からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★

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弟子

マタイの人生

テーマは 『 マタイの人生 』 です

【マタイの福音書9章9-13節】

イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、「わたしについて来なさい」と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った。

イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた。

すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」

イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。

『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」

マタイは、イエス様の十二弟子の1人です。

十二弟子の名前が10章に出てきますが、マタイの名前の前には “取税人” と書かれてあります。


イエス様が彼を見つけた場所が 収税所だったので、彼の職業が何かは分かったと思います。


今回は、イエス様に出会って彼の人生がどのように変わっていったのかを学びたいと思います。

主に出会った人は誰もが変わります。




収税所で働いていたマタイ




収税所は、今でいう税務署のことです。

今なら税務署で働くのは公務員で 別に何の問題もないですが、マタイが生きていた時代は全然違っていました。


ローマの支配下にいて、税金を民から取りたてる仕事ですが、民から多めに取って横領していた者が多かったので、民から憎まれ、“罪人のかしら” と さげすまれました。


民の血を吸いとる悪人だと、人々から非難されており、
とにかく取税人に対しては、色々と悪く言うことばがたくさんありました。


そのことを聞いていても取税人はお金を集めることに熱心であったので、金持ちが多かったです。




イエスに従ったマタイ




いつものようにマタイが仕事している時に、目の前にイエスという方が来られ、
マタイに向かって突然「わたしについて来なさい。」と言われました。


イエス様のこのことばは、彼を招待することばでした。

イエス様に招待されたことは、メシヤに招待されたことを意味します。



なぜマタイを招待したでしょうか?

もちろん彼を救い、弟子にするためでした。


人間の基準からは一番不適格な人かもしれません。

しかし、あえて主は彼を選びました。


マタイという人物がどんな人であれ、イエス様にはまったく問題にならないです。


主は ありのままの彼を使うのではなく、訓練して福音と救いのために、人に仕える偉大な働きをさせるために選びました。


マタイはイエス様の招待にすぐ立ち上がってついて行きました。

ついて行ったところには取税人や罪人たちが大勢招待されて集まっていました。



彼がイエス様の招待に応じたことは、イエス様を受け入れたことを意味します。

イエス様は次のように語ったことがありました。


【マタイの福音書8章20節】

狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。

ですから イエス様に従っても、この世で成功したり、贅沢に暮らしたり、権力を得るわけでもないです。



彼がついて行ったのは、イエス様がメシヤ(救い主)であったからです。

マタイは次のように従ったことを記録してあります。


【ルカの福音書5章28節】

何もかも捨て、立ち上がってイエスに従った。

大きな決断をしてついて行きました。

家に帰って家族と相談したならば、主の弟子になることはなかったと思います。



イエス様は 今も「来なさい」と言われます。


【ヨハネの福音書6章37節】

父がわたしにお与えになる者はみな、わたしのところに来ます。そしてわたしのところに来る者を、わたしは決して捨てません。




医者に出会ったマタイ




食事に招待されてない自分のことを信仰深くて敬虔と思っているパリサイ人たちは、イエス様が罪人と取税人と一緒に食事している様子を見て、弟子たちに質問しました。


「なぜあなたがたの先生は、取税人や罪人と一緒に食事をするのですか」

それを聞いて主はこのように言いました。


「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。」と言われました。


マタイは体が病気ということではないです。

しかし、心は病んでいました。



マタイの生涯には、イエス様のような方が必要でした。


イエス様は自分を必要とする人の所を訪ねます。


絶望がある所、嵐が起こる所、嘆きが聞こえて来る所、そこで声を掛けます。


【マタイの福音書11章28-29節】

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。


罪人たちは、だれもが深刻な病気にかかっています。


罪人たちを招いて癒し、救うためにイエス様は来て下さいました。


イエス様に出会うと、なぜ心に平安がありますか?

