大切なものを迫害されても信じて従う者たちに与えて下さいます。


神の足し算の中にあるものはすべて私たちにとって最も価値あり大切なものです。


価値のない小さいものが与えられていないからと言ってつぶやく人は愚かな人です。

無知な人であり、神のみこころを知らない人です。


最も大切なものを先に受け取らないといけないです。


他のものは神が必要に応じて、必要な時に与えて下さるので忍耐して待つことです。
アーメン ( ・Д・)


2020.2.2
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今はどんな時なのか

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【第2コリント6章1-2節】

私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。

神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。

絶えず流れるのが時間です。


しかし、いつまでも この時間が続くことはないです。

なぜなら終わりがあると主が語って下さったからです。


終わりがある時間の中で生きているので、今がどんな時であるかを知る必要があります。


湯水のように使う時間が人間には与えられていないです。



人間の寿命も終わりがあります。

生まれる時があれば死ぬ時があります。


また次の箇所には このようなことばがあります。


【ヘブル9章27節】

そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、

死ぬことは誰も避けて通ることが出来ないので、人々はそれを受け止めます。


しかし、死後にさばきがあることを知らない人がほとんどです。

ですから そのための準備も出来ません。



クリスチャンは死後のさばきを知っているので、生きている時にそのための準備をしなければなりません。


準備するためには、今がどんな時なのかを知ることです。

本文でも時が語られてあります。


知恵ある人は、時を見分けることが出来ます。


しかし知恵のない人は、時を見分けることが出来ないので チャンスさえも無駄にしてしまいます。



主の働き人は “見張り人” です。

見張り人は時を見分ける人でなければなりません。


パウロは神の働き人として、また時の見張り人として勧めました。

今がどんな時なのかを教えました。


今はどんな時ですか。

そして自分にとって今どんな時ですか。




恵みの時です




恵みの時とは、罪人が悔い改める時です。

悔い改めることが なぜ恵みでしょうか?


自分が罪人である認識がない人は、罪のまま生きて死に、裁かれて永遠の死を迎えます。



しかし悔い改めて主に立ち返ることは、神にUターンすることです。

Uターンして神の所に立ち返るならば、主から罪の赦しと救いの恵みを受けます。



人間は自分の力で、悔い改めることが出来ないです。

神の恵みによって初めて心から悔い改めることが出来ます。


今は罪人たちが悔い改めて恵みを受ける時です。


【第2ペテロ3章9節】

主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。




救いの時です




今は救いの時です。

この世が終わるまでが救いの時です。


世がいつ終わるかは分かりませんが、終わりが来るならば救いのチャンスはありません。


神が罪に汚れた世をすぐに滅ぼさないのは、1人でも多くの人が救われてほしいからです。

主の忍耐を軽んじてはならないです。


【第2ペテロ3章15節】

また、私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。それは、私たちの愛する兄弟パウロも、その与えられた知恵に従って、あなたがたに書き送ったとおりです。



従順の時です




信じる者にとっては神に従順する時です。


【マタイの福音書7章24-25節】

だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。

雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。

救われた人が神のことばに従順することが、自分の家を建てる行為であると例えました。



神は私たちが従順の実を結ぶように時間を与えています。

それを十分に活用するのが良いしもべです。


神は良い実を結ぶ人に良い報いを与えます。




準備する時です




信じる人たちはイエス様の再臨を待ち望んでいます。


「天に行って場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのところに迎え入れる。」
とイエス様は約束して下さいました。

目を覚まして用意していなさいと言われました。


迎える用意、天に入るための準備をする時間です。


【エペソ5章15-17節】

そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、

機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。

ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。

アーメン ヽ(TдT)ノ


2019.9.8
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最後まで走りぬく

テーマは 『 最後まで走りぬく 』 です

【伝道者の書 3章1-14節】

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。

生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。

殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。

泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。

石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。

捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。

引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。

愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。

働く者は労苦して何の益を得よう。

私は神が人の子らに与えて労苦させる仕事を見た。

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。

私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか何も良いことがないのを。

また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦の中にしあわせを見いだすこともまた神の賜物であることを。

