からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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従順

聖徒が逆戻りしてはならないもの

テーマは 『 聖徒が逆戻りしてはならないもの 』 です

【ガラテヤ4章8-11節】

しかし、神を知らなかった当時、あなたがたは本来は神でない神々の奴隷でした。

ところが、今では神を知っているのに、いや、むしろ神に知られているのに、どうしてあの無力、無価値の幼稚な教えに逆戻りして、再び新たにその奴隷になろうとするのですか。

あなたがたは、各種の日と月と季節と年とを守っています。

あなたがたのために私の労したことは、むだだったのではないか、と私はあなたがたのことを案じています。

たましいが救われることは、この世で一番すごいことです。


しかし救われた人でさえ、その価値がわからない人が多いです。

その原因は “救いの尊い恵み” を安っぽい恵みに変えてしまった 多くの間違えた教えがあったからだと思います。


『(キリストを)信じると告白さえすれば、もれなく天国に入る』 という教えが、人々に誤解を与えてあります。


信仰告白をして、新しい人としてキリストに似る者になるならば問題ないですが、古い人のまま生きながら天国へのチケットを手に入れたと安心している人は大変な錯覚をしています。


天国の道は広い道ではなく狭い道です。

信仰によって歩む道です。


後ろを振り向かず天に向かって歩む道です。


【ルカの福音書9章62節】

するとイエスは彼に言われた。「だれでも、手を鋤につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」

救われた聖徒たちが いのちの道、天国への道をまっすぐに進むためには、逆戻りしてはならないものがあります。




むなしいものに従う




役にも立たず、救い出すことも出来ない むなしいものに従って、わきにそれてはならないことです。(第1サムエル記12章21節)

それはむなしいことであり、救いから逆戻りすることです。




従順から不従順へ




神に対する従順から不従順に逆戻りしてはならないです。


不従順は神から離れ、再び罪の奴隷になることです。

それは善から悪に逆戻りすることです。




古い人の行為




古い人の行為に逆戻りしてはならないです。


【第2ペテロ2章21-22節】

義の道を知っていながら、自分に伝えられたその聖なる命令にそむくよりは、それを知らなかったほうが、彼らにとってよかったです。

彼らに起こったことは、「犬は自分の吐いた物に戻る」とか、「豚は身を洗って、またどろの中にころがる」とかいう、ことわざどおりです。




行いによる救いを得ようとする




神の恵みの代わりに、行いによって救いを得ようと逆戻りしてはならないです。


形式的な信仰や宗教の霊に縛られた人たちは、知らぬ間に行いで救いを得ようとしますが、“救いは 信仰によって神の恵みで受ける” ものです。


行いによって救われる人はいません。




真理から偽りへ




真理から偽りに逆戻りしてはならないです。


終わりの時代は 多くのにせ者が現れ、真理を偽りに変えます。

それに惑わされて真理を離れる人も多くなります。


【第2テモテ4章3-4節】

というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、

真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。



この世を愛する




この世を愛して世に逆戻りしてはならないです。


この世から救い出されたのに、世に逆戻りすることは サタンの支配下に逆戻りすることです。

サタンは大喜びです。


このようにならないために、救いがどのようなものか、もう一度真剣に考えないといけないです。


【使徒の働き26章18節】

それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』



弱い信仰の初歩




弱い信仰の初歩のところに逆戻りしてはならないです。


【第1コリント3章1-3節】

さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。

私はあなたがたには乳を与えて、堅い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです。

あなたがたは、まだ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。


このように、もし逆戻りするならば、神から、恵みから、救いから、天国からも離れることになります。


逆戻りして得るものは何でしょうか?

それによって、たどり着く所はどこですか?


救いの恵みを捨てるほど、それが価値あるものでしょうか?


これこそ真剣に考えないといけないことです。


十字架によって私たちを救い出して下さった主の尊い恵みを決して無駄なものにしてはならないです。


救いの達成を目指して進む者になりましょう。
アーメン (・∀・)


2018.10.13
聖日礼拝メッセージ

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実を結ばない者にならないために

テーマは 『 実を結ばない者にならないために 』 です

【テトス3章14節】

私たち一同も、なくてならないもののために、正しい仕事に励むように教えられなければなりません。それは、実を結ばない者にならないためです。

神様が私たちの罪を赦して下さったのも たましいを救って下さったのも、私たちが良い実を結んで神に栄光をささげる者にするためです。


もちろん私たち自身も良い実を結ぶことで神にほめられ、神様から素晴らしい報いを受けます。


神様は私たちがどんなにきれいごとを言っても、へつらいのことばを使っても、それに惑わされる方ではなく、私たちが結んだ実を見て、私たちが何者なのかを評価します。


主から恵みを受けながらも、良い実を結んでいない人に対しては、厳しいさばきしかないので注意しなければなりません。


テトス3章では、実を結ばない者にならないためにはどうすべきかを教えています。




従順する者になる




救われていない時は 神が期待するような実はありませんでした。

その時の状態が悪かったからです。


【テトス3章3節】

私たちも以前は、愚かな者であり、不従順で、迷った者であり、いろいろな欲情と快楽の奴隷になり、悪意とねたみの中に生活し、憎まれ者であり、互いに憎しみ合う者でした。

良い実を結ぶことが到底出来ない状態でした。


ですから実を結ぶために、神のことばに従順する者になれば、自然と良い実、聖霊の実を結ぶことが出来ます。


以前の生き方を変えないならば、良い実を結ぶことは不可能です。




すべての良いわざを進んでする




良いわざに励むことを心がけるようにすることです。


【テトス3章1節】

あなたは彼らに注意を与えて、支配者たちと権威者たちに服従し、従順で、すべての良いわざを進んでする者とならせなさい。

【テトス3章8節】

これは信頼できることばですから、私は、あなたがこれらのことについて、確信をもって話すように願っています。それは、神を信じている人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。これらのことは良いことであって、人々に有益なことです。

【テトス2章7節】

また、すべての点で自分自身が良いわざの模範となり

主は信じる者たちに対して次のように語りました。


【マタイの福音書5章13節、14節】

地の塩です。世界の光です

と言われました。

また、このようにも語っています。


【マタイの福音書5章16節】

あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

良いわざに励んだ模範的な人がいました。

その人はコルネリオという百人隊長です。


【使徒の働き10章2節】

彼は敬虔な人で、全家族とともに神を恐れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神に祈りをしていたが、

【使徒の働き10章22節】 には “ユダヤ全国民に評判の良い人” と評価された人です。

神の目に留まった良いわざを行っていた人でした。


神はわざわざペテロを送って彼を祝福しました。

ユダヤ全国民に評判が良いとはすごいことです。




すべての人に優しい態度を示す者になる




【テトス3章2節】

また、だれをもそしらず、争わず、柔和で、すべての人に優しい態度を示す者とならせなさい。

残念ながら、私たちは まだまだこういう態度が足りないです。


古い人が出てくる時が多いし、優しく出来ない時も多いです。

ですから、努力して自分自身の態度を変えていかなければなりません。


心の中にある苦い根と雑草を取り除いて 心の畑を良い地にしない限り、良い実を結ぶことは出来ないと思います。




無益でむだなものを避けること




口数が多ければ多いほど、高慢であればあるほど、無益でむだなことに時間を使います。


聖書では無益な例をあげています。

『 愚かな議論、系図、口論、律法についての論争、空想話、悪口、噂話 』


これらのことを避けて、良いわざに励む時に 主が期待する実を結ぶことが出来ます。

アーメン v( ̄∇ ̄)v


2018.8.12
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主の心に適ったモーセ

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テーマは 『 主の心に適ったモーセ 』 です

【出エジプト記33章17-19節】

主はモーセに仰せられた。「あなたの言ったそのことも、わたしはしよう。あなたはわたしの心にかない、あなたを名ざして選び出したのだから。」

すると、モーセは言った。「どうか、あなたの栄光を私に見せてください。」

主は仰せられた。「わたし自身、わたしのあらゆる善をあなたの前に通らせ、主の名で、あなたの前に宣言しよう。わたしは、恵もうと思う者を恵み、あわれもうと思う者をあわれむ。」

