からし種の信仰と成長↗

東大阪市・八戸ノ里キリスト教会の毎週日曜日の礼拝メッセージです。 「聖書は難しくて意味がわからない」というイメージが強いです。だけど、真理を正しく説いてくれるので心にグサグサと刺さります。涙も大量に流れます。だけど、それが神様の恵みなんですヨ~★


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希望

七つの教会へのメッセージ(ほめられたところ)

テーマは 『 七つの教会へのメッセージ(ほめられたところ) 』 です

【ヨハネの黙示録1章19ー20節】

そこで、あなたの見た事、今ある事、この後に起こる事を書きしるせ。

わたしの右の手の中に見えた七つの星と、七つの金の燭台について、その秘められた意味を言えば、七つの星は七つの教会の御使いたち、七つの燭台は七つの教会である。

黙示録は、キリスト教に対するローマの迫害が厳しかった ネロ皇帝の時代に記録されました。


主の弟子であるヨハネも迫害され、パトモスという島で囚人生活を送っていた時に、イエス様から啓示を受けて黙示録を記録しました。

様々な啓示を受けましたが、最初に聞いたのは 教会に対する主のことばでした。


教会に対する神様の関心が どれほど強いかを知ることが出来ます。


黙示録を記録した時の教会は、成長期を越えて迫害の中で衰退期にさしかかっていました。

教会は “キリストのからだ” で、主はそれぞれの教会の状態をすべて知っておられます。


ですから主は、教会に向けて ほめ言葉、非難のことば、悔い改めのことば、裁きの警告、そして報いなどについて語りました。

イエス様の犠牲と勝利は受け入れましたが、霊的成長と真実さに欠けた人たちに向けて語りました。



今回は、七つの教会に対して 主がどのようなほめことばを語ったのかを学んでいきます。

その中で、残念ながらラオデキヤ教会だけは ほめられなかったので、六つの教会だけを挙げていきます。


どのような教会が “良い教会” で、どのような教会が “悪い教会” かは、自分勝手に判断するのではなく、黙示録にある七つの教会を参考にすると、正しい判断が出来ると思います。


キリストの再臨を待ち望んでいる私たちが、どのような姿で待つべきかを主のメッセージで知ることが出来ます。




◎ エペソ教会



【黙示録2章2ー3節】

わたしは、あなたの行いとあなたの労苦と忍耐を知っている。また、あなたが、悪い者たちをがまんすることができず、使徒と自称しているが実はそうでない者たちをためして、その偽りを見抜いたことも知っている。

あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。

悪い者、にせ使徒たちが 教会の中に浸透したのは、教会を内部から混乱させ、惑わすための “サタンの策略” でした。


正しい信仰を持っていないと惑わされます。

しかし 幸いにも、エペソ教会の信徒たちは 彼らの偽りを見抜いて、悪い者たちの悪行を許さず、間違えた教えに惑わされませんでした。


そして外から来る迫害にも よく耐えて信仰を守っていました。

積極的に神を求め、教えられた神のことばを守っていたので、主からほめられました。


エペソには、アルテミス神殿があるので 宗教の中心地でもありましたが、その中でもキリストを信じて信仰を守っていました。

主に対して誠実な教会でした。


テモテはパウロに任命され、エペソ教会の牧会者になりました。




◎ スミルナ教会



【黙示録2章9節】

「わたしは、あなたの苦しみと貧しさとを知っている。――しかしあなたは実際は富んでいる――またユダヤ人だと自称しているが、実はそうでなく、かえってサタンの会衆である人たちから、ののしられていることも知っている。

スミルナ教会は 皇帝崇拝を強要するローマの勢力と律法主義を掲げて、キリスト教を迫害するユダヤ人たちから迫害を受けました。


ですから政治的、宗教的、社会的、経済的に深刻な迫害がありました。

信徒たちは貧しく苦しかったですが、信仰だけは変質されることがなく、よく信仰を守っていました。


世にあるものを捨てて主を選び、霊的富が豊かな教会でした。


この教会は、 “殉教の教会” としても有名でした。

立派な指導者も数多く養成しました。


その教会の指導者の1人・ポリュカルポスのことばは有名です。

彼を捕えた総督は彼に「誓え。そうしたら赦してやる。キリストをのろえ。」と言いましたが、ポリュカルポスは 次のように答えました。


「86年間、私はキリストに仕えてきた。キリストは一度も私を裏切らなかった。私を救って下さった王を、私はどうしてのろえようか。」

そのことで彼は 火をつけられ殺されました。




◎ ベルガモ教会



【黙示録2章13節】

「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかしあなたは、わたしの名を堅く保って、わたしの忠実な証人アンテパスがサタンの住むあなたがたのところで殺されたときでも、わたしに対する信仰を捨てなかった。