心の病気が癒されるからです。



収税所に座っていた時のマタイには 心の平安はありませんでした。

自分のことを見る人々の視線は まるで悪人を見るような目でしたから。


聞こえてくることばも悪口や非難しかありませんでした。


彼自身も悪いことをしている自覚はありました。

でもお金を簡単に手放すことは出来ませんでした。



しかし イエス様に出会い、主の招きを受けた時に彼は自分の人生が変わると感じました。


それがなかったならば、何もかも捨てて従うことは出来ません。

マタイは魂が救われ、心が癒されました。


そして十二弟子の1人として任命された彼は、新しく生まれ変わった人生を歩み始めました。

主の弟子として主と共に歩む人生になりました。


主に出会ったことが 彼の人生の中で、一番良かったことだと思います。

マタイの福音書は もちろんマタイが書きました。


マタイは使徒として立派に働き、選んで下さった主を喜ばせました。
ハレルヤ .。゚+.(・∀・)゚+.゚


2018.10.7
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足を洗うことの意味

テーマは 『 足を洗うことの意味 』 です

【ヨハネの福音書13章3-5節、12-15節】

イエスは、父が万物を自分の手に渡されたことと、ご自分が神から出て神に行くことを知られ、

夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。

それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。



イエスは、彼らの足を洗い終わり、上着を着けて、再び席に着いて、彼らに言われた。「わたしがあなたがたに何をしたか、わかりますか。

あなたがたはわたしを先生とも主とも呼んでいます。あなたがたがそう言うのはよい。わたしはそのような者だからです。

それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。

わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。

イエス様が弟子たちの足を洗ったのは これが最初であり、最後でした。


足を洗ったのは最後の晩餐の席で、
十字架の死を遂げる前日の出来事でした。

他の日ではないからこそ、深く考えないといけないですね。


弟子たちは 後でこのことから学び、主のように互いに足を洗う者になりました。


当時、足を洗ってあげるのは身分の低いしもべの仕事でした。

師とも主とも呼ばれるイエス様がする仕事ではないです。

しかし、敢えてイエス様がこのような行動をしたのは、弟子たちに教えなければならないことがあったからです。


12人の弟子たちの間には ライバル意識がありました。

何度も彼らの間で 『誰が一番えらいのか』 に対して議論がありました。

イエス様はそれを知っていました。


直前にも そのことで議論がありました。


このままではいけないので、弟子たちの足を洗った後に 『わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです』 と言われました。


私たちの教会では実際に足を洗うことはしませんが、それを行っている教会もあります。

本音をいうならば、何となく そのことに違和感を感じます。


イエス様はイベントのように足を洗う儀式を願っているでしょうか?


儀式ではなく、“意味をわかってほしい” と願っています。


何を教えようとしたでしょうか?




自分を低くして謙遜になること




しもべがするようなことを、師であるイエス様がしたことは、師という立場を捨てて しもべの姿になったことを意味します。


謙遜になって しもべの姿を取り、しもべの働きをしました。


『互いに足を洗うべきです』 というのは、“高ぶらないで、自分を低くし、謙遜な者になりなさい” という意味です。


誰かの上に立ちたいと思う人は、人に仕えることが出来ません。

しもべにはなれません。

主の働きは、しもべとしての働きです。



十字架の死は、高慢な人の死でしょうか?