モーセの生涯は生まれた時から死ぬまで、色々あり過ぎるので 一度に語ることは難しいです。

今回は、モーセがなぜ 主の心に適う者であったのか、それだけに絞って語ります。


エジプトで430年間も奴隷生活をしていたイスラエルの民を解放するために、神に選ばれた人がモーセでした。


力もない1人の人間が、200万人近い奴隷を 大国エジプトから解放して連れ出すことが可能でしょうか。

それは不可能なことでした。



神には奴隷から解放する計画があっても、モーセは考えたこともなかったので、主から言われた時に、戸惑ったモーセは 自分のような者にそんな働きが出来るわけがないと辞退を申し出ましたが、神の説得でモーセは主のことばに従いました。


そして神の力と助けによって、主のことば通りに民を奴隷から解放し連れ出し、40年後約束の地カナンの入口まで導くことが出来ました。


その時に見せたモーセの姿は、本当に主の心に適う姿であったと自分でも思います。

主の心にかなった姿はこのような姿ではないでしょうか。




主への忠実な姿




【第1コリント4章1-2節】

こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。

この場合、管理者には、忠実であることが要求されます。

忠実さを要求した神に 彼は答えました。

モーセは選ばれた時から死ぬ時まで忠実でした。


40年間、イスラエルの民を率いて 荒野での生活は大変な苦労がありました。


大変な苦労とは 生活の苦しみではなく、神の恵みがあっても絶えず恵みを忘れてつぶやく民、神に忠実な姿はまったくなく、神を悩ませる民、少しでも不満があるとそれをいつもモーセのせいにして非難する民のことがモーセには一番苦しかったです。


それでもそこから逃げず、最後まで神が任せた民の世話をしたことがモーセの忠実な姿でした。


ヘブル書で主がモーセの忠実さを高く評価しました。


【ヘブル3章2節】

モーセが神の家全体のために忠実であったのと同様に、イエスはご自分を立てた方に対して忠実なのです。

任された小さな働きに対しても 忠実な人を見ると安心します。



しかし残念ながら多くの人は忠実ではなく、主の働きを自分の都合で勝手にやめます。

ですから主はこのように言われました。


【ヨハネの黙示録2章10節】

死に至るまで、忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。

主に忠実な者に 主は恵みを与え、あわれんで下さいます。




主への従順な姿




一番信仰ある人は神のことばを信じて従順する人です。


神のことばを無視したり、軽んじたりする人が 神を愛する人、信じる人でしょうか。

従わない信仰は死んだ信仰です。


信仰がなくては神に喜ばれることは出来ません。


荒野での40年間、イスラエルの民はとにかく神のことばに逆らい続けました。

神もそれにはうんざりして何度も彼らを滅ぼそうとしました。

神は、従うモーセだけは生かすと言われました。


それを聞いて、民のために必死にとりなしをするモーセの祈りで、民は滅ぼされず生き延びました。


モーセは主から言われることは何でも従いましたが、民は正反対でいつも不従順の姿でした。

従順するモーセの姿を学ぼうとせず、うなじのこわい民で、肉の思いだけが強くて神への関心もありませんでした。


モーセの信仰を見ると、いつもそこに付くことばがありました。


主がモーセに命じられた通りである。

細かいことに対してもモーセは、主のことばをよく聞き、命じられた通りにしました。

これが主の心に適う姿です。




主と人の前で謙遜な姿




モーセは指導者です。
神に愛され、神に用いられました。


神の力で奇跡も不思議なわざも行いました。


こうなると高慢になる人が多いですが、モーセはますます謙遜な者になりました。

謙遜は主に喜ばれます。


【ヤコブ4章6節】

しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」

神に忠実、従順な人は、当然 神の前でへりくだります。

しかしモーセの謙遜は人の前でも同じでした。


モーセにつぶやく者に対してモーセが見せた姿です。


【民数記14章5節】

そこで、モーセとアロンは、イスラエル人の会衆の全集会の集まっている前でひれ伏した。

【民数記16章4節】

モーセはこれを聞いてひれ伏した。


モーセが悪いことをしたから民に責められているのではないです。

この時も悪態をついているのは民の方でした。


モーセは悪に対して悪で報いず、ただ怒り狂っている民の前にひれ伏しました。

これは謙遜な姿です。



モーセは相手が多くて勝ち目がないので ひれ伏しているのではありません。


神がこれらを見て怒り、彼らを滅ぼそうとした時のモーセのことばを聞けばわかります。


【民数記14章19節】

あなたがこの民をエジプトから今に至るまで赦してくださったように、どうかこの民の咎をあなたの大きな恵みによって赦してください。

これは、なかなか口に出来ないことばです。


しかしモーセは神の栄光が現れることを いつも願っていましたので、神の赦しと憐れみが現れるように願いました。

どんな時でも民を愛する指導者でした。


そして主の栄光が自分のプライドよりも優先でした。

聖書が記録するモーセの謙遜な姿です。


【民数記12章3節】

さて、モーセという人は、地上のだれよりにもまさって非常に謙遜であった。


このように神に対して忠実、従順、謙遜な人が神の心に適わないわけがないですね。


私たちが神の心に適う者になるためには、これらのものすべてが必要です。


三つの中で一つもないのが 私たちの現状かもしれないです。

ですから神の心に適う者といまだに言われてないですね。


開き直るのではなく、「わたしの心に適う者」と言われるように目指したいと思います。
アーメン ( ̄‥ ̄)=3


2018.7.8
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謙遜の衣を着る

テーマは 『 謙遜の衣を着る 』 です

ハレルヤ。

主の御名をほめたたえます。


信仰告白をしてイエス様を信じて長い年月が過ぎたにも関わらず、人格も行動も変わっていない人の問題点は何でしょうか?


“自分は信仰がある”と言いますが、聖霊に逆らっている人が多いです。


最近、韓国で名の知れた牧師先生の目のあたりにアザが出来ていました。

その先生とは、私も大阪で一緒に食事をしたことがあります。

謙遜な先生で、貧民たちがいるところで教会を開拓し、彼らの世話をしていました。


そして、その教会がある程度大きくなった時に、他の先生を後任者にして自分はそこを去り、田舎の方で また開拓しました。


そして最近、教会の創立記念日が近付いたので、それに参加したい意思を伝えました。

そうしたら、そこの教会から何人かの信徒が訪ねてきました。


理由は“来てほしくない”と言うためでした。

彼らは牧師に対して誤解していました。


再び牧師として戻るのではないかと思って、それを止めたくて来た人たちでした。

その中のひとりの長老が帰り際に、いきなり牧師の顔を一発殴りました。

その長老は、18年前から一緒にいた信徒でした。


そして、その信徒たちは帰っていきました。

牧師は突然殴られたのでびっくりしました。


噂を聞いて、記者が訪ねてきて「その信徒を傷害罪で訴えますか?」と聞かれた時に、牧師は「そんなことはしない」と、はっきりと言いました。

信徒を訴えることは出来ません、赦します、と言いました。


相変わらず謙遜な先生でした。

その態度に安心しましたが、その先生を殴った長老に対して考えてみました。

牧師が何もしていないのに、暴力を振るったことが理解できませんでした。


しかし、聖書の中で答えを見つけました。

敬虔なステパノがユダヤ人たちに語ったことばで分かりました。


【使徒の働き7章51-54節】

かたくなで、心と耳とに割礼を受けていない人たち。あなたがたは、父祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです。