主が “サタンの王座がある” というほど、この都市は偶像崇拝が盛んな地域でした。

そこにあるベルガモ教会は異教徒からいのちを狙われたりしました。


苦難と殉教の危機の中でも信仰を守りました。


そして忠実な証人アンデパスが殉教しましたが、彼は皇帝崇拝を拒んだために逮捕され、熱によって真っ赤になった青銅の牛の上に乗せられて焼き殺されました。


残忍なやり方で彼を殺しました。

それでも信徒たちは信仰を守っていました。




◎ テアテラ教会



【黙示録2章19節】

「わたしは、あなたの行いとあなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を知っており、また、あなたの近ごろの行いが初めの行いにまさっていることも知っている。

テアテラ市は偶像崇拝と淫乱が多い、堕落した文化がある都市でした。


その中でも テアテラ教会は、信仰、希望、愛がある教会でした。


特に愛の実践がありました。

もちろんこの教会の中でも、非難される行動をした信徒たちはいました。


しかし、ある信徒たちは 信じた時よりも信仰も行いもさらによくなっていました。

主はそれをほめました。


エペソ教会は初めの愛から離れてしまいましたが、テアテラ教会の信徒たちは信仰、希望、愛をさらに大きくしていきました。


成長することは、実を結んでいく姿ですから 主に褒められました。

そして、悔い改めもある教会でした。




◎ サルデス教会



【黙示録3章4節】

しかし、サルデスには、その衣を汚さなかった者が幾人かいる。彼らは白い衣を着て、わたしとともに歩む。彼らはそれにふさわしい者だからである。

衣は 身分を現わす象徴的なことばです。

汚されることは、“罪に染まったこと” を意味します。


ですから衣を汚さなかったことは「キリスト者としての名誉を汚さなかった。」
すなわち、信仰の純潔を守ったことを意味します。


実際この教会には、信仰の純粋性を守ることが出来ず、世の風潮や罪の誘惑に妥協して淫行を行い、信仰までも汚れてしまった人が多かったですが、その中でも数少ない人だけが罪から自分を汚すまいと思って 主と共に歩み、そのことで主からほめられました。




◎ フィラデルフィア教会



【黙示録3章8節】

「わたしは、あなたの行いを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。

少しばかりの力は、タラントのたとえにありますが、少ないタラントしかもらってないにもかかわらず、主に対して忠実でした。


彼らは 主を愛していましたので、最後まで主のことばを守りましたし、世の富の誘惑や名誉、武力にも屈することなく信仰を守り通しました。


キリストのためにすべてを捨てた信徒たちでした。

この教会は主の心に適った教会でした。


このように主は、一つ一つ教会に対して正しい診断をして下さいました。


私たちが良い信徒、良い教会になるためには、主が何をほめたのかを知り、それを目指したら良い信徒、良い教会になります。
(*´∇`*)

2016.9.4
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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自分の道と神様の道

テーマは 『 自分の道と神様の道 』 です

【イザヤ書55章8-9節】

「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。― 主の御告げ ―

天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。

このみことばを覚えているクリスチャンは多いと思います。

読みながら“なるほど”と思っていますか?
納得していますか?


このことばは、私たちが神のみこころを確認するためにも必要ですし、(自分)勝手に絶望して落ち込まないためにも必要です。


自分の思いと、神の思いが異なることが前提であるならば、自分の中に出てくる思いに対して、そのままその思いで進むのではなく、(神から)異なると 言われているので、違う観点でもう一度自分の思いを調べることが必要です。


「私の思いはこうだけど、神様ならば どのような思いだろうか?」と立ち止まって静かに考えるならば、今までは見えなかったものや 考えた事もなかった思いが出てきます。


人は自分の思いをみな正しいと思う傾向があります。

そして、自分の思いを通したいので他人の意見もあまり聞かないです。

そこに落とし穴があり、失敗の原因があります。


ですから、神のことばは 私たちの思いに対してブレーキをかけて、もう一度それが神の思いと一致するのかを確かめなさいというサインをみことばで発信しています。

そして、“自分の思いでは不可能に見えることに対しても、神ならば可能ではないのか”と希望が見えてきます。


不可能を可能にしてくださるのが神です。


主の弟子たちが、自分たちの思いを捨てた時に奇跡が起こりました。

夜通し漁をしても魚一匹釣れなく諦めていました。


しかしイエス様が彼らに「深みに出て網をおろしてみなさい」と言われた時に、彼らにはその言葉が無駄な働きを強いられる思いがありましたが、主のことばに 従うことにしました。

再び、船を海に向けて出発させ、深みに出て網をおろしました。


そして自分たちの思いの予想とはまったく違う結果が出てきました。
網が破れるほど大量の魚が捕れました。

この1つのことを見ても、私たちの思いと神の思いの違いがハッキリしました。


自分たちが ダメだと言ったら、すべてがダメでしょうか?
無理と言ったら、すべてが無理でしょうか?

