からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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御霊

聖霊の働きとは

テーマは 『 聖霊の働きとは 』 です

【ヨハネの福音書16章7-14節】

しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。

その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。

罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。

また、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。

さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。

わたしには、あなたがたに話すことがまだたくさんありますが、今あなたがたはそれに耐える力がありません。

しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたを真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。

御霊はわたしの栄光を現します。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。

神であるイエス様が人間になったのは、人間になりたかったのではなく、人間の罪を贖うためには 人間の姿になって十字架にかかって罪を清算しなければならなかったからです。


そして十字架にかかり、人間としては死にました。

墓に葬られ、三日後に栄光の体に復活しました。


イエス様は復活した栄光の体で 私たちの所に留まらず、助け主 すなわち聖霊を遣わすと約束されました。


聖霊は すべてイエス様のものを受けて、イエス様への栄光を現わすと(イエス様が)前もって教えて下さいました。

そして聖霊を受けなさいと命じました。


私たちは、聖霊なしにイエス様を信じることが出来ないです。

それは なぜか、そして 聖霊がどのような働きをするのかを今回は学びたいと思います。




聖霊は私たちの罪を悟らせる





【ヨハネの福音書16章8節】

その方が来ると、罪について、義について、裁きについて、世にその誤りを認めさせます。

聖霊が私たちに罪について悟らせるのは、世の基準での罪の判断ではありません。


世が示す罪は どのようなものかを教えなくても、人々は悪いことをすると罪の自覚が出てきます。


しかし 聖霊が悟らせる罪は、人間の自己中心的な生活から出てくる罪や 神を神と思わず、偶像崇拝の不信仰の罪、言い換えれば、神への不従順、そして救い主イエスを信じない不信仰のことなので、それを見て責めます。


聖霊の働きは、世にいる人々に(イエスを信じない)不信仰の罪を悟らせ、人々を死と罪の刑罰から救って下さるイエス様に導きます。


誰も聖霊の導きなしに自分の罪を悟ってイエス様のところに来る人はいませんし、イエス様を主とも言えないです。



【第1コリント12章3節】

聖霊によるのでなければ、だれも「イエスは主です」と言うことはできません。

私自身も聖霊から「あなたは罪人ではないのか」と罪を指摘されて、初めて自分の罪に気付きました。


罪を犯していないからではなく、罪があるのに、それが罪であるという認識がなかったので、何も考えずに 日々過ごしていました。


指摘されて初めて、それが罪であることに気付きました。

神の前に罪を犯してない人間は1人もいないと聖書は はっきりと指摘しています。


しかし、それを知らない人に罪の話をしても「私は罪なんか犯していない」と否定します。

ですが、神様は罪が赦される道をイエス様によって完成しましたので、すべての罪は悔い改めるならば 神から赦しを受けることが出来ます。


だけど、不信の罪を悟らせる聖霊の働きを拒否し(罪を)認めないならば、その罪は赦されません。


【マタイの福音書12章32節】

また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。

クリスチャンとは 聖霊の導きによって自分の罪を悟り、罪を悔い改め、イエスを主と告白する人たちです。


聖霊が自分の罪を指摘する時は、敏感に反応して悔い改めて罪から離れ、聖い生活を目指しましょう。




聖霊よって私たちは生まれ変わる




生まれ変わる とは、罪によって死ぬしかない罪人が イエス様を信じることで永遠のいのちを受けることを指します。

“ただ心を入れ替える” ことではないです。


聖書では、生まれ変わることを次のように言われます。


【ヨハネの福音書3章6節】

御霊によって生まれ変わる

神様は 私たちが肉体を持って生まれるようにした後に、聖霊によって新しく生まれ変わるようにします。


聖徒は、自分が罪人であることを聖霊の指摘で悟り、罪を悔い改めて、罪を赦す権威のあるイエス様の血潮を信じることで救われます。

生まれ変わることは霊的救いを受けることを意味し、さらに人格と心に変化が起こることを意味します。


聖徒が生まれ変わると聖霊はその人の心の中に住み、そこに神の愛を注ぎます。

それで聖徒は、生まれ変わる前の悪い行いを捨てて、日々変わりながら聖霊の実を結ぶようになります。


自分は一生懸命に努力をしているのに、なかなか変わることが難しいという人が意外と多いですが、それは根本的に間違えています。

自分の努力で変わるのではなく、聖霊に頼る時に、聖霊の働きによって変わることが出来て、聖霊の実を結ぶことが出来ます。


聖霊なしに生まれ変わることは、100% 無理です。

自分で自分の罪を赦すことは出来ないですし、死からいのちに移すことも出来ないです。


自分に出来ることと、出来ないことがはっきりとしています。
出来ないことを頑張っても出来るわけがないです。


ですから聖徒は、自分の中に聖霊を迎え入れ、自分の中で働いておられる聖霊にいつも頼り、感謝と賛美をささげないといけないです。


霊的なことは すべて聖霊なしですることは出来ません。

生まれ変わった状態を次のように説明しました。


【第2コリント5章17節】

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。



聖霊は私たちを助けて下さる




聖霊の住まいは、聖霊を受け入れた人の心の中です。

なぜ そこを住まいにするのでしょうか?