十字架の死は、謙遜の絶頂でした。

自分を完全に無にした姿でした。


『自分を捨て、自分の十字架を負ってわたしに従って来なさい』 と弟子たちに言いましたが、捨てることも十字架を負うことも、“謙遜” にならないと出来ないことです。



他人の足を洗ってあげられるほど 自分を低くして謙遜になりなさい という主のメッセージがあります。

愛と尊敬は、相手を高くあげて相手の足を洗うことです。


実際に足を洗うのではなく、自分を低くして仕えるしもべの姿になりなさいという意味で、主は弟子たちの足を洗いました。




利己心を捨てて他人に仕えること




人は自分が一番で、自己中心ですので、利益もないのに他人に仕えることは難しいです。

ましてや身を低くして他人に仕えることに抵抗を感じます。


うわべだけで仕える場合がありますが、主はうわべではなく、心から人に仕えることを願っています。

主が模範を見せました。


キリスト教の中心にあるのは 『愛』 です。


“神を愛することと、隣人を愛することが律法の完成である” と教えて下さいました。


主はその愛を見せて下さいました。

イエス様の生涯は 自分のためではなく、他の人のために生きた生涯でした。

いのちまでも捨てました。


そのように、人のために生きた姿を最後の晩でも見せて下さいました。


積極的に献身、奉仕する姿の中にあるのは愛です。

自己愛ではなく隣人を愛する姿です。


足を洗うことで、主は仕えることの意味が何かを教えて下さいました。


見て学んで行う時に、良い実が結ばれていきます。

主が喜んで下さいます。
アーメン v( ̄∇ ̄)v


2018.7.29
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宣教は霊的戦いから始まる

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テーマは 『 宣教は霊的戦いから始まる 』 です

【マタイの福音書10章16-18節】

いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。

人々には用心しなさい。彼らはあなたがたを議会に引き渡し、会堂でむち打ちますから。

また、あなたがたは、わたしのゆえに、総督たちや王たちの前に連れて行かれます。それは、彼らと異邦人たちにあかしをするためです。

イエス様は、弟子たちを遣わして福音を伝えさせた時に、彼らに注意を与えました。

彼らが行く先には、狼が待ち構えていることを教えました。


狼は 羊を攻撃し、羊の いのちを狙います。

狼は羊を “迫害する者たち” のことです。


宣教する人たちが魂を愛し、善意をもって福音を伝えても、人々がそれを歓迎することは ほぼないです。


人々は自分の領域を守ろうとする縄張り意識が強く、外から来る者を疑い警戒します。


彼らは今までの生活を変えたくないし、自分は正しいという認識が強いので、魂の救いのことを話しても無関心だったり、嫌がって拒否することが多いです。

ある人たちは激しく反発し迫害します。


このように 宣教は、決して簡単なものではありません。


その時に主は、蛇のようにさとく、鳩のように素直な心で宣教するように語って下さいました。

蛇は狡猾さがありますが、人間は蛇以上にさとく活動するために、神の知恵をもらわないといけないです。



1人の魂が救われるまでは 長い霊的戦いがあります。


まずはその人の中にある強い要塞を崩していかなければなりません。


人の心の要塞は本当に堅いです。

うまく行かず失敗することも多いです。


1回1回の戦いで いつも勝利するわけではないので、
その時に失望して諦める必要はありません。

勝利は最後に得たらいいです。


“最後は勝つ” という勝利の信仰で忍耐しながら戦い続ける人が勝利します。






多くの敵の反撃が強い時には、主が教えて下さった作戦が必要になります。


【マタイの福音書10章14節】

もしだれも、あなたがたを受け入れず、あなたがたのことばに耳を傾けないなら、その家またはその町を出て行くときに、あなたがたの足のちりを払い落しなさい。

【マタイの福音書10章23節節】

彼らがこの町であなたがたを迫害するなら、次の町に逃れなさい。というわけは、確かなことをあなたがたに告げるのですが、人の子が来るときまでに、あなたがたは決してイスラエルの町々を巡り尽くせないからです。


実際に主の弟子たちはその通りにしました。


【使徒の働き8章1節】

エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた。

【使徒の働き8章4節】

他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた。


そして主が与える知恵と勇気を与える ことばがあります。


【マタイの福音書10章28節】

からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。


迫害する者が怖くて逃げるわけではなく、まだ伝えなければならない所がいっぱいあるのに、悪を働く者たちに簡単にいのちを差し出してはいけないことを主が語っておられます。



時には “そこにとどまりなさい” という特別な主の命令があるかも知れませんが、それ以外では、激しい迫害がある時は一度撤退するのも作戦です。


そして外から祈りの火矢を そこに絶えず飛ばすことが必要です。



マルコの福音書9章で悪霊を追い出せなかった弟子たちが、主にその原因を聞きました。

その時の主のことばです。


【マルコの福音書9章29節】

「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出せるものではありません。」

祈りの重要性を主が教えました。



パウロは多くの霊的戦いをしながら宣教しました。

教会を立て、弟子を育てました。


彼は誰よりも霊的戦いに対して知っていました。

そして弟子たちにもその戦いをするように教えました。


【使徒の働き20章29-31節】

私が出発したあと、狂暴な狼があなたがたの中に入り込んで来て、群れを荒らし回ることを、私は知っています。

あなたがた自身の中からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょう。

ですから、目をさましていなさい。私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて来たことを、思い出してください。

霊的戦いは敵に勝利するために、自分自身を守り、また宣教を続けるために必要です。


教会の中でも霊的戦いは絶えずしなければなりません。

しないと教会も狼でいっぱいになります。


羊が食い物にされていきます。

アーメン (TДT)