あなたがたの父祖たちが迫害しなかった預言者がだれかあったでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって宣べた人たちを殺したが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。

あなたがたは、御使いたちによって定められた律法を受けたが、それを守ったことはありません。」

人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりした。

すなわち、神の教えを聞き、世話をしてもらっても いつもその心が高慢で、心を頑なにしていると、うなじのこわいものになって 神のことばには不従順、聖霊には逆らいます。


心と耳に割礼を受けない者は、いつまで経っても人格も性格も態度も変わることがありません。


彼らに対して預言者はこのように言いました。


【エレミヤ書6章10節】

私はだれに語りかけ、だれをさとして、聞かせようか。見よ。彼らの耳は閉じたままで、聞くこともできない。見よ。主のことばは、彼らにとって、そしりとなる。彼らはそれを喜ばない。

私たちは、心と耳に割礼を受けて、神のことばを聞いたら 真理を悟って従順する人になりましょう。


そして謙遜の衣をいつも身にまとうようにしましょう。
(・◇・)ゞ

2016.1.16
3分テレフォンメッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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こんな時は聖書のどこを読めば良いの?
目的別みことば

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教会の奉仕

テーマは 『 教会の奉仕 』 です

【第1コリント12章5ー7節】

奉仕にはいろいろの種類がありますが、主は同じ主です。

働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。

しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現れが与えられているのです。

イエス様こそ神に仕えた最高の奉仕者でした。

父なる神のみこころに従って、人々に仕えるために休む間がないくらい よく働きました。


夜は1人で神にお祈りをしていましたので、いつ寝る時間があったのかと思うほどです。


弟子たちと船に乗り、突風のせいで、船が揺れ、船の中が水浸しになった時 イエス様だけがぐっすり寝ていたのは、たぶん寝不足が続いて熟睡していて何も気づかなかったと思います。

寝たふりしたわけではないですね。


弟子たちも実によく働きました。

イエス様に見習って、1人1人が立派な奉仕者でした。


神から私たちはキリストのからだの器官であると言われましたが、それは “器官としての機能をしなさい” という意味が含まれてあります。


機能しないと器官としての意味がありません。


最近YouTubeで何万人も集まる韓国教会の聖歌隊の賛美を聞きましたが、聖歌隊員の数がものすごく多くてびっくりしました。何百人もいました。

その教会より人数が多い教会でも、一度に集まる聖歌隊員は100人前後ですから、その教会はそれよりも何倍もの数だったので びっくりしました。


それを見て感じたのは、聖歌隊の奉仕が1番人気があるのかなと思いました。

目立つところに、それも指定席のように、決まったところに座りますね。


大きい教会でも 実際は、様々な部署で奉仕者が足りないのが現状です。

清掃の奉仕とか食事当番とか、こどもの世話とかはあまり人気がないですね。

それでお金を払って人を使ったりします。


ある5000人集まる教会で、実際 奉仕している人を調べたら1500人くらいでした。

それは少しだけでも奉仕をしている人を入れた数です。


すると残りの3500人は何もしていないことになります。

すなわち失業者が3500人もいることです。


それは、イエス様の体の器官としての活動をしていないことを意味します。


何もしないことが楽で良いことでしょうか?

もし皆さんが社会で失業者の立場ならば、早く仕事に就きたいと焦る気持ちになると思います。


”神への奉仕を何もしなくて良いだろうか?“ということも考えないといけないです。


神は私たちに御霊の賜物を1人1人に与えて下さいました。

それは働きをさせる目的があったからです。


みなの益となるために 神様は私たちを選んで賜物を与えました。


その賜物を活かして働くことが奉仕です。






奉仕の精神は、イエス様から学ぶ事が出来ます。


【マルコの福音書10章45節】

人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。

これが基本的な奉仕の姿勢で、人に仕えることが奉仕の姿勢です。


クリスチャンが他の人から仕えられることだけを期待するならば、他の人に仕える機能を失ってしまいます。


教会に対して 愛がないとか非難的なことばを口にする人の中には、自分から人に仕えたことがない人も多いです。


いつも “してもらうことが当たり前” だと思っています。

それはみことばとは違う態度です。


私たちは、互いに仕え合うようにと言われています。

クリスチャンは主のしもべとして 人に仕えるように選ばれた人たちです。


父なる神もイエス様も聖霊様も弟子たちも みな人に仕えました。


その精神をもって聖徒たちは、体の器官として互いに仕えなさいと主から言われています。


奉仕にも働きにもいろいろあると最初から言われました。

それは同じ神様がそのすべての働きを任せて下さいました。


次の箇所にその様子があります。


【マタイの福音書25章15節】

彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五タラント、ひとりにはニタラント、もうひとりには一タラントを渡し、それから旅に出かけた。

それで終わりではないですね。

よほど経ってから しもべたちの主人が帰って来て しもべたちと清算を始めました。


その中で一タラントもらったしもべだけに予想外の問題が生じました。

彼はもらったものを、地を掘って隠して 何も仕事をしませんでした。


他のしもべたちが様々な活動をしていた時に、彼は神の働きに無関心で自分のことだけをしていました。

きっと本人はそれでも大丈夫だと思ったことでしょう。


しかし主人は怒りました。

その態度は、主人への不従順な態度です。


主人は彼を厳しく叱りました。

そして主人は次のように語りました。


【マタイの福音書25章30節】

役に立たぬしもべは、外の暗やみに追い出しなさい。そこで泣いて歯ぎしりするのです。

このように命じました。


これで分かるように、自分に与えられたタラントと役割を決して ないがしろにしてはいけないです。


それを小さく考えてもいけないです。

神との清算が始まると大変なことになってしまいます。






また、奉仕はどこでするものですか?


もちろん教会の中にありますが、教会だけに限られているわけでもないです。


ある熱心なクリスチャン主婦が奉仕したい気持ちはたくさんありましたが、時間もお金も足りなく、奉仕の機会も与えらず悲しんでいました。


いつものように神の前に座って、自分の事情を話しながら、奉仕の道が開かれることを祈っていました。

すると小さい娘が近づき、やぶれた人形を直してほしいとせがまれました。


しかしそのお母さんは祈りが邪魔されたことが気に入らず、娘を叱って追い出しました。

祈りが終わって娘の所に行くと、娘は泣いて寝ていました。


その時に神様の声が聞こえました。

「どうしてあなたは手軽なことはないがしろにして、大きなことだけを求めているのか。」


それから彼女は心を変えて、すぐに出来る善行、近くにいる人への伝道奉仕を始めました。

後に さらに大きく神に仕える働き人になりました。


神様への奉仕でほめられた人たちを見ても それが言えます。


献金箱に1番たくさんのお金を入れたとほめられた人物は 金持ちではなく 1番貧しいやもめでした。

彼女にとっては自分に出来る最高の奉仕を主にしました。

自分にある生活費全部を献金箱に入れました。


離れた所で見ていたイエス様がそれを知り 感動しました。


感謝の心が見え、喜んでささげる姿は 主に仕える奉仕の姿です。


イエス様に高い香油を注いだ女性も イエス様にその奉仕のことでほめられました。


主のために自分が出来る大きなことはないと言わないでください。

小さなことのように見えても、それは重要なことです。


小さな奉仕が神の国を広げ、魂を救い、神様を喜ばせます。


裸の者に着るものを与え、病気の人を見舞い、空腹な者に食べ物を与えることも 主に対する奉仕です。

奉仕をする人は与える人で、神の国に投資する人です。


受けることばかり求める人は、与えることを投資だと思っていないです。

とにかく、その人たちは 手元に積み上げようとする人です。


しかし与える人が勝利し、受けてばかりの人は失敗します。

与えられた働きを一生懸命にやった人たちに対して、主はこのように語りました。


【マタイの福音書25章21節】

『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』

奉仕によって一番恵まれるのは、奉仕をした “本人” です。

神は絶対に ただ働きをさせる神ではなく、たくさんの利益を与えて下さる神です。


たくさん奉仕をした人は、天国に行くのも楽しみです。

自分のために どのような住まいが用意されているのかが知りたいですね。

どんな報いがあるのかが期待できますね。


働く時間はあまり残されてないです。働ける時に熱心に働いて下さい。


奉仕も喜んでして下さい。


主が注目していますから。
( ̄ー ̄)