それは、聖徒たちと共に歩みながら いつでも聖徒を導き助けるためです。

聖霊は聖徒の保護者の働きをしておられます。



【ヨハネの福音書14章17-18節】

その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。

わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。

もし私たちが聖霊の助けなしでも立派なクリスチャンになれると思うならばそれは大きな錯覚です。

それは高慢な思いです。


「神のことばがあるし、それを行えば立派なクリスチャンになれるから、別に聖霊は要らない」 という人たちもいますが、自分たちに神のみことばを行う力がありますか?


パリサイ人たちのように、うわべは神のことばを実行しているように見えても 心の中は変わりませんでした。

それはイエス様が語った次のことばの通りです。


【マタイの福音書23章28節】

そのように、おまえたちも外側は人に正しく見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。

頭では分かっているのに自分の弱さの為、再び罪に巻き込まれることは いくらでもあります。


その時に誰の助けを求めますか?

自力では なかなかそこから抜け出られないです。


しかし聖霊に助けを求めるならば、聖霊は助けて下さいます。


聖霊の実を結びながら、正しい聖徒の生活を送るためには いつも聖霊の助けを求めなければなりません。


聖霊は聖徒たちの痛みや傷を癒し、導き助けて下さいます。

助けて下さる聖霊の働きが 次の箇所にあります。


【ローマ8章26-27節】

御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。

人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。

聖霊は私たちを孤児にさせず、助けるためにイエス様が遣わした方ですから、いつも頼り、また助けを求めましょう。


信仰を守るのもだんだん難しい時代になってきました。


ですから聖徒たちは さらに聖霊に頼りながら、この世と罪から自分を守り、聖霊の力を受けて大胆に神の子どもとしての歩みをしていきましょう。
(´∀`)


2015.11.22
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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神のみこころに従って生きる日常生活

テーマは 『  神のみこころに従って生きる日常生活 』 です

【第1テサロニケ5章19-24節】

御霊を消してはなりません。

預言をないがしろにしてはいけません。

しかし、すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。

悪はどんな悪でも避けなさい。

平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。

あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。

先週の聖餐式の後に 神様が急に語ったことばがありましたので、皆さんに伝えました。


神様は「良いものを守りなさい」と語りました。

その時に少しだけ説明をしましたが、主がなぜそのことを語ったのでしょうか。


私たちはあらゆることを見て、今の時代が 以前とは違う終末の時代であることを見ていますし、感じています。

終末ということばは 今に始まったことばではなく、昔の人々もその時代を見て語っていました。



終末は まだ来ていない “未来” のことですが、既に自分たちが生きている生活の場、自分の人生の中で動いている人生の過程の延長とも言えます。


終末と言っても何か特別なものとして現れるのではなく、今のように 日常があり、その先にあるのが終末です。


ですから私たちは今の平凡な日常生活の中で 終末論的な霊性をもって生活しないと、主の再臨を喜んで迎えることが出来ないだけではなく、主に責められるようになります。


パウロは終末を生きている聖徒たちに「神のみこころに従って生きる日常生活」を教えました。


今日はそのことについて学びます。




「御霊を消してはいけません。預言をないがしろにしてはいけないです。」




神によって生まれ変わった人の生活は、肉の欲望や自分の思いのままに生きる生活ではなく、御霊に導かれて、御霊と共に歩む生活です。

そのような生活をするには御霊を消しては出来ないことなので、御霊を消してはいけないです。


御霊を消すことはどのようなことでしょうか?


御霊は神なので、実際に私たちがその存在そのものを消すことは出来ません。

本文での “御霊を消してはいけません” の意味は、聖徒が御霊の御心に反抗したり、その導きを拒否して、聖霊の活動を制限することを意味します。

つまり 聖霊が働けないように邪魔をしたり、妨害したりすることです。


聖霊は信じた時から私たちの中におられ、天国まで導く方ですが、クリスチャンになったからと言ってすべての人が聖霊に従って生活しているとは言えないです。


自分の欲望のために聖霊の導きを負担と思い、神の声を聞くことを嫌がります。

皆さんもこのことを経験していると思います。



いつも喜んで神の声を聞き、導きに従っているでしょうか。

自分の思いと合わなかったり、自分の計画と違うと、神様の導きよりも自分の思いのままに動くことが多いです。


そのような自分の思いがあるので、神から預言のことばを聞いても それをないがしろにします。


私自身、神のことばを伝えたのに、それに対して腹を立てられ攻撃されたことが今までに何度もありました。

そして聖霊の賜物に対しても否定したり、不道徳な生活を続けるとそれは神の品性とは合わないので聖霊が悲しみ、それによって聖霊の活動も制限されます。


聖霊の活動が止まると、信仰生活の中で喜びが消えるのはもちろん、聖霊の実を結ぶことも出来ません。
そして心の中には不安と恐れ、葛藤が生まれてきます。


イスラエルの初代王であったサウルが聖霊に従った時には 彼自身聖霊に満たされて良い実を結び、心も平安でした。
しかし神に逆らい始めた時から、彼の心から喜びも平安も消えて、不安と恐れに悩まされるようになりました。