2018.7.22
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自分を捨てる者の義務

テーマは 『 自分を捨てる者の義務 』 です

【マタイの福音書16章24節】

それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

主 (イエス・キリスト) について行きたいけど、自分を捨てることが どういうことか分からないという聖徒も多いです。


今回は、自分を捨てる者の義務について伝えます。




1.世の心配を捨てる


【マタイの福音書6章25ー34節】

だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。

空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。

あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。

なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。

しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。

きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。

そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。

こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。

だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。



2.自分の思いよりも、主の思いを優先する


【ルカの福音書14章26ー27節】

「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません。

自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。



3.放蕩に走らないように気をつける


【ルカの福音書21章34節】

あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに望むことのないように、よく気をつけていなさい。



4.兄弟のつまずきになるようなことはしない


【ローマ14章21節】

肉を食べず、ぶどう酒を飲まず、そのほか兄弟のつまずきになることをしないのは良いことなのです。



5.信仰の弱い者のために自分の行動を自制する


【ローマ15章1節】

私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。



6.他人の利益に心がける


【第1コリント10章24節】

たれでも、自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけなさい。



7.肉の欲を取り除く


【ガラテヤ5章24節】

キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。



8.情欲によって滅びていく古い人を脱ぎ捨てること


【エペソ4章22節】

その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、




9.たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざける


【第1ペテロ2章11節】

愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。



10.罪の生活から離れる


【ローマ6章6ー7節】

私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。

死んでしまった者は、罪から解放されているのです。

(。・ω・)ノ゙ アーメン

2017.5.14
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弟子になれる人と弟子になれない人

テーマは 『 弟子になれる人と弟子になれない人 』 です

【ルカの福音書9章22-27節】

そして言われた。「人の子は、必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、そして三日目にはよみがえらねばならないのです。」

イエスはみなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。

人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。

もしだれでも、わたしとわたしのことばとを恥と思うなら、人の子も、自分と父と聖なる御使いとの栄光を帯びて来るときには、そのような人のことを恥とします。

しかし、わたしは真実をあなたがたに告げます。ここに立っている人々の中には、神の国を見るまでは、決して死を味わわない者たちがいます。」

イエス様が弟子たちを選んだ理由は、もちろん弟子として育てるためでした。


イエス様が死んで三日目によみがえって、そのまま地上に残るのではなく 天に帰るので、弟子たちにはイエス様がなさった同じことをするように伝えました。


彼らにはすでに生活がありましたが、イエス様は彼らが主の弟子になることを要求しました。

そして弟子になることが どういうことかも教えました。


弟子になる人の条件は「自分を捨て、自分の十字架を負い、そして主に従うこと」です。


自分を捨てることは自己否定です。

自己否定の意味は、罪の性質の中で生きる自己中心性を捨てることです。


“罪” とは悪いことだけではなく、正しいことを知っていながらもそれをしないことです。


自分がしたいことをするために すべきことを知りながらも、しないことが多いです。


自分のものをしっかり握りしめて、それを手放さないで主に従うことは不可能です。


自分を捨てることは、悔い改めとも関連があります。

罪から立ち返り、自分の考え、価値観を変えることです。


今までのような思いのままに生きないことです。

それをむしろ捨てることです。


そして主が与えて下さった新しい使命、主が望むこと、喜ぶことを自分のすべきこととして受け入れ、日々それを目標にして目指すことです。


そのためには犠牲も払います。

それでも その道を選ぶこと、それが自分の十字架を負うことです。


日々の生活の中で、自分が喜ぶことなのか、主が喜ぶことなのか、自分の思いか 主のみこころかを選ぶ中で、主のものを選ぶ人は自分の十字架を負っている人です。


その後に、主について行きます。

自分勝手に動くのでななく、主の導きを受けて歩みます。


このような姿が弟子の姿です。






弟子になれない人もいます。


主が選んでいないからではなく、その人の態度が弟子として生きることが出来ないからです。


主は救われた人がみんな弟子になることを願っています。


弟子になれない人は、


・イエスさまに従うことが物質的な祝福を得て、栄光を受けて天国に入る道だと思っている人です。

すなわち “祝福” が目的で信じる人です。


こういう人はイエス様より、他の人より “自分” が一番重要です。


・この世の事や働きが優先で、時間が余った時にイエス様に従うと決心した人です。


決して神の国やその義を第一にしない人です。

そういう人は多くいますね。


・世に対して未練たっぷりの人は弟子にはなれません。


世を愛し、世に関心があるので、それを捨てて主に従うことは不可能に近いです。


【ルカの福音書9章61-62節】

別の人はこう言った。「主よ。あなたに従います。ただその前に、家の者にいとまごいに帰らせてください。」

するとイエスは彼に言われた。「だれでも、手を鋤(すき)につけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。」