そんなことは絶対にないです。


神は今も健在です。
そして力があり 何でも出来る方です。


また、道が閉ざされると 人間は自信をなくし、絶望と不安に駆られますが、その時に“これは自分が選んだ道だから閉ざされたのだ。神様は別の道を備えて いるに違いない”と思いを変えるならば、希望が出てきて、神が備えた道が見えてきます。


神は、はるかに良い道と計画を備えておられます。

ですから、自分の思いのままに出来なかったからと言って失望をしないで、今度は主の思いと道を求めてください。

すると、神は示してくださいます。
v( ̄∇ ̄)v

2015.11.29
3分テレフォンメッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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ダニエルに学ぶ勝利する信仰生活

テーマは『 ダニエルに学ぶ勝利する信仰生活 』です

【ダニエル書1章8-16節】

ダニエルは、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官(かんがん)の長に願った。

神は宦官の長に、ダニエルを愛しいつくしむ心を与えられた。

宦官の長はダニエルに言った。「私は、あなたがたの食べ物と飲み物とを定めた王さまを恐れている。もし王さまが、あなたがたの顔に、あなたがたと同年輩の少年より元気がないのを見たなら、王さまはきっと私を罰するだろう。」

そこで、ダニエルは、宦官の長がダニエル、ハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤのために任命した世話役に言った。

「どうか十日間、しもべたちをためしてください。私たちに野菜を与えて食べさせ、水を与えて飲ませてください。」

そのようにして、私たちの顔色と、王さまの食べるごちそうを食べている少年たちの顔色とを見比べて、あなたの見るところに従ってこのしもべたちを扱ってください。」

世話役は彼らのこの申し出を聞き入れて、十日間、彼らをためしてみた。

十日の終わりになると、彼らの顔色は、王の食べるごちそうを食べているどの少年よりも良く、からだも肥えていた。

そこで世話役は、彼らの食べるはずだったごちそうと、飲むはずだったぶどう酒とを取りやめて、彼らに野菜を与えることにした。

ダニエルの光り輝くものは、彼の信仰です。
西洋の人々は、自分たちの子どもがダニエルのようになって欲しいという願いを込めて、ダニエルという名前を
結構付けています。

当時のダニエルは、少年でありました。そして悲惨な状況にいました。
イスラエルの民は戦争に負けましたので、バビロンに連れていかれた捕虜の身分でした。

もともとはそのような者ではなかったです。彼は王族の親族でした。なぜならば、ダニエル書1章3節に
書かれています。

王は宦官の長アシュペナズに命じて、イスラエル人の中から、王族か貴族を数人選んで連れて来させた。

王族だった者が戦争に負けた為に転落し、奴隷・捕虜の身分になりましたので絶望的な人生に変わりました。
自分の思い通りに何も出来ない「自由」が奪われるのは、一番最悪な環境であります。

しかし、ダニエルがその中でも絶望して自分の人生を投げ出していないことが分かります。
普通ならば希望がないので投げ出してしまいます。
今の若者たちが自分の命を投げ出す一番の原因は希望がないことです。

ダニエルの姿を見て、学ぶことがとても多くあります。

多くの人たちが環境のせいにして、「信仰生活をしたいです。良い信仰をもって、成長したいです。
だけど身体が言うことを聞かないです。」と、ああだこうだと言って 結局「出来ません。」と言うのです。
ですが、聖書には神様がいつもおっしゃっているように、主にある者には不可能がないのです。
不可能という言葉を使うこと自体が不信仰なのです。

聖書の中には、色々な人物が出てきます。色々な環境、色々な道を通る人物がいます。
それを自分に当てはめていくのです。
絶望的な環境の中で勝利した人たちは、どうやってそこから抜け出したのか、それを学ぶのが聖書なのです。

聖書を開いて、自分と同じ立場の中にいる人たち、自分よりも もっとひどい状況の中にいる人たちから学ぶと
自分とその人物との違いが分かります。

それを変えていくだけでも、私たちは今とは違う人生を生きることができます。

聖書に出て来る人物の生活を見ると、勝利で終わる人たちの話がたくさんあります。
それを今の時代で活かすと、自分たちも必ず勝利することができます。


ダニエルは悪い環境の中から、どうやって抜け出ることができたのでしょうか?