ダビデも神の言葉に違反して罪を犯した時には聖霊の活動が止まり、彼の心からも平安が消えて、毎日葛藤の続く生活をしました。


神の霊的権威に逆らう生活をすると信仰生活に混乱が生じ、健全な霊的生活は出来なくなります。


士師時代の一番大きな問題は何か分かりますか。
士師記の最後のことばが問題の核心です。


【士師記21章25節】

そのころ、イスラエルには王はなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていた。

王がいないことが問題ではなく、イスラエルの王である神のことばに従うことをせず、皆 自分がしたいようにしました。これが問題でした。


聖霊がなさることを、いちいち人間があれこれと判断し始めると恵みは消え、冷たい律法という物差しと自己義だけが残ってしまいます。

それでは良い実を結ぶ信仰生活は出来ません。


御霊を消さないためには自分の不信仰と かたくなさとを捨て、自分の経験に頼らず、神の導きとみことばに頼ることです。




「すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。」




肉の欲に従う人に欠けているものは、正しい分別力と判断力です。
なぜなら、欲に目がくらむからです。


しかし私たちのうちにおられる聖霊に支配され、聖霊に導かれるならば、聖霊は私たちに悟りを与え、導いて下さいます。


良いものと悪いもの、有益になるものと害をもたらすもの、創造的なものと消耗するもの、永遠のものと一時的なもの、神が喜ぶものと神が悲しむもの、神の国と世のものを分別させ、私たちの人生に良いものが残り、それによって良い人生が送れるように助けて下さいます。


【ピリピ4章8-9節】

最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。

あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいて下さいます。


本当に良いものを堅く守るために、自分が良いと思うものではなく、神が良いと思うものが何かを知ってそれを受け入れ堅く守ることです。

日常生活の中でいつも神の基準に従って何が良いものなのかを試し、良いものだけをつかんでそれを奪われないように守ることです。




「悪はどんな悪でも避けなさい。」




良いものを堅く守るためには、悪を避けなければなりません。
悪は良いものを傷物にし、ダメにしてしまいます。


外側だけ敬虔なパリサイ人や律法学者に対して、主は厳しく彼らを叱りました。

彼らが悪を避けず、それを自分たちの中に持っていたからです。


【マタイの福音書23章25ー28節】

わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは杯や皿の外側はきよめるが、その中は強奪と放縦でいっぱいです。

目の見えぬパリサイ人たち。まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります。

わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは白く塗った墓のようなものです。墓はその外側は美しく見えても、内側は、死人の骨や、あらゆる汚れたものがいっぱいです。

そのように、おまえたちも外側は人に正しく見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。

彼らのような生活を もし私たちがいま続けているならば、それは主の再臨を待ち望んでいる人の生活とは言えず、終末を生きている人としてふさわしくありません。

なぜなら必ず主に責められるからです。


聖徒たちは平凡な日常生活の中でも、聖別した生活をしないといけないです。

主が 「わたしが聖であるから、あなたがたも聖でありなさい」 と命じているからです。


形式的な宗教生活で自分の魂が救われるのではないです。


神の御心に従い、御霊の良い実を結ぶ人は 主の再臨の日に恥を受けることはないです。

そして そのように生きる時に、霊、魂、体を主は守って下さいます。


時間は止まることなく、確実に世の終末に向かって進んでいます。

いま私たちは終末に向かって日々歩んでいます。


誰もが主の前に立つようになります。


その日が、恥を受ける日、後悔する日にならないようにしましょう。

そうではなく、すべての労苦が報いられる日、喜びの日になるようにしましょう。


神の御心に従って歩んでいる人の終末は、希望ある明るい終末です。
.。゚+.(・∀・)゚+.゚


2015.8.9
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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神の人とはどのような人か

テーマは 『 神の人とはどのような人か 』 です

【ダニエル書3章16-18節】

シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴはネブカデネザル王に言った。「私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません。

もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。

しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」

“神の人”と聞いたら 皆さんはどのような人を想像しますか。

近寄りがたい雰囲気で、雲の上の存在のような人で、威厳がある人だと思いますか?
また、見た目で分かるような人だと思っていますか。

日本のキリスト教の思想家であった内村鑑三は「外なる人は平凡な人になりなさい。しかし内なる人は特別な人になりなさい。」と言いました。

どこにでもいそうな平凡な人になりなさい、と。
“平凡な先生、平凡な主婦、平凡な会社員、平凡な農夫”


私たちは“平凡”と聞くと、あまり良い印象がありません。

しかし、神が見ておられる内なる人は、“特別な人になりなさい”は聖書を読んでみても納得が出来ます。


イエス様の外なる人は平凡な大工でした。
公の場で活動を始める前の30年間はまったく人々に知られていなく、平凡な人生を送っていました。
しかしイエス様の内なる人は神の御子でした。

今の時代は見える部分(外見)にすごく力を入れて外見を飾ることで 自分を特別な者に見せたいようですが、それをしたからといって特別な人になることはありません。


その人の内側に特別なものがある時に特別な人になります。

神の人と呼ばれる人々もよく見ると外なる人は平凡な人たちでした。しかし内側には特別なものがありました。

神の人とは 神が認め、神に喜ばれる人のことです。


その人の内側には、何があるのかを今回学びたいと思います。




1.信仰によって神の御心だけを求める




本文の若者3人は、いのちの危険に直面しました。
王が造った金の像を拝まない者は、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる命令が王から下されました。