こういう人は弟子になれないと言われました。



弟子として生きることは「忠実な良いしもべ」として生きることです。

弟子にならない人は「悪いしもべ」として生きることです。


弟子になるか ならないかは、あなた次第です。
Σ(=゚ω゚=;)


2017.3.12
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神の計画と神の願い

テーマは 『 神の計画と神の願い 』 です

【エペソ1章3-6節】

私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。

すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。

神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。

それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。

本文には、神の人類に対する壮大なプロジェクトがあります。

その計画を立てたのは神であり、このプロジェクトは変わることもなく今も続いています。

このプロジェクトはイエス・キリストの誕生、十字架の苦難、復活、昇天によってその内容が明らかになりました。


みなさんは神の人類に対する計画を知っていますか?

今回はその計画の内容と神の願いに対して学びたいと思います。



■神の計画の内容について■



1.イエス・キリストの恵みによって人類を罪から贖う計画




人間は創造主に出会うまでは人間の始まりや、尊厳、役割、堕落や罪がどのようなものであるのか、そして自分に贖いが必要であることも知ることが出来ません。

創造主に出会わないと、でたらめなことを聞いても分別がつかず 信じてしまいます。


そして人々は、人間がサルから進化しているという進化論を疑うことなく信じています。

もしも、それが事実であるならば、今もサルは進化を続けなければなりません。
サルはサル、人間は人間であるので、まったく別物です。

創造主に出会って初めて人間は神の作品であり、その目的は神の栄光を現す存在として造られたことが分かります。


【エペソ2章10節】

私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。

しかし、創世記3章に最初の人間であったアダムとエバが神の命令に自ら不従順することによって 神の前に罪を犯しました。

罪とは神の言葉に対しての違反行為を意味します。

人間は神の祝福と神の愛を受ける存在として造られましたし、神様に栄光をささげる特別な存在でもありました。

それなのに、神様からしてはならないと命じられたことに対して違反しました。


その違反によって神との関係が壊れ、祝福を失い、その代わりに死、呪い、労苦、罪の奴隷、サタンに支配されるようになりました。


それによって、まったく希望のない絶望状態になりました。
しかし、それを見てかわいそうに思ったのも神様でした。

そして死と絶望状態の中に陥ってしまった人間を救う神のプロジェクトが始まりました。

そのプロジェクトの中心的な存在がイエス・キリストでした。


次の箇所に全貌があります。


【ヨハネの福音書3章16-17節】

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。

人間が神に対して罪を犯し堕落していても、人間に対する神の愛は変わりませんでした。
救いは神の愛そのものです。

救いを受けることは神の愛を受け止めることです。救いを拒むことは神の愛を拒むことと同じです。

その愛を拒み続けることは永遠に自分自身を神から離す行為です。

それによって罪の結果である死を免れることがなく、神の怒りを招くことになります。


救いは人間として生まれたならば、誰にでも必要です。
なぜなら神の前に違反行為をしてない人は1人もいないからです。

しかし救いは私たちの努力によって得られるものではなく、神がすでにキリストにあって用意した恵みを信じて受け取ることです。


救いとは無関係であった人が救いを受ける過程をエペソ書2章で知ることが出来ます。


【エペソ2章1-9節】

あなたがたは自分の罪過と罪との中で死んでいた者であって、

そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。

私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。

しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、

罪過の中で死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです――

キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。

それは、あとに来る世々において、そのすぐれて豊かな御恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜る慈愛によって明らかにお示しになるためでした。

あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。

行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。

救いは、(私たちの)努力も資格も罪の状態も関係なく、救いを求めるすべての人に神のプレゼントとして与えられます。

これは尊いプレゼントなので必ず受け取る必要があります。

自分が罪ある人間であることを告白し、イエス・キリストが救い主であることを信じるならば恵みとして救いを受けます。




2.私たちを選び、神の子にして、素晴らしい祝福を相続する者にする計画




救いは、罪によって神との関係を分離された人間が 再び神と和解して新しい関係になることですが、その関係は最も親密な関係である“父と子の関係”、すなわち神の家族になることです。

神の家族になるということは神と共に生きることです。

神から遠く離れていた者が神と共に生きる者になると、今までとは違う生活になり、日々 神様と個人的な交わりをします。

神様は神の子どもたちに素晴らしい祝福を相続させる計画をもっています。


そのことを神のことばで確認します。


【ヨハネの福音書1章12節】

しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

【ガラテヤ3章26節】

あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。

【ガラテヤ4章6-7節】

そして、あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。

ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子ならば、神による相続人です。

神から相続するものは天にあるすべての霊的祝福です。
この霊的祝福は私たちが想像も出来ないほどの素晴らしい祝福です。


イエス様が弟子たちに「私の父の家には住まいがたくさんあります。」と話したこともあります。

これは天国の話ですね。
また、黙示録にも私たちが相続するものがたくさん書かれています。

すべてが素晴らしい祝福です。神の家族になった者だけがその祝福を相続することが出来ます。


日本では死んだら誰でも天国に行くような話をよく聞きます。

「天国に行ってもお酒を飲んだり、マージャンをしてください」と、まるで地上と同じ生活をするように言いますが、その根拠はどこにあるのでしょうか?

また地獄の話も聞きますが、それなら地獄は誰が行くでしょうか?

明確な根拠もないのに、そのように言うのは “そうあってほしい” という希望があるからだと思います。


そういうわけで明確な根拠があるものを信じたら心配なく天国に行けます。




3.地の果てにまで証人として主に仕えさせるための計画




イエス・キリストは十二弟子を選びました。

彼らは特別に偉い者でもなく、どこにでもいるような平凡な人々でした。

その人たちを主は3年間訓練して証人として世に遣わしました。

イエス様はすべての人が救われることを願って弟子たちに出て行って福音を伝えるように命じました。


【マルコの福音書16章15-16節】

それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。

信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。

【マルコの福音書16章19-20節】

主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。

そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。

弟子たちは証人としての働きを いのちを懸けてしました。

平凡な人たちでしたが、主の命令に従って出て行った時に、主は彼らに力を与え、その働きが出来るようにして下さいました。


信じる者はすべて弟子にならないといけないです。

弟子とはイエス様に従う人ですが、それだけではなく、生活の中でイエス様の姿を再現していく人たちです。

主から学んだことを実行していき、また主に似る者になることです。


最初の弟子たちによって救われた人々も次々と弟子になりました。


【第2テモテ2章2節】

多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。

【第2テモテ2章9-10節】

私は、福音のために、苦しみを受け、犯罪者のようにつながれています。しかし、神のことばは、つながれてはいません。

ですから、私は選ばれた人たちのために、すべてのことを耐え忍びます。それは、彼らもまたキリスト・イエスにある救いと、それとともに、とこしえの栄光を受けるようになるためです。

このように証人たちの働きによって福音は全世界に広がって行きます。


【マタイの福音書24章14節】

この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。

ここに神様の願いが込められてあります。

救いの対象は全世界の人々です。


救いの良い知らせを人々に聞かせて魂を救うのが神様の願いです。


救いを受ける者は最初から決まっていると言う人もいますが、聖書は次のように書いています。


【第1テモテ2章4節】

神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。

すべての人が救われることが神の最大の願いです。

そして次のように救いの門を開いておられます。


【マタイの福音書11章28節】

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

【ヨハネの黙示録3章20節】

見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。

すべての人の救いに主は関心があります。

救いの恵みを与えたいと願って今も人々を招待しています。


主の声を聞いて心に招くならば その人は救いを受け、神の家族、御国を相続する者、主の証人になります。

―― 救いを受けていますか?
救いは物ではありません。


自分の存在を “どこに所属させるか” です。

まことの神の所属になることが救いであります。
(*´∇`*)

2015.6.28
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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曜日別の祈りです(リニューアルしました)
今日の祈り