【ダニエル書1章8節】

ダニエルは、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官(かんがん)の長に願った。

これは、正しい決断力です。

神様が人間を造られた時は自分で何かを決断する必要はありませんでした。
神様が全て用意してくださり、人間はそれに従うだけで良かったのです。
しかし、人間が勝手に善悪の木の実を食べた瞬間から、自分が何を選ぶかによって責任を
負わなければならない立場に変わってしまいました。

ここでダニエルは1つの選択をしました。

王さまから出された命令は、王のごちそうを食べて、そこで彼を成長させて様々な学問を教えて王さまに仕える
訓練をすることでした。
ですから (偶像に捧げた)ごちそうを食べなければなりませんでした。他の者たちは大喜びでした。
本来、捕虜が食べる物はみすぼらしいものですが、ここでは王さまが食べるものでした。

若者は食欲旺盛ですので、目の前にごちそうが出たら「食べたい」と思うのは自然なことであります。
しかし彼はそれを聞いた瞬間に、王さまは偶像崇拝をする者でしたので「これを食べてはいけない。」と
思いました。

神様の言葉が、ダニエルの人生の価値観でした。
何によって生きるのかというと、神様の言葉でありますので、(食べてしまうと)神様に違反をすることになります。

イエス様が断食をして空腹なのを知り、サタンは「石がパンになるように命じなさい」と、
イエス様にも一番最初に来た誘惑が食欲でした。
ですから、私たちは軽く考えてはいけないです。若い人、特に男の人は食欲が旺盛です。
ダニエルに大きな誘惑が来ましたが食べないことを決断をし、相手に伝えました。

ただの食べ物の決断だけではないです。彼が口に出して言ったということは「死」を覚悟しているのです。
なぜならば、王さまの命令を捕虜が逆らうということは命に関わることだからです。

私たちはこのような選択をしなければならないです。
みことばに反する事をするのか、それとも肉を満たす美味しいものを拒むのか――。
その時 私たちはどちらを選ぶのかがとても大切であります。

私たちは間違えた選択をしてしまうので、それを刈り取ってしまうのです。
私たちは楽な道を選びがちです。

ダニエルもこの問題が来たときに悩んだと思います。ですが彼が握っているものは神様の言葉でした。

自分の所属がどこなのか――?
このバビロンの王さまに所属しているのではなく、その上に立っている神様に所属している者。
選択の基準は何かというと神様の言葉なのです。
みことばが心に根を下ろしている人は、心があまり揺れることはないです。

しかし、みことばが心に住んでいないと、神様の言葉をしっかりと握りしめて決断をすることが難しいです。

ダニエルは信仰第一でした。これは絶対に譲らないものだと決めてありましたので、それと違うものが来た時に
大胆に選択することが出来ました。

みことばに反することは全て罪になります。
私たちが罪を犯すことで最初に起こることは、神様との関係にヒビが入り 破壊されます。

誘惑が多い世の中でも、みことばの中で生きることが区別された生活です。

私たちが神様の言葉に沿って選択をすると、その時にはサタンがものすごく攻撃をすると思います。
しかし、神様は正しい選択をした者を必ず守ります。これが聖書の世界であります。

神様のみことばを守る為に、その道を選んだ者を神様は見捨てることはないです。

結果を見ると、ダニエルは正しい選択をしたことが分かります。




次に、ダニエルから学ぶ信仰の姿勢は、神様に全てを委ねて頼ったことです。

彼は1つの提案をしました。それはとても知恵のある提案でした。
「十日間、野菜と水だけをください。そして比べてみてください。」ということでした。
これはある意味で愚かな提案でした。医学的に見ても、化学的に見ても、野菜と水だけの者と
肉や好きな物を食べる者のどちらが血色が良くて健康的になるでしょうか?それは当然 後者でしょう。

人間の目には愚かな提案でした。人々が「そんなバカな」と思うことに神様が働きます。

人々は自分たちが思っていた事と違う結果になった時に誰を見るでしょうか――?
それは、神様であります。肉を食べていた者よりも(ダニエルたちは)血色が良く、肥えていました。
人間の思いを遥かに超えたことであります。