2016.11.6
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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実が結ばれる良い地

テーマは 『 実が結ばれる良い地 』 です

【マタイの福音書13章8節】

別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。

【マタイの福音書13章23節】

ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。

マタイの福音書13章には種まきのたとえがあります。


四つの異なる所に同じ種が蒔かれました。

すると、まったく実りがない所があれば、豊かな実を結ぶ所もありました。


今回の本文は、豊かな実を結んだ良い地に対して語っています。


私たちも出来れば多くの実を結びたいと願っていますので、どうすれば良い地になって実を結ぶことが出来るかを学びたいと思います。




柔和で謙遜な心は良い地




普通に考えても悪い心から良い実を結ぶことは不可能です。

悪い心からは悪い実が結ばれます。


ですから、良い心から良い実が結ばれることは 神の法則です。

柔和な心は柔らかい心です。


私たちがある人を見て「あの人はいい人だ。」と言う時があります。

柔らかさや暖かさを態度や声で感じると 好印象を受けて、良い人だと思い込みます。


新約聖書で柔和な人で思い浮かぶ人は バルナバです。

“慰めの子” と呼ばれました。


彼の行いを見ると、神の言葉を聞いた時に感動を受けて、自分の畑を売り その代金を使徒たちの足もとに置きました。

大金だと思いますが、それを自慢することもなく、身をかがめて使徒たちの足元に置きました。


そしてもう1つは パウロが回心した後、皆はそのことが信じられず、パウロを恐れて近づかなかったですが、バルナバはパウロを引き受けて、使徒たちに紹介しました。

柔和な人なので、人にとても優しいです。


彼のことを聖書はこのように言いました。


【使徒の働き11章24節】

彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大ぜいの人が主に導かれた。

これは良い実を結んだ姿でしたので、多くの人々が導かれました。






モーセは謙遜な人でした。

普通の謙遜ではないですね。
次のような評価をもらうこと自体、すごい人だなと思いました。


【民数記12章3節】

さて、モーセという人は、地上のだれにもまさって非常に謙遜であった。

彼が立派な指導力を発揮して、自分の役割を果たすことが出来たのは、彼の心が良い地であったからです。


心の土壌が荒っぽく かたくなな人は、絶対に立派な人格を備えることが出来ないですし、立派な人生を歩むことも出来ません。


イエス様の謙遜もすべての人にまさっていました。

自ら自分のことを次のように言いました。


【マタイの福音書11章29節】

わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば安らぎが来ます。

そのような心があるので 罪人を招き、問題のある人を受け入れ、助けを求めるひとを拒みませんでした。

パウロもその心を見習い、柔和で謙遜な人になりました。

ですから私たちにも良い心になるように命じました。


人を自分よりもすぐれた者と思う心がまた 良い実を結ぶ謙遜な心です。


謙遜と柔和の土壌から良い実がたくさん結ばれます。


【箴言22章4節】

謙遜と、主を恐れることの報いは、富と誉れといのちである。

良い地から結ばれる実です。




◎従順する心に良い実が結ばれる




私たちの人生で、良い実を結ぶためには 土壌だけ良ければ、あとはいらないことではないです。


良い土壌に実を結ばせるためには、聞く耳をもって主のことばをよく聞き、そして聞いたことばに従うことです。


【第1サムエル記15章22節】

するとサムエルは言った。「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。

知識ある人も才能ある人も 誰でも実を結ぶためには、主のことばを聞かなければなりません。


御言葉をないがしろにするならば、良い実を結ぶことは出来ません。


御言葉を聞いて、すぐ実行に移すことを “従順” と言います。


いくらみことばの知識をならべても、理論を立てても、行いが伴わないと 実を結ぶことは出来ません。


従順も、“完全な従順” が実を結びます。


聖徒の中でも、聞くことは聞きますが、実行せずにそのままにしている信徒が多いです。

いくら悟っても従順しないならば、価値がありません。

主は天国に入る資格でも次のように語りました。


サウロ王はみことばを聞きましたが、完全な従順ではありませんでした。

それでサムエルが今回のことばを彼に語りました。


主のみこころを知っていても、それを行わないならば天国に入れません。
そして良い実を結ぶことも出来ません。




忍耐する心が実を結ぶ




忍耐は、まず希望をもって忍耐することです。
希望があると忍耐出来ます。


自分の人生の土壌に 実を結ばせたい人は、忍耐することを学ばないといけないです。

忍耐できる土壌は良い土壌です。


いくら実を結ぶ完璧な条件が揃っていても、忍耐出来ないならば、実を結ぶことは出来ません。


ヨブは忍耐の人でした。

すべてが取られ、人生最悪の苦難を受けていましたが、神を呪うことも、神から離れることも、つぶやくこともせずに ひたすら忍耐していました。


忍耐の中での彼の告白でわかります。


【ヨブ記23章9-10節】

左に向かって行っても、私は神を見ず、右に向きを変えても、私は会うことができない。

しかし、神は、私の行く道を知っておられる。神は私を調べられる。私は金のように、出て来る。

彼のことをヤコブ書にはこのように書いてあります。


【ヤコブ5章11節】

見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いであると、私たちは考えます。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いています。また、主が彼になさったことの結末を見たのです。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だということです。

ヨブは試練の以前よりも試練に耐えた後にさらに豊かになりました。


農夫が 暑さや疲れにも耐えて熱心に働くのは、豊かな収穫を期待するからです。

収穫が農夫の希望です。


忍耐は最後までしなければ、実を刈り取ることが出来ません。


もし途中で諦めるならば、それまでの忍耐も労苦も報われません。


選手がゴールまで辿り着かないと失格になります。

勝利することは出来ません。


リンゴも梨もぶどうも完熟まで待たないと 甘さが足りないので、美味しいとも思わないです。

完熟するまで忍耐が必要です。


【ヘブル10章36節】

あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。

熱心さも才能も重要です。

しかしそれが全部揃っても忍耐出来ないならば、実は期待出来ません。


主は、私たちが実を結ぶことを期待します。

良い実を期待します。


私たちが実を結ぶ時に、私たちが主の弟子であることが認められます。

それは私たちの土壌が良かったことを意味し、そこに柔和と謙遜な心、主のことばと従順、忍耐がすべてあったことを証明します。


自分の状態をよく見て下さい。

それらのものが揃っているでしょうか。


良い地になるように、日々よく管理しましょう。
(。・ω・)ノ゙

2016.10.16
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聖霊に満たされるためには

テーマは 『  聖霊に満たされるためには 』 です

【使徒の働き11章24節】

彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大ぜいの人が主に導かれた。

「使徒の働き」を読むと 主の十二弟子以外にも多くの弟子たちが素晴らしい活動をしたことが記録されてあります。

彼らは十二弟子と変わらない多くの働きをしました。


バルナバは、主の弟子になり、後に偉大な使徒になるパウロを最初に助けた人でもありました。

彼は多くの人々を主の弟子にしました。


それはイエス様から次のように言われた通りの働きをしたことを意味します。


【マタイの福音書28章19節】

それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。

立派な働きをした弟子たちに共通するものは、聖霊と信仰に満ちた姿でした。


聖霊充満な人は信仰充満な人です。
信仰充満な人は聖霊充満な人です。


信仰がない人は 弟子にはなれませんし、弟子を作ることも出来ません。

そして信仰のない人を神様が用いることもありません。


主の弟子になり、弟子を作る人たちは聖霊充満な人たちです。


聖霊に満たされないと、自分の知恵や力、自分の思いで働くので 神様が喜ぶ働きも勝利の信仰生活も出来ません。


ですから神様は、私たちに “聖霊に満たされなさい” と命じました。


聖霊は、神様が遣わして下さった神の霊です。

私たちを助け、私たちが勝利ある信仰生活が出来るように、また聖霊の力を受けて立派な働きが出来るように助けて下さいます。


信仰生活のために聖霊を受けることは当然です。

聖霊を拒否することは、神を拒否することと同じです。


神を拒否しながら どのような信仰生活を送りますか?