私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。神がこのことをされたのだ。人は神を恐れなければならない。

私たちが今 生きている人生は平坦ではありません。


「救われていたら、いつも良いことばかり」、「問題なんか起こらない」、「ずっと平安であり、幸せである」わけではないのです。



実際に聖書にはこのように死ぬ、失う、殺す、崩す、投げ捨てる、引き裂く、戦う時があると書かれていて、現に私たちの人生でも これは起こっているのです。

その時々は、苦しいものであり、楽なものではありません。


私達が生まれる時があり、癒やされる時があり、喜ぶときがあり、収穫する時があり、それぞれがその時にかなっているように、これらの困難も時にかなっているのです。






私たちは生きていると、いずれ死にます。

その死ぬタイミングは誰にもわからないのです。


急に事故で亡くなる場合もあれば、病気で徐々に亡くなる場合もあります。


命は神様が握っているものであり、その “時” は神様にしか分かりません。



生きていれば苦しみもありますし、そしていずれは死ぬのです。

その中で私たちがすべきことは何でしょうか?


それは神様が与えてくださった使命に対して 忠実に働き、喜び楽しむことなのです。


また、真理を知り、神様のみことばを かみしめて生きることです。



神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。

神様がなさることは時に私たちは全く理解できない時もあります。

ただ、神様のなさることはすべて時にかなって美しいのです。






例えば、イエス様をこの世に送り、罪人のために身代わりになって死ぬことは普通に考えてありえないことなのです。


ご自分の息子を、罪のない息子を、否定し拒絶し侮辱し痛めつけ 裏切り苦しめる者たちのために わざわざ十字架につけさせるのです。


ペテロもそれが理解できなかったのです。

なぜイエス様が捕まえられて苦しみを受けないといけないのか。


十字架にかけられるその瞬間だけを見ると むごく、ひどい、あり得ないことなのです。



ですが、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」のです。


神様がそのようにイエス様をわざわざ罪人のためにこの世に送り、十字架にかけさせたのは、罪人を救うためであり、解放するためであり、死に打ち勝って勝利をおさめ、栄光を受けるためでありました。


私たちが永遠に神様とともに生きるために、自らを犠牲にして来てくださったのです。



私たちの目には見えないことがたくさんあります。

生きていて理解できないこと、辛くてしんどいことがあるのです。


「何でこんなことが?」「なぜ私ばかりこんなに苦しむの?」
そう思うことがたくさんあります。


それでも、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」と信じる信仰が必要です。


神様にゆだねながら、私たちは今 神様に与えられた使命をしっかり果たすことです。

その中で喜びを得ることなのです。






もう一つ、人生を生きていくための秘訣があるので、みことばを見ていきます。


【へブル12章1-3節】

こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。

忍耐を持って最後まで走りぬくことが大切です。


天の御国に行くその最後まで、信仰のレースを走り抜かないとだめなのです。

途中で信仰のレースをやめることは、神様と一緒に生きないことであり、御国に行かないことであります。


どんなに辛かろうが、私たちは走り抜かないといけないのです。



陸上のレースでも走り切らないと記録は残らないのです。

どんなに有名な選手であったとしても、レースの途中で終わってしまうと、それは意味がないのです。


むしろタイムが遅かったとしても最後まで走り抜いた者に栄冠がいくのです。



最後まで走り抜く方法を神様は ここで語ってくださっています。


―いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けること―信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないこと です。



陸上のレースで大きなかばんを担いでる人、重荷を背負ったまま本番に臨む人を見たことがありますか?