人々はその命令に従って金の像を拝みましたが、神を信じていた3人はその命令には従いませんでした。

一度だけ拝めば死ぬことはありませんが、神に対して信仰深い彼らは神の命令に反する偶像崇拝はしたくありませんでした。


しかし それは自分たちのいのちに関わることになりました。一度きりの人生、彼らはまだ若いです。

王の前に呼ばれた3人が王に対して話した言葉の中で、すべてを神のみこころに任せる信仰を見ることが出来ます。そこには何の迷いもありませんでした。


【イザヤ書55章8節】

「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。―― 主の御告げ ――

ここに書かれているように、初めから神のみこころは私たちの思いとは違うことを知り、私たちの思いを貫くのではなく、神のみこころがなるように祈る姿勢が神の人の中にはあります。


この3人の中にも、神の人の姿勢がありました。
神に従うことでいのちの危険にさらされています。

しかし、そのことで主に何も要求しませんでした。
“助けてもらっても、助けてもらわなくても、神に対する信頼は変わりません”という姿勢が彼らに見られました。


祈りをかなえて下さるからという理由で神様を信じるだけであるならば、それは他の神々を信じる人の信仰と変わりがありません。


多くのクリスチャンは神様が自分の祈りを聞いて下さるので願いをもって祈ります。
そして神様が自分の味方であると信じています。自分が祈り求めた通りに神様は答えて下さると信じています。

しかし祈った後の現実が自分の願い通りにならないと「神様が私の祈りを聞き、私の味方なのにどうして祈った通りにならないですか。」と不平を言ってつまずきます。


例えば病気にかかったとします。

医者にもかかりますが、私たちはクリスチャンなので当然のように癒しを求めて神様に祈ります。でもなかなか癒されず、ますます悪くなったとします。

そこで「主が癒し主であり こんなに祈っているのに、なぜ治してくださらないのですか?」と訴えます。

本人や とりなしをする人々も同じ思いになりますが、癒しを求めたからといって すべての人が癒されるとは限りません。


1人1人に対する神のみこころは全て違います。
癒しを求めて、癒されることもあれば、死んで神様の所に帰るのがみこころの場合もあります。

本人が死ぬのが神のみこころであるならば、それを喜んで受け入れるのが神の人たちにはありますが、神のみこころに関心がなく、みこころを求めない人は神に文句を言ったり、信仰を捨てたりします。


本文の若者3人は神を信じる者として、みことばを守るためにいのちがかかっても金の像を拝みませんでした。

彼らは死にたくはなかったと思います。その時、神様は沈黙していました。
しかし彼らはみことばに立ちました。信仰を守ったことは神様が喜ぶことでした。


彼らは神様には力があり、自分たちの信仰を見て助けてくださるという信頼もありました。
しかしそれがすべてではありませんでした。

神様がたとえ自分たちを死なせても、そのみこころに従うと決心し金の像に拝むことを拒否しました。


そして その後、彼らは火の中に投げ込まれました。

自分たちの願いや思いを捨てて完全に神のみこころに従いました。

これが神の人たちの中にある特別な信仰です。これは完全に神様に信頼する姿です。


沈黙していた神様は火の中に入った彼らの真ん中に現れました。それは信仰が勝利した瞬間でした。

そして彼らの神は偉大な神であることを証明し、彼らももちろん助かりました。


神の人には勝利があるのみです。神が彼らに勝利を与えて下さいます。

この世の基準では愚かに見えるかもしれませんが、神の目には彼らが勝利者です。




2.神様と通じるものがあり、自分を通して神様を表現する




まずはイエス様の姿を思い出しましょう。
人間の姿で来られましたが、人々が見たのは神の姿でした。


なぜならイエス様のことばを聞いて、人々は神の権威を感じたからです。

病人を癒す姿を見ても神の姿、人を愛する姿を見ても神様を見ました。

主のことばによれば「わたしは父の中に、父はわたしの中に」がポイントです。
父の中にいつもおられるので、自分を通して父なる神を表現することが出来ました。


神様は目には見えませんが、力や不思議なわざや奇跡などあらゆる方法を通してご自身を表現して下さいました。

それをそのまま神の人たちは表現しています。
ですから人々は、その人たちの姿を見て「この人の中には神の霊がある」と言います。

力あるわざや奇跡、知恵を見て みんなはそのように感じました。


神様は私たちに「神になれ」とは言いません。
しかし あなたを通して神が表現されるようにしなさい、と言われました。

神様の栄光が現れるようにしなさい というのがその意味です。


イエス様の中にいる人たちは、その人の中から光が出てきます。そこにキリストの人格が出てきます。

自分の行動が悪魔的な人も多いです。
憎しみ、恨み、妬み、悪い思いなどが心にいっぱいある人は自分自身を通して悪魔を表現しています。


どう見ても、そこに神様がいるようには見えません。

そういう人たちには悪魔がいるんだとはっきりと分かります。

神の人は死に至るまで自分を通して神が表現され、神が栄光を受けるような生き方をします。


ですから悪から離れ、いつまでも自分の肉の思いや欲をみことばに従わせます。
神の栄光を表すことは自分を通して神を表現することです。




3.神の人は 神様、神の国、霊的なことに一番関心がある




その人たちにとって上にあるものを求め、そして神を慕い求めることは いのちにもまさります。


【ローマ書8章5節】

肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。

すなわち神の人は御霊に属することをひたすら考えながら生きています。


天に属するものをひたすら求めながら生きる人は、目を天に向けて生きているので、御国に属する者になりますが、地上のことだけに関心がある人は、結局は地に属しているので自滅していきます。