それは むなしい信仰生活で、自己満足に過ぎないので 神とは関係がありません。


聖霊を受けた使徒や弟子たちの働きは、すなわち聖霊による働きでした。
聖霊なしには不可能な働きです。


ですから「使徒の働き」の中に “聖霊” という言葉がたくさん書かれています。

「使徒の働き」を読みながらチェックしてみて下さい。


彼らはどのようにして聖霊に満たされたのでしょうか?

―― 聖霊に関して主が命じた言葉に彼らが従順したので 聖霊に満たされました。


主が聖霊に関して命じたことは何でしょうか。




聖霊を受けなさい





【ヨハネの福音書20章22節】

そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。

聖霊は主の霊ですから、もし私たちが主の霊を受けないと、私たちは主の者ではありません。自分の中に聖霊を受け入れることで、聖霊が自分の心の中に住みます。



【第1コリント3章16節】

あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。

そしてイエス様は次のようにも語りました。


【使徒の働き1章8節】

しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

弟子となり キリストの証人になるためには聖霊なしでは不可能です。


ですから聖霊は主のことば通り、必ず受けなければなりません。




御霊を消してはなりません




このことばは次の箇所にもあります。


【第1テサロニケ5章19節】

御霊を消してはなりません。

聖霊を消すことは、その指導を受けることを拒否し、聖書に明確に示された神のみこころに従わないで、それに逆らうことです。


御霊を消してしまうと どのような状態になるでしょうか?


1人の人物を通して 変わっていく状態を調べてみます。

イスラエルの初代王であるサウルは、当時の預言者サムエルを通して神のことばを受けました。


【第1サムエル記10章6節】

主の霊があなたの上に激しく下ると、あなたも彼らといっしょに預言して、あなたは新しい人に変えられます。

そして、すべてのことが言葉通りにサウルに起こりました。


彼は聖霊に満たされ、新しい人となり、力を受けてイスラエルの初代王になりました。

神は彼の力になって下さり、王としての働きが始まりました。


しかし しばらく経たないうちに、彼が神を求めず、人間的な思いを優先にして、神の命令を知っていながらも従わず 不従順しました。

それも1度だけではなく、度重なる彼の不従順に聖霊は彼から離れていきました。


すると悪霊がチャンスを得て、彼の心を完全に支配し、その時から彼は悩まされ、ますます悪を行う者になっていきました。

聖霊を消すことは、悪霊を自分の中に招くことになります。


人間は霊的存在なので、肉体だけで生きることは出来ないです。

聖霊に支配されるか、悪霊に支配されるか どちらかです。


聖霊に逆らいながら 聖霊充満を求めること自体間違えています。

聖霊を消す人に、聖霊充満はありえないことです。


そして聖霊と常に人格的な交わりをせず、空気の存在のように無視したり、交わりをしないと それも聖霊を消すことになります。




聖霊を悲しませてはいけません





【エペソ4章30節】

神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。

聖霊を悲しませる行為は 罪から離れず、悪いことを行うことです。


聖霊は私たちを助け、私たちが多くの良いわざを行うことを願っているのに、私たちが良いことをせず、悪いことばかりを行うならば聖霊は悲しみます。

それは聖霊との関係を壊すことになります。


罪は聖霊を悲しませる最も大きな原因になります。


聖霊は罪から離れない人とは交わりが出来ません。


聖霊を悲しませると、だんだん罪が神との間に仕切りを造り、関係が悪くなり、祈りは聞かれなくなります。


ですから聖霊に満たされたいならば、罪を悔い改めて、悪から離れ、聖霊との関係を良くしなければなりません。




御霊によって歩みなさい





【ガラテヤ5章16節】

私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。


【ガラテヤ5章25節】

もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。

御霊によって歩むことは、御霊に従順し、すべての罪を悔い改め、聖書にある主の命令に従順して生きることです。


生活全般において常に聖霊と共に歩みながら、聖霊のことばに従うと、他の肉の思いが心を支配することがないので、心の中はいつも聖霊の思いで満たされるようになります。


試合を控えた選手は、コーチや監督のことばには絶対的従順が要求されます。

もし言うことを聞かないならば、その選手はレギュラーから外されるか、試合に出ても負けます。


選手は良い成績を残すためにコーチの指導に全て従います。

どんなに過酷な訓練や暴言に 泣きながらもずっと耐えます。


人間に対しても そのように寄り添って歩むならば、自分のいのちの主、自分の人生を勝利に導こうとする聖霊によって歩むことは なおさら必要なことです。


私たちが本気で聖霊に満たされたいと願うならば、これらの条件を満たしていかなければなりません。

ある瞬間だけではなく、ずっとそれを継続していく時に、その人は聖霊充満な人になります。


その人は日々の生活で聖霊に導かれて歩みますし、主の弟子になりますし、主の弟子を作る人にもなります。

皆さんもこのようにして聖霊充満な人になりますように主の御名によってお祈りします。
(´・ω・`)


2015.12.13
聖日礼拝メッセージ

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幸いな人とわざわいに陥る人

テーマは 『 幸いな人とわざわいに陥る人 』 です


【箴言28章14節】

幸いなことよ。いつも主を恐れている人は。しかし心をかたくなにする人はわざわいに陥る。

人間にとって一番の願望は、幸せになることです。

また人間が一番恐れているのは、わざわいに陥ることです。


箴言28章14節には “幸せになれる人と、わざわいに陥る人” のことが書かれています。


今回は幸いな人とわざわいに陥る人に対して語ります。

決して難しい内容ではないので、聞く耳をもって聞いて下さい。




幸いな人はいつも神を恐れる人です




“恐れる” ことは神様を恐がることでしょうか?
そういう意味ではないです。

色々な意味がありますが、一番の意味は 真実な心と愛をもって神に仕えることです。


神は心を見抜くお方ですから、私たちが偽りの心で神に仕えても 全てお見通しです。

そして、私たちのそのような心と態度を忌み嫌います。


しかし神を信じる人が皆、神を恐れているでしょうか?


恐れる人よりは、恐れない人の方が圧倒的に多いです。


まずは神に対する真実な心があまりないです。

自分の都合によって神に近づいたり、距離を置いたり、離れたりといつも変わります。


その心や愛が本物には見えず、偽りが多いです。


皆さんの心はどうでしょうか?

何があっても神を愛する心に変わりはないですか?