みんな薄く軽いユニフォームを着ているだけで、荷物は何一つ持たずに全力で走っています。


私たちが走り抜くこのレースでは、すべての重荷と罪を捨てて走らないといけません。


重荷を担いだまま、罪を背負ったまま走るのは とても大変であり、走り抜くことは不可能なのです。






何のために自分でその重荷を抱えようとするのですか。

何のために罪を持ったまま生きようとするのですか。


それが私たちを助けてくれるでしょうか。


―― いいえ、そんなことはありません。


私たちは信仰のレースを走り抜くためには、一切の重荷、罪を捨て去らないといけないのです。



そして、それにはもう一つ大切なこと、「イエスから目を離さないこと」です。


イエス様から目を離すこととは、“イエス様以外のものを見ていること” です。

つまりは、イエス様を見上げないといけないのに、人を求める、問題を見る、罪を見る、環境を見ることです。


人を見ている間、問題や自分の罪、環境を見ているということは、つまりはイエス様から目をそらしているということなのです。



一生懸命 人を見て求めると、罠にかかります。

神様よりも人のことを大切に思い始めるのです。


人に愛されること・認められることを先に求めるのです。

問題や環境ばかりを見ても、問題は解決されません。


罪ばかりを見ても、それから免れることはないのです。






私たちが必要なのは、イエス様を見ることです。


イエス様を見、イエス様の生き方・人生を見ることで知恵が与えられ、慰めが与えられ、元気が与えられ、勇気が与えられ、愛が与えられるのです。


イエス様は私たちが通った以上、(今まで)経験した、またこれから経験する試練以上の試練と困難、苦しみ、死をすべて受けた方なのです。

それでも走り抜いたのは、その先にある “栄光・命・復活・喜び” をずっと見ていたからです。



私たちもイエス様を見上げ、イエス様のように “その先にあること” を見るのです。


【へブル12章10-11節】

なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。

すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。

試練は失望に終わることはありません。


人間の目や価値観では すぐに分からなくても、もはや生きている間に分からなかったとしても、耐え忍び、最後まで走り抜くことで、平安の義の実を結ぶのです。



神様の中で強くありましょう。

ますますイエス様を見上げましょう。


注意散漫にならず、イエス様を見上げましょう。

そして、信じ、ゆだねることです。


神様のなさることはすべて時にかなって美しい、ということばをかみしめ、味わっていきましょう。


アーメン (・∀・)

2019.8.25
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聖霊様のなさること

テーマは 『 聖霊様のなさること 』 です

【エペソ1章13-14節】

この方にあってあなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことにより、約束の聖霊をもって証印を押されました。

聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。

【エペソ1章17節】

どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。


聖霊は、イエス・キリストの霊であり、主が遣わして下さった方であることはクリスチャンならば知っています。


しかし聖霊がどのような働きをなさるかに対しては 知らない人も多いので、聖霊がなさることを今日は学びたいと思います。


聖霊の働きを知ることによって、聖霊と正しく付き合うことが出来ますし、また多くの助けを受けることも出来ます。




心に 神の所有である印を受けます




キリストを信じて救われた人は 肉体ではなく、聖霊によって 心に神の所有である印を受けます


そして聖霊はその人の心の中に内住します。

御国は聖霊の印を受けた者が受け継ぎます。


救われた人々が神に栄光をほめたたえるようにする働きも聖霊の働きです。


【エペソ4章30節】

神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。



隠された奥義を悟ることが出来ます




聖徒たちは主が遣わした知恵と啓示の御霊によって、隠された奥義を悟ることが出来ます。


【エペソ3章5節】

この奥義は、今は、御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されていますが、前の時代には、今と同じようには人々に知らされていませんでした。

【第1コリント2章14節】

生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。



父のもとに近づくことが出来ます




御霊によって父のもとに近づくことが出来ます。


【エペソ2章18節】

私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。



神の御住まいとなります




神の御住まいとなります。


【エペソ2章22節】

このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。



内なる人を強くしてくださいます




内なる人を強くしてくださいます。


【エペソ3章16節】

どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。



聖霊に満たされ 力を受けます




聖霊に満たされ、力を受けます。


【エペソ5章18節】

また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。



戦いの時に力になります




戦いの時に、力になる御霊です。


【エペソ6章17-18節】

救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。

すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。

アーメン (・∀・)

2019.6.9
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試練から勝利へと

テーマは 『 試練から勝利へと 』 です

【ヤコブ1章2節-4節】

私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。

信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。

その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。

【ヤコブ1章12節】

試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。


“試練” と聞くだけで、心が重たくなります。


試練を歓迎する人は一人もいません。

しかし、歓迎しなくても 各自の人生には 必ず試練があります。


人々は試練そのものよりも、自分がその試練に耐えられるかどうかを心配します。



試練に対しての神の教えが、今回の本文にあります。

試練に会った時に、それを喜びなさいと教えた理由は何でしょうか?