上にある天を目指して生きる人は上に上がっていきますが、地に関心があり、地に属する人は地の下にある地獄に進んでいます。


神様はこのように生きる人を神の人と認め、特別な思いと愛をもって愛し、その人には多くの素晴らしい報いを用意しておられます。

立派な神の人として生きたパウロは地上を離れる時が近づいたことを知って次のように語りました。


【Ⅱテモテ4章6-8節】

私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時がすでに来ました。

私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。

今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。

時の流れがとても速いです。
あっという間に地上での生活は終わります。もれなくこの世を去って行かなければなりません。

私たちはどこに帰りますか。どこで永遠の時間を過ごす予定でしょうか。

今日の歩みがその行き先を決めます。


神の人のように生きるならば、その人は天に向けてまっすぐ歩く人です。

しかし世を愛し、そこにしか関心がない人は下り道を歩んでいます。


今どこを歩いているのか確かめて下さい。
滅びの道ではなく、神の人たちのようにいのちの道を歩む者が幸いな人です。
(・∀・)

2015.4.12
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新しい人と古い人の戦い

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【Ⅱコリント5章17節】

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

このことばは神の約束であり、キリストを信じて受け入れた人は、その約束通り 新しい者になります。

それは素晴らしい約束であり、新しくなることは祝福です。
しかし実際の姿はどうでしょうか?


自分の中で、新しい人とは正反対の姿(つまり古い姿)を見て失望したことはありませんか?

神のことばによると、自分の中には新しく造られた人が存在するのに、日常の中で以前と変わらない古い姿を見ると『何も変わっていない』と みことばを疑う人や、自分に失望して古い姿のままで生きている人が多いです。


聖書が語る“新しい人”と、現在の自分の姿との“差”をどのように解決したら良いのか、
また、新しい人が勝つためにはどのようにしたら良いでしょうか。

まずは新しい人、すなわち新しく造られた人が何であるかを知らないといけないので、そのことを先に語ります。




イエス様とニコデモの会話





【ヨハネの福音書3章3-8節】

イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」

ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」

イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。

肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。

あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。

風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」

この内容で分かるのは、新しい人は御霊によって生まれるということです。

奇跡の中の“奇跡”というのは、病気が癒されることではなく 御霊によって新しく生まれることです。

まるで赤ちゃんが生まれるように、“霊の人”が生まれることです。神の驚くべき被造物である新しい人は、実際に生きている生命体です。


“霊の人”という新しい人は、神を知ることが出来、霊の目と耳が聞かれ、キリストの恵み、贖い、神のみこころに対して喜び、神様を賛美します。そして自分の罪を悟り、神の愛を感じます。

自分の思いのまま、自己中心的に生きていた者が神に頼り、その導きを受けて生きようとします。


しかし新しく生まれたからといって霊的なことが何もかも分かり、その通りに生きられるわけではありません。


なぜなら私たちが新しく生まれても自分の中にある“霊の人”はまだ赤ちゃんに過ぎないからです。

そして自分の内には 肉の人、古い人が死んではいません。
古い人は死の判決を受け、権利を奪われましたが、相変わらず抵抗をします。それは(肉が)死ぬまで抵抗を続けます。


肉の人は、霊の人が生まれたことを知り、それを憎み殺そうとします。


そのことによって私たちの中には戦いが始まります。
つまり霊の人と肉の人、新しい人と古い人との戦いが始まります。


パウロ自身もその戦いを経験していたので、その様子をこのように話しました。


【ローマ7章18-25節】

私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、 それを実行することがないからです。

私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。

もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。

そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。

すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、

私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。

私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。

私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。

そして次の箇所でも、その戦いがあることが書かれています。


【ガラテヤ5章17節】

なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。

このことで分かることは、この霊的戦いが信徒の生活の中に起こるということです。

生まれ変わった瞬間からこの戦いは始まります。
そして いつも(肉か霊の)強い方が主導権を握ります。


自分がどちらを選ぶか、どちらが好きか、どちらの味方になるかによって戦いの結果が変わります。

私たちが戦いで勝つ方法は1つしかありません。


私たちが霊的に強くなり、霊的に成長することです。

霊的に成長すればするほど、肉の人、古い人は力を失っていきます。


それでは、どのように私たちがこの戦いで勝利を得られるのかを学びます。




1、自分自身との戦い




私たちの敵は 他人ではなく、自分の内にある古い人です。
それは肉に従って歩もうとする肉の人です。


【ローマ8章13節】

もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行いを殺すなら、あなたがたは生きるのです。

このみことば通りだと思います。

私たちが霊の人として生きるためには、古い人を殺さないと自分自身が死んでしまいます。


古い人を殺す方法は、自分の中にある(古い人の)強い欲を殺すことです。



【ガラテヤ5章24節】

キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。

たとえば、自分の欲で好むことだけをするならば、霊の人は成長することができません。

霊の人が成長するためには、みことばを読まないといけないですし、祈りも必要なのにテレビばかりを見たり、眠りをむさぼったり、人とばかり話したりすると霊の人はまったく成長しません。