イエス様のことを三度も知らないと言ったペテロに対して 主が質問したのは1つでした。


「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」と三度も聞きました。

自分のいのちが危なくなった時に、ペテロはイエス様を捨てて、「知らない」と言いました。


ペテロ本人はイエス様のことを他の誰よりも愛していると思っていましたが、実際その愛は 真実な愛ではありませんでした。


真実な愛は愛する相手と一緒に重荷を負い、死の道も一緒に歩みます。


私たちが神の愛を確認したのもイエス様の十字架でした。

神はその愛を、イエス・キリストを私たちのために十字架の上で死なせたことで見せました。



【ローマ5章7-8節】

正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。

しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

愛にはこのように はっきりとした証拠が要求されます。

言葉だけの愛は真実な愛ではありません。


神を恐れている人には 真実な愛があるので、何があっても変わらない愛をもって忠実な態度で神に仕えます。


また神を恐れることばの違う意味は、神に従順することです。


従順のない礼拝に何の意味があるでしょうか。

従順のない信仰は偽善の信仰です。


神は偽善の信仰を一番嫌います。


神が私たちをどれほど愛しているかを私たちが知っていながら、その神に従順しないならば、私たちが 「神を愛する」 と告白しても、そのことばは偽善的なことばにしか聞こえません。

愛には従順が必須です。


ですから神は “わたしを愛する者は わたしのことばを守りなさい” と言われました。




神をどのように恐れるのか




神を恐れることは、生まれながらの人間には出来ません。

必ず神様の教えを学ばなければならないです。


神を恐れたことのない人間が、信じてすぐに変わるわけではないです。


神がモーセを通して律法を与えた理由は何でしょうか。


【申命記4章10節】

あなたがホレブで、あなたの神、主の前に立った日に、主は私に仰せられた。「民をわたしのもとに集めよ。わたしは彼らにわたしのことばを聞かせよう。それによって彼らが地上に生きている日の間、わたしを恐れることを学び、また彼らがその子どもたちに教えることができるように。」

私たちが神を恐れ、神からの祝福を受けるためには、神のもとに来て学ばなければならないです。


ですから “神に仕える” と言いながら、神の言葉を聞くことを嫌がる人は 神に愛される資格がありません。


神はホセア預言者を通しても語りました。



【ホセア書6章6節】

わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ。

ですので、ホセアは「私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。」と民に語りかけました。


どのようにして神を恐れるのかを 神から聞かないとその方法がわかりません。


主のことばを学ばず、興味も持たない人は神を恐れることを知らないので、神を恐れることもしないですし、神の愛も祝福も受けることが出来ません。




神を恐れる人が受ける祝福は何か




神を恐れる人は幸いであると初めから言いましたが、どのような祝福があるでしょうか。

神は蒔いた通りに刈り取る法則を作っておられます。


私たちが祝福を受ける目的で 神に仕えることをしなくても、神は初めから祝福を備えておられます。

祝福の約束が聖書に書かれています。


【箴言22章4節】

謙遜と、主を恐れることの報いは、富と誉れといのちである。

この祝福は、この世で生きている間に受ける様々な祝福を意味します。


誉れは 他の人から尊敬される位置にまで上がって神に栄光を現します。

そして最も優れた祝福はいのちです。


いのちとは救いを意味し、永遠のいのちを意味します。


神を恐れる人に 神はこのような祝福を約束し、神の御国を相続させて下さいます。

そして神を恐れる人たちの祈りを神は喜んで聞いて下さいます。


神を恐れず自分勝手に生きて困った時だけ神に助けを求める人と、いつも神を恐れている人が神に求めた時に どちらの人が より祈りの答えを得ると思いますか。

断然、神を恐れる人の祈りです。


神は喜んでその人たちを助け、祝福を与えてくださいます。




心をかたくなにする人が陥るわざわい




かたくなな心に対しての聖書のことばは結構厳しいです。


“かたくなな心” とは、その心が石のように硬くて 神の恵みを受け入れることが出来ない状態です。


恵み深い神様はすべての人に恵みを注ごうとしますが、かたくなな心の持ち主はそれをかたく拒みます。


心を閉ざすので、神の恵みを受けることも出来ないですし、実を結ぶことも出来ません。

金槌のような主のことばで叩いても何とも思いませんし、聖霊の強力な火のようなことばを聞いても何も感じません。


聖書ではこのような人を愚か者と言います。


本人たちは自分を賢い人、慎重な人と思うかも知れませんが、神の目には愚か者に過ぎません。


その心は道ばたのような心です。

なぜ人の心がそこまでかたくなになるのでしょうか?
それは “罪” によるものです。



【ヘブル3章13節】

「きょう」と言われている間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい。

このように言われたように罪の誘惑を受けると 心がかたくなになり、罪に落ちていきます。


私たちは毎日襲ってくる罪の誘惑を信仰によって勝たなければなりません。

私たちを誘惑する最大の敵は 外にあるのではなく、自分の中にあります。


自分の中にある罪の性質がいつも自分自身に戦いを挑みます。


パウロはこの激しい戦いのことで次のように語りました。



【ローマ7章19-20節】

私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。

もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。


【ローマ7章24節】

私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。


このように自分の中に激しい戦いがあることを語りました。


外からの誘惑、内からの誘惑に勝たないと ますます心は罪によってかたくなになっていきます。

この世の誘惑に負けると、この世のあらゆるものに心が縛られて、心が石のように堅くなり、なかなか癒されません。


心のかたくなな人が災いに陥る根本的な理由は、神のことばを聞こうともせず、そのことば通りに生きることをしないからです。

そのような人は神のことばを聞くことすら嫌がり、耳を塞いで 「聞きたくないから話すな」 と言います。


皆さんの中で 神のことばを聞きたくないと思っている人がいるならば、その人は自分の心がかたくなになっていることに気付かなければなりません。そして早く悔い改めることです。


心がかたくなになることは なぜ恐ろしいことなのでしょうか。


なぜ災いに陥りますか?


神様は心のかたくなな者に対して干渉せず、好き勝手に生きるように放置します。

するとその人の状態はどのようになるでしょうか。次の箇所です。



【ローマ1章24-32節】

それゆえ、神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡され、そのために彼らは、互いにそのからだをはずかしめるようになりました。

それは、彼らが神の真理を偽りと取り代え、造り主の代わりに造られた物を拝み、これに仕えたからです。造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン。

こういうわけで、神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡されました。すなわち、女は自然の用を不自然なものに代え、

同じように、男も、女の自然な用を捨てて男どうしで情欲に燃え、男が男と恥ずべきことを行うようになり、こうしてその誤りに対する当然の報いを自分の身に受けているのです。

また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。

彼らは、あらゆる不義と悪とむさぼりと悪意とに満ちた者、ねたみと殺意と争いと欺きと悪だくみとでいっぱいになった者、陰口を言う者、

そしる者、神を憎む者、人を人と思わぬ者、高ぶる者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者、

わきまえのない者、約束を破る者、情け知らずの者、慈愛のない者です。

彼らは、そのようなことを行えば、死罪に当たるという神の定めを知っていながら、それを行っているだけでなく、それを行う者に心から同意しているのです。


“死罪に当たる” ということばがあるように、最後は永遠の死を迎えるようになります。


自分の好き勝手に出来ることを喜び、地上で何も起こらないからと安心していても、永遠に消えることがない苦痛が待っています。


その人たちは自分自身でわざわいを招いていることに気付かなければなりません。

神を恐れることが祝福への道です。


皆さん全員が神を恐れ、幸いな人生になってほしいです。
(*´∇`*)

2015.9.20
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神の約束を信じたアブラハムの信仰

テーマは 『 神の約束を信じたアブラハムの信仰 』 です

【ローマ4章19-21節】

アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。

彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、

神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。

聖書から、“神のことばと信仰” を除くならば、何が残るでしょうか。

そして、それらを除いた聖書が私たちにどのような意味を残すでしょうか。
それは何の価値もないものになってしまいます。


信仰は神のことばと私たちをつなぐ役割をします。


いくら聖書が真理であり、いのちのことばだとしても、読む人に信仰がないならば聖書をどんなにたくさん読んでも、その人に聖書の価値はわかりません。


ただの一冊の本に過ぎません。


また、ある人が「自分には信仰がある」と言っても、その人の信じるものが真理のことばでないならば、その信仰はむなしいものとなり、その魂を救うことは出来ません。


アブラハムという人物は、“信仰の父”と呼ばれています。
神様は、アブラハムが見せた信仰を 良い信仰だと認めて下さいました。

それはアブラハムが神の言葉に対して信仰をもって受け止め、その信仰が最後まで生きていたからです。


アブラハムは神様を直接見たから神を信じたのでしょうか?