ダニエルの信仰を見て神様は祝福しました。
信仰の勝利は私たちが神様に頼る時に来るのです。

自分の方法であれこれやるので祝福が来ないのです。

今の時代で、王さまの存在に当たるのは、権威や物質であります。
物質は黄金主義です。これはクリスチャンも同じです。自分の手にしっかりと握っていないと安心できず、
神様だけでは不安なので「お金も神様も両方必要なのです。」と。

もちろん、物質も必要です。しかし神様は 2人の主人には仕えられないのだと語ってあります。

私たちは物質に頼るということは、世に頼るということです。
どうも私たちには、目に見えない神様よりも 目に見える物に頼る傾向があります。

ダニエルが祝福されたのは、たった1人の主人に仕えていたからです。
捕虜なので財産も何もなく、自分の命でさえ自分のものではないです。
しかし、彼はそのことを一切考えませんでした。


【エレミヤ書17章5-8節】

主はこう仰せられる。「人間に信頼し、肉を自分の腕とし、心が主から離れる者はのろわれよ。

そのような者は荒地のむろの木のように、しあわせが訪れても会うことはなく、荒野の溶岩地帯、住む者のない塩地に住む。

主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。

その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる。

これは約束であります。
主に頼る者は何もない中でも正しい選択をし、神様に委ねて生きるならば叶えてくださいます。

信仰がないなら神様は喜びませんが、信仰を持って頼るならば、神様の力はいくらでも働きます。
主がその者を通して神様の栄光を表してくださるのです。




次に、ダニエルから学ぶ信仰の姿勢は、行いの伴った信仰です。

「神様に頼ります。」「神様に信頼します。信じます。」と口では色々言うことはできますが、
本当に主に委ねた人たちは、行いがあるのです。

葛藤に私たちはすぐに負けてしまいます。決心しても3日も続かないので失敗するのです。
だけど彼は自分の肉体を打ち叩きながら、自分の信仰にある大きな障害物を毎日取り除けながら
行動しました。

神様は行いのない信仰は、一言で「死んだ信仰」だとおっしゃいました。
死んだ信仰に神様は働きません。また、行いはありますが 信仰が無いというのも神様は喜びません。

神様が喜ぶのは行いが伴った信仰で、自分が神様に約束した通りに日々続けていく人に信仰を認めて
喜んで、必ず勝利させてくださるのです。守るのです。

そして周りの人たちの心を変えていきます。

私たちが信仰の行動をすると、私たちは他人の心を変えることが出来ませんが、神様は人の心に働くのです。
それをダニエル書1章9節でも見ることができます。


【ダニエル書1章9節】

神は宦官の長に、ダニエルを愛しいつくしむ心を与えられた。

私たち1人1人が神様に正しい選択をし、みことばを守ろうと決心するその時から、神様は相手の心の中に
働きます。その人が信仰を守って生きていけるように、神様が全ての敵を取り除き 力を与え、恵みを準備して
くださるのです。

ですから、大切なことは、私たちが日々の生活の中で、神様のみこころを選ぶことなのです。
言われた通りに行いがある信仰を実行していくと、神様はその人に勝利を与えてくださいます。
喜ぶので神様の恵みがその人に来るのです。その人の生きた信仰が実を結ぶのです。

死んだ信仰はいくら待っても実を結びません。

しかし、生きた信仰には、芽が出て 時が来ると、神様の恵みによって実が結ばれます。
私たちが勝利をしたと言うことは、実が結ばれたということであります。その人が祝福されたという姿であります。

ダニエルはそのようにして、神様に祝福されました。
命を懸けた決断をしましたが、死ぬことはありませんでした。
常に神様は守ってくださいましたし、彼の信仰を周りの人が認めました。どんどん彼の地位を高く上げていきました。

ダニエルは、若い時から 年を取って死ぬ時まで、その信仰をずっと守っていました。

命に関わる選択がありますが、どんな時でもダニエルは正しい選択をしました。
それが、正しい者になり、良い実を結びました。

私たちは悪いものを選びながら「神様、私を祝福してください。」「滅ぼさないでください。」と言っていても
悪いものを選んでいるので、自分で清算をしなければならないです。

私たちが種を蒔くということは選択なのです。選択して行動をすることです。
決断して動くことが1つ1つの種であります。

ダニエルは、信仰(みことば)が第一だと思って、それをしっかりと握ったことによって
彼の人生は勝利で終わりました。

小さな信仰でも、それを働かせて多くの実を結びました。
私たちはそれを学びましょう。 (^∀^)

2013.9.8
聖日礼拝メッセージ

八戸ノ里キリスト教会

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