試練そのものを見た時には、それは決して良いものではないですが、“あるもの” を活かすことで 試練から勝利を得ることが出来るからです。



その “あるもの” とは、忍耐と希望です。


これは試練から勝利への過程に 必ず必要です。



試練から勝利を得る者もいれば、試練から失敗を刈り取る人もいます。

試練の中で、つぶやきと絶望だけであるならば、人生は失敗で終わってしまいます。


しかし同じ試練の中でも、忍耐と希望で貫く人は 勝利を手に入れることが出来ます。


4人の人物でそれを証明します。

ヨセフ、ダビデ、ヨブ、イエス様です。



4人とも受けた試練は、私たちが受けた試練よりも はるかに辛い試練でした。


【 ヨセフ 】

ヨセフの試練は、兄弟たちに売られて奴隷になったことでした。

それも外国へと売られました。


お父さんに特別に愛され、何一つ不自由のない生活から、一瞬にして奴隷になってしまいました。


【 ダビデ 】

ダビデは、何度も国を敵から救った英雄なのに、サウル王の嫉妬によって いのちが狙われ、何年もさまよいながら逃亡生活を続けていました。


自分の国には隠れる居場所すらありませんでした。


【 ヨブ 】

ヨブは、とても恵まれた人生を送っていましたが、ある日、津波のような大きな試練に会いました。


持っていた財産すべて、子ども10人、しもべたちまでもが 一日のうちに津波に飲み込まれたかのように消えていきました。

そしてヨブ自身も、治らない辛い病気にかかってしまいました。


自分が生まれた日を呪ったほど激しい試練に会いました。


【 イエス様 】

イエス様は恵みを与えた人々から裏切られ、侮辱され、むち打たれ十字架の上で死を遂げました。






この4人は試練の中で潰れたでしょうか?

彼らは潰れるどころか、大きな勝利を得ました。


彼らが受けた試練は、彼らを偉大な人物にし、その人生を通して神の栄光を現し、神のみこころを全うし、信仰の巨匠になり、試練の中にいる人々を 今も励ましています。


特にイエス様は 十字架の上で「完了した」と勝利宣言をしました。

何が 4人をそのように勝利へと導いたでしょうか。



彼らは試練の中で 決して弱音を吐かず、つぶやくこともせず、堕落した生活もせず、主に頼って祈りながら ひたすら忍耐しました。


そして救いの神が必ず試練から救い出して下さるという揺るがない希望を抱いていました。



それが試練を 勝利へと導く強い原動力になりました。

試練の中で勝利した者の告白が聖書には多くありますが、その中にあることばです。



【詩篇118編15-18節】

喜びと救いの声は、正しい者の幕屋のうちにある。主の右の手は力ある働きをする。

主の右の手は高く上げられ、主の右の手は力ある働きをする。

私は死ぬことなく、かえって生き、そして主のみわざを語り告げよう。

主は私をきびしく懲らしめられた。しかし、私を死に渡されなかった。

【詩篇118編21節】

私はあなたに感謝します。あなたが私に答えられ、私の救いとなられたからです。


試練の中にいますか?