自分の欲に従う人は、霊の人を殺してしまいます。そして自分の心の中に怒り、憎しみ、悪い感情などを入れたままにすると霊の人はだんだんと死んでいきます。


新しい人を成長させたいと願う人は、「体の行いを殺すんだ」と決心しなければなりません。

自分の中に存在する様々な情欲に対して「NO」と はっきりと言うことが大切です。


イエス様に集中したいと願う人は、自分の時間と関心を奪うものを退けなければなりません。

これは聖書の教えに私たちが従うことです。


古い人を助けてしまうものを十字架に釘つけることが大切であり、絶えずこの戦いをしていかなければなりません。

一度戦ったからといって肉の欲が消え去るわけがないです。そして自分の力で常に勝利するわけでもありません。


パウロのように「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」と主の助けを求めることです。

彼は戦い続け、主の助けを求めました。


あまりにも信徒たちがこのことに対して無関心、無抵抗なので次の箇所でこのように語っています。


【ヘブル12章4節】

あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがありません。




2、イエス様を見上げること




イスラエルの民たちが罪を犯し、神が送った火の蛇によって多くの者がかまれて死にました。
その時に神はモーセに青銅の蛇を作りなさいと命じ、それを見た者は死ぬことがありませんでした。


主はそのことを自分の十字架と重ねてこのように語りました。


【ヨハネの福音書3章14-15節】

モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。

それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」

十字架にかかったイエス・キリストを信仰で見上げていくならば、神のいのちが私たちの中に流れてきます。

それが聖書の真理です。


十字架の上で自分の罪のために血を流しているイエス様を見上げながら、私たちは自分の欲に従ってキリストを苦しめながら生きることができるでしょうか。


私たちがキリストから目を離して世を見るならば、誘惑するものがたくさんあります。

目の欲、肉の欲、暮らし向きの自慢などに心が奪われます。
「欲しい、欲しい」と、そういうものをむさぼるようになります。

主は「それらのものは御父から出たものではなく、この世から出たものです。世と世の欲は滅び去ります。」と語りました。


私たちの中には生まれながら強い欲があります。

そしてこの世は私たちがさらに貪欲になるように教えます。そうしないと金儲けが出来ないからです。

肉の欲に縛られて生きているクリスチャンもたくさんいます。


いつもこの世ばかりを見ながら、イエス様を信仰で見ないので いつまでも霊の人が成長することなく、霊の人なのか、肉の人なのか自分でも分からない状態です。


自分の欲望だけに関心があり、キリストを見上げることをしないなら、自分が本当に救われた人なのかどうかをもう一度考えなければなりません。

生まれ変わった者は自分の主を見て生きるのです。


【ヘブル12章2節】

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。

これが私たちへの主からの命令です。




3、訓練だと思って耐え忍ぶ




イエス様の贖いを信じて、信仰の戦いを続けても、また からだの行いを殺しても勝利できない時があります。

その時は戦いをやめますか。絶対に戦いをやめてはいけません。


神様は私たちを戦いの中で訓練するからです。

肉の人から霊の人として変わるには、時間がかかるだけではなく、訓練も必要です。


例えば、ある人が神様よりもっと愛するもの、関心を寄せているものがあるならば、神様はそれを知って、その人がそのことに失望するように、嫌気がさすようにしていきます。

その人がそのことが出来ないように、色々な試練を送ります。


例えば、イスラエルの民が40年間、なぜ荒野にいましたか?
神様はすぐにでも彼らをカナンの地に導き入れる力のある方です。


でもそうしなかったことに神様の理由と計画があります。


【申命記8章2-6節】

あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、 あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。

それで主は、あなたを苦しめ、 飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出る すべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。

この四十年の間、あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、 はれなかった。

あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを、知らなければならない。

あなたの神、主の命令を守って、その道に歩み、主を恐れなさい。

そして新約聖書でも主が語りました。


【ヘブル12章5-7節】

そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。 主に責められて弱り果ててはならない。

主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」

訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。

自分の中にまだまだ古い人が強いならば、人を通して、環境を通して訓練が続くと思ってください。

「なぜ私にこんな試練が。神様、なぜ助けてくださらないのですか。」と叫ぶ前に、自分の中にまだ残っている肉の欲が何か、古い人の姿は何であるかを見つけ出してそれを殺す戦いをしてください。


そして霊の人を強くするために、栄養を与え、神の霊の武器を用いて戦ってください。

私たちは新しく生まれ変わった人を愛し、古い人を憎まなければなりません。
自分の中にある様々な欲を十字架につけるならば、自分の中に主の平安と感謝、神の力が臨みます。


私たちのたましいの敵は、私たちを破滅させるために、絶えず欲に火をつけ、罪で誘惑します。


ですから、私たちは絶対的に罪と戦い、自分自身と戦っていかなければなりません。


戦わないなら古い人・肉の人が霊の人を殺し、それによって自分も死んでいきます。

私たちが戦う時は、絶えず小羊イエス・キリストの血と主の御名を使って戦いましょう。

そして勝利したイエス様にいつも頼りましょう。
( ̄‥ ̄)=3


2015.1.18
新年礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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御霊に導かれて