神様からの警告のことばです(新コーナー)
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幻と啓示~天国と地獄~

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神に失望したことがありますか

テーマは 『 神に失望したことがありますか 』 です

【ヨハネの福音書6章60-70節】

そこで、弟子たちのうちの多くの者が、これを聞いて言った。「これはひどいことばだ。そんなことをだれが聞いておられようか。」

しかし、イエスは、弟子たちがこうつぶやいているのを、知っておられ、彼らに言われた。「このことであなたがたはつまずくのか。

それでは、もし人の子がもといた所に上るのを見たら、どうなるのか。

いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。

しかし、あなたがたのうちには信じない者がいます。」――イエスは初めから、信じない者がだれであるか、裏切る者がだれであるかを、知っておられたのである――

そしてイエスは言われた。「それだから、わたしはあなたがたに、『父のみこころによるのでないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできない』と言ったのです。」

こういうわけで、弟子たちのうちの多くの者が離れ去って行き、もはやイエスとともに歩かなかった。

そこで、イエスは十二弟子に言われた。「まさか、あなたがたも離れたいと思うのではないでしょう。」

すると、シモン・ペテロが答えた。「主よ。私たちがだれのところに行きましょう。あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。

私たちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています。」

イエスは彼らに答えられた。「わたしがあなたがた十二人を選んだのではありませんか。しかしそのうちのひとりは悪魔です。」

皆さんはいつも神様に対して感謝し神をあがめ、素晴らしい神様だと思っているでしょうか?
それとも神に失望して信じるのはやめようかと思ったことがありますか?


多分、神様に失望したことがあると思います。

祈れば聞かれると言われて、たくさん祈ったのに何も答えられたことがなく、熱心に仕えると祝福があると思って奉仕をしたのに祝福がなく、神様ならば止めることが出来た事故だったのに守ってくれなかった等。

教会でも主のためだと思って新しい計画を進めたのに、失敗に終わったから神様に失望して落ち込み、「神様は一体何をしているのだ」と、つぶやくことが多いと思います。


今日の本文にも1つの悲劇が書かれています。
弟子であった人々の姿です。

弟子とは、イエス様を見て信じ、どこまでも従って行きますと言ってついてきた人たちです。

イエス様があらゆる奇蹟を行いましたが、弟子たちの中には、その恵みを受けて癒された人もいたでしょう。

日々、素晴らしいみわざを現すイエス様を見て 喜んで従ってきました。
自分たちの要求、願いが通ったので喜んで従ってきました。


しかし、イエス様が自分たちに対して要求するものが出た時に、彼らは気を悪くして、その要求に自分たちが答えなければならないことを知ってから態度を変えました。

「何だ。祝福だけをもらおうと思って信じたのに、私が神のために何かをしなければならないのか。それはいやだ。」という思いが出て、「神様を信じるのをやめます。失望しました。」と言って 神様から離れていきました。






信仰生活は神と自分自身が関係を結ぶことです。

神様は私たちに語っておられます。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイの福音書11章28節)」 このことばが嫌いな人はいないと思います。

神様が良くしてくださると思って神に近づき、何でも神様が自分の願い通りにしてくださると、ここから神への誤解が生まれてきます。


私の願いは叶えられ、私の思いのままに神を動かせると勘違いをします。


「○○のために信じます。」「○○をしてくださるならば信じます。」「○○だから信じます。」と理由を並べるのを神様は喜びません。

神様は私たちが、神のみこころに従って歩むことを願っておられます。

教会に来られた人々の中でも「○○があるから教会には行けません。」と言う人がいます。


私たちは教会に 神様に会うために行きます。他の理由は大したことがないです。


神の御前に行き、神を信じ、神に頼ることを神様は求めておられます。

それなのに神に頼らないで、人やお金に頼り、神を無視しながら自分の思い通りにならないと「神様が何もしてくれないから失望しました。」と神のせいにして神様から離れていきます。

また、神様が要求するのは神のみことばに対する従順であるのに、みことばに対しても不従順でありながら、神が悪いと平気で言います。

私の要求が通るならば神様を信じますが、通らないなら信じませんと言うのは正しいことでしょうか――?