神を信じない多くの人は、「神を見せてくれるならば信じる」と言います。


高慢と不信仰な心で「神を見せてくれ」と言っても、神がその人に現れることはありません。

なぜなら神が認める信仰は、見て信じる信仰ではなく、見ずに神の約束を信じる信仰をよしと認めて下さるからです。


信仰がない人に神が現れるのではなく、信仰がある時に神を見ることが出来ます。

(ここで、「見る」というのは自分の肉の目で見るという事ではなく、心の目で見るということです。)


神のことばを信じる人は、心の目で神を見るようにして生きています。






アブラハムの信仰が、どのような信仰であったのかを見たいと思います。

アブラハムはある時に神の声を聞きました。それはアブラハムにとって初体験でした。


目で神を見たのではなく、聞こえてくる神のことばでした。

神から聞かされた内容はあまりにもスケールが大きくてよく理解出来ない神の一方的な約束でした。


【創世記12章1-3節】

主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。

そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。

あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」

もし皆さんがこのようなことばを聞いたならば、理解できますか。
そして神のことばを理解できないまま、すぐに従うことが出来ますか。


すぐに出来るならば、アブラハムの信仰を認めた神が、皆さんの信仰を認めて下さると思います。

しかし出来ないならば、アブラハムの信仰を見習うことです。


アブラハムは神の約束のことばを信じ、主が仰せられた通りに出かけました。
冒険するには75歳という年齢は厳しいと思います。


しかし、アブラハムは従順出来ない理由を捜したのではなく、ただ神から言われた通りに従いました。


その時のアブラハムの信仰は、神に完全に従順する信仰でした。

信仰のない人から見ると無謀な人間に見えたでしょう。
“失敗したらどうするの” と心配する声が周りから大きくなるでしょう。



すぐに心配する人は、なかなか信仰が成長しないです。神のことばよりも自分の感情に忠実だからです。

そのような人は神の言葉よりも自分がどう思うのかが一番です。
自分が安心出来たら(言葉に)従うけど 安心出来ないと、神の言葉に頼るのが苦手です。


しかし アブラハムは神のことばだけに信仰を結び付けて従順しました。

簡単そうに見えても、人々はここで失敗することが多いです。


まずは「そんなことが信じられません、そんなことが起こるはずがありません」 と勝手に神様のことばをつぶして従うことはしません。

神がせっかく語って下さったのに、どれほど多くの人々が、自分たちの不信仰で神の言葉を無視するかわかりません。


まるで神様が嘘つき、詐欺師であるかのように「信じたらダメ」 と否定します。


アブラハムは信じて大胆に出かけました。
神様が喜ぶ信仰は、従順する信仰です。


信仰ある人は、自分の頭で理解出来ず 納得できなくても、神が語ったことばが一番で、そのことばに従います。


アブラハムの信仰は、神の約束を最初から疑わない信仰でした。

最初の神の約束のことばを疑わずに受け入れたアブラハムでしたが、すぐにその信仰が認められ、すべての祝福を受けたでしょうか。


現実はどうでしたか―?

75歳で従順して出かけましたが、25年間何事も起こりませんでした。
25年は決して短い時間ではありません。


自分ならばどうするのかと考えてみて下さい。

信じた私がバカだったと自分に対して腹を立てますか?
また、神様に向かって嘘つきと文句を言いますか。


たぶん私たちならば両方やっていると思います。

しかしアブラバムは、子孫が与えられる約束を受けたにも関わらず、いつの間にか100歳になり、生産不能になり、子を持つことが不可能になったにもかからわず、アブラハムは神の約束を疑いませんでした。


これは素晴らしい信仰です。






人々は信仰よりは不信仰を選び、信仰よりは疑いを選びます。

忍耐よりは諦めて、時間を無駄にするよりは他の方法を捜します。

しかし別の方法も見つからず失望して終わる人が多いです。


沖縄に行った時、海岸にある木を見ましたが、形がちょっとおかしく、木の葉や枝が不揃いでした。

台風が多いので、暴風で枝が折れたり、葉っぱが落ちた為だと思います。


でも激しい風の中でもしっかり立っているのは、植えられた所に、必死に頑張ってしがみついて 根を深く降ろしたから倒れなかったと思います。


疑いは二心です。どうしようかと迷う心です。

根を下ろそうか、やめようかと二心で戦いますが、そのような状態では立ってはおられません。

現実の強い風で倒されてしまいます。


アブラハムは自分や妻が年取ってこどもを産む力がないことを知っていても、信仰が弱ることもなく、神の約束を疑うこともなかった理由は、アブラハムが神の無限なる力と 神は約束を守る神であることを信じたからです。


【イザヤ書55章11節】

そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。

環境に左右されたり、自分の状態に左右されたりするのは信仰の姿ではありません。


神の絶対的な力と真実さに対する完全な信頼こそ、不可能に見える状況の中でも アブラハムを苛酷な現実から守る信仰の力になっていたと思います。


信仰は力です。

環境を見て信仰が無気力症にかかる人が多いです。それは信仰の根っこが弱いからです。


アブラハムも人間的な目で見ると、大いなる民族の先祖になることは想像出来ない状況でしたが、それでも信じたので 「信仰の先祖」 と呼ばれています。

この姿は私たちが見習わないといけないです。


次々と変わる環境や状況に振り回されて信仰の無気力症に落ちるのではなく、そのような時こそ忍耐をもって神の約束を堅く信じ、耐えることです。


その姿を確信に満ちた信仰と言えます。


確信とは、疑いが入る隙間もないほどに、自分に与えられた神の約束のことばと、神は約束したものを必ず成し遂げる方であることを心の中に満たすことです。


そして日々そのことを黙想することです。

まるでそのことが当たり前であるかのように思われると、信仰の根を深く降ろしたことになるので、過酷な現実の中でも倒れることがありません。


その人たちを倒そうとするサタンの策略も失敗に終わり、さらに試練の中で信仰は強くなり、成長していきます。


見えるものにすぐ心が取られたり、疑ったり、失望すると、倒そうとするサタンに隙を与えることになります。

現実的な可能性があったり、少しでも希望がある時は、信仰を守ることがそんなに難しいことではありません。


ところが、激しい試練や不可能な状況に直面すると、私たちの信仰は病にかかり 倒れやすいですし、疑いと絶望で揺れ動いてしまいます。


しかし、そのような時でもアブラハムがしたように、神に望みを置いて、神の約束を信じ続けるならば、神は約束したことを必ず成就して下さいます。


信仰が弱いと、神から素晴らしい約束を受けても、それを無駄にしてしまうことが多いです。

しかしアブラハムのようにするならば、すべての約束を自分のものにすることが出来ます。


信仰が弱くなったと実感する時は、アブラハムの信仰をもう一度学んで下さい。


彼が教えてくれます。
( ̄‥ ̄)=3

2015.7.26
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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すべての事について…感謝❤

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神に失望したことがありますか

テーマは 『 神に失望したことがありますか 』 です

【ヨハネの福音書6章60-70節】

そこで、弟子たちのうちの多くの者が、これを聞いて言った。「これはひどいことばだ。そんなことをだれが聞いておられようか。」

しかし、イエスは、弟子たちがこうつぶやいているのを、知っておられ、彼らに言われた。「このことであなたがたはつまずくのか。

それでは、もし人の子がもといた所に上るのを見たら、どうなるのか。

いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。

しかし、あなたがたのうちには信じない者がいます。」――イエスは初めから、信じない者がだれであるか、裏切る者がだれであるかを、知っておられたのである――

そしてイエスは言われた。「それだから、わたしはあなたがたに、『父のみこころによるのでないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできない』と言ったのです。」

こういうわけで、弟子たちのうちの多くの者が離れ去って行き、もはやイエスとともに歩かなかった。

そこで、イエスは十二弟子に言われた。「まさか、あなたがたも離れたいと思うのではないでしょう。」

すると、シモン・ペテロが答えた。「主よ。私たちがだれのところに行きましょう。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。

私たちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています。」

イエスは彼らに答えられた。「わたしがあなたがた十二人を選んだのではありませんか。しかしそのうちのひとりは悪魔です。」

皆さんはいつも神様に対して感謝し神をあがめ、素晴らしい神様だと思っているでしょうか?
それとも神に失望して信じるのはやめようかと思ったことがありますか?