テーマは 『 御霊に導かれて 』 です

【ガラテヤ5章16節、18節、25節】

・御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことは、ありません。

・御霊によって導かれるなら、 あなたがたは律法の下にはいません。

・もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。

聖霊様は、どのようなお方でしょうか。

どんな時も助け、慰めを与え、力を与え、励ましてくださり、信頼することのできるお方で、私たちの為にいつもとりなし、愛を注いでくださり、罪を教え悔い改めに導いてくださり、世が与えるものとは違う平安・喜び・希望を与えてくださるお方であります。

御霊は、私たちの内に住んでくださり、教え導いてくださいます。


【ピリピ2章13節】

神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。

【Ⅰヨハネ2章27節】

あなたがたの場合は、キリストから受けたそそぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。 彼の油がすべてのもとについてあなたがたを教えるように、―― その教えは真理であって偽りではありません ――また、その油が あなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。

油がすべてのことについて教えてくださいます。
愛するがゆえに、進むべき道を示すために聖霊様を送ってくださり、誰よりも私たちのことを理解してくださっています。


御霊は賜物を与えてくださる

【Ⅰコリント12章8節】

ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、

知恵の言葉、知識の言葉、信仰、奇跡の力、霊を見分ける力、異言、異言を解き明かす力です。

聖霊様の働きを決して留めることのないように気を付けましょう。



神の御霊に導かれるとは、どのようなことでしょうか ――?

御霊によって歩きなさい、御霊によって満たされなさい、御霊によって祈りなさい、御霊を消してはいけない。
御霊に拠り頼みなさい ・・・「主よ、導いてください。歩むべき道を示してください。」と祈ったなら、主を信頼し、委ねて待つということです。


困った時、助けが必要な時だけではなく、日常のあらゆる面に、聖霊様をお迎えして信頼し、拠り頼み委ねることを願っておられます。



御霊に導かれて 主のみこころを求め、歩みたいと願う時に邪魔するものがあります。

1つ目は、私たちの内に まだ残っている「肉」です。これは栄光の身体に変えられるまで戦いがあります。
2つ目は、サタンの誘惑・妨害です。


肉から出たもの

【ガラテヤ3章2-3節】

ただこれだけをあなたがたから聞いておきたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。

あなたがたはどこまで道理がわからないのですか。御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。

主のために熱心に働きをするのですが、聖霊様に導かれながら進めていくうちに、いつの間にか自分の思いが入ってきて、神の栄光の代わりに自分の栄光へと すり替わってしまっている姿、誘惑され騙され、欺かれた姿です。
聖霊様が気付かせてくださいます。


私たちは、何かをすることによって祝福されるという思い、認められようとする古い自分がいます。
これは思い違いであり、自己義です。またサタンの誘惑です。

律法ではなく、恵みの中に留まるべきです。
私たちが神様のために何かをするのは、恵みに感謝し、主を愛する心から出たものを 主は受け入れられます。

自分の願いや考えを押し通そうとする人は、「周りが悪い」と環境のせいにします。
これは自分の姿が見えていないのです。聖霊様に教えていただき、みことばの鏡に照らし合わせると良いです。


【マタイの福音書12章31-32節】

だから、わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒瀆も赦していただけます。しかし、御霊に逆らう冒瀆は赦されません。

また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、 赦されません。

霊に注意をしましょう。




サタンに騙されている姿

【Ⅱコリント2章11節】

これは、私たちがサタンに欺かれないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。

聖書を読んだり、祈っている時に、用事を思い出したりすることはないでしょうか ――?
これもサタンの巧妙な手だと思います。


【ヨハネの福音書10章10節】

盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。

みことばを盗み、祝福(平安・喜び)を奪い、信仰を失わせます。
真理から目をそらさせ、確信を揺るがせ、信仰を奪うのです。


【ヨハネの福音書8章44節】

あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから 人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。 なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。

サタンは嘘つきです。アダムとエバを霊的に殺しました。
私たちも自分の罪過と罪との中に死んでいた者でしたが、キリストの贖いのゆえに私たちの霊が回復されたのです。


サタンは様々な方法で攻撃をしてきて、神様からの祝福を奪おうとします。聖霊様の導きから外そうとします。

誘惑する者、騙す者、惑わす者、嘘・偽り者、欺く者、不安や恐れ、不信仰、これらは私たちのたましい(心)の部分に攻撃をしてきます。

サタンは、私たちの「弱さ」を責めてきます。不信仰な思いを入れてきます。


①自己評価が低い人
劣等感、自己憐憫。「あなたが変わるわけがない。」、「どうせ無駄」、「時間の無駄」

【Ⅱコリント12章9節】

しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。 ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。

②固定観念
自分はこういう者だから、と固まった思い込み、どうせ抜け出せない。変わることは難しい。
これは騙され 欺かれた姿です。

【Ⅱコリント5章17節】

だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

③高慢な心
私の力が、私の手の力が、私が築いてきた。高ぶるものを退け、へりくだる者に恵みを注いでくださいます。


④理論的思考
「私は知っている。分かっている。」

【Ⅰヨハネ1章8節】

もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。


⑤孤独
誰も分かってくれない。理解してくれない。しかし、捨てて孤児にはしないです。みことばの約束があります。

【イザヤ書43章4節】

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。

私たちの立場は、神の子ども、罪赦された者、永遠のいのちが約束された者、神の共同相続人です。


聖霊様は、私たちのために何をしてくださるお方であるかを しっかり霊で受け止めて、自分の方法・思いではなく、 聖霊様はどのような計画を持ってくださっているのか、私はどのように進むべきなのだろうかと、導きを求めて祈り、みこころの中を歩んで いきたいと思います。