救いの神を見上げて、希望をもって忍耐すれば、救いの神の力ある働きによって死ぬことなく、生きて勝利を宣言することが出来ます。

アーメン (*´∇`*)


2019.1.27
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信仰の競走を続ける

テーマは 『 信仰の競走を続ける 』 です

【へブル12章1-3節】

こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。

駅伝で走る選手たちが何よりも心掛けているのは、早くタスキを次の選手につなぐことです。


お正月になると、多くの人々がテレビを通して箱根駅伝を二日間視聴します。

ハラハラドキドキしながら観ています。

その中で一番心が痛むのは、遅れてタスキを渡した選手たちが泣き崩れる場面ですね。


誰もがいのちを懸けて必死に走ります。

周りを見ながら、休みながら走る選手は 今まで見たことがありません。

全選手が全力で前に向かって走っていきます。






この姿は私たちが信仰に適用しても良い姿です。


私たちには、私たちよりも先に走った信仰の先祖たちがいます。

そして、その先祖たちの前には 私たちの主イエス様がいのちを懸けて走りました。


イエス様からタスキをもらった先祖たちも 必死に走って、そのタスキを私たちに渡しました。

ですから私たちも、それを次の選手たちに渡すために必死に走らないといけないですね。


辛くてやめたくなる時もあります。

疲れて休みたくなる時もあります。

ですから忍耐が必要です。


忍耐できないならば その競争に失敗します。



日本各地でマラソン大会が開かれていますね。

それに参加する人たちはすぐに分かります。

昼でも夜でも街をよく走っています。


夏の暑い時も汗をかきながら走っています。

マラソン大会に参加してゴールするためには 日々体を鍛え、走り続けないと、参加してもゴールまでは とても難しいです。

誰もが本当に必要なものだけを身に着けて走っていました。


競争するのに まとわりつくものがあるならば、どんなに不便でしょうか。

ですから最小限のものだけを身に着けます。



信仰の競走を邪魔するものには何があるでしょうか?


世のものに対する人間の欲、人生の悩み、罪、私たちを縛る様々な規則などです。


これらは私たちにまとわりついて自由を奪い、邪魔をして競争が出来ないようにします。

これらに気をつけないといけないです。






信仰の競走は それらの障害物を乗り越えて、神の所に走っていくことです。


ゴールにはすでに競争を終えて勝利した勝者たちが次の勝者たちを心待ちにしています。


十字架の苦難を乗り越えて その道を走り終えた信仰の完成者であるイエス様が喜びをもって待っていらっしゃいます。


その手には栄光の冠を持ってくださっています。

イエス様は勝利者として神の右に着座されました。



主の弟子ステパノが反対者たちに迫害されていた時に、ステパノは聖霊に満たされ、人々を見ず、天を見つめイエス様を見ていました。

実際に神の栄光と神の右に立っておられるイエス様を見ました。


イエス様は彼が信仰の道を走り終えようとしていることを知りました。

そして迎えるために立ち上がっていました。


これを見たステパノはどんなに嬉しかったでしょうか。

ステパノは主に叫びました。


【使徒の働き7章59節】

主イエスよ。私の霊をお受け下さい。

イエス様こそ、私たちが到達しなければならない目標点です。


そこに行くためには右にも左にも逸れてはいけないですし、そして後ろに退くことがあってもいけないです。



絶えず信仰の競走をする時に疲れることもあります。

それでも聖徒たちは座り込んだり、疲れ果ててしまったりしてはいけないです。


その時にこそ、イエス様がどれほど忍耐しながら私たちに模範を見せて下さったのかを考えながら、自分たちも苦難と逆境を乗り越えるように励まなければなりません。


怠けたい誘惑、走りたくない誘惑、罪からの誘惑によって広い道に戻って行く人も多いです。

一度その道に入ってしまうと、なかなかそこから戻ることが難しいです。


しかし私たちは忍耐して昔のことは忘れて、ひたすら前のことだけを考え、決して後ろには退かず、他の競争者たちと励まし合い、勇気を与えながら共に走れるように最善を尽くすことです。



箱根駅伝一つを見ても、彼らは一年間 毎日多くの距離を走り続けています。

毎日最善を尽くしています。

永遠のいのちが懸かってもいないのに、あのようにいのちを懸けています。



それなのに永遠のいのちが懸かっている私たちが適当に走っていながらも 簡単に永遠のいのちが入ってくると思うならば、それは間違いです。


召して下さった方のことをいつも思いながら、信仰の競走を続けることです。
アーメン (=゚ω゚)人(゚ω゚=)


2018.11.3
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