多分、神様に失望したことがあると思います。

祈れば聞かれると言われて、たくさん祈ったのに何も答えられたことがなく、熱心に仕えると祝福があると思って奉仕をしたのに祝福がなく、神様ならば止めることが出来た事故だったのに守ってくれなかった等。

教会でも主のためだと思って新しい計画を進めたのに、失敗に終わったから神様に失望して落ち込み、「神様は一体何をしているのだ」と、つぶやくことが多いと思います。


今日の本文にも1つの悲劇が書かれています。
弟子であった人々の姿です。

弟子とは、イエス様を見て信じ、どこまでも従って行きますと言ってついてきた人たちです。

イエス様があらゆる奇蹟を行いましたが、弟子たちの中には、その恵みを受けて癒された人もいたでしょう。

日々、素晴らしいみわざを現すイエス様を見て 喜んで従ってきました。
自分たちの要求、願いが通ったので喜んで従ってきました。


しかし、イエス様が自分たちに対して要求するものが出た時に、彼らは気を悪くして、その要求に自分たちが答えなければならないことを知ってから態度を変えました。

「何だ。祝福だけをもらおうと思って信じたのに、私が神のために何かをしなければならないのか。それはいやだ。」という思いが出て、「神様を信じるのをやめます。失望しました。」と言って 神様から離れていきました。






信仰生活は神と自分自身が関係を結ぶことです。

神様は私たちに語っておられます。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイの福音書11章28節)」 このことばが嫌いな人はいないと思います。

神様が良くしてくださると思って神に近づき、何でも神様が自分の願い通りにしてくださると、ここから神への誤解が生まれてきます。


私の願いは叶えられ、私の思いのままに神を動かせると勘違いをします。


「○○のために信じます。」「○○をしてくださるならば信じます。」「○○だから信じます。」と理由を並べるのを神様は喜びません。

神様は私たちが、神のみこころに従って歩むことを願っておられます。

教会に来られた人々の中でも「○○があるから教会には行けません。」と言う人がいます。


私たちは教会に 神様に会うために行きます。他の理由は大したことがないです。


神の御前に行き、神を信じ、神に頼ることを神様は求めておられます。

それなのに神に頼らないで、人やお金に頼り、神を無視しながら自分の思い通りにならないと「神様が何もしてくれないから失望しました。」と神のせいにして神様から離れていきます。

また、神様が要求するのは神のみことばに対する従順であるのに、みことばに対しても不従順でありながら、神が悪いと平気で言います。

私の要求が通るならば神様を信じますが、通らないなら信じませんと言うのは正しいことでしょうか――?






最近3分テレフォンメッセージで、マラキ書を語っていますが、当時のイスラエルの民たちは神に失望していました。


自分たちの思い通りになっていない現実を見て、「神様はなぜ私たちを祝福しないのですか。なぜこのような有様なのですか」と すごく不満を持ちました。

実際に彼らが神に失望したのは、神のほうに問題があるのではなく、神のみこころに従わず、勝手に歩んでいた彼らに問題がありました。しかし、そのことに気付いていませんでした。


それで神様は彼らが悟ってほしいと願って、ことば(神の質問)を色々と与えました。

(神)「わたしはあなたがたを愛している。」 → (民たち)「どのようにあなたが私たちを愛されたのですか?」
この答えを聞いても分かるように、どんなに神様から愛されていても、その愛に気付いていませんでした。


むしろ彼らは「神様は私たちを愛していない。愛しているなら、なぜ私たちが困っているのに助けてくれないの?祝福してくれないの?」という思いでいっぱいでした。

また、神様は「もしわたしが父であるなら、どこにわたしへの尊敬があるのか。もしわたしが主人であるなら、どこにわたしへの恐れがあるのか」と質問するほど、イスラエルの 民たちは神様へひどい態度を見せながらも、自分の間違った態度は棚にあげて神様への失望だけが心に満ちていました。


神様が何かを言うと、「何と うるさいことか」と心の中で言っていました。

神様に対して誤解し、神様に対して失望し、尊敬も栄光も捧げず、心が神様から離れ、神様が語ることばに対しても反抗的で不信仰であるならば誰が損をしますか?神様でしょうか?それとも その人たちでしょうか?






多くの人々が福音を聞きます。しかし反応は分かれます。

ある人は(神が語ったことばが)、自分が思ったことと違うと非難し悪口を言い、失望したと言って離れます。
また ある人は、自分の願いが叶えられて嬉しいと言ってついて来ますが、神様が要求するものを語ると「それは出来ません。無理です。時間がありません。」と言いながら、だんだん神から離れていきます。


しかし、ある人たちは何も自分の思い通りにならなくても救われた恵みにただ感謝して神を愛し、神を信じ、死に至るまで忠実に主に仕えます。

すると主はどの人を一番愛し、祝福してくださるでしょうか?それは言うまでもありません。


神を信じ、頼り、神から離れない人です。


私たちはどのようなタイプでしょうか?

すぐに「神様に失望した。何もしてくれないから、信じても意味がない。」と言うような人には絶対にならないようにしましょう。

これは神の恵みを知らず、神がどういう方なのか まだ分かっていない人が言うことばです。


詩篇116篇の告白を自分の思いとして告白してみてください。
(・∀・)つ


【詩篇116篇1-19節】

私は主を愛する。主は私の声、私の願いを聞いてくださるから。

主は、私に耳を傾けられるので、私は生きるかぎり主を呼び求めよう。

死の綱が私を取り巻き、よみの恐怖が私を襲い、私は苦しみと悲しみの中にあった。

そのとき、私は主の御名を呼び求めた。「主よ。どうか私のいのちを助け出してください。」

主は情け深く、正しい。まことに、私たちの神はあわれみ深い。

主はわきまえのない者を守られる。私がおとしめられたとき、私をお救いになった。

私のたましいよ。おまえの全きいこいに戻れ。主はおまえに、良くしてくださったからだ。

まことに、あなたは私のたましいを死から、私の目を涙から、私の足をつまずきから、救い出されました。

私は、生ける者の地で、主の御前を歩き進もう。

「私は大いに悩んだ」と言ったときも、私は信じた。

私はあわてて「すべての人は偽りを言う者だ」と言った。

主が、ことごとく私に良くしてくださったことについて、私は主に何をお返ししようか。

私は救いの杯をかかげ、主の御名を呼び求めよう。

私は、自分の誓いを主に果たそう。ああ、御民すべてのいる所で。

主の聖徒たちの死は主の目に尊い。

ああ、主よ。私はまことにあなたのしもべです。私は、あなたのしもべ、あなたのはしための子です。あなたは私のかせを解かれました。

私はあなたに感謝のいけにえをささげ、主の御名を呼び求めます。

私は自分の誓いを主に果たそう。ああ、御民すべてのいる所で。

主の家の大庭で。エルサレムよ。あなたの真ん中で。ハレルヤ。

2014.10.12
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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