最近3分テレフォンメッセージで、マラキ書を語っていますが、当時のイスラエルの民たちは神に失望していました。


自分たちの思い通りになっていない現実を見て、「神様はなぜ私たちを祝福しないのですか。なぜこのような有様なのですか」と すごく不満を持ちました。

実際に彼らが神に失望したのは、神のほうに問題があるのではなく、神のみこころに従わず、勝手に歩んでいた彼らに問題がありました。しかし、そのことに気付いていませんでした。


それで神様は彼らが悟ってほしいと願って、ことば(神の質問)を色々と与えました。

(神)「わたしはあなたがたを愛している。」 → (民たち)「どのようにあなたが私たちを愛されたのですか?」
この答えを聞いても分かるように、どんなに神様から愛されていても、その愛に気付いていませんでした。


むしろ彼らは「神様は私たちを愛していない。愛しているなら、なぜ私たちが困っているのに助けてくれないの?祝福してくれないの?」という思いでいっぱいでした。

また、神様は「もしわたしが父であるなら、どこにわたしへの尊敬があるのか。もしわたしが主人であるなら、どこにわたしへの恐れがあるのか」と質問するほど、イスラエルの 民たちは神様へひどい態度を見せながらも、自分の間違った態度は棚にあげて神様への失望だけが心に満ちていました。


神様が何かを言うと、「何と うるさいことか」と心の中で言っていました。

神様に対して誤解し、神様に対して失望し、尊敬も栄光も捧げず、心が神様から離れ、神様が語ることばに対しても反抗的で不信仰であるならば誰が損をしますか?神様でしょうか?それとも その人たちでしょうか?






多くの人々が福音を聞きます。しかし反応は分かれます。

ある人は(神が語ったことばが)、自分が思ったことと違うと非難し悪口を言い、失望したと言って離れます。
また ある人は、自分の願いが叶えられて嬉しいと言ってついて来ますが、神様が要求するものを語ると「それは出来ません。無理です。時間がありません。」と言いながら、だんだん神から離れていきます。


しかし、ある人たちは何も自分の思い通りにならなくても救われた恵みにただ感謝して神を愛し、神を信じ、死に至るまで忠実に主に仕えます。

すると主はどの人を一番愛し、祝福してくださるでしょうか?それは言うまでもありません。


神を信じ、頼り、神から離れない人です。


私たちはどのようなタイプでしょうか?

すぐに「神様に失望した。何もしてくれないから、信じても意味がない。」と言うような人には絶対にならないようにしましょう。

これは神の恵みを知らず、神がどういう方なのか まだ分かっていない人が言うことばです。


詩篇116篇の告白を自分の思いとして告白してみてください。
(・∀・)つ


【詩篇116篇1-19節】

私は主を愛する。主は私の声、私の願いを聞いてくださるから。

主は、私に耳を傾けられるので、私は生きるかぎり主を呼び求めよう。

死の綱が私を取り巻き、よみの恐怖が私を襲い、私は苦しみと悲しみの中にあった。

そのとき、私は主の御名を呼び求めた。「主よ。どうか私のいのちを助け出してください。」

主は情け深く、正しい。まことに、私たちの神はあわれみ深い。

主はわきまえのない者を守られる。私がおとしめられたとき、私をお救いになった。

私のたましいよ。おまえの全きいこいに戻れ。主はおまえに、良くしてくださったからだ。

まことに、あなたは私のたましいを死から、私の目を涙から、私の足をつまずきから、救い出されました。

私は、生ける者の地で、主の御前を歩き進もう。

「私は大いに悩んだ」と言ったときも、私は信じた。

私はあわてて「すべての人は偽りを言う者だ」と言った。

主が、ことごとく私に良くしてくださったことについて、私は主に何をお返ししようか。

私は救いの杯をかかげ、主の御名を呼び求めよう。

私は、自分の誓いを主に果たそう。ああ、御民すべてのいる所で。

主の聖徒たちの死は主の目に尊い。

ああ、主よ。私はまことにあなたのしもべです。私は、あなたのしもべ、あなたのはしための子です。あなたは私のかせを解かれました。

私はあなたに感謝のいけにえをささげ、主の御名を呼び求めます。

私は自分の誓いを主に果たそう。ああ、御民すべてのいる所で。

主の家の大庭で。エルサレムよ。あなたの真ん中で。ハレルヤ。

2014.10.12
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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