そしてもっと親しく 信頼し、頼れるお方であることを信じることが大切ではないでしょうか。


【Ⅱコリント3章18節】

私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を 変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。

ますます 主を慕い求めて、キリストに似た者と変えられていきたいと思います。
ですから、私たちは内にいてくださる聖霊様の優しい語りかけ、思いを与えて導いてくださる方に、共に歩んでください。私の人生のすべてを支配し、導いてくださいと祈る者になりたいと思います。


そして、目を覚まして御霊によって祈り、御霊に満たされ、御霊に導かれて歩んでいく者になりましょう。 (^∀^)

2014.3.9
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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聖霊充満な人

テーマは『聖霊充満な人の姿』です。

【ルカ4章1-2節】

イエス様が模範であります。
イエス様は肉体を持っていますので、私たち人間と同じことを感じ、弱さもありましたが、
公の働きをする時には聖霊に満ちました。
私たちも神様の働きをする時には、聖霊充満でなければいけないことを教えてあります。

聖霊に満ちて、聖霊に導かれて働きをすることを神様が私たちに1番に願うことでありますが、
今のクリスチャンを見ると、この姿が消えてきてあります。

人々が自由意思で思いのまま歩み、教会に来ているから、祈りをしているから、
聖書を読んでいるから「自分は何1つ間違ったことをしていない」と思っています。
聖霊に満ちて導かれて生きるという認識がないです。

正しい信仰はイエス様が見せてくださっています。
聖霊が自分の中にいっぱいになると、何が起こるでしょうか?
御霊の思いに従って生きます。主から与えられた言葉に対しては従います。
これが聖霊充満な姿であります。

①みことばに従順する生活
(聖霊の支配を受けている姿です)
聖霊に満たされている人は、言い訳をすることがありません。

神様が私たちの御霊を導く時に使うのは、ほとんどが神様のみことばです。
なぜ、私たちはみことばに対して従わなければならないのかが、とても大切です。

【ヘブル4章12節】

神様は私たちの全てを支配したいです。
ですから私たちの魂・霊・肉体もその言葉に従わなければならないです。
神様の言葉が生きておられるので力があります。
(自分が)変わりたいと思う人は、みことばに従わないといけないです。
聖霊充満になりたい人は、神様の言葉に従わないと聖霊に満たされないです。

「聖霊に満たされたら、私は従います。」というのは間違えています。
神様の言葉を聞いたら心を頑なにしてはいけません。

心が固いということは、みことばを入れないということであります。
心を開くということは、聖霊様に従いますということです。

聖霊充満になるには祈りは必要ですが、それだけではなく、もう1つすべきことがあります。
私たちは誰かを家に招く時に、部屋を掃除します。掃除をしなければ、部屋に入ることもできません。
それと同じく、自分の思いでいっぱいのところで、「私の心に聖霊様来てください」と祈って
招待をしても聖い神様は入れないです。
自分の心を掃除をしなければならないです。心がゴミ屋敷では、(神様が)入りたくても入ることができません。

しかし、みことばに従うということは自分の思いが消えたことを意味します。
逆らう思いが消えています。従順すればするほど、心が聖められていきます。

②謙遜な姿

聖霊充満な人は自分の姿がよく見えます。
いつも自分の事ばかり見ている人は、意外と自分のことを知らないです。
自分の足りなさ・弱さ・罪に対してよく分かり、ただ嘆くのではなく共におられる聖霊様のところに
持っていきます。
一番謙遜な者は悔い改める人であります。神様の前で赦しを求める人。
私の力や努力ではなく、命あることも、ここまでこられたのも、目に見えない神様の守りと助けが
あって私はここまで来られたんだ。
神様の恵みと憐れみと、自分のような者を常に赦してくださっている神様の寛容さを知って、
神様の前にひざまづく者が謙遜な姿であります。

低くするところに恵みが流れていきます。

ただ人に見せる為に身を低くしていたり、言いたい事を言わないで、じっとしているのは
謙遜とは違う姿であります。

神様が一番嫌うのは「高慢」であります。

  

③実を結ぶ生活

神様のみことばを聞き従って神様の中に留まっているならば、実を結ぶことに力はいらないです。
自然と実を結ぶようになります。

【ガラテヤ5章19-23節】

自分が何を結んでいるかによって、聖霊に満たされているのか、肉に満たされているのかがわかります。
中が悪いのに、外に良い実が成ることはないです。
自分の中身に悪いものがあるならば、悪い実を結ぶので捨てて、そして入れ物を変えることです。

肉の木を育てるのではなくて、聖霊の実を結ぶ聖霊の木を育てます。

覚悟を決めて変わらなければいけないです。肉の思いは殺しましょう。
そして神様を迎え入れる生き方をしなければならないです。

御霊によって導かれることが自分達が祝福される道でありますので、その自覚を持たなければならないです。
「教えを聞いて何もしない」のは何も変わりません。
変わることを神様が願っておられます。 (*´ω`*)

2012.5.